間引菜

泉鏡太郎




 わびしさ……わびしいとふは、さびしさも通越とほりこし、心細こゝろぼそさもあきらめ氣味ぎみの、げつそりとにしむおもひの、大方おほかた、かうしたときことであらう。
 ――まだ、四谷よつやつけの二夜ふたよ露宿ろじゆくからかへつたばかり……三日みつか午後ごご大雨おほあめに、ほねまでぐしよれにつて、やがてかへたのち冷々ひえ/″\しめつぽい、しよぼけた身體からだを、ぐつたりとよこにして、言合いひあはせたやうに、一張ひとはり差置さしおいた、しんほそい、とぼしい提灯ちやうちんに、あたまかほをひしと押着おツつけたところは、人間にんげんたゞひげのないだけで、あきむしあまりかはりない。
 ひとへに寄縋よりすがる、薄暗うすぐらい、えさうに、ちよろ/\またゝく……あかりつてはこの一點ひとつで、二階にかい下階した臺所だいどころ内中うちぢう眞暗まつくらである。
 すくなくも、電燈でんとうくやうにると、人間にんげん横着わうちやくで、どうしてあんなだつたらうとおもふ、がそれはまつたくくらかつた。――實際じつさい東京とうきやうはその一時いちじ全都ぜんとえるとともに、からえたのであつた。
 大燒原おほやけはらつた、下町したまちとおなじことほとん麹町かうぢまち九分くぶどほりをいたの、やゝしめりぎはを、いへ逃出にげでたまゝの土手どて向越むかうごしにたが、黒煙くろけむりは、殘月ざんげつしたに、半天はんてんおほうたいまはしき魔鳥まてうつばさて、燒殘やけのこほのほかしらは、そののしたゝるなゝつのくびのやうであつた。
 ……思出おもひだす。……
 あらず、あをしろ東雲しのゝめいろくれなゐえて、眞黒まつくろつばさたゝかふ、とりのとさかにたのであつた。
 これ、のあくるにつれての人間にんげん意氣いきである。
 れると、意氣地いくぢはない。そのとりより一層いつそうものすごい、暗闇やみつばさおほはれて、いまともしびかげいきひそめる。つばさの、時々とき/″\どツとうごくとともに、大地だいち幾度いくどもぴり/\とれるのであつた。
 驚破すはへば、駈出かけだすばかりに、障子しやうじかどなかばあけたまゝで。……かまちせま三疊さんでふに、くだん提灯ちやうちんすがつた、ついはなさきは、まちみちおほきなあなのやうにみなくらい。――くらさはつきぬけに全都ぜんと暗夜やみに、荒海あらうみごとつゞく、ともはれよう。
 むしのやうだとつたが、あゝ、一層いつそ、くづれたかべひそんだ、なみ巖間いはまかひる。――これおもふと、おほいなるみやこうへを、つてつて歩行あるいた人間にんげん大膽だいたんだ。
 鄰家となりはと、あなからすこし、はなさきして、のぞくと、おなじやうに、提灯ちやうちん家族みんなそでつゝんでる。たましひなんど守護しゆごするやうに――
 たゞ四角よつかどなるつじ夜警やけいのあたりに、ちら/\とえるのも、うられつゝも散殘ちりのこつた百日紅ひやくじつこう四五輪しごりんに、可恐おそろし夕立雲ゆふだちくもくづれかゝつたさまである。
 と、時々とき/″\そのなかから、くろ拔出ぬけだして、跫音あしおとしづめてて、かどとほりすぎるかとすれば、閃々きら/\すゝきのやうなものがひかつてえる。
 白刃しらはげ、素槍すやりかまへてくのである。こんなのは、やがて大叱おほしかられにしかられて、たばにしてお取上とりあげにつたが……うであらう。
 ――記録きろくつゝしまなければらない。――のあたりで、白刃しらは往來わうらいするをたは事實じじつである。……けれども、かたきたゞ宵闇よひやみくらさであつた。
 暗夜やみよから、かぜさつ吹通ふきとほす。……初嵐はつあらし……可懷なつかしあきこゑも、いまはとほはるか隅田川すみだがはわた數萬すまんれい叫喚けうくわんである。……蝋燭らふそくがじり/\とまた滅入めいる。
 あ、とつて、えかゝるのにおどろいて、なかばうつゝにひらく、をんなたちのかほ蒼白あをじろい。
 つかてて、※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはりながらも、すぐそれなりにうと/\する。呼吸いきを、ともしびはるゝやうにえる。
 がさり……
 裏町うらまち表通おもてどほり、いましむる拍子木ひやうしぎおとも、いしむやうにきしんで、寂然しんとした、臺所だいどころで、がさりと陰氣いんきひゞく。
 がさり……
 ねずみだ。
しつ……」
 がさり……
 いや、もつとちかい、つぎの女中部屋ぢよちうべやすみらしい。
 がさり……
しつ……」
 とこゑも、玄米げんまいかゆに、罐詰くわんづめ海苔のりだから、しつこしも、ねばりも、ちからもない。
 がさり。
 畜生ちくしやう、……がさ/\といてもげることか、がさりとばかり悠々いう/\つてる。
 るから、提灯ちやうちんかざして、「しつ。」と女中部屋ぢよちうべやはひつた。が、不斷ふだんだと、魑魅ちみ光明くわうみやうで、電燈でんとうぱつけて、畜生ちくしやうつぶてにして追拂おひはらふのだけれど、あかり覺束おぼつかなさは、天井てんじやうからいきけると吹消ふつけされさうである。ちよろりと足許あしもとをなめられはしないかと、爪立つまだつほどに、しんきよしてるのだから、だらしはない。
