深川淺景

泉鏡太郎




 雨霽あまあがり梅雨空つゆぞらくもつてはゐるが大分だいぶあつい。――日和癖ひよりぐせで、何時なんどきぱら/\とようもれないから、案内者あんないしや同伴つれも、わたしも、各自おの/\蝙蝠傘かうもりがさ……いはゆる洋傘パラソルとはのれないのを――いろくろいのに、もさゝないし、たれはゞかるともなく、すぼめてつゑにつき、足駄あしだ泥濘ぬかるみをこねてゐる。……
 いで、戰場せんぢやうのぞときは、雜兵ざふひやういへど陣笠ぢんがさをいたゞく。峰入みねいり山伏やまぶしかひく。時節じせつがら、やり白馬しろうまといへば、モダンとかいふをんなでも金剛杖こんがうづゑがひととほり。……人生じんせいいやしくも永代えいたいわたつて、辰巳たつみかぜかれようといふのに、足駄あしだ蝙蝠傘かうもりがさ何事なにごとだ。
 うしたことか、今年ことし夏帽子なつばうし格安かくやすだつたから、麥稈むぎわらだけはあたらしいのをとゝのへたが、さつとつたら、さそくにふところへねぢまうし、かぜられてはことだと……ちよつと意氣いきにはかぶれない。「きますよ。ご用心ようじん。」「心得こゝろえた。」で、みゝへがつしりとはめた、シテ、ワキ兩人りやうにん
 あゐなり、こんなり、萬筋まんすぢどころの單衣ひとへに、少々せう/\綿入めんいり羽織はおりこんしろたびで、ばしや/\とはねをげながら、「それまたみづたまりでござる。」「如何いかにもぬまにてさふらふ。」と、鷺歩行さぎあるきこしひねつてく。……といふのでは、深川見物ふかがはけんぶつ落着おちつところ大概たいがいれてゐる。はまなべ、あをやぎの時節じせつでなし、鰌汁どぢやうじる可恐おそろしい、せい/″\門前もんぜんあたりの蕎麥屋そばやか、境内けいだい團子屋だんごやで、雜煮ざふにのぬきでびんごと正宗まさむねかんであらう。したがつて、洲崎すさきだの、仲町なかちやうだの、諸入費しよにふひかる場所ばしよへは、ひて御案内ごあんないまをさないから、讀者どくしや安心あんしんをなすつてよい。
 さて色氣いろけきとなれば、うだらう。(そばにいてきぬことわりや夏羽織なつばおり)と古俳句こはいくにもある。羽織はおりをたゝんでふところへんで、からずねの尻端折しりはしよりが、一層いつそう薩張さつぱりでよからうとおもつたが、女房にようぼう産氣さんけづいて産婆さんばのとこへかけすのではない。今日けふ日日新聞社にち/\しんぶんしや社用しやようた。おつとめがらにたいしても、いさゝとりつくろはずばあるべからずと、むねのひもだけはきちんとしてゐて……あついから時々とき/″\だらける。……
「――旦那だんな、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。」
 とわたしがいふと、同伴つれ蝙蝠傘かうもりがさのさきで爪皮つまかはつゝきながら、
「――そこを眞直まつすぐ福島橋ふくしまばしで、そのさきが、お不動樣ふどうさまですよ、とゑんタクのがいひましたね。」
 いましがた、永代橋えいたいばしわたつたところで、よしとけて、あの、ひとくるまげて織違おりちがふ、さながら繁昌記はんじやうき眞中まんなかへこぼれてて、あまりそのへんのかはりやうに、ぽかんとしてつたときであつた。「こち黒鯛くろだひのぴち/\はねる、夜店よみせつ、……魚市うをいちところは?」「あの、した黒江町くろえちやう……」と同伴つれゆびさしをする、そのが、した往來わうらいおよがせて、すつとひらいて、とほくなるやうにえるまで、ひとあしはながれて、橋袂はしたもとひろい。
 わたしは、じつ震災しんさいのあと、永代橋えいたいばしわたつたのは、そのがはじめてだつたのである。二人ふたり風恰好亦如件ふうつきまたくだんのごとし……で、運轉手うんてんしゆ前途ゆくてあんじてくれたのに無理むりはない。「いや、たゞ、ぶらつくので。」とばかりまをはせたごとく、麥稈むぎわらをゆりなほして、そこで、ひだり佐賀町さがちやうはうはひつたのであるが。
 さて、かうたゝずむうちにも、ぐわら/\、ぐわらとすさまじいおとてて、貨物車くわもつしやみちちひしいでとほる。それあぶない、とよけるあとから、またぐわら/\とつてる。どしん、づん/\づづんとひゞく。
 つちがまだそれなりのもあるらしい、道惡みちわるつてはひると、そのくせ人通ひとどほりすくなく、バラツクだてのきまばらに、すみつて、めうにさみしい。
 休業きうげふのはりふだして、ぴたりととびらをとざした、なんとか銀行ぎんかう窓々まど/\が、觀念くわんねんまなこをふさいだやうに、灰色はひいろにねむつてゐるのを、近所きんじよ女房かみさんらしいのが、しろいエプロンのうすよごれた服裝なりで、まだ二時半前やつまへだのに、あをくあせた門柱もんちうつて、夕暮ゆふぐれらしく、くもぞらあふぐも、ものあはれ。……かもめのかはりにからすばう。町筋まちすぢとほしていてえる、ながれのみづみなくろい。……
 銀行ぎんかうよこにして、片側かたがははら正面しやうめんに、野中のなか一軒家いつけんやごとく、長方形ちやうはうけいつた假普請かりぶしん洋館やうくわん一棟ひとむねのきへぶつつけがきの(かは)のおほきくえた。
 よるは(かは)のならんだその屋號やがうに、電燈でんとうがきら/\とかゞやくのであらうもれない。あからさまにはいはないが、これはわたしつた※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)米問屋くわいまいどんやである。――(おほきくたな。)――當今たうこん三等米さんとうまい一升いつしようにつき約四十三錢やくよんじふさんせんろんずるものに、※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)米問屋くわいまいどんや知己ちきがあらうはずはない。……こゝの御新姐ごしんぞの、人形町にんぎやうちやう娘時代むすめじだいあづかつた、女學校ぢよがくかう先生せんせいとほして、ほのかに樣子やうすつてゐるので……以前いぜんわたしちひさなさくなかに、すこ家造やづくりだけ借用しやくようしたことがある。
 御存ごぞんじのとほり、佐賀町さがちやう一廓いつくわくは、ほとんのきならび問屋とんやといつてもよかつた。かまへもほゞおなじやうだとくから、むかしをしのぶよすがに、その時分じぶんいへのさまをすこしいはう。いまのバラツクだて洋館やうくわんたいして――こゝに見取圖みとりづがある。――ことわるまでもないが、地續ぢつゞきだからといつて、吉良邸きらていのではけつしてない。米價べいかはそのころ高値たかねだつたが、あへ夜討ようちをける繪圖面ゑづめんではないのであるが、まちむかつてひのき木戸きどみぎ忍返しのびがへしのへいむかつて本磨ほんみがきの千本格子せんぼんがうし奧深おくふかしづまつて、あひた植込うゑこみみどりなか石燈籠いしどうろうかげあをい。藏庫くら河岸かしそろつて、揚下あげおろしはふねぐに取引とりひきがむから、店口みせぐちはしもたおなこと煙草盆たばこぼんにほこりもかぬ。……その玄關げんくわん六疊ろくでふの、みぎ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはえんにはに、物數寄ものずきせて六疊ろくでふ十疊じふでふつぎ八疊はちでふつゞいて八疊はちでふかは張出はりだしの欄干下らんかんしたを、茶船ちやぶね浩々かう/\ぎ、傳馬船てんま洋々やう/\としてうかぶ。中二階ちうにかい六疊ろくでふなかにはさんで、梯子段はしごだんわかれて二階にかい二間ふたま八疊はちでふ十疊じふでふ――ざつとこの間取まどりで、なかんづくその中二階ちうにかいあをすだれに、むらさきふさのしつとりした岐阜提灯ぎふぢやうちん淺葱あさぎにすくのに、湯上ゆあがりの浴衣ゆかたがうつる。姿すがた婀娜あだでもおめかけではないから、團扇うちは小間使こまづかひ指圖さしづするやうな行儀ぎやうぎでない。「すこかぜぎること」と、自分じぶんでらふそくにれる。この面影おもかげが、ぬれいろ圓髷まるまげつやくしてりとともに、やなぎをすべつて、紫陽花あぢさゐつゆとともに、ながれにしたゝらうといふ寸法すんぱふであつたらしい。……
 わたしまちのさまをるために、この木戸きど通過とほりすぎたことがある。前庭まへには植込うゑこみには、きりしまがほんのりとのこつて、をりから人通ひとどほりもなしに、眞日中まつぴなか忍返しのびがへしのしたに、金魚賣きんぎようりおろして、煙草たばこかしてやすんでゐた。

「それ、ましたぜ。」
 風鈴屋ふうりんやでもとほことか。――振返ふりかへつた洋館やうくわんをぐわさ/\とゆするがごとく、貨物車くわもつしやが、しか二臺にだいわたしをかばはうとした同伴つれはう水溜みづたまりみこんだ。
「あ、ばしやりとやツつけた。」
 萬筋まんすぢすそて、にがりながら、
「しかし文句もんくはいひますもののね、震災しんさいときは、このくらゐな泥水どろみづを、かぶりついてみましたよ。」
 とく震災しんさいことはいふまい、と約束やくそくをしたものの、つい愚痴ぐちるのである。
 このあたり裏道うらみちけて、松村まつむら小松こまつ松賀町まつかちやう――松賀まつかなにも、鶴賀つるかよこなまるにはおよばないが、町々まち/\もふさはしい、小揚連中こあげれんぢう住居すまひそろひ、それ、問屋向とんやむき番頭ばんとう手代てだい、もうそれ不心得ふこゝろえなのが、松村まつむら小松こまつかこつて、松賀町まつかちやう淨瑠璃じやうるりをうならうといふ、くらくらとはならんだり、なか白鼠しろねずみ黒鼠くろねずみたはら背負しよつてちよろ/\したのが、みなはひになつたか。御神燈ごしんとうかげひとつ、松葉まつばもん見當みあたらないで、はこのやうな店頭みせさきに、煙草たばこるのもよぼ/\のおばあさん。
かはりましたなあ。」
かはりましたはもつともだが……このみち行留ゆきどまりぢやあないのかね。」
案内者あんないしやがついてゐます。御串戲ごじやうだんばかり。……洲崎すさき土手どてあたつたつて、ひとふねせば上總澪かづさみをで、長崎ながさき函館はこだてわた放題はうだい。どんなうらでもしほとほつてゐますから、深川ふかがは行留ゆきどまりといふのはありませんや。」
「えらいよ!」
 どろ/\とした河岸かした。
仙臺堀せんだいぼりだ。」
「だから、それだから、行留ゆきどまりかなぞと外聞ぐわいぶんわることをいふんです。――そも/\、大川おほかはからここへながくちが、下之橋しものはしで、こゝがすなは油堀あぶらぼり……」
「あゝ、うか。」
あひだ中之橋なかのはしがあつて、ひとうへに、上之橋かみのはしながれるのが仙臺堀川せんだいぼりがはぢやあありませんか。……ことわつてきますが、その川筋かはすぢ松永橋まつながばし相生橋あひおひばし海邊橋うみべばし段々だん/\かゝつてゐます。……あゝ、いへらしいいへみな取拂とりはらはれましたから、見通みとほしに仙臺堀ぜんだいぼりえさうです。すぐむかうに、けむりだか、くもだか、灰汁あくのやうなそらにたゞいつしよがこんもりと、青々あを/\してえませう――岩崎公園いはさきこうゑん大川おほかははうへそのぱなに、お湯屋ゆや煙突えんとつえませう、ういたして、あれが、きりもやのふかよるは、ひとをおびえさせたセメント會社ぐわいしや大煙突だいえんとつだからおどろきますな。中洲なかずと、箱崎はこざきむかうにて、隅田川すみだがは漫々まん/\渺々べう/\たるところだから、あなたおどろいてはいけません。」
おどろきません。わかつたよ。」
「いやねんのために――はゝゝ。もひとうへ萬年橋まんねんばしすなは小名木川をなぎがは千筋ちすぢ萬筋まんすぢうなぎ勢揃せいぞろひをしたやうにながれてゐます。あの利根川圖志とねがはづしなかに、……えゝと――安政二年あんせいにねん乙卯きのとう十月じふぐわつ江戸えどには地震ぢしんさわぎありてこゝろしづかならず、訪來とひくひとまれなれば、なか/\にいとまある心地こゝちして云々しか/″\と……本所ほんじよくづれたるいへうしろて、深川ふかがは高橋たかばしひがし海邊うみべ大工町だいくちやうなるサイカチといふところより小名木川をなぎがはふねうけて……」
「また、地震ぢしんかい。」
「あゝ、だまだまり。――あの高橋たかばし汽船きせん大變たいへん混雜こんざつですとさ。――この四五年しごねん浦安うらやすつりがさかつて、沙魚はぜがわいた、まこはひつたと、乘出のりだすのが、押合おしあひ、へしあひあさ一番いちばんなんぞは、汽船きせん屋根やねまで、眞黒まつくろひとまつて、川筋かはすぢ次第しだいくだると、した大富橋おほとみばし新高橋しんたかばしには、欄干外らんかんそとから、あしちうに、みづうへへぶらさがつてつてゐて、それ、尋常じんじやうぢや乘切のりきれないもんですから、そのまんま……そツとでせうとおもひますがね、――それとも下敷したじきつぶれてもかまはない、どかりとだかうですか、汽船きせん屋根やねへ、あたまをまたいで、かたんでちてますツて。……こいつみはづしてかはへはまると、(浦安うらやすかう、浦安うらやすかう)ときます。」
串戲じようだんぢやあない。」
「お船藏ふなぐらがついちかくつて、安宅丸あたかまる古跡こせきですからな。いや、ういへば、遠目鏡とほめがねつたで……あれ、ごろうじろ――と、河童かつぱ囘向院ゑかうゐん墓原はかばら惡戲いたづらをしてゐます。」
「これ、芥川あくたがはさんにこえるよ。」
 わたし眞面目まじめにたしなめた。
くちぢやあ兩國りやうごくまでんだやうだが、むかうへうしてわたるのさ、はしといふものがないぢやあないか。」
「ありません。」
 と、きつぱりとしたもので、蝙蝠傘かうもりがさで、踞込しやがみこんで、
たしかにこゝにあつたんですが、町内持ちやうないもちぶんだから、まだ、からないでゐるんでせうな。もつともかうどろ/\にまつては、油堀あぶらぼりとはいへませんや、鬢付堀びんつけぼりも、黒鬢くろびんつけです。」
りたくはありませんかな。」
わたしはもうかへります。」
 と、麥稈むぎわらをぬいでかぜれた、あたま禿はげいきどほる。
「いま見棄みすてられてるものか、ちたまへ、あやまるよ。しかしね、仙臺堀せんだいぼりにしろ、こゝにしろ、のこらず、かはといふがついてゐるのに、なにしろひどくなつたね。大分だいぶ以前いぜんには以前いぜんだが……やつぱり今頃いまごろ時候じこう川筋かはすぢをぶらついたことがある。八幡樣はちまんさまうらわたようとおもつて、見當けんたう取違とりちがへて、あちらこちらうらとほるうちに、ざんざりにつてた、ところがね、格子かうしさきへつて、雨宿あまやどりをして、出窓でまどから、むらさきぎれのてんじんにこゑをかけられようといふがらぢやあなし……」
勿論もちろん。」
「たゝつたな――裏川岸うらがし土藏どざうこしにくついて、しよんぼりとつたつけ。晩方ばんがたぢやああつたが、あたりがもう/\として、むかぎしも、ぼつとくらい。をりから一杯いつぱい上汐あげしほさ。……ちかところに、やなぎえだはじやぶ/\とひたつてゐながら、わたぶねかげもない。なにも、油堀あぶらぼりだつて、そこにづらりとならんだくらが――なかには破壁やれかべくさえたのもまじつて――油藏あぶらぐらともかぎるまいが、めう油壺あぶらつぼ油瓶あぶらがめでもんであるやうで、一倍いちばい陰氣いんきで、……あなから燈心とうしんさうながする。手長蝦てながえびだか、足長蟲あしながむしだか、びちや/\と川面かはづらではねたとおもふと、きしへすれ/\のにごつたなかから、とがつた、くろつらをヌイとした……」
 ちひさなこゑで、
河童かつぱですか。」
「はげてるくせに、いやに臆病おくびやうだね――なに泥龜すつぽんだつたがね、のさ/\ときしあがつてると、あめ一所いつしよに、どつとあしもとがかはになつたから、およかたちひとりでにげたつけ。ゆめのやうだ。このびんつけにあたつちやあ船蟲ふなむしもはへまいよ。――おんなじかは行當ゆきあたつてもたいしたちがひだ。」
眞個まつたくですな、いまおはなしのそのへんらしい。……わたしともだちは泥龜すつぽんのおばけどころか、紺蛇目傘こんじやのめをさした女郎ぢよらう幽靈いうれいひました。……おなじくあめで、みづだかみちだかわからなくりましてね。をひかれたさうですが、よくかははまらないで、はしたすかりましたよ。」
「それが、自分じぶんだといふのだらう。……幽靈いうれいでもいゝ、はし連出つれだしてくれないか。」
「――娑婆しやば引返ひきかへことにいたしませうかね。」
 もう一度いちど念入ねんいりに川端かはばたあたつて、やがてたのが黒龜橋くろかめばし。――こゝは阪地かみがた自慢じまんする(……はしつわたりけり)のおもむきがあるのであるが、講釋かうしやく芝居しばゐで、いづれも御存ごぞんじの閻魔堂橋えんまだうばしから、娑婆しやば引返ひきかへすのが三途さんづまよつたことになつて――面白おもしろい……いや、面白おもしろくない。
 が、無事ぶじであつた。
 ――わたしたちは、蝙蝠傘かうもりがさを、階段かいだんあづけて、――如何いか梅雨時つゆどぎとはいへ……本來ほんらい小舟こぶねでぬれても、あめのなゝめなるべき土地柄とちがらたいして、かうばんごと、繻子張しゆすばり持出もちだしたのでは、をかしく蜴蟷傘かうもりがさじゆつでも使つかひさうでまことになる、以下いかこの小道具こだうぐ節略せつりやくする。――とき扇子使あふぎづかひのめて、默拜もくはいした、常光院じやうくわうゐん閻王えんわうは、震災後しんさいご本山ほんざん長谷寺はせでらからの入座にふざだとうけたまはつた。忿怒ふんぬ面相めんさう、しかしあつてたけからず、大閻魔だいえんままをすより、くちをくわつと、唐辛子たうがらしいた關羽くわんうてゐる。したがつて古色蒼然こしよくさうぜんたる脇立わきだち青鬼あをおに赤鬼あかおにも、蛇矛じやぼう長槍ちやうさう張飛ちやうひ趙雲てううんがいのないことはない。いつか四谷よつやだうとびらをのぞいて、眞暗まつくらなか閻王えんわうまなこかゞやくとともに、本所ほんじよ足洗屋敷あしあらひやしきおもはせる、天井てんじやうから奪衣だつえ大婆おほばゞ組違くみちがへたあしと、眞俯向まうつむけににらんだ逆白髮さかしらが恐怖おそれをなした、陰慘いんさんたる修羅しゆら孤屋こをくくらべると、こゝはかへつて、唐土たうど桃園たうゑんかぜく。まして、大王だいわうひざがくれに、ばゞ遣手やりて木乃伊みいらごとくひそんで、あまつさへ脇立わきだち正面しやうめんに、赫耀かくえうとして觀世晉くわんぜおんたせたまふ。小兒衆こどもしうも、むすめたちも、こゝろやすくさいしてよからう。たゞ浮氣うはきだつたり、おいたをすると、それは/\本當ほんたう可恐こはいのである。
 小父をぢさんたちは、おとなしいし、第一だいいち品行ひんかう方正はうせいだから……つたごと無事ぶじであつた。……はいゝとして、隣地りんち心行寺しんぎやうじ假門かりもんにかゝると、電車でんしや行違ゆきちがふすきを、同伴つれが、をかしなことをいふ。
「えゝ、一寸ちよつと懺悔ざんげを。……」
なんだい、いま時分じぶん。」
「ですが、閻魔樣あちらさままへでは、けたものですから。――じつ此寺こゝ墓地ぼちに、洲崎すさき女郎やつまつてるんです。へ、へ、へ。なが突通つきとほしのかうがいで、薄化粧うすげしやうだつた時分じぶんの、えゝ、なんにもかにも、ひつじこくかたむきて、――元服げんぷくをしたんですがね――富川町とみかはちやううまれの深川ふかがはだからでもありますまいが、ねんのあるうちから、ながして、つひ泡沫うたかたはかなさです。ひとづてにいたばかりですけれども、に、やまに、あめとなり、つゆとなり、ゆきや、こほりで、もとのみづかへつたはては、妓夫上ぎふあがりと世帶しよたいつて、土手どてで、おでんをしてゐたのが、へんになつてなくなつたといひます――上州じやうしう安中あんなか旅藝者たびげいしやをしてゐたとき親知おやしらずでもらつたをんな方便はうべんぢやありませんか、もう妙齡としごろで……かゝへぢやあありましたが、なか藝者げいしやをしてゐて、うにかそれが見送みおくつたんです。……心行寺しんぎやうじたしかいひましたつけ。おまゐりをしてくださいなと、なにかのときに、不思議ふしぎにめぐりつて、その養女やうぢよからいはれたんですが、ついそれなりに不沙汰ぶさたでゐますうちに、あの震災しんさいで……養女やうぢよはうも、まるきし行衞ゆくへわかりません。いづれまよつてゐるとおもひますとね、閻魔堂えんまだうで、羽目はめかげがちらり/\と青鬼あをおに赤鬼あかおにのまはりへうつるのが、なんですか、ひよろ/\としろをんなが。……」
 いやなことをいふ。
「……また地獄ぢごくといふと、意固地いこぢをんな裸體はだかですから、りましたよ、ははは。……電車通でんしやどほりへつて、こんなおはなしをしたんぢあ、あはれも、不氣味ぶきみとほして、お不動樣ふどうさま縁日えんにちにカンカンカンカンカン――と小屋掛こやがけかねをたゝくのも同然どうぜんですがね。」
 おまゐりをするやうに、わたしがいふと、
なんだか陰氣いんきりました。こんなとき、むかしひと夜具とこかぶつたをんなはかくと、かぜをきさうにおもひますから。」
 ぞつとする、といふのである。なぜか、わたししめつぽく歩行あるした。
「そのくせをかしいぢやありませんか。名所圖繪めいしよづゑなぞますたびに、めうにあのてらりますから、つてゐますが、寶物はうもつに(文幅茶釜ぶんぶくちやがま)――一名いちめい茶釜ちやがま)ありはうです。」
 といつて、なみだだかあせだか、帽子ばうしつてかほをふいた。あたまさらがはげてゐる。……おもはずわたしかほると、同伴つれ苦笑にがわらひをしたのである。
「あ、あぶない。」
 笑事わらひごとではない。――工事中こうじちう土瓦つちかはらのもりあがつた海邊橋うみべばしを、小山こやまごと電車でんしやは、なだれをきふに、胴腹どうばら欄干らんかんに、ほとん横倒よこだふしにかたむいて、橋詰はしづめみぎつたわたしたちの横面よこつらをはねばしさうに、ぐわんととき運轉臺上うんてんだいじやうひとたいかたむみをごとくろまがつた。
 二人ふたり同時どうじに、川岸かしへドンとんだ。曲角まがりかどに(危險きけんにつき注意ちうい)とふだつてゐる。
「こつちが間拔まぬけなんです。――ばんごとこれぢや案内者あんないしやまをわけがありません。」
 片側かたがはのまばらがき一重ひとへに、ごしや/\と立亂たちみだれ、あるひけ、あるひかたむき、あるひくづれた石塔せきたふの、横鬢よこびんおもところへ、胡粉ごふんしろく、さま/″\な符號ふがうがつけてある。卵塔場らんたふば移轉いてん準備じゆんびらしい。……同伴つれのなじみのはかも、まゐつてれば、ざつとこのていであらうとおもふと、生々なま/\しろ三角さんかくひたひにつけて、鼠色ねずみいろくもかげに、もうろうとつてゐさうでならぬ。

 ――時間じかん都合つがふで、今日けふはこちらへは御不沙汰ごぶさたらしい。が、このかはむかうへわたつて、おほき材木堀ざいもくぼりひとせば、淨心寺じやうしんじ――靈巖寺れいがんじ巨刹きよさつ名山めいざんがある。いまはひがし岩崎公園いはさきこうゑんもりのほかに、かげもないが、西にし兩寺りやうじ下寺したでらつゞきに、およはかばかりのである。その夥多おびたゞしい石塔せきたふを、ひとひとつうなづくいしごとしたがへて、のほり、のほりと、巨佛おほぼとけ濡佛ぬれぼとけ錫杖しやくぢやうかたをもたせ、はちすかさにうつき、圓光ゑんくわうあふいで、尾花をばななかに、鷄頭けいとううへに、はた袈裟けさつたかづらをけて、はち月影つきかげかゆけ、たなそこきりむすんで、寂然じやくぜんとしてち、また趺坐ふざなされた。
 さくら山吹やまぶき寺内じないはちすはなころらない。そこでかはづき、時鳥ほとゝぎす度胸どきようもない。暗夜やみよ可恐おそろしく、月夜つきよものすごい。……つてゐるのは、あきまたふゆのはじめだが、二度にど三度さんどわたしとほつたかずよりも、さつとむらさめ數多かずおほく、くもひとよりもしげ往來ゆききした。尾花をばななゝめそよぎ、はかさなつてちた。その尾花をばな嫁菜よめな水引草みづひきさう雁來紅ばげいとうをそのまゝ、一結ひとむすびして、處々ところ/″\にその屋根やねいた店小屋みせごやに、おきなも、うばも、ふとればわかむすめも、あちこちに線香せんかうつてゐた。きつね豆府屋とうふやたぬき酒屋さかやかはうそ鰯賣いわしこも、薄日うすびにそのなかとほつたのである。
 ……おもへばそれも可懷なつかしい……





底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「東京日日新聞 第一八二七五号〜第一八二九六号」東京日日新聞社
   1927(昭和2)年7月17日〜8月7日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「串戲」と「串談」、「」と「」の混在は、底本通りです。
※「女房」に対するルビの「にようぼう」と「かみさん」、「工場」に対するルビの「こうば」と「こうぢやう」、「兄哥」に対するルビの「あにき」と「あにい」、「旦那」に対するルビの「だんな」と「だな」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「深川ふかがは浅景せんけい」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2018年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード