鵞鳥

幸田露伴




 ガラーリ
 格子こうしく音がした。茶の間に居た細君さいくんは、だれかしらんと思ったらしく、つと立上って物のすきからちょっとうかがったが、それがいつも今頃いまごろ帰るはずの夫だったとわかると、すぐとそのままに出て、
「お帰りなさいまし。」
と、ぞんざいに挨拶あいさつしてむかえた。ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体からだにシナを付けて、語音に礼儀れいぎうるおいを持たせて、奥様おくさまらしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手ふえてで、めてえば真率しんそつなのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎わかざき先生、とか何とか云われているものの、もとは云わば職人で、その職人だった頃には一※(小書き片仮名ト、1-6-81)通りでは無い貧苦ひんくと戦ってきた幾年いくねんあいだ浮世うきよとやり合って、よく搦手からめてを守りおおさせたいわゆるオカミサンであったのであるし、それに元来が古風実体こふうじっていたちで、身なりかみかたちも余り気にせぬので、まだそれほどの年では無いが、もはや中婆ちゅうばァさんに見えかかっている位である。
「ア、帰ったよ。」
と夫が優しく答えたことなどは、いつの日にも無いことではあったが、それでも夫は神経がさとくて、受けこたえにまめで、誰にむかっても自然と愛想好あいそよく、日々家へ帰って来る時立迎えると、こちらでもあちらを見る、あちらでもこちらを見る、イヤ、何もたがいにワザと見るというのでも無いが、自然と相見るその時に、夫のの中にやわらかな心、「お前も平安、おれも平安、お互に仕合しあわせだナア」と、それほど立入った細かい筋路すじみちがある訳では無いが、何となく和楽わらくの満足を示すようなものが見える。その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内かないであり、半身であると無意識的に感じると同時に、が身が夫の身のまわりにいてまわって夫をあつかい、衣類を着換きかえさせてやったり、を定めさせてやったり、何にかかにか自分の心を夫にわせて働くようになる。それがこの数年の定跡じょうせきであった。
 ところが今日きょうはどういうものであろう。その一※(小書き片仮名ト、1-6-81)眼が自分には全くあたえられなかった。夫はまるで自分というものの居ることを忘れはてているよう、夫は夫、わたしはわたしで、別々の世界に居るもののように見えた。物は失われてから真のあたいがわかる。今になって毎日毎日の何でも無かったその一※(小書き片仮名ト、1-6-81)眼がたっといものであったことがさとられた。と、いうように何も明白に順序立てて自然に感じられるわけでは無いが、何かしら物苦しいさびしい不安なものが自分にせまって来るのを妻は感じた。それは、いつもの通りに、古代の人のような帽子ぼうし――というよりはかんむりぎ、天神様てんじんさまのような服を着換えさせる間にも、いかにも不機嫌ふきげんのように、真面目まじめではあるが、いさみの無い、しずんだ、沈んで行きつつあるような夫の様子ようすで、妻はそう感じたのであった。
 永年ながねん連添つれそう間には、何家どこでも夫婦ふうふの間に晴天和風ばかりは無い。夫が妻に対して随分ずいぶん強い不満をいだくことも有り、妻が夫に対して口惜くやしいいやおもいをすることもある。その最もはなはだしい時に、自分は悪いくせで、女だてらに、少しガサツなところの有る性分しょうぶんか知らぬが、ツイあらい物言いもするが、夫はいよいよおこるとなると、勘高かんだかい声で人の胸にささるような口をきくのもめてしまって、だまって何も言わなくなり、こちらに対って眼はいていても物を見ないかのようになる。それが今日きょうの今のような調子合ちょうしあいだ。みょうなところに夫はすわんだ。細工場さいくば、それは土間になっているところと、居間とが続いている、その居間のはし、一段低くなっている細工場を、横にしてそっちを見ながら坐ったのである。仕方がない、そこへ茶をもって行った。熱いもぬるいも知らぬような風に飲んだ。顔色かおいろえない、気が何かにねばっている。自分に対して甚しく憎悪ぞうおでもしているかとちょっと感じたが、自分には何も心当りも無い。で、
「どうかなさいましたか。」
く。返辞が無い。
気色きしょくが悪いのじゃなくて。」
