「
奇妙、
喜多八、
何と
汝のやうなものでも、
年に
一度ぐらゐは
柄に
無い
智慧を
出すから、ものは
不思議よ。
然し
春早々だから、
縁起だ、
今年は
南瓜が
當るかな。しかし
俺も
彌次郎、
二ツあつた
友白髮、
一ツはまんまと
汝に
功名をされたけれども、あとの
一ツは
立派に
負けねえやうに
目覺しく
使つて
見せる。」と、
道中二日三日、
彌次は
口癖のやうに
言つた。
此の
友白髮と
言ふのは、
元旦、
函嶺で
手に
入れたものであるが、
谷を
探り、
山を
獵つて、
山嫗の
頭から
取り
得たなどと
言ふのではない。
去年大晦日の
晩方、
塔の
澤に
着いて、
環翠樓に
宿つて、
座敷へ
通ると、
案内をした
女と
入交つて、
受持の
姐さんが、
火と
鐵瓶を
持つて
來たのに、
彌次が
眞先に
酒を
命じて、
温泉から
上る、
直ぐに
銚子が、
食卓の
上へ
袴で
罷出るといふ
寸法。
彌次、「
扨先づ
氣つけにありついた。
其處で、
姐さん、
此の
樓は
酌をしてくれるか
何うだ。」
女中、「いたしますとも。」
彌次、「いや、いたしますは
分つたが、
酌も
對酌、
大晦日には
響が
惡いが、
酌もしてくれる、
杯も
受けてくれるといふのでなければ
嬉くねえ、
何うだ。
何、
御念には
及ばんと。
及ぶ、
大に
及ぶよ。
昨夜は
酒匂の
松濤園で、
古今情ない
目に
遭つた、
聞いてくれ、
家の
掟とあつてな、
唯酒は
注ぐ
眞似をすると
言つても、
杯に
手を
出さぬ。
何か
其の
女の
親仁は、
酒に
取殺されたとでも
言ふことだらうよ。
又、
汝の
前だが
高い
酒を
斷つて
飮ませたいといふ
法はないが、
獻した
杯を、
拂かれては
醉へません。
其處で
今夜ははじめから
條約を
取極めるだ。ふむ、いくらでも
頂く。いや
餘り
頂くな、
酒が
減る。
酒は
減るが、
扨、
受けるとは
嬉しいな、しかし、
一ツ
受けて
直ぐに
遁げるか。
何、
遁げぬ。や、
然らば
慮外ながら
祝儀に
及ばう。」
こゝで
當世の
折鞄ぐらゐは、
大さのある
中挾の
懷中ものから、ト
半紙を
引出すことあつて、
悠然として
美人の
膝の
邊に
押遣る、
作戰計畫圖に
當つて、
女中外して
去る
事能はず。
其晩十二時頃まで
酒席に
侍つたが、
翌日は
元日と
言ふのに、
嘸忙がしくもあつたらう、
其の
迷惑察すべし――
彌次、
後密かに
喜多に
囁いて、「あの、
罪造り、
厄落をさせて
遣つた。」
其の
夜は
酒が
發奮んだので、
彌次呷るほどに、けるほどに、
一時過ぎて
潛り
込んだ
蒲團の
中で、とろけて
消えさうな
大生醉。
喜多八は
未だ
少いだけ、
大晦日は
大晦日、
元朝は
元朝と
知つて
心を
動かすと
雖も、
彌次は
元日を
月の
七八日ほどにも
思はず、
初空といふに
赤い
顏の
二日醉。
ふら/\と
湯に
入り、
漱と
欠を
一所にして、つるりとした
法然天窓に
置手拭で
座敷に
歸り、
行儀よく
坐つた
喜多八と
差向ふ。
喜多、
更まつて、「お
目出たう。」と
挨拶をする、
彌次、「
嚇しなさんない。」
廊下を
靜に
朝風が
通して、
明放しの
障子の
外へ、
三ツ
組の
杯臺と、
雌蝶雄蝶を
美しく
飾つた、
銚子を
兩手に、
小女に
膳を
持たせて、
窈窕たる
哉中年増。しとやかに
手を
支へて、「あけましてお
目出度うございます。」と
折目正しく
會釋する。
此の
人、
昨夜の
新造とは
風采がらりと
異なり、
渠は、
唐縮緬の
帶、
黒繻子の
襟で、
赤大名といふ
扮裝。
島田をがツくりとさせて、
腕の
白きを
仄めかし、
裳の
紅を
蹴出したが、
是は、
丸髷に、
鼈甲の
突通し、
衣紋正しく、お
