「アア
詰らねえ、こう何もかもぐりはまになった日にゃあ、おれほどのものでもどうもならねえッ。いめえましい、酒でも
喫ってやれか。オイ、おとま、一
升ばかり取って来な。コウ
、もう
煮奴も悪くねえ時候だ、
刷毛ついでに
豆腐でもたんと買え、
田圃の朝というつもりで
堪忍をしておいてやらあ。ナンデエ、そんな
面あすることはねえ、
女ッ
振が下がらあな。
「おふざけでないよ、
寝ているかとおもえば
眼が
覚めていて、出しぬけに
床ん中からお酒を買えたあ何の
事たえ。そして何時だと思っておいでだ、もう九時だよ、日があたってるのに寝ているものがあるもんかね。チョッ不景気な、病人くさいよ、眼がさめたら飛び起きるがいいわさ。ヨウ、起きておしまいてえば。
「
厭あだあ、
母ちゃん、お
眼覚が無いじゃあ
坊は厭あだあ。アハハハハ。
「ツ、いい虫だっちゃあない、
呆れっちまうよ。さあさあお
起ッたらお起きナ、起きないと転がし出すよ。
と夜具を
奪りにかかる
女房は、
身幹の少し高過ぎると、眼の
廻りの
薄黒く顔の色一体に
冴えぬとは難なれど、
面長にて
眼鼻立あしからず、
粧り立てなば
粋に見ゆべき三十前のまんざらでなき女なり。
今まで
機嫌よかりし
亭主は
忽然として腹立声に、
「よせエ、この
阿魔あ、おれが勝手だい。
と
云いながら
裾の
方に立寄れる女を
蹴つけんと、
掻巻ながらに足をばたばたさす。女房は
驚きてソッとそのまま
立離れながら、
「オヤおっかない
狂人だ。
と別に腹も立てず、少し物を考う。
「あたりめえよ、狂人にでもならなくって詰るもんか。アハハハハ、
銭が無い時あ狂人が
洒落てらあナ。
「お
銭が有ったらエ。
「フン、
有情漢よ、オイ悪かあ無かったろう。
「いやだネ知らないよ。
「コン
畜生め、
惚れやがった
癖に、フフフフフ。
「お前少しどうかおしかえ、変だよ。
「何が。
「調子が。
「飛んだお
師匠様だ、笑わせやがる。ハハハハ、まあ、いいから買って来な、一人飲みあしめえし。
「だって、無いものを。
「何だと。
「貸はしないし、ちっとも無いんだものを。
「
智慧がか。
「いいえさ。
「べらぼうめえ、
無えものは無えやナ、おれの
脱穀を持って行きゃ五六十銭は
遣すだろう。
「ホホホホ、いい気ぜんだよ、それでいつまでも
潜っているのかい。
「ハハハハ、お手の筋だ。
「だって、
後はどうするエ。
一張羅を無くしては仕様がないじゃあないか、エ、後ですぐ困るじゃ無いか。
「案じなさんな、銭があらあ。
「
妙だねえ、無いから帯や
衣類を飲もうというのに、その後になって何が有るエ。
「しみッたれるなイ、
裸百貫男
一匹だ。
「ホホホホホ、大きな声をお出しでない、
隣家の
児が起きると
内儀の内職の
邪魔になるわネ。そんならいいよ買って来るから。
と女房は台所へ出て、まだ新しい
味噌漉を手にし、外へ出でんとす。
「オイオイ
此品でも持って行かねえでどうするつもりだ。
と呼びかけて亭主のいうに、ちょっと
振りかえって
嬉しそうに
莞爾笑い、
「いいよ、
黙って待っておいで。
たちまち
姿は見えずなって、四五
軒先の
鍛冶屋が
鎚の音ばかりトンケンコン、トンケンコンと残る。亭主はちょっと考えしが、
「ハテナ、近所の
奴に貸た銭でもあるかしらん。
知人も無さそうだし、貸す風でもねえが。
と
独語つところへ、うッそりと来かかる四十ばかりの男、
薄汚い
衣服、
髪垢だらけの頭したるが、裏口から
