努力は一である。しかしこれを考察すると、自然と二種あるのが分かる。一ツは直接の努力で、他の一ツは間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、事に当たって奮励努力する時のそれである。人はともすると努力が無効に終わることを訴えて嘆く。しかし、努力は効果の有り無しによって、すべきであるとかすべきでないとかを判断すべきではない。努力ということが人の進んで止むことを知らない人間の本性であるから努力すべきなのである。そして、若干の努力が若干の好結果を生じる事実は、間違いなく存在しているのである。ただ時には努力の結果が良くないこともある。それは努力の方向が悪いからか、それとも間接の努力が欠けていて、直接の努力だけが用いられたためである。無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、無理ではない願望に努力して、そして好結果が得られないのは、間接の努力が欠けているからであろう。
瓜の
蔓に
茄子を求めるようなことは、努力の方向が誤っているので、詩歌の美妙なものを得ようとして、いたずらに篇を連ね、句を
累ねるようなことは、間接の努力が欠けているのである。誤った方向の努力は少ないが、間接の努力を欠くことは多い。詩歌のようなものは当面の努力だけで良いものは得られない。朝から暮に至るまで、紙に臨み筆を
執ったからといって、字や句の百千万を連ねることは出来ても、それだけで詩歌の逸品は出来ない。この意味に於いて勉強努力は甚だ価値が低い。それで、努力を
悦ばず勉強を排斥する人もある。特に芸術の上に於いては自然の生成を貴んで、努力を排斥する者が多い。それも理屈である。努力万能とは断定できない。インドの古伝の
技芸天即ち芸術の神のように、芸術は天上世界に遊ぶ者の
美睡の頭脳中から自然に生ずるものかも知れない。当面の努力だけで、必ず努力の好結果が得られるならば、下手の横好きという
諺は世に存在しないことだろう。しかし、それにしてもそれは努力を排斥する根拠とはならないで、却って間接の努力を要求する根拠となっている。努力無効果の事実は、芸術の源泉となり基礎となる準備の努力、即ち自性の
醇化、世相の真解、感興の
旺溢、製作の自在、それ等のことに努力することが重要であるということを、いたずらに紙に臨み筆を
執るだけの直接努力を敢えてしている者に明示しているのである。努力は
仮令その効果が無いにしても、人の本性が、人の命ある間は自然にするものである。好き嫌いすることの出来ないものである。
しかし努力を
悦ばない傾向が、人に存在することは否定出来ない。今まさに眠ろうとする人や次第に死に向かっている人は、直接の努力も間接の努力も悦ばない。それは燃やすべき石炭が無くなって、火が炎を挙げることを辞退しているのである。
努力は好い。しかし、人が努力するということは、人としては
尚不純である。自分の
何処かに納得できないものが存在するのを感じていて、そして、それを自分に鞭打ち
之を威圧しながら事に従っている有様である。
努力している、
若しくは努力しようとしている、ということを忘れていて、自分の
為していることが自然な努力であって欲しい。そうで有ったならそれは努力の真髄であり、醍醐味である。
この冊子の中、運命と人力と、自己革新論、幸福三説、修学の四目標、凡庸の資質と卓絶の事功と、接物宜従厚、四季と一身と、疾病説、以上数篇は明治四十三年より四十四年に於いて成功雜誌の上に、着手の処、努力の堆積二篇は同じ頃の他の雑誌に、静光動光は四十一年成功雜誌に、進潮退潮、説気山下語はこの書の刊に際して起草したものである。努力に関することが多いから、この書を努力論と名付けた。
努力して努力する、それは真の良いものではない。努力を忘れて努力する、それが真の良いものである。しかしその境地に至るには愛か
捨かを体得しなければならない、そうでなければ
三阿僧祗劫(生きている時間)の間なりとも努力しなければならない。愛の道、
捨の道をこの冊子には説いていない、よって努力論と題している。
[#改丁]
世に運命というものが無ければそれまでだが、もし真に運命というようなものが有るとすれば、個人・団体・国家・世界、即ち運命の支配を受ける者と、これを支配する運命との間に、何等かの関係が結ばれていなくてはならない。もちろん昔の英雄豪傑には、「我は運命に支配されるのを好まない、我
自ら運命を支配するだけである」というような、
荒鷲のような意気感情を持つ者が有ったことは争えない事実で、
彼の「天子は
命を造る、命を言うべからず」と言い放した言葉なども、「天子という者は人間に於ける大権の所有者で、造物主が絶対権を持つと同じく運命を造るべき者である、それが我が運命の不利を嘆いたりするような薄弱なことであってはならない」と英雄的に言い放したものである。いかにも面白い言葉であって、およそ英雄的性格を持っている人は、常にこのような意気感情を持っていると云ってもよいくらいであって、そしてまたこのような激烈勇猛な意気感情を抱いているのが、即ち英雄的性格の人物の特長であると云っても差支えないくらいである。運命が良い悪いと云って、
女々しい泣き言を並べて、他人の同情を買おうとするような行動をする者は、凡人以下の人間である。少なくとも英雄の気象があり、豪傑の気骨がある者は、「大丈夫
命を造るべし、命を言うべからず」と豪語して、自分で
大斧を
揮い、
巨鑿を使って、我が運命を
刻み出して当然なのである。いたずらに
卜筮者(占い)、観相者(人相見)、推命者(姓名判断)達の言葉などの、「運命前定説(運命は前もって決まっているという説)」の捕虜となって、幸運が我に味方しないと嘆くようなことをすべきではない。
およそ世の中に、運命が自分の誕生の日の
十干十二支(年回り)や、九宮二十八宿(星回り)なんぞによって前定していると信じたり、又は自分の持つ骨格や血色なんぞに
因って、前定しているものと信じて、そして自分が幸運でないことを嘆く者ほど、悲しむべき不幸な人はない。
何故ならば、そのような貧小薄弱な意気や感情や思想は、直ちに不運を招き幸運を遠ざけるところのもので有るからである。生れた年月や、生まれつきの
面貌が、真にその人の運命に関係するかしないかは別問題としても、そのようなことに頭を悩ましたり心を苦しめたりするということが、既に余り感心しないことである。
『
荀子』に非相の篇があって、相貌と運命とは関係しないことを説いているのは二千余年の昔である。『
論衡』に
命虚の論があって、生れた年月と運命とは関係しないと言っているのは漢(中国古代)の時である。
仮令それ等の論議が真を得ていないで、
面貌が運命に関係し、生年月日が運命に関係するとしたところで、
彼の因襲的で従順的な支那人(中国人)の間にさえ、そういう運命の前定というような思想に屈服しない者が、遠い昔から存在したことを思うと、甚だ頼もしい気がすると同時に、今の人にして
尚かつ運命前定説に屈伏するような情無い思想を抱いている者が有るかと思うと、嘆息しない訳にはいかないのである。
実に
荀子(中国の戦国時代末の思想家)の言った通り、相貌は似ていて
志の似ていない者もあり、
王充(『論衡』の著者)の言った通り、同時に埋殺された趙の
捕虜何十万が皆同じ生年月であった訳でもないだろうが、それ等の事は
此処では論外として
措いて、とにかく運命前定論などに屈伏
仕難いのが、人の自然な感情であることは争われない。我々は或いは運命に支配されているものであろう、しかし運命に支配されるよりは運命を支配したいというのが、我々の偽りない欲望であり感情である。であれば、即ち何を顧みて自分を卑しくし自分を小にしようかである。直ちに進んで自分で運命を造るだけである。このような気象を英雄的気象といい、このような気象を持って
終にこれを実現する者を英雄というのである。
もし運命というものがないのであれば、人の未来はすべて数学的に
測り知ることのできるもので、三々が九となり五々が二十五となるように、明白に今日の行為をもって明日の結果を知り得るはずである。しかし人事は複雑で世相は紛糾しているから、単純に同じ行為が同じ結果に到達するとは云えない。そこで誰の頭にも運命というようなものがボンヤリと意識されて、そしてその運命というものが偉大な力で我々を支配するかのように思われるのである。
某は運命の
寵児であって某は運命の虐待を受けているように見えることがある。自分自身にしても或る時は運命の順潮に舟を
行って快適を
得、或る時は運命の逆風に帆を
下して滞留するように見えることがある。そこで「運命」という語は容易でない権威のある語として我々の耳に響き胸に徹するのである。
ただし聡明な観察者となれないまでも、注意深い観察者となって世間の実際を見渡したならば、我々は忽ち一ツの大きな急所を見出すことが出来るだろう。それは世の中の成功者は皆、自分の意志や知恵や勤勉や
仁徳の力によって自分の好結果を収め得たと信じており、そして失敗者は皆、自分の罪ではなく運命がそうさせた為に失敗の苦境に
陥ったと嘆いているという事実である。即ち成功者は自分の力として運命を解釈し、失敗者は運命の力として自分を解釈しているのである。この二つの相反している見解は、その
何の一方が正しくて、何の一方が正しくないかは知らないが、互に自分を
欺いている見解では無いに違いない。成功者には自分の力が大に見え、失敗者には運命の力が大に見えるに違いない。
このような事実はそもそも何を語っているのだろうか。この二ツの見解はどれもその半分は真なのであって、二ツの見解を併合する時は全部が真となるのでは無いだろうか。即ち運命というものも存在していて、そしてまた人間を幸不幸にしているに違いないが、個人の力というものも存在していて、そしてまた人間を幸不幸にしているに違いないということに帰着するのである。ただその間に於いて成功者は運命の
側を忘れ、失敗者は個人の力の側を忘れ、
各々一方に偏った観察をしているのである。
川を挟んで同じ様な農村がある。左岸の農夫も豆を植え、右岸の農夫も豆を作った。であるのに洪水が起こり左岸の堤防は決壊し、左岸の堤防の決壊によって右岸の堤防は決壊を免れたという事実がある。この時に於いて、左岸の農夫は運命が我に味方しないのを嘆き、右岸の農夫は自分の労苦の結果によって収穫を得たと喜んだとすれば、その両者は
何れも欺かない、また誤りのない、真事実と真感想とを語っているのである。その相反している
故をもって、左岸の者の言葉と右岸の者の言葉の、どの一方かが虚為で有り誤りであるということは言えないのである。そして運命も実に有り人力も実に有ることを否定する訳にはいかない。ただ左岸の者は人力を忘れて運命を言い、右岸の者は運命を忘れて人力を言っているのに過ぎなく、その人力や運命は川の左右によって
偏っているのでは無いことも明らかである。
さて既に運命というハッキリとしないものがあって流行する以上は、運命流行の原則を知って、そして幸運を招致し不運を拒否したいのは誰もが抱く思いである。そこでこの当然な欲望に乗じて、推命者だの観相者だの
卜筮者だのが起って神秘的な言説を
弄するのであるが、神秘的なことは此処では論じまい。我々は飽までも理智の
灯を
執って暗がりを照らすべきである。ここに於いて理智は我々に何を教えるだろう。理智は我々に教えて
曰く、運命流行の原則は運命そのものだけが
之を知る。ただ運命と人力との関係については我が
能く之を知ると。
運命とは何であるか。時計の針の進行が即ち運命である。一時の次に二時が
来、二時の次に三時が来、四時五時六時となり、七時八時九時十時となり、このようにして
一日が去り一日が来、
一月が去り一月が来て、春が去り夏が来て、秋が去り冬が来て、
年が去り年が来て、人が生れ人が死に、地球が成り地球が壊れる、それが即ち運命である。世界や国家や団体や個人に取っての幸運や不運というものは、実は運命の一小断片であって、そしてそれに対して人間が私的な評価を付けたものに過ぎないのである。しかし既に幸運と云うべきものを見、不運と云うべきものあるのを覚えた以上は、その幸運を招致し不運を拒否したいのは当然な欲求である。そこで、
若し運命を引き寄せられる綱があるなら、人力で以ってその幸運を引いて来て招きさえすれば良いのである。即ち人力と幸運とを結び付けたいので、人力と不運とを結び付けたくないのである。それが万人の欺かない欲望である。
注意深い観察者となって世の中を見渡すことは最良の教えを得る道である。失敗者を
観、成功者を観、幸福者を観、不幸者を観、そして或る者がどんな綱を手にして幸運を引き出し、或る者がどんな綱を手にして不運を引き出したかを観る時、我々は明らかに一大教訓を得る。それは即ち幸運を引き出すことの出来る綱は之を引く者の
掌に流血を
滴らせ、不運を引き出すべき綱は滑らかで柔らかなものであるという事実である。即ち幸運を引き出す人は常に自分を責め、自分の
掌から
紅血を滴らし、そして堪え難い苦痛を忍んでその綱を引き動かして、
終に大きな体躯の幸運の神を招致するのである。何事によらず自分を責める精神に富み、一切の過失や
齟齬や不足や不妙や、あらゆる拙劣なこと、愚劣なこと、良くないことの原因を自分自身に帰して、決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を
咎めず、運命を咎め怨まず、ただただ我が掌の皮薄く我が腕の力足りず幸運を招致することが出来ないとして、非常の苦痛を忍びつつ努力して事に従う者は、世の中の成功者に必ず認められる事例である。確かに自分を責めるという事ほど有力に自分の欠陥を
補えることはなく、自分の欠陥を補うことほど自分に成功者の資格を得させることの無いのは明らかである。また自分を責めるということほど有力に他者の同情を
惹くことはなく、他の同情を惹くことほど自分の事業を成功に近づけることが無いのも明らかである。
前に挙げた左岸の農夫が豆を植えて収穫が得られない場合に、その農夫が運命を怨み咎めるよりも自分を責める
念が強く、「これ我が智が足りず、予想が密でなく,このような結果となった。来年は豆を高地に
播種し低地にはトウモロコシを作ろう。」というように損害の苦痛を忍んで次年の計画を良くしたならば幸運が
終に来ないとは限るまい。すべて昔の偉人傑士の伝記を
繙いて見れば、
何人もその人は必ず自分を責める人であって、人を責めて他を怨むような人ではない事を見出すであろうし、それからまた
飜って、各種不祥の事を引き起こした人の経歴を考え調べたならば、必ずその人が自分を責める
念に乏しくて、他を責めて人を怨む心の強い人である事を見出すだろう。不運を引き出す人は常に自分を責めないで他人を責め怨むものである、そして柔らかな手触りのよい綱を手にして自分の掌の痛む程の事もしないで、容易で軽くかつ醜い不運の神を引き出して来るのである。
自分の掌より紅血を滴らすか、手触りのよい柔らかなものだけを握るか、この二ツは、明らかに人力と運命との関係の良否を語る目安である。運命の
何れかを招致しようとする者は深く考えなければならない。
[#改丁]
着手の
処が分らない
教は、いかに崇高な
教でも、荘厳な
教でも、正しくて完璧な
教でも、教えられる者にとっては差当たり困り果てる訳である。本来を云えば教には、着手の処の判らないものなどが有ってはいけない訳である。しかし我々は実際その意図が甚だ高尚遠大であることは感じるが、それと同時に、漠然としていて着手の処を見出し
難いものに遭遇することが少なくない。それも歳月が経って見ると、実は
教そのものが漠然としていて着手の処が分からなかったのではなくて、自分が或る程度に達していなかった、その為に着手の処を見出せなかったのだと悟るのであるが、それはとも角、ともすると着手の処の分からない
教に遭遇する事があることは誰しも経験する事らしい。冗談であれば論理的なゲームとでもいえる謎のような
教も良いが、実際に利益を得ようという意味で
教を
請うのに、着手の処が分らない
教では実に弱る訳である。そこで問う者は
籠耳(耳を通過するだけ)になってしまって、
教は聞いたには違いないが何等の益も得ずに終るという事も少なくない。それでは聞く人にも聞かせる人にも不本意千万に違いない。
教というものがともすればその場限りの座談で終る傾向になりはしないか。そして又いわゆる「籠耳」で終る傾向になるのではないかと心配である。もしそうであったなら、それは聴者にも談者にも、着手の処が強く認識されていなかった為として反省しなければならないので、
教そのものに就いて是非すべきものではないであろう。
着手の処、着手の処と求めなければならない。農業の事を学ぶとしても、経営建築の事を学ぶとしても、操船の事を学ぶとしても、軍隊の事を学ぶとしても、画を学ぶとしても、書を学ぶとしても、着手の処、着手の処と着手の処を把握して学ぶのでなくては、百日過ぎてもまだ学びの中に入れないのである、一年経っても実践の域に進まないのである、どうして
会得の境地に至り得よう。どんなことも着手の処を適切に知り得て、そしてそこに力を用い修業を積んで、そしてそこから段々と進めるのでは有るまいか。さて、そうであるなら着手の処は
何の様な処だろうか、それはやはり学ぶところのものによって違うだろうから今直ちにこれを掲げ示す事は出来ないが、一般の修養の上からなら、教える者によっては敢えて示せないこともないだろう。けれども着手の処、着手の処と求めて、人々各自がその志す所の道程に於ける着手の点を認め出した方が、妙味が有るだろう。君、
脚有り、君、歩むべし、君、手有り、君、
捉るべし、である。
[#改丁]
年というものは
何処に首が有り尾が有るというものではないが、昔の俳人のいわゆる「定め無き世の定め
哉」(
大晦日定めなき世のさだめ哉、
井原西鶴)であって、自然に人間には大晦日もあれば元日もあり
終には、大晦日は尾のように元日は
首のように思われてきているのである。さてそこで既に頭があり尾があるということになると年の尾である大晦日には一年の総勘定を
行ってみて、年の
首には将来の計画を
行ってみたくなるのが人情である。年末の感慨や年頭の希望はこの人情から生じて来るので、誰しもそう自分の思ったように物事が運べている者は少ないから、年末には日月の
逝くのが河水の流れのように見えて今更ながら感嘆し、そしてまた年頭の
志が挫折して思い通りにいかなかったことを恨み嘆くのが常であり、それからまた
年首には
屠蘇の盃を手にして
雑煮の膳に向って、今年こそはと自分で祝福して、前途に十二分の希望と計画とを懸けて奮然として奮い立つのが常なのである。年に首があり尾があるはずはないなどと、愚にも付かない理屈などを考えている者は一人だって有りはしない。大抵の人は年末には
感慨嗟嘆し年頭には奮起し祝福するのが常である。実に人情自然そう有るべき理屈なのである、当然なのである。大人・小人・俊傑・平凡の別無く皆そういう感情を懐くので有るから、即ちそれは正当な感情なのである。
このような感情の発動が正当で有るとすれば、我々はその年末の嘆きを本年に於いては無くし、年頭の希望を本年に於いては実現したいと考えることが、第二に起って来るところの意思であって、その意思はもとより正当でかつ美しい意思なのである。
有体を云えば、誰しも皆毎年々々にこのような感情を懐きこのような意思を起こし、そしてまた毎年々々嘆いたり発憤したりしているのである。そこで脚の立場(立脚点)を動かして暫らく自分というものに同情しない自分になって客観して見れば、
年々歳々、仮に決められたようなこの年末年頭に於いて、
何某という一人の
拙い俳優が同じような
筋書によって、同じような思い入れを、同じような舞台の、同じような状態の、同じような機会に於いて演じているに過ぎないことを認めない訳には行かないから、笑い出したくもなり馬鹿々々しいというような考えも起らないわけにはいかない。がしかし、この考えは自分に取っては決して良い考えでは無くて、どんなに達観して悟ったような事を思ったからといって、それなら明日から世間の外の人となれるかと云うと、そうはなれないというのなら、やはり正直に
筋書に従って、同じ感慨、同じ希望、同じ思い入れをした方が良いのである。すると努力すべきは、次の年末または年頭に於いては、今迄とは少し違った役廻りを受取って、少しは
気焔を吐き
溜飲を下げるようなことを演じたいとして、その注文の通りに行くようにする事である。即ち
何某という自分を「
新」にすべきなのである。例に依って例のような
何某ではいけないから、例の何某よりは優れた何某に自分を改造するよりほかに正当な道はないのである。
けれどもそれは知れ切った事で、誰も皆「新しい自分」を造りたい為に
腐心しているのであるが、その新しい自分が造れないので、年末年頭の嘆きや祝福を繰返すのだという言葉が
其処此処から出るに違いない。いかにも自他共に実際はそうであろう。しかし新しい自分が造れないと
定まっているわけではないから、多くの人が新しい自分を造ろうとして努力しても造れないからと云って、全ての人が新しい自分を造れないとは限らない。イヤ、
成し
得た人が随分と去年の自分と違った今年の自分を造り、或いは一昨年の自分と違った今年の自分を造って、年末の嘆きの代りに凱歌を挙げて、
密かに歓呼の声を洩しているのも世の中には少なからず有るだろう。してみれば
若し新しい良い自分を造り得なかったとあれば、それは新しい良い自分を造り得ない道理が有ってではなくて、新しい良い自分を造るに適さない事をして
歳月を送ったからだと云ってよろしいのである。即ち新しい自分を造るべき道を考えて之を実行することに漏れが有った為に、新しい自分が造れなかったという事が明らかなのである。
同じ貨幣は同じ時には同じ価値を持つ理屈である。もしも去年や一昨年と同じ自分で有るなら、自分が受取る運命も同じである筈である。即ち新しい自分が造られない以上は、新しい運命が獲得される訳はない。同じ自分は同じ状態を繰り返すだけだろう。そしてそんな事を幾度となく繰り返す
中に時計のゼンマイは徐々に
弛んで、その人の活力は次第に少なくなり、
終に幸福を得ないだけでなく、幸福を得る望みさえ無くして仕舞うだろう。であるから、悟りきって幸不幸を度外視するならばともかく、普通に考えれば、今まで
年々に不満を感じて嘆いたり祝福したりしているのであれば、是非とも振るい立って自分を
新にして、そして
新なる運命の
下に新しい境遇を迎えなければならないのである。では、どうやって自分を
新にしようかというのがこれ当面の緊急問題である。
この問題は一つ考えて見たい問題である。第一何によって自分を
新にしたものであろうかという事が先決である。即ち自分によって自分を
新にするか他によって自分を
新にするかという事である。ここに自然の一岩石が有ると仮定する。この一岩石はある形状性質を持ち長い年月の間、同じ運命を繰返していたものとする。この岩石に新しい運命を与えるには、この岩石を
新にすれば自然に成立つのである。即ち他力を以ってその
凸凹を使えるようにし、その表面を美しくすればその岩石は、建築用或いは機材用として用いられるようになるだろう。これは他によって自分を
新にして、そして自分で新しい運命を持つようになったのである。又ここに一医学生が有って、数年開業試験に応じて数年間同じ運命を繰返していたものとする。この医学生がある朝に同じ貨幣は同じ価値しか持てないと悟り、
発憤して勉強
研鑚に努めた結果、試験に合格して開業することが出来たとすれば、それは自分によって自分を
新にしたのである。
この例のように、自分を
新にするにも他によるのと自分でするのとの二ツの道がある。他力を仰いで自分の運命を自分そのものを
新にした人も、決して世に少なくはない。立派な人や賢い人や勢力者や勤勉家やそれ等の他人に、身を寄せ、心を
託して、そしてその人の一部のようになってその人の為に働くのは、即ち自分のために働くのと同じであると感じて、その人と共に発達し進歩して行き、結局はその人の運命の分け前を取って自分の前路を得て行くというのも世間に在ることであって、けして
慚ずる事でも
厭うべきことでもなく、やはり一ツの立派な事なのである。往々世に見える例で有るが、それほど能力があった人とも見えなかった人が、ある他の人に随身して数年を経たかと思う
中に、意外にその人が能力の有る人となって頭角を出して来るというのがある。で、近づいてその人を観ると既に以前の
愚者では無くて、その人物も実際に価値を増していて、現在に幸運を得ているのも成程不思議では無いと思われるようになっているのがある。それは即ちその初め或る人に身を寄せた時から、その人によって新しい自分を造り出し始めたので、そして新しい自分が出来上った頃、新しい運命を獲得したのである。この他力によって新しい自分を造るという道の最も重要な点は、自分は自分の身を寄せている人の一部分同様であるという感じを常に保持する事なのであって、決して自分の
生賢しい知恵などを出したり、自分の為に小利益を私有しようとする気を起こしたりなどしてはならないのである。
他人によって自分を
新にしようとするならば、昨日の自分は捨てて仕舞わなければならないのである。他人によって新しい自分を造ろうと思いながら、やはり自分は昨日の自分同様の感情や習慣を保持して、内心では一家の見識などを立てていたいと思うならば、それは矛盾であるから、何等の益を生じないばかりでなく、却って相互に無益な煩労を起す
因になる。それほど自分に執着するくらい自分を良い物に思っているなら、他人に寄る事も
要らないから自分で独立していて、そして在来の自分通りの状態や運命を持続して、自分で
可として居るのが良いのである。新しい自分を造る必要も無いようなものである。樹であるならば
撓めることも出来るが化石であっては撓めることは出来ない。化石的自分を持つ人も世には少なくない。もし化石的自分を持つ人ならば他力を頼んでも、他力の益を受ける事はやはり少ないだろう。藤であれば竹に
交っても真直ぐにはなるまいが、
蓬であれば麻に交れば真直ぐになる。世には蓬的自分を持つ人も少なくはない、もし蓬的自分を持つ人であれば自分を捨て去って仕舞って、自分より卓絶した人即ち自分がそう有り度いと望むような人に随従して、その人の立派な運命の圏中に於いて自分の運命を見出すのも、見苦しい事では無くて合理的で賢良な事である。昔の良臣という中にはやはりこの
類の人が有る。これは他力によって自分を
新にする方の話である。
他力によって自分を
新にするのには、何より先に自分を他力の中に捨て去らなければならないのである。
丁度浄土宗の信者が他力本願に頼る以上は、なまじっかの小才覚や知ったかぶりを棄てて仕舞わなければならないようなものである。しかし世には又どうしても自分を捨て去ることの出来ない人もある。そういう人は自分自身で新しい自分を造ろうと努力しなければならないのである。他力に頼るのは
易行道であって、これは
頗る
難行道である。なぜ難行道であるかと云うと、今までの自分が良くないから新しい自分を造ろうというのに、その造ろうというものがやはり自分なのであるからである。之を
罵り
嘲って見るならば、まるで自分の
脚の力によって自分を空中に昇らせようとするようなものであって、殆んど不可能であると云いたい。であるから、成程世間の多数の人が毎年々々嘆いたり祝福したりして、新しい自分を造ろうと思いながら新しい自分を造れないで、
又年々歳々に同じ事を繰り返す訳なのである。けれども一転して語を下して見るならば、「自分でなくてそもそも誰が
何某を
新に出来ようや」である。
真実の事を云えば
我流で碁が強くなる事は甚だ望みの少ない事で、専門棋士に頼って学んだ方が速やかに上達するのと同じく、世間で自力だけで新しい自分を造って年々歳々に進歩して行く人は非常に少なく、やはり他力に頼ってそして進歩して行く人の方が多いのである。しかし自分だけで新しい自分を造ろうとすることは実に高尚偉大な事業であって、
仮令その結果が甚だ振わなくとも、男らしい立派な仕事であることを失わないのである。ましてや「
百川海を学んで海に至る」(全て川は海を目指し、
終には海に達す)であるから、その
志さえ失わないで、
躓いても、
転んでも、倒れても、起き上がり起き上がりして敢えて進んだならば、「
鈍駑も
奮迅すれば
豈寸進なからんや」(駄馬も奮迅すれば少しは進む)である。であるから、必らず一年は一年に、
一月は一月に、
好処に到達するのは疑いないのである。自分を
新にするということは、換言すればつまり個々の理想を実現しようとする努力であるから、その人の為だけに限らず、そういう貴い努力が積み重ねられればこそ世が進歩するのであるから、実に世間全体に取っても甚だ
貴ぶべき
悦ぶべき事なのである。自分を
新にしようとする人が少なくなれば国は老境に入ったのである。現状に満足するという事は進歩の
杜絶という事を意味する。現状に不満で未来に望みをかけて、そして自分を
新にしようとする意志が強烈であれば、即ちそれがその人の生命が存在する根源なのである。
他力に頼って自分を
新にしようとするにしても、信じるものは自分に
由って存在するのであるから、即ち他力に頼る
中に自力の働きがある。自力に
依って自分を
新にしようとするにしても、
自照の知恵は実に外部からの賜物であるから、自力に
依る
中に他力の働きがある。自力他力と云って強いて厳正に区別する事も難しいくらいのものである。しかし他力に頼る以上は自分を捨て去るのであるから、舟に乗り車に乗ったようなもので大いに易しいようであるが、自分を
新にしようとする以上は自分の
手脚で把握し歩行しなければならないのだから、それについて直ちに計画を立てる必要があるがさてどうしたら自分を
新にする事が出来るであろう。
仮令ではない、やはり大抵の人の実際がこうなのである。「
何某当年何十何才、自分を顧みるに従来の自分は自分の予期した所に背くこと大にしてそして
今日に及ぶ、過ぎたことは仕方がないが、今後は
奮って自分を
新にして自分を善美のものにし、そして自分の目的希望を成し遂げ、福徳円満、自分の理想境に到達するようにしたい。」と云うような事を思っているのが普通善良な人の掛値なしの所で、これ以下の人は自分を
新にする工夫もしないで、運命が
新に上等な運命として現れることを望んでいるだけだろうから、それは論じるに足らないとして捨ておいて、それなら差当たりどうやって自分で新しい自分を造ろうとすれば良いのかが喫緊な研究問題なのである。そしてその着手着意の
処を知って間違わずに実行し、実際の場面で対応対処を誤らないことを人も我も欲するのである。
自分を
新にする第一の工夫は、
新にしなければいけないと信じる
旧いものを、一刀の
下に斬って捨てて跡を残さないことである。雑草が今まで茂っていた畑を、これではいけないと
新に良好な野菜を仕立てようとする場合、それはやはり敢えて
新にするのであって、もしその地が
新にされれば多少であれ野菜の収穫の時が来て、従来とは
異った運命が獲得される訳なのである。であればそれは雑草を棄てて野菜にしなければならないと信じるのであるから、第一に
先ず
新にしなければならない旧いもの、即ち雑草を根きり葉きり、取り去って仕舞わなければならないのである。旧いものは敵である。自分の土地に生えていたものでも旧いものは何でも敵である。雑草を取り去って仕舞わなければ新しく野菜は
播き付けられないのである。この道理に照らせば自然に明らかであるが、今までの自分の心中でも行為でも、少なくとも自分を
新にしようと思う以上は、その
新にしなければならないと信じる旧いものを、
大刀一揮英断を振って切り倒して仕舞わなければならないのである。例えば今まで為して来たところの事は習慣でも思想でも何でも
一寸棄て
難いものであるが、今までの
何某でない何某になろうという以上は、今までの習慣でも思想でも何でも、悪い旧いものは全て棄てなければならないのである。しかし、そうなると未練や
何ぞが出て棄てられないものである。妙な弁解などを妙なところから考え出して棄てないものである。だが、古い歯を抜去ることを
躊躇していては新しい歯の為にならない、「
草莱(雑草)を去らねば
嘉禾(良い穀物)は出来ない」のである。去年の自分は自分の敵である位に考えなければならないのである。何を斬って棄てなければならないかは人によって異なるが、人は皆自分で
能く知っていることだろう。
具体的に語ればこうである。従来不健康で有った人ならば不健康は一切の良くない事の
因だから、自分を
新にして健康体にしなければならないと思うのである。さて、そう思ったならば、自分の肉体に対する従来の自分の扱い方を一応見直して見て、先ずその良くない箇所を斬って棄てて仕舞わなければならない。そしてその点に於いて努力して
新にしなければならないのである。例を挙げよう、従来大食家で胃病勝ちであったならば、大食という事を斬って棄てなければならない、節食しなければならない。大食の為に弁護して大食でも運動を多くしたら良かろうなどと云うのは良くない。雑草を抜かなくても肥料さえ多く与えたなら野菜は成長するだろうというような理屈は、理屈としては成立つだろうが要するに正当な説ではない。従来と同様な身的行為をしていれば従来と同様の身的状態を得るのは当然の事である。従来と異なった身的状態を得たいならば従来してきた身的行為を旧敵のようにして斬って棄てて仕舞うが良い。従来と反対な結果が得たければ従来と反対の原因を
播くが良い。大食をしては胃病を
患い薬の力を借りて
病を
癒してはまた大食して病んで、永く自分の胃弱を嘆いて恨むような人も世には少なくはない。昨日の自分をさえ斬って棄てれば明日の自分に胃病は無いのである。大食と胃薬とは雑草同士の絡み合いなのである。二者共に取り去って仕舞えば健康体の精力は自然と得られるのである。胃病を嘆いている人を観るに、多くは大食家か乱食家か間食家か大酒家か異食家か
呆坐家(座りっきりの人)で、そして自分の真の病源である悪習慣に対して賢く弁護することは、雑草を抜かなくとも、雑草が吸収するよりも多くの肥料を与えれば、野菜の生育に差支えはないと云うような理論家によく似ているのである。
仮初にも自分を
新にしようとする者は昨日の自分に媚びてはならないのである。一刀の
下に賊を斬って仕舞わなければならないのである。何をするにも差当たって健康を保持するようにしなければ一切が崩壊する
惧が有るから、従来が不健康なら発憤して賊を斬るのが何より大切なのである。親譲りで体質の弱い人は実に気の毒であるが、それでもすべて従来してきた事で悪いと認めた事はズンズンと斬り棄てて行ったら、
終には従来とは異なった健康体になれないとも限らないのである。再び言う、
新にしなければならないと思うところの旧いものは未練気なく排除して仕舞わなければならないのである。
不健康な人が衛生に苦労するあまり、アレコレ言って下らないことにアクセクしているのは、そもそも間違いきった話で、歯磨き、石鹸の
瑣事にまで神経を悩ましていたり、なぐさみ物のような、
若しくは間食が変化したような薬などを、嘗めたり
齧ったりする事に心を使っているのは、それが先ず第一に非衛生の極みで、それよりも酒を
廃すとか煙草を廃すとか不規則生活を改めるとかした方が、どれほど早く健康になれるか知れたものではない。もし従来不健康の為に甚だ不利を受けていると思う人があったなら、是非共その人は自分を
新にして健康にならなければならないのだが、さて、本当に自分を
新にしようと思ったなら、昨日までの自分の
身体の取扱方を断然と改めなければならないのである。今日以後も昨日迄と同様の取扱方を我が身に加えていて、そして明日からは今迄と違った結果を得ようという、そんな得手勝手な注文は成り立つ道理がない。胃病に就いて云えば、
若し間食家だったなら間食を斬って棄てるがよい。大酒家だったなら徳利と絶交するがよい。乱食家だったならムラ食を改めるがよい。異食家だったなら奇異なものを食わないがよい。呆坐家だったら座布団を棄てて仕舞って、火鉢を打砕いて戸外で運動する習慣を得るがよい。湯茶を無暗に飲む習慣があったなら
急須や茶碗を抛り出して仕舞うがよい。喫煙家だったら煙草を棄てて仕舞うがよい。自分の生活状態を
新にすれば自分の身体状態は必ず変らずにはいない。激変を与えるのだから身心共に楽では無いに相違ないが、これが出来ないならやはり永久に昨年のように、一昨年のように、一昨々年のように、同じ胃病に悩んで青い顔をして居るが良いので、そして胃病宗の帰依者となって、ついに胃病の為に献身的な生涯を送るが良いのだから、嘆息して不足などを言わない方が良いのである。右が
嫌なら左に行け左が嫌なら右に行けである。良医の判断に従い、自分の生活状態を
新にして、それで胃病が
治せないなら、それは既に活力が消耗している証拠であるから致し方ないが、大抵の人は活力が消耗して
病が
癒えないのでは無くて、自分の生活状態を新にしない為に、即ち昨日までの自分の身体取扱方に未練を残している為に、やはり昨日通りの運命に付き纒われて苦しんでいるのである。例に依って例のような旧い運命に生け捕られたくないならば、旧い状態を改めるほかないのである。
胃病だけではない、粗食を常にして諸病に犯され易い薄弱体を持って苦しんでいる人もある。刺激物を取り過ぎて、精神不安で恨みや憂いや恐れや危ぶみなどの状態に
捉えられて困っている人もある。夜業を
廃さないで眼を病んで弱っている者もある。最も甚だしく
愚なのに至っては、
唐辛を好物にして
痔に苦しんでいるなどという滑稽なのもある。生活に
逐われて座業をしている為に運動不足で、筋肉が
弛緩し
脆弱になって悄然としている、同情すべき者もある。父母の為に悪い体質を付与されて、それが原因で常に薬を常用している悲しむべき者もある。が、要するに従来の自分に不満を感じるなら、従来の自分の状態を改めて仕舞うのが良いのである。ところが昨日の自分もやはり可愛いものであって、「酒が我が
身体を悪くしているな」とは知りつつも「酒を棄てる事は出来ない」などと云うのが人の常である。とかくに理屈を付けて昨日の自分を弁護しつつ、さてその結果だけは昨日より良いものを得たいと望むのが人情であるから、許すべきではあるが、それを許すと結局のところ自分は
新にならないのだから何にもならない。是非英断を施さなければならないのである。身体が弱くては一切の不幸の根が
断れず、一切の幸福の泉が
涸れがちであるから、少なくとも自分を
新にしようと思ったならば、苦痛を忍んで不健康を招く昨日の自分の旧い悪習と戦って之に克ち、之を滅し尽して仕舞わなければならないのである。
しかし身体が弱くても事が成せなくはない。身が弱くても意志が強ければ、一日の身あれば一日の事は成せるのである。しかし身体を弱くする原因が何であるかを知りながらも、之を改めることが出来ないような、意志が弱くてそして身体が弱くては、気の毒ながらその人は自分を
新にする事が出来難いのであって、従来通りの状態を脱する事は出来ない。それではならないのである。宜しく発憤して自分を
新にすべしである。
[#改丁]
船を出して風に
遇うのに何の不思議はない。水上は広々として風は自然に有る理屈である。しかしその風が我の行こうとする方向と同じ時は我は之を順風と呼んで、その福利を受けるのを
悦び、また我が方向に逆行して吹く時は我は之を逆風と呼んで、その不利を受けるのを悲しみ、また全くの順風でもなく、全くの逆風でもない横風に遇う時は、帆を
繰り
舵を使う技術と我が舟の形状の優劣
善悪によって、程度の差はあるが之を利用できるので、あまり多くは風の利不利を言わず、我が福無福を語らないのが常である。
このような場合に於いて、風は本来福と
定まり無福と定まっていることもないのだから、同じ南風が北行する舟には福となり、南行する舟には福でないものとなるのである。順風を
悦ぶ人が
遇っている風は、即ち逆風を悲しむ人が遇っている風なのである。福で無いとされる風は、即ち福なりとされる風なのである。してみれば福を受けるのも福を受けないのも同じ風に遇っているのであるから、福を受けた舟が良いから福を受けたという事も無く、福を受けない舟が悪いから福を受けないという事も無く、いわゆる巡り合わせというものであって、福無福については何等の考慮や計画によって福が受けられるというものではないのである。
しかしながら福無福を偶然の巡り合わせであるとするのは、風に本来福も無福もないという理屈や、甲の福とする風は即ち乙の無福とする風と同じ風であるという理由が有るからといっても、それはいささか即断過ぎるのである。なぜなら風は予測し難いものに違いないが、また全く予測することが出来ないとも限られていないのだから、舟を出そうとする際に十二分の検討と測量をして、我に取って有利な風と見込みをつけた後に、はじめて海に出たのであれば、十の七八は福を受け無福を避けられる筈である
故に、福に遇い無福に遇うのを偶然の巡り合わせにすることは、正当な解釈とは認められない理屈である。
人が社会に在って遭遇する物事は様々であるが、一般俗人がともすれば発する言葉の「福」というものは、社会の海上に於いて、無形の風力によって容易に好位置に達し、又は権勢を得たり、富を得たりするような場合を指すので、彼等が福を得たというものは、即ち富や地位もしくは富や地位の断片的なものを得たことをいうのである。
福を得ようとする希望は決して最上の希望ではない。世には福を得ようとする希望よりも
尚幾層か上層に位する立派な希望がある。しかし上乗の人物でない者に在っては、福を得ようとするのも決して無理なことではないので、あえて之を批難排撃する事もない。しかし福を得ようとする余り、いわゆる
淫祠邪神を信じ
白蛇に
媚び
妖狐に
諂うような、そんな醜い事には触れたくもないが、
滔々と流れる世の中に於いて、多くの人が心を苦め身を苦め精を出し励んでいるのも、皆多くは福を得ようとする為なのだと思えば、福について
言を為すのもまた無駄ではあるまい。
太上(最も優れた人)は徳を立て、その次は功を立て、又その次は
言を立てるとある。およそこれ等の人々に在っては、
禍福吉凶などはそもそも
些末なことで、余り深く立入って論究思索する価値も無いことだろう。
若しまた単に福を得ることにだけ腐心して之を思うようなら、その弊害は救い難いものになり、論究思索も単に、「どうしたら福を得られるか」ということだけに
止まって、人間の大道を離れて間違った道に入る恐れがあるだろう。本来から言えば事に処し物に接するに於いては、我々は当然「当不当」を思うべきで「福無福」を論じないでよい訳であるが、ここで敢えて幸福の説を為すのは、私の考えをいろいろに話して人を正道に進ませたいとするに
他ならないのである。甚だしく正邪を語れば人を
頑なで偏屈で狭量にする傾向がある。多く禍福を語れば人を卑小にする傾向がある。言葉を出すのも実に難しい事であるが、読む人は私の心意を解して
言を忘れて可である。
幸不幸というものも風の順逆と同様に、つまりは主観の判断によるのだから
定まりはない。しかし先ず大概は人々が幸福とし不幸とするものは定まって一致しているのである。そこで、その幸福に遇う人および幸福を得る人とそうでない人とを観察して見ると、その有様に微妙な違いが有るようである。第一に幸福に遇う人を観ると、多くは「
惜福」の工夫のある人であって、そうでない不運の人を観ると、十の八九までは少しも惜福の工夫が無い人である。福を惜しむ人が必ずしも福に遇うとは限らないだろうが、どうも惜福の工夫と福との間には関係を無視できないものが有るのに違いない。
惜福とはどういうものかというと、福を使い尽し取り尽して仕舞わないことをいうのである。たとえば手元に大金を持つとして、之を浪費に使い尽して全て無くすようなことは、惜福の工夫が無いのである。正当な使用の
他は使用しないで、之を
無暗に浪費しないのは惜福である。たとえば、我が母から新しく与えられた衣服があるとすると、その美しく軽暖であるのを
悦んで、旧衣が
未だ破れていないのに之を着用して、旧衣を
箪笥の中に押し丸めたまま、
黴と
垢とで汚させて、新衣を早くも
着崩して、折目も見えないようにするようなことは、惜福の工夫が無いのである。母の厚恩を感謝して新衣を
妄りに着用しないで、旧衣が
未だ破れていない間は旧衣を平常の服とし、新衣を冠婚葬祭のような義式張った日だけに用いるようにする時は、旧衣も旧衣としてその用を終え、新衣も新衣としてその用を為して、他人に対しても清潔に謹んで敬意を失わず、自分も
諺にいわゆる「
褻にも晴れにも(普段の日も特別な日も)」ただ一衣の、みすぼらしい身なりを免れることが出来るのである。このようにするのを福を惜むというのである。
樹の実でも花でも、十二分に実らせ十二分に花を咲かせる時は、収穫も多く美観であるに違いない。しかしそれは福を惜しまないもので、二十輪の花の
蕾を七八輪も十余輪も摘み取ってしまい、百果の果実を
未だ実らないうちに先立って数十果を摘み取るというのは惜福である。花実を十二分に成らせば樹は疲れてしまう。七八分に成らせば花も
大に実も
豊にできてそして樹も疲れず来年も花は咲き実が成るのである。
「幸運は
七度人を
訪れる」という意味の
諺があるが、どんな人物にも周囲の状況がその人を幸運に際会させることが有るものである。その時に当たって出来る限り幸運の調子に乗ってしまうのは福を惜しまないのである。控え目にして自分を抑制するのは惜福である。つまり福を取り尽してしまわないのが惜福であり、また使い尽してしまわないのが惜福である。一千万円の親の遺産を自分が長男だからといって
尽く取ってしまって、弟妹親戚にも分け与えないのは惜福の工夫に欠けているので、その幾分かを弟妹親戚等に分け与えるとすれば、自分が受け取るべき福を惜しみ惜しみして、之を
留めて置く意味に当たる。これを惜福の工夫という。即ち自分の福を取り尽さないのである。他人が自分に対して大いに信用を置いて呉れて、一千万円位ならば無担保無利息でも貸与して呉れようという時、喜んでその一千万円を借りるのに少しも不都合はない。しかしそれは惜福の工夫に於いては欠けているのであって、一千万円の幾分かを借りるとか、あるいは担保を提供して借りるとか、正当の利子を払うとかするのが、自分の福を惜しむ意味になる。即ち自在に一千万円を使用できるという自分の福を使い尽さないで幾分かを
留めて置く、それを惜福の工夫というのである。倹約や
吝嗇を惜福と理解してはならない、すべて享受できるところの福を取り尽さず、使い尽さずに、之を天と云おうか将来と云おうか、
何れにしても計り知れない将来に、預け置き積み置くことを、福を惜しむというのである。
このような事はその時の人が見て、
迂闊である愚かであると思うで有ろうし、また自分を
矯め飾り性情を偽り
欺くことであると思うで有ろうが、真に迂闊であるか愚かであるかは、人の言葉よりも世の実際の判断に任せた方が良い。また聖賢のように純美な生れ付きを持って生れて来ない者は自然や生れ付きに任せてはならない。曲竹は多く補正しなければならない。
撓め正さないで良いのはただ
真直な竹だけである。
粗木は多く
塗染することによって用を為す。そのままで良いのはただ
緻密で
堅美な良材だけである。馬鹿々々しい誇大妄想を抱いている者で無い以上は、自分を自分で
矯め自分で治めることを誰が不可としようか。
それらの論は他日に譲る、とかく上述のように惜福の工夫を積んでいる人が不思議にまた福に
遇うものであり、惜福の工夫に欠けている人が不思議に福に遇わないものであることは、面白い世の実際の現象である。
試に世の福人と呼ばれる富豪等について、惜福の工夫を積んでいる人が多いか、惜福の工夫を積まない人が多いかと調べて見れば、
何人も
忽ちのうちに多数の富豪が惜福を理解する人であることを認めることだろう。
飜ってまた世の才幹力量はありながら、しかも
尚一起一倒し、人生に
沈淪する薄幸無福の人を見たならば、その人の多くは惜福の工夫に欠けていることを見出すだろう。
同じ事例はまた之を昔の有名な福人の伝記に於いても容易に見出すことが出来る。福分の大なること
平清盛(平安末期の武将、平氏政権を打ち立てた)のような人は少ない。しかし惜福の工夫には欠けて、病中に憤死し家
滅び一族が滅ぼされたのは人の知っていることである。
木曾義仲(平安末期の武将)は平家を
逐い落した
大功があった。しかし惜福の工夫には欠け旭將軍(義仲)の光は忽ち消え去った。
源義経(平安末期の武将、源頼朝の弟)もまた平家討滅の大功があったが、惜しい
哉、朝廷の
御覚目出度に乗じて官位を私的に受領したために、兄の嫌うところとなって終りを全うしなかった。頼朝(
源頼朝、鎌倉幕府創立者)の疑いはとうてい避け難いところではあったろうが、義経に惜福の工夫の欠けていたのも確かに不幸の一因となったのである。家康公(
徳川家康)は太閤秀吉(
豊臣秀吉)に比べて、機略に於いては或いは一二段下っていたかも知れないが、しかし惜福の工夫に於いては数段も優っていた。
腫物の
膿を
拭った一片紙をも棄てなかったのは公である。
聚樂第に栄華を誇った秀吉に比べて
如何に福を惜しまれたかを知るべきである。そしてまた一片の古紙をも棄てなかったところから、莫大な大金を子孫に残し
留めて、徳川氏初期数代を築き固める用とされたことに照らし合わせても、如何に惜福に努められかを知るべきである。当時の諸侯は皆、戦陣活躍の
雄で
猛々しく激烈の人達であったが、
何れも惜福の工夫などには
疎くて、皆多くは暮らし向きが苦しく家計は乱れ、
自らを支えられなくなって、
威衰え家は傾き、甚だしいのは財産を失い領地を奪われるに至たり、そうならない迄も尾を垂れ、首を垂れて制裁を受けるに至ったのが多いのである。三井家(商人)や、住友家(商人)や、その他の旧家や、酒田の本間氏(地主)のように連綿として永続する者は、之を調べてみると皆よく福を惜しむことによって福尽きず、福の尽きない間にまた
新に福に遇うことを得るに及ぶのである。外国の富豪などもその確実な者は、皆之を調べるに惜福の工夫に富んでいるのである。
高級料理を
貪り
喰い
歓楽街に狂呼し、札束を切り大酔して意気高々とした
状は、豪快といえば豪快に似ているが、実は刑務所から釈放された前科人が餓えきって
娑婆の風に遇ったようなもので、十二分に歓を尽くせば歓を尽くすだけ、その
状はむしろ哀れで悲しく、
見窄らしげで、重々しいところは更に無いのである。器量が小さく
意中の急な者は余裕がない道理で、福を惜しむことが出来ないのは即ち器小意急の
輩で、福を惜しむことの出来るのは即ち器量が大で
意中が
寛やかな者である。
新に監獄を出た者が一
飽酔を欲するは人の免れない情であろうが、名門華族の人は
美酒佳肴が前に
陳なっても、それほどとも何とも思わないようである。この点から観ればよく福を惜しみ得るに於いて、その人すでに福人なのであるから、再三再四福に遇うのも怪むことはないのである。
試に世間を観ると、そこ等の多くの人は
偶々福に遇うことはあっても、その一遭遇するや新に刑務所を出た者が飽醉に急なように、
餓犬が肉に遇ったように、猛火が毛を焼くように、直ちにその福を取り尽くし使い尽くさずには止まないのである。そこでトルコ人の過ぎた後の土地は赤くなるというように、一粒の福も無いようにされてしまうから、急には再び福の生じて来ないのも不思議は無いのである。
魚は数万個の卵を産むものであるが、それでさえ
惜魚の工夫無しに
酷漁すれば遠からず滅し尽すものである。まして人一代に僅かに七度来るという幸運が
齎すところの福のようなものが、惜福の工夫も無く
福神を粗末に扱うような人に遇って、なんで消滅しないことがあろうか。鳥は鳥を愛惜する家の庭に集まり、草は草を除き残す家の庭に茂るのである。福もまた之を取り尽さず使い尽さない人の手に来るのである。世間はとめどなく福を得ようと欲する人のみであるが、よく福を惜しむ者がどれ程有ろう。福に遇えば皆これ新出獄者の
態をなす者のみである。たまたま福を取り尽さない人であれば之を使い尽す人であり、また福を使い尽さない人であれば之を取り尽す人であって、真に福を惜しむ者は少ない。世に福者の少ないのも無理のないことである。
個人が惜福の工夫を欠いて不利を受ける道理は、団体や国家に於いても同様である。水産業はどうである。貴重海獣の漁獲だけに努めて保護に努めなかった結果は、我が国沿海にラッコ、オットセイの減少を来たしたではないか。即ち惜福の工夫の無いために福を尽して
終ったのである。トロール漁獲に努めた結果、欧州、特に英国に於いては海底魚の減少を招いて、
終にはそのトロール船を遥か日本などに売却して利益とするに至ったのも、即ち福を尽して不利を招いたのである。山林も同様である。山林乱伐を敢えてして福を惜しまなかった結果は、禿山や渇水をいたる処に造り出して、土地の気候を悪くし天候を不調にし、いったん豪雨が有れば山は
潰え、水は溢れて、不測の害を世間に贈るに至るのである。樹を
伐れば利益は有るに違いないが、いわゆる惜福の工夫を国家が積んだならば、山林は永く繁茂することだろう。魚を獲れば利益が有るには違いないが、これも国家が福を惜しんだならば、水産も永く繁殖することだろう。山林に
輪伐法あり、
擢伐法あり、水産に
画地法あり、限季法あり、養殖法あり、漁法制度があって、これ等の事を遂行し国福を惜しめば国は福国となる道理なのである。
軍事も同様である。将強く兵勇なるを誇って、武力を用いる上に於いて
愛惜する所が無ければ、
終には敗北を招くのである。軍隊の強勇なことは一大福である。しかしこの福を惜しむ工夫が無ければ武を
汚すに至るのである。
武田勝頼(戦国武将)は弱将や愚将ではなかった。ただ惜福の工夫に欠けて福を尽して
禍を招いたのである。
長篠の一戦(長篠の戦)は実に福を惜しまないもまた甚だしいものであって、
馬場信春(武田勝頼の配下)や
山県昌景(武田勝頼の配下)をはじめ勇将忠士が皆その
戦で死んで
終った為に、武田氏の武威はその後再び振わなくなったのである。将士忠勇にして
武威烈々なのは一大福であるが、之を惜しまなければ福の
終に去ることは、黄金を惜しまなければ黄金の
終に去るのと同じ事である。ナポレオンは
宏世の英雄である。武略天才、実に当たり難き人であったが、やはり惜福の工夫には乏しかったので、ロシアへの遠征で武運の福は尽き去って
終った観がある。我国は陸海軍の精鋭をもって世界の強国を驚かしている。しかしこれとても惜福の工夫を欠いたならば、水産山林と同様の状態に
陥るのは明らかである。勇将忠卒も数限りがあり、
金穀船馬も無限に生じるものではない。まして軍隊の精神はパンを焼くように急造出来るものではない。陸海軍の精鋭は我国の大幸福であるが、之を愛惜する工夫を欠いたならば
寒心すべきものがある。福を使い尽し取り尽すということは忌むべきであって、惜福の工夫は国家に取っても大切である。
何故に惜福者はまた福に遇い不惜福者は福に遇はないのであろうか。これはただ事実として我々が世間に於いて認めることで、その真理の鍵は我々の手元にはない。しかし、強いて
試に之を解釈して見れば、惜福者は人に愛され信頼されるものがあって、不惜福者は人に嫌われ危惧されるものがあるから、惜福者が
数々福運の来訪を受け、不惜福者が
終に福運の来訪を受けないのも、自然とそうなる道理である。前に挙げた母から新衣を与えられたる場合なども、惜福者の行動は確かに婦人の愛を
惹き、その母に「私の子は私の与えた物をこんなにも大事にしてくれるのか」と満足の心をもたらすが、之に反して不惜福者が乱暴に、新衣を着崩し旧衣を押丸めたのを見る時は、如何に慈愛深い母でも慈愛が之の為に減じることは無いだろうが、「
嗚呼私の与えた物を何と粗末に扱う事か」と嘆くのは明らかである。人は感情の為に動くものであるから、満足すれば再びまた新衣を造り与えるに至るが、いささかなりとも
悦ばしく感じるところがない時には、再び新衣を造り与えるにしても或いは時遅く、或いは物粗末になる勢いが幾分かある。母ならばそうも甚だしい差は無いだろうが、継母などなら不惜福者に対して
厭悪の念を発して、再び之を与えることはしないかも知れない。無担保で資金を借りる場合もそうで、惜福者が利子を提供し担保を提供し、或いは額面を減少して借りるようなことは、その出資者の信頼を強くする
因であるから、その後また再び借用を申し込んでも、直ちに承諾されるような状態で、融通の一路は優に存在するが、不惜福者の行動は、たとえ当面の出資者に於いては
何等の厭うべき点が無いと認めるにせよ、出資者の家族親族
乃至友人や使用人等からは危惧の眼で見られるものであるから、いつかはそれ等の人々の口から種々の言語が放たれて、そして
終には出資者からも危惧され、融通の一路は障害物によって埋められるようになるのである。このような二ツの事例は実に些細の事であるが、万事にこの様な道理が知らない間に行われて、惜福者はしばしば福運の来訪を受け、不惜福者は次第に終に福運の来訪を受けなくなるである。
[#改丁]
福を惜むということが重要であるのと同様に、福を分かつということもまた甚だ重要なことである。惜福は自分一身にかかることで、いささか消極的な傾向であるが、分福は他人の
身上にもかかることで、自然と積極的な観がある。正しく論じたならば惜福が必ずしも消極的でなく、分福が必ずしも積極的では無いであろうが、自然に惜福と分福とは相対的に消極積極の観を為している。惜福は既に前に説いた通りである。
分福とはどういうことであるかというと、自分の得たところの福を他人に分かち与えることをいうのである。たとえば自分が大きな
西瓜を得たとすると、その全部を食べ尽さないで、その幾分かを残し
留めるのが惜福である。その幾分かを他人に分かち与えて自分と共にその美を味わう幸せを得させるのは分福である。惜福の工夫を為し得る場合とそうでない場合とに関わりなく、すべて自分の享受し得た幸福の幾分かを
割いて之を他人に分かち与え、他人をして自分と同様の幸福を、少しにもせよ享受できるようにするのを分福というのである。惜福とは自分の福を取り尽さず用い尽さないことをいい、分福とは自分の福を他人に分かち与えることを言うので、二者は実に
相異なりまた互いに
表裏をなしているのである。惜福は自分を
抑損するので、分福は他に
頒与するのであるから、
彼は消極的
此は積極的なのである。
若し、ただ一時の論点や眼前の観点から言えば、惜福は自分の幸福を十分に確保しないで、その幾分かをはっきりとは分からない未来もしくは運命というようなものに
委ねて、預け置き積み置くことを云い、分福は自分の幸福を十分に使用享受しないで、その幾分を直ちに他人に分かち与えることをいうのだから、自分の幸福を自分が十分に享受し使用しないところは、二者全く相同じであって、そして双方共に自分に取っては差し当たり利益が減損し、不利益を受けているようなものである。しかし惜福ということが間接に大利益を
為して、よく福を惜しむ者に福運の来訪に接せさせるように、分福ということもまた間接に、その福を分かつ人に福運の来訪に接することを多くすることは、世の実例が示しているところである。
世には大いに福分を有しながらケチで欲ばりな性癖のために少しも分福の行為に出ないで、
憂は他人に分かつとも良い事は一人で占めようというような人物もある。
諺のいわゆる「
雪隠で
饅頭を食う(トイレに隠れて饅頭を食う)」ような卑劣な行為を敢えてして、そして心
密かに之を知恵あることとしている者も随分有るのである。いかにも単に現在只今だけから立言したならば福を他人に分かつよりは、福を独占した方が自分の享受できる福の量は多いに違いない。しかし福を自分一人だけで享受しようという心、即ち福を
専にしようという心は、実に狭小でケチで、何とも云えない情無い物淋しい心ではないか。言葉を換えれば「福らしくなく福を受ける」ということになるではないか。
一瓶の
佳酒が有ると仮定する、之を自分一人で飲み尽せば酔いを得るに足り、他人と共に之を飲めば自他共に酔いを得るに足りないという場合に際して、自分一人で之を飲み尽して、同座又は同寓の人に分かち与えないのは、福を
専にするのである。自分の酒量には
些過ぎる程であるにも関わらず、之を飲み尽してしまうのは、福を惜しまないのである。他人と共に之を飲めばただ
僅かに口に
麹香(酒の香)を
留めるだけにも関わらず、自分だけで之を飲むには堪えなくて他人と共に之を飲むというのは福を分かつのである。福を惜しまない者の卑しい事は既に説いた通りで、実に
新に刑務所から釈放された者のような
状はむしろ悲しく哀れなものである。
福を分かたない者のケチな心はどうである。これまた
餓犬がその友に譲らないようなことであって、実に「人類もまた一動物である」ということを証拠立てていると云えばそれ迄の情無い景色ではないか。餓犬がその友に譲らないのは畜生の已むを得ないところであるが、少なくとも人として畜生と変わらない心なのは実に情無い話である。たとえ生物学者から言えば人類もまた一動物であって駆けたり飛んだりする動物と多く異なるところの無いのが実際であるにせよ、少なくとも動物中の最高級に属す以上は、他の動物等の及ばない高尚で上品な心、即ち情を
矯めて義に近づき、
己を
克して礼に
復えるような崇美なところが無ければならないのである。そうでなければ人と他の動物とは何の区別するところも無くなるのである。自分を抑えて人に譲る、このようなことは他の動物に殆んど無いところで、人にだけ有り得るところである。物に足りなくとも心に足りて、慾に充たなくとも情に充ちて甘んじる、このようなことは動物には無くて、人にだけ有るところである。およそこのような心を
為してこそ、人もいささか
他の動物の上に立ち得るのである。そうでなければ
何処に人と動物の違いを見ることが出来よう。
一瓶の酒、我を酔わすに足りなくとも人とその味わいを分かち、
器半分の肉、我が満足には不足だが人にその切り分けを
薦める、このような分福の行動は、実に人が
餓犬でなく
貪狼でないところを表わすのであって、単に福を得る道として論じるべき一箇条と云うよりは、人としての高貴な
情の発動というべきである。この
類の高貴な
情の発動があってこそ、我々の社会が「野獣や山鳥の社会」と遥かに隔たった上級のものとなるのであって、このような
情の発動がその人に「超物的の高尚な幸福」を与えるのは言う迄も無く、そしてまた他人には物質的な幸福と心霊的な幸福とを与えるものなので有って、即ちこのような行為は人類社会を高尚にし,善良にし、愉快にする重要な一因子なのである。
一瓶の酒、
器半分の肉、之を分かつも分かたないも元より些細な事である。しかしその一瓶の酒を分かち与えられ、器半分の肉を分かち与えられた人は、之によって非常に甘美な感情を
惹起されるのであって、その感情の衝動された結果として生じる影響は決して些細なものではない。甚大甚深なものなのである。昔の名将の伝記を
繙いたならば、士卒に福を分かち、
恵を贈るのに、昔の名将等がどんなに臨機の処置を取ったかが
窺われるが、之に反して愚将弱卒等は常に分福の工夫に欠けたケチな行為を為すものである。酒少なく人の多い時に酒を河水に投じて衆と共に飲んだ将があるが、之はいわゆる分福の一事を極端に遂行したものであって、流水に酒を
委せたとて誰も酔わすに足りないのは知れ切った事であるが、それでも
尚自分一人で福を
専にするに忍びなくて之を他人に分かつ情は、実に慈愛の徳に富んでいるものである。そうであればその時に流水を
酌んで之を飲んだ者は、もとより酒には酔うはずもないのではあるが、しかしその言うに云えない恩愛には、酔わざるを得ないのである。このように部下を愛す将に対しては、下もまた身を献じてその用を為さんとするのである。およそ人の上となって衆を率いる者は、必ず分福の工夫に於いて徹底するところが無くてはならない。鳥は蔭深い枝に宿り人は慈愛深いところに依るものである。慈愛深い者の情の発動はただ二途あるのみで、その一ツは人の為にその
憂を分かって之を除くのであり、他の一ツは人の為に我が福を分かって之を与えるのである。
憂を分かつことは今此処では言わない。福を分かつ心は実に
春風の
和らぎや
春日の暖かさのようなものであるから、人がもし真に福を分かつ心を抱くならば、その分かつところの福が実際は
些少で言うに足りないものにしろ、その福を享受した人が非常な好感情を抱くことは、例えば「春風は和らぐといえども、物を成長させる力は夏の
南風に
如かず、春日は暖かなりといえども、物を暖める能力は
夏日に如かず」であるにも関わらず
尚春風春日は人に無限の懐かしさを感じさせるのである。
故に分福の工夫に欠けている者は、自然にひっそりした物寂しい
光景になるのを免れないのに反し、分福の事をする者は、自然とその人の周囲に
和気祥光の雰囲気が
揺曳するように感じ、衆人が之に心を寄せるようになるのである。
惜福の工夫と分福の工夫とを共に
能くするは、その人すでに福人たりと云うべきであるが、世の実際を観ると能く福を惜しむ人は多くは福を分かたないで、能く福を分かつ人は多くは能く福を惜しまない傾向があるのは、嘆き惜しむべきである。福を惜しむ工夫をしない人は人の下として人に愛重されるような人ではなく、福を分かつ工夫に乏しい人は人の
上として
帰依信頼されるような人ではない。人もし人の下として身を立てようとするのなら、必ず福を惜しまなくてはならない。福を惜しまなければ福は積もらず、その人は永く無福の境界に居なくてはならないのである。福を分かたなければ、その人は永くただ自分一個の
手脚で以って福を獲得するだけの小境界に
止まり、他人の手脚からは何等の福をも得ないで終るべき道理なのである。
我
能く人に福を分かてば人もまた我に福を与えるべく、たとえ人能く我に福を与えないまでも人
皆心ひそかに我に福の有ることを祈るものである。ここに一商店の主人があると仮定して、その主人が商利を得て必ずこれを使用人等に分かつとすると、使用人等は主人が福利を得るのは、即ち自分等が福利を得ることになるので、勉励して業務に従い努めて、主人に利を得させようとすることは無論のことである。之に反して、主人が商利を得てもただ自分の懐中だけを膨らませて、使用人等に対してなんら分福の行為に出なければ、その使用人等は労力相当の報酬が無いことにはなんら不平不満を抱かないとしても、主人の利不利は自分にとって痛くも痒くもない事となり、自然と福利を得ようとの
念淡く
終には、主人をして福利を得る事実と機会とを逸することが多くなるのである。契約や権利義務の観念や法律や道徳や種々の繋がりがこの人世には存在するものであるから、たとえ分福の欠けた人でも急に不利な境遇に
陥るという事は無いが、要するに分福の欠けた人は自分の手脚だけしか頼めない状態であると云っても良いから、従って他人の力によって福を得ることは少ないとしなければならないのが世の実際が示している現象である。
そもそも力は衆の力を合わせた力よりも多い力はなく、智は人の智を使うよりも大きな智はないではないか。山野の鳥や獣は、一人の
手脚の力で之を得るには足りないのである。大事大業大功大利がどうして、限り有る一人の計画や労務の力で
能く成し得るものであろうか。これ
故に大きな福を得ようとする者は必ず能く人に福を分かって、
自ら独り福を
専にせず、衆人をして我が福を得ることを
希わせるのである。即ち我が福を分かって衆人に与え、そして衆人の力に依って得た福を我が福とするのである。分福の工夫の欠けた人などは
未だ大きな福を為すには足りない者である。
惜福の工夫十分な人が福運の来訪を受けることが多いのは実際の事実であって、遠く史上の
古人について之を調べなくとも、近く我々の見聞き知るところの今人について之を考査すれば直ちに明らかなことであるが、分福の工夫十分な人が好運の来訪を受けることが多いのも、また明らかな事実である。ことにその人いまだ発展しないうちでも惜福の工夫さえあれば、その人は徐々に福を積み得るものであるが、その人が次第に発展して地平線上に出るに及んでは、惜福の工夫だけでは大を成さない。必ずや分福の工夫を要するのである。商業者としては店員や使用人や関係者や取引者に対して、常に自分の福分を分かち与える覚悟と行為とを持つ時は、自然とこれ等の人々はその主人の為に福運の来ることを望むものであるから、人望の帰するところ天意これに傾く道理で、その人は必ず福運の到来を受けるようになるのである。農業者に於いてもその通りで、従業員に対し肥料商に対し種苗供給者に対し、常に福を分かとうとする
温な感情を持つ時は、従業員の
耕耘も
懇切丁寧になるからその農事は十分に出来、肥料商も粗悪な品質のものを供給しないからその効果は十分に挙がり、種苗供給者も良好な種子や苗を供給するから収穫も多くなる道理である。
すべて人世の事は時計の振子のようなものであって、右へ動かした丈は左へ動くものであり、左へ動いた丈は右に動くものである。「天道は
復すことを好む」というが実にその通りで、我より福を分かち与えれば、人もまた我に福を分かち与えるものである。工業でも政治でも何でも一切同じ事である。
故に何によらず分福の工夫に
疎かでは人の上に立つことは甚だ難しいのである。
家康公は惜福の工夫に於いては秀吉に
勝って
居られたが、分福の工夫に於いては秀吉の方が
勝れていた。秀吉の功を収めること早くて家康公の功を収めることが遅かったのは決してただ一二の理由に基づくのでは無いが、秀吉の分福の工夫の甚だ適切であった事も確かにその一理由である。家康公は自己の臣下に対しては多く
知行(領地)を与えられなかった人である。徳川氏代々の家臣の多くは大禄(大きな領地)を与えられなかった。これに反して秀吉は実に気持よくその臣下に
大禄厚俸を与えた人である。この点に於いて秀吉は実に古今独歩の観がある。
加藤清正や
福嶋正則や
前田利家や
蒲生氏郷や、或いは始めから臣下であり或いは中途から旗下に属した者にも、惜気なく福を分かち
恵を施したのは秀吉の一大美点であって、一勇者にも何十万石を与えられたのであった。即ち秀吉が福を得さえすれば臣下もまた必ずその福の配分に
与かるのを得たのであり、主君をして一国を切取らせば臣下もまた一郡或いは一城を得るというのであった。臣下たり旗下たる者、主君の為に
鷹犬の労(狩りでの鷹や犬の働き)を為して血戦死闘も辞せず、である。このようなことは即ち秀吉が早く天下を得た根本の一理由で無ければならない。
蒲生氏郷は大器雄略の士に違いなかった。しかしこれを会津に任じるに当って突如として百万石の大禄を与えたのである。氏郷が底の心の知れない
伊達政宗と徳川家康との間に介在して秀吉の為に大丈夫的苦慮健闘を敢えてしたのも決して偶然では無いのである。北條氏を滅ぼして秀吉が徳川氏に与えたものは実に関東の地であった。徳川氏たるものどうして豊臣氏に対して謀叛を抱き得ようかである。秀吉かって寛ぎの宴席で、「天下の大小名、
余に対して謀叛を抱く者ある筈なし、なぜなら、
如何にしても
余のような良い主人は、世に二ツとあるはずが無いからなり。」と云ったということがある。実に秀吉のその
言は如何に当時に於いて秀吉が福を分かって惜しまない天下第一の人であったかという事を語っているものである。
氏郷の伝記を読めば、当時の英雄等の会合の席上に於いて、秀吉に万一の事が有れば誰が天下の
主たるものであろうという問に対して、氏郷が前田の
老父であると云った。そこで前田殿を除いてはという再度の質問が起って、それに答えては
乃公がと云った。そこでまた氏郷の眼中に徳川氏が無いのを
訝って、徳川殿はという質問が起った。それに答えて氏郷は笑いながら、「徳川のような、人に物を
呉れ惜しむ者が何を仕出かしえようや。」と云ったという事が載っている。氏郷の心中では常に家康公をなにかと思っていたらしいのであるから、これは一時の豪語でもあろうし、又その事実も必ずしも信頼できるものではないが、しかしながら氏郷の語はたしかに家康公の短所に当っていて、家康公の
横ツ腹に
匕首を加えたものである。実にその言葉のように、家康公はその臣下に
大禄厚俸を与えなかった人で、その遺制は近代に及び明治維新前になって徳川氏の譜代大名が皆
小禄薄俸の
徒であった為、真に徳川氏の為に力を尽くそうとする者の力が微小で勢いが弱く、
終に関ヶ原の敗者である長州藩や薩摩藩等の外様大名の為に圧迫されたのである。秀吉は惜福の工夫に於いて欠ける所があった代わりに分福の工夫に於いて十二分であり、家康公は惜福の工夫に於いて勝れていた代わりに分福の工夫に於いてやや不十分であった。
平清盛は随分短所の多い人であった。しかし分福の工夫に於いては実に十二分の人であって、一族一門に福を分かって惜しまないこと清盛のような人は、日本史上に少ない。清盛に反して頼朝は実に福を分かたない人で有って、
佐々木高綱の石橋山合戦の功を賞した時には、日本半国を与えるべしなどと云いながら、その後、これを与えなかったので佐々木は仏門に入ったのである。弟の義経・範頼にも
碌に福を分かたないのみならず、却って
禍を与えたのである。頼朝の家の為に死力を出す人は少なく、平家に忠臣の多かったのも偶然ではない。ナポレオンもまた
能く福を分かった人である。その一族及び旗下臣下等のナポレオンの為に巨福を得たものは
何程あるか知れない。一敗の後、再びヨーロッパに旗を挙げた時、殆んどまた暴風
浪を巻くの勢いを
為したのも無理は無いのである。
足利尊氏(足利幕府創設)は欠点の少なくない将軍であるが、その福を分かつに於いて天下の同情を得て、
新田義貞や
楠木正成のような智勇抜群の人をも圧倒したのである。今の世に於いて、千万人中、誰か
能く福を惜しみ誰か能く福を分かつ者か。人試みに指を屈して之を数えて、その功を成すことの大小を考えて見たならば興味があろう。実に福は惜しむべきであってまた福は分かつべきである。
[#改丁]
人は皆、有福の
羨むべきことを知って更に大いに羨むべきものが有るのを知らない。人は皆、惜福の敢えてするべきことを知って更に大いに敢えてすべきものが有るのを知らない。人は皆、分福の学ぶべきことを知って更に大いに学ぶべきものが有るのを知らない。有福は羨むべきものである、しかも福を有するというのは放たれた矢が天に向って上がる間の状態のようなものであって、力尽きる時は下り落ちるのを免れないと同じく、福をもたらした根本の力が尽きる時は直ちに福を失うのである。惜福は敢えてすべきである、しかも福を惜しむというのは炉中の炭火を
妄に露出させないようなものであって、たとえこれを惜しむことに徹底しても、
新に炭を加えることが無ければ、その火勢火力は増殖することがない。分福の学ぶべきは勿論である。しかも福を分かつというのは、
紅熟した
美果を人と共に食うようなもので、食い
了われば即ち空しいのである。人
悦び我悦べばその時に於いて一応は決済が行われて仕舞ったような訳なのであって、要は人の悦びを得たことが我だけの悦びに比べて優っているに
止まるのである。有福、惜福、分福、何れも皆良い事であるが、それ等に優って卓越している良い事は植福という事である。植福とは何であるかというと、我が力や情や知を以って人世に
吉慶幸福となるような物質や
清趣や知識を与える事をいうのである。即ち人世の
慶福を増進長育するところの行為を植福というのである。このような行為が尊ぶべきであることは、常識ある者は自然に理解していることであるが、解り切った事と批判を受けることを忘れて試みに之を説いて見よう。
私は単に植福と云ったが、植福の一ツの行為は自然に二重の意義を持ち、二重の結果を生じる。何を二重の意義、二重の結果というかと云うと、植福の一ツの行為は自己の福を植えることであると同時に、社会の福を植えることに当たる。これを二重の意義を持つという。後日自分にその福を収穫させると同時に、社会にも同じくこれを収穫させる事になるから、之を二重の結果を生じると云うのである。
今ここに最も些細で最も手近な一例を示せば、人有ってその庭先に一ツの大きなリンゴの樹が有るとする、そのリンゴの樹に年々に花が咲き年々に実って、甘美清快な味を提供することは、確かにその人に幸福を感じさせるに違いない。で、それはその人が幸福を有するのであって即ち有福である。そのリンゴの果実を
妄りに多産にしないで、樹の堅実と健全繁栄とを保たせるのは即ち惜福である。豊大甘美な果実が出来たところで、自分だけがこれを独り占めにしないで、近親朋友に分かつのは分福である。有福には善も悪も無く可も否も無いが、惜福分福は皆大いに貴ぶべきことである。これ等の事は既に説いたところであるが、さて植福というのはどういうことかと云うと、
新にリンゴの種子を播いてこれを成木にしようとするのが植福である。同じ苗木を植付けて成木にしようするのも植福である。また悪木に良樹の穂を接いで、美果を実らせようとするのも植福である。虫の害に
遇って枯れようとする樹が有るとすると、これを薬療して蘇生復活させるのもまた植福である。およそ天地の
生々化育の作用を助け、または人畜の福利が増進するのに役立つ事をするのが即ち植福である。
一株のリンゴの樹と軽んじてはいけない。一株の樹もまた数果数十果ないし数百果の実を結ぶのであって、その一果からはまた数株ないし数十株の樹が生じ、果と樹は
相交互循環して、
無量無辺(限りなく果てしない)の発生と産出とを為すのである。
故に一株の樹を植えるその事は甚だ微少些細なことであるけれども、その事の中に含まれている将来は甚だ
久遠宏大(永遠無限)なもので、その久遠宏大の結果は実に人の信念の機微に繋がっているものであって、一心一念の善良な働きがどれほどの福を将来に生じさせるか知れないのである。一株の果樹は霜害や雪害に堪えさえすれば、必ず或る時間に於いて無より有を生じ、地の水と天の光とを結んで甘美芳香の果実を生じ出す。既に果実が生じれば、必ずや之を味わう人に幸福を感じさせるのであって、主人
自ら之を味わうにせよ、主人の近親朋友が之を味わうにせよ、又は主人に売却されて或る他の人が之を味わうにせよ、
何人かが造物主が人間に贈るところの福恵を享受して、満ち足りた喜びの情を
湛えるに違いない。そうであれば一株の樹を培養成長させることは、些事には違いないが、自己に取っても他人に取っても幸福利益の始まりとなることである、
故に福を植えると云って誤りはないのである。
およそ、このように幸福利益の始まりとなることを
為すのを植福というのであるが、この植福の精神や作業によって世界はどれほど進歩するか知れず、又どれほど幸福となるかも知れないのである。もし、人類に植福の精神や行為が無ければ、人類がたとえ勇猛であったとしても、数千年の昔から
今尚獅子や熊のような野獣と
相伍して居なければならないだろう。たとえ知恵が有るにしても今尚猿や
狒々の
類と林を分かって
相棲まなければならないだろう。たとえ社会組織をする性質が有るにしても今尚蜂や蟻とその生活を同じくしなければならないだろう。幸いに我々は数千年の昔の祖先から、植福の精神に富み植福の行為に服し従った為、一時代は一時代より幸福が増進し、祖先以来の勇気によって建設された人類の権利は他動物に卓絶し、祖先以来の智識を堆積し得て生じた人類の便利は他動物の到底及ばないものとなり、祖先以来の社会組織の経験を重ね来たことによって他動物には到底見られない複雑で巧妙な社会組織を持つようになったのである。農業は植福の精神や行為を体現したかの観のあるものであるが、実にその種を
播き苗を植える労苦は、福神が農民の姿を借りて世に現れて、その福の道を伝えようとしてする労苦と云っても良い程のものである。工業も商業もまたそのとおりで、少なくとも真に自分の将来の幸福や他人の幸福の根源となるものである以上は、これに従事する人は皆福を植える人である。
世に福を持つことを願う人は甚だ多い。しかし福を持つ人は少ない。福を得て福を惜しむことを知る人は少ない。福を惜しむことを知っても福を分かつことを知る人は少ない。福を分かつことを知っても福を植えることを知る人は少ない。考えてみれば稲を得ようとするならば稲を植えるしかない。ブドウを得ようとすればブドウを植えるしかない。この道理から考えれば福を得るには福を植えるしかない。であるのに、人多くは福を植えることを
迂闊の事として顧みない傾向にあるのは甚だ遺憾な事である。
樹を植えることを例としたから再びその例について言うならば、既に一度樹を植えた以上、必ずその樹はその人や他人や国家に対して与えるところが無くて
止むものではないから、このくらい植福の事例として明らかな良い説明となるものはない。即ち植えられた福は時々刻々に生長し、分々寸々に伸展して少しも止むことなく、
天運星移と共に進み進んで何時となく増大し、何時となく結果を挙げるものである。杉や松の大木は天に
聳えるものもある。しかしその種子は二つの指で摘まんで余るものである。植福の結果は非常に大なるものである。しかしその植えられた福は甚だ
微小些細なものでも不思議はないのである。
渇した人に一杯の水を与えるぐらいの事は、どんな微力の人でもすることの出来ることである。飢えた人に食事を振舞うぐらいの事は、貧者もまた之を良くすることが出来る事である。しかし世にはこのような微小些細な事にそもそも何の価値が有るかと思って、之をしない人がある。しかしそれは明らかに誤りであって、
一掴みに余りある微少の種子から、
摩天の大樹が生じることを理解したならば、その些細なこともまた必ずしも些細なことで終るとは限らないことを理解することだろう。自分が幸福を得ようと思って他人に
福恵を与えるのは、善美を尽したものではないけれども、福は植えなくてはならないと覚悟して植福の事に従うのは、福を植えないことに勝ること万々である。
一盞の水、一碗の飯、
渇者飢者に取ってはそもそもどんなにか幸福を感じることであろう。
このようなことは福を植えるに於いて最も末端の事ではあるが、しかもまた決して小事ではない。人の飢渇を気の毒に思い、人の飢渇を救うのは、即ち人が野獣とは異なる根本のものを発揮したもので、このような人類の情愛が積り重なって、人類社会は今日のように成立っているのである。他者の
困憊衰弱を襲って之を
餌食にするのは野獣の行為であって、このような心を持つ野獣は
今尚野獣の生活を続けているのである。
故に人の飢渇に同情する仕ないは些細なようだが、野獣の社会とは異なる人類の今日の社会が出現すると仕ないとに関係していると言ってもよい程の、大きな隔たりの生じる微妙で大切なところがここに存在すると、思わない訳にはいかない。
今日の我々は古代に比べ、もしくは原始人に比べて大きな幸福を有している。これは皆
前人の植福の結果である。即ち良いリンゴの樹を持つ者は、良いリンゴの樹を植えた人の
恵を受けているのである。既に前人の植福のお陰である。我々もまた植福の事を為して子孫に贈らなければならない。真の文明ということは全て或る人々が福を植えた結果なのである。災禍ということは全て或る人々が福を
焼尽した結果なのである。我々は必ずしも自分の将来の福利について判断を下して、そして後に植福の工夫をしなくとも良い。我々は我々が野獣たるを甘んじない、即ち野獣ではない立場から福を植えたい。徳を積むのは人類の今日の幸福の
因になっている。真智識を積むのもまた人類の今日の幸福の根源になっている。徳を積み、智を積むことは即ち大きな植福を得る根源であって、樹を植えて福恵を来者に贈るのとは比べものにならない。植福なる
哉、植福なる哉、植福の工夫を
能くすることで始めて人は価値があると云える。
有福は祖先のお陰に依るので尊ぶべきところはない。惜福の工夫があって人やや尊ぶべし、である。分福の工夫を
能くするに至って人いよいよ尊ぶべし、である。能く福を植えるに至って人は真に敬愛すべき人たりと云えるのである。福を有する人は或いは福を失うことも有ろう。福を惜しむ人は思うに福を保つことが出来よう。能く福を分かつ人は思うに福を為すことが出来よう。福を植える人に至っては即ち福を造るのである。植福なる
哉。植福なる哉。
[#改丁]
人間の行為を種々に分類すれば、随分多数に分類できる。そして、その行為の価値に多くの階級もあろうが、努力ということは確かにその中でも高貴な部分に属するものである。このごろ世に行われている言葉に奮闘という言葉があって、努力とやや近い意味を表わしているが、これは仮想の敵が有るような場合に適当するもので、努力は我が敵の有無にかかわらず、自分の最良を尽してそして或る事に勉励する意味で、奮闘という言葉が持つ感情意義よりも高大で、中正で、明白で、人間の真面目な意義を発揮している。
元来一切の世界の文明は、この努力の二字に根ざしてそこから芽を出し、枝をつけ、葉を生じ、花を開くのであるということが出来る。
しかし努力に比べて、丁度その相手のように見えるものがある、それは好んで
為すことである。好んで為すという事である。努力は厭な事を忍んで為し苦しい思いにも堪えて、そして労に服し事に当たるという意味である。しかし好むという場合には苦しい事も打ち忘れ厭うという感情も全く無くて、即ち意志と感情とが並行線的、もしくは同一線的に働いている場合をいうのである。努力はそれとやや違った意味を持ち、意志と感情とが
相反し
背く場合でも、意識の火を燃え立たせて感情の水に負けないようにして、そして熱して、熱して、
止まないのを云うのである。
或る人が或る事に従事し、そしてその人が我知らず自分の全力をそこに
没頭して事に当たるという場合、それは努力というよりは好んで為すと云った方が適当である。そこで世界の文明は、努力から生じている
乎、好んで之を為す処から生じている
乎と云えば、努力から生じているように見える場合も、好みから生じているように見える場合もある。例えば文明の恩人、即ち各時代の俊秀な人物が或る事業の為に働いて、その恩恵を後世に
遺した場合を考えて見るに、努力の結果のように見える場合もあり、又好んで為した結果のように見える場合もある。これは人々の観察、解釈、批評の仕方に
拠ってどちらにも取れる。しかし正しく之を解釈して見たならば、好んで為す場合にも努力が伴わない時はその進行は頓挫してしまう。そうならないにしても偉大な結果を期待する事は出来ない。パリッシーの陶器製造に於いても、コロンブスの新大陸発見に於いても皆そうである。いかに好んで為すと云っても、例えば有福の人が園芸に従事する場合についても、或る時は確かにそれは苦痛を感じよう。即ち
酷寒酷暑に於ける従事、或いは虫害その他についての繁雑な手当て、緻密な観察、時間的に不規則な労働に服す等の種々の場合に、努力しなければ中途で
止める状態になることも間々ある理屈で、換言すれば好んで為すと云っても、その間には好ましくない事情が生じるようなことは人生に有りがちな事である。その好ましくない場合が生じた時に、自分の感情に打ち
克ち、その目的の遂行に
只管努めるのが即ち努力である。
人生の事と云うものは、座敷で
道中双六をして花の都に到達するようなものではない。
真実の旅行に於いては旅行を好むにしても
尚かつ風雪の悩みがあり
峻坂険路の
艱難があり、或る時は
磯路に
阻まれ、或る時は
九折の
山路に白雲を分け
青苔に滑る等、種々な
艱苦を忍ばなければならない。即ちそこには明らかに努力が必要である。もし、
一路坦々として、砥石のように滑らかで、しかも春風に吹かれ良馬に
跨って旅行するのなら、努力は無いようなものの、全部の旅行がそうばかりは行かない。どんなに財に富み地位に於いて高くとも、天の時、地の状態等に
因って、相当の
艱難困苦に遭遇するのは旅行の免れないところである。
であれば、どれほどこれを好む力が猛烈で、そしてこれを為す才能が卓越していても、徹頭徹尾、好適の感情で或る事業を遂行する事は、実際の人生では殆どあり得ない。種々の障害或いは失敗の伴う事は、
已むを得ない事実である。そしてそれを押し切って進むのは、その人の努力に期待する
他はないのである。
周公、
孔子のような聖人、ナポレオン、アレキサンダーのような英雄、或いはニュートン、コペルニクスのような学者であっても、皆その努力に
因ってその事業に光彩を添え、
勉励に因って大成している事実は、ここでクドクド云う迄もないことである。まして才能乏しく徳の低い者にあっては、努力は唯一の味方であると断言しても
可いのである。それはちょうど財力乏しく地位また低い旅行者が、馬にも乗れず車にも乗れず、ひたすら二ツの
脚の力を頼むより他に
山河跋渉の方法がないのと同様なのである。
しかし、俊秀な人の
仕業を見ると、時にはこの努力無くして出来たように見える場合もあるが、それは表面的な観察で、馬に乗っても雪の日は寒く、車に乗っても荒れた路面では難儀をする。どんなに
大才厚徳の人であっても、やはり楽々とした好適の状態だけで終始する事は出来ない。
況や千里の
駿馬は自然と
駑馬よりは多くを行き、大才厚徳の人は
常人よりは人世の旅行を多くして、常人の到達し得ない
処に到達しようとするものなので、その遭遇する各種の不快・不安・障害・
躓きは従って多いのであるから、その努力が常人を越えているのは云う迄もない。文明の恩人の伝記を
繙いて見るとき、誰か努力の
痕を
留めないものがあろう。殊に各種の発明者もしくは新説の
唱道者、真理の発見者等は、皆この努力に
因ってその一代の事業を築き上げていると言わなければならない。東洋の伝記や歴史を見ると、
英才頓悟(英才は修行無しで直ちに悟る)
若しくは生れながらに智勇を兼ね備えていたと云ったようなものがあって、俊秀な人は何事も容易に為し得たかのように書いてあるが、それは
寧ろ事実ではないと云わなければならない。又、仮に英才の人が容易に或る事を為し得たとしても、その英才は
何れから来たか。これはその人の系統上の前代の人々の「努力の堆積」がその人の血液の中に宿って、そしてその人が英才たる事を得たのである。
天才と云う言葉はともすれば、努力に
因らずに得た知識才能を指すように解釈されているのが世間の常であるが、しかしそれは表面的な
観方である。いわゆる天才というものは、その系統上に於ける先人の努力の堆積がそうさせた結果と見るのが至当である。美しい斑紋を持ち、
若しくは珍しい形をした
万年青が生じると愛好家はその非常な価値を認めるが、しかしその万年青をつくづく研究して見ると決して偶然に生じたものではなく、やはりその系統の中にその高貴な由緒を持っていた事が発見される。草木にしてそうなのである、まして人間において
稀有な尊いものが突如として生れる筈はないのである。
盲人の指の感覚はその文字が読めない紙幣に対しても尚
真贋を弁別出来る程に鋭敏になっている。しかしその感覚力は偶然に得たものではなく、その盲目の不便から生じる欠陥を補おうとする努力の結果が、その
指頭の神経細胞の配布を緻密にしたのであって、換言すれば単にその感覚が鋭敏なだけではなく、解剖学上に於ける神経分布が細密となり、そして
後に鋭敏な感覚力を持つに至ったのである。即ち「機能」が卓越するというばかりでなく、その「器質」に変化が生じて、そして常人に卓越したものとなったのである。これは結局、努力の絶えない堆積は、やがては物質上に変化を与える例証として、認識するに十分ではないか。
この理屈に
拠って
帰納すれば、
俊秀な人なども偶然に現れた生れ付きの才能の所有者と云うよりは、俊秀な器質の遺伝、即ち不断の努力の堆積の相続者、もしくは
煥発者と云う方が適当である。このような説は、或いは英雄聖賢の人に対して、その徳を減じるようにも聞えるが、実はそうではない。努力は人生の最大最善の尊いもので、英雄聖賢はその不断に努めた堆積の結果だというのだから、いよいよ英雄聖賢が光輝を揚げるところであると思う。
未開人が算数に
疎いと云うのも、つまり算数に対する努力がまだ堆積していないからで、即ち代々の努力を基本としていない者が、突然に高等の数理を解釈出来る訳がないから、そこで数学の高尚な域に到達し難いという証例である。我々はともすると努力しないで或る事を成そうとする考えを持つが、それは間違い切った話で、努力より
他に我々の未来を良くするものはなく、努力より他に我々の過去を美しくしたものはない。努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。
[#改丁]
射を学ぶには目標が無くてはならない、舟を勧めるにも目標が無くてはならない。路を取るにも目標が無くてはならない。人の学を修め、身を治めるにもまた目標が無くてはならない。従って普通教育、即ち人々個々の世に立ち功を成す根本の基礎となる教育にも、また目標が無くてはならない。従ってその教育を受ける者に有っても、目標とするところが無くてはならない。目標が無くて射を学べば、射の芸は空しいものになる。目標が無くて舟を進めれば、舟は漂流してその達するところが分からなくなる。目標が無くて路を取れば、「日暮れて宿を得ず、身飢えて食を得ず」となる。人として目標とするものが無ければ、結局のところ
造糞機に過ぎなくなる。教育にして目標が無く、教育を受ける者が目標とするところを知らなければ、読書の音読はつまり蚊や虻の唸り声と変わらず、苦労して勉学に励むことも、無理して心身を疲らせるだけに過ぎないものになろう。では、基礎教育の目標とすべきはどんなものであろうか。又その教育を受ける者の目標として眼を着け、心を注ぐべきところはどういうところであるべきだろうか。
現今の教育は、その完全に普及していることに於いて、前代に比べられないほどに発達している。その
善美精細なことに於いても往時が及ばないほどに進歩している。必ずしも知育に偏してはいない。必ずしも徳育を欠いてはいない。必ずしも体育を
怠ってはいない。教育家が十二分に教育方針を研究して、十二分に教育設備を完璧にしようとして努力している結果、ほとんど口出しする余地のないまでに、一切は整頓しているのが現今の状態であるから、その点に就いては
尚欠陥もあろうけれども、多く言わなくても可である。ただ教育の目標が簡単明瞭に提示されていない。教育を受ける者も明白にその目標を、意識していないように見えるのは遺憾である。そこで、今その点に就いて少しく語ろうと欲するのである。
私が教育及び教育を受ける者の、もしくは独学で学ぶ者の為に、その目標にすることを
奨めるものは、僅かに四箇の義である。目標ただ四ツ、その題を
称えれば一口で余りあり、しかもその義理、その意味、その情趣、その応用に於いては、
滾々として尽きず、
汪々として溢れんとするものがある。願わくは私は天下に為そうとする人と共に、これを口に
唱え心に念じて、忘れないものとしたいのである。
四ツの目標とはどんなものであるか。一に
曰く
正なり。二に曰く
大なり。三に曰く
精なり。四に曰く
深なり。この四ツはこれ学問を修め、身を立て、功を成し、徳に進もうとする者の、
眼必ず之に注ぎ、
心必ず之を念じ、身必ず之に従わなければならないところのものである。之を目標として進めば時に小さな失敗があろうとも、
終に必ず
大いに伸達することは疑うべくもない。
正、大、精、深。このようなことは
陳腐(古臭い)である。今更点出して指示されなくても、我既に之を知るという人もあろう。いかにも陳腐である。新奇のことではない。しかし修学進徳の目標としてはこれほど適切なものはない。陳腐の
故を以って
斥け、新奇の故を以って迎えるのは、才気走ったオッチョコチョイの行為である。
日照月曜(日照や月の輝き)は、その永久性によって人はこれに頼り、
山峙河流(山の
聳え、河の流れ)は、その常に
在ることによって人はこれに
依り、三三が九、二五の十の数理は、その変わらないことによって、人はこれを争わないのである。いわゆる大道理は、その行われること変らず、その在ることを否定し難い、よって人はこれを信頼し人はこれに従うのである。即ちいよいよ久しくしていよいよ信ずべきものを見、いよいよ古くしていよいよ依るものべきを見るのである。
彼の毒菌が湿気で生じ、
冷炎が
朽木に燃えるように、
忽ち生じ忽ち滅すような安定しないものは、そのいよいよ
新にしていよいよ取るに足りず、いよいよ
奇にしていよいよ言うに
価しないのである。教育を受ける者、もしくは
自ら教える者等に対して、新奇の題目を捻出してその視聴を驚かすようなことは、或いは歓迎されるかも知れないが実際は無益なのである。正、大、精、深の四目標、取出して新規なしといえども、決してその陳腐の
故を以ってこれを
斥けるべきではない。
況やまた「
日月は古いといえども
朝暮に新しく、山河は老いたといえども
春秋に鮮やか」で、三三が九、二五の十の数理は珍しくないといえども、算数の術が日々に
新に開けるのも、つまりはこの通りなのである。これを思えばこれら皆いよいよ古くしていよいよ
新に、いよいよ
易にしていよいよ
奇なのである。正、大、精、深の四ツの事これを味わえば味わって
窮まりなく、これを取れば取って尽きない妙味がある。どうしてこれを新奇でないと言えようかである。
正とは中である。
邪でなく誤魔化しのないことをいうのである。学問を為すに当たって、人に勝とうと欲する気持ちが強いのは悪いことではない。しかし人に勝とうと欲する気持ちが強い者はともすれば中正を失う傾向がある。人の知らないことを知り得、人の思わないことに思い至り、人の為さないことを為そうとする傾向が生じて、
不知不識正道から外れ脇道に入るような状態になるものである。努めてこれを避けて自分から正しくしようとしない時は、後になって非常な損失を招く。
偏った書物を読むのも正を失っているのである。奇説に随うのも正を失っているのである。ありきたりの普通の事は全てこれを面白くないとし、怪奇で珍しい事だけを面白いとするのも正を失っているのである。例えば飲食の事は、先ず良くその
飯を不硬不軟に作ることに努めるべきである。
燕窩鯊翅(燕の巣や
櫨の羽―中国料理)の珍味はその後にすべきである。であるのに、ひたすら珍味を探し求めて料理し、却って日常の食事を甚だ
疎かにするのは正を失っているのである。学問を為すのもまたそうで、学問の道にも自然と
大門があり正道があって、師はこれを教え世はこれを示し、先ずは平坦な大道路を歩かせ、その
後に人々の
志すところに至らそうとしているのである。それなのに好んで私見を立て小智に任せ脇道を望んで走る者はその意を悪くむべきでないが、その結果は決して良くはないのである。近来、人は皆勝つことを好んで心
昂ぶり、好んでまやかしの説を聴き、昔から万人が行って過たず、万々人が行って過ちのない大道路を役立たないとし、石ころだらけの
荊道に力を
奮い、前進し、突破しようとする傾向がある。その意気は愛すべきものの、その中正を失っているのは
悦べない事である。学問が進んだ後にそういう道を取るのなら、或いはその人の考え次第で良いかも知れないが、それですら正を失ってはいけないとする心がその人に無くてはならないのである。まして書を読んで
未だ万巻に達せず、知識
未だ古今を照らすに及ばない程度の力量分際で、正を失わないようにとする心の
甚だ
乏しく、奇を追う
念がいよいよ壮んで、たまたま片々たる新聞雑誌等の一時の
矯激の言論等に動かされ、好んで脇道や横道に走ろうとするのは甚だ危ないことである。くれぐれも正を失わないようにして、自分を正しくする
念を抱いて学問に従わなければならない。
大は人皆これを好む。多言は無用である。今の人ことに大を好む。いよいよ多言は無用である。だが世は時に自分を小にして
可とする者がある。
憐にも善良謹直の青年の一派に特に自分を小にする者が多い。一二例を挙げようか、彼等の或る者は
曰く、私は才能なく学問にも暗い、ただ
偶々俳諧を好み
高桑闌更(俳人、江戸時代)にあこがれる。出来れば一生をかけて闌更を研究したいと。或る者は曰く、私、詩文算数法医工技、皆これを
能くしない、ただ心ひそかに庶物を蒐集することを
悦ぶ。マッチの
貼紙を集めて既に一年、約三万五千枚を得た。やがて集積大成して天下に誇ろうと欲すと。このような
類、学者のような、
好事家(趣味人)のような、奇人のような者が甚だ少なくない。これとは別に又一派の青年が有って、甚だ小さなことを思っている。或いは曰く、私は大望なし、卒業して生活でき、幾らかの貯金が出来れば満足であると。或いは曰く、私は
父祖のお陰で家と広い土地と公債が若干ある。今は学問に従っているが、学問が成っても用いるところはない、ただ我が好む書を読み、画を観、浪費もせず、収入も得ず、一生を中流生活で送ろうと思うと。このような類の
卑陋のような、達識のような者もまた甚だ少なくない。これ等は皆
強いて
咎めるべきではない。闌更を研究するのも可、マッチのペーパーを集めるのも可、身を低くして財を積むのも可、
徒座して徒死するのも犯罪をするのに比べて不可はない。されども学問を修める時に当たってこのように我が学ぶところを限り、少しも自分を大にしようとする
念のないのは甚だ不可である。少なくとも学問に従う以上は常に自分で自分を大きくしようと思わなければならない。
妄りに大望野心を懐くことを勧めるのではない。闌更の研究やマッチのペーパーの蒐集を
廃せというのではない。ただこのようなことは、学問が成り年がやや
長けた後にこれを為すべきである。学問に従っている
中は努めて限界を拡大し、心境を開拓し、知能を広くし、知識を多くし、自分で自分を大にすることを、欲しなければならない。
七才八才の時には、努力しても僅かしか挙げることの出来なかった
重石も、成長し身体が大きくなれば、簡単に之を挙げられるものである。七才八才の我が十五才二十才の我に及ばないことは明らかである。これ
故に青年修学時代の我が、後日の壮年になって学やや成れる頃の我に及ばないのもまた明白である。であれば、今の我を以って
後の我を決定するよりは、今はただ当面の事に努め学んでそして習うのみで、何を苦しんで自分を小にし、自分を卑しくし、自分を限り、自分を狭くする必要があろう。修学の道は最も自分を小にすることを
忌む、自尊自大もまた忌むべきこと勿論であるが、大になることを欲し、自分を大にすることを努めるのは、最も大切なことである。人学べば即ち次第に大に、学ばなければ即ち永遠に小なのであるから、換言すれば学問は人を大にする根源だと云っても良いくらいである。決して自分で限界を作って、小にしてはならない。自分で自分を真に大にしようと、努めなければならない。
大には広の意味を含んでいる。今や世界の知識は、相交じり相流れ込み大きな渦巻きになっているのである。この時に当たって学問を修める者は、特に広大を期さなければならない。眼も大に、胆も大にして、見晴らしの良い山上の岩頭から、国の隅々までを見渡す
気概が無くてはならない。世界を見ること
掌中の物を見るが如くという位の意気でなくてはならない。一巻の虫食い本に眼を
眩まされて、死ぬまで
尚机を離れないようであってはならない。これまた当然に大の一字を念じて、そのような境地を脱しなければならないのである。
精の一語はこれと反対の粗の一語に照らして、明らかに理解すべきである。卑俗の語のゾンザイというのは精でないことを指して言うので、精は即ちゾンザイでないものをいうのである。物が緻密を欠き、
琢磨を欠き、選択
疎かで、構造の行き届かない
類は即ち粗である。米の精白でなく、良美でなく、食っておいしくなく、
糟や
糠のいたずらに多い
類は即ち粗である。これに反して物の実質が良く、緻密で琢磨も十分で選択も非で無く構造も行届いている類は即ち精である。米の
糟糠が全て取り除かれ、良美で精白、玉のような、水晶のような、味わってその味の良いものは即ち精である。精の一字を以ってこれを評価する机があると仮定すると、その机は必ずこれを使う人を満足させるだけでなく、必ず永く保存され永く使用に堪えるものであるに違いない。
何故かというと、その材の選択に十分の注意が払われていれば、乾湿に遇っても急に反ったり裂けたり歪んだり縮んだりするようなことも無いだろうし、構造に十分の注意が払われていれば、少しくらいの衝突衝撃を受けても忽ち脚が脱けたり
前板や
向板が外れて、バラバラに解体して仕舞うというような事もないだろうし、また実質が緻密であれば、粗末で脆弱でもないだろうから自然と傷つき損傷する事も少ないだろうし、琢磨が十分であれば、外観も人の愛好珍重を買うに足りるだけの事はあるだろうから、即ち永く使用されるに堪え永く保存されて人に常に満足を感じさせように自然となるだろう。米もまたそうで、もし精の一語を以って評価するような米ならば米として十分な価値を持つものだろう。これに反して粗の一語を以って評価するような机であれば、その机はこれを使う人に不満足を感じさせ不快を覚えさせるだけでなく、幾らも経たずに使用に堪えずに破損して廃物となるだろう。何故かと云えば材料実質が悪くて構造も親切でなく琢磨も行届かないものならば、誰しもこれの取扱いに
愛惜の情も薄らぐだろうし、物それ自体も少しの衝突衝撃にも直ちに破損するだろうから、そういう運命を生じるのも必然の勢いである。米もまたそうで、その粗なものは却って他の
賤しい穀物の精なるものにも劣るくらいである。
何によらず精粗の差は実に大である。学問の道にも精粗の二ツがある。勿論その精を尊ぶのである。その大ザツパでゾンザイであるのを
斥けなければならないのである。しかし机や米に対しては、誰しも精の一語を
下してその製作を評価仕たりその物を評価するのを可とするが、学問に於いては時に異議あることを免れない。と云うのは昔の
大人や偉才が、時に精と云うことに反するような学問の仕方をしたかのように見えることが有るからで、
後の怠け者等がともすればこれに
託けて豪傑ぶったことを敢えて放言して
憚らないところから、自然と精を尊ばない一派が生じているからである。しかしながらその主張は誤解から来ているものが多い。
学問の精を尊ばない
徒がともすれば口にすることは、
句読訓詁(読み方や字句の解釈)の学など
乃公は敢えてしないというのが一ツである。なるほど句読訓詁の学は、学問の最大必要なことでは無いに違いないけれども、昔の人が句読訓詁の学問を欲しなかった点についてはその
志の高く大なるところを見習うべきであって、その語があるから句読訓詁などはどうでもよいと思うのは間違いである。句読訓詁の学を
為してただ句読訓詁を理解することで満足とし、句読訓詁の師であることに甘んじるような学問の仕方をしたならそれは非であろう。しかし句読訓詁を全然顧みないで、何を以って書を読んでこれを理解し悟り得ようかである。句読訓詁に没頭して仕舞うのは勿論非である。句読訓詁などと豪語してゾンザイな学風を身に浸みさせて仕舞うのも決して
宜しくはない。字以って文を載せ、文以って意を伝える以上は、全く句読訓詁に通じないで、そもそもまた何を学び得ようかである。文辞に通じないことは弊害を受ける元である。徂徠先生(
荻生徂徠、儒学者、江戸時代)のような豪傑の資質を以って、
尚かつ文辞についてクドクド言うのも、実に已むを得ないものがあるからである。
仮に句読訓詁を大事としないことが可であるとしても、書を読んで句読訓詁を顧みない習慣を身につけてしまっては、何事をするにも粗雑で
脱漏が多く、間違いを甚だ多くするのを免れないのである。事を為すに当たって間違いの多いのを憎まない人は世に存在しないといえども、習慣がついてしまえばこれを脱するのは甚だ難しいのである。句読訓詁を大事にしないことは或いは可としても、事をするのに
精緻を欠いて、しかもこれを意としない習慣を身に付けることは、百害あって一利無しである。まして学問が日々に精緻を加えるのは今日の大勢である。
偽豪傑達の習慣を決して身に付けないようにと心掛けなければならない。句読訓詁を大事にしろというのではないが、学問をするには精を尊ばなければならないと云うのである。
学問の精密であることを尊ばない徒のともすれば拠りどころとするのに、
諸葛孔明(中国、三国時代の
蜀漢の軍師)が「読書ただその
大略を
領する」ということも又その一ツである。
陶淵明(中国、詩人)が「読書甚だ解することを求めず」と言ったと云うのも、又その一ツである。淵明は名家の後裔で、そして、どうにもならない世に生れた人である。一生を詩酒に終って仕舞ったのである。情意甚だ高いといえどもその境地そのままでは、普通の人の基準と
仕難いものがある。まして
不求甚解とは
空疎疎漏で
可いと言ったのではない。
甚解と云うことが良くないのである。それで甚解を求めないのである。学問読書は細心精緻を欠いて可であるとしたのではない。孔明の大略を領すというのも、領すというところに妙味があるのである。どうして孔明のような人が
表面だけの学問をするものではない。孔明という人は身体が次第に衰え食が
大いに減じた時に当たっても、
尚自分で事務を
執ったくらいの人で、
盲判を
捺すような宰相ではなかった。事をするのに精密周到で労苦を辞さなかった英俊の士である。その孔明が書を読み学問を修めるに当たって、ゾンザイな事なぞを敢えてしたと思っては大きな誤りである。普通の人の読書は多くは
枝葉些末の事を記得して却ってその
大処を忘れるのである。孔明に至ってはその大略を領得したのである。淵明や孔明の伝記にこのような事があるのを引き来たって、学問をするのに精でなくても可であるかのように言う者は、即ちその人既に読書
不精の過ちに落ち込んでいるのである。精は修学の一大目標としなければならない。
ことに近時は人の心
甚だ
忙しく、学問を修めるにも事を為すにも、人はただその
速やかなことに努めてその精であることを心掛けない傾向がある。これもまたその時の世の中がそうさせるところであって、
直ちに個人を責めることは出来ないのである。しかし
不精ということは、事の
如何にかかわらず甚だ好ましくないことである。矢をつくるのに精でなければ
何で
能く
中ることを得よう。
源為朝(平安末期の武将、剛弓の使い手)や
養由基(中国、春秋時代の
楚の武将。弓の名人)に射させても、真直ぐでなく
羽が
整っていなければ、馬を射っても
中らないのは明らかである。学問が精でない時は人を誤るのみである。
「一事が万事」という
諺が教えるように、学問を修める者が仮にも学問の精であることを努めないようならば、その人の観察するところ施すところの万事が精にならないので、世に立ち事に処するに当たっても、自分で過ちを招き失敗することがさぞ多いことだろう。これに反して、学問の精に努めれば万事に心を用い、また自分も精を得て、
不知不識の間に多くの智を得、多くの事を理解して、世に立ち事に処するに当たっても、自然と過ちを招き失敗することはさぞかし少なくなるであろう。ファラデーが電気法則を発見するのも、ニュートンが引力を発見するのも、世の無理解者はこれを偶然と理解しているが、実は精の効力がこれをそうさせたのである。学問に精に、
思に精に、何事もゾンザイにしない、
等閑にしない習慣がその人にあったればこそ、このような有益な大発見を成し出したのである。ニュートンは現に自分で「不断の
精思の
余にこれを得た」と言っているではないか。およそ世界の文明史上の光輝は皆
精の一字の変形でないもの無し、と云ってもよいくらいである。
深は
大とはその
趣が異なっているが、これもまた修学の目標としなければならないものである。ただ大を努めて深を努めなければ
浅薄になる嫌いがある。ただ精に努めて深を努めなければ
拘り
滞る
懼れがある。ただ正を努めて深を努めなければ
迂闊にも、新奇で奥深いところに至ることはできない。井を掘るのに
能く深ければ水を得ないことはなく、学問を為すに能く深ければ効果を得ないことはない。学問を為すに
偏狭固陋(偏狭で新を好まない)なのも病気であるが、学問を為すに博大で浅薄なのもまた病気である。ただ
憾むべきはその大を努める人は、多くはその深を得るに至らないことである。
しかし人力は元より限り有るものであり、学海は広々と広がって果てし無く広いものであるから、全ての学科がことごとく
能く深に達するという訳には行かないのは無論である。
故に深を目標とする場合は自然に限られた場合で無ければならない。一切の学科に於いて、皆その学問の深いことを欲すれば、超能力を持たない以上は、その人の心身は疲れ精力は尽きて、苦しみ死ぬのを免れないのが普通である。深はこの
故にその専攻部門にのみこれを求めるべきである。
濫りに深を求めれば狂気を発し
病を得るに至るのである。
ただ人々の天分に
厚薄があり、資質に強弱はあるけれども、既にその心を寄せ、
念を
繋ぐところを
定めた以上は、その深に努めなければ井を掘って水を得るに至らず、いたずらに空穴を造るだけになる。甚だ好ましくないと云わなければならない。どこまでも深く、深く、努め学ばなければならないのである。天分薄く資質弱く力
能く
巨井を掘るに堪えない者は、初めから巨井を掘ろうとしないで
小井を掘ることを思うように、即ち初めから部門広大な学問を為さないで、一小分科を修めるが良い。天分薄く資質弱しといえども一小科を修め、深を努めて
已まなければ能くその深を為し得て、そして
終には効果のあるべき理屈である。例えば純粋哲学を学ぶには甚大な能力を要するが、或る学者を選んでその哲学を攻究するとすれば、研究は自然とその深を為し易い理屈である。美術史を修めるのを一生の仕事とすれば、その深を為すことは甚だ容易ではないが、一探幽、一雪舟、一北斎を研究することは、資質弱く天分薄い者もまた、或いは良く他人の急には考え及ばないような、深い研究を為し得る理屈である。このゆえに深の一目標に対しては、人々個々で
予め考えておかなければならない。要するに修学の道、そのやや普通学を修了しようとするに際しては深の一目標を看取って、そして予め自分で選択しなければならない。そして学問世界、事業世界の
何れに従うにしても、深の一字を眼中に置かなければならないことは、少なくとも或る事に従う者の、皆忘れてはならないところである。
以上述べたところは何の奇も無いことであるが、眼に正、大、精、深、この四目標を見て学問に従えばその人さぞかし大過の無いことだろう、私の確信するところである。
[#改丁]
何事に依らず人が或る時間を埋めて行くには、心中にせよ或いは掌中にせよ、何かを持っていなければ居られない。まるで空虚で居ることは出来るかも知れないが、先ず普通の人々には出来ない。そうであれば心中や掌中に何物かを持っている事が常であるならば、その持っているものが良いもので有りたいのは云うまでもない。
いわゆる
志を立てると云うことは、或るものに向かって心の方向を確定する意味で、言い換えれば心の向かうところを
定める訳なのだ。であるから、心の
執る処のものを、最も良いものにしなければならないのは自然な道理である。従って志を立てる場合は、固いことを欲する前に、先ず高いことを欲するのが必要で、さて志立って
後はその固いことを必要とする。
そうであれば、立てる志は最高が良いかと云うと元よりそうである。しかし万人が万人、同じ志であるという事はあり得ない理屈だ。各人の性格に基づいて、その人が
可とする処に心を向けて行くべきなのである。政治上の最高地位を得て最大の
功徳を世に立てようとか、或いは宗教上道徳上の最上階級に到達して、最大の恩恵を世に与えようとか、更にまた文教美術の最霊の境涯に到達して、その恩恵を世に与えようとか、それ等は
何れも最高の階級に属するもので、方面はそれぞれ変っても立派なことは同じであるが、方向を異にするのは各人の性格から根ざして来るのである。そこで或る性格の人は同じ最上最高のところに志を立てるにしても、或る事には適当し、或る事には適当しないということがある。即ち性格がその志に適応しなければ駄目なのである。
これ等は最も卓絶した人について云うので、普通の人は性格そのものが、最上最善ではあり得ない。甲乙丙丁種々あるけれども、第一級性格の人もあれば、第二級性格の人も有り、また第三級の性格を持っている人も有る。元来人の性格はそのように段階を区別することは出来ないものである。肉体にも或る人は百八十センチの者もあり、或いは百七十センチの者もあり、また百六十センチの者も多くある。このように
身長にも種々段階があるように、性格にも自然と非常に高い人も有り、中位の人も有り、更に低い人も有る。そこで第一級の性格の人は、第二級の性格の人が志望するような事は自然に志望しない、第二級の性格の人は、第三級の性格の人が志望するような事は自然に望まない。それが実際社会の状態であって、各人の性格に基づくのだから致し方がない。たとえば此処に美術家があるとすると、古今絶無の第一位の人になろうとする者もあり、昔の人に比べて
誰位になれれば満足と思う者もあり、それよりも低い古人を眼中に置いて、それ位で満足であると思う者もある。また更に低くなると、ただ一時代に称賛を
博して生活状態の不満さえなければ、それで満足とする者もある。このように人々の
身長の高さに種々あるように、人々の志望の度合も、性格に応じて自然と高低が現われて来る。
中には又、非常に謙遜の美徳をその性質に備えている為に、自己の志望よりも自己の実質の方が卓越しているくらいの人もある。そういう人は先ず
稀有であって、事実に基づいて云って見れば南宋の
岳飛(中国、南宋の武将)は、歴史上の
関羽(中国、三国時代の蜀漢の武将)、
張飛(同じく蜀漢の武将)と肩を並べれば満足であると信じたが。岳飛の為した事は関羽張飛と肩を並べるどころではない。むしろ関張よりも偉いくらいである。また三国の時の孔明(諸葛孔明)は、
管仲(中国春秋時代、斉の政治家)、
楽毅(中国戦国時代の燕国の武将)などの人々を自分の心の目標としていた。けれども孔明の人品業績は決して管仲楽毅の下には居ない。この二人のように謙遜の美しい性質を有した人は例外的であって、多くの人々は百を得ようとして十を得、十を得ようとしてその
半にも達しないで終る。それゆえ
志は性格に応じて、出来るだけ高いことを欲する。大きな志望を
懐いても、三十、四十、五十とおいおい年を取るに従って、遂には
街中に朽ち果てて終るのが常であるから、人は少しでも高い志望を懐かなければならない。
一生を
委ねる事業は暫くさしおいても、日常些細のことでもやはり同じである。娯楽でも何でも心中や掌中に持つものは、願わくは最高最善のものでありたい。ある人は盆栽を買っても安いものを買い、鳥を飼ってもイヤなものを飼い、園芸をしても
拙劣ものを作り、その他謡曲にしても、和歌にしても、また三味線にしても、種々の娯楽をするにおいて、いずれも最低最下のところで終る人がある。また或る性格の人は、種々の楽しみの中で、「盆栽は好むが他は好まない。盆栽でも草の類は沢山あるが、自分は草を
措いて木を愛す。また木にも色々あるけれども、自分はザクロを愛玩する。その代りザクロに於いては誰よりも深く
玩賞し、かつザクロに関する智識と栽培経験とを誰よりも深く広く持って、そして誰よりも良いものを育てよう。」とする者がある。些細のことであるが、ザクロに於いて天下一になることを欲して、最高級に志を立てる者がある。そういう人がもし他の娯楽に心を移したなら良い結果は得られないが、このように決意して変心しなければ、第一になることは出来ないまでも、その人が甚だしい
鈍物でないならばザクロに於いては決して平凡な地位では終らない。ザクロの盆栽造りに於いては他人が及ばない位の高度な手腕をその人は持ち得るようになる。それは最高に志望を置いた結果で、凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求めるならばその人は比較的に成功し易い。
近頃ある人がミミズの生殖作用を研究して、専門家に利益を与えたという事が新聞に見えた。これは誠に興味ある事例で、ミミズのような詰らないものにしても、その小範囲に永年月の間、心を費やせば、その人は特に卓越した動物学者でないにも拘わらず、卓越した学者にすら利益を与え得ると云うことになって、永い間の経験の結果は、世の学界に或るものを寄与貢献したということになったのである。実に面白いことではないか。
人々の
身長の高さは
大凡定まっているのであるから、無暗に最大範囲に於ける最高級に達することを欲せず、比較的狭い範囲内において
志を立てて、最高位を得ることを欲したならば、平凡の人でも
不知不識のうちに、世に対して
深大な貢献をなし得るであろう。何をしても人は良い。一生瓜を作っても、馬の蹄鉄を造っても、また一生
杉箸を削って暮しても差支えない。何に依らずそのことが最善に到達したならその人も幸福であるし、また世にも幾らかの貢献を残す。いたずらに第二第三級の性格であることを顧みないで、第一級の志望を懐くよりも、各自の性格に適応するもので最高級を
志したならば、その人は必ずその人としての最高才能を発揮して、大なり小なり世の中に貢献し得るだろう。
[#改丁]
「物に接するに宜しく厚きに従うべし」というのは
黄山谷(中国北宋時代の書家、詩人、文学者)の詩の句である。人の心持ちは当然
温かであるべきである。
人の性情も多種である。人の境遇も多様である。その多種な性情が多様な境遇に会うのであるから、人の一時の思想や言説や行為もまた実に千態万状であって、本人といえども予想し見通すことの出来ないものが有るのは、聖賢ではない身の避けがたいところである。であるから、人の一時の所思や所言や所為を捉えて、その人の全体であるかのように論議して批判するのはもとより当を得たことではない。だが
是を是とし
非を非とすることが、不当だとする理屈はこれまた更に無い。
故に是を是とし非を非とするのもまた実は
閑事で、「物言えば
脣寒し秋の風」という一見解は此処では取らないで差支えはないが、ここに当面の是を是としないで非とし、非を非としないで是とするようなことが有ったならばどうだろう。その人の性情境遇がそうさせたにしろ、これを
可とすることは断じて出来ないのである。ましてその性情がねじくれていて辛辣で、自分は世に認められず、思い通りにならず、そして不平満々、ガツガツした状態に在る者の、過激な言葉や噂などから生じた論議批判などは、問題とするに足りないことは勿論である。従ってこれを断固排斥すべきであるのもまた勿論である。性癖はどうにもならないが、人は成るべく「やはらかみ」と「あたたかみ」とを持ちたいものである。仮にも助長の作用を為して
剋殺の作用は為したく無いものである。
喩えを用いてこれを説明しよう。人は皆容易に私の意見に納得するだろう。助長とは読んで字の通りで助け長じるのである。
剋殺は
剋殺すのである。ここに一ツのアサガオの苗が芽を出したと仮定すると、これに適度の量の適温の水を与え、或いは汚泥、或いは腐魚、或いは
糠秕、或いは燐酸石灰等の肥料を与え、その
蔓を
絡ませる
篠竹や
葭等で、支柱を設けて地に倒れることのないようにして、丁寧にその虫害を防ぐようなことは即ち助長である。理由無くその芽を摘み去り、その葉をむしり取り、その
幹茎を踏みにじって地に倒し、
瓦礫を投げ捨てて、傷つけるようなことは剋殺である。牛・馬・犬・豚のようなものに対しても、これを愛育し長成するのは助長である。草木や動物に対してだけでなく、
一机・
一碗・
一匣・
一剣に対しても助長剋殺の作用は有るのであって、これを撫でさすり愛玩すれば、桑の机ならその机は次第に桑の特質である褐色の
艶を増して来て、最初のただ淡黄色であった時よりもその優麗を加えるものであり、
楽焼の碗ならばその碗は次第に粗面のところも手に触れて不快の感を起させなくなり、
黒漆の
匣ならばその匣は次第に漆の異臭も消えて、
浮光も無くなり賞すべき古色を帯びるようになり、剣はまたその手入れを
怠らなければ、その
利を加えないまでもその鋭さを保って錆の生じることもない。このようなことは皆
助長の作用である。これに反して机を汚して
拭わず。あるいは小刀で刻んだり錐で穴をあけたりしてこれを傷つけて顧みず、碗は汚れて洗わずこれを衝撃して傷やひびで醜くし、匣を
毀損し剣を錆だらけにするようなことは剋殺の作用である。古人の書画等に対してもまたそうであり、故紙や書物の断片の
将に廃棄するところを救い、これを新装し再生するようなことは助長であり、心無く埃まみれに放置し、鼠や虫の害に遭わせたり,濡らしたり焼け焦げを作ったりするようなことは剋殺である。
上挙の例に照らせば不言の
裏に私の心は自然に明らかであるが、まさに一切の美なるもの用あるものに対しては助長の念を懐くべきであり、決して剋殺の事を為すべきではないのである。助長を心がける人の周囲には花は美しく笑い、鳥は高らかに歌い、羊は肥えて、馬は
逞しく、器物什具は優雅に観えるが、これに反して剋殺を平気でする人の周囲には、花も
萎み枯れ、鳥も来て啼かず、羊
痩せ馬
衰え、
鼎(脚付の器)は脚を折って倒れ、弓の
膠は
剥げて裂け、
甕の口は欠け、
鐺の耳は取れ、雑然とし紛然として散らかり放題の状況になる。
人の性情は多種であるから、自分では無意識に剋殺の作用を敢えてして
憚からない者がいる、その人
未だ必ずしも狂人ではないのであるが、それは思うに幼時の
躾がそうさせたもので、その習慣がその人に
禍をするとは言えないが、その習慣が決してその人を幸福にするとも言えないのである。世にはまた一種ひねくれた性質から好んで剋殺の作用を為し、朱を名画に加え指で宝器を
弾くようなことを敢えてして、しかも意気は洋々、眼はランランとさせて、自分で
傲る者も有るが、これ等は
真に
無知蒙昧の愚か者というべき者である。
何等自分が得するところも無いだけでなく、実に人を傷つけ世を害するものであって、このような人に
因って我々はどんなに多大の損害を受けているか知れないである。
雪舟(室町時代の水墨画家)は
唯一人であり
尾形乾山(江戸時代の陶工)は唯一人であるが、雪舟の画を破り棄てる人、乾山の皿を
毀損する人は、何十人何百人何千人と有る理屈であるから、剋殺を
躊躇わない人ほど実に無価値な者は世にないのである。哲学的に論じたならば剋殺もまた進化の一作用であるから、剋殺を平気でして
躊躇わない人もまた進化の作用を助けているには違いない。このような人があって、未来の為に路を開くのであると論じれば論じられないものではないが、それは超人的の議論であって、実際の社会とはかけ離れているのである。美なるもの用あるものを、傷つけるよりほかに能力の無い人ほど哀れで悲しい人は無いのである。人まさに助長を心掛けて剋殺を憚からなければならない。
以上は動植器物に対しての
言であるが、私の本意は庶物に対してでは無い、実に人の悪でない思想や言語や行為に対しては、むやみに剋殺的の思想や言語や行為をしないで、助長を心掛けるべきであると思うからである。ここに人があって或る一事を為すことを欲すと仮定すると、その事が不良であったり凶悪であったり狂妄であったりすれば止めるが、少なくともそうでない以上はこれを助長してその
志を成し、功を遂げさせるべきではないか。たとえ我がこれを助長するのを好まなくとも、なんで
傍からこれを剋殺して、その志が成らずその功の遂げられないことを望むような行為に出る必要があろう。であるのに、世間には自然と過激で奇異の思想を懐き、言語を弄し、行為を敢えてする一種の人があって、
是を是とし非を非とする以上に、不是を是とし、不非を非とし、それを以って快事とするような行為に出る者があるのは悲しむべきことである。人あるいはこのような者は世に存在しないと云うだろうが、実際は動植器物に対して助長を心掛けず剋殺を憚からない人が少なくないように、人の善や人の美に対してもこれを助けようする者は比較的少なく、之を毀損し之を傷害しようとする者が決して少なくないのである。
過日の事であったが、私は山の手の名を知らない一坂道に於いて、転居の荷物を運搬する一
大八車(当時あった、人力運搬車)が、積荷が重くて人力不足の、加えて路面が渋っていて登り悩んでいるのを目撃した。その時に坂下より
相伴って来た、二人の学生のその一人はこれを見て忍び難く、進んで車後より力を貸したので、車はかろうじて
上ろうとして動いたのである。であるのに、他の一人が声高くこれを
冷罵して、「止めろ、偽善家」と叫んだので、車を押した学生は手を離して駆け抜けて仕舞って、既に車より前に進んで居た冷罵者に追い着いて、今まで同様に相並んで坂を上って行ってしまったのである。車夫は忽ち助力者を失った為に、急に後へ引戻され、事態甚だ危険な様相を呈したが、幸いに後から来た二人があって、
咄嗟に力を貸したのでぶじを得たのであるが。私は坂上より差掛ってこの
状を見て、思わず肝を冷して心を寒くしたのであった。この事は
真に一小事で語るに値しないのであるが、これに類した事は世に甚だ少なくないのである。一青年が力を貸して車を押したのは、いわゆる思い遣りの心とでも言おうか、
仁恕の心とでも言おうか、何にせよ或る心の発動現象であって、儒学者的に称賛するには値しないが、その行為は決して不良でもなく凶悪でもない。私に言わせれば、他の一青年がその心の発動に対して剋殺的の言語を出すには及ばないことである。否、むしろ助長的の意義ある言葉を出してその心の発動を遂げさせても可であり、又その学生も協力して労を分かっても不可で無いと思う。であるのに、冷罵を加えて「君なんぞ
自ら
欺くや」と言わんばかりに
刺笑した為に、一青年の心はアサガオの苗が、ただ一足で踏み潰されたみたいに忽ちその力を失い、突如として車を捨てて走るに至ったのである。これを目にした私は
後になって之を思い之を味わって、悲しみに心をいためたのである。我々もまた、時に
彼の冷罵を加えた青年のような行動を、無意識の間にすることが無いとは限らない。そしてその為に、自他に取って
何等の幸福をもたらさずに、却って幾らかの不幸を、自他に贈っていることが無いとは限らないと思わずにはいられなかった。
動植器物は愛すべき、用いるべきであり、殺したり壊したりしてはならないことは自明の道理である。人の善を成して美を為すことに於いても、また助長的態度に出なければならないことも自明の道理である。他人が宗教を信奉するのに出会い、これを嘲笑するのは科学を
悦ぶ者の免れないところであり、他人の科学を尊信するのを見れば、これを
罵詈するのは宗教を悦ぶ者の免れないところである。しかし人の性情は多種であり人の境遇は多様である。自分の
是とするところだけを是としては、天下は是でないものが多くて堪えられないのである。
故に少なくとも不良で無く凶悪で無く狂妄で無い限りは、人の思想や言説や行為に対しては、少なくとも剋殺的で無く助長的で有るべきである。まして多く剋殺的な者は、その人のひねくれた性情と境遇の不満に基因することが、実際世界に於いて甚だ明らかに認識されている、と云っても大きな誤りではないのである。
[#改丁]
人はその内より之をいうときは、天地をも
覆い尽くし
古今をも包括しているものである。天地は広大であるが人の心の中のものに過ぎない。古今は悠久であるがやはり人の心の中に存在するものである。人の心は一切を容れて余りあるものである。人ほど大なるものは無いのである。しかしその外より之をいうときは、人が天地の間に在るのは大海の一滴、大沙漠の一砂粒のようなものであり、また人が古今の間に在るのは、大空の一塵、大河に浮ぶ一泡のようなものである。人は空間と時間との中の一ツの微小なものに過ぎないのである。
その内よりいうことはしないで、その外よりいう方について一言すれば、人すでに空間及び時間中に包有される一微小の物である以上は、我を包有するところの空間や時間の、大きな威力勢力の為に支配されるのを免れることは出来ないので、即ちその測りがたい大威力大勢力の左右するところとなっているのである。日本に生れたものは自然に日本語を用い、日本人の性情を持ち日本人の習慣に従っているのが現実である。ロシアに生れたものは自然にロシア語を用い、ロシア人の性情を持ちロシア人の習慣に従っているのが現実である。これ等は明らかに人が空間の威勢に左右されていることを語っているのである。
空間の人に対することは此処では語らない。時間が人に対してその威勢を加えていることも、甚だ大きなものである。鎌倉時代の人は、自然に鎌倉時代の言語風俗習慣を持ち、また同じ時期の思想や感情を持っており、奈良朝時代の人は、自然に奈良朝時代の言語風俗習慣を持ち、また同じ時期の思想や感情を持っていたのである。人々個々の遺伝や特質によって差異があるのは勿論であるが、時代の威力勢力があらゆる人々に或る色を与えているということは誰しも認め得る事実である。このような一時期一時代という
稍々長い時間の威力勢力が人に及ぼすことは、これも今
説こうとする点では無いので措くとして、ここに言おうとするところは、一年の四季が人に及ぼす威力勢力と、かつ人がその威力勢力に対して、如何に応答し如何にこれを利用すべきか、ということである。
一年の四季が人の一身に及ぼすところの有るのは、大きな空間や長い時間がその威力勢力を人に影響するのと同じ理屈である。一時代は一時代でその威勢を持ち、十年二十年は十年二十年でその威勢を持っている。それと同様に一年は短い時間では有るけれども、
尚かつ一年だけの威勢を持ち、そしてその勢力を人の上に加えるのである。
尚一層詳しく言えば、春は春の威勢を持ちこれを人の上に加え、夏は夏の威勢を持ちこれを人の上に加え、秋は秋、冬は冬の威勢を持ちこれを人に加えているのである。
人間と季節との関係は、昔から感覚の鋭敏な詩人や歌人等が十二分にこれを認めているところである。私が一々例証を挙げる迄もなく、少なくとも詩歌を理解する能力を持つ者は
若し春の詩歌を読んだならば、明らかにその春の詩歌の中に、春の威勢が如何に人間に影響したかということを表す辞句を容易に見出すだろう。秋の詩歌を味わったならば、明らかにその詩歌の中に秋の威勢が人間に影響したことを表す辞句を容易に見出すだろう。昔の四季の詩歌は言い換えれば殆んど皆四季の威勢が人間に影響する状態を
吟詠しているのが、即ち四季の詩歌であると云っても
宜しいくらいである。
詩歌以外に於いても遠い昔から、四季が人間に及ぼすところのものを、ズバリと言い切っているものは決して少なくない。そのことについて
断片零句を拾って証明するならば、人文が生まれて以来の多くの文字は皆この事の証拠とすべきものであろう。もし、その比較的詳細にかつ適切にかかる事を説いたものを求めるならば、『経書』以外の古いものでは『
呂覧』などは最も詳しく説いているものである。古代の人の思想には天時が人事に関係が有るばかりでなく、人事が天時にも関係影響すると考えていたことは、『呂覧』が極めて明らかに表わしている。いやそれどころではない
殷(中国古代の王朝)の
湯王が自分を責めた語などを見ても、天と人とは甚だ緊密に関係していると古人が認めていた事が
窺われる。これ等の事を考証するのが本意ではないから今は論じないが、かかる事例や証拠は少なくとも多少でも昔を知る者が、これを引用することは難しいことではない。
昔は昔である。多く云うに
価しないとしても
宜しい。直ちに今の我々の上について、我々の実際に感じ真実に知るところを
基として語ろう。我々の目で見て心で知るところに就いて一言してみようか。我々はやはり四季が我々に及ぼす影響の少なくないことを認めない訳にはいかないのである。
鉱物界には生理が有るか無いか知らないが、先ず常識の考え得るところでは生理は無いようで、その在るところは物理だけのようである。植物界には意識は有るか無いか不明であるが、その存在するところは生理と物理とで、常識の判断では心理は無いようである。
舍利が子を産むの、
柘榴石が生長するの、黄玉が徐々に老いてその色を失うのということは、事実が有るにしてもそれは物理がそうさせるので生理の働きでは無いようである。
阿迦佗樹に感覚があるの、フライトラップが
自ら食物を取るの、
含羞草が感情的に動くの、或る植物が徐々に自己の所在地を変更して歩行するような観を為すのと云ったところで、それは物理生理がそうさせるので心理の働きでは無いようである。人と動物とに至っては物理、生理、心理が備わっているのである。
それなので、鉱物界の物ですら四季の影響を受けている。即ち鉱物体の隙間に在る水分は、冬の寒気に
遇って氷となり膨張し、春の暖気に
会して融けて消え去るために、崩壊砕解の作用が行われるのである。或いはまた夏の烈日や
霖雨が酸化作用を促して、秋の暴風や厳霜が力学的熱学的に働く為に、断えず変化が起こされているのである。また植物は鉱物に比べていよいよ多く四季の影響を受けている。太陽の光線の量と熱が異なる、それ等の事情の為に物理の作用を受けるのは勿論の事、植物自身が生理作用を持つだけに物理作用が生理作用に影響して、生理状態が季節と共に変遷し、そしてその繁栄と
衰枯の
始終を遂げるのである。春に花咲き、夏に茂り、秋に実り、冬に眠るのは、樹木の多数が現わすところの四季の影響である。春に生じ、夏は成長し、秋には自然に後に伝わる子を
遺し、冬には自然に生活の閉止を現わすのが、穀物や野菜類の多数が示すところの四季の影響である。このような自然の有様は一切の人の認め識っているところで、そしてこの自然の情勢を利用して、春は
播種して之を生じさせ、夏は
耕耘施肥してその成長を助け、秋は収穫してその功を収めるのである。
これが穀物や野菜類に対しての
大概の道である。また春には花を求め、夏には葉を取り、秋には実を収め、
幾春秋を経た
後には材を取るのである。これが樹木に対して無理のない処理の大概の道である。人は植物と四季との関係を明白に知っている。そしてその智識によって巧みにその関係を利用する。それと同様に家畜やその他の動物等に対しても、四季が家畜やその他の動物等に及ぼす関係を明知して、そしてその関係を利用するのに
拙くない。蜂から蜜を収め、
蚕から
繭を収め、鶏から卵を収め、家畜からその仔を収めることについても、皆々季節によってこれを得ることを知っている。狂人でない限り季節が与えないものを得ようとはしないのである。
これ等の道理に照らして考えたならば、内省の力を持つ人類は、自分が四季の作用をいかに受けているかを観察して、そしてその四季との関係を洞察して、その関係状態に順応して処すのが良いということに心づく筈である。人類は他の動物よりは確かに卓絶した有力な心理(意識)を持つ。その心理が有力であるだけそれだけ、四季の支配を受けることが他の動物ほど著明でなくて、心理の力だけで行動しているように見えるものである。動物は下等になれば下等になるだけそれだけ心理の力が弱くて、そして心理の力が弱ければ弱いだけ、著明に四季の支配を受けていることを現わしている。犬や馬のような高等動物は随分心理で行動する。
海鼠や
蛞蝓はやはり心理で行動することも有るだろうが殆んど生理だけで行動しているようで、心理で行動しているところは我々の眼には
上らないと云ってもよいくらいである。心理で行動することの多い者の行動はその一点頭一投足も、その動物自身の意志感情から点頭し投足するように見えて、自然がそうさせているようには見えないものである。特に人類は自意識が旺盛であるから、自分の行動はすべて自分が之を為すように感じていて、自然が之を為させているようには感じないのが常である。
そこで人類は四季が人類に及ぼす影響を的確に知って、そして自分で之を利用するとか、之に順応するとかいうところまでにはなっていないように見える。もし植物や家畜に於いて、四季の作用することが
甚大甚深でありかつその作用に順応し、または之を利用することが有理でかつ有益であることを認めたならば、人類もまた天地の外に立ち、日月の照らさないところに居るものでない以上は、他の動物や植物と同じく四季の作用を受けている道理で有るから、詳しく四季が我に作用する根源を考えて、之に順応し或いは之を利用するのが、有理の事であり有益の事ではないか。自意識が旺盛な為に一切が我から出るとしているのは、自分の
掌で自分の眼を
覆っているようなものではないか。人類が他物に比べて優秀なのは、疑いもなくその自意識の旺盛な点にも在るが、自意識が旺盛なだけで一切の事が完了してはいない。太陽の熱は、自意識の旺盛なものにも無意識のものにも同様に影響しているのである。四季の循環は、一切の物の上に平等に行われているのである。自意識が旺盛なままに、自然が我に加える根源のものの存在することを忘れているのは、観察の智識が完全ではないとしなければならない。試みに四季の循環が我々に及ぼすところのものを観察することに努めてみようか。
春は草木の花を開かせ芽を
抽かせ、動物をその
蟄伏の状態から活動の状態に移す。草木の花が開き芽を出すということは、明らかに草木の体内に於いて生活の働きが盛んになって、その栄養分である水気の
類が毛根から吸収されて幹を
上り枝に伝わりそして外に発するのだ、とも言い得ることを示している。換言すればまた太陽の温熱が加わったり、空気の湿度が異なって来たりする為に末端が刺激されて、そしてその為に水気等のものが促進されて上昇するとも言い得ることを示している。動物等が春に
遇って次第に多く活動するようになるのはそもそも何に因るのであろうか。専門学者ではないので自説を詳述し確信することは困難であるが、要するに気温気湿の変化と地表の状態の変化とに基づくのが第一で、次にその摂取する食物の性能の差異に基づくのが第二の原因であろう。夏秋冬の三季に於ける植物動物が自然から受けるものも、また春と同じく皆太陽熱から起こる気温気湿等の空気状態、及びこれによって起きる地表の状態の差や食物の差等に基づくのであろう。
人類は四季の為にどういう影響を受けるだろうか。春が来て風が
和らげば人もまた冬とは同じではない。春になれば人の顔にも花は咲くのである。この事は昔から人々も観察し得ていることである。黄ばみ黒ずんでいた人の顔は、紅色を帯びて来て次第に鮮やかに美しくなり、
悴み
萎びて
硬ばったり亀裂したりしていた人の皮膚は、
潤い
軟らいで生気を増し、
瑞々しく若くなって、しもやけ等も
治り、筋肉は緊張し血量は増加したように見える。従って心理状態もまた冬期とは異なって、確かに発揚すること多く、
退嬰すること少なく、家に籠るのを
厭い外出を喜ぶようになり、機械がするような労作には飽き易くなって、動物がするような意志あり感情ある仕事を為そうとする。着実な事よりは
華麗な事に従いたがる。穏健な事よりは矯激な事を喜ぶ。理性に従うよりは感情に従いたがる。泣くよりは笑いたがる。
愁えるよりは
悦びたがる。
勤めるよりは遊びたがる。青壮年男女に於いてはいわゆる春気が発動する。このようなことは春が人に及ぼす大概である。
顔色が
艶を増し、感情は
和やかに、人が春に於いてこのようになるのは自意識に基づくのであろうか。それとも自然がそうさせるのか。疑いもなく意識だけには基づかないのである。春に於いて人の顔色が美しくなるのは、血液の充実に基づくのである。血液は何故に冬は減少し、春は充実するのであろう。この事実は寒暖計の水銀が直ちに示している。ゴム
球の中の空気が明らかに教えている。水銀や空気が熱に
遇えば膨張するように、同じ重量の血液にせよ温熱に遇えばその容積は膨張し増加して、同じ容器内では充実の観を生じて来る。春暖に際して人の皮下体内に血液が充実して、
漲り溢れるばかりの様相を生じ来る理由は決して唯一の理由ではなく複雑な理由から成立っているには違いないが、温熱を著しく感じるものは気体や液体であるから、血液が暖かな気候の影響を受けて人の体内に於いて膨張することは確かに有力な一原因に疑いない。そして血液容量の増加は、血圧即ち血管内壁を圧する力の増加を為すに疑いない。脳の中に於ける血量の減少と増加は明らかに心理作用に影響する。肢体に於ける血量の増加と現象も心理に影響する。飲酒・入浴・按摩等が心理に及ぼす影響は
何人もこれを認めるところである。血液の滞りについては此処では論じない。すべて適度の血量増加即ち血圧増加は、心理に於ける陽性作用を為し、感情に於いては愉快・
怡和・興奮を現わし、理性に於いても同じくその影響を受けるに違いないが、感情の
昂ぶりは却っていささかその働きが
鈍らされる観を呈する。春の人に及ぼす影響は、その温暖という点から説いてもこのようなものがある。
食物の変化が人に及ぼす影響もまた大きなもので、昔の人ですら「栄養は体を変える」と認めているくらいである。春に当たって人が新鮮な野菜・海草・野生草木の
嫩葉・
新芽および
軟幹等を取って
食とすることが多いのは争えない事実であるが、これ等の食物中の或る物は疑いもなくその独特の作用を人に及ぼすに違いない。動物等が春に於いて著しく冬季に於けるのとその動作を
異にする原因の
中の有力な一件が食物の変化にあることは、家畜等に照らして明らかに知ることの出来ることである。緑色素を有する菜類、即ち
菘の類を与えなければ
家鶏は多く不活発に
陥る。これに反して之を与えればその
鶏冠は著しく鮮紅または
殷紅となりその行動は活発となるのである。人類も緑色素を有する野菜類を長く絶つ時は、
憂悶に陥り血液病に
罹るが、多く野菜を取れば血液は
浄められ、憂悶は快活となり顔色は
蒼黄より
淡紅となる。これ等の普通食物でさえこうである。まして特異な効能を持つ植物に於いてはである。薬用草木として用いられる以外の草木、即ち普通食物として用いられる草木でも、その花を開いて芽を
抽く時、即ち多くは春の時に当たっては、その効能は花又は
嫩芽に
蔵しがちのもので、例を挙げれば山椒や茶のように、その花や芽はその物の効能を全蔵しているものである。芳香ある
花柚や猛毒ある
烏頭は春季には開花しないものであるけれども、同じく
花時に於いてその芳香も猛毒もその花に蔵しているように、草木はその開花
抽芽の時に当たっては、自体の性能精気を花や芽に蔵しているものである。そこで春の時に当たって我々が取る植物性の食事は、たとえ平凡なものでもその効能精気をもって我々に何等かの影響を与えることが少なくない。カラシ菜であるとかフキノトウやその茎であるとか、ミョウガ・ワラビ・ゼンマイ・ウド・ツクシ・よめ菜・ハマボウフウであるとか、タラの芽やサンショの芽であるとか、菜の
莟であるとか、タケノコであるとか、ミツバであるとか、ホーレンソウであるとか、花でも芽でもないがハルコシイタケであるとか、これ等のものはその性質に
和平甘淡のものもあり、
辛辣峻急のものもあるが、
何れも多少の影響を生理上に及ぼし
延いては心理上に及ぼすことであろう。茶の精気は
老葉には少なく、その
嫩葉に在る。嫩葉でも葉軸よりは
葉尖にある。
烏頭は花ある時はその毒が根には乏しいくらいで、
蝦夷人は花無く葉枯れた
後になってその毒が根に帰するのを待って利用する。あぶら菜は平淡のものであるが、その
莟を多く食えば人を興奮させる。イタドリの生長したのは食えるものでは無いが、その
嫩茎を
貪り
噛むと爽快を感じさせる。フキノトウはその
苦味の
故か知らないが確かに多少の薬効が有る。これ等の些細な事実を総合して考える時、草木の
発花抽芽の季節である春に於ける植物性食事が、我々の生理上心理上に、比較的やや強い影響を与えることは
看過し難いことである。
香気が我々を衝動する事も決して小さなことでは無い。
沈・
白檀・
松脂等が我々に或る感を起させるのも、決して因襲習慣から来る連想によるものだけではあるまい。仏教の儀式には、沈・白檀等が用いられ、ユダヤ教の儀式にはその香炉から松脂の香が振り散らされる。これ等の香気は明らかに動物の生殖慾の
亢昂時に成り立つところのジャ香(ジャコウジカより得られる香料)やショウ香(ノロジカより得られる香料)や、植物の交精時に発する
薇薔花香・
百合花香・
菫花香・ヘリオトロープ花香・
茉莉花香等とは
異なったものである。物性異なれば反応もまた異なる。我々の感じが
彼に対する時と
此に対する時と異なるのも、勢い自然とそうならざるを得ないものが有るからであろう。春の世界は冬に比べて大いに香りの有る世界だ。花が香りを発する。若芽や
嫩葉が
薫る、
小溝の
水垢も春は浮立って流れて、従ってその異様な香りがする。ハマボウフウの生えている砂地や、ツクシ、タンポポの丘の
辺から、
陽炎の立つ柔らかな日の光の下で種々の香りが
蒸し出される。女はいよいよ女くさく男はいよいよ男臭くなる。
腋臭のある女や男はいよいよその奇臭を発して空気の純潔を乱す。食べ物の中でも植物性のものの多くは或いは愛賞すべく或いは嗜好すべき個々の香気を発するものが、冬季に於けるよりは比較して多い。
およそこれ等の数件、即ち温暖が与える物理的の働きや、食物が与える生理的又は薬物学的の働きや、香気が与える心理的の働きや、これ等の事は皆春が我々に及ぼす明らかな事象である。
尚この他にも研究すれば研究するに従って、春が大いに季節の流行という力を背景にして我々に迫るところは決して少なくないことを見出し得るだろう。このような諸種の力の衝動するところによって、我々は春に於いて春らしい心になるのである。ただ単に我々自身の心理で或る気持を持つのではないのである。春だけではない夏も秋も冬もまた同じである。我々が明らかに四季の影響を受けていることは例えば草木や動物と同様なのである。
果してそうであるなら、我々は四季の我々に対して与えるところのものに順応して、我々自身を処置するのが至当でありかつまた至妙であるに違いない。
このような道理で、我々は春が我々にどういうことをさせるのか、また夏や秋冬がどういうことをさせるのかを考察して、そして之に順応して、自身を処置するために或る調節を取って行きたいと考える。
さて春夏は我々の肉体を発達成長させることが、秋冬に於けるよりも比較的に多く行われるようである。秋冬は心霊を発達成長させることが、春夏よりは多く行われるようである。春夏は四肢を多く働かす時は目に見えて四肢が発達する。秋冬は脳を多く働かす時は目に見えて脳が発達するようである。そして春夏に於いて体育に努めた人は秋冬に於いて容易に脳を発達させ得るようである。私はようであると言っている。
也とは言っていない。しかしどうも私の観察の範囲では、そのように思える。で、春夏に当たって自然に逆らって余り肢体を働かさずに、余りに脳を働かすと、その人は脳の機能器質に疾患を起こすに至るようである。これは自然に逆行する為に生じるのではないだろうか。春分以後夏至以前にともすれば
濫りに脳を使った人が、あたかもその時期に精神的疾患を発したり得たりするようである。或いは又甚だしい発作を為すようである。それは季節の力が最も盛んな時に当たってその季節に逆らったことを敢えてした結果が現われるのではあるまいか。これ等の事は少ない範囲の経験で確論する事は甚だ無思慮の事に属するが、各人は各人で内省的能力を持っているのであるから深く自分で考察したら良いと思う。私は各人が人と天との関係を考察して、そして適応して反しないように自分を処することを勧めることが、道理ある親切だと考えるのである。
[#改丁]
疾病(病気)は生物には無くすことの出来ないものである。甚だ
稀には生に始まり死に終わるまで病気に罹ること無く、世に生まれ世を去る者も有るだろうが、それはその事について考える必要もない程に
稀有なことである。植物と最下等動物とは此処では論じない、高等動物と目されているもの特に人類に在っては、男女を問わず病気なしに終始する者は、甚だ少ないというよりは寧ろ絶無と言っても差支えないくらいである。であれば、疾病の為に大なり小なり、長い間なり短い間なり、人類が或る影響を受けることが普通である以上は、疾病という事について多少の思考をすることは、大げさな事では無く妥当な思考である。物好きでもなかろう、不必要でもなかろう。
疾病ということは学者のようにその定義を論じる段になれば、随分面倒なことであらう。どこからどこまでが平常状態で、どこからどこまでが疾病状態であるか、専門の知識が相応に有っても異論の起きる事を考えると、容易に
一言する事は出来まい。しかし生理学・病理学・健全学・解剖学等の精細な論議に立入ることを避けて、常識的に疾病を論じた方が、医師・衛生学者・解剖学者・生理学者等が支配している専門的な知識を持たない一般人に取っては、むしろ実際に近くて却って利益もあろうし、正しい解釈にも近づこうというものである。普通に疾病というのは人が器質に異常を現し、機能の不全を現す、また換言すれば生理状態に欠陥を生じ、
若しくは欠陥を示しつつある場合を指すのである。何れにせよ疾病ほど人世に取って不幸を為すものはあるまい。自分の疾病、自分の近親朋友の疾病、ないし一面識のない人の疾病もみな直接間接に不幸を為すのである。自分が健康を失うのは勿論不幸である。愛児が
病むのも勿論不幸である。同じ町内に
赤痢患者が出て、同じ市内にペスト患者が出るのも、我が不幸であることは明らかである。この道理からしてみれば、北極圏内の住民やアフリカ内地や南洋の住民が一人
病を発しても、厚い薄い深い浅いに差はあるが、我々に取って悲しい不幸なことであることは争えない。小さな心の利己主義から云っても、優しい心の博愛主義から云っても、世の中から疾病というものを無くしたいと思わない人はいないだろう。
であるのに、矛盾に満ちた人の世は
如何なる時に於いても、人の
望に
適った無病の世というものを実現した例を見せていない。歴史は常に疾病によって幸福が
毀損され不幸が
惹起されたことを記して、その全紙を埋めていると云っても
宜しい程である。疫病流行の事実は措いても、智勇善良の人々の損耗は断えず疾病の為に促がされて、そして常に社会は大不幸を受けているのである。その一点から論じても、どれほど疾病が人間に
災をしているか分らないくらいで、たとえ医術が進歩したの、衛生設備が完全に近づいて来たのと云っても、
今日尚我々は常に疾病の為に直接間接に悩まされ抜いているのである。
疾病の絶滅は不可能であるかも知れない。しかし我々はこれを可能とし、我々の理想が実現される時は即ち疾病が絶無となるものとして、疾病の駆除に努めなければならない。これは良くできない事にしても
欺くことの出来ない願いではないか。
疾病絶滅の道は、決して一様ではない。多様である。
試に之を説けば、一ツは社会的であり、一ツは個人的である。個人的の方は多く云わない。社会的方法が具備しなければ或る一個人が仮に無病であっても、社会の不幸は継続するのであり、そして一個人の幸福もまた破壊される理屈である。社会的な駆病法も多様である。最も簡単でしかも有効な方法は病者隔離法で、未開人さえ昔から実行しているが、それより進んで強制種痘や検疫制度の充実、消毒方法の完備、下水処理の完備、飲料水の水質管理、都市村落の自然や人為の健康的な建設配置、空気調和の充実、光線や気流に対しての善処等、およそ疾病の既発や未発に対して取るべき万般の手段を尽す等、一々枚挙するに堪えないことである。これ等の事のうち直接疾病に関することは低級な衛生法で、疾病絶滅には効果が少ない。直接には疾病に関係しない部分の事、即ち水・空気・光線・地物等に関する研究や設備は高級な衛生法で、これ等の事が十二分でなければ、疾病絶滅を実現するのは
甚だ遠いのである。疾病は個人の所有のようでもある。しかしそれは確実に社会の共有である。
故に疾病絶滅を計画する上に於いては、社会が単に社会的、個人が単に個人的では成就しない。社会は個人を見ること全社会のようにし、個人は社会を見ること自己のようにしなければ、病根はどちらかに存在し、輪番に芽を出して永久に絶滅しないだろう。社会が一個人を、その一個人である
故を以って軽視したなら、疾病は必ずそこから発芽して、そしてタンポポの種子のように風に乗って飛散
伝播するだろう。個人が自分の身体以外には
痛痒を感じないからと、社会への影響を軽視したなら、社会はその人の為に恐るべき害を受けよう。病者にとっては消毒薬を満たした壺の中に
痰を吐くのも、
路傍に痰を吐くのも、それ自体は何等の差はないといえども、社会がこの為に受ける差は決して少なくない。
故に意識および感情に於いて個人と社会との連携という事は、疾病絶滅の道に於いては甚だ大切な事であって、この事が成り立たたない限りは、疾病というものは決して絶滅しない。個人は社会に対し、社会は個人に対し、相互に明確厳正な意識と温良仁愛の感情とを持って、必ずその為にすべきことを
為し、必ずその為にしてはいけないことを為さないことの徹底がなければ疾病は絶滅しない。南京虫は物の隙間にその生を保つ。疾病が個人と社会の隙間に、その生存と繁殖との地歩を占めていることは、隠すことが出来ない。
以上に説いたように、第一に社会的、第二に個人対社会と社会対個人的、第三に個人的、この三方面に於いて疾病の絶滅を計画する
念慮と施設が十二分であったなら、永い歳月の後には、十二分の学術および経験の効力によって、或いは人間は疾病を絶滅出来るかも知れない。がしかし、それは理想郷の事で実現は難中の難でもあろう。
疾病の絶滅は実に希望するところであるけれども、それは広大永遠の問題で、僅かな時間で之を論じるのは、
一掬いの水で大火に対するようなものであるから、それはしない。ただ我々はこの疾病常有の世界に処してどのように疾病を観るべきであろうか、又どのように疾病に対処すべきであろうか。それを
試に考えてみよう。
誰しも疾病を好む者はいない。しかし冷静に観察すると疾病にも自然に二途の来路がある。一ツは招かずして得た疾病、一ツは招いて得た疾病である。不行跡から淋病を得、暴飲から心臓異常を来たし、無茶な行動から筋骨を
挫くようなことは、招いて得た疾病である。知らない間に空気から結核菌を得、水や野菜から十二指腸虫卵を得、アノフェレスから
瘧を得るようなことは、招かずして得た疾病である。しかし誰しも自分で意識して疾病を招く者はないから、厳正に論じたら一切の疾病は招かずして得たものであろう。また反対に論じたならば、避け得る筈の疾病を避けることをしないで之を受取ったことは、之を好まないとしても自分で招いて得た疾病だと言ってもよいだろう。けれどもそれ等の論は
何れも
中っていない。自分で病因を造ったものを自分で招いた
疾と言い、自然に病を得たものを招かずして得た病というのに不思議はあるまい。
ただここに注意すべきは、世人の多くが招かずして得た疾病であると思っているのにも、その実は招いて得たと同様な事情が甚だ多く内在していることである。不学者の解釈に偶然という語が多いのと同じく、疾病に関する知識の少ない者には何の理由か分からなくても、知識ある者の眼から観る時は、明らかに招いたと同様の事情で疾病を得ている者が多いということは争えないことであるから、自分で招いた
病であると認める病者は少なくても、自分が招いている疾病は比較的に世に多いのである。伝染性の熱病を発する空気が多い
卑湿地に入って
病を得たり、ジメジメした土地に遊んで
瘧を得たり、水辺に
長居してリュウマチを得たりするようなことは、公務であれば是非も無いが、そうで無ければ自分で招いたと云われても仕方ない。大阪の住吉だの、茨城、埼玉の某地などは十二指腸虫の
巣窟で、そこの野菜や井水を飲食すると危険至極で、その附近に同患者の多いことは争えないことである。しかし知識が無ければ之を飲食してその
病を得よう。もし病を得たらそれは全く、自分で招いたのではないが自分で招いたのに近いだろう。ドイツの医者コッホは京都に在った時、そのホテルの下を通る多くの荷車が何を積んでいるかと問い、そしてその物の用途を知った後は、日本の野菜を食わなかったということである。避けるべきと思って之を避け、自分で
病を招くことをしなかったのである。このような点から考察すると、我々が知識の欠乏から、自分で招いて
病を得ていることは、決して少なくはないのである。飲食被服の不注意、これ等からだけでも我々はどれほど多く
病を得ている事だろう。労働・休息・睡眠・空気・光線、これ等の事に関して無知な為だけでも、我々はどれほど多くの疾病を招いているだろう。未成年者・被保護者・官公務に服する者・これ等の人々以外の者の疾病は、自分で招致することもまた多いことだろうと思われる。
真に自分で招かずに疾病を得ているものの大部分は、不幸にして強健でない体質を
享けて生れて来た者である。提督ネルソン(アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督)が兵学校の身体試験に落第した虚弱者であったことと、その後、強健な好提督となったこととは、ともすれば先天の欠陥を後天の工夫で補い得る事の例に引かれる話であるけれども、千百年に一人の人を例に取って来て、百千万人を論じようとするのは失当でかつ
酷である。もし世に悲しむべき人があるとすれば、不幸にして良くない体質を
享けて生れ来て、そしてその為に疾病の
擒となっている人である。これは全く自ら招かずに
病を得ている人である。
自分で招くのと自分で招かないのとに限って論じれば、自分で招いて
病を得た者は自分で省察を加えて、同じ事を繰返さないようにしなければならない。自分で
病を招くのは自分に対して愚である、自分の父母に対して不幸で不徳である、子女や目下に対しては不慈である、その事情によって軽重の差は甚だ大であるが、要するに社会に対して負債を負う者のような位置に立っているので、極言すれば一ツの罪である。酷論には違いないが、一ツの罪である。
さて自分で招かずに疾病に悩む者は元より罪はない。しかし実に不幸の頂点に在るものだ。父母はこれに対して悲しみ、目下はこれに対して憂い、社会はこれに対して負債を負う者のような地位に立っている。宿命説のようなものが真理であるかの様子を示すのも、実にこのような人が世に存在する以上はまた
已むを得ないことである。自分が何等の原因を作ったので無く、ただ単に父母の悪血を遺伝し、ないしは虚弱の体質を遺伝して、そして一年中薬に親しむというような現実を受けていることは、実に同情に余りあることである。本来の道理から云えば、社会は悪事を犯した者を刑務所に収容するよりも前に、このような不幸な人にそうあるべき施設を提供して、そしてこれに十二分の療養を加えて良い訳である。であるのに、悪人は直接に我々に危険を及ぼすという理屈から、之を刑務所に置き衣食を支給しているのであって、そして不幸な病者には
尚租税を課してその
膏血を絞り取り、それを以って凶悪の人を養っているのである。奇妙と言おうか残酷と言おうか実に間違い切ったことである。先天的に悲しむべき体質を
享け来ている人が社会からこのような待遇を受けていても、
今日までのところでは誰も熱心にその誤りを指摘する者が無かったため、社会の重い、重い、圧力の下に圧し潰されて、あたかも丈の低い草が丈の高い草の為に、太陽の光線や熱や空気の清さやなにもかも奪われて、残念ながら萎縮し枯死し腐って仕舞うような、悲惨な状況の
下に廃滅して仕舞っているのである。
悪人を処刑するということが復讐の意味でない以上、即ち社会の安静を保つ為という文明の精神から出て、そしてその為に多大の智慮と施設と費用を消耗して、完全な刑務所を建てている道理から推せば、先天的に病身を持つ人に対しても、同じく社会の安静を保つ為に、その病者を社会が扶養して十分の配慮と施設とが尽されて、十分の費用が投じられた完全な施設の内に、その健康が回復される迄は収容して置いて当然の道理である。それが出来ないまでも少なくとも租税を免じて社会的負担を軽くし、国家的社会的重圧を虚弱の身の上に加えないようにするのが有るべき道理である。であるのに、今日の社会組織では、盗賊にはお膳立をして飯を与えて、裁縫をして衣服を与えて、一坪幾らという立派な居宅に住わせて、髮も刈ってやれば入浴もさせ、堂々とした多数の役人をその看護者として付随させ、医師にその健康を保たせ、宗教家をその話し相手とし、その人自身の生産力によって自分を支えるべき労苦を免れさせて、国家の扶養、換言すれば良民の膏血を以ってこれを扶養しているのである。そして先天的に不幸の体質を
享けて病魔の手中に囚われている病人に対しては、その病人である
故を以って与えられるべき
斟酌というものが少しも無く、税務署はその滞納の場合には鉄の
定規が決して曲がらないように、租税を厳取するとはそもそも何という事であろう。医を業とする者、看護を業とする者、神仏の霊験を説く者等は、人の為に報酬的に働き、飲食衣服その他の材料や便宜を提供する者は、それでなくとも疲弊する病者の膏血と、交換的に各般の事を実施するのが現社会の実相である。これ等は是非もない事ではあるが、無資力な不幸な人に取っては実に情無い事ではないか。社会が目覚めなければ仕方ない事であるが、先天的病弱者は確かに社会から誤った待遇を受けている。
過去世の因果であるとか宿命であるとかいう思想の勢力が無くなれば、先天的病弱者がこのような冷酷な社会に対して、
怨嗟の声を放っても決して無理だとは思われないではないか。
自分で招く自分で招かないに関係なく、
病は明らかに現在に於いてその人が幸運でないのみならず、また将来に於けるその人の幸運をも障害する。人の希望を破り陽性の者には自暴自棄の凶悪な思想や行動を起こさせ、陰性の者には怠惰・萎靡・悲観・絶望観・欲死観等を生じさせ、一切の不幸を連続的に招く。特に青年期に於ける疾病は、甚だしくその人に
躓きや懊悩や悲哀を
惹き起こさせる傾向がある。病者がこのようになるのは少しも無理はない。希望の大きな者、功名心の強い者、聡明の者が青年期に
病を得る時はいよいよ益々苦悩する。かかる人は
病の為に身を苦しめられるだけでなく、また
病の為に自分で心を苦しめて、二重の苦痛を負うのは実に気の毒であり、かつその心を苦しめることが、
病の為にしばしば不利益を来たす原因となり、治療すべき
病も不治に陥り、軽かるべき
病も重きに陥る原因となる。しかし病者に対して「君よ心を苦しめてはいけない」と制止したところでそれは無効に終る。ただ病者に対して
深厚な同情を与えることが、病者の周囲に在る者の最善である。病者に対する同情は座骨者に対するギプス
繃帯のようなもので、薬剤や手術のような働きはしないけれども、外に在って
不知不識の間に病者を助ける。病者に対して他人の為すべきところは実にこれのみで、干渉がましい事などは
寧ろ避けなければならない。しかし病者自身に在っては、
病の為に悲観に陥り意気消沈に陥るのは、万々已むを得ないことではあるけれども、余り多く自意識を使って想像的に主観的に苦悩するよりも、寛やかに心を持ち伸び伸びとした考えを懐き、天
若しくは神、仏
若しくは運命と云うようなものを信じて任せるのが最も
宜しいので、最勝者の存在を認めなくても安心を得る人はそれで良いのである。
疾病は人の免れないものである以上、たまたま疾病を得たとしてもそう急に驚くことも愁えることも無い訳である。生命ある以上は寧ろ疾病を予想すべきであって、そしてその予想に基づいて第一には
病に
罹らないことに努め、第二には
病に罹かった時どうすべきかを考えて置くことである。
病に罹らないことに努めるのは、第一に自分の健全に努め、次いで自分の近親者や他人に
病が混ざらないように努めるべきであるが、自分一個の力では自分すら完全に保護することが出来ないのが、人間の真相であり実際であるから、
病に罹らないことに努めるにも単独的にするよりも相互的にしなければその目的は達せられない。即ち夫婦間で云えば夫も自分が
病まないように注意し努力するは勿論であるが、妻もまたその夫の健康を保たせる為に十二分の注意と努力とを取らなければならない。妻も自分が病まないようにするのは勿論であるが、夫もまた妻の健康に関して十二分の注意を払い努力を敢えてしなければならない。どんなに明眼の人でも我が眉を見ることは難しい。
拙技な
碁客も傍観者の時は、時に好着手を見出すものである。正しい意味に於いて仲良い夫婦に、互いに健康な者が多いことは世上に多い例である。そして不幸にもその一方が欠ける時は、残された他の一方が健康を損ない易い例も世に多いことである。これは悲哀が人を弱くすることも実際ではあろうが、真の愛情から成立っている保護者が亡くなり、真の親切な助言者監督者を亡くすことが、病魔の侵入する隙を多く与えることもその一因である。世間に体質が良好な為に健康を保ち得て、幸福に生活している人も甚だ多いだろうが、良い妻・良い夫・有難い父母・優しい兄弟・孝行な子女の為に、健康の幸福を得ている人もどれほど有るか知れない。長寿の人を観るに
孝子純孫(よい子、よい孫)を持つ人が多い。その反対に立派な体質を持ちながら不健康な人を観るに、多くは不良な妻や夫を持ち、または幸に善良な夫や妻を持ちながら、之に聴かずに却って不良の朋友などに親しむところの者である。これ
故に疾病は相互的に予防しなければならない。一家は一家で申し合せて、互に注意し合って病魔の進入を防がなければならない。一兵卒の怠慢もしばしば強敵の襲来を招く理屈であるから、全軍が注意しなければ堅守の効果は収め難い。主人の勉学も過ぎては、睡眠不足より脱力を生じ脱力より感冒を招致させるから、細君は之を優しく制さなければならない。細君が自分を大事にすることが薄いのは美徳だが、これも度を過ぎさせてはならない。暑熱・寒冷・雨雪・飲酒・日光の直射・異常な食物・甚だしい飢え・飽食や浴後の
薄着・皮膚の不潔等がすべて病因となることは、
尽く自分の判断と他の批判と、即ち一個的および相互的の注意によって之を避けなければならない。ただこれは平常に於いての健全学と衛生学との知識によってであって、
如何に相互的であっても、もし既に病んで医療を要する場合になっては、素人が医師の領分を犯して、治療上の指摘や干渉などをするのは却って危険で不可である。
平常状態を維持しようとするのも
病を退ける大道であるが、守れば足りず攻めれば余りある理屈であるから、
病むまいとするよりは平常状態以上の健康を得んと努めるのも、甚だ有効な事である。体力を普通の人より卓越させようと、希望を燃え立たせて生活することは確かに有益である。普通であることを願っていては、時には普通であることすら
能く出来ないかも知れないが、普通に卓越することを願ったなら、或いは普通位には出来るであろう。毎朝一回歯を清めて口を清めることは普通の人のする所であるが、毎食後に歯を清めて口を清めたならば、その人は必らず普通の人よりも虫歯その他の口内の疾患を遠ざけることが出来るに違いない。胃の弱いことを悲しむ人は多くあるが、普通の人より強い胃にしたいと望む人は少ない。しかし、それは不心得であろう。普通の人よりも強い胃を得ようとして努力して当然ではあるまいか。十を願って五を
得、百を得んとして五十を得るのが人事の常である。運動することに努め規則正しくすることに努め、努め努めて止まなければ胃は必ず強くなろう。
普通の人が自分の身体に対する注意に甚だ
疎であるのは実に
愚な事である。胃弱を患う人がタカジアスターゼを服し、クミチンキを服し、ペプシンを服し、
粥を煮て吸い、フランスパンを買って食らい、押し麦を食らうのを見ることは多いが、
咀嚼時間を長くして丁寧に咀嚼することが少ないなどはその一例である。ただ単に薬剤に依存し、軟らかい食物に
依り
縋るようなことをしないで、合理的に胃弱を普通の胃に、普通の胃を強健な胃に、一歩一歩進むようにと心掛けたならば、その効果は決して少なくはあるまい。薬物と医療だけを尊んで、健全法と心掛けの道とを
尊ばないのは今の人の欠点である。物を尊んで心を尊ばず外を重んじて内を重んじないのは確かに今の人の欠点である。
君の鍋で
粥を造るだけでなく、君の
口腔で粥を造れ。君の
薬箱から消化剤のジアスターゼを得るよりは君の体内からジアスターゼを得よ。逃げ腰になっていて城が守れた
例は聞かない。造物主が我に与えた根本のものを考察して、それを
空しくしないようにすれば、即ち自然に順応してそして自然を遂げる訳である。飲食に就いて例を取った
因にもう一度飲食に就いて云うと。君、飲食する前に君の
眼を閉じてはいけない。君の眼は
忌むべき飲食物を視れば君に之を取るなと教えるだろう。また君の鼻を
塞いではいけない。君の鼻は忌むべき飲食物を
嗅げば君に之を取るなと教えるだろう。また君の舌を
騙してはいけない。君の舌は忌むべき飲食物に会えば君に之を取るなと教えるだろう。君の歯を用いよ。君の歯は物を咬み咬み之を破砕して物の分子の間に君の唾液を混入して
嚥下と消化を容易にするだろう。君の口腔を無意味のものとしてはいけない。暫く食物をここに
留めて、胃に於ける消化作用の準備をする必要あればこそ、喉頭以外に存在する空間なのである。君の知識を
疎かにしてはいけない。君の知識は飲食に就いて他の諸機関が出来ない最適な判断をするだろう。胃は君の思い通りには動かないものであるが、しかし分泌は感情に影響されるものであるから、胃に取って不適当な感情を持って胃を苦しめてはいけない。その時には胃は十二分にその胃液を分泌して、その作用を以って完璧に消毒と消化を為すだろう。胃病患者が食物について恐怖する時は、胃液の供給は
滞っていよいよ消化不良を起こすのである。
未だ病まない人は造物主が我に与えたすべてのものを適当に用いれば、胃を病むこともないのではあるまいか。他はこれに準じて知るべし、である。我に筋肉あり筋肉も用いるべし、である。筋肉の運動を疎かにすれば筋肉は日に日に衰えて身体は虚弱になる。我に呼吸器あり、呼吸器も酷使しないで適当に用いるべきである。呼吸の不調は恐ろしい
病と関連する。このように身体諸機関を
偏りなく用いたならば、身体の調子は整って健康に成れるだろう。
疾病は実に忌むべきである。しかし疾病が人に存在するのも或いは意義あるように見える。艱難がその身に在る者は、却ってその
志すところが成るという道理は昔の人も言い切っている。また
病というものが全く無かったら、人は道を思い道理を観ずることも或いは少ないかも知れない。病が我々を啓発することは決して少なくない。このように考えれば自分で招かない
病に苦しむのも必ずしも不幸とは云えない。しかしこれは、道理はそうであるにしても、病者に対しては云うに忍びないことである。例え世の文明が呼吸器病者神経系病者に負うところは甚だ少なくないにせよ、願わくは一切の人が無病息災、長寿幸福になることを祈らなければならない。
[#改丁]
光には静かな光と動く光がある。静かな光とは密室の中の
灯の光のようなものである。動く光とは風吹く野辺の焚火の光のようなものである。
光は同じ力であると仮定する。しかし静かな光と動く光とはその力は同じでもその働き具合は同じではない。
室中の
灯の光は細字の書をも読ませてくれる。風の中の火の光はかなり大きな字の書でも読み
難いではないか。アーク灯の光は強いけれどそれでは新聞は読み難い。室内電灯の光は弱くても却って読み良い。静かな光と動く光とではその働き具合に大きな差がある。
同じ心の力だと仮定する。しかし静かに定まった心の働きと、動いた乱れた心の働きとでは、大分違うのが事実である。丁度同じ力の光でも、静かなのと動いているのとではその働きに大分違いがあるように。
散る心、即ち散乱心は、その働きの面白くない心である。動き乱れた心は、例えば風の中の灯のようなもので、これを明るくしても物を照らす働きの面白くないことは、『
大論』にも説いてある通りである。
散乱心とはどういう心であろう。言ってみれば、散乱とは定まらない心で、詳しく言えば二種ある。その一は有時性で、その二は無時性のそれである。有時性の散乱心とは、
今日法律を学んでいるかと思えば
明日は医学を学ぶ、
今月文学を修めているかと思えば
明月は兵学を修めている、というようなことである。無時性の散乱心とは、一時に二念も三念もあって散乱するのである。しかし
尚一層正確に言うと、本来一時は一念なものであるから、長期的散乱心と短期的散乱心と、ただ、いささか時間の長短の差があるだけで、有時無時という事もないのである。
何れにしても丁度風の中の灯火がチラチラするように、心が
凝然と静かに定まっていられないことを云うのである。
たとえば今数学の問題を考えていて、aだのbだの、mだのnだの、xだのyだのというものを
捏ね返しているかと思うと、眼の方向は、そのa、b、m、nなどの文字を書いた紙上に対していながら、また手にはそれ等の文字を書く為の鉛筆を
執っていながら、心は何時か昨日見た映画の有様を思うようになって仕舞って、そしてその映し出された美人の
艶めかしく美しい
状などを思うと同時に、それからそれへとその一段の映画の移り行くシーンを
辿って、
終にはその美人を尾行し付け廻わしていた一痴漢が、小川の橋を渡り
損ねて水に落ちる滑稽な場面になった時分に、オヤ、自分は今そんな事を想っている筈では無かった。数学を学んでいたのだったと気づいて、そして急に再びaプラスb
括弧の三乗はなどと、当面の問題に心を向ける。で、少し又xだのyだのを捏ねている。どうも具合好く解決が出来ない。その
中に外で犬の吠える声を聞くと、アゝ
彼の犬は非常に上手に
鴫狩りをする。
彼犬を連れて伯父の
猟銃を持ち出して、今度の日曜は
柏から
手賀沼付近を渉猟してみたい。猟銃はどうもグリーナーが使い心地が好いなどと紳士のような事を門前の小僧の身分でありながら思う。犬が尾を振って
此方を振り向く、引き金に指をかける、犬は一躍する、鴫はパットと立つ、ドーンと撃ち放つ、モウモウとした白煙が消える時には、ハヤ犬がその手柄の獲物を咥えて駆けて来る、という調子にいったら実に愉快だナアなどと考える。イヤ、こんな事を思っていてはいけない。ルートのPマイナスのQはなどと再び数学をやり出す。全てこういうように、心が向うべきところに向うことが出来なくて、チラチラ、チラチラと余事に走って行くのを、気が散ると俗に言うが、この気が散って心の静定の出来ないのを、散乱心と云うのである。
誰でもある事である。そこで、どうも気が散って思うように仕事が出来ないという事は、ともすれば人の云う事である。つまりは多くの人が体験するころの事例なので、そのような言葉もあれば、また古くからそれではならないなどという
教もあるのである。実に『大論』に言ってある通り、このチラチラ、チラチラする心は、あたかも風の中の
灯のようで、たとえ聡明な資質を抱いている人でもそういう心では、何に
対かっても十二分にうまく仕事は出来ない、物を照らして明らかにすることが出来ない喜べない心の状態である。イヤ、むしろ願ってもそう有りたくない心の状態なのである。今もし剣を
執って人と
相闘っているとすれば、一念の逸れると同時に斬り殺されて仕舞う状態ではないか。今もしこのチラチラ、チラチラする心で碁を囲むとするときは、深い読みの手は考え出せないのではあるまいか。イヤ、思わず知らずウツケ千万なヌカリ切って
拙た石を下しそうな事ではあるまいか。数学の問題が解決出来ないどころではない。算術の最も易しい寄せ算をするにしても散る気でもって計算していたら、桁違いを仕たりしそうな事である。とても難解で高遠な道理を説いた書物などは、読んでも散乱心では解る筈がない。三十一音の和歌、二十八字の詩でも散る気で作って良いものが出来る道理がない。まして偉大な事業や複雑な計画や優れた芸術が、気の散るような
浅薄な人の手で成し遂げられるだろうか。どうであろう。自然と明らかな事である。
気の散るのは実に好ましくない事である。多くの学生の学業成績
宜しくない者を観れば、その人の多くは聡明でないためではなくて、散り乱れる気の
習癖が有るためなのである。世間の凡人失敗者という者を観察すると、
他の原因のために凡人失敗者と成っている者も元より少なくないが、心気散乱の悪癖があるがために、一事も成ることなく寸功も挙がることなく、年を過ごしている者が決して少なくない。気の散る癖などは実に好ましくない事である。
気の散る反対に気の
凝るという事がある。気の凝るというのもまた宜しくないことである。しかし場合により事態によっては、気の凝る方はまだ気の散るのに比べて宜しい事がある。玉突き(ビリヤード)というゲームに凝って気の凝りを致した人などは、往来を歩いていながらもやはり玉突きの事を思って、道路の上を盤と見立てて、道行く人の頭を球と
看做して、
此の男の頭の左の
端を突いて
彼の男の頭の右の端に触れさせると、向う側の理髪店の扉に当たってグルッと一転して来て、そしてあそこを行く女性の頭と学生の頭に一時に
衝突って、確かに五点はきっと取れるなどと考える。その考えが高じて、
終にはステッキで前の男の耳の後ろを
撞突くような奇態な事を演じ出す人も時にはある。それ等は皆気の凝りが致した結果で、これも随分困ったものである。しかし凝った方は、悪いと云っても散る方より始末が良くて、芸術などのようなものに凝ったのなぞは、決して最上とは行かないのであるが、それでも何がしかの結果を
遺すから、散る気に比べてまだしも良い方である。その代り賭博だの何だのという悪いものに気の凝るという段になると、散乱心でいる人よりも悪い。
何れにしても気の凝るというのも、やはり気の散る同様に好ましくない事なのである。
さてこの散ると凝るとは正反対であるが、あたかも昼と夜とは正反対であるが相呼応し、黒と白とは正反対であるが、白は日々に黒に移行し、黒は日々に白に移行するように、また
乾と
坤とは正反対であるが、乾は坤の分子である陰を招き、坤は乾の当体である陽を招くように、散る気は凝る気となり、凝る気は散る気となるものである。凝る気も宜しくない、散る気も宜しくない。しかし気が凝ったり気が散ったりして、そして
碌に何事も成し得ないで人生を終って仕舞うのがいわゆる凡人である。恨むべき事である。
少年の時は誰しも純気である。赤子の時は
尚更純気である。歳月が経って欲が生じるにつれて、これも自然の推移だから仕方ないが、純気はその正反対の
駁気を呼んで、自然々々と
雑駁な気になって来る。少年の時は
球が有れば球投げ、
羽子が有れば羽子突き、
駆競や
飛競のような単純な事をしても、心がその事イッパイその事が心イッパイで、そして
嬉々洋々として遊びもすれば勉強もしたのが誰しもの実際である。であるが、次第に成長するにつれ誰しも何かに凝り出す。で、欲が心に生じると真気は日々に衰えて気はまた純でなくなるのである。内慾が日々に
壮んになって、外物外境を追随するようになるのである。物が目の前を去っても心がそれを追っている。境が背後になって仕舞っても心がそれに付き随っているようになる。たとえば目の前に球がなくて手の中には羽子を持っていても、球が好きだと心が球を追っており、球の影が心の中に消えずに残っているので羽子を持ちながら球を思っている。これを外物に追随するというのだ。又たとえば学校の一室にいながら、昨日面白く遊んだ公園を思っている。これを外境に追随するというのだ。
鏡で云えば
対かうところの物の影がよく映っていないで、何かの汚れが鏡面に粘りついているような状態になる。即ちこの鏡の上に物のコビリ付いているところが気の凝りなのである。また鏡の全部が明らかでないところが駁気なのである。このようにいよいよ歳月が
経っていよいよ純気の徳を失い、
明処もあれば
暗処もある
雑駁不純のものとなってゆくのが凡人の常なのである。その有様は、あたかも鏡の上に墨でもって、種々の落書を仕たようになっているのが普通人の心の状態で、その落書はみな得意や失意や憤怒や迷いや
悶えや悔恨や妄想や執着などの記念なのである。そして年齢が次第に老いるにつれて、鏡の上は隙間もなく落書で満たされ、その物に応じて
象を宿す本来のものを明らかに映し出す働きの明処は次第に少なくなり、
新に学問識見を吸収する作用が出来なくなるのが凡人の常なのである。この鏡面が暗くなって仕舞って、
対かうところのもの一切を鏡中に収めることが出来なくなり、即ち鏡イツパイに当面のものを映し取ることが出来なくなるところが、即ち散乱心の有様なのである。当面の物の影の
他に何かがチラチラ映っているところが即ち散乱心の有様なのである。実に憐れな事なのである。
人が仕事をする
若しくは思索をする時は、自分の心の動きに注意してみて、少なくとも気が散ると知ったならば直さなければならない。散る気の習癖が付いていては何事をしてもよく出来ない筈であるからである。よしんばその人が天祐を受けることが多く、能力が高い為によく事が出来たとしても、散る気の習癖が付いていれば、きっとその人は少なからず苦しみ苦しんで、やっとのことに僅かにその事を成したに疑いない。もし気が散りさえしなければその人は
尚それ以上の事が出来たに違いないのである。くれぐれも散る気は宜しくない気である。
散る気の習癖の付いている人は、どのような現象を現わすかというと、先ずは第一に瞳がその
舍を守らない。眼の
功徳は三百六十や三千六百とはいかない。三百六十や三千六百ならば完璧な数であるが、眼の功徳は百二十や千二百かである。二百四十
若しくは二千四百欠けていて三分の二は見えないものである。この数の
譬えは仏教に見えている。そこで眼には動くという事があって、どうやら四方八方が見えるのである。ところでこの動きは即ち心の指す方に動く訳になる。で、心の指向う方向がチラチラ、チラチラとして定まらなければ、自然と瞳はその
舍、即ち
居処を守ることが出来なくて、やはりチラチラ、チラチラと動きたくなる訳である。そこで散る気の習癖のある人は眼がチラチラと動く。さもなければ沈んで動きが鈍くなり、眼は気に置き去りにされて、気だけが
忙しく動いている。
次に散る気の習癖のある人は耳がその完璧を保たないのである。耳の功徳は完璧なもので、四方八方どちらから話しかけられても、必ず之を聴くことの出来るものである。であるのに、散る気の習癖のある人になると、人と対話していてもときどき人の話を聴き
外す事があって、その完璧な功徳のある耳が、その完璧な功徳を保ちきらなくなるものである。これは暫く耳が麻痺する訳でもなんでもない。耳に
在って声を聞く根本のものがちょっと
不在になっているからなのである。眼に在って物を見る根本のものも、耳に在って声を聞く根本のものも、意に在って情理を思う根本のものも、元来
種子はただ一ツなのである。その一ツしかない種子が、例の散る気の習慣によって
一寸どこやら変な
処に入り込んでいるので、聴く根本のものが居ないのだから聞える訳がない。サアそこで耳がその完璧を保たないようになるのである。人が話を仕終った時分に、へ、何でございます、と聞返すようになるのである。で、その話を聞き外していた間は、何をしていたかとじっくり調べてみると、或いは自分の商売の駆け引きを考えたり、或いは明日の米代の才覚をしていたり、或いは昨日の酒宴に侍した芸妓の振りまいた
空世辞を、愚にもつかず
悦んだりしていたのである、という事が調べ出せるだろう。「心ここになければ、聞いて聞こえず」なのであるから、いつしか人の話を聞く気になっていられないで気が外へ散る、その為に耳の働きが不在になって仕舞うのである。で、聞いている話も虫が物を食ったようにところどころウロ抜けしたものになるのであるから、首尾貫通前後相応したものとして、明瞭に我が心頭に受取る事が出来ないのである。このようでは、釈迦に面会してその教えを聞き、孔子に手を取って貰って道を学んだところで、何が満足に会得されるだろう。
真に嘆くべく
憾むべきことである。
次に陰性の人は蝉や蛇の抜け殻のような有様になり、陽性の人は葉が
騒めくような、魚が驚いたような状態になり、中性の人は前の二相を共に
交えて現わす。陰性の人とは俗にいう内気の人であるが、その人に散る気の習癖が付く時は、身体四肢を少しも動かさなくなって、あたかも蝉の抜け殻か、蛇の脱ぎ殻のように、机なら机の前に座ったきり、火鉢なら火鉢に取り付いたきりになって、手も余り動かさず、足も余り動かさず、活動が殆んど絶えたような状態になって、そして心中では取り止めなくチラチラと種々に物を思っているようになる。
陽性の人とは俗にいうマメな人、または活発な人であるが、これ等の人に気の散る習癖が付くと、あたかも空中に
飜える木の葉かなんぞのように、フラフラと右へ行ったり左へ行ったり、書籍を開いたり閉じたり、急に筆を取ったり鉛筆を取ったり、手の爪を
剪かけたと思うと、途中で
戸外へ出たりなんぞする。そうかと思うとまた物に驚いた魚のように、一寸した物音に甚だしく驚いて度を失ったり、或いはそれほど可笑しくもないことに甚だしく笑い出したり、一寸した人の
雑言に突然怒ったり、挨拶なしに人の家を
辞したりする。それ等は陽性の人がともすれば演ずることで、
一口に云えば落ち着きのないソワソワした態度になるのである。
中性の人は前に挙げた二性の中間の人で、或いは甚だしく座りっきりになったり、或いはまたソワソワするようになったり、時によって定まらないが、要するに陰性陽性の人の現わすところの現象を交え現わすのである。もちろん陰性、陽性、中性の人に限らず、容儀や行動にまで気の散る習癖が付いてしまうと「
病すでに
膏肓に入っている(病が全身に廻っている)」傾向があって、その人に取っては喜べない事である、だからと言ってその悪い習慣から脱することが出来ないかというと、けしてそうは
定まってはいない。
様子が正常でない現象の次に現われる現象は、血の運行が行き渡らないことである。血の運行というものは気と連携しているものである。血は気を率いもすれば、血は気に従いもする。気と血とが相離れない状態が生で、気と血とが相別れるのが死であるくらいだから、気と血とは実に
相近接密着しているのである。気力が旺盛という事は即ち血行が雄健ということで、血行の
萎靡は即ち気力の消衰ということである。試みに推察してみれば解る事である。君の気力を盛んにしようとするなら、君の血行を盛んにしてみよ。君は直ちに自分の気力が盛んになったことを自覚するだろう。手近い例を挙げれば、試みに直立して胸を張って拳を固めて頭を
擡げて視線を正しくして、横綱が土俵入りをして雄視するような姿勢を取りそして両手を動かすこと数分、或いは上下し或いは屈伸し或いは打ち或いは引くようにして思うままに力を用いれば、忽ち身は暖かくなり筋が張るのを覚えるだろう。その時は即ち血行盛んな時である。そしてその時の気力はどうであるかと運動を取らなかった前に比較してみれば、必ずや人の
言を待たなくとも悟るところが有るであろう。一つ例を示せば、温浴や冷浴等をした場合もそうである。浴後の精神が爽快になる原因は種々あるが、その主な原因は血行が増進する為に、気が伸び伸びとするのである。血が動けば気が動く、気が動けば血が動く、血と気とは生ある間は相離れないものである。イヤ、一歩を進めて云えば、血が動いている間が即ち気が有って、気の尽きない間が即ち生きているのである。で、血が動けば気が動くから、血行が常時より速くなり血が
上り
昂ぶり成長し強まる。血行が遅くなれば気が
下り沈み
萎み弱る。気が動けば血が動くから、怒れば血行は速くなる。憂えれば血圧は低くなる。楽しめば血行は水が路面を流れるように整う。驚き怖れれば血行は流水に
土塊を投じたように乱れる。
このような理屈で気の散る習癖の付いている人は血行が宜しくない。どう宜しくないかというと、多くは血の下降する癖が有りがちで頭部の血が不足し腹部などに集まる。従って顔面は青白か青黒く又は赤黄色く,たまに肺病の徴候のように両頬が美淡紅色をしているのもあるが、先ず大抵は眼の結膜などの紅色も薄く、脳の血量が乏しいことを現わしている。時には之に全く反対に、結膜も
殷紅色で脳も充血して、血液が
亢ぶる習慣を持つ者も有るが、これは散る気の正反対の凝る気の働きが現われているので、前にも言ったとおりに反対に引き合うものであるから、散る気の習癖の強い人は、また凝る気の働きを持つ人であるから、たまたま人によってその凝る気の働きの方の現象が現われているのである。
元来心は気を率い、気は血を率い、血は身を率いるものである。たとえば今自分は脚力が弱くてならないから、健脚の人になろうと希望する時は、一念の心が脚に向う。脚と自分と一気
相連なっていなくてはダメだが、先ず普通の状態即ち病態でない以上は、心が脚を動かそうとすると同時に気が心に率いられて動く、そこで脚は自然に動く。云う迄もなく脚と自分と一気通じているからである。ところで健脚法の練習という段になると、ただブラブラと歩くのではいけない。一歩一歩に心を入れるのである。すると心に従って気がそこに注がれるのである。従って血が気に
伴って脚部の筋肉に充ちるのである。そこで血管末端が膨脹して、神経末端を圧迫するようになるから、
腓や
腿肚や
踝あたりが痛んで来て、指で之を押せば大いに
疼痛を感じることになる。遠足した人が経験する足の痛みも同じことである。それに辟易しないで毎日毎日健脚を欲する猛勇な心を以って、気を率い、気を以って鍛錬を続けると、毎日毎日血の働きの為に足は痛むのであるが、徐々にその痛みが減じて、
終には全く痛みを覚えなくなり、何時の間にか血が身を率いて仕舞って、常人に卓絶した強い脚になっているのである。即ち血がその局部に余分に供給され供給された結果、筋肉組織が緊密になって、俗にいわゆる筋が鍛えられて、常人のような脆弱でないものになったのである。それから今度は五キロ、
若しくは十、十五キロの重量を身に付けて、そして従来通り一心一気を用いて歩行法を演習するのだ。するとまた脚が痛む。痛むのは即ち血の
所為である。さて月日を経れば疼痛は無くなって、脚はいよいよ強くなる。また重量を増す、また脚が痛む。
終に痛まなくなる。脚はいよいよ強くなる。という順序を繰り返し繰り返して、その人の限界になって初めて
止む。その間に種々の形式の歩行法を学び尽せば、健脚法の
成就という事であるのだ。で、その人の脚は、常人の脚とは実際に物質の緊密の度合いが大いに異なったものとなって仕舞うので、従って常人と大いに
懸け離れた力を持つのに、
何の不思議の無いことになるのである。いわゆる気が血を率い、血が身を率いてそういう結果になるのである。
力士が常人に卓絶した体力を得るに至るのも、決して先天的な約束ばかりでそうなるのではない。
能く心を以って気を率い、気を以って血を率い、血を以って身を率いる男が、即ち卓絶した力士になるのである。無論先天的なもの、即ち生まれつきというものが有る事は争えない事実である。しかし後天的なもの、即ち修行というものでどのくらい変化が起るかは、計り知れないものがある。
祐天顕誉上人(浄土宗大本山増上寺三六世法主)の資質は
愚鈍であった。しかし心を以って気を率い、気を以って血を率い、
終に高徳の僧になったのは人の知っている事である。
清の
閻百詩(中国、清初期の考証学者)は一代の優れた儒者である。しかし幼時は愚鈍で書を読むこと千百遍、字々に心を着けても、それでもよく出来なかったくらいの人であった。しかも
吃音でまた多病で、まことに劣等な資質を持って生れていたのである。で、母はその憐れな吾が児の読書の声を聞く度に、言うに云えない悲哀の情が胸に
迫って、もう
止してくれ止してくれと云っては勉学を
止めさせたというくらいである。しかるに百詩が年齢十五の時の或る寒夜の事であった。例のように百詩が苦労して書を読んでも
尚通じないので、発憤して寝ないで、夜は更け寒気は甚だしく、
筆硯みな凍ったのであるが、灯下に
堅座して、
凝然と沈思して、敢えて動かなかった。その時忽然として心が急に開け
朗かになって、門や窓が開け障壁が消え去ったようになって、それからは異常なくらいに優れて、悟りの速い人になったというではないか。自分の書斎の柱に掲題して、「一物を知らなければ以って深き恥となす。人に遭って問う、
寧すき日ある少なし。」と署したというくらいの、学問に就いては勇猛精進の人であったことに照らし考えても、その少年の時の苦労の
光景は思いやられて涙の出るほどである。健脚法を学ぶ者が次第に健脚になり、相撲の技を修める者が次第に立派な身体になるのも、勉学する者が次第に
透明慧敏な頭脳になって行くのも、少しも怪しみ疑うところはない。心が気を率い気が血を率いれば、血は遂に身を率いるのであるから、脳その物も、脚その物も、身体その物も、皆変化するのであって、そしてどのくらいまで変化するかという事は、小さな人間の知恵では測ることは出来ない、ただ神が之を知っているばかりなのである。ネルソンは英国海軍兵学校の入学試験に於いて、その体格が悪いといわれて落第した人ではないか。例外の事は例にはならないが、これ等の事を思うと無形と有形との関係に、微妙な関連がある事に気付いて、その関連を捉えたいとの思いが誰しも湧かずにはおるまい。
気と血との結びつきはこのようである。そこで散る気の習癖の付いている人の血の運行は、自然とその習癖に応じた運行の癖を持つだろうし、また血の運行の或る傾向は散る気の習慣を生じるだろう。気が凝れば脳は充血し、気が散れば脳は貧血する傾向がある。もしまた凝ってそして
鬱血すれば、鬱血したため気は甚だしく散るが、その散り方は
寧ろ散るというよりは乱れるというべきで、煩悶し衝動すること、
檻の中で動きまわる山猿のような有様になるのである。普通、気の散る習癖のある人は、血の下降性習慣を持つ人で、即ち脳が貧血状態になりがちなのである。ところで、気の習いとしてその反対の気の習いを引くことは前に言った通りであるから、散る気の習癖を持つ人は、或る時にはとかく脳充血をしたり、即ち逆上したり、或る時は軽い脳鬱血をしたり、即ち頭痛を感じ
迷蒙を覚えたりする傾向があるもので、その交替推移する状態はまるで、負債家が即ち乱費家であって、或る時は寒酸貧苦に、或る時は贅沢三昧に定まりないようになる。
児童の美質のようなものはそうではない。純気
未だ
毀れない者は、昼間は
極少しばかり
極めて適度に血が上昇している。即ち脳の方は少々余計に血が上っている。暮れてから血が少し下降して即ち脳は極少し貧血する。試みに夜間スヤスヤと美睡する健康な児童の額に手を触れてみよ、必ず清涼である。そして身体は
温かである。昼間
嬉戯した児童の額に手を触れてみよ、夜間とはいささか違っているのを認めるだろう。天地穏やかな時、昼は地気が上昇し夜は天気が下降する。同様に健全純気の児童は、昼は気が上り夜は気が下り昼は陽動し夜は隠静し、そして平穏に霊妙に脳力も発達し体力も成長するのである。児童でなくても
教を受けて道を得、年齢は次第に老いても
駁気にならない人は、やはり児童と同じく昼は少し血が上へ上り、夜は少し気が
踵へ還って、そして身体の調子が整い、そして日夜に発達するのである。
しかし、幼にしては長じ、長じては老い、老いては死ぬのが運命というものであるから、誰も彼も成長するだけ成長して仕舞えば、純気は次第に駁気になって仕舞う。駁気になって仕舞えば、気は或いは凝り、或いは散る習癖が付くし、またはその他の種々の悪習が付く。そこで気の上り過ぎる習癖が付けば聡明は少し進むが頭でっかちになって仕舞って、激し易く感じ易く、或いは功名にあてられ或いは
恋慕に堕ち入って、夜も安らかに眠られないようになる。気の下る習癖が付けば心に定まりがなくチラチラとして、物事取り
留まらずウカリヒヨンとなって昼もまた眠ったりするようになる。借金をしては荒く金を使うというような状態で、或いは凝り或いは散ってそして気の全体が衰えてゆく。人だけではない。死に至るまで発達するものを除いては、獅子でも
豹虎でも一切の動物が皆或る程度より以上は少しも発達しないで衰退する。それが自然である。運命である。それが常態である。普通である。平凡である。
此処に於いて
順人逆仙の語が光を放つのである。順であれば人なのだ。君達がなにもしないでその通りでいれば、いわゆる「雪は
秦嶺に横たわり、雲は
藍関を
擁する時」(韓愈左遷の詩・王維)に至って長嘆息して万事休すになるのである。君は生きていると云う
乎、憐れむべし君の持つものは死のみ也である。造物主の操り人形となり手先となって、飽きられた時投げ出されて死ぬのが凡人なのである。純気が駁気になり血行が霊妙の作用を為さなくなり、血行が昼も下降的になったり、或いはまた上昇すれば上昇し過ぎたり、夜も上昇したり、或いはまた下降すれば下降し過ぎたりして、適度な昼夜の
醒睡でその穏やかな上下の霊妙作用をするような事は無くなり、そして
終に発達が止み、やがて
白髪痩顔の人となって行くのが凡人の常態であって、中年からは気が凝り過ぎる習癖が付いたり、散り過ぎる習癖が付いたりするのもむしろ当然であって、当人が自分で仕出かした事と云うよりは、自然の運命に支配されて、気が散ったり凝ったりするのだと云った方が至当なくらいである。当人の心的状態から散る気の習癖になると云うよりは、自然の支配によって散る気の習癖を付けられている、と云った方が適切であるくらいである。換言すれば人の成長するのも衰死するのも、その人自身の意志から成ることではなくて、自然の手が為すことであるのだから、散る気の習癖が付くのも何もみな自然の手がすることである。
しかしここに「逆なれば仙なり」という道家の密語が有る。人はただ自然に
随わされるばかりでなく自然に逆らうことをも許されている。人間以外の動物は造物主の意志に参加する権利や能力を持っていないが、人は太古の原始的状態を永続しなくても良いので、
烏が必ず黒衣し
鷺が必ず白衣するのとは違っている。ただ単に自然の命令に服従しているのならば、凡人は即ち動物とあまり違わず無駄に一生を終えるだけであるが、聖賢仙仏の
教はみな、凡人の常態、即ち人と動物とあまり変わらない状態を超越して、動物でなく、虫魚でなく、赤裸々な裸虫等でもないものになることを、指し示しているのである。造物主の意志に参加する大きな権利や能力を持つ者であることを示しているのである。純粋に自然に
随うだけなら人はただ野猿であり山羊である、人の尊い根拠は
何処にもない。弘法大師が
羝羊心(羝羊は雄牛。性と食に対する欲望のみで生きている)と言われたのは即ちその心である。
羝羊は淫欲食欲のほかに何が多く有ろうかだ。
人は決して羝羊となって満足するものではない。淫欲にも
克ち、食欲にも克ち、人の動物と同じ状態を超越して、そして人が動物と異なる状態を発輝しようと努めているのが、人類の血を以って描いた五六千年の歴史である。キリストもこの為に死し、釈迦もこの為に苦み、孔子もこの為に痩せ、老子もこの為に
饒舌を敢えてしているのである。人はただ単に烏や鷺のように生れてそして死ぬことを、肯定するものではない。無意識的または意識的に一切の動物に超越し、前代文明に超越し、かつ自己に超越してゆくことを欲しているものである。そして人のその希望は幾分かずつ容れられるのである。即ち造物主が自己の意志に参加することを人間に限って許しているのである。で、人間は小造物主となり得るのである。
例えて説けば造物主は立法者である。宇宙はその法律に支配されているのである。動物はただ訳もなくその法律に
順って画一的に生死しているのである。人類もその或る者、
否その多数、即ち凡愚は、ただ之に順って無駄に一生を終えているのである。しかし、その法律に盲従しないで、造物主のその法律の精神を体得し、その法律のどんなものであるかを知り之を運用し、被治者の地位である野猿
山羊の群れを超越して、次第に治者、即ち造物主の分身の地位に到達しようと欲しているのが人類の情状で、昔の賢人や哲人はみな幾分かその望みを達し得ているのである。そして造物主は、造物主が人類に与えた野猿山羊的の形骸や機能等、即ち一般動物の持つのと同じ低級約束に対して、或る程度の自由で之を辞し之を脱することを許しているし、一方にはまた野猿山羊等には及びもつかない高級権利、即ち造物主の分身たる権利を人類に与えているのである。そこで、或る人は動物と同じ低級約束の淫欲を辞退し、或る人は食味の
嗜欲を辞退し、或る人は
耳目の娯楽を辞退し、或る人は怒りや争いを辞退し、或る人は愚痴や愛欲を辞退し、或る人は身命を惜しむ大慾をも辞退している。これ等の事実は
古今賢哲の実際に於いて発見するのに難くない事である。皆
何れも普通とは違っている。しかしこれ等の人々は多く野猿山羊や凡人が及ばない高級希望を幾分か成し遂げているので、即ち逆なれば仙なりなのである。
仙というのは露を
食し葉っぱの衣を着る者を言うのではない。道理に達した者を指して言うもので、儒教に於いて聖賢といい、仏教に於いて
仏菩薩というのと同じく、道教に於いて仙というのである。で、この逆なれば仙なる所から言うと普通の人は、なるほど年齢が老いれば自然と気が雑駁になり散乱する習癖が付いて、再び児童の時のようには成り得ない筈であるが、必ずしもそればかりでなく、気を練り心神を統一して、その悪習を除く事が出来るのである。造物主は野猿山羊にはこのようなことを許していないが、人間にはこのようなことを為すのを許しているのである。そもそもどのようにすれば散る気の習癖を除くことが出来るだろうか。
さて、それならば、気の散る習癖が付いているのをどうやって改めようか
治そうかというと、一旦の負傷でもその治るまでに二日三日はかかる、一旬の病も二旬三旬経たなくては治らない道理であるから、気の散る習癖も昨日今日付いたものなら少しの日数でも治ろうが、このような事はどうも人が打ち捨てて構わず、
不知不識に歳月を経ているものであるから、さて之を改めよう治そうと言ってもどうも簡単にはいかない。相当の歳月を要すると思わなければならない。それでも年齢の若い人は何と言っても容易に治るが、四十から後の人では先ず難しい。よほど当人が発憤しなければならないのである。植物にしても若い木は随分甚だしい傷を負っても
直に治るが、老木が少し傷を負うと、ともすれば枯れたがる。生気というものは若い者には強いが、それに反して老いた者は生気が衰え、いわゆる余気になって、死気が既に
萌しているからである。動物は殊に植物と違って、自己の気を自分で調節し使用する権利を与えられている。その権利を乱用して常に気を洩らす事を悦び楽しみ、日々夜々に生気を
漏洩して仕舞って、そしてそれを尽すので余計に早く生気の枯渇している者が多い。「欲界の神々は気を漏らして楽しみとする」という語が仏書にあるが、天上の神々にも及ばない人間や畜生は、気と血とを合わせ漏らして楽しみとするから堪らない。命は尽きていないが気は既に尽きている者が少なくない。で、そういう人だと随分難儀である。何故かというと散る気の習癖を改めようにも既にその気が尽きかけているのでは、例えば散財の習癖の付いているのを改めてやろうと思っても、改めるにも改めないにも、先ず既にその財が尽きかけているのでは仕方がないようなものである。年齢が若くても余り頼みにもならない。三十才にもならないのに
懐炉を借りたがるほど、生気の乏しくなっている人なども随分今日では多い。生まれつきの体質にも因るがこれ等は気を洩らす方が多くて、生み出すのが間に合はないからで、渇しては飲み渇しては飲みして、
辛くも支えているのなどは随分困ったものだ。それでもまだ若い人の方は、少しでも自分で反省すれば直ちに立直って来るから良いが、中年以上の者は中々簡単には治りかねるのである。しかし中年以上の者でも失望してはならない。失望は非常に気を傷つけるからである。
散る気の習癖を
治すばかりではない、すべて気の病癖を治そうとする時は例えば偏気の習癖を改めようとするのでも、
弛む気の習癖、
逸る気の習癖、
萎む気の習癖等を治そうとする等の時にも、年齢の
老若に依らず
若し気を発揮し過ぎる癖があったなら、先ずそれを改めなければならない。
牢蔵玄関(出入り口に留めおく)と云って、厳しく気を惜しむことは凡人には出来ないまでも、発揮し過ぎてはもとより種子なしになって仕舞うから甚だ宜しくない。気を漏さな過ぎると怒り易くなる傾向があるが、先ず先ず気を惜しんで惜しみ得る人は幾らもないものであるが、出来る限り惜しんだほうが良いのである。
元来人は二十才前後までは日に日に発達する。それは生気のする事である。さて発達して殆んど成熟すると生気が次第に
中に溜まって
終には外に洩れて、また
新に生気の拠り処と成るのである。こうして天地の生気は生々循環して已まないのである。そこで一個に取って云えば、自分の一身は天地の生気の
容器であって、この容器である自分の身から生気が洩れるのは即ちこの容器を不用にさせるもとで、いよいよ多く洩れるのはいよいよ早くこの容器を無用の物にする訳なのである。もちろん自然に大きな容器に生れて来て、十二分に多く生気を容れることが出来る生まれの者もあり、また小弱な容器に生れ来て元来あまり多くの生気を容れる事が出来ないように
定まっている者もある。それは即ち生まれつきとも天分ともいうものであるから、漏洩の多少が直ちに
夭寿の分れる根拠とは云えないが、要するに生気を損耗することの宜しくないことは言を待たない。で、あるから、人もし自分を損耗する悪習が強いと思ったなら、先ずは徐々にその習癖を矯めなければならない。しかし急激に之を
矯め過ぎると気が
鬱屈し
旋転し
焦り
悶えて、ともすれば爆発状態になって怒り易く狂い易くなるので、これは徐々に矯めなければならない。でたらめで節度のない淫蕩な青年や壮年が、突然として自分を
新にして厳正に身を維持するようにすると、その
挙句は異常な調子の人になることが世には多い例で、甚だしいのになると強く張った弦が急に断裂するように死んで仕舞うのもある。しかし牢蔵玄関などということはしようとしても出来ない事であるから、先ずは寧ろ思い切って厳正に自分に克ち、気を漏らすまいとした方が宜しい。出来ない迄も、とにかく気を発揮し過ぎる癖を除こうと企てることである。
その次には物事の正しい対応を心掛けるもので、散る気の習癖を改めようとする第一着手の処は之をおいて他にはないのである。一体散る気の習癖が付く根源を考えると、運命から言えば人が徐々に発達して来て、そして純気から駁気に移るところから生じて来るのであるが、その当人の心象から言うと、気が散る道理が有るにも関わらず
強いて眼前の事に従うところから起って来るのであって、つまりは気の散るような事を
度々するから気の散る習癖が付くのである。
極々手近な例を取って語るならば、ここに一商人があって碁を非常に好むとする。その人が碁を客と囲んでいる最中に、商業上の電報が来たとする。電報は至急な用件で発信者が発したものと分かってはいるが、碁を打ち掛けているので直ちにはそれを開封しないで、左の手に握ったまま二手三手と碁を打つ。その
中に先方が考えている間などに一寸開封して見る。早速返事の電報を打たなければと思うが、打ち掛けたこの碁も今
少時で勝負が付くことだから、一局済んでから返事を出そうなどと、やはり続けて碁を打っている。こういう例は少なくない事であるが、これがそもそも散る気の習癖の付く原因の最大の一箇条である。
このような場合に当たって、その人の気は
純一に碁なら碁に打ち
対かうことが出来るかというと、元来商業上の電報の価値がどんなものであるか、また之を取扱う態度はどうすべきか知らない筈のない人なので、どんなに囲碁に熱中していても、今、手にしている電報に気をとられないという事はない。そうなると、一方では碁の方へ心を入れ、一方では電報の方へ気を注いでいる。さあそこで気は散らずにはいられない。人というものは一時に二念は懐けないものだから、
此の瞬間は碁を思い
彼の瞬間は電報を思って、瞬間、瞬間に気が
彼方へ
行たり
此方へ来たりする、気を静かに一所へ集中できないのである。で、このような時は碁の方でも意外な見落しや思い違いが出来て、そして結局は負になって仕舞ったり、商売の方は寸時の怠慢からとんでもない損失をしたりするもので、
何れにしても余り良い結果をもたらさないものである。
無論それは散る気というような良くない気でする事であってみれば、面白くない結果になるのは寧ろ当然の理屈であるから、それは此処では論じない事として、ただここで観察すべき事は散る気の起る前後の状態である。前に言った通り気が散る原因が有るのにも関わらず、
強いて眼前の事を続けるから気が散る訳なのである。電報を受取ったら直ちに之を開封して、処置を仕なければならないと思いながらも、それを仕ないで碁を打っていれば、どうしても気は電報に惹かれる、そこに気が散る原因が有るのである。そのような事を一度ならず二度ならず幾度となく
為る時は、
終に一ツの癖になって仕舞って、電報を碁の途中で入手するというような事情がなくても、碁を囲みながら商売上の駆け引きや事件の処理なんぞを考えるようになる。一転しては商業上の事務に
携わっていながらも、碁の方の事を思う折もあるようになる。再転し三転しては
甲の事を仕ながら
乙・
丙の事を思い
丁の事に当たりながら
戊・
己・
庚・
辛・
壬・
癸の事を思うようになり、
終には全く散る気の習癖が付くようになるのである。ここを良く合点すれば散る気の習癖を除く道も自然と明らかなのである。
それならどうやって気の散る習癖を除くかというと、元来散る気は、為すべきことを為さないで、思うべき事を思わないで、為すべきでないことを為し、思うべきでない事を思うところから生じて散乱するのだから、先ず良く心を
治めて意を固くして、思うべきところを思い、為すべきところを為そうと決意し決行するのが、第一着手のところである。前に挙げた例で言えば碁を囲みかけているところへ電報が来たなら、その電報の処置をするのが即ち為すべきところなので、そういう大切な用事が有るにも関わらず碁を囲んでいるのは、即ち為すべきでない事を為しているのであるから、電報を入手した時にはズイと立って碁盤の前を離れて仕舞って、そして事務室の内なりへ入って、その電報を読み之をどうするかと考慮し、それからその返電なり何なりとるべき処置をして
終って、それから再び碁を打ちたければ碁盤の前に座し、全幅の精神を以って碁を囲むが宜しいのである。
散る気の習癖が既に付いている人は、
一寸こういうように全ての事を、してゆく事は出来難いものであるが、先ず小さな事からでも良い、第一着手のところは為すべきことを為し、為すべきでないことは為さない、思うべきことを思い、思うべきでないことは思わないと決意決行するのに在る。食事を仕ながら書を読み新聞を読むなどは誰しも
為る事であるが、実は良くないことで、それだから
碌な書も読めず、かつまた一生芋の煮えたか煮えないかも知らずに終って仕舞うのである。食事の時は心静かに食事をして、飯が硬いか軟らかいか汁が辛いか淡いか味はどうであるか、
煮魚は何の魚であるか新しいか古いか腐りかかっているか、それ等の事がすべてハッキリと心に映るように、全気全霊をもって食事をするのが良いので、
明智光秀(戦国武将、織田信長の配下)が
粽の
茅を除かずに食らったのなんぞは、正に光秀が長く天下を持つに堪えない事を語っていると評されても仕方のない事である。俳諧連歌の催しをしている商人が、俳諧連歌の最中に商用の生じたのに遇った時、昔の宗匠が、「商売の御用を済ませられて後、また連歌をされるが宜しい」と言ったのは実に面白い。
流石に
山崎宗鑑(戦国時代の連歌師・俳人)である。一短句一長句でも散る気では出来ないものであるから、用事を済ませて後に句案に
耽らせようとしたのは、
正に人を教える本来の道を
得、かつ
佳吟を得る本来の道を示しているのである。粽はその皮を取って食べるのが良いくらいの事を知らない者はないのであるが、粽を食べながら気が散って心が
他所へ走っていたので、例え三日にせよ天下を取ったくらいの者が、愚か者のような事をしてしまう。光秀は偉いには違いないが、さだめし平生も
此の事に
対かいながら
彼の事を思い、甲の事を為しながら乙の事を心に懐いているというような、散る気の習癖が付いていたものらしい。本能寺(光秀、信長を殺す、本能寺の変)の溝の深さを突然に
傍らの人に問いたというのも、連歌をしながら気が連歌にイッパイにはなっていなかった証拠である。このような調子だったから光秀は敗れたというのではないが、このような心の状態は光秀に取って決して良い状態ではなかったのである。その胸中の煩悶を
推測るべきである。不健全だったである。光秀の為に悲しむべきであったのである。しかし前にも言った通り、これもまた気が散る理由が有って散ったので、光秀も信長の為に忍び難い
凌辱を加えられ、その為に心がその事を瞬時も離れる事が出来なくなっている。それなのに粽を食べたり連歌を試みたりしても、どうして心が粽を食べることにイッパイになったり、連歌を試みる事にイッパイになったり出来るだろうか。ウッカリして粽の皮を
剥かずに食べたり、連歌をしながらヒョンな事を尋ね出すのも無理ではないのである。そこでこれ等の道理に基づいて考えれば、散る気の習癖を除くべきであるのは自然と明らかである。
先ずは第一に為すべき事があれば、為して仕舞うのである。思うべき事があれば思って仕舞うのである。為すべきでない事、思うべきでもない事は捨て去って仕舞うのである。そして明鏡の上に
落書だの
塵埃だのの
痕を
止めないようにしたその上で、サアしようサア思おうと事に打ち
対かうのである。そうすれば「鏡
浄ければ影は自然に鮮やか」な道理で、
対かうところのものが自然に明らかに映るのである。気は散り乱れないで全気で事物に対する事が出来る訳である。そのように心掛けて何事によらず一事一物をハキハキと片付けて仕舞うのである。最初は非常に煩わしく思うものであるが馴れればそれ程でもないもので、例えば朝起きる、衣服を
更える、夜具を畳む、雨戸を繰り開ける、灯を消す、室内を掃除する、洗面をする、というように、着々と一事々々をキチンと取り行ってゆく、訳も造作もない事である。
だが、それがチャンと出来るようになる迄は少し修行がいる事で、口で言えば何でもない事であり、
行ってみても容易な事ではあるが、さてそれならば皆出来るかというと、誰もあんまり良くは出来ない事であって、夜具を畳むにしても丸めるように畳んだり、室内を掃除するにしても
塵の残るように掃除したり、洗面をしながらもう
他の事を考えたりしているものである。
為る事が一々徹底するように出来な勝ちのものである。そこで一生四十才五十才になっても箒の使い方一ツ知らずに過ごして仕舞うのが誰しもの実際で、一室の掃除なぞは出来なくてもそれならそれで、
陳蕃(中国、後漢の政治家)のように天下の掃除をするくらいの
偉物ならばまた良いが、天下の事はさておき、ヤッと月給取りくらいで終るのが我々凡人の大概なのである。これ皆何事をするにも一々徹底するようにと心掛けないからの事で、全気全念で事を為さないからなのであるが、
若し全気全念で事を為せば、いくら
凡庸な我々でも部屋の掃除ぐらいは四十五十の年齢になる頃を待たなくとも、二週間か三週間もする内には上手になる筈で、せめて塵戻りのするような
箒の使い方はしない筈である。
秀吉がまだ下の役にあった時、信長に仕えて詰まらない価値の低い仕事をさせられていたことは、人々の知っている事であるが、その秀吉がどのようにその仕事を取り行ったかという事を考察する人は少ない。どんな詰らない事でも全気全念で秀吉は之を取り行ったに違いない。で、その点を信長が見て取って段々に採用したに違いない。我々が夜具を丸めて畳むような
遣り口で秀吉が仕事をしたならば、信長は決して秀吉を抜擢しなかったろうと思われる。思うに当時秀吉と共に価値の低い仕事をさせられていた多くの平凡な者達は、定めし今日我々が日常に行っているような
所謂「
宜い加減に
遣りつける」遣り方をしていたに違いない。それらの人達は、何事も一々徹底するようにと心掛ける心掛けを持たないで、即ち四十五十の年齢になっても箒の使い方一ツ卒業しないような日の送り方をしていたために、一生その低い地位を通過する事なく終ったものであろうと想像してもそう間違はなさそうである。
そうであれば小さな事をするにおいて小さな事だと軽んじるのは、自分の心を尊ばない基なのである。詰らないものは歪み曲って映っても構わないというのは、鏡に対して懐くべき正しい考えでは無いではないか。詰らないものでも明鏡ならば良く映るのである。孔子さまは何を
為さっても良く御出来だったという事実がある。太宰が「先生は聖者か、なんと多能であることか」(論語、子罕第九の六)と云ったのは、全く孔子が何を為すにも、之を良くするところを認めて感じて云ったのか、ひそかに軽蔑して云ったのか知らないが、孔子がそれに答えて、「イヤ
吾少きとき賤しかりき、
故に多く
鄙事を
能くするのみ、君子は多ならんや、多ならざるなり」と謙遜して言われているが、鄙事即ち詰らない事を能くされた事に照らしてみても、孔子のような聖人が何事にも全気全念全力で
打対かわれたことが明らかに推察出来るではないか。
詰らない事などはどうでも良いと、詰らない事も出来ない癖に威張っているのは凡人の常で、詰らない事まで良く出来て、そして謙遜しておられるのが聖賢の態度である。
飜って思うのは、その詰らない事が良く出来るのは全気全霊で
打対かわれるからで、我々の分際でさえ詰らない事なら、少し全気全霊で打対かえばたいてい出来るものなのであるから、聖賢の才能で之をするとすれば訳も造作もなく出来る筈なのである。そしてその詰らない事にさえ全気全霊で打対われる健全純善の気の習慣は、やがて輝かしい功績や恩恵を成し遂げられる基なのである。一方、凡人が詰らない事さえ良く出来ないのは、即ち何も出来なく終わる原因なのである。全気全霊で事に従うのは儒教に於いては「敬」というのが即ちそれで、全気全霊を保とうとするのが道家の「
煉気」の第一着なのである。であるから、訳も造作もない日常の小さな事が、チャンと出来る迄には少し修行がいるのである。しかし一度手に入れば忘れようとしても忘れられないことは、丁度一度水に浮かぶ事を覚えると、水に入りさえすれば自然に浮くようなもので、掃除なら掃除に一度徹底して仕舞うところまで行けば、もう煩らはしい事はなく自然に良く出来るのであるから、案外面倒な事ではないのである。朝起きてから夜半に寝るまで、すべて踏み外しなく全気で仕事が出来れば、それこそ実にたいしたものであるが、そうは行かないまでも、机に座して難しい問題を考える時ばかりを修行と思わずに、一挙手一投足、お茶一杯飲むところにも修行の場は有ると思ってみると、嘘でも何でもない、
何人といえども六七日
乃至八九日で必ず一進境を見出せるだろう、イヤ少なくとも小さな事の三ツや四ツは徹底することが出来るだろう。
手近い例を挙げれば、
暗闇に脱いだ我が下駄は暗闇で
穿けるのが当然だが、全心で脱がなかった下駄なら急に頭を使っても
巧く穿けないのである。しかし下駄を脱ぐ事に徹底すれば、何時でも暗闇で穿けるので頭を使うには及ばないのである。机上の整理に徹底すれば、文房具の置き合わせの位置などはどう変化しても自然に整頓するのである。室内が清楚で有り得るか有り得えないかも少しの日数で徹底し得るのである。芸術となれば碁や将棋のようなものでも奥の深いものであるから、二週間や三週間では入口丈でも覗けないけれど、日常の小さな事などは誰しも直ちに徹底する事が出来るのである。そこで一ツでも二ツでも何か突き貫いて徹底し得たと思った時は、全心で事に当たれば
何の様な光景で何の様な結果になるかということを理解して、そして瞬間々々秒々分々、時々刻々に当面の事を全心で遣りつけて行く習慣をつければ、何時の間にか散る気の習癖は脱けて仕舞うのである。
電報を握りながら碁を囲んだり、新聞を読みながら飯を食べたり、小説を読みながら人と応対したりするような事は、聡明な人がともすればやる事であるがどうも
宜しくない、悪い習慣を気に付ける傾向がある。聖徳太子が数人の訴訟を一時に聴かれたなどという事は
希有例外の話で、決して常軌では出来ないのである。学んではならないのである。学べば必ず
鵜の真似の
烏となるのである。為さねばならないこと、思わねばならない事が有れば、直ちにそれに取り掛るが良い。それは気を
順当にする道であるから、そうすれば自然と気は順当に流れて散ることは無くなる。してはならないこと、思ってはならない事が有ったなら、直ちにそれを放棄するが良い。それは気を確固にする道であるから、そうすれば気は確かになって散ることが無くなる。しかしこの放棄ということはなかなか難しいので、先ず為さなければならない事の方に取り掛って気を順当にするのが宜しいのである。そして一着々々に全気で事を為す習慣を付けるのが肝要である。二ツも三ツも仕なければならない事が有ったなら、その中で最も早く出来、かつ最も早く仕なければならない事を選んで、自分はこの事を仕ながら死んでも
可と構え込んで、悠然と従事するが良いので、そして実際寿命が尽きたら、その事の中途で倒れても結構なのである。全気で死ねば即ち「
尸解の仙」(死体から抜出て仙人になる)なのである。ところが全気では病気などは中々出て来ない。「人二気あれば即ち病む」とは隋の王子の名言であって、二気になると病気になるが一気では病気にならない。戦争に出て却って丈夫になった者がどれほど多くあるか知れないし、有能な禅僧などは風邪にも余りかからないという面白い現象が有る。
散る気の習癖を除く第二の着手の処は趣味に順ずるのである。人には各々その因・縁・性・相・体・力があって、そして後にそれが発揮されるものであるから、云わば、先天的の約束のようなものが有ると云っても良い。「
一飲一啄もまた前定である(飲み食いのような小さな事までも予め運命で決まっている)」という語が有るが、それほどまでに運命を信じ過ぎても困るが、先ず先ずどうしても好き、どうしても嫌いなどという事も無いではない。画を描くのは親が禁じても好きな者もある。病人いじりをする医者になるのは、親兄弟が勧めてもどうしても嫌いだという者もある。僧侶になりたがる者も無いではなし、軍人を乞食より嫌う者も無いではない。それは各自の因・縁・性・相・体・力なのであるから、
傍から之を
強いることは出来ないし、当人自身にも之を強いることの出来ないところがある。年齢の若い者の一時の好悪などは余り深く信ずるに足りないけれども、趣味の違いということが在る事は争われない事実である。
今ここに画を描くことを非常に好む者が有って、その者が親兄弟の勧めに従って
自ら励んで自分の好まない僧侶になろうと
志して、厭々ながら『
三藏』(仏教の典籍)に眼を
曝すとすると、どうしてもその気が全幅を挙げて宗教の事には
対かわないで、自然と絵画の方へ
赴きたがる傾向が有るものである。このような者を強いて仏学なら仏学をさせると、表面は良いようでもやはり最善の極致にはならないものである。何故ならばそれは絵を好む遺伝などがあり、絵に強烈な趣味を持つようになった幼時の特殊な出来事などが有り、物品景色の
象を写し取るに巧みな天性を持ち、他の職業には適さないけれども画家として適する体質や筋肉の組織を持ち、手中で巧妙で均整な線を描く力や、微妙な色彩の違いが解る眼の力などがあり、物象のポイントを捉える作用を会得しているものとすれば、その人は自然と画家であるべき運命を持っているようなもので、換言すれば僧侶になるべきではない運命を持っているようなものだからである。その様な人が強いて宗教を修めるとするとどうしても気は散るのであるが、そういうのは散る気の習癖が付いている人に甚だ
酷く似ているけれども、実は気の散る習癖が付いているというよりも、他の事に気が凝っているのであると云った方が適切なのである。で、そういう人を強いて宗教なら宗教の方へ心を向けるように修行させれば、修行をするだけの効果が顕われない事はないが、しかしそれは
寧ろ
愚な事で、もしそういう場合で気が散るならば、それは寧ろ趣味に随順して思い切って宗教の事を棄てて、そして好むところの画技ならば画技に心を
委ねて仕舞う方が良いのである。散る気の習癖は自然と除けるのである。
前に述べたような場合でなくても義理の上からどちらを取っても良い事なら、すべて趣味に随順して不興不快の事を棄てる事は、気を順当にしてかつこれを養う上に於いて非常に有力な事であり、間接に気の散る習癖などを除く事にどれ程の効果が有るか知れないのである。芝居の好きな者は芝居を観、相撲の好きな者は相撲を観、盆栽いじりの好きな者は盆栽をいじるのが良いのである。趣味は気を涵養して生気を与え、かつ順当に発揮させるためには大有力なものである。之を
喩えれば、硫黄の気を好むナスのような植物に硫黄を少しばかり与え、清冽の水を好むワサビのような植物に清冽な水を与えるのは、即ちナスやワサビを立派にしてその
本性を遂げさせる根本なのであって、ナスはナスの美味の気、ワサビはワサビの辛味の気を、その硫黄や清水から得るのであるから、人の趣味に順ずる事は気の上からは非常に有力な事なのである。
若しそれを趣味に順じないでナスに清冽の水を与え、ワサビに硫黄を与えるような事をすれば、二者の気は
各々萎靡して、共に不出来の結果を現わさずには終らない。本来趣味は生まれつきの性格から生じて来るものなのだから、之に順ずるのは非常に緊要なのである。山水に放浪するのを好む者、美術を鑑賞して悦ぶ者、狩猟を快とする者、みな各々異なった事で各々異なった作用をするが、生まれつきの性格に適する事なら何でも順じたほうが良い。但し気を
耗らし気を乱すものはよろしくない。淫事、賭博等は、人の性質によっては殊に之を好む者もあるが、如何に生まれつきの性格だといっても之を気ままにすれば気は
耗って、気は乱れるから、節制し禁圧しなければならないのは勿論である。
気と血の関係は前に略説したが、その点から生じる道理で散る気の習癖を除く第三の道には、血行を整理するという一箇条が有るが、これは今ここでは説かない。なぜなら
生半可に血行の事などを文字言語で知って之をいじり廻しては、悪い結果を来たさないとも限らないからである。ただここに挙げておくのは、酒類は良い効果が得られる時以外は血行を乱すので用いない方が宜しい事、呼吸機能を完全に遂行する事、唱歌吟詠は血行を促進するのに霊妙な作用がある事等の数点に
止める。
要するに血を以って気を率いてはいけない、気を以って血を率いよ、気を以って心を率いてはいけない、心を以って気を率いよ、心を以って精神を率いてはいけない、精神を以って心を率いよ、である。血を整えて気に資し、気を
煉って心に資し、心を澄まして精神に資せよ、である。血即ち気、気即ち心、心即ち精神で不二不三である。気の悪習の中、散る気の習癖は、先ず目前の瞬時にその
因を除けというのである。小さな事の実行を積み重ねて、自分で気の消息を知れというのである。このように修行すれば二三週にして直ちに真着手の処を知ることが出来るというのである。
[#改丁]
同じ江海である。しかもその朝は朝の光景を現わし、その暮は暮の光景を現わす。暁の水煙が薄青く流れて、東の空が次第に明るくなると、やがて
半空の雲が焼け
初めて、また
紅にまた紫に美しく輝く。その時一道の金光が漫々と
涯なき浪路の果てから
閃き
迸り、火の矢が天を射るように、忽ちその金光の一道は二道となり、三道となり、四道五道となり、美しくキラキラと
火龍が舞い
朱蛇は驚き、大量の黄金が炉から溢れ出て光炎激しく、
烈々煌々と炎を揚げるような
状になると、紅玉が溶けて
爛れたような太陽が波間から
輾出す。暗闇を忽ち
斥けて、天地俄かに開け妖怪は逃げ去り、鳥獣みな喜ぶ勢いが現われる。即ち、いわゆる「
水門開(港明け)」の
光景を示す。そうすると岸打つ波の音も、浜に寄った貝の色も、黙している磯の岩の顔も、死んだような
藻塩木(
藻塩を
炊く木)の香も、みな
尽く歓喜の美酒に酔い
吉慶の
頌歌を
唱えて、愉々快々の空気に
嘯くような
相を現わすのである。朝の江海の状態は実にこのようである。その同じ江海でも、もし日が既に西の海に没した
後、西空の夕焼けが次第に色を失い、辺りがほの暗くなり、
将に夜になろうとする時になると、刻一刻と加わりまさる薄暗い雲の幕の
幾重に、大空の光は包み
蔽われて、陰鬱の気は
一波一波と流れ来る。霧は愁い、風は悲しんで、水と空とは憂苦に疲れ、萎えた体を
自ら支えられないように、互に力無い身を寄せ合い
凭れ合って、
終に死の闇の中に消えてしまうような
光景を現わす。その時の有様は実に哀れなものである。
江海は本来無心である。その朝もその暮も全く同様なのである。しかし同じ江海といえども、その朝は
彼の様でその暮は
此の様である。同じ物といえども常に同じでは有り得ないのである。
詳らかに論じれば、世に「時間」というものがある以上は、同じ物というものは実は存在しないのである。ここに一本の松の樹が在ると仮定する。その松の樹の種子が苗となり、苗が
稚松となり、稚松が今あるところの
壮樹となるまでは、時々刻々に成長しているのであって、昨日のその松の樹が、昨年一昨年ないし一昨々年の松の樹と異なるように、昨日のその松の樹と今日のその松の樹とは必ず異なっているのである。もし又その松の樹が次第に老い、次第に衰へ、一部分が枯れ、
終に全く枯れるとすれば、明日の松の樹もまた今日の松の樹と異なり、明年の松の樹もまた今年の松の樹と異なるのである。一切の物は皆この松の樹と同様なのである。少なくとも「時間」無くして存在するものが世に無い以上は、一切の物は時間の支配を受けているのである。その時は「或る時の或る物」は「或る時間を以って除した或る物」である。その物の
始より終りまでは、「或る時間を乗じた或る物」である。
黄玉は黄色を有する宝石である。しかし長い間には徐々にその黄色を失う。
鶏血石は鶏血のような殷紅の斑理を持つ貴い石である。しかし十余年も経つ時はその表面の斑理の紅色は、次第に黒暗色を帯びるのである。これ等の物は時間の影響を受けること動植物等のように明白ではないが、しかし長い時間の後には、明らかに時間の影響を受けることを示すのである。
故にその本質を観る時は、百年前の黄玉や鶏血石と百年後のその黄玉や鶏血石が、その色彩の濃度に於いて異なるのみならず、昨日の黄玉や鶏血石と今日のその黄玉や鶏血石とも、またまた違った色彩の濃度を持っているのである。この理屈で同じ松樹も実は同じ松樹では無い、日々夜々に違ったものになっているのである。同じ江海といえども江海そのものは日々夜々時々刻々に変わりつつあるのである。
一切の物自体が時々刻々に変わりつつあるのである。ましてそれ自体以外に、日の照り風の
曝しが之に加わるのである。同じ江海の朝と夕とが相異なることは怪しみ
訝る必要もないことである。ましてやまた大観すれば、日もまた光を失い海もまた底を現わす時が来るのである。つまり世間一切の相は
無定をその本相とし、有変をその本相としているのである。
しかし無定の中に一定の常規が有り、有変の
中に不変の通則が存在するのも、これまた世間一切の相の真実である。黄玉は或る程度の率で徐々にその黄色を失うのである。鶏血石は或る程度の率で徐々に黒変するのである。松樹は或る時に花を飛ばし或る時に葉を替え、そうして次第に成長し、次第に老い、次第に枯れるのである。江海は朝々にその明るく快活な光景を示し、暮々にその陰鬱で凄凉な光景を示しているのである。
一切の物がみなそうである以上は、人
何で独り良く道理や規範や運命の
類から脱することができようかである。人もまた黄玉のように、鶏血石のように、松樹のように、江海のようなのである。特に人は黄玉、鶏血石に比べて生命があり、松樹に比べて感情があり意志があり、江海に比べて全ての物に対応し、
三世(前世,現生、来世)に交錯する関係があり、それ自体より他体に及ぼし、他体より自体に及ぼし、自心より他心に及ぼし、他心より自心に及ぼし、自体より他心に及ぼし、他心より自体に及ぼし、自心より自体に及ぼし、自体より自心に及ぼし、自心より他体に及ぼし、他体より自心に及ぼし、自体より自体に及ぼし、自心より自心に及ぼす、その影響の、紛糾して錯落して多様多状なことは、まるで百千万億兆の細かい目、粗い目の沢山の網を、縦横に交錯し上下に敷き並べたようなものであるならば、その日に変化し、月に変化し、年に変化して、そして生まれてから死ぬまでの間、同じ人といえどもその変化は、また急に、また激しく、また大に、また多い訳である。
さて、変化して定まり無いことは人の元より免れないことである。無機物有機物皆そうなのである。しかし変の中にも不変あり、無定の中にも定めがある。江海の朝は朝の光景を現わし、暮は暮の光景を現わすように、人もまた生まれてから死ぬまでの間に或る軌道を廻わって、そして次第に成長し、次第に老い、次第に衰えるのである。個人の事情は此処では論じない、また人間の心理や生理の全部にわたる話も此処では語らない、今は人の「気の
張弛」に就いて語ろうとおもう。
誰しもが経験し記憶していることだろう、人には気の張るということと、気の
弛むということとが有る。気の張った時の光景と気の弛んだ時の光景、その両者の間には著しい差が有る。張る気とは
抑々どういうものだろう。弛む気とは抑々どういうものだろう。何故か知らないが人の気分は張っているだけでもなく弛んでいるだけでもない、
一張一弛して、そして張った後は弛み、弛んだ後は張り、循環すること例えば昼夜のように、朝夕のように、相互に入れ替わることは誰しも知っていることである。
試みに人の気の張った場合を観よう。張るとは内にあるものが、外に向って拡がり伸びようとすることを指して云うのが普通の語訳である通り、その人の内の或るものが、外に向って伸び拡がろうとする
状を現わす時、之を気が張ったというのである。努力して従事する場合には、一分の苦痛に耐え忍ぶ光景がある。例えば女子が夜になって人の少ない路を行く時に、その心に恐怖を抱きながらも強いて歩みを進めるような場合は、努力して従事しているというのである。また人が流れに逆らって船を進めるのに、水勢の我に利なく腕力既に
萎えようとする時、
尚強いて
櫓を
操り竿を張るのを
止さず、汗タラタラと働く場合なども、努力して従事しているというのである。努力して事に従うのは立派な事ではあるが、
尚その中にかすかに厭悪の情や苦痛の感じが在るのを認め得る。であるが、同じ女子が同じもの寂しい路を行くにも、
若しその女子が病母の危急に際して医者を招く為に、病母を思う心が深く、
速やかに母の苦を救おうとの
念が
壮んで走り、夜道の寂しさも構わずに行くとすると、そのような場合を指して「気が張った」と人は言うのである。また同じ流れを
溯って同じ人が船を進めるにしても、
何処々々の
処に魚の大群を認めたとの知らせに接し、漁獲を思う余り一刻を争って溯り、また強い流れと腕の疲れを考える
暇もなく働くとすれば、そのような場合を指して「気が張った」と言うのである。もちろん努力にも気の張りは含まれている。気の張ったのにも努力は含まれている。しかし努力というものには少なくとも苦痛を忍ぶところが含まれているが、気が張って事を行う場合には苦痛を忍ぶということは含まれていないで、苦痛を忘れるとか、ないしは物の数ともしないというような光景なのである。細かく観察すると似ている
中にも異なったところがある。深夜に書を読み学んでいて、
夜更時になって次第に眠りが催して来る時に、意志を励まして敢えて眠らないのは努力である。学を好んで自然と
睡を思わないのは気の張りである。努力は「努めて気を張る」のであり気の張りは「自然に努力する」のである。二者の間に相通ずるところがあるのは勿論である、不自然と自然との差があり、結果を求めるのと原因となるのとの差がある。努力も良い事には違いないが、気の張りは努力にも増して好ましいことである。
この気の張りということが有る以上は、願わくは張る気を保って日を送り事に従いたいものである。しかし人は一切の物と同様に、常に同じでは有り得ないのである。それで、或る時は自然に張る気になり、或る時は自然に弛む気になっているのである。一張一弛して、そして次第に或いは生長し或いは老衰するのである。張る気を保っていることは中々困難である。同じ人でも、その気の張った時は、平常に比べて、優れた人ででも有るかのように見え、かつまた実際に於いて平常の時のその人よりは卓越した人になるのである。
前に挙げた女子が夜道を行く例、漁夫が流れを
溯る例、学生の灯火研学の例もそうであるが、かよわい婦人が近隣の火災に
遭って意外に重い家財を運べたりするのも、気の張った時には人が何時も以上の力を発揮する証例として数えられることで、その例と同じような例は世の中では多くの人が実に数々遭遇している事である。であれば、学問をするにも、事務を
執るにも、労働に服すにも、張る気を以ってこれに当たったなら、いわゆるその人の最高能力を出す訳で、非常にその結果は宜しいことになる。たとえ張る気を常に維持することが甚だ難しいとしても、少なくとも事に当り
務を執る時は張る気を以ってこれに
臨みたいものだ。一気大いに張る時は女子も恐れを忘れ重い物を運び出せるのである。まして堂々たる男子が張る気を以って事に当り
務を執る時は、天下に難事の有ることはないのである。
琴の
絃はそれが張られて音が出るのである。
弛めば音は低く、いよいよ弛めば音無しになるのである。弓の
弦はそれが張られて矢を飛ばすのである。弛めば矢の飛ぶには力弱く、いよいよ弛めば弓矢の働きは仕ないのである。人もまたそうで、その気が張るのはその人が功績を立てて事を成就させる根源で、その気が弛めば効果は無く、事は失敗に終わるのである。気の張弛の人に於ける関係は実に重大であるというべきである。
張る気の
相は、夜が徐々に明けて
一寸ずつ明るくなると共に、一刻々々に陽気が増して行く時のようである。草木の種子が土の肥料と水の潤いを得て、徐々に膨らみ充ち、
将に芽を出そうとする
状である。男児が十五六歳になって次第に男らしくなり、自然に大望を起こす気象や、押し太鼓の初めは緩く、中は緩みなく、終りは急になって、打ち迫り、打ち迫り打ち込む調子も、皆張る気の相である。最も良く張る気の相を示すものは進潮である。大潮がムクムクと押し進み来て、
汪々とさし進んで、見る見るうちに洲を呑んで渚を侵し、見渡す沖の方は
中高に張り膨らんで、防ぎ止めることの出来ない勢いで押し寄せて来る
状は、実に張る気の相である。種子のように、
弓弦のように、暁天のように、少年のように、進潮の勢いのように、進軍の
鼓声のように、およそ内より外に向って発展しようとする
象は皆張る気の相であり、人に就いてこれを言えば、我が打向かうところに我が心がイッパイになる気合である。空気の充ちたゴム
球のように、その内のものが減ることなく良くイッパイになって、そして外に向かってそこに在るのが張る気の
象である。書を読めば、その書と我が全幅の精神とが過不足なく対応しており、
算盤を取れば、算盤の上に我が全幅の精神が打向かっているのが張る気の気合である。
書を読みながら、その書の上を我が心が一寸離れて、昨夜聴いた音楽の調節を思い浮べるなどというのは、気が張っていない散る気の
象である。書を読みながら他の事を思うというのでもなく、ただ浅々と書を読み、弱々と書を味わい、精彩なく気力なく、書物に対しているようなことは、これまた気が張っていないで、即ち気が弛んでいるのである。気の散るのは例えば灯火のチラつきのため物を明瞭に出来ないように、気の弛んだのは例えばゴム
球の中の空気が
萎んで、反発力が衰えているようなものである。算盤で運算しようとしても、気が散れば必ず過失を生じがちである。また気が弛めば必ず運算するのに明敏ではなくなりがちである。もしそれ、気が張っていれば確実に明白に、少なくともその人の技量の最高最頂だけの事は出来るのである。
同じローソクが燃えているのでも、その一本のローソクの火に気の張弛があって、従って光の明暗が有り効果の多少がある。ローソクの火に気の張弛が有ると言えば可笑しく聞えるが、暫くその芯を切らずに芯の燃えカスをそのままにしておけば、ローソクの火の気は弛んでその光は暗くなりその効果は少なくなる。もしその芯を切れば火の気は張って来る、そしてその光は明るくなりその効果は多くなる。一本のローソクにも一皿の灯火にもよく観ると気の張弛は有る。同じゴム
球でもそのゴム球の冷えた場合には、その中の空気は萎縮して弛む。これを暖めればその中の空気は膨張して張る。空気が張れば反発力は加わり空気が弛めばその力は衰える。ローソクが急に太くなり細くなるのではなく、ゴム球の中の空気が急に増したり減じたりするのではないが、一張一弛は確かにそこに在り、一張一弛がそこに在れば、その結果は明らかに差異を生じる。この二つの
比喩の示すように、人もまた張る気で物事を行うのと、弛んだ気で物事を行うのとでは、大きな差がその結果に生じる。出来れば張る気を以って物事を行いものである。
我が全幅の精神で物事を行うということは、正直で有ったならば誰でも簡単に出来そうなことであるが、しかしそう簡単に出来るものではない、或る人には散る気の習癖が付いており、或る人には弛む気の生じる習癖が付いている。その他、逸る気の癖であるとか、
悖る気の癖であるとか、
暴ぶる気の癖であるとか、
空ける気(ボーとする気)の習癖であるとか、
昂る気の習癖であるとか、種々の悪い気の習癖が有るものであるから、なかなか張る気だけを保つことは難しいのである。ローソクの芯を切ればしばらくは次第に明るくなる、それは張る気であるが、又やがて暗くなるのは、火の気が燃えカスに妨げられて弛み弱るからである。ゴム球のやや古びたのは既に気が足らなくなっているから、一時は温暖の作用によって張っても、又やがて弛んで反発力は衰えるのである。
張る気の反対の気は弛む気である。気というものは元来「二気を合せて一元となり、一元が分かれて二気となる」ものであるから、必ずその反対の気と引き合い、生じ合い、招き合い、随い合うものである。そこでたまたま張る気を以って物事を行っていても、
少時で直ちにまた反対の弛む気が引き出されて来て、次第に張る気が衰え弛む気が長じて来ることは、例えば進潮(上げ潮)が永く進潮であり得なくてやがて退潮(引き潮)を生じるようなものである。そこで、折角張る気を以って物事に接していても反対の弛む気がやがて生じて来る。これが一難である。
それから又「母気は子気を生じる」のが常である。張る気を母気とすれば
逸る気は子気である。逸る気は一気に効果を急ぐ気で、枯草や
乾柴の火が永くは続かず、つむじ風が朝のうちに
止むようなもので永続しないものである。「駒の朝勇み」という
諺が有るが、駒が
未だ馬と成らない内は、甚だしく逸り勇むもので、朝は好んで駆け回るが夕に及んでは、ヘトヘトになり朝の元気が無いのが常である。逸る気で事を為す者は、書を読めば流れるように一日に数十巻の書を読み、文章を作れば飛ぶように千万字を筆にするような勢いを示し、道を行けば忽ち山河丘陵をも飛び過ぎるような意気を示す。しかし逸る気で事を行う者の常として必ず疲労と
躓きが出て、勇気は頓挫し萎縮し振わないようになるのである。張る気は甚だ良い気であるが、張る気が一転して逸る気となると、善悪は別として多凶少吉の気となる。書を読めば早飲み込みをする傾向が有る。字を写せば
落字錯画の過失をする傾向がある。算数をすれば桁違いや
撥込みなぞをする傾向がある。道を行けば或いは脇道に入り、或いは曲がり角を誤る傾向が有る。そういう過失や間違いに
陥らないとしても、一気は早く尽き余気はなくなってしまうから、書を読んでも書を読み続けることが出来ない、字を写しても字を写していることが出来ない、算数をしても算数の事を続けられない、路を行って中途で退屈するようなものである。折角張る気であっても流れて逸る気となってしまう。これも一難である。
昂る気もまた張る気の子気として生じる。幸にして張る気から逸る気を生じないで、しばらくは張る気を保つ、そして幾らかの時が経つと、張る気の結果として幾らかの
功徳が生じる。その時その人の
器が小さいとか気質に
偏りが有るとかすると自然と昂る気を生じる。昂る気の
象は、世の中に
驕り昂ぶり、人々を圧倒するのである。一巻の書を読めば、その三、四分を読んで一巻の説くところを知るとするのは、昂る気の
仕業である。人の言を聴くのに、その言が終わらないうちにこれを批判するのは、昂る気の習癖がある人の常である。十万二十万の富を得ると、百千万の富を得ようとするのは、昂る気の習癖のある人の常である。世の多少の半英雄、世間の幾多の半聡明の徒は、みなこの昂る気の習癖を持っていて、その為に成功できず事業は失敗し、
終にはひねくれた気の習癖を抱くことになるのである。この昂る気が
一度生じると、張る気の働きは張る気の正しい働きをしないで、良い張る気の働きをすることが日に日に無くなって行くのである。
偶々その人が張る気になっても、早くも昂る気が生じて来て、後には殆んど純正の張る気の働きは無いようになるものである。例えば南海の上げ潮の時に、強い南風がこれに加わると潮狂いになっていわゆる
潮信(
潮時)と云うものを失ってしまうのである。真に潮が進むべき時に潮が進まないように、真に優れた作用の張る気が却って見えなくなってしまうのである。張る気の後に昂る気の生じ易いのも、これも一難である。
凝る気は張る気の隣気である。その
象は張る気に似て甚だ近いものである。しかし張る気とは大きな差がある。張る気は我が
対かう所に対して我が心が一杯に充ちているのであるが、凝る気は
対かうところに我が気が注ぎ
潜ってしまうのである。我が心が既に我が心でなくなったようになって、ただ一方向になるのが凝る気である。例えば道を行く旅人が、行きかけた道なのでと云って、右も左も見ないで一方向に進むようなものである。その取った道が過っていない時は良いけれども、もし正路を失っている時は非常に悔恨を招く。碁を囲んでいて、敵と争う一局面の処に勝とうとして、他の処を打忘れるようなことは即ち凝りである。全盤を見渡して良い手良い手と心掛けて勇むのは張る気の働きである。今争う一局面の他には争うべき
処も石を下すべき処も無いように思って、どのようしても敵を負かそうと思うことは、即ち凝るというものである。凝るのは死である。高山の湖水の
凝然として澄んでいる状態は凝る気の象である。思いのままに動けない、束縛がきつい、恐ろしく厳しい状態に有るのである。張る気は善悪を論じれば善である。大小を論じれば大である。吉凶を言えば不凶不吉である。凝る気は善悪を言えば不善不悪である。大小を言えば小である。吉凶を言えば多凶少吉である。英雄にも俊傑にも凝る気の習癖が多い人は有る。
武田信玄(戦国大名)や
上杉謙信(戦国大名)も晩年までは凝る気が脱けないで、「川中島の戦い」に半生の心血を費やしたのである。
徳川秀忠(徳川二代将軍)も凝る気の働きに任せて、「関ヶ原の戦い」に間に合わなかった。家康と戦って負けた秀吉は、口惜しくも思っただろうが、「小牧・長久手の戦い」の負け
戦にあって、戦いを続けないで自分の母さえ人質にして、家康の上洛を促して、そして天下の整理を早めたところは、
流石に凝る気の弊害を受けないで、張る気の効果を用いた秀吉の大人物たるところである。勇士・学者・軍師・芸術家などと云うものは剛勇でも聡明でも、多く凝る気の弊害を受けがちのものである。武田勝頼の「長篠の戦い」などは、いかに凝った気の恐ろしいもので有るかを示している。出もしない、入りもしない、一軍がそこに在るのみ、
後へも
前へも右へも左へも行かない、凱歌を奏でるまでは退かないと、我が対するところに一念凝り詰めて、悪戦苦闘して辞さなかったのは勝頼である。もし勝頼を一部将として秀吉のような人がこれを用いたならば、実に勝頼は偉勲大功をも立て得る猛勇の将であるが、凝る気が恐ろしい敗けを招いたのである。勇者というのはすべて張る気の強い人をいうので勝頼なども勇者には違いない。が、惜しいことに、その恐ろしく強い張る気が、隣気の凝る気になってしまったので、事が失敗し功績を失ったのである。秀吉は「小牧・長久手の戦い」に敗れたが、気は屈しない、勇気は十二分に張っていたのである。しかしその張る気だけを用いて凝る気に落ちなかったので、機略を思うままに用いて、
終に家康に
沓を取らせて(服従させて)、「徳川殿に沓を取らせたる事よ」と、謙遜の中に豪快の
趣を込めた言葉すら放ち得たのである。死生より論じれば凝る気は死気である。張る気は生気である。凝る気は一所不動の気である。張る気は
融通無碍の気である。凝る気は悪気ではない、しかし凝る気にならずに張る気を保ちたい。気の張ることが
壮んで強いものはともすれば凝る気になる。これもまた実に一難である。
上に挙げた以外に、なお多く子気も有れば隣気も有るから、張る気を張る気として保って、そして物事に接するということは、中々簡単では無いのである。さてそれではどのようにして張る気を保とうかということについて語りたいが、これに先だって張る気の盛衰に就いて語ろう。人事は覚り難いようであるが実は覚り易いところもある。天命(自然の法則)は知り易いようであるが詳しくは解り難い。但し人事は結局、天命の中に含まれている。天命で人事を推し測ることは出来るけれども、人事で天命を説明する訳にはいかない。人は天地の間の
一塵であるから、その大処より論じれば天地の規則に従うほかはない。しかし人事は我に親しく天命は情に遠いから、その密接で切実な処より論じるには人事を観るに越した事はない。張る気の起って来るところを人事から考えると種々ある。
第一には「我と我が信との一致の自覚」から起こる。これは最も正大で崇高なものである。
仮令そのいわゆる我が信なるものが誤っていても、その立派なことを失わないと言いたい。仏教であれ、儒教であれ、キリスト教であれ、回教であれ、道教であれ、ないしは自分が発見もしくは自分が得た悟りや認識や肯定する信条であれ、およそ真実である、公明である、中正であると信じるところのものと、自分との間に反することが無くて一致することを自覚したならば、人はこれくらい勇気が渾身に満ち張ることはあるまい。昔の伝道者や殉教者や立教者や奉道者が、世俗から云えば堪えられない困難・凌辱・痛楚・悲哀等に堪えて、屈せず
弛まず一気緊張して、一条のレールのような立派な生涯を遂げた根本のものは、多くは実に我と我が信との一致の自覚に因るのである。人間の道此処に在り、天神の教え此処に在り、曲げられない真理此処に在り、優れた真価此処に在り、信じるもの此処に在りと確信する、その至大・至神・至真・至聖のものと我とが、一致していると自覚する時は自然と我が気は張る道理である。道義や宗教の上だけではない、数学や天学や地学ないし理学化学その他の学科について、我が信じるところと我との一致の自覚は、明らかにその人をして十二分にその気を張らすに疑ない。そして気が張ればいよいよ、その道・その
教・その学に奮励精進させるから、益々その自覚の核心を強固にして長養する。自覚の核心がいよいよ強固になり長養すれば、いよいよ気が張るから、遂に一気は徹底して至偉至大の事を為すに及ぶのである。
孟子(中国、戦国時代の儒学者)のいわゆる
浩然の気のようなものは、この間の消息を語っているものと理解できる。至大・至正・至公・至明の道と我とを一致させるのが、即ち浩然の気を養う根本である。古今偉大の人、賢聖の人々、誰が浩然の気を養わない者があろう、皆良く浩然の気を養い得ている人である。日蓮(日蓮宗の開祖)でも、法然(浄土宗の開祖)でも、パウロ(聖人、初期キリスト教の使徒)でも、ペトロ(聖人、キリストに従った使徒の一人)でも気の萎えた人などは一人も無いのである。
若し徳いよいよ進み、道いよいよ高ければ、その気はいわゆる凡人の気というものとは、自然に異なって来るに違いないから、聖賢の世界の事は此処では避けて言わないとするが、要するに「我と我が信との一致の自覚」は最も良い意味で張る気の起る
因となる。
信は意と情と智との融和の上に立つ信を最上とする。しかし大多数の人について言えば、そういう最上の信だけではない。智が不足の信もある、情が不足の信も有る、意が不足の信もある、情智不足の信も有る、智意不足の信もある、意情不足の信も有る。三因具備の信はむしろ稀少である。しかし因不足の信でも何でも信は信である。智が反逆を企てている信もある、意が反している信も有る、情が反している信もある。これ等は理解できない矛盾であるが、実際には存在しているものである。智情が反している信もある、情意が反している信もある、智意が反している信もある。これ等も奇妙な事ではあるが世に存在している。およそ信の力は
因の不足や反因の存在に
因って、甚だしく高低大小を生じるが、それでも信は信である。それ等の各等級の力の信と自己との一致は信力の違いによって違う状態を現わし、従ってまた張る気の状態を異にするは勿論であるが、それでも我と我が信との一致の自覚は、或いは多、或いは少であるにせよ、張る気に影響することは勿論である。
第二には「心の持ち方」によって張る気は生じる。例えば幼い児がいる商家の主婦が突然に夫を亡くしたような場合である。哀しみ泣き暮れるほかは無い折であるがここは大切の時である。いたずらに泣き崩れている場合ではない。どうにかして亡夫の遺児を育て上げ、夫の跡目も見苦しくないように仕なくてはと女ながらも店を閉じず、出来ないまでもと甲斐々々しく働くようなことは、心の持ち方で張る気が生じたのである。人は境遇の転変に
因って心の持ち方を一大転回させることがあり、一大発作をすることが有るものである。そういう場合には甚だしい気の変化が起こる。逸る気になるのもある、散る気になるのもある、弛む気の生じるのもある、昂る気の生じるのもある、凝る気の生じるのもある、縮む気の生じるのも有り、伸びる気の生じるのも有る。上に挙げた
寡婦のような場合に当たっては、先ず普通の婦人であれば縮み
萎える気が生じて身体も衰え才能も鈍り、幸運が訪れない限りは次第に悲境に
陥るのである。また或いは凝る気を生じて、神とか仏とかキリストとか或いはそれより
下って
牛鬼蛇神の
類のようなもの、
巫覡(神下ろし)・
卜筮(占い)・
方鑑(占星)の道、その様なことに心を
委ねるようになるのもある。しかしまた張る気が生じて、今までは夫の存在に
因って我知らず弛みきっていた気を張り、衣服装飾から飲食の末までを改め改め、必死になって家を保ち、
児を養おうとする者もあるのである。そういう場合には一婦人の身であっても中々
侮り難い事を為すもので、いわゆる「気の張り」は才智をも発展させ、挙手投足をも敏活にさせるもので有るから、「その人が天より受けただけのものは十分に使い尽す」状態になる。気を張って事を為したからとて、必ずしも成果を収めるとは限らないが、人が天より受けただけのものを十分に使い尽せば、天がどうして
無禄(無報酬)の人を生じさせることがあろうかである、その人の
分限相応だけは働きの報酬を受けて、案外に張る気という善気の結果を出し得て、それほど
吉祥ということも無い代わりに、それほど大凶ということにもならないものである。背水の陣の兵必ずしも勇士だけではない、心の持方から張る気を生じさせたのは、韓将軍(中国、戦国時代の将軍、背水の陣)の兵機を観るに卓絶なところである。こういう場合だけでなく種々の場合に於いて、人は心の持ち方で張る気を生じるものである。
第三には「情の感激」によって張る気を生じる。前に挙げた孝女が医者を呼びに物寂しい夜道を行くようなことは即ちこれである。嫉妬の念・感恩の情・憤怨・恨怒・憎疾・喜悦・誠忠その他諸種の情の感激は、ともすれば人に張る気を生じさせる。しかし醜悪の情感は張る気のような善気を発するよりは、或いは
悖る気、或いは
暴ぶる気、或いは逸る気のような悪気を生じる場合が多く、歓喜の情のようなものは醜悪というのではないが、張る気を生じるよりは弛む気を生じる場合が多い。正しく美しい情の感激は張る気を生じる場合が多い。女王イサベラ(スペイン、カスティーリャ女王イサベル一世)の援助は、思うにコロンブス(アメリカ大陸発見者)に十分な張る気を生じさせたことだろう。近松門左衛門(江戸時代の歌舞伎作者)はその戯曲で、美人の温情が難与兵衞をして奮って気を張らせたことを描いて、一場の名場面を作らせている。実際は情の感激から張る気のような善気を生じる場合は、むしろ少ない方に属するが、歴史や伝記や戯曲や小説に於ける
佳話は、多く情の感激から善にして正しい気の緊張が、
終に好結果を結ぶ傾向にあるといっても良いくらいである。
第四に「智の光輝」によって張る気を生じる場合を挙げたい。しかしこれもまた
寧ろ稀な事実に属する。但し多くの発見者発明者等の伝記を
繙けば、智の灯りによって或る事象の一端一隅を知り得て、そして忽ち張る気を生じ、少なくない時日の困苦を意とせずに
終には成果を挙げた例を見出すことは
難くない。張る気は人の学才智慮を拡大し、
膂力や意気を拡大するので、智光いよいよ輝けば気はいよいよ張り、気いよいよ張れば学才智慮はいよいよ拡大されて、その人は意識することなく自己の最高能力を発揮する。その光景は経験のない者には伺い知ることが難しいところだが、例えば勇士が敵を望んでいよいよ意気軒昂となるようなものであることを疑わない。
元来知識の威力は
灯のようなものである。灯は外界が
闇黒になるに従ってその威力を増し、闇黒の度が減じ明るくなるに従ってその威力を減じ、明るい昼間には殆んどその威力を失う。それと同じく知識は社会が知識を欠いている度合いが強いことに従って、甚だ微少の知識でも一歩進んだ知識であれば、その知識は
燦然と光輝を放って、無知識の
暗闇世界に美しく威力を振うものである。一点の星灯りも
漆黒の暗闇に大威力を発揮するように、微弱な知識でもそこに一点の光明があって社会の暗闇を破るのを覚える時、これを見出した人はどれほど勇気を生じるだろうか。ニープス(フランスの写真家)やダゲール(フランスの写真家)が、光線が他物に及ぼす力に差のあることを知って、撮影の術の達成を信じた時の知識は、今日の我々が持つ写真術の知識に比べて如何にも微弱なものであったに違いない。しかし出来難いものの
比喩に、影を捉えるという程の当時の無知識の闇の
中に在って、一歩進んだ知識を持った二人が、その自己の持つ知識が燦然と輝き、暗黒世界を照破する景色を認めた時は、いかにその大威力を讃嘆し感賞して、その為に言うに云えない霊威を授けられた思がしたことだろう。そして又その霊威に励まされたことは、どれほど二人に無限の希望と喜びと勇気を与えて、周囲の惨苦の光景に堪え一身の気分を緊張させた事だろう。およそ知能が世に先だって群を抜く人は、多くこれ等の光景に遭遇してこの滋味を知り、他人が視てそして難しいとするところを為し得たのである。
第五に「美術及び音楽等に宿る作者の強大な張る気」から張る気は生じる。これは特に張る気だけがそうなのではない、人はすべて共鳴作用のような心理を持つから、甲人の
萎えた気は乙人の萎えた気を誘起し、丙人の散る気は丁人の散る気を誘起する。その他すべて多少によらず或る人の或る気は他の或る人に或る気を起させるものである。狂気は散る気・凝る気・
悖る気・
暴ぶる気・沈む気・浮く気等あらゆる悪気が入り乱れ膨らみ、時と境の二圏の輪郭を破砕して発生するものであるが、その気は一切の悪気の最たるものであるから、甚だ稀ではあるが伝染・感染の作用をする場合がある。狂気までには至らなくとも、悪気は全て善気よりも共鳴作用を起こしやすい。それは世の中、自然と平生善良の資質を抱く者よりも、
雑駁不純の資質を持つ者の方が多いからで、愚劣な事が賢良な事よりも却って俗衆に歓迎されるのと同じ理屈である。
多人数の集会は、換言すれば優良な資質を持つ人よりも優良でない資質を持つ人が多いから、ともすれば甚だしく気の
偏りの有る二三人がその中に在って突飛で狂妄な言動を演じると、その気の偏りの威力に動かされて共鳴作用に似た心中の波動を起こし各人が持っている同じ気が発動し始める、やがてその同気の発動が五人から十人、十人から二十人というように次第に多数の人々の上に及ぶと、これを音響にたとえれば次第に洪大な音響を発するような訳に当たるから、その大音響に衝動されてまたまた他の人々の気の
絃が共鳴作用を起こして、
終には比較的健全で平静な人々、即ち少量しかその気を持たない人々までも、強いて共鳴を余儀なくされて騒ぎ立てるようになり、一悪気一凶気が場を
蓋って他の善気・吉気は
潜没してしまう。その挙句はずいぶんと気狂いじみた事を仕出かすものである。これ皆気の共鳴作用というべきもので、特に暴ぶる気などは他の種々の悪気が発動し帰着するところのもので有るから、容易に共鳴作用を各種の気に対して発し易い。凝る気も一変すれば暴ぶる気になる。猛勇の将士が悪鬼のようになる事を考えると解ることである。凝る反対の気の散る気も暴ぶる気になる。街頭で些細の事から喧嘩などをして警官の手を
煩わす人には、散る気の習癖の有るものが多い。逸る気もまた暴ぶる気になる。軽挙妄動して事に失敗する者は多く逸る気の一転である。悖る気はもとより暴ぶる気の陰性で念入りなもので、まるで
鉤の戻りのように、バラの
棘のように、人が右に行こうとすれば右に行けなくし、左に行こうとすれば左に行けなくするものであるが、これが一回転して暴ぶる気になると
悪辣さは苛烈を極めて、人を殺してその肉を
啖らい、国を
夷げてその墓を
発くような事になるのである。昂る気も一屈再屈三屈すれば、
終には転じて暴ぶる気になる。百千万人を殺して笑って酒の肴とするのはそれである。その他暴ぶる気と一脈通じ同調する者は甚だ多いから、凡庸の人が多人数の集会では、ともすれば愚挙を生じる。ましてや或る意味が存在し、或る一気が流行する時にはそうである。これ故に昔から
奸雄(大悪党)などは毎々この気の共鳴作用を利用して事を起こすくらいである。このように気の共鳴作用が存在する中に、善気の共鳴作用は多くはない。しかし、キリスト教徒の復活のような「気の伸び」を欲して、直ちに一切の利害を脱して正しきに合せんとすることも起る。
美術音楽は天地の自然が作り出したものではない。人の自然が作り出したものである。人は何等かの気があるものである。それなので、人の作り出した美術音楽には、その作者の気が宿らないことはない。であれば、或る作者の或る気を宿した美術音楽は、その中に宿っている気の作用によって、観者や聴者の気に共鳴作用を起こさせる。前に挙げた多人数の集会での共鳴的作用は、普通の人の気の働きが他の人に及ぼして起こるのであるが、それですら偉大な伝播を生じるのである。ましてや美術や音楽は、特異な才能を持つ人の特異な興奮状態から結晶して成り立ったものであるから、その作用は普通の人の気の作用よりどれほど強いか知れない。そこでその美術や音楽の作者が、或る気から生じた或る作品或る楽曲を社会に提供するに際して、その作品または楽曲に接した人は、自然とその中に宿る気の作用を、意識的に若しくは無意識的に感受して、そしてその気によって衝動刺激される結果、共鳴的作用を起こして、自分もまたその気を誘発されるのを免れない。即ち
頽廃傾向の作品を観たり聞いたりした場合には、同じく頽廃的になり、奮激緊張傾向の作品を観たり聞いたりする場合には、同じく奮激緊張するのであり、幽玄の作品や楽曲に接しては、又同じく幽玄の心を動かされ、
軽薄淫靡の作品や楽曲に接しては、また同じく軽薄淫靡の心を
唆立てられるのである。換言すれば授者と受者との間に共鳴的作用の成立した時が、即ち芸術の効果が成り立ち、力が行われたと言ってよいくらいなのである。我々が卓絶した美術家・作曲家等の、作品・音楽等に接して、或いは美しく、或いは喜ばしく、或いは悲壮、或いは
清怨等の感を生じるのは、つまり作者が芸術に臨む時の心象の反映に過ぎないのである。
この理屈に因って芸術家の選んだ題目や手法や内容が、たまたま我々の張る気を誘発するものであった時には、我々の気はこの為に共鳴的作用を起こしてそして張らされるのであるし、弛む気を誘発するものである時は、必ず弛まされるのである。特に張る気に限って起されるというのではない、どの気でも起される。しかしその中でも、薬は効きが薄いが毒は
能く効く理屈で、弛む気であるとか、
殺げる気であるとか、浮く気であるとかの悪い気は簡単に誘発されて共鳴的作用を為すものである。
猥画や
淫曲は下手なものでも人を動かすが、これに反して高尚な画や気品のある曲は、
巧なものでも俗人の
耳目を
悦ばせるところとはならない。これには種々の理由があるが、多数の凡人は善い気を持つ者が少なくて共鳴的作用が起きないことも大きな原因である。画や曲などは気にもかけないと言ってはならない、
嬌態をした美人の流し目の、
艶めかしく、
滴ろうとするばかりの画を観る時は、確かに人の気は
猛々しくは在り得ないのであり、迫りくる
情・
纏いつく
意・女性を
愛でる
念・色気のある寄り添うような
淫らで優美な曲を聴いては、確かに人の気は氷のように冷徹で、石のように貞淑では有り得ないのである。同じ美人を描いたにしろ、聖母や仙女を描いたものに対しては、もしその画家が画題に適応した精神とその表現法を以って描いたものならば、我々は艶容な美人の図を観るのとは大いに異なった気を誘発されるだろうし、同じ人情を伝えた曲にしろ、或いは貞女が出征の夫を思い、或いは勇士が家族と別れるような場合の情を示した曲を聴いたならば、我々は色っぽい曲を聴くとは大いに異なった気を誘発されるだろう。であれば、張る気のような善気を保とうとするには、弛む気を生じさせる傾向の美術音楽等は努めて之を遠ざける必要がある。彫像は
運慶(平安末期、鎌倉初期に活動した仏師)以上、書は
魯公(顔真卿、中国唐代の政治家、書家)以上、
李杜(李白、杜甫・中国唐の詩人)の詩、
韓蘇(
韓愈、
蘇軾・中国の文人)の文、画にしても音楽にしても、謹厳で
嗜みのあるもの、
豪宕で力量のあるもの、優雅で卑俗でないもの、純正で邪悪でないものには、その中に堂々
凛々としたものが宿り充ち溢れている以上は、みな以って我が張る気を誘発して共鳴的作用を起こし、若しくは我が気の
絃を協音的に鳴り響かせ振い起こさせるものである。
「環境の変化」もまた張る気を起こさせるものである。昨日まで無職だった人が今朝は役所に就職するとか、昨月まで役人として長官に使われていた人が、今月からは自分で店鋪を開いて、自由に力を発揮するとか、或いは
僻遠の地方にいた人が、希望がかなって都会に住むことになるとか、或いはまた繁華な都会の粉塵の地を脱して山高水長の清境を歩き回るとか、或いは立派な家柄の人が忽ち漁師や農民の生活する荒れ里に身を落とすとか、貧人が急に富むとか、貴人が忽ち落ちぶれるとか、
寡婦が夫を得るとか、悪賢い人物が起こした乱に
遇うとか、およそこのような環境の変化に際会して新しい状況に出遇う時は、人の気は自然と張るものである。これは環境の変化によって自分で意識して大いにその気を張ることに基づくが、しかしまた無意識に張る場合もあるので、およそ土地・気候・天候・空気・風俗・習慣・言語、これ等のものが昨日と今日と大いに異なれば、昨日と今日と我が受けるところのものが大いに異なる為に、身心の状態が自然と昨日と同じではないことになり、自分に取って有利であるにしろ不利であるにしろ、生気がある以上はその気が大いに張られるのは必定の事である。
環境の変化でなぜ気が張るかというと、この問に対しては一ツの答だけでは無く幾ツかの答が有るのである。第一に環境が善変した場合、第二に環境が悪変した場合、第三に甚だしく善変も悪変もしないがとかくに環境が変化した場合、これ等の場合の種々の差に因って人の受けるものも違い、これに対して生じる身心の状態も違うから、一概に説くことは出来ない。第一の環境が善変する場合には、身体状態が精神状態と共に善変して、そして張る気が生じる。汚染した空気の中で生活した者が清浄な空気の中で生活する時は、空気そのものから受ける影響だけでも決して少なくはない。咽喉・気管・肺が快適になるだけでなく、肺への酸素の供給が十分で血液の浄化作用が完全に行われる結果、循環作用は良好となり、脳及び各器官はその消費に対する補充を得易くなり、胃腸の働きは強まり、摂取と排泄との連携は良好になり、新陳代謝はテキパキと遂行されて、身体は安らぎ精神は整えられる。もしこれに加えて時々、オゾンを発生する波の激しい海岸とか、または気温の激変のない海辺近くとか、または大気の湿気や暑熱の無い高燥の地、ないしは砂地土壌の土地とかであるならば、いよいよその人に物質的利益を供給する。もしまた清鮮な野菜・魚肉・鳥獣肉・果物等が潤沢に得られる土地であれば、事情はいよいよその人の身体を良好にし、その精神状態をも良好にする。もしまた僻地や寒村から都会に出て美味しい食事を得るような場合でも、その失った良い点が得た所よりも少ない時は、同じようにその人の身体状態が良好になる事は、
但馬牛が神戸付近に出て美食を得た為に、急に毛色も美しくなり肉付きが十分に発達するようなものだろう。その他事情は種々様々だが、およそこれ等環境の善変の中で実体を伴う善変は、先ず身体状態が善変してそして精神状態も善変する。そこで栄養の十分な樹は自然と
生々の力が充実するように、身体状態の善変が精神状態をも善変すれば、自然と気が張るのに不思議はない。
栄養不良で身体日々に衰える場合は、昨日は六十キロの物を挙げられたのに、今日は五十八キロしか挙げられず、今日は五十八キロを挙げられても、明日は五十六キロしか挙げられないようになる。これは身体の衰弱により力が減少して行くのである。これと反対に栄養が良く身体が日々に強健を増す場合は、力は次第に強まって行くものである。腕力は
筋腱だけによるものではない。また意志だけによるものでもない。意志と筋腱との互いの働きによって成立つものであるが、筋腱が自然と発達して実質が増す場合には、力もまた自然と増加する。日々に意志を注ぐと力が増すのは事実である、このように意志によって力が増加するのは、つまり意志の為に促されて筋腱の発達に必要な物質が日々に提供される結果として次第に実質が増加をして、そして
後に力が増加をするのである。
故に意志の注加によって力量が増進するのも、形として論じれば筋腱が太り強まった為である。今力量を増加しようとする
何等の意志がなくとも子供が次第に成長するように、また病後の人が次第に回復するように、実質が次第に増加する場合には、力量も次第に増加するのである。従来に比べて栄養良好で身体が日々に強健になって行く場合にもまた、力量は
不知不識の間に増加して行くのである。まるでこの身体の力量増加の例と同様、精神の力量もまた栄養良好で身体が日々に強健を増すような場合には、日々増加して行くのである。さて潮が刻々に進み満ちるように、春の温度が日々に進み高まるように、精神の力量が身体状態の為に段々と増加する場合には、気も自然と張るものである。張るとは次第に無より有に進み、少より多に進む場合を云うのであるから、たとえ
微少ずつに背よ精神の力が増加して行く場合には、即ち張る気が現われるのである。環境が善変する際には、環境の善変が直ちに精神状態を快適にするということも、
正しく張る気にする一因で有ると同時に、身体状態の変化が精神機関の実質、即ち脳や神経等、そのものの改善に及ぼす結果として、精神力量は次第に増加する。その結果、自然と張る気が生じさせるのである。
であれば、環境の善変の場合には直接と間接との二ツの理由により張る気が生じるのであるが
尚その他に、善変・悪変・不善不悪変の三ツの場合を通じて、すべて環境の変化が張る気を生じさせる理屈である。それは全て新しい刺激が心境に新しい衝動を与えて波浪を
煽るものであって、そしてその波浪の衝激は心境の沈滞を破り、腐気を吹き払って、元気を振り起す為に自然と気が張る訳なので、環境の変化が云うまでもなく新しい刺激を与えるからである。詳しく言えば一切の生物には、その活力が在る限りは、環境の変化に対して自己を防衛する為に、環境に対抗する作用が先天的に与えられているので、その対抗作用が振興される場合には、他の一面において今まで永く働いていて、疲労困憊していた精神の一部分が休養を得ると同時に、今まで永く休んでいた部分が猛然として起って、その力を発揮するような状態を現わし、まるで政局一新して老官が引退し新才が登用され役所の中が活気に溢れるみたいな状態になり、身心全体の衰え
若しくは平静が破られて、そして興奮もしくは発展が
惹き起こされる。人類に限らず他の動物でも植物でも長く同じ状態に在る時は、衰弱を来たすのである。動物が同じ状態を繰返す時は、身体及び精神の同じ器質及び機能だけが使用されるから或る程度までは進歩するが、それから後は倦怠疲弊するのを免れない。植物は常にその
根幹茎葉を張って自然に、同じ状態に在ることを避けているが、もし盆栽のように常に同じ範囲内に置くときは、その葉を
剪って枝を除き或いは肥料を与える等の処置を巧妙にして、努めてその単調を破るようにしない時は或る程度になると枯死する。一年生植物でもマメ科やナス科の植物が連作を嫌うのは、明らかに同じ系統のものが永く同じ状態を繰返すことの不利を証明していると云ってもよい。人もこの道理の及ぶところを免れない。環境が変転して、絶えず旅をしていて、あちらこちらと困難なさすらいの生活をする者が、意気銷沈するかと思えば却ってそうでも無くて、「
美妾左右に
侍り、
膳夫厨に
候する」(美人や料理人を雇っている)というような安逸の生活を続ける者が、
勇往の気を永く持続するかと思えば却って
脆弱で、ともすれば胃腸病ないし神経衰弱なんぞに
罹っている者が多い。環境の安定は確かに或る程度までは幸福であるが、或る程度を過ぎれば発達進歩を停止し、次に
萎靡不振を来たし、張る気を保たせないのである。
草木は動物と違って或る地点に植えられれば、また自分では移動することが出来ないものであるが、絶えず努力して新しい土へ土へとその根を伸張させているものである。その時に土中の障害に遭遇して根を新土に延ばすことが出来なくなると、その発達は停止する傾向を為すが、
幸にして障害物の隙間等を
穿って再び新しい土地にその根を伸張できれば、急激に活気は増加し、発達は再び遂げられるのである。
庭上の
松柏の
類の成長発達には間欠があって、俗にいう「
節」のある育ち方をするのもこの理由である。盆栽のようなものは固定されて生を保つものであり、新しい土地に根を伸張しようにもそれが出来ないので、自然に放置すれば幾年もなくして枯死するのを免れないのであるが、上手に之を保って
老蒼の
態(
古色蒼然の姿)を生じさせる技を持つ人の為す所を見れば、常に
抑損法を施しているのである。或いは枝を
剪って、或いは芽を
摘んで、或いは花葉を刈り去って、自然に放任すれば伸びるだけ伸びて極度まで発達して仕舞うから、その後は発達することが出来なくなり
終には次第に
凋み枯死するのであるが、
未だ十分にその極度にならないうちに先だって抑損される時は、なお幾分かの発達の余地が在る。そこでその
鉢裏の植物はまた努力して発達する。また
未だ発達の極度にならないうちに先だって抑損される。また発達する。つまり鉢裏では発達の度合いは甚だ
低微であるが、その低微な極度に達しないうちに先だって抑損法を施して常に発達の余地を残す時は、その植物の成長の道は人為に
因って処理され循環的に行われるから、急速な枯死を免れて年月と共に老蒼の態を為し得るのである。上に挙げた庭前の松柏は自分で新しい環境を求めるのであるが、この盆栽の植物は人為によって与えられた新しい環境によって生を保つのである。また或る宿根草は旧根の一方に
偏って新根を下ろし旧根は次第に腐朽するので、まるで歩行するように移動するものもある。これもまた環境の変化を欲して、新土の中から自己の成長に適した養分を吸収する為にそうするのであろう。
人も一定の職業・土地・栄養・宗教・習慣・知識等に固定される時は、或る程度までは確かに発達しかつ幸福になっても、その後は自然とその固定状態を脱することを欲する傾向がある。これは人類の成長の根本の法則によるものかどうかは此処では論じないが、世の中に多く見る事実である。
稀には科学に於けるいわゆる安定物質のように十年一日の如く、安らかに落ち着いている人も有るが、多くの人は新を追って旧を棄てようとする傾向がある。この事を単にその人の節操の
不確かとか意志の弱さとかの性質の軽浮に帰して、解釈すれば解釈は出来るのであるが、それよりは寧ろ人々の内部に潜んでいる自然の要求がそうさせると解釈した方が、正確ではないだろうか。マメ科植物が連作を嫌うのは、その土壌の養分を吸収し尽すからであるか、或いはその植物の発育に必要なバクテリヤ類の欠乏に基づくのか知らないが、
何れにしても内的要求が存在して、そして新地に身を置きたがるのである。人と豆とを同一に論じることは出来ないが、三代以上続く純粋のロンドン人は次第に脆弱に傾くという説が生じる事実は、ただ単に都会生活の不良な事を語るだけではなく、人が或る状態に固定されることを嫌って、旧を去って新を求めることを
幸とする内的要求が有ることを語っているのではないだろうか。土地だけではない、実に一切の事物が旧を嫌って、新を好むのは、結局は生物の内的要求の為であろう。
しかし生物には安定を喜んで因縁を恋しがる情もある。草木はしばしば移されるのを喜ばないものである。魚族は多くその
孵化地に還って来るものである。地磁気がそうさせるのか、記憶がそうさせるのか、他の何がそうさせるのかは不明であるが、魚族のような単純で知能を持たないものが故地に還って来るのは奇蹟とも言うべきである。
狐死首丘の話や、
胡馬越鳥の
喩えのようなことは信じられないとするも、燕・雁・犬・猫の類が旧を記憶し故郷を忘れないのはまた奇異と言うべきである。これ等と同じく人もまた故郷を忘れないもので、
郷里を
懐って病気さえ生じる者もある。であれば、環境の変化は人に役立ち人に張る気を生じさせるとはいえ、時には人に張る気を生じさせない時も有るだけでなく、却って散る気や萎む気等の好ましくない気をさえ生じさせることもある。環境の変化が必ず張る気をもたらすと思ってはならない。張る気の生じる原因が幾ツもある中に、その一ツが環境の変化で有るという迄である。
環境の変化が張る気を生じさせる原因になることは上に述べた通りである。さて張る気は他の悪気を追い払うものであるから、一気大いに張る時は種々の悪気は
掃蕩されて、自然と精神状態及び身体状態を一新する。転地・
湯治・海水浴等は、その土地の状態・温泉成分・海潮の刺激等が有効であるだけでなく、環境の変化ということが直ちに人の環境に対する自然な対応作用を開始させて、そしてその為に張る気が生じ、張る気が生じると同時に病気や疲労困憊を我が身心から去らせるのである。神経衰弱症などの多くは気の死定や気の失調から生じるもので、同じことに長期間我が気を死定させたり、気の調節が心理上や生理上によって欠くようになると起るのであるが、これを気の作用から説けば、
萎む気や
昂る気や散る気や凝る気等がそうさせるのである。そこで、環境の変化によって幸に張る気になれば、直ちにその
病を忘れて終う。すべて病気は不覚に生じて自覚に成るものが多い。自覚しない時は
病がすでに身に生じていても
未だ
病を知らない、ひとたび
病を自覚するに及んで
病は大いにその
勢を張る。換言すれば
若し自覚しなければ
病は有っても無いようなもので、また自覚すれば
病では無いのに有るようである。神経衰弱などはその
病の性質は殆んど自覚病と言えるもので、古い支那の
諺に、「
病を忘れれば
病おのずから逃げる」と云うのがあるが、実に近代のこの病の為に言ったものかと思われる程で、環境の変化によって張る気になれば自然と
病を忘れ、そしてその
病は既に
治ったようになるものである。しかし数日もしくは一二週間して昨日の新しい環境も今日の熟した環境となると、一旦張る気になったものも昨日の夢となって、却って一旦張る気を生じたため、その反対の弛む気やその他の悪気を生じて、再びその
病を自覚することが強くなるものである。この
故に転地療養その他の環境の変化によって、張る気を生じさせることを利用する治療法を無効と説く人もあるが、しかし全部無効として排斥するよりは、幾分は有効だとして利用した方が知恵のあることである。そして世の人の多くがこれ等の病症に対して新しい環境の出現を有効として採用している事の多い事実は、事実そのものが環境の変化によって張る気が生じさせられる場合が多いことを明白に語っているのである。
第二に環境の悪変の場合もまた張る気を生じさせるというのは、一寸矛盾のように聞える。しかしその理由は、環境の変化が張る気を生じさせる傾向と同一で、従来に比べて不快不良不適の状態に陥ったことが、より多くの対応の作用を必要とさせるのに基づくのであるから、少しも疑うことはない。このような場合に際しては、もちろん多くの人は萎縮し退却して才能も勇気も衰えるのであるが、或いはまた却って事情が我に不利なだけに多く反抗興奮の作用を起こして、決然とし
凛然として張る気を生じることもある。幼児を抱える婦人が夫の死に会って発憤する
前の例のようなものがこれである。
忠臣孝子が国運家運の悲運に遇って、却っていよいよ
奮うのもそれである。役人が職を奪われて、却って勢を発し才を
揮う者が出るようなこともそれである。戦争が苦境に
陥って、将卒の意気が却って旺盛になるのもこれである。およそこのような例は決して少なくない。みなその環境の悪変によって張る気が生じさせられたのである。
但し環境の善変によって張る気が生じるのは順動で有り、悪変によって張る気の生じるは反動である。一は単なる自然であり、一は複なる自然である。一は天理であり、一は人情である。であれば、善変によって生じる張る気は持続性があり、悪変によって生じる張る気は一時性である。明の大軍が我が朝鮮駐屯軍を襲った時(豊臣秀吉の朝鮮の役)、尻込みしないで
萎えないで将士の一団は大いに張る気を生じたのである。しかしその張る気は一時性で有って持続性では無かった。頭脳明敏な
小早川隆景(戦国武将)が、「我が将卒は土を
食らって、
戦は出来ない」と云った言葉は、持続性のない張る気に期待は出来ないことを言い放った言葉とも聞くことが出来る。ただ逆境に生じた張る気が一時性なだけではなく、張る気と言わず
何の気でも、気は実は皆一時性で持続性のものは無いが、ここに一時性というのは、その中でも急速に消散し変化し終わるのをいうのである。例えば潮は毎日夜に二回ずつ進潮(上げ潮)になり退潮(引き潮)になる。進潮を張る気に比べるとその
象は殆んど似ている。さてその進潮は、進潮になった初めから終りまで、五時間ほどの間を刻々分々に進み満ちるのであるが、満ち尽せば即ち潮止りとなって、それから引き返えして退潮となるのであるから、つまりは五時間だけを持続するに過ぎないのである。一昼夜の間に就いて云えばこうである。人の張る気も一昼夜に就いて云えば、十六時間内外の時間だけは極端の例ではあるが張る気で有っても、張る気は
終に或る時になって衰え尽きて、弛む気が徐々に生じて来るのである。甚だしい極端の例を挙げれば、二十時間ないし二十二時間、或いは全一昼夜を通じて張る気で有り得ることもあり、実際そういう人も有るが、大多数の人は、その気は
雑駁で決して純粋では有り得ないので、一昼夜に二三時間でも張る気を保てれば、それは上等の事業家であり学者であると云ってよいくらいである。とにかく或る時間だけで張る気は尽きる。これが実際なのである。しかし
一月に就いて云えば、月齡の第七第八頃より潮の高まる度合いは日々夜々に長じて、第十五第十六に至るまでは次第に増大する。その増大の極度は七日間程あるが、極度になると再び徐々に減少して、七日間程を経て減少の極度になる。この月齢の第七第八より第十五第十六に至る間の潮はこれを気に比べると即ち張る気の
象である。その後、次第に低くなって行く潮はたとえば弛む気である。即ち
一月の中七日余りは張り七日余は弛み、また七日余り張り七日余り弛むので、
一月について云えば二回ずつ潮は張るが、その持続するのは七日余りだけなのである。
これと同様に人の張る気も自然にその持続し易い間はおよそ限度がある。もしその
像を求めれば、男子においては不明であるが、女子においては明らかに潮信同様の作用が月々に行われている。そしてその月信の去来する時においては、身体の状態に満ち欠けがあり、精神の状態にも消長が生じる。精神により身体の状態も変化するが、身体のこの状態から精神もまた影響される事実は、即ち海潮の張るのにも自然と持続期限のあるのと同じく、人の気の張るのにもまた自然と持続期限があることを示している。このように女子の身体の
一月に小さな再生が行われていることは、自然が人を支配しているその法則の中で、人も
将に盛衰することを明示していることは、詳しく生理及び心理の観察をする者の
頷くところである。男子には女子のように身体で行われる小再生の状態は明らかではないが、きっと循環再生の法則は行われているに疑いない。ただこの世が始まって以来、自意識の強大と内省の不足の為に、女子のように明らかな兆候が無いので之を覚知しないでいるが、生理及び心理の研究が進んだならば、恐らくは男子にもまた女子のように自然の或るリズムが、心身に
跨って存在する事を唱える者が生れるだろう。日あり夜あって覚あり眠りあり、月逝き年移って次第に長じ次第に老い
終に死すことは、男子も女子も同じリズムを辿っているのである。これは一日の小にしても一生の大にしても同じことである。その中において男子だけに限ってリズムの支配を受けない理由は無い。季節の循環・月の満ち欠け・時の終始が一定のリズムで一切の生物に影響している以上、生物もまた一定のリズムで或る時は発揚し或る時は沈衰し或る時は眠り、或る時は覚めているのである。少なくともリズムというものの存在を認める以上は、人の身心も律動することを認めなければならない。
何等他の原因が無ければ、一日において幾時間は張る気が徐々に弛む気となるように、
一月に於いて幾日かは張る気が徐々に弛む気となるのが自然の決まりである。自然の法則はこのようなものである。
順境に自然に生じた張る気でさえも上説のようである。まして逆境に生じた張る気がどうして持続出来ようか。何等の他の原因無しには幾時日も持続出来ない道理である。例えば退潮時に当たって、たまたま風圧や地変によって生じた進潮のようなものである。また例えば長潮や小潮になろうとする時に当たって、たまたま生じた高潮のようなものである。その根底に
相副い
相協ないものがあるのだから持続で出来る時間は甚だ短い。
瘠土に樹を移してその小枝の
繁葉を除くこと
夥しければ、樹は
葱色を保って
新に葉を出して、枝を生じ勢い少し張るような様相を現わす。しかし、幾らも経たずに次第に張らなくなる。
旧の地から肥沃の地に移してその勢いの張るのは自然であるが、瘠土に移して勢いが少し張るのは人為がさせたことだから、その樹の中に蓄積していた養分が消費され尽すと、
終に勢いが
弛み威は衰えるのである。環境が悪変して生じる張る気は、その
未だ悪変しないうちに先行するその人の持つ潜在力の発揮であり、その潜在力が使い尽されれば次第に弛むに至るのである。土を食らっても戦うという意気は大いに張ったものに違いないが、幼虫の
残骸が作る
食土という稀有な土であれば知らないが、普通の土などは食える訳のものではないから、必ずしも幾日と支えることが出来るものではない。体衰えれば気衰え、筋弛めば気弛んで、日々に支えられなくなる理屈である。人はともすれば環境の悪変に際して張る気を生じるもので、勝つことを好む者などに在っては特にそうだが、良くその張る気を持続出来る者は少ない。張る気を持続させるものが付け加えられない以上は、忽ち弛む気はその他の気に変わってしまう。前に挙げた婦人が夫を失って孤児を擁する場合のように、もしその婦人に特殊の技能や経験が有れば、その技能や経験の力の支えに依って張る気を持続させることも出来るだろうが、そうでない時は
一旦張っていても忽ち弛み
萎えるのを免れない。
環境の悪変から張る気が生じて、そして良く持続するように見えるものに、大いに似て非なるものが有る。例えば貧乏を嫌う妻が金持ちの老人の
許に
出奔したのを怒って、その残された夫が富を欲して非常な勤勉家となるような、また例えば家庭の波乱に苦しむ人が或る芸術や或る事業に熱心になり、常人の及びつかない精励をするような、このような事例は世に稀でないが、これ等の中には真に張る気を生じるものもある。しかし多くは似て非なる気の働きであって張る気とは言えない。即ち前の場合には、怒る気が一転して凝る気になって、そういう行動をするようになるものが多い。稀に真の張る気を生じる者もあるが、むしろ凝る気になって善悪も考えず富を求めることに汲々となる方が多い。その張る気と凝る気の違いは、凝る気の方は陰性で収縮的で、張る気の方は陽性で拡充的である。俗にいわゆる無茶苦茶になって非理非道を敢えてしてでも蓄財するようなことは、凝る気の
所為である。また或る芸術や或る事業に熱心に、常人の及びつかない精励をするようなことも、張る気でするのと凝る気でするのとでは大いに差がある。真に張る気でする場合には、事業であれば、その事業はその人の周囲の状態に比例して経営もされ発達もするが、凝る気でする場合には事業そのものは十分に経営され発達もするが、周囲の状態に不均衡な状態が生じるのを免れない。芸術のようなものは、張る気でこれに当たりこれに当たりする時は、
終に一気は分離し、澄む気が生じて、濁る気が離れて、全く俗界の
毀誉褒貶などを超脱し、また浮世の利害得失などを忘却しきった境地に立ち至り、明らかに一進境を現わすようになるのである。
芸術に精進する者にあっては、もとより人に褒められたい、人に勝りたい、世に喜ばれたい、善報厚酬を得たいなどと思うべきではないが、そういう俗気俗意を
何人でも無くすことが出来るかというと、中々そうはいかない。真面目な芸術家でも張る気の境界で芸術に従事している間は、人に褒められたい、人に勝りたい、世に喜ばれたい、善報厚酬を得たいという