とまた訊くと、うるさいと云わぬばかりに、
「何とも無い。」
 が無いという返辞の仕方だ。何とも無いと云われても、どうも何か有るにちがい無い。うちの人の身分がくなり、交際こうさいが上って来るにつけ、わたしが足らぬ、つり合い足らぬと他の人達に思われ云われはせぬかという女気おんなぎの案じがなくも無いので、自分の事かしらんとまたちょっとうたぐったが、どうもそうでも無いらしい。
 まって晩酌ばんしゃくを取るというのでもなく、もとより謹直きんちょく倹約けんやくの主人であり、自分も夫に酒を飲まれるようなことはきらいなのではあるが、それでも少し飲むとにぎやかに機嫌好くなって、罪も無く興じる主人である。そこで、
「晩には何か取りまして、ひさしぶりで一本あげましょうか。」
と云った。近来おおいに進歩して、細君はこの提議ていぎをしたのである。ところが、
「なぜサ。」
と善良な夫は反問の言外に明らかにそんなことはせずとよいと否定ひていしてしまった。是非ぜひも無い、簡素かんそ晩食ばんしょく平常いつもの通りにまされたが、主人の様子は平常いつもの通りでは無かった。げきしているのでも無く、おそれているのでも無いらしい。が、何かと談話だんわをしてその糸口いとぐちを引出そうとしても、夫はうるさがるばかりであった。サア、まことの糟糠そうこうの妻たる夫思いの細君はついにこらえかねて、真正面から、
「あなたは今日はどうかなさったの。」
せまって訊いた。
「どうもしない。」
「だって。……わたしの事?」
「ナーニ。」
「それならお勤先の事?」
「ウウ、マアそうサ。」
「マアそうサなんて、変なおっしゃようネ。どういうこと?」
「…………」
「辞職?」
と聞いたのは、吾が夫と中村という人とは他の教官達とは全くちがっていて、肌合はだあいの職人風のところが引装ひきつくろわしてもどこかで出る、それは学校なんぞというものとはうつりの悪いことである。それを仲の好い二人ふたりが笑って話合っていた折々のあるのを知っていたからである。
「ナーニ。」
免職めんしょく? さとし免職ってことが有るってネ。もしか免職なんていうんなら、わたしゃきやしない。あなたなんか、ヤイヤイ云われてもらわれたレッキとした堅気かたぎのおじょうさんみたようなもので、それを免職と云えば無理離縁りえんのようなものですからネ。」
「誰も免職とも何とも云ってはいないよ。お先ッ走り! うるさいネ。」
「そんならどうしたの? 誰か高慢こうまんチキな意地悪と喧嘩けんかでもしたの。」
「イイヤ。」
「そんなら……」
「うるさいね。」
「だって……」
「うるさいッ。」
「オヤ、けんどんですネ、人が一生懸命いっしょうけんめいになっていてるのに。何でそんなに沈んでいるのです?」
「別に沈んじゃいない。」
「イイエ、沈んでいます。かわいそうに。何でそんなに。」
「かわいそうに、は好かったネ、ハハハハ。」
「人をはぐらかすものじゃありませんよ。ホン気になっているものを。サ、なんで、そんなに……。なんでですよ。」
「ひとりでにカなア。」
「マア! 何もかくさなくったッていいじゃありませんか。どういう※(小書き片仮名リ、1-6-91)わけなんですか聴かせて下さい。実はコレコレとネ。女だって、わたしあ、あなたの忠臣ちゅうしんじゃありませんか。」
 忠臣という言葉は少し奇異きいに用いられたが、この人にしてはごもっともであった。実際この主人の忠臣であるに疑いない。しかし主人の耳にも浄瑠璃じょうるりなんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、
「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべの知る事ならずサ。」
 浄瑠璃の行われる西の人だったから、主人は偶然ぐうぜんに用いた語り物の言葉を用いたのだが、同じく西の人で、これを知っていたところの真率で善良で忠誠な細君はカッとなっていかった。が、じきにまた悲痛な顔になってこらなみだをうるませた。自分の軽視されたということよりも、夫の胸のうちに在るものが真に女わらべの知るには余るものであろうと感じて、なおさら心配にえなくなったのである。
