夏より秋にかけての夜、美しさいふばかり無き雲を見ることあり。都会の人多くは心づかぬなるべし。舟に乗りて灘を行く折、
天暗く水黒くして月星の光り洩れず、舷を打つ浪のみ青白く
騒立ちて心細く覚ゆる沖中に、夜は丑三つともおもはるゝ頃、艙上に独り立つて海風の面を吹くがまゝ
衣袂湿りて重きをも問はず、寝られぬ旅の情を遣らんと詩など吟ずる時、いなづま忽として起りて、水天一斉に凄じき色に明るくなり、千畳万畳の濤の頭は白銀の
簪したる如く輝き立つかと見れば、怪しき岩の如く獣の如く山の如く鬼の如く空に
峙ち
蟠まり居し雲の、皆黄金色の
笹縁つけて、いとおごそかに、人の眼を驚かしたる、云はんかたなく美し。
雨後の雲の美しさは山にてこそ見るべけれ。低き山に居たらんには猶甲斐なかるべし。名ある山々をも眼の前脚の下に見るほどの山に在りて、夏の日の夕など、風少しある時、谿に望みて
遠近の雲の
往来を観る、いと興あり。前山の色の翠ひとしほ増して裾野の風情も見どころ多く、
一郭なせる山村の寺などそれかとも見ゆるに、濃く白き雲の、足疾く風に乗りて空に翔くるが、
自己の形をも且つ龍の如く且つ虎の如く、
飜りたる布の如く、張りたる傘の如くさま/″\に変へつゝ、山を
蝕み、裾野を
被ひ、山村を呑みつ吐きつして、前なるは這ふやうに去るかと見れば、後なるは飛ぶ如くに来りなんどする
状、観て飽くといふことを覚えず。小山の
峰通り立てる松の並木の遠見には馬の鬣のやうなるが現はれつ隠れつする、金字形したる山の嶺の、心あてに見しあたりならぬところに突として面出す、ことにおもしろし。
丹波太郎は西鶴の文に出でたりと覚えたり、坂東太郎は未だ古人の文に其風情をしるされざるにや、雲にも人に知らるゝ知られざるのあるもをかし。坂東太郎は東京にて夏の日など見ゆる恐ろしげなる雲なり。夕立雨の今や来たらんといふやうなる時、天の
半を一面に蔽ひて、十万の大兵野を占めたる如く動かすべくもあらぬさまに黒みわたり、しかも其中に風を含みたりと覚しく、今や
動ぎ出さんとする風情、まことに一敗の後の将卒必死を期してこと/″\く静まりかへつたるが中に勃々として抑ふべからざる殺気を含めるが如し。此雲天に
瀰るとやがて、風ざわ/\と吹き下し、雨どつと落ちかゝり来るならひにて、あらしめきたる空合に此雲の出でたる、また無く物すさまじく、をかしき形などある雲とは異りて、秋水の千里を浸し犯す如く出で来れる宏壮の趣きありて、心弱き児女の愛する能はざるものなり。東京の
市中にて眼にするものの中、此雲の風情など除きては、壮快なるものいと少かるべし。
風吹く時、はなれ/″\になりたる大きからぬ雲の色白き、あるは薄黒きが、蝶などの如くひら/\と風下へ舞ひつ飛びつして行くあり。これを蝶々雲とは、面白くも名づけたるものかな。
蝶々雲は古き歌に見えたりや否や知らず、ゐのこ雲といへるは仲正の歌に見えたり。夏の夜秋の夜など、雨もたぬ空の晴れたるに、ひとかたまりの雲のゐのこの如く丸く肥えて見ゆるが、月のあたり走り行くは人々の知るところなるが、これもまた風情ある雲なり。「空払ふ月の光におひにけり走りちりぬるゐのこ雲かな」とよめる歌は、おもしろしとも思へねど、ゐのこ雲といふ名を伝へたる功は此歌にあるべきにや。
慈鎭和尚の歌に、「まだ晴れぬ水まさ雲にもる月を空しく雨の夜はやおもはん」といへるがあり。水まさ雲は如何なる雲をさすにやと久しく思ひ疑ひ居けるに、全流の兵書に、雨雲の一種にて、はなればなれに魚の鱗のならべるやうに空に布くものなり、とありたるにて、さては水増雲の義なるべしなど思ひぬ。
古の歌人はあなどり難し。なか/\に今の人などより森羅万象に心をつくることまめやかにて、我等が思ひも寄らぬあたりのものをも歌の材として用ゐ居るなり。
東坡が望雲楼の詩に、陰晴朝暮幾回新、已向虚空付此身、出本無心帰亦好、白雲還似望雲人、といへる、さすがにをかしからぬにはあらねど、なほ下の心のあるやうにて、白雲点頭すべきや否や覚束無し。
「風にちるありなし雲の大空にたゞよふほどや此世なるらん」といへる寂蓮法師の歌こそおもしろけれ。雲のはかなき、此世のたのみなきは知れわたりたる事なれど、かく美しく歌ひ出されたるを二度三度吟じかへせば、また今さらに、雲のはかなさ、此世のたのみなさを身にしみて覚ゆるなり。風に散ると云ひ起したる既にいとあはれなるに、ありなし雲のと、めづらしくておだやかなる、しかも人の心を幽玄なる境にひきこむやうなる言葉を用ゐて、さて其後に、大空にと、広大なるものを拈出し、たゞよふほどや此世なるらんと、あはれに悲しき長歎のおもひの上に結びとゞめたる、誰か感無しと此歌に対ひて云ひ罵り得ん。心しづかに三たびも唱ふれば、紛々たる名利の境を捨てゝ寂静の土に往かんと願ふ
厭欣の念、油然として湧き出づるを覚ゆるなり。
鰯雲といふは、鰯などの群るゝ如く点々
相連りて空に瀰るものを云ふなり。晴れたる日の夕暮など多く見ゆるなるが、雨気を含むものにや。さては水まさ雲と同じかるべし。「芝浦の漁人も網を打忘れ月には厭ふいわし雲かな」といへる狂歌、天明頃の人の咏にあり。青き空の半ほど此雲白くつらなりて
瀰れる、風情ありて美はし。童児などは、此雲を指さして、鰯の取るゝ兆なりといふもまたをかし。
とよはた雲とは、しかと雲の名にはあらぬなるべし。信實の歌にては、夕立する頃の例のいかめしき雲を云へるが如く、後鳥羽院の御歌にては、たゞ美しき夕の雲をさし玉へるが如し。「わだつみのとよはた雲に入日さしこよひの月夜あきらけくこそ」といへる天智天皇の御歌に見えたるがはじめなるに、御歌にては、旗の形なせるやうの夕の雲を云ひたまへるのみなり。雲の旗の如く見ゆることは多し、旗雲といふ語は今無きやうなり。
布を引きたるやうに白くおだやかに空にわたる雲あり。大抵此雲見ゆる時は、空青く澄みて色美しく凪ぎわたりたるに、刷毛にてひきたる如く淡く白く天に横たはるなり。これを何といふ名の雲ぞと折ふし老人などに問ひたれど教へ呉るゝ人も無く、
彼の雲出づるは天気よき兆なりと云ひしを聞きたるのみなりしに、海賊衆の一なる能島家の兵書によりて、ほそまひ雲といふものなりと知りぬ。名もゆかし、歌などにも用ゐ得べきか。
翻手為雲覆手雨とは人も知りたる貧交行の中の句にして、句意はたゞ反覆常ならぬことを云ひたるまでなるに、支那の悪小説などには怪しからぬことを形容する套語として用ゐられたるが多し。もとの意義人の美を形容したるにはあらざるべき沈魚落雁などいふ語の、美を形容する套語となれる如く、いとをかしき
誤謬なり。
雲東に行けば車馬通じ、雲西に行けば馬泥を濺ぎ、雲南に行けば水潭に漲り、雲北に行けば麦を晒すに好し、と支那にては云ひならはしたるに、雲北に行けば雨ふるもののやう歌へる和歌のあるもをかし。「雨ふれば北にたなびく天雲を君によそへてながめつるかな」、「北へ行く夕の雲の大空にかさなるみれば雨はふりつゝ」などいへる、地異なり時異なれば、たがひあるべき道理ながら、思ひくらぶれば、如何にも
那方かいつはりなるべきやう浅まなる心には思はるゝを免れず。雲南に向へば雨漂漂、雲北に向へば老鸛河を尋ねて哭し、雲西に向へば雨犁を没し、雲東へ向へば塵埃老翁を没す、といへる俗諺もある由なれば、彼もいつはらず、これもいつはらざるなるべし。我が邦の俗書に、朝に西北の方に黒雲見ゆるは雨なり、といひ、青き雲北斗を蔽へば大雨なり、などいへるあるを見れば、おしなべて我が邦にては、麦を晒すに好しといひ、老鸛河を尋ねて哭すというやうなる事は、云ひ得ざるにや。語を訳すことの易くして意を伝ふる事の難きは、かゝる事の多ければなり。前にあげたる光俊の歌を訳して支那の村老野人に示さんには、恐らくは
嘲み笑はれん。
東京にては雲の南へ行く時火災多し。明暦三年より明治十四年までの間に大火九十三度ありて、中二十二三度のほかは、雲南の方へ走り、若くは南東南東西の方へ走りたる時なり。冬は多く北風吹き、火のあやまちは冬多きものなれば、怪むべくもあらぬ事ながら、東京の大火を叙せんとて、心も無く、北へ行く雲に火の色うつりて天は紅霞のわたれるが如し、など別の故も無きに筆を舞はして記さば、如何に見苦しきものに老いたる人などの見なさん。心せでは叶ふまじきことなり。
風の力おとろへ、雲の行くこと少し遅くなりて、天の猶黒きが中より星などきら/\と見ゆること、雨の後などにはあるものなり。さる折の雲の得行きもせず、
遏まるといふにもあらで、たゆたふやうなるが、月星などの光あるに
気圧さるゝかとも見ゆるさまなるを、たゞ、いざよふ雲と云はんもをかしからず、たゞよふ雲、たちまよふ雲、行きまよふ雲など云はんも興無し。「はれぬるかたぢろぐ雲の絶間より星見えそむる村雲の空」といへる歌に、たぢろぐ雲といへるはいとおもしろし。ゑせ
歌人は、かゝる言葉のはたらきあるはたらきよりは、猶ふるき言葉のあたひ無きあたひを尊むべきものと思へるなるべし。言葉のやすらかなるは極めてよし、言葉の
確と実際に
協ひたるは、ひときはよきなり。
支那の言葉づかひには、また我が邦のと異りたるおもしろみあるにや。灼然として雲を駆って白日を見る如し、といふ語の駆雲の二字の如きは、我が邦の歌の中には見がたきものなるべし。はらふといふにては駆るといふより弱くしておもしろからぬなり。
「月の前に時雨過ぎたるあだ雲をはらふならひは秋の山風」といへる歌、慈鎭和尚の詠としては、つたなし。されどあだ雲といへる言葉をかし。あだは、あだ人あだ花などのあだなるべし。用ゐざまによりては、をかしき節ある歌をもなすに足るべき言葉なり。
雲のするわざも多きが中に、いとおもしろきは、冬の日の朝早く、平らかにわたれる雲の、谷を籠め麓を
蓋ひて、世の何物をも山の上の人には見せぬことなり。日輪いまだ出でたまはず、月落ち星の光り薄れながら、
天猶ひとしきり暗き頃、山高きところに宿りたる身のよろづ物珍らしきに、例に無く
夙く起き出でゝ、戸などをも自ら繰り、心しまるやうなる寒さを忍びて眼を放つて見わたせば、昨日は脚の下に麓路の村も画の如く小さく見え、川の流れの白きが糸ほどに細くそれと知られ、深き谿を隔てゝかれこれと名ある山々の数多く連なり立ちたるが眼に入りしに、今は我が立てるところを去る
幾干もあらぬ下より遙に向ふの方
際涯知らぬあたりまで、平らかにして大江の水の如くなる白雲たなびき渡り、村もかくし川もかくし山々谿々も
匿しはてゝ、下界を海の底に沈め尽したるが如くに見せたる、雲のわざとは知りながら流石に馴れぬ眼には驚かるゝものなり。開門忽怪山為海、万畳雲濤露一峰と詩にいへるも、まことによく云ひ得たりといふべし。
上にあげたる如き白雲の中に眠りても人の夢は猶塵境に迷ひて、おろかなる事のみ見るものなり。「白雲の中に
寐ても山をいでゝ塵のちまたに通ふ夢かな」とは我がある時の実際をよみたる吟なりき。
韓雲は布の如く、趙雲は牛の如く、楚雲は日の如く、宋雲は車の如く、衛雲は犬の如く、周雲は輪の如く、秦雲は行人の如く、魏雲は鼠の如く、斉雲は絳衣の如く、越雲は龍の如く、蜀雲は
の如し、と云へるはいとをかし。地に定まりたる雲あり、雲に定まりたる形あるべきにや。おほよそは定まりもあるべし、詳しくはいかゞ。江戸の坂東太郎、浪花の丹波太郎、九州の比古太郎、近江あたりの信濃太郎、これらは雲の出づる方により負はせたる名なれば、けしうもあらず。加賀の鼬雲、安房の岸雲、播磨の岩雲などは、其土の人々の雲の形を
然思ひ做して然呼び做したるなるべければ、魏雲鼠の如く斉雲絳衣の如しなどいへるも、魏斉の俗に鼠雲絳衣雲等の称ありて後云ひ出せることにや。単に一人の口よりほしいまゝに、いづくの雲はそれのものの形に似たりなど云はんは、余りに
烏滸にしれたるわざなるべし。
南の方の天にさしがさを開きたるやうに立つ雲を、かさほこ雲といふとぞ。其雲やがて破れて、その破れたる方より風吹くと聞きたれど、市中にのみ住める身の、未だよく見知るべき時にあはざるこそ口惜けれ。
東の方に築地をつきたる如く立つ白雲を、かなとこ雲といふよしなり。かなとこは鉄砧にて、其形鉄砧にも似たればなるべし。其雲先しりぞけば西風強く吹き、たちあがれば足をおろして雨となると伝ふ。東に白雲の築地の如く見えたるは眼にしたれど、猶かなとこ雲の風情といふを知らず。
景雲といひ、卿雲といひ、慶雲といへる、しかと指し定められたる雲にはあらざるべし。卿雲爛たり糺縵々たり、といへる、煙にあらず雲にあらず紫を曳き光を流す、といへる、大人作矣、五色
氤、といへる、金柯初めて繞繚、玉葉漸く氤
、といへる、還つて九霄に入りて
を成し、夕嵐生ずる処鶴松に帰る、といへる詩の句などによりて見れば、帰するところは美しき雲といふまでなり。一年の中に幾度か爛たる雲の見えざらん。若しまた余りに美しき眼なれぬ雲などの出でたらんは、気中のさまの常ならぬよりなるべければ、却つて悦ぶべからざるに似たり。五色の雲など何にせん、天は青きがめでたく、雲は白きこそ優しけれ。八雲立つの神の御歌を解きて、その時立ちし雲は天地のみたまの
顕はせりし吉瑞にて、いともくしびなる雲なりけむなど橘の守部が云へるは、当れりや否や、知らず。くしびなる雲とは如何なる雲ぞや、問はまほし。八雲立ちといひたまはで、八雲立つと言い切り玉へるも彼の奇しき瑞雲に驚かせ給へる語勢なりなどいへる、ことに奇しき言なり。崇神紀の歌に、八雲立つ出雲梟師
[#「出雲梟師」はママ]が云々と歌へるも、八雲たちとは云はで八雲立つといひたるなれば、驚きたる語勢なりといふべきか、いと奇しき言なり。