源氏物語

紅葉賀

紫式部

與謝野晶子訳




青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心
は下に鳴れども      (晶子)

 朱雀すざく院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことにりすぐって行なわれるという評判であったから、後宮こうきゅうの人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。みかど藤壺ふじつぼ女御にょごにお見せになることのできないことを遺憾に思召おぼしめして、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
 源氏の中将は青海波せいがいはを舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将とうのちゅうじょうだった。人よりはすぐれた風采ふうさいのこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山みやまの木というより言い方がない。夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことにえて聞こえた。同じ舞ながらもおもてづかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽かりょうびんがの声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わってそでが下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手のほおが染まって常よりもまた光る君と見えた。東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。
「神様があの美貌びぼうに見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」
 こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。
 藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。その夜の宿直とのいの女御はこの宮であった。
「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
 宮はお返辞がしにくくて、
「特別に結構でございました」
 とだけ。
「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手じょうずであっても、無邪気なえんな趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉もみじの日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」
 など仰せになった。
 翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。

物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うち振りし心知りきや

失礼をお許しください。
 とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。

から人の袖ふることは遠けれどにつけて哀れとは見き

一観衆として。
 たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那しなにおける青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分にきさきらしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のようにひろげて見入っていた。
 行幸の日は親王方も公卿くぎょうもあるだけの人が帝の供奉ぐぶをした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池をぎまわり、唐の曲も高麗こうらいの曲も舞われて盛んな宴賀えんがだった。試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが魔障ましょう耽美心たんびしんをそそりはしなかったかと帝は御心配になって、寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、御親子の情はそうあることと思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた。楽人は殿上役人からも地下じげからもすぐれた技倆を認められている人たちだけがり整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督さえもんのかみ、右衛門督が左右の楽を監督した。舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古けいこの成果をここで見せたわけである。四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風はほんとうの深山みやまおろしのようであった。いろいろの秋の紅葉もみじの散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。かざしにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になってさっと時雨しぐれがした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。
 美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊をかむりして、今日は試楽の日にえて細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。物の価値のわからぬ下人げにんで、木のかげや岩の蔭、もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙をこぼしていた。承香殿じょうきょうでんの女御を母にした第四親王がまだ童形どうぎょうで秋風楽をお舞いになったのがそれに続いての見物みものだった。この二つがよかった。あとのはもう何の舞も人の興味をかなかった。ないほうがよかったかもしれない。今夜源氏は従三位じゅさんみから正三位に上った。頭中将は正四位下が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生ぜんしょうですばらしい善業ぜんごうがあったのであろう。
 それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。その上紫の姫君を迎えてからは、二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度そんたくをして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気うわきな心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない、それがわからない間はまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が少しのことで源氏から離れるような軽率な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦としてその人を思う愛にはまた特別なものがあった。
 若紫はれていくにしたがって、性質のよさも容貌ようぼうの美も源氏の心を多くいた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人なにびとであるか知らすまいとして、今も初めの西のたい住居すまいにさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身も始終こちらに来ていて若い女王にょおうを教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。事務の扱い所を作り、家司けいしも別に命じて貴族生活をするのに何の不足も感じさせなかった。しかも惟光これみつ以外の者は西の対の主の何人なにびとであるかをいぶかしく思っていた。女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいる間は紛れていたが、夜などまれにここで泊まることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、悲しがって泣いたりするおりがあるのを源氏はかわいく思っていた。二、三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりする時は若紫がまったくめいり込んでしまっているので、母親のない子を持っている気がして、恋人を見に行っても落ち着かぬ心になっているのである。僧都そうずはこうした報告を受けて、不思議に思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であった時も源氏は厚く布施ふせを贈った。
 藤壺ふじつぼの宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦おうみょうぶ、中納言の君、中務なかつかさなどという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが自分をおさえながらただの話をしている時に兵部卿ひょうぶきょうの宮がおいでになった。源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そしてえんな風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐かれんな若紫の父君であることにことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりも打ち解けて見える美しい源氏を、婿であるなどとはお知りにならないで、この人を女にしてみたいなどと若々しく考えておいでになった。夜になると兵部卿の宮は女御の宮のお座敷のほうへはいっておしまいになった。源氏はうらやましくて、昔は陛下が愛子としてよく藤壺の御簾みすの中へ自分をお入れになり、今日のように取り次ぎが中に立つ話ではなしに、宮口ずからのお話が伺えたものであると思うと、今の宮が恨めしかった。
