十和田湖

泉鏡太郎





「さてうも一かたならぬ御厚情ごこうじやうあづかり、すくなからぬ御苦労ごくらうけました。道中だうちうにも旅店はたごにも、我儘わがまゝばかりまをして、今更いまさらはづかしうぞんじます、しかしくるま駕籠かご……また夏座敷なつざしきだとまをすのに、火鉢ひばちをかんかん……で、鉄瓶てつびん噴立ふきたたせるなど、わたしとしましては、こゝろならずもむことをませんので、けつして我意がいつのらせた不届ふとゞき次第しだいではありません。――これは幾重いくへにも御諒察ごりやうさつねがはしうぞんじます。
 ――古間木こまき東北本線とうほくほんせん)へお出迎でむかくだすつた以来いらいくち休屋やすみやかけて、三とまり。いままたざつと一にち、五ばかり、わたしども一かうたいし……申尽まをしつくせませんまで、種々しゆ/″\こゝろづかひをくださいましたのも、たゞ御礼おれい申上まをしあげるだけではみません。御懇情ごこんじやうはもとよりでございますが、あなたは保勝会ほしようくわい代表だいへうなすつて、みづうみ景勝けいしよう顕揚けんようのために、御尽力ごじんりよくをなすつたので、わたしが、日日社にちにちしやより旅費りよひ頂戴ちやうだいおよんで、遥々はる/″\出向でむきましたのも、またそのためにほかなりませんのでございますから、見聞みきゝのまゝを、やがて、とぞんじます。けれども、はたして御期待ごきたいにかなひますか、如何どうか、そのへんところ御寛容ごくわんようねがひたうぞんじます。たゞしかし、湖畔こはん里余りあまり、沿道えんだう十四あひだ路傍ろばうはなそこなはず、えだらず、霊地れいちりましたせつは、巻莨まきたばこ吸殻すいがらつて懐紙くわいしへ――マツチのえさしはして、もとのはこをさめましたことをはゞかりながらまをでます。なに行届ゆきとゞきませんでも、こればかりは、御地おんちたいする礼儀れいぎ真情まごゝろでございます。」
「はあ――」
 ……はあ、とそつはないが、日焼ひやけのしただらけのむねへ、ドンと打撞ぶつかりさうにれらるる、保勝会ほしようくわい小笠原氏をがさはらしの――八ぐわつ午後ごご古間木こまきうてより、自動車じどうしやられ、ふねまれ、大降おほぶり小降こぶり幾度いくどあめれ、おまけに地震ぢしんにあつた、裾短すそみじか白絣しろがすりあかくなるまで、苦労くらうによれ/\のかたちで、くろ信玄袋しんげんぶくろ緊乎しつかりと、巌丈がんぢやう蝙蝠傘かうもりがさ麦稈帽むぎわらぼう鷲掴わしづかみに持添もちそへて、ひざまでの靴足袋くつたびに、革紐かはひもかたくかゞつて、赤靴あかぐつで、少々せう/\抜衣紋ぬきえもん背筋せすぢふくらまして――わかれとなればおたがひに、たふげ岐路えだみち悄乎しよんぼりつたのには――汽車きしやからこぼれて、かぜかれてた、のやうな旅人たびびとも、おのづからあはれをもよほし、挨拶あいさつまをすうちに、ついそのさそはれて。……つたのではけつしてない。……
「十和田わだかみ照覧せうらんあれ。」
はうとして、ふとおのれかへりみてあきかへつた。這個この髯斑ひげまだらまなこつぶらにしておもあか辺塞へんさい驍将げうしやうたいして、しかことさむには、当時たうじ流行りうかう剣劇けんげき朱鞘しゆざや不可いけず講談かうだんものゝ鉄扇てつせんでも不可いけない。せめては狩衣かりぎぬか、相成あひなるべくは、緋縅ひをどしよろひ……とがつくと、暑中伺しよちううかゞひに到来たうらい染浴衣そめゆかたに、羽織はおりず、かひくちよこつちよに駕籠かごすれして、ものしさうに白足袋しろたび穿いたやつが、道中だうちうつかひふるしの蟹目かにめのゆるんだ扇子あふぎでは峠下たふげした木戸きどしやがんで、秋田口あきたぐち観光客くわんくわうきやくを――らはい、と口上こうじやうひさうで、照覧せうらんあれはことをかしい。
「はあ。……」
「えゝ、しかしなに御不足ごふそくでも医学博士いがくはかせ三角康正みすみかうせいさんが、この一かうにおくははりくだすつて、篤志とくしとまでもおんせず、すくな徳本とくごう膝栗毛漫遊ひざくりげまんいうおもむきで、村々むら/\御診察ごしんさつをなすつたのは、御地おんちつて、なによりのことぞんじます。」
「はあ、勿論もちろんであります。」
「それに、洋画家やうぐわか梶原かぢはらさんが、あめしのぎ、なみびて、ふねでも、いはでも、名勝めいしよう実写じつしやをなすつたのも、御双方ごそうはう御会心ごくわいしんことぞんじます。ほ、しや写真班しやしんはん英雄えいゆう、三うらさんが、自籠巌じこもりいはのぼり、御占場おうらなひば鉄階子てつはしご飛下とびおり、いたところ手練しゆれんのシヤターをしぼつたのも、保勝会ほしようくわい皆様みなさまはじめ、……十和田わだかみ……」
ひかけて、ぐつとつまると、しろのづぼん、おなじ胴衣どうぎのたけこれにかなつて風采ふうさいがつた、しや代表だいへう高信たかのぶさん、かたはらよりすゝでゝ、
「ではこれで、……おわかれをいたします。」
 小笠原氏をがさはらしは、くるり向直むきなほつて、挙手きよしゆをしさうないきほひで、
「はあ。」
 これは、八ぐわつ午後ごご秋田県あきたけん鹿角郡かつのぐん生出おひで駕籠かごのぼつて……これから三瀧街道たきかいだう大湯温泉おほゆをんせんまで、自動車じどうしやで一かうとする、発荷峠はつかたふげ見返茶屋みかへりちややを、……なごりのうみから、むかつてみぎた、三岐みつまたの一場面ばめんである。
 とき画工ぐわこう――画家ぐわか画伯ぐわはくにはちがひないが、うも、画工ゑかきさんのはうが、けてたびには親味したしみがある(以下いかとき諸氏しよし敬語けいごりやくすることゆるされたし。)くわん五さんは、このたふげを、もとへ二ちやうばかり、ぶり、えだぶり山毛欅ぶな老樹らうじゆの、みづそらにして、みづうみくもいた、断崖きりぎし景色けしきがある。「いゝなあ、この山毛欅ぶなぽんが、こゝでみづうみさゝへるはしらだ。」そこへ画架ぐわかてた――そのとき、このたふげみちびいて、羽織袴はおりはかまで、さかかると股立もゝだちつた観湖楼くわんころう和井内わゐないホテルの御主人ごしゆじんが、「あ、やうで。樹木じゆもくは一えだ大切たいせつにいたさなければりませんな。素人目しろうとめにも、こののぼり十五ちやう、五十六まがり十六けいまをして岩端いはばな山口やまぐち処々ところ/″\、いづれもかはる/″\、みづうみ景色けしきかはりますうちにも、こゝは一だんぞんじました。さいはひ峠上たふげうへ茶屋ちややが、こゝへ新築しんちくをいたすのでございます。」背後はいご山懐やまふところに、小屋こやけて材木ざいもくみ、手斧てうなこえる。画工ゑかきさんは立処たちどころにコバルトのいたし、博士はかせむらさきてふつて、小屋こやうらの間道かんだううらはやしはいつたので。――あと四にん本道ほんだう休茶屋やすみちややくと、和井内わゐない主人しゆじん股立もゝだちいて、わかれをげたのであつた。(ちう観湖楼くわんころう羽織袴はおりはかまは、とくわたしたちのためではない、をりから地方ちはう顕官けんくわん巡遊じゆんいうがあつた、その送迎そうげい次手ついでである。)