念が少しも無いという訳にはいかない。少なくともそのような種々の
念が、張る気の随伴者となり後押しや前引きをしている光景がある。しかしその人が張る気で真面目に芸術に従事する以上は、少なくともその張る気が健在している間だけは、鳥なら鳥、花なら花を描こうとして筆を
執り画布に臨んでいるその瞬時には、人に褒められたいことも無くなり、人に勝りたい
念も無くなり、世に喜ばれたい
念も無くなり、善報厚酬を得たい心も無くなり、某君の胸の底、脳の奥より両眼十指の末々に至るまで、ただ鳥が満ち、花が満ちていて、殆んど他の物は無くなっているだろう。技の巧拙と力の強弱とは別として、執筆臨布の場合に種々の他のものが働いているならば、それは張る気の状態では無く、とにかく純気では無い。駁気で事に従っているのである。技は
巧に力は強くても俗気や
匠気(好評を期待する気持ち)の多い作品というものは、結局は駁気で事に当たっている人、即ち執筆臨布の時に当たっても俗意が口を出して何か
囁き、その声を聴くところの人の作品である。技は
未だ巧でなく力は未だ強くなくても下手は下手なりに、我が身のどこを
截ってもその画題の花なり鳥なりが咲き出し
啼き出して、直ちにその
香を放ちその声を出しそうなくらいになって、その画題の他に別の物も無くなるか、我と画題と融合するか、我が画題中に没入するか、境地は種々だろうが、何にせよ張る気で画に従事する場合には、少なくともその人のその時の最高能力はそこに発揮されて、夾雑物が無いだけにそれだけその人の精神の全幅がそこに出ているのである。そして、芸術はそこから進み上るのである。そうではあるが張る気の境地ではそれだけである。筆を置き画布を離れれば、またも褒められたい、勝りたい、喜ばれたい、酬われたいのである。ところが今日も張る気で事に従い、明日も明後日も張る気で事に従い、
一月、
二月、
乃至十数月、一年、二年、乃至十数年、数十年も張る気で事に従って
已まない時は、自然に泥水分離の境地が現れて来る。
不知不識の間に修行が積んで技が進み、術が長じるのみではない。日々月々に張る気を湛えて純気となり駁気にならない習慣が付く結果、次第々々に人に褒められたいことも
何時しか忘れるようになり、人に勝りたい、世に喜ばれたい、厚く酬われたいという
念も次第に薄くなって来て、ただ我が或るものの
命(内的要求)のままに描くようになる。例えば潮が満ちて海が自然と清くなるように、また泥水が時間の経過とともに泥は沈み水が澄むようなことである。これを澄む気の生じたところという。この泥水分離の境地に至ったにしても持って生れた天分の大小はどうすることは出来ないから、やはり小者は小、狭者は狭、偏者は偏、浅者は浅で有るが、それでも各々必ずその特長を現わす。
芍薬を正しく栽培しても牡丹とならず、
龍眼は甚だ美しくても
茘枝の味はしないのであるが、しかし芍薬は芍薬の清艶、龍眼は龍眼の甘美を為すのである。芸術の人も
終に澄む気の境地に至れば実に尊ぶものがある。人を描いて鼻無く象を描いて牙を忘れても
咎め難い境地に達しているのである。次第に佳処に至ろうとしているのである。張る気を積んでここに至れば一ツの技を修め徹して即ち仙を得たのである。評論家の使役するところとなって、風の中の
飄葉、空中の
游塵のような、何の甲斐も無い境地を脱して、「雨
淋げど、竹いよいよ
翠に、天寒けれど
鴨水に親しむ」的の面白い境地に至り得たのである。どうして簡単にそこに至り得られよう。しかしながら真面目に張る気を積み積みして、
終に澄む気を保つことが出来るようになれば、
拙くても
偏っていても、その人だけの本来を無駄にはしないところに到達するので、昔から一分半分でも為した人でこの境地に立たなかった者はないのである。
澄む気を養って
止まなければ
終に冴える気になる。冴える気になれば気は次第に変化して神妙になろうとする。冴える気になれば
気象玄妙(気性が奥深く優れ)
神理幽微(真理、幽かで微妙)、我等ただ
教を外に受けて
教を体得できない者は、
悦びを塞ぐ迷いの境地にいるべきであるから此処では言わない。ただ張る気で芸術に従事する者は、時に澄む気の閃光を放ちその芸術の進境を示すが、凝る気で芸術に従事する者は決して澄む気の
象を現わさない。張る気で芸術に従事すれば
仮令その人が
鈍根であるにせよ、時日を経るに従って遅々ながらも進歩する。また或いは一進一止するにせよ時に進境のあることを思わせる。しかし凝る気で従事する者はその執筆臨布に大いに努めても、何の進境をも示さないものである。七年碁を
弄び、九年俳諧を
嗜んで、千局二千局を囲み、一万句二万句を
吐いても、ただ熟するというだけで更に進むことの無いのがある。環境の悪変から張る気を生じてそして持続するように見えるもの、例えば家庭内の波乱に苦しむ人が、非常に精励して碁に
耽るというようなことは、その精励して飽きないという点から言えば張る気の働きに似てはいるが、多くは凝る気などの働きである。張る気のような善気の働きであるなら、持続する間には澄む気になる道理である。たとえ常に澄む気にはなり得ないまでも、少なくともその心を寄せ、身を
委ねた芸術に於いては、著しい進境を現わさなくてはならない道理である。全幅の精神で長い時日を一芸一術に対していて、進境の無い道理は無いのである。しかも凝る気で之に対しているのなら、出入なし一所停滞の死気、即ち刻々に進んで止まず、念々に長じて止まらない生気の張る気とは大いに違うところの気で対しているのだから、その結果もまた出入なし停滞一所で不思議は無いのである。凝る気で従事するとは、例えば氷を物と一緒に置くようなもので、その物は幾らも変らない。張る気で従事するのは流水に物を
涵すようなもので、物は次第に長大生育する。俳優が舞台上で演じる
駛走(舞台上の駆け足)のように、その脚は動くが終始一処に在る状態の凝る気で事に従っている人の状況と酷似している。
七年八年碁に一切を忘れるように耽ってしかもその技の進まない人などは、その対局の着手の時の状態を観ると、ただ局に対するだけ石を
下すだけで、その対局の着手の時にこの一着が果して好手であるかどうかに就いて、我が全幅の精神で対してはいない。勝を欲する意は燃えるようであっても、ただ
徒にその意だけが高く燃えていて、一着の可否に就いては応手の考慮が甚だ
疎なのである。勝を欲する意欲が燃えるのを火の燃えるのに例えれば、一着手の可否を考慮するのは物を鍋中に置いて之を煮るようでなければならないのである。張る気で従事する状態は即ちそれであり、全部の火気が一鍋に対しているので一鍋中の熱気は自然に鍋中の物に作用して、そこで
煮熟の働きが行われ効果が現れるのである。碁ならば、その一着手の可否の考慮の熟したところが即ち鍋中の物の煮熟されたところである。そこで物は煮熟されて後はじめて食されるように、一着の可否の考慮がその人の力量の限りを尽されて後、はじめて石が下されるならばそれは本来の道であって、一石一石がそのようにして下されるなら、その人たとえ鈍根であっても幾十局幾百局を囲む後には必ず碁技は次第に進むことだろう。しかしながら凝る気で事に従う
象は、例えば燃える火が鍋の上に置かれたりまたは鍋の傍に置かれた状態で、
徒らに
熾烈に光炎を上げて燃えているようなものである。その火の力と鍋中の物との交渉は甚だ
疎であって、火は火だけで燃えている、鍋中の物は鍋中の物で依然としている、そしてその鍋中の物を漫然と口にするというようなのが、凝る気で事に従う
象である。勝を欲する心は烈々として独り燃えている。しかしその心は一着手の可否の考慮に向かって煮炊きの作用を少しもしてはいない。そして漫然と石を下し局の終るのが凝る気で碁を囲む状態である。これではどうして技の進むことがあろうかである。
或る事情に由って凝る気になっている人の為すところは、張る気で事に従うのとは異なるものであるから、ただその打
対かったところに意識は留まるばかりで、気は真実には働かず、
不出不入停滞一所で、碁なら碁にへばり着いているだけであって、そしてその真に流通活発であるべき気の作用は、
凝然と殺され
妨げられて、水には
角なくとも氷には角ある理屈で、恐ろしい鋭さと固さとで或る点に対して厳しく苛酷に働くのである。即ち碁ならただ
無暗に勝つことに向って、鉄石をも貫こうとの無比の猛勢を為しているものである。張る気で事に従っている場合は、勝つも勝たないも局を終る時のことで、現在のことではないから、それには寧ろ意識はなくて、或いは之を忘れたのにも近い状態で、ただ今の一着をどうするかに就いて、心は往きて還り万策を考え究めて、そして海
涸れ底現われるように、展望が明らかになって、初めて一石を下すのである。張る気の作用は刻々分々瞬間々々に流動し沸き
滾る活発な生気で、まるでナタ
太子(道教で崇められている少年神)の六本の腕が用に応じて対処するような、川に張った長網の千万億目の目が皆張って魚来れば
即捉える状態である。凝る気の作用にはそのような生動飛躍するところはない。凝る気と張る気との差は非常なものである。
張る気は或いは澄む気に行き或いは澄む気に行かないで
止むが、凝る気は
悖る気などに行く。これが普通である。しかし時に張る気から凝る気に行くこともある。張る気で局に対し碁を囲んでもたまたま二敗三敗数敗する時は、一心に勝を欲して遂に凝る気に
陥る。また凝る気になっている人でも天分に優れ運の良い場合は、時にたまたま張る気になることが無いではない。しかし皆それは稀な例である。環境の悪変のような場合には中々張る気になれる人は多くはない。大抵は凝る気に堕ちてしまうものである。ところがその凝る気と張る気とはよく似ているので、人が凝る気の作用を張る気の作用として仕舞うのを心配して、このように多く言葉を
費やしたのである。張る気が持続する場合には芸術のようなものは日々に向上する。環境の悪変から生じた凝る気の持続が張る気のように見える場合には、芸術に携わっていて、その外観が精励し飽きず一意専心して他念の無いように見えても、たとえ日々に局に対し碁を囲んでも、日々に画布に対し絵筆に親しんでも、日々に幾篇の文を作り詩歌を作って作品を山積しても、実に価値の低い、進歩の道の無い、悪達者なものを留めて、舞台上の駆け足のようなことを繰返すに過ぎない。その為すところを見て判断すれば張る気と凝る気との差は
何人にも明瞭に理解できるのである。
環境が善変したという程でも無く、また悪変したという程でも無く、不善不悪、善悪中間に変化した場合にも気は変移して時に張る気を生じることが有る。しかしそれは既に上に説いた環境の変化という個条の中で説き尽したので、屋上に屋を架するにも及ぶまいので省略する。
人事の上に於いて張る気の
因って生じるところはその大概を説いたが、精細に論じれば云うべき事は甚だ少なくない。しかし人事はその人に切実な点では自然の作用にも収まらないが、結局は自然の作用は人事を包含して余りが有る。人事は自然の作用の中の一波乱に過ぎない。自然の作用の中で、極めて小さい、極めて短い、極めて弱い、極めて薄い地位を持つのが人事の全体である。さてまたその人事の全体の中で、極小・極短・極弱・極薄の地位を持つのが個人の状態である。それからまた個人の状態が全体の中で短小薄弱の地位を持つのが個人の一時の状態である。人間は何事も自然に比べれば甚だ短小薄弱で、自然が長く大きく厚く強くて、そして人間は極めて小さいという事は、
何人といえども少しでも思索に耽ったことの有る者の気づくところであるが、特に我々が仮に所有している感じの我々の気というものに就いて考える時は、一層その感を深くするのである。
人事から生じる張る気の事を言った以上、自然の作用から生じる張る気のことを言わないのでは、その小を説いてその大を
遺れることになるから、試にこれを概説しよう。
天の
数(自然の法則)。ああ何という威厳のある犯すことのできない語だろう。一日に日の昼夜があり、
一月に月の満ち欠けがあり、一年に季節の春夏秋冬がある、皆これいわゆる天の数である。夏が来ないようでも春が去れば自然と夏は来る、夜にならないようでも日が傾けば夜は自然と来るのである。このようなものはこれ天の数であって人力ではどうにもできないものである。人が赤ん坊から次第に長じて少年になり壮年になり老年になる。皆これ自然の作用であって、無限に生きたくても必ず死に至るのも天の数である。生を欲する余りに長生きということを考え出しても、俺は千年生きるとも言い兼ねるので、天の数の前には少し遠慮して精一杯の注文を百二十五歳位にして置かなければならないのは、いかにも口惜しくて仕方がないが人間の微力さの已むを得ないところである。さてこの偉大な天の数に就いて気の
張弛を観察してみよう。
無始……一、一、一、一、一、一、一、……
無終。これが天の数である。一を一日と解釈しても良い、一時間と解釈しても、一月、一季、一年と解釈しても良い。無始は知らない。無終も想い得ない。ただ我々は、一、一、一、一、一の場合と状態を知っている。これを換言して、無始……一、一の次の一=第二、一の次の次の一=第三、第四、第五、第六……無終としても同じことである。また無始……甲、乙、丙、丁……無終としても同じことである。無始は此処では論じないで、仮に人類発生の年を第一として我々の存在している今が第幾万幾千幾百幾十幾年だか知らないが、とにかくに我々はその第幾万幾千幾百幾十幾年から概算すれば五十年ほどの間を一人分だけ埋めるのである。この間の我々は天の数の支配を受けているので天の数を支配してはいないのである。人寿五十年とすれば、五十年間、二百季間、六百月間、一万八千二百六十余日間、四十三万八千七百余時間を経る間は、朝の来ないことを望んでも夜には明けられ、暮れないことを欲しても日には暮れられ、冬の来ないことを欲しても秋に去られ、夏にならないことを欲しても春に行かれ、風・雨・雪・霜・
旱や地震・洪水・噴火・雷など種々様々のものの支配を受けているのが我々の実際である。
そこで、その最も近いところから論じれば、先ず、第一に昼夜の支配を受けている。
灯を用いることを知ってから何千年になるか知らないが、獣や鳥とおなじく灯を用いることを知らなかった我々の祖先は、日が出ては作業し、日が入っては休息することを余儀なくされたことであろう。この習慣は我々の霊性を
薫染して、薫染また薫染、遺伝また遺伝、先祖代々同じ情状を繰り返した結果、電灯のある
今日においても
尚我々は、日が出ては起き、日が入っては眠るという周期作用に服している。ただ習慣だけでなく、実に太陽が与える光明や温熱、夜が与える
暗闇や寒冷、昼夜によって変わる空気の変化、それ等の為に支配されて、我々は自然と
朝に起き
出で
暮には帰り休みたいのである。この一日の間の明らかな事実は何を語っているか。我々の精神力は強大には違いないが過大視してはいけない。確実に精神が
色界即ち物質の世界の法律に支配されていて、治外法権のようなものは或る許された小範囲だけにしか存在しない事を語っているのである。身心が相交渉するところの人の気は、上下の相交渉するところの天地の気と協調している。人の気は天地の気の支配を受けているのである。試みに秋の夜長の
寂寞を人間と関係の殆んど絶えた
川中の
一舟の中で闇を守り明かして、何をどうしたいという意識も無いまま
暁天に日が出る時まで居てみるがよい。我が体内へ飲料食物を吸収することもなく、意識の火の手を特に挙げるでも無いのに、午前一時から二時半頃までの気に比べ、天明らかに朝日昇る頃の気は大いに違うだろう。
掌の紋理の「て」の字が見え初める時から寸々に明るく分々に明るくなって、
拇指の膨らみの細紋が見え、指の
木賊条の縦の
繊いのが見え、次第に
指頭の渦巻や流れ紋の見えるまで次第々々に夜が明け放たれて、やがて日がさし昇る。その間に天地の気が人の気に及ぼすもの無しと、誰が言えよう。朝の気と暮の気との差は二千余年前の
孫子さえ言い放している。朝の気のことは孟子も説いている。人の朝の気は実に張っているのである。天地の陽性の気の影響でそうなるのである。
朝に人の気が張っているのは生理的においても解る。先ず、第一には疲労の回復が出来ていることである。即ち体内の廃残物の処置は睡眠中に整えられて排泄器に付されるばかりになっているのであり、新しい活動の起されるに適した状態になっている。疲労の原因となるものは疲労を起す位置には無く、殆んど除去されようとしているのである。第二には胃が空虚になって胃部付近に血液の
充ことが無くなるのに反し、脳には脳の作用を活発にする血液が充ちているために、精神機能は十分にその能力を
揮い得るのである。損傷によって頭骨を剥離した人が実験に供されて、脳の働きには血液の潮上が必要であることが明らかになって、今までは
捉え難かった精神の働きもまた筋肉の働きと同様であると理解されるようになったのである。精神作用も実に血液を必要とするのである。胃腸中に物のある時は、胃腸が働くために胃腸部に血液は
充ち集まるのである、と同時に脳部は微少ながら貧血を起して精神作用は弛み鈍くなる傾向となる。食後に眠りを催すのをみても解る理屈である。
貪食が眠りの
因をなることは
何人も知ることで、眠ることを欲しない時は食を少なくすると良いことは、断食のような事を少しの間でも試みた者などは知っていることである。
仏法の僧侶は元来睡眠を取るべきではないので、『離睡経』で睡眠を厳しく
咎めているのをみても、
阿那律(釈迦十大弟子の一人、釈尊の説法の最中に居眠りをして叱責された)の失明の話に照らしても明らかなことであるが、その教条と僧侶は日に三度の
食をしないことが釈迦在世の時の作法であったことを合せ考えてみると、全てに形式を軽視する傾向にある
今日の僧等の、却って浅はかなことを思わずにはいられない。さて脳が血液を消費するとその消費の余りの廃残物が堆積する。廃残物はすべて毒を持つものであるから精神作用から生じた廃残物は精神作用を弛緩し遅鈍にする。その挙句は眠くなるか
若しくは不快の頭痛を起すが、或る時間の休息中にこれ等の廃残物は体内器官によって徐々に搬出されるのである。廃残物が搬出されて新鮮な血液が脳に充ちるに及んで脳はまた徐々に爽快に働き出す。このようにして作用と休息とが交互に行われるのが我々の普通状態である。
心と身とを全く区別して考えるのも非であるが、また全く同一なりと考えて、心即身、身即心とするも非である。二者はこれ一にして即二、これ二にして即一なのである。我々の眠りや目覚めに於いては、眠ろうと欲して眠る時もあり、覚めようとして覚める時もあるが、また眠ろうとしなくとも自然と眠り、覚めようとすることなく自然と覚める時もある。我々が覚めてそして精神作用を起こし出すに当たって詳しく観察する時は、或る事を思い或る
業を
執る為に覚めたのでは無くて、覚めた為に或る事を思い或る業を執る場合も元より少なくない。即ち自然と覚めた為に精神作用が開始することが有るのである。前夜就眠の時に当たって、明朝五時に覚めてそして猟に行こうと思い、或いは六時に覚めて直ちに文を書こうと思って、そして五時或いは六時に起き出すことも元より少なくはないが、そういう精神の命令が無くて自然と覚めることもまた少なくない。もしそれ自然と覚める場合は、これはその人の精神、詳言すれば自意識により身体に精神作用が働いたのだと云うよりは、これをその人の身体、詳言すれば血液の運行状態から眠りの境地が破られて精神作用が開始されたのだと云った方が適当である。
尚一歩進めて説こうか。「夢」は最も明らかに心身両者の関係状態を示す適切な事例である。夢はいうまでもなく精神上の過程である、受・想・感情・記憶・智慮・意識等が不完全ではあるが働いている事を否定する訳にはいかない。この夢というものは、このようにしてこのような夢を夢みようとして夢みるものではない。精神上の過程で有ることは争えない事実で有るけれども、我々が前夜において、このような精神作用をしようとしてそして夢みるので無いことはあきらかである。即ち予期しないのに来るものである。我が精神内に起る事ではあるが自然と或る夜は夢をみるのである。この夢の生じる根源を心理的に解釈すると何等かの解釈をすることは出来る。しかしそれは夢の中の或る物または或る事態が何故その人の心中に
湧出して夢となったのか、ということが解釈できるに過ぎなくて、全体に夢の起こる根源を解釈することは出来ないのである。例えば鳩が
文筥を咥えて来る夢において、その鳩、その文筥、文使い、という諸件については、その夢をみた人の心理に立入って推測すれば、不明白ながらも幾分かの解釈を得よう。しかしそれは夢の中の事態物件の
因って来た根源を解釈するもので、夢その物の因って来た根源が解釈出来た訳ではない。何故なら、夢を見ている時と、
未だ夢を見ていない時と、その人の事情が境遇や心理は殆んど同様であるのに、一二時間前は夢を見ず、一二時間後には夢を見る、それは何故かということは、心理上では解釈しにくい理屈で有るから、是非も無いのである。
殆んど同じ事情・境遇・心理を持つ人が一二時間前には夢を見ず一二時間後には夢を見るのは何故か。その人が意識して或る時には夢見て、或る時には夢を見ないというのではないことは明らかである。そうであるなら、夢はその人の心の方面から生じたものではないことは明らかである。夢になったものは、心から出て来たのであろうが、夢を見させた根源のものは他から来たに疑いない。物理的に言えば、一切の事物の発生、存在及び変化運動はすべて力を必要とする。力は力の
因があることが必要である。夢は計量することの出来るものでは無いけれど、明らかに精神作用の一ツである以上は、精神を支える根本の或る力によってその作用を生じるのに疑いない。精神の作用は血液の消費によって起こされ、血液の供給は精神の作用を維持する。この理屈によって考察する時、夢を見るという精神作用は、例え軽微の作用にしろ、血液と協働で起こされるのに違いない。
飜って夢を見る時の血行状態を考察すれば、脳に向って血液が次第に多く流注されて、これから
将に完全な精神作用が行われようとする目覚め前に当たって、その準備のように、自然の調律で血液が脳に注ぎ入る場合に、いわゆる夢というものが生じることが多い。またこれに反して
将に眠りに入ろうとする時、即ち脳は軽い貧血状態をして、その完全な精神作用をするに必要な血液が不足し、精神作用を休息する必要があるが、なお幾分かの余力が残てっていて、全くの睡眠には陥らない時に夢の生じる場合が多い。この目覚め前および睡眠前は、完全な精神作用をするには、力および力の
因の原料が不足で、また精神作用の完全な休息や閉止をするには、その力、力の因の原料がまだ僅か有って、休息と活動との何れともつかない時である。夢は多くこのような場合に生じる。夢そのものもまた実に覚醒と睡眠との中間にあるもので、不完全な精神作用、もしくは不完全な精神休息の状態であると云える。
この
故に夢の
体の成立原因、即ち夢の当体を組織するところのものは、明らかに心理より来るが、夢を結ぶ根本のものは、生理がそうさせるのだと云える。即ち脳に血液が
充ちようとする或る時、および脳より血液の漸減する或る時に、夢をみる人の意識とは関係なく、血液の運行によって引き起こされるのである。この生理的な血液運行の初期や末期に、心理的な或る記憶・感情・予想・追念その他の或るものが結ぶ時、夢は初めて完全に成り立つのである。生理的な血行に心理的な想念等が加わって夢が生じるのは、例えてみれば
潮頭という進潮の初め、または退潮の初めに当たって、ともすれば風がこれに加わるのに甚だ酷く似ている。潮が風を誘う訳は無いが、潮頭には風が加わりがちであるし、時には雨もまた添って来る。この風を
潮風と云い、潮風と共に来る雨を潮風の雨といい、また略しては単に潮風とも云う。まるでこの潮の初めに当たって風雨の加わるのと同じ様な
光景に、生理的な血行に心理的な種々のものが加わるのは、その
那方が那方を誘い起すのか知らないが、観察に価する事実である。もし十二分に観察して徹底したならば、
将に睡眠から目覚めようとする際に、血行が
因で生理が心理を誘いそして夢が生じるのであり、また将に覚醒から睡眠に入る際に心理の方が因となって、次第に脳から流れ減じようとする血行が縁となり、その脳の血量不足によって、不十分な心理状態、即ち夢が生じるのであると云える。
夢の研究をするのが目的では無いから、夢の事はこれに止めて此処では論じないが、
半醒半睡もしくは
不醒不睡の夢が、
因って起こるところを考察したならば、人の身心の動作が人からだけ来るのでなく、天の数(自然の法則)からも来ることがあるのを明確に認められるだろう。即ち一昼夜に於いて、暁に気は次第に張り、暮に及んで次第に弛み、夜になって大に弛み、また暁になってまた張るというのが天の数である。これが一昼夜の自然の法則である。
故に一昼夜について論じれば、朝は人の気が自然と張るべき定めなのであり、血行の道理が自然とこのようにしているのである。今一歩進めて論じれば、人の一日に於ける気の
張弛の状態がこうであると云うよりは、自然の一日に於ける気の張弛の中に包まれている人の状態が、こうであると云った方が良いのである。日没頃から天の気は下降する。日の出頃から地の気は上昇する。水分の蒸発や降下は昼夜に行われている。日光の光波や熱量の影響し作用することも、昼夜によって交替的に行われている。草木は明らかに日光と気温との作用によって大気を分解し吸収し、気温と気圧の作用によって乾気を排し水気を取っている。
草木の花や葉を観察すると、リンナウスでなくても今は何時と知り得るほど、正確にかつ明らかにその草木の一日の間の気の張弛を知り得る。ことに朝顔の花のように一張一弛して休んでしまうことの無い、例えば木芙蓉の花のようなものを観察すると、朝の何時より昼の何時まではその気が張り、それより後になってその気は弛み、また次の日になってどのように張りかつ弛むかということを詳細に知り得る。草木は性質の差によって朝顔の花のように暁にその気の張るものもある、昼顔のように日中に張るものもある。また夜会草や月見草のように暮に張るものもあるが、要するに朝より昼に及んで気の張るものが多い。草木は人間のように高級でかつ自由な意識を持っていないため、明白に自然の影響するところの
光景を反射的に現わし、宇宙に於ける一気流行の消息を洩らし示している。「一枝頭上の
妙色香(花)、
等閑(いい加減に)に
看るなかれ
毘盧(光輝く)の身」である。宇宙の気の昇降・屈伸・旋回・交錯によって、養育生長させられているのが一切庶物の状態なのであるから、怪しむところも
訝るところもないが、草木を観ると
如何にも面白い。草木は正直に無私に一気の流行を示し、その起伏消長の状態を見せている。酸素を出す樹の葉、窒素を集めるマメの根、炭素を収めて
茎幹をつくる
夏日の経営、元気を一塊球に秘して再来の春風を待つ冬の沈黙、
含羞草の情あるような、
蓮花の雨を知る智あるような、ヒマワリの日を喜ぶような、貝殻草や木芙蓉やその他の多くの草花が
自ら調節して開閉するように、気の
寓処である草木のそれぞれの体に、天地の気の流行運移の状態が明々白々に示されている。人
若し良く草木を観察したならば、花開き花落ちるのも葉が
翠になるのも黄ばむのも、一切の現象はただ天地の気の動きの姿であることを知って、一切庶物に気が働いているというよりは、気の中に一切庶物が存在していると云った方が適切なのを感じるであろう。
草木以上のもの即ち
禽獣虫魚の
類に就いて観察しても、明らかに一日の気の張弛によって、これ等の生物が種々の力、種々の
相を以って、種々の作業をして、種々の報果を取ることが観られる。鳥は暁に大いに勇み、
翔り、飛び、啼き、餌を求め、雌雄
相喚ぶ、ものである。
朝鳥の語が日本歌人によってどう取扱われたかを考察しても解る。獣も朝に勇むのは馬だけではない。犬も牛もみな勇むのである。虫は却って
暮夜に勇むのが多いが、朝から昼にかけて勇むものもまた甚だ多い。魚の中に於いて
海魚は潮汐によってその気が張弛するが、
川魚は
朝間詰と
夕間詰(日出前、日没後の明るい時間帯)に著しく活発になることは、老漁師の観察で十二分に信じられていることである。およそ一切の物はそれぞれの気の
寓処となっているのであるから、多くの花は昼に開くのに暮になって開く花もあり、多くの鳥は暁に勇むのに夜に入って勇む
梟や
杜鵑の類もあり、多くの獣は昼に出で夜に伏すのに夜騒ぎ昼は隠れる鼠のようなものもあり、昼に活動する虫が多いのに夜に遊行する蛍や
蚯蚓や床虫のようなものもあり、天
和らぎ水の清さを
悦ぶ魚が多いのに
黒夜濁水を悦ぶのもある理屈で、気の特処偏処を受けたものは普通のものとは異なった状態を現わすが、要するに朝から昼に気は張り暮には弛む。自然の法則はこのようである。
これゆえに、人はこの自然の力が人に対して気を張らせる夜明けから暮までの間に、
自ら気を張って何事にも従うが良い。我が気さえ張れば夜間に仕事をしても良いには違いないが、それは自分の在り方では可であるが、自然圏内の在り方としては不可である。自然に順応して自然と自分とが協調して張る気になった方が良い訳である。風に逆らっても舟を進め得るものではあるが、風に
順って舟を進めた方が効果は多い。自然に逆らって我が分内の気だけを張るのは、例えば北風が吹いている中に強いて舟を北行させるようなものである。陽気や善気のような明らかで正しい気は朝に張る。陰で悪、暗くて邪な事に従うのならばいざ知らず少なくともそうでなければ朝の張る気の中に
涵って、そして自分の張る気を保って事に従い
務に服するのを可とする。このように内外が相応じる之を二重の張る気という。
一月は二節である。一節は上り潮と下り潮が
一回環して、
一潮はおよそ七日余りである。そして潮は節々月々に少しずつ次第に減り次第に増して、春には昼間の大高潮・大低潮となり、秋には夜間の大高潮・大低潮となり、春秋昼夜を以って一年の一大
回環をするのである。潮や節や月の満ち欠けやこれ等の点から観察して、或る潮の或る時はどうであるとか、或る節の或る場合はどうであるとか、或る月齢の時はどうであるとかを、気の張弛の上について説きたいとは思うが、胸中の秘として私の
懐いているものはあるが、敢えて人前に提示するには理解が足りないから言わない。しかし一日に於いて
自ら張る気の時が有るように、或る節、或る潮、或いは月の或る時に於いて
自ら張る気の時の有るのを信じない訳にはいかない。蟹の肉は月によって増減しイトメの生殖は潮によって催されるように、一切の庶物が自然から或る支配を受けていることは争えない。ひとり成人の婦人だけが月々にその身体に影響を受けているのではない。
一年に於いての気の伸縮・往来・消長の状態は、
一月に於けるそれよりはやや明瞭に昔から人に意識されている。冬は冷える意味で、その語は直ちに物みな凝凍収縮の
象を表している。冬の凝る気や
萎む気の状態は多言を要せず明らかである。秋の語は明らかなこと、空疎清朗なことを語っているので、林
空しく天明らかに気象
清澄の状態と、
物皆帰するところへ帰ろうとする
勢を示しているのである。夏は
生り
出ずる、もしくは成り立つ語義から名を得ているので、夏には生々の気が宇宙に充溢し、百草万木みな各々勢を発し生を遂げ、
生り
熟れること著しいのは
何人も認めるところである。さてまた春は即ち張るであって、木の芽も草の芽もみな張り膨らんで、万物
尽く内より外に張り水も
四沢に満ちる程である。ゆえに一年の
中、春は自然と人の気も張るのである。三冬(初冬、仲冬、晩冬)の厳寒に
屈ませられた生物は、再び春に遇って皆争って萌え
出で動き出し、草木から虫に至るまで尽く活気に充ちる。日光・空気・温熱・風位・湿潤およそこれ等の作用によって起される変化だろうが、実際に地下水までがいわゆる「木の芽水」でその量が冬よりは多くなって膨れている、樹木の根から上る水圧は水圧計が示すように著しく冬よりは増加している。人類の生理及び心理は確かに冬と異なって興奮的発揚的になる。植物の体内の営みの状態さえ変化するのであるから、人の体内の状態が変化するのは不思議ではない。そしてその変化の状態はどうかというと、人体の事であるから植物学者が植物の根を
截って水圧の力を計るようには出来ないけれども、我々の内省や理解によってまた他人の上の観察や校量によって、明らかに春は自然に人の気を張らすこと草木を張らすようであると知れるのである。春はこれ即ち自然の張る気の時季であって、そして偶然にその季に対して「はる」という語の命じられているのも自然と、天地の機微を語っているように思える。
四季に於いて春は確かに張る気の季節であるが、自然の張る気の時はこれだけかというとそうではない。数的に詳しく論じることは甚だ困難であるが、一国は一国、一世界は一世界、一星系は一星系で、張る気の時期も有れば次第に弛む気になる時期もあるのを疑わない。我が地球の年寿はいま論定し易くない。十二万八千才であるなどと妄測するのは甚だ非である。しかし我が地球が次第に寒冷に趣きつつある事実は認めない訳にはゆかない。そして今日からのち数千年ないし数万年数十万年を経てば、今の勢いで変化する以上は
終に我等人類の生息に適さなくなることは予測できる。また
翻って今日より数千年ないし数万年数十万年以前を考えると、昔は我が地球は甚だしく高温であって、今日の寒帯も
尚熱帯のようであった事は、所々に発見される石炭のような植物の化成物や、象、マンモス等の古生物の遺骸によっても明らかに推測されるものであり、
尚数歩を進めて考える時は、いよいよ遡って太古に至れば我等人類の生息に適さない程の高温の時期が存在した事が推測できる。
そうであれば単に温度だけから推測しても、この地球に始まりが有り、終りが有り、次第に生長し、次第に老衰して、
終には死滅することは明らかである。すでに始終あり盛衰あるものとすれば、仮に
子・
丑・
寅等の十二運にこれを分ける時は、
子より
巳に至る間は張る気の時期で、
午より
亥に至る間は
衰弛の時期である。欧米の人はすべて古代を
侮り、未来を夢想的に賞美していて、時間さえ経過すれば世は必ず
文明光耀の黄金期に入るもののように感じている傾向が多いが、大空間の地球も
掌の上で回る
独楽と同じ事であって、その
能く
自ら保ち支えて回転して立っている間はいくらもないのである。「運来たりて
起って舞い、時至って
臥して休む」のである。
世界の生物の
生々の力が衰えないで繁茂し生育する間は、張る気の運の世界なのである。もしそれ陰陽が次第に調わず動植物の次第に衰萎するものが多い時は、それは気が次第に弛み衰えようとしているのである。石炭になっている
彼の羊歯類植物は、
今日の地球の力では温帯地などには生じ得ないのである。欅・柏・樫これ等の植物を繁栄させる力のない時がやがて来るであろう。個種・個族・個体の内部から憐れな小知恵の灯りで照らし観察・解釈・批判すると、生物の生滅は生存競争の結果だとも言えるのであるが、大所から観れば手を
拍って笑ってしまうような人間の勝手な浅論であるに過ぎない。長久広大な宇宙に於いて太陽は次第に冷え地球は既に老いて、石炭が空しく残っているのが
今日の世界である。宇宙の始めから今日に至り太陽の熱はともかくとして、地球上の温度が次第々々に減じて来ていることは、我々の否認することの出来ない事実である。この地球上の温度が次第に減じて長大
鬱茂の植物を生育するに堪えず、また巨体動物を繁殖させることにも堪えなくなって、そしてその植物や動物が滅亡してしまった事実は、その個体の側より観れば、個体の性質や能力が自己の存在を支持できなくなったからであるが、本当の原因を根本的に考えれば、疑いもなく太陽や地球の力量の変化から生じた事で、地上の一切の個体は本来宇宙の或る力量から派遣され、現出され、生育され、維持され、そしてその力量が消え去るか移り変わるかすると、蛇や蝉の抜け殻のようになって
終に
萎び枯れて廃滅し、かつて存在した痕跡だけを
留め、また
終にはその痕跡さえも留めないようになり、死後の
後は生の前の前に還えるのである。本質的に個体は
惟々現象で、現象は惟々力の移動の
相なのである。個体―現象―力の移動の状態を推察し、数学的の推測を地質学や鉱物学や動植物学上の事実に基づいて下す時は、
子より
亥に至る十二運の説は措いて論じなくても、この地球の気にも張弛あり消長のある事は明らかである。力不滅論(エネルギー保存の法則)はその範囲内の論としては実に優れているが、小池の
小魚が巨石を
廻って水の長さに窮まりのないのを信じているようなものである。太陽は次第に冷えその熱は
那処に在る。試みに君の言を訊こう。君は言う、熱は熱として存在しなくても或る物になって存在すればこれ即ち存在するなりと。では訊くが、力不滅の時は力の量は不増不減であろう、力の量の不増不減の時に力の
相を変化させるものはこれ力か
否耶。それ眼の視るところ、指の触れるところ、何物か力が変化してそして生れる
相ではないか、君は言う、太陽の熱が日々に影響してそして後に樹が生れる、樹を
焚けば即ち熱を得ると。これ説き得て甚だ良い、ただ君に問う、太陽の熱によって松の樹や柏の樹が枝葉を成長させる根源のものはこれ力か否耶、もしこれが力でなければ何がこれをそうさせるのか、もしこれが力であるならこの力はどのように生まれどのようにして終るのか、
那処から起こり那処に消滅するのか、そもそもまた何の力が太陽系を生じさせ、他の
星辰を生じさせ、
彗星や
孛星や銀河や星雲を生じさせたのか、そもそもまた宇宙の大動力は何に
因って生れたのか、この大動力は何の力によって分岐に分岐を重ねてそして東奔西走南向北進させられて、松柏を生み、梅桜を生み、鳥獣を生んで、千万億兆の異なった個々の
相を生滅させるのか、問いてここに至れば、君は必ず問を以って答とする窮地に
陥ろう。分子と云い、原子と云い、電子と云い、ラジウムと云い、ウラニウムと云い、ヘリウムと云うのも、ただ「君の智の範囲内のX―A、X―B、X―C、もしくはnY、nZの名」に過ぎないのではないか。三角の内角の和は二直角というのも、これ先ず君の「立論の基平面(基準平面)」の存在を確立してその後に成る理論に過ぎないのではないか。伏して下を見る時は球上に立っている、三角内角の和は二直角より大にならざるを得ない。仰いで上に対する時は無限大の卵殻内に在る、三角内角の和は二直角より小にならざるを得ない。ショウスキーやレーマン(リーマン、ドイツの数学者)が非ユークリッド幾何学を
唱えるも、唱え得てつまりは得られなかったのではないのか。宇宙は君の知の範囲内で尽きているものではない。宇宙は君の立論の基である学術内に一括できるものではない。君の知の圏内で君の立論の基の学術を頼んで論じれば、今日の天文学も真実で物理学も化学も真実で幾何学も力学も皆真実である、その代り古人の範囲内で古人の立論の基の学術を以って古人が論じていたことも、その昔に在っては真実だったのであり、また将来に於いて来者の知の範囲内で、来者の立論の基の学術を以って論じるのもその時に当たっては真実となって、そして今日の我々の所論が空疎だったと指摘され笑われることは、今日の我々が古人の所説を指摘してその空疎を笑うようなものであろう。
このような
言をするのは今の科学を軽んじ
若しくは疑う意味ではない、ただ科学は範囲内の話であってその絶対権の有るものでないというに
止まる。力不滅論のようなものも範囲内の話としては
頷けるものであることは、例えば日本国民が日本の法律習慣に頷くようなものである。しかし時代や国家を超越してまでも今の法律習慣に頷けることが出来るかどうかは範囲外の話である。力不滅論のようなものも、我々が知り得る天体関係(甚だ狭い)の中の太陽系(甚だ小な)の中の地球(甚だ小な)の中で我々が知ることの出来る年代範囲(甚だ短い)の中の現時(いよいよ短小な)に於いて我々が理解する現象関係の中で真実と見えるのであって。地球の一生、太陽系一生の論などになれば、それは小に拠って大を覆い、短を以って長を律せんとするもので余り信じるには足りないのである。地球や太陽が冷えて地球は岩石のようになり、太陽の光炎が大いに衰えた後、太陽や地球が絶え間なく発揮した力は何等かになって存在しているだろうが、その太陽自体地球自体は甚だ力の無いものとなる訳である。第一自体の熱量を出し尽した太陽は何となる、また地熱も冷え尽き太陽から受ける熱が少なくなったその時の地球は何となる。太陽や地球から発した熱は
何処かに変形して存在するにしても、天王星の世界ならばまだしもの事、それよりも遥かに遠い他星系の世界などに流れ没してしまっては、我々はその有無についての判断さえ空しく、
懶いほど交渉も無い空漠に落ちた事で、殆んど意識の出来ないものとなる。まして本来天体の成り立ちは、不測の出来事、例えば大彗星と他星との衝突というようなことが到来するまでの間に限って、我々の計測と推論が成立つので、その出来事がいつか到来して、太陽系や地球の位置や質量や回転が変化してしまい、我々の知識や知識を堆積し組織した学問も根底から、改めなければならないようになるかも知れないのである。
このように説くとそういうことは
稀有に属す杞憂であるという人もあろうが、決して稀有ではない。現に我々の住んでいる地球全体の質量や位置や回転も、時々刻々と規則的および不規則的に変化しているのである。その規則的の部分は精密な学者の計量に上っているし、その不規則的の部分は
如何なる学者も
未だ計量できないのである。そんな事はないというなら君に一例を示そう。
彼の隕石や天降鉄はどこから来たのか。隕石や天降鉄は疑いもなく他世界から来たもので、既に地球にそれだけの物が来た以上は、地球の全体の質量は鉄および他の鉱物の増加によって変化させられていることを否定する訳にはいかないのである。またそれだけの物が増加されれば、遠心力が若干だけ求心力を超過した訳になって運行軌道に変化を起こす理屈である。隕石は稀有の例でも、地球が始まってから受取った隕石の総量は決して少しの量だと考えることは出来ない。ましてノルデンスキョルドが欧州よりシベリア北海を過ぎて日本に来航した時の同氏の観察によれば、地球の受取っている微小隕石、即ち我々の気づかない隕石の総量は実に驚嘆するほど大きな量で、隕石によって地球は生成され増大されていると言ってもいい程であると云うではないか。ノルデンスキョルドの隕石説は、全部を是認することはできないが、我々を
吃驚させ確認し注意させた隕石だけでも太古から今日に至るまでどれほどあったか。天変を重大視した昔の史籍に見える記事や、旧時代人をして初めて鉄を用いた西大陸の事実や、禅僧をして詩を
賦せしめた落星湾の口碑(諸葛孔明が死んだとき、堕ちた隕石を祭った口碑)、およそこれ等の事の記録に見えるだけでも少なくはない、その度ごとに何処かの世界に変動の有ったことは争われないし、地球自体もまた同じく大きな変動を起こしているので、その測り難い変動が連続する間の或る短い時間が、我々の天文学や物理学や化学やその他の科学などの
寓居なのである。
それゆえに詳しく論じれば、時々刻々に我々の世界は太陽熱や地熱の冷却のような自体の発揮力の消散によって変化しつつあるのがその一、隕石等のようなものによって他世界の力の影響を受けて変化しつつあるのがその二、また粗大に論じれば、我々の世界では未経験であるが宇宙に於いては
稀でも何でもなく、殆んど絶え間なしに生じ行われているところの「隕石の起る原因」と同じ大変動の為に変化すべきなのがその三、これ等の事情の為に我々の住んでいる世界はその実質は空とならないまでも、変化即ち現在相・現在性・現在体・現在力・現在作等が壊れて行くのを否認する訳にはいかない。科学の力不滅論が真理だろうとあるまいと論なく、この世界が我々人類や一切生物に対して働く力は不増不減とはいかない。インド思想の
生住壊空の説(生命は生・住・壊・空を繰り返えし、永遠に続く)、支那思想の
易理の説(陰、陽という相対的な二つの原理の結合交錯の変化によって宇宙の万象は形成、消長する)、百年ごとに人寿一年を減ずる時もあれば、また一年を増やすこともあって、人寿八万才から十才に至り、また十才から八万才に至るという
倶舍その他の説や、この世界は衆生の
業力で成立っているという
楞厳その他の説や、創世記(旧約聖書の第一書)、黙示録(新約聖書の最後の一書)の言葉や、それ等の説の
何れの説を信じるという訳でもないが、この世界が人類の生活に適すように、または人類を生活させる事の負担に堪え得るように存在するには必ず時間の制限がある、決して無際限ではないということを否認する訳にはいかない。
さてそこで既に人類と世界との関係に寿命があって、始めが有り、終りが有る以上は、中間も有り、壮期も有り、老期も有る理屈である。勿論壮老は人類の私から名づけたものに過ぎないのであるが、人類や人類に必要なものの繁殖生育が容易である時は、即ち人類と世界との関係は壮期であり、人類や人類に必要なるものの生育繁殖が困難となった時は即ち老期である。始期や壮期は即ち世界の張る気の時であり老期や終期は即ち弛む気の時である。中期はその間に当たる。仏教やキリスト教や道教の所説では人類はその始期が最幸福で、文明史家や政治史家や科学者の所説に照らし今人が想像すれば将来が幸福に思えるから、過去が真に幸福であったとすれば今は既に老期に入っているように、将来が幸福だとすれば今は
尚壮期に属すると考えられる。しかし必ずしもどちらの説が真かを決定するは及ばない、世界人類が
未だ衰残減少に傾いていないことに照らしても世界が今張る気を有していることは明らかである。もし世界の生々の気が次第に衰えて秋の夕暮れのような物寂しい状況になれば、我々に必要な植物は次第に矮小となって結実も少なく枝葉を我々に提供することも不足し、動物は繁殖力を減じ我々の身体精神も次第に脆弱になるだろう事は、例えば地力の尽きかけた土地へ
播かれた豆科植物のようであろう。世界は永遠に同じ状態で有り得ず、同じ力や
相や体や性を保ち得ない事は前に言った通りである。我々の世界が時々刻々に変化しているのに照らしてもこの事は実に確信できる。しかし人類は手を
束ねて死滅を待ち得るほど賢い者ではない。仏陀や菩薩のようには賢くは有り得ない。人類滅亡の運命に向っていることを覚る時になって、その掘削の難しい知恵の井を深く深く掘削しようと、猛烈で鋭い意識の錐や
鶴嘴を振り廻して、そして燃えるような生存欲の
渇を止めようとして、生命の水を汲もうとするのであろうか。ただし午前十一時が過ぎればやがて十二時となり、零時が過ぎればやがて午後一時になり二時になり三時になるのはどうしようないことであるから、日暮の恨みを呑みながら
終に石炭やマンモスの仲間入りをするのであろう。しかし幸いにして今日はまだ人類繁昌期である。そしてこの
繁昌が
尚幾百年幾千年幾万年続くか、我々の推測は判断を下し得ないほどである。虚偽の文明と卑しい私慾の為に、天地生々の気を強いて傷害し密かに分別あることを誇る、小利口で
刻薄無情の人民の国の人口は増加しないという事情はあっても、世界全体の人類は確かに繁昌しつつあるのである。気は世界を包んでいるのである。我々は張る気の中に包まれているのである。生存の競争は苦痛であるにしても、それは個体や団体の接触の密度に比例しているので、大量に
播かれた菜の
種子が互に根を張り合うようなものである。密度の高くない場合には非常に軽減されるのである。地力の尽きかけた土地へ播かれたマメ科植物とは大いに異なっているのである。実に張る気の中に包まれているのである。
自然の大所から言えば実にこのようなものである。今は確かに張る気の中に包まれている。次に一年の中では春は最も張る気の強い時であるが、
生々の気
未だ衰えない時期に有るのだからそれは比較的の事で、夏も秋も冬もまた張る気の働きの絶えない中にあるのである。また次に一日の中で云えば、朝から昼までは最も強い張る気に包まれているのだが、これも比較的の話で、生々の気
未だ衰えない世に有っては同じ理屈で一日を通して張る気の働きの絶えない中に包まれているのである。天の数(自然の法則)は実にこのようなものである。
人事と天数との間に有るような人寿は勿論重要な位置にある。この人寿から論じれば、人が生れてから壮に及び、壮から老に及び、老から死に及ぶ間に於いて、その半生は明らかに張る気の働きが強いのである。壮から老、老から死に至るまでも少なくとも息のある間はもちろん張る気は存在するが、次第に張る気は少なく次第に他の気は多くなるのである。すでに張る気の事を説くのも再三に
亘っているから、各自少しく自分で省察すれば自然とその消息を悟り得よう。よって
復ここには多言しないで措く。
夜明けから昼に至るまでの気象、人は全てその気象を体得して生きるべきである。世界は生々の気に張られているのである。天数、人事、人寿この三者を考察して張る気を持続せよ。ただそれ
能く日に於いて張り夜に於いて弛めん。ただそれ生に於いて張り死に於いて弛まん。進潮退潮、潮よく動いて海
長しえに清く、春季秋季、季よく移って年永く
豊である。
[#改丁]
「天下を通じて一気のみ(天地の気は一ツである)」とは『荘子・知北遊篇』の
言である。その大所から
説けば、万象(全ての現象)は皆一気で、一気が百変して百花が開き、一気が千転して千草が萌えているのである。山は
峙ち、水は流れ、雲は
屯し、雨は降る。春は暖かく、秋は
冷たく、
清白と
濁黒と、正と邪と、賢と愚と、
通(流れ)と
塞(滞り)と、伸と屈と、人と動物と、神と鬼と、これ等は皆一気が二分して、旋回し、曲折し、摩減し、衝突し、交錯して生じるのである。ただその小所から論じれば気もまた種々ある。蘭・竹・梅・菊にも各々その気があり、しどみ・梨・柚・橘にも各々その気があるのである。よってこれを
纏めて語れば広大な一気であるが、これを分けて語れば方処・性相・名目にそれぞれ差がある。
試みにこれを説くと。気は物から発する知ることも
捉えることも出来ない機微のことを言ったのである。その物の気は即ちその物の本体と同じで、まるで本体の微分子ようで、一にして二、二にして一、気あれば必ず物あり、物あれば必ず気がある。気と物とが離れれば即ち物は既に物ではなく、物と気と失えば即ち気は既に気ではない。気は即ち物から生じる物で、物は即ち気に基づく気である。静止時にはこれを物と云い、動作時にはこれを気と云い、
本に着してこれを物と云い、
末に着してこれを気と云うのである。例えば水はこれ物、水上の湿気はこれ水の気、火はこれ物、火の周りの乾熱はこれ火の気である。水あれば自然と湿潤、この湿潤は正に水から発し来る、火あれば自然と乾熱、この乾熱は正に火から発し来る。湿潤や乾熱は微かなもので知ることも捉えることも出来ないとはいえども、水気や火気と本体の水火とは、二にして一、一にして二、気はまるで本体の微分子のようであり。もし水気が尽き湿潤の作用が乏しくなれば水は既に涸渇しているのであり、火気が尽き乾熱の威力作用が衰耗すれば、火も既に
余燼となっているのであって、水火の本体が無ければ湿乾の気もまた無いのである。
で、物には物の気が有る。蘭には蘭の気がある。「
蘭気新酌に添い、
花香別衣を染める」という蘭気はそれである。菊には菊の気がある。「
荷香晩夏に消え、菊気新秋に入る」といえる菊気はそれである。神前に供える
鬱鬯酒の気は即ち
鬯気である。梅には梅気、竹には竹気がある、松に松気、茶に
茗気、薬の気は薬気、酒の気は酒気、毒気があり、
蟒気(
蟒の気)があり、霜気があり、雪気があり一切の種々の物に一切種々の気が有る。邦語に「にほひ」というのは殆んどこれ等の気というのに当たっている。「にほひ」の語は、香臭を称するのが今の常識になっているが、それだけでは無く、色の
沢、声の韻、剣の光、人の
容、全てこれを「にほひ」と云うのである。香臭ある物の気は即ち香臭であるから、蘭気・茗気・酒気・薬気といえばつまりは蘭の香り、茶の香り、酒の香り、薬の香りというのに当たって、気を「にほひ」と理解して実際に使用するのである。また剣の光や、人の
容は即ち剣の気、人の気であるから、これを「にほひ」と云っても、「にほひ」の古い用語例に於いて通じるのみでなく、気の意味を明らかにした語としても良く通じるのである。竹気・霜気・雪気などは、竹の香、霜の香、雪の香とは云い難いが、これを竹・霜・雪の「にほひ」とすると、「にほひ」の語の
本の意味に照らして不可でなく、「にほひ」の語は実に
能く気の字に当たっているのである。
水が熱を得て蒸発するのに当たっては、いわゆる「ゆげ」の昇るのを見る。ゆげは湯の気である。
甑上の気(
甑の上に立ち上る気)というものは即ちこれ「ゆげ」である。およそこのようにその物から立昇り横走り遊離し、有るのか無いのか見えるような、見えないようなものをも名付けて気という。海潮の気を潮気といい、山岳の気を山気というように、河気といい、沢気といい、野気といい、泉気といい、虹気といい、
暈気といい、
塵気といい、雲気といい、日輪の
両傍に現われるものを
珥気という
類で、実に数限りもないが、これ等もまた皆その物より発するその微分子のようなものを称すると理解して差支えない。
山沢河海の微分子と云えば甚だ不明なことであるが、つまりは山沢河海の影のような香りのようなもので、例えば人のオーラのような山沢河海の気象、即ち様子のようなものも気というのである。
支那(中国)には昔から「望気の術」ということがある。戦闘の道は両陣相対し相争うのであるが、酒には酒の気、茶には茶の気の有るように、軍陣には軍陣の気が有る理屈であるとすれば、軍陣の上にはその軍陣の内質に相応した外気が立ちのぼるはずである。そこで軍気を考え観察して、その軍兵を見ないで既にその意気、即ち軍陣の内質や本体がどうであるかを知り、そして我と彼を比較して、勝敗の利不利の結果を予測しようとするところから、その術は生じたのである。例えば決死の覚悟の軍隊の上にはどんな気が立つ、
驕り
慢っている軍隊の上にはどんな気が立つというようなことを、一々観察して誤らないようにするのが望気の術で、古くは別成子の『望軍気の書』六篇図三巻が存在したことは古史がこれを記している。その書の説くところは不明だが、さぞかし望気の術を伝えてそして気の形象を図にして、このような気を現わす軍はこのようであると示したものであろう。
後になって有名な勇将
李光弼(唐代の部将)の『九天察気訣』などいうものも嘘か仮説かは明らかでないが、その書名を伝えている。歴史や小説に軍気を望んでその勝敗を予想した例も絶無ではない。日本に於ける望軍気の術は支那からの伝来であるか邦人の発明であるか知らないが、いわゆる兵法家達の秘伝として珍重されたもので、
何れも
板本(木版本)ではないが、その稀有奇怪な気の
象を描いた着色図、及びその講説を記録したものを目にした人は少なくないだろう。そしてまた各種の戦記や野史(在野の人が
編纂した歴史書)にも軍気に関する記事が散見するのを認める。勇猛果敢な軍隊の気は黒み、薄弱にして敗退しようとする軍隊の気は白けるというようなことは、いま急に某の書の某の章に出ていると挙げられないけれどさぞかし
何人も記憶していることだろう。
鉱山は特殊な鉱物を埋蔵しているので自然と平々凡々な普通の山とは異なるから、気も自然に各々相異なる理屈である。そこで紅気(虹の気)あれば玉あり、
※気[#「赤+色」、U+8D69、254-13](赤い気)あれば銅ありなどと記している『望気経』も有れば、鉱物採取の事を記した『天工開物』のような書にも僅かながら望気の事が載っていたと記憶している。日本にも佐藤氏の『山相秘録』のような書があって、鉱山を鑑定するのに望気の法ですることを説いたものもあり、また実験を重んじて学説を軽んじる実際家の鉱山師等は今
尚望気の秘伝に拠って山を判断しているのである。単に望気の法だけで鉱山の有望無望を考定するのは愚かであるが、既に何等かの物があれば又自然と何等かの気が有る理屈であるから、気を望んで山を占うのも一理無いことではない。
天象と人事は密接に関係するとの思想は支那(中国)には昔から存在していた。
大旱に際して聖王湯(中国、殷王朝初代の王)が自分を責めた事実は史上に著明であり、
竇娥が冤罪で死んで
暑月に霜を飛ばした事は戯曲(中国の元曲、
竇娥冤)の好題となっている。このような思想の傍流に発生したと考えられる時と人事との関係は、書籍では『礼』や『
呂覧』に就いて
窺い知れる、実にインドやヨーロッパのような宗教らしい宗教を持たない、常識一点張りの中国国民の中にも、宇宙を人格化して宇宙の根本は神威霊力を持ち、しかも情理を解知し、これに反応する作用を持つとする思想が存在したことを知る。およそこれ等の思想と関連してか或いは関連しないでか、或いは正しく関連しないで斜めに関連したのか明らかでないが、星気を読んだり雲気を望んだりする道は早くから支那に於いては行われた。星や星座近くの気、日や天の気を観る術は
何れの国にも昔から有って、占星術が天文学の先駆となったことは、錬金術が化学の先駆となったようなものである。支那の占星の術は星の位置と他星との交渉と、光威とその付近にたちこめる
霞気の類との状態に照らして人事や運勢の吉凶を判断するのであって、星を占うという語と共にしばしば支那の書に於いて遭遇するところである。戦陣のことに関してだけでなく、単に気を望んで禍福や盛衰の様々なことを考える術、即ち広い意味での望気の術もまた早く支那に行われていた。従って古史の『天官書』には種々の気に就いてのテクニックが見えている。冠気・履気・少室気・営頭気・車気・騎気・烏気などというのはその形象によって名があるので、白気はその色、善気喜気等はその結果によって存在する名であろう。軍兵は国の大事であるから望気の道もこれ等の語も十の九は軍陣の事に関しているが、気を以って事の応答とする思想は単に軍陣の事だけに局限されているのでもない。聖人・偉人・帝王・豪傑には、星辰これに付し、雲気これに応ずると信じられていたことは歴史や雑書が我々に語るところであるから、望気の術が軍陣以外の事を包含していたことも自然と明らかである。例えば支那の
占卜の道の書である『易』が軍事の事を説くことが甚だ多いとしても、恋愛婚姻の事をも説いているようなものだろう。
さて
凡そこれ等の気というものは、煙のように、雲のように、
陽炎のように、遠くからは望めるが近づいては見えないものを言うので、そこで望気の望の字が下されているのだろうが、また全く見えないものを言うのでは無いことは、形や色や方角が記されていることに照らしても明らかで、覇気や秀気や才気などという気とは異なっているのである。老子(中国春秋時代の哲学者)が関所を出ようとするに先だって関尹喜(関所の役人)が望んで之を知った気は紫気である。
范増(中国、秦末の知将。楚の項羽に仕えた)が望気の術を良くする者に問いて、
高祖(劉邦、中国前漢の初代皇帝)の大成することを知ったその気は龍虎五彩をしていたとある。
呂后(劉邦の妻)が
微賤(低い身分)の時、高祖が
芒山に隠れたのを見出したのは高祖のいる所の上に雲気があるのを認めてだとある。呂后は人相見をすることを
能くした者の
女である。光武皇帝(中国後漢の光武帝)が
未だ決起しない時に南陽からその居処の春陵を望んで、「佳なるかな、気や
鬱々葱々然たり」と評したとあるからその気の
象は秀茂する森林のようであったのだろう。そこに
蘇伯阿という望気の術の上手な者の名が見えているがこれは漢末であり、水に没した
周鼎(古代中国、周王朝の鼎・王権の象徴の器物)の在る所を望気の術によって調べた
新垣平は
漢初の人である。紫気を望んで宝剣を知った張華は晋の人である。そして同じ晋の世の仙人
葛稚川はその自叙伝に望気の術を学んだことを記している。これ等によって考えれば支那には前漢・後漢・晋・唐・宋の昔から近時に至るまで望気の術が伝わっていて、そしてそれが歴史の装飾と天命の護符となり神秘の学の一科のような観をなしていたことが解る。それで天命の
革まる時などに気の話のない事は殆んどないくらいである。事は荒唐無稽に近いけれどもしかし一理なきことでもない。大坂の陣(冬の陣、夏の陣)の起こる前に当たって気が
騰ったことは余程著しかったと見えて、望気の術を知る人が指摘したのではなかったが大いに驚異して、そして占うのに焦氏の『易林』を以ってしたという記事が我が史上に見えている。平安朝前後の歴史には
稀に異気の記事を見る。俗間に火柱などというのも気の事である。我々の眼に親しい龍宮城の図なども、『史記』の『天官書』にある
蜃気(大蛤の吐く気)の解釈に基づいて出来ているので、気の事もかなり普通的になっている。およそこの
条に説ける気というものは皆
彼の蜃気のように、描画が出来、望見出来るものである。
気という語はそれ等に用いられるばかりでない。望見しないでただ考量の作用を持つものを気と言った場合がある。例えば山気の多い男、沢気の多い女と『准南子』に記してある
山気・
沢気の気がそれである。此の山気の男多しという山気は、「
山気日夕佳なり」とある有名な
陶淵明(中国六朝期の詩人)の詩の中の山気とはやや異なっている。また沢気の女多しとある沢気は
鮑照(中国南北朝時代の詩人)の詩の句の「沢気昼体に薫ず」とある沢気とは同様に異である。『准南子』のは
山沢の精神随気の力というような意味でその気が無形無臭のものを指している。陶鮑の詩の句は或いは望み或いは感知するもので、山沢より放散する漠然とした気を指している。もとより同語であるから、その間にひとすじの意味の相通じるものが有るは無論であるが、詳しく味わえば自然に僅かながら差がある。なほ『准南子』には、障気に盲者多く、嵐気に聾者多く、林気に瘤者多く、木気に傴者多く、岸下の気に腫者多く、石気に大力者多く、谷気に痺者多く、丘気に狂者多く、陵気に貪者多く、流水の気に仁者多く、暑気に夭者多く、寒気に寿者多しなどと説いている。このうち、寒暑とあるは寒冷の地、暑熱の地を指すので、これら皆地方の特徴と人の身心との関係に就いての観察を語ったのである。中には
観得て
中っているのもあり
中らずと思われるもあるが、大体に於いて地方の特徴に基づくところのその土地の気が住民の心身に影響を与えることは必然の理屈で、かの俊才偉人の伝を立てるに当たって「山水秀麗の気、
是の如き人を生ず」などと、通常の伝記作家が陳腐の語を記すのは、その人の特異な努力や苦心を理解しない愚説で甚だ忌むべく嫌うべきものであるが、俊英の士よりは寧ろ平凡の民が土地の気を受けて、そして他地方の民とは自然と異なった性情・才能・体質・持病を持つことを認めない訳にはいかない、
北条時頼(鎌倉幕府第五代執権)に仮定される『人国記』なども、地の気と民風士気との関係の観察を語っているのである。これ等の地の気の湿潤・乾燥などということは、望気術の気のように目に触れるものではないが確かに人に対して作用するもので、その湿気が水辺に親しむ釣客をしてリューマチに悩み勝なことは外国の釣書にも明記され、乾気の強い土地が或る病者に快癒を与えることなどは実験者によって強調されているところである。海の波の激しいところにオゾンは自然に発生し、松林の密なところに雷が大いに落ちる時オゾンが発生するようなことは単に地の気とは言い難いが、これ等は最も著しく人の心身に影響するので、地理の招くところであるから地の気のうちに含まれよう。軽井沢のように気流の流れる落ちる地や、神奈川、静岡海岸のように北に高山の障壁があり南は大洋に臨んでいる為に気温の平和を得ている地も、地気清爽とか平和とか言えるだろう。泥沼の気が立つ地や瘴気の多い地もまたその地の状態によってそうなるのだから、昔ならば地の気が何々であると云うだろう。およそこれ等の気というのは指すところ漠然として空論の嫌いはあるが、見えないでしかも或る作用を為すものの当体を気と言ったのである。
時に関してもその時の作用を為す当体を気と言っている。春気・夏気・秋気・冬気というのは、各季節の気で、春気は愛、夏気は楽、秋気は厳、冬気は哀ということは、四季の作用上から考えて、四季の気の性質を抽象的に語ったものである。『孫子』の朝気・暮気・昼気の言や、『孟子』の平旦の気の言は人の上に係った言で、直接に朝や暮や平旦の上に係った言ではないから措くとしても、また一日には一日の気があるのを認めているのである。十二ヶ月は十二ヶ月の気、二十四節は二十四節の気、六十年は六十年の気があるとしているのは昔の説である。『天元紀大論』や、『五運行大論』や『六微旨大論』は、つまり時にかかる気の論を説いているのである。『六微旨大論』に「天の気は
甲に始まり、地の気は
子に始まる、子甲相合するを
命て
歳立という、謹んでその時を候すれば、気
与に期すべし」と説けるものや、「
甲子の年は初の気、天の数は水の下る一刻に始まって八十七刻半に終わり、二の気、八十七刻六分に始まって七十五刻に終わる」と説き、三の気、四の気、五の気、六の気に至るまで説くものや、『六元正紀大論』に甲子から癸亥に至る六十年の気を序して論じているものや、およそこのようないわゆる運気論というものは、皆その時にその気の行われると信じていた世での論である。天地の始終を観ること掌上の物を見るようでなければこのような説の当否の判断は出来ない訳であるが、余りにも規則的に某の年は某の気が行われるというのは信じ難く認め難い。それも聖王が治を為して小人が屏息し、天・地・人が相応じ、四境が清平であること儒家の理想のような世であったならいざ知らず、人によって天の乱れることの多い世にどうして規則的に運気が行われよう。儒者流に言を為したところで理屈は自然とこうである。黄帝(中国の伝説上の帝王)の気を談じる言さえ、「至って至ることあり、至って至らないことあり、至って
太過なることあり」とある。五運六気必ずしも規則通りには行われまい。『
鬼臾区』の言に、「天は六を以って節を為し、地は五を以って制を為す。天気を一巡するもの六期を一備となし、地紀を終わるもの五歳を一周と為す、君火は明を以ってし、相火は位を以ってする、五と六と相合して七百二十気を一紀となす、
凡て三十年なり、千四百四十気、凡て六十年なり、そして
太過不及(過ぎたり及ばなかったり。陰陽の不調和をさす)ここに皆
見わる」と云っている。なるほど一甲子六十年の間には陰陽の過不足もあろうが、その六十年の
中の某の年はこうなると想定されている、例えば
丙寅の年は上が少陽相火で、火化は二、寒化は六、風化は三なぞと
定められていても、それが次年の陽明金が早く迫ったり、前年の太陰土が後れて残ったり、火化・寒化・風化の数が狂ったり、湿化や乾化や熱化があったりしそうなことで、そういう過不足が生じそうに思われる。そうでなければ洪水も噴火も疫病も、判で捺したように三十年目六十年目にきっと来るような次第でなければならないが、実際はその通りではない。いまさら昔の人の『鬼臾区』なんぞを捉えて運気論をする好奇心はないからそれは論じないが、陰陽の交じり合いの状態を時に掛けて論じて気を
説いた、そのいわゆる気なるものが望気の事を説いた紫気や龍虎五彩の気などの気とは異なったものであるということを説けば足りるのである。
人の気、即ち老子や漢の高祖や後漢の光武帝などの事を説いた
条に挙げた気は、人から発生して外に現われる気であるが、人から立つ気ではなくて、人そのものに現われる気と云うものがある。二者は同じようでもまた実は異なっているので、前者が雲や煙のようなら、後者は色や光のようなものである。
通(中国秦末から前漢初期にかけての説客)が
韓信(前漢の武将)に説く条に骨と肉と気との事を語っているが、人の骨格や肉付きの他に気と云うものがみえる。気と云うのは例えば色と云うような、または光と云うようなもので相書には実に度々出てくるものである。一二例を挙げれば、
印堂(眉間)に黒気ある者は不幸であるとか、
臥蚕(目の下にある袋状の部分)に黄気あるものは慶事有りとか云う
類である。これ等は詳しく言えば黒色黄色と言っても少し違うし、黒光、黄光と言っても少し違うから甚だ言いにくいが、要するに人の面上の一部または全部に何となく見える或るものを云うのである。黒気・蒼気・青気・黄気・紫気・赤気・紅等はその色から云う名で、明・暗・浮・沈・滑・嗇・蒙・爽等はその光から云い、殺気・死気・病気・憂気・驕気・憤気・争気等はその気の持つ意味から名づけた名である。およそ人相術の事を説いた書で気を説かないものはないので、その術を学ぶ者が骨肉の形象を論じるだけで気を察する事が出来ないのなら
未だ至らない者なので、気が利かないおそれを免れないのである。この
故に『麻衣相法』にしろ、『柳荘相法』にしろ、また我が国の『南北相法』のような特色のない書から、『朝睛堂相法』のような支那伝来以外の実験体得を基礎とした独自の書に至るまで、何れも気を説かないものは無いのである。朝睛堂に至っては面上だけでなく人の頭を包んで気が有ることを説いて、そしてその気によって豊満の相、破敗の相が見えると言っているが、朝睛堂のようなものは相書の気と云うものを一歩進めた解釈をしたものだと言える。仏や菩薩の像を描くものが円光をその頭に添えたり或いはいわゆる仏炎を描いたり、キリスト教の聖像及び聖人像に輪光が描いて有ったりするのは、その徳を表するものでもあろうが、相書のいわゆる気と云うものを朝睛堂が扱ったように扱って超人的に形に現わしたようで面白い。老子や高祖の気は高く昇って天にあらわれ、遠く望んで之を知ることができたほどだったというのに、仏陀などの仏炎は土星の鉢巻や袋蛛蜘の袋のように、僅かにその体に張り付いて小光圏をなしているに過ぎないのは、制約を受けることのない画家が制約を受けること大なる彫刻家に、遠慮している結果のようでおかしく思われる。それはさて措き、相家の気は望気者達の気とも異なって前に述べた通りである。元来支那の相術は、呂后の父や
許負(中国前漢の人相術者)の話でも伝えられ、これに関した議論は早くから、荀子や王充によって試みられたくらいでその淵源は甚だ遠いが、その成書の有るのは何時頃よりのことか、恐らくは麻衣画灰の事があっての後でもあろうか。ただそのテクニックが古い医書に見えており、医の道に相貌を望み、色を視、気を察する事が有るのを思えば、或いは医の道から分岐派出して別に一道を為したものとも思われる。人中の語は『師伝篇』に見え、明堂の語も『
霊枢』中のどこかに見えたと記憶する。尚捜索したならば相家の術語の多くが『
岐黄』に出るのを見出せるだろう、まして古医書中で太陰の人、太陽の人等を論じているのは殆んど相家の言に近いものがある。しかし相家のいわゆる気というものは医家のいわゆる気というものと一致しているだけではない。
医家ほど多く気と云う語を用いた者は有るまい。従って気に関する至言もまた少なくはない。医家の書に見える気はその指す所は一ツでなく、従ってその意義は甚だ多く一概に語ることは難しい。『太始天元册』に見えている丹天の気・金天の気・蒼天の気・素天の気・玄天の気などは、天の四方や中央に五色を配した空言のようで何の特別な意義も無いかと見える。そういう価値無きに近い言も有るが『決気篇』に見えた精・気・津・液・血・脈の気は、「
上焦(横隔膜から上の胸部を指す)を開発し五穀の味を
宣しくし、膚をきれいにし、身を強くして、毛を艶やかにすること霧や露が注いだようである」これを気と云うと説いてある。これなどは今のいわゆる神経というものを無形物と
見做して、そしてその作用を気と名づけたように見える。『気府論』や『気穴論』に見える気の義は今の語を以っては的確に表せない。『衛気篇』に見える営気衛気は、「浮気の
経を
循らないものを衛気とし、精気の
経を行くものを営気とする」とある。『衛気行篇』を見れば衛気の行くことを説き、「日の行くこと一舍にして人の気の行くこと一周と十分身の八」と説いている。営衛の気のことは、昔の医道に在っては甚だ重要のことに属しその言は理解できるが、肝気・肺気・腎気などと気の一語を乱発多用すること機関銃から弾丸を飛ばすように、風気・寒気・熱気・燥気・湿気等を説き、陰気・陽気を説き、天気・地気を説き、金気・土気・木気等を説き、天運の
浩々(広大)から神経の微々(微小)まで、その間には気象の事、臓器の事、気息の事、何もかも気の一語に取り尽して、そしてこれに宗気だの元気だの邪気だのということをさえ加えるに至っては、衆語を
纏めて説明することは到底不可能であって、古医書に見えるところの気の一語は多義多方にわたっているので概言することはできないというのが正当である。これを詳言して或いは分け或いは合せて、某々の気の義は何、某々の気の意は何々と、煩わしさを厭わなければ出来ないことはないが、強いてこれを努めても労多くして功少なしである。
気に気息の義、即ち「いき」の義のあるのは普通の事である。前の
条に挙げた「にほひ」の義などもこれに通ずる事で、物の
香は即ち物の吐くところの「いき」である。呼気・吸気・出気・入気は即ち「いき」で仙人の
餐芝服気といい、道家の導気養性といい、『
亢倉子』の「気を
嚥み、
神を
谷い、
思を
宰し
慮を損し、逍遥軽挙す」といえるのも、『抱朴子』にいえる
倹が
空冢中に堕ちて、大亀が口を張って気を呑むのを見てこれを学んだ事や、(史記亀策列伝、早くも人が亀の気を引くことを学ぶことを書し、蘇東坡の雑著、遅れて同様の事を記している)「気を吸して以って精を養う」と『関尹子』の言う気も、「
彭祖(中国神話中の長寿の仙人)は閉気して内息する」と言う気も、「気を食う」と言う気も、「気を呑む」と言う気も、この気を「いき」とだけ粗解しては妙味を
殺ぐが、それでも大略「いき」と解して差支えない。人の気があるということは即ち人の生が存在するということで、気が絶えれば即ち生は絶えるのである。この点に於いて邦語は
言霊の
幸わう国の語だけに甚だ面白く成立っていて、気の「いき」は直ちにこれ生の「いき」であり、生命の「いのち」は「いきのうち」である。気息の古邦語は「い」で、「いぶき」は
気噴であり、
病癒ゆの「いゆ」は
気延ゆの約、休憩の「いこふ」は
気生うである。言説する義の「いふ」は
気経であり、
鼾声の「いびき」は、
気響きの約である。
萎頓困敝(へとへとになる)の「いきつく」は
気尽くで、奮発努力の「いきごむ」は
気籠むである。現に「生き」は「いき」にして「
生命」は
気の内なので、気の「いき」の義は一転して人の精神情意とその雰囲気の義となる。人の気が盛んに
騰るのを「いきる」といい、物の気の騰るのも「いきる」という。「いきり立つ」は即ち人が意気壮烈なので、「いきまく」は即ち人の気が風動火燃しようとするのを云い、「いきざし」は心が向い目指す所を心ざしと云うのと同じく、人の意気の向うところを云う。「いきほひ」は
気暢もしくは
気栄の義、「いかる」は
気上るの義で、古書の『挙痛論』に、「怒るときは即ち気上る」とあるのに
吻合(ぴったり合う)しているのを見ても、地に
彼此れの別があっても人に東西の差の無いことを思う。
憂悒の義の「いぶせし」は
気噴狭しの意で、憂える者の
気噴が伸びやかでない
様の実際に
副っている。これも「悲しむ時は即ち心系急に、肺
布き
葉挙って
上焦通ぜず」と『挙痛論』に説けるのに応じている。「いきどほり」は怒りを発せず、気が
滞り
徘徊して
已まない「いきもとほり」の約であろう。
厳し・厳つし・厳めい、
啀むの類の語も、深く基づくところを考えれば、みな
気息に関係しているのかも知れない。これ等の語は気の「いき」の義であることを表わすと同時に、気息に掛けて人身状態を表わしているので、実に気息は人の心理や身状と離れない関係があるからである。気が有るは即ち生があるので気を失えば即ち死ぬことは、
韓嬰(前漢、『韓詩外伝』の著者)の伝を待たないでも自然と明らかなことである。
で、人の心身に係わる或る意味を表わすことに於いて、漢字の気の字も、邦語の「いき」という語も、気息の義から一転再転三転して、甚だ含蓄の多い字となり語となっている。色・酒・財・気と連ねて言うときは、気一字でも気息の義ではなく、威張ったり怒ったりすることの方になっている。「いきの荒い」と言うときは、気息の荒いというよりは勢いが烈しいということになっている。酔って凶暴になるのを古い語に「さかがり」というのも、
酒気騰の約である。神気・血気・才気・真気などと云う語は
姑らく措いても、『老子』の「気を
専らにして柔を致す」と云い、「万物陰を負いて陽を抱く、
沖気以って和を為す」といい、『孫子』の「気を併せ、力を積む」といい、『張耳』の「客等が生平気を為す」といい、『関尹子』の「
豆の中に
鬼を摂し、杯の中に魚を釣り、画門開くも、土鬼語るも、みな純気の為す所なり」といい、『荘子』の「座を安くし気を定む」といい、「静ならんを欲すれば即ち気を平らかにし、神ならんを欲すれば即ち心を順にす」といい、『管仲』の「人足らざれば即ち逆気生ず、逆気生じてそして令行われず」といった類は、みな気息の義から出たものにせよ、気息の義即ち気なりとしては意義を失う、それらの気の義は人の心が或る
作用を為すものと見る含蓄の甚だ多い語として見るのが至当である。
しかしこの
条では気息以上に及ぶ気の事を説きたくないから、それ等は措いて
尚少し気息に関した事を語るなら、「道者は気を足に引く」といい「猿は寿八百、好くその気を引く」といえる類は、大体気息の気と解釈して良いようだが、
尚かつ気息の義のみではない。
踵に於いてする真人の気息のことは『南華真教』(『荘子』)その他の道教に見えているが、それも気息の義だけと解しては通じない。「おきなが」の術は道家から出たものか、日本古伝であるか明らかでないが、「おき」は
気息で養生全命の道であるとされているもので、道家の胎息内息、仏者の調息数息の道に似ている。これも心理と気息とを合わせて処理するところにその術の核心は有ると思われる。いわゆる「おきなが」は単に
気息長としては面白味を幾分か失う。この頃行われる腹式呼吸等の説は、突然として新出したものではない。それに類した事は二三千年の昔から行われており、医家・道家・仏家の間には歴々とした存在の跡を認め得る。「いくむすび」「たるむすび」「いくたま」「たるたま」の教えは日本の神伝であろう。そしてその教えに連なって気息に関する事の存在しているのも神伝であろう。いきが単に鼓肺運血の事を為すだけでなく霊妙な作用があることは、昔から伝わっていることで、『延喜式』にしばしば見える
の字や、『江家次第』に「
人形をもて
けさしめ給う」と見える
の字は、『老子』に早く見えた字であるが、
嘘祓禊(暖かい息を懸ける、禊とお祓い)の道は必ずしも支那伝来でなく、日本神伝に自然とそういうものが存在していたと思われる。気息の道を以って正を保持し邪を駆逐し、病を
厭い寿を
全うする事は、仏家にもまた存在していたことで、
吹気・呼気・嘘気・
呵気・
熙気・
師気の
六気は天台(天台宗)の智者大師が示した六気である。吹気は吹いて冷やかにする気、呼気はダン気、嘘気は出気、呵・熙・師三気は『科解』にも全くこの字体無しとしてあり、全く字の
態を以って義としないとあるから、ただその帯びる声を取るので、呵気は「かー」という声を帯びた気、熙気は「きー」という声、師気は「し」という声を帯びた気をいうのである。そしてその調子は、呵は商、
吹呼は羽、嘘は徴、熙は宮、師は角であると伝えられている。これ等の六気を以って治病保身の法を説いているであるが、この気が「いき」の義であるのは疑うまでもない。およそこの条に挙げたところは、気の「いき」として理解すべきものがあることを言ったのである。
以上に挙げた以外に、百姓怨気なしといえる怨気、争気ある者は
与に弁ずる
勿れと云える争気・憤気・怒気・喜気・
妬気など人の感情として理解すべきものも有れば、老子が孔子を評して
驕気ありと云った驕気、「陳元龍は湖海の士、豪気除かず」と
許(中国後漢時代末期の政治家)が評した豪気・老気・高気・福気などの邦語の「ようす」に相当するようなのも有り、村気・工気・匠気・乳気などの、田舍くさい・職人くさい・乳くさいと解釈して適切なものもある。気の語の用い方は区分し総合して説けば
幾様にも分けられて中々際限がない。なので、気の根本の義及び用語例の列挙や分類はこのくらいで止めて、人の気分気合の上にかかる気に就いて語ろう。
人には器と非器とがある。人の器と非器とを合わせて一ツの人が成立つのである。臓腑から脳髄・骨骸・筋肉・血液・神経・
膚髪・
爪牙等に至るまで、眼で見ることができ手で触ることができ空間を塞いでいるもの即ち世の、呼んで身とするものはこれ器である。その人の器の破壊されない存在は即ちその人の存在である。また眼で見ることのできない手で触ることのできない空間を
塞ぐことなく存在する名づけ難く
捉え難いものがある。世は漠然と之を心と呼ぶのであるがこれ即ち非器である。非器が損傷されない存在は即ちその人の存在である。この器分と非器分とを合わせて呼んで人というのである。真実をいえば器も非器も仮の名である、身も心も便宜上の呼称である。人というものをXとすれば、身はXより、料簡・感思・命令等を為すものを除き去ったものを仮に名づけて身というのである。数式にすれば、
X=人
X−(A+B+C+……………)=身=器
というに
止まる。心はまたいわゆる身を人から減じ去ったものをいうに過ぎない。之を数式にすれば、
X−{X−(A+B+C+……………)}=心=非器
というに過ぎない。そして両者を合わせて、
X=X−(A+B+C+……………)+X−{X−(A+B+C+……………)}
というに過ぎない。数の誤りはないが表示式が長くなるばかりでXがどう処理解決されたというのでもない。従って心も身も
尚かつXを脱し得ない数式で表わされているに過ぎない。たとえA・B・Cより進んでD・E・F・Gと既知数を多く増したところで同じ事である。しかし便宜上から器と非器とを分かち身と心とを分かって、呼称を便利にしているのが自然の勢いなのである。
器分を離れて人は存在しない。非器分無しでも人は存在しない。器分を離れたり非器分を離れたりして人が存在するということは、詩境以外には想像することさえ甚だ難しいのである。キリスト教の霊魂や小乗仏教の我体は、器分と分離して後
尚審判を待ったり、六道に
輪廻したりしていること、提灯から脱け出してローソクが
尚光っているようで、またランプが壊れて
終って芯も油壺も別々になっても
尚光りが存在するようで、また電球が砕けてしまっても
尚光が存在するようである。それは実に玄妙でもありまたそういう理屈も存在する。しかしそれは圏外の玄談である。世人の間でも死んだ人には幽霊があり生きている人には
生霊があると言われている。それも実にそうで幽霊も無くはない生霊も有ることである。が、それらは現実の話では無いのである。有ると思っているものが実は無いものだという理由を話さなければ、無いと思っているものが実は有るものだということを示すことは難しい。神の道を棄てて動物の道を真とし、卓絶した智見を排除して、普通智識を以って一切を律する多数本位の今日の世の中では、身を離れて人が存在するなどということを思う者はいない。心が無くても人というものが成立つなどと思う者の無いのは知れきった事である。
器分は非器分を離れて存在出来るだろうか。また非器分は器分を離れて存在出来るだろうか。器分即ち非器分で身即心ではあるまいか。非器即器で心即身では有るまいか。昔の人は或いは身を外にして心があることを思い、或いは心を外にして身があることを思い、身心を分離し得るように考えた者もある。その思想の由来は、人は死んでも身は
尚存在しているが、思い考え命令をする根本のものがないことを見て発したのだろう。また身が少しも動かないのにその思い考え命令をする根本のものの働きに似た夢というものを認めたことより発したのでもあろう。また身の欲する所と心の欲する所が相反するような場合、即ち欲と道義心とが相争う場合などを省察した結果から発したのでもあろう。しかし死の場合は身が
尚存在しているのに心が遊離するのではない。死ぬ時には身もまた破壊されないで存在する訳にはいかない。或いは心臓鼓動が力尽き
若しくは障害により、或いは脳血管の破れにより、或いは不時の失血多量により、或いは呼吸器障害もしくは欠損により、或いは脳の血液供給が得られないことにより、或いは体温の
昂騰により、その他種々の器分の破壊が生じることによってその死を招く、破壊欠損が生じると同時に死ぬのである、
稀には非器分が大打撃を受けて死ぬことも有るが、しかしその死と同時に器分の或る物が破壊欠損されるのは疑えないことである。死の因、死の縁は種々無量であるが器分の破壊欠損なしに死ぬということはない。ただその外の皮膚形骸が破壊欠損されないで身は
尚生きているようで、心鼓休み呼吸停止になり心神が去るのを見て、非器分と器分とが分離できるように考えたのであろう。そして稀に有る蘇生者の談話は非器分の遊離を思わせ、また他世界の存在をも思わせるのに
与かって力があっただろう。ただし蘇生者が多く他世界の話をすることは、例えば智光の古談ではその人が真に死んでいないで不完全ながらも脳作用が継続していたことを証明するものであり、また微量ながらも脳に向って血液が供給されていたことを語るものである。夢は心理及び生理の併合作用である。もしくは生理より
惹き起こされる心理作用であるとして差支えない。身の欲するところと心の欲する所とが相反する場合も、詳しく省察すれば碁の争いのようなもので交替闘争である、同時闘争では無い。一室一主である一室二主では無い。
尚詳しく省察すれば転々して休まない一ツのサイコロが或いは一を示し或いは六を示しているようなもので、
本はこれ一物体である。瞬時に於いては二者相対していないのである。このように見ると身心は分けることができない。
しかし我身を見ると我が得たものでは無いようなものが有り、我が意識しない運動が行われているのを覚える。肺臓・心臓・胃・腸などは、我が生を得た後に運動しているので無い事は明らかである。爪・髪などが、我に属してはいるが、我が考え思い命令をするものとは甚だ遠い距離にあることも明らかである。髪などは死んだ後も尚その生長を続けるのである。これ等の物は我の部分のようで、また外物のようで、
庭前の松柏や路傍の石粒と同一視は出来ないけれども、しかしまた我と相遠いことを覚える。このようなことが昔の人に身心は分離して考えるに至らせた一端でもあろう。肺臓・心臓などが我々に近いことは、髪や爪とは大いに異なっている。しかし我々は我々の肺臓や心臓がどんな状態をしているのかも解剖学の図画や模型または他人の実物を目にすること以外には知らないのである。盲腸のように生活状態の変化した今日の我々にとって、何の用もなさずに却って病気を与える以外には作用の無い物が体内に存在していることは、我々が考え、思い、命令をするものから言えば、摘出し駆除したいと思われるものである。これは我の中の矛盾である。腸の無用の長さなども我々が爪を
剪ように容易に短くできるなら、或いは之を短くしようとするだろう。これも我の中の矛盾に近い。このように我の中に我の取得で無いようなものがあり、また矛盾をさえ感じるものがあるくらいであるから、仮に我を分けて二とし、身と心とにし、器と非器とにするに至るのも無理はない。このように見ると身心は分けて取り扱うべきである。
身心は分けて考えるべきであるようである。しかし、詳しく考えると一分の器を減じる時は一分の非器を減じ、三分の身を減じる時は三分の心を減じ、全分の器を減じれば全分の非器を減じるに当たる。即ち身心は分けることができないことを思わずにはおれない。両腕を切り落し
両脚を切り去っても生命が存在する以上、心も欠けずに存在しているようである。しかし腕と脚を失った上に、心の中で腕や脚の働きに用いた把握歩行等の事に就いての心作用、即ち命令その他の権力は失われているのである。例えば一国の当主が或る郡県を失ってその国が小さくなったようなものである。また眼を失ったと仮定すれば視界は滅し、鼓膜を破ったとすれば聴界は亡び、嗅覚の障害を得れば
香の世界は法滅する。ここに若し人があって、
手脚無く、
眼無く、鼓膜無く、嗅覚無く、そしてまた生殖能力を除去されたとしても、生命の存続だけは保ち得るのである。しかしその人の心は、心の伝達の器、及び心の接受の器の大部分を失っているのであるから、仮に身心を二つの異なったものとしてもその心の作用、及び作用を
惹き起こす
因を欠いていて、つまりは普通人の心の二分の一、ないし三分の一、ないし四分の一しか力も無ければ実質も無いことになる。若し極端に想像して頭骨内の物だけで生存している人が有り得たとした時、さてその人の心はどうだろう。自意識は
尚存在するだろうが外界を認めることも外界に認めさせることも不可能になっては、有っても無いようなものだろう。記憶は心内のものと普通の人は考えている。しかし記憶もまた或る器分即ち脳の或る部分に刻印されて存在しているものであることは、負傷によって脳を欠損した人が記憶を失くすことによって明らかである。淫念も心内のものと普通の人は考えている。しかし淫念もまた或る器分即ち生殖系器の発達に伴って
萌し来るもので、造精器の摘出によっては殆んど滅亡するものである。フレノロジストの主張のように、脳の或る部分が或る才能或る情感の
寓居であるか否かは未確定といえども、要するに器分と非器分との間には脱し難い連鎖があり、器分が一を減ずれば非器分が一を減じ、器分が一を増せば非器分が一を増すことは争えない事実である。
もちろん我々の生存を便宜にする為に、複雑霊妙な応酬作用や代償作用が行われるのであるから、器分非器分の増減関係は必ずしも正比例的にのみには発生しない場合がある。しかし大体に於いて、仮に器分非器分の二ツを立てれば、器分と非器分とは相応交和しているものである。たとえばここに一空瓶があるとすると、その瓶内の空間の立方積はその瓶内に充ちた空気の立方積と同じである。二者即一、一者即二、身心と分け、器分非器分と分けるのもつまりは仮の名である。今尚
飢えに備えて食溜めをするエスキモー以外の人類の盲腸は年々に縮小しているのである。切り取らなくとも長い間には消滅するだろう。
双生児を生むことが減って婦人の複乳はその痕跡すら滅多に見なくなっているではないか。我々の腕力は原始時代には驚くほど大であったに疑いないが文明の進歩と共に衰えて今のようになったので、
稀に見る怪力の所有者は発達の新現象ではなくむしろ旧現象の残存というべきものだろう。仮に分けて名付けた心が身に先立てば身は心に随って後を追って次第に一ツとなり、身が左の方へ進めば心も左の方へ伴って行き、心身一即二、二即一の妙趣を不断に繰返すのである。仏教渡来以後、邦人の身体は必ずその思想と共に変化したのは疑いない。
生臭を食うことを
忌むようになって、邦人の思想は身体と共に変化したのは疑いない。現代の青年の思想が旧来に依らないのを驚くより前に、その父母等が昔は牛肉丸という丸薬によって
稀に牛肉を味わい、
家猪・
野猪・野獣を甚だ稀にかつ
密かに食い、シャモやカシワはの鍋屋さえ甚だ少なかったほど、肉食をすることが極めて稀であったその昔に引替えて、
仮名垣魯文(江戸末期から明治初頭にかけての戯作者)の
安愚楽鍋(魯文の滑稽本)時代から次第に盛んに前代人の卑しみ嫌ういわゆる二足四足を食って、その後に生み出した子が現代の青年である事を思わなければならない。身心は二即一である。身が既に変わって来ているのだから思想が変わって来るのも当然である。西洋思想の伝播の
故だけではないのである。アサガオの色は土壌のアルカリ分酸分の多少によって異なって来る。人の思想の傾向は食物によって体が変り体が変ると同時に変って来る。「
養は
体を移す(栄養は身体を変える)」とは古賢の説くところだが体移れば思想も移るのである。仏陀は生臭を禁じている。「生臭を喫すれば悪魔その
脣を
舐める」とまで説いている。戒律が煩瑣で過酷で禁則が
細々しているのも、つまりは身心不二の
故に、身を
如法(教えのとおり)にするには心を如法にし、身を不如法にする時は心を如法にすることができないからである。形式と精神とを分離して考えるのは形式を破棄するには好都合であるが、口に精(栄養)を取り粗食をやめて内(自分)を尊んで外(形式)を忘れて、先ず
律儀(義理)を破るのは大坂城の外濠を埋めたようなものである。明治以前の旧思想旧感情の外濠は既に埋められている。現代青年をどんなに
咎めても、
真田幸村(大阪夏の陣)や
後藤基次(大阪夏の陣)の余命は幾らも無く、いろいろの立派な由緒ある古いものは新時代には高塚となって
遺るだけだろう。余談に渉ったが心・身・器分・非器分の別は実に仮の名である。
仮の名ではあるが、東といい西という名目のあるのは便利である。器分と非器分とを仮に立てておくのも甚だ便利である。さて既に器と非器とを分ければ、器は単独の器でなく非器は単独の非器でない、或いは器が非器を率い、或いは非器が器を率い、或いは器と非器と一ツにして分けられない状態となり、或いは器と非器と二ツにして相対するような状態となり、或いは器が非器を超越し、或いは非器が器を超越し、その他
千様万態の様相を生じる。この器と非器との交渉のところを気と名づけるのである。その気の
象を某の気某々の気というのである。体に体格があり性に性格があると仮定すれば、体格と性格との交渉のところを気というのである。体格はもと仮定である、体は時々刻々に変化する。性格はまた本来は仮定である。性は時々分々秒々に変化して行くものである。器も瞬間々々に変化して行き、非器も
念々に変化して行き、
掲諦(悟りました)の一声が地に落ちて死に絶えて
本に還えるまで、移り
遷り変り
易って
止まないのが人である。この人の
未だ死なないのを気が存在するといい、この気の痕が無いのを死というのである。まさに為そうとするものを生気といい、為さないのを死気といい、為そうとして為していない、為そうとしないで
未だ為さないのを余気という。一気が存在すれば気の
象があり、気の象があれば、善と悪と正と偏と吉と凶と純と
駁と生と死と陰と陽と、種々般々の差別がある。普通生理と普通心理との会、異常心理と異常生理との会、普通生理と異常心理との会、異常生理と普通心理との会、みな之を気という。気は心を
率い、心は気を率い、身は気を率い、気は身を率い、外物は気を率い、気は外物を率い、他気は気を率い、気は他気を率いる。内に
省みるも、外に対するも、学を為すも、事に従うも、情を御するも、智を
役するも、芸に遊ぶも、神に仕えるも、道に殉じるも、悪に堕ちるも、人間一切の事象は全て気の働きがするのである。この気を徐々に良くしてゆく、之を気を
錬るという、錬りに錬ってこれ以上錬る必要がなくなることを、気を
化するというのである。(関尹子に行気・
煉気・化気の説があるがこれには関係しない)人の気に就いての言説はこれに止めておく。
人を器非器と仮に分けるように天地宇宙を器と非器とに分けることには無理がある。しかし人も
本は器非器二即一である。或いは器だけとも観じられ、或いは非器だけとも観じられる。唯物論も唯心論も、その通じる処を既知とし、その通じないところを未知とすれば皆成立ち得る。
否、そのような説を立てなくとも
本は自然に即一である。それを仮に分けて、身心の二、器非器の二にするのである。天地宇宙にその心とか非器分とかいうものが、存在することを認めること、我々の心から非器というものを認めるようなことは、我々の感覚にはない。しかしキリスト教の神の思想は、天地宇宙を人格化して、あらゆる見ることができるもの触ることができるものをいわゆる物質を身とし、神を心としているのに近い。キリスト教以外の思想でも宇宙には不可知の大主宰者がいるとする思想は皆
不知不識の間に宇宙を器とし、そして非器のものが在って之を
総べて統合するもので、自然に我々の思議の及ぶ限りの範囲を我々の身のように取扱い、そしてその中心を漠然と想像して之に主宰者・造物主等の名を負わせているのに近い。換言すれば宇宙全部を、我々そのものを拡大したように取扱っているので、人の免れることが出来ない人中心の論が最大に発展したものである。正直な思索や直覚の最大輪郭がこのようになるのは人がすることだから不思議はない。この宇宙の主宰者、宇宙の心というようなものが有るか無いかはここでは論じないとして、宇宙がこのように生き生きと活動しているにつけて、宇宙を器分と非器分とに仮に分ければ、日・月・水・陸等は器分で、一切の運行活動の
由って生じる根本のものは非器分で、二者の交渉がある間がこの宇宙の存続で、その関係の破壊がこの宇宙の死滅である。そこでこの宇宙が存在し生息する間はそこに気というものが存在することを認めて、地に地の気有り、天に天の気有り、水に水の気有り、草木に草木の気有り、一切万物に一切万物の気が有るとする。北に北の気有り、南に南の気有り、高山に高山の気有り、深谷に深谷の気有りとする。時季は手にも捉へ難く眼にも見難いものである。しかし時季というものが存在してそして運行する以上は、何物が之を運移流行させているか知らないが時季にも時季の気有りとする。すべて運動し作用するものを、その当体と本因とに分ければ、その当体と本因との相交渉する所を気と名付け、運動有り作用有るところを気有りとする。
気と気との親和・協応・交錯・背反・衝突・相殺・相生・反発・
掩蔽等の種々の状態、一気の生・少・壮・老・衰・死等の種々の状態、一日の人の気・一日の時の気・一節ないし一年・十年・百年・千年・万年・万々年の気・一人の気・一交友団の気・一階級間の気・一職業団の気・一国の気・一人種の気・一世の気これ等の或いは短・或いは長・或いは小・或いは大での気の種々状態を観察し、判断評価し、導入し、運用し、精選し、丹精し、浄化し、精錬して、そしてその微小なものは、一瞬の心懐を
快くし、一事の功を成し、一心の安を得るより、その大なものは天下万々年億兆の気を一団の嘉気とするに至る。之を気の道と言うのである。