短く語る『本の未来』

富田倫生




この小さな本の成り立ち


 一九九七年の二月、私はアスキーから『本の未来』を上梓した。

 松籟社という京都の学術出版社の相坂一さんが、この本を読んで、連絡をくれた。
「電子出版に興味を持っている知り合いの新聞記者に紹介したい」
 上京された際に待ち合わせ、長く話し込んで別れる間際、相坂さんはそう添えた。

 相坂さんの頭にあったのは、讀賣新聞大阪本社文化部の井上英司さんだった。
『本の未来』に加え、『パソコン創世記』も読んでくれた井上さんは、同紙の「潮音風声」という欄に、コラムを書かないかと誘ってくれた。

 井上さんは、私より少し若かった。
 神戸の甲陽学院高校では、アスキー社長の西和彦さんと同期だったという。高校時代から西さんは特異な才能を感じさせていたようで、「シルクスクリーンで玄人はだしのレコードジャケットをデザインしていた」ことが、井上さんには印象深かったらしい。
「出版とパソコンの双方に興味を持っている」という井上さん相手のやり取りはついつい弾んで、電話も長くなった。

 私たちが同じ病気を患っていたことも、二人の話を長引かせた。

 一つ一つはごく短かったが、コラムの原稿は連載で十本書くことになった。
 締め切りが近づくと、「会社だけでなく、自宅にもファックスしてほしい」と連絡が入った。
 体調が優れず、自宅療養と可能な限りの在宅勤務となるかも知れないと言う。

「面白く読んだ」というファックスは、自宅から届いた。
 途中まで井上さんが送ってくれたゲラが、終わりまぎわの数回分、別の人から送信されたのが気になった。

 最後の連絡を取り合ってから半年が過ぎた十一月二十九日、相坂さんから電話が入った。
 前日、井上さんが他界されたという。

 受話器を取ったときは、青空文庫のための文章を書いていた。
 あのコラムをまとめながら考えていたことを、形に変えたいと願って、私は文庫の試みに加わった。

「この文章を書き終えたら、井上さんが書かせてくれたあのコラムを、小さなブックにまとめよう」
 そんな思いが浮かんで、やっともう一度、キーボードに手をのせることができた。

 以下の原稿は、一九九七年六月十日から二十三日にかけて、讀賣新聞大阪本社版夕刊に掲載されたものである。
 執筆の機会を与えてくれたのは、丸い声でひょうひょうと話す、井上英司さんだった。


リターンマッチ


 絵本作家の長谷川集平さんから、突然メールが届いた。電子本について書いた、『本の未来』を読んでくれたという。

 紙の本を作ろうとすれば、印刷所の世話になるしかない。金がかかるし、まとめないと一冊が割高になる。それが電子本なら、自前のコンピューターで作れる。じゃんじゃんコピーして配れる。通信なら、どこにでもすぐに送れる。読むのにもマシンがいるが、なかなか面白い。

 七年ほど前、病気をして、活字の仕事を続けられなくなった。その時、電子本を知り、これなら自分一人で出せるとひらめいた。書くことに、もう一度手がかりができた気がした。以来、実際に作っていく中で、考えたことをまとめたのがその本だ。

 読後感に長谷川さんは、「この手がある。目の覚めるような思い」と書いてくれた。メールにあった住所を頼りに、長谷川さんのホームページをのぞいた。『音楽未満』という著書が品切れになった。読みたいという人はいる。けれど出版社は「二千部注文が集まらないと増刷できない」とはねつける。書き手の願いと読み手の思いを、算盤勘定が阻む。そうした仕組みに依拠しなければ、本が作れない現状への悲しみと怒りが綴られていた。

 メールには「あの富田さん?」ともあった。十五年前、私は小さな出版社を起こす話に加わった。『はせがわくんきらいや』という絵本に魂の奧をつかまれ、この作家の本を出したいと願った。だが、原稿を用意してもらいながら、取次店の口座を開けずに、私たちは空中分解した。本を作っても、取次に扱ってもらえなければ書店には流せない。この敷居がとても高い。あの時も私は仕組みに負けて、不義理だけを残した。

 だがリターンマッチのリングはここにある。私と集平さんが、そこにもう一度立っている。


著作権が守るもの


 六冊ある私の本のうち、四冊はすでに絶版になっている。どんどん消えて文庫にも入らなかったのは、要するに売れないからだ。商品としての命を終えた本は、自分が書いたものでももう手に入らない。

 本を書くときには、願いが二つある。考えを受けとめて欲しいのが一つ。もう一つは、儲けることだ。書き終えるまでに時間と労力をかけているから、なんとかその分を取り返せないかという気持ちは強い。

 二つ目の儲ける願いには、著作権という用心棒がいる。誰かが無断で本にして、勝手に儲けることは許さないと法律が決めている。ただしこの規定が私を守るのは、書いたものが商品としての価値を持つあいだに限られる。大多数の書き手にとって、著作権との付き合いは長くない。

 一方出版社は、著作権と縁の切れ目がない。書き手になにがしかを渡す代わり、彼らは他者を排除して商品としての本作りを独占する。書き手の守護者のような顔をした著作権の真のパートナーは、出版社に他ならない。

 その出版社が作る紙の本で厄介なのは、売れないと結果が出た時点で、二つの願いの双方が同時についえることだ。金は諦めるから、せめて本として生かしておいてくれないかと申し出ても、出版社には応じる余地がない。売れない本も形の上では資産とされて、税金がかかる。はけるめどが立たなければ、資金をかけて増刷にはできない。かくして本は切り刻まれ、品切れのまま放置される。

 こんな出版の世界で、二つの願いの片割れである「読まれたい」には、助っ人らしきものもいなかった。ガリ版やコピー機、せいぜいプリンターどまりだ。だが私の見つけた電子本の腕っ節は、なかなか強そうで頼もしい。


横丁作家


『先祖調査のすすめ』という本は、いろいろな点でユニークだ。著者の加賀谷健さんは、今年三十歳になる会社員で、パソコンやワープロの商品企画にあたっている。そんな人が、この歳で〈先祖〉などと言い出すのが、まず面白い。

 加賀谷という名字は、子供心に珍しいと思っていた。中学三年の時、父方の祖母と同居して、代々売薬商を営んでいた加賀谷家の昔話を聞いた。思春期の「自分を知りたい」と言う思いが、富山市水橋町のルーツへの興味に繋がった。

 社会人になった年の秋、水橋行が実現できた。市役所で戸籍をたどり、菩提寺の過去帳を調べた。何度目かに水橋郷土資料館をたずねると、展示資料の中に先祖の名があった。一気に胸が高鳴る。古文書の中から、彼らの暮らしが見えてきた。加賀谷家を記憶する人にも話が聞けた。昨日のように語る口調に、確かな深みと重みを持って人と繋がっていた血族の息づかいを感じとった。

 調査の結果と喜びをまとめたくなり、ワープロ版を作って増補を重ねた。やがて、エキスパンドブックという電子本を作るソフトを知る。簡単にきれいな本が作れて、カラーの写真や地図まで入れられる。紙の本よりけた違いに安くできる。今後、母方もたどりたいという加賀谷さんは、「先祖をたどる『自分探しの旅』は、自分の人生そのものかも知れない」と、自作した電子本の最後を締めている。

 開発元のボイジャーは、エキスパンドブックで本を作る人たちを横丁作家と名付けた。私もその一人だ。私たちの作品は、定期的に開かれるイヴェントで展示、販売される。紙の世界では本になれなかった、けれど加賀谷さんのものに負けないユニークな作品が次々と生まれつつある。


電子書店


『先祖調査のすすめ』(加賀谷健著)は、サイバー・ブック・センターで買った。前書きから立ち読みするうち、コンピューター・メーカーの若い会社員が、ルーツを求める話に興味がわいた。付録の写真集を開くと、しっかり資料にあたったんだなと分かった。

 この店では、本をカウンターに持っていく代わり、画面上の購入申し込みボタンを押す。住所氏名を記入すると、数日後にCD―ROMに入った電子本が郵便で届いた。この本屋、実はインターネットの上にある。自分の家のパソコンから覗きに行って、代金は、本といっしょに送られてきた振替用紙で払う。

 店主の一人である木津田秀雄さんは、エキスパンドブックで電子本が作れると知って、先ず出版社をやろうと考えた。費用回収のめどが立たず、紙では本にできないものも、格安の電子本でなら作れる。けれど著者の候補に当たっているうち、考えが変わってきた。書き手を捜したり、出版社に頼ったりするのは、双方にとってやはり不自由だ。簡単に作れる電子本なら、書き手自身が出せる。それが理想だろう。その代わり、みんなの作った電子本を紹介し、流通させる本屋をやろうと考えた。

 注文を受けると、現時点ではフロッピーやCD―ROMを郵送する。インターネットを使っているのだから、そのまま通信で本を送るのがあるべき姿だが、決済の問題があってそこまで踏み切れていない。ただしメンバーで出している無料の雑誌は、すでに送信できるようにした。

 こうした試みで、流通のコストをゼロに近づけられれば、値付けにも冒険できる。現状の十分の一くらいは、挑戦でも何でもないはずだ。二千円の本を一万部売る代わり、二百円を十万部、二十円を百万部売る世界が開けるかも知れない。


本の美しさ


 ウイリアム・モリスの作った羊皮紙の本を見た時は、思わず小さなため息をついた。「漂白した大理石に、黒曜石の細工文字を埋め込み、入念に磨きをかけたようだ」出まかせのそんな表現が頭に浮かぶ。紙の本しか知らない者には想像もできない至上の美を、羊皮紙の本は極めていたのだと、つくづく思い知らされた。

 モリスは十九世紀のイギリス人だ。豊かな実業家の子として生まれ、詩作、建築、工芸とさまざまな分野に才能を発揮した。子供の頃から中世に引き付けられていた彼の表現の根には、過ぎ去った時代への強い憧れがあった。手仕事に美の範を求めたモリスは、理想の本の姿も十五世紀の初期印刷本に見いだした。ケルムスコット・プレスと名付けた工房を起こし、彼は晩年を本の美を極める作業にあてる。すみずみまで美意識を貫き通した本は、紙と同時に、羊皮紙でもわずかずつ刷られた。

 最高級品は子牛。羊に加え、鹿の皮も材料とされた羊皮紙は、東方から伝わった紙が普及するまで、ヨーロッパで長く、本の素材として使われた。美しく破れにくく、質では明らかに紙に勝っている。だが高い。それまでは一冊ずつ書き写すしかなかったものが、活版印刷の技術が生まれ、本の大量生産が可能になったところで、羊皮紙は廃れだす。

 印刷によって、本は知識を広く、素早く広めるメディアとして生まれ変わった。こうした本質的な新しい力を十分に活かすために、人は粗末な紙を選んだ。美は捨てたのだ。

 電子本に対しては、「紙の手触り、美しさを捨てたくない」とする反発がある。けれどコンピューターと結び付くことで、新しい確かな役割が実現できるなら、私たちは本の美をもう一度破壊するだろう。そうなっても、私自身には異存がない。


画面の上の本


 コンピューターで読む本などと言い出すと、「画面で文字に付き合わされるのか」と、まず嫌な顔をされる。毒入りの目薬でも、無理矢理さされる気分らしい。人一倍の電子本読みで、自分でも作っている私自身、現状が読みやすいとは思わない。だが、「読めない」と決めてかかるのも、ある種の信仰だろう。条件を整えれば、ダイヤル式の黒電話を繋いでいた回線がファックスに転用され、じきにコンピューターを結び出す。問題は、何が必要で、それがそろうか否かだ。

〈読みにくい画面〉というイメージの元凶は、テレビである。五十年以上前、アメリカで決められた現在の規格は、贅沢な作りにはなっていない。電波の帯域を広く取らないよう考慮した上で、かろうじて見られる絵をだましだまし描けるくらいですませている。五百二十五本の走査線は一本飛ばしで描き、二回り目で間を埋める。このために画面の高さの五倍くらい離れないと、縞々が目について見られない。

 一方現在のコンピューター画面は、かなり見やすくなっている。放送とは無縁だから、帯域を抑える必要はない。手抜きなしに、すべての走査線を順に描く。これによる改善効果は大きくて、画面高の三倍前後まで近づける。

 性能を改善してなぜ画面に近づくかと言えば、物を見続ける際、最も楽なポイントがかなり近くにあるからだ。二十五〜三十センチにある〈明視距離〉で、我々は紙の本を読む。ここまで近づけるほど解像度が上がれば、画面で読みにくいとは誰も言わなくなる。後は、本や雑誌並みの持ち運びやすさだ。要するに液晶の解像度をもう一段上げることで、電子の紙は実現できる。その日が来るのは、そんなに先ではない。


新しい文章


 コンピューターで読む本を作り始めた当初、新しい環境が文章に影響を与えるとは、思っていなかった。文は文。おさめる器を、作りやすいものに変えるだけと、単純にそう考えた。

『パソコン創世記』という、この分野の歴史を書いたものを電子本にする際、ビデオカメラを買った。性能が桁違いに上がり続けるコンピューターの世界では、古いものはたちまち消える。時代を画したマシンに文章で触れても、見たこともない読者には、イメージが伝わりにくい。そこを電子本なら、動画で救える。かつての名機を探して動く様子を記録し、文章に添えた。すると何カ所かで、筆の及ばなかったところが見事に補われ、まさに一目瞭然となった。

 電子本が生まれた当初、演奏と譜面の流れを連動させ、ベートーヴェンの音楽を見事に解剖した作品に印象づけられた。小津安二郎の映画を、映像を引き出しながら解説するものも面白かった。動きや音を入れられるこうした本が前提なら、あらかじめ文章も書きようがある。不得手な描写は映像にまかせ、言葉は自分の得意なところに集中すればよい。

 急速に広がるインターネットにも、文章が変わる兆しが見えている。普及の起爆剤となった新しい表示形式では、自分のページからリンクと呼ばれる連携の絆を、他人のページに張れる。世界のどこかに詳しい解説があるのなら、この機能で、読者をそっちに導けばよい。本人の直接証言や一次資料が公開されているのなら、要約や引用は避けてリンクする。その代わり、自分しか書けないこと、自分こそ書くべきと信じられることに集中する。文章をおさめる新しい皮袋をコンピューターで作れば、酒もまた新しい形を取りうると思い始めている。


インターネットと電子本


「電子本を作ろう」と決めたのは、一九九三年の春だった。結局二年近くかかったこの作業のあいだは、一人で暗い洞窟にこもり、石に爪で文字を刻んでいたような印象がある。ただ、洞窟の外で、インターネットが急成長している気配だけは感じとっていた。ゴールが見えて気持ちに余裕ができると、とたんにこっちにもはまりこんだ。私自身は電子本から始めたが、インターネットもまた、自分の表現を盛り込むかっこうの器であることは明らかだった。

 ホームページ行脚を続けるうち、可能性を秘めた双方の器に、大きな弱みがあることを意識した。世界のあらゆるページにリンクして、一瞬に飛び回れるインターネットを体験すると、電子本は自分だけの世界に閉じこもっているように見えた。ここからもリンクできれば、参考文献を直接開けるのにと歯がゆかった。一方ホームページは、読みにくいのが辛い。文章の構造をはっきりさせるための技術を転用していて、レイアウトに対する考慮がないためだ。結果的に、行間の詰まった文字を読まされて、目玉が悲鳴を上げる。

 この双方の欠点を解消しようとする動きが、ここにきて成果を上げてきた。アドビ社のアクロバットという技術を使うと、しっかりレイアウトした文書がインターネットでやりとりできる。広報資料を郵便で送ったり、ファックスしたりするのにくらべれば、よほど気が利いている。

 ホームページに電子本を埋め込んだ、ネットエキスパンドブックも面白い。これを積極的に活用した新潮社のオンライン雑誌を開くと、さすが老舗と思わせる内容が、ゆったりと快適に読める。電子本からホームページへのリンクも、可能になってきた。双方の弱みを補い合い、電子出版とインターネットは、新しい世界を開き始めている。


本が消える日


 私は本が好きだ。たくさんのことを本から学び、自分でも本を書いてきた。紙の本の制約を意識しはじめてからは、コンピューターで簡単に安く作れる電子本への期待が膨らんだ。だがこれも本は本だ。それがここにきて、好きなのは本当に本なのか、自信がなくなってきた。

 きっかけは、付き合いの深いエキスパンドブックの変化だ。開発元のボイジャーも私自身も、この道具は電子本を作るためのものと考えてきた。ところが、開発の中心になっている人物が、愛読している電子雑誌を読みやすくするために、いたずらをした。ホームページから文章を横取りし、即席の電子本に仕立てる仕掛けを作ったのだ。行間の詰まった読みにくい文章が、ゆったり組んだきれいな文字で、ページをめくりながら読めるようになった。さらにこの仕掛けに、文書ファイルを受け取る機能が付いた。書き上げた文章はこれまで、紙に打ち出して推考してきたが、電子本の形で読んで、そのまま画面で直せるようになった。すべての文章が、読みやすく化けだした。

 この仕掛けを使い始めた当初は、ただ「快適!」としか思わなかった。それが時間がたつに連れ、本の輪郭が崩れ落ちるような感覚が芽生えてくる。文書を素早く交換するネットワークがあり、一瞬に快適に読める形式に仕立てる仕掛けが加わった。ならばもう、間に明確な〈本〉を存在させなくも良いのではないかと思い出したのだ。

 本が好きで、紙では切り捨てざるを得ないものを救おうと、電子本にのめり込んだ。その結果たどりついたのが、本の死滅の予感である。私を引き付けてきたものはきっと、文章を効率よく交換し、快適に読む仕掛けだったのだろう。それならそれで、今はもう構わないと思う。


この道


 ここしばらく、インターネットと電子本を組み合わせて、自分の考えを思うまま人に示す仕組みについて考えてきた。そのうち、この道がどこに続くのか気になりだした。

 十五世紀の半ば、ヨハネス・グーテンベルクは活版印刷の技術をまとめあげた。手写しするしかなくて、大変な貴重品だった本を量産する仕組みができた。だが彼が初めて作った本を見直してみると、当の本人は印刷の本質的な効果を理解していなかったように見える。手写し時代そのままの、豪勢な作りなのだ。印刷本を簡素化し、量産可能なものに生まれ変わらせるには、幾人もの出版人によるその後の革新が必要だった。さらに印刷本の本質を絞り込んだ彼らとて、本が自分たちの世界をどう変えていくのかは、思い描けなかった。印刷本は、新しい考えを、広く素早く伝える強力なメディアとなった。中世の封建社会から、ヨーロッパが近代的な資本主義国家を築き上げる過程で、人は「ここはどこか、私たちは誰か、これからどこに向かうのか」と繰り返し問い続けた。そこから生まれた新しい考えを、本は素早く広め、社会の変革を促進する触媒の役目を果たした。

 以来、五百年に渡ってその役割を担った印刷本に代わり、私は電子本が新しい触媒となるのではないかと思いはじめている。グーテンベルクのように、そしてあまたの出版人のように、この道がどこに続くかを私は正しく見通せないだろう。だが、直感なら口にできる。

 印刷本は国家を作った。インターネットの電子本は、その境を一瞬に越える。とすれば、生まれつつあるのは、地球規模の枠組みで新しい共通の価値を見いだすための触媒ではないだろうか。私たちが築きつつある新しい文書交換の枠組みの彼方に、私は一つを目指す世界の夢を見る。





底本:「讀賣新聞大阪本社版夕刊」
   1997(平成9)年6月10日〜23日
初出:「讀賣新聞大阪本社版夕刊」
   1997(平成9)年6月10日〜23日
※底本のテキストは、著者訂正稿(1999年8月24日)によります。
入力:富田倫生
校正:富田倫生
1997年12月6日公開
2013年8月14日修正

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