 写真班しやしんはん英雄えいゆうは、すなはちこの三岐みつまたで一自動車じどうしや飛下とびおりて、林間りんかんてふ逍遥せうえうする博士はかせむかふるために、せて後戻あともどりをしたところである。――
 方々かた/″\様子やうすみなほゞわかつた、いづれも、それ/″\お役者やくしやである。が、白足袋しろたびだつたり、浴衣ゆたかでしよたれたり、かひくちよこつちよだつたり、口上こうじやう述損のべそこなつたり……一たいそれはなにものだい。あゝそつと/\わたし……です、拙者せつしや拙者せつしや
 英雄えいゆううら洋装やうさうの、横肥よこぶとりにがツしりしたのが、よ、まゆうへやまあらはれた。三岐みつまたしたにして、れい間道かんだうらしいのをけたとおもふが、横状よこざま無理むりがけをするりとすべつて、自動車じどうしや屋根やね踏跨ふみまたぐか、とドシンとりた。あせひとつかいてない。もつとも、ついごろ飛行機ひかうきで、八けいうち上高地かみかうちそらんだとふから、ふねつても、はねえて、ひら/\と、周囲しうゐ十五みづうみうへたかびさうでならなかつた。闊歩横行くわつぽわうかう登攀とうはん跋渉ばつせふ、そんなことはおちやで。――
 おもへば昨日きのふ暮前くれまへであつた。休屋やすみややまに一かつそびえて巌山いはやま鎮座ちんざする十和田わだ神社じんじやまうで、裏岨うらそばになほかさなかさなけはしいいは爪立つまだつてのぼつたときなどは……同行どうかうした画工ゑかきさんが、しんやりも、えつつるぎも、これ延長えんちやうしたものだとおもへ、といつたほどであるから、おはづかしいが、わたしにしてはうまれてはじめての冒険ぼうけんで、あしえ、きもえて、中途ちうとおもはず、――絶頂ぜつちやういしほこらは八幡宮まんぐうにてましますのに、――不動明王ふどうみやうわう、とねんずると、やあ、といふ掛声かけごゑとゝもに、※(「咤−宀」、第3水準1-14-85)せいたかごとあらはれて、写真機しやしんき附属品ふぞくひんを、三金剛杵こんがうしよごと片手かたてにしながら、片手かたてで、おびつかんで、短躯小身たんくせうしん見物けんぶつちうつておよがして引上ひきあげた英雄えいゆうである。岩魚いはなだいを三びきつて咽喉のどかはかすやうな尋常じんじやうなのではない。和井内わゐない自慢じまんのカバチエツポのふとつたところを、二尾ふたつ塩焼しほやきでぺろりとたひらげて、あとをお茶漬ちやづけさら/\で小楊子こようじ使つかふ。……
 いやこゝでこそ、呑気のんきらしいことをいふものゝ、磊々らい/\たる巉巌ざんがん尖頂せんちやうぢて、大菩薩だいぼさつちひさなほこらの、たゞてのひらるばかり……といつたところで、人間にんげんのではない、毘沙門天びしやもんてんてのひらたまふ。宝塔ほうたふごときにせつしたときは、邪気じやきある凡夫ぼんぷは、手足てあしもすくんでそのまゝにしやがんだ石猿いしざるらうかとした。……いはほそうは一まいづゝ、おごそかなる、神将しんしやうよろひであつた、つゝしんでおもふに、色気いろけある女人によにんにして、わる絹手巾きぬはんかちでもねぢらうものなら、たゞ飜々ほん/\してぶであらう。それから跣足はだしになつて、かゝへられるやうにしてくだつて、また、老樹らうじゆ大巌おほいは挟間さまひだりに五だん白樺しらかば巨木きよぼくした南祖坊なんそばうだうがあつた。みぎに三だん白樺しらかば巨木きよぼくしたに、一龍神りうじんほこらがあつた。……とびらあさうして、しかくらおくに、一人面蛇体にんめんじやたいかみの、からだを三うねり、ともに一ふりつるぎまとうたのが陰影いんえいつて、おもてつるぎとゝもに真青まつあをなのをときよ。


 このほこらいたゞく、鬱樹うつじゆこずゑさがりに、瀧窟たきむろこみちとほつて、断崖きりぎし中腹ちうふく石溜いしだまりのいはほわづかひらけ、たゞちに、くろがね階子はしごかゝる、陰々いん/\たるみぎはこそ御占場おうらなひばしようするので――(小船こぶねとほるさうである)――画工ゑかきさんと英雄えいゆうとは、そこへ――おのおの……畠山はたけやまうまではない、……しゝいだき、鹿しかをかつぐがごと大荷おほにのまゝ、ずる/\とこずゑしづんだ。高信たかのぶさんは、南祖坊なんそばうだんはしに一いきしてむかうむきに煙草たばこつた。わたしは、龍神りうじんしやしつゝも、大白樺おほしらかばみきすがつて、ひがしこひしい、ひがしみづうみ差覗さしのぞいた。
 場所ばしよは、立出たちいでた休屋やすみや宿やどを、さながらたに小屋こいへにした、中山半島なかやまはんたう――半島はんたうは、あたかりうの、かうべ大空おほぞららしたかたちで、ところあぎとである。てる絶壁ぜつぺきしたには、御占場おうらなひばがけつて業平岩なりひらいは小町岩こまちいは千鶴ちづるさき蝋燭岩らふそくいはつゞみうら詠続よみつゞいて中山崎なかやまさき尖端とつさききばである。
 相対向あひたちむかふものは、御倉半島おくらはんたう。またみさき大蛇灘おろちなだいて、めぐつて、八雲崎くもさき日暮崎くれのさき鴨崎かもさき御室みむろ烏帽子岩えぼしいは屏風岩べうぶいは剣岩つるぎいは、一つ一つ、かみおのち、おにが、まさかりおろしたごとく、やがては、巨匠きよしやう名工めいこうの、鑿鏨のみたがねさえに、なみ珠玉しゆぎよくちりばめ、白銀しろがねくも浮彫うきぼりよそほひ、緑金りよくきん象嵌ぞうがん好木奇樹かうぼくきじゆ姿すがたらして、粧壁彩巌しやうへきさいがんきざんだのが、一である。
 をりからあめのあとのおもて打沈うちしづめる蒼々漫々さう/\まん/\たるみづうみは、水底みなそこつきかげはうとして、うすかゞやわたつて、おき大蛇灘おろちなだ夕日影ゆふひかげはしつた。
