瓜の涙

泉鏡花




       一

 年紀としわかいのに、よっぽど好きだと見えて、さもおいしそうに煙草たばこみつつ、……しかしはげしい暑さに弱って、身も疲れた様子で、炎天の並木の下にやすんでいる学生がある。
 まだ二十歳はたちそこらであろう、久留米絣くるめがすりの、紺の濃く綺麗きれいな処は初々ういういしい。けれども、着がえのなさか、幾度も水をくぐったらしく、ひじ、背筋、折りかがみのあたりは、さらぬだに、あまり健康じょうぶそうにはないのが、薄痩うすやせて見えるまで、その処々色がせて禿げている。――茶の唐縮緬めりんすの帯、それよりも煙草に相応そぐわないのは、東京のなにがし工業学校の金色の徽章きしょうのついた制帽で、巻莨まきたばこならまだしも、んでいるのが刻煙草きざみである。
 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処まんなかどころに、昔から伝説を持ったおおきな一面の石がある――義経記ぎけいきに、……
加賀国富樫とがしと言う所も近くなり、富樫のすけと申すは当国の大名なり、鎌倉殿どのよりおおせこうむらねども、内々用心して判官殿ほうがんどの待奉まちたてまつるとぞ聞えける。武蔵坊むさしぼう申しけるは、君はこれより宮のこしへ渡らせおわしませ――
とある……金石かないわの港で、すなわち、もとの名みやこしである。
 真偽のほどは知らないが、おなじ城下を東へ寄った隣国へこえる山の尾根の談義所村というのに、富樫があとを追って、つくり山伏の一行に杯を勧めた時、武蔵坊が鳴るは滝の水、日は照れども絶えずと、うたったと伝うる(なるは滝)小さな滝の名所があるのに対して、これを義経よしつね人待石ひとまちいしとなうるのである。行歩こうほすこやかに先立って来たのが、あるき悩んだ久我くがどのの姫君――北のかたを、乳母めのとの十郎ごんかみたすけ参らせ、おくれて来るのを、判官がこの石に憩って待合わせたというのである。目覚しい石である。夏草の茂った中に、高さはただ草をいて二三尺ばかりだけれども、広さおよそ畳を数えて十五畳はあろう、深い割目われめが地の下にとおって、もう一つ八畳ばかりなのと二枚ある。以前はこれが一面の目を驚かすものだったが、何の年かの大地震に、坤軸こんじくを覆して、左右へ裂けたのだそうである。
 またこの石を、城下のものは一口に呼んで巨石おおいしとも言う。
 石の左右に、この松並木の中にも、形の丈の最もすぐれた松が二株あって、海に寄ったのは亭々ていていとして雲をしのぎ、町へ寄ったは拮蟠きっはんして、枝を低く、彼処かしこ湧出わきいづる清水にかざす。……
 そこに、青きこけなめらかなる、石囲いしがこい掘抜ほりぬきを噴出づる水は、音に聞えて、氷のごとく冷やかに潔い。人の知った名水で、並木の清水と言うのであるが、これは路傍みちばたおのずから湧いて流るるのでなく、人が囲った持主があって、清水茶屋と言う茶店が一軒、田畝たんぼの土手上にひさしを構えた、本家は別の、出茶屋でぢゃやだけれども、ちょっと見霽みはらしの座敷もある。あの低い松の枝の地紙形じがみなり翳蔽さしおおえる葉の裏に、葦簀よしずを掛けて、掘抜にめぐらした中を、美しい清水は、松影に揺れ動いて、日盛ひざかりにも白銀しろがねの月影をこぼしてあふるるのを、広い水槽でうけて、その中に、真桑瓜まくわうり西瓜すいか、桃、すももの実をひやして売る。……
 名代なだいである。