覗きこみながら、
異に
潰れた声で
呼ぶ。
「大将、
風邪でも引かしッたか。
両手で
頬杖しながら
匍匐臥にまだ
臥たる
主人、
懶惰にも眼ばかり動かして
一眼見しが、
身体はなお
毫も動かさず、
「
日瓢さんか、ナニ風邪じゃあねえ、フテ寝というのよ。まあ上るがいい。
とは云いたれど上りてもらいたくも無さそうな顔なり。
「ハハハ、運を寝て待つつもりかネ、上ってもご
馳走は無さそうだ。
「
違えねえ、
煙草の火ぐらいなもんだ。
「ハハハ、これではお
互に浮ばれない。時に
明日の晩からは
柳原の例のところに○
州屋の
乾分の、ええと、
誰とやらの手で始まるそうだ、菓子屋の
源に
昨日そう聞いたが
一緒に行きなさらぬか。
「
往かれたら往こうわ、ムムそれを云いに来たのか。
「そうさ、お互に少し
中り
屋さんにならねばならん。
「誰だってそうおもわねえものは
無えんだ、
御祖師様でも頼みなせえ。
「からかいなさるな、
罰が当っているほうだ。
「ハハハ、からかいなさんなと云ってもらいてえ、どうも
言語の
叮嚀な
中がいい。
「ガリスの
果と知れるかノ。
「オヤ、
気障な
言語を知ってるな、大笑いだ。しかし、知れるかノというノの字で
打壊しだあナ、チョタのガリスのおん
果とは誰が眼にも見えなくってどうするものか。
「チョタとは何だ、
田舎漢のことかネ。
「ムム。
「
忌々しい、そう思わるるが
厭だによって、大分気をつけているが
地金はとかく出たがるものだナ。
「ハハハ、厭だによってか、ソレそれがもういけねえ、ハハハ詰らねえ
色気を出したもんだ。
「イヤ
居れば居るだけ笑われる、
明日来てみよう、行かれたら一緒に行きなさい。
と立帰り行くを見送って、
「おえねえ
頓痴奇だ、
坊主ッ
返りの
田舎漢の癖に
相場も
天賽も気が
強え、あれでもやっぱり取られるつもりじゃあねえ
中が
可笑い。ハハハ、いい
業ざらしだ。
と
一人笑うところへ、女房おとまぶらりッと帰り来る。見れば酒も持たず豆腐も持たず。
「オイどうしたんだ。
「どうもしないよ。
やはり寝ながらじろりッと見て、
「気のぬけたラムネのように
異うすますナ、出て行った用はどうしたんだ。
「アイ忘れたよ。
「ふざけやがるなこの
婆。
「
邪見な口のききようだねえ、阿魔だのコン畜生だの婆だのと、れっきとした
内室をつかめえてお
慮外だよ、
兀ちょろ
爺の
蹙足爺め。
と少し
甘えて言う。男は年も三十一二、
頭髪は
漆のごとく
真黒にて、いやらしく手を入れ油をつけなどしたるにはあらで、短めに
苅りたるままなるが人に
優れて見
好きなり。されば兀ちょろ爺と
罵りたるはわざとになるべく、
蹙足爺とはいつまでも起き出でぬ故なるべし。男は罵られても
激しくは
怒らず、かえって茶にした風にて、
「やかましいやい、ほんとに酒はどうしたんでエ。
「こうしてから飲むがいいサ。
と
突然に夜具を
引剥ぐ。
夫婦の間とはいえ男はさすが
狼狙えて、女房の笑うに我からも
噴飯ながら
衣類を着る時、酒屋の
丁稚、
「ヘイお
内室ここへ置きます、お豆腐は流しへ置きますよ。
と
徳利と味噌漉を置いて行くは、
此家の
内儀にいいつけられたるなるべし。
「さあ、お前はお
湯へいっておいでよ、その間にチャンとしておくから。
手拭と二銭銅貨を男に渡す。片手には今手拭を取った
次手に取った
帚をもう持っている。
「ありがてえ、
昔時からテキパキした
奴だったッケ、イヨ
嚊大明神。