 格子戸は一つ格子戸である。しかし明ける音は人々で異る。夫の明けた音は細君の耳には必ず夫の明けた音と聞えて、百に一つも間違まちがうことは無い。それが今日は、夫の明けた音とは聞えず、ハテ誰が来たかというように聞えた。今その格子戸を明けるにつけて、細君はまた今更に物を思いながら外へ出た。まだれたばかりの初夏しょか谷中やなかの風は上野つづきだけにすずしく心よかった。ごく懇意こんいでありまたごく近くである同じ谷中の夫の同僚どうりょうの中村の家をい、その細君に立話しをして、中村に吾家うちへ遊びに来てもらうことをうたのである。中村の細君は、何、あなた、ご心配になるようなことではございますまい、何でもかえってお喜びになるような事がお有りのはずに、チラと承りました、しかしたくは必ずうかがわせますよういたしましょう、と請合うけあってくれた。同じ立場に在る者は同じような感情をいだいて互によく理解し合うものであるから、中村の細君が一も二も無く若崎の細君の云う通りになってくれたのでもあろうが、一つには平常いつも同じような身分の出というところからごくごく両家が心安くし合い、また一つには若崎が多くは常に中村の原型によってこれをることをする芸術上の兄弟分きょうだいぶんのような関係から、自然とはながたき仲になっていた故もあったろう。若崎の細君さいくんはいそいそとして帰った。

     ○

 顔も大きいが身体からだも大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚あごひげ上髭うわひげ頬髯ほおひげ無遠慮ぶえんりょやしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚おうようにまださほどは居ぬ吾家うちからげた大きな団扇うちわゆるはらいながら、せまらぬ気味合きみあいで眼のまわりにしわたたえつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄分である。そしてまたこのの主人に対して先輩せんぱいたる情愛と貫禄かんろくとをもって臨んでいる綽々しゃくしゃくとして余裕よゆうある態度は、いかにもここの細君をしてその来訪をもとめさせただけのことは有る。これに対座している主人は痩形やせがた小づくりというほどでも無いが対手あいてが対手だけに、まだはばが足らぬように見える。しかしよしや大智深智だいちしんちでないまでも、相応にするど智慧ちえ才覚が、おそろしい負けぬ気を後盾うしろだてにしてまめに働き、どこかにコッツリとした、人には決して圧潰おしつぶされぬもののあることを思わせる。
 客は無雑作むぞうさに、
「奥さん。トいう訳だけで、ほかに何があったのでも無いのですから、まわりの苦労はなさらないでいいのですヨ。おめでたいことじゃありませんかネ、ハハハ。」
ほがらかに笑った。ここの細君は今はもう暗雲を一掃いっそうされてしまって、そこは女だ、ただもう喜びと安心とを心配の代りに得て、大風たいふういた後の心持で、主客の間の茶盆ちゃぼんの位置をちょっと直しながら、軽くかしらを下げて、
「イエもう、わざの上の工夫くふうげていたと解りますれば何のこともございません。ホントにこの人は今までに随分こんなこともございましたッけ。」
と云った。客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸りんこう下さる、その折に主人が御前ごぜんで製作をしてごらんに入れるよう、そしてその製品をただちに、学校から献納けんのうし、お持帰りいただくということだったのが、解ったのであった。それで主人の真面目顔をしていたのは、その事に深く心を入れていたためで、別にほかに何があったのでもない、と自然に分明ぶんみょうしたから、細君はうれいてんじて喜とし得た訳だったが、それも中村さんが、チョクに遊びに来られたおかげで分ったと、上機嫌になったのであった。
 女は上機嫌になると、とかくに下らない不必要なことを饒舌しゃべり出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この細君は夫のきびしい教育を受けてか、その性分からか、さいわいにそういうことは無い人であった。純粋じゅんすい感謝かんしゃの念のこもったおじぎを一つボクリとして引退ひきさがってしまった。主人はもっと早く引退ってもよかったと思っていたらしく、客もまたあるいはそうなのか、細君が去ってしまうとかえって二人は解放されたような様子になった。
「君のところへびに行きはしなかったかネ。もしそうだったら勘弁かんべんしてくれたまえ。」
「ム。ハハハ。ナニ、ちょうど、話しに来ようと思っていたのサ。」
 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗ちゃわんの番茶をいかにもゆっくりと飲乾のみほす、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、
