紅葉先生在世のころ、
名古屋に
金色夜叉夫人といふ、
若い
奇麗な
夫人があつた。
申すまでもなく、
最大なる
愛讀者で、
宮さん、
貫一でなければ
夜も
明けない。
――
鬘ならではと
見ゆるまでに
結做したる
圓髷の
漆の
如きに、
珊瑚の
六分玉の
後插を
點じたれば、
更に
白襟の
冷
、
物の
類ふべき
無く――
とあれば、
鬘ならではと
見ゆるまで、
圓髷を
結なして、
六分玉の
珊瑚に、
冷
なる
白襟の
好み。
――
貴族鼠の
高縮緬の
五紋なる
單衣を
曳きて、
帶は
海松地に
裝束切模の
色紙散の
七絲……
淡紅色紋絽の
長襦袢――
とあれば、かくの
如く、お
出入の
松坂屋へあつらへる。
金色夜叉中編のお
宮は、この
姿で、
雪見燈籠を
小楯に、
寒ざきつゝじの
茂みに
裾を
隱して
立つのだから――
庭に、
築山がかりの
景色はあるが、
燈籠がないからと、
故らに
据ゑさせて、
右の
裝ひでスリツパで
芝生を
踏んで、
秋空を
高く
睫毛に
澄して、やがて
雪見燈籠の
笠の
上にくづほれた。
「お
前たち、
名古屋へ
行くなら、
紹介をして
遣らうよ。」
今、
兜町に
山一商會の
杉野喜精氏は、
先生の
舊知で、その
時分は
名古屋の
愛知銀行の――
何うも
私は
餘り
銀行にはゆかりがないから、
役づきは
何といふのか
知らないが、
追つてこの
金色夜叉夫人が
電話口でその
人を
呼だすのを
聞くと、「あゝ、もし/\
御支配人、……」だから
御支配人であつた。――
一年先生は
名古屋へ
遊んで、
夫人とは、この
杉野氏を
通じて、
知り
合に
成んなすつたので。……お
前たち。……
故柳川春葉と、
私とが
編輯に
携はつて
居た、
春陽堂の
新小説、
社會欄の
記事として、
中京の
觀察を
書くために、
名古屋へ
派遣といふのを、
主幹だつた
宙外さんから
承つた
時であつた。
何しろ、
杉野の
家で、
早午飯に
二人で
牛肉なべをつゝいて
居ると、ふすま
越に(お
相伴)といふ
聲がしたと
思ひな。
紋着、
白えりで
盛裝した、
艷なのが、
茶わんとはしを
兩手に
持つて、
目の
覺めるやうに
顯れて、すぐに
一切れはさんだのが、その
人さ。
和出來の
猪八戒と
沙悟淨のやうな、
變なのが
二人、
鯱の
城下へ
轉げ
落ちて、
門前へ
齋に
立つたつて、
右の
度胸だから
然までおびえまいよ。
紹介をしよう。……(
角はま)にも。」
角はまは、
名古屋通で
胸をそらした
杉野氏を
可笑しがつて、
當時、
先生が
御支配人を
戲れにあざけつた
渾名である。
御存じの
通り(
樣)を
彼地では(
はま)といふ。……
私は、
先生が
名古屋あそびの
時の、
心得の
手帳を
持つてゐる。
餘白が
澤山あるからといつて、
一册下すつたものだが、
用意の
深い
方だから、
他見然るべからざるペイヂには
剪刀が
入つてゐる。
覺の
殘つてゐるのに――
後で
私たちも
聞いた
唄が
記してある。
味は川文、眺め前津の香雪軒よ、
席の廣いは金城館、愉快、おなやの奧座敷、一寸二次會、
河喜樓。
また魚半の中二階。
近頃は、
得月などといふのが
評判が
高いと
聞く、が、
今もこの
唄の
趣はあるのであらう。その
何家だか
知らないが、
御支配人がズツと
先生を
導くと、
一つゑぐらうといふ
數寄屋がかりの
座敷へ、
折目だかな
女中が、
何事ぞ、コーヒー
入の
角砂糖を
捧げて
出た。――シユウとあわが
立つて、
黒いしるの
溢れ
出るのを
匙でかきまはす
代ものである。
以來、
ひこつの
名古屋通を、(
角はま)と
言ふのである。
おなじ
手帳に、その
時のお
料理が
記してあるから、
一寸御馳走をしたいと
思ふ。
(わん。)津島ぶ、隱元、きす、鳥肉。(鉢。)たひさしみ、新菊の葉。甘だい二切れ。(鉢。)えびしんじよ、銀なん、かぶ、つゆ澤山。土瓶むし松だけ。つけもの、かぶ、奈良づけ。かごにて、ぶだう、梨。
手帳のけいの
中ほどに、
二の
膳出づ、と
朱がきがしてある。
その
角はま、と
夫人とに、
紹介状を
頂戴して、
春葉と
二人で
出かけた。あゝ、この
紹介状なかりせば……
思ひだしても、げつそりと
腹が
空く。……
何しろ、
中京の
殖産工業から、
名所、
名物、
花柳界一般、
芝居、
寄席、
興行ものの
状態視察。あひなるべくは
多治見へのして、
陶器製造の
模樣までで、
滯在少くとも
一週間の
旅費として、
一人前二十五兩、
注におよばず、
切もちたつた
一切づゝ。――むかしから、
落人は
七騎と
相場は
極つたが、これは
大國へ
討手である。
五十萬石と
戰ふに、
切もち
一つは
情ない。が、
討死の
覺悟もせずに、
血氣に
任せて
馳向つた。
日露戰爭のすぐ
以前とは
言ひながら、
一圓づゝに
算へても、
紙幣の
人數五十枚で、
金の
鯱に
拮抗する、
勇氣のほどはすさまじい。
時は
二月なりけるが、
剩さへ
出陣に
際して、
陣羽織も、よろひもない。
有るには
有るが
預けてある。
勢ひ
兵を
分たねば
成らない。
暮から
人質に
入つてゐる
外套と
羽織を
救ひだすのに、
手もなく
八九枚討取られた。
黄がかつた
紬の
羽織に、
銘仙の
茶じまを
着たのと、
石持の
黒羽織に、まがひ
琉球のかすりを
着たのが、しよぼ/\
雨の
降る
中を、
夜汽車で
立つた。
日の
短い
頃だから、
翌日旅館へ
着いて、
支度をすると、もうそちこち
薄暗い。
東京で
言へば
淺草のやうな
所だと、
豫て
聞いて
居た
大須の
觀音へ
詣でて、
表門から
歸れば
可いのを、
風俗を
視察のためだ、と
裏へまはつたのが
過失で。……
大福餅の、
燒いたのを
頬張つて、
婆さんに
澁茶をくんでもらひながら「やあ、この
大きな
鐸をがらん/\と
驅けて
行くのは、
號外ではなささうだが、
何だい。」
婆さんが「あれは、ナアモ、
藝妓衆の
線香の
知らせでナアモ。」そろ/\
風俗を
視察におよんで、
何も
任務だからと、
何樓かの
前で、かけ
合つて、
値切つて、
引つけへ
通つて
酒に
成ると、
階子の
中くらゐのお
上り
二人、さつぱり
持てない。
第一女どもが
寄着かない。おてうしが
一二本、
遠見の
傍示ぐひの
如く
押立つて、
廣間はガランとして
野の
如し。まつ
赤になつた
柳川が、
黄なるお
羽織……これが
可笑い。
京傳の
志羅川夜船に、
素見山の
手の(きふう)と
稱へて、
息子も
何ぞうたはつせえ、と
犬のくそをまたいで
先へ
立つ
男がゐる。――(きふう)は
名だ。けだし
色の
象徴ではないのだが、
春葉の
羽織は
何ういふものか、
不斷から、
件の
素見山の
手の
風があつた。――そいつをパツと
脱いで、
角力を
取らうと
言ふ。
僕は
角力は
嫌ひだ、といふと、……
小さな
聲で、「
示威運動だから、
式ばかりで
行くんだ。」よし
來た、と
立つと、「
成りたけ
向うからはずみをつけて
驅けて
來てポンと
打つかりたまへ、
可いか。」すとんと、
呼吸で、
手もなく
投られる。
可いか。よし
來た。どん、すとん、と
身上も
身も
輕い。けれども
家鳴震動する。
遣手も、
仲居も、
女どもも
驅けつけたが、あきれて
廊下に
立つばかり、
話に
聞いた
芝天狗と、
河太郎が、
紫川から
化けて
來たやうに
見えたらう。
恐怖をなして
遠卷に
卷いてゐる。
投る
方も、
投られる
方も、へと/\になつてすわつたが、
醉つた
上の
騷劇で、
目がくらんで、もう
別嬪の
顏も
見えない。
財産家の
角力は
引つけで
取るものだ。
又來るよ、とふられさうな
先を
見越して、
勘定をすまして、
潔く
退いた。が、
旅宿へ
歸つて、
雙方顏を
見合せて、ためいきをホツと
吐いた。――
今夜一夜の
籠城にも、
剩すところの
兵糧では
覺束ない。
角力など
取らねば
可かつた。
夜半に
腹の
空いた
事。
大福もちより、きしめんにすれば
可かつたものを、と
木賃でしらみをひねるやうに、
二人とも
財布の
底をもんで
歎じた。
この
時、
神通を
顯して、
討死を
窮地に
救つたのが、
先生の
紹介状の
威徳で、
從つて
金色夜叉夫人の
情であつた。
翌日は
晩とも
言はず、
午からの
御馳走。
杉野氏の
方も、
通勤があるから
留主で、
同夫人と、
夫人同士の
御招待で、
即ち(
二の
膳出づ。)である。「あゝ、
旨い、が、
驚いた、この、
鯛の
腸は
化けて
居る。」「よして
頂戴、
見つともない。それはね、ほら、
鯛のけんちんむしといふものよ。」
何を
隱さう、
私はうまれて
初めて
食べた。
春葉はこれより
先、ぐぢ、と
甘鯛の
區別を
知つて、
葉門中の
食通だから、
弱つた
顏をしながら、
白い
差味にわさびを
利かして
苦笑をして
居た。
その
時だつけか、あとだつたか、
春葉と
相ひとしく、まぐろの
中脂を、おろしで
和へて、
醤油を
注いで、
令夫人のお
給仕つきの
御飯へのつけて、
熱い
茶を
打つかけて、さくさく/\、おかはり、と
又退治るのを、「
頼もしいわ、
私たちの
主人にはそれが
出來ないの。」と
感状に
預つた
得意さに、
頭にのつて、「
僕はね、お
彼岸のぼたもちでさへお
茶づけにするんですぜ。」「まあ、うれしい。……」
何うもあきれたものだ。
おきれいなのが
三人ばかりと、
私たち、
揃つて、
前津の
田畝あたりを、
冬霧の
薄紫にそゞろ
歩きして、
一寸した
茶屋へ
憩んだ
時だ。「ちらしを。」と、
夫人が
五もくずしをあつらへた。
つい
今しがた
牡丹亭とかいふ、
廣庭の
枯草に
霜を
敷いた、
人氣のない
離れ
座敷で。――
鬘ならではと
見ゆるまでに
結なしたる
圓髷に、
珊瑚の
六分玉のうしろざしを
點じた、
冷艷類ふべきなきと、こゝの
名物だと
聞く、
小さなとこぶしを、
青く、
銀色の
貝のまゝ
重ねた
鹽蒸を
肴に、
相對して、その
時は、
雛の
瞬くか、と
顏を
見て
醉つた。――「
今しがた
御馳走に
成つたばかりです、もう、そんなには。」「いゝから
姉さんに
任せてお
置き。」
紅葉先生の、
實は
媛友なんだから、といつて、
女の
先生は
可笑しい。……たゞ
奧さんでは
氣にいらず、
姉ごは
失禮だ。
小母さんも
變だ、
第一「
嬌瞋」を
發しようし……そこンところが
何となく、いつのまにか、むかうが、
姉が、
姉が、といふから、
年紀は
私が
上なんだが、
姉さんも、うちつけがましいから、そこで、「お
姉上。」――いや、
二十幾年ぶりかで、
近頃も
逢つたが、
夫人は
矢張り、
年上のやうな
心持がするとか
言ふ。「
第一、
二人とも
割前が
怪しいんです。」とその
時いふと、お
姉上も
若かつた。
箱せこかと
思ふ、
錦の
紙入から、
定期だか
何だか
小さく
疊んだ
愛知の
銀行券を
絹ハンケチのやうにひら/\とふつて、
金一千圓也、といふ
楷書のところを
見せて、「
心配しないで、めしあがれ。」ちらしの
金主が
一千圓。この
意氣に
感じては、こちらも、くわつと
氣競はざるを
得ない。「ありがたい、お
茶づけだ。」と、いま
思ふと
汗が
出る。……
鮪茶漬を
嬉しがられた
禮心に、このどんぶりへ
番茶をかけて
掻つ
込んだ。
味は
何うだ、とおつしやるか? いや、
話に
成らない。
人參も、
干瓢も、もさ/\して
咽喉へつかへて
酸いところへ、
上置の
鰺の、ぷんと
生臭くしがらむ
工合は、
何とも
言へない。
漸と
一どんぶり、それでも
我慢に
平げて、「うれしい、お
見事。」と
賞められたが、
歸途に
路が
暗く
成つて、
溝端へ
出るが
否や、げツといつて、
現實立所に
暴露におよんだ。
愛想も
盡かさず、こいつを
病人あつかひに、
邸へ
引取つて、
柔かい
布團に
寢かして、
寒くはないの、と
袖をたゝいて、
清心丹の
錫を
白い
指でパチリ……に
至つては、
分に
過ぎたお
厚情。
私はその
都度、「
先生の
威徳廣大、
先生の
威徳廣大。」と
唱へて、
金色夜叉の
愛讀者に
感銘した。
翌年一月、
親類見舞に、
夫人が
上京する。ついでに、
茅屋に
立寄るといふ
音信をうけた。ところで、いま
更狼狽したのは、その
時の
厚意の
萬分の
一に
報ゆるのに
手段がなかつたためである。
手段がなかつたのではない、
花を
迎ふるに
蝶々がなかつたのである。……
何を
何う
考へたか、いづれ
周章てた
紛れであらうが、
神田の
從姉――
松本の
長の
姉を
口説いて、
實は
名古屋ゆきに
着てゐた
琉球だつて、
月賦の
約束で、その
從姉の
顏で、
糶呉服を
借りたのさへ
返さない……にも
拘らず、
鯱に
對して、
錢なしでは、
初松魚……とまでも
行かないでも、
夕河岸の
小鰺の
顏が
立たない、とかうさへ
言へば「あいよ。」と
言ふ。……
少しばかり
巾着から
引だして、
夫人にすゝむべく
座布團を
一枚こしらへた。……お
待遠樣。――これから
一寸薄どろに
成るのである。
おごつた、
黄じまの
郡内である。
通例私たちが
用ゐるのは、
四角で
薄くて、ちよぼりとして
居て、
腰を
載せるとその
重量で、
少し
溢んで、
膝でぺたんと
成るのだが、そんなのではない。
疊半疊ばかりなのを、
大きく、ふはりとこしらへた。
私はその
頃牛込の
南榎町に
住んで
居たが、
水道町の
丸屋から
仕立上りを
持込んで、
御あつらへの
疊紙の
結び
目を
解いた
時は、
四疊半唯一間の
二階半分に
盛上つて、
女中が
細い
目を
圓くした。
私などの
夜具は、むやみと
引張つたり、
被つたりだから、
胴中の
綿が
透切れがして
寒い、
裾を
膝へ
引包めて、
袖へ
頭を
突込むで、こと/\
蟲の
形に
成るのに、この
女中は、また
妙な
道樂で、
給金をのこらず
夜具にかける、
敷くのが
二枚、
上へかけるのが
三枚といふ
贅澤で、
下階の
六疊一杯に
成つて、はゞかりへ
行きかへり
足の
踏所がない。おまけに、もえ
黄の
夜具ぶろしきを
上被りにかけて、
包んで
寢た。
一つはそれに
對する
敵愾心も
加はつたので。……
先づ
奮發した。
――
所で、
夫人を
迎へたあとを、そのまゝ
押入へ
藏つて
置いたのが、
思ひがけず、
遠からず、
紅葉先生の
料に
用立つた。
憶起す。……
先生は、
讀賣新聞に、
寒牡丹を
執筆中であつた。
横寺町の
梅と
柳のお
宅から
三町ばかり
隔たつたらう。
私の
小家は
餘寒未だ
相去り
申さずだつたが――お
宅は
來客がくびすを
接しておびたゞしい。
玄關で、
私たち
友達が
留守を
使ふばかりにも
氣が
散るからと、お
氣にいりの
煎茶茶碗一つ。……これはそのまゝ、いま
頂戴に
成つて
居る。……ふろ
敷包を
御持參で、「
机を
貸しな。」とお
見えに
成つた。それ、と
二つ
三つほこりをたゝいたが、まだ
干しも
何うもしない、
美しい
夫人の
移り
香をそのまゝ、
右の
座布團をすゝめたのである。
敢てうつり
香といふ。
留南木のかをり、
香水の
香である。
私はうまれて、
親どもからも、
先生からも、
女の
肉の
臭氣といふことを
教へられた
覺えがない。
從つて
未だに
知らない。
汗と、わきがと、
湯無精を
除いては、
女は――
化粧の
香料のほか、
身だしなみのいゝ
女は、
臭くはないものと
思つて
居る。
憚りながら
鼻はきく。
空腹へ、
秋刀魚、
燒いもの
如きは、
第一にきくのである。
折角、
結構なる
體臭をお
持合せの
御婦人方には、
相すまぬ。が……
從つて、
拂ひもしないで、
敷かせ
申した。
壁と
障子の
穴だらけな
中で、
先生は
一驚をきつして、「
何だい、これは。――
田舍から、
内證で
嫁でもくるのかい。」「へい。」「
馬のくらに
敷くやうだな。」「えへゝ。」
私も
弱つて、だらしなく
頭をかいた。「
茶がなかつたら、
内へ
行つて
取つて
來な。
鐵瓶をおかけ。」と
小造な
瀬戸火鉢を
引寄せて、ぐい、と
小机に
向ひなすつた。それでも、せんべい
布團よりは、
居心がよかつたらしい。……
五日ばかりおいでが
續いた。
暮合の
土間に
下駄が
見えぬ。
「
先生は?……」
通りへ
買物から、
歸つて
聞くと、
女中が、
今しがたお
歸りに
成つたといふ。
矢來の
辻で
行違つた。……
然うか、と
何うも
冴え
返つて
恐ろしく
寒かつたので、いきなり
茶の
間の
六疊へ
入つて、
祖母が
寢て
居た
行火の
裾へ
入つて、
尻まで
潛ると、
祖母さんが、むく/\と
起きて、
火をかき
立ててくれたので、ほか/\いゝ
心持になつて、ぐつすり
寢込むだ。「
柳川さんが、
柳川さんがお
見えになりました。」うつとりと
目を
覺すと、「
雪だよ、
雪だよ、
大雪に
成つた。この
雪に
寢て
居る
奴があるものか。」と、もう
枕元に
長い
顏が
立つて
居る。
上れ、
二階へと、マツチを
手探りでランプを
點けるのに
馴れて
居るから、いきなり
先へ
立つて、すぐの
階子段を
上つて、ふすまを
開けると、むツと
打つ
煙に
目のくらむより
先に、
机の
前に、
眞紅な
毛氈敷いたかと、
戸袋に、
雛の
幻があるやうに、
夢心地に
成つたのは、
一はゞ
一面の
火であつた。
地獄へ
飛ぶやうに
辷り
込むと、
青い
火鉢が
金色に
光つて、
座布團一枚、ありのまゝに、
萌黄を
細く
覆輪に
取つて、
朱とも、
血とも、るつぼのたゞれた
如くにとろけて、
燃拔けた
中心が、
藥研に
窪んで、
天井へ
崩れて、
底の
眞黒な
板には、ちら/\と
火の
粉がからんで、ぱち/\と
煤を
燒く、
炎で
舐める、と
一目見た。「
大變だ。」
私は
夢中で、
鐵瓶を
噴火口へ
打覆けた。
心利いて、すばやい
春葉だから、「
水だ、
水だ。」と、もう
臺所で
呼ぶのが
聞えて、
私が
驅おりるのと、
入違ひに、
狹い
階子段一杯の
大丸まげの
肥滿つたのと、どうすれ
合つたか、まげの
上を
飛おりたか
知らない。
下りざまに、おゝ、
一手桶持つて
女中が、と
思ふ
鼻のさきを、
丸々とした
脚が
二本、
吹きおろす
煙の
中を
宙へ
上つた。すぐに
柳川が
馳違つた。
手にバケツを
提げながら、「あとは、たらひでも、どんぶりでも、……
水瓶にまだある。」と、この
手が
二階へ
屆いた、と
思ふと、
下の
座敷の
六疊へ、ざあーと
疎に、すだれを
亂して、
天井から
水が
落ちた。さいはひに、
火の
粉でない。
私は
柳川を
恩人だと
思ふ――
思つて
居る。もう
一歩來やうが
遲いと、
最早言を
費すにおよぶまい。
敷合せ
疊三疊、
丁度座布團とともに、その
形だけ、ばさ/\の
煤になつて、うづたかく
重なつた。
下も
煤だらけ、
水びたしの
中に
畏つて、
吹きつける
雪風の
不安さに、
外へ
出る
勇氣はない。
勞を
謝するに
酒もない。
柳川は
卷煙草の
火もつけずに、ひとりで
蕎麥を
食べるとて
歸つた。
女中が、づぶぬれの
疊へ
手をついて、「
申譯がございません。お
寒いので、
炭をどつさりお
繼ぎ
申しあげたものですから、
先生樣はお
歸りがけに、もう
一度よく
埋けなよ、と
確に
御注意遊ばしたのでございますものを、つい
私が
疎雜で。……
炭が
刎ねまして、あのお
布團へ。……
申譯がございません。」
祖母が
佛壇の
輪を
打つて
座つた。
私も
同じやうに
座つた。「……
兄、これからも
氣をつけさつしやい、
内では
昔から
年越しの
今夜がの。……」
忘れて
居た、
如何にもその
夜は
節分であつた。
私が
六つから
九つぐらゐの
頃だつたと
思ふ。
遠い
山の、
田舍の
雪の
中で、おなじ
節分の
夜に、
三年續けて
火の
過失をした、
心さびしい、もの
恐ろしい
覺えがある。いつも
表二階の
炬燵から。……
一度は
職人の
家の
節分の
忙しさに、
私が
一人で
寢て
居て、
下がけを
踏込んだ。
一度は
雪國でする
習慣、
濡れた
足袋を、やぐらに
干した
紐の
結びめが
解けて
火に
落ちたためである。もう
一度は
覺えて
居ない。いづれも
大事に
至らなかつたのは
勿論である。が、
家中水を
打つて、
燈も
氷つた。
三年目の
時の
如きは、
翌朝の
飯も
汁も
凍てて、
軒の
氷柱が
痛かつた。
番町へ
越して
十二三年になる。あの
大地震の
前の
年の
二月四日の
夜は
大雪であつた。
二百十日もおなじこと、
日記を
誌す
方々は、
一寸日づけを
御覽を
願ふ、
雨も
晴も、
毎年そんなに
日をかへないであらうと
思ふ。
現に
今年、この
四月は、
九日、
十日、
二日續けて
大風であつた。いつか、
吉原の
大火もおなじ
日であつた。
然もまだ
誰も
忘れない、
朝からすさまじい
大風で、
花は
盛りだし、
私は
見付から
四谷の
裏通りをぶらついたが、
土がうづを
卷いて
目も
開けられない。
瓦を
粉にしたやうな
眞赤な
砂煙に、
咽喉を
詰らせて
歸りがけ、
見付の
火の
見櫓の
頂邊で、かう、
薄赤い、おぼろ
月夜のうちに、
人影の
入亂れるやうな
光景を
見たが。――
淺草邊へ
病人の
見舞に、
朝のうち
出かけた
家内が、
四時頃、うすぼんやりして、
唯今と
歸つた、
見舞に
持つて
出た、
病人の
好きさうな
重詰ものと、いけ
花が、そのまゝすわつた
前かけの
傍にある。「おや。」「どうも、
何だつて
大變な
人で、とても
内へは
入れません。」「はてな、へい?……」いかに
見舞客が
立込んだつて、まはりまはつて、
家へ
入れないとは
變だ、と
思ふと、
戸外を
吹すさぶ
風のまぎれに、かすれ
聲を
咳して、いく
度か
話が
行違つて
漸と
分つた。
大火事だ! そこへ
號外が
駈まはる。……それにしても、
重詰を
中味のまゝ
持つて
來る
事はない、と
思つたが、
成程、
私の
家内だつて、
面はどうでも、
髮を
結つた
婦が、「めしあがれ。」とその
火事場の
眞ん
中に、
重詰に
花を
添へて
突だしたのでは
狂人にされるより
外はない……といつた
同じ
日の
大風に――あゝ、
今年は
無事でよかつた。……
所で
地震前のその
大雪の
夜である。
晩食に
一合で、いゝ
心持にこたつで
寢込んだ。ふすま
一重茶の
室で、
濱野さんの
聲がするので、よく、この
雪に、と
思ひながら、ひよいと
起きて、ふらりと
出た。
話をするうちに、さく/\と
雪を
分ける
音がして、おん
厄拂ひましよな、
厄落し。……
妹背山の
言立てなんぞ、
芝居のは
嫌ひだから、
青ものか、
魚の
見立てで
西の
海へさらり、などを
聞くと、
又さつ/\と
行く。おん
厄拂ひましよな、
厄落し。……
遙に
聲が
消えると、
戸外が
宵の
口だのに、もう
寂寞として、
時々びゆうと
風が
騷ぐ。
何だか、どうも、さつきから
部屋へ
氣がこもる。
玄關境のふすまを
開けたが、
矢張り
息がこもる。そのうち、
香しいやうな、
遠くで……
海藻をあぶるやうな
香が
傳はる。
香は
可厭ではないが、
少しうつたうしい。
出窓を
開けた。おゝ、
降る/\、
壯に
白い。まむかうの
黒べいも
櫻がかぶさつて
眞白だ。さつと
風で
消したけれども、しめた
後は
又こもつて
咽せつぽい。
濱野さんも
咳して
居た。
寒餅でも
出す
氣だつたか、
家内が
立つて、この
時、はじめて、
座敷の
方のふすまを
開けた、……と
思ふと、ひし/\と
疊にくひ
込んで、そのくせ
飛ぶやうな
音を
立てて、「
水、
水……」
何と、
立つと、もう/\として、
八疊は
黒い
吹雪。
煙の
波だ。
荒磯の
巖の
炬燵が
眞赤だ。が
此時燃拔けては
居なかつた。
後で
見ると、
櫓の
兩脚からこたつの
縁、すき
間をふさいだ
小布團を
二枚黒焦に、
下がけの
裾を
燒いて、
上へ
拔けて、
上がけの
三布布團の
綿を
火にして、
表が
一面に
黄色にいぶつた。もう
一呼吸で、
燃え
上るところであつた。
臺所から、
座敷へ、
水も
夜具も
布團も
一所に
打ちまけて、こたつは
忽ち
流れとなつた。が
屈強な
客が
居合せた。
女中も
働いた。
家内も
落ついた。
私は
一人、おれぢやあない、おれぢやあない、と、
戸惑ひをして
居たが、
出しなに、
踏込んだに
相違ない。この
時も、さいはひ
何處の
窓も
戸も
閉込んで
居たから、きなつ
臭いのを
通り
越して、
少々小火の
臭のするのが
屋根々々の
雪を
這つて
遁げて、
近所へも
知れないで、
申譯をしないで
濟んだ。が、
寒さは
寒し、こたつの
穴の
水たまりを
見て、
胴震ひをして、
小くなつて
畏まつた。
夜具を
背負はして
町内をまはらせられないばかりであつた。あいにく
風が
強くなつて、
家の
周圍を
吹きまはる
雪が、こたつの
下へ
吹たまつて、パツと
赤く
成りさうで、
一晩おびえて
寢られなかつた。――
下宿へ
歸つた
濱野さんも、どうも、おち/\
寢られない。
深夜の
雪を
分けて、
幾度か
見舞はう、と
思つたほどだつたさうである。
これが
節分の
晩である。
大都會の
喧騷と
雜音に、その
日、その
日の
紛るゝものは、いつか、
魔界の
消息を
無視し、
鬼神の
隱約を
忘却する。……
五年とは
經たぬのに――
浮りした。
今年、
二月三日、
點燈頃、やゝ
前に、
文藝春秋の
事について、……
齋藤さんと、
菅さんの
時々見えるのが、その
日は
菅さんであつた。
小稿の
事である。――その
夜九時頃濱野さんが
來て、
茶の
聞で
話しながら、ふと「いつかのこたつ
騷ぎは、
丁度節分の
今夜でしたね。」といふのを
半聞くうちに、
私はドキリとした。
總毛立つてぞつとした。――
前刻、
菅さんに
逢つた
時、
私は
折しも
紅インキで
校正をして
居たが、
組版の
一面何行かに、ヴエスビヤス、
噴火山の
文宇があつた。
手近な
即興詩人には、
明かにヱズヰオと
出て
居るが、これをそのまゝには
用ゐられぬ。いさゝか
不確かな
所を、
丁度可い。
教へをうけようと、
電氣を
點けて、
火鉢の
上へ、あり
合せた
白紙をかざして、その
紅いインキで、ヴヱスビヤス、ブエスビイヤス、ヴエスヴイヤス、ヴエスビイヤス、どれが
正しいのでせう、と
聞き/\――
彩り
記した。
あゝ、
火のやうに、ちら/\する。
私は
二階へ
驅上つて、その
一枚を
密と
懷にした。
冷たい
汗が
出た。
濱野さんが
歸つてから、その
一枚を
水に
浸して、そして
佛壇に
燈を
點じた。
謹んで
夜を
守つたのである
大正十五年四月―五月