続銀鼎

泉鏡太郎





 不思議ふしぎなる光景くわうけいである。
 白河しらかははやがて、きしきるかはづこゑ、――かはづこゑもさあとひゞく――とゝもに、さあとる、ながれおとわかるゝごとく、汽車きしやあだかあめ大川おほかはをあとにして、また一息ひといきくら陸奥みちのくしづむ。……真夜中まよなかに、色沢いろつやのわるい、ほゝせた詩人しじん一人ひとりばかりかゞやかしてじつる。
 ゆめらすやうな、朦朧まうろうとした、車室しやしつゆかに、あかち、さつあをふさつて、湯気ゆげをふいて、ひら/\とえるのを凝然じつると、うも、停車場ステーシヨンぜにつた饂飩うどんあたゝいだくのだとはおもはれない。
 どう/\となかを、がうとやまこだましてく。がらんとした、ふるびた萠黄もえぎ車室しやしつである。護摩壇ごまだんむかつて、ひげかみおどろに、はりごと逆立さかだち、あばらぼねしろく、いき黒煙くろけむりなかに、夜叉やしや羅刹らせつんで、逆法ぎやくはふしゆする呪詛のろひそう挙動ふるまいにはべくもない、が、われながらぎんなべで、ものをる、仙人せんにん徒弟とていぐらゐにはかんずる。詩人しじんこれでは、鍛冶屋かじや職人しよくにん宛如さながらだ。が、そにる、る、りつゝあるはなんであらう。没薬もつやくたんしゆかうぎよく砂金さきんるゐではない。蝦蟇がまあぶらでもない。
 とおもひつゝ、つゝ、まどひつゝ、くしてるのは美人びじんである。
 衣絵きぬゑさんだ!
 とおもふと、あはが、ゆきふるはすしろはだたゞれるやうで。……そのは、ぎよつとして、突伏つきふすばかりに火尖ひさきめるがごと吹消ふきけした。
 つかれたやうに、ほつ呼吸こきふして、
「あゝ、んでもない、……たとへにも虚事そらごとにも、衣絵きぬゑさんを地獄ぢごくおとさうとした。」
 かりに、もし、これことことことが、極度きよくど到着たうちやくしたとき結晶体けつしやうたいが、衣絵きぬゑさんの姿すがたるべき魔術まじゆつであつても、けて煮爛にたゞらかしてなんとする! ……
 鋳像家ちうざうかわざに、ほとけあかゞねるであらう。彫刻師てうこくしのみに、かみきざむであらう。が、ひとをんな、あの華繊きやしやな、衣絵きぬゑさんを、詩人しじん煩悩ぼんなうるのである。
大変たいへんことをしたぞ。」
 そのは、今更いまさらながら、瞬時しゆんじいへども、こゝろかげが、ねつへないものゝごとく、不意ふいのあやまちで、怪我けがをさしたひと吃驚びつくりするやうに、ぎんふたを、ぱつとつた。
 ると、……むら/\と一巻ひとまきうづくやうにつて、湯気ゆげが、なべなかから、もうつ。ちながら、すつとしろもすそ真直まつすぐ立靡たちなびいて、なかばでふくらみをつて、すぢくぼむやうに、二条ふたすぢわかれようとして、やはらかにまたつて、さつるのが、かたえ、頸脚えりあしえた。背筋せすぢこし、ふくらはぎ。……
 はないろうつくしく、中肉ちうにくで、中脊ちうぜいで、なよ/\として、ふつとくと、黒髪くろかみおとがさつとつた。
「やあ、あの、ものはぢをするひとが、裸身はだかみなんぞ、こんな姿すがたを、ひとせるわけはない。」
 そのねぶつた。
 矢張やつぱえる。
「これは、不可いかん。」
 その一人ひとりかしらつた。
 まだえない。
だい一、病中びやうちうは、取乱とりみだした姿すがたせるのを可厭いやがつて、見舞みまひくのをことはられた自分じぶんではないか。――これわるい。こんなところを。あゝ、まない。」
 そのはものぐるはしいまで、あはたゞしく外套ぐわいたういだ。トタンに、衣絵きぬゑさんのしろ幻影げんえいつゝむでかくさうとしたのである。が、疼々いた/\しいこはばつた、あめほこり日光につくわうをしたゝかにつた、功羅こうらへた鼠色ねづみいろおほき蝙蝠こうもり
 一寸ちよつとでもさわると、のまゝ、いきなり、しろかたつゝむで、ほゝから衣絵きぬゑさんのひさうである、とおもつたばかりでも、あゝ、滴々たら/\れる。……結綿ゆひわた鹿のやうに、喀血かくけつする咽喉のんどのやうに。


 で、その引掴ひつつかんで、シイトをやゝとほくまで、外套ぐわいたう彼方むかうげた。
 げたときかれは、鼓打つゞみうちである従弟いとこが、業体げふたいひ、温雅をんが上品じやうひんやさしいをとこの、さけ酔払ゑひはらふと、場所ばしよえらばず、外套ぐわいたういで、威勢ゐせいよくぱつと投出なげだす、帳場ちやうば車夫しやふなどは、おいでなすつた、とちやん心得こゝろえるくらゐで……電車でんしやなかでもこれる。……した黒羽二重くろはぶたへ紋着もんつき勤柄つとめがらであるから、余計よけい人目ひとめについて、乗合のりあひは一どつはやす。
なんでえ、つてけ。」と、舞袴まひばかまにぴたりとひぢつて、とろりと一にらにらむのがおさだまり……
 とそれ思出おもひだして、……ひとりでわらつた。
 そんな、めうがあつた。それだのに、なまめかしい湯気ゆげかたちは、はなのやうに、かすかゆすれつゝのまゝであつた。
 ぎんなべ一つつゝむ、おほきくはないが、衣絵きぬゑさんの手縫てぬひである、友染いうぜんを、そつけた。うなじからかたおもふあたり、ビクツと手応てごたへがある、ふつと、やはらかかるく、つゝんで抱込かゝへこむねへ、たをやかさと重量おもみかゝるのに、アツとおもつて、こしをつく。せきへ、うす真綿まわた羽二重はぶたへすべつたやうに、さゝ……とたゞきぬおとがして、ひざむだあしのやうに、友染いうぜんはしが、せきをなぞへに、たらりと片褄かたづまつてちた。――うしなつたをんなが、われとゝもにたふれかゝつたやうである。
 吃驚びつくりして、つて、すつとうへくと、かれた友染いうぜんは、のまゝ、仰向あふむけに、えりしろさをおほあまるやうに、がつくりとせきた。
 ふわ/\と其処そこなびく、湯気ゆげほそかどの、よこたゞよ消際きえぎはが、こんもりとやさしはなのこして、ぽつといて、衣絵きぬゑさんのまゆくちくちびる白歯しらは。……あゝあのときの、死顔しにがほが、まざ/\と、いまひざへ……
 白衣びやくえかすかに、撫子とこなつ小菊こぎくの、藤紫地ふじむらさきぢ裾模様すそもやう小袖こそでを、亡体ばうたいけた、のまゝの、……友染いうぜんよ。ときは、つめひとゆびさきも、人目ひとめにはれないで、水底すゐていねむつたやうに、面影おもかげばかり澄切すみきつてたのに、――こゝでは、散乱ちりみだれた、三ひら、五ひらのはなが、すごうご汽車きしやそこに、ちら/\ちらとれて、ゆびの、ふるへるやうにさへらるゝ。には、きよらかな白歯しらはたまふ、真珠しんじゆふ、かひふ。……いま、ちらりと微笑ほゝえむやうな、口元くちもとるゝは、しろはな花片はなびらであつた。
「――膝枕ひざまくらをなさい。――衣絵きぬゑさん。」
 その居坐ゐずまひなほした。が、しづんだかほに、なみだながした。
 あゝ、思出おもひだす。……

「いくらわたしこらへましてもね、つめたあせながれるやうに、ひとりでになみだるんですもの。御病人ごびやうにんまへで、これぢやあわるいとおもひますとね、たまらなくなるんですよ。それだもんですからね。枕許まくらもとちひさな黒棚くろだなに、一輪挿りんざしがあつて、撫子なでしこかつてました。そのはなへ、かほおしつけるやうにして、ほろ/\あふれるをごまかしましてね、「西洋せいやうのでございますか、いゝにほいですこと。」なんのつて、つて――あの、やさしはなですから、にも、えだにも、此方こつちかほかくれないでよわりましたよ――義兄にいさん。」
衣絵きぬゑさんのもうくなるまへだつた――たしか、三めであつたとおもふ……従弟いとこ細君さいくん見舞みまひつたとき音信たよりであつた。
 かねて、病気びやうきとはいてた。――病気びやうきのために、衣絵きぬゑさんが、若手わかて売出うりだしの洋画家やうぐわかであつた、婿君むこぎみと一しよに、鎌倉かまくら出養生でやうじゆう[#ルビの「でやうじゆう」はママ]をしてたのは……あとでおもへば、それもさびしい……はるころからつてた。が、むらさきふじより、菖蒲あやめ杜若かきつばたより、鎌倉かまくらまちは、みづは、ひと出入ではいり起居たちゐにも、ゆかりのいろふであらう、とゆかしがるのみで、まるでもつて、したる容体ようだいとはおもひもつかないでたのに。あき野分のわけしば/\して、ねむられぬながの、あささむく――インキのかほりの、じつと新聞しんぶんに――名門めいもんのおぢやうさん、洋画家やうぐわか夫人ふじんなれば――衣絵きぬゑさんの(もうとき帰京ききやうしてた)重態ぢうたいが、たますだれふきちぎり、金屏風きんべうぶたふすばかり、あらしごとひゞいた。
 おなつて、婿君むこぎみから、さきむじて親書しんしよて、――病床びやうしやうしてより、衣絵きぬゑはどなたにもおかゝことはづかしがり申候まをしさふらふ女気をんなぎを、あはれ、御諒察ごりやうさつあつて、お見舞みまひはお見合みあはせくだされたく、差繰さしくつてまをすやうながら、唯今たゞいまにもおくださること当人たうにんよくぞんじ、とく貴兄きけいたいしては……とおもむきであつた。
 かみすぢ身躾みだしなみわすれないひとの、これ至極しごくしたことである。
 婿君むこぎみのふみながら、衣絵きぬゑさんのこゝろつたへた巻紙まきがみを、繰戻くりもどすさへ、さら/\と、みどりなす黒髪くろかみまくらみだるゝおとかんじて、つめたいまでさむくしながらも、そのは、つゝしんたいしたのである。
 をりから、従弟いとこ当流たうりうの一とゝもに、九州地しうぢ巡業中じゆんげふちう留守るすだつた。細君さいくんが、その双方さうはうねて見舞みまつた。の三めのときことなので。――勿論もちろん田端たばたからかへりがけに、ぐにそのいへ立寄たちよつたのであるが。
「ね――義兄にいさん、……お可哀相かあいさうは、とつくのむかし通越とほりこして、あんな綺麗きれいかたうおなくなんなさるかとおもふと、真個ほんとう可惜あつたらものでならないんですもの。――日当ひあたりいゝんですけれど、六でふのね、水晶すゐしやうのやうなお部屋へやに、羽二重はぶたへ小掻巻こかいまきけて、えさうにおつてゝ、おいろなんぞ、ゆきとも、たまとも、そりや透通すきとほるやうですよ。東枕ひがしまくらしろきれに、ほぐしたおぐし真黒まつくろなのがれたやうにこぼれてて、むかふの西向にしむきかべに、衣桁いかうてゝあります。それに、めるやうな友染いうぜん縮緬ちりめんが、たんものをほどいたなりで、一種ひといろかゝつてたんです。――義兄にいさんのうたほんをおみなさるのと、うつくしい友染いうぜん掛物かけもののやうに取換とりかへて、衣桁いかうけて、ながら御覧ごらんなさるのがなによりたのしみなんですつて。――あのかたたましひらつしやるところも、それでれます。……むらさきくも靉靆たなびそらぢやあなくつて、友染いうぜんかすみて、しろいお身体からだつゝむのでせうね――あゝ、それにね。……義兄にいさんがおこゝろづくしの丸薬おくすりですわね。……わたし最初さいしよ見舞みまひつたとき、ことづかつてまゐりました……あのくすりを、お婿むこさんのから、葡萄酒ぶだうしゆちひさな硝子盃コツプあがるんだつて、――えゝ、先刻さつき……
 枕許まくらもとの、矢張やはたなにのつた、六角形かくがたの、蒔絵まきゑ手筐てばこをおけなすつたんですよ。うすると、……あのお薬包くすりつゝみと、かあいらしい爪取剪つめとりはさみ一具ひとつと、……」
 従弟いとこつまは、はなしながら、こみあげ/\我慢がまんしたのを、ときないじやくりしてつた。
「……ほかなんにもなしに、撫子なでしこ小菊こぎく模様もやう友染いうぜんふくろはいつた、ちひさいまる姿見かゞみと、それだけはひつてたんです。……おこゝろおもられますこと。
 お婿むこさんが、硝子盃コツプに、葡萄酒ぶだうしゆをおはかんなさるあひだ――えゝうよ。……お寝室ねまにはわたしと三にんきり。……だれ可厭いやだつて、看護婦かんごふさんさへおたのみなさらないんだそうです。だい一、お医師様いしやさまも、七ツ八ツのおちひさいときからおかゝりつけのかたをお一人ひとりだけ……もつと有名いうめい博士はかせかたださうですけれど――
 それでね、義兄にいさん。お婿むこさんが葡萄酒ぶだうしゆをおはかんなさるあひだに、ほつそりしたを、うね、ほゝへつけて、うつくしいめてつめなすつたんでせう、のびてるかうだかつて――じつ御覧ごらんなすつたんですがね、しろゆびさきへひとみうつるやうで、そして、ゆびのさきから、すつとお月様つきさまかげがさすやうにえました。それが、う、おまねきなさるやうにえるんですもの。わたし、ぶる/\としたんです……」
 いてそのふるへた。
「ですけれど、あの、おまねかれたら、懐中ふところへならなほことだし、冥土めいどへでも、何処どこへでもきかねやしますまい……と真個ほんとうおもひました。
 を、そつばして、おくすりつゝみつて、片手かたてまる姿見すがたみ半分はんぶんじつて、おいろさつあをざめたときは、わたしはまたかされました。……わたし自分じぶんながら頓狂とんきやうこゑつたんですよ……
 ――「まあ、御覧ごらんなさいまし、撫子なでしこが、こんなにつゆをあげてりますよ」――」


わたしとしては、出来できるだけのことはしました。――まをしてはおはづかしいやうですが、実際じつさい一月ひとつきばかりは、押通おつとほませんくらゐ看病かんびやうはしましたが。」
 一しつの、其処そこに五にんた。著名ちよめいなる新聞記者しんぶんきしや審査員しんさゐん――画家ぐわか文学者ぶんがくしや某子爵ぼうししやく令夫人れいふじん一人ひとり。――そのた。弔礼てうれいのために、香川家かがはけおとづれたものが、うけつけのつくゑも、つばかり、応接おうせつやまをなすなかから、其処そことほされた親類縁者しんるゐえんじや、それ/″\、また他方面たはうめんきやくは、大方おほかた別室べつしつであらう。
 そのが、ひとけて廊下らうか茶室ちやしつらしい其処そことほされたとき、すぐ子爵夫人ししやくふじんの、束髪そくはつかゞや金剛石ダイヤモンドとゝもに、しろ牡丹ぼたんごと※(「巾+白」、第4水準2-8-83)はんけちの、おほふて俯向うつむいてるのをた。
 みな暗然あんぜんとして、なかひとみぢてたのである。
御当家ごたうけでも――じつに……」
まつたくでございます。」
 たゞ、いひかはされるのは、のくらゐなこと繰返くりかへす。ときに、鶺鴒せきれいこゑがして、火桶ひをけすみあかけれど、山茶花さざんくわかげさびしかつた。
 其処そこ婿君むこぎみが、紋着もんつきはかまながら、憔悴せうすゐした寝不足ねぶそく血走ちばしり、ばう/\がみやつれたのが、弔扎てうれいをうけにえたのである。
「やあ……うも。」
と、がつくり俯向うつむいたかほげたのを、そのけると、
「おれい申上まをしあげます、――あのおくすりのためだらうとおもひます。五以上いじやう……滋養じやう灌腸くわんちやうなぞは、絶対ぜつたいきらひますから、湯水ゆみづとほらないくらゐですのに、意識いしき明瞭めいれうで、今朝こんてう午前ごぜんいき引取ひきとりました一寸前ちよつとぜんにも、種々しゆ/″\細々こま/″\と、わたしひざかほをのせてはなしをしまして。……そのさんに、おなごりのおことづけまでまをしました。判然はつきりして、元気げんきです。医師いしおどろいてました。まるで絶食ぜつしよくて、よく、こんなにと、りやう日前にちぜんから、はれましてな。……しかし、どくでした。
 江戸児えどつこは……くひものには乱暴らんばうです。九しやうときでも、すしだ、天麩羅てんぷらだつてふんですから。えびほしい……しんじよとでもふかとおもふと、とんでもない。……鬼殻焼おにがらやきいとふんです。――痛快つうくわいだ! ……よろしい、おにちまひなさい、と景気けいひをつけて、ふとつたやつを、こんがりと南京なんきん中皿ちうざら装込もりこむだのを、わたしをつけて、大事だいじ※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしつて、はしふくめたんですが、みでは豈夫まさかおもふんです。れない料理人れうりにんが、むしるのに、くらか鎧皮よろひがは附着くつゝいてたでせうか。一口ひとくちさはつたとおもふと、したれたんです。鬼殻焼おにがらやき退治たいぢようとふ、意気いきさかんなだけじつ悲惨ひさんです。すぐにくちびるから口紅くちべにけたやうに、真赤まつかこぼれるんですものね。」
 爾時そのときは、まぶたはなして、はらりと口元くちもと※(「巾+白」、第4水準2-8-83)はんけちおほうてた、某子爵夫人ぼうしゝやくふじんうなづくやうにき/\、きよらかな※(「巾+白」、第4水準2-8-83)はんけちしごくにつれて、真白まつしろきぬの、それにもかげすやうにえた。
 夫人ふじんへやらぬさまして、かたらして、よこいてまたおさへたのである。
「……えゝ、もつとも、結核けつかくは、喉頭かうとうから、もうときにはしたまでもをかしてたんださうですが。鬼殻焼おにがらやき……意気いきさかんなだけうも悲惨ひさんです。は、はア。」
と、ちからのない、わらひかげかべて、つて、悵然ちやうぜんとしてあふいで、ひたい逆立さかだ頭髪とうはつはらつた。
「あちらの御都合ごつがふで、お線香せんかうを。」
一寸ちよつと御挨拶ごあいさつを。」
 その審査員しんさゐんほとん同時どうじつた。
「それでは、うぞ……」
 廊下らうか二曲ふたまがり、またなかばにして、椽続えんつゞきの広間ひろまに、線香せんかうけむりなかに、しろだんたかきづかれてた。そでそでかさねたのは、二側ふたかは居余ゐあまる、いづれもこゑなき紳士しんし淑女しゆくぢよであつた。
 じゆんゆづつて、子爵夫人ししやくふじんをさきに、次々つき/″\に、――そのなかでいつちあとに線香せんかう手向たむけたが、手向たむけながらほとんゆきむろかとおもふ、しかかをりたかき、花輪はなわの、白薔薇しろばら白百合しろゆり大輪おほりん花弁はなびら透間すきまに、薄紅ときいろ撫子なでしこと、藤紫ふじむらさき小菊こぎくかすかいろめく、友染いうぜんそつ辿たどると、掻上かきあげた黒髪くろかみ毛筋けすぢいて、ちらりと耳朶みゝたぼと、さうして白々しろ/″\とある頸脚えりあしが、すつとて、薄化粧うすげしやうした、きめのこまかなのさへ、ほんのりとうつつた。
 まだ納棺なふくわんまへである。
香川かがはさん。」
 はかまひらきながら、そのは、かた障子しやうじにした婿君むこぎみんでつた。
「……一寸ちよつとかほたいんです。」
 こゑ調子てうしかすれるまで、そのむねとゞろいたのである。が、婿君むこぎみいさぎよく、
「えゝ、うぞ――此方こちらへ。」
とづいとつと、逆屏風さかさびやうぶ――たしかくづかぜみだれたの、――はしいて、だん位牌ゐはい背後うしろを、つぎふすまとのせまあひだを、まくらはうみちびきながら、
こまりました。」
「…………」
「なくなられてはこまりましたなあ。」
振向ふりむざまに、ぶつきらぼうつて、握拳にぎりこぶしで、ひたいこすつたのが、悩乱なうらんしたかしらかみを、※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)かきむしりでもしたさうにえて、けむりなび天井てんじやうあふいだ。
唯々たゞ/\、おさつ申上まをしあげます。」
「は。」
つて、ひざをついて、
衣絵きぬちやん、――そのさんです。」
と、しろいものをつゝつた。
 眉毛まゆげながく、睫毛まつげく、彼方むかふうなじに、満坐まんざきやくにして、せなはうは、花輪はなわへだてゝ、だれにもえない。――此方こなたなゝめくらゐな横顔よこがほで、鼻筋はなすぢがスツとして、微笑ほゝゑむだやうな白歯しらはえた。――いもと二人ふたりある。ひとたちのやさしさに、かみ櫛巻くしまきのやうにして、薄化粧うすげしやうべにをさした。
衣絵きぬゑさん。」
こゝろつて、おもはず、ひたつたひざが、うつかり、そでおも掻巻かいまき友染いうぜんれると、白羽二重しろはぶたへ小浪さゞなみが、あをみづのやうにえりにかゝつた。
 かゞみかゝつて、うへから差覗さしのぞく、なみだ婿君むこぎみと、かすかあふいだ衣絵きぬゑさんのかほと、たゞときにんであつた。
「……おしづかに、おしづかに、やうなら……」
 ハツといきして、つて、引返ひきかへとき、……今度こんどそのつた。
わたしこまります。」
「…………」
さびしくつて、世間せけんくらいやうです。――衣絵きぬゑさんはおなくなりなさいました。」
「…………」
香川かがはさん。――しかし、いまでは、衣絵きぬゑさんを、衣絵きぬゑさんを、」
「…………」
わたしが、おもつても! ……」
 あいも、こひも、憧憬あこがれも、ふつゝかに、たゞおもふとのみ、しぼつてつた。
「……おもつても、――貴方あなたゆるしてくださいますか。」
 あふいでふのを、香川かがはは、しばらくじつたが、ひざをついて、ひたと居寄ゐよつて、
衣絵きぬちやんがよろこびませう……わたしも、……うれしい。」
 こひあだは、双方さうはうつた。
「あ、おかほを。」
 振向ふりむいて、も一た。

 の、面影おもかげを、――夜汽車よぎしやシイトの、いまこゝに――
「さ、ひざを、膝枕ひざまくらをなさい、だれません。」
 そのは、ものぐるはしく、面影おもかげしろい、かみくろい、もすその、むねの、ちゝのふくらみのある友染いうぜんを、端坐たんざしたひざかして、うちつけに、明白めいはくに、ゆめ遠慮ゑんりよのないやうにこひかたつた。


岩沼いはぬま――岩沼いはぬま――」
 弁当べんたう、ものうりこゑひゞくと、人音ひとおとちかく、けたとおもふのに、には、なにも、ものがえない。
 吃驚びつくりした。
 その※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)かきむしるやうにまどけた、が、真暗まつくらである。
「もし、もし、もし……駅員えきゐんかたえきかた――駅夫えきふさん……」
とけたゝましくんだ。
なんですか。」
失礼しつれいですが、わたしうかなつてはないでせうか。」
貴方あなた――うかしてますね。……確乎しつかりなさらなくつちやあ不可いけないぢやあゝりませんか。」
 独言ひとりごとして、
なにつてるんだ。」
 はつとすると、構内こうないを、東雲しのゝめの一てんに、ゆきの――あとでつた――苅田嶽かつただけそびえたのがえて、あきらかつた。
 はじめて一人ひとり乗込のりこんだきやくがある。
 そででかくすやうにしたときなべ饂飩うどんは、しかし、線香せんかうちてたまつた、はひのやうであつた。


 水源みなもとを、岩井いはゐ大沼おほぬまおこすとふ、浦川うらかはけたはしわたつたころである。
 松島まつしまから帰途かへりに、停車場ステーシヨンまでのあひだを、旅館りよくわんからやとつた車夫しやふは、昨日きのふ日暮方ひぐれがた旅館りよくわんまで、おな停車場ていしやばからおくつたをとこれて、その心易こゝろやす車上しやじやうはなした。
「さあ、なんはうかな。……景色けしきうだ、とかれてわるいとふものもなからうし……たゞよかつたよ、とだけぢや、きみたちのはうをさまるまいけれども、なにしろ、わたしには、松島まつしまても松島まつしまろんずる資格しかくはないのだよ。昨日きのふきみ世話せわつたとふから、つてるだらうが、薄暮合うすくれあひ、あの時間じかん旅館りよくわんいたのだから、あとははひつてるばかりさ。」
 その昨日きのふそれまでは、いさゝようがあつて仙台せんだいたのであつた。
があけたわ、かほあらつたわ、旅館りよくわん縁側えんがはから、築山つきやままつへたのがいくつもかすみなかいてる、おほきいけながめて、いゝなあとつたつて、それまでだ。――海岸かいがんたからつて、なみひとるぢやなし、桜貝さくらがひひとつあるんぢやあない。
 しかし、無理むりだよ。……かねいてもるし、むかしの書物しよもつにもいてある。――松島まつしまるのはふねかぎる。八百八しましまあひだを、自由じいう青畳あをだゝみうへのやうにぐんだとふから、しま一つ一つおもむきのかはるのも、どんなにいゝかれやしない。うをもすら/\およぐだらうし、まつにはふぢいてるさうだし、つゝじ、山吹やまぶき、とり/″\だとふ、あひだを、ふねかげおどろいて、パツとれて水鳥みづとりつたり、かもめおよいでたり……」
うで、うで、とほりで……旦那だんな。」
と、車夫しやふ楫棒かじぼうつたかたそびやかした。
ふねでなけりや、富山とみやまふのへのぼるだね。はい、其処そこだと、松島まつしまのこらず一目ひとめえますだ。」
「ださうだね。なにしろ、ふねまはるか、富山とみやまのぼらないぢやあ、松島まつしま景色けしきろんずべからずと、ちやんといましめられてるんだよ。」
うでがすね、これから、富山とみやまへおのぼりにつては、はい、一たらずだ、一息ひといきだで。」
「いや、それよりも、はやかへつて、墓参はかまゐりがしたくなつた。」
「へい。」
つたが、つたきやくも、をとこも、めうだまつた。
 そのわれながら、あまりつきもないことをうつかりつたのに、はつといたほどである。
 車夫しやふ唐突だしぬけに、かくしでもされたやうにおもつたらう。
 しろく、くもしろく、そらしろい。のんどりとして静寂せいじやく田畠たはたには、つち湧出わきでて、装上もりあがるやうなかはづこゑ。かた/\かた/\ころツ、ころツ、くわら/\くわら、くつ/\くつ。なかでもおほきさうなのが、つちれるところに、たかかまへたはらを、ひとかせて、があ/\があ/\とふとく。……
 くるま踏切ふみきりを、かはづこゑうへした。一昨日おととひとほしたあめのなごりも、うすかはまいつたやうにみちかはいた。
 一ぱう小高こだか土手どてると、いまゝでいてかぜむだ。もやかすみもないのに、田畑たはたは一めんにぼうとして、日中ひなかはるおぼろである。薄日うすびよわくもさず、くろいた黄蒲公英きたんぽゝ咲交さきまじまめはなの、むらさきにも、ぽつりともくろかげえぬ。しゆ木瓜ぼけはちら/\とをともし、つゝむだ石楠花しやくなげは、入日いりひあはいろめつゝ、しかまさなのである。みちにさした、まつこずゑには、むさらきふじかゝつて、どんよりした遠山とほやまのみどりをけた遅桜おそざくらは、薄墨色うすずみいろいて、しか散敷ちりしいた花弁はなびらは、ちりかさなつてをこんもりとつゝむで、薄紅うすあかい。
 そばに、二ツ三ツさかひのないはかえる。
 つゝ、くるまは、段々だん/\へだてゝ、土手添どてぞひのこみちはるかくのである。
 くもも、そらも、みなしろい。
 其処そこへ、かげのさすやうなのは、一つ一つ、百千とかぞれないかはづこゑである。
 く、く。……
 まつすぎ田芹たぜり、すつとびた酸模草すかんぽの、そよともうごかないのに、溝川みぞがはおほふ、たんぽゝのはなまめのつるの、たちまち一しよに、さら/\とうごくのは、ふなどぜうには揺過ゆれすぎる、――ひる水鶏くひなとほるのであらう。
 ゆめるやうである。
 おもむきちがふけれども、そのは、名所めいしよにも、古跡こせきにも、あんな景色けしきはまたあるまいとおもところを、前刻さつきも一とほつてた。
 ――水源みなもと岩井沼いはゐぬまおこすとふ、浦川うらかはながれすゑが、ひろつてうみそゝところちかかつた。旅館りよくわんてまだいくほどもないところに――みちそばに、切立きつたてた、けづつた、おほきいはほの、矗々すくつのをた。あるひは、ほとけ御龕みづしごとく、あるひひと髑髏どくろて、あるひ禅定ぜんぢやうあなにもつゝ、あるひ山寨さんさい石門せきもんた、いはには、ひとツづゝみなみづたゝへて、なかにはあをつてふちかとおもはるゝのもあつた。岩角いはかどまつまつにはふぢき、巌膚いははだには、つゝじ、山吹やまぶきちりばめて、御仏みほとけ紫摩黄金しまわうごんおにした、またそう袈裟けさ、また将軍しやうぐん緋縅ひおどしごとく、ちら/\とみづうつつた。
此処こゝうみではなかつたか――いまの松島まつしまの。……いはは、一つ一つ、あのしまのやうに――」
 一ぱうは、ひしや/\とした、何処どこまでも蘆原あしはらで、きよつ/\、きよつ/\、とあし一むらづゝ、じゆんに、ばら/\と、また飛々とび/\に、行々子ぎやう/\しきしきつた。
 それから、しばらくは、まばらにもあしのあるところには、みな行々子ぎやう/\しいてた――
 こゝに、かはづくやうに……
 まだ、ころは、うみあるはうくもれた、薄青うすあをそらがあつた。それさへいまはゆめのやうである。
 そのは、行々子ぎやう/\しにおくられつゝ、かはづこゑむかへられたやうながした。
 ……水鶏くひなはしるか、さら/\と、ソレまた小溝こみぞうごく。……うごきながら静寂しづかさ。
 とほくに、行々子ぎやう/\しきしきつて、こゝにかはづがすだく――あひだを、わあーとつないで、屋根やねもんえないで、あの、遅桜おそざくらやまのうらあたり、学校がくかう生徒せいとの、一斉いちどき読本とくほん音読おんどくはすこゑ
 そのこゝろ※(「りっしんべん+夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2-12-81)ぼうつた。
 ピイ、キリ/\と雲雀ひばりくと、ぐらりとはげしくくるまれた。
「あゝ、車夫わかいしゆ。」
 ひどみちだ。
りやう、――りやう。」
なに旦那だんな大丈夫だいぢやうぶで、昨日きのふ此処こゝとほつたゞね、れてるだよ。」
「いや、昨日きのふも、はら/\したつけが、まだれてたから、をくつて、おまへさんがきにくいまでも、まだかつた。泥濘ぬかるみ薬研やげんのやうにかはいたんぢやあ、大変たいへんだ。ころんだところ怪我けがもしまいが、……いてるはなきまりわるい。」
 みちのゆくには、藁屋わらやちひさく、ゆる/\うねみちあらはれた背戸せどに、牡丹ぼたんゑたのが、あのときの、子爵夫人ししやくふじんのやうにはるかのぞいてえた。
「はゝゝ、旦那だんな御風流ごふうりうだ。」
 それから、歩行あるきながら、
東京とうきやうかららつしやるかたは、誰方どなたはながおきだアなあ。」
「いろんな可愛かあいいのが、路傍みちばたいてるんだ。だれだつてわるくはあるまい。」
此人方等こちとらは、やつか、へるんでなくつては、黄色きいろいのも、あをいのも、ちつこいものを、なんにすべいよ。」
わらつた。が、ふと、あせばんだあかがほの、元気げんきらしい、わかいのが、くちびるをしめて……真顔まがほつて、
うだ、うだ、おもひつけた。旦那だんな、あなたさま、とこなつとくさつてるだかね。」
常夏とこなつ。」
「それよ。」
撫子なでしこことぢやあないか。」
「それよ――矢張やつぱり……うだ――わすれもしねえ。……矢張やつぱおなじやうなことはしつけが、私等わしらにや撫子なでしこわかんねえだ。――なにね、いまから、二三ねんうだねえ、れこれ四ねんにはるづらか。東京とうきやうからなさつたな、そりや、うも容子やうすたら、容色きりやうたら、そりやうもうつくしわか奥様おくさまがな。」
一人ひとりかい。」
「へゝい、お二人ふたりづれで。――旦那様だんなさまは、洋服やうふくで、それ、かたが、こゝへぶらげておいでなさる、あの器械きかいつてらしつけえ。――わすれもしねえだ、若奥様わかおくさまは、綺麗きれいぬひ肩掛かたかけつてよ。むらさきがゝつたくろところへ、一めんに、はい、さくらはなびらのちら/\かゝつた、コートをめしてな。」
 そのはゾツとした。
ちやう今頃いまごろだで――それ/\、それよ矢張やつぱみちだ。……わし忠蔵ちうざうがおともでやしたが、若奥様わかおくさまがね、瑞巌寺ずゐがんじ欄間らんまつてる、迦陵頻伽かりようびんがこゑでや、
 ――あのなつになると、へん常夏とこなつ沢山たくさんきませうね――
 へい、常夏とこなつらねえだ。
 ――まあ、撫子なでしこことなんだよ――
 のさ、撫子なでしこらねえだ。わしあせながしたでなあ。……
 をりがあつたら、誰方どなたぞ、かうかうおもつて、因果いんぐわ因縁いんねんで三ねんつたゞ。旦那だんなはながおきだで、な、どんな草葉くさつぱだかこゝにあつたら、一寸ちよつとつまんでをしへてくらせえ。」
淡紅色ときいろの、やさしはなだが、へんにはきつとあるね。あるにちがひない。だけでもわたしにもわかるだらう。」
と、のつかゝつたいきほひで、みぞさうとして、
「おち。」
 そのは、つとくるまつた。
 バスケツトをけて、はなが、いろのまゝまつた、衣絵きぬゑさんの友染いうぜんを、とおもつた……其時そのときである。車夫くるまやが、
「あつ。」
くちけて、にやりとして、
「へ、へ、ころぶと、そこらのはなはづかしい。……うつ、へ、へ。御尢ごもつともだで。旦那だんなはやいだやあ。」
なんだ。」
「へ、へ、わしあまた。真個ほんとう草葉くさつぱはなかとおもつたゞ、」
なんだよ……」
「なんだよつて、へ、へ、へ。そこな、酸模すかんぽ蚊帳釣草かやつりさう彼方むかうに、きれいなはなが、へ、へ、はなが、うつむいて、くさつまんでなさるだ。」
「え。」
「や――旦那だんな、――旦那だんなでがせう。其方むかふながら。まねかつしやるは。」
「これ。」
「や、わしで、――へい、わしで。」
と、きよろりとしながら、
「へい、へい。」
 くるまよこに、つか/\と、くろへ、いて乗掛のつかけると、しろに、かげもなく、ぽんとつて、ぺこ/\と叩頭おじぎをした。
「へい、それが、へい、成程なるほどそれが、常夏とこなつで、へい。」
とまた叩頭おじぎをした。が、ゑみわれるやうに、もいはれぬ、成仏じやうぶつしさうな笑顔ゑがほけて、
旦那だんな旦那だんな旦那だんな……」
なに。」
「あなたさまにも、御覧ごらんなせえと……若奥様わかおくさまが。」
 そのは、たましひこゝろちうんでつた。
 そらに一りんつぼみへて、いたやうに、常夏とこなつはなにした、ほつそりとしろと、さくらぢらしの紫紺しこんのコート。
衣絵きぬゑさん……」
 ひんのいゝ、藤紫ふぢむらさき鹿子切かのこぎれの、円髷まげつやゝかなかほとき
「ぎやツ。」
わめくと、楫棒かぢぼうをたゝきげて、車夫しやふ雲雀ひばりと十文字もんじんでげた。
 寂寞ひつそる。かはづこゑやむだを、なんと、そのは、はづみでころがりした服紗ふくさぎんなべに、れいりつゝ、れい常夏とこなつはなをうけようとした。
 しかり、ぎんかなへさゝげたときその聖僧せいそうごとく、こゝろすゞしかつた。
 えりをあとへ、常夏とこなつゆびすこいて、きやしやな撫肩なでがたをやゝなゝめつたとおもふと、衣絵きぬゑさんのかほは、まつげく、凝然じつながら片手かたてほゝ打招うちまねく。……しなふ、しろ指先ゆびさきから、つきのやうなかげながれた。
 らうとすると、うつる、つまうつる、もすそ真蒼まつさをみづがある。
 またまねくのを、ためらうと、薄雲うすぐものさすやうに、おもてさつ気色けしきばんで、常夏とこなつをハツとぎんなべげて寄越よこした。
 はなかげうつつた。が、いまは、みづもとおもつた。
御免ごめんなされや。」
 背中せなかに、むつとして、いきれたやうな可厭いやこゑこれは、とると、すれちがつて、とほざま振向ふりむいたのは、真夜中まよなかあめ饂飩うどんつた、かみの一すぢならびの、くちびるたゞれたあの順礼じゆんれいである。
 はしに、前歯まへばけた、きたなくちでニヤリとした。
 車夫くるまやが、みちを、ちひさくつて、げる、げる。
 はや、幻影まぼろしえつゝ、そのまへに、一ふじつゝじをちりばめた、大巌おほいはに、あいごとみづのぞむで、あしは、めぐらしたさくえたのを見出みいだした。
 きね(キネ。)いけふ、ひとみづよ、とのちく。
 衣絵きぬゑさんに、となへ似通にかよふそれより、ほ、なつかしく、なみだぐまるゝは、ぎんなべれば、いつも、常夏とこなつかげがさながらゑたやうにくのである。





底本:「新編 泉鏡花集 第十巻」岩波書店
   2004(平成16)年4月23日第1刷発行
底本の親本:「新柳集」春陽堂
   1922(大正11)年1月1日
初出:「国本 第一巻第八号」国本社
   1921(大正10)年8月1日
※表題は底本では、「続銀鼎ぞくぎんかなえ」となっています。
※初出時の署名は「泉鏡花」です。
※「」と「」の混在は、底本通りです。
※「触」に対するルビの「さわ」と「さは」の混在は、底本通りです。
※「藤」に対するルビの「ふじ」と「ふぢ」の混在は、底本通りです。
※「藤紫」に対するルビの「ふじむらさき」と「ふぢむらさき」の混在は、底本通りです。
※「入」に対するルビの「はひ」と「はい」の混在は、底本通りです。
※「香」に対するルビの「かほり」と「かをり」の混在は、底本通りです。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2016年9月2日作成
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