「君は今日最初辞退をしたネ。」
と軽く話し出した。
「エエ。」
と主人は答えた。
「なぜネ。」
「なぜッて。イヤだったからです。」
「御前へ出るのにイヤってことはあるまい。」
 ホンの会話的の軽い非難だったが、答えは急遽せわしかった。
「御前へ出るのにイヤの何のと、そんな勿体もったいないことは夢にも思いません。だから校長に負けてしまいました。」
「ハハア、校長のいいつけがイヤだったのだネ。」
「そうです。だがもう私がすぐに負けてしまったのだから論はありません。」
「負けた負けたというのが変に聞えるよ。分らないネ。校長が別に無理なことを云ったとも私には思えないが。私も校長のいいつけで御前製作をして、面目めんぼくをほどこしたことのあるのは君も知っててくれるだろうに。」
と、少しおもてをあげて鬚をしごいた。少し兄分っているようにも見えた。しかし若崎の何か勘ちがいをしたかんがえっているらしいもうひらいてやろうというような心切しんせつから出た言葉に添った態度だったので、いかにも教師くさくは見えたが、威張いばっているとは見えなかった。
 若崎は話しの流れ方のいきおいで何だか自分が自分を弁護べんごしなければならぬようになったのを感じたが、貧乏神びんぼうがみ執念しゅうね取憑とりつかれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮世の苦酸くさんめた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止ふみとどまることを知っているので、反撃的はんげきてきの言葉などを出すに至るべき無益ととの一歩手前で自ら省みた。
「ヤ、あのにわとりは実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲てっぽうも有りはしなかったのですがネ。」
謙遜けんそん布袋ぬのぶくろの中へ何もかもほうり込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあればいというのなら、これでよかったのだ。しかし若崎のこの答は、どうしても、何か有るのをあらわすまいとしているのであると感じられずにはいない。
「きっと出来るよ。君のうでだからナ。」
と軽い言葉だ。善意の奨励しょうれいだ。赤剥あかむきに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底てっていしてオダテとモッコには乗りたくないと平常いつも思っている。客のこの言葉を聞くとブルッとするほどいやだった。ウソにいじりまわされている芸術ほどケチなものは無いと思っているからである。で、思わず知らず鼻のさきで笑うような調子に、
「腕なんぞで、君、何が出来るかネ。僕等ぼくらよりズットえらい人だって、腕なんかがアテになるものじゃあるまい。」
と云った。何かが破裂はれつしたのだ。客はギクリとしたようだったが、さすがは老骨ろうこつだ。禅宗ぜんしゅう味噌みそすり坊主ぼうずのいわゆる脊梁骨せきりょうこつ提起ていきした姿勢しせいになって、
「そんな無茶なことを云い出しては人迷ひとまよわせだヨ。腕で無くって何で芸術が出来る。まして君なぞすでにいい腕になっているのだもの、いよいよ腕をみがくべしだネ。」
 戦闘せんとうが開始されたようなものだ。
「イヤ腕を磨くべきはもとよりだが、腕で芸術が出来るものではない。芸術は出来るもので、こしらえるものでは無さそうだ。君の方ではこしらえとおせるかも知れないが、僕の方や窯業ようぎょうの方の、火の芸術にたずさわるものは、おのずと、芸術は出来るものであると信じがちだ。火のはたらきは神秘しんぴ霊奇れいきだ。その火のはたらきをくぐって僕等の芸術は出来る。それを何ということだ。鋳金ちゅうきんの工作過程かていを実地にご覧に入れ、そして最後には出来上ったものを美術として美術学校から献上けんじょうするという。そううまく行くべきものだか、どうだか。むかしも今も席画というがある、席画に美術を求めることの無理でなのは今は誰しもみとめている。席上鋳金に美術を求める、そんな分らない校長ではないと思っていたが、校長には校長の考えもあろうし、鋳金はたとい蝋型ろうがたにせよ純粋美術とは云い難いが、また校長には把掖はえき誘導ゆうどう啓発けいはつ抜擢ばってき、あらゆるおんを受けているので、実はイヤだナアと思ったけれどもげて従った。この心持がせめて君には分ってもらいたいのだが……」
と、中頃は余り言いすごしたと思ったので、末にはその意をにごしてしまった。言ったとて今更どうなることでも無いので、図に乗って少し饒舌しゃべり過ぎたと思ったのは疑いも無い。
 中村は少しへこまされたかども有るが、この人は、「肉の多きややいばその骨におよばず」という身体からだつきのとくを持っている、これもなかなかのこうを経ているものなので、若崎の言葉の中心にはかまわずに、やはり先輩ぶりの態度をくずさず、
「それでうちへ帰って不機嫌だったというのなら、君はまだ若過ぎるよ。議論みたようなことは、あれは新聞屋や雑誌屋ざっしやの手合にまかせておくサ。僕等は直接に芸術の中に居るのだから、へい落書らくがきなどに身を入れて見ることは無いよ。なるほど火の芸術と君は云うが、最後のるという一段だけが君の方は多いネ。ご覧に入れるには割が悪い。」
と打解けて同情し、場合によったら助言でも助勢でもしてやろうという様子だ。
「イヤ割が悪いどころでは無い、熔金を入れるその時に勝負が着くのだからネ。機嫌がひどく悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家うちが見えるようになってフト気中きあたりがして、何だか今度の御前製作は見事に失敗するように思われ出して、それで一倍鬱屈うっくつしたので。」
「気アタリというやつは厭なものだネ。わたしも若い時分には時々そういうおぼえがあったが。ナーニ必ず中るとばかりでも無いものだよ。今度の仏像ぶつぞう御首みぐしをしくじるなんと予感しておおきにショゲていても、何のあやまちも無く仕上って、かえってめられたことなんぞもありました。そう気にすることも無いものサ。」
と云いかけて、ちょっと考え、
「いったい、何を作ろうと思いなすったのか、まだ未定なのですか。」
と改まったようにたずねた。
「それが奇妙きみょうで、学校の門を出るとすぐに題が心に浮んで、わずかの道の中ですっかり姿すがたまとまりました。」
「何を……どんなものを。」
鵞鳥がちようを。二の鵞鳥を。薄いひらめな土坡どばの上に、おすの方は高く首をげてい、めすはその雄に向って寄って行こうとするところです。無論小さく、写生風しゃせいふうに、鋳膚いはだで十二分に味を見せて、そして、思いきりばしたくびを、伸ばしきった姿の見ゆるように随分ずいぶん細く」
と話すのを、こっちも芸術家だ、眼をふさいで瞑想めいそうしながら聴いていると、ありありとその姿が前に在るように見えた。そしてまだ話をきかぬ雌までも浮いて見えたので、
「雌の方の頸はちょいと一※(小書き片仮名ト、1-6-81)うねりしてネ、そして後足のつめかかととに一※(小書き片仮名ト、1-6-81)工夫がある。」
というと、不思議にも言いてられたので、
「ハハハ、その通りその通り。」
と主人はさわやかに笑った。が、その笑声の終らぬうちに、客はフト気中りがして、鵞鳥が鋳損いそんじられた場合を思った。デ、好い図ですネ、と既に言おうとしたのをんでしまった。
 主人は、
「気中りがしてもしなくても構いませんが、ただ心配なのは御前ですからな。せっかくご天覧いただいているところで失敗してはたまりませんよ。と云って火のわざですから、失敗せぬよう理詰りづめにはしますが、その時になって土を割ってみない中は何とも分りません。何だか御前で失敗するような気がすると、居ても立っても居られません。」
 中村は今げんに自分にも変な気がしたのであったから、主人に同情せずにはいられなくなった。なるほど火の芸術は! 一切いっさい芸術の極致きょくちは皆そうであろうが、明らかに火の芸術は腕ばかりではどうにもならぬ。そこへ天覧という大きなことがかぶさって来ては! そこへまた予感というあやしいことが湧上わきあがっては! 鳴呼ああ、若崎が苦しむのも無理は無い。と思った。が、この男はまだ芸術家になりきらぬ中、香具師やし一流ののぞみまかせて、安直に素張すばらしい大仏を造ったことがある。それも製作技術の智慧からではあるが、丸太まるたを組み、割竹わりだけを編み、紙をり、色をけて、インチキ大仏のその眼のあなから安房あわ上総かずさまで見ゆるほどなのを江戸えどに作ったことがある。そういうたちの智慧のある人であるから、今ここにおいて行詰まるような意気地無いくじなしではなかった。先輩として助言した。
「君、なるほど火の芸術は厄介やっかいだ。しかしここに道はある。どうです、鵞鳥だからむずかしいので。蟾蜍ひきがえると改題してはどんなものでしょう。むかしから蟾蜍の鋳物は古い水滴すいてきなどにもある。みにくいものだが、雅はあるものだ。あれなら熔金れるおそれなどは少しも無くて済む。」
 好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱ぶじょくされたように感じでもしたか、
「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥でくるしみましょうヨ。」
と、悲しげにまた何だかうらみっぽく答えた。
「そんなに鵞鳥にくこともありますまい。」
「イヤ、君だってそうでしょうが、題は自然に出て来るもので、それとまったら、もうわたしにはてきれませぬ。げ道のために蝦蟇がまの術をつかうなんていう、忍術にんじゅつのようなことは私には出来ません。進み進んで、出来る、出来ない、成就じょうじゅ不成就の紙一重ひとえあやうさかいに臨んでふるうのが芸術では無いでしょうか。」
「そりゃそういえば確にそうだが、忍術だって入※(小書き片仮名リ、1-6-91)[#「入※(小書き片仮名リ、1-6-91)用」は底本では「入※(小書き片仮名ト、1-6-81)用」」]のものだから世に伊賀流いがりゅう甲賀流こうがりゅうもある。世間には忍術使いの美術家もなかなか多いよ。ハハハ。」
「御前製作ということでさえ無ければ、少しも屈托くったくは有りませんがナア。同じ火の芸術の人で陶工とうこう愚斎ぐさいは、自分の作品をかまから取出す、火のための出来損じがもとより出来る、それは一々取ってはげ、取っては抛げ、大地へたたきつけて微塵みじんにしたと聞いています。いい心持の話じゃありませんか。」
「ムム、それで六兵衛ろくべえ一家いっかもといを成したというが、あるいはマアお話じゃ無いかネ。」
「ところが御前でたたこわすようなものを作ってはなりませぬ、是非とも気のむようなものを作ってご覧をいただかねばなりませぬ。それが果して成るか成らぬか。そこに脊骨せぼねしぼられるようななやみが……」
「ト云うと天覧をあおぐということが無理なことになるが、今更野暮やぼを云っても何の役にも立たぬ。悩むがよいサ。苦むがよいサ。」
断崖だんがいから取って投げたように言って、中村は豪然ごうぜんとして威張った。
 若崎は勃然むっとして、
「知れたことサ。」
と見かえした。身体中に神経がピンときびしく張ったでもあるように思われて、円味まるみのあるキンキン声はその音ででも有るかと聞えた。しかしまたたちまちグッタリ沈んだていかえって、
「火はナア、……火はナア……」
ひとった。スルト中村は背を円くしかしらを低くして近々と若崎に向い、声も優しく細くして、
「火の芸術、火の芸術と君は云うがネ。何の芸術にだって厄介なところはきっと有る。僕の木彫もくちょうだって難関は有る。せっかくだんだんと彫上ほりあげて行って、も少しで仕上しあげになるという時、木の事だから木理もくめがある、その木理のところへ小刀こがたなの力が加わる。木理によって、うすいところはホロリと欠けぬとは定まらぬ。たとえば矮鶏ちゃぼ尾羽おははしが三五分欠けたら何となる、鶏冠とさかみねの二番目三番目が一分二分欠けたら何となる。もうつくろいようもどうしようも無い、全く出来損じになる。材料も吟味ぎんみし、木理も考え、小刀も利味ききあじくし、力加減も気をつけ、何から何まで十二分に注意し、そしてわざの限りをつくして作をしても、木のというものは一々にちがう、どんなところで思いのほかにホロリと欠けぬものでは無い。君の熔金の廻りがどんなところで足る足らぬが出来るのも同じことである。万一なところから木理がハネて、釣合つりあいを失えば、全体が失敗になる。御前でそういうことがあれば、何とも仕様は無いのだ。自分の不面目はもとより、貴人のご不興も恐多いことでは無いか。」
 ここまで説かれて、若崎は言葉も出せなくなった。何の道にもくるしみはある。なるほど木理は意外のわざをする。それで古来木理の無いような、ねばりの多い材、白檀びゃくだん赤檀しゃくだんの類を用いて彫刻ちょうこくするが、また特に杉檜すぎひのきの類、とうの進みの早いものを用いることもする。御前彫刻などには大抵たいてい刀の進みやすいものを用いて短時間に功をげることとする。なるほど、火、火とのみ云って、火の芸術のみを難儀なんぎのもののように思っていたのは浅はかであったと悟った。
「なるほど。何の道にも苦しい瀬戸せとはある。有難い。お蔭で世界を広くしました。」
と心からしみじみ礼を云ってかしらたたみへすりつけた。中村もよろこばしげに謝意を受けた。