と小声で
囃して
後でチョイと舌を出す。
「シトヲ、
馬鹿にするにも
程があるよ。
大明神
眉を
皺めてちょいと
睨んで、思い切って
強く帚で足を
薙ぎたまう。
「こんべらぼうめ。
男は笑って
呵りながら出で行く。
浴後の顔色
冴々しく、どこに貧乏の苦があるかという
容態にて男は帰り来る。一体
苦み
走りて
眼尻にたるみ無く、一の字口の少し
大なるもきっと
締りたるにかえって男らしく、娘にはいかがなれど
浮世の
鹹味を
嘗めて来た女には
好かるべきところある
肌合なリ。あたりを片付け
鉄瓶に湯も
沸らせ、
火鉢も拭いてしまいたる女房おとま、
片膝立てながら
疎い歯の
黄楊の
櫛で
邪見に
頸足のそそけを
掻き
憮でている。
両袖まくれてさすがに
肉付の悪からぬ二の
腕まで見ゆ。髪はこの
手合にお
定まりのようなお手製の櫛巻なれど、身だしなみを捨てぬに、
小官吏の
細君などが四銭の
丸髷を
二十日も
保たせたるよりは
遥に見よげなるも、どこかに一時は
磨き
立たる光の残れるが
助をなせるなるべし。亭主の帰り来りしを見て急に立上り、
「さあ、ここへおいで。
と
坐を
与う。男は無言で坐り込み、
筒湯呑に湯をついで
一杯飲む。
夜食膳と云いならわした
卑しい
式の膳が出て来る。上には
飯茶碗が二つ、
箸箱は一つ、
猪口が二ツと
香のもの
鉢は一ツと置ならべられたり。片口は無いと見えて山形に五の字の
描かれた
一升徳利は火鉢の横に
侍坐せしめられ、
駕籠屋の腕と云っては時代
違いの見立となれど、
文身の様に
雲竜などの
模様がつぶつぶで記された型絵の
燗徳利は女の左の手に、いずれ
内部は
磁器ぐすりのかかっていようという
薄鍋が
脆げな
鉄線耳を右の手につままれて出で来る。この段取の間、男は
背後の
戸棚に
りながらぽかりぽかり
煙草をふかしながら、
腮のあたりの
飛毛を人さし指の先へちょと
灰をつけては、いたずら半分に
抜いている。女が鉄瓶を小さい方の
五徳へ移せば男は酒を燗徳利に移す、女が鉄瓶の
蓋を取る、ぐいと雲竜を
沈ませる、
危く鉄瓶の口へ顔を出した湯が
跳り出しもし得ず
引退んだり出たりしている
間に鍋は火にかけられる。
「下の
抽斗に
鰹節があるから。
と女は云いながら立って台所へ出でしが、つと外へ行く。
「チョツ、
削けといやあがるのか。
と不足らしい顔つきして女を見送りしが、何が眼につきしや急にショゲて
黙然になって抽斗を
開け、
小刀と
鰹節とを取り出したる男は、
鰹節の
亀節という
小きものなるを見て、
「ケチびんなものを買っときあがる。
と
独言しつつそこらを見廻して、やがて膳の
縁へ
鰹節をあてがって削く。
女はたちまち帰り来りしが、
前掛の下より現われて膳に
上せし
小鉢には
蜜漬の
辣薑少し
盛られて、その
臭気烈しく
立ち
渡れり。男はこれに構わず、膳の上に散りし
削たる鰹節を鍋の
中に
摘み
込んで
猪口を手にす。
注ぐ、
呑む。
「いいかエ。
「素敵だッ、やんねえ。
女も
手酌で、きゅうと
遣って、その後徳利を膳に置く。男は
愉快気に重ねて、
「ああ、いい酒だ、サルチルサンで
甘え
瓶づめとは訳が違う。
「ほめてでももらわなくちゃあ
埋らないヨ、五十五銭というんだもの。
「何でも高くなりやあがる、ありがてえ
世界だ、月に百両じゃあ食えねえようになるんでなくッちゃあ面白くねえ。
「そりゃあどういう
理屈だネ。
「
一揆がはじまりゃあ
占めたもんだ。
「下らないことをお言いで無い、そうすりゃあ
汝はどうするというんだエ。
「構うことあ無えやナ、
岩崎でも
三井でも
敲き
毀して酒の
下物にしてくれらあ。
「
酔いもしない中からひどい
管だねエ、バアジンへ押込んで煙草三本拾う方じゃあ無いかエ、ホホホホ。
「馬鹿あ
吐かせ、三銭の
恨で
執念をひく
亡者の
女房じゃあ
汝だってちと役不足だろうじゃあ
無えか、ハハハハ。
「そうさネエ、まあ朝酒は呑ましてやられないネ。
「ハハハ、いいことを云やあがる、そう云わずとも恩には
被らあナ。
「何をエ。
「今飲んでる酒をヨ。
「なぜサ。
「なぜでもいいわい、ただ
美味えということよ。
「オヤ、おハムキかエ、馬鹿らしい。
「そうじゃあ
無えが忘れねえと云うんだい、こう
煎じつめた
揚句に
汝の身の皮を飲んでるのだもの。
「弱いことをお云いだねエ、がらに無いヨ。
「だってこうなってからというものア運とは云いながら
為ることも為ることもどじを
踏んで、
旨え酒一つ飲ませようじゃあ無し面白い目一つ見せようじゃあ無し、おまけに先月あらいざらい何もかも無くしてしまってからあ、
寒蛬の悪く
啼きやあがるのに、よじりもじりのその
絞衣一つにしたッ
放しで、
小遣銭も置いて行かずに
昨夜まで
六日七日帰りゃあせず、売るものが
留守に
在ろうはずは無し、どうしているか知らねえが、それでも帰るに
若干銭か
握んで
家へ
入えるならまだしもというところを、銭に縁のあるものア
欠片も持たず
空腹アかかえて、オイ飯を食わしてくれろッてえんで帰っての
今朝、
自暴に
一杯引掛けようと云やあ、大方
男児は外へも出るに
風帯が無くっちゃあと云うところからのことでもあろうが、プッツリとばかりも文句無しで
自己が締めた帯を
外して来ての
正宗にゃあ、さすがのおれも
刳られたア。今ちょいと
外面へ
汝が立って出て行った
背影をふと見りゃあ、
暴れた
生活をしているたア
誰が眼にも見えてた
繻子の帯、
燧寸の箱のようなこんな家に居るにゃあ似合わねえが
過日まで
贅をやってた
名残を見せて、今の今まで締めてたのが無くなっている
背つきの
淋しさが、
厭あに眼に
浸みて、馬鹿馬鹿しいがホロリッとなったア。
世帯もこれで
幾度か持っては
毀し持っては毀し、
女房も
七度持って七度出したが、こんな酒はまだ呑まなかった。
「何だネエ
汝は、朝ッぱらから
老実ッくさいことをお言いだネ。
「ハハハ、そうよ、
異に
後生気になったもんだ。
寿命が
尽きる前にゃあ気が弱くなるというが、
我アひょっとすると
死際が近くなったかしらん。これで死んだ日にゃあいい
意気地無しだ。
「
縁起の悪いことお云いでないよ、面白くもない。そんなことを云っているより勢いよくサッと飲んで、そしていい
考案でも出してくれなくちゃあ困るよ。
「いいサ、飲むことはこの通りお達者だ、案じなさんな。児を
棄てる日になりゃア金の
茶釜も出て来るてえのが天運だ、
大丈夫、銭が無くって
滅入ってしまうような
伯父さんじゃあねえわ。
「じゃあ
何かいい
見込でも立ってるのかエ。
「ナアニ、ちっとも立ってねえのヨ。
「どうしたらそういい気になっていられるだろうネ。仕様が無いネエ、どうかしておくれで無くっちゃあわたしももうしようもようも有りゃあしないヨ。
「ナアニ、いよいよ仕様が無けりゃあ、またちょいと書く法もあらア。
「どうおしなのだエ。
「
強盗と出かけるんだ。
「
智慧が無いねエ、ホホホホ。詰らない
洒落ばかり云わずと
真実にサ。
「
真実に
遣付けようかと思ってるんだ。オイ、三年の
恋も
醒めるかナッ、ハハハ。
「
冗談を云わずと
真誠に、これから
前をどうするんだか
談して安心さしておくれなネエ。茶かされるナア腹が立つよ、ひとが心配しているのに。
「心配は
廃しゃアナ。心配てえものは
智慧袋の
縮み目の
皺だとヨ、何にもなりゃあしねえわ。
「だって女の気じゃあいくらわたしが気さくもんでも、食べるもん無し売るもんなしとなるのが眼に見えてちゃあ心配せずにゃあいられないやネ。
「ご
道理千万に
違えねえ、これから売るものア
汝の
身体より他にゃあ
無えんだ。おれの身体でも売れるといいんだが、野郎と来ちゃあ
政府へでも売りつけるより仕様がねえ、ところでおれ様と来ちゃあ
政府でも買い切れめえじゃあねえか。
川岸女郎になる気で
台湾へ行くのアいいけれど、
前借で
若干銭か取れるというような洒落た訳にゃあ行かずヨ、どうも我ながら
愛想の尽きる仕義だ。
「そんな事をいってどうするんだエ。
「どうするッてどうもなりゃあしねえ、
裸体になって寝ているばかりヨ。
塵埃が
積る時分にゃあ掘出し
気のある
半可通が、時代のついてるところが有り
難えなんてえんで買って行くか知れねえ、ハハハ。
白丁奴軽くなったナ。
「ほんとに人を馬鹿にしてるね。わたしを何だとおもっておいでのだエ、こっちは馬鹿なら馬鹿なりに気を
揉んでるのに、何もかも茶にして
済ましているたあ
余り人を
袖にするというものじゃあ無いかエ。
と少しつんとして、じれったそうにグイと飲む。酒の廻りしため
面に
紅色さしたるが、一体
醜からぬ上
年齢も
葉桜の
匂無くなりしというまでならねば、女振り十段も
先刻より上りて
婀娜ッぽいいい
年増なり。
「そう悪く取っちゃあいけねエ。そんなら
実の事を云おうか、
実はナ。
「アアどうするッてエの。
「実はナ。ほんとうの事を云やあ、ナ。
「アアどうするッてエのだッていうのにサ。
「エエ
糞ッ、
忌々しいが云ってしまおう。実は
過日家を出てから、もうとても今じゃあ
真当の事ア
遣てる
間がねえから
汝に算段させたんで、
合百も遣りゃあ
天骰子もやる、花も引きゃあ
樗蒲一もやる、
抜目なくチーハも買う
富籤も買う。遣らねえものは
燧木の
賭博で
椋鳥を引っかける事ばかり。その
中にゃあ勝ちもした負けもした、いい時ゃ三百四百も
握ったが半日たあ続かねえでトドのつまりが、残ったものア
空財布の中に
富籤の
札一枚だ。こいつあ
明日になりゃあ勝負がつくのだ、どうせ
無益にゃあ
極ってるが
明日行って見ねえ中は楽みがある、これよりほかに
当は無えんだ。オイ
軽蔑めえぜ、馬鹿なものを買ったのも
詮じつめりゃあ、相場をするのと
差はねえのだ、当らねえには
極まらねえわサ。もうこうなっちゃあ智慧も何も、有ったところで役に立たねえ、
有体に白状すりゃこんなもんだ。
女房は
眉を
皺めながら、
「それもそうだろうが
汝そうして当らない時はどうするつもりだエ。
「ハハハ、どうもならねえそう聞かれちゃあ。生きてる中はどうかこうか食わずにゃあいねえものだ、構うものかイ。だから裸で寝ていようというんだ。
愛想が尽きたか、
可愛想な。
厭気がさしたらこの野郎に早く見切をつけやあナ、惜いもんだが別れてやらあ。
汝が
未来に持っている果報の
邪魔はおれはしねえ、
辛いと汝
ががおもうなら辛いつきあいはさせたくねえから。
とさすが
快活な男も少し鼻声になりながらなお
酔に
紛らして
勢よく云う。味わえば情も薄からぬ言葉なり。女は物も云わず、
修行を積んだものか泣きもせず、ジロリと男を見たるばかり、怒った様子にもあらず、ただ
真面目になりたるのみ。
男なお語をつづけて、
「それともこう云っちゃあ少しウヌだが、
貧すりゃ
鈍になったように自分でせえおもうこのおれを捨ててくれねえけりゃア、
真の
事たあ、明日の富に当らねえが
最期おらあ強盗になろうとももうこれからア
栄華をさせらあ。チイッと
覚悟をし直してこれからの世を
渡って行きゃあ、二度と
汝に銭金の苦労はさせねえ。まだこの
世界は
金銭が落ちてる、大層くさくどこへ行っても金金と
吐しゃあがってピリついてるが、おれの眼で見りゃあ
狗の
屎より金はたくさんにころがってらア。ただ
狗の屎を拾う気になって手を出しゃあ
攫取りだ、
真の
事たあ、馬鹿な世界だ。
「訳が
解らないよ
汝の云うことア、やっぱり強盗におなりだというのかエ。
「馬鹿ア云え、強盗になりゃアどうなるとおもう。
「赤い
衣服を着る
結局が
汝のトドの望なのかエ、お茶人過ぎるじゃあ無いか。
「赤い
衣服ア
善人だから
被せられるんだ。そんなケチなのとアちと違うんだが、おれが強盗になりゃ
汝はどうする。
「厭だよ、そんな下らないことを云っては、お
隣家だって聞いてるヨ。
「隣家で聞いたって
巡査が聞いたって、
談話だイ、構うもんか、オイどうする。
「おふざけで無いよ馬鹿馬鹿しい。
と今は一切受付けぬ語気。男はこの様子を見て
四方をきっと
見廻わしながら、火鉢越に女の顔近く我顔を出して、極めて低き声ひそひそと、
「そんなら
汝、おれが
一昨日盗賊をして来たんならどうするつもりだ。
と
四隣へ気を兼ねながら
耳語き告ぐ。さすがの女ギョッとして身を
退きしが、四隣を見まわしてさて男の面をジッと見、その様子をつくづく見る眼に
涙をにじませて、恐る恐る顔を男の顔へ近々と付けて、いよいよ小声に、
「
金さん
汝情無い、わたしにそんなことを聞かなくちゃアならない事をしておくれかエ。エ、エ、エ。
「ム、ム、マアいいやナ、してもしねえでも。ただ
汝の返辞が聞きてえのだ。
「どうしても
汝聞きたいのかエ。
女の
唇は
堅く結ばれ、その眼は重々しく静かに
据り、その
姿勢はきっと正され、その面は深く沈める必死の勇気に
満されたり。男は
萎れきったる様子になりて、
「マア、聞きてえとおもってもらおう。おらあ
汝の運は汝に
任せてえ、おらが横車を云おう気は持たねえ、正直に
隠さず云ってくれ。
女はグイとまた
仰飲って、冷然として云い放った。
「何が何でもわたしゃアいいよ、首になっても
列ぼうわね。
面は火のように、眼は
耀くように見えながら涙はぽろりと
膝に落ちたり。男は
臂を
伸してその
頸にかけ、我を忘れたるごとく
抱き
締めつ、
「ムム、ありがてえ、アッハハハハ、ナニ、
冗談だあナ。べらぼうめえ、貧乏したって
誰が馬鹿なことをしてなるものか。ああ明日の
富籤に当りてえナ、千両取れりゃあ
気息がつけらあ。エエ酒が
無えか、さあ今度アこれを売って来い。構うもんかイ、構うもんかイ、当らあ当らあきっと当らあ。
とヒラリと
素裸になって、
寝衣に着かえてしまって、
やぼならこうした うきめはせまじ、
と
無間の
鐘のめりやすを、どこで聞きかじってか中音に
唸り出す。
(明治三十年十月)