「たびたび伺うはずですが、参っても御用がないと自然なまけることになります。命じてくださることがありましたら、御遠慮なく言っておつかわしくださいましたら満足です」
 などと堅い挨拶あいさつをして源氏は帰って行った。王命婦も策動のしようがなかった。宮のお気持ちをそれとなく観察してみても、自分の運命の陥擠かんせいであるものはこの恋である、源氏を忘れないことは自分を滅ぼす道であるということを過去よりもまた強く思っておいでになる御様子であったから手が出ないのである。はかない恋であると消極的に悲しむ人は藤壺の宮であって、積極的に思いつめている人は源氏の君であった。
 少納言は思いのほかの幸福が小女王の運命に現われてきたことを、死んだ尼君が絶え間ない祈願に愛孫のことを言って仏にすがったその効験ききめであろうと思うのであったが、権力の強い左大臣家に第一の夫人があることであるし、そこかしこに愛人を持つ源氏であることを思うと、真実の結婚を見るころになって面倒めんどうが多くなり、姫君に苦労が始まるのではないかと恐れていた。しかしこれには特異性がある。少女の日にすでにこんなに愛している源氏であるから将来もたのもしいわけであると見えた。母方の祖母の喪は三か月であったから、師走しわすの三十日に喪服を替えさせた。母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手はでにはせず濃くはない紅の色、紫、山吹やまぶきの落ち着いた色などで、そして地質のきわめてよい織物の小袿こうちぎを着た元日の紫の女王は、急に近代的な美人になったようである。源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、ちょっと西の対へ寄った。
「今日からは、もう大人になりましたか」
 と笑顔えがおをして源氏は言った。光源氏の美しいことはいうまでもない。紫の君はもうひなを出して遊びに夢中であった。三尺の据棚すえだな二つにいろいろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などを幾つも源氏が与えてあったのを、それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
儺追なやらいをするといって犬君いぬきがこれをこわしましたから、私よくしていますの」
 と姫君は言って、一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
 言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて真似まねの参内をさせたりしているのであった。
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳とおより上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人おっとがいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をおきするのもおうるさがりになるようなことではね」
 などと少納言が言った。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとして言ったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人は皆醜い顔をしている、私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。何ということなしにこうした幼稚さが御簾みすの外まで来る家司けいしや侍たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
 源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。例のように夫人からは高いところから多情男を見くだしているというようなよそよそしい態度をとられるのが苦しくて、源氏は、
「せめて今年からでもあなたが暖かい心で私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」
 と言ったが、夫人は、二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、本邸へ置くほどの人は源氏の最も愛する人で、やがては正夫人として公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。自尊心の傷つけられていることはもとよりである。しかも何も気づかないふうで、戯談じょうだんを言いかけて行きなどする源氏に負けて、余儀なく返辞をする様子などに魅力がなくはなかった。四歳よっつほどの年上であることを夫人自身でもきまずく恥ずかしく思っているが、美の整った女盛りの貴女きじょであることは源氏も認めているのである。どこに欠点もない妻を持っていて、ただ自分の多情からこの人にうらみを負うような愚か者になっているのだとこんなふうにも源氏は思った。同じ大臣でも特に大きな権力者である現代の左大臣が父で、内親王である夫人から生まれた唯一の娘であるから、思い上がった性質にでき上がっていて、少しでも敬意の足りない取り扱いを受けては、許すことができない。みかどの愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻のみぞを作っているものらしい。左大臣も二条の院の新夫人の件などがあって、頼もしくない婿君の心をうらめしがりもしていたが、逢えば恨みも何も忘れて源氏を愛した。今もあらゆる歓待を尽くすのである。
 翌朝源氏が出て行こうとする時に、大臣は装束を着けている源氏に、有名な宝物になっている石の帯を自身で持って来て贈った。正装した源氏のすがたを見て、後ろのほうを手で引いて直したりなど大臣はしていた。くつも手で取らないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
「こんないいのは、宮中の詩会があるでしょうから、その時に使いましょう」
 と贈り物の帯について言うと、
「それにはまたもっといいのがございます。これはただちょっと珍しいだけの物です」
 と言って、大臣はしいてそれを使わせた。この婿君をかしずくことに大臣は生きがいを感じていた。たまさかにもせよ婿としてこの人を出入りさせていれば幸福感は十分大臣にあるであろうと見えた。
 源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。
「今日はまたことにおきれいに見えますね、年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
 女房たちがこうささやいている時に、宮はわずかな几帳きちょうの間から源氏の顔をほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。御出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、みかどもすでに、皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、何ともなくて一月もたった。物怪もののけが御出産を遅れさせているのであろうかとも世間でうわさをする時、宮のお心は非常に苦しかった。このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、こんな煩悶はんもんをされることが自然おからだにさわってお加減も悪いのであった。それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことがあって、目だたぬように産婦の宮のために修法しゅほうなどをあちこちの寺でさせていた。この間に御病気で宮がくなっておしまいにならぬかという不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子が御誕生になったので、帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも愁眉しゅうびを開いた。なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、弘徽殿こきでんあたりで言うのろいの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時からつとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、御衰弱も少しずつ恢復かいふくしていった。
 帝は新皇子を非常に御覧になりたがっておいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら源氏は伺候者の少ないすきをうかがって行った。
「陛下が若宮にどんなにお逢いになりたがっていらっしゃるかもしれません。それで私がまずお目にかかりまして御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」
 と源氏は申し込んだのであるが、
「まだお生まれたての方というものは醜うございますからお見せしたくございません」
 という母宮の御挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生き写しであって、別のものとは決して見えなかったからである。宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、何でもないことも捜し出して人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。源氏はまれに都合よく王命婦が呼び出された時には、いろいろと言葉を尽くして宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、今はもう何のかいもなかった。新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」
 と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
 と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。