 ふたゝふ、東向ひがしむかうに、そのくも日暮崎くれのさき御室みむろしようならんで半島はんたう真中まんなかところくもよりすべつてみづうみひた巌壁がんぺき一千ぢやういたゞきまつ紅日こうじつめ、夏霧なつぎりめてむらさきに、なか山肌やまはだつちあかく、みぎは密樹緑林みつじゆりよくりんかげこまやかに、いろ三つをかさねて、ひた/\とうつつて、あゐうかべ、みどりひそめ、くれなゐかして、なみや、かへかぜに、紅紫こうしりんはなたちまき、藍碧万顆らんぺきばんくわほし※(「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57)たちまひらいて、さつながるゝ七さいにじすゑ湖心こしんもつとふかところ水深すゐしん一千二百しやく青龍せいりうおほいなるくらくちむ。
 それが、それが、したにちら/\と、れに、れる。……よるとばりはやゝせまる。……あゝ、うつくしさに気味きみわるい。
 そこに、白鳥はくてう抜羽ぬけはひら白帆しらほふねありとせよ。蝸牛まい/\つぶろつのして、あやつるものありとせよ、青螽あをいなごながるゝごと発動汽艇はつどうきていおよぐとせよ。
 わたしなんとなく慄然ぞつとした。
 みづうみばかり、わればかり、ふねは一そうかげもなかつた。またいつもかげかたちふやうな小笠原氏をがさはらしのゐなかつたのは、土地とち名物めいぶつとて、蕎麦切そばきり夕餉ゆふげ振舞ふるまひに、その用意ようい出向でむいたので、今頃いまごろは、して麺棒めんぼううでまくりをしてゐやうもれない。三すみさんは、休屋やすみやはまぞひに、恵比寿島ゑびすじま弁天島べんてんじま兜島かぶとじまを、自籠じごもりいは――(御占場おうらなひばうしろにたる)――かけて、ひとりでふねした。そのあひだに、千ねんすぎ並木なみきふかく、わたしたちは参詣さんけいしたので。……
 すなはやま背面はいめんには、きし沿ふ三すみさんの小船こぶねがある。たゞそのひとたよりであつた。少々せう/\怪我けがぐらゐはする覚悟かくごで、幻覚げんかく錯視さくしかとみづかあやしむ、そのみづいろどりに、一だんと、えだにのびて乗出のりだすと、あま奇麗きれいさに、くらんだのであらう。の、なかみづうみの一めんあめぶやうになかばスツと薄暗うすぐらい。
 ためにくろさにつやした烏帽子岩えぼしいはあたまに、を、いまのいろなみにして、一すぢ御占場おうらなひばはうに、烏帽子岩えぼしいはむかつて、一すぢ。うね/\とうすひかみづすぢかげえない船脚ふなあしなみ引残ひきのこされたやうなのが、あたままるとがどうながくうねり、あし二つにわかれて、たとへば(これ)がよこの(はち)の向合むかひあつて、みづうみなかばりやうしてうかた、ものゝかたちよ。――前日ぜんじつくちあさみぎはるゝ飴色あめいろ小蝦こえびしたを、ちよろ/\とはしつた――真黒まつくろ※(「虫+原」、第3水準1-91-60)ゐもりふたつながら、こゝにたけぢやうあまんぬる。
 る/\、ふるひ、あしうごめき、あたまうごく。……驚破すはや相噛あひかまば、たゝかはゞ、此波このなみき、此巌このいはくづれ、われぶ、とこゑげて「康正かうせいさーん。」博士はかせたすけよ、とばむとするときなんと、……うなじり、ほゝおもり、あしいだくとるや、ひらめかして接吻キツスをした。かぜとゝもにくろさゞなみ立蔽たちおほつた。
「――うらなひは……うらなひは――」
 こだまいて、崖下がけしたなかふかく、画工ゑかきさんのぶのがこえて、
「……すごいぞう。」
と、あなこもつたやうな英雄えいゆうこゑくらみづひゞいた。
「やあ、これは。」
 高信たかのぶさんが、そこへ、ひよつくりあらはれた、神職かんぬしらしいのに挨拶あいさつすると、附添つきそつて宿屋やどや番頭ばんとうらしいのが、づうとて、
いまこれへ、おいでの皆様みなさま博士はかせ方々かた/″\でおいでなさりまするぞ。」
 十四五にん仙台せんだい学校がくかうからとく、洋服やうふく紳士しんしが、ぞろ/\とつゞいてえた。……
 ――のであつた。――
 とき英雄えいゆう発荷峠はつかたふげで……
博士はかせは、一くるまあとへのこらるゝさうです。紅立羽あかたては烏羽揚羽からすはあげはしろからして、おつにんてふ就中なかんづく、(小紫こむらさき)などといふのが周囲まはりについてゐますから、一寸ちよつとやまからさうにもありませんな。」
 ――このことばしんをなした。翌々夜よく/\や秋田市あきたしでは、博士はかせてふ取巻とりまくこと、大略おほよそかくとほりであつた。もとよりのちはなしである。
 わたしはいつた。
蝶々てふ/\診断しんだんをしてゐるんだ。大湯おほゆ落合おちあひましやうよ、一あしさきへ……」
 ……じつは三あまり、仙境霊地せんきやうれいち心身共しんしんとも澄切すみきつて、澄切すみきつたむなさきへ凡俗ぼんぞく見透みえすくばかり。そんなその、紅立羽あかたてはだの、小紫こむらさきだの、高原かうげん佳人かじん、おやすくないのにはおよばない、西洋化粧せいやうけしやう化紫ばけむらさき、ござんなれ、白粉おしろいはなありがたい……はや下界げかいげたいから、真先まつさき自動車じどうしやへ。
 駕籠かごを一ちやう駕籠屋かごやが四にんたふげ茶屋ちやややすんだのが、てく/\とかへつてた。
「いや、取紛とりまぎれて失念しつねんをしようとした。ほんの寸志すんしだよ。」
 高信たかのぶさんが、銀貨ぎんくわ若干なにがし先棒さきばうてのひらへポンとにぎらせると、にこりとひたいをうつむけたところを、
「いくらもらうたかい。」
 小笠原氏をがさはらしが、真顔まがほで、胡麻髯ごまひげほゝせた。
「へい。」と巌丈がんぢやう引握ひんにぎつたおほきなてのひらをもつさりとける、とひかる。
おほからうが。おほいぞ。おかへまをせ。――折角せつかくですが、かやうなことくせになりますで、以来いらい悪例あくれいになりますでな。」
 お律義りちぎ律義りちぎ、いつもその思召おぼしめしねがひたい、とみち此処ここ自腹じばらでないから、わたし一人ひとりめてゐる。
「いや/\、それはそれ、これはこれ、たゞ些少ほんこゝろざしですから。……さあ/\わかしうかるをさめて。」
 れて如才じよさいないあつかひに、にがつたかほしてうなづいて、
いたゞいてけ。れいへい。」
「それ、いそげ。」
 英雄えいゆうは、面倒めんだうくさい座席ざせきになどかたづくのでない。自動車じどうしや免許取めんきよとりだから、運転手台うんてんしゆだいへ、ポイとあがると、「いそげ。」――背中せなかを一つ引撲ひつぱたいきほひだから、いや、運転手うんてんしゆばしたことたふげからおろかぜは、俗客ぞくきやくきまくつた。
「や、おせいますなあ。」
 さか見霽みはらしで、駕籠かごかへる、とおもひながら、傍目わきめらなかつた梶原かぢはらさんは、――そのこゑ振返ふりかへると、小笠原氏をがさはらしが、諸肌もろはだぬぎになつて、肥腹ふとつぱらをそよがせ、こしはなさなかつた古手拭ふるてぬぐひくびいた。が、一やくまして、ほつとくつろいださまだつたさうである。「さすがに日当ひあたりはあついですわい。」「これから何方どちらまでおかへりです。」法奥沢村はふおくさはむら名望家めいばうかが、「ふねればるのですがな、都合つがふわるければ休屋やすみやまで歩行あるきますかな。つきがありますで、あるひ陸路りくろくちかへるですわい。」はせて六里余りよ、あの※(「石+角」、第3水準1-89-6)げうかくたる樵路きこりぢを、つれもなく、とおもふと、三すみ先生せんせいよろしく、と挨拶あいさつして、ひとり煢然けいぜんとしてたふげくだ後態うしろつきの、みづうみ広大くわうだい山毛欅ぶなたかし、遠見とほみ魯智深ろちしんたのが、かついくさやぶれて、よろひて、雑兵ざうひやうまぎれてちて宗任むねたふのあはれがあつた。……とその大湯おほゆ温泉をんせんで、おしろひのはなにもない菜葉なつぱのやうなのにしやくをされつゝ、画家ゑかきさんがわたしたちにはなしたのであつた。
 ――却説さて前段ぜんだんつた。――海岸線かいがんせんまはりの急行列車きふかうれつしや古間木こまきへ(えきへは十和田わだ繁昌はんじやうのために今年ことしから急行きふかうがはじめて停車ていしやするのださうで。)――いたとき旅行たび経験けいけんすくな内気うちきものゝあはれさは、手近てぢかところ引較ひきくらべる……一寸ちよつと伊豆いづ大仁おほひとつたがしたのである。が、はなすゝきうへをすらすらと、すぐに修善寺しゆぜんじへついて、菖蒲湯あやめのゆかれるやうな、やさしいのではない。えきみぎると、もう心細こゝろぼそいほど、原野げんや荒漠こうばくとして、なんとも見馴みなれない、ちぎぐもが、大円だいゑんそらぶ。八ぱうくさばかりで、さへぎるものはないから、自動車じどうしやなみてゝすなしり、小砂利こじやりおもてすさまじさで、帽子ぼうしなどはかぶつてられぬ。なにげばさゝうなものだけれど、屋根やね一つとほくにえず、えださす立樹たちきもなし、あの大空おほぞらから、さへぎるものはたゞ麦藁むぎわらで、かつつてはきふくもる……うも雲脚くもあしらない。初見しよけん土地とちたいしても、すつとこかぶりもなるまいし……コツツンとおとのするまで、帽子ぼうし頂辺てつぺんたゝいて、めて、「天気模様てんきもやう如何いかゞでせうな。」「さあ――」「るのはかまひませんがね、その雷様かみなりさまは――」小笠原氏をがさはらしは、ほろなしのくるまに、よこざまに背筋せすぢぢて、まどこしけたやうなかたちび、「昨日きのふ一昨日おとゝひと三つゞけてつたですで、まんづ、今日けふ大丈夫だいぢやうぶでがせうかな。」一かうにんと、運転手うんてんしゆ助手じよしゆはせて八にんひしんでつた、真中まんなかちひさくなつた、それがしの顔色がんしよくすくなからず憂鬱いううつになつたとえて、博士はかせが、かたかるけるやうにして、「大丈夫だいぢやうぶですよ、ついてますよ。」熟々つら/\あんずれば、狂言きやうげんではあるまいし、如何いか名医めいいといつても、雷神らいじんうしようがあるものではない。が、面食めんくらつてるから、このこゑに、ほつとして、すこしばかりこゝろ落着おちついた。
 落着おちついてると……「あゝ、この野中のなかに、いうにやさしい七夕たなばたが……。」またあわてた。たけよりたかい一めん雑草ざつさうなかに、三本みもと五本いつもとまた七本なゝもとあはむらさきつゆながるゝばかり、かつところに、くきたか見事みごと桔梗ききやうが、――まことに、桔梗色ききやういろいたのであつた。
 さんぬるとし中泉なかいづみから中尊寺ちうそんじまうでた六ぐわつのはじめには、細流さいりうかげ宿やどして、山吹やまぶきはなの、かたかひきざめるがごといたのをた。かれつめた黄金わうごんである。これあたゝかき瑠璃るりである。此日このひ本線ほんせんがつして仙台せんだいをすぐるころから、まちはもとより、すゑの一軒家けんやふもと孤屋ひとつやのき背戸せどに、かき今年ことしたけ真青まつさをなのに、五しき短冊たんざく、七いろいとむすんでけたのを沁々しみ/″\ゆかしくた、前刻さつきいまで、桔梗ききやうほしむらさき由縁ゆかりであらう。……ときなびきかゝるくもいうなるさへ、一てん銀河ぎんが髣髴はうふつとして、しかも、八甲田山かふださん打蔽うちおほふ、陸奥みちのくそらさびしかつた。
 われらは、ともすると、くもつてくもわするゝ……三本木ぼんぎは、柳田国男やなぎだくにをさんの雑誌ざつし――(郷土研究きやうどけんきう)と、ちかくまた(郷土会記録きやうどくわいきろく)とにをしへられた、伝説でんせつをさながら事実じじつほとん奇蹟的きせきてき開墾地かいこんちである。石沙無人せきさむにんきやうの、いへとなり、みづとなり、となり、むらとなつた、いま不思議ふしぎきやうにのぞみながら、古間木こまきよりしてわづかに五、あとなほ十をひかへた――前途ゆくて天候てんこうのみ憂慮きづかはれて、同伴つれに、孫引まごひきのものがほ出来できなかつたのを遺憾ゐかんとする。
 八にんではだい乗溢のりこぼれる。の、あのいきほひでこぼれたには、魔夫人まふじんあふぎもつあふがれたごとく、漂々蕩々へう/\とう/\として、虚空こくうたゞよはねばなるまい。それにおの/\随分ずゐぶんある。くいふわたしにもある。……おほきなバスケツトがある。読者どくしやるや、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんと芥川あくたがは……あゝ、面影おもかげえる)さんが、しか今年ことしぐわつ東北とうほくたびしたときうみわたつて、函館はこだてまづしい洋食店やうしよくてんで、※(「弓+享」、第3水準1-84-22)とんさんが、オムレツをふくんで、あゝ、うまい、とたんじ、
冴返さえかへ沁々しみ/″\とほつきがひ
と、芥川あくたがはさんがえいじて以来いらい、――東京府とうきやうふこゝろある女連をんなれんは、東北とうほく旅行りよかうする亭主ていしゆためおかゝのでんぶと、焼海苔やきのりと、梅干うめぼしと、氷砂糖こほりざたう調とゝのへることを、陰膳かげぜんとゝもにわすれないことつた。をんなこゝろがあつてもなくても、わたし亭主ていしゆ一人ひとりである。そのでんぶ、焼海苔やきのりなどとなふるものをしたゝかれたおほバスケツトがあるゆゑんである。また不断ふだんちがふ。短躯小身たんくせうしんなりといへども、かうして新聞しんぶんから出向でむうへは、紋着もんつきはかまのたしなみはなくてなるまいが、ぱらつた年賀ねんがでなし、風呂敷包ふろしきつゝみ背負しよひもならずと、……ともだちはつべきもの、緑蝶夫人ろくてふふじんといふ艶麗あでやかなのが、麹町通かうじまちどほ電車道でんしやみちむかうへ、つい近所きんじよに、家内かないともだちがあるのに――けないとぷんとしないが、香水かうすゐかをりゆかしきびんならぬ、衣裳鞄いしやうかばんりてつた。
 次手ついでに、御挨拶ごあいさつまをしたい。の三本木ぼんぎ有志いうし方々かた/″\から、こゝで一ぱくして晩餐ばんと一しよに、一せき講話かうわを、とあつたのを、ひらにおわびをしたのは、……かるがゆゑにはかまがなかつたためではない。講話かうわなどおもひもらなかつたからである。しかししいことをした。いまおもへば、かねて一ぽん用意よういして、前記ぜんき郷土会記録きやうどくわいきろくするところ新渡戸博士にとべはかせの三本木ぼんぎ開墾かいこん講話かうわ朗読らうどくすればかつた。土地とちんで、もうまち成立せいりつわすれ、開墾かいこん当時たうじ測量器具そくりやうきぐなどのをさめた、由緒ゆいしよある稲荷いなりやしろさへらぬひとおほからうか、とおもふにつけても。――
 ひとわけけてむため、自動車じどうしやをもう一だいたのむことにして、はゞけんとなふる、規模きぼおほきい、びたまちあたらしい旅館りよくわん玄関前げんくわんまへ広土間ひろどま卓子テーブルむかつて、一やすみして巻莨まきたばこかしながら、ふと足元あしもとると、真下ました土間どま金魚きんぎよがひらひらとれておよぐ。寒国かんごくでは、うしてつたところがある。これはなつ待遇もてなしちがひない。贅沢ぜいたくなものだ。むかし僭上せんじやう役者やくしや硝子張がらすばり天井てんじやうおよがせて、仰向あふむいてたのでさへ、欠所けつしよ所払ところばらひをまをしつかつた。うへからなぞは、とおもひながら、せばいゝのに、――それでも草履ざうり遠慮ゑんりよしたが、雪靴ゆきぐつ穿いた奥山家おくやまが旅人たびびとで、ぐい、と踏込ふみこむと、おゝつめたい。ばちやんとねて、足袋たびはびつしより、わアと椅子いすかたむけて飛上とびあがると、真赤まつかになつて金魚きんぎよわらつた。あはは、あはは。
 いや、笑事わらひごとではない。しばらくして――ひがしうみかぎり、きた野辺地のへぢいたるまで、東西とうざい南北なんぼく十三周囲しうゐ十六。十まはりにかさがいことわざにもふ、そのかさがいとても、なつみづのないくさいきれ、ふゆくさ吹雪ふぶきのために、たふれたり、うもれたり、行方ゆくへれなくなつたとく。……三本木原ぼんぎはら真中まんなかへ、向風むかひかぜと、わだちかぜ吹放ふきはなされたときは、おきたゞよつたやうな心細こゝろぼそさ。
 はやく、まちはなれてつじれると、高草たかくさ遥々はる/″\みちすぢ、十和田わだかよふといたころから、同伴つれ自動車じどうしやつゞかない。わたしのはさきつたが、――説明せつめいくと、砂煙すなけぶりがすさまじいので、すくなくとも十ちやうあまりは間隔かんかくかないと、まへすゝむのはまだしも、あとくるまくちかないのださうである。――この見果みはてぬ曠野あらのに。
 はたせるかな。左右さいう見渡みわたかぎ苜蓿うまごやし下臥したふは、南部馬なんぶうま牧場ぼくぢやうくに、時節じせつとて一とうこまもなく、くもかげのみそのまぼろしばして一そうさびしさをした……茫々ぼう/\たる牧場ぼくぢやうをやゝぎて、みちゑがところで、とほあと見返みかへれば、かぜつた友船ともぶねは、千すぢ砂煙すなけぶりをかぶつて、みだれて背状うしろさまきしなつて、あたか赤髪藍面せきはつらんめん夜叉やしやの、一水牛すゐぎうくわして、苜蓿うまごやしうへころたるごとく、ものすさまじくのぞまれた。


 前途ゆくて焼山やけやま茶店ちやみせいて、少時しばらくするまで、この友船ともぶねさかひへだてたやうにわかれたのである。
 みち大畝おほうねりに、乗上のりあが乗下のりさがつて、やがて、せまり、やまきたり、いはほちかづき、かはそゝいで、やつと砂煙すなけぶりなかけたあたりから、心細こゝろぼそさがまたした。はいまみどりに、ながれしろい。嵐気らんきしたゝる、といふくせに、なに心細こゝろぼそい、と都会とくわい極暑ごくしよなやむだ方々かた/″\からは、その不足ふそくらしいのをおしかりになるであらうが、行向ゆきむかふ、正面しやうめん次第しだい立累たちかさなやまいろ真暗まつくらなのである。左右さいう山々やま/\は、次第次第しだいしだいに、薄墨うすずみあはせ、ねずみくし、こんながし、みねうるしく。
「さあ/\さあ、そろ/\あやしくなりましたな。」
怪談くわいだんですか。」
「それどころですか、くらつてましたなあ、りさうですね。りさうですね。」
 三角みすみさんが、
大丈夫だいぢやうぶ、よく御覧ごらんなさい、あのれたやうに艶々つや/\くろくすごいなかに……」
 小笠原氏をがさはらしくちれて、
「あのなかが、これから奥入瀬おいらせ大渓流だいけいりうでがすよ。」
 だから、だからいはぬことではない、わたし寒気さむけがしてた。
「いゝえ、――くろすごなかに、うすく…ひかる…は不可いけませんか。」
博士はかせ莞爾につこりして、
くろすごなかに、紫色むらさきいろえましやう。高山かうざん何処どこもこの景色けしきです。光線くわうせん工合ぐあひです。夕立雲ゆふだちぐもではありません。」
 白皙蒲柳はくせきほりうしつず、越中国えつちうのくに立山たてやまつるぎみねゆきを、先頭せんとうだい四十何人目なんにんめかに手鈎てかぎけた、登山とざんにおいては、江戸えど消防夫ひけしほどの侠勢きほひのある、この博士はかせことばしんずると、成程なるほど夕立雲ゆふだちぐも立籠たちこめたのでもなさゝうで、山嶽さんがくおもむきは墨染すみぞめ法衣ころもかさねて、かたむらさき袈裟けさした、大聖僧だいせいそうたいがないでもない。が、あゝ、なんとなくぞく/\する。
 たちまち、ざつとなつて、ポンプでくがごとく、泥水どろみづ両方りやうはうほとばしると、ばしやんと衣裳鞄いしやうかばんねかゝつた。運転手台うんてんしゆだい横腹よこばらつなけてんだのである。しまつた、りものだ、とひやりとすると、ざつ、ざぶり、ばしやツ。よわつた。が、落着おちついた。緑蝶夫人ろくてふふじんぶりおもへ。――「これは、しやぼん、鰹節かつをぶし以上いじやうですな。――道中だうちうそんずること承合うけあひですぜ。」「かばんよごれたのが伊達だてなんですとさ。――だからあたらしいのを。うぞ精々せい/″\いためてくださいな。」う一つ落着おちついたのは、……なつあめだ。こゝらはつたあとらしい、とおもつたのである。
小笠原をがさはらさん、つたんですね。」
「いや、昨日きのふあめですわい。」
 御勝手ごかつてになさい、にべのないことおびたゞしい。やうでございませうとも、成程なるほどれたのではない。まどをたよるほどくらさがして滅入めいことまたおびたゞしい。わたしいへこひしくなつた。人間にんげん女房にようぼうこひしくるほど、勇気ゆうきおとろへることはない。それにつけても、それ、そのかばんがいたはしい。つた、またばしやり、ばしやん。
 もつて、このあたりすで樹木じゆもくしげれることおもふべし。焼山やけやまちかい。
 ちかい。が焼山やけやまである。唐黍たうもろこしげてゐやう。茄子なすびあかからう。女気をんなげとほざかることかばんのぞいて十あまつた。焼山やけやまについてやすんだところで、渋茶しぶちやむのはさだめししわくたの……ういへば、みちさか一つ、ながれちかく、がけぶちの捨石すていしに、竹杖たけづゑを、ひよろ/\と、猫背ねこぜいて、よはひ、八十にもあまんなむ、卒塔婆小町そとばこまちしやうばあさんが、ぼやり、うつむいてやすんでゐた。そのほかにほとん人影ひとかげなかつたといつてもい。――あんなのが「ましやい。」であらうと観念くわんねんしたのであつたから。
今日こんにちは――女房おかみさん。」
 珊瑚さんごえだつてゐた、焚火たきびから、いそいでつて出迎でむかへた、ものやはらかな中形ちゆうがた浴衣ゆかたの、かみいのをときは、あわてたやうにこゑけた。
 焼山やけやまの一けん茶屋ちやや旅籠はたごに、雑貨荒物屋ざつくわあらものやねた――土間どまに、(この女房かみさんならちやあつい)――一わんきつし、博士はかせたちと一いきして、まはりのくさ広場ひろばを、ぢつとると、雨空あまぞらひくれつゝ、くも黒髪くろかみごとさばけて、むねまとひ、のきみだるゝとゝもに、むかうの山裾やますそに、ひとつ、ぽつんとえる、柴小屋しばごや茅屋根かややねに、うす雨脚あめあしかつて、下草したぐさすそをぼかしつゝ歩行あるくやうに、次第しだい此方こちらへ、百条もゝすぢとなり、千すぢつて、やがて軒前のきまへしろすだれおろろした。
 このしづくに、横頬よこほゝたれて、腕組うでぐみをして、ぬい、とつたのは、草鞋わらぢつたみせ端近はぢかしやがんだ山漢やまをとこ魚売うをうりで。三まいざる魚鱗うろこひかつた。うろこひかつても、それ大蛇だいじやでも、しづかなあめでは雷光いなびかり憂慮きづかひはない。見参けんざん見参けんざんなどゝ元気げんきづいて、説明せつめいつまでもない、山深やまふか岩魚いはなのほかは、かねいた姫鱒ひめますにておはすらむ、カバチエツポでがんせうの、と横歩行よこあるきしていきほひ。ついでにバスケツトをさぐつて、緑蝶夫人ろくてふふじんはなむけするところのカクテルのくちいた。
すごばあさんにひましたよ。」
大雨おほあめ大雨おほあめ。」
と、画工ゑかきさん、三うらさんがばた/\とた、その自動車じどうしやが、柴小屋しばごやちいさく背景はいけいにして真直まつすぐくと、吹降ふきぶりいとつたわたしたちの自動車じどうしやも、じり/\と把手ハンドルたてつた。ならんだ二だいに、あたまからざつとあびせて、のきあめしのつくのが、たてがみたゝいて、轡頭くつわづらたかげた、二とううま鼻柱はなばしらそゝ風情ふぜいだつたのも、たにふかい。
 が、驟雨しううすさまじさはすこしもない。すぐ、まはゑん座敷ざしきに、畳屋たゝみやはいつてゐたのも、なんとなくこゝろゆくみやこ時雨しぐれて、をりからゑんはしにトントンとたゝいた茣蓙ござから、かすかつたほこりあをい。
 はじめよりして、ものゝ可懐なつかしかつたのは、底暗そこくら納戸なんどに、大鍋おほなべおもふのに、ちら/\とからんで焚火たきびであつた、このは、くるまうへから、彼処かしこ茶屋ちややときから、まよつた深山路みやまぢ孤屋ひとつやともしびのやうにうれしかつた。女房にようばう姿すがたやさしかつた。
 壁天井かべてんじやうすゝのたゞくろなかに、かへつてあざやかである。このむねにかゝるつたはいちはやくもみぢしよう。この背戸せど烏瓜からすうりさきんじていろめよう。東京とうきやうはるかに、いへとほい。……たび単衣ひとへのそゞろさむに、はだにほのあたゝかさをおぼえたのは一ぱいのカクテルばかりでない。焚火たきびひとなさけである。
 ひら/\とがり、ひら/\として、なびく。焚火たきびたすき桃色もゝいろである。かくて焼山やけやまあめたにうつくしい。
 ひそかにづけて、こゝを村雨茶屋むらさめちややといはうとおもつた。小降こぶりになつた。しろくもえだく。
なにてゐなさるんですか、女房おかみさん。」
 出立いでたときわたしは、納戸なんどのそのなべをさしてきいた。
「はい?」
なべなになさいますか。」
小豆あづきでございます。」
ふと、女房おかみ容子ようすよく、ぽつといろめた。
 わたしはその理由わけらない。けれども、それよりして奥入瀬川おいらせがは深林しんりん穿うがつてとほる、激流げきりう飛瀑ひばく碧潭へきたんの、いたところに、松明たいまつごとく、ともしびごとく、ほそくなりちひさくなり、またひらめきなどして、――くち湖畔こはんまでともなつたのは、この焚火たきびと、――一くき釣舟草つりぶねさうはなのあつたことをわすれない。
「しばらく、一寸ちよいと。」
 焼山やけやまを一ちやうばかり、奥入瀬口おいらせぐちすゝんだところで、博士はかせ自動車じどうしやめていつた。
「あのはなつてゐなさいますか――一寸ちよいと、おけませう。」
 自動車じどうしや引戻ひきもどし、ひらりとりるのに、わたしつゞくと、あめにぬれたくさむらに、やさしい浅黄あさぎけて、ゆら/\といたのは、手弱女たをやめ小指こゆびさきほどの折鶴をりづるせよう、おなじくつたちひさな薄黄色うすきいろふねかたちつらないたはなである。「一えだ」とると、小笠原氏をがさはらしかほして、こともなげにうなづくのをて、ときおとさつひゞいた。
 やがてかはる/″\かざした。
 釣舟草つりぶねさういてく。
 たちまる、くるまぎんに、わだち緑晶ろくしやういて、みづつた。奥入瀬川おいらせがはつたのである。
 これよりして、くちまでの三里余りよは、たゞ天地てんちあやつらぬいた、いはいしながれ洞窟どうくつつてい。くもれても、あめ不断ふだんるであらう。ならかつら山毛欅ぶなかしつき大木たいぼく大樹たいじゆよはひ幾干いくばくなるをれないのが、蘚苔せんたい蘿蔦らてうを、烏金しやくどうに、青銅せいどうに、錬鉄れんてつに、きざんでけ、まとうて、左右さいうも、前後ぜんごも、もりやまつゝみ、やまいはたゝみ、いは渓流けいりう穿うがきたる。……
 いろ五百機いほはた碧緑あをみどりつて、濡色ぬれいろつや透通すきとほ薄日うすひかげは――うちなにますべき――おほいなる※(「王+干」、第3水準1-87-83)らうかんはしらうつし、いだくべくめぐるべき翡翠ひすゐとばりかべゑがく。
 この壁柱かべはしら星座せいざそびえ、白雲はくうんまたがり、藍水らんすゐひたつて、つゆしづくちりばめ、下草したくさむぐらおのづから、はなきんとりむし浮彫うきぼりしたるせんく。
 せんうへを、渓流けいりうそゝぎ、自動車じどうしやさかのぼる。
 みづうみ殿堂でんだうこゝろざす、曲折きよくせつかぞふるにいとまなき、このなが廊下らうかは、五ちやうみぎれ、十ちやうひだりまがり、二つにわかれ、三つにけて、次第々々しだい/\奥深おくふかく、はやきはとなり、しづかなるはふちとなり、はしるははやせとなり、けるはうづとなつて、よろこばせ、たのしませ、おどろかせ、あやぶがらせ、ヒヤリとさせる。まへに、幾処いくところか、すさまじきとびらおもふ、大磐石だいばんじやく階壇かいだんは、たきだんかずおとしかけ、つるたきは、自動車じどうしやそらる。
 じゆなく、てがたなきに、この秘閣ひかく廊下らうかところとびらおのづからひらけ、はしらきたむかふるかんがある。
 ――おもふにひと焼山やけやまをすぎて、そのだい一のとびらひらくとともに、こゝろをのゝくであらう。くるまわだちつてくものは、でなく、くさでなく、いしでなく、もりかべつて、いはほはしらくだくるなみである。自動車じどうしやは、にも、ふちにも、たきにも、ほとんみづとすれ/\に、いや、むしながれ真中まんなかを、のまゝになみつてふねごとくにさかのぼるのであるから。
 いはほくろとき松明まつまぼろしてらし、しろとき釣舟草つりぶねさうまどれた。
 全体ぜんたい箱根はこねでも、塩原しほばらでも、あるひ木曾きそ桟橋かけはしでも、実際じつさいにしろ、にせよ、瑠璃るりそゝぎ、水銀すゐぎんなが渓流けいりうを、駕籠かごくるまくのは、樵路せうろ桟道さんだうたかところで、景色けしきひくしたのぞむものとおもつてたのに、繰返くりかへしていふが、密林みつりんあひだは、さながらながれうかんでぶのである。
 もとより幾処いくところにもはしがある。みな大木たいぼくかゝり、巨巌きよがんはだへ穿うがつ。苔蒸こけむす欄干らんかんがくれに、けた蔦蔓つたづるめたのが、前途ゆくてさへぎるのに、はし彼方かなたには、大磐石だいばんじやくかれて、急流きうりう奔湍ほんたんと、ひだりよりさつち、みぎより※(「てへん+堂」、第4水準2-13-41)だうくゞり、真中まんなか狂立くるひたつて、いはほ牡丹ぼたんいたゞきをどること、あゐしろ紺青こんじやうと三とう獅子ししるゝがごときをるとせよ。角度かくどきうまがつて、はしときおもはれよ。
 釣舟草つりぶねさういてく。
 なかに一ところ湖神こしんもうけの休憩所きうけいしよ――応接間おうせつまともおもふのをた。村雨むらさめまたしきりはら/\と、つゆしげき下草したぐさけつゝ辿たどると、むやうな湿潤しつじゆんみぎはがある。もりなか平地ひらちくぼんで、ところ川幅かははゞも、およそ百畳敷ぜふじきばかり、かはなが青黒あをぐろい。なみなみなみは、一めん陰鬱いんうつに、三かくつて、おなじやうにうごいて、うろこのざわ/\とさまに、※(「虫+原」、第3水準1-91-60)ゐもりむらがさまに、寂然せきぜんはてしなくながながるゝ。
 さびしく物凄ものすごさに、はじめて湖神こしん片影へんえいせつしたおもひがした。
 三ぱうは、大巌おほいはおびたゞしくかさなつて、陰惨冥々いんさんめい/\たる樹立こだちしげみは、露呈あらはに、いし天井てんじやううねよそほふ――こゝの椅子いすは、横倒よこたふれの朽木くちきであつた。
 うろこなみは、ひた/\と装上もりあがつてたかつ。――所謂いはゆるいしげど」のしようである。
 うま胴中どうなかほどのいしの、大樫おほかし古槻ふるつきあひだはさまつて、そらかゝつて、した空洞うつろに、黒鱗こくりんふちむかつて、五七にんるべきは、応接間おうせつま飾棚かざりだなである。いしげどはこのいはなのである。が、むべき岩窟がんくつを、かつ女賊ぢよぞくかくであつたとふのはをしい。……
 隣郷りんがう津軽つがる唐糸からいとまへぢずや。女賊ぢよぞくはまだいゝ。鬼神きじんのおまつといふにいたつては、あまりにいやしい。これをおもふと、田沢湖たざはこ街道かいだう姫塚ひめつかの、瀧夜叉姫たきやしやひめうらやましい。が、なんだか、ものしさうに、かはをラインとかぶのかられば、このはうはるかにをかしい。
 くもくろくなつた。ふち愈々いよ/\くらい。陰森いんしんとしてしづむあたりに、おともせぬみづたゞうろこうごく。
 ときに、廊下口らうかぐちから、とびら透間すきまから、差覗さしのぞいて、わらふがごとく、しかむがごとく、ニタリ、ニガリとつて、彼方此方あちこちに、ぬれ/\とあをいのは紫陽花あぢさゐかほである。かほでない燐火おにびである。いや燈籠とうろうである。
 しかし、十和田わだたいは、すべて男性的だんせいてきである。脂粉しふんすくなところだから、あを燈籠とうろうたづさふるのは、腰元こしもとでない、をんなでない。
 木魅こだま山魅すだまかげつて、こゝのみならず、もり廊下らうかくらところとしいへば、ひとみちびくがごとく、あとに、さきに、朦朧もうろうとして、あらはれて、がく角切籠かくきりこ紫陽花あぢさゐ円燈籠まるとうろうかすかあをつらねるのであつた。
 釣舟草つりぶねさういてく。
 焚火たきびまぼろしともれてつゞく。
 くるま左右さいうとゞく、数々かず/\たきおもても、裏見うらみ姿すがたも、燈籠とうろうともして、釣舟草つりぶねさういてく。
 たきのそのあるものは、くもにすぼめた瑪瑙めなう大蛇目おほじやのめからかさに、激流げきりうしぼつてちた。またあるものは、玉川たまがはぬのつないで、中空なかぞらほそかつた。そのあるものは、黒檀こくたんやぐらに、ほしあわみなぎらせた。
 やがて、かははゞぱいに、森々しん/\淙々そう/\として、かへつて、またおともなくつる銚子口てうしぐち大瀧おほたきうへわたつたときは、くももまたれて、紫陽花あぢさゐかげそらに、釣舟草つりぶねさうに、ゆら/\と乗心地のりこゝちゆめかとおもふ。……はしすべつて、はツとると、こゝに晃々くわう/\としてなめらかなるたま姿見すがたみめた。
 みづうみの一たんは、ふね松蔭まつかげゑがいて、大弦月だいげんげつごとかゞやいた。
 みづひかり白砂はくしやにたよつて、くちゆふべの宿やどいたのである。
御馳走ごちそうは?」
洋燈ランプ。」
といつて、わたしはきよとりとした。――これは帰京ききやう早々そう/\たづねにあづかつた緑蝶夫人ろくてふふじんとひこたへたのであるが――じつくち宿やど洋燈ランプだつたので、近頃ちかごろ余程よほどめづらしかつた。それが記憶きおくみてゐて、うつかりくちたのである。
 洋燈ランプめづらしいが、座敷ざしきもまだ塗立ぬりたての生壁なまかべで、たかし、高縁たかゑんまへは、すぐにかしつき大木たいぼく大樹たいじゆ鬱然うつぜんとして、めぐつて、山清水やましみづ潺々せん/\おとしづかながれる。……奥入瀬おいらせ深林しんりんを一ところ岩窟いはむろはいおもひがした。
 さて御馳走ごちそうだが、そのばんは、ますのフライ、若生蕈わかおひたけとなふる、焼麩やきふたのを、てんこもりわん
「ホツキがひでなくつてよかつたわね。」
精進しやうじんのホツキがひですよ。それにジヤガいもたの。……しかしおこの別誂べつあつらへもつて、とりのブツぎりと、玉葱たまねぎと、凍豆腐こゞりどうふ大皿おほざらんだのを鉄鍋てつなべでね、沸立わきたたせて、砂糖さたう醤油しやうゆをかきぜて、わたし一寸ちよつと塩梅あんばいをして」
「おや、気味きみわるい。」
よし、と打込うちこんで、ぐら/\とえるところを、めい/\もりに、フツフといて、」
山賊々々さんぞく/\。」
ひやかしたが、元来ぐわんらい衣裳鞄いしやうかばん催促さいそくではない、ホツキがひ見舞みまひたのだから、其次第そのしだい申述まをしのべるところへ……また近処きんじよから、おなじく、氷砂糖こほりざたう梅干うめぼし注意連ちういれん女性によしやうきたくははつた。次手ついでだから、つぎとまり休屋やすみや膳立ぜんだてを紹介せうかいした。ますしほやき小蝦こゑびのフライ、玉子焼たまごやきます芙萸ずいきくづかけのわん。――ひるばんじゆんわすれたが、ますねぎ玉子綴たまごとぢとりのスチウ、ますすりみ椎茸しひたけ茗荷めうがわん
ますますます。」
「ます/\ます。」とみなわらふ。なに御馳走ごちそうべにところではない。景色けしきだ、とこれから、前記ぜんき奥入瀬おいらせ奇勝きしようくこと一ばんして、くちあさぼらけ、みぎはまつはほんのりと、しまみどりに、なみあをい。縁前ゑんまへのついそのもりに、朽木くちきついば啄木鳥けらつゝきの、あをげら、あかげらを二ながら、さむいから浴衣ゆかた襲着かさねぎで、朝酒あさざけを。――当時たうじ炎威えんゐ猛勢もうせいにして、九十三度半どはんといふ、真中まなかだんじたが、
「だからフランネルがはいつてるぢやありませんか、不精ぶしやうだね。」
女房かゝあめが、風流ふうりうかいしないことおびたゞしい。そばから、
「そのためかばんぢやあないの。」
 で、一かうすゞしさなんぞせつけない。……たゞ桟橋さんばしから、水際みづぎはから、すぐすくへる小瑕こゑびこと。……はじめ、はねうす薄萠黄うすもえぎせみが一ぴきなみうへいて、うごいてゐた。峨峰がほう嶮山けんざんかこまれた大湖たいこだから、時々とき/″\さつきりおそふと、このんでるのが、方角はうがくまよふうちにはねよわつて、みづちることいてゐた。――げてやらうと、ステツキで、……かうくと、せみはらに五つばかり、ちひさな海月くらげあしやうなのが、ふら/\とついておよいでる、つてゐやがる――ゑびである。引寄ひきよせてもげないから、そつれると、尻尾しつぽ一寸ちよつとひねつて、二つも三つもゆびのさきをチヨ、チヨツとつゝく。此奴こいつと、ぐつとれると、スイとてのひらはいつてる。いはせて、ひよいとみづかららうとすると、アゝくすぐつたい、なりに一つピンとねて、ピヨイとにげて、スイとおよいで、ましてゐる。小雨こさめのかゝるやうに、水筋みづすぢつほど、いくらでも、といふ……なかばから、緑蝶夫人ろくてふふじんめて、ひとみせ、もう一人ひとりてのひらをひら/\うごかし、じり/\と卓子台ちやぶだい詰寄つめよると、だいばん食意地くひいぢつてる家内かないが、もう、たすきけたさうに、
べられるの。」
「そいつが天麩羅てんぷらのあげたてだ。ほか/\だ。」
 緑蝶夫人ろくてふふじんが、
「あら、いゝことねえ、きたくなつた。」
わたし……いまからでも。」
 がたい! よわつた。教養けうやうあり、識見しきけんある、モダンとかゞうらやましい。

 読者どくしやよ、かくのごときはみづうみ宮殿きうでんいたきざはしの一だんぎない。片扉かたとびらにして、うつたる一けいさへこれである。五さいさゞなみ鴛鴦おしどりうかべ、おきいはほ羽音はおととゝもにはなち、千じん断崖がけとばりは、藍瓶あゐがめふちまつて、くろ※(「虫+原」、第3水準1-91-60)ゐもりたけ大蛇おろちごときをしづめてくらい。数々かず/\深秘しんぴと、凄麗せいれいと、荘厳さうごんとをおもはれよ。
 ――いま、奥殿おくでんいたらずとも、真情まごゝろつうじよう。湖神こしんのうけたまふといなとをはからず、わたしきざはしに、かしはつた。
 ひそかにおもふ。みづうみ全景ぜんけいは、月宮げつきうよりして、みきむらさきみどりなる、たまえだより、金色こんじきをのつてなげうつたる、おほいなる胡桃くるみの、割目われめあをつゆたゝへたのであらう。まつたく一寸ちよつと胡桃くるみる。
(完)





底本:「新編 泉鏡花集 第十巻」岩波書店
   2004(平成16)年4月23日第1刷発行
底本の親本:「日本八景」鉄道省
   1928(昭和3)年8月1日
初出:「東京日日新聞 朝刊第一八三五一号〜第一八三五九号」東京日日新聞社
   1927(昭和2)年10月1日〜9日
   「大阪毎日新聞 夕刊第一五九五〇号〜第一五九五三号、第一五九五五号〜第一五九五九号」大阪毎日新聞社
   1927(昭和2)年10月13日〜16日、18日〜22日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「十和田湖とわだこ」となっています。
※初出時の署名は「泉鏡花」です。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2016年8月31日作成
2016年9月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード