雁坂越

幸田露伴




   その一

 ここは甲州こうしゅう笛吹川ふえふきがわの上流、東山梨ひがしやまなし釜和原かまわばらという村で、戸数こすうもいくらも無いさみしいところである。背後うしろ一帯いったいの山つづきで、ちょうどその峰通みねどおりは西山梨との郡堺こおりざかいになっているほどであるから、もちろん樵夫きこり猟師りょうしでさえさぬ位の仕方の無い勾配こうばいの急な地で、さて前はというと、北から南へと流れている笛吹川の低地ひくちを越してのその対岸むこうもまた山々の連続つながりである。そしてこの村から川上の方を望めば、いずれ川上の方の事だから高いには相違そういないが、おそろしい高い山々が、余り高くって天につかえそうだからわざと首をすくめているというような恰好かっこうをして、がんっている状態ありさまは、あっちの邦土くにだれにも見せないと、意地悪くとおせんぼうをしているようにも見える位だ。その恐ろしい山々のつらなりのむこうは武蔵むさしの国で、こっちの甲斐かいの国とは、まるで往来ゆきかいさえ絶えているほどである。昔時むかしはそれでも雁坂越とって、たまにはその山を越して武蔵へ通った人もあるので、今でもあやしい地図に道路みちがあるように書いてあるのもある。しかしこの釜和原から川上へのぼって行くと下釜口しもかまぐち釜川かまがわ上釜口かみかまぐちというところがあるが、それで行止りになってしまうのだから、それから先はもうどこへも行きようは無いので、川をわたって東岸ひがしぎしに出たところが、やはり川下へさがるか、川浦かわうらという村から無理に東の方へ一ト山越して甲州裏街道うらかいどうへと出るかの外にはみちも無いのだから、今では実際雁坂越の道は無いと云った方がよいのである。こういうように三方は山でふさがっているが、ただ一方川下の方へと行けば、だんだんに山合やまあいひろくなって、川がふとって、村々がにぎやかになって、ついに甲州街道へ出て、それから甲斐一国の都会みやこ甲府こうふに行きつくのだ。笛吹川の水が南へ南へと走って、ここらの村々の人が甲府甲府と思っているのも無理は無いのである。
 釜和原はこういったところであるから、言うまでも無く物寂ものさびた地だが、それでも近い村々に比べればまだしもよい方で、前にげた川上の二三ヶ村はいうにおよばず、此村これから川下に当る数ヶ村も皆この村には勝らないので、此村ここにはいささかながら物を売るみせも一二けんあれば、物持だと云われているうちも二三はあるのである。
 今この村の入口へ川上の方から来かかった十三ばかりの男のがある。山間僻地さんかんへきちのここらにしてもちと酷過ひどすぎる鍵裂かぎざきだらけの古布子ふるぬのこの、しかもおぼうさんご成人と云いたいように裾短すそみじか裄短ゆきみじかよごくさったのを素肌すはだに着て、何だか正体の知れぬ丸木まるきの、つえには長く天秤棒てんびんぼうには短いのへ、五合樽ごんごうだる空虚からと見えるのを、の皮をなわがわりにしてくくしつけて、それをかついで、夏の炎天えんてんではないからよいようなものの跣足すあしかぶがみ――まるで赤く無い金太郎きんたろうといったような風体ふうていで、急足いそぎあしって来た。
 するとみちそばではあるが、川の方へ「なだれ」になっているところ一体にくわ仕付しつけてあるそのはるかに下の方の低いところで、いずれも十三四という女の児が、さすがに辺鄙ひなでもなまめき立つ年頃としごろだけにあかいものや青いものが遠くからも見え渡る扮装つくりをして、小籃こかごを片手に、節こそひなびてはおれど清らかな高いとおる声で、桑の嫩葉わかばみながら歌をうたっていて、今しも一人ひとりが、

わたしぁ桑摘むぬし※(「坐+りっとう」、第3水準1-14-62、52-2)きざまんせ、春蚕はるご上簇あがれば二人ふたり着る。

と唱い終ると、また他の一人が声張り上げて、

桑を摘め摘め、爪紅つまべにさした 花洛みやこ女郎衆じょろしゅも、桑を摘め。

と唱ったが、その声は実に前の声にも増して清いんだ声で、えず鳴る笛吹川の川瀬かわせの音をもしばしは人の耳からい払ってしまったほどであった。
 これを聞くとかの急ぎあしで遣って来た男の児はたちまち歩みをおそくしてしまって、声のした方を見ながら、ぶらりぶらりと歩くと、女の児の方では何かに打興うちきょうじて笑い声をらしたが、見る人ありとも心付かぬのであろう、桑のごしに紅いや青い色をちらつかせながら余念も無しに葉を摘むと見えて、しばしはしずかであったが、また前の二人ふたりとはちがった声で、

桑は摘みたしこずえは高し、

と唄い出したが、この声は前のように無邪気むじゃきに美しいのでは無かった。そうするとこれを聞いたこなたのきたな衣服なりの少年は、その眼鼻立めはなだちの悪く無い割には無愛想ぶあいそう薄淋うすさみしい顔に、いささか冷笑あざわらうようなわらいを現わした。うたぬしはこんな事を知ろうようは無いから、すぐと続いて、

誰に負われて摘んで取ろ。

と唄い終ったが、末の摘んで取ろの一句だけにはこちらの少年も声を合わせて弥次馬やじうま出掛でかけたので、歌の主は吃驚びっくりしてこちらをかしてたらしく、やがて笑いを帯びた大きな声で、
源三げんぞうさんだよ、にくらしい。」
と誰に云ったのだか分らないことばを出しながら、いかにも蓮葉はすははたけから出離れて、そして振り返って手招てまねぎをして、
「源三さんだって云えば、おなみさん。早く出ておでなネ。ホホわたし達が居るものだからはずかしがって、はにかんでいるの。ホホホ、なおおかしいよこの人は。」
揶揄からかったのは十八九のどこと無く嫌味いやみな女であった。
 源三は一向頓着とんじゃく無く、
「何云ってるんだ、世話焼め。」
と口のうちで云いてて、またさっさと行き過ぎようとする。圃の中からは一番最初の歌の声が、
「何だネおちかさん、源三さんにかこつけて遊んでサ。わたしやお前はお浪さんの世話を焼かずと用さえすればいいのだあネ。サアこっちへ来てもっとおりよ。」
と少ししか気味ぎみで云うと、
「ハイ、ハイ、ご道理もっともさまで。」
たわむれながらお近はまた桑を採りに圃へ入る。それと引違えてしずかに現れたのは、むらさきの糸のたくさんあるごくあらしま銘仙めいせんの着物に紅気べにっけのかなりある唐縮緬とうちりめんの帯をめた、源三と同年おないどしか一つも上であろうかという可愛かわいらしい小娘である。
 源三はすたすたと歩いていたが、ちょうどこの時虫が知らせでもしたようにふと振返ふりかえって見た。途端とたんに罪の無い笑は二人の面にあふれて、そして娘のあしは少しはやくなり、源三のあしおおいおそくなった。で、やがて娘はみち――路といっても人の足のむ分だけを残して両方からは小草おぐさうずめている糸筋いとすじほどの路へ出て、そのせまい路を源三と一緒いっしょに仲好く肩をならべて去った。その時ややへだたった圃の中からまた起った歌の声は、

わたしぁ桑摘む主ぁ※(「坐+りっとう」、第3水準1-14-62、55-3)まんせ、春蚕上簇れば二人着る。

という文句を追いかけるように二人の耳へ送った。それは疑いも無くお近の声で、わざと二人に聞かせるつもりで唱ったらしかった。

   その二

「よっぽど此村こっちへは来なかったネ。」
と、浅く日のしている高い椽側えんがわに身をもたせて話しているのはお浪で、此家ここはお浪のうちなのである。お浪の家は村で指折ゆびおり財産しんだいよしであるが、不幸ふしあわせ家族ひとが少くって今ではお浪とその母とばかりになっているので、召使めしつかいも居ればやとい男女おとこおんな出入ではいりするから朝夕などはにぎやかであるが、昼はそれぞれ働きに出してあるので、お浪の母が残っているばかりで至って閑寂しずかである。ことに今、母はお浪の源三を連れて帰って来たのを見て、わたしはちょいと見廻みまわって来るからと云って、少しはなれたところに建ててある養蚕所ようさんじょ監視みまわりに出て行ったので、この広い家に年のいかないもの二人きりであるが、そこは巡査おまわりさんも月に何度かしか回って来ないほどの山間やまあい片田舎かたいなかだけに長閑のんきなもので、二人は何の気も無く遊んでいるのである。が、上れとも云わなければ茶一つ出そうともしない代り、自分も付合って家へ上りもしないでいるのは、一つはお浪の心安立こころやすだてからでもあろうが、やはりまだ大人おとなびぬ田舎娘の素樸きじなところからであろう。
 源三の方は道を歩いて来たためにちとあし草臥くたびれているからか、こしけるには少し高過ぎる椽の上へ無理に腰をせて、それがために地に届かない両脚をぶらぶらと動かしながら、ちょうどその下の日当りにているおおきな白犬の頭を、ちょっと踏んでかろるようにさわって見たりしている。日の光はちょうど二人の胸あたりから下の方に当っているが、日ざしに近くいるせいだか二人とも顔がうっすりと紅くなって、ことに源三は美しく見える。
「よっぽどって、そうさ五日いつか六日むいか来なかったばかりだ。」
と源三はお浪の言葉におだやかに答えた。
「そんなものだったかネ、何だか大変長い間見えなかったように思ったよ。そして今日きょうはまたきまりのお酒買いかネ。」
「ああそうさ、いやになっちまうよ。五六日は身体からだが悪いって癇癪かんしゃくばかり起してネ、おいらをったりたたいたりした代りにゃあ酒買いのお使いはせずにんだが、もうなおったからまた今日きょうっからは毎日だろう。それもいいけれど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いによこされて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方おおかた途中とちゅうで飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲ぶんなぐるんだもの、ほんとに口措くやしくってなりやしない。」
「ほんとにいやな人だっちゃない。あら、お前のくびのところに細長いあざがついているよ。いつたれたのだい、痛そうだねえ。」
と云いながらそばへ寄って、源三の衣領えりくつろげて奇麗きれいな指で触ってみると、源三はくすぐったいと云ったように頸をすくめてさえぎりながら、
「およしよ。今じゃあ痛くもなんともないが、打たれた時にあ痛かったよ。だって布袋竹ほていちく釣竿つりざおのよくしなやつでもってピューッと一ツやられたのだもの。一昨々日さきおとといのことだったがね、なまの魚が食べたいから釣って来いと命令いいつけられたのだよ。風がいてざわついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図ぐずぐずしているとしかられるから、ハイと云って釣には出たけれども、どうしたって日が悪いのだもの、釣れやしないのさ。夕方まで骨を折って、足の裏が痛くなるほど川ん中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたけれども、とうとう一尾いっぴきも釣れずに家へ帰ると、サアおこられた怒られた、こん畜生ちくしょうこん畜生と百ばかりも怒鳴どなられて、香魚あゆ※(「魚へん+完」、第4水準2-93-48、58-7)やまめは釣れないにしても雑魚ざこ位釣れない奴があるものか、大方遊んでばかりいやがったのだろう、このつぶ野郎やろうめッてえんでもって、釣竿を引奪ひったくられて、げるところをはすたれたんだ。切られたかと思ったほど痛かったが、それでも夢中むちゅうになって逃げ出すとネ、ちょうど叔父おじさんが帰って来たので、それでんでしまったよ。そうすると後で叔父さんにむかって、源三はほんとに可愛かわいい児ですよ、わたしが血の道で口が不味まずくっておまんまが食べられないって云いましたらネ、何か魚でも釣って来ておさいにしてあげましょうって今までかかって釣をしていましたよ、運が悪くって一尾いっぴきも釣れなかったけれども、とさもさも自分がおいらによく思われていでもするように云うのだもの、憎くって憎くってなりあしなかった。それもいいけれど、何ぞというと食い潰しって云われるなあ腹が立つよ。過日こないだ長六爺ちょうろくじじいに聞いたら、おいらの山を何町歩なんちょうぶとか叔父さんがあずかって持っているはずだっていうんだもの、それじゃあおいらは食潰しの事は有りあしないじゃあないか。家の用だって随分ずいぶんたんとしているのに、口穢くちぎたなく云われるのが真実ほんとに厭だよ。おまえのおっかさんはおいらが甲府へ逃げてしまって奉公ほうこうしようというのを止めてくれたけれども、真実ほんと余所よそへ出て奉公した方がいくらいいか知れやしない。ああ家に居たくない、居たくない。」
と云いながら、雲は無いがなんとなく不透明ふとうめいな白みを持っている柔和やわらかな青い色のそらを、じーっとながめた。お浪もこのはや父母ちちははを失った不幸の児がむご叔母おばくるしめられるはなしを前々から聞いて知っている上に、しかも今のような話を聞いたのでいささかなみだぐんで茫然ぼうぜんとして、何も無いつちの上に眼を注いで身動もしないでいた。陽気な陽気な時節ではあるがちょっとの間はしーんと静になって、庭のすみ柘榴ざくろまわりに大きな熊蜂くまばちがぶーんと羽音はおとをさせているのが耳に立った。

   その三

 色々な考えにちいさな心を今さらあらたもつれさせながら、眼ばかりは見るもののあても無いそらをじっと見ていた源三は、ふっとなんとりだか分らない禽の、姿も見えるか見えないか位に高く高く飛んで行くのを見つけて、全くお浪にむかってでは無い語気で、
「禽はいなア。」
うめき出した。
「エッ。」
と言いながら眼をげて源三が眼の行くかたを見て、同じく禽の飛ぶのを見たお浪は、たちまちにそのこころさとって、えられなくなったか※(「さんずい+玄」、第3水準1-86-62、60-10)げんぜんとして涙をおとした。そして源三が肩先かたさきとらえて、
「またおまえは甲府へ行ってしまおうと思っているね。」
とさもうらめしそうに、しかも少しそうはさせませぬという圧制あっせいの意のこもったようなことばの調子で言った。
 源三はいささかたじろいだ気味で、
「なあに、無暗むやみけ出して甲府へ行ったっていけないということは、お前の母様おっかさんはなしでよくわかっているから、そんな事は思ってはいないけれど、あんまり家に居て食い潰し食い潰しって云われるのが口惜くやしいから、叔父さんにあ済まないけれどどこへでも出て、どんなつらい思いをしても辛棒しんぼうをして、すこしでもいいから出世したいや。弱虫だ弱虫だってみんなが云うけれど、おいらだって男の児だもの、いじめられてばかりいたかあ無いや。」
ひとこころさからわぬような優しい語気ではあるが、微塵みじんいつわは無い調子で、しみじみと心のうちを語った。
 そこでたがいに親み合ってはいても互にこころ方向むきちがっている二人の間に、たちまち一条の問答が始まった。
「どこへでも出て辛棒をするって、それじゃあやっぱり甲府へ出ようって云うんじゃあないか。」
とお浪は云い切って、しばしだまって源三の顔を見ていたが、源三が何とも答えないのを見て、
「そーれごらん、やっぱりそうしようと思っておいでのだろう。それあおまえも、品質ものが好いからって二合ばかりずつのお酒をその度々たびたびに釜川から一里もあるこの釜和原まで買いによこすようなひど叔母様おばさんに使われて、そうして釣竿でたれるなんて目に逢うのだから、つらいことも辛いだろうし口惜くやしいことも口惜しいだろうが、先日せんのように逃げ出そうと思ったりなんぞはしちゃあ厭だよ。ほんとに先日いつかばんだって吃驚びっくりしたよ。いくら叔母さんがひどいったって雪の降ってる中を無暗に逃げ出して来て、わたしのとこへも知らさないで、甲府へ出てしまって奉公しようと思うとって、夜にもなっているのにそっと此村ここを通り抜けてしまおうとしたじゃあないか。吾家うちおっかさんが与惣次よそうじさんところへばれて行った帰路かえりのところへちょうどおまえが衝突ぶつかったので、すぐに見つけられて止められたのだが、後で母様おっかさんのお話にあ、いくら下りだって甲府までは十里近くもある路を、夜にかかって食物の準備よういも無いのに、足ごしらえも無しで雪の中を行こうとは怜悧りこうのようでも真実ほんと児童こどもだ、わたしが行き合って止めでもしなかったらどんな事になったか知れやしない、思い出してもおそろしい事だとおっしゃったよ。そればかりじゃあ無い、奉公をしようと云ったって請人うけにんというものが無けりゃあかたい良いうちじゃあ置いてくれやしないし、他人ばかりの中へ出りゃあ、この児はこういう訳のものだから愍然かわいそうだと思ってくれる人だって有りゃあしない。だから他郷よそへ出て苦労をするにしても、それそれの道順をまなければ、ただあっちこっちでこづきまわされて無駄むだに苦しいおもいをするばかり、そのうちにあろくで無い智慧ちえの方が付きがちのものだから、まあまあ無暗に広い世間へ出たって好いことは無い、源さんも辛いだろうがもう少し辛棒していてくれれば、そのうちにあどうかしてあげるつもりだと吾家うちおっかさんがお話しだった事は、あの時の後にもわたしが話したからおまえだって知りきっているはずじゃあ無いかエ。それだのにまだおまえはすきさえありゃあ無鉄砲むてっぽうなことをしようとお思いのかエ。」
年齢としは同じほどでも女だけにませたことを云ったが、その言葉の端々はしはしにもこの怜悧りこうで、そしてこの児を育てている母の、分別のかしこい女であるということも現れた。
 源三は首をれて聞いていたが、
「あの時は夢中になってしまったのだもの、そしてあの時おまえの母様おっかさんにいろんな事を云って聞かされたから、それからは無暗の事なんかしようとは思ってやしないのだヨ。だけれどもネ、」
と云いさして云いよどんでしまった。
「だけれどもどうしたんだエ。ああやっぱり吾家うち母様おっかさんの云うことなんかかないつもりなのだネ。」
「なあに、なあにそうじゃないけれども、……」
「それ、お見、そうじゃあないけれどもってお云いでも、後のことばは出ないじゃあないか。」
「…………」
「ほら、ほら、つかえてしまって云えないじゃあないか。おまえはわたし達にあかくしていてもおなかん中じゃあ、いつか一度は、誰の世話にもならないで一人で立派なものになろうと思っているのだネ。イイエ頭をってもそうなんだよ。」
「ほんとにそうじゃないって云うのに。」
「イイエ、何と云ってもいけないよ。わたしはチャーンと知っているよ。それじゃあおまえあんまりというものだよ、何もわたし達あおまえの叔母おばさんに告口いつけぐちでもしやしまいし、そんなにかくだてをしなくってもいいじゃあないか。せんの内はこんなおまえじゃあなかったけれどだんだんに酷い人におなりだネエ、黙々だんまりで自分の思い通りを押通おしとおそうとお思いのだもの、ほんとにおまえは人が悪い、こわいような人におなりだよ。でもおあいにくさまだが吾家うち母様おっかさんはおまえの心持を見通していらしって、いろいろな人にそう云っておおきになってあるから、いくらお前が甲府の方へ出ようと思ったりなんぞしてもそうはいきません。おまえの居る方から甲府の方へは笛吹川の両岸のほかには路は無い、その路にはおまえに無暗なことをさせないようにと思って見ている人が一人や二人じゃあ無いから、おまえの思うようにあなりあしないヨ。これほどに吾家うち母様おっかさんさるのも、おまえのためにいいようにと思っていらっしゃるからだとお話があったわ。それだのにとりを見て独語ひとりごとを云ったりなんぞして、あんまりだよ。」
まくし立ててなおお浪の言わんとするをおさえつけて、
「いいよ、そんなに云わなくったって分っているよ。おいらあ無暗に逃げ出したりなんぞしようと思ってやしないというのに。」
さえぎる。
「おや、まだ強情ごうじょう虚言うそをおきだよ。それほど分っているならなぜ禽はいいなあと云ったり、だけれどもネと云って後の言葉を云えなかったりするのだエ。」
追窮ついきゅうする。追窮されてもくるしまぬ源三は、
「そりゃあただおいらあ、自由自在になっていたらうれしいだろうと思ったからそう云ったのさ。浪ちゃんだってあの禽のように自由だったら嬉しいだろうじゃあないか。」
と云うと、お浪はまた新に涙ぐんで其言それには答えず、
「それ、その通りだもの。おまえにやまだ吾家うちおっかさんだのわたしだのが、どんなにおまえのためを思っているかが解らないのかネエ。真実ほんとにおまえは自分勝手がってばかり考えていて、ひとの親切というものは無にしてもかまわないというのだネ。おおかたわたし達も誰も居なかったら自由自在だっておまえはおよろこびだろうが、あんまりそりゃあ気随きずいぎるよ。吾家うち母様おっかさんもおまえのことには大層心配をしていらしって、も少しするとおまえのところの叔父さんにちゃんと談をなすって、何でもおまえのために悪くないようにしてあげようって云っていらっしゃるのだから、辛いだろうがそんな心持を出さないで、少しの間辛抱おしでなくちゃあ済まないわ。」
としみじみと云うその真情まごころさそい込まれて、源三もホロリとはなりながらなお、
「だって、おいらあ男の児だもの、やっぱり一人で出世したいや。」
と自分の思わくとお浪の思わくとのちがっているのを悲む色をおもてに現しつつ、正直にしかも剛情ごうじょうに云った。その面貌かおつきはまるで小児こどもらしいところの無い、大人おとなびきったびきったものであった。
 お浪はこの自己おのれたのむ心のみ強いことばを聞いて、おどろいて目をみはって、
「一人でって、どう一人でもって?」
と問い返したが返辞が無かったので、すぐとまた、
「じゃあ誰の世話にもならないでというんだネ。」
ただすと、源三はじゅつなさそうに、かつは憐愍あわれみ宥恕ゆるしとをうようなかおをしてかすか点頭うなずいた。源三の腹の中はかくしきれなくなって、ここに至ってその継子根性ままここんじょう本相ほんしょうを現してしまった。しかし腹の底にはこういうひがみを持っていても、人の好意にそむくことはひどく心苦しく思っているのだ。これはこの源三が優しい性質うまれつきの一角と云おうか、いやこれがこの源三の本来の美しい性質で、いかなる人をもたのむまいというようなのはかえって源三が性質の中のある一角が、境遇きょうぐうのためにげきせられて他の部よりも比較的ひかくてきに発展したものであろうか。
 お浪は今明らかに源三の本心を読んで取ったので、これほどに思っている自分親子をも胸のおくの奥ではそでにしている源三のその心強さがうらめしくもあり、また自分が源三にへだてがましく思われているのが悲しくもありするところから、悲痛の色を眉目びもくかんうかめて、
「じゃあ吾家うち母様おっかさんの世話にもなるまいというつもりかエ。まあ怖しい心持におなりだネエ、そんなにきつくならないでもよさそうなものを。そんなおまえじゃあ甲府の方へは出すまいとわたし達がしていても、雁坂を越えて東京へも行きかねはしない、吃驚びっくりするほどの意地っ張りにおなりだから。」
と云った。すると源三はこれを聞いて愕然ぎょっとして、秘せぬ不安の色をおのずから見せた。というものは、お浪が云ったことば偶然ぐうぜんであったのだが、源三は甲府へ逃げ出そうとしてこころげなかった後、恐ろしい雁坂を越えて東京の方へ出ようと試みたことが、すでに一度で無く二度までもあったからで、それをお浪が知っていようはずは無いが、雁坂を越えて云々しかじかと云いあてられたので、突然いきなりするどい矢を胸の真正中まっただなか射込いこまれたような気がして驚いたのである。
 源三がお浪にもお浪の母にも知らせない位であるから無論誰にも知らせないで、自分一人でいだいている秘密ひみつはこうである。一体源三は父母を失ってから、叔母が片付いているえんによって今の家に厄介やっかいになったので、もちろん厄介と云っても幾許いくばくかの財産をも預けて寄食していたのだからまるで厄介になったという訳では無いので、そこで叔母にも可愛がらるればしたがって叔父にも可愛がられていたところ、不幸にしてその叔母が病気で死んでしもうて、やがて叔父がどこからか連れて来たのが今の叔母で、叔父は相変らず源三を愛しているにかかわらず、この叔父の後妻はどういうものか源三をいじめること非常なので、源三はついに甲府へげて奉公しようと、山奥の児童こどもにも似合わないかしこいことを考え出して、既にかつてえられぬ虐遇ぎゃくぐうこうむった時、夢中になって走り出したのである。ところが源三と小学からの仲好なかよし朋友ともだちであったお浪の母は、源三の亡くなった叔母と姉妹きょうだい同様の交情なかであったので、が親かったもののおいでしかも我が娘の仲好しである源三が、始終履歴りれきよごくさい女にひどい目に合わされているのを見て同情おもいやりえずにいた上、ちょうど無暗滅法むやみめっぽう浮世うきようずの中へ飛込もうという源三に出会ったので、取りあえずそのはや挙動ふるまいとどめておいて、さておおいに踏んんでもこの可憫あわれな児を危い道をませずに人にしてやりたいと思い、その娘のお浪はまたただ何と無く源三を好くのと、かつはその可哀あわれな境遇をどくと思うのとのために、これもまたいろいろに親切にしてやる。これらの事情の湊合そうごうのために、源三は自分の唯一ゆいいつの良案と信じている「甲府へ出て奉公住みする」という事をあえてしにくいので、自分が一刻も早く面白くない家を出てしまって世間へ飛び出したいというこころからは、お浪親子の親切を嬉しいとは思いながら難有迷惑ありがためいわくに思う気味もあるほどである。もちろんお浪親子がいかに一本路を見張っているにしても、そのくぐって甲府へ出ることはそれほど難しいことでは無いが、元は優しいので弱虫弱虫とほか児童等こどもたちに云われたほどの源三には、その親切なお浪親子の家の傍を通ってその二人をくことが出来ないのであった。しかし家に居たく無い、出世がしたい、奉公に出たらよかろうと思わずにはいられない自分の身の上の事情は継続けいぞくしているので、小耳にはさんだ人の談話はなしからついに雁坂を越えて東京へ出ようという心が着いた。
 東京は甲府よりは無論いところである。雁坂を越してとうげ向うの水にいてどこまでも下れば、その川は東京の中を流れている墨田川すみだがわという川になる川だから自然と東京へ行ってしまうということを聞きかじっていたので、何でも彼嶺あれさえ越せばと思って、前の月のある朝ひど折檻せっかんされたあげくに、ただ一人思い切って上りかけたのであった。けれどもそこは小児こども思慮かんがえも足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬうちに腹はって来る気はえて来る、路はもとより人跡じんせき絶えているところを大概おおよその「かん」で歩くのであるから、忍耐がまん忍耐がまんしきれなくなってこわくもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼をくぼませて死にそうになって家へ帰って、物置のすみで人知れず三時間もてその疲労つかれいやしたのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬとはらの中で悲しみかえっていたが、一度そのこころを起したので日数ひかずの立つうちにはだんだんと人の談話はなしや何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気いきおいが出て来て、家を出てから一里足らずは笛吹川の川添かわぞいを上って、それから右手の嶺通みねどおりの腰をだんだんと「なぞえ」に上りきれば、そこが甲州武州ぶしゅうの境で、それから東北ひがしきたへと走っている嶺を伝わって下って行けば、ついには一つのながれに会う、その流に沿うて行けば大滝村おおたきむら、それまでは六里余り無人の地だが、それからは盲目めくらでも行かれる楽な道だそうだ、何でもとうげさえ越してしまえば、と朝晩雁坂の山を望んでは、そのむこうに極楽でもあるように好ましげに見ていた。
 すると叔父は山※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、72-5)かせぎをするものの常で二三日帰らなかったある夜の事であった。叔母のかたをばんでいるうち、夜も大分だいぶけて来たので、源三がついうかりとして居睡いねむると、さあ恐ろしい煙管きせる打擲ちょうちゃくを受けさせられた。そこでまた思い切ってその翌朝よくあさ、今度は団飯むすびもたくさんに用意する、かねも少しばかりずつ何ぞの折々に叔父にもらったのをめておいたのをひそかに取り出す、足ごしらえも厳重にする、すっかり仕度したくをしてしまって釜川を背後うしろに、ずんずんずんずんと川上に上った。やがて一里も来たところで、さあここらから川の流れに分れて、もう今まで昼となく夜となく眼にしたり耳にしたりしていた笛吹川もこれが見納めとしなければならぬという場所にかかった。そこでとしこそかないが源三もなんとなく心淋しいような感じがするので、川のそばの岩の上にしばし休んで、※(「革+堂」、第3水準1-93-80、72-14)どうとうと流れる水のありさまを見ながら、名づけようを知らぬ一種の想念おもいに心を満たしていた。そうするといずくからともなく人声が聞えるようなので、もとより人も通わぬこんなところで人声を聞こうとも思いがけなかった源三は、一度ひとたび愕然ぎょっとして驚いたが耳を澄まして聞いていると、上の方からだんだんと近づいて来るその話声は、ふたたび思いがけ無くもたしかに叔父の声音こわねだった。そこで源三は川から二三けんはなれた大きな岩のわずかにひらけているその間に身をかくして、見咎みとがめられまいとひそんでいると、ちょうど前に我が休んだあたりのところへ腰を下してやすんだらしくて、そして話をしているのはまったく叔父で、それに応答うけこたえをしているのは平生ふだん叔父の手下になっては※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、73-8)甲助こうすけという村の者だった。川音と話声とまじるのでひどく聞きづらくはあるが、話のうちに自分の名が聞えたので、おのずと聞きはずすまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産しんだいだから、かかあが勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえやつを入れるよりは、怜悧りこう天賦たちいあの源三におらがったものは不残みんなるつもりだ。そうしたらあいつの事だから、まさかおらが亡くなったっておらのはかを草ん中にころげさせてしまいもすめえと思うのさ。前の嚊にこそ血筋ちすじは引け、おらには縁の何も無いが、おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋わらじいてくれたり足のどろを洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも無いが、まあ子も同様に思っているのさ。そこでおらあ、今はもう※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、74-3)がないでも食って行かれるだけのことは有るが、まだ仕合しあわせに足腰も達者だから、五十と声がかかっちゃあ身体からだ太義たいぎだが、こうして※(「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1-84-76、74-4)いで山林方やまかたを働いている、これもみんなすこしでも延ばしておいて、源三めにって喜ばせようと思うからさ。どれどれ今日きょうは三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾にこつく顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話たかばなしして、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立ほどたって力無げに悄然しょんぼりと岩の間から出て、流のしもの方をじっとていたが、きあえぬなみだはらった手の甲を偶然ふっと見ると、ここには昨夜ゆうべの煙管のあと隠々いんいんと青く現れていた。それが眼に入るか入らぬにきっかしらげた源三は、白い横長い雲がかかっている雁坂の山をにらんで、つかつかと山手の方へ上りかけた。しかしたちまちにして一トあしは一ト歩よりおそくなって、やがて立止まったかと見えるばかりにのろく緩くなったあげく、うっかりとして脱石ぬけいし爪端つまさき踏掛ふんがけけたので、ずるりとすべる、よろよろッと踉蹌よろける、ハッと思う間も無くクルリとまわってバタリと倒れたが、すぐには起きもあがり得ないでまずつちに手をいて上半身を起して、見ると我が村の方はちょうど我が眼の前に在った。すると源三は何を感じたかたきのごとくに涙をおとして、ついにはすすなきしてまなかったが、泣いて泣いて泣きつくしたはて竜鍾しおしおと立上って、背中に付けていたおおき団飯むすびほうり捨ててしまって、吾家わがやを指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実まめやかに働いて、叔父が我が挙動しうちを悦んでくれるのを見て自分も心から喜ぶ余りに、叔母のむごさをさえ忘れるほどであった。それで二度までも雁坂越をしようとした事はあったのであるが、今日までおくびにも出さずにいたのであった。
 ただよく愛するものは、ただよく解するものである。源三がいだいているこういう秘密を誰から聞いて知ろうようも無いのであるが、お浪は偶然にも云いてたのである。しかし源三は我が秘密はあくまでも秘密として保って、お浪との会話はなしをいいほどのところにさえぎり、余り帰宅かえりが遅くなってはまた叱られるからという口実のもとに、酒店さかやへと急いで酒を買い、なお村の尽頭はずれまで連れ立って来たお浪に別れて我が村へと飛ぶがごとくに走り帰った。

   その四

 ちょうどその日はたるの代り目で、前の樽の口のとちがった品ではあるが、同じの、同じ土地で出来た、しかもものは少しい位のものであるという酒店さかや挨拶あいさつを聞いて、もしや叱責こごと種子たねにはなるまいかと鬼胎おそれいだくこと大方ならず、かつまたしお※(「遙」の「しんにゅう」が「魚」、第4水準2-93-69、76-5)とびを買って来いという命令いいつけではあったが、それが無かったのでその代りとして勧められた塩鯖しおさばを買ったについても一ト方ならぬ鬼胎おそれを抱いた源三は、びくびくもので家の敷居しきいまたいでこの経由わけを話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※包かわづつ[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-8]みを手にするやいなやそれでもって散々さんざんに源三をった。
 何で打たれても打たれて佳いというものがあるはずは無いが、火を見ぬ塩魚の悪腥わるなまぐさい――まして山里の日増しものの塩鯖のくさりかかったような――やつたけのかわ[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-10]包みで、力任せに眼とも云わず鼻とも云わず打たれるのだからこらえられた訳のものでは無い。まず※[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-12]幾条いくすじにもける、それでもって打たれるのでかわ[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-12]の裂目のひりひりしたところがはげしくさわるから、ごくごく浅いきずではあるが松葉まつばでも散らしたように微疵かすりきずが顔へつく。そこへ塩気しおけがつく、腥気なまぐさっけがつく、魚肉にく迸裂はぜて飛んで額際ひたいぎわにへばり着いているという始末、いやはや眼も当てられない可厭いやいじめようで、叔母のする事はまるで狂気きちがいだ。もちろん源三は先妻の縁引きで、しかも主人あるじひどく気に入っていて、それがために自分がここへ養子に入れて、生活状態くらしざまの割には山林やまやなんぞの資産の多いのをゆずり受けさせようと思っている我が甥がここへ入れないのであるから、にくいにはあくまで憎いであろうが、一つはこの女の性質が残忍ざんにんなせいでもあろうか、またあるいは多くの男に接したりなんぞして自然の法則を蔑視べっしした婦人等おんなたちは、ややもすれば年老としおいて女の役の無くなるころのぞむと奇妙きみょうにも心状こころ焦躁じれたり苛酷いらひどくなったりしたがるものであるから、この女もまたそれの時に臨んでいたせいででもあろうか、いかに源三のした事が気に入らないにせよ、随分ずいぶん尋常外なみはずれた責めかたである。
 最初は仕方が無いと諦めて打たれた。二度目は情無いと思いながら打たれた。三度目四度目になれば、口惜しいと思いながら打たれた。それから先はもう死んだ気になってしまって打たれていたが、余りいつまでも打たれているうちささえることの出来ないいかり勃然ぼつぜんとして骨々ほねぼね節々ふしぶしの中から起って来たので、もうこれまでと源三は抵抗ていこうしようとしかけた時、自分の気息いきが切れたと見えて叔母は突き放ってゆるした。そこで源三は抵抗もせずに、我を忘れて退いて平伏ひれふしたが、もう死んだ気どころでは無い、ほとんど全く死んでいて、眼には涙も持たずにいた。
 その夜源三はねむりかねたが、それでも少年の罪の無さには暁天方あかつきがたになってトロリとした。さて目※まどろ[#「目へん+屯」、補助4556、78-5]む間も無く朝早く目がめると、平生いつもの通り朝食あさめしの仕度にと掛ったが、その間々ひまひまにそろりそろりと雁坂越の準備よういをはじめて、重たいほどにれた我が顔の心地しさをも苦にぜず、団飯むすびからあしごしらえの仕度まですっかりして後、叔母にも朝食をさせ、自分も十分にきっし、それからすきを見て飄然ふいと出てしまった。
 家を出て二三町歩いてから持って出た脚絆きゃはんめ、団飯むすび風呂敷包ふろしきづつみをおのが手作りの穿替はきかえの草鞋わらじと共にくびにかけて背負い、腰の周囲まわりを軽くして、一ト筋の手拭てぬぐいほおかぶり、一ト筋の手拭は左の手首にくくしつけ、内懐うちぶところにはお浪にかつてもらった木綿財布もめんざいふに、いろいろのまじぜにの一円少しを入れたのをしかと納め、両の手は全空まるあきにしておいて、さて柴刈鎌しばかりがまの小長い奴を右手に持ったり左手に持ったりしながら、だんだんと川上へ登り詰めた。
 やがてさきの日叔父のことばを聞いて引返したところへかかると、源三の歩みはまた遅くなった。しかし今度は、前の日自分が腰掛けた岩としばらく隠れたおおきな岩とをややひさしく見ていたが、そのあげくに突然と声張り上げて、ちとおかしな調子で、「我は官軍、我が敵は」とさけび出して山手へと進んだ。山鳴り谷答えて、いずくにかひそんでいる悪魔あくまでも唱い返したように、「我は官軍我敵は」という歌の声は、笛吹川の水音にもまぎれずに聞えた。
 それから源三はいよいよ分りにくい山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら「勘」を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そしてはるかに遠く武蔵一国が我が脚下あしもとに開けているのを見ながら、蓬々ほうほうと吹くそらの風が頬被ほおかぶりした手拭に当るのを味った時は、おどあがり躍り上って悦んだ。しかしまた振り返って自分等が住んでいた甲斐の国の笛吹川に添う一帯の地を望んでは、黯然あんぜんとしても心もくらくなるような気持がして、しかもそのうっすりと霞んだかすみそこから、

桑を摘め摘め、爪紅さした、花洛みやこ女郎衆じょろしゅも、桑を摘め。

と清い清い澄みとおるような声で唱い出されたのが聞えた。もとより聞えるはずが有ろう訳は無いのであるが。
(明治三十六年五月)





底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
   1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集」岩波書店
※底本の「小書き片仮名ト」(JIS X 0213、1-6-81)は、「ト」に置き換えました。但し「トロリ」(底本78ページ-4行)の「ト」を除きます。
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:kompass
校正:林 幸雄
2001年10月2日公開
2003年11月25日修正
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●表記について