穂高岳

幸田露伴




 山岳の秀美や荘厳を受取って吾が心霊の怡悦いえつと満足とを覚える場合はおのずから二つある。一つは自分が歩きながらに絶えず変化して吾が眼前に展開し行く奇岩や峭壁や、高い嶺の雲や近い渓の水や、風に揺ぐ玉樹のみどりや、野に拡がる※(「王+其」、第3水準1-88-8)きそうの香や、姿を見ぬ仙禽せんきんの声や、然様いう種々のものの中を、吾が身が経巡り、吾が魂が滾転こんてんし行いて、そして自分というものを以て幽秘神異の世界を縫って行く場合である。あたかもそれは測り知るからざる霊智と妙技とを以て描かれた大画巻を一尺二尺と繰りひろげながら驚異感嘆の心をもて観賞し行く心持である。又恰も大手腕ある史家が描いた一歴史を感動に満ちた心を以て一頁一頁と読みに行く心持である。そして其等にも増した何とも云えぬ感激を以て山径水涯を過ぎ行く其の心持というものは、到底比擬すべき何物も無い霊秘なものである。其筈である、大画巻も大文章も畢竟は自然の復現であって、これは自然の直現であり端的であるからである。
 さて又他の一つはそれとは異なった場合であって、前のは吾が魂を以て自然境を縫った場合であるが、それはお時間というものが存在している。然るに其の時間という生緩いものも無くなって、はたと自然に魂が直面して打たれた場合である。前のは動的であるが、これは静的である。前のは吾が感官や神思が働いているのであるが、これは時間が脱したようなのであるから、次第を以て動く余地も無く、ハタと衝当った瞬間に、吾が目は看ているに相違無く、吾が耳は聞いているに相違無く、吾が魂は何物かに対しているに相違無いが、時間というものを除けば万物は静止するような道理で、吾も吾にあらず、彼も彼ならざるが如くになって、吾が魂の全部が対境の全部であり、対境の全部が吾が魂の全部であるようになり、即ち自他一如、心境同融の宗教的光景に入る場合である。それは即ちアッと云って心身脱落したようになってその神境的山岳にたいした場合である。
 乙女峠で富士をるのもそれである。駿河の海上から富士を看るのもそれである。高山で日出を看るのもそれの類である。徳本峠を上りきって穂高を望むのもそれの雄なるものである。
 自分の上高地に至ったのは若葉のときであった。徳本峠は島々から馬で其頂上まで辿ることにした。老躯をいたわったのであった。然し馬上でも余り心も身も楽では無かった。峠は頂上に近づくに従って勾配も強くなり、路は電気形になった。まだ雪が路傍に残っているのを目にするようになった。山風は寒くなった。もう頂まで何程も無いというので馬を降りようと心構えしていると、突然として残雪の非常に多いところを一転して過ぐる途端に、馬頭に当って眼前は忽として開けた。もう自分は頂上に立っていたのである。眼前脚下は一大傾斜をなして下っていて、其の先に巍然ぎぜんとして雄峙している穂高は、其の壮烈儼偉げんいな山相をムンズとばかりに示していた。ただもう巍峩ぎがという言葉よりほかに形容すべき言葉はない。眼の前に開けた深い広い傾斜、其向うの巍々堂々たる山。何という男らしい神々しさを有った嬉しい姿であろう。思わず知らず涙ぐましいような心持になって、危く手をさしのべたいような気がした。吾が魂に於て彼を看たのか、彼に於て吾が魂を看たのか、わきまえがたいような瞬間があった。実に嬉しかった。好い心持であった。
 其日、其翌日、穂高の山の近くを歩きまわった事は勿論である。それは前に挙げた吾が魂を以て山を縫ったのである。それも勿論嬉しいものであった。然し徳本峠の一瞬は最も嬉しかったものとして永く記憶に遺った。
(昭和三年七月)





底本:「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」ヤマケイ文庫、山と溪谷社
   2017(平成29)年3月1日初版第1刷発行
底本の親本:「露伴全集 第十四卷」岩波書店
   1951(昭和26)年6月5日第1刷発行
初出:「上高地」筑摩電氣鐵道
   1928(昭和3)年7月30日発行
※初出時の署名は「露伴道人」です。
入力:富田晶子
校正:雪森
2020年6月27日作成
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