 それでも少時しばらくは、ひつそりしておとひそめた。
 づは重疊ちようでふむかつて齒向はむかつてでもられようものなら、町内ちやうない夜番よばんにつけても、竹箒たかばうき[#ルビの「たかばうき」はママ]押取おつとつてたゝかはねばらないところを、とき敵手あひてげてくれるにかぎる。
「あゝ、地震ぢしんだ。」
 かすかながら、ハツとしてかまちまで飛返とびかへつて、
大丈夫々々だいぢやうぶ/\。」
 ほつとする。動悸どうきのまだやすまらないうちである。
 がさり。
 二三尺にさんじやく今度こんどは――荒庭あらには飛石とびいしのやうに、つゝんだまゝのがごろ/\してる。奧座敷おくざしき侵入しんにふした。――これおもふと、いつもの天井てんじやう※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)あれまはるのなどは、もののかずではない。
 すで古人こじんつた――物之最小而可憎者もののもつともせうにしてにくむべきは蠅與鼠はへとねずみである。蠅以癡。鼠以黠。はへはちをもつてしねずみはきつをもつてす其害物則鼠過於蠅そのものをがいするはすなはちねずみはへにすぐ其擾人則蠅過於鼠そのひとをみだすはすなはちはへねずみにすぐ……しかも驅蠅難於驅鼠はへをかるはねずみをかるよりもかたし。――ねずみふせぐことは、とらふせぐよりもかたい……とふのである。
 同感どうかんだ。――が、滿更まんざらうでもない。大家たいか高堂かうだうとゞかず、したがつてねずみおほければだけれども、ちひさな借家しやくやで、かべあなをつけて、障子しやうじりさへしてけば、けるほどでないねずみなら、むざとははひらぬ。
 いつもは、をつけてるのだから、臺所だいどころ、ものおきあらしても、めつたにたゝみませないのに、大地震おほぢしん一搖ひとゆれで、家中うちぢうあなだらけ、隙間すきまだらけで、我家わがや二階にかいでさへ、壁土かべつち塵埃ほこりすゝと、ふすま障子しやうじほねだらけな、おほきなものを背負せおつてるやうな場合ばあひだつたからたまらない。
勝手かつてにしろ。――また地震ぢしんだ。……ねずみなんかかまつちやられない。」
 あくる晩飯ばんめし支度前したくまへに、臺所だいどころから女中部屋ぢよちうべやけて、をんなたちがしきり立迷たちまよつて、ものをさがす。――君子くんし庖廚はうちうことになんぞ、くわんしないでたが、段々だん/\ちやり、座敷ざしきおよんで、たな小棚こだなきまはし、抽斗ひきだしをがたつかせる。ててもかれず、うしたとくと、「どうもへんなんですよ。」と不思議ふしぎがつて、わるく眞面目まじめかほをする。ハテナ、小倉をぐら色紙しきしや、たか一軸いちぢく先祖せんぞからないうちだ。うせものがしたところで、そんなにさわぐにはあたるまいとおもつた。が、さてくと、いやうして……色紙しきし一軸いちぢくどころではない。――大切たいせつ晩飯ばんめしさいがない。
 車麩くるまぶ紛失ふんしつしてる。
 みなさんは、御存ごぞんじであらうか……此品このしなを。……あなたがたが、女中ねえさんに御祝儀ごしうぎしてめしあがる場所ばしよなどには、けつしてあるものではない。かさ/\とかわいて、うづつて、ごと眞中まんなかあなのあいた、こゝを一寸ちよつとたばにしてゆはへてある……瓦煎餅かはらせんべいけたやうなものである。ざつみづけて、ぐいとしぼつて、醤油しやうゆ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かきまはせばぐにべられる。……わたしたち小學校せうがくかうかよ時分じぶんに、辨當べんたうさいが、よくこれだつた。
今日けふのおかずは?」
車麩くるまぶ。」
 と、からかふやうにおやたちにはれると、ぷつとふくれて、がつかりして、そしてべそをいたものである。其癖そのくせ學校がくかうで、おの/\をのぞきつくらをするときは「じやもんだい、清正きよまさだ。」とつて、まけをしみに威張ゐばつた、勿論もちろん結構けつこうなものではない。
 紅葉先生こうえふせんせいせつによると、「金魚麩きんぎよぶばゞもゝにくだ。」さうである。
 成程なるほどる。
 安下宿やすげしゆくさい一品ひとしなにぶつかると、
「またばゞもゝだぜ。」
おそれるなあ。」
 で同人どうにん嘆息たんそくした。――いまでも金魚麩きんぎよぶはう辟易へきえきする……が、地震ぢしん四日よつか五日いつかめぐらゐまでは、金魚麩きんぎよぶさへ乾物屋かんぶつや賣切うりきれた。また「いづみ干瓢鍋かんぺうなべか。車麩くるまぶか。」とつてともだちは嘲笑てうせうする。けれども、淡泊たんぱくで、無難ぶなんで、第一だいいち儉約けんやくで、君子くんしふものだ、わたしすきだ。がふまでもなく、それどころか、椎茸しひたけ湯皮ゆばもない。金魚麩きんぎよぶさへないものを、ちつとはましな、車麩くるまぶ猶更なほさらであつた。
 ……すでに、二日ふつか午後ごごけむり三方さんぱうながら、あきあつさは炎天えんてんより意地いぢわるく、くはふるに砂煙さえん濛々もう/\とした大地だいち茣蓙ござ一枚いちまい立退所たちのきじよから、いくさのやうなひとごみを、けつ、くゞりつ、四谷よつやとほりへ食料しよくれうさがしにて、煮染屋にしめやつけて、くづれたかはら壁泥かべどろうづたかいのをんで飛込とびこんだが、こゝろあての昆布こぶ佃煮つくだにかげもない。はぜ見着みつけたが、はうとおもふと、いつもは小清潔こぎれいみせなんだのに、硝子蓋がらすぶたなかは、とるとギヨツとした。眞黒まつくろられたはぜの、けてあたまぶやうな、一杯いつぱい跳上はねあが※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)とびまははへであつた。あをくひかやつも、パツ/\とあひまじはる。
 咽喉のどどころか、ない。
 はへうじも、とは、まさかひはしなかつたけれども、場合ばあひ……きれいきたないなんぞ勿體もつたいないと、たちのき場所ばしよ周圍しうゐからせつて、使つかひかはつて、もう一度いちど、その佃煮つくだにけつけたときは……先刻さき見着みつけたすこしばかりの罐詰くわんづめも、それもこれ賣切うりきれてなんにもなかつた。――第一だいいち、もうみせとざして、町中まちぢう寂然しんとして、ひし/\とうちをしめるおとがひしめいてきこえて、とざしたにはかげれせまるくもとともにをそゝぐやうにうつつたとふのであつた。
 繰返くりかへすやうだが、それが二日ふつかで、三日みつかひるすぎ、大雨おほあめよわてて、まだ不安ふあんながら、破家やぶれや引返ひきかへしてから、うす味噌汁みそしる蘇生よみがへるやうなあぢおぼえたばかりで、くわんづめの海苔のり梅干うめぼしのほかなんにもない。
 不足ふそくへた義理ぎりではないが……つたとほ干瓢かんぺう湯皮ゆば見當みあたらぬ。ふと中六なかろくとほりの南外堂なんぐわいだう菓子屋くわしやみせの、このところ砂糖氣さたうけもしめり鹽氣しほけもない、からりとして、たゞ箱道具はこだうぐみだれた天井てんじやうに、つゝみがみいと手繰たぐつて、くる/\と※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはりさうに、みぎ車麩くるまぶのあるのをつけて、おかみさんと馴染なじみだから、家内かないたのんで、ひとかゞり無理むりゆづつてもらつたので――少々せう/\おかゝをおごつてた。さかなにもさいにも、なか/\あぢわすれられない。
 ――も、晩飯ばんたのしみにしてたのであるから。……わたしじつは、すきばら餘程よほどこたへた。
 あの、昨夜ゆうべの(がさり)がれだ。
ねずみだよ、畜生ちくしやうめ。」
 それにしても、半分はんぶんたあとが、にしてざつ一斤入いつきんいれちやくわんほどのかさがあつたのに、何處どこさがしても、一片ひときれもないどころか、はて踏臺ふみだいつてて、押入おしいれすみのぞき、えん天井てんじやううらにつんだ古傘ふるがさなかまできさがしたが、かけらもなく、こなえない。
不思議ふしぎだわね。へんだ。ねずみならそれまでだけれど……」
 可厭いやかほをして、をんなたちは、はて氣味きみわるがつた。――もつと引續ひきつゞいた可恐おそろしさから、うはずつてはるのだけれど、ねずみえうちかいのでないと、吹消ふきけしたやうにはけさうもないとふので、薄氣味うすきみわるがるのである。
うかしてるんぢやないから。」
 つては、置場所おきばしよわすれたにしても、あまりなわすかただからと、をんなたちはわれ我身わがみをさへ覺束おぼつかながつてつのである。つあやかしにでも、かれたやうなくらかほをする。
 そのいろのたゞならないのをて、わたし心細こゝろぼそさびしかつた。
 いかに、天變てんぺんさいいへども、はねえて道理だうりがない。畜生ちくしやうねずみ所業しわざ相違さうゐあるまい。
 このときねずみにくさは、近頃ちかごろ片腹痛かたはらいたく、苦笑くせうをさせられる、あの流言蜚語りうげんひごとかをたくましうして、女小兒をんなこどもおびやかすともがらにくさとおなじであつた。……
 ……たとへば、地震ぢしんから、水道すゐだう斷水だんすゐしたので、此邊このへんさいはひに四五箇所しごかしよのこつた、むかしの所謂いはゆる番町ばんちやう井戸ゐどへ、家毎いへごとからみづもらひにむれをなしてく。……たちまをんなにはませないとやしき出來できた。どくうとかと言觸いひふらしたがためである。ときことで。……近所きんじよ或邸あるやしきへ……界隈かいわい大分だいぶはなれた遠方ゑんぱうからみづもらひにたものがある。たもののかほらない。不安ふあんをりだし、御不自由ごふじいうまことにおどくまをねるが、近所きんじよけるだけでもみづりない。外町ほかまちかたへは、とつて某邸ぼうていことわつた。――あくるあさいのちみづまうとすると、釣瓶つるべ一杯いつぱいきたなけものいてあがる……三毛猫みけねこ死骸しがい投込なげこんであつた。そのことわられたものの口惜くやしまぎれの惡戲いたづらだらうとふのである。――あさことで。……
 すぐばんつじ夜番よばんで、わたしつて、ぶるひをしたわかひとがある。本所ほんじよからからうじてのがれて避難ひなんをしてひとだつた。
近所きんじよでは、三人さんにんにましたさうですね、どくはひつた井戸水ゐどみづんで……大變たいへんことりましたなあ。」
 いやうして、うまれかゝつた嬰兒あかんぼはあるかもらんが、んだらしいのは一人ひとりもない。
とんでもない――だれにおきにりました。」
「ぢき、横町よこちやうの……なんの、車夫わかいしゆに――」
 もう翌日よくじつ本郷ほんがうから見舞みまひてくれたともだちがつてた。
「やられたさうだね、井戸ゐどみづで。……うもわたしたちのはう大警戒だいけいかいだ。」
 じつところは、たんねこ死體したいふのさへ、自分じぶんたものはなかつたのである。
 天明てんめいろく丙午年ひのえうまどしは、不思議ふしぎ元日ぐわんじつ丙午ひのえうまとし皆虧かいきしよくがあつた。はるよりして、流言妖語りうげんえうごさかんおこなはれ、十月じふぐわつ十二日じふににちには、たちまち、兩水道りやうすゐだうどくありと流傳りうでんし、市中しちう騷動さうどうふべからず、諸人しよにんみづさわぐこと、さわぐがごとし。――とおもむき京山きやうざんの(蜘蛛くも絲卷いとまき)にえる。……諸葛武侯しよかつぶこう淮陰侯わいいんこうにあらざるものの、流言りうげん智慧ちゑは、いつものくらゐのところらしい。
 しかし五月蠅うるさいよ。
 てつぼうつゑをガンといつて、しりまくりのたくましい一分刈いちぶがり凸頭でこあたまが「麹町かいぢまち六丁目ろくちやうめやけとるで! いまぱつといたところだ、うむ。」と炎天えんてんに、赤黒あかぐろい、あぶらぎつたかほをして、をきよろりと、かたをゆがめて、でくりととほる。
 一晩ひとばんうちはひつてたばかりだ。みなワツとつて駈出かけだした。
「おきなさるな、くまい。……いま火元ひもとしんぜる。」
 と町内第一ちやうないだいいち古老こらうで、こんしろ浴衣ゆかた二枚にまいかさねた禪門ぜんもんかね禪機ぜんき居士こじだとふが、さとりひらいてもまよつても、みなみいて近火きんくわではたまらない。あついからむねをはだけて、尻端折しりはしよりで、すた/\と出向でむかはれた。かへりには、ほこりのひどさに、すつとこかぶりをしてられたが、
なんことぢや、おほゝ、成程なるほどけとる。ぱつ[#「火+發」、U+243CB、268-12]あがつたところぢやが、燒原やけはらつとる土藏どざうぢやて。あのまゝ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かけまはつてもちかまはりにけるものはなんにもないての。おほゝ。安心々々あんしん/\。」
 それでも、たれもが、御老體ごらうたいすくはれたごとくにかんじて、こと/″\前者ぜんしや暴言ばうげんうらんだ。――ところで、その鐵棒かなぼうをついたでこがとふと、みぎ禪門ぜんもん一家いつか、……どころか、せがれなのだからおもしろい。
 文政十二年ぶんせいじふにねん三月二十一日さんぐわつにじふいちにち早朝さうてうより、いぬゐかぜはげしくて、さかりさくらみだし、花片はなびらとともに砂石させきばした。……巳刻半みのこくはん神田かんだ佐久間町河岸さくまちやうがし材木納屋ざいもくなやからはつして、ひろ十一里じふいちり三十二町半さんじふにちやうはんき、幾千いくせんひところした、はしけたことも、ふねけたことも、今度こんど火災くわさいによくる。材木町ざいもくちやう陶器屋たうきやつま嬰兒あかごふところに、六歳ろくさいになる女兒をんなのこいて、すさまじ群集ぐんしふのなかをのがれたが、大川端おほかはばたて、うれしやとほつ呼吸いきをついて、こゝろづくと、ひとごみに揉立もみたてられたために、いたは、なしにうでひとつだけのこつた。女房にようばうは、おどろきかなしみ、哀歎あいたんのあまり、嬰兒あかごうでひとつきしめたまゝ、みづとうじたとふ。悲慘ひさんなのもあれば、ふねのがれた御殿女中ごてんぢよちうが、三十幾人さんじふいくにん帆柱ほばしらさきからけて、振袖ふりそでつまも、ほのほとともに三百石積さんびやくこくづみけまはりながら、みづあかつたと凄慘せいさんなのもある。そのほとん今度こんどとおなじやうなのがいくらもある。なかにはのまゝらしいのさへすくなくない。
 餘事よじだけれど、大火たいくわに――茅場町かやばちやう髮結床かみゆひどこ平五郎へいごらう床屋とこやがあつて、ひとみなかれを(床平とこへい)とんだ。――これけた。――ときころ奧州あうしう得平とくへいふのが、膏藥かうやく呼賣よびうりをして歩行あるいておこなはれた。
奧州あうしう仙臺せんだい岩沼いはぬまの、得平とくへい膏藥かうやくは、
 あれや、これやに、かなんだ。
 あかぎれなんどにや、よくいた。)
 そこで床平とこへいが、自分じぶんやけあとへ貼出はりだしたのは――
うしよう、身代しんだいいまに、床平とこへいけた。
 みづや、火消ひけしぢやえなんだ。
 曉方あけがたなんどにや、やつとえた。)
 つたな、親方おやかた。お救米すくひまいみながら、江戸兒えどつこ意氣いきおもふべしである。
 のおなじ火事くわじに、靈岸島れいがんじまは、かたりぐさにするのも痛々いた/\しくはゞかられるが、あはれ、今度こんど被服廠ひふくしやうあとで、男女だんぢよ死體したい伏重ふしかさなつた。こゝへつたお救小屋すくひごやへ、やみのは、わあツと泣聲なきごゑ、たすけて――と悲鳴ひめいが、そこからきこえて、幽靈いうれいあらはれる。
 しきりもない小屋内こやうちが、らぬだに、おびえるところ一齊いちどき突伏つツぷさわぎ。やゝたしかなのが、それでもわづか見留みとめると、黒髮くろかみみだした、わかをんなの、しろ姿すがたで。……るまにかげになつて、フツとえる。
 その混亂こんらんのあとには、持出もちだした家財かざい金目かなめのものがすくなからず紛失ふんしつした。娯樂ごらくものの講談かうだんに、近頃ちかごろ大立おほだてものの、岡引をかつぴきが、つけて、つて、さだめて、御用ごようと、ると、幽靈いうれいは……わかをんなとはたものの慾目よくめだ。じつ六十幾歳ろくじふいくさい婆々ばゞで、かもじをみだし、しろぬのを裸身はだかみいた。――背中せなかに、引剥ひつぺがした黒塀くろべいいた一枚いちまい背負しよつてる。それ、トくるりと背後うしろきさへすれば、立處たちどころ暗夜やみ人目ひとめえたのである。
 わたしは、安直あんちよく卷莨まきたばこかしながら、夜番よばん相番あひばんと、おなじ彌次やじたちにはなしをした。
 三日みつかともたないに……
「やあ、えらいことりました。……柳原やなぎはらやけあとへ、うです。……夜鷹よたかよりさき幽靈いうれいます。……わかをんな眞白まつしろなんで。――自警隊じけいたい一豪傑あるがうけつがつかまへてると、それがばゞあだ。かつらをかぶつて、黒板くろいた……」
 と、黄昏たそがれ出會頭であひがしらに、黒板塀くろいたべい書割かきわりまへで、立話たちばなしはなしかけたが、こゝまで饒舌しやべると、わたしかほて、へん顏色かほつきをして、
「やあ、」
 とつて、おこつたやうに、黒板塀くろいたべいれてかくれた。
 じつは、わたしは、ひとはなしたのであつた。
 こんなのは、しかし憎氣にくげはない。
 ふたゝ幾日いくにち何時なんじごろに、第一震だいいつしん以上いじやうゆりかへしがる、そのとき大海嘯おほつなみがともなふと、何處どこかの豫言者よげんしやはなしたとか。なんほこら巫女みこは、やけのこつた町家まちやが、つたまゝ、あとからあとからスケートのやうに※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かけまはゆめたなぞと、こゑひそめ、小鼻こばなうごかし、眉毛まゆげをびりゝとしたなめずりをしてふのがある。段々だん/\さむさにむかふから、のついたいへのスケートとはかんがへた。……
 女小兒をんなこどもはそのたびにあをる。
 やつと二歳ふたつ嬰兒あかんぼだが、だゞをねてことかないと、それ地震ぢしんるぞとおやたちがおどすと、
「おんもへ、ねんね、いやよう。」
 と、ひい/\いて、しがみついて、ちひさくる。
 近所きんじよには、六歳ろくさいかにをとこで、恐怖きようふあまくるつて、八疊はちでふ二間ふたまを、たてともはずよこともはず、くる/\※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かけまはつてまらないのがあるといた。
 スケートが、うしたんだ。
 われく。――正始せいしとき中山ちうざん周南しうなんは、襄邑じやういふちやうたりき。一日あるひづるに、もん石垣いしがき隙間すきまから、大鼠おほねずみがちよろりとて、周南しうなんむかつてつた。此奴こいつ角巾つのづきん帛衣くろごろもしてたとふ。一寸ちよつとくつさき團栗どんぐりちたやうなかたちらしい。たゞしその※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)ふうばう地仙ちせんかく豫言者よげんしやがいがあつた。小狡こざかしきで、じろりとて、
「お、お、周南しうなんよ、なんぢそれつきそれもつまさぬべきぞ。」
 とつた。
 したゝかなえうである。
 ところ中山ちうざん大人物だいじんぶつは、天井てんじやうがガタリとつても、わツと飛出とびだすやうな、やにツこいのとは、口惜くやしいが鍛錬きたへちがふ。
「あゝ、やうか。」
 とつて、らんかほをしてましてた。……ことばとなまぬるいやうだけれど、そこが悠揚いうやうとしてせまらざるところである。
 鼠還穴ねずみあなにかへる
 その某月ぼうげつなかばに、今度こんどは、ねずみ周南しうなんしつあらはれた。もの/\しく一揖いちいふして、
「お、お、周南しうなんよ。なんぢつき幾日いくじつにしてまさぬべきぞ。」
 とつた。
「あゝ、やうか。」
 ねずみはしらかくれた。やがて、のろへるの、七日前なぬかまへに、傲然がうぜんた。
「お、お、周南しうなんよ。なんぢ旬日じゆんじつにしてまさぬべきぞ。」
「あゝ、やうか。」
 丁度ちやうど七日なぬかめのあさは、ねずみいそいでた。
「お、お、周南しうなんよ。なんぢ今日こんにちうちに、まさぬべきぞ。」
「あゝ、やうか。」
 ねずみあわてたやうに、あせり氣味ぎみにちかつた。
「お、お、周南しうなんなんぢ日中につちうにしてまさぬべきぞ。」
「あゝ、やうか。」
 おなところ自若じじやくとして一人ひとりると、まさにそのひるならんとして、ねずみが、幾度いくたびたりはひつたりした。
 やがてつて、とがらし、しやがれごゑして、
周南しうなんなんぢなん。」
「あゝ、やうか。」
周南しうなん周南しうなん、いまぬぞ。」
やうか。」
 とつた。が、ちつともなない。
よわつた……遣切やりきれない。」
 とふとひとしく、ひつくりかへつて、ねずみがころつとんだ。同時どうじに、づきんきものえてつた。襄邑じやういふちやう、そのとき思入おもいれがあつて、じつとると、つね貧弱ひんじやくねずみのみ。周南壽しうなんいのちながし。とふのである。
 流言りうげんはへ蜚語ひごねずみ、そこらの豫言者よげんしやたいするには、周南先生しうなんせんせい流儀りうぎかぎる。
 ことあつてのちにして、前兆ぜんてうかたるのは、六日むいか菖蒲あやめだけれども、そこに、あきらめがあり、一種いつしゆのなつかしみがあり、深切しんせつがある。あはれさ、はかなさのじやうふくむ。
 しほのさゝない中川筋なかがはすぢへ、おびたゞしいぼらあがつたとふ。……横濱よこはまでは、まち小溝こみぞいわしすくへたとく。……かつつくだから、「かにや、大蟹おほがにやあ」でる、こゑわかいが、もういゝ加減かげんぢいさんのふのに、小兒こども時分じぶんにやあ兩國下りやうごくしたいわしがとれたとはなした、わたし地震ぢしん當日たうじつ、ふるへながら、「あゝ、こんなときには、兩國下りやうごくしたいわしはしないかな。」と、にもつかないが、事實じじつそんなことおもつた。
 あの、磐梯山ばんだいさん噴火ふんくわして、一部いちぶ山廓さんくわくをそのまゝみづうみそこにした。……その前日ぜんじつ、おなじやま温泉おんせん背戸せどに、物干棹ものほしざをけた浴衣ゆかたの、日盛ひざかりにひつそりとしてれたのが、しみせみこゑばかり、微風かぜもないのに、すそひるがへして、上下うへしたにスツ/\とあふつたのを、生命いのちたすかつたものがたとふ。――はものすごい。
 うしたことは、けばいくらもあらうとおもふ。さきの思出おもひで、のちのたよりにるべきである。
 ところで、わたしたちのまち中央まんなかはさんで、大銀杏おほいてふ一樹ひときと、それから、ぽぷらの大木たいぼく一幹ひともとある。ところたけも、えだのかこみもおなじくらゐで、はじめはつゐ銀杏いてふかとおもつた。――のぽぷらは、七八年前しちはちねんぜんの、あのすさまじい暴風雨ばうふううとき、われ/\をおどろかした。があけるとたちまえなくつた。が、屋根やねうへえたので、じつみきなかばかられたのであつた。のびるのがはやい。いまではふたゝび、もとのとほこずゑたかし、しげつてる。暴風雨ばうふううまへ二三年にさんねん引續ひきつゞいて、兩方りやうはう無數むすう椋鳥むくどりれてた。ねぐらえだあらそつて、揉拔もみぬかれて、一羽いちはバタリとちてまはしたのを、みづをのませていきかへらせて、そしてはなしたひとがあつたのをおぼえてる。
 見事みごとれてた。
 以前いぜんなにかにわたしが、「田舍ゐなかから、はじめて新橋しんばしいた椋鳥むくどり一羽いちは。」とかいたのを、紅葉先生こうえふせんせいわらひなすつたことがある。「ちがふよ、おまへ椋鳥むくどりふのはれてるからなんだよ。一羽いちはぢやいけない。」成程なるほどむれてるものだとおもつた。
 暴風雨ばうふううとしから、ばつたりなくつた。それが、今年ことし、しかもあの大地震おほぢしんまへ暮方くれがたに、そらなみのやうにれてわたりついた。ぽぷらのに、どつとまると、それからの喧噪さわぎふものは、――チチツ、チチツと百羽ひやつぱ二百羽にひやつぱ一度いちどこゑて、バツとこずゑ飛上とびあがると、またさつえだにつく。むわるわ。つとこずゑしづまつたとおもふと、チチツ、チチツとててまたパツとえだ飛上とびあがる。曉方あけがたまでがなかつた。
 今年ことし非常ひじやうあつさだつた。また東京とうきやうらしくない、しめりびた可厭いや蒸暑むしあつさで、息苦いきぐるしくして、られぬばん幾夜いくよつゞいた。おなじくあつかつた。一時頃いちじごろまで、みな戸外おもてすゞんでて、なんさわかただらう、何故なぜあゝだらう、からすふくろおどろかされるたつて、のべつにさわわけはない。ねぐらりない喧嘩けんくわなら、銀杏いてふはうへ、いくらかわかれたらささうなものだ。――うだ、ぽぷらのばかりでさわぐ。……銀杏いてふ星空ほしぞら森然しんとしてた。
 これは、大袈裟おほげさでない、たれつてる。られないほど、ひつきりなしに、けたゝましく鳴立なきたてたのである。
 あさはひつそりした。が、今度こんど人間にんげんはうこゑげた。「やあ、あらものばあさん。……うでえ、昨夜ゆうべの、あの椋鳥むくどり畜生ちくしやうさわかたは――ぎやあ/\、きい/\、ばた/\、ざツ/\、騷々さう/″\しくつて、騷々さう/″\しくつて。……俺等おいら晝間ひるまつかれてるのに、からつきしられやしねえ。もの干棹ほしざをながやつ持出もちだして、※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かきまはして、引拂ひつぱたかうとおもつても、二本にほんいでもとゞくもんぢやねえぢやあねえか。たかくつてよ。なあばあさん、椋鳥むくどり畜生ちくしやう、ひどいはしやがるぢやあねえか。」と大聲おほごゑわめいてるのがよくきこえた。まだ、わたしたち朝飯あさめしまへであつた。
 これをさまると、一時ひとしきりたゝきつけて、屋根やねかきみだすやうな風雨あめかぜつた。驟雨しううだから、東京中とうきやうぢうにはらぬところもあつたらしい。いきくやうに、一度いちどんで、しばらくぴつたとしづまつたとおもふと、いとゆすつたやうにかすかたのが、たちまち、あの大地震おほぢしんであつた。
前兆ぜんてうだつたぜ――おらたしか前兆ぜんてうだつたとおもふんだがね。あのまへばんから曉方あけがたまでの椋鳥むくどりさわぎやうとつたら、なあ、ばあさん。……ぎやあ/\ぎやあ/\夜一夜よつぴてだ。――おまへさん。……なあ、ばあさん、あらものばあさん、なあ、ばあさん。」
 どくらしい。……一々いち/\、そのぽぷらに間近まぢか平屋ひらやのある、あらものばあさんを、つじ番小屋ばんごやからすのは。――こゝでわかつた――植木屋うゑきや親方おやかただ。へゞれけに醉拂よつぱらつて、向顱卷むかうはちまきで、くはけたやつを、夜警やけいものに突張つツぱりながら、
「なあ、ばあさん。――あらものばあさんが、つてるんだ。椋鳥むくどり畜生ちくしやう、もの干棹ほしざを引掻ひきか※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはいてくれようと、幾度いくど飛出とびだしたかわからねえ。たけえからとゞかねえぢやありませんかい。うだらう、うだとも。――なあ、ばあさん、あらものばあさん、なあ、ばあさん。」
 ふり※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはくはをよけながら、いや、おばあさんばかりぢやありません、みなつてるよ、とつてもつてるから承知しようちをしない。「なあ、ばあさん、椋鳥むくどりのあのさわかたは。」――と毎晩まいばんのやうに怒鳴どなつたものである。
 ……はなし騷々さう/″\しい。……しづかにしよう。それでなくてさへのぼせて不可いけない。あゝ、しかし陰氣いんきると滅入めいる。

 がさり。
 またねずみだ、奸黠かんきつなるねずみ豫言者よげんしやよ、小畜せうちくよ。
 さて、車麩くるまぶ行方ゆくへは、やがてれた。つたのでもなんでもない。地震騷ぢしんさわぎのがらくただの、風呂敷包ふろしきづつみを、ごつたにしたゝか積重つみかさねたとこおくすみはう引込ひつこんであつたのをのちつけた。畜生ちくしやう水道すゐだうて、電燈でんとうがついて、豆府屋とうふやるから、もうつよいぞ。
 ……がたのいた、そんなものは、掃溜はきだめ打棄うつちやつた。
 がさり。がら/\/\。
 あの、とほりだ。さすがに、たゝみうへへはちかづけないやうにふせぐが、天井裏てんじやううらから、臺所だいどころねずみえたことは一通ひととほりでない。
 近所きんじよで、ちひさなが、おもちやに小庭こにはにこしらへた、箱庭はこにはのやうな築山つきやまがある。――其處そこへ、午後二時ごごにじごろ、眞日中まつぴなかともはず、毎日まいにちのやうに、おなじ時間じかんに、えんしたから、のそ/\と……たな、豫言者よげんしや。……灰色はひいろ禿げた古鼠ふるねずみが、八九疋はつくひき小鼠こねずみをちよろ/\とれてて、日比谷ひびや一散歩ひとさんぽつたつらで、をけぐらゐに、ぐるりと一巡ひとめぐり二三度にさんどして、すましてまたえんしたはひつてく。
氣味きみわるくてがつけられません。」
地震以來ぢしんいらい、ひとを馬鹿ばかにしてるんですな。」
 と、そのおやたちがはなしてた。
「……車麩くるまぶだつてさ……つてたよ。あの、ばうのおにはへ。――やまのね、やまのまはりを引張ひつぱるの。……くるま眞似まねだか、あの、オートバイだか、電車でんしや眞似まねだか、ガツタン、ガツタン、がう……」
 と、そのなゝつにが、いたいけにまたはなした。
 わたしなんだか、薄氣味うすきみわるおもひがした。
 はへいたことはふまでもなからう。ねずみがそんなに跋扈ばつこしては、夜寒よさむ破襖やぶれぶすまうしよう。
 野鼠のねずみ退治たいぢるものはたぬきく。……本所ほんじよ麻布あざぶつゞいては、このあたり場所ばしよだつたとふのに、あゝ、そのたぬきかげもない。いや、なにより、こんなときねこだが、飼猫かひねこなんどは、ごろ人間にんげんとともに臆病おくびやうで、ねこが(ねこ)につて、ぼやけてる。
 ときなるかな。てん配劑はいざいめうである。如何いか流言りうげんいたねずみでも、オートバイなどでひともなげに※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)かけまはられてはたまらないとおもふと、どしん、どしん、がら/\がらと天井てんじやうつかけ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはし、どぶなかつてたふし、んでみふせる勇者ゆうしやあらはれた。
 かれいたちである。
