高野聖

泉鏡花





参謀さんぼう本部編纂へんさんの地図をまた繰開くりひらいて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手をさわるさえ暑くるしい、旅の法衣ころもそでをかかげて、表紙をけた折本になってるのを引張ひっぱり出した。
 飛騨ひだから信州へえる深山みやまの間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立こだちも無い、右も左も山ばかりじゃ、手をばすととどきそうなみねがあると、その峰へ峰が乗り、いただきかぶさって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午しょうごと覚しい極熱ごくねつの太陽の色も白いほどにえ返った光線を、深々といただいた一重ひとえ檜笠ひのきがさしのいで、こう図面を見た。」
 旅僧たびそうはそういって、握拳にぎりこぶしを両方まくらに乗せ、それで額を支えながら俯向うつむいた。
 道連みちづれになった上人しょうにんは、名古屋からこの越前敦賀えちぜんつるが旅籠屋はたごやに来て、今しがた枕に就いた時まで、わたしが知ってる限り余り仰向あおむけになったことのない、つまり傲然ごうぜんとして物を見ないたちの人物である。
 一体東海道掛川かけがわ宿しゅくから同じ汽車に乗り組んだと覚えている、腰掛こしかけすみこうべを垂れて、死灰しかいのごとくひかえたから別段目にも留まらなかった。
 尾張おわり停車場ステイションほかの乗組員は言合いいあわせたように、残らず下りたので、はこの中にはただ上人と私と二人になった。
 この汽車は新橋を昨夜九時半にって、今夕こんせき敦賀に入ろうという、名古屋では正午ひるだったから、飯に一折のすしを買った。旅僧も私と同じくその鮨を求めたのであるが、ふたを開けると、ばらばらと海苔のりかかった、五目飯ちらしの下等なので。
(やあ、人参にんじん干瓢かんぴょうばかりだ。)と粗忽そそッかしく絶叫ぜっきょうした。私の顔を見て旅僧はこらえ兼ねたものと見える、くっくっと笑い出した、もとより二人ばかりなり、知己ちかづきにはそれからなったのだが、聞けばこれから越前へ行って、派はちがうが永平寺えいへいじに訪ねるものがある、ただし敦賀に一ぱくとのこと。
 若狭わかさへ帰省する私もおなじところとまらねばならないのであるから、そこで同行の約束やくそくが出来た。
 かれは高野山こうやさんせきを置くものだといった、年配四十五六、柔和にゅうわななんらのも見えぬ、なつかしい、おとなしやかな風采とりなりで、羅紗らしゃ角袖かくそで外套がいとうを着て、白のふらんねるの襟巻えりまきをしめ、土耳古形トルコがたぼうかぶり、毛糸の手袋てぶくろめ、白足袋しろたび日和下駄ひよりげたで、一見、僧侶そうりょよりは世の中の宗匠そうしょうというものに、それよりもむしろ俗か。
(お泊りはどちらじゃな、)といって聞かれたから、私は一人旅の旅宿のつまらなさを、しみじみ歎息たんそくした、第一ぼんを持って女中が坐睡いねむりをする、番頭が空世辞そらせじをいう、廊下ろうか歩行あるくとじろじろ目をつける、何より最もがたいのは晩飯の支度したくが済むと、たちまちあかり行燈あんどんえて、薄暗うすぐらい処でお休みなさいと命令されるが、私は夜がけるまでることが出来ないから、その間の心持といったらない、ことにこのごろは夜は長し、東京を出る時から一晩のとまりが気になってならないくらい、差支さしつかえがなくば御僧おんそうとご一所いっしょに。
 快くうなずいて、北陸地方を行脚あんぎゃの節はいつでもつえを休める香取屋かとりやというのがある、もとは一けん旅店りょてんであったが、一人女ひとりむすめの評判なのがなくなってからは看板をはずした、けれどもむかしから懇意こんいな者は断らず泊めて、老人としより夫婦が内端うちわに世話をしてくれる、よろしくばそれへ、そのかわりといいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走ちそうは人参と干瓢ばかりじゃ。)
 とからからと笑った、つつしみ深そうな打見うちみよりは気の軽い。


 岐阜ぎふではまだ蒼空あおぞらが見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原まいばら長浜ながはま薄曇うすぐもりかすかに日がして、寒さが身に染みると思ったが、やなでは雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちらまじって来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、あおいで空を見ようともしない、この時に限らず、しずたけが、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖びわこの風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。
 敦賀で悚毛おぞけの立つほどわずらわしいのは宿引やどひき悪弊あくへいで、その日も期したるごとく、汽車をおりると停車場ステイションの出口から町端まちはなへかけて招きの提灯ちょうちん印傘しるしがさつつみを築き、潜抜くぐりぬけるすきもあらなく旅人を取囲んで、かまびすしくおの家号やごう呼立よびたてる、中にもはげしいのは、素早すばやく手荷物を引手繰ひったくって、へい難有ありがとさまで、をくらわす、頭痛持は血が上るほどこらえ切れないのが、例の下を向いて悠々ゆうゆう小取廻ことりまわしに通抜とおりぬける旅僧は、たれも袖をかなかったから、幸いその後にいて町へ入って、ほっという息をいた。
 雪は小止おやみなく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらとおもてを打ち、よいながらかどとざした敦賀のとおりはひっそりして一条二条縦横たてよこに、つじの角は広々と、白く積った中を、道のほど八町ばかりで、とある軒下のきした辿たどり着いたのが名指なざしの香取屋。
 とこにも座敷ざしきにもかざりといっては無いが、柱立はしらだちの見事な、たたみかたい、の大いなる、自在鍵じざいかぎこいうろこ黄金造こがねづくりであるかと思わるるつやを持った、ばらしいへッついを二ツならべて一斗飯いっとめしけそうな目覚めざましいかまかかった古家ふるいえで。
 亭主は法然天窓ほうねんあたま、木綿の筒袖つつそでの中へ両手の先をすくまして、火鉢ひばちの前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁おやじ女房にょうぼうの方は愛嬌あいきょうのある、ちょっと世辞のいいばあさん、くだんの人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚ちりめんざこと、かれい干物ひものと、とろろ昆布こんぶ味噌汁みそしるとでぜんを出した、物の言振いいぶり取成とりなしなんど、いかにも、上人しょうにんとは別懇べっこんの間と見えて、つれの私の居心いごころのいいといったらない。
 やがて二階に寝床ねどここしらえてくれた、天井てんじょうは低いが、うつばりは丸太で二抱ふたかかえもあろう、屋のむねからななめわたって座敷のはてひさしの処では天窓あたまつかえそうになっている、巌乗がんじょう屋造やづくり、これなら裏の山から雪崩なだれが来てもびくともせぬ。
 特に炬燵こたつが出来ていたから私はそのままうれしく入った。寝床はもう一組おなじ炬燵にいてあったが、旅僧はこれにはきたらず、横に枕を並べて、火の気のない臥床ねどこに寝た。
 寝る時、上人は帯を解かぬ、もちろん衣服もがぬ、着たまままるくなって俯向形うつむきなりに腰からすっぽりと入って、かた夜具やぐそでけると手をいてかしこまった、その様子ようすは我々と反対で、顔に枕をするのである。
 ほどなく寂然ひっそりとしてに就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国を行脚なすった内のおもしろいはなしをといって打解うちとけておさならしくねだった。
 すると上人は頷いて、わしは中年から仰向けに枕に就かぬのがくせで、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家しゅっけのいうことでも、おしえだの、いましめだの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。後で聞くと宗門名誉しゅうもんめいよの説教師で、六明寺りくみんじ宗朝しゅうちょうという大和尚だいおしょうであったそうな。


「今にもう一人ここへ来て寝るそうじゃが、お前様と同国じゃの、若狭の者で塗物ぬりもの旅商人たびあきんど。いやこの男なぞは若いが感心に実体じっていい男。
 わたしが今話の序開じょびらきをしたその飛騨の山越やまごえをやった時の、ふもとの茶屋で一緒いっしょになった富山とやまの売薬というやつあ、けたいの悪い、ねじねじしたいや壮佼わかいもので。
 まずこれからとうげかかろうという日の、朝早く、もっともせんとまりはものの三時ぐらいにはって来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張よくばり抜いて大急ぎで歩いたからのどかわいてしようがあるまい、早速さっそく茶を飲もうと思うたが、まだ湯がいておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通ひとどおりのない山道、朝顔のいてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几しょうぎの前には冷たそうな小流こながれがあったから手桶ておけの水をもうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄じせつがら暑さのため、おそろしい悪い病が流行はやって、先に通った辻などという村は、から一面に石灰いしばいだらけじゃあるまいか。
(もし、ねえさん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸いどのでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖めんようなと思った。
(山したの方には大分流行病はやりやまいがございますが、この水はなにから、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気なにげなく答えた、まずうれしやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹まんきんたん下廻したまわりと来た日には、ご存じの通り、千筋せんすじ単衣ひとえ小倉こくらの帯、当節は時計をはさんでいます、脚絆きゃはん股引ももひき、これはもちろん、草鞋わらじがけ、千草木綿ちぐさもめん風呂敷包ふろしきづつみかどばったのを首にゆわえて、桐油合羽とうゆがっぱを小さくたたんでこいつを真田紐さなだひもで右の包につけるか、小弁慶こべんけいの木綿の蝙蝠傘こうもりがさを一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明こくめいで分別のありそうな顔をして。
 これがとまりに着くと、大形の浴衣ゆかたに変って、帯広解おびひろげ焼酎しょうちゅうをちびりちびりりながら、旅籠屋はたごやの女のふとったひざすねを上げようというやからじゃ。
(これや、法界坊ほうかいぼう。)
 なんて、天窓あたまからめていら。
おつなことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命いのちは欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
 年紀としは若し、お前様まえさんわし真赤まっかになった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予ためらっているとね。
 ポンと煙管きせるはたいて、
(何、遠慮えんりょをしねえで浴びるほどやんなせえ、生命いのちが危くなりゃ、薬をらあ、そのためにわしがついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭ただじゃあいけねえよ、はばかりながら神方しんぽう万金丹、一じょう三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨ほうしゃをするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことをくか。)といって茶店の女の背中をたたいた。
 わしはそうそうに遁出にげだした。
 いや、膝だの、女の背中だのといって、いけとしつかまつった和尚が業体ぎょうてい恐入おそれいるが、話が、話じゃからそこはよろしく。」


わし腹立紛はらたちまぎれじゃ、無暗むやみと急いで、それからどんどん山のすそ田圃道たんぼみちへかかる。
 半町ばかり行くと、みちがこう急に高くなって、のぼりが一カ処、横からよく見えた、弓形ゆみなりでまるで土で勅使橋ちょくしばしがかかってるような。上を見ながら、これへ足を踏懸ふみかけた時、以前の薬売くすりうりがすたすたやって来て追着おいついたが。
 別に言葉もかわさず、またものをいったからというて、返事をする気はこっちにもない。どこまでも人をしのいだ仕打しうちな薬売は流眄しりめにかけてわざとらしゅうわし通越とおりこして、すたすた前へ出て、ぬっと小山のような路の突先とっさきへ蝙蝠傘を差して立ったが、そのまま向うへ下りて見えなくなる。
 その後から爪先上つまさきあがり、やがてまた太鼓たいこどうのような路の上へ体が乗った、それなりにまたくだりじゃ。
 売薬は先へ下りたが立停たちどまってしきりに四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしている様子、執念しゅうねん深く何かたくんだかと、快からず続いたが、さてよく見ると仔細しさいがあるわい。
 路はここで二条ふたすじになって、一条いちじょうはこれからすぐに坂になってのぼりも急なり、草も両方から生茂おいしげったのが、路傍みちばたのそのかどの処にある、それこそ四抱よかかえ、そうさな、五抱いつかかえもあろうという一本のひのきの、背後うしろうねって切出したような大巌おおいわが二ツ三ツ四ツと並んで、上の方へかさなってその背後へ通じているが、わしが見当をつけて、心組こころぐんだのはこっちではないので、やっぱり今まで歩いて来たそのはばの広いなだらかな方がまさしく本道、あと二里足らず行けば山になって、それからが峠になるはず。
 と見ると、どうしたことかさ、今いうその檜じゃが、そこらになんにもない路を横断よこぎって見果みはてのつかぬ田圃の中空なかぞらにじのように突出ている、見事な。根方ねがたところの土がくずれて大鰻おおうなぎねたような根が幾筋ともなくあらわれた、その根から一筋の水がさっと落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出ながれだしてあたりは一面。
 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうとになって、前途ゆくて一叢ひとむらやぶが見える、それを境にしておよそ二町ばかりの間まるで川じゃ。こいしはばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨おおまたで伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたにちがいはない。
 もっとも衣服きものを脱いで渡るほどの大事なのではないが、本街道にはちと難儀なんぎ過ぎて、なかなか馬などが歩行あるかれるわけのものではないので。
 売薬もこれで迷ったのであろうと思う内、切放きりはなれよくむきを変えて右の坂をすたすたと上りはじめた。見るに檜をうしろくぐり抜けると、わしが体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本まつもとへ出る路はこっちだよ、)といって無造作むぞうさにまた五六歩。
 岩の頭へ半身を乗出して、
茫然ぼんやりしてると、木精こだまさらうぜ、昼間だって容赦ようしゃはねえよ。)とあざけるがごとく言いてたが、やがて岩のかげに入って高い処の草にかくれた。
 しばらくすると見上げるほどなあたりへ蝙蝠傘の先が出たが、木のえだとすれすれになってしげみの中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気のんきなかけ声で、その流の石の上を飛々とびとびに伝って来たのは、茣蓙ござ尻当しりあてをした、何にもつけない天秤棒てんびんぼうを片手で担いだ百姓ひゃくしょうじゃ。」