       二

 はたけ一帯、真桑瓜が名産で、この水あるがためか、巨石おおいしの瓜は銀色だと言う……瓜畠がずッと続いて、やがて蓮池はすいけになる……それからは皆青田あおたで。
 はたのは知らない。実際、水槽に浸したのは、真蒼まっさおな西瓜も、黄なる瓜も、さっと銀色のみのを浴びる。あくどい李のあかいのさえ、淡くくるくると浅葱あさぎに舞う。水にほとばしいきおいに、水槽を装上もりあがって、そこから百条のすだれを乱して、溝を走って、路傍みちばたの草を、さらさらと鳴してく。
 音が通い、しずくを帯びて、人待石――巨石の割目に茂った、露草の花、たでくれないも、ここに腰掛けたという判官のその山伏の姿よりは、さわやかによろうたる、色よき縅毛おどしげを思わせて、黄金こがねの太刀も草摺くさずりも鳴るよ、とばかり、松のこずえ颯々さつさつと、清水の音に通って涼しい。
 けれども、涼しいのは松の下、分けて清水の、玉を鳴して流るる処ばかりであろう。
 三げん幅――並木の道は、真白まっしろにキラキラと太陽に光って、ごろた石は炎を噴く……両側の松は梢から、枝から、おのが影をおのが幹にのみわせつつ、真黒まっくろな蛇の形をうねらす。
 雲白く、秀でたる白根しらねが岳の頂に、四時の雪はありながら、田は乾き、畠は割れつつ、瓜の畠の葉も赤い。来た処も、く道も、露草は胡麻ごまのようにひからび、蓼の紅は蚯蚓みみずただれたかと疑われる。
 人の往来ゆききはバッタリない。
 大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海ありそうみから親不知おやしらずの浜を、五智の如来にょらいもうずるという、泳ぐのに半身を波の上にあらわして、列を造ってくとか聞く、海豚いるかの群が、毒気を吐掛けたような入道雲の低いのが、むくむくと推並おしならんで、動くともなしに、見ていると、が揺れるように、ぬッと動く。
 見すぼらしい、が、色の白い学生は、高い方の松の根に一人居た。
 見ても、薄桃色に、また青く透明すきとおる、冷い、甘い露の垂りそうな瓜に対して、ものほしげに思われるのを恥じたのであろう。茶店にやや遠い人待石に――
 で、その石には腰も掛けず、草にうずくまって、そして妙な事をする。……煙草たばこむのに、燐寸マッチを摺った。が、燃さしの軸を、消えるのを待って、もとの箱に入れて、たもとしまった。
 乏しい様子が、燐寸ばかりも、等閑なおざりになし得ない道理はめるが、焚残もえのこりの軸を何にしよう……
 けだし、この年配としごろの人数ひとかずには漏れない、判官贔屓ほうがんびいきが、その古跡を、取散らすまい、犯すまいとしたのであった――
「この松の事だろうか……」
 ――金石かないわみなと、宮の腰の浜へ上って、北海のたこ烏賊いかはまぐりが、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽おかしな昔話がある――
 人待石にやすんだ時、道中の慰みに、おのおの一芸をつかまつろうと申合す。と、鮹が真前まっさきにちょろちょろと松の木の天辺てっぺんって、脚をぶらりと、
「藤の花とはどうだの、さがり藤、あがり藤。」と縮んだり伸びたり。
 烏賊が枝へ上って、ひれを張った。
印半纏しるしばんてん見てくんねえ。……鳶職とびのもの、鳶職のもの。」
 そこで、蛤が貝を開いて、
「善光寺様、お開帳。」とこう言うのである。
 鉈豆煙管なたまめぎせるむようにくわえながら、枝を透かして仰ぐと、雲のからんだ暗い梢は、ちらちらと、今も紫の藤が咲くか、と見える。

