菊あわせ

泉鏡花




かにです、あのすくすくととげのある。……あれは、東京では、まだ珍らしいのですが、魚市をあるいていて、ふなぼらなど、潟魚かたうおをぴちゃぴちゃねさせながら売っているのと、おし合って……その茨蟹いばらがに薄暮方うすくれがたの焚火のように目についたものですから、つれのおんなども、家内と、もう一人、親類の娘をつれております。――ご挨拶をさせますのですが。」
 画工、穂坂一車ほさかいっしゃ氏は、軽く膝の上に手をおいた。巻莨まきたばこを火鉢にさして、
「帰りがけの些細な土産ものやなにか、一寸ちょっと用達ようたしに出掛けておりますので、失礼を。その娘の如きは、景色より、見物より、蟹をくらわんがために、遠路えんろくッついて参りましたようなもので。」
「仕合せな蟹でありますな。」
 五十六七にもなろう、人品じんぴんのいい、もの柔かな、出家すがたの一客が、火鉢に手を重ねながら、髯のない口許くちもとに、ニコリとした。
「食われて蟹が嬉しがりそうな別嬪べっぴんではありませんが、何しろ、毎日のように、昼ばたごから――この旅宿やどの料理番に直接じか談判で蟹をります。いつも脚のすっとした、ご存じの楚蟹ずわえの方ですから、何でも茨を買って帰って――時々話して聞かせます――一寸いっすん幅の、ブツぎりで、雪間ゆきま紅梅こうばいという身どころをろうと、家内と徒党をして買ったのですが、年長者に対する礼だか、離すまいという喰心坊くいしんぼうだか、分りません。自分で、赤鬼の面という……甲羅をひっからげたのを、コオトですか、羽織ですか、とに角紫色の袖にぶら下げた形は――三日月、いや、あれは寒い時雨しぐれの降ったりんだりの日暮方ひくれがただから、蛇の目とか、宵闇の……とか、渾名あだなのつきそうな容子ようすで。しかし、もみじや、山茶花さざんかの枝をわざと持って、悪く気取って歩行あるくよりはましだ、と私が思うより、売ってくれた阿媽おっかあの……栄螺さざえこぶしで割りそうなのが見兼みかねましてね、(ざる一枚散財さっせい、二銭にひゃくか、三銭さんびゃくだ、目の粗いのでよかんべい。)……いきなり、人混みと、ぬかるみを、こね分けて、草鞋わらじ飛出とびだして、(さあさあ山媽々やまあばが抱いて来てやったぞ)と、其処らの荒物屋からでしょう、目笊を一つ。おどけて頭へもかぶらず、汚れた襟のはだかった、胸へ、両手で抱いて来ましたのは、形はどうでも、女ごころは優しいものだと思った事です。」
 客僧は、言うも、聞くも、奇特と思ったようにうなずいた。
「値をききました始めから、山媽々が、しな受合うけあうぞの、山媽々が、今朝しらしらあけに、背戸せどの大釜でうで上げたの、山媽々が、たった今、お前さんたちのような、東京ものだろう、旅の男に、土産にするで三ぴき売ったなどと、猛烈に饒舌しゃべるのです。――背戸で、蟹をうでるなら、浜の媽々かかあでありそうな処を、おかしい、とおんなどもも話したのですが。――山だの――浜だの、あれは市の場所割のとなえだそうで、従って、浜の娘が松茸、占地茸しめじたけを売る事になりますのですね。」
「さようで。」
 と云って、客僧は、丁寧にまたうなずいた。
「すぐ電車で帰りましょうと、大通おおどおり……辻へ出ますと、電車は十文字に往来する。自動車、自転車。――人の往来おうらいは織るようで、申しては如何いかがですが、唯表側だけでしょうけれど、以前は遠くながめられました、城の森の、石垣のかわりに、目の前に大百貨店の電燈が、紅い羽、みどりやじりの千の矢のように晃々きらきらと雨道を射ています。魚市の鯛、かれい烏賊いかたこを眼下に見て、薄暗いしずくに――人の影を泳がせた処は、喜見城きけんじょう出現と云ったおもむきもありますが。
 また雨になりました。
 電燈のついたばかりの、町店が、一軒、檐下のきしたのごく端近はしぢかで、大蜃おおはまぐり吹出ふきだしたような、湯気をむらむらと立てると、蒸籠せいろうからへぶちまけました、うまそうな、饅頭と、真黄色な?……」
「いがもちじゃ、ほうと、……暖い、大福を糯米もちごめでまぶしたあんばい、黄色う染めた形ゆえ、菊見餅きくみもちとも申しますが。」
「ああ、いが餅……菊見餅……」
「黒餡の安菓子……子供だまし。……詩歌にお客分の、黄菊白菊に対しては、いささ僭上せんじょうかも知れぬのでありますな。」
 と骨ばった、しかし細い指を、口にあてて、客僧は軽くしわぶいた。
「――一別いちべつ以来、さて余りにもお久しい。やがて四十年ぶり、初めてのあなたに、……ただ心ばかり、手づくりの手遊品おもちゃを、七つ八つごろのお友だち、子供にかえった心持で持参しました。これをば、菊細工、菊人形と、今しがた差出さしで名告なのりはしましたものの、……お話につけてもお恥かしい。中味は安餡の駄菓子、まぶしものの、いが細工、餅人形とも称えますのが適当なのでありましたよ。」
 くつろいださまに袖を開いて、胸をななめに見返った。卓子台ちゃぶだいの上に、一尺四五寸まわり白木の箱を、清らかな奉書包ほうしょづつみ水引みずひきを装って、一羽、紫の裏白蝶うらしろちょうを折った形の、珍らしい熨斗のしを添えたのが、塵も置かず、据えてある。
 穂坂は一度取って量を知った、両手にすっと軽く、しかしうやうやしく、また押戴おしいただいて据直すえなおした。
とんでもないお言葉です。――何よりの品と申して、まだ拝見をいたしません。――頂戴をしますと、そのまた、玉手箱以上、あけて見たいのは山々でございました。が、この熨斗、この水引、余りお見事にあそばした。どうにか絵の具は扱いますが、障子もはれない不器用な手で、しかもせっかちのせき心、引き※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしりでもしましては余りにおしい。蟹を噛るのはなんですが、優しいですから、今にも帰りますと、せめて若いものの手で扱わせようと存じまして、やっとがまんをしましたほどです。」