「ところで若崎さん、御前細工というものは、こういう難儀なものなのに相違無いが、木彫その他の道において、御前細工に不首尾のあったことはかつて無い。徳川とくがわ時代、諸大名しょだいみょうの御前で細工事さいくごとご覧に入れた際、一度でも何のなにがしがあやまちをしてご不興をこうむったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」
 これには若崎はまたおどろかされた。
「一度もあやまちは無かった!」
「さればサ。功名こうみょう手柄てがらをあらわして賞美を得た話は折々あるが、失敗した談はかつて無い。」
 自分は今天覧の場合の失敗を恐れて骨をけずはらわたしぼる思をしているのである。それに何と昔からさような場合に一度のあやまちも無かったとは。
「ムーッ。」
と若崎は深い深い考に落ちた。心は光りの飛ぶごとくにあらゆる道理の中を駈巡かけめぐったが、何をとらえることも出来無かった。ただわずかに人の真心――まことというものの一切に超越ちょうえつして霊力れいりょくあるものということを思い得て、
「一心の誠というものは、それほどまでに強いものでしょうかナア。」
と真顔になって尋ねた。中村はニヤリと笑った。
「誠はもとよりたっとい。しかし準備もまた尊いよ。」
 若崎には解釈出来なかった。
りゅうなら竜、とらなら虎の木彫をする。殿様とのさま御前ごぜんに出て、のこぎり手斧ちょうなのみ、小刀を使ってだんだんとその形をきざいだす。次第に形がおよそ分明になって来る。その間には失敗は無い。たとい有ったにしても、何とでも作意を用いて、失敗のあとを無くすことが出来る。時刻が相応に移る。いかに物好な殿にせよ長くご覧になっておらるる間には退屈たいくつする。そこでうろこなら鱗、毛なら毛を彫って、同じような刀法を繰返くりかえす頃になって、殿にご休息をなさるよう申す。殿は一度お入りになってお茶など召させらるる。準備が尊いのはここで。かねて十分に作りおいたる竜なら竜、虎なら虎をそこに置き、前の彫りかけをかくしおく。殿ふたたびお出ましの時には、小刀を取って、危気あぶなげ無きところをずるように削り、小々しょうしょう刀屑かたなくずを出し、やがて成就のよしを申し、近々ご覧に入るるのだ。何の思わぬあやまちなどが出来よう。ハハハ。すりかえの謀計ぼうけいである。君の鋳物などは最後は水桶みずおけの中で型のどろを割って像を出すのである。準備さえ水桶の中に致しておけば、容易に至難しなんの作品でも現わすことが出来る。もとより同人の同作、いつわり、贋物がんぶつを現わすということでは無い。」
と低い声で細々こまごまと教えてくれた。若崎は唖然あぜんとして驚いた。徳川期にはなるほどすべてこういう調子の事が行われたのだなとさとって、今更ながら世の清濁せいだくの上に思をせて感悟かんごした。
「有難うございました。」
ふるえた細い声で感謝した。
 その夜若崎は、「もう失敗してもいない。おれは昔の怜悧者りこうものではない。おれは明治めいじの人間だ。明治の天子様は、たとえ若崎が今度失敗しても、畢竟ひっきょうみとめて下さることを疑わない」と、安心あんしん立命りつめいの一境地に立って心中に叫んだ。

     ○

 天皇てんのうは学校に臨幸りんこうあらせられた。予定のごとく若崎の芸術をご覧あった。最後に至って若崎の鵞鳥は桶の水の中から現われた。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金のまわりが悪くてれていた。若崎は拝伏はいふくして泣いた。供奉ぐぶ諸官、及び学校諸員はもとより若崎のあの夜の心のさけびを知ろうようは無かった。
 しかし、天恩洪大こうだいで、かえって芸術の奥には幽眇ゆうびょう不測なものがあることをご諒知りょうち下された。正直な若崎はその後しばしば大なるご用命を蒙り、その道における名誉めいよするを得た。
(昭和十四年十二月)





底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
   1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四卷」岩波書店
   1953(昭和28)年3月10日発行
初出:「日本評論」
   1929(昭和14)年12月号
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2002年12月5日作成
2022年5月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード