鑑定
泉鏡太郎
牛屋
(
うしや
)
の
手間取
(
てまとり
)
、
牛切
(
ぎうき
)
りの
若
(
わか
)
いもの、
一婦
(
いつぷ
)
を
娶
(
めと
)
る、と
云
(
い
)
ふのがはじまり。
漸
(
やつ
)
と
女房
(
にようばう
)
にありついたは
見
(
み
)
つけものであるが、
其
(
そ
)
の
婦
(
をんな
)
(
奇醜
(
きしう
)
)とある。たゞ
醜
(
みにく
)
いのさへ、
奇醜
(
きしう
)
は
弱
(
よわ
)
つた、
何
(
なに
)
も
醜
(
しう
)
を
奇
(
き
)
がるに
當
(
あた
)
らぬ。
本文
(
ほんもん
)
に
謂
(
い
)
つて
曰
(
いは
)
く、
蓬髮
(
ほうはつ
)
歴齒
(
れきし
)
睇鼻
(
ていび
)
深目
(
しんもく
)
、お
互
(
たがひ
)
に
熟字
(
じゆくじ
)
でだけお
知己
(
ちかづき
)
の、
沈魚
(
ちんぎよ
)
落雁
(
らくがん
)
閉月
(
へいげつ
)
羞花
(
しうくわ
)
の
裏
(
うら
)
を
行
(
い
)
つて、これぢや
縮毛
(
ちゞれつけ
)
の
亂杭齒
(
らんぐひば
)
、
鼻
(
はな
)
ひしやげの、どんぐり
目
(
め
)
で、
面疱
(
にきび
)
が
一面
(
いちめん
)
、いや、
其
(
そ
)
の
色
(
いろ
)
の
黒
(
くろ
)
い
事
(
こと
)
、ばかりで
無
(
な
)
い。
肩
(
かた
)
が
頸
(
くび
)
より
高
(
たか
)
く
聳
(
そび
)
えて、
俗
(
ぞく
)
に
引傾
(
ひきかたが
)
りと
云
(
い
)
ふ
代物
(
しろもの
)
、
青
(
あを
)
ン
膨
(
ぶく
)
れの
腹
(
はら
)
大
(
おほい
)
なる
瓜
(
うり
)
の
如
(
ごと
)
しで、
一尺
(
いつしやく
)
餘
(
あま
)
りの
棚
(
たな
)
ツ
尻
(
ちり
)
、
剩
(
あまつさ
)
へ
跛
(
びつこ
)
は
奈何
(
いかん
)
。
これが
又
(
また
)
大
(
だい
)
のおめかしと
來
(
き
)
て、
當世風
(
たうせいふう
)
の
廂髮
(
ひさしがみ
)
、
白粉
(
おしろい
)
をべた/\
塗
(
ぬ
)
る。
見
(
み
)
るもの、
莫不辟易
(
へきえきせざるなし
)
。
豈
(
あに
)
それ
辟易
(
へきえき
)
せざらんと
欲
(
ほつ
)
するも
得
(
え
)
んや。
而
(
しかう
)
して、
而
(
しか
)
してである。
件
(
くだん
)
の
牛切
(
ぎうきり
)
、
朝
(
あさ
)
から
閉籠
(
とぢこも
)
つて、
友達
(
ともだち
)
づきあひも
碌
(
ろく
)
にせぬ。
一日
(
いちにも
)
、
茫
(
ばう
)
と
成
(
な
)
つて、
田圃
(
たんぼ
)
の
川
(
かは
)
で
水
(
みづ
)
を
呑
(
の
)
んで
居
(
ゐ
)
る
處
(
ところ
)
を、
見懸
(
みか
)
けた
村
(
むら
)
の
若
(
わか
)
いものが、ドンと
一
(
ひと
)
ツ
肩
(
かた
)
をくらはすと、
挫
(
ひしや
)
げたやうにのめらうとする。
慌
(
あわ
)
てて、
頸首
(
えりくび
)
を
引掴
(
ひツつか
)
んで、
「
生
(
い
)
きてるかい、」
「へゝゝ。」
「
確乎
(
しつかり
)
しろ。」
「へゝゝ、おめでたう、へゝゝへゝ。」
「
可
(
い
)
い
加減
(
かげん
)
にしねえな。おい、
串戲
(
じようだん
)
ぢやねえ。お
前
(
まへ
)
の
前
(
まへ
)
だがね、
惡女
(
あくぢよ
)
の
深情
(
ふかなさけ
)
つてのを
通越
(
とほりこ
)
して
居
(
ゐ
)
るから、
鬼
(
おに
)
に
喰
(
く
)
はれやしねえかツて、
皆
(
みな
)
友達
(
ともだち
)
が
案
(
あん
)
じて
居
(
ゐ
)
るんだ。お
前
(
まへ
)
の
前
(
まへ
)
だがね、おい、よく
辛抱
(
しんばう
)
して
居
(
ゐ
)
るぢやねえか。」
「へゝゝ。」
「あれ、
矢張
(
やつぱ
)
り
恐悦
(
きようえつ
)
して
居
(
ゐ
)
ら、
何
(
ど
)
うかしてるんぢやねえかい。」
「
私
(
わし
)
も、はあ、
何
(
ど
)
うかして
居
(
ゐ
)
るでなからうかと
思
(
おも
)
ふだよ。
聞
(
き
)
いてくんろさ。
女房
(
にようばう
)
がと
云
(
い
)
ふと、あの
容色
(
きりやう
)
だ。まあ、へい、
何
(
なん
)
たら
因縁
(
いんねん
)
で
一所
(
いつしよ
)
に
成
(
な
)
つたづら、と
斷念
(
あきら
)
めて、
目
(
め
)
を
押瞑
(
おツつぶ
)
つた
祝言
(
しうげん
)
と
思
(
おも
)
へ。」
「うむ、
思
(
おも
)
ふよ。
友
(
とも
)
だちが
察
(
さつ
)
して
居
(
ゐ
)
るよ。」
「
處
(
ところ
)
がだあ、へゝゝ、
其
(
そ
)
の
晩
(
ばん
)
からお
前
(
まへ
)
、
燈
(
あかり
)
を
暗
(
くら
)
くすると、ふつと
婦
(
をんな
)
の
身體
(
からだ
)
へ
月明
(
つきあかり
)
がさしたやうに
成
(
な
)
つて、
第一
(
だいいち
)
な、
色
(
いろ
)
が
眞白
(
まつしろ
)
く
成
(
な
)
るのに、
目
(
め
)
が
覺
(
さめ
)
るだ。」
於稀帷中微燈閃鑠之際則殊見麗人
(
きゐのうちにびとうのせんしやくするときすなはちとくにれいじんをみる
)
である。
「
蛾眉巧笑※頬多姿
(
がびかうせうくわいけふたし
)
[#「搖のつくり+頁」の「缶」に代えて「廾」、U+982F、104-6]
、
纖腰一握肌理細膩
(
せんえういちあくきりさいじ
)
。」
と
一息
(
ひといき
)
に
言
(
い
)
つて、ニヤ/\。
「おまけにお
前
(
まへ
)
、
小屋
(
こや
)
一杯
(
いつぱい
)
、
蘭麝
(
らんじや
)
の
香
(
かをり
)
が
芬
(
ぷん
)
とする。
其
(
そ
)
の
美
(
うつく
)
しい
事
(
こと
)
と
云
(
い
)
つたら、
不啻毛
飛燕
(
まうしやうひえんもたゞならず
)
。」
と
言
(
い
)
ふ、
牛切
(
ぎうき
)
りの
媽々
(
かゝあ
)
をたとへもあらうに、
毛
飛燕
(
まうしやうひえん
)
も
凄
(
すさま
)
じい、
僭上
(
せんじやう
)
の
到
(
いた
)
りであるが、
何
(
なに
)
も
別
(
べつ
)
に
美婦
(
びふ
)
を
讚
(
ほ
)
めるに
遠慮
(
ゑんりよ
)
は
要
(
い
)
らぬ。
其處
(
そこ
)
で、
不禁神骨之倶解也
(
しんこつのともにとくるをきんぜざるなり
)
。である。
此
(
これ
)
は
些
(
ち
)
と
恐
(
おそろ
)
しい。
「
私
(
わし
)
も
頓
(
とん
)
と
解
(
げ
)
せねえだ、
處
(
ところ
)
で、
當人
(
たうにん
)
の
婦
(
をんな
)
に
尋
(
たづ
)
ねた。」
「
女房
(
かみさん
)
は
怒
(
おこ
)
つたらう、」
「
何
(
なん
)
ちゆツてな。」
「だつてお
前
(
まへ
)
、お
前
(
まへ
)
の
前
(
まへ
)
だが、あの
顏
(
つら
)
をつかめえて、
牛切小町
(
うしきりこまち
)
なんて、お
前
(
まへ
)
、
怒
(
おこ
)
らうぢやねえか。」
「うんね、
怒
(
おこ
)
らねえ。」
「はてな。」
とばかりに、
苦笑
(
にがわらひ
)
。
「
怒
(
おこ
)
らねえだ。が、
何
(
なに
)
もはあ、
自分
(
じぶん
)
では
知
(
し
)
らねえちゆうだ。
私
(
わし
)
も、あれよ、
念
(
ねん
)
のために、
燈
(
あかり
)
をくわんと
明
(
あか
)
るくして、
恁
(
か
)
う
照
(
て
)
らかいて
見
(
み
)
た。」
「
氣障
(
きざ
)
な
奴
(
やつ
)
だぜ。」
「
然
(
さ
)
うすると、
矢張
(
やは
)
り、あの、
二目
(
ふため
)
とは
見
(
み
)
られねえのよ。」
「
其處
(
そこ
)
が
相場
(
さうば
)
ぢやあるまいか。」
「
燈
(
あかり
)
を
消
(
け
)
すと
又
(
また
)
小町
(
こまち
)
に
成
(
な
)
る、いや、
其
(
そ
)
の
美
(
うつく
)
しい
事
(
こと
)
と
云
(
い
)
つたら。」
とごくりと
唾
(
つ
)
を
呑
(
の
)
み、
「へゝゝ、
口
(
くち
)
で
言
(
い
)
ふやうたものではねえ。
以是愛之而忘其醜
(
これをもつてこれをあいしそのしうをわする
)
。」と
言
(
い
)
ふ。
聞者不信
(
きくものしんぜず
)
。
誰
(
たれ
)
も
此
(
これ
)
は
信
(
しん
)
じまい。
「や、お
婿
(
むこ
)
さん。」
「
無事
(
ぶじ
)
か。」
などと、
若
(
わか
)
いものが
其處
(
そこ
)
へぞろ/\
出
(
で
)
て
來
(
き
)
た。で、
此
(
こ
)
の
話
(
はなし
)
を
笑
(
わら
)
ひながら
傳
(
つた
)
へると、
馬鹿笑
(
ばかわら
)
ひの
高笑
(
たかわら
)
ひで、
散々
(
さん/″\
)
に
冷
(
ひや
)
かしつける。
「
狐
(
きつね
)
だ、
狐
(
きつね
)
だ。」
「
此
(
こ
)
の
川
(
かは
)
で
垢離
(
こり
)
を
取
(
と
)
れ。」
「
南無阿彌陀佛
(
なむまいだ
)
。」
と
哄
(
どつ
)
と
囃
(
はや
)
す。
屠者
(
としや
)
向腹
(
むかぱら
)
を
立
(
た
)
て、
赫
(
かつ
)
と
憤
(
おこ
)
つて、
「
試
(
ため
)
して
見
(
み
)
ろ。」
こゝで、
口
(
くち
)
あけに、
最初
(
さいしよ
)
の
若
(
わか
)
いものが、
其
(
そ
)
の
晩
(
ばん
)
、
牛切
(
ぎうきり
)
の
小屋
(
こや
)
へ
忍
(
しの
)
ぶ。
御亭主
(
ごていしゆ
)
、
戸外
(
おもて
)
の
月
(
つき
)
あかりに、のつそりと
立
(
た
)
つて
居
(
ゐ
)
て、
「
何
(
ど
)
うだあ、」
若
(
わか
)
い
衆
(
しゆ
)
は
額
(
ひたひ
)
を
叩
(
たゝ
)
いて、
「
偉
(
えら
)
い、」と
云
(
い
)
つて、お
叩頭
(
じぎ
)
をして、
「
違
(
ちが
)
ひなし。」
「それ、
何
(
ど
)
うだあ。」
と
悦喜
(
えつき
)
の
顏色
(
がんしよく
)
。
於是
(
こゝにおいて
)
村内
(
そんない
)
の
惡少
(
あくせう
)
、
誰
(
たれ
)
も
彼
(
かれ
)
も
先
(
ま
)
づ
一
(
ひと
)
ツ、(
馬鹿
(
ばか
)
な
事
(
こと
)
を)とけなしつける。
「
試
(
ため
)
して
見
(
み
)
ろ。」
「トおいでなすつた、
合點
(
がつてん
)
だ。」
亭主
(
ていしゆ
)
、
月夜
(
つきよ
)
にのそりと
立
(
た
)
つて、
「
何
(
ど
)
うだあ。」
「
偉
(
えら
)
い。」と
叩頭
(
おじぎ
)
で
歸
(
かへ
)
る。
苟
(
いやしく
)
も
言
(
げん
)
にして
信
(
しん
)
ぜられざらんか。
屠者便令與宿焉
(
としやすなはちともにしゆくせしむ
)
。
幾遍一邑不啻名娼矣
(
ほとんどいちいふあまねくめいしやうもたゞならず
)
。
一夜
(
いちや
)
珍
(
めづら
)
しく、
宵
(
よひ
)
の
内
(
うち
)
から
亭主
(
ていしゆ
)
が
寢
(
ね
)
ると、
小屋
(
こや
)
の
隅
(
すみ
)
の
暗
(
くら
)
がりに、
怪
(
あや
)
しき
聲
(
こゑ
)
で、
「
馬鹿
(
ばか
)
め、
汝
(
なんぢ
)
が
不便
(
ふびん
)
さに、
婦
(
をんな
)
の
形
(
かたち
)
を
變
(
か
)
へて
遣
(
や
)
つたに、
何事
(
なにごと
)
ぞ、
其
(
そ
)
の
爲體
(
ていたらく
)
は。
今去矣
(
さらばだあ
)
。」
と
膠
(
にべ
)
もなく、
一喝
(
いつかつ
)
をしたかと
思
(
おも
)
ふと、
仙人
(
せんにん
)
どのと
覺
(
おぼ
)
しき
姿
(
すがた
)
、
窓
(
まど
)
から
飛
(
と
)
んで
雲
(
くも
)
の
中
(
なか
)
、
山
(
やま
)
へ
上
(
のぼ
)
らせたまひけり。
時
(
とき
)
に
其
(
そ
)
の
帷中
(
ゐちう
)
の
婦
(
をんな
)
を
見
(
み
)
れば、
宛
(
ゑん
)
としておでこの
醜態
(
しうたい
)
、
明白
(
めいはく
)
に
成畢
(
なりをはん
)
ぬ。
屠者
(
としや
)
其
(
そ
)
の
餘
(
あま
)
りの
醜
(
みにく
)
さに、
一夜
(
いちや
)
も
側
(
そば
)
に
我慢
(
がまん
)
が
成
(
な
)
らず、
田圃
(
たんぼ
)
をすた/\
逃
(
に
)
げたとかや。
明治四十四年三月
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「
鑑定
(
かんてい
)
」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。
「搖のつくり+頁」の「缶」に代えて「廾」、U+982F
104-6
●図書カード