 ――話にきっかけをつけるのではない。ごめん遊ばせと、年増の女中が、ここへ朱塗の吸物膳に、胡桃くるみと、つぐみ蒲鉾かまぼこのつまみもので。……何の好みだか、金いりの青九谷あおくたにの銚子と、おなじ部厚ぶあつ猪口ちょこを伏せて出た。飲みてによって、器に説はあろうけれども、水引に並べては、絵の秋草もふさわしい。卓子台ちゃぶだいの上は冬の花野で、欄間越らんまごしの小春日も、ほがらかに青く明るい。――客僧の墨染すみぞめよ。
一献いっこん頂戴の口ではいかがですか、そこで、件の、いが餅は?」
 一車はいそがしく一つ手酌して、
「子供のうち大好きで、……いやお話がどうも、子供になります。胎毒たいどくですか、また案じられた種痘うえぼうそうの頃でしたか、卯辰山うたつやまの下、あの鶯谷うぐいすだにの、中でも奥の寺へ、祖母に手をひかれては参詣をしました処、山門前の坂道が、両方森々しんしんとした樹立こだちでしょう。昼間も、あの枝、こっちの枝にも、頭の上でふくろが鳴くんです。……可恐こわい。それに歩行あるかせられるのに弱って、駄々をこねますのを(七日なぬかまいり、いが餅七つ。)と、すかされるので、(七日まいり、いが餅七つ。)と、唄に唄って、道草に、しいや、団栗どんぐりかずとりをした覚えがあります。それなんですから。……
 ほかほかと時雨しぐれの中へ――餅よりは黄菊ので、兎があわいたようにおもしろい。あれはうまい、と言いますと、電車を待って雨宿りをしていたのが、傘をざらりと開けて、あの四辻を饅頭屋へ突切つっきったんです。――家内という奴が、くい意地にかけては、娘にまけない難物で、ラジオででも覚えたんでしょう。たままりも分らない癖に、ご馳走を取込とりこむせつは相競って、両選手、両選手というんですから。いが餅、饅頭の大づつみを、山媽々やまあばの籠の如くに抱いて戻ると、来合わせた電車――これが人の瀬の汐時で、波を揉合もみあっていますのに、晩飯前で腹はすく、寒し……大急ぎで乗ったのです。ところが、並んで真中へ立ちました。近くに居ると、頬辺ほっぺたがほてるくらい、つれの持った、いが、饅頭が、ほかりと暖い。暖いどころか、あつつ、と息を吹く次第で。……一方が切符を買うのに、傘は私が預り、娘が餅の手がわりとなる、とどうでしょう。薄ゴオトでましたはいいが、すそをからげて、長襦袢ながじゅばん紅入べにいりを、何と、ひきさばいたように、赤うでの大蟹が、籠の目を睨んで、爪を突張つっぱる……襟もとからは、湯上りの乳ほどに、ふかしたての餅の湯気が、むくむくと立昇る。……いやアたなびく、天津風あまつかぜ、雲の通路かよいじ、といったのがある。蟹に乗ってら、曲馬の人魚だ、といううちに、その喜見城きけんじょうを離れて行く筈の電車が、もう一度、真下の雨にただよって、出て来た魚市の方へはしるのです。方角が、方角が違ったぞ、と慌てる処へ、おっぱいが飲みたい、とあびせたのがあります。耳まで真赤になる処を、娘の顔が白澄しろすんで青味が出て来た。狐につままれたか知ら、車掌さん済みませんが乗りかえを、と家内のやつが。人のいい車掌でした。……黙って切ってくれて、ふふふんと笑うと、それまでこらえていたらしい乗客が一斉いっときわっ吹出ふきだしたじゃありませんか。次の停車場へ着くが早いか、真暗三宝まっくらさんぼうです。飛降とびおり同然。――ところが肝心の道案内の私に、何処だか町が分りません。どうやら東西だけは分っているようですけれども、急に暗くなった処へ、ひどい道です。息休めの煙草たばこの火と、暗い町のが、うろつく湯気に、ふわふわ消えかかる狐火で、心細く、何処か、自動車、俥宿くるまやどはあるまいかと、また降出ふりだした中を、沼を拾うさぎの次第――古外套はばんですか。――ええ電車、電車とんでもない、いまのふかし立ての饅頭の一件ですもの。やっと、自動車で宿へ帰って――この、あなた、隣ので、いきなり、いが餅にくいつくと、あつつ、……舌をやけどしたほどですよ。で、その自動車が、町の角家かどやで見つかりました時、夜目に横町をすかしますと、真向うに石の鳥居が見えるんです。あきれもしない、何の事です。……あなたと、ご一所いっしょ、私ども、氏神様のやしろなんじゃありませんか。三羽さんば羽掻はがいをすくめてまごついた処は、うまれた家の表通りだったのですから……笑事わらいごとじゃありません。と変です。変に、気味が悪い。もっとも、当地こちらへ着きますと、ぐ翌日、さいわい、誂えたような好天気で、歩行あるくのに、ぼっと汗ばみますくらい、雛が巣に返りました、お鳥居さきから、帽も外套も脱いでお参りをしたのです。が、拝殿の、きざはしの、あの擬宝珠ぎぼしゅの裂けた穴も昔のままで、この欄干を抱いて、四五尺、すべったり、攀登よじのぼったか、と思うと、同じ七つ八つでも、四谷あたりの高い石段に渡した八九けんの丸太を辷って、のぼりをする東京は、広いものです。それだけ世渡りに骨が折れます訳だと思います。いや、……その時参詣をしていましたから、気安めにはなりましたものの、実は、ふかし立ての餅菓子と茨蟹で電車などは、と不謹慎だったのですから。」
「それも旅の一興いっきょう。」
 と、客僧は、忍辱にんにくの手をさしのべて、年下の画工を、撫でるように言ったのである。
「が、しかし、故郷に対して、礼を失したかも知れません。ですから、氏神、本殿の、名剣宮めいけんぐうは、氏子の、こんな小僧など、何をねようと、蜻蛉とんぼが飛んでるともお心にはお掛けなさいますまい。けれども、境内のお末社まっしゃには、皆が存じた、大分だいぶ悪戯いたずらずきなのがおいでになります。……奥の院の、横手を、川端へ抜けます、あのくらがり坂へ曲る処……」
「はあ、稲荷堂いなりどう。――」
「すぐ裏が、あいもかわらず、崩れ壁の古い土塀――今度見ました時も、落葉がうずたかく、樹の茂りに日も暗し、冷い風が吹きました。幅なら二尺、潜り抜け二けんばかりの処ですが、御堂おどう裏と、あの塀の間は、いかなるわんぱくといえども、もぐる事はき、抜けも、くぐりも絶対に出来なかった。……思出おもいだしても気味の悪い処ですから、耳は、とがり、目は、たてに裂けたり、というのが、じろりとて、穂坂の矮小僧ちびこぞうおどかしてろう、でもって、魚市の辻から、ぐるりと引戻ひきもどされたろうと、……ですね、ひどくおびえなければならない処でした。何しろ、昔から有名な、おばけ稲荷。……」
 と、言いかけると、清く頬のやせた客僧が、を上げて、またニコリとしながら、頭を一つ、つるりと撫でた。
「われは化けたと思えども、でござろうかな。……彼処あすこを、れいさん。」――
 急に親しく、画工を、幼名おさななに呼びかけて、
「はて、彼処あすこをさように魔所あつかい、おばけあつかいにされましてはじゃ、この似非えせ坊主、白蔵主はくぞうすではなけれども、尻尾が出そうで、くすぐっとうてならんですわ。……口上こうじょう申通もうしつうじたばかり、世外せがいのものゆえ、名刺の用意もしませず――住所もまだ申さなんだが、実は、あの稲荷の裏店うらだなにな、堂裏の崩塀くずれべいの中に住居すまいをします。」
 という、顔の色が、思いなしでも何でもない、白樺の皮に似て、由緒深げに、うそさびしい。
 が、いよいよ柔和に、温容おんようで、
「じゃが、ご心配ないようにな、暗い冷い処ではありません――ほんの掘立ほったての草の屋根、秋の虫のいおりではありますが、日向ひなたに小菊もさかりです。」
 と云って、墨染すみぞめの袖を、ゆったりと合わせた。――さて聞けば、堂裏のそのくずれ塀の穴から、前日、穂坂が、くらがり坂を抜けたのを見たのだという。時に、日あたりの障子の白さが、その客僧の頬に影を積んで、むくむくと白い髯さえ生えたように見える。官吏もした、銀行に勤めもした――海外の貿易に富を積んだ覚えもある。派手にも暮らし、さびしくも住み、有為転変ういてんぺんの世をすごすこと四十余年、兄弟とも、子とも申さず、唯血族一統の中に、一人、海軍の中将を出したのを、一生の思出おもいでに、出離隠遁しゅつりいんとんの身となんぬ。世には隠れたれども、土地、故郷ふるさと旧顔ふるがおゆえ、いずれ旅店はたごにも懇意がある。それぞれへ聞合ききあわせて、あまりの懐しさに、魚市の人ごみにも、電車通りの雑沓ざっとうにも、すぎこしかたの思出や、おのが姿を、化けた尻尾の如く、うしろ姿にかえりみ、顧み、この宿を訪ねたというのである。
 一車は七日なぬか逗留した。――今夜立って帰京する……既に寝台車も調ととのえた。荷造りも昨夜ゆうべかたづけた。ゆっくりと朝餉あさげを済まして、もう一度、水の姿、山のすがたを見に出よう。さかり場を抜けながら。で、おんなは、もう座敷を出かかった時であった。
 女中が来て、お目にかかりたいお人がある……香山かやま宗参そうさん――と伝えて、と申されました、という。……宗さん――余りの思掛おもいがけなさに、一車は真昼にあおい星を見るおもいがしたそうである。いや、若じにをされて、はやくわかれた、母親の声を、うつくしく、かすかな、雲間から聞く思いがした、と言うのである。玉の緒の糸絶えておよそ幾十年の声であろう。香山の宗さん――自分で宗さんと名のるのも、おかしいといえばおかしい……あとで知れた、僧名そうめい宗参そうさんとの事であるが、この名は、しかも、幼い時の記憶のほか、それ以来の環境、生活、と共に、他人ひとに呼び、自分に語る機会と云っては実に一度もなかった。だから、なき母からすぐに呼続よびつがれたと同じに思った。香山の宗さん。宗さんと、母親の慈愛の手から、学校にも、あそびにも、すぐにその年上の友だちの手にゆだねられるのがならいだったからである。念のために容子ようすを聞くと、年紀としは六十近い、被布ひふを着ておらるるが、出家しゅっけのようで、すらりと痩せた、人品じんぴん法体ほったいだという。騎馬の将軍というより、毛皮の外套の紳士というより、遠く消息の断えた人には、その僧形そうぎょう可懐なつかしい。「ああ、これは――小学校へ通いはじめに、私の手をいてつれてってくれた、町内の兄哥あにきだ。」と、じとじとと声がしめると、たちがけの廊下から振返って、「おばさんと手をひかれるのとどっち?」「……」と呆れた顔して、「おばさんに聞いてごらん。」「じゃあ、私と、どっち。」どうも、そういう外道げどうは、すみやかに疎遠して、僧形の餓鬼大将を迎えるに限る。……。
 女どもを出掛けさせ、慌しく一枚ありあわせの紋のついた羽織を引掛ひっかけ、胸の紐を結びもあえず、あたかいていたので、隣の上段へしょうじたのであった。

「――特に、あの御堂おどうは、昔から神体しんたいがわかりません。……第一何と申すか、神名かみながおありなさらないのでありましてな、唯至って古い、一面の額に、稲荷明神――これは誰が見ても名書であります。おしい事に、雨露うろ霜雪そうせつさらされ、むしばみもあり、その額の裏に、彩色した一叢ひとむらの野菊の絵がほのかに見えて、その一本ひともとの根に(きく)という仮名かながあります。これが願主がんしゅでありますか――或は……いや実は仔細あって、右の額は、私が小庵しょうあんに預ってありましてな、内々ないないで、因縁いわれを、朧気おぼろげながら存ぜぬでもありませぬじゃが、日短ひみじかと申し、今夕はおたちと言う、かく慌しい折には、なかなか申尽もうしつくされますまい。……と申すしたから……これはまた種々しゅじゅお心づかいで、第一、鯛ひらめの白いにもいたせ、刺身を頬張った口からは、如何どうかと存じますので――また折もありましょうと存じますが、ともかく、まつられましたは、端麗な女体にょたいじゃ、と申します。秘密の儀で。……
 さて、随縁ずいえんと申すは、妙なもので、あなたはその頃、鬼ごっこ、かくれん坊――勿論、堂裏へだけはお入りなさらなかったであろうが、いくさごっこ。棕櫚箒しゅろぼうきの朽ちたのに、溝泥どぶどろ掻廻かきまわして……また下水の悪い町内でしたからな……そいつを振廻ふりまわ[#ルビの「ふりまわ」はママ]わすのが、お流儀でしたな。」
「いや、どうも……」
「ははは、いやどうも、あの車がかりの一術ひとてには、織田、武田。……子供どころか、町中が大辟易だいへきえき。いつも取鎮とりしずめ役が、五つ、たしか五つと思います、年上の私でしてな。かれこれ、お覚えはあるまいけれども、町内の娘たちが、よく朝晩、あのお堂へ参詣をしたものです。その女体にあやかったのと、また、直接に申すのも如何いかがじゃけれど、あなたのお母さんが、ご所有だった――参勤交代の屋敷方は格別、町屋には珍らしい、豊国、国貞の浮世絵――美人画。それをさえあれば見にあつまる……と、時に、その頃は、世なみがよく、町もおだやかで、家々が皆相応にくらしていましたから、しま、小紋、友染ゆうぜん、錦絵の風俗を、そのままあつらえて、着もし、着せたのでもありました。
 江戸絵といった、江戸絵の小路こうじと、他町たちょうまでも申しましたよ。またよく、いい娘さんが揃っていました。(高松のお藤さん)(長江のお園さん、おみつさん)医師いしゃの娘が三人揃って、(百合さん)(婦美ふみさん)(皐月さつきさん)歯を染めたのでは、(お妾のお妻さん)(わり鹿のお京さん)――極彩色の中の一人、(薄墨の絵のお銀さん)――小銀こぎんのむかし話を思わせます――継子ままこではないが、預り娘の掛人居候かかりゅうどいそうろう。あ、あ、根雪の上を、その雪よりも白い素足で、草履ばきで、追立おったて使いに、使いあるき。それで、なよなよとして、しかも上品でありました。その春の雪のようなはだへ――邪慳じゃけんな叔父叔母に孝行な真心が、うっすりと、薄紅梅の影になって透通すきとおる。いや、お話し申すうちにも涙が出ますが、間もなくあわれに消えられました。遠国へな。――お覚えはありませんか、よく、礼さん、あなたを抱いた娘ですよ。」
「済まない事です――墓も知りません。」
 一車が、聞くうちに、ふと涙ぐんだのを見ると、宗参は、急に陽気に、
もっとも……人形が持てなかった、そのかわりだと思えばよろしい。」
「果報な、うらやましい人形です。」
「……果報な人形は、そればかりではありません。あなたを、なめたり、吸ったり、おぶってふりまわしたり――今申したお銀さんは、歌麿の絵のような嫋々なよなよとした娘でしたが、――まだ一人、色白で、少しふとりじしで、婀娜あだな娘。……いや、また不思議に、町内の美しいのが、揃って、背戸せど、庭でも散らず、名所の水のながれをも染めないで、皆他国の土となりました。中にも、その婀娜なのは、また妙齢から、ふと魔にさらわれたように行方が知れなくなりましたよ。そういう、この私にしても。」
 手でおさえた宗参の胸は、庭の柿の梢が陰翳かげって暗かった。が、溜息は却って安らかに聞こえつつ。
「八方、諸国、流転の末が、一頃、黒姫山の山家在やまがざいの荒寺に、堂守坊主でりました時、千箇寺せんがじまいり、一人旅の中年の美麗な婦人――町内の江戸絵のうちと……ず申して宜しい。長旅のわずらいを、縁あって、貧寺ひんじで保養をさせました。起臥おきふしの、徒然つれづれに、水引みずひきの結び方、熨斗のしの折り方、押絵など、中にも唯今の菊細工――人形のつくり方を、見真似みまねに覚えもし、教えもされましたのが、……かく持参のこの手遊品おもちゃで。」
 卓上を見遣みやった謙譲な目に、何となくが見える。
「ものの、化身の如き、本家ほんけの婦人の手すさびとは事かわり、口すぎの為とは申せ、見真似のれ仕事。菊細工というが、糸だか寄切よせぎれだか……ただ水引を、半輪はんわの菊結び、のしがわりの蝶の羽には、ゆかりを添えました。いや、しばらく。ごらんを促したようで心苦しい、まずしばらく。

 ――ところで、名剣神社めいけんじんじゃ前の、もとの、私どもの横町の錦絵の中で、今の、それ、婀娜一番、という島田髷しまだまげを覚えていらっしゃろう。あなたののきならび三軒目――さよう、さよう、さよう、それ、前夜、あなたが道を違えて、捜したとお話しのじゃ。唯今の自動車屋が、裏へ突抜つきぬけにその娘の家でありますわ。」
「ええ、松村の(おきい)さん。」
 といって、何故か、はっと息を引いた。
「いや、あれは……子供が、つい呼びいいので、(おきいさん、おきいさん)で通りました。実は、きく、本字で(奇駒きく)とよませたのだそうでありましたが、いや何しろ――手綱染たづなぞめ花片はなびらの散った帯なにかで、しごきにすずをけて、チリリン……もの静かな町内を、あのがあるくとぐに鳴った――という育ちだから、お転婆てんばでな――
 何を……覚えておいでか知らん、大雪の年で、ひさしまで積った上を、やがて、五歳になろうという、あなたを、半てんおんぶでふるって歩行あるいた。可厭いやだい、おりよう、と暴れるのをんで廻ると、やがておうちの前へ来たというのが、ちょうど廂、ですわ。おおきな声で、かあちゃん、と呼ぶものだから、二階の障子がく。――小菊を一束、寒中の事ゆえ花屋のむろのかこいですな――仏壇へお供えなさるのを、片手に、半身はんしんで立ちなすった、浅葱あさぎの半襟で、横顔が、伏目は、特にお優しい。
 私は拝借の分をお返ししながら、草双紙くさぞうしの、あれは、白縫しらぬいでありましたか、釈迦八相しゃかはっそうでありましたか。……続きをお借り申そうと、行きかかった処でありました。転婆娘が、(あの、白菊と、私の黄ぎくと、どっちがいい、ええ坊や。)――礼さん、あなたが、乗上のりあがって、二階の欄干へ、もろ手を上げて、身もだえをしたとお思いなさい。(坊主になって極楽へおいで、)と云った。はて――それが私だと、おあつらえでありましたよ。」
 一寸ちょっとことばを切った。
「……いうが早いか、何と、串戯じょうだんにも、脱けかかった脊筋から振上げるように一振り振ったはずみですわ!……いいかげん揉抜もみぬいた負い紐がゆるんだ処へ、飛上とびあがろうとするいきおいで、どん、と肩を抜けると、ひっくりかえった。あなたが落ちた。(あら、地獄)と何と思ったか、お奇駒さんが茫然と立ちましたっけが、女の身にすれば、この方が地獄同様。胸を半分、はだすべって、その肩、乳まで、光った雪よりも白かった。
 雪の上じゃ、ちっとも怪我はありませんけれども、あなた、礼坊は、二階の欄干をかけて、もんどりを打って落ちたに違わぬ。
 吃驚びっくりしておとしなすった、お母さんの手の仏の菊が、枕になって、ああ、ありがたい、その子の頭に敷きましたよ。」
 慄然ぞっと、肩をすくめると、
「宗さん、宗さん。」
 続けて呼んだが、舌が硬ばり、息つぎの、つぎざましに、猪口ちょこの手がわなわなふるえた。
「ゆ、ゆめだか、うつつだかわかり兼ねます。礼吉が、いいかげん、五十近いこの年でありませんと、いきなり、ひっくりかえって、立処たちどころ身体からだが消えたかも分りません。またあなたが、たちま光明こうみょう赫燿かくようとして雲にお乗りになるのをたかも知れません。また、もし氏神の、奥境内の、稲荷堂うらの塀の崩れからお出でになったというのが事実だとすると……忽ちこの天井。」
 息を詰めて、高く見据えた目に、何の幻を視たろう。
「……この天井から落葉がふって、座敷が真暗になると同時に、あなたの顔……が狐……」
おだやかならず、は、は、は。おだやかでありませんな。」
「いいえ、いや。……と思うほど、立処に、私は気が狂ったかも知れないと申すのです。」
「また、何故なぜにな。」
「さ、そ、それというのがです。……いうのがです。」
「まま一献いっこんまいれ。狐坊主、昆布こぶ山椒さんしょで、へたの茶の真似はしまするが、お酌の方は一向いっこうなものじゃが、お一つ。」
「……気つけと心得、頂戴します。――承りました事は、はじめてで、まる切り記憶にはないのですけれども、なるほど伺えば、人間生涯のうちに、不思議な星に、再び、出逢う事がありそうに思われます、宗さん……
 ――お聞き下さいまし――
 落着いて申します。勿論、要点だけですが、あなたは国産の代理店を、昔、東京でなすっておいでだったと承りますし……そんな事は、私よりおくわしいと存じますが、浅草の観世音に、旧、九月九日、大抵十月の中旬なかば過ぎになりますが、その重陽ちょうようせつ、菊の日に、菊供養というのがあります。仲見世、奥山、一帯に売ります。黄菊、白菊、みな小菊を、買っていらっしゃい、買っていらっしゃい、お花は五銭――あの、と騒々しい呼声さえ、花のを伝えるほどです。あたりをしずかに、おさえるばかり菊のかおりで、これをに持って参って、本堂に備えますと、かわりの花をさずかって帰りますね。のちに蔭干かげぼしにしたのを、菊枕、枕の中へ入れますと、諸病を払うというのです。
 二階の欄干へ飛ぼうとして、宙に、もんどりを打って落ちて、小菊が枕になったという。……頭から悚然ぞっとしました。――近頃、信心気しんじんぎ……ただ恭敬きょうけい礼拝らいはいの念の、薄くなりはしないかと危ぶまれます、私の身で、もし、一度、仲見世の敷石で仰向けに卒倒しましたら、頭の下に、観世音の菊も、誰の手の葉も枝もなく、行倒ゆきだおれになったでしょう。
 いえ、転んだのではないのです、あぶなく、怪しく美しい人を見て、茫然となったのです。大震災の翌年奥山のある料理一寸ちょっとした会合がありまして、それへ参りましたのが、ちょうどその日、菊の日に逢いました。もう仲見世へむかいますと、袖と裾と襟と、まだ日本まげが多いのです。あの辺、八分まで女たちで、行くのも、来るのも、残らず、菊の花を手にしている。折からでした、染模様になるよう、さっと、むらさめが降りました。紅梅焼こうばいやきと思うのが、ちらちらと、もみじの散るようで、通りかかった誰かのわり鹿黄金きん平打ひらうちに、白露しらつゆがかかる景気の――その紅梅焼の店の前へ、おまいりの帰りみち、通りがかりに、浅葱あさぎの蛇目傘を、白い手で、菊を持添えながら、すっと穿すぼめて、顔を上げた、ぞっとするような美人があります。珍らしい、面長な、それは歌麿の絵、といっていいなまめかしいうちに、うっとりと上品な。……すぼめた傘は、雨が晴れたのではありません。群集で傘と傘がしぶも紺もかさなり合ったために、その細い肩にさえ、あがきがったらしいので。……いずれも盛装した中に、無雑作な櫛巻くしまきで、黒繻子くろじゅすの半襟が、くっきりと白い頸脚えりあしに水際が立つのです。藍色がかった、おぶい半纏ばんてんに、朱鷺色ときいろの、おぶい紐を、大きくゆわえた、ほんの不断着ふだんぎと云った姿。で、いま、傘をすぼめると、やりちがえに、白い手の菊を、背中の子供へさしあげました。横にねて、ずりおりる子供の重みで、するりと半纏の襟がすべると、肩から着くずれがして、を一文字につッと引いた、ぬめのような肌が。」
「ははあ――それは、大宇宙の間に、おなじ小さな花が二輪咲いたと思えば宜しい。」
 と、いう、宗参の眉がしまった。
びんのはずれの頸脚えりあしから、すっと片乳かたちの上、雪のかいなのつけもとかけて、大きな花びら、ハアト形の白雪を見たんです。
 ――お話につけて思うんです。――何故なぜ、その、それだけの姿が、もの狂おしいまで私の心を乱したんでしょうか。――大宇宙に咲く小さな花を、芥子けし粒ほどの、この人間、私だけが見たからでしょうな。」
「いやと大きな、坊主でも、それは見たい。」
 と、宗参は微笑ほほえんだ。
 障子の日影は、桟をやや低くかぞえ、欄間らんまの下に、たとえば雪の積ったようである。
 鳥影が、さして、消えた。
「しかし、その時の子供は、お奇駒さんの肌からのように落ちはしません。が、やがて、そのために――絵か、恋か、命か、狂気か、自殺か。弱輩な申分もうしぶんですが、頭を掻毟かきむしるようになりまして、――時節柄、この不景気に、親の墓も今はありません、この土地へ、栄耀えようがましく遊びに参りましたのも、多日しばらくわずらいました……保養のためなのでした。」
大慈大悲だいじだいひ観世音かんぜおん。おなくなりの母ぎみも、あなたにおうとしかろうとは存ぜぬ。が、そのみぎり、何ぞ怪我でもなさったか。」
いや、その時は、しかも子供に菊を見せながら、えん莞爾にっこりしたその面影ばかりをなごりに、人ごみに押隔おしへだてられまして、さながら、むかし、菊見にいでたった、いずれか御簾中ごれんちゅうの行列、前後の腰元の中へ、椋鳥むくどりがまぐれたように、ふらふらと分れたんです。
 それきりですが、続けて、二年、三年、五年、ざっと七年目に当ります、一昨年のおなじ菊の日――三度に二度、あの供養は、しぐれ時で、よく降ります。当日は、びしょびしょぶり。誰も、雨支度で出ましたが、ゆき来の菊も、花の露より、葉のしずくで、気も、しっとりと落着いていました。
 ここぞと、心もこげつくような、紅梅焼の前を通過とおりすぎて、左側、銀花堂といいましたか、花簪はなかんざしの前あたりで、何心なく振向くと、つい其処、ついうしろに、ああ、あの、その艶麗えんれいな。思わず、私は、突きのめされて二三げん前へ出ました。――その婦人が立っていたのです。いや、しずか歩行あるいています。おなじ姿で、おぶい半纏ばんてんで。
 唯、背負紐おぶいひもが、お待ち下さい――段々だんだんに、迷いは深くなるようですが――紫と水紅色ときいろ手綱染たづなぞめです。……はてな、私をおぶった、お奇駒さんの手綱染を、もしその時知っていましたら……」
「それは、とむずかしい。」
「承った処では、お奇駒さんの、その婀娜あだなのと、もう一人の、お銀さんの、品よく澄んでさびしいのと、二人を合わせたような美しさで、一時いっときに魅入ったのでしょう。七年めだのに、ちっとも、年を。
 無論、それだけの美人ですから、年を取ろうとは思いません。が、そのおぶってる子が、矢張やっぱり……と云って、二度めの子だか、三度目だか、顔も年も覚えていません。
 ――まりやのおもてを見る時は基督キリストを忘却する――とか、西洋でも言うそうです。
 右になり、左になり、横ちがいにゆがんだり、こちらは人をよけて、雨の傘越からかさごしに、幾度いくたびも振返る。おなじ筋を、しかしほとんど真直に、すっと、触るもののないように、その、おぶい半纏の手綱染たづなぞめが通りました。
 普請中――唯今は仮堂です。菊をかえてりましたが、仏前では逢いません。この道よりほかにはない、と額下の角柱かくばしらに立って、銀杏いちょうの根をすかしても、矢大臣門やだいじんもんながめても、手水鉢ちょうずばちの前を覗いても、もうその姿は見えません。――
仏身円満無背相ぶっしんえんまんむはいそう
十方来人聞万面じっぽうらいにんもんまんめん。」――
 宗参が、
に、実に。」
 とおもてを正して言った。
「正面の、左右のれんを……失礼ながら、嬉しい、御籤みくじにして、おもいの矢のまとに、線香のたなびく煙を、中の唯一条ひとすじ、その人の来る道と、じっと、時雨しぐれにも濡れず白くほろほろとこぼれるまで待ちましたが、すれ違い押合う女連おんなづれにも、ただ袖の寒くなりますばかり。その伝法院でんぽういんの前を来るまでは見たのですのに、あれから、弁天山へ入るまでの間で、消えたも同じに思われました。」
 宗参の眉が動いた。
「はて、通り魔かな。――ある類属るいぞくの。」
「ええ通り魔……」
「いや、ず……」
「三度めに。」
「さんど……めに……」
「え。」
「なるほど。」
「また、思いがけず逢いましたのが、それが、昨年、意外とも何とも、あなた!……奥伊豆の山の湯の宿なんです。もうひらけていて、山深くも何ともありません、四五たび行馴ゆきなれておりますから、谷も水もかわった趣と云ってはありませんが、秋の末……もみじ頃で、谿河たにがわから宿の庭へ引きました大池を、瀬になって、崖づくりを急流で落ちます、大巌おおいわの向うの置石おきいしに、竹のといあやつって、添水そうず――僧都そうずを一つ掛けました。樋の水がさらさらと木のりめへかかって一杯になると、ざアとながれへこぼれます、拍子を取って、突尖とっさき杵形きねがたが、カーン、何とも言えない、しずかな、さびしい、いいおとがするんです。其処へ、ちらちらと真紅まっか緋葉もみじも散れば、色をかさねて、松杉の影がします。」
「はあ、添水――珍らしい。山田る僧都の身こそ……何とやら……秋はてぬれば、とう人もなし、とんと、私の身の上でありますが、案山子かかし同様の鹿おどし、……たしか一度、京都、嵯峨の某寺なにがしじの奥庭で、いまも鹿がおとずれると申して、仕掛けたのを見ました。――水を計りますから、おのずから同じ間をもって、カーンと打つ……」
なぐさみに、それを仕掛けたのは、次平じへいと云って、山家やまがから出ましたが、娑婆気しゃばっけな風呂番で、唯扁平ひらったい石のめんを打つだけでは、音が冴えないから、と杵の当ります処へ、手頃な青竹の輪を置いたんですから、響いて、まことに透るのです。反橋そりはしの渡り廊下に、椅子に掛けたり、欄干にしゃがんだりで話したのですが、風呂番の村の一つ奥、十五六軒の山家にはおおきいのがある。一昼夜に米を三斗五升く、と言います。やみの夜にも、月夜にも、添水番と云って、家々から、交代で世話をする……その谷川の大杵添水。かけひの水の添水は、二十一秒、一つカーンだ、と風呂番が言いますが、私のやすづもりで十九秒。……旦那、おらが時計は、日に二回、東京放送局の時報に合わせるから、一りんも間違わねえぞ、と大分大形おおがたなのを出して威張る。それを、どうこうと、申すわけではありませんけれども。」
「時に、お時間は。」
「つれのものももどりません。……まだまだ、ごゆっくり――ちょうど、お銚子のかわりも参りました――さ、おあつい処を――
 ――で、まあ、退屈まぎれに、セコンドを合わせながら、湯宿やどの二階の、つらつらと長いまわえん――一方の、廊下一つ隔てた一棟ひとむねに、私の借りた馴染の座敷がながれに向いた処にあるのです――この廻縁の一廓は、広く大々だいだいとした宿の、かさなり合ったむね真中処まんなかどころにありまして、建物が一番古い。三方縁で、明りは十分に取れるのですが、余り広いから、真中、隅々、昼間でも薄暗い。……そうでしょう、置敷居おきしきいで、しきって、道具立ての襖がまれば、十七一時いっときに出来ると云いますが、新館、新築で、ここを棄ててくから、中仕切なかじきりなんど、いつも取払って、畳数およそ百五六十畳と云う古御殿です。枕を取って、スポンジボオル、枯れなくていい、万年いけの大松を抜いて、(構えました、)をる。碁盤、将棋盤を分捕ぶんどって、ボックスととなえますね。夜具蒲団の足場で、ラグビイの十チイムも捻合ひねりあおう、と云う学生の団体でもないと、ほとんど使った事がない。
 行く度に、私は其処が、と云って湿りくさい、百何十畳ではないのです。障子外の縁を何処までも一直線に突当つきあたって、直角に折れ曲って、また片側かたがわを戻って、廊下通りをまたその縁へ出て一廻り……廻ると云うと円味まるみがあります、ゆきあたり、ぎくり、ぎゅうぎゅう、ぐいぐいと行ったり、来たり。朝掃除のうち、雨のざんざぶり。夜、女中が片づけものして、とこを取ってくれる間、いい散歩で、大好きです。また全館のうち、帳場なり、客室きゃくまなり、湯殿なり、このくらい、辞儀じぎ斟酌しんしゃくのいらない、無人むにんきょうはないでしょう。
 が、実は、申されたわけではありませんけれども、そんならといって、瀬の音に、夜寝られぬ、苦しい真夜中に其処を廻り得るか、というと、どういたして……東から南へ真直の一縁ひとえんだって、いい年をしながら、不気味で足が出ないのです。
 峰の、寺の、暮六くれむつの鐘が鳴りはじめた黄昏たそがれです。樹立こだちを透かした、屋根あかりに、安時計のセコンドをじっる……カーン、十九秒。立停たちどまったり、ゆっくり歩行あるいたり、十九秒、カーン。行ったり、来たり、カーン。添水そうずばかり。水の音も途絶えました。
 欄干に一枚かかった、朱葉もみじひるがえらず、目の前の屋根に敷いた、大欅おおけやきの落葉も、ハラリとも動かぬのに、向う峰の山颪やまおろしさっときこえる、カーンと、添水がかすかに鳴ると、スラリと、絹摺きぬずれの音がしました。
 東の縁の中ごろです。西の角から曲って出たと思う、ほんのりと白く、おもながな……」
「…………」
艶々つやつやとした円髷まるまげで、子供を半纏はんてんでおぶったから、ややふっくりと見えるが、背のすらりとしたのが、行違ゆきちがいに、通りざまに、(失礼。)と云って、すっとゆき抜けた、この背負紐おぶいひもが、くっきりと手綱染たづなぞめ――あなたに承る前に存じていたら――二階から、私は転げたでしょう。そのかわりに、カーン……ガチリと時計が落ちました。
 ところが――その姿の、うしろ向きに曲る廊下が、しかも、私の座敷の方、もっと三室みま並んでいるのですが、あと二室ふたまに、客は一人も居ない筈、いや全く居ないのです。
 変じゃアありませんか、どういうものか、私の部屋へ入ったような気がする、とそれでいて、一寸ちょっと、足がよどみました。
 腕組みをしてずかずかともどると、もとより開放あけはなしたままの壁に、真黒な外套が影法師のようにかかって、や、魂が黒く抜けたかと吃驚びっくりしました。
 床の間に、雁来紅はげいとうを活けたのが、暗く見えて、掛軸に白の野菊……蝶が一羽。」
 と云いかけて、客僧のおくりものを、見るともなしに、思わず座を正して、手をつくと、宗参も慇懃にしとねすべったのである。
「――ですが、裏階子うらばしごの、折曲おれまがるのが、部屋の、まん前にあって、穴のように下廊下へ通うのですから、其処を下りた、と思えば、それきりの事なんです。
 世にも稀な……と私が見ただけで、子供をおぶった女は、何も、観世音の菊供養、むらさめの中をばかり通るとは限らない。
 女中は口がうるさい。――内証ないしょで、風呂番に聞いて見ました。――折から閑散期……というが不景気の客ずくなで、全館八十ばかりの座敷かずの中に、客は三組みくみばかり、子供づれなどは一人もない、と言います。もっとも私がそのおんなにすれ違った、きのうの日は、名古屋から伊豆まわりの、大がかりな呉服屋が、自動車三台で乗込んで、年に一度の取引、湯の町の女たち、この宿の番頭手代、大勢の女房娘づれが、こぞって階下したの広間へあつまりましたから、ふとそのうちの一人かも知れない、……という事で、それは……ありそうな事でした。――
 別して、例の縁側散歩はめられません。……一日おいて、また薄暮合うすくれあい、おなじ東の縁の真中の柱に、屋根の落葉と鼻を突合つきあわせてしゃがんで、カーン、あの添水そうずを聞き澄んでいたのです。カーン、何だか添水のとがった杵の、両方へ目がついて、じろりと此方こっちを見るように思われる。一人で息をしている私の鼻が小鳥のくちばしのように落葉をたたくらしく、カーン、奥歯が鳴るような、夕迫るものの気勢けはいがしますと、呼吸で知れる、添水のくり抜きの水がながれを打って、いま杵が上って、カーン、と鳴る。尖って狐に似た、その背に乗って、ひらりと屋根へ上って、欄干をまたいだように思われるまで、突然、縁の曲角まがりかどへ、あのおんながほんのりと見えました。」
「添水に、おんなが乗りましたか、ははあ、私が稲荷明神の額裏がくうら背負しょったような形に見えます。」
 寸時しばらく、顔を見合せた。
「……ええ、約束したものに近寄るように、ためらいも何もあえてせず、すらすらと来て、欄干に手をついて向う峰を、前髪に、大欅に、雪のような顔を向けてならんだのです。見馴れた半纏はんてんを着ていません。よろいのようなおぶい半纏を脱いだ姿は、羽衣を棄てた天女に似て、一層いっそうなよなよと、雪身せっしんに、絹糸の影がまつわったばかりの姿。帯も紐も、懐紙かいし一重ひとえへだてもない、柱が一本あるばかり。……判然はっきりと私はことばを覚えています。
 ――坊ちゃん……ああ、いや、お子さんはどうなさいました。――
 ――うっちゃって来ました。言うことをきかないから。……子どもに用はないでしょう――
 と云って、莞爾にっこりとしたんです。
 宗さん。
 ――菩薩と存じます、魔と思います――
 いうが早いか、猛然と、さ、どう気が狂ったのか、分りませんが、踊りかかって、白いくびを抱きました。が、浮いた膝で、使古つかいふるしの箱火鉢を置き棄てたのを、したたかにんで、向うのめりに手をついた、ばっと立ったのは灰ですが、唇には菊の露を吸いました。もう暗い、落葉が、からからと黒く舞って、美人は居ません。
 這うよりは、立った、立つより、よろけて、たしかに其処へ隠れたろうと思う障子一重ひとえ、その百何十畳の中を、野原のように、うろつく目に、茫々ぼうぼうと草が生えて、方角も分らず。その草の中に、榜示杭ぼうじぐいに似た一本の柱の根に、禁厭まじないか、供養か、呪詛のろいか、線香が一束、燃えさしの蝋燭が一ちょう。何故か、その不気味さといってはなかったのです。
 部屋へかえって、仰向けに倒れた耳に、添水そうずがカーンと聞こえました。杵の長い顔が笑うようです。渓流の上に月があって。――
 また変に……それまでは、二方にほうに五十六枚ずつか――添水に向いた縁は少し狭い――障子が一枚なり、二枚なり、いつも開いていたのが、翌日から、ぴたりと閉りました。めったに客は入れないでも、外見上、其処は体裁で、貼りかえない処も、切張きりばりがちゃんとしてある。私は人目をはばかりながら、ゆきかえり、長々とした四角なお百度をはじめるようになったんです。