       三

「――あすこに鮹が居ます――」
 とこの高松の梢にかかった藤の花をゆびさして、つれの職人が、いまのその話をした時は……
 ちょうど藤つつじのさかりな頃を、父と一所に、大勢で、金石の海へ……船で鰯網いわしあみかせにく途中であった……
 楽しかった……もうそこの茶店で、大人たちは一度吸筒すいづつを開いた。早や七年も前になる……梅雨晴の青い空を、流るる雲に乗るように、松並木の梢を縫って、すうすうと尾長鳥が飛んでいる。
 長閑のどかに、しずかな景色であった。
 と炎天に夢を見る様に、恍惚うっとりと松の梢に藤の紫を思ったのが、にわかに驚く! その次なる烏賊の芸当。
 鳶職とびというのを思うにつけ、学生のその迫った眉はたちまち暗かった。
 松野謹三、かれは去年の秋、故郷ふるさとの家が焼けたにより、東京の学校を中途にして帰ったまま、学資の出途しゅっとに窮するため、こぶしを握り、足を爪立てているのである。
 いや、ただ学資ばかりではない。……その日その日の米まきさえ覚束おぼつかない生活の悪処に臨んで、――実はこの日も、朝飯あさを済ましたばかりなのであった。
 全焼まるやけのあとで、父は煩って世を去った。――残ったのは七十に近い祖母と、十ウばかりの弟ばかり。
 父は塗師職ぬししょくであった。
 黄金無垢きんむくの金具、高蒔絵たかまきえの、貴重な仏壇の修復をするのに、家に預ってあったのが火になった。その償いの一端にさえ、あらゆる身上しんしょうけむにして、なお足りないくらいで、焼あとには灰らしい灰も残らなかった。
 貧乏寺の一間を借りて、墓の影法師のように日を送る。――
 十日ばかり前である。
 かれが寝られぬ短夜みじかよに……疲れて、寝忘れて遅く起きると、祖母としよりの影が見えぬ……
 枕頭まくらもとの障子の陰に、朝のぜんごしらえが、ちゃんと出来ていたのを見て、水を浴びたようにきもまで寒くした。――大川も堀も近い。……ついぞ愚痴ぐちなどを言った事のない祖母としよりだけれど、このごろの余りの事に、自分さえなかったら、木登りをしても学問の思いは届こうと、それを繰返していたのであるから。
 さいわい箸箱はしばこの下に紙切が見着かった――それに、仮名かなでほつほつと(あんじまいぞ。)と書いてあった。
 祖母としよりは、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿わらじばきで、松任まっとうという、三里隔った町まで、父が存生ぞんしょうの時に工賃の貸がある骨董屋こっとうやへ、勘定を取りに行ったのであった。
 七十のとしよりが、往復六里。……骨董屋はとう夜遁よにげをしたとやらで、何のかいもなく、日暮方ひぐれがたに帰ったが、町端まちはずれまで戻ると、余りの暑さと疲労つかれとで、目がくらんで、呼吸いきが切れそうになった時、生玉子を一個ひとつ買って飲むと、蘇生よみがえった心地がした。……
根気こんの薬じゃ。」と、そんな活計くらしの中から、朝ごとに玉子を割って、黄味も二つわけにして兄弟へ……
 しおれた草に露である。
 ――今朝も、その慈愛の露を吸ったいきおいで、謹三がここへ来たのは、金石の港に何某なにがしとて、器具商があって、それにも工賃の貸がある……かけを乞いに出たのであった――
 若いものの癖として、出たとこ勝負の元気に任せて、影も見ないで、日盛ひざかりを、松並木の焦げるがごとき中途に来た。
 暑さに憩うだけだったら、清水にも瓜にも気兼きがねのある、茶店の近所でなくっても、求むれば、別なる松の下蔭もあったろう。
 かれはひもじい腹も、甘くなるまで、胸に秘めたおもいがあった。
 判官の人待石。
 それは、その思をむる、宮殿の大なる玉の床と言ってもかろう。