「いかさまに昔結べる契りにてこの世にかかる中の隔てぞ

 わからない、わからない」
 とも源氏は言うのである。命婦は宮の御煩悶はんもんをよく知っていて、それだけ告げるのが恋の仲介なかだちをした者の義務だと思った。

「見ても思ふ見ぬはたいかになげくらんこや世の人の惑ふてふやみ

 どちらも同じほどお気の毒だと思います」
 と命婦は言った。取りつき所もないように源氏が悲しんで帰って行くことも、度が重なればやしきの者も不審を起こしはせぬかと宮は心配しておいでになって王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、源氏への同情者として宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、命婦はわびしく思っていた。意外なことにもなるものであるとなげかれたであろうと思われる。
 四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。普通の乳児ちのみごよりはずっと大きく小児こどもらしくなっておいでになって、このごろはもうからだを起き返らせるようにもされるのであった。紛らわしようもない若宮のお顔つきであったが、帝には思いも寄らぬことでおありになって、すぐれた子どうしは似たものであるらしいと思召おぼしめした。帝は新皇子をこの上なく御大切にあそばされた。源氏の君を非常に愛しておいでになりながら、東宮にお立てになることは世上の批難を恐れて御実行ができなかったのを、帝は常に終生の遺憾事に思召して、長じてますます王者らしい風貌ふうぼうの備わっていくのを御覧になっては心苦しさに堪えないように思召したのであるが、こんな尊貴な女御から同じ美貌の皇子が新しくお生まれになったのであるから、これこそはきずなき玉であると御寵愛ちょうあいになる。女御の宮はそれをまた苦痛に思っておいでになった。源氏の中将が音楽の遊びなどに参会している時などに帝は抱いておいでになって、
「私は子供がたくさんあるが、おまえだけをこんなに小さい時から毎日見た。だから同じように思うのかよく似た気がする。小さい間は皆こんなものだろうか」
 とお言いになって、非常にかわいくお思いになる様子が拝された。源氏は顔の色も変わる気がしておそろしくも、もったいなくも、うれしくも、身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。ものを言うようなかっこうにお口をお動かしになるのが非常にお美しかったから、自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は尊重すべきであるとも思った。宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。源氏は若宮を見て、また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて退出してしまった。
 源氏は二条の院の東のたいに帰って、苦しい胸を休めてから後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。前の庭の植え込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、目だつ色を作って咲いた撫子なでしこを折って、それに添える手紙を長く王命婦おうみょうぶへ書いた。

よそへつつ見るに心も慰まで露けさまさる撫子の花

花を子のように思って愛することはついに不可能であることを知りました。
 とも書かれてあった。だれも来ぬすきがあったか命婦はそれを宮のお目にかけて、
「ほんのちりほどのこのお返事を書いてくださいませんか。この花片はなびらにお書きになるほど、少しばかり」
 と申し上げた。宮もしみじみお悲しい時であった。

そでるる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまと撫子

 とだけ、ほのかに、書きつぶしのもののように書かれてある紙を、喜びながら命婦は源氏へ送った。例のように返事のないことを予期して、なおも悲しみくずおれている時に宮の御返事が届けられたのである。胸騒ぎがしてこの非常にうれしい時にも源氏の涙は落ちた。
 じっと物思いをしながら寝ていることは堪えがたい気がして、例の慰め場所西の対へ行って見た。少し乱れた髪をそのままにして部屋着の袿姿うちかけすがたで笛を懐しいに吹きながら座敷をのぞくと、紫の女王はさっきの撫子が露にぬれたような可憐かれんなふうで横になっていた。非常に美しい。こぼれるほどの愛嬌あいきょうのある顔が、帰邸した気配けはいがしてからすぐにも出て来なかった源氏を恨めしいと思うように向こうに向けられているのである。座敷の端のほうにすわって、
「こちらへいらっしゃい」
 と言っても素知らぬ顔をしている。「入りぬるいその草なれや」(みらく少なく恋ふらくの多き)と口ずさんで、そでを口もとにあてている様子にかわいい怜悧りこうさが見えるのである。
「つまらない歌を歌っているのですね。始終見ていなければならないと思うのはよくないことですよ」
 源氏は琴を女房に出させて紫の君にかせようとした。
「十三げんの琴は中央のいとの調子を高くするのはどうもしっくりとしないものだから」
 と言って、を平調に下げてき合わせだけをして姫君に与えると、もうすねてもいず美しく弾き出した。小さい人が左手を伸ばしていとをおさえる手つきを源氏はかわいく思って、自身は笛を吹きながら教えていた。頭がよくてむずかしい調子などもほんの一度くらいで習い取った。何ごとにも貴女きじょらしい素質の見えるのに源氏は満足していた。保曾呂倶世利ほそろぐせりというのは変な名の曲であるが、それをおもしろく笛で源氏が吹くのに、合わせる琴の弾き手は小さい人であったが音の間が違わずに弾けて、上手じょうずになる手筋と見えるのである。ともさせてから絵などをいっしょに見ていたが、さっき源氏はここへ来る前に出かける用意を命じてあったから、供をする侍たちが促すように御簾みすの外から、
「雨が降りそうでございます」
 などと言うのを聞くと、紫の君はいつものように心細くなってめいり込んでいった。絵も見さしてうつむいているのがかわいくて、こぼれかかっている美しい髪をなでてやりながら、
「私がよそに行っている時、あなたは寂しいの」
 と言うと女王はうなずいた。
「私だって一日あなたを見ないでいるともう苦しくなる。けれどあなたは小さいから私は安心していてね、私が行かないといろいろな意地悪を言っておこる人がありますからね。今のうちはそのほうへ行きます。あなたが大人になれば決してもうよそへは行かない。人からうらまれたくないと思うのも、長く生きていて、あなたを幸福にしたいと思うからです」
 などとこまごま話して聞かせると、さすがに恥じて返辞もしない。そのままひざに寄りかかって寝入ってしまったのを見ると、源氏はかわいそうになって、
「もう今夜は出かけないことにする」
 と侍たちに言うと、その人らはあちらへ立って行って。間もなく源氏の夕飯が西の対へ運ばれた。源氏は女王を起こして、
「もう行かないことにしましたよ」
 と言うと慰んで起きた。そうしていっしょに食事をしたが、姫君はまだはかないようなふうでろくろく食べなかった。
「ではおやすみなさいな」
 出ないということはうそでないかとあぶながってこんなことを言うのである。こんな可憐かれんな人を置いて行くことは、どんなに恋しい人の所があってもできないことであると源氏は思った。
 こんなふうに引き止められることも多いのを、侍などの中には左大臣家へ伝える者もあってあちらでは、
