観画談

幸田露伴




 ずっと前の事であるが、ある人から気味合きみあいみょうはなしを聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間りんかん焚火たきびの煙のように、何処どこか知らぬところにいっし去っている。
 話をしてくれた人の友達に某甲なにがしという男があった。その男は極めて普通人がたの出来の好いほうで、晩学ではあったが大学も二年生まで漕ぎ付けた。というものはその男が最初はなはだしい貧家に生れたので、思うように師を得て学に就くというわけには出来なかったので、田舎いなかの小学をおえると、やがて自活生活に入って、小学の教師の手伝てつだいをしたり、村役場むらやくばの小役人みたようなことをしたり、いろいろ困苦勤勉の雛型ひながたその物の如き月日を送りながらに、自分の勉強をすること幾年であった結果、学問も段※(二の字点、1-2-22)進んで来るし人にも段※(二の字点、1-2-22)認められて来たので、いくらか手蔓てづるも出来て、ついに上京して、やはり立志篇りっしへん的の苦辛くしんの日を重ねつつ、大学にも入ることを得るに至ったので、それで同窓どうそう中では最年長者――どころではない、五ツも六ツも年上であったのである。ありとうを造るような遅※(二の字点、1-2-22)たる行動を生真面目きまじめに取って来たのであるから、浮世の応酬おうしゅうに疲れたしわをもうひたいに畳んで、心の中にも他の学生にはまだ出来ておらぬ細かい※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)ひだが出来ているのであった。しかし大学にある間だけの費用を支えるだけの貯金は、恐ろしい倹約と勤勉とで作り上げていたので、当人は初めて真の学生になり得たような気がして、実に清浄純粋な、いじらしい愉悦と矜持きょうじとを抱いて、余念もなしに碩学せきがくの講義を聴いたり、豊富な図書館に入ったり、雑事におかされない朝夕ちょうせきの時間の中に身を置いて十分に勉強することの出来るのを何よりもうれしいことに思いながら、いわゆる「勉学の佳趣かしゅ」にひたり得ることを満足に感じていた。そして他の若い無邪気な同窓生から大噐晩成たいきばんせい先生などという諢名あだな、それは年齢の相違と年寄としよりじみた態度とから与えられた諢名を、臆病臭い微笑でもって甘受しつつ、平然として独自一個の地歩を占めつつ在学した。実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言いかえれば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩ろうえいに過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人なんぴとにも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生もこの人を仲間はずれにはしながらも内※(二の字点、1-2-22)は尊敬するようになって、甚だしい茶目吉ちゃめきち一、二人のほかは、無言の同情を寄せるにやぶさかではなかった。
 ところが晩成先生は、多年の勤苦がむくいられて前途の平坦光明こうみょう望見ぼうけんせらるるようになった気のゆるみのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名がはじめて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士いはかせたちの診断も朦朧もうろうで、人によってことなる不明のやまいに襲われて段※(二の字点、1-2-22)衰弱した。切詰きりつめた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍困悶こんもんしたが、どうも病気には勝てぬことであるから、しばらく学事を抛擲ほうてきして心身の保養につとめるがいとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の※(「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32)こうきを吸うべく東京の塵埃じんあい背後うしろにした。
 伊豆や相模さがみの歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分ではないから、房総ぼうそう海岸を最初はえらんだが、海岸はどうも騒雑そうざつの気味があるので晩成先生の心にまなかった。さればとて故郷の平蕪へいぶの村落に病躯びょうく持帰もちかえるのもいとわしかったと見えて、野州やしゅう上州じょうしゅうの山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲はくうんの風に漂い、秋葉しゅうようの空にひるがえるが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子けじゅす大洋傘おおこうもりに色のせた制服、丈夫一点張いってんばりのボックスの靴という扮装いでたちで、五里七里歩く日もあれば、また汽車で十里二十里歩く日もある、取止とりとめのない漫遊の旅を続けた。
 あわれむべし晩成先生、嚢中自有のうちゅうおのずからせんありという身分ではないから、随分切詰めたふところでもって、物価の高くない地方、贅沢ぜいたく気味のない宿屋※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)を渡りあるいて、また機会や因縁いんねんがあれば、客を愛する豪家や心置こころおきない山寺なぞをも手頼たよって、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州おうしゅうの或辺僻へんぺきの山中へ入ってしまった。先生ごく真面目な男なので、俳句なぞは薄生意気うすなまいきな不良老年の玩物おもちゃだと思っており、小説稗史はいしなどを読むことは罪悪の如く考えており、徒然草つれづれぐさをさえ、余り良いものじゃない、と評したというほどだから、随分退屈な旅だったろうが、それでもまだしも仕合せな事には少しばかり漢詩を作るので、それを唯一の旅中のたのしみにして、※(「足へん+禹」、第3水準1-92-38)※(二の字点、1-2-22)くくぜんとして夕陽せきようの山路や暁風ぎょうふう草径そうけいをあるき廻ったのである。
 秋は早い奥州の或山間さんかん、何でも南部なんぶ領とかで、大街道おおかいどうとは二日路ふつかじ三日路みっかじも横へ折れ込んだ途方もない僻村へきそんある寺を心ざして、その男は鶴の如くに※(「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62)せた病躯を運んだ。それは旅中で知合しりあいになった遊歴者、その時分は折節そういう人があったもので、律詩りっしの一、二章も座上で作ることが出来て、ちょっと米法山水べいほうさんすい懐素かいそくさい草書そうしょしろぶすまをよごせる位の器用さを持ったのを資本もとでに、旅から旅を先生顔で渡りあるく人物に教えられたからである。君はそういう訳で歩いているなら、これこれの処にこういう寺がある、由緒は良くても今は貧乏寺だが、その寺の境内けいだいに小さな滝があって、その滝の水は無類の霊泉である。養老の霊泉は知らぬが、随分響き渡ったもので、二十里三十里をわざわざその滝へかかりに行くものもあり、また滝へ直接じかにかかれぬものは、寺のそばの民家に頼んでその水を汲んで湯を立ててもらってよくする者もあるが、不思議に長病が治ったり、ことに医者に分らぬ正体の不明な病気などは治るということであって、語り伝えた現の証拠はいくらでもある。君の病気は東京の名医たちが遊んでいたら治るといい、君もまた遊び気分で飛んでもない田舎などをノソノソと歩いている位だから、とてもの事に其処そこへ遊んで見たまえ。住持じゅうじといっても木綿もめん法衣ころもたすきを掛けて芋畑いもばたけ麦畑で肥柄杓こえびしゃくを振廻すような気の置けないやつ、それとその弟子の二歳坊主にさいぼうずがおるきりだから、日に二十銭か三十銭も出したら寺へ泊めてもくれるだろう。古びてゆがんではいるが、座敷なんぞはさすがに悪くないから、そこへ陣取って、毎日風呂を立てさせて遊んでいたら妙だろう。景色もこれという事はないが、幽邃ゆうすいでなかなかいところだ。という委細のはなしを聞いて、何となく気が進んだので、考えて見る段になれば随分頓興とんきょう物好ものずきなことだが、わざわざ教えられたその寺を心当こころあてに山の中へ入り込んだのである。
 路はかなりのおおきさのたにに沿ってのぼって行くのであった。両岸の山は或時は右が遠ざかったり左が遠ざかったり、また或時は右が迫って来たり左が迫って来たり、時に両方が迫って来て、一水はるかに遠く巨巌の下に白泡しらあわを立ててたぎり流れたりした。或場処ばしょは路が対岸に移るようになっているために、あやう略※まるきばし[#「彳+勺」、U+5F74、52-12]が目のくるめくような急流にかかっているのを渡ったり、また少時しばらくして同じようなのを渡りかえったりして進んだ。恐ろしい大きな高いいわ前途ゆくてに横たわっていて、あのさきへ行くのか知らんと疑われるような覚束おぼつかない路を辿たどって行くと、かろうじてその岩岨いわそばいとのような道が付いていて、是非なくもありの如くかにの如くになりながら通り過ぎてはホッと息をくこともあって、何だってこんな人にも行会ゆきあわぬいわゆる僻地窮境へきちきゅうきょうに来たことかと、いささか後悔する気味にもならざるを得ないで、薄暗いほどに茂った大樹たいじゅの蔭に憩いながら明るくない心持の沈黙を続けていると、ヒーッ、頭の上から名を知らぬとりが意味の分らぬ歌を投げ落したりした。
 路がようやなるくなると、対岸は馬鹿※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)しく高い巌壁がんぺきになっているその下を川が流れて、こちらは山が自然に開けて、少しばかり山畠やまばたけが段※(二の字点、1-2-22)を成して見え、あわきびが穂を垂れているかとおもえば、うさぎに荒されたらしいいたって不景気な豆畠に、もう葉を失って枯れ黒んだ豆がショボショボと泣きそうな姿をして立っていたりして、その彼方むこうに古ぼけた勾配の急な茅屋かややが二軒三軒と飛び飛びに物悲しく見えた。そら先刻さっきから薄暗くなっていたが、サーッというやや寒い風がおろして来たかと見るに、ならかしわの黄色な葉が空からばらついて降って来ると同時に、の葉の雨ばかりではなく、ほん物の雨もはらはらとって来た。たに上手かみての方を見あげると、薄白い雲がずんずんと押して来て、瞬く間に峯巒ほうらんむしばみ、巌を蝕み、松を蝕み、たちまちもう対岸の高い巌壁をも絵心えごころに蝕んで、好い景色を見せてくれるのは好かったが、その雲が今開いてさしかざした蝙蝠傘こうもりの上にまで蔽いかぶさったかと思うほど低く這下はいさがって来ると、たまらない、ザアッという本降ほんぶりになって、林木りんぼくも声を合せて、何の事はないこの山中に入って来た他国者たこくものをいじめでもするように襲った。晩成先生もさすがにあわごころになって少し駆け出したが、幸い取付とりつきの農家はすぐ間近まぢかだったから、トットットッと走り着いて、農家の常の土間へ飛び込むと、傘が触って入口ののきに竿を横たえて懸けつるしてあった玉蜀黍とうもろこし一把いちわをバタリと落した途端に、土間の隅のうすのあたりにかがんでいたらしい白い庭鳥にわとりが二、三羽キャキャッと驚いた声を出して走り出した。
 何だナ、
にぶい声をして、土間の左側の茶の間から首を出したのは、六十か七十か知れぬ白髪しらが油気あぶらけのない、火を付けたら心よく燃えそうに乱れ立ったモヤモヤ頭な婆さんで、しわだらけの黄色い顔の婆さんだった。キマリが悪くて、傘をすぼめながらちょっと会釈して、寺の在処ありかを尋ねた晩成先生の頭上から、じたじた水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでもこの辺には見慣れぬ金釦きんボタンの黒い洋服に尊敬をあらわして、何一つ咎立とがめだてがましいこともいわずに、
 上へ上へと行げば、じねんにお寺の前へ出ます、此処ここはいわば門前村もんぜんむらですから、人家さえ出抜ければ、すぐお寺で。
 礼をいって大噐はその家を出た。雨はいよいよひどくなった。傘を拡げながら振返って見ると、木彫きぼりのような顔をした婆さんはまだこちらを見ていたが、妙にその顔が眼にしみ付いた。
 間遠まどおに立っている七、八軒の家の前を過ぎた。どの家も人がいないように岑閑しんかんとしていた。そこを出抜けるとなるほど寺の門が見えた。かわらに草が生えている、それが今雨に湿れているのでひどく古びて重そうに見えるが、とにかくかなりその昔の立派さがしのばれると同時に今の甲斐かいなさが明らかに現われているのであった。門を入ると寺内は思いのほかに廓落からりひろくて、松だか杉だか知らぬが恐ろしい大きな木があったのを今より何年か前にったと見えて、大きな切株の跡の上を、今降りつつある雨がおとずれて其処そこにそういうもののあることを見せていた。右手に鐘楼しょうろうがあって、小高い基礎いしずえの周囲には風が吹寄せた木の葉が黄色くまたはあか湿いろを見せており、中ぐらいなおおきさの鐘が、ようやせまる暮色の中に、裾は緑青ろくしょうの吹いた明るさと、竜頭りゅうずの方は薄暗さの中に入っている一種の※(二の字点、1-2-22)ものものしさを示して寂寞じゃくまくかかっていた。これだけの寺だからむねの高い本堂が見えそうなものだが、それは回禄かいろくしたのかどうか知らぬが眼に入らなくて、小高い処に庫裡様くりようの建物があった。それを目ざして進むと、丁度ちょうど本堂仏殿のありそうな位置のところに礎石そせき幾箇いくつともなく見えて、親切な雨が降るたびに訪問するのであろう今もその訪問に接して感謝のうれし涙をあふらせているように、柱の根入ねいりのあなに水をたたえているのがく見えた。境内の変にからりとしている訳もこれで合点がてんが行って、あるべきものがせているのだなと思いながら、庫裡へと入った。正面はぴったりと大きな雨戸がとざされていたから、台所口のような処が明いていたまま入ると、馬鹿にだだ濶い土間で、土間の向う隅には大きな土竈へっついが見え、つい入口近くには土だらけの腐ったような草履ぞうりが二足ばかり、古い下駄げたが二、三足、ことに歯の抜けた下駄の一ツがひっくり返って腹を出して死んだようにころがっていたのが、晩成先生のわびしいおもいを誘った。
 頼む、
と余り大きくはない声でいったのだが、がらんとした広土間ひろどまに響いた。しかしそのために塵一ツ動きもせず、何の音もなくしずかであった。外にはサアッと雨が降っている。
 頼む、
と再び呼んだ。声は響いた。答はない。サアッと雨が降っている。
 頼む、
と三たび呼んだ。声は呼んだその人の耳へかえって響いた。しかし答は何処どこからも起らなかった。外はただサアッと雨が降っている。
 頼む。
 また呼んだ。例の如くややしばし音沙汰おとさたがなかった。少しれ気味になって、また呼ぼうとした時、いたち大鼠おおねずみかが何処どこかで動いたような音がした。するとやがて人の気はいがして、左方のあがり段の上に閉じられていた間延まのびのした大きな障子が、がたがたと開かれて、鼠木綿が斑汚むらよごれした着附きつけに、白が鼠になった帯をぐるぐるといわゆる坊主巻ぼうずまきに巻いた、五分苅ごぶがりではない五分えに生えた頭の十八か九の書生のような僮僕どうぼくのような若僧が出て来た。晩成先生も大分だいぶ遊歴に慣れて来たので、此処ここで宿泊謝絶などを食わせられてはたまらぬと思うので、ずんずんと来意を要領よく話して、白紙に包んだ多少銭なにがしかを押付けるように渡してしまった。若僧はそれでも坊主らしく、
 しばらく、
と、しかつめらしく挨拶を保留して置いて奥へ入った。奥は大分深いかして何の音も聞えて来ぬ、シーンとしている。外では雨がサアッと降っている。
 土間の中のことなった方で音がしたと思うと、若僧は別の口から土間へ下りて、小盥こだらいへ水を汲んで持って来た。
 マ、とにかく御すすぎをなさって御上おあがりなさいまし。
 しめたと思って晩成先生泥靴どろぐつを脱ぎ足を洗って導かるるままに通った。入口のへやは茶の間と見えて大きなが切ってある十五、六畳の室であった。そこを通り抜けて、一畳はばに五畳か六畳を長く敷いた入側いりかわ見たような薄暗い部屋を通ったが、茶の間でもその部屋でも※(二の字点、1-2-22)しょしょで、足踏あしぶみにつれてポコポコとゆるんで浮いている根太板ねだいたのヘンな音がした。
 通されたのは十畳位の室で、そこには大きなひくい机を横にしてこちらへ向直むきなおっていた四十ばかりの日にけてあかい顔の丈夫そうなズクにゅうが、赤や紫の見える可笑おかしいほど華美はでではあるがしかしもう古びかえった馬鹿に大きくて厚い蒲団ふとんの上に、小さなまるい眼を出来るだけ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)そうかいしてムンズと坐り込んでいた。麦藁帽子をかぶらせたら頂上てっぺんおどりを踊りそうなビリケンあたまが入っていて、これも一分苅ではない一分生えの髪に、厚皮あつかわらしい赭いが透いて見えた。そしてその割合に小さくて素敵に堅そうな首を、発達の好い※(二の字点、1-2-22)まるまるふとった豚のようなひろい肩の上にシッカリすげ込んだようにして、ヒョロヒョロと風の柳のように室へ入り込んだ大噐氏にむかって、一刀いっとうをピタリと片身かたみ青眼せいがんけたという工合に手丈夫てじょうぶな視線を投げかけた。晩成先生いささかたじろいだが、元来正直な君子くんし仁者じんしゃ敵なしであるから驚くこともない、平然として坐って、来意を手短に述べて、それから此処ここを教えてくれた遊歴者の噂をした。和尚おしょうはその姓名を聞くと、合点が行ったのかして、急にくつろいだ様子になって、
 アア、あの風吹烏かざふきがらすから聞いておいでなさったかい。うござる、いつまででもおいでなさい。何室どこでも明いている部屋に勝手に陣取らっしゃい、その代り雨は少しるかも知れんよ。夜具はいくらもある、綿は堅いがナ。馳走はせん、主客しゅかく平等と思わっしゃい。蔵海ぞうかい、(仮設し置く)風呂は門前の弥平爺やへいじいにいいつけての、明日あすから毎日立てさせろ。無銭ただではわるい、一日に三銭もつかわさるように計らえ。疲れてだろう、脚を伸ばして休息せらるるようにしてあげろ。
 蔵海は障子を開けて庭へ面した縁へ出て導いた。あといて縁側を折曲おれまがって行くと、同じ庭に面して三ツ四ツの装飾も何もない空室あきまがあって、縁の戸は光線を通ずるためばかりに三ずんか四寸位ずつすかしてあるに過ぎぬので、中はもうおおいに暗かった。此室ここかろうという蔵海のことばのままその室の前に立っていると、蔵海は其処そこだけ雨戸をった。庭の※(二の字点、1-2-22)きぎは皆雨に悩んでいた。雨は前にも増して恐しい量で降って、老朽おいくちてジグザグになった板廂いたびさしからは雨水がしどろに流れ落ちる、見るとのきの端に生えている瓦葦しのぶぐさが雨にたたかれて、あやまった、あやまったというように叩頭おじぎしているのが見えたり隠れたりしている。空は雨にとざされて、たださえ暗いのに、夜はもうせまって来る。なかなか広い庭の向うの方はもう暗くなってボンヤリとしている。ただもう雨の音ばかりザアッとして、空虚にちかい晩成先生の心を一ぱいにめ尽しているが、ふと気が付くとそのザアッという音のほかに、また別にザアッという音が聞えるようだ。気を留めて聞くとたしかに別の音がある。ハテナ、あの辺か知らんと、その別の音のする方の雨煙※(二の字点、1-2-22)もうもうたる見当けんとうへ首を向けて眼をると、もう心安げになった蔵海がちょっと肩に触って、
 あの音のするのが滝ですよ、貴方あなたが風呂に立てて入ろうとなさる水の落ちる……
といいさして、少しを置いて、
 雨がひどいので今はく見えませんが、晴れていればこの庭の景色の一ツになって見えるのです。
といった。なるほど庭の左の方の隅は山嘴さんしが張り出していて、その樹木の鬱蒼うっそうたる中から一条の水が落ちているのらしく思えた。
 夜に入った。茶の間に引かれて、和尚と晩成先生と蔵海とは食事を共にした。なるほど御馳走はなかった。つめた挽割飯ひきわりめしと、大根だいこの味噌汁と、塩辛しおからく煮た車輪麩くるまぶと、何だか正体の分らぬ山草の塩漬しおづけこうものときりで、膳こそはきずだらけにせよ黒塗くろぬり宗和膳そうわぜんとかいう奴で、御客あしらいではあるが、はしは黄色な下等のうるしぬりの竹箸で、気持の悪いものであった。蔵海は世間に接触する機会の少いこの様な山中にいる若い者なので、新来の客から何らかの耳新らしい談を得たいようであるが、和尚は人に求められれば是非ないからわがっている者をおしみはしないが、人からは何をも求めまいというような態度で、別に雑話ぞうわを聞きたくも聞かせたくも思っておらぬふうで、食事が済んで後、少時しばらく三人が茶をきっしている際でも、別に会話をはずませる如きことはせぬので、晩成先生はただわずかに、この寺が昔時むかしは立派な寺であったこと、寺の庭のずっと先は渓川たにがわで、その渓の向うは高い巌壁になっていること、庭の左方も山になっていること、寺及び門前の村家のある辺一帯は一大盆地を為している事位の地勢の概略を聞き得たに過ぎなかったが、蔵海も和尚も、時※(二の字点、1-2-22)風の工合でザアッという大雨の音が聞えると、ちょっと暗い顔をしては眼を見合せるのが心に留まった。
 大噐氏は定められた室へ引取った。堅い綿の夜具は与えられた。所在なさの身をすぐにその中に横たえて、枕許まくらもと洋燈ランプしんを小さくして寝たが、何となく寐つき兼ねた。茶の間の広いところに薄暗い洋燈ランプ、何だか※(二の字点、1-2-22)めいめいの影法師が顧視かえりみらるる様な心地のする寂しい室内の雨音の聞える中で寒素かんそな食事を黙※(二の字点、1-2-22)として取った光景が眼に浮んで来て、自分が何だか今までの自分でない、別の世界の別の自分になったような気がして、まさかに死んで別の天地に入ったのだとは思わないが、どうも今までに覚えぬ妙な気がした。しかし、何の、くだらないと思い返して眠ろうとしたけれども、やはりねむりに落ちない。雨は恐ろしく降っている。あたかも太古から尽未来際じんみらいざいまで大きな河のながれが流れ通しているように雨は降り通していて、自分の生涯のうちの或日に雨が降っているのではなくて、常住不断じょうじゅうふだんの雨が降り通している中に自分の短い生涯がちょっとはさまれているものででもあるように降っている。で、それがまた気になってねむれぬ。鼠が騒いでくれたりいぬが吠えてくれたりでもしたらば嬉しかろうと思うほど、他には何の音もない。住持も若僧もいないように静かだ。イヤ全くわが五官の領する世界にはいないのだ。世界という者は広大なものだと日頃は思っていたが、今はどうだ、世界はただこれ
 ザアッ
というものに過ぎないと思ったり、また思いかえして、このザアッというのが即ちこれ世界なのだナと思ったりしているうちに、自分の生れた時に初めて拳げたオギャアオギャアの声も他人の※地ぎゃっと[#「囗<力」、U+361E、64-6]いった一声も、それから自分がほんを読んだり、他の童子こどもほんを読んだり、唱歌をしたり、嬉しがって笑ったり、怒って怒鳴どなったり、キャアキャアガンガンブンブングズグズシクシク、いろいろな事をして騒ぎ廻ったりした一切の音声おんじょうも、それから馬が鳴き牛がえ、車ががたつき、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車が轟き、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船が浪を蹴開けひらく一切の音声も、板の間へ一本の針が落ちたかすかな音も、皆残らず一緒になってあのザアッという音の中に入っているのだナ、というような気がしたりして、そして静かに諦聴たいちょうすると分明ぶんみょうにその一ツのザアッという音にいろいろのそれらの音が確実に存していることを認めて、アアそうだったかナ、なんぞと思ううちに、何時いつか知らずザアッという音も聞えなくなり、聞く者もしょうが抜けて、そしてねむりに落ちた。
 俄然がぜんとして睡眠は破られた。晩成先生は眼を開くと世界はあかい光や黄色い光に充たされていると思ったが、それは自分の薄暗いと思っていたのに相異して、へやの中が洋燈ランプも明るくされていれば、またそのほか提灯ちょうちんなどもわが枕辺まくらべに照されていて、ねむりに就いた時とおおいに異なっていたのが寝惚眼ねぼけまなこに映ったからの感じであった事が解った。が、見れば和尚も若僧もわが枕辺にいる。何事が起ったのか、その意味は分らなかった。けげんな心持がするので、とみには言葉も出ずに起直おきなおったまま二人を見ると、若僧が先ず口をきった。
 御やすみになっているところを御起しして済みませんが、夜前やぜんからの雨があの通りひどくなりまして、たににわかふくれてまいりました。御承知でしょうが奥山の出水でみずは馬鹿にはやいものでして、もう境内にさえ水が見え出して参りました。勿論もちろん水が出たとて大事にはなりますまいが、此地ここの渓川の奥入おくいりは恐ろしい広い緩傾斜かんけいしゃの高原なのです。むかしはそれが密林だったので何事も少かったのですが、十余年ぜんことごとく伐採したため禿げた大野おおのになってしまって、一夕立ゆうだちしても相当に渓川がいかるのでして、既に当寺の仏殿は最初の洪水の時、流下りゅうかして来た巨材の衝突によって一角いっかくやぶれたため遂に破壊してしまったのです。その後は上流に巨材などはありませんから、水は※(二の字点、1-2-22)たびたび出ても大したこともなく、出るのが早い代りに退くのも早くて、じき翌日あくるひは何の事もなくなるのです。それで昨日きのうからの雨で渓川はもう開きましたが、水はどの位で止まるか予想は出来ません。しかし私どもは慣れてもおりますし、此処ここを守る身ですから逃げる気もありませんが、貴方あなたには少くとも危険――はありますまいが余計な御心配はさせたくありません。さいわいなことにはこの庭の左方ひだりの高みの、あの小さな滝の落ちる小山の上は絶対に安全地で、そこに当寺の隠居所の草庵があります。そこへ今の内に移っていて頂きたいのです。わたくしがすぐに御案内致します、手早く御支度おしたくをなすって頂きます。
ト末の方はもはや命令的に、早口に能弁のうべんにまくし立てた。そのあとについて和尚は例の小さな円い眼に力を入れて※(「目+爭」、第3水準1-88-85)そうかいしながら、
 膝まで水が来るようだと歩けんからノ、早く御身繕おみづくろいなすって。
と追立てるように警告した。大噐晩成先生は一たまりもなく浮腰うきごしになってしまった。
 ハイ、ハイ、御親切に、有難うございます。
ト少しドギマギして、ふるえていはしまいかと自分でも気が引けるような弱い返辞をしながら、あわてて衣を着けて支度をした。勿論少し大きな肩から掛けるカバンと、風呂敷包ふろしきづつみ一ツ、蝙蝠傘こうもり一本、帽子、それだけなのだからすぐに支度は出来た。若僧は提灯を持って先に立った。この時になって初めてその服装みなりを見ると、依然として先刻さっきの鼠の衣だったが、例の土間のところへ来ると、そこには蓑笠みのかさが揃えてあった。若僧は先ずみずから尻を高く端折はしょって蓑を甲斐※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)かいがいしく手早く着けて、そして大噐氏にも手伝って一ツの蓑を着けさせ、竹の皮笠かわがさかぶせ、そのひもきびしく結んでくれた。余り緊しく結ばれたので口を開くことも出来ぬ位で、随分痛かったが、黙って堪えると、若僧は自分も笠をかぶって、
 サア、
と先へ立った。提灯の火はガランとした黒い大きな台所に憐れに小さな威光を弱※(二の字点、1-2-22)と振った。外は真暗まっくらで、雨の音は例の如くザアッとしている。
 気をつけてあげろ、ナ。
と和尚は親切だ。※(二の字点、1-2-22)たかだかとズボンをまくり上げて、古草鞋ふるわらじを着けさせられた晩成は、何処どこへ行くのだか分らない真黒暗まっくらやみの雨の中を、若僧にしたがって出た。外へ出ると驚いた。雨は横振よこぶりになっている、風も出ている。川鳴かわなりの音だろう、何だか物凄ものすごい不明の音がしている。庭の方へ廻ったようだと思ったが、建物を少し離れると、なるほどもう水が来ている。足の裏が馬鹿につめたい。親指が没する、くるぶしが没する、脚首あしくびが全部没する、ふくらはぎあたりまで没すると、もうなかなかたにの方から流れる水の流れぜいが分明にこたえる。空気も大層冷たくなって、夜雨やうの威がひしひしと身に浸みる。足は恐ろしく冷い。足の裏は痛い。胴ぶるいが出て来て止まらない。何か知らん痛いものに脚の指を突掛つっかけて、危く大噐氏は顛倒しそうになって若僧につかまると、その途端に提灯はガクリとゆらめき動いて、蓑の毛に流れている雨のしずくの光りをキラリと照らし出したかと思うと、雨が入ったか滴がかかったかであろう、チュッといって消えてしまった。風の音、雨の音、川鳴の音、樹木の音、ただもう天地はザーッと、黒漆こくしつのように黒い闇の中に音を立てているばかりだ。晩成先生は泣きたくなった。
 ようございます、今更帰れもせず、提灯を点火つけることも出来ませんから、どうせ差しているのではないその蝙蝠傘こうもりをお出しなさい。そうそう。わたくしがこちらを持つ、貴方あなたはそちらを握って、決して離してはいけませんよ。闇でもわたしは行けるから、恐れることはありません。
ト蔵海先生じつに頼もしい。平常は一通りの意地がなくもない晩成先生も、ここに至って他力宗たりきしゅうになってしまって、ただもう世界に力とするものは蝙蝠傘こうもり一本、その蝙蝠傘こうもりのこっちは自分が握っているが、むこうは真の親切者が握っているのだか狐狸こりが握っているのだか、妖怪変化、悪魔のたぐいが握っているのだか、何だかだかサッパり分らない黒闇※(二の字点、1-2-22)こくあんあんの中を、とにかく後生ごしょう大事にそれにすがってしたがって歩いた。
 水は段※(二の字点、1-2-22)足に触れなくなって来た。爪先上つまさきあがりになって来たようだ。やがて段※(二の字点、1-2-22)勾配こうばいが急になって来た。坂道にかかったことは明らかになって来た。雨の中にも滝の音は耳近く聞えた。
 もうここをのぼりさえすれば好いのです。細い路ですからね、わたくしも路でないところへ踏込ふんごむかも知れませんが、転びさえしなければ草や樹で擦りむく位ですから驚くことはありません。ころんではいけませんよ、そろそろ歩いてあげますからね。
 ハハイ、有り難う。
ト全くふるえ声だ。どうしてなかなか足が前へ出るものではない。
 こうなると人間に眼のあったのは全く余り有り難くありませんね、盲目めくらの方がよほど重宝ちょうほうです、アッハハハハ。わたくしも大分小さな樹の枝で擦剥すりむきずをこしらえましたよ。アッハハハハ。
ト蔵海め、さすがに仏の飯で三度のらちを明けて来た奴だけに大禅師だいぜんじらしいことをいったが、晩成先生はただもうビクビクワナワナで、批評の余地などは、よほど喉元のどもと過ぎてこわいことがくそになった時分まではありはしなかった。
 路は一しきりおおいに急になりかつまたせまくなったので、胸を突くような感じがして、晩成先生は遂に左の手こそは傘をつかまえているが、右の手は痛むのも汚れるのもいとってなどいられないから、一歩一歩に地面を探るようにして、まるで四足獣が三ぞくで歩くようなていになって歩いた。随分長い時間を歩いたような気がしたが、苦労には時間を長く感じるものだから実際はさほどでもなかったろう。しかし一町余ちょうよのぼったに違いない。ようやくだらだらざかになって、上りきったナと思うと、
 サア来ました。
ト蔵海がいった。そして途端に持っていた蝙蝠傘こうもり一端いったんを放した。で、大噐氏は全く不知案内ふちあんないの暗中の孤立者になったから、黙然もくねんとして石の地蔵のように身じろぎもしないで、雨に打たれながらポカンと立っていて、次の脈搏、次の脈搏を数えるが如き心持になりつつ、次の脈がつ時に展開しきたる事情をば全くアテもなく待つのであった。
 若僧はそこらに何かしているのだろう、しばらくは消息も絶えたが、やがてガタガタいう音をさせた。雨戸を開けたに相違ない。それから少したって、チッチッという音がすると、パッと火が現われて、彼は一ツの建物の中の土間にうずくまっていて、マッチを擦って提灯の蝋燭ろうそくに火を点じようとしているのであった。四、五本のマッチを無駄にして、やっと火はいた。荊棘いばら山椒さんしょうの樹のようなもので引爬ひっかいたのであろう、雨にぬれた頬から血が出て、それが散っている、そこへ蝋燭の光の映ったさまははなはだ不気味だった。漸く其処そこへ歩み寄った晩成先生は、
 怪我けがをしましたね、御気の毒でした。
というと、若僧は手拭てぬぐいを出して、此処ここでしょう、といいながら顔をいた。蚯蚓脹みみずばれの少し大きいの位で、大した事ではなかった。
 急いでいるからであろう、若僧はすぐにその手拭で泥足をあらましに拭いて、提灯を持ったまま、ずんずんとあがり込んだ。四畳半の茶の間には一尺二寸位の小炉しょうろが切ってあって、竹の自在鍵じざいすすびたのに小さな茶釜ちゃがまが黒光りしてかかっているのが見えたかと思うと、若僧は身を屈して敬虔の態度にはなったが、すぐ区劃しきりになっているふすまを明けてその次のへ、いわば闖入ちんにゅうせんとした。土間からオズオズのぞいて見ている大噐氏の眼には、六畳敷位の部屋に厚い坐蒲団ざぶとんを敷いて死せるが如く枯坐こざしていた老僧が見えた。着色の塑像の如くで、生きているものとも思えぬ位であった。銀のような髪が五分ばかり生えて、細長い輪郭の正しい顔の七十位のからびた人ではあったが、突然の闖入に対して身じろぎもせず、少しも驚く様子もなくおちつき払った態度で、あたかも今まで起きてでもいた者のようであった。ことに晩成先生の驚いたのは、蔵海がその老人に対して何もいわぬことであった。そしてその老僧の坐辺ざへん洋燈ランプを点火すると、蔵海は立返って大噐氏を上へひきずり上げようとした。大噐氏はあわてて足をぬぐって上ると、老僧はジーッと細い眼を据えてその顔を見詰めた。晩成先生は急に挨拶の言葉も出ずに、何か知らず叮嚀ていねい叩頭おじぎをさせられてしまった。そしてかしらを挙げた時には、蔵海はしきりに手を動かしてふもとの方の闇を指したり何かしていた。老僧は点頭うなずいていたが、一語をも発しない。
 蔵海はいろいろに指を動かした。真言宗しんごんしゅうの坊主のいんを結ぶのを極めてはやくするようなので、晩成先生は呆気あっけに取られて眼ばかりパチクリさせていた。老僧は極めてしずかに軽く点頭うなずいた。すると蔵海は晩成先生にむかって、
 このかたは耳が全く聞えません。しかし慈悲の深い方ですから御安心なさい。ではわたくしは帰りますから。
トいって置いて、はじめの無遠慮な態度とはスッカリ違って叮嚀ていねいに老僧に一礼した。老僧は軽く点頭うなずいた。大噐氏にちょっと会釈するや否や、若僧は落付いた、しかしテキパキした態度で、かの提灯を持って土間へ下り、蓑笠みのがさするや否やたちま戸外そとへ出て、物静かに戸を引寄せ、そして飛ぶが如くに行ってしまった。
 大噐氏は実に稀有けうおもいがした。この老僧は起きていたのか眠っていたのか、夜中やちゅう真黒まっくらな中に坐禅ということをしていたのか、坐りながら眠っていたのか、眠りながら坐っていたのか、今夜だけ偶然にこういうていであったのか、始終こうなのか、とあやしまどうた。もとより真の已達いたつ境界きょうがいには死生のかんにすら関所がなくなっている、まして覚めているということもねむっているということもない、坐っているということと起きているということとは一枚になっているので、比丘びくたる者は決して無記むきねむりに落ちるべきではないこと、仏説離睡経ぶっせつりすいきょうに説いてある通りだということも知っていなかった。またいくらも近い頃の人にも、死の時のほかには脇を下に着け身を横たえてさぬ人のあることをも知らなかったのだから、吃驚びっくりしたのは無理でもなかった。
 老僧は晩成先生が何を思っていようとも一切無関心であった。
 □□さん、サア洋燈ランプを持ってあちらへ行って勝手に休まっしゃい。押入おしいれの中に何かあろうから引出してまといなさい、まだ三時過ぎ位のものであろうから。
ト老僧は奥を指さして極めて物静ものしずかに優しくいってくれた。大噐氏は自然に叩頭おじぎをさせられて、その言葉通りになるよりほかはなかった。洋燈ランプを手にしてオズオズ立上たちあがった。あとはまた真黒闇まっくらやみになるのだが、そんな事をとかくいうことはかえって余計な失礼の事のように思えたので、そのままに坐を立って、ふすまを明けて奥へ入った。やはり其処そこは六畳敷位の狭さであった。あいの襖を締切しめきって、そこにあった小さな机の上に洋燈ランプを置き、同じくそこにあった小坐蒲団こざぶとんの上に身を置くと、初めて安堵あんどして我に返ったような気がした。同時に寒さがひどく身にみて胴顫どうぶるいがした。そして何だかがっかりしたが、ようやおちついて来ると、□□さんと自分の苗字をいわれたのがひどく気になった。若僧も告げなければ自分も名乗らなかったのであるのに、ことに全くのつんぼになっているらしいのに、どうして知っていたろうと思ったからである。しかしそれは蔵海が指頭ゆびさきかたり聞かせたからであろうと解釈して、先ず解釈は済ませてしまった。寝ようか、このままに老僧の真似をしてあかつきに達してしまおうかと、何かあろうといってくれた押入らしいものを見ながらちょっと考えたが、気がついて時計を出して見た。時計の針は三時少し過ぎであることを示していた。三時少し過ぎているから、三時少し過ぎているのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。ジッと時計の文字盤を見詰めたが、遂に時計を引出して、洋燈ランプの下、小机の上に置いた。秒針はチ、チ、チ、チと音を立てた。音がするのだから、音が聞えるのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。そして何だか知らずにハッと思った。すると戸外そとの雨の音はザアッと続いていた。時計の音はたちまち消えた。眼が見ている秒針の動きは止まりはしなかった、確実な歩調で動いていた。
 何となく妙な心持になって頭を動かして室内を見廻わした。洋燈ランプの光がボーッと上を照らしているところに、すすびたがくが掛っているのが眼に入った。間抜まぬけな字体で何の語かが書いてある。一字ずつ心を留めて読んで見ると、
 橋流水不流
とあった。橋流れて水流れず、橋流れて水流れず、ハテナ、橋流れて水流れず、と口の中で扱い、胸の中でんでいると、たちまち昼間渡ったかりそめの橋が※(二の字点、1-2-22)きょうきょうと流れる渓川たにがわの上に架渡かけわたされていた景色が眼に浮んだ。水はどうどうと流れる、橋は心細く架渡かけわたされている。橋流れて水流れず。サテ何だか解らない。シーンと考え込んでいると、たちまち誰だか知らないが、途方もない大きな声で
 橋流れて水流れず
と自分の耳のはた怒鳴どなりつけた奴があって、ガーンとなった。
 フト大噐氏はみずかあざけった。ナンダこんな事、とかくこんな変な文句が額なんぞには書いてあるものだ、と放下ほうげしてしまって、またそこらを見ると、とこではない、一方の七、八尺ばかりの広い壁になっているところに、その壁をいくらも余さない位な大きな古びたじくがピタリと懸っている。何だか細かい線でいてある横物よこもので、打見たところはモヤモヤと煙っているようなばかりだ。あかや緑や青や※(二の字点、1-2-22)いろいろ彩色さいしきが使ってあるようだが、図が何だとはサッパリ読めない。多分ありがちな涅槃像ねはんぞうか何かだろうと思った。が、るともなしに薄い洋燈ランプの光に朦朧もうろうとしているその画面に眼をっていると、何だか非常に綿密に楼閣だの民家だの樹だの水だの遠山だの人物だのがいてあるようなので、とうとう立上たちあがって近くへ行ってた。するとこれは古くなって※(二の字点、1-2-22)ところどころ汚れたり損じたりしてはいるが、なかなか叮嚀ていねいかれたもので、巧拙は分らぬけれども、かつて仇十州きゅうじっしゅうの画だとか教えられて看たことのあるものにた画風で、何だか知らぬが大層な骨折から出来ているものであることは一目ひとめに明らかであった。そこでことさら洋燈ランプを取って左の手にしてその図に※(二の字点、1-2-22)ちかぢかと臨んで、洋燈ランプを動かしては光りの強いところを観ようとする部分※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)に移しながら看た。そうしなければ極めて繊細な画が古び煤けているのだから、ややもすれば看て取ることが出来なかったのである。
 画はうるわしい大江たいこうに臨んだ富麗ふれいの都の一部を描いたものであった。図の上半部を成している彼方むこうには翠色すいしょく悦ぶべき遠山が見えている、その手前には丘陵が起伏している、その間に層塔そうとうもあれば高閤こうこうもあり、黒ずんだ欝樹うつじゅおおうたそばもあれば、明るい花にうずめられた谷もあって、それからずっと岸の方は平らに開けて、酒楼しゅろうの綺麗なのも幾戸いくこかあり、士女老幼、騎馬の人、閑歩かんぽの人、生計にいそしんでいる負販ふはんの人、種※(二の字点、1-2-22)雑多の人※(二の字点、1-2-22)が蟻ほどに小さく見えている。筆はただ心持で動いているだけで、勿論その委曲がけている訳ではないが、それでもおのずからに各人の姿態や心情が想い知られる。酒楼の下の岸には画舫がほうもある、舫中の人などは胡麻ごま半粒ほどであるが、やはり様子が分明に見える。大江の上には帆走ほばしっているやや大きい船もあれば、ささの葉形の漁舟ぎょしゅうもあって、漁人のつりしているらしい様子も分る。光を移してこちらの岸を見ると、こちらの右の方には大きな宮殿ようの建物があって、玉樹※(「王+其」、第3水準1-88-8)ぎょくじゅきかとでもいいたい美しい樹や花が点綴てんていしてあり、殿下の庭ようのところには朱欄曲※(二の字点、1-2-22)しゅらんきょくきょくと地をかくして、欄中には奇石もあれば立派な園花えんかもあり、人の愛観を待つさまざまの美しいとりなどもいる。段※(二の字点、1-2-22)と左へ燈光ともしびを移すと、大中小それぞれの民家があり、老人としよりや若いものや、蔬菜そさいになっているものもあれば、かさを張らせて威張いばって馬にっている官人かんじんのようなものもあり、跣足はだし柳条りゅうじょうに魚のあぎと穿うがった奴をぶらさげて川からあがって来たらしい漁夫もあり、柳がところどころに翠烟すいえんめている美しい道路を、士農工商樵漁しょうぎょ、あらゆる階級の人※(二の字点、1-2-22)右徃左徃うおうさおうしている。綺錦ききんの人もあれば襤褸らんるの人もある、かぶりものをしているのもあれば露頂ろちょうのものもある。これは面白い、春江しゅんこうの景色に併せて描いた風俗画だナと思って、また段※(二の字点、1-2-22)ともしびを移して左の方へ行くと、江岸がなだらになって川柳が扶疎ふそとしており、雑樹ぞうきがもさもさとなっているその末には蘆荻ろてきが茂っている。柳の枝や蘆荻の中には風が柔らかに吹いている。あしのきれ目には春の水が光っていて、そこに一そうの小舟が揺れながら浮いている。船は※※あじろ[#「竹かんむり/遽」、U+7C67、80-1][#「竹かんむり/除」、U+7BE8、80-1]を編んで日除ひよけ雨除あまよけというようなものをどうにしつらってある。何やら火爐こんろだの※(「石+喋のつくり」、第4水準2-82-46)さらだのの家具も少し見えている。船頭の老夫じいさんともの方に立上たちあがって、※(「爿+戈」、第4水準2-12-83)かしぐい[#「爿+可」、U+7241、80-3]に片手をかけて今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかといって人を呼んでいる。その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火ともしびを段※(二の字点、1-2-22)と近づけた。遠いところから段※(二の字点、1-2-22)と歩み近づいて行くと段※(二の字点、1-2-22)人顔ひとがおが分って来るように、朦朧もうろうたる船頭の顔は段※(二の字点、1-2-22)と分って来た。膝ッぷしひじもムキ出しになっている絆纏はんてんみたようなものを着て、※(二の字点、1-2-22)ごくごく小さな笠をかぶって、やや仰いでいる様子は何ともいえない無邪気なもので、寒山かんざん拾得じっとくの叔父さんにでも当る者に無学文盲のこの男があったのではあるまいかと思われた。オーイッとよばわって船頭さんは大きな口をあいた。晩成先生は莞爾かんじとした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間をって吹込んで来た冷たい風に燈火ともしびはゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへひょうとして来たが、また近くから遠くへ飄として去った。ただこれ一瞬の事で前後はなかった。
 屋外そとは雨の音、ザアッ。


 大噐晩成先生はこれだけのはなしを親しい友人に告げた。病気はすべて治った。が、再び学窓にその人はあらわれなかった。山間水涯さんかんすいがいに姓名をうずめて、平凡人となりおおするつもりに料簡をつけたのであろう。ある人は某地にその人が日にけきったただの農夫となっているのを見たということであった。大噐不成ふせいなのか、大噐既成きせいなのか、そんな事は先生の問題ではなくなったのであろう。
(大正十四年七月)





底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年11月16日第1刷発行
   1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店
   1953(昭和28)年3月刊
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2008年1月15日作成
2012年12月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「彳+勺」、U+5F74    52-12
「囗<力」、U+361E    64-6
「竹かんむり/遽」、U+7C67    80-1
「竹かんむり/除」、U+7BE8    80-1
「爿+可」、U+7241    80-3


●図書カード