納戸地に
質な
小紋の
三ツ
紋着、
黒繻子の
丸帶をお
太鼓にキチンと
締めて、
内端に
少し
背を
屈めて、
黄金の
目の
白魚を、しなやかに
支いた
風情。
彌次郎、
天窓の
手拭を
取つて、
固く、「はい/\。」
女中、「ほんのお
記しばかりでございますが、お
祝ひ
申しまして
故とお
屠蘇を。」
彌次は、「はい、はい。」
女中、「
何うぞ
召上つて
下さいまし。
直ぐお
燗酒にいたします。」
彌次、
喜多、「はい、はい。」
即ち
素直に
屠蘇を
受けて、
扨、お
肴は
何々ぞ。
卷するめ、より
昆布、
勝栗、
煮豆などある
中に、
小皿に
盛りて、
別に
小殿原と、
葱の
美しく
細い、
根のふさ/\と
附いたまゝ
長三寸ばかりにして、
白い
處ばかりなのを
二本づゝ
添へてあつた。
此のごまめの
其の
嚴しさ、
小殿原とは
覺えたが、
葱はこれは
何ぢやろと、
彌次が
不審るのに
女中が
答へて、「あの、
其は
友白髮でございます。」と
言つた。――
友白髮はこれである。
氣に
入つた、
難有い、
是非一ツ
話のたねに
持歸らう。そんなものを
貴下、と
女中がしをらしく、
極を
惡がるのを、
彌次、「うんにや
構はぬ。」
例の
大紙入の
半紙に
包んで、「
喜多、
汝も
一ツ
取つて
置かつし、
此の
人の
口から、
何と
友白髮は
嬉しからう。」
喜多も
袂に
藏つたが、
函嶺を
發つて、
小田原に
引返し、
道を
轉じて
吉浦、
吉濱を
越えて
熱海の
温泉、こゝで
三日ばかり
逗留して、
歸りは
三島越で、
東海道へ
出ようと、
日金、
十國を
上に
望み、
大島伊豆の
島々をあとに、
峠で
富士とさしむかひ、
韮山を
遙に
瞰下しながら、
臺場に
着くと、こゝから
汽車。
待合のお
茶屋で、
晝酒に
醉が

り、
喜多八大にいきり
出して、
鳥打帽の
下に
向う
顱卷、
此の
汽車を
横ツ
飛びに
東海道線三島發に
乘換へた。
「やあ、いかいこと
詰込んだい。」と
紳士夫人方の
前も
憚らず、
大聲に、
呆れたやうな
顏をする、
背後から
肩を
叩いて、「しばらく、」といふ
者あり。
これはと
見ると、
二十五ばかりの
少紳士、
新調の
洋服しツくりと、
清
鶴に
似て、
其の
嘴のやうな
細身の
杖をついたのを、きよとりと
見て、「
呀、
見違へた、」
新學士、
暮に
結婚をした
好男子であつた。
喜多、「おや/\おや、」
學士、「
何うも
申譯がありません。」
喜多、「
一所か。」
學士、「なあに。」
喜多、「
嘘を
吐け。」
學士、「
眞實だよ。」
喜多四邊を

はすと、
美なるも、
艷なるも、
窈窕たるも、
婀娜たるも、
痩せたのも、
肥つたのも、
色の
黒いのも、
毛の
縮れたのも、
足袋の
汚いのも、
襟に
手巾を
卷いたのも、
皆主あつて、
二人づゝ
丁ど
帳尻があつて、
此の
人一人、
入込の
大人數に
席もなく
彳めり。
喜多、「そして
何處へ。」
學士、「
鈴川へ。」
喜多、「
先へ
行つてるのか。」
學士莞爾として、「
未だ
審ならず。」といふ。「
暮の
忙しさと、
遁げ
出したのと、
明けて
未だ
間がないのでお
祝も
申さぬ。
甚だ
不念。」と
言ひながら、
不圖氣の
着いたのが
函嶺以來の
葱であつた。
贈つて
以て、
喜多、「さあ
御祝儀の
友白髮。」
學士、
杖を
小脇に、
美人が
菫を
摘んだる
態度で、
帽のふち
深く、
涼しい
品のある
目でじつと
見て、「
難有う。」
乘合の
中で
一人拍手をしたものがある。
即是彌次郎兵衞。
それよりして、
奇妙喜多八の
聲を
絶たず、ものは
不思議ぢやないか、
今年は
南瓜などと
繰返して、
何己も
負けるものか、
東京へ
歸るまでに、
一番此の
友白髮を
使ひ
活かして
見せると、
信玄袋を
叩いたが、
五日、
駿州久能山の
奇勝を
見た
時であつた。
彌次、「さあ、
喜多八、
目をまはすな、いよ/\
久能山だ。
何うだ
驚いたらう、
未だ
汝が
喜ぶものが
澤山ある。
此處は
氣候が
暖いから
大根が
名物、しらすぼし、
疊鰯が
名代よ。いづれも
情婦見たやうな
氣がするだらう、しかし
支度は
下山の
時としよう、
恰も
仙人雲に
入るの
形で
上るのだから、
身が
重くツちやあ
上られねえ。」
いかにも
一山天を
支へて、
人は
蟻の
如く、
石段は
階子に
似て
雲に
入り、
中空を
刻んで
白き
虹の
立つたる
如し。
茶屋の
亭主、「えゝ、お
支度は。」
彌次、「
歸りにしやす。」
亭主、「
然やうなら
御參詣なさりませい、お
草履を
差上げまする、でお
召かへなさりませ。
然やういたしませんと、お
下駄でござりましては、
御參詣御難儀でげす。」
彌次、「
知つて
居やす。」
亭主、「
扨、えゝ、お
供物代をお
取次ぎいたしまする、
一等二等とあひなつて
居りまするで、
二等にいたしますると、
二十五錢、
一等五十錢を
御納めなされますれば、
手前どもお
受取を
差上げまして、
伊豆屋清兵衞、
仕切判を
押しまして、
其をば
男どもに
持參いたさせ、お
供申させまするで、
神官の
事務所をさして
差出しますれば、
奧の
院御參詣が
叶ひまする
上に、
御神前に
置きまして、お
土器を
下されまする。
其お
土器は
葵の
御紋つき、これはお
持歸りに
成りまして
宜しう。」
彌次、「
分つて
居やす。」
亭主、「
扨其の
上に
又軸物を
一卷お
頂きにあひ
成りまする
儀で、これは、
蝋塗の
軸、えゝ、
矢張其の
葵の
御紋附で、
日光から
參りまするもので、
手前懇意にいたしまする
表具屋の
話にいたしますると、
表裝ばかりでも
五十錢はかゝりますると
申しまする。
即ち
御先祖樣御訓戒の
御文章にござりまして。」
彌次、「
存じて
居やす。」と
少し
焦れ
込む。
亭主金の
入齒をした
口を
閉ぢて、
中腰の
膝を
支いた
顏を
仰向けざまに
目を
瞑つて、「えゝ、」と
言つて
諳誦する。
馴れたもので、「
扨、
人の
一生は
重荷を
負うて
遠き
道を
行く
如し、
急ぐべからず。
不自由を
常と
思へば、
不足なし、
心に
望おこらば
困窮したる
時を
思出すべし、
堪忍は
無事長久の
基、
怒は
敵と
思へ、
勝つ
事ばかり
知つて
負くる
事を
知らざれば、
害其身にいたる、
己を
責めて
人を
責むるな、
及ばざるは
過ぎたるよりはまされり。
慶長は
八年度にござりますな、
慶長八年一月十五日、
權現樣お
書判が
据りました、
御歌がござりまする。
人はたゞ身のほどを知れ草の葉の
露も重きは落つるものかな
彌次、「
心得て
居やす。」
亭主、「えゝ、
何方になさいまする、
二等はお
神酒頂戴ばかりでげす。」
喜多、「
及ばざるは
過ぎたるよりはまされりとサ、
彌次さん
一歩になさい。」
彌次、「
吝な
事をいふな、」と
二歩出して、「アイ
頼んます。――
金齒は
癪だが、
何も
權現樣は
御存じないわさ。」
凡て
亭主の
言の
如くにして
參詣濟む、
彌次、「
何うだ
喜多八、
唯恐入つたものだらう、
日光が
櫻なら、
此處は
梅だ、
實のある
靈廟ぢやあねえか。」
喜多、「そりや
言ふまでもありませんが、まあそれより
御覽なさい、
苫屋の
屋根が
遙か
目の
下に
三ツ
五ツ
七ツなど
碁盤の
目のやうに、
白砂の
濱に
並んで、
何うだらう、
海の
蒼さ、たゞ
漣の
搖れるやうな
汀に、ちらほら
小松原の
中を、
鹽汲が、
漂ふやうな、
足取で。」
彌次、「
