蘆声

幸田露伴




 今をること三十余年も前の事であった。
 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康あんこうの生活にひたって、朝夕ちょうせきを心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。
 心身ともに生気に充ちていたのであったから、毎日※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)の朝を、まだ薄靄うすもやが村の田のくろこずえめているほどのはやさに起出おきでて、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついたゆるやかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後のんだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。
 川添いの地にいたので、何時いつとなく釣魚ちょうぎょの趣味を合点がてんした。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることの強いものである。丁度ちょうどその頃一竿いっかんを手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように中川なかがわべりへ出かけた。中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来ゆききも繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川すみだがわ沿いの寺島てらじま隅田すみだの村※(二の字点、1-2-22)でさえさほどににぎやかではなくて、長閑のどかな別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋ひらいばしからかみの、奥戸おくど立石たていしなんどというあたりは、まことに閑寂かんじゃくなもので、水ただゆるやかに流れ、雲ただ静かにたむろしているのみで、黄茅白蘆こうぼうはくろ洲渚しゅうしょ、時に水禽すいきんの影をるに過ぎぬというようなことであった。つりも釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易わい安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然にいだかれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅きらびやかな境界きょうがいに神経を消耗しょうこうさせながら享受する歓楽などよりもはるかうれしいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行ゆぎょうしたり寝転んだりしてうおを釣ったり、魚の来ぬ時はせつな歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しいうまい軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然不言不語ふげんふごに悟らされていた。
 丁度秋の彼岸ひがんの少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家をでては、中川べりの西袋にしぶくろというところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子もおおいに変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾いちきょくわんなのであった。中川は四十九曲しじゅうくまがりといわれるほど蜿蜒えんえん屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋というしょうも生じたのであろう。水は※(二の字点、1-2-22)わんわんと曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見るならばその蟹目かにめのところが即ち西袋である。そこで其処そこ釣綸つりいとを垂れ難い地ではあるが、魚は立廻ることの多い自然に岡釣おかづりの好適地である。またその堤防の草原くさはらに腰を下してひとみを放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処そこ水際みずぎわうずくまって釣ったり、其処そこ堤上ていじょうに寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記しつけたりして毎日たのしんだ。ことにその幾日というものは其処そこで好い漁をしたので、家を出る時には既に西袋の景を思浮おもいうかべ、路を行く時にも早く雲影水光うんえいすいこうのわが前にあるが如き心地さえしたのであった。
 その日も午前から午後へかけて少し頭の疲れる難読の書を読んだ後であった。その書を机上に閉じてしまって、半盞はんさんの番茶を喫了きつりょうし去ってから、
 また行ってくるよ。
と家内に一言いちごんして、餌桶えさおけ網魚籠あみびくとを持って、鍔広つばびろ大麦藁帽おおむぎわらぼう引冠ひっかぶり、腰に手拭てぬぐいふところに手帳、素足に薄くなった薩摩下駄さつまげた、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、黄金こがね色に輝く稲田いなだを渡る風に吹かれながら、少し熱いとは感じつつもさわやかな気分で歩き出した。
 川近くなって、田舎道の辻の或腰掛茶店こしかけぢゃやに立寄った。それは藤の棚の茶店ちゃやといって、自然に其処そこにある古い藤の棚、といってさまで大きくもないが、それに店の半分はおおわれているので人※(二の字点、1-2-22)にそう呼びならされている茶店ちゃやである。路行く人や農夫や行商や、野菜の荷を東京へ出した帰りの空車からぐるまいた男なんどのちょっと休むうちで、いわゆる三文菓子さんもんがしが少しに、余り渋くもない茶よりほか何を提供するのでもないが、重宝になっているうちなのだ。自分も釣の往復ゆきかえりに立寄って顔馴染かおなじみになっていたので、岡釣おかづりに用いる竿の継竿つぎざおとはいえ三間半げんはんもあって長いのをその※(二の字点、1-2-22)たびたびに携えて往復するのは好ましくないから、此家ここへ頼んで預けて置くことにしてあった。で、今行掛ゆきがけに例の如く此家ここへ寄って、
 やあ、今日は、また来ました。
と挨拶して、裏へ廻ってみずから竿を取出して※(「てへん+黨」、第3水準1-85-7)たまと共に引担ひっかついで来ると、茶店ちゃやの婆さんは、
 おたのしみなさいまし。好いのが出ましたらちと御福分おふくわけをなすって下さいまし。
と笑って世辞せじをいってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、
 ああ、いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。
と答えてサッサと歩くと、
 でもアテにして待ってますよ、ハハハ。
背後うしろから大きな声で、なかなか調子が好い。世故せこに慣れているというまででなくても善良の老人は人に好い感じを持たせる、こういわれて悪い気はしない。駄馬にもしのむち、というかくで、少しは心に勇みを添えられる。勿論もちろん未熟者という意味のボク釣師とみずから言ったのは謙遜的で、内心に下手へた釣師と自ら信じている釣客ちょうかくはないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたのである。
 場処ばしょへ着いた。と見ると、いつも自分の坐るところに小さながチャンと坐っていた。汚れた手拭で頬冠ほおかむりをして、大人おとなのようなあいの細かい縞物しまもの筒袖単衣つつそでひとえ裙短すそみじかなのの汚れかえっているのを着て、細い手脚てあし渋紙しぶかみ色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしくしゃがんでいるのであった。東京者ではない、田舎の此辺ここらの、しかも余りうちでない家の児であるとは一目に思い取られた。髪の毛が伸び過ぎて領首えりくびがむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がじりじり当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗がえてでもいるように汚らしく少し光っていた。そばへ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。
 自分は自分のシカケを取出して、穂竿ほざお蛇口へびくちに着け、釣竿を順につないで釣るべく準備した。シカケとは竿以外のいとその他の一具いちぐを称する釣客の語である。その間にチョイチョイ少年の方を見た。十二、三歳かと思われたが、顔がヒネてマセて見えるのでそう思うのだが、実は十一か※(二の字点、1-2-22)たかだか十二歳位かとも思われた。黙ってその児はシンになって浮子うきを見詰めて釣っている。しおは今ソコリになっていてこれから引返ひっかえそうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見るとその浮子も売物浮子うりものうきではない、木のはしか何ぞのようなものを、明らかに少年の手わざで、釣糸に徳利とっくりむすびにしたのに過ぎなかった。竿も二けんばかりしかなくて、誰かのアガリ竿を貰いか何ぞしたのであろうか、穂先が穂先になってない、けだし頭が三、四寸折れてせてしまったものである。
 この児は釣に慣れていない。第一此処ここ浮子釣うきづりに適していない場である。やがて潮が動き出せば浮子は沈子おもりが重ければ水にしおられて流れて沈んでしまうし、沈子が軽ければ水と共に流れてしまうであろう。また二間ばかりの竿では、此処ここでは鉤先はりさきが好い魚の廻るべきところに達しない。岸近きしぢかに廻るホソの小魚こざかなしかはりには来らぬであろう。とは思ったが、それは小児こどもの釣であるとすればとかくを言うにも及ばぬことであるとして看過すべきであるからい。ただ自分に取って困ったことはその児の居場処いばしょであった。それは自分が坐りたい処である。イヤ坐らねばならぬところである、イヤ当然坐るべきところである、ということであった。
 自分が魚餌えさはりよそおいつけた時であった。偶然に少年は自分の方におもてを向けた。そして紅桃色こうとうしょくをしたイトメという虫を五匹や六匹ではなく沢山に鉤に装うところを看詰みつめていた。その顔はただ注意したというほかに何の表情があるのではなかった。しかし思いのほかに目鼻立めはなだちの整った、そして怜悧りこうだか気象が好いか何かは分らないが、ただ阿呆あほげてはいない、こすいか善良かどうかは分らないが、ただ無茶ではない、ということだけは読取よみとれた。
 少し気の毒なような感じがせぬではなかったが、これが少年でなくて大人であったならとっくに自分は言出すはずのことだったから、仕方がないと自分に決めて、
 兄さん、済まないけれどもネ、お前の坐っているところを、右へでも左へでも宜いから、一間半か二間ばかり退いておくれでないか。そこは私が坐るつもりにしてあるところだから。
と、自分では出来るだけ言葉をやさしくして言ったのであった。
 すると少年の面上には明らかに反抗の色があがった。言葉は何も出さなかったが、眼のうちにはをあらわした。言葉が発されたなら明らかにそれは拒絶の言葉でなくて、何の言葉がその眼の中の或物に伴なおうやと感じられた。仕方がないから自分は自分の意を徹しようとするために再び言葉を費さざるを得なかった。
 兄さん、失敬なことを言う勝手な奴だと怒ってくれないでおくれ。お前の竿の先の見当の真直まっすぐのところを御覧。そら彼処あすこに古い「出しぐい」がならんで、乱杭らんぐいになっているだろう。その中の一本の杭の横に大きな南京釘ナンキンくぎが打ってあるのが見えるだろう。あの釘はわたしが打ったのだよ。あすこへ釘を打って、それへ竿をもたせると宜いと考えたので、わたしがうちから釘とげんのうとを持って来て、わざわざ舟を借りて彼処あすこへ行って、そして考え定めたところへあの釘を打ったのだよ。それから此処ここへ来るたびにわたしはあの釘へわたしの竿を掛けてあの乱杭の外へ鉤を出して釣るのだよ。で、また私は釣れた日でも釣れない日でも、帰る時にはきっと何時いつでも持って来たえさを土と一つにね丸めて炭団たどんのようにして、そして彼処あすこを狙って二つも三つもほうり込んでは帰るのだよ。それは水の流れの上に連れて、その土が解け、餌が出る、それをさかなが覚えて、そして自然に魚を其処そこへ廻って来させようというためなのだよ。だからこういう事をお前に知らせるのは私に取ってとくなことではないけれども、わたしがそれだけの事を彼処あすこに対してしてあるのだから、それが解ったらわたしに其処そこを譲ってくれてもいだろう。お前の竿では其処そこに坐っていても別に甲斐があるものでもないし、かえって二間ばかり左へ寄って、それ其処そこに小さいうずが出来ているあの渦の下端したばを釣った方が得がありそうに思うよ。どうだネ、兄さん、わたしはお前をだますのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が其処そこ退かないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。
と言って聴かせているうちに、少年の眼のうちは段※(二の字点、1-2-22)に平和になって来た。しかし末に至って自分は明らかにまたあらたに失敗した。少年は急に不機嫌になった。
 小父おじさんが遊びだとって、俺が遊びだとはきまってやしない。
かんに触ったらしく投付けるようにいった。なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、おのれもって人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている理はないのであった。公平を失った情懐じょうかいっていなかった自分は一本打込まれたと是認しない訳には行かなかった。が、この不完全な設備と不満足な知識とを以て川に臨んでいる少年の振舞が遊びでなくてそもそも何であろう。と驚くと同時に、遊びではないといっても遊びにもなっておらぬような事をしていながら、遊びではないように高飛車に出た少年のその無智無思慮を自省せぬ点を憫笑びんしょうせざるを得ぬ心が起ると、殆どまた同時に引続いてこの少年をしてかくの如き語を突嗟とっさに発するに至らしめたのは、この少年の鋭い性質からか、あるいはまた或事情が存在してしからしむるものあってか、と驚かされた。
 この驚愕は自分をして当面の釣場の事よりは自分を自分の心裏に起った事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察をあえてするに至った。
 参った。そりゃそうだった。何もお前遊びとはまっていなかったが……
と、ただ無意識で正直な挨拶をしながら、自分は凝然じっと少年を見詰めていた。そのあいだに少年は自分が見詰められているのも何にも気が着かないのであろう、別に何らの言語も表情もなく、自分の竿を挙げ、自分の坐をわたしに譲り、そして教えてやった場処に立って、その鉤をおろした。
 ヤ、有難う。
と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭さおさきを眺めた。
 少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。堤後ていご樹下じゅかに鳴いているのだろう、秋蝉あきぜみの声がしおらしく聞えて来た。
 潮はようやく動いて来た。うおはまさに来らんとするのであるがいまだ来ない。川向うの蘆洲ろしゅうからバンがもが立って低く飛んだ。
 少年はと見ると、干極そこりと異なって来た水の調子の変化に、些細の板沈子いたおもり折箸おればし浮子うきとでは、うまく安定が取れないので、時※(二の字点、1-2-22)竿を挙げては鉤を打返うちかえしている。それは座をえたためではないのであるが、そう思っていられると思うと不快で仕方がない。で、自分は声を掛けた。
 兄さん、此処ここしお突掛つっかけて来るところだからネ、浮子釣うきづりではうまく行かないよ。沈子釣おもりづりにおしよ。
 浮子釣では釣れないかい。
 釣れないとは限らないが、も少し潮が利いて来たら餌がフラフラし過ぎるし、つりづらくて仕方がないだろう。
 今でも釣りづらいよ。
 そうだろう。沈子を持っていないなら、此処ここへおいで。沈子もあげようし、シカケも直してあげよう。
 沈子をくれる?
 ああ。
 自分の気持も坦夷たんいで、決して親切でないものではなかった。それが少年に感知されたからであろう、少年も平和で、そして感謝に充ちた安らかな顔をして、竿を挙げてこちらへやって来た。はじめてこの時少年の面貌風采ふうさいの全幅を目にして見ると、先刻さっきからこの少年に対して自分の抱いていた感想は全く誤っていて、この少年もまた他の同じ位の年齢の児童と同様に真率で温和で少年らしい愛らしい無邪気な感情の所有者であり、そしてその上に聡明さのあることが感受された。その眼は清らかに澄み、そのおもては明らかに晴れていた。自分は小嚢こぶくろから沈子おもりを出して与え、かつそのシカケを改めてろうとした。ところが少年は、
 いいよ、僕、出来るから。
といって、みずからシカケを直した。一通りの沈子釣おもりづりの装置の仕方ぐらいは知っているのであったが、沈子のなかったために浮子釣うきづりをしていたのであったことが知られた。
 少年の用いていた餌はけだし自分で掘取ったらしい蚯蚓みみずであったから、いささかその不利なことが気の毒に感じられた。で、自分の餌桶を指示さししめして、
 この餌を御使いよ、それではさかなあたりが遠いだろうから。
 少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、わずかに一匹の虫をはりに着けたに過ぎなかったから、
 もっとお着け、魚は餌で釣るのだからネ。
 少年はまた二匹ばかり着け足した。
 今まで何処どこで釣っていたのだい、此処ここは浮子釣りなんぞではうまく行かない場だよ。
 今までは奥戸の池で釣ってたよ、昨日きのう一昨日おとといも。
 釣れたかい。
 ああ、ふなが七、八匹。
 奥戸というのは対岸で、なるほどそこには浮子釣に適すべき池があることを自分も知っていた。しかし今時分の鮒を釣っても、それが釣という遊びのためでなくって何の意味を為そう。桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は全く仕方のないものである。自分には合点が行かなかったから、
 遊びじゃないように先刻さっきお言いだったが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やっぱり遊びじゃないか。
というと、少年は急に悲しそうな顔をして気色けしきを曇らせたが、
 でも僕には鮒のほかのものは釣れそうに思えなかったからネ。お相撲すもうさんの舟に無銭ただで乗せてもらって往還ゆきかえりして彼処あすこで釣ったのだよ。
 無銭ただで乗せてもらっての一語は偶然にその実際を語ったのだろうが、自分の耳に立って聞えた。お相撲さんというのは、当時奥戸の渡船守わたしもりをしていた相撲あがりの男であったのである。少年のはなしの中には裏面に何か存していることが明白に知られた。
 そうかい。そしてまた今日はどうして此処ここへ来たのだい。
 だってせっかく釣って帰っても、今小父おじさんの言った通りにネ、昨日きのうは、こんな鮒なんか不味まずくて仕様がない、も少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。
 誰に。
 おっかさんに。
 じゃおっかさんに吩咐いいつけられて釣に出ているのかい。
 アア。くだらなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。
 ここに至って合点が出来た。油然ゆうぜんとして同情心が現前まのあたりの川の潮のように突掛つっかけて来た。
 ムムウ。ほんとのおっかさんじゃないネ。
 少年は吃驚びっくりして眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっとかしらを下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。その時あたかも自分の鉤にうおあたった。型の好いセイゴがあがって来た。
 少年はうらやましそうにの方を見た。
 続いてまた二ひき、同じようなのがはりに来た。少年はあせるような緊張した顔になって、うらやましげに、また少しは自分の鉤に何も来ぬのを悲しむような心を蔽いきれずに自分の方を見た。
 しばらく彼も我も無念しんになって竿先を見守ったが、魚のあたりはちょっと途断とだえた。
 ふと少年の方を見ると、少年はまじまじと予の方を見ていた。何か言いたいような風であったが、談話のちょを得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというが如き微笑をかすかたたえて予と相見た。と同時に予は少年の竿先に魚のきたったのを認めた。
 ソレ、お前の竿に何か来たよ。
 警告すると、少年はあわてて向直ったが早いか敏捷に巧いしおに竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さいふごにそれを入れて、川柳の細い枝を折取って跳出はねださぬように押え蔽った少年は、その手を小草おぐさでふきながら予の方を見て、
 小父おじさん、また餌をくれる?
と如何にも欲しそうに言った。
 アア、あげる。
 少年は竿を手にして予のかたえへ来た。
 い鮒だったネ。
 よくっても鮒だから。せっかく此処ここへ来たんだけれどもネエ。
と失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たくないこころで胸がいっパイになっているのを現わしていた。
 どうもお前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。
と慰めてやった。わんどとは水の彎曲した半円形をいうのだ。が、かえってそれは少年に慰めにはならずに決定的に失望を与えたことになったのを気づいた途端に、予の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメこみうかがった。魚はかたの如くにやがて喰総くいしめた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月の如くになった。いと鉄線はりがねの如くになった。水面に小波さざなみは立った。次いでまた水のあやが乱れた。しかしついに魚は狂い疲れた。その白いひらを見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時予のしりえにあって※(「てへん+黨」、第3水準1-85-7)たま何時いつか手にしていた少年は機敏にとその魚をすくった。
 魚は言うほどもないフクコであったが、秋下あきくだりのことであるし、育ちの好いのであったから、二人の膳にのぼすに十分足りるものであった。少年は今はもううらやみの色よりも、ただ少年らしい無邪気の喜色にあふれて、頬を染め目を輝かして、如何にも男の児らしい美しさを現わしていた。
 それから続いて自分は二ひきのセイゴを得たが、少年は遂に何をも得なかった。
 時はった。日は堤の陰に落ちた。自分は帰り支度にかかって、シカケを収め、竿を収めはじめた。
 少年はそれを見ると、
 小父おじさんもう帰るの?
と予に力ない声を掛けたが、その顔は暗かった。
 アア、もう帰るよ。まだ釣れるかも知れないが、そんなに慾張っても仕方はないし、潮も好いところを過ぎたからネ。
と自分は答えたが、まだ余っている餌を、いつもなら土にえて投げ込むのだけれど、今日はこの児にのこそうかと思って、
 餌が余っているが、あげようか。
といった。少年は黙って立ってこちらへ来た。しかし彼は餌を盛るべき何物をも持っていなかった。彼は古新聞紙の一片に自分の餌をくるんで来たのであったから。差当って彼も少年らしい当惑の色を浮めたが、予にも好い思案はなかった。イトメは水を保つに足るものの中に入れて置かねば面白くないのである。
 やっぱり小父おじさんが先刻さっき話したようにした方がい。明日あしたまた小父さんにったら、小父さんその時に少しおくれ。
といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分別は、少からず予を感動させた。よしんば餌入れがなくて餌を保てぬにしても、差当り使うだけ使って、そこらに捨ててしまいそうなものである。それが少年らしい当然な態度でありそうなものであらねばならぬのである。
 お前も今日はもう帰るのかい。
 アア、夕方のいろんな用をしなくてはいけないもの。
 夕方の家事雑役をするということは、先刻さっきの遊びに釣をするのでないという言葉に反映し合って、自分の心を動かさせた。
 ほんとのおっかさんでないのだネ。明日あすの米を磨いだり、晩の掃除をしたりするのだネ。
 彼はまた黙った。
 今日も鮒を一ぴきばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。
 彼は黯然あんぜんとした顔になったが、やはり黙っていた。その黙っているところがかえって自分の胸のうちに強い衝動を与えた。
 おとっさんはいるのかい。
 ウン、いるよ。
 何をしているのだい。
 毎日亀有かめありの方へ通って仕事している。
 土工かあるいはそれに類した事をしているものと想像された。
 お前のおっかさんは亡くなったのだネ。
 ここに至ってわが手は彼の痛処つうしょに触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと点頭てんとうして是認した彼の眼の中には露がうるんで、折から真赤に夕焼けした空の光りが※(二の字点、1-2-22)はなばなしく明るく落ちて、その薄汚い頬被ほおかむりの手拭、その下から少しれているひたいのぼうぼう生えの髪さき、あかじみたあかい顔、それらのすべてを無残に暴露した。
 おっかさんは何時いつ亡くなったのだい。
 去年。
といった時には、その赭い頬に涙の玉が稲葉いなばをすべる露のようにポロリと滾転こんてんくだっていた。
 今のおっかさんはお前をいじめるのだナ。
 ナーニ、俺が馬鹿なんだ。
 見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分のといに答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、われ恥かしい事だと、愕然として自分はおおいに驚いて、大鉄鎚だいてっついで打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻さっきの事を反顧はんこせざるを得なくもなり、また今のこを川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合おもいあわされて、田野のかんにもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が涌起ようきせずにはおられなかった。
 自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのを至当の礼儀のように思った。
 では兄さん、この残り餌を土でまるめておくれでないか、なるべく固く団めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣ったさかな悉皆すっかりでもいくらでもお前の宜いだけお前にあげる。そしてお前がおっかさんに機嫌を悪くされないように。そうしたらわたしは大へん嬉しいのだから。
 自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子つちだんごをこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣ったうおの中からセイゴ二ひきを取って、自分に対して言葉は少いが感謝の意は深く謝した。
 二人とも土堤へあがった。少年は土堤を川上の方へ、自分は土堤の西の方へと下りる訳だ。別れの言葉が交された時には、日は既に収まって、夕風がたもと凉しく吹いて来た。少年は川上へ堤上を辿たどって行った。暮色はようやせまった。肩にした竿、手にしたふご筒袖つつそで裾短すそみじかな頬冠り姿の小さな影は、長い土堤の小草の路のあなたに段※(二の字点、1-2-22)と小さくなって行く※(「足へん+禹」、第3水準1-92-38)※(二の字点、1-2-22)くくぜんたるその様。自分は少時しばらく立って見送っていると、彼もまたふと振返ってこちらを見た。自分を見て、ちょっとかしらを低くして挨拶したが、その眉目びもくは既に分明ぶんみょうには見えなかった。五位鷺ごいさぎがギャアと夕空を鳴いて過ぎた。
 その翌日も翌※(二の字点、1-2-22)日も自分は同じ西袋へ出かけた。しかしどうした事かその少年にふたたび会うことはなかった。
 西袋の釣はその歳限としぎりでやめた。が、今でも時※(二の字点、1-2-22)その日その場の情景を想い出す。そして現社会の何処どこかにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならぬのである。
(昭和三年十月)





底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年11月16日第1刷発行
   1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店
   1953(昭和28)年3月刊
※「裙短」と「裾短」の混在は、底本通りです。
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2007年11月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について