 までふることでもない。いまの院線ゐんせんがまだつうじない時分じぶんには、土手どて茶畑ちやばたけで、たぬきが、ばつたおさへたとふ、番町邊ばんちやうへんに、いつでもさうなへびいたちを、つひぞことがなかつたが。……それが、どぶはしり、床下ゆかしたけて、しば/\人目ひとめにつくやうにつたのは、去年きよねん七月しちぐわつ……番町學校ばんちやうがくかう一燒ひとやけにけた前後あとさきからである。あの、時代じだいのついた大建おほだてものの隨處ずゐしよすくつたのが、のためにつたか、あるひけて界隈かいわいげたのであらう。
 不斷ふだんは、あまり評判ひやうばんのよくないやつで、肩車かたぐるま二十疋にじつぴき三十疋さんじつぴき狼立おほかみだち突立つツたつて、それが火柱ひばしらるの、三聲みこゑつゞけて、きち/\となくとたゝるの、みちるとわるいのとふ。……よくとしよりがつてかせた。――ひるがへつておもふに、おのづからはゞかるやうに、ひとからとほざけて、渠等かれら保護ほごする、こゝろあつた古人こじん苦肉くにくはかりごとであらうもれない。
 一體いつたいが、一寸ちよつと手先てさきで、障子しやうじ破穴やぶれあなやうかほでる、ひたひしろ洒落しやれもので。……
 越前國ゑちぜんのくに大野郡おほのごほり山家やまがむらことである。はる小正月こしやうぐわつわかいものは、家中いへぢうみなあそびにた。ぢいさまもみにく。うきましたばあさんが一人ひとり爐端ろばた留守るすをして、くらともしで、絲車いとぐるまをぶう/\と、藁屋わらやゆきが、ひらがなで音信おとづれたやうなむかしおもつて、いとつてると、納戸なんど障子しやうじやぶれから、すきかぜとともに、すつと茶色ちやいろ飛込とびこんだものがある。白面はくめん黄毛くわうまう不良青年ふりやうせいねん見紛みまがふべくもないいたちで。木尻座きじりざむしろに、ゆたかに、かどのある小判形こばんがたにこしらへてんであつたもちを、一枚いちまい、もろ前脚まへあし抱込かゝへこむと、ひよいとかへして、あたませて、ひとかるうねつて、びざまにもとの障子しやうじあなえる。えるかとおもふと、たちまて、だまつてまたもちいたゞいて、すつと引込ひつこむ。「おゝ/\わるがきがの……そこが畜生ちくしやうあさましさぢや、澤山たんとうせいよ。ばいて障子しやうじければ、すぐに人間にんげんもどるぞの。」と、ばあさんは、つれ/″\の夜伽よとぎにするで、たくみな、そのもちはこかたを、ほくそゑみをしながらた。
 わかいものがかへると、はなしをして、畜生ちくしやう智慧ちゑわらはずが、あにはからんや、ベソをいた。もち一切ひときれもなかつたのである。
 ほどたつて、裏山うらやま小山こやまひとした谷間たにあひいはあなに、うづたかく、そのもちたくはへてあつた。いたちひとつでない。爐端ろばたもちいたゞくあとへ、そろへ、あたまをならべて、幾百いくひやくれつをなしたのが、一息ひといきに、やまひとはこんだのであるとふ。洒落しやれれたもので。
 ……うち二三年にさんねんあそんでた、書生しよせいさんの質實じみくちから、しか實驗談じつけんだんかされたのである。が、いさゝたくみぎるとおもつた。
 のちに、春陽堂しゆんやうだう主人しゆじんいた。――和田わださんがまだ學校がくかうがよひをして、本郷ほんがう彌生町やよひちやうの、ある下宿げしゆくとき初夏しよかゆふべ不忍しのばずはすおもはず、りとて數寄屋町すきやまち婀娜あだおもはず、下階した部屋へや小窓こまど頬杖ほゝづゑをついてると、まへにはで、牡鷄をんどりがけたゝましく、きながら、あふつて、ばた/\と二三尺にさんじやく飛上とびあがる。飛上とびあがつては引据ひきすゑらるゝやうに、けたゝましくいてちて、また飛上とびあがる。
 講釋師かうしやくしふ、やりのつかひてにのろはれたやうだがと、ふとると、赤煉蛇やまかゞしであらう、たそがれに薄赤うすあかい、およ一間いつけん六尺ろくしやくあま長蟲ながむしが、がけ沿つた納屋なやをかくして、鎌首かまくびとりせまる、あますところ四五寸しごすんのみ。
 和田わださんはへびおそれない。
 ぱなしの書生しよせいさんの部屋へやだから、ぐにあつた。――ステツキるやいなや、畜生ちくしやうつて、まど飛下とびおりると、うだらう、たゝきもひしぎもしないうちに、へびが、ぱツと寸々ずた/\れてとをあまりにけて、蜿々うね/\つてうごめいた。これにはおもはず度肝どぎもかれてこしおとしたさうである。
 が、へびではない。つて肩車かたぐるました、いたちながれつみだれたのであつた。
 大野おほのはなしうなづかれて、そのはたらきもさつしらるゝ。
 かの、(リノキ、チツキテビー)よ。わが鼬將軍いたちしやうぐんよ。いたづらにとりなどかまふな。毒蛇コブラ咬倒かみたふしたあとは、ねがはくはねずみれ。はへでは役不足やくぶそくであらうもれない。きみは獸中ぢうちうはやぶさである。……
大正十二年十一月





底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「間引菜まびきな」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「火+發」、U+243CB    268-12


●図書カード