絶景さな、あの
霞の
中が
伊豆の
岬だ。
麗ぢやないか、
正月の
五日といふのに、
茶屋に
外套を
脱いで
來て、しんみりとした
汗になつた。
何うだ、
此處は
一合谷といつて、
油を
一合沸立たせて、とろ/\と
浴けるだけで、
敵の
先陣は
微塵に
出來ると、
甲陽の
軍師山本勘助が
言つた
處だ。」と
遙に
深く
石段の
下を
瞰下ろす、
弓形に
曲つた
中段の
處へ、ほつ/\、
奧山椿がこぼれたかと、
友禪と
緋縮緬、
片褄を
端折つて
三人づれ、
一人の
案内を
連れて、はら/\と
上つて
來た。
近づくまゝに、
彌次郎、
其の
三人の
中にも
一人、
服裝も
容色も
水際立つた
夜會結びの
貴夫人を
一目見ると、
顏の
色を
變へて、「
南無三寶、
惡いものが
見えたわい。」
喜多、「
何處の
奧方です。」
彌次、「
馬鹿を
言へ、
新橋々々。」
喜多、「
彼が、はてな。」
彌次、「いや、こりやならぬぞ、
豆府を
切立てたやうな
一方口の
此の
山だ、
遁げも
隱れもなることではない、
南無三、もう
其處へ、こりやかなはぬ。」
喜多、「
江戸ツ
子の
癖に
何をそんなに。」
彌次、「それ
大磯にござる
將棋の
御前の
例の
物さ、いづれねだり
込んで
遊山と
洒落たに
相違ねえが、
何方へも
此の
春は
病氣だけれど、
件の
殿樣には
尚以て
彌次郎大病、
舊冬より
疝氣差込みの
己だ、
弱つたな。」と
天窓を
抱へる。
今の
彌次郎は
將棋の
上手、
手足を
一ツづゝ
八方へ
引張らるゝ、
煩はしさを
病氣と
避けて、
遠く
伸した
遊山の
次第、
大磯におはします
何某の
御前は、
素人離れのしただけに
大の
將棋好、
亡くなつた
小さんが
十八番の
將棋の
殿樣を
綽名に
呼ぶまで、
太平の
折からなり、
一番乘の
一番首より、
彌次が
坊主頭を
壓へるのを、
畢世の
功名と、
寢ても
覺めても
忘れぬ
執心、
其の
人お
傍去らずの
婦人、
見つかつては、
親の
敵ほどに
遁しはしまい。
婀娜な
聲で、「おや、
先生。」
彌次、「
平に、
平にお
見遁し、
手前貴女を
命の
親と
心得る、
先づ
以て
新年お
目出たう。」と、しどろに
狼狽る。
美人も
豫て
心得たといふ
顏して
打笑み、「
皆がおもりに
困るんですよ、
私も
遊びサ、
武士は
相身互、
見遁して
上げますよ、ほゝほゝ。」
彌次郎吻と
呼吸をして、「
先づ
安心、
是で
可し、
奇妙喜多八」と
言ひかけて
心着いたらしく、
急いで
信玄袋から
取出した
一件もの。
彌次大得意で、「えゝ、お
禮に
何か
進じたいですが、
途中のこと、
爰に
新春の
御祝儀を
申上げよう。」
纖弱な、なめし
革の
手袋のさきで、いとしらしく
插んで
見て、「
何んです、
先生。」
彌次、「
函嶺の
土産で
友白髮、はゝはゝ、
幾久しく。」と
昂然として
笑つて、ものをいふ
目で、「
何うだ
喜多八、
奇妙喜多八。」
「
御緩り
御參詣」と
彌次郎揚々として
坂を
下りんとするまで、
默つて
友白髮を
視めた
美人嬌瞋を
發して、「
先生。」
彌次、「や。」
美人、「
御前が
白髮だと
思つて、
厭ですよ
私を、こんな
人の
惡いことをなさるなら、もう
堪忍して
上げません。」
彌次、「えゝ。」
美人、「
引張つて
歸るから
可い、
否、
何うせ
無理に
願つて
遊びに
來たんです、
御機嫌の
惡いのは
知れて
居ますからね、
先生さへ
連れて
行きや、どんなにお
喜びだか
知れないんです。」
彌次、「これは!」
美人、「
誰か
一人附いておいで、
遁しちやなりませんよ。
身代りよりも
大事な
方だから、」
彌次蒼くなつて、「
助けてくれ、
喜多八、
喜多八。」
明治三十七年一月