       四

 金石街道の松並木、ちょうどこの人待石から、城下の空を振向くと、陽春三四月の頃は、天の一方をぽっと染めて、銀河あまのがわの横たうごとき、一条ひとすじの雲ならぬくれないの霞がかかる。……
 遠山の桜に髣髴ほうふつたる色であるから、花のさかりには相違ないが、野山にも、公園にも、数の植わった邸町やしきまちにも、土地一統が、桜の名所として知った場所に、その方角に当っては、一所ひとところとして空に映るまで花の多い処はない。……霞の滝、かくれ沼、浮城うきしろ、ものがたりを聞くのと違って、現在、誰の目にもながめらるる。
 見えつつ、幻影まぼろしかと思えば、雲のたたずまい、日の加減で、その色の濃い事は、一斉いっとき緋桃ひももが咲いたほどであるから、あるいは桃だろうとも言うのである。
 紫の雲の、本願寺の屋の棟にかかるのは引接いんじょうの果報ある善男善女でないと拝まれない。が紅の霞はその時節にここを通る鰯売いわしうり鯖売さばうりも誰知らないものはない。
 深秘な山には、谷を隔てて、見えつつ近づくべからざる巨木名花があると聞く。……いずれ、佐保姫のたえなる袖の影であろう。
 花の蜃気楼しんきろうだ、海市かいしである……雲井桜と、その霞をたたえて、人待石に、せんを敷き、割籠わりごを開いて、町から、特に見物が出るくらい。
 けれども人々は、ただ雲をつかんで影をながめるばかりなのを……謹三は一人その花吹くそら――雲井桜を知っていた。
 夢ではない。……忘るまじく可懐なつかしい。ただ思うにさえ、胸の時めく里である。
 この年の春の末であった。――
 雀を見ても、つばくろを見ても、手をつかねて、寺にこもってはいられない。その日のかての不安さに、はじめはただ町や辻をうろついて廻ったが、落穂のないのは知れているのに、跫音あしおとにも、けたたましく驚かさるるのは、草のうずらよりもなお果敢はかない。
 詮方せんかたなさに信心をはじめた。世に人にたすけのない時、源氏も平家も、取縋とりすがるのは神仏かみほとけである。
 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端まちはずれから、山裾やますその浅い谿たにに、小流こながれ畝々うねうねと、次第だかに、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公せいしょうこう、弁財天、鬼子母神きしぼじん、七面大明神、妙見宮みょうけんぐう、寺々に祭った神仏を、日課のごとく巡礼した。
「……御飯が食べられますように、……」
 父が存生ぞんしょうの頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿わらじばきでそこにもうずるのに供をした。参詣さんけいが果てると雑煮を祝って、すぐにお正月が来るのであったが、これはいつまでも大晦日おおみそかで、餅どころか、たもとに、煎餅せんべいも、かやの実もない。
 ある寺に北辰ほくしん妙見宮のまします堂は、森々しんしんとした樹立こだちの中を、深く石段を上る高い処にある。
「ぼろきてほうこう。ぼろきてほうこう。」
 昼もふくろうが鳴交わした。
 この寺の墓所はかしょに、京の友禅とか、江戸の俳優なにがしとか、墓があるよし、人伝ひとづてに聞いたので、それを捜すともなしに、卵塔らんとうの中へ入った。
 墓は皆暗かった、土地は高いのに、じめじめと、落葉も払わず、こけうきぐさのようであった。
 ふと、生垣をのぞいたあかるい綺麗な色がある。外の春日はるびが、うららかに垣の破目やれめへ映って、娘が覗くように、千代紙で招くのは、菜の花にまじ紫雲英げんげである。……
 少年のまぶたさっと血をした。
 袖さえ軽い羽かと思う、蝶にかれたようになって、垣の破目をするりと抜けると、出た処の狭いみちは、飛々とびとびの草鞋のあと、まばらの馬のくつかたを、そのまま印して、乱れた亀甲形きっこうがたに白く乾いた。それにも、人の往来ゆききまばらなのが知れて、くまなき日当りが寂寞ひっそりして、薄甘く暖い。
 怪しき臭気においならぬものをおおうた、わらむしろも、早や路傍みちばた露骨あらわながら、そこにはすみれの濃いのが咲いて、うすいのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。
 馬の沓形くつがたの畠やや中窪なかくぼなのが一面、青麦に菜を添え、紫雲英をくろに敷いている。……真向うは、この辺一帯に赤土山のげた中に、ひとり薄萌黄うすもえぎに包まれた、土佐絵に似た峰である。
 と、この一廓ひとくるわの、徽章きしょうともいっつべく、峰のかざしにも似て、あたかも紅玉をちりばめて陽炎かげろうはくを置いたさまに真紅に咲静まったのは、一株の桃であった。
 綺麗さもすごかった。すらすらと呼吸いきをする、その陽炎にものを言って、笑っているようである。
 真赤まっかな蛇が居ようも知れぬ。
 が、かれの身に取っては、食に尽きて倒るるより、自然ひとりでに死ぬなら、蛇に巻かれたのが本望であったかも知れぬ。
 たもとに近い菜の花に、白い蝶が来て誘う。
 ああ、いや、白い蛇であろう。
 その桃に向って、きざまに、ふと見ると、墓地はかちの上に、妙見宮の棟の見ゆる山へ続く森の裏は、山際から崕上がけうえを彩って――はじめて知った――一面の桜である。……人は知るまい……一面の桜である。
 くに従うて、路は、奥拡がりにぐるりと山の根を伝う。その袂にも桜がちた。
 しばらく、青麦の畠になって、紫雲英で輪取る。畔づたいに廻りながら、やがて端へ出て、横向に桃を見ると、その樹のあたりから路が坂に低くなる、両方は、飛々差覗さしのぞく、小屋、藁屋を、屋根からうずむばかり底広がりに奥をおおうて、見尽されない桜であった。
 余りの思いがけなさに、渠は寂然じゃくねんたる春昼をただ一人、花に吸われて消えそうに立った。
 その日は、何事もなかった――もとの墓地を抜けて帰った――ものにかれたようになって、はおなじ景色を夢にた。夢には、桜は、しかし桃のこずえに、妙見宮の棟下りに晃々きらきらと明星が輝いたのである。
 翌日あくるひも、翌日も……行ってその三度みたびの時、寺の垣を、例の人里へ出るとひとしく、桃の枝を黒髪に、花菜をつまにして立った、世にも美しい娘を見た。
 十六七の、瓜実顔うりざねがおの色の白いのが、おさげとかいう、うしろへさげ髪にした濃いつやのあるふっさりした、その黒髪のびんが、わざとならずふっくりして、優しい眉の、目の涼しい、引しめた唇の、やや寂しいのが品がよく、鼻筋が忘れたようにたかい。
 縞目しまめは、よく分らぬ、矢絣やがすりではあるまい、濃い藤色の腰に、赤い帯を胸高むなだかにした、とばかりで袖を覚えぬ、筒袖だったか、振袖だったか、ものに隠れたのであろう。
 真昼の緋桃ひももも、その娘の姿に露の濡色を見せて、髪にも、もとどりにも影さす中に、その瓜実顔をすこしく傾けて、陽炎を透かして、峰の松を仰いでいた。
 謹三は、ハッと後退あとずさりに退すさった。――杉垣の破目われめへ引込むのに、かさかさと帯の鳴るのが浅間あさましかったのである。
 気咎きとがめに、二日ばかり、手繰り寄せらるる思いをしながら、あえてくのをはばかったが――また不思議に北国ほっこくにも日和が続いた――三日めの同じ頃、魂がふッと墓を抜けて出ると、向うの桃に影もない。……
 勿体なくも、路々みちみち拝んだ仏神の御名みなを忘れようとした処へ――花の梢が、低く靉靆たなびく……藁屋はずれに黒髪が見え、すらりと肩が浮いて、俯向うつむいて出たその娘が、桃に立ちざまに、目を涼しく、と小戻こもどりをしようとして、幹がくれにと覗いて、此方こなたをばじっる時、俯目ふしめになった。
 思わず、そのときかれしゃがんだ、そして煙草たばこんだ形は、――ここに人待石の松蔭と同じである――
 が、姿も見ないで、横を向きながら、二服とは喫みも得ないで、あわただしげにまた立つと、精々落着いて其方そなたに歩んだ。畠を、ややめぐり足に、近づいた時であった。
 娘が、柔順すなおに尋常に会釈して、
誰方どなた?……」
 と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐やまふところから、つむりへ浴びせて、大きな声で、
「何か、用か。」とわめいた。
「失礼!」
 と言う、頸首えりくびを、空から天狗てんぐ引掴ひッつかまるる心地がして、
通道とおりみちではなかったんですか、失礼しました、失礼でした。」
 ――それからは……寺までもき得ない。

       五

 人は何とも言わば言え……
 でかれに取っては、花のその一里ひとさとが、所謂いわゆる、雲井桜の仙境であった。たとえば大空なるくれないの霞に乗って、あまつさえその美しいぬしたのであるから。
 町をくにも、気のけるまで、郷里にうらぶれた渠が身に、――誰も知るまい、――ただ一人、秘密の境を探り得たのは、ひそかおおいなる誇りであった。
 が、ものの本のうちに、同じような場面を読み、絵のおもてに、そうした色彩に対しても、おのずからおもての赤うなる年紀としである。
 祖母としよりそばでも、小さな弟と一所でも、胸に思うのもはばかられる。……寝て一人の時さえ、夜着の袖をかぶらなければ、心に描くのが後暗うしろめたい。……
 ――それを、この機会に、並木の松蔭に取出でて、深秘なるあが仏を、人待石に、ひそかに据えようとしたのである。
 成りたけ、人勢ひとけに遠ざかって、茶店に離れたのに不思議はあるまい。
 その癖、はたると、渠が目に彩り、心に映した――あの※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)ろうたけた娘の姿を、そのまま取出して、巨石おおいしの床に据えた処は、松並木へ店を開いて、藤娘の絵を売るか、普賢菩薩ふげんぼさつの勧進をするような光景であった。
 渠は、くう恍惚うっとりと瞳を据えた。が、余りにあこがるる煩悩は、かえって行澄おこないすましたもののごとく、かたちも心も涼しそうで、紺絣こんがすりさえ松葉の散った墨染の法衣ころもに見える。
 時に、吸ったのが悪いように、煙を手で払って、かますの煙草入を懐中ふところしまうと、しずかに身を起して立ったのは――あらためて松の幹にも凭懸よりかかって、すがって、あせって、もだえて、――ここから見ゆるという、花の雲井をいまはただ、あおくも白くも、じっと城下の天の一方に眺めようとしたのであった。
 さりとも、人は、とあらためて、清水の茶屋を、松の葉ごし差窺さしうかがうと、赤ちゃけた、ばさらな銀杏返いちょうがえしをぐたりと横に、かまちから縁台へ落掛おちかかるように浴衣の肩を見せて、障子の陰に女が転がる。
 納戸へ通口かよいぐちらしい、浅間あさまな柱に、肌襦袢はだじゅばんばかりを着た、胡麻塩頭ごましおあたまの亭主が、売溜うりだめの銭箱のふたおさえざまに、仰向けにもたれて、あんぐりと口を開けた。
 瓜畑を見透みとおしの縁――そこが座敷――に足を投出して、腹這はらばいになった男が一人、黄色な団扇うちわで、耳も頭もかくしながら、土地の赤新聞というのを、鼻の下に敷いていたのが、と見る間に、二ツ三ツ団扇ばかり動いたと思えば、くるりと仰向けになった胸が、へそまではだける。
 清水はひとり、松のみどりに、水晶のよろい揺据ゆりすえる。
 蝉時雨せみしぐれが、ただ一つになって聞えて、清水の上に、ジーンと響く。
 渠は心ゆくばかり城下をながめた。
 遠近おちこち樹立こだちも、森も、日盛ひざかりに煙のごとく、かさなる屋根に山も低い。町はずれを、蒼空あおぞらへ突出た、青い薬研やげんの底かと見るのに、きらきらとまばゆい水銀を湛えたのは湖の尖端せんたんである。
 あのあたり、あの空……
 と思うのに――雲はなくて、蓮田はすだ水田みずた、畠を掛けて、むくむくと列を造る、あの雲の峰は、海からいて地平線上を押廻す。
 つめたい酢の香がぷんと立つと、瓜、すももの躍る底から、心太ところてんが三ツ四ツ、むくむくと泳ぎ出す。
 清水は、人の知らぬ、こんな時、一層高く潔く、且つ湧き、且つほとばしるのであろう。
 蒼蝿ぎんばえがブーンと来た。
 そこへ……

       六

 いかに、あのていでは、蝶よりも蠅がたかろう……さしすてのおいらん草など塵塚ちりづかへ運ぶ途中に似た、いろいろな湯具蹴出けだし。年増まじりにあくどく化粧けわったわかい女が六七人、汗まみれになって、ついそこへ、並木を来かかる。……
 年増分が先へ立ったが、いずれも日蔭を便たよるので、よじれた洗濯もののように、その濡れるほどの汗に、すそふりもよれよれになりながら、妙に一列に列を造ったていは、率いるものがあって、一からげに、縄尻でも取っていそうで、浅間しいまであわれに見える。
 故あるかな、背後に迫って男が二人。一人のわかい方は、洋傘こうもりを片手に、片手は、はたはたと扇子を使い使い来るが、扇子面に広告の描いてないのが可訝おかしいくらい、何のためか知らず、しぼり扱帯しごきせなかに漢竹の節を詰めた、ステッキだか、むちだか、朱のふさのついたやつをすくりと刺している。
 年倍としばいなる兀頭はげあたまは、ひものついたおおき蝦蟇口がまぐち突込つッこんだ、布袋腹ほていばらに、ふどしのあからさまな前はだけで、土地で売る雪を切った氷を、手拭てぬぐいにくるんで南瓜とうなすかぶりに、あごを締めて、やっぱり洋傘こうもり、この大爺おおじじい殿しっぱらいで。
「あらッ、水がある……」
 と一人の女が金切声を揚げると、
「水がある!」
 と言うなりに、こめかみの処へ頭痛膏ずつうこうった顔をって、年増が真先まっさきに飛込むと、たちまち、崩れたように列が乱れて、ばらばらと女連おんなれんが茶店へ駆寄る。
 ちょっと立どまって、大爺と口を利いたわかいのが、続いて入りざまに、
「じゃあ、何だぜ、お前さん方――ここで一休みするかわりに、みなとじゃあ、どこにも寄らねえで、すぐに、汽船だよ、船だよ。」
 銀鎖を引張って、パチンと言わせて、
「出帆に、もう、そんなに間もねえからな。」
「おお、暑い、暑い。」
「ああ暑い。」
 もう飛ついて、茶碗やら柄杓ひしゃくやら。諸膚もろはだを脱いだのもあれば、わきの下まで腕まくりするのがある。
 年増のごときは、
「さあ、水行水みずぎょうずい。」
 と言うが早いか、瓜の皮をくように、ずるりと縁台へ脱いで赤裸々まっぱだか
 黄色なはだも、茶じみたのも、清水の色に皆白い。
 学生はおもてを背けた。が、年増に限らぬ……言合せたように皆頭痛膏を、こめかみへ。その時、ぽかんと起きた、茶店の女のどろんとした顔にも、ひとしく即効紙そっこうしがはってある。
るがい。よく冷えてら。たまらねえや。だが、あれだよ、みんな、渡してある小遣こづかい各々めいめいもちだよ――西瓜すいかかったらこみで行きねえ、中は赤いぜ、うけ合だ。……えヘッヘッ。」
 きゃあらきゃあらと若いやつひぐらしの化けた声を出す。
「真桑、李をかじるなら、あとで塩湯を飲みなよ。――うんにゃ飲みなよ。大金のかかった身体からだだ。」
 と大爺は大王のごとく、真正面のかまち上胡坐あげあぐらになって、ぎろぎろとはだ※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわす。
 とその中を、すらりと抜けて、つまも包ましいが、ちらちらと小刻こきざみに、土手へ出て、巨石おおいし其方そなたの隅に、松の根に立った娘がある。……手にもむすばず、茶碗にもおくれて、浸して吸ったかと思うばかり、白地の手拭の端を、つぼむようにちょっとくわえてしおれた。巣立の鶴の翼をいためて、雲井の空から落ちざまに、さながら、昼顔の花にすがったようなのは、――島田髭しまだに結って、二つばかり年はけたが、それだけになお女らしい影をめ、色香をたたえ、なさけを含んだ、……浴衣は、しかし帯さえその時のをそのままで、見紛みまがう方なき、雲井桜の娘である。

       七

 ――お前たち。渡した小遣こづかい。赤い西瓜。皆の身体からだ。大金――と渦のごとく繰返して、その娘のおなじように、おなじ空に、その時瞳をじっと据えたのをると、かれは、思わず身を震わした。
 おもてを背けて、港のかたを、暗くなった目に一目仰いだ時である。
「火事だ、」謹三はほとんど無意識に叫んだ。
「火事だ、火事です。」
 と見る、偉大なる煙筒えんとつのごとき煙の柱が、群湧むらがりわいた、入道雲の頂へ、海ある空へ真黒まっくろにすくと立つと、太陽を横に並木の正面、根をかっと赤く焼いた。
「火事――」と道の中へと出た、人の飛ぶ足よりはやく、黒煙くろけむりは幅を拡げ、屏風びょうぶを立てて、千仭せんじん断崖がけを切立てたようにそばだった。
「火事だぞ。」
「あら、大変。」
おおきいよ!」
 火事だ火事だと、男も女も口々に――
「やあ、馬鹿々々。何だ、そんななりで、引込ひっこまねえか、こら、引込まんか。」
 と雲の峰の下に、膚脱はだぬぎ裸体はだかの膨れた胸、おおきな乳、ふとったしりを、若い奴が、むちを振って追廻す――爪立つまだつ、走る、の、白の、もも向脛むかはぎを、刎上はねあげ、薙伏なぎふせ、ひしぐばかりに狩立てる。
「きゃッ。」
「わッ。」
 と呼ぶ声、叫ぶ声、女どもの形は、黒い入道雲を泳ぐように立騒ぐ真上を、煙の柱は、じりじりとおおかさなる。……
 畜生――修羅――何等の光景。
 たちまち天にはびこって、あの湖の薬研の銀も真黒になったかと思うと、村人も、往来ゆききも、いつまたたく間か、どッとたまった。
 謹三の袖に、ああ、娘が、引添う。……
 あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になっていて、涙を絞って流落ちた。
 ばらばらばら!
 火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、あらく、まばらに、巨石おおいしおもてにかかって、ぱッと鼓草たんぽぽの花の散るように濡れたと思うと、松のこずえを虚空から、ひらひらと降って、胸をかすめて、ひらりと金色こんじきに飜って落ちたのはふなである。
「火事じゃあねえ、竜巻だ。」
「やあ、竜巻だ。」
「あれ。」
 と口のうち呼吸いきを引くように、胸の浪立った娘の手が、謹三のたもとすがって、
可恐こわい……」
「…………」
「どうしましょうねえ。」
 と引いて縋る、柔い細い手を、謹三は思わず、しかと取った。
 ――いかになるべき人たちぞ…
大正九(一九二〇)年十月





底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十卷」岩波書店
   1941(昭和16)年5月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年1月29日作成
2009年4月10日修正
青空文庫作成ファイル:
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