雨ふり

泉鏡太郎




 一瀬ひとせひくたきさつくだいて、さわやかにちてながるゝ、桂川かつらがは溪流けいりうを、石疊いしだたみいたみづうへせきなかばまで、足駄穿あしだばきわたつてて、貸浴衣かしゆかたしりからげ。こずゑ三階さんがい高樓かうろう屋根やねき、えだかはなかばへ差蔽さしおほうたけやきしたに、片手かたて番傘ばんがさを、トンとかたたせながら、片手釣かたてづりかる岩魚いはなつて浴客よくきやく姿すがたえる。
 片足かたあしは、みづ落口おちくちからめて、あしのそよぐがごとく、片足かたあしさぎねむつたやうにえる。……せきかみみづ一際ひときはあをんでしづかである。其處そこには山椿やまつばき花片はなびらが、のあたり水中すゐちういはいはび、胸毛むなげ黄色きいろ鶺鴒せきれい雌鳥めんどりふくみこぼした口紅くちべにのやうにく。
 あめはしと/\とるのである。上流じやうりうあめは、うつくしきしづくゑがき、下流かりう繁吹しぶきつてる。しと/\とあめつてる。
 このくらゐのあめは、たけがさおよぶものかと、半纏はんてんばかりの頬被ほゝかぶりで、釣棹つりざをを、いてしよ、とこしにきめた村男むらをとこが、山笹やまざさ七八尾しちはつぴき銀色ぎんいろ岩魚いはなとほしたのを、得意顏したりがほにぶらげつゝ、若葉わかばかげきしづたひに、上流じやうりう一本橋いつぽんばしはうからすた/\と跣足はだした。が、をりからのたそがれに、しろし、めて、くる/\くる、カカカと調しらぶる、たきしたなる河鹿かじかこゑに、あゆみめると、其處そこ釣人つりてを、じろりと見遣みやつて、むなしいかれこしつきと、ものとを見較みくらべながら、かたまけると笑方ゑみかたの、半面はんめんおほニヤリにニヤリとして、岩魚いはな一振ひとふり、ひらめかして、また、すた/\。……で、すこしきしをさがつたところで、中流ちうりう掛渡かけわたした歩板あゆみいたわたると、其處そこ木小屋きごやはしらばかり、かこひあらい「獨鈷とつこ。」がある。――屋根やねいても、いたつても、一雨ひとあめつよくかゝつて、水嵩みづかさすと、一堪ひとたまりもなく押流おしながすさうで、いつもうしたあからさまなていだとふ。――
 半纏着はんてんぎは、みづあさいしおこして、山笹やまざさをひつたりはさんで、細流さいりう岩魚いはなあづけた。溌剌はつらつふのはこれであらう。みづ尾鰭をひれおよがせていははしる。そのまゝ、すぼりと裸體はだかつた。半纏はんてんいだあとで、ほゝかぶりをつて、ぶらりとげると、すぐに湯氣ゆげとともにしろかたまるこしあひだけて、一個いつこたちまち、ぶくりといた茶色ちやいろあたまつて、そしてばちや/\とねた。
 ときに、一名いちめい弘法こうぼふ露呈あらはなことは、白膏はくこう群像ぐんざうとまではかないが、順禮じゆんれい道者だうじやむらむすめ嬰兒あかんぼいたちゝく……ざい女房にようばう入交いれまじりで、下積したづみ西洋畫せいやうぐわかは洗濯せんたくする風情ふぜいがある。
 この共同湯きようどうゆむかがはは、ふちのやうにまたみづあをい。對岸たいがん湯宿ゆやど石垣いしがきいた、えだたわゝ山吹やまぶきが、ほのかにかげよどまして、あめほそつてる。湯氣ゆげかすみつたやうにたなびいて、人々ひと/″\裸像らざうときならぬ朧月夜おぼろづきよかげゑがいた。
 肝心かんじんこと言忘いひわすれた。――木戸錢きどせんはおろか、遠方ゑんぱうから故々わざ/\汽車賃きしやちんして、おはこびにつて、これを御覽ごらんなさらうとする道徳家だうとくか信心者しんじんしやがあれば、さへぎつておまをす。――如何いかんとなれば、座敷ざしき肱掛窓ひぢかけまどや、欄干らんかんから、かゝる光景くわうけいられるのは、ねんたゞ一兩度いちりやうどださうである。時候じこうと、ときと、光線くわうせんの、微妙びめう配合はいがふによつて、しかも、品行ひんかう方正はうせいなるものにのみあらはるゝ幻影まぼろしだと、宿やど風呂番ふろばんの(しんさん)がつた。――あんずるに、これ修善寺しゆぜんじ温泉いでゆける、河鹿かじか蜃氣樓しんきろうであるらしい。かた/″\、そんなことはあるまいけれども、獨鈷とつこかゝ状態じやうたいをあてにして、おかけにつては不可いけない。……

 ゴウーンとあめこもつて、修禪寺しゆぜんじくれつのかねが、かしらをつと、それ、ふツとみなえた。……むく/\と湯氣ゆげばかり。せきつりをする、番傘ばんがさきやくも、けやきくらくなつて、もうえぬ。
 葉末はずゑ電燈でんとうしづくする。
 女中ぢよちう廊下らうかを、ばた/\とぜんはこんでた。有難ありがたい、一銚子ひとてうしとこさくらもしつとりとさかりである。
 が、取立とりたてて春雨はるさめのこの夕景色ゆふげしきはなさうとするのが趣意しゆいではない。今度こんど修善寺しゆぜんじゆきには、お土産話みやげばなしひとつある。
 何事なにごとも、しかし、まと打撞ぶつかるまでには、ゆみへども道中だうちうがある。つてふのではないけれども、ひよろ/\夜汽車よぎしやさまから、御一覽ごいちらんねがふとしよう。
 まづもつて、修善寺しゆぜんじくのに夜汽車よぎしや可笑をかしい。其處そこ仔細しさいがある。たま/\の旅行りよかうだし、靜岡しづをかまで行程ゆきして、都合つがふで、あれから久能くのう※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはつて、龍華寺りうげじ――一方ひとかたならず、わたしのつたないさくおもつてくれた齋藤信策さいとうしんさくひと)さんのはかがある――其處そこ參詣さんけいして、蘇鐵そてつなか富士ふじよう。それから清水港しみづみなととほつて、江尻えじりると、もう大分だいぶん以前いぜんるが、神田かんだ叔父をぢ一所いつしよとき、わざとハイカラの旅館りよくわんげて、道中繪だうちうゑのやうな海道筋かいだうすぢ町屋まちやなかに、これがむかし本陣ほんぢんだと叔父をぢつただゞつぴろ中土間なかどまおくけた小座敷こざしきで、おひらについた長芋ながいも厚切あつぎりも、大鮪おほまぐろ刺身さしみあたらしさもおぼえてる。「いまとほつてた。あの土間どまところこしけてな、草鞋わらぢ一飯したくをしたものよ。爐端ろばた挨拶あいさつをした、面長おもながばあさんをたか。……時分じぶんは、島田髷しまだまげなやませたぜ。」と、手酌てじやくひつかけながら叔父をぢつた――ふる旅籠はたご可懷なつかしい。……
 それとも、靜岡しづをかから、すぐに江尻えじり引返ひきかへして、三保みほ松原まつばら飛込とびこんで、天人てんにん見參けんざんし、きものをしがるつれをんなに、羽衣はごろも瓔珞えうらくをがませて、小濱こはま金紗きんしやのだらしなさを思知おもひしらさう、ついでに萬葉まんえふいんむすんで、山邊やまべ赤人あかひとを、もゝはなかすみあらはし、それ百人一首ひやくにんいつしゆ三枚さんまいめだ……田子たごうら打出うちいでてれば白妙しろたへの――ぢやあない、……田子たごうらゆ、さ、打出うちいでてれば眞白ましろにぞ、だと、ふだん亭主ていしゆ彌次喜多やじきたあつかをんなに、學問がくもんのあるところせてやらう。たゞしどつちみち資本もとかゝる。
 湯治たうぢ幾日いくにち往復わうふく旅錢りよせんと、切詰きりつめた懷中ふところだし、あひりませうことならば、のうちに修善寺しゆぜんじまで引返ひきかへして、一旅籠ひとはたごかすりたい。名案めいあんはないかな、とごとあんずると……あゝ、いまにして思當おもひあたつた。人間にんげん朝起あさおきをしなけりや不可いけない。東京驛とうきやうえき一番いちばんてば、無理むりにも右樣みぎやう計略けいりやくおこなはれないこともなささうだが、籠城ろうじやう難儀なんぎおよんだところで、夜討ようち眞似まねても、あさがけの出來できない愚將ぐしやうである。くだいてへば、夜逃よにげ得手えてでも、朝旅あさたび出來できない野郎やらうである。あけがた三時さんじきて、たきたての御飯ごはん掻込かつこんで、四時よじ東京驛とうきやうえきなどとはおもひもらない。――名案めいあんはないかな――こゝへ、下町したまちねえさんで、つい此間このあひだまで、震災しんさいのためにげてた……元來ぐわんらい靜岡しづをかには親戚しんせきがあつて、あきらかな、いき軍師ぐんしあらはれた。
「……九時五十分くじごじつぷんかの終汽車しまひぎしやで、東京とうきやうるんです。……靜岡しづをかへ、ちやうど、あけにきますから。それだと、どつちをけんぶつしても、のうちに修善寺しゆぜんじまゐられますよ。」
 めう
 なるかなさら一時間いちじかんいくらとふ……三保みほ天女てんによ羽衣はごろもならねど、におたからのかゝるねえさんが、世話せわになつたれいかた/″\、親類しんるゐようたしもしたいから、お差支さしつかへなくば御一所ごいつしよに、――お差支さしつかへ?……おつしやるもんだ! 至極しごく結構けつこう。で、たゞもんめ連出つれだ算段さんだん。あゝ、紳士しんし客人きやくじんには、あるまじき不料簡ふれうけんを、うまれながらにして喜多八きたはちしやうをうけたしがなさに、かたじけねえと、安敵やすがたきのやうなゑみらした。
 ところで、その、お差支さしつかへのなさをうらがきするため、かね知合しりあひではあるし、綴蓋とぢぶた喜多きた家内かないが、をりからきれめの鰹節かつをぶし※(「にんべん」、第4水準2-1-21)にんべん買出かひだしにくついでに、そのねえさんのうち立寄たちよつて、同行三人どうかうさんにん日取ひどりをきめた。
 ――一寸ちよつと、ふでをやすめて、階子段はしごだんつて、したの長火鉢ながひばちんでいはく、
「……それ、なに――あの、みやげにつてつた勘茂かんもはんぺんはいくつだつけ。」
「だしぬけになんです。……いつつ。」
いつつか――わたしはまたふたつかとおもつた。」
たつふたつ……」
「だつて彼家あすこ二人ふたりきりだからさ。」
つともないことをおひなさいな。」
「よし、あひわかつた。」
 いつつださうで。……それ持參ぢさんで、取極とりきめた。たつたのは、日曜にちえうあたつたとおもふ。ねんのため、新聞しんぶん欄外らんぐわいよこのぞくと、その終列車しうれつしや糸崎行いとざきゆきとしてある。――糸崎行いとざきゆき――おはづかしいが、わたし方角はうがくわからない。たなほこりはらひながら、地名辭典ちめいじてん索引さくいんると、糸崎いとざきふのが越前國ゑちぜんのくに備前國びぜんのくにとにしよある。わたし東西とうざい、いや西北せいほくまよつた。――あへ子供衆こどもしうげる。學校がくかう地理ちり勉強べんきやうなさい。わすれては不可いけません。さて、どつちみち靜岡しづをかとほるには間違まちがひのない汽車きしやだから、ひとをしへけないでましたが、米原まいばら※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはるのか、岡山をかやま眞直まつすぐか、自分じぶんたちのつた汽車きしや行方ゆくへらない、心細こゝろぼそさとつてはない。しかも眞夜中まよなか道中だうちうである。箱根はこね足柄あしがらときは、内證ないしよう道組神だうそじんをがんだのである。
 ところあめだ。當日たうじつあさのうちから降出ふりだして、出掛でかけけるころよこしぶきに、どつとかぜさへくははつた。てんときあめながら、案内あんない美人びじんたぞと、もう山葵漬わさびづけはしさきで、鯛飯たひめし茶漬ちやづけにしたいきほひで、つい此頃このごろ筋向すぢむかひ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんにをしへをうけた、いち見附みつけはとじるしとふ、やすくて深切しんせつなタクシイをばして、硝子窓がらすまどふきつける雨模樣あまもやうも、おもしろく、うまつたり駕籠かごつたり、松並木まつなみきつたり、やまつたり、うそのないところ、溪河たにがはながれたりで、東京驛とうきやうえきいたのは、まだ三十分さんじつぷんばかり發車はつしやのあるころであつた。
 みづつたとはこと停車場ステエシヨンわりしづかで、しつとりと構内こうない一面いちめんれてる。赤帽君あかばうくん荷物にもつたのんで、ひろところをずらりと見渡みわたしたが、約束やくそく同伴つれはまだない。――※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)おほまはりにはるけれど、呉服橋ごふくばししたちかところに、バラツクにんでひとだから、不斷ふだん落着家おちつきやさんだし、悠然いうぜんとして、やがてよう。
靜岡しづをかまで。」
 と切符きつぷ三枚さんまいたのむと、つれをさがしてきよろついた樣子やうすあんじて、赤帽君あかばうくん深切しんせつであつた。
三枚さんまい?」
「つれがます。」
「あゝ、成程なるほど。」
 突立つツたつてては出入ではひりの邪魔じやまにもなりさうだし、とばくち吹降ふきぶりのあめ吹込ふきこむから、おくはひつて、一度いちどのぞいた待合まちあひやすんだが、ひとつのに、停車場ステエシヨンときはりすゝむほど、むねのあわたゞしいものはない。「こんなとき電話でんわがあるとな。」「もうえませう。――こゝにいらつしやい。……わたしつて見張みはつてます。」家内かないはまたそとつた。少々せう/\さむし、不景氣ふけいき薄外套うすぐわいたうそで貧乏びんぼふゆすりにゆすつてると、算木さんぎ四角しかくならべたやうに、クツシヨンにせきつてきやくが、そちこちばら/\と立掛たちかゝる。……「やあ」と洋杖ステツキをついてまつて、中折帽なかをればうつたひとがある。すぐにわたし口早くちばや震災しんさい見舞みまひ言交いひかはした。花月くわげつ平岡權八郎ひらをかごんぱちらうさんであつた。「どちらへ。」「わたしひと一寸ちよつとおくりますので。」「終汽車しまひぎしやではありますまいね。それだとじつとしてはられない。」「神戸行かうべゆきのです。」「わたしはそのあとので、靜岡しづをかまでくんですが、糸崎いとざきふのは何處どこでせう。」「さあ……」とつた、洋行やうかうがへりの新橋しんばしのちやき/\も、おなじく糸崎いとざきらなかつた。
 ひとたてが、ぞろ/\とくと、大袈裟おほげさのやうだが待合室まちあひしつには、あとにわたし一人ひとりつた。それにしてもじつとしてはられない。……ゆき――ゆきと、ぶのが、うやら神戸行かうべゆき飛越とびこして、糸崎行いとざきゆき――とふやうにさびしくきこえる。いそいでると、停車場ステエシヨン入口いりくちに、こゝにもたゞ一人ひとり、コートのすそかぜさつふきまどはされながら、そでをしめて、しよぼれたやうにつて、あめながるゝかげはぐるまいとつてる。
ませんねえ。」
ないなあ。」
 しかし、十時四十八分發じふじよんじふはちふんはつには、まだ十分間じつぷんかんある、と見較みくらべると、改札口かいさつぐちには、らんかほで、糸崎行いとざきゆきふだかゝつて、改札かいさつのおかゝりは、はさみふたつばかり制服せいふくむねたゝいて、閑也かんなりましてらるゝ。これると、わたし富札とみふだがカチンときまつて、一分いちぶ千兩せんりやうとりはぐしたやうに氣拔きぬけがした。が、ぐつたりとしてはられない。改札口かいさつぐち閑也かんなりは、もうみな乘込のりこんだあとらしい。「たしか十分じつぷんおくれましたわね、ういへば、十時五十分じふじごじつぷんとかつてなすつたやうでした。――時間じかんかはつたのかもれません。」ときは、七三しちさんや、みゝかくしだと時間じかん間違まちがひはなからう。――わがまゝのやうだけれど、銀杏返いてふがへし圓髷まるまげ不可いけない。「だらしはないぜ、馬鹿ばかにしてる。」が、いきどほつたのではけつしてない。一寸ちよつとたびでも婦人をんなである。かみつたらうし衣服きもの着換きかへたらうし、なにかと支度したくをしたらうし、手荷てにもつをんで、くるまでこゝへけつけて、のりおくれて、あめなかかへるのをおもふとあはれである。「五分ごふんあればにあひませう。」其處そこで、べつ赤帽君あかばうくん手透てすきるのを一人ひとりたのんで、そのぶん切符きつぷことづけた。こゝへけつけるのに人數ひとかずおそらくなからう、「あなたをつけてね、のすらりとした容子ようすのいゝ、人柄ひとがらかたえたら大急おほいそぎでわたしてください。」畜生ちくしやうおごらせてやれ――をんなくち赤帽君あかばうくんに、つた。

「お毒樣どくさまです。――おつれはもうひません。……切符きつぷはチツキをれませんから、代價だいか割戻わりもどしが出來できます。」
 もううごした汽車きしやまどに、する/\とすがりながら、
「お歸途かへりに、二十四――とんでください。そのときわたまをしますから。」
 糸崎行いとざきゆき列車れつしやは、不思議ふしぎいとのやうに細長ほそながい。いまにもはるか石壇いしだんへ、面長おもながな、しろかほつまほそいのが駈上かけあがらうかとあやぶみ、いらち、れて、まどから半身はんしんしてわたしたちに、慇懃いんぎんつてくれた。
 ――後日ごじつ東京驛とうきやうえきかへつたとき居合ゐあはせた赤帽君あかばうくんに、その二十四――のをくと、ちやう非番ひばんやすみだとふ。ようをきいて、ところをたづねるから、麹町かうぢまちらしてかへると、すぐその翌日よくじつ、二十四――の赤帽君あかばうくんが、わざ/\やま番町ばんちやうまで、「御免ごめんくださいまし。」と丁寧ていねいかどをおとづれて、切符代きつぷだいかへしてくれた。――ひとばかりにはかぎらない。靜岡しづをかでも、三島みしまでも、赤帽君あかばうくんのそれぞれは、みなものやさしく深切しんせつであつた。――おれいまをす。

 淺葱あさぎくらい、クツシヨンもまた細長ほそながい。しつ悠々いう/\とすいてた。が、なんとなく落着おちつかない。「んだらきこえさうですね。」「呉服橋ごふくばしうへあたりで、のゴーとやついてるかもれない。」「驛前えきまへのタクシイなら、品川しながはふかもれませんよ。」「そんなことはたゞはなしだよ。」、バスケツトのうへに、小取※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)ことりまはしにつたらしい小形こがた汽車案内きしやあんない一册いつさつある。これわたしたちの近所きんじよにはまだなかつた。震災後しんさいご發行はつかうおくれるのださうである。
 いや、張合はりあひもなくひらくうち、「あゝ、品川しながはね。」カタリとまどけて、家内かない拔出ぬけだしさうにまどのぞいた。「駄目だめだよ。」そのくせわたしのぞいた。……二人ふたり三人さんにん乘組のりくんだのも何處どこへかえたやうに、もう寂寞ひつそりする。まくつてとびらろした。かぜんだ。汽車きしや糠雨ぬかあめなか陰々いん/\としてく。はやく、さみしいことは、室内しつないは、一人ひとりのこらず長々なが/\つて、毛布まうふつゝまつて、みなる。
 東枕ひがしまくらも、西枕にしまくらも、まくらしたまゝ何處どこをさしてくのであらう。汽車案内きしやあんない細字さいじを、しかめづらすかすと、わかつた――遙々はる/″\きやう大阪おほさか神戸かうべとほる……越前ゑちぜんではない、備前國びぜんのくに糸崎いとざきである。と、發着はつちやくえき靜岡しづをかもどしてると、「や、此奴こいつよわつた。」おもはずこゑしてつぶやいた。靜岡着しづをかちやく午前ごぜんまさに四時よじなのであつた。いや、串戲じようだんではない。午前ごぜんなどと文化ぶんくわがつたり、あさがつたりしてはられない。ごろではまだ夜半よなかではないか。南洋なんやうから土人どじんても、夜中よなか見物けんぶつ出來できるものか。「此奴こいつよわつた。」――くだん同伴つれでないつれの案内あんないでは、あけがたつたのだが、此方こちらとほおもんぱかりがなかつた。そのひとのゆききしたのは震災しんさいのぢきあとだから、成程なるほど、そのころだとがあける。――時間じかん前後ぜんご汽車きしやは、六月ろくぐわつ七月しちぐわつだと國府津こふづでもうあかるくなる。八月はちぐわつこゑくと富士驛ふじえきで、まだちつたないと、ひがしそらがしらまない。わたし前年ぜんねん身延みのぶまゐつたのでつてる。

「あの、汽車きしやが、きやう大阪おほさかとほるのだとすると、のあけるのは何處どこらでせうね。」
時間じかんると、すつかりあかるくなるのは、遠江國とほたふみのくに濱松はままつだ。」
 と退屈たいくつだし、ひと遠江國とほたふみのくにねんれた。
よこくるま二挺にちやうたゝぬ――彼處あすこですか。」
「うむ。」とばかりで、一向いつかうおもしろくもなんともない。
其處そこまできませうよ。――夜中よなからぬ土地とちぢやあ心細こゝろぼそいんですもの。」
あめぢやあるまいし。」
 と、にもつかぬことをうつかり饒舌しやべつた。靜岡しづをかまでくものが、濱松はままつ線路せんろびよう道理だうりがない。
 ……しかし無理むりもない。こんなことつたのはあたか箱根はこね山中さんちうで、ちやう丑三うしみつ時刻じこくであつた。あとでくと、夜汽車よぎしやが、箱根はこね隧道トンネルくゞつて鐵橋てつけうわた刻限こくげんには、うち留守るすをした女中ぢよちうが、女主人をんなしゆじんのためにお題目だいもくとなへると約束やくそくだつたのださうである。
なん眞似まねだい。」
地震ぢしんあぶないんですもの。」
地震ぢしん去年きよねんだぜ、ばかな。」
 りとはいへども、そのこゝろざし、むしろにあらずくべからず、いしにあらず、ころばすべからず。……ありがたい。いや、禁句きんくだ。こんなところいしころんでたまるものか。たとへにもやまくづるゝとかふ。やまくづれたので、當時たうじ大地震おほぢしん觸頭ふれがしらつた場所ばしよの、あまつさ四五日しごにち※(「王+干」、第3水準1-87-83)らうかんごとあし水面すゐめんかぜもなきになみてると、うはさしたをりであつたから。
 山北やまきた山北やまきた。――あゆすしは――賣切うりきれ。……おちやも。――もうない。それもわびしかつた。
 が、うちときから、こゝでこそとおもつた。――じつ以前いぜんに、小山内をさないさんが一寸ちよつと歸京ききやうで、同行いつしよだつた御容色ごきりやうよしの同夫人どうふじん、とめさんがお心入こゝろいれの、大阪遠來おほさかゑんらい銘酒めいしゆ白鷹はくたかしか黒松くろまつを、四合罎しがふびん取分とりわけて、バスケツトともはず外套ぐわいたうにあたゝめたのを取出とりだして、所帶持しよたいもちくるしくつてもこゝらが重寶ちようはうの、おかゝのでんぶのふたものをけて、さあ、るぞ! トンネルの暗闇やみ彗星はうきぼしでもろと、クツシヨンに胡坐あぐらで、湯呑ゆのみにつぐと、ぷンとにほふ、と、かなでけばおなじだが、のぷンが、なまぐさいやうな、すえたやうな、どろりとくさつた、あをい、黄色きいろい、なんともへない惡臭わるくささよ。――とんでもないこと、……さけではない。
 一體いつたい散々さん/″\不首尾ふしゆびたら/″\、前世ぜんせごふででもあるやうで、まをすもはゞかつてひかへたが、もうだまつてはられない。たしか横濱よこはまあたりであつたらうとおもふ。……さびしいにつけ、陰氣いんきにつけ、隨所ずゐしよ停車場ステエシヨンともしびは、夜汽車よぎしやまどの、つきでもはなでもあるものを――こゝろあての川崎かはさき神奈川かながはあたりさへ、一寸ちよつとだけ、汽車きしやとまつたやうにおもふまでで、それらしい燈影ひかげうつらぬ。汽車きしやはたゞ、曠野あらの暗夜やみ時々とき/″\けつまづくやうにあわたゞしくぎた。あとで、あゝ、あれが横濱よこはまだつたのかとおもところも、あめれしよびれた棒杭ぼうぐひごと夜目よめうつつた。たしかえきみとめたのは國府津こふづだつたのである。いつもは大船おほふななほして、かなたに逗子づし巖山いはやまに、湘南しやうなんうみなぎさにおはします、岩殿いはと觀世音くわんぜおんれいまゐらすならひであるのに。……それも本意ほいなさのひとつであつた。が、あらためて祈念きねんした。やうなわけで、へんであつたらう。見上みあげるやうな入道にふだうが、のろりとしつはひつてた。づんぐりふとつたが、年紀としは六十ばかり。トあたまからほゝ縱横たてよこ繃帶ほうたいけてる。片頬かたほゝらでも大面おほづらつらを、べつ一面ひとつかほよこ附着くツつけたやうに、だぶりとふくれて、咽喉のどしたまで垂下たれさがつて、はちれさうで、ぶよ/\して、わづかにと、はな繃帶はうたいのぞいたくちびるが、上下うへしたにべろんといて、どろりとしてる。うごくと、たら/\とうみれさうなのが――ちやういてた――わたしたちの隣席となりへどろ/\とくづかゝつた。オペラバツグをげて、飛模樣とびもやう派手はで小袖こそでに、むらさき羽織はおりた、十八九のわかをんなが、引續ひきつゞいて、だまつてわきこしける。
 とふうちに、そのつらふたつある病人びやうにんの、その臭氣にほひつたらない。
 おさつしあれ、知己ちき方々かた/″\。――わたし下駄げたひきずつて横飛よことびに逃出にげだした。
「あゝ、彼方あつちがあんなにいてる。」
 と小戻こもどりして、及腰およびごしに、ひつくやうにバスケツトをつかんで、あわててすべつて、片足かたあしで、怪飛けしとんだ下駄げたさがしてげた。どくさうなかほをしたが、をんなもそツとつてる。
 樣子やうすを、間近まぢかながら、どくのある見向みむけず、呪詛のろひらしきしはぶきもしないで、ずべりとまど仰向あふむいて、やまひかほの、泥濘ぬかるみからげた石臼いしうすほどのおもいのを、ぢつとさゝへて病人びやうにん奇特きどくである。
 いや特勝とくしようである。かつもつて、たふとくさへあつた。
 面當つらあてがましくどくらしい、我勝手われがつて凡夫ぼんぷあさましさにも、人知ひとしれず、おもてはせて、わたしたちは恥入はぢいつた。が、藥王品やくわうぼんしつゝも、さばくつた法師ほふしくちくさいもの。くささとつては、昇降口しようかうぐち其方そつちはしから、洗面所せんめんじよたてにした、いま此方こなたはしまで、むツとはないてにほつてる。番町ばんちやうが、また大袈裟おほげさな、と第一だいいち近所きんじよわらふだらうが、いや、眞個まつたくだとおもつてください。のちに、やがて、二時にじぎ、三時さんじになり、彼方此方あちこち一人ひとりき、二人ふたりさめると、きたのが、めたのが、いづれもきよとんとして四邊あたりながら、みな申合まをしあはせたやうに、ハンケチでくちおさへて、げゞツとせる。もありなん。大入道おほにふだう眞向まむかうをとこは、たわいなくながら、うゝと時々とき/″\くるしさうにうなされた。スチームがまだとほつてる。しめつたそとすやうな糠雨ぬかあめだ。くさくないはずはない。
 女房にようばうでは、まるでとしちがふ。むすめか、それとも因果いんぐわなにとかめかけであらうか――なににしろ、わたしは、みゝかくしであつたのを感謝かんしやする。……島田髷しまだでは遣切やりきれない。
 もう箱根はこねから駈落かけおちだ。
 二人分ににんぶん二枚にまいを、一齊いつしよにスツとひらくと、岩膚いははだあめ玉清水たましみづしたゝごとく、溪河たにがはひゞきにけむりあらつて、さけかをりぷんつた。づからこれをおくられた小山内夫人をさないふじんそでふ。
 二三杯にさんばいやつつけた。
 阿部川あべかはへば、きなこもちとばかり心得こゝろえ、「贊成さんせい。」とさきばしつて、大船おほふなのサンドヰツチ、國府津こふづ鯛飯たひめし山北やまきたあゆすしと、そればつかりをあてにして、みなつてべるつもりの、足柄あしがらえんのありさうなやまのかみは、おかゝのでんぶをつまらなさうにのぞきながら、バスケツトにもたれてよわつてる。
「なまじ所帶持しよたいもちだなぞとおもふからよくます。かの彌次郎やじらうめる……いかい――めしもまだはず、ぬまずを打過うちすぎてひもじきはら宿しゆくにつきけりと、もう――つつけ沼津ぬまづだ。何事なにごと彌次喜多やじきたおもへばむぜ。」
 と、とのさまはいま二合にがふで、大分だいぶ御機嫌ごきげん。ストンと、いや、ゆか柔軟やはらかいから、ストンでない、スポンとて、肱枕ひぢまくらで、阪地到來はんちたうらい芳酒うまざけゑひだけに、地唄ぢうたとやらを口誦くちずさむ。
まへそでと、わしがそであはせて、
 ――なんとか、なんそで。……たゞしふしなし、わすれたところはうろきで、章句もんくくちのうちで、たゞ引張ひつぱる。……
露地ろぢ細道ほそみち駒下駄こまげたで――
 南無三寶なむさんばうした。ぶく/\のし/\と海坊主うみばうず。が――あゝ、これ元來ぐわんらい懸念けねんした。みちしようにあたつたり。W・Cへとほりがかりに、うへからおつかぶさるやうにときは、つののあるだけ、青鬼あをおにはうがましだとおもつた。
 アツといつて、むつくとき、外套ぐわいたうあたまから、硝子戸がらすどへひつたりとかほをつけた。――これだと、暗夜あんややまも、朦朧もうろうとして孤家ひとつやともしびいてえる。……ひとつおおぼあそばしても、年内ねんない御重寶ごちようはう
 外套ぐわいたうなかからちひさなこゑで、
「……かへつたかい。」
「もう、前刻さつき。」
 わたしみゝまでおさへてた。
 どぢやう沼津ぬまづをやがてぎて、富士驛ふじえきで、人員じんゐんは、はじめてうごいた。
 それもたゞ五六人ごろくにん病人びやうにんつた。あとへむらさきがついてりたのである。……どぢやう沼津ぬまづつた。あめふりだし、まだ眞暗まつくらだから遠慮ゑんりよをしたが、こゝでむらさき富士驛ふじえきひたい、――そのわかをんなりた。
 さては身延みのぶ參詣さんけいをするのであつたか。遙拜えうはいしつゝ、わたしたちは、いまさらながら二人ふたりを、なみだぐましく見送みおくつた。むらさき一度いちどちうえつゝ、はしえた改札口かいさつぐちへ、ならんで入道にふだうくやうにして、かすか電燈でんとううつつた姿すがたは、みゝかくしも、のまゝ、さげがみの、黒髮くろかみなが※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らふたけてさへえた。
 下山げざんとき面影おもかげは、富士川ふじがはきよに、白蓮華びやくれんげはなびらにもられよとて、せつ本腹ほんぷくいのつたのである。
 興津おきつなみ調しらべひゞいた。
大正十三年七月





底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「苦楽 第二巻第一号」プラトン社
   1924(大正13)年7月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ともしび」と「ともしび」の混在は、底本の通りです。
※「繃帶」に対するルビの「ほうたい」と「はうたい」、「二人」に対するルビの「ふたり」と「ににん」の混在は、底本の通りです。
※表題は底本では、「あめふり」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2018年3月26日作成
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