「どんな身分の人でしょう。失礼な方ですわね。二条の院へどこのお嬢さんがおかたづきになったという話もないことだし、そんなふうにこちらへのお出かけを引き止めたり、またよくふざけたりしていらっしゃるというのでは、りっぱな御身分の人とは思えないじゃありませんか。御所などで始まった関係の女房級の人を奥様らしく二条の院へお入れになって、それを批難さすまいとお思いになって、だれということを秘密にしていらっしゃるのですよ。幼稚な所作が多いのですって」
 などと女房が言っていた。
 御所にまで二条の院の新婦の問題が聞こえていった。
「気の毒じゃないか。左大臣が心配しているそうだ。小さいおまえを婿にしてくれて、十二分に尽くした今日までの好意がわからない年でもないのに、なぜその娘を冷淡に扱うのだ」
 と陛下がおっしゃっても、源氏はただ恐縮したふうを見せているだけで、何とも御返答をしなかった。みかどは妻が気に入らないのであろうとかわいそうに思召おぼしめした。
「格別おまえは放縦な男ではなし、女官や女御たちの女房を情人にしているうわさなどもないのに、どうしてそんな隠し事をしてしゅうとや妻に恨まれる結果を作るのだろう」
 と仰せられた。帝はもうよい御年配であったが美女がお好きであった。采女うねめ女蔵人にょくろうどなども容色のある者が宮廷に歓迎される時代であった。したがって美人も宮廷には多かったが、そんな人たちは源氏さえその気になれば情人関係を成り立たせることが容易であったであろうが、源氏は見れているせいか女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無であったから、怪しがってわざわざその人たちが戯談じょうだんを言いかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのを物足らず思う者さえあった。よほど年のいった典侍ないしのすけで、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であってその点では人を顰蹙ひんしゅくさせている女があった。源氏はなぜこう年がいっても浮気うわきがやめられないのであろうと不思議な気がして、恋の戯談を言いかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。あさましく思いながらも、さすがに風変わりな衝動を受けてつい源氏は関係を作ってしまった。噂されてもきまりの悪い不つりあいな老いた情人であったから、源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。典侍は帝のお髪上ぐしあげの役を勤めて、それが終わったので、帝はおめしかえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などにえんな所も見え、服装も派手はでにきれいな物を着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろからすそを引いてみた。はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、まぶたを張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍げんてんじのを見ると、それは真赤まっかな地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横のほうに若々しくない字であるが上手じょうずに「森の下草老いぬればこまもすさめず刈る人もなし」という歌が書かれてある。厭味いやみな恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、
「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」
 こんなことを言う恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。女はそんなことを思っていない。

君し手馴てなれのこまに刈り飼はん盛り過ぎたる下葉なりとも

 とても色気たっぷりな表情をして言う。

ささ分けば人やとがめんいつとなく駒らすめる森の木隠れ

 あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
 こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
「私はこんなにまで煩悶はんもんをしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
 非常に悲しそうに泣く。
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
 そでを放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作しょさまでも、おめしかえが済んだ帝が襖子からかみからのぞいておしまいになった。不つり合いな恋人たちであるのを、おかしく思召おぼしめしてお笑いになりながら、帝は、
「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
 と典侍ないしのすけへお言いになった。典侍はきまり悪さも少し感じたが、恋しい人のためには濡衣ぬれぎぬでさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係をうわさした。頭中将とうのちゅうじょうの耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。困った多情女である。きわめて秘密にしていたので頭中将との関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて温明殿うんめいでんあたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶びわ上手じょうずいていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾くいとには源氏の心を打つものがあった。「うり作りになりやしなまし」という歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。白楽天が聞いたという鄂州がくしゅうの女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。源氏は御簾みすぎわに寄って催馬楽さいばら東屋あずまやを歌っていると、「押し開いて来ませ」という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。

立ちるる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそぎかな

 と歌って女は歎息たんそくをしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。

人妻はあなわづらはし東屋のまやのあまりもれじとぞ思ふ

 と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。源氏は女と朗らかに戯談じょうだんなどを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜くちおしく思って、素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然今夜の会合を来合わせて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会に少し威嚇おどして、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。それでしかるべく油断を与えておいた。冷ややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配けはいを見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲じちょう的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを知ったのである。典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという噂のある修理大夫しゅりだゆうであろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、
「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。旦那だんなの来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして泊まらせたのですね」
 と言って、源氏は直衣のうしだけを手でさげて屏風びょうぶの後ろへはいった。中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を前から横へ畳み寄せて騒ぐ。年を取っているが美人型の華奢きゃしゃなからだつきの典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわってふるえていた。自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿を直さないで、かむりをゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。ただおこったふうをして太刀たちを引き抜くと、
「あなた、あなた」
 典侍は頭中将を拝んでいるのである。中将は笑い出しそうでならなかった。平生派手はでに作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、この場合は見得みえも何も捨てて二十はたち前後の公達きんだちの中にいて気をもんでいる様子は醜態そのものであった。わざわざ恐ろしがらせよう自分でないように見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀を持つひじをとらえてぐっとつねると、中将は見顕みあらわされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣のうしを着るから」
 と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。
「じゃ君にも脱がせるよ」
 と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、脱ぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。

「包むめる名やでん引きかはしかくほころぶる中の衣に

 明るみへ出ては困るでしょう」
 と中将が言うと、

隠れなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る

 と源氏も負けてはいないのである。双方ともだらしない姿になって行ってしまった。
 源氏は友人に威嚇おどされたことを残念に思いながら宿直所とのいどころで寝ていた。驚かされた典侍は翌朝残っていた指貫さしぬきや帯などを持たせてよこした。

「恨みてもひがひぞなき立ち重ね引きて帰りし波のなごりに

 悲しんでおります。恋の楼閣のくずれるはずの物がくずれてしまいました」
 という手紙が添えてあった。面目なく思うのであろうと源氏はなおも不快に昨夜を思い出したが、気をもみ抜いていた女の様子にあわれんでやってよいところもあったので返事を書いた。

あれだちし波に心は騒がねどよせけんいそをいかが恨みぬ

 とだけである。帯は中将の物であった。自分のよりは少し色が濃いようであると、源氏が昨夜の直衣に合わせて見ている時に、直衣のそでがなくなっているのに気がついた。なんというはずかしいことだろう、女をあさる人になればこんなことが始終あるのであろうと源氏は反省した。頭中将の宿直所のほうから、
何よりもまずこれをおじつけになる必要があるでしょう。
 と書いて直衣の袖を包んでよこした。どうして取られたのであろうと源氏はくやしかった。中将の帯が自分の手にはいっていなかったらこの争いは負けになるのであったとうれしかった。帯と同じ色の紙に包んで、

中絶えばかごとや負ふと危ふさにはなだの帯はとりてだに見ず

 と書いて源氏は持たせてやった。女の所で解いた帯に他人の手が触れるとその恋は解消してしまうとも言われているのである。中将からまた折り返して、

君にかく引き取られぬる帯なればかくて絶えぬる中とかこたん

なんといっても責任がありますよ。
 と書いてある。昼近くになって殿上の詰め所へ二人とも行った。取り澄ました顔をしている源氏を見ると中将もおかしくてならない。その日は自身も蔵人頭くろうどのかみとして公用の多い日であったから至極まじめな顔を作っていた。しかしどうかした拍子に目が合うと互いにほほえまれるのである。だれもいぬ時に中将がそばへ寄って来て言った。
「隠し事には懲りたでしょう」
 尻目しりめで見ている。優越感があるようである。
「なあに、それよりもせっかく来ながら無駄だった人が気の毒だ。まったくは君やっかいな女だね」
 秘密にしようと言い合ったが、それからのち中将はどれだけあの晩の騒ぎを言い出して源氏を苦笑させたかしれない。それは恋しい女のために受ける罰でもないのである。女は続いて源氏の心をこうとしていろいろに技巧を用いるのを源氏はうるさがっていた。中将は妹にもその話はせずに、自分だけが源氏を困らせる用に使うほうが有利だと思っていた。よい外戚をお持ちになった親王方もみかど殊寵しゅちょうされる源氏には一目置いておいでになるのであるが、この頭中将だけは、負けていないでもよいという自信を持っていた。ことごとに競争心を見せるのである。左大臣の息子むすこの中でこの人だけが源氏の夫人と同腹の内親王の母君を持っていた。源氏の君はただ皇子であるという点が違っているだけで、自分も同じ大臣といっても最大の権力のある大臣を父として、皇女から生まれてきたのである、たいして違わない尊貴さが自分にあると思うものらしい。人物も怜悧れいりで何の学問にも通じたりっぱな公子であった。つまらぬ事までも二人は競争して人の話題になることも多いのである。
 この七月に皇后の冊立さくりつがあるはずであった。源氏は中将から参議にのぼった。帝が近く譲位をあそばしたい思召おぼしめしがあって、藤壺ふじつぼの宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない。母方の御伯父おじは皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律になっていたから、母宮をだけでも后の位にえて置くことが若宮の強味になるであろうと思召して藤壺の宮を中宮ちゅうぐうに擬しておいでになった。弘徽殿の女御がこれにたいらかでないことに道理はあった。
「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、その時は当然皇太后になりうるあなたなのだから、気をひろくお持ちなさい」
 帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことであるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろに言う者があった。
 儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。后と一口に申し上げても、この方の御身分は后腹の内親王であった。まったい宝玉のように輝やくお后と見られたのである。それに帝の御寵愛ちょうあいもたいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。道理のほかまでの好意を持った源氏は、御輿みこしの中の恋しいお姿を想像して、いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと心になげかれた。気が変になるほどであった。

つきもせぬ心のやみにくるるかな雲井に人を見るにつけても

 こう思われて悲しいのである。
 若宮のお顔は御生育あそばすにつれてますます源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者はないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌びぼうを見うることはないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように似ておいでになると世人も思った。
(訳注) この巻も前二巻と同年の秋に始まって、源氏十九歳の秋までが書かれている。





底本:「全訳源氏物語 上巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年8月10日改版初版発行
   1994(平成6)年12月20日56版発行
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入力:上田英代
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2003年7月12日作成
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