番茶話

泉鏡太郎




かへる


 小石川こいしかは傳通院でんづうゐんには、(かぬかへる)の傳説でんせつがある。おなじかへる不思議ふしぎは、たし諸國しよこく言傳いひつたへらるゝと記憶きおくする。大抵たいていこれにはむかし名僧めいそうはなしともなつてて、いづれも讀經どきやうをり誦念しようねんみぎりに、喧噪さわがしさをにくんで、こゑふうじたとふのである。ばうさんはえらい。かへるても、さわがしいぞ、とまをされて、かせなかつたのである。其處そこくと、今時いまどき作家さくかはづかしい――みなうではあるまいが――番町ばんちやうわたしるあたりではいぬえてもかへるかない。一度いちどだつて贅澤ぜいたく叱言こゞとなどははないばかりか、じつきたいのである。勿論もちろん叱言こゞとつたつて、かへるはうではお約束やくそくの(つらみづ)だらうけれど、仕事しごとをしてとき一寸ちよつと合方あひかたにあつてもし、うたに……「いけかへるのひそ/\ばなしいての……」と寸法すんぱふわるくない。……一體いつたいだいすきなのだが、ちつともかない。ほとんどひとこゑきこえないのである。またか、とむかしの名僧めいそうのやうに、おしかりさへなかつたら、こゝで、番町ばんちやう七不思議なゝふしぎとかとなへて、ひとつにかぞへたいくらゐである。が、なにめづらしがることはない。高臺たかだいだからへんにはないのらしい。――以前いぜん牛込うしごめ矢來やらいおくころは、彼處等あすこいら高臺たかだいで、かへるいても、たまにひとふたつにぎないのが、ものりなくつて、御苦勞千萬ごくらうせんばん向島むかうじまめぐりあたり、小梅こうめ朧月おぼろづきふのを、懷中ふところばかりはるさむ痩腕やせうでみながら、それでものんきにあるいたこともあつたつけ。……なかがせゝつこましく、物價ぶつか騰貴とうきしたのでは、そんな馬鹿ばか眞似まねはしてられない。しかし時節じせつのあのこゑは、わたしおもれずきである。ところで――番町ばんちやう下六しもろく此邊このへんだからとつて、いし海月くらげをどしたやうな、石燈籠いしどうろうけたやうな小旦那こだんなたちが皆無かいむだとおもはれない。一町いつちやうばかり、麹町かうぢまち電車通でんしやどほりのはうつた立派りつぱ角邸かどやしき横町よこちやうまがると、其處そこ大溝おほどぶでは、くわツ、くわツ、ころ/\ころ/\とうたつてる。しかし、つきにしろ、暗夜やみにしろ、、おもれで、つてくとると、めぐり田圃たんぼをうろついて、きつねつままれたとおもはれるやうな時代じだいことではまぬ。たれなんあやしまれようもれないのである。らばとつて、一寸ちよつとかへるを、うけたまはりまするでと、一々いち/\町内ちやうない差配さはいことわるのでは、木戸錢きどせんはらつて時鳥ほとゝぎするやうな殺風景さつぷうけいる。……とひまに、なんの、清水谷しみづだにまでけばだけれど、えうするに不精ぶしやうなので、うちながらきたいのが懸値かけねのないところである。
 里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)さとみとんさんが、まだ本家ほんけ有島ありしまさんになすつた、お知己ちかづきはじめころであつた。なにかの次手ついでに、此話このはなしをすると、にはいけにはいくらでもいてる。……そんなにきなら、ふんづかまへてげませう。背戸せどつて御覽ごらんなさい、と一向いつかう色氣いろけのなささうな、腕白わんぱくらしいことをつてかへんなすつた。――翌日よくじつだつけ、御免下ごめんくださアい、とけたこゑをして音訪おとづれたひとがある。山内やまのうち里見氏さとみし本姓ほんせい)からましたが、とふのを、わたし自分じぶん取次とりついで、はゝあ、れだな、白樺しらかば支那鞄しなかばん間違まちがへたとふ、名物めいぶつとつさんは、とうなづかれたのが、コツプに油紙あぶらがみふたをしたのに、吃驚びつくりしたのやら、あきれたのやら、ぎよつとしたのやら、途方とはうもねえ、とつたつらをしたのやら、突張つツぱつてあわてたのやら、ばかりぱち/\してすくんだのやら、五六ぴきはひつたのをとゞけられた。一筆ひとふでつてる――(お約束やくそく連中れんぢうの、はやところとらへておけます。しかし、どれもつらつきが前座ぜんざらしい。眞打しんうちつてあとより。)――わたしはうまいなとつた。いや、まだコツプを片手かたてにしてる。うまい、とひざたゝいた。いや、まだつたまゝでる。いやなんにしろ感心かんしんした。
 臺所だいどころから縁側えんがは仰山ぎやうさんのぞ細君さいくんを「これ平民へいみんはそれだからこまる……べものではないよ。」とたしなめて「うだい。」と、裸體らたい音曲師おんぎよくし歌劇オペラうたふのをつてせて、其處そこ相談さうだんをして水盤すゐばんへ……もちつ大業おほげふだけれども、まさか缺擂鉢かけすりばちではない。杜若かきつばた一年ひととせうゑたが、あのむらさきのおいらんは、素人手しろうとであかとりぐらゐなところではつぎとしかうとしない。ばかりのこして駈落かけおちをした、どろのまゝの土鉢どばちがある。……それうつして、ふたをした。
 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんの厚意こういだし、こゑいたら聞分きゝわけて、一枚いちまいづゝでもつけようとおもふと、れてもククともかない。パチヤリとみづおともさせなければ、ばんはまた寂寞しんとしてかぜさへかない。……馴染なじみなるすゞめばかりでけた。金魚きんぎよつた小兒こどものやうに、しかゝつて、しやがんでると、げたぞ! 畜生ちくしやうたゞ一匹いつぴきも、かげかたちもなかつた。
 ぞくに、ひきがへるものだとふ。かつ十何匹じふなんびき行水盥ぎやうずゐだらひせたのが、一夜いちやうちかたちしたのはげんつてる。
 雨蛙あまがへる青蛙あをがへるが、そんなはなわざはしなからうとおもつたが――勿論もちろん、それだけに、ふた嚴重げんぢうでなしにすきがあればあつたのであらう。
 二三日にさんにちつて、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんにはなしをした。ちやう其日そのひおな白樺しらかば社中しやちうで、御存ごぞんじの名歌集めいかしふ紅玉こうぎよく』の著者ちよしや木下利玄きのしたりげんさんが連立つれだつてえてた。――木下きのしたさんのはうは、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんより三四年さんよねん以前いぜんからよくつてたが――當日たうじつ連立つれだつてえた。早速さつそく小音曲師せうおんぎよくし逃亡かけおちはなしをすると、木下きのしたさんのはるゝには、「大方おほかたそれは、有島ありしまさんのいけかへつたのでせう。かへる隨分ずゐぶんとほくからももとつちかへつてます。」とつてはなされた。かつて、木下きのしたさんの柏木かしはぎやしきの、矢張やつぱにはいけかへるとらへて、水掻みづかき附元つけもとを(あか絹絲きぬいと)……とふので想像さうざうすると――御容色ごきりやうよしの新夫人しんふじんのお手傳てつだひがあつたらしい。……あかいとで、あししるしをつけた幾疋いくひきかを、とほ淀橋よどばしはうみづはなしたが、三日みつか四日よつかごろから、をつけて、もとのいけおもうかゞふと、あしいとむすんだのがちら/\る。半月はんつきほどのあひだには、ほとんはなしたかずだけが、もどつてて、みなもみぢぶくろをはいたむすめのやうで可憐かれんだつた、とのことであつた。――あとで、なにかのしよもつでたのであるが、かへるは(かへる)(かへる)の意義いぎださうである。……これ考證かうしようじみてた。用捨箱ようしやばこ用捨箱ようしやばことしよう。
 ついおもふのに、本當ほんたううかはらないが、かへるこゑは、隨分ずゐぶんおほきく、たかいやうだけれども、あまとほくてはひゞかぬらしい。有島ありしまさんのいけは、さしわたし五十間ごじつけんまでははなれてまい。それだのに、わたしいへまではきこえない。――でんこでんこのあそびではないが、一町いつちやうほどとほとほうい――角邸かどやしきからひゞかないのは無論むろんである。
 ひさしい以前いぜんだけれど、大塚おほつか火藥庫くわやくこわき、いまの電車でんしや車庫しやこのあたりにんでときあたかはるすゑころ少々せう/\待人まちびとがあつて、とほくからくるまおとを、ひろ植木屋うゑきやにはめんした、きたな四疊半よでふはん肱掛窓ひぢかけまどに、ひぢどころか、こしけて、あがるやうにして、るのをつて、くるまおとみゝましたことがある。昨夜ゆうべ今夜こんやも、けると、コーとひゞこゑはるかきこえる、それがくるまおとらしい。もつと護謨輪ごむわなどと贅澤ぜいたく時代じだいではない。ちかづけばカラ/\とるのだつたが、いつまでも、たゞコーとひゞく。それがはなれもはなれた、まつすぐに十四五町じふしごちやうとほい、ちやう傳通院前でんづうゐんまへあたりとおもところきこえては、なみるやうにひゞいて、さつまたしほのひくやうにえると、空頼そらだのみのむねしほさびしくあわえるとき、それを、すだきかへるこゑつて、果敢はかないなかにも可懷なつかしさに、不埒ふらち凡夫ぼんぷは、名僧めいそう功力くりきわすれて、所謂いはゆる、(かぬかへる)の傳説でんせつおもひうかべもしなかつた。……その記憶きおくがある。
 それさへ――いまおもへば、そらかぜであつたらしい。
 また思出おもひだことがある。故人こじん谷活東たにくわつとうは、紅葉先生こうえふせんせい晩年ばんねん準門葉じゆんもんえふで、肺病はいびやうむねいたみつゝ、洒々落々しや/\らく/\とした江戸えどであつた。(かつぎゆく三味線箱さみせんばこ時鳥ほとゝぎす)となかちやうとともにいた。をとこだから、いまでは逸事いつじしようしてもいから一寸ちよつと素破すつぱぬくが、柳橋やなぎばしか、何處どこかの、おたまとか藝妓げいしや岡惚をかぼれをして、かねがないから、岡惚をかぼれだけで、夢中むちうつて、番傘ばんがさをまはしながら、あめれて、方々はう/″\かへるいて歩行あるいた。――どのかへるも、コタマ! オタマ! とく、とふのである。おなをとこが、或時あるとき小店こみせあそぶと、其合方そのあひかたが、ふけてから、薄暗うすぐら行燈あんどうで、いくつも/\、あらゆるキルクのにほひぐ。……あらゆるとつて、「これ惠比壽ゑびすビールの、これ麒麟きりんビールの、札幌さつぽろくろビール、香竄葡萄かうざんぶだう牛久うしくだわよ。甲斐産かひさんです。」と、活東くわつとうはなつつけて、だらりとむすんだ扱帶しごきあひだからもせば、たもとにも、懷中ふところにも、懷紙くわいしなかにもつてて、しんつて、眞顏まがほで、ゑてぐのがあぶらめるやうですごかつたとふ……ともだちはみなつてる。はなしを――或時あるとき※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんと一所いつしよえたことのある志賀しがさんがいて、西洋せいやう小説せうせつに、狂氣きやうきごと鉛筆えんぴつけづ奇人きじんがあつて、をんなのとはかぎらない、なんでも他人たにんつたのを内證ないしよけづらないでは我慢がまん出來できない。魔的まてき警察けいさつしのんで、署長しよちやうどのの鉛筆えんぴつさきするどはりのやうにけづつて、ニヤリとしたのがある、と談話はなしをされた。――不束ふつゝかおそるが、小作せうさく蒟蒻本こんにやくぼん蝋燭らふそくもてあそ宿場女郎しゆくばぢよらうは、それからおもいたものである。
 書齋しよさいがくをねだつたとき紅葉先生こうえふせんせいが、活東子くわつとうしのために(春星池しゆんせいち)とだいされたのをおぼえてる。……春星池活東しゆんせいちくわつとう活東くわつとう蝌蚪くわとにして、字義じぎ(オタマジヤクシ)ださうである。

玉蟲たまむし


 去年きよねんことである。一雨ひとあめに、打水うちみづに、朝夕あさゆふ濡色ぬれいろこひしくる、かわいた七月しちぐわつのはじめであつた。……家内かない牛込うしごめまでようたしがあつて、ひるぎにいへたが、三時頃さんじごろかへつてて、一寸ちよつとまるくして、それは/\氣味きみわるいほどうつくしいものをましたとつて、おどろいたやうにつぎはなしをした。
 はやいもので、せん彼處あすこいへ建續たてつゞいてことわたしたちでもわすれてる、中六番町なかろくばんちやうとほいち見附みつけまで眞直まつすぐつらぬいたひろさかは、むかしながらの帶坂おびざかと、三年坂さんねんざかあひだにあつて、たしかまだきまつた名稱めいしようがないかとおもふ。……新坂しんざかとか、見附みつけさかとか、勝手かつてとなへてはせるが、おほきなあたらしいさかである。さかうへから、はるか小石川こいしかは高臺たかだい傳通院でんづうゐんあたりから、金剛寺坂上こんがうじざかうへ目白めじろけてまだあまはひらない樹木じゆもく鬱然うつぜんとしたそこ江戸川えどがは水氣すゐきびてうすよそほつたのがながめられる。景色けしきは、四季しきともさわやかな奧床おくゆかしい風情ふぜいである。雪景色ゆきげしきとくい。むらさきかすみあをきり、もみぢも、はなも、つきもとかぞへたい。故々わざ/\ふまでもないが、さかうへ一方いつぱう二七にしちとほりで、一方いつぱうひろまち四谷見附よつやみつけける。――かど青木堂あをきだうひだりて、つち眞白まつしろかわいた橘鮨たちばなずしまへを……うす橙色オレンジいろ涼傘ひがさ――たばがみのかみさんには似合にあはないが、あついからうも仕方しかたがない――涼傘ひがさ薄雲うすぐもの、しかしくものないさへぎつて、いま見附みつけさかりかけると、眞日中まひなかで、ちやう人通ひとどほり途絶とだえた。……一人ひとり二人ふたりはあつたらうが、場所ばしよひろいし、ほとんかげもないから寂寞ひつそりしてた。つた手許てもとをスツとくゞつて、まへへ、おそらくはなならぶくらゐにあざやかな色彩しきさいせたむしがある。ふか眞緑まみどりつばさ晃々きら/\ひかつて、緋色ひいろせんでちら/\とつて、すそ金色こんじきかゞやきつゝ、見合みあふばかりにちうつた。おもはず、「あら、あら、あら。」と十八九のこゑてたさうである。途端とたんに「綺麗きれいだわ」「綺麗きれいだわ」といとけなこゑそろへて、をんな三人さんにんほど、ばら/\とつた。「小母をばさん頂戴ちやうだいな」「其蟲そのむし頂戴ちやうだいな」とくうちに、むしは、うつくしいはねひろげず、しづかに、鷹揚おうやうに、そしてかるたて姿すがたさばいて、水馬みづすまし細波さゝなみかけごとく、ツツツと涼傘ひがさを、うへ梭投ひなげにくとおもふと、パツとそろへそれてぶ。小兒こどもたちと一所いつしよに、あら/\と、またひまに、電柱でんちうくうつたつて、斜上なゝめあがりのたか屋根やねへ、きら/\きら/\とあをひかつてかゞやきつゝ、それよりひかりまぶしくえて、たちまたゞ一天いつてんを、はるかあふいだとふのである。
 おほきさは一寸いつすん二三分にさんぶちひさなせみぐらゐあつた、とふ。……しかしその綺麗きれいさは、うもおもふやうにいひあらはせないらしく、じれつたさうに、家内かない逆上のぼせてた。たゞあをつたのでは厄介やつかいだ。わたしくとともに、直下すぐした三番町さんばんちやうと、見附みつけ土手どてには松並木まつなみきがある……大方おほかた玉蟲たまむしであらう、としんじながら、うつくしいむしは、かほに、玉蟲色たまむしいろ笹色さゝいろに、一寸ちよつと口紅くちべにをさしてたらしくおもつて、悚然ぞつとした。
 すぐ翌日よくじつであつた。がこれちつ時間じかんおそい。女中ぢよちうばん買出かひだしに出掛でかけたのだから四時頃よじごろで――しかし眞夏まなつことゆゑ、片蔭かたかげ出來できたばかり、日盛ひざかりとつてもい。女中ぢよちうはうは、前通まへどほりの八百屋やほやくのだつたが、下六番町しもろくばんちやうから、とほり藥屋くすりやまへで、ふと、左斜ひだりなゝめとほり向側むかうがはると、其處そこ來掛きかゝつたうすもの盛裝せいさうしたわかおくさんの、水淺葱みづあさぎしろかさねたすゞしい涼傘ひがさをさしたのが、すら/\とさばつまを、縫留ぬひとめられたやうに、ハタと立留たちどまつたとおもふと、うしろへ、よろ/\と退しさりながら、かざした涼傘ひがさうちで、「あら/\あらあら。」とつた。すぐまへの、はちものの草花屋くさばなや綿屋わたやつゞいて下駄屋げたやまへから、小兒こども四五人しごにんばら/\とつて取卷とりまいたときそでおとすやうに涼傘ひがさをはづして、「綺麗きれいだわ、綺麗きれいだわ、綺麗きれいむしだわ。」とせられたやうにひつゝ、草履ざうりをつまつやうにして、大空おほぞらたかく、ゑてあふいだのである。とほりがかりのものは多勢おほぜいあつた。女中ぢよちうも、あひだはなれたが、みな一齊いつせい立留たちどまつて、あふいだ――とふのである。わたしいて、夫人ふじんが、わかいうつくしいひとだけに、なんとなくすごかつた。

赤蜻蛉あかとんぼ


 一昨年いつさくねんあき九月くぐわつ――わたし不心得ふこゝろえで、日記につきふものをしたゝめたことがないので幾日いくかだかおぼえてないが――彼岸前ひがんまへだつただけはたしかだから、十五日じふごにちから二十日頃はつかごろまでのことである。蒸暑むしあつかつたり、すゞぎたり、不順ふじゆん陽氣やうきが、昨日きのふ今日けふもじと/\とりくらす霖雨ながあめに、時々とき/″\野分のわきがどつとつて、あらしのやうなよるなどつゞいたのが、きふほがらかにわたつたあさであつた。自慢じまんにもらぬが叱人しかりてもない。……張合はりあひのないれい寢坊ねばう朝飯あさめしましたあとだから、午前ごぜん十時半頃じふじはんごろだとおもふ……どん/\と色氣いろけなく二階にかいあがつて、やあ、いゝお天氣てんきだ、難有ありがたい、と御禮おれいひたいほどの心持こゝろもちで、掃除さうぢんだひやりとした、東向ひがしむき縁側えんがはると、むかやしきさくらたまあらつたやうにえて、やほんのりと薄紅うすべにがさしてる。せままちまぐろしい電線でんせんも、ぎんいといたやうで、樋竹とひだけけた蜘蛛くもも、今朝けさばかりはやさしくえて、あを蜘蛛くも綺麗きれいらしい。そら朝顏あさがほ瑠璃色るりいろであつた。欄干らんかんまへを、赤蜻蛉あかとんぼんでる。わたしだいすきだ。いろし、かたちし……とふうちにも、ごろ氣候きこうなんともへないのであらう。しかしめづらしい。……極暑ごくしよみぎりても咽喉のどかわきさうな鹽辛蜻蛉しほからとんぼ炎天えんてん屋根瓦やねがはらにこびりついたのさへ、さはるとあつまど敷居しきゐ頬杖ほゝづゑしてながめるほど、にはのないいへには、どの蜻蛉とんぼおとづれることすくないのに――よくたな、とおもふうちに、まへをスツとんでく。くと、またひとんでる。んでるのがむかうへくと、すぐて、また欄干らんかんまへんでる。……ぶとふより、スツ/\とかるやはらかにいてく。
 たちま心着こゝろづくと、おなところばかりではない。縁側えんがはから、まちはゞ一杯いつぱいに、あをしやに、眞紅しんくあか薄樺うすかばかすりかしたやうに、一面いちめんんで、びつゝ、すら/\としてく。……さきへ/\、くのは、北西きたにしいちはうで、あとから/\、るのは、東南ひがしみなみ麹町かうぢまち大通おほどほりはうからである。かずれない。みち濡地ぬれつちかわくのが、あき陽炎かげろふのやうに薄白うすじろれつゝ、ほんのりつ。ひくくのは、かげをうけていろい。うへぶのは、ひかりいろうすい。したむれは、眞綿まわた松葉まつばをちら/\とき、うへむれは、白銀しろがねはりをきら/\とひるがへす……際限かぎりもなく、それがとほる。珊瑚さんごつて、不知火しらぬひ澄切すみきつたみづちりばめたやうである。
 わたしかへして、裏窓うらまど障子しやうじけた。こゝで、一寸ちよつとはぢはねばきこえない迷信めいしんがある。わたし表二階おもてにかいそらながめて、そのあしすぐ裏窓うらまどのぞくのを不斷ふだんからはゞかるのである。何故なぜふに、それをつたかぎつて、不思議ふしぎらいるからである。勿論もちろんなに不思議ふしぎはない。空模樣そらもやうあやしくつて、うも、ごろ/\とさうだとおもふと、可恐こはいものたさで、わるいとつた一方いつぱう日光につくわう一方いつぱう甲州かふしう兩方りやうはうを、一時いちじのぞかずにはられないからで。――鄰村となりむら空臼からうするほどのおとがすればしたで、あわたゞしくつて、兩方りやうはうそらうかゞはないではられない。したがつて空合そらあひときには雷鳴らいめいがあるのだから、いつもはかつぐのに、ときは、そんなことつてひまはなかつた。
 まどけると、こゝにもぶ。下屋げや屋根瓦やねがはらすこうへを、すれ/\に、晃々きら/\、ちら/\とんでく。しかし、おもてからは、木戸きどひと丁字形ちやうじがた入組いりくんだほそ露地ろぢで、いへいへと、屋根やね屋根やね附着くツついてところだから、珊瑚さんごながれは、かべひさしにしがらんで、かるゝとえて、表欄干おもてらんかんからたのとくらべては、やゝまばらであつた。うらは、すぐ四谷見附よつやみつけやぐら見透みとほすのだが、とほひろいあたりは、まぶしいのと、樹木じゆもく薄霧うすぎりかゝつたのにまぎれて、およそ、どのくらゐまでぶか、すか、そのほどははかられない。が、とゞくほどは、何處どこまでも、無數むすうぶ。
 ところで、ひさしだの、屋根やねだののかげで、ちかところは、おもてよりは、いろはね判然はつきりとよくわかる。うへ大屋根おほやねひさしぐらゐで、したは、ればちやう露地裏ろぢうら共同水道きやうどうすゐだうところに、よその女房かみさんがしやがんで洗濯せんたくをしてたが、つとあたまぐらゐ、とおもところを、スツ/\といてとほる。
 わたししたりた。――家内かないかみひに出掛でかけてる。女中ぢよちうひさしぶりのお天氣てんき湯殿口ゆどのぐち洗濯せんたくをする。……其處そこで、昨日きのふ穿いたどろだらけの高足駄たかあしだ高々たか/″\穿いて、透通すきとほるやうな秋日和あきびよりには宛然まるでつままれたやうなかたちで、カラン/\と戸外おもてた。が、咄嗟とつさにはまぼろしえたやうで一疋ひとつえぬ。じつひとみさだめると、其處そこ此處こゝに、それ彼處あすこに、かずおびたゞしさ、したつたものは、赤蜻蛉あかとんぼ隧道トンネルくゞるのである。往來ゆききはあるが、だれがつかないらしい。ひとふたつはかへつてこぼれてかう。月夜つきよほしかぞへられない。くまでの赤蜻蛉あかとんぼおほいなるむれおもつた場所ばしよからこゝろざところうつらうとするのである。おのづから智慧ちゑちからそなはつて、おもてに、隱形おんぎやう陰體いんたい魔法まはふ使つかつて、人目ひとめにかくれしのびつゝ、何處いづこへかとほつてくかともおもはれた。
 先刻さつき、もしも、二階にかい欄干らんかんで、おもひがけずいたたゞ一匹いつぴきがないとすると、わたし幾千萬いくせんまんともすうれない赤蜻蛉あかとんぼのすべてを、全體ぜんたいを、まるでらないでしまつたであらう。あとで、近所きんじよでも、たれ一人ひとりばらしいむれ風説うはさをするもののなかつたのをおもふと、渠等かれらは、あらゆるひとから、不可思議ふかしぎ角度かくどれて、たくみいつつたのであらうもれぬ。
 さて足駄あしだ引摺ひきずつて、つい、四角よつかどると、南寄みなみよりはうそら集團しふだんひかへて、ちかづくほどはゞひろげて、一面いちめんむらがりつゝ、きたかたすのである。が、あつさはざつへいうへから二階家にかいや大屋根おほやねそらて、はゞひろさはのくらゐまでみなぎつてるか、ほとん見當けんたうかない、とふうちにも、幾干いくせんともなく、いそぎもせず、おくれもせず、さへぎるものをけながら、ひとひとつがおなじやうに、二三寸にさんずんづゝ、縱横じうわうあひだをおいて、悠然いうぜんとしてながれてとほる。さくらえだにも、電線でんせんにも、一寸ちよつとまるのもなければ、よこにそれようとするのもない。
 引返ひきかへして、木戸口きどぐちから露地ろぢのぞくと、羽目はめ羽目はめとのあひだる。こゝには一疋いつぴきんでない。むかうの水道端すゐだうばたに、いまの女房かみさんが洗濯せんたくをしてる、うへ青空あをぞらで、屋根やねさへぎらないから、スツ/\晃々きら/\とほるのである。「おかみさん。」わたしんだ。「御覽ごらんなさい大層たいそう蜻蛉とんぼです。」「へゝい。」とおほきな返事へんじをすると、濡手ぬれてながしておよぐやうにつてそらた。顏中かほぢうをのこらずはなにして、まぶしさうにしかめて、「今朝けさツからんでますわ。」とつた。べつめづらしくもなささうにたゞついとほりに、其處等そこらる、二三疋にさんびきだとおもふのであらう。ときに、もうやがて正午おひるる。
 小一時間こいちじかんつて、家内かない髮結かみゆひさんからかへつてた。意氣込いきごんではなしをすると――道理だうりこそ……三光社さんくわうしや境内けいだい大變たいへん赤蜻蛉あかとんぼで、あめ水溜みづたまりのあるところへ、びながらすい/\とりるのが一杯いつぱいで、うへ乘越のりこしさうでらなかつた。それを子供こどもたちが目笊めざるせるのが、「摘草つみくさをしたくらゐざる澤山たくさん。」とふのである。三光社さんくわうしや境内けいだいは、へん一寸ちよつと子供こども公園こうゑんつてる。わたしうちからさしわたし二町にちやうばかりはある。樣子やうすでは、其處そこまで一面いちめん赤蜻蛉あかとんぼだ。何處どここゝろざしてくのであらう。あまりのことに、また一度いちどそとた。一時いちじぎた。爾時そのときひとつもえなかつた。そして摘草つみくさほど子供こどもにとられたとふのを、なんだかだんうらのつまり/\で、平家へいけ公達きんだち組伏くみふせられ刺殺さしころされるのをくやうで可哀あはれであつた。
 とにかく赤蜻蛉あかとんぼ光景くわうけいは、なににたとへやうもなかつた。が、おなとし十一月じふいちぐわつのはじめ、鹽原しほばらつて、畑下戸はたおり溪流瀧けいりうたきしたふちかけて、ながれひろ溪河たにがはを、るがごとくがごとく、もみぢの、きず、えず、ながるゝのをときと、――しほの、斷崖だんがいうへ欄干らんかんもたれていこつたをりから、夕颪ゆふおろしさつとして、千仭せんじん谷底たにそこから、たき空状そらざまに、もみぢ吹上ふきあげたのが周圍しうゐはやしさそつて、滿山まんざんくれなゐの、大紅玉だいこうぎよく夕陽ゆふひえいじて、かげとひなたにうすく、りかゝつたのをときに、前日さきのひ赤蜻蛉あかとんぼむれ風情ふぜいおもつたのである。
 肝心かんじんことひおくれた。――赤蜻蛉あかとんぼは、のこらず、ひとつものこらず、みなひとつづゝ、ひとつがひ、松葉まつばにつないで、天人てんにん八挺はつちやうぎんかいいかだのやうにして飛行ひかうした。
 なんと……おなこと昨年さくねんた。……篤志とくし御方おかたは、一寸ちよつと日記につき御覽ごらんねがふ。あきなかばかけて矢張やつぱ鬱々うつ/\陰々いん/\として霖雨ながあめがあつた。三日みつかとはちがふまい。――九月くぐわつ二十日はつか前後ぜんごに、からりとさわやかにほのあたゝかに晴上はれあがつたあさおな方角はうがくからおな方角はうがくへ、紅舷こうげん銀翼ぎんよくちひさなふねあやつりつゝ、碧瑠璃へきるりそらをきら/\きら/\と幾千萬艘いくせんまんそう。――家内かないとき四谷よつやかみひにつてた。女中ぢよちう洗濯せんたくをしてた。おなじことである。かへつてて、見附みつけ公設市場こうせつしぢやううへかけて、おほりうへ國坂くにざか一面いちめん赤蜻蛉あかとんぼだとつた。をしかな。すぐにもあとをたづねないで……晩方ばんがた散歩さんぽときは、見附みつけにも、おほりにも、たゞきりみづうへに、それかともおもかげが、たゞふたつ、つ。の、しばらくたゝずまふにたのみであつた。
大正十一年五月





底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「番茶話ばんちやばなし」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
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