 ――お百度、百万遍、うし時参ときまいり……ま、何とも、カーン、添水のを数取りに、真夜中でした。長い縁は三方ともに真の暗やみです。何里歩行あるいたとも分らぬ気がして、一まわり、足をって、手探りに遥々はるばると渡って来ますと、一歩上へ浮いてつく、その、その蹈心地ふみごこち。足が、障子の合せ目に揃えて脱いだ上草履うわぞうりにかかった……当ったのです。その蹈心地。ほんのりと人肌のぬくみがある。申すも憚られますが、女と一つしとねでも、この時くらい、人肌のしっとりとした暖さを感じた覚えがありません。全身湯を浴びて、かんばしい汗になった。ふるえたか、えたか、よろよろになった腰を据えて、障子の隙間へ目をあてて、じっと、くらやみの大広間を覗きますと、影のように、ああ、女の形が、ものの四五十人もあって、ふわふわと、畳を離れて、天井の宙に浮いている。帯、袖、ふらりとさがった裾を、幾重、何枚にも越した奥に、蝋燭と思う、小さな火が、鉛の沼のような畳に見える。それで、かすかに、朦朧もうろうと、ものの黒白あいろがわかるのです。これに不思議はありません。柱から柱へ幾条いくすじともなく綱を渡して、三十人以上居る、宿の女中たちの衣類が掛けてあったんです。帯も、扱帯しごきも、長襦袢ながじゅばん、羽織はもとより……そういえば、昼間時々声が交って、がやがやと女中たちが出入りをしました。買込んだ呉服の嬉しさ次手ついでに、箪笥を払った、ひまふさげの、土用干どようぼしの真似なんでしょう。
 活花いけばなの稽古の真似もするのがあって、水際、山懐やまふところにいくらもある、山菊、野菊の花も葉も、そこここに乱れていました。
 どの袖、どの袂から、抜けた女の手ですか、いくつも、何人も、その菊をもって、影のようにゆききをし出した、と思ううちに、ふっと浮いて、鼻筋も、目も、眉も、あでやかに、おぶい半纏ばんてんも、手綱染たづなぞめも、水際の立ったのは、婀娜あだに美しい、その人です。
 どうでしょう、からかさまで天井に干した、その下で、じっと、此方こっちを、私を見たと思うと、撫肩なでがたをくねって、なまめかしく、小菊の枝で一寸あやしながら、
 ――坊や――(背に子供が居ました。)いやなおじさんが……あれ、覗く、覗く、覗くよう――
 と、いう、肩ずれに雪のはだが見えると、おぶわれて出た子供の顔が、無精髯をはやした、まずい、おやじの私のつらです。莞爾にこりとその時、女が笑った唇が、縹色はなだいろに真青に見えて、目の前へ――あの近頃の友染向ゆうぜんむきにはありましょう、雁来紅はげいとうを肩から染めた――釣り下げた長襦袢ながじゅばんの、宙にふらふらとかかった、その真中へ、ぬっと、障子一杯の大きな顔になって、私の胸へ、雪の釣鐘ほどの重さが柔々やわやわと、ずしん! とかかった。
 東京から人を呼びます騒ぎ、仰向けに倒れた、再び、火鉢で頸窪ぼんのくぼを打ったのです。」

「また、おわずらいになるといかん。四十年来のおくりもの、わざと持参しましたが、この菊細工の人形は、お話の様子によって、しばらくお目に掛けますまい。」
 引抱ひっかかえて立った、小脇の奉書包は、重いもののように見えた。宗参の脊が、すっくと伸びると、熨斗のしの紫の蝶が、急いで包んだ風呂敷のほぐれめに、霧を吸って高くひるがえったのである。
 階子段はしごだんの下で、廊下をもどる、紫のコオトと、濃いお納戸にすれ違ったが、菊人形に、気も心も奪われて、ことばをかけるひまもない。
 玄関で見送って、おねだりがましく、慕って出ると、前の小川に橋がある。かどの柳の散る中に、つないだ駒はなかったが、細流せせらぎを織るは、手綱たづなの影を浮かして行く……ながれに添った片側の長い土塀を、向うに隔たる、宗参法師は、間近ながら遥々はるばると、駅路えきろを過ぐる趣して、古鼠の帽子の日向ひなたが、白髪しらがさばいたようである。真白な遠山のいただきは、黒髪をさばいたような横雲の見えがくれに、雪の駒の如く駈けた。

 名剣神社の拝殿には、あかの袴の、お巫子みこが二人、かよいをして、歌の会があった。
 社務所で、神職たちが、三人、口を揃えて、
だい先生。」――
 この同音は、一車を瞠若どうじゃくたらしめた。
「大先生は、急に思立おもいたったとありまして……ええ、黒姫山へ――もみじを見に。」――

「あら、おじさん。」
 娘の手が、もう届く。……外套の袖を振切って、いかのぼりが切れたように、穂坂は、すとんと深更しんこうの停車場に下りた。急行列車が、その黒姫山のふもと古駅こえきについて、まさに発車しようとした時である。
 その手が、かんをつけてくれた魔法瓶、さかなにとて、膳のをへずった女房の胡桃くるみにも、つ心を取られた、一所いっしょにたべようと、今しがた買った姫上川ひめかみがわの鮎の熟鮓なれずしにも、恥ずべし、涙ぐましいおもいをしつつ、その谿谷けいこくをもみじの中へ入って行く、のこンの桔梗と、うらさびしい刈萱かるかやのような、二人の姿の、窓あかりに、暗くせまったのを見つつ、乗放のりはなしてりた、おなじ処に、しばらく、とぼんとしゃがんでいた。
 しかし、峰をじ、谷を越えて、大宗参だいそうさんの菊細工を見ることが出来たら、あるいは、絵のよい題材を得ようも知れない。





底本:「文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁」ちくま文庫、筑摩書房
   2006(平成18)年10月10日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日第1刷発行
初出:「文藝春秋」
   1932(昭和7)年1月号
入力:門田裕志
校正:坂本真一
2015年10月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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