「さっきの茶店ちゃみせからここへ来るまで、売薬の外はだれにもわなんだことは申上げるまでもない。
 今別れぎわに声を懸けられたので、先方むこうは道中の商売人と見ただけに、まさかと思っても気迷きまよいがするので、今朝けさも立ちぎわによく見て来た、前にも申す、その図面をな、ここでも開けて見ようとしていたところ。
(ちょいとうかがいとう存じますが、)
(これは何でござりまする、)と山国の人などはことに出家と見ると丁寧ていねいにいってくれる。
(いえ、お伺い申しますまでもございませんが、道はやっぱりこれを素直まっすぐに参るのでございましょうな。)
(松本へ行かっしゃる? ああああ本道じゃ、何ね、この間の梅雨つゆに水が出て、とてつもない川さ出来たでがすよ。)
(まだずっとどこまでもこの水でございましょうか。)
(何のお前様、見たばかりじゃ、訳はござりませぬ、水になったのは向うのあの藪までで、後はやっぱりこれと同一おなじ道筋で山までは荷車が並んで通るでがす。藪のあるのはもと大きいおやしきの医者様の跡でな、ここいらはこれでも一ツの村でがした、十三年前の大水の時、から一面に野良のらになりましたよ、人死ひとじにもいけえこと。ご坊様ぼうさま歩行あるきながらお念仏でも唱えてやってくれさっしゃい。)と問わぬことまで深切しんせつに話します。それでよく仔細しさいわかってたしかになりはなったけれども、現に一人踏迷ふみまよった者がある。
(こちらの道はこりゃどこへ行くので、)といって売薬の入った左手ゆんでの坂をたずねて見た。
(はい、これは五十年ばかり前までは人が歩行あるいた旧道でがす。やっぱり信州へ出まする、先は一つで七里ばかり総体近うござりますが、いや今時いまどき往来の出来るのじゃあござりませぬ。去年もご坊様、親子づれ巡礼じゅんれいが間違えて入ったというで、はれ大変な、乞食こじきを見たような者じゃというて、人命に代りはねえ、おっかけて助けべえと、巡査様おまわりさまが三人、村の者が十二人、一組になってこれから押登って、やっと連れてもどったくらいでがす。ご坊様も血気にはやって近道をしてはなりましねえぞ、草臥くたびれて野宿をしてからがここを行かっしゃるよりはましでござるに。はい、気を付けて行かっしゃれ。)
 ここで百姓に別れてその川の石の上を行こうとしたがふと猶予ためらったのは売薬の身の上で。
 まさかに聞いたほどでもあるまいが、それが本当ならば見殺みごろしじゃ、どの道私は出家しゅっけの体、日がれるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るにはおよばぬ、追着おッついて引戻してやろう。罷違まかりちごうて旧道を皆歩行あるいてもしゅうはあるまい、こういう時候じゃ、おおかみしゅんでもなく、魑魅魍魎ちみもうりょうしおさきでもない、ままよ、と思うて、見送るとや深切な百姓の姿も見えぬ。
(よし。)
 思切おもいきって坂道を取ってかかった、侠気おとこぎがあったのではござらぬ、血気にはやったではもとよりない、今申したようではずっともうさとったようじゃが、いやなかなかの臆病者おくびょうもの、川の水を飲むのさえ気がけたほど生命いのちが大事で、なぜまたとわっしゃるか。
 ただ挨拶あいさつをしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄うっちゃっておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、わざとするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向うつむけにとこに入ったまま合掌がっしょうしていった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」


「さて、聞かっしゃい、わしはそれからひのきの裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、の中をくぐって草深いこみちをどこまでも、どこまでも。
 するといつの間にか今上った山は過ぎてまた一ツ山がちかづいて来た、このあたりしばらくの間は野が広々として、さっき通った本街道よりもっと幅の広い、なだらかな一筋道。
 心持こころもち西と、東と、真中まんなかに山を一ツ置いて二条ふたすじ並んだ路のような、いかさまこれならばやりを立てても行列が通ったであろう。
 このひろでも目の及ぶ限り芥子粒けしつぶほどのおおきさの売薬の姿も見ないで、時々焼けるような空を小さな虫が飛び歩行あるいた。
 歩行あるくにはこの方が心細い、あたりがぱッとしていると便たよりがないよ。もちろん飛騨越ひだごえめいを打った日には、七里に一軒十里に五軒という相場、そこであわの飯にありつけば都合もじょうの方ということになっております。それを覚悟かくごのことで、足は相応に達者、いやくっせずに進んだ進んだ。すると、だんだんまた山が両方からせまって来て、肩につかえそうな狭いとこになった、すぐにのぼり
 さあ、これからが名代なだい天生あもう峠と心得たから、こっちもその気になって、何しろ暑いので、あえぎながらまず草鞋わらじひも緊直しめなおした。
 ちょうどこの上口のぼりぐちの辺に美濃みの蓮大寺れんだいじの本堂の床下ゆかしたまで吹抜ふきぬけの風穴かざあながあるということを年経としたってから聞きましたが、なかなかそこどころの沙汰さたではない、一生懸命いっしょうけんめい景色けしき奇跡きせきもあるものかい、お天気さえ晴れたか曇ったか訳が解らず、じろぎもしないですたすたとねてのぼる。
 とお前様お聞かせ申す話は、これからじゃが、最初に申す通り路がいかにも悪い、まるで人が通いそうでない上に、恐しいのは、へびで。両方のくさむらに尾と頭とを突込んで、のたりと橋を渡しているではあるまいか。
 わし真先まっさき出会でっくわした時はかさかぶって竹杖たけづえを突いたまま、はッと息を引いてひざを折ってすわったて。
 いやもう生得しょうとく大嫌だいきらいきらいというより恐怖こわいのでな。
 その時はまず人助けにずるずると尾を引いて、向うで鎌首かまくびを上げたと思うと草をさらさらと渡った。
 ようよう起上おきあがって道の五六町も行くと、またおなじように、胴中どうなかを乾かして尾も首も見えぬのが、ぬたり!
 あッというて飛退とびのいたが、それも隠れた。三度目に出会ったのが、いや急には動かず、しかも胴体の太さ、たとい這出はいだしたところでぬらぬらとやられてはおよそ五分間ぐらい尾を出すまでにがあろうと思う長虫と見えたので、やむことをえずわしまたぎ越した、とたんに下腹したっぱら突張つッぱってぞッと身の毛、毛穴が残らずうろこに変って、顔の色もその蛇のようになったろうと目をふさいだくらい。
 しぼるような冷汗ひやあせになる気味の悪さ、足がすくんだというて立っていられるすうではないからびくびくしながら路を急ぐとまたしても居たよ。
 しかも今度のは半分に引切ひっきってある胴から尾ばかりの虫じゃ、切口があおみを帯びてそれでこう黄色なしるが流れてぴくぴくと動いたわ。
 我を忘れてばらばらとあとへ遁帰にげかえったが、気が付けば例のがまだ居るであろう、たとい殺されるまでも二度とはあれをまたぐ気はせぬ。ああさっきのお百姓がものの間違まちがいでも故道ふるみちには蛇がこうといってくれたら、地獄じごくへ落ちても来なかったにと照りつけられて、なみだが流れた、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、今でもぞっとする。」と額に手を。


はてしが無いからきもえた、もとより引返す分ではない。もとところにはやっぱり丈足じょうたらずのむくろがある、遠くへけて草の中へけ抜けたが、今にもあとの半分がまといつきそうでたまらぬから気臆きおくれがして足が筋張すじばると石につまずいて転んだ、その時膝節ひざぶしを痛めましたものと見える。
 それからがくがくして歩行あるくのが少し難渋なんじゅうになったけれども、ここでたおれては温気うんき蒸殺むしころされるばかりじゃと、我身で我身をはげまして首筋を取って引立てるようにして峠の方へ。
 何しろ路傍みちばたの草いきれがおそろしい、大鳥の卵見たようなものなんぞ足許あしもとにごろごろしている茂り塩梅あんばい
 また二里ばかり大蛇おろちうねるような坂を、山懐やまぶところ突当つきあたって岩角を曲って、木の根をめぐって参ったがここのことで余りの道じゃったから、参謀さんぼう本部の絵図面を開いて見ました。
 何やっぱり道はおんなじで聞いたにも見たのにもかわりはない、旧道はこちらに相違はないから心遣こころやりにも何にもならず、もとよりれっきとした図面というて、いてある道はただくりいがの上へ赤い筋が引張ってあるばかり。
 難儀なんぎさも、蛇も、毛虫も、鳥の卵も、草いきれも、記してあるはずはないのじゃから、さっぱりとたたんでふところに入れて、うむとこの乳の下へ念仏を唱え込んで立直ったはよいが、息も引かぬうち情無なさけない長虫が路を切った。
 そこでもう所詮しょせんかなわぬと思ったなり、これはこの山のれいであろうと考えて、杖をてて膝を曲げ、じりじりするつちに両手をついて、
(誠に済みませぬがお通しなすって下さりまし、なるたけお午睡ひるね邪魔じゃまになりませぬようにそっと通行いたしまする。
 ごらんの通り杖も棄てました。)とれしみじみと頼んで額を上げるとざっというすさまじい音で。
 心持こころもちよほどの大蛇と思った、三尺、四尺、五尺四方、一丈余、だんだんと草の動くのが広がって、かたえたにへ一文字にさっとなびいた、はてみねも山も一斉にゆらいだ、恐毛おぞげふるって立竦たちすくむと涼しさが身に染みて、気が付くと山颪やまおろしよ。
 この折から聞えはじめたのはどっという山彦こだまに伝わるひびき、ちょうど山の奥に風が渦巻うづまいてそこから吹起ふきおこる穴があいたように感じられる。
 何しろ山霊感応あったか、蛇は見えなくなり暑さもしのぎよくなったので、気もいさみ足も捗取はかどったが、ほどなく急に風が冷たくなった理由を会得えとくすることが出来た。
 というのは目の前に大森林があらわれたので。
 世のたとえにも天生あもう峠は蒼空あおぞらに雨が降るという、人の話にも神代かみよからそまが手を入れぬ森があると聞いたのに、今までは余り樹がなさ過ぎた。
 今度は蛇のかわりにかにが歩きそうで草鞋わらじが冷えた。しばらくすると暗くなった、杉、松、えのき処々ところどころ見分けが出来るばかりに遠い処からかすかに日の光のすあたりでは、土の色が皆黒い。中には光線が森を射通いとお工合ぐあいであろう、青だの、赤だの、ひだがって美しい処があった。
 時々爪尖つまさきからまるのは葉のしずく落溜おちたまった糸のようなながれで、これは枝を打って高い処を走るので。ともするとまた常磐木ときわぎが落葉する、何の樹とも知れずばらばらと鳴り、かさかさと音がしてぱっと檜笠ひのきがさにかかることもある、あるいは行過ぎた背後うしろへこぼれるのもある、それは枝から枝にたまっていて何十年ぶりではじめて地の上まで落ちるのか分らぬ。」


「心細さは申すまでもなかったが、卑怯ひきょうなようでも修行しゅぎょうの積まぬ身には、こういう暗い処の方がかえって観念に便たよりがよい。何しろ体がしのぎよくなったために足のよわりも忘れたので、道も大きに捗取はかどって、まずこれで七分は森の中を越したろうと思う処で五六尺天窓あたまの上らしかった樹の枝から、ぼたりと笠の上へ落ち留まったものがある。
 なまりおもりかとおもう心持、何か木の実ででもあるかしらんと、二三度振ってみたが附着くッついていてそのままには取れないから、何心なく手をやってつかむと、なめらかにひやりと来た。
 見ると海鼠なまこいたような目も口もない者じゃが、動物には違いない。不気味で投出そうとするとずるずるとすべって指のさきへ吸ついてぶらりと下った、その放れた指の尖から真赤な美しい血が垂々たらたらと出たから、吃驚びっくりして目の下へ指をつけてじっと見ると、今折曲げたひじの処へつるりと垂懸たれかかっているのは同形おなじかたちをした、幅が五分、たけが三寸ばかりの山海鼠やまなまこ
 呆気あっけに取られて見る見る内に、下の方から縮みながら、ぶくぶくと太って行くのは生血いきちをしたたかに吸込むせいで、にごった黒い滑らかなはだ茶褐色ちゃかっしょくしまをもった、疣胡瓜いぼきゅうりのような血を取る動物、こいつはひるじゃよ。
 が目にも見違えるわけのものではないが、図抜ずぬけて余り大きいからちょっとは気がつかぬであった、何のはたけでも、どんな履歴りれきのあるぬまでも、このくらいな蛭はあろうとは思われぬ。
 肱をばさりとふるったけれども、よく喰込くいこんだと見えてなかなか放れそうにしないから不気味ぶきみながら手でつまんで引切ると、ぷつりといってようよう取れる、しばらくもたまったものではない、突然いきなり取って大地へたたきつけると、これほどの奴等やつらが何万となく巣をくってわがものにしていようという処、かねてその用意はしていると思われるばかり、日のあたらぬ森の中の土はやわらかい、つぶれそうにもないのじゃ。
 ともはやえりのあたりがむずむずして来た、平手ひらてこいて見ると横撫よこなでに蛭のせなをぬるぬるとすべるという、やあ、乳の下へひそんで帯の間にも一ぴきあおくなってそッと見ると肩の上にも一筋。
 思わず飛上って総身そうしんを震いながらこの大枝の下を一散にかけぬけて、走りながらまず心覚えの奴だけは夢中むちゅうでもぎ取った。
 何にしても恐しい今の枝には蛭がっているのであろうとあまりの事に思って振返ると、見返った樹の何の枝か知らずやっぱりいくツということもない蛭の皮じゃ。
 これはと思う、右も、左も、前の枝も、何の事はないまるで充満いっぱい
 私は思わず恐怖きょうふの声を立ててさけんだ、すると何と? この時は目に見えて、上からぼたりぼたりと真黒なせた筋の入った雨が体へ降かかって来たではないか。
 草鞋を穿いた足のこうへも落ちた上へまたかさなり、並んだわきへまた附着くッついて爪先つまさきも分らなくなった、そうしてきてると思うだけ脈を打って血を吸うような、思いなしか一ツ一ツ伸縮のびちぢみをするようなのを見るから気が遠くなって、その時不思議な考えが起きた。
 この恐しい山蛭やまびる神代かみよいにしえからここにたむろをしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛なんごくかの血を吸うと、そこでこの虫ののぞみかなう、その時はありったけの蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出はきだすと、それがために土がとけて山一ツ一面に血とどろとの大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光をさえぎって昼もなお暗い大木が切々きれぎれに一ツ一ツ蛭になってしまうのに相違そういないと、いや、全くの事で。」


「およそ人間が滅びるのは、地球の薄皮うすかわが破れて空から火が降るのでもなければ、大海が押被おっかぶさるのでもない、飛騨国ひだのくに樹林きばやしが蛭になるのが最初で、しまいにはみんな血と泥の中に筋の黒い虫が泳ぐ、それがだいがわりの世界であろうと、ぼんやり。
 なるほどこの森も入口では何の事もなかったのに、中へ来るとこの通り、もっと奥深く進んだらや残らず立樹たちきの根の方からちて山蛭になっていよう、助かるまい、ここで取殺される因縁いんねんらしい、取留とりとめのない考えが浮んだのも人が知死期ちしごちかづいたからだとふと気が付いた。
 どの道死ぬるものなら一足でも前へ進んで、世間の者がゆめにも知らぬ血と泥の大沼の片端かたはしでも見ておこうと、そう覚悟かくごがきまっては気味の悪いも何もあったものじゃない、体中珠数生じゅずなりになったのを手当てあたり次第に※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むして、抜き取りなどして、手を挙げ足を踏んで、まるでおどり狂う形で歩行あるき出した。
 はじめのうち一廻ひとまわりも太ったように思われてかゆさがたまらなかったが、しまいにはげっそりせたと感じられてずきずき痛んでならぬ、その上を容赦ようしゃなく歩行あるく内にも入交いりまじりにおそいおった。
 すでに目もくらんで倒れそうになると、わざわいはこの辺が絶頂であったと見えて、隧道トンネルを抜けたように、はるか一輪いちりんのかすれた月を拝んだのは、蛭の林の出口なので。
 いや蒼空あおぞらの下へ出た時には、何のことも忘れて、くだけろ、微塵みじんになれと横なぐりに体を山路やまじ打倒うちたおした。それでからもう砂利じゃりでも針でもあれとつちへこすりつけて、十余りも蛭の死骸しがいひっくりかえした上から、五六けん向うへ飛んで身顫みぶるいをして突立つッたった。
 人を馬鹿ばかにしているではありませんか。あたりの山では処々ところどころ茅蜩殿ひぐらしどの、血と泥の大沼になろうという森をひかえて鳴いている、日はななめ渓底たにそこはもう暗い。
 まずこれならばおおかみ餌食えじきになってもそれは一思ひとおもいに死なれるからと、路はちょうどだらだらおりなり、小僧さん、調子はずれに竹の杖を肩にかついで、すたこらげたわ。
 これで蛭に悩まされて痛いのか、かゆいのか、それともくすぐったいのかもいわれぬ苦しみさえなかったら、うれしさにひと飛騨山越ひだやまごえ間道かんどうで、おきょうふしをつけて外道踊げどうおどりをやったであろう、ちょっと清心丹せいしんたんでも噛砕かみくだいて疵口きずぐちへつけたらどうだと、だいぶ世の中の事に気がついて来たわ。つねってもたしか活返いきかえったのじゃが、それにしても富山の薬売はどうしたろう、あの様子ようすではとうに血になって泥沼に。皮ばかりの死骸は森の中の暗い処、おまけに意地のきたな下司げすな動物が骨までしゃぶろうと何百という数でのしかかっていた日には、をぶちまけても分る気遣きづかいはあるまい。
 こう思っている間、くだんのだらだら坂は大分長かった。
 それをくだり切ると流が聞えて、とんだ処に長さ一間ばかりの土橋がかかっている。
 はやその谷川の音を聞くと我身で持余もてあます蛭の吸殻すいがら真逆まっさかさまに投込んで、水にひたしたらさぞいい心地ここちであろうと思うくらい、何の渡りかけてこわれたらそれなりけり。
 危いとも思わずにずっとかかる、少しぐらぐらしたが難なく越した。向うからまた坂じゃ、今度はのぼりさ、ご苦労千万。」


「とてもこのつかれようでは、坂を上るわけには行くまいと思ったが、ふと前途ゆくてに、ヒイインと馬のいななくのがこだまして聞えた。
 馬士まごもどるのか小荷駄こにだが通るか、今朝一人の百姓に別れてから時の経ったはわずかじゃが、三年も五年も同一おんなじものをいう人間とは中をへだてた。馬が居るようではともかくも人里に縁があると、これがために気が勇んで、ええやっと今一揉ひともみ
 一軒の山家やまがの前へ来たのには、さまで難儀なんぎは感じなかった。夏のことで戸障子のしまりもせず、ことに一軒家、あけ開いたなり門というてもない、突然いきなり破縁やれえんになって男が一人、わしはもう何の見境もなく、
たのみます、頼みます、)というさえたすけを呼ぶような調子で、取縋とりすがらぬばかりにした。
(ごめんなさいまし、)といったがものもいわない、首筋をぐったりと、耳を肩でふさぐほど顔を横にしたまま小児こどもらしい、意味のない、しかもぼっちりした目で、じろじろと門に立ったものをみつめる、そのひとみを動かすさえ、おっくうらしい、気の抜けた身の持方。裾短すそみじかでそでひじより少い、糊気のりけのある、ちゃんちゃんを着て、胸のあたりでひもゆわえたが、一ツ身のものを着たように出ッ腹の太りじし太鼓たいこを張ったくらいに、すべすべとふくれてしかも出臍でべそというやつ南瓜かぼちゃへたほどな異形いぎょうな者を片手でいじくりながら幽霊ゆうれいの手つきで、片手を宙にぶらり。
 足は忘れたか投出した、腰がなくば暖簾のれんを立てたようにたたまれそうな、年紀としがそれでいて二十二三、口をあんぐりやった上唇うわくちびるで巻込めよう、鼻の低さ、出額でびたい五分刈ごぶがりびたのが前は鶏冠とさかのごとくになって、頸脚えりあしねて耳にかぶさった、おしか、白痴ばかか、これからかえるになろうとするような少年。わしは驚いた、こっちの生命いのちに別条はないが、先方様さきさま形相ぎょうそう。いや、大別条おおべつじょう
(ちょいとお願い申します。)
 それでもしかたがないからまた言葉をかけたが少しも通ぜず、ばたりというとわずかに首の位置をかえて今度は左の肩をまくらにした、口の開いてることもとのごとし。
 こういうのは、悪くすると突然いきなりふんづかまえて臍をひねりながら返事のかわりにめようも知れぬ。
 わしは一足退すさったが、いかに深山だといってもこれを一人で置くという法はあるまい、と足を爪立つまだてて少し声高こわだかに、
(どなたぞ、ご免なさい、)といった。
 背戸せどと思うあたりで再び馬のいななく声。
(どなた、)と納戸なんどの方でいったのは女じゃから、南無三宝なむさんぼう、この白い首にはうろこが生えて、体はゆかって尾をずるずると引いて出ようと、また退すさった。
(おお、お坊様ぼうさま。)と立顕たちあらわれたのは小造こづくりの美しい、声もすずしい、ものやさしい。
 わしは大息をいて、何にもいわず、
(はい。)とつむりを下げましたよ。
 婦人おんなひざをついてすわったが、前へ伸上のびあがるようにして、黄昏たそがれにしょんぼり立ったわしが姿をかして見て、
(何か用でござんすかい。)
 休めともいわずはじめから宿の常世つねよ留守るすらしい、人をめないときめたもののように見える。
 いいおくれてはかえって出そびれて頼むにも頼まれぬ仕誼しぎにもなることと、つかつかと前へ出た。
 丁寧ていねいに腰をかがめて、
(私は、山越で信州へ参ります者ですが旅籠はたごのございます処まではまだどのくらいでございましょう。)

十一


(あなたまだ八里あまりでございますよ。)
(そのほかに別に泊めてくれますうちもないのでしょうか。)
(それはございません。)といいながらたたきもしないですずしい目でわしの顔をつくづく見ていた。
(いえもう何でございます、実はこの先一町行け、そうすれば上段のへやに寝かして一晩あおいでいてそれで功徳くどくのためにする家があるとうけたまわりましても、全くのところ一足も歩行あるけますのではございません、どこの物置ものおきでも馬小屋のすみでもよいのでございますから後生ごしょうでございます。)とさっき馬がいなないたのは此家ここより外にはないと思ったから言った。
 婦人おんなはしばらく考えていたが、ふとわきを向いて布のふくろを取って、ひざのあたりに置いたおけの中へざらざらと一幅ひとはば、水をこぼすようにあけてふちをおさえて、手ですくって俯向うつむいて見たが、
(ああ、お泊め申しましょう、ちょうどいてあげますほどお米もございますから、それに夏のことで、山家は冷えましても夜のものにご不自由もござんすまい。さあ、ともかくもあなた、お上り遊ばして。)
 というと言葉の切れぬ先にどっかと腰を落した。婦人おんなはつと身を起して立って来て、
(お坊様、それでござんすがちょっとお断り申しておかねばなりません。)
 はっきりいわれたのでわしはびくびくもので、
(はい、はい。)
(いいえ、別のことじゃござんせぬが、わたしくせとして都の話を聞くのがやまいでございます、口にふたをしておいでなさいましても無理やりに聞こうといたしますが、あなた忘れてもその時聞かして下さいますな、ようござんすかい、私は無理におたずね申します、あなたはどうしてもお話しなさいませぬ、それを是非にと申しましてもっておっしゃらないようにきっと念を入れておきますよ。)
 と仔細しさいありげなことをいった。
 山の高さも谷の深さも底の知れない一軒家の婦人おんなの言葉とは思うたが保つにむずかしいかいでもなし、わしはただうなずくばかり。
(はい、よろしゅうございます、何事もおっしゃりつけはそむきますまい。)
 婦人おんな言下ごんか打解うちとけて、
(さあさあきたのうございますが早くこちらへ、おくつろぎなさいまし、そうしてお洗足せんそくを上げましょうかえ。)
(いえ、それには及びませぬ、雑巾ぞうきんをお貸し下さいまし。ああ、それからもしそのお雑巾次手ついでにずッぷりおしぼんなすって下さるとたすかります、途中とちゅうで大変な目にいましたので体を打棄うっちゃりりたいほど気味が悪うございますので、一ツ背中をこうと存じますが、恐入おそれいりますな。)
(そう、あせにおなりなさいました、さぞまあ、お暑うござんしたでしょう、お待ちなさいまし、旅籠はたごへお着き遊ばして湯にお入りなさいますのが、旅するお方には何よりご馳走ちそうだと申しますね、湯どころか、お茶さえろくにおもてなしもいたされませんが、あの、この裏のがけを下りますと、綺麗きれいながれがございますからいっそそれへいらっしゃッてお流しがよろしゅうございましょう。)
 聞いただけでも飛んでも行きたい。
(ええ、それは何より結構でございますな。)
(さあ、それではご案内申しましょう、どれ、ちょうど私も米をぎに参ります。)とくだんおけ小脇こわきかかえて、縁側えんがわから、藁草履わらぞうり穿いて出たが、かがんで板縁いたえんの下をのぞいて、引出したのは一足の古下駄げたで、かちりとあわしてほこりはたいてそろえてくれた。
(お穿きなさいまし、草鞋わらじはここにお置きなすって、)
 わしは手をあげて、一礼して、
(恐入ります、これはどうも、)
(お泊め申すとなりましたら、あの、他生たしょうえんとやらでござんす、あなたご遠慮を遊ばしますなよ。)まず恐しく調子がいいじゃて。」

十二


「(さあ、私にいてこちらへ、)と件の米磨桶こめとぎおけ引抱ひっかかえて手拭てぬぐいを細い帯にはさんで立った。
 髪はふっさりとするのをたばねてな、くしをはさんでかんざしめている、その姿のさというてはなかった。
 わしも手早く草鞋をいたから、早速古下駄を頂戴ちょうだいして、縁から立つ時ちょいと見ると、それ例の白痴殿ばかどのじゃ。
 同じくわしかたをじろりと見たっけよ、舌不足したたらず饒舌しゃべるような、にもつかぬ声を出して、
ねえや、こえ、こえ。)といいながらだるそうに手を持上げてその蓬々ぼうぼうと生えた天窓あたまでた。
(坊さま、坊さま?)
 すると婦人おんなが、しもぶくれな顔にえくぼを刻んで、三ツばかりはきはきと続けて頷いた。
 少年はうむといったが、ぐたりとしてまたへそをくりくりくり。
 わしは余り気の毒さに顔も上げられないでそっと盗むようにして見ると、婦人おんなは何事も別に気にけてはおらぬ様子、そのまま後へいて出ようとする時、紫陽花あじさいの花のかげからぬいと出た一名の親仁おやじがある。
 背戸せどから廻って来たらしい、草鞋を穿いたなりで、胴乱どうらん根付ねつけ紐長ひもながにぶらりとげ、銜煙管くわえぎせるをしながら並んで立停たちどまった。
和尚おしょう様おいでなさい。)
 婦人おんなはそなたを振向いて、
(おじ様どうでござんした。)
(さればさの、頓馬とんまで間の抜けたというのはあのことかい。根ッから早やきつねでなければ乗せ得そうにもないやつじゃが、そこはおらが口じゃ、うまく仲人なこうどして、二月ふたつき三月みつきはお嬢様じょうさまがご不自由のねえように、翌日あすはものにしてうんとここへかつぎ込みます。)
(お頼み申しますよ。)
(承知、承知、おお、嬢様どこさ行かっしゃる。)
(崖の水までちょいと。)
(若い坊様連れて川へ落っこちさっしゃるな、おらここに眼張がんばって待っとるに、)と横様よこざまに縁にのさり。
貴僧あなた、あんなことを申しますよ。)と顔を見て微笑ほほえんだ。
(一人で参りましょう、)とわき退くと、親仁おやじはくっくっと笑って、
(はははは、さあ、早くいってござらっせえ。)
(おじ様、今日はお前、めずらしいお客がお二方ござんした、こういう時はあとからまた見えようも知れません、次郎さんばかりでは来た者が弱んなさろう、わたしが帰るまでそこに休んでいておくれでないか。)
(いいともの。)といいかけて、親仁おやじは少年のそばへにじり寄って、鉄挺かなてこを見たようなこぶしで、背中をどんとくらわした、白痴ばかの腹はだぶりとして、べそをかくような口つきで、にやりと笑う。
 わしはぞっとしておもてを背けたが、婦人おんな何気なにげないていであった。
 親仁おやじは大口を開いて、
(留守におらがこの亭主を盗むぞよ。)
(はい、ならば手柄てがらでござんす、さあ、貴僧あなた参りましょうか。)
 背後うしろから親仁が見るように思ったが、導かるるままにかべについて、かの紫陽花のある方ではない。
 やがて背戸と思う処で左に馬小屋を見た、ことことという音は羽目はめるのであろう、もうその辺から薄暗くなって来る。
貴僧あなた、ここから下りるのでございます、すべりはいたしませぬが、道がひどうございますからおしずかに、)という。」

十三


「そこから下りるのだと思われる、松の木の細くッて度外れに背の高い、ひょろひょろしたおよそ五六間上までは小枝一ツもないのがある。その中をくぐったが、あおぐとこずえに出て白い、月の形はここでも別にかわりは無かった、浮世うきよはどこにあるか十三夜で。
 先へ立った婦人おんなの姿が目さきを放れたから、松のみきつかまってのぞくと、つい下に居た。
 仰向あおむいて、
(急に低くなりますから気をつけて。こりゃ貴僧あなたには足駄あしだでは無理でございましたかしら、よろしくば草履ぞうりとお取交とりかえ申しましょう。)
 立後たちおくれたのを歩行悩あるきなやんだと察した様子、何がさて転げ落ちても早く行ってひるあかを落したさ。
(何、いけませんければ跣足はだしになります分のこと、どうぞお構いなく、嬢様にご心配をかけては済みません。)
(あれ、嬢様ですって、)とやや調子を高めて、艶麗あでやかに笑った。
(はい、ただいまあの爺様じいさんが、さよう申しましたように存じますが、夫人おくさまでございますか。)
(何にしても貴僧あなたには叔母おばさんくらいな年紀としですよ。まあ、お早くいらっしゃい、草履もようござんすけれど、とげがささりますといけません、それにじくじく湿れていてお気味が悪うございましょうから。)と向うむきでいいながら衣服きもの片褄かたつまをぐいとあげた。真白なのがやみまぎれ、歩行あるくとしもが消えて行くような。
 ずんずんずんずんと道を下りる、かたわらのくさむらから、のさのさと出たのはひきで。
(あれ、気味が悪いよ。)というと婦人おんな背後うしろへ高々とかかとを上げて向うへ飛んだ。
(お客様がいらっしゃるではないかね、人の足になんかからまって、贅沢ぜいたくじゃあないか、お前達は虫を吸っていればたくさんだよ。
 貴僧あなたずんずんいらっしゃいましな、どうもしはしません。こう云う処ですからあんなものまで人なつかしゅうございます、いやじゃないかね、お前達と友達をみたようではずかしい、あれいけませんよ。)
 蟇はのさのさとまた草を分けて入った、婦人おんなはむこうへずいと。
(さあこの上へ乗るんです、土が柔かでえますから地面は歩行あるかれません。)
 いかにも大木のたおれたのが草がくれにその幹をあらわしている、乗ると足駄穿あしだばき差支さしつかえがない、丸木だけれどもおそろしく太いので、もっともこれを渡り果てるとたちまちながれの音が耳にげきした、それまでにはよほどのあいだ
 仰いで見ると松のはもう影も見えない、十三夜の月はずっと低うなったが、今下りた山のいただきに半ばかかって、手が届きそうにあざやかだけれども、高さはおよそ計り知られぬ。
貴僧あなた、こちらへ。)
 といった婦人おんなはもう一息、目の下に立って待っていた。
 そこは早や一面の岩で、岩の上へ谷川の水がかかってここによどみを作っている、川幅は一けんばかり、水にのぞめば音はさまでにもないが、美しさは玉を解いて流したよう、かえって遠くの方ですさまじく岩にくだけるひびきがする。
 向う岸はまた一座の山のすそで、頂の方は真暗まっくらだが、山のからその山腹を射る月の光に照し出されたあたりからは大石小石、栄螺さざえのようなの、六尺角に切出したの、つるぎのようなのやら、まりの形をしたのやら、目の届く限り残らず岩で、次第に大きく水に※(「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1-91-44)ひたったのはただ小山のよう。」

十四


「(いい塩梅あんばいに今日は水がふえておりますから、中へ入りませんでもこの上でようございます。)と甲をひたして爪先つまさきかがめながら、雪のような素足で石のばんの上に立っていた。
 自分達が立ったかわは、かえってこっちの山の裾が水に迫って、ちょうど切穴の形になって、そこへこの石をめたようなあつらえ。川上も下流も見えぬが、向うのあの岩山、九十九折つづらおりのような形、流は五尺、三尺、一間ばかりずつ上流の方がだんだん遠く、飛々とびとびに岩をかがったように隠見いんけんして、いずれも月光を浴びた、銀のよろいの姿、のあたり近いのはゆるぎ糸をさばくがごとく真白にひるがえって。
(結構な流れでございますな。)
(はい、この水は源がたきでございます、この山を旅するお方はな大風のような音をどこかで聞きます。貴僧あなたはこちらへいらっしゃる道でお心着きはなさいませんかい。)
 さればこそ山蛭やまびる大藪おおやぶへ入ろうという少し前からその音を。
(あれは林へ風の当るのではございませんので?)
(いえ、たれでもそう申します、あの森から三里ばかり傍道わきみちへ入りました処に大滝があるのでございます、それはそれは日本一だそうですが、みちけわしゅうござんすので、十人に一人参ったものはございません。その滝がれましたと申しまして、ちょうど今から十三年前、おそろしい洪水おおみずがございました、こんな高い処まで川の底になりましてね、ふもとの村も山も家も残らず流れてしまいました。このかみほらも、はじめは二十軒ばかりあったのでござんす、この流れもその時から出来ました、ご覧なさいましな、この通り皆な石が流れたのでございますよ。)
 婦人おんなはいつかもう米をしらげ果てて、衣紋えもんの乱れた、乳のはしもほの見ゆる、ふくらかな胸をそらして立った、鼻高く口を結んで目を恍惚うっとりと上を向いて頂を仰いだが、月はなお半腹のその累々るいるいたるいわおを照すばかり。
(今でもこうやって見ますとこわいようでございます。)と屈んでうでの処を洗っていると。
(あれ、貴僧あなた、そんな行儀ぎょうぎのいいことをしていらしってはおめしれます、気味が悪うございますよ、すっぱり裸体はだかになってお洗いなさいまし、私が流して上げましょう。)
(いえ、)
(いえじゃあござんせぬ、それ、それ、お法衣ころもそでひたるではありませんか、)というと突然いきなり背後うしろから帯に手をかけて、身悶みもだえをして縮むのを、邪慳じゃけんらしくすっぱりいで取った。
 わし師匠ししょうきびしかったし、経を読む身体からだじゃ、はださえ脱いだことはついぞ覚えぬ。しかも婦人おんなの前、蝸牛まいまいつぶろが城を明け渡したようで、口をくさえ、まして手足のあがきも出来ず、背中を円くして、ひざを合せて、縮かまると、婦人おんなは脱がした法衣ころもかたわらの枝へふわりとかけた。
(お召はこうやっておきましょう、さあおせなを、あれさ、じっとして。お嬢様とおっしゃって下さいましたお礼に、叔母さんが世話を焼くのでござんす、お人の悪い。)といって片袖を前歯で引上げ、玉のような二の腕をあからさまに背中に乗せたが、じっと見て、
(まあ、)
(どうかいたしておりますか。)
あざのようになって、一面に。)
(ええ、それでございます、ひどい目にいました。)
 思い出してもぞッとするて。」

十五


婦人おんなは驚いた顔をして、
(それでは森の中で、大変でございますこと。旅をする人が、飛騨ひだの山では蛭が降るというのはあすこでござんす。貴僧あなたは抜道をご存じないから正面まともに蛭の巣をお通りなさいましたのでございますよ。お生命いのち冥加みょうがなくらい、馬でも牛でも吸い殺すのでございますもの。しかしうずくようにおかゆいのでござんしょうね。)
(ただいまではもう痛みますばかりになりました。)
(それではこんなものでこすりましてはやわらかいお肌が擦剥すりむけましょう。)というと手が綿のようにさわった。
 それから両方の肩から、背、横腹、いしき、さらさら水をかけてはさすってくれる。
 それがさ、骨に通って冷たいかというとそうではなかった。暑い時分じゃが、理窟りくつをいうとこうではあるまい、わしの血がいたせいか、婦人おんな温気ぬくみか、手で洗ってくれる水がいい工合ぐあいに身に染みる、もっともたちい水は柔かじゃそうな。
 その心地ここちもいわれなさで、眠気ねむけがさしたでもあるまいが、うとうとする様子で、きずの痛みがなくなって気が遠くなって、ひたとくっついている婦人おんなの身体で、わしは花びらの中へ包まれたような工合。
 山家やまがの者には肖合にあわぬ、都にもまれな器量はいうにおよばぬが弱々しそうな風采ふうじゃ、背中を流すうちにもはッはッと内証ないしょ呼吸いきがはずむから、もう断ろう断ろうと思いながら、例の恍惚うっとりで、気はつきながら洗わした。
 その上、山の気か、女のにおいか、ほんのりと佳いかおりがする、わし背後うしろでつく息じゃろうと思った。」
 上人しょうにんはちょっと句切って、
「いや、お前様お手近じゃ、そのあかりき立ってもらいたい、暗いとしからぬ話じゃ、ここらから一番野面のづらやっつけよう。」
 まくらを並べた上人の姿もおぼろげにあかりは暗くなっていた、早速燈心とうしんを明くすると、上人は微笑ほほえみながら続けたのである。
「さあ、そうやっていつの間にやらうつつとも無しに、こう、その不思議な、結構な薫のするあったかい花の中へ柔かに包まれて、足、腰、手、肩、えりから次第しだい天窓あたままで一面にかぶったから吃驚びっくり、石に尻餅しりもちいて、足を水の中に投げ出したから落ちたと思うとたんに、女の手が背後うしろから肩越しに胸をおさえたのでしっかりつかまった。
貴僧あなた、おそばに居て汗臭あせくそうはござんせぬかい、とんだ暑がりなんでございますから、こうやっておりましてもこんなでございますよ。)という胸にある手を取ったのを、あわてて放して棒のように立った。
(失礼、)
(いいえ誰も見ておりはしませんよ。)とすまして言う、婦人おんなもいつの間にか衣服きものを脱いで全身を練絹ねりぎぬのようにあらわしていたのじゃ。
 何とおどろくまいことか。
(こんなに太っておりますから、もうおはずかしいほど暑いのでございます、今時は毎日二度も三度も来てはこうやって汗を流します、この水がございませんかったらどういたしましょう、貴僧あなた、お手拭てぬぐい。)といってしぼったのを寄越よこした。
(それでおみ足をおきなさいまし。)
 いつの間にか、体はちゃんと拭いてあった、お話し申すもおそれ多いが、はははははは。」

十六


「なるほど見たところ、衣服きものを着た時の姿とはちごうてししつきの豊な、ふっくりとしたはだえ
(さっき小屋へ入って世話をしましたので、ぬらぬらした馬の鼻息が体中にかかって気味が悪うござんす。ちょうどようございますから私も体を拭きましょう。)
 と姉弟きょうだい内端話うちわばなしをするような調子。手をあげて黒髪をおさえながらわきの下を手拭でぐいと拭き、あとを両手で絞りながら立った姿、ただこれ雪のようなのをかかる霊水で清めた、こういう女の汗は薄紅うすくれないになって流れよう。
 ちょいちょいとくしを入れて、
(まあ、女がこんなお転婆てんばをいたしまして、川へおっこちたらどうしましょう、川下かわしもへ流れて出ましたら、村里の者が何といって見ましょうね。)
白桃しろももの花だと思います。)とふと心付いて何の気もなしにいうと、顔が合うた。
 すると、さもうれしそうに莞爾にっこりしてその時だけは初々ういういしゅう年紀としも七ツ八ツ若やぐばかり、処女きむすめはじふくんで下を向いた。
 わしはそのまま目をらしたが、その一段の婦人おんなの姿が月を浴びて、薄い煙に包まれながら向う岸のしぶき[#「さんずい+散」、U+6F75、140-10]れて黒い、なめらかな大きな石へ蒼味あおみを帯びて透通すきとおって映るように見えた。
 するとね、夜目で判然はっきりとは目にらなんだが地体じたい何でも洞穴ほらあながあるとみえる。ひらひらと、こちらからもひらひらと、ものの鳥ほどはあろうという大蝙蝠おおこうもりが目をさえぎった。
(あれ、いけないよ、お客様があるじゃないかね。)
 不意を打たれたように叫んで身悶みもだえをしたのは婦人おんな
(どうかなさいましたか、)もうちゃんと法衣ころもを着たから気丈夫きじょうぶたずねる。
(いいえ、)
 といったばかりできまりが悪そうに、くるりと後向うしろむきになった。
 その時小犬ほどな鼠色ねずみいろ小坊主こぼうずが、ちょこちょことやって来て、あなやと思うと、がけから横に宙をひょいと、背後うしろから婦人おんなの背中へぴったり。
 裸体はだかの立姿は腰から消えたようになって、だきついたものがある。
畜生ちくしょう、お客様が見えないかい。)
 と声にいかりを帯びたが、
(お前達は生意気なまいきだよ、)と激しくいいさま、腋の下からのぞこうとしたくだんの動物の天窓あたま振返ふりかえりさまにくらわしたで。
 キッキッというて奇声を放った、件の小坊主はそのまま後飛うしろとびにまた宙を飛んで、今まで法衣ころもをかけておいた、枝のさきへ長い手でつるさがったと思うと、くるりと釣瓶覆つるべがえしに上へ乗って、それなりさらさらと木登きのぼりをしたのは、何とさるじゃあるまいか。
 枝から枝を伝うと見えて、見上げるように高い木の、やがてこずえまで、かさかさがさり。
 まばらに葉の中をすかして月は山のを放れた、その梢のあたり。
 婦人おんなはものにねたよう、今の悪戯いたずら、いや、毎々、ひき蝙蝠こうもりと、お猿で三度じゃ。
 その悪戯にいた機嫌きげんそこねた形、あまり子供がはしゃぎ過ぎると、若い母様おふくろにはてある図じゃ。
 本当に怒り出す。
 といった風情ふぜい面倒臭めんどうくさそうに衣服きものを着ていたから、わしは何にも問わずに小さくなって黙ってひかえた。」

十七


「優しいなかに強みのある、気軽に見えてもどこにか落着のある、馴々なれなれしくて犯しやすからぬ品のいい、いかなることにもいざとなれば驚くに足らぬという身にこたえのあるといったような風の婦人おんな、かく嬌瞋きょうしんを発してはきっといいことはあるまい、今この婦人おんな邪慳じゃけんにされては木から落ちた猿同然じゃと、おっかなびっくりで、おずおず控えていたが、いや案ずるよりうむが安い。
貴僧あなた、さぞおかしかったでござんしょうね、)と自分でも思い出したように快く微笑ほほえみながら、
(しようがないのでございますよ。)
 以前と変らず心安くなった、帯も早やしめたので、
(それではうちへ帰りましょう。)と米磨桶こめとぎおけ小腋こわきにして、草履ぞうりひっかけてつとがけのぼった。
(おあぶのうござんすから。)
(いえ、もうだいぶ勝手が分っております。)
 ずッと心得こころえつもりじゃったが、さてあがる時見ると思いのほか上までは大層高い。
 やがてまた例の木の丸太を渡るのじゃが、さっきもいった通り草のなかに横倒れになっている木地がこうちょうどうろこのようで、たとえにもよくいうが松の木はうわばみに似ているで。
 ことに崖を、上の方へ、いい塩梅あんばいうねった様子が、とんだものに持って来いなり、およそこのくらいな胴中どうなかの長虫がと思うと、頭と尾を草に隠して、月あかりに歴然ありありとそれ。
 山路の時を思い出すと我ながら足がすくむ。
 婦人おんなは深切にうしろ気遣きづこうては気を付けてくれる。
(それをお渡りなさいます時、下を見てはなりません。ちょうどちゅうとでよッぽど谷が深いのでございますから、目がうと悪うござんす。)
(はい。)
 愚図愚図ぐずぐずしてはいられぬから、我身わがみを笑いつけて、まず乗った。ひっかかるよう、きざが入れてあるのじゃから、気さえたしかなら足駄あしだでも歩行あるかれる。
 それがさ、一件じゃからたまらぬて、乗るとこうぐらぐらして柔かにずるずるといそうじゃから、わっというと引跨ひんまたいで腰をどさり。
(ああ、意気地いくじはございませんねえ。足駄では無理でございましょう、これとお穿えなさいまし、あれさ、ちゃんということをくんですよ。)
 わしはそのさっきからんとなくこの婦人おんな畏敬いけいの念が生じて善か悪か、どの道命令されるように心得たから、いわるるままに草履を穿いた。
 するとお聞きなさい、婦人おんなは足駄を穿きながら手を取ってくれます。
 たちまち身が軽くなったように覚えて、わけなくうしろに従って、ひょいとあの孤家ひとつや背戸せどはたへ出た。
 出会頭であいがしらに声をけたものがある。
(やあ、大分手間が取れると思ったに、ご坊様ぼうさまもとの体で帰らっしゃったの。)
(何をいうんだね、小父様おじさんうちの番はどうおしだ。)
(もういい時分じゃ、またわしあんまおそうなっては道が困るで、そろそろ青を引出して支度したくしておこうと思うてよ。)
(それはお待遠まちどおでござんした。)
(何さ、行ってみさっしゃいご亭主ていしゅは無事じゃ、いやなかなかわしが手には口説くどき落されなんだ、ははははは。)と意味もないことを大笑おおわらいして、親仁おやじうまやの方へてくてくと行った。
 白痴ばかはおなじ処になお形を存している、海月くらげも日にあたらねば解けぬとみえる。」

十八


「ヒイイン! しっ、どうどうどうと背戸をまわ鰭爪ひづめの音がえんひびいて親仁おやじは一頭の馬を門前へ引き出した。
 轡頭くつわづらを取って立ちはだかり、
(嬢様そんならこのままでわし参りやする、はい、ご坊様ぼうさまにたくさんご馳走ちそうして上げなされ。)
 婦人おんな炉縁ろぶち行燈あんどう引附ひきつけ、俯向うつむいてなべの下をいぶしていたが、振仰ふりあおぎ、鉄の火箸ひばしを持った手をひざに置いて、
(ご苦労でござんす。)
(いんえごねんごろには及びましねえ。しっ!)と荒縄あらなわつなを引く。青で蘆毛あしげ裸馬はだかうまたくましいが、たてがみの薄いおすじゃわい。
 その馬がさ、私も別に馬は珍しゅうもないが、白痴殿ばかどの背後うしろかしこまって手持不沙汰てもちぶさたじゃから今引いて行こうとする時縁側へひらりと出て、
(その馬はどこへ。)
(おお、諏訪すわの湖のあたりまで馬市へ出しやすのじゃ、これから明朝あしたお坊様が歩行あるかっしゃる山路を越えて行きやす。)
(もし、それへ乗って今からおげ遊ばすおつもりではないかい。)
 婦人おんなあわただしく遮って声を懸けた。
(いえ、もったいない、修行しゅぎょうの身が馬で足休めをしましょうなぞとは存じませぬ。)
(何でも人間を乗っけられそうな馬じゃあござらぬ。お坊様は命拾いをなされたのじゃで、大人おとなしゅうして嬢様のそでの中で、今夜は助けてもらわっしゃい。さようならちょっくら行って参りますよ。)
(あい。)
畜生ちくしょう。)といったが馬は出ないわ。びくびくとうごめいて見えるおおき鼻面はなッつらをこちらへじ向けてしきりに私等わしらが居る方を見る様子。
(どうどうどう、畜生これあだけたけものじゃ、やい!)
 右左にして綱を引張ったが、あしから根をつけたごとくにぬっくと立っていてびくともせぬ。
 親仁おやじ大いに苛立いらだって、たたいたり、ったり、馬の胴体について二三度ぐるぐると廻ったが少しも歩かぬ。肩でぶッつかるようにして横腹よこっぱらたいをあてた時、ようよう前足を上げたばかりまた四脚よつあし突張つッぱり抜く。
(嬢様嬢様。)
 と親仁おやじわめくと、婦人おんなはちょっと立って白いつまさきをちょろちょろと真黒まっくろすすけた太い柱をたてに取って、馬の目の届かぬほどに小隠れた。
 その内腰にはさんだ、煮染にしめたような、なえなえの手拭てぬぐいを抜いて克明こくめいに刻んだ額のしわの汗をいて、親仁おやじはこれでよしという気組きぐみ、再び前へ廻ったが、もとによって貧乏動びんぼうゆるぎもしないので、綱に両手をかけて足をそろえて反返そりかえるようにして、うむと総身そうみに力を入れた。とたんにどうじゃい。
 すさまじくいなないて前足を両方中空なかぞらひるがえしたから、小さな親仁おやじは仰向けにひっくりかえった、ずどんどう、月夜に砂煙がぱっと立つ。
 白痴ばかにもこれは可笑おかしかったろう、この時ばかりじゃ、真直まっすぐに首をえて厚いくちびるをばくりと開けた、大粒おおつぶな歯を露出むきだして、あの宙へ下げている手を風であおるように、はらりはらり。
(世話が焼けることねえ、)
 婦人おんなは投げるようにいって草履ぞうりつッかけて土間へついと出る。
(嬢様勘違かんちがいさっしゃるな、これはお前様ではないぞ、何でもはじめからそこなお坊様に目をつけたっけよ、畜生俗縁ぞくえんがあるだッぺいわさ。)
 俗縁はおどろいたい。
 すると婦人が、
貴僧あなたここへいらっしゃるみちで誰にかおいなさりはしませんか。)」

十九


「(はい、つじの手前で富山の反魂丹売はんごんたんうりに逢いましたが、一足先にやっぱりこの路へ入りました。)
(ああ、そう。)と会心のえみもらして婦人おんな蘆毛あしげの方を見た、およそたまらなく可笑おかしいといったはしたない風采とりなりで。
 極めてくみやすう見えたので、
(もしや此家こちらへ参りませなんだでございましょうか。)
(いいえ、存じません。)という時たちまち犯すべからざる者になったから、わしは口をつぐむと、婦人おんなは、さじを投げてきものちりを払うている馬の前足の下に小さな親仁おやじを見向いて、
(しょうがないねえ、)といいながら、かなぐるようにして、その細帯を解きかけた、片端かたはしが土へ引こうとするのを、掻取かいとってちょいと猶予ためらう。
(ああ、ああ。)とにごった声を出して白痴ばかくだんのひょろりとした手を差向さしむけたので、婦人おんなは解いたのを渡してやると、風呂敷ふろしきひろげたような、他愛たわいのない、力のない、ひざの上へわがねて宝物ほうもつを守護するようじゃ。
 婦人おんな衣紋えもんを抱き合せ、乳の下でおさえながらしずかに土間を出て馬のわきへつつと寄った。
 わしはただ呆気あっけに取られて見ていると、爪立つまだちをして伸び上り、手をしなやかに空ざまにして、二三度たてがみでたが。
 大きな鼻頭はなづらの正面にすっくりと立った。せいもすらすらと急に高くなったように見えた、婦人おんなは目をえ、口を結び、まゆを開いて恍惚うっとりとなった有様ありさま愛嬌あいきょう嬌態しなも、世話らしい打解うちとけた風はとみにせて、神か、かと思われる。
 その時裏の山、向うのみね、左右前後にすくすくとあるのが、一ツ一ツくちばしを向け、かしらもたげて、この一落いちらくの別天地、親仁おやじ下手しもてに控え、馬に面してたたずんだ月下の美女の姿を差覗さしのぞくがごとく、陰々いんいんとして深山みやまの気がこもって来た。
 なまぬるい風のような気勢けはいがすると思うと、左の肩から片膚かたはだを脱いだが、右の手をはずして、前へ廻し、ふくらんだ胸のあたりで着ていたその単衣ひとえまるげて持ち、かすみまとわぬ姿になった。
 馬はせな、腹の皮をゆるめて汗もしとどに流れんばかり、突張つッぱった脚もなよなよとして身震みぶるいをしたが、鼻面はなづらを地につけて一掴ひとつかみ白泡しろあわ吹出ふきだしたと思うと前足を折ろうとする。
 その時、あぎとの下へ手をかけて、片手で持っていた単衣をふわりと投げて馬の目をおおうが否や、うさぎおどって、仰向あおむけざまに身をひるがえし、妖気ようきめて朦朧もうろうとした月あかりに、前足の間にはだはさまったと思うと、きぬを脱して掻取かいとりながら下腹をつとくぐって横に抜けて出た。
 親仁おやじ差心得さしこころえたものと見える、このきっかけに手綱たづなを引いたから、馬はすたすたと健脚けんきゃく山路やまじに上げた、しゃん、しゃん、しゃん、しゃんしゃん、しゃんしゃん、――見るに眼界を遠ざかる。
 婦人おんなは早や衣服きものひっかけて縁側えんがわへ入って来て、突然いきなり帯を取ろうとすると、白痴ばかしそうに押えて放さず、手を上げて、婦人おんなの胸をおさえようとした。
 邪慳じゃけんに払い退けて、きっとにらんで見せると、そのままがっくりとこうべを垂れた、すべての光景は行燈あんどうの火もかすかまぼろしのように見えたが、炉にくべたしばがひらひらと炎先ほさきを立てたので、婦人おんなはつと走って入る。空の月のうらを行くと思うあたりはるか馬子歌まごうたが聞えたて。」

二十


「さて、それからご飯の時じゃ、ぜんには山家やまがこうの物、生姜はじかみけたのと、わかめをでたの、塩漬の名も知らぬきのこ味噌汁みそしる、いやなかなか人参にんじん干瓢かんぴょうどころではござらぬ。
 品物はわびしいが、なかなかのお手料理、えてはいるし、冥加至極みょうがしごくなお給仕、盆を膝に構えてその上にひじをついて、ほおを支えながら、うれしそうに見ていたわ。
 縁側に居た白痴ばかたれ取合とりあわ徒然つれづれえられなくなったものか、ぐたぐたと膝行出いざりだして、婦人おんなそばへその便々べんべんたる腹を持って来たが、くずれたように胡坐あぐらして、しきりにこう我が膳をながめて、ゆびさしをした。
(うううう、うううう。)
(何でございますね、あとでおあがんなさい、お客様じゃあありませんか。)
 白痴ばかは情ない顔をして口をゆがめながらかぶりった。
いや? しょうがありませんね、それじゃご一所いっしょに召しあがれ。貴僧あなた、ごめんこうむりますよ。)
 わしは思わずはしを置いて、
(さあどうぞお構いなく、とんだご雑作ぞうさを頂きます。)
(いえ、何の貴僧あなた。お前さんのちほどに私と一所にお食べなさればいいのに。困った人でございますよ。)とそらさぬ愛想あいそ、手早くおなじような膳をこしらえてならべて出した。
 飯のつけようも効々かいがいしい女房にょうぼうぶり、しかも何となく奥床おくゆかしい、上品な、高家こうけの風がある。
 白痴あほうはどんよりした目をあげて膳の上をめていたが、
(あれを、ああ、ああ、あれ。)といってきょろきょろと四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわす。
 婦人おんなはじっとみまもって、
(まあ、いいじゃないか。そんなものはいつでも食られます、今夜はお客様がありますよ。)
(うむ、いや、いや。)と肩腹をゆすったが、べそをいて泣出しそう。
 婦人おんなこうじ果てたらしい、かたわらのものの気の毒さ。
(嬢様、何か存じませんが、おっしゃる通りになすったがよいではござりませんか。わたくしにお気遣きづかいはかえって心苦しゅうござります。)と慇懃いんぎんにいうた。
 婦人おんなはまたもう一度、
(厭かい、これでは悪いのかい。)
 白痴ばかが泣出しそうにすると、さもうらめしげに流眄ながしめに見ながら、こわれごわれになった戸棚とだなの中から、はちに入ったのを取り出して手早く白痴ばかの膳につけた。
(はい。)とわざとらしく、すねたようにいって笑顔造えがおづくり
 はてさて迷惑めいわくな、こりゃ目の前で黄色蛇あおだいしょう旨煮うまにか、腹籠はらごもりの猿の蒸焼むしやきか、災難が軽うても、赤蛙あかがえる干物ひものを大口にしゃぶるであろうと、そっと見ていると、片手にわんを持ちながら掴出つかみだしたのは老沢庵ひねたくあん
 それもさ、刻んだのではないで、一本三ツ切にしたろうという握太にぎりぶとなのを横銜よこぐわえにしてやらかすのじゃ。
 婦人おんなはよくよくあしらいかねたか、ぬすむようにわしを見てさっと顔をあからめて初心らしい、そんなたちではあるまいに、はずかしげにひざなる手拭てぬぐいはしを口にあてた。
 なるほどこの少年はこれであろう、身体からだは沢庵色にふとっている。やがてわけもなく餌食えじきたいらげて湯ともいわず、ふッふッと大儀たいぎそうに呼吸いきを向うへくわさ。
(何でございますか、私は胸につかえましたようで、ちっとも欲しくございませんから、またのちほどに頂きましょう、)
 と婦人おんな自分は箸も取らずに二ツの膳を片づけてな。」

二十一


「しばらくしょんぼりしていたっけ。
貴僧あなた、さぞお疲労つかれ、すぐにお休ませ申しましょうか。)
難有ありがとう存じます、まだちっとも眠くはござりません、さっき体を洗いましたので草臥くたびれもすっかりなおりました。)
(あの流れはどんな病にでもよく利きます、わたしが苦労をいたしまして骨と皮ばかりに体がれましても、半日あすこにつかっておりますと、水々しくなるのでございますよ。もっともあのこれから冬になりまして山がまるで氷ってしまい、川もがけも残らず雪になりましても、貴僧あなたが行水を遊ばしたあすこばかりは水がかくれません、そうしていきりが立ちます。
 鉄砲疵てっぽうきずのございます猿だの、貴僧あなた、足を折った五位鷺ごいさぎ種々いろいろなものがゆあみに参りますからその足跡あしあとがけの路が出来ますくらい、きっとそれが利いたのでございましょう。
 そんなにございませんければこうやってお話をなすって下さいまし、さびしくってなりません、本当ほんとにおはずかしゅうございますが、こんな山の中に引籠ひっこもっておりますと、ものをいうことも忘れましたようで、心細いのでございますよ。
 貴僧あなた、それでもお眠ければご遠慮えんりょなさいますなえ。別にお寝室ねまと申してもございませんがその代りは一ツも居ませんよ、町方まちかたではね、かみほらの者は、里へ泊りに来た時蚊帳かやって寝かそうとすると、どうして入るのか解らないので、梯子はしごを貸せいとわめいたと申してなぶるのでございます。
 たんと朝寐あさねを遊ばしてもかねは聞えず、とりも鳴きません、犬だっておりませんからお心安こころやすうござんしょう。
 この人も生れ落ちるとこの山で育ったので、何にも存じません代り、気のいい人でちっともお心置こころおきはないのでござんす。
 それでも風俗ふうのかわった方がいらっしゃいますと、大事にしてお辞儀じぎをすることだけは知ってでございますが、まだご挨拶あいさつをいたしませんね。このごろは体がだるいと見えておなまけさんになんなすったよ。いいえ、まるでおろかなのではございません、何でもちゃんと心得こころえております。
 さあ、ご坊様にご挨拶をなすって下さい。まあ、お辞儀をお忘れかい。)と親しげに身を寄せて、顔を差しのぞいて、いそいそしていうと、白痴ばかはふらふらと両手をついて、ぜんまいが切れたようにがっくり一礼。
(はい、)といってわしも何か胸がせまってつむりを下げた。
 そのままその俯向うつむいた拍子ひょうしに筋が抜けたらしい、横に流れようとするのを、婦人おんなは優しゅうたすけ起して、
(おお、よくしたねえ。)
 天晴あっぱれといいたそうな顔色かおつきで、
貴僧あなた、申せば何でも出来ましょうと思いますけれども、この人の病ばかりはお医者の手でもあの水でもなおりませなんだ、両足が立ちませんのでございますから、何を覚えさしましても役には立ちません。それにご覧なさいまし、お辞儀一ツいたしますさえ、あの通り大儀たいぎらしい。
 ものを教えますと覚えますのにさぞ骨が折れてせつのうござんしょう、体を苦しませるだけだと存じて何にもさせないで置きますから、だんだん、手を動かすはたらきも、ものをいうことも忘れました。それでもあの、うたうたえますわ。二ツ三ツ今でも知っておりますよ。さあお客様に一ツお聞かせなさいましなね。)
 白痴ばか婦人おんなを見て、またわしが顔をじろじろ見て、人見知ひとみしりをするといった形で首を振った。」

二十二


左右とこうして、婦人おんなが、はげますように、すかすようにして勧めると、白痴ばかは首を曲げてかのへそもてあそびながら唄った。
木曽きそ御嶽山おんたけさんは夏でも寒い、
   あわせりたや足袋たびえて。
(よく知っておりましょう、)と婦人おんなは聞き澄して莞爾にっこりする。
 不思議や、唄った時の白痴ばかの声はこの話をお聞きなさるお前様はもとよりじゃが、わしも推量したとは月鼈雲泥げっべつうんでい、天地の相違、節廻ふしまわし、あげさげ、呼吸いきの続くところから、第一その清らかな涼しい声という者は、到底とうていこの少年の咽喉のどから出たものではない。まずさきの世のこの白痴ばかの身が、冥土めいどから管でそのふくれた腹へ通わして寄越よこすほどに聞えましたよ。
 私はかしこまって聞き果てると、膝に手をついたッきりどうしても顔を上げてそこな男女ふたりを見ることが出来ぬ、何か胸がキヤキヤして、はらはらと落涙らくるいした。
 婦人おんなは目早く見つけたそうで、
(おや、貴僧あなた、どうかなさいましたか。)
 急にものもいわれなんだが漸々ようよう
(はい、なあに、変ったことでもござりませぬ、わしも嬢様のことは別におたずね申しませんから、貴女あなたも何にも問うては下さりますな。)
 と仔細しさいは語らずただ思い入ってそう言うたが、実は以前から様子でも知れる、金釵玉簪きんさぎょくさんをかざし、蝶衣ちょういまとうて、珠履しゅり穿うがたば、まさ驪山りさんに入って、相抱あいいだくべき豊肥妖艶ほうひようえんの人が、その男に対する取廻しの優しさ、へだてなさ、深切しんせつさに、人事ひとごとながらうれしくて、思わず涙が流れたのじゃ。
 すると人の腹の中を読みかねるような婦人おんなではない、たちまち様子をさとったかして、
貴僧あなたはほんとうにお優しい。)といって、われぬ色を目にたたえて、じっと見た。わしこうべれた、むこうでも差俯向さしうつむく。
 いや、行燈あんどうがまた薄暗くなって参ったようじゃが、恐らくこりゃ白痴ばかのせいじゃて。
 その時よ。
 座が白けて、しばらく言葉が途絶とだえたうちに所在がないので、唄うたいの太夫たゆう退屈たいくつをしたとみえて、顔の前の行燈あんどうを吸い込むような大欠伸おおあくびをしたから。
 身動きをしてな、
(寝ようちゃあ、寝ようちゃあ、)とよたよた体を持扱もちあつかうわい。
(眠うなったのかい、もうお寝か。)といったがすわり直ってふと気がついたように四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわした。戸外おもてはあたかも真昼のよう、月の光はひろげたうちへはらはらとさして、紫陽花あじさいの色も鮮麗あざやかあおかった。
貴僧あなたももうお休みなさいますか。)
(はい、ご厄介やっかいにあいなりまする。)
(まあ、いま宿やどを寝かします、おゆっくりなさいましな。戸外おもてへは近うござんすが、夏は広い方が結句けっくうございましょう、わたしどもは納戸なんどせりますから、貴僧あなたはここへお広くおくつろぎがようござんす、ちょいと待って。)といいかけてつッと立ち、つかつかと足早に土間へ下りた、余り身のこなしが活溌かっばつであったので、その拍子に黒髪が先を巻いたままうなじくずれた。
 びんをおさえて戸につかまって、戸外おもてすかしたが、独言ひとりごとをした。
(おやおやさっきのさわぎでくしを落したそうな。)
 いかさま馬の腹をくぐった時じゃ。」

二十三


 この折から下の廊下ろうか跫音あしおとがして、しずか大跨おおまた歩行あるいたのが、せきとしているからよく。
 やがて小用こようした様子、雨戸をばたりと開けるのが聞えた、手水鉢ちょうずばち柄杓ひしゃくひびき
「おお、つもった、積った。」とつぶやいたのは、旅籠屋はたごやの亭主の声である。
「ほほう、この若狭わかさ商人あきんどはどこかへ泊ったと見える、何か愉快おもしろい夢でも見ているかな。」
「どうぞその後を、それから。」と聞く身には他事をいううちが牴牾もどかしく、にべもなく続きをうながした。
「さて、夜もけました、」といって旅僧たびそうはまた語出かたりだした。
「たいてい推量もなさるであろうが、いかに草臥くたびれておっても申上げたような深山みやま孤家ひとつやで、眠られるものではない、それに少し気になって、はじめの内わしを寝かさなかった事もあるし、目はえて、まじまじしていたが、さすがに、つかれひどいから、しんは少しぼんやりして来た、何しろ夜の白むのが待遠まちどおでならぬ。
 そこではじめの内は我ともなく鐘の音の聞えるのを心頼みにして、今鳴るか、もう鳴るか、はて時刻はたっぷりったものをと、あやしんだが、やがて気が付いて、こういう処じゃ山寺どころではないと思うと、にわかに心細くなった。
 その時は早や、夜がものにたとえると谷の底じゃ、白痴ばかがだらしのない寐息ねいきも聞えなくなると、たちまち戸の外にものの気勢けはいがしてきた。
 けものの跫音のようで、さまで遠くの方から歩行あるいて来たのではないよう、猿も、ひきも、居る処と、気休めにまず考えたが、なかなかどうして。
 しばらくすると今そやつが正面の戸にちかづいたなと思ったのが、羊の鳴声になる。
 私はその方をまくらにしていたのじゃから、つまり枕頭まくらもと戸外おもてじゃな。しばらくすると、右手めてのかの紫陽花が咲いていたその花の下あたりで、鳥の羽ばたきする音。
 むささびか知らぬがきッきッといって屋のむねへ、やがておよそ小山ほどあろうと気取けどられるのが胸をすほどにちかづいて来て、牛が鳴いた、遠くの彼方かなたからひたひたと小刻こきざみけて来るのは、二本足に草鞋わらじ穿いた獣と思われた、いやさまざまにむらむらとうちのぐるりを取巻いたようで、二十三十のものの鼻息、羽音、中にはささやいているのがある。あたかも何よ、それ畜生道ちくしょうどうの地獄の絵を、月夜に映したような怪しの姿が板戸一枚、魑魅魍魎ちみもうりょうというのであろうか、ざわざわと木の葉がそよ気色けしきだった。
 息をこらすと、納戸で、
(うむ、)といって長く呼吸いきを引いて一声ひとこえうなされたのは婦人おんなじゃ。
(今夜はお客様があるよ。)と叫んだ。
(お客様があるじゃないか。)
 としばらく経って二度目のははっきりとすずしい声。
 極めて低声こごえで、
(お客様があるよ。)といって寝返る音がした、さらに寝返る音がした。
 戸の外のものの気勢けはい動揺どよめきを造るがごとく、ぐらぐらと家がゆらめいた。
 わし陀羅尼だらにじゅした。
若不順我呪にゃくふじゅんがしゅ 悩乱説法者のうらんせっぽうじゃ
頭破作七分ずはさしちぶん 如阿梨樹枝にょありじゅし
如殺父母罪にょしぶもざい 亦如厭油殃やくにょおうゆおう
斗秤欺誑人としょうごおうにん 調達破僧罪じょうだつはそうざい
犯此法師者ほんしほっししゃ 当獲如是殃とうぎゃくにょぜおう
 と一心不乱、さっと木の葉をいて風がみんなみへ吹いたが、たちまちしずまり返った、夫婦がねやもひッそりした。」

二十四


「翌日また正午頃ひるごろ、里近く、滝のある処で、昨日きのう馬を売りに行った親仁おやじの帰りにうた。
 ちょうどわしが修行に出るのをして孤家ひとつやに引返して、婦人おんな一所いっしょ生涯しょうがいを送ろうと思っていたところで。
 実を申すとここへ来る途中でもその事ばかり考える、蛇の橋もさいわいになし、ひるの林もなかったが、道が難渋なんじゅうなにつけても、汗が流れて心持が悪いにつけても、今更いまさら行脚あんぎゃもつまらない。むらさき袈裟けさをかけて、七堂伽藍しちどうがらんに住んだところで何ほどのこともあるまい、活仏様いきぼとけさまじゃというて、わあわあ拝まれれば人いきれで胸が悪くなるばかりか。
 ちとお話もいかがじゃから、さっきはことを分けていいませなんだが、昨夜ゆうべ白痴ばかかしつけると、婦人おんながまた炉のある処へやって来て、世の中へ苦労をしに出ようより、夏は涼しく、冬は暖い、このながれに一所にわたしそばにおいでなさいというてくれるし、まだまだそればかりでは自分に魔がしたようじゃけれども、ここに我身で我身に言訳いいわけが出来るというのは、しきりに婦人おんな不便ふびんでならぬ、深山みやま孤家ひとつや白痴ばかとぎをして言葉も通ぜず、日をるに従うてものをいうことさえ忘れるような気がするというは何たる事!
 こと今朝けさ東雲しののめたもとを振り切って別れようとすると、お名残惜なごりおしや、かような処にこうやって老朽おいくちる身の、再びお目にはかかられまい、いささ小川の水になりとも、どこぞで白桃しろももの花が流れるのをご覧になったら、私の体が谷川に沈んで、ちぎれちぎれになったことと思え、といってしおれながら、なお深切しんせつに、道はただこの谷川の流れに沿うて行きさえすれば、どれほど遠くても里に出らるる、目の下近く水がおどって、滝になって落つるのを見たら、人家が近づいたと心を安んずるように、と気をつけて、孤家ひとつやの見えなくなったあたりで、ゆびさしをしてくれた。
 その手と手を取交とりかわすには及ばずとも、そばにつきって、朝夕の話対手はなしあいてきのこの汁でごぜんを食べたり、わしほだいて、婦人おんななべをかけて、わしを拾って、婦人おんなが皮をいて、それから障子しょうじの内と外で、話をしたり、笑ったり、それから谷川で二人して、その時の婦人おんな裸体はだかになってわしが背中へ呼吸いきかよって、微妙びみょうかおりの花びらにあたたかに包まれたら、そのまま命が失せてもいい!
 滝の水を見るにつけてもがたいのはその事であった、いや、冷汗ひやあせが流れますて。
 その上、もう気がたるみ、すじゆるんで、歩行あるくのにきが来て、喜ばねばならぬ人家が近づいたのも、たかがよくされて口のくさばあさんに渋茶を振舞ふるまわれるのが関の山と、里へ入るのもいやになったから、石の上へひざけた、ちょうど目の下にある滝じゃった、これがさ、のちに聞くと女夫滝めおとだきと言うそうで。
 真中にまず鰐鮫わにざめが口をあいたような先のとがった黒い大巌おおいわ突出つきでていると、上から流れて来るさっとの早い谷川が、これに当ってふたつわかれて、およそ四丈ばかりの滝になってどっと落ちて、また暗碧あんぺき白布しろぬのを織って矢を射るように里へ出るのじゃが、その巌にせかれた方は六尺ばかり、これは川の一幅ひとはばいて糸も乱れず、一方は幅が狭い、三尺くらい、この下には雑多な岩が並ぶとみえて、ちらちらちらちらと玉のすだれを百千にくだいたよう、くだん鰐鮫わにざめの巌に、すれつ、もつれつ。」

二十五


「ただ一筋ひとすじでも巌を越して男滝おだきすがりつこうとする形、それでも中をへだてられて末まではしずくも通わぬので、まれ、揺られてつぶさに辛苦しんくめるという風情ふぜい、この方は姿もやつかたちも細って、流るる音さえ別様に、泣くか、うらむかとも思われるが、あわれにも優しい女滝めだきじゃ。
 男滝の方はうらはらで、石を砕き、地をつらぬいきおい、堂々たる有様ありさまじゃ、これが二つくだんの巌に当って左右に分れて二筋となって落ちるのが身にみて、女滝の心を砕く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身をふるわすようで、岸に居てさえ体がわななく、肉がおどる。ましてこの水上みなかみは、昨日きのう孤家ひとつや婦人おんなと水を浴びた処と思うと、気のせいかその女滝の中に絵のようなかの婦人おんなの姿が歴々ありあり、と浮いて出ると巻込まれて、沈んだと思うとまた浮いて、千筋ちすじに乱るる水とともにそのはだえに砕けて、花片はなびらが散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足もまったき姿となって、浮いつ沈みつ、ぱッと刻まれ、あッと見る間にまたあらわれる。わしたまらず真逆まっさかさまに滝の中へ飛込んで、女滝をしかと抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響じひびき打たせて。山彦やまびこを呼んでとどろいて流れている。ああその力をもってなぜ救わぬ、ままよ!
 滝に身を投げて死のうより、もと孤家ひとつやへ引返せ。けがらわしい欲のあればこそこうなった上に躊躇ちゅうちょするわ、その顔を見て声を聞けば、かれら夫婦が同衾ひとつねするのにまくらを並べて差支さしつかえぬ、それでも汗になって修行をして、坊主で果てるよりはよほどのましじゃと、思切おもいきって戻ろうとして、石を放れて身を起した、背後うしろから一ツ背中をたたいて、
(やあ、ご坊様ぼうさま。)といわれたから、時が時なり、心も心、後暗うしろぐらいので喫驚びっくりして見ると、閻王えんおう使つかいではない、これが親仁おやじ
 馬は売ったか、身軽になって、小さな包みを肩にかけて、手に一こいの、うろこ金色こんじきなる、溌剌はつらつとして尾の動きそうな、あたらしい、そのたけ三尺ばかりなのを、あぎとわらを通して、ぶらりと提げていた。何んにも言わず急にものもいわれないでみまもると、親仁おやじはじっと顔を見たよ。そうしてにやにやと、また一通りの笑い方ではないて、薄気味うすきみの悪い北叟笑ほくそえみをして、
(何をしてござる、ご修行の身が、このくらいのあつさで、岸に休んでいさっしゃる分ではあんめえ、一生懸命いっしょうけんめい歩行あるかっしゃりや、昨夜ゆうべとまりからここまではたった五里、もう里へ行って地蔵様を拝まっしゃる時刻じゃ。
 何じゃの、おらが嬢様におもいかかって煩悩ぼんのうが起きたのじゃの。うんにゃ、かくさっしゃるな、おらが目は赤くッても、白いか黒いかはちゃんと見える。
 地体じたいなみのものならば、嬢様の手がさわってあの水を振舞ふるまわれて、今まで人間でいようはずがない。
 牛か馬か、猿か、ひきか、蝙蝠こうもりか、何にせい飛んだかねたかせねばならぬ。谷川から上って来さしった時、手足も顔も人じゃから、おらあ魂消たまげたくらい、お前様それでも感心にこころざし堅固けんごじゃから助かったようなものよ。
 何と、おらがいて行った馬を見さしったろう。それで、孤家ひとつやへ来さっしゃる山路やまみち富山とやま反魂丹売はんごんたんうりわしったというではないか、それみさっせい、あの助平野郎すけべいやろう、とうに馬になって、それ馬市でおあしになって、おあしが、そうらこの鯉に化けた。大好物で晩飯の菜になさる、お嬢様を一体何じゃと思わっしゃるの)。」[#「)。」」はママ]
 わたしは思わずさえぎった。
「お上人しょうにん?」

二十六


 上人はうなずきながらつぶやいて、
「いや、まず聞かっしゃい、かの孤家ひとつや婦人おんなというは、もとな、これもわしには何かのえんがあった、あの恐しい魔処ましょへ入ろうという岐道そばみちの水があふれた往来で、百姓が教えて、あすこはその以前医者の家であったというたが、その家の嬢様じゃ。
 何でも飛騨ひだ一円当時変ったことも珍らしいこともなかったが、ただ取りでていう不思議はこの医者のむすめで、生まれると玉のよう。
 母親殿おふくろどの頬板ほおっぺたのふくれた、めじりの下った、鼻の低い、俗にさしぢちというあの毒々しい左右の胸の房を含んで、どうしてあれほど美しく育ったものだろうという。
 昔から物語の本にもある、屋のむねへ白羽の征矢そやが立つか、さもなければ狩倉かりくらの時貴人あでびとのお目にとまって御殿ごてん召出めしだされるのは、あんなのじゃとうわさが高かった。
 父親てておやの医者というのは、頬骨ほおぼねのとがったひげの生えた、見得坊みえぼう傲慢ごうまん、そのくせでもじゃ、もちろん田舎いなかには刈入かりいれの時よくいねが目に入ると、それからわずらう、脂目やにめ赤目あかめ流行目はやりめが多いから、先生眼病の方は少しったが、内科と来てはからッぺた。外科なんと来た日にゃあ、鬢附びんつけへ水を垂らしてひやりときずにつけるくらいなところ。
 いわし天窓あたまも信心から、それでも命数のきぬやからは本復するから、ほか竹庵ちくあん養仙ようせん木斎もくさいの居ない土地、相応に繁盛はんじょうした。
 ことに娘が十六七、女盛おんなざかりとなって来た時分には、薬師様が人助けに先生様のうちへ生れてござったというて、信心渇仰しんじんかつごう善男善女ぜんなんぜんにょ? 病男病女が我も我もとける。
 それというのが、はじまりはかの嬢様が、それ、馴染なじみの病人には毎日顔を合せるところから愛想あいその一つも、あなたお手が痛みますかい、どんなでございます、といって手先へ柔かなてのひらさわると第一番に次作兄じさくあにいという若いのの(りょうまちす)が全快、お苦しそうなといって腹をさすってやると水あたりの差込さしこみまったのがある、初手しょては若い男ばかりに利いたが、だんだん老人としよりにも及ぼして、後には婦人おんなの病人もこれでなおる、復らぬまでも苦痛いたみが薄らぐ、根太ねぶとうみを切って出すさえ、びた小刀で引裂ひっさく医者殿が腕前じゃ、病人は七顛八倒しちてんはっとうして悲鳴を上げるのが、娘が来て背中へぴったりと胸をあてて肩を押えていると、我慢がまんが出来るといったようなわけであったそうな。
 ひとしきりあのやぶの前にある枇杷びわの古木へ熊蜂くまんばちが来ておそろしい大きな巣をかけた。
 すると医者の内弟子うちでしで薬局、拭掃除ふきそうじもすれば総菜畠そうざいばたけいもる、近い所へは車夫も勤めた、下男兼帯げなんけんたいの熊蔵という、そのころ二十四五さい稀塩散きえんさん単舎利別たんしゃりべつを混ぜたのをびんに盗んで、うち吝嗇けちじゃから見附かるとしかられる、これを股引ももひきはかま一所いっしょに戸棚の上にせておいて、ひまさえあればちびりちびり飲んでた男が、庭掃除そうじをするといって、くだんの蜂の巣を見つけたっけ。
 縁側えんがわへやって来て、お嬢様面白いことをしてお目にけましょう、無躾ぶしつけでござりますが、わたしのこの手をにぎって下さりますと、あの蜂の中へ突込つッこんで、蜂をつかんで見せましょう。お手が障った所だけはしましても痛みませぬ、竹箒たけぼうき引払ひっぱたいては八方へ散らばって体中にたかられてはそれはしのげませぬ即死そくしでございますがと、微笑ほほえんで控える手で無理に握ってもらい、つかつかと行くと、すさまじい虫のうなり、やがて取って返した左の手に熊蜂が七ツ八ツ、羽ばたきをするのがある、あしを振うのがある、中には掴んだ指のまた這出はいだしているのがあった。
 さあ、あの神様の手が障れば鉄砲玉でも通るまいと、蜘蛛くもの巣のように評判が八方へ。
 そのころからいつとなく感得したものとみえて、仔細しさいあって、あの白痴ばかに身を任せて山にこもってからは神変不思議、年をるに従うて神通じんつう自在じゃ。はじめは体を押つけたのが、足ばかりとなり、手さきとなり、はては間をへだてていても、道を迷うた旅人は嬢様が思うままはッという呼吸いきで変ずるわ。
 と親仁おやじがその時物語って、ご坊は、孤家ひとつや周囲ぐるりで、猿を見たろう、ひきを見たろう、蝙蝠こうもりを見たであろう、うさぎも蛇も皆嬢様に谷川の水を浴びせられて畜生ちくしょうにされたるやから
 あわれあの時あの婦人おんなが、蟇にまつわられたのも、猿に抱かれたのも、蝙蝠に吸われたのも、夜中に魑魅魍魎ちみもうりょうおそわれたのも、思い出して、わしはひしひしと胸に当った。
 なお親仁おやじのいうよう。
 今の白痴ばかも、くだんの評判の高かった頃、医者のうちへ来た病人、その頃はまだ子供、朴訥ぼくとつな父親が附添つきそい、髪の長い、兄貴がおぶって山から出て来た。脚に難渋なんじゅう腫物はれものがあった、その療治りょうじを頼んだので。
 もとより一室ひとまを借受けて、逗留とうりゅうをしておったが、かほどのなやみ大事おおごとじゃ、血も大分だいぶんに出さねばならぬ、ことに子供、手をおろすには体に精分をつけてからと、まず一日に三ツずつ鶏卵たまごを飲まして、気休めに膏薬こうやくっておく。
 その膏薬をがすにも親や兄、またそばのものが手を懸けると、かたくなってこわばったのが、めりめりと肉にくッついて取れる、ひいひいと泣くのじゃが、娘が手をかけてやればだまってこらえた。
 一体は医者殿、手のつけようがなくって身のおとろえをいい立てに一日延ばしにしたのじゃが三日つと、兄を残して、克明こくめい父親てておやは股引のひざでずって、あとさがりに玄関から土間へ、草鞋わらじ穿いてまたつちに手をついて、次男坊の生命いのちたすかりまするように、ねえねえ、というて山へ帰った。
 それでもなかなか捗取はかどらず、七日なぬかも経ったので、あとに残って附添っていた兄者人あにじゃびとが、ちょうど刈入で、この節は手が八本も欲しいほどいそがしい、お天気模様も雨のよう、長雨にでもなりますと、山畠やまばたけにかけがえのない、稲がくさっては、餓死うえじにでござりまする、総領のわしは、一番の働手はたらきて、こうしてはおられませぬから、とことわりをいって、やれ泣くでねえぞ、としんみり子供にいい聞かせて病人を置いて行った。
 後には子供一人、その時が、戸長様こちょうさまの帳面前年紀とし六ツ、親六十で二十はたちなら徴兵ちょうへいはお目こぼしと何を間違えたか届が五年遅うして本当は十一、それでも奥山で育ったから村の言葉もろくには知らぬが、怜悧りこうな生れで聞分ききわけがあるから、三ツずつあいかわらず鶏卵たまごを吸わせられるつゆも、今に療治の時残らず血になって出ることと推量して、べそをいても、兄者が泣くなといわしったと、耐えていた心の内。
 娘のなさけで内と一所にぜんを並べて食事をさせると、沢庵たくあんきれをくわえてすみの方へ引込ひきこむいじらしさ。
 いよいよ明日あすが手術という夜は、みんな寐静ねしずまってから、しくしくのように泣いているのを、手水ちょうずに起きた娘が見つけてあまり不便ふびんさに抱いて寝てやった。
 さて治療りょうじとなると例のごとく娘が背後うしろから抱いていたから、脂汗あぶらあせを流しながら切れものが入るのを、感心にじっと耐えたのに、どこを切違えたか、それから流れ出した血が留まらず、見る見る内に色が変って、あぶなくなった。
 医者もあおくなって、騒いだが、神のたすけかようよう生命いのち取留とりとまり、三日ばかりで血も留ったが、とうとう腰が抜けた、もとより不具かたわ
 これが引摺ひきずって、足を見ながら情なそうな顔をする。蟋蟀きりぎりす※(「怨」の「心」に代えて「手」、第4水準2-13-4)がれたあしを口にくわえて泣くのを見るよう、目もあてられたものではない。
 しまいには泣出すと、外聞もあり、少焦すこじれで、医者はおそろしい顔をしてにらみつけると、あわれがって抱きあげる娘の胸に顔をかくしてすがるさまに、年来としごろ随分ずいぶんと人を手にかけた医者もを折って腕組うでぐみをして、はッという溜息ためいき
 やがて父親てておやむかえにござった、因果いんが断念あきらめて、別に不足はいわなんだが、何分小児こどもが娘の手を放れようといわぬので、医者もさいわい言訳いいわけかたがた、親兄おやあにの心をなだめるため、そこで娘に小児こどもうちまで送らせることにした。
 送って来たのが孤家ひとつやで。
 その時分はまだ一個のそう、家も二十軒あったのが、娘が来て一日二日、ついほだされて逗留とうりゅうした五日目から大雨が降出ふりだした。滝をくつがえすようで小歇おやみもなく家に居ながらみんな簑笠みのかさしのいだくらい、茅葺かやぶきつくろいをすることはさて置いて、表の戸もあけられず、内から内、となり同士、おうおうと声をかけ合ってわずかにまだ人種ひとだねの世にきぬのを知るばかり、八日を八百年と雨の中にこもると九日目の真夜中から大風が吹出してその風の勢ここがとうげというところでたちまち泥海どろうみ
 この洪水こうずいで生残ったのは、不思議にも娘と小児こどもとそれにその時村から供をしたこの親仁おやじばかり。
 おなじ水で医者の内も死絶しにたえた、さればかような美女が片田舎かたいなかに生れたのも国が世がわり、だいがわりの前兆であろうと、土地のものは言い伝えた。
 嬢様は帰るに家なく、世にただ一人となって小児こどもと一所に山にとどまったのはご坊が見らるる通り、またあの白痴ばかにつきそって行届ゆきとどいた世話も見らるる通り、洪水の時から十三年、いまになるまで一日もかわりはない。
 といい果てて親仁おやじはまた気味の悪い北叟笑ほくそえみ
(こう身の上を話したら、嬢様を不便ふびんがって、まきを折ったり水をむ手助けでもしてやりたいと、情がかかろう。本来の好心すきごころ、いい加減な慈悲じひじゃとか、情じゃとかいう名につけて、いっそ山へ帰りたかんべい、はてかっしゃい。あの白痴殿ばかどのの女房になって世の中へは目もやらぬかわりにゃあ、嬢様は如意にょい自在、男はより取って、けば、息をかけてけものにするわ、殊にその洪水以来、山を穿うがったこの流は天道様てんとうさまがお授けの、男をいざなあやしの水、生命いのちを取られぬものはないのじゃ。
 天狗道てんぐどうにも三熱の苦悩くのう、髪が乱れ、色が蒼ざめ、胸がせて手足が細れば、谷川を浴びるともとの通り、それこそ水が垂るばかり、招けばきたうおも来る、にらめば美しいも落つる、そでかざせば雨も降るなり、まゆを開けば風も吹くぞよ。
 しかもうまれつきの色好み、殊にまた若いのがすきじゃで、何かご坊にいうたであろうが、それをまこととしたところで、やがてかれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。
 いややがて、この鯉を料理して、大胡坐おおあぐらで飲む時の魔神の姿が見せたいな。
 妄念もうねんは起さずに早うここを退かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加いのちみょうがな、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。)とまた一ツ背中をたたいた、親仁おやじは鯉をげたまま見向きもしないで、山路やまじかみの方。
 見送ると小さくなって、一座の大山おおやま背後うしろへかくれたと思うと、油旱あぶらひでりの焼けるような空に、その山のいただきから、すくすくと雲が出た、滝の音も静まるばかり殷々いんいんとしてらいひびき
 藻抜もぬけのように立っていた、わしたましいは身に戻った、そなたを拝むとひとしく、つえをかい込み、小笠おがさを傾け、くびすを返すとあわただしく一散にけ下りたが、里に着いた時分に山は驟雨ゆうだち親仁おやじ婦人おんなもたらした鯉もこのために活きて孤家ひとつやに着いたろうと思う大雨であった。」
 高野聖こうやひじりはこのことについて、あえて別にちゅうしておしえあたえはしなかったが、翌朝たもとを分って、雪中山越せっちゅうやまごえにかかるのを、名残惜なごりおしく見送ると、ちらちらと雪の降るなかを次第しだいに高く坂道をのぼる聖の姿、あたかも雲にして行くように見えたのである。
(明治三十三年)





底本:「ちくま日本文学全集 泉鏡花」筑摩書房
   1991(平成3)年10月20日 第1刷
   1995(平成7)年8月15日 第2刷
底本の親本:「現代日本文学大系5」筑摩書房
   1972(昭和47)年5月15日
初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂
   1900(明治33)年2月1日
入力:真先芳秋
校正:林めぐみ
1999年1月30日公開
2012年4月3日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「さんずい+散」、U+6F75    140-10


●図書カード