「天に積む宝」のふやし方、へらし方

著作権保護期間延長が青空文庫にもたらすもの

富田倫生




はじめに


 青空文庫に収録された著作権切れ作品は、誰もが、世界のどこからでも自由に引き落とし、さまざまに活用できる。二〇〇五年一〇月で、その数は四九〇〇点を越えた。当初想定していたパソコンでの利用に加え、作品は、携帯電話やゲーム機、各種の小型電子機器でも読まれるようになった。視覚障碍者は、音声に変換して聞く。点字の元データとしても、ファイルは使われる。一九九七年夏の開設から八年、青空文庫の収録作品数は増え続け、利用の裾野は確実に広がってきた。
 その青空文庫の行く手に、黒雲が広がっている。著作権法は、作者の死後五〇年まで、作品の利用に関する権利を保護すると定めている。この期間を過ぎれば、誰にもことわらずに作品を電子化してインターネットで公開できる。その規定を、七〇年にあらためようとする歯車が回り始めた。
 表現は本来、誰かが触れて、学んだり楽しんだりしても、へることも、損なわれることもない。広く受容されることだけに目標を絞って良いのなら、自由な利用にまかせておけばそれでよい。「ならば、作者が死んでもはや権利保護が創作の励ましとならなくなった時点では、縛りを外して利用を促そう」死後五〇年で権利を切ることに、著作権制度は、こんな期待を込めてきた。その願いは、長く空念仏に終わってきたが、ファイルの複製と移動のコストを激減させるコンピュータ技術と結び付いて、手応えのある現実に変わった。保護期間を七〇年に延ばす選択は、インターネットが普及して、まさに今、花開きつつあるデジタル・アーカイブの可能性を制約してしまう。

1 育ち始めた公有作品テキストの樹


 青空文庫をはじめて紹介したのは、一九九七年夏の、大山だった。
 鳥取の今井書店で「代表社員社長」を名乗る永井伸和さんは、出版人と読者の双方に活用される、「本の学校」を設立したいと考えていた。開校予定は、二〇〇〇年。この目標に向けて、同名のシンポジウムが、一九九五年から五年連続で企画された。第三回となったこの年のテーマは、「本と読書の未来」にすえられ、書籍のデジタル化が論議されると聞いた。
 本の電子化には、興味があった。パソコンで作る本なら、作業は自分で担えるし、複製にもほとんどコストがかからない。電子ガリ版のような、敷居の低い、身近なメディアとなって、出版社、印刷所、取り次ぎ、書店と、何につけ大がかりになる紙の出版からこぼれ落ちる要素を、補えるのではないかと思った。
 一九九〇年代初頭からボイジャーが提供し始めたエキスパンドブックという作成ソフトで、実際に電子本もつくってみた。絶版になった自分の本を仕立て直すところから始め、動画や音、インターネットへのリンクを組み込むといった、新しい工夫にも手を染めた。この年の三月には、電子化でどんな可能性が開けるかをテーマとした、『本の未来』という書籍を、アスキーから出したばかりだった。
『本の未来』を書き上げて間もなく、当時ボイジャーにいた野口英司さんと、エキスパンドブックを使って電子図書館のようなものがつくれないか、話し始めた。

標準形式ファイルへの転換

 電子図書館的なシステムを思い描くとき、当時、まず頭に浮かんだのは、画面で長文を読むことの苦痛だった。インターネットの普及で、作品ファイルを、どこにでも、すぐに、コストを気にせず送れるようになった。だが、画面で読むのが辛いのでは、しょうがない。読みやすく処理した文字による縦組みの本文を、ページをめくりながら読めるエキスパンドブックなら、この壁を越えられるのではないかと思った。
 最も基本的で、それゆえ長く使い続けられるだろうテキスト版と、ウェッブブラウザーですぐに読めるHTML版も、作品毎に用意する。だが、本命はエキスパンドブック版。ルビと呼ばれる振り仮名の処理や、表紙の準備などが面倒で、作成には時間がかかったが、「コンピュータでも作品は読める」と実感してもらうためには、この手間はかけざるを得ないと考えていた。
 青空文庫を訪れる人が少しずつ増え始めた、一九九七年の秋、視覚障碍者読書支援協会(BBA)のメンバーであるという堀之内修さんから、「自分のページにリンクさせてもらった」とのメールがとどいた。堀之内さんのページからたどって、BBAのサイトを開くと、「弱視者を含めた視覚障碍者全般の読書を支援するために点訳・音訳・拡大訳の3分野の活動を全て統合的に推進しています。特に、今まで社会から忘れられていた、弱視者への拡大写本作りに活動の重点をおいています。」と活動目的が掲げられていた。
 示された作業の流れを見ると、多くが、青空文庫のものと重なり合っていた。
 まず、参照する紙の本の中味をそのまま電子化した、「原文データ」を作る。青空文庫で、テキスト版と呼んでいるものだ。ここから、点訳、音訳、拡大訳の三つの道筋を付けていく。
 一つ目の点訳とは、文章を点字に置き換える作業を指す。もともと点字化は、先に針の付いた点筆や点字タイプライターを使って、手作業で進められてきた。それが、パソコンの普及に連れて点訳用のソフトが開発され、利用されるようになった。点字は、分かち書きされる。そこであらかじめ、入力する文章に、切れ目のしるしを入れておく。続いて点訳用のソフトを使って、五十音を表す、点字データを入力する。校正を経て完成したデータを、点字プリンターにかけて打ち出す。こうした一般的なパソコン点訳の流れに対して、BBAの作業フローは、漢字仮名交じりの原文データをコンピュータに変換させ、少ない手間で直接点字データを得ようとする形で描かれていた。
 二つ目の音訳は、文章を音声データに変換することをいう。朗読が、読み手の表現としての性格をもつのに対し、音訳では、読み手の解釈や感情表現は、排除することが求められる。従来は人が読んだものを録音する形だけだったが、パソコンに読ませる形が加わった。BBAでは、原文データを機械に読ませる流れを想定していた。
 三つ目の拡大訳は、弱視者のための読書支援で、BBAはこの分野に重点的に取り組んでいるという。日本の視覚障碍者は、およそ三〇万人。この内、「見えない」全盲の一〇万人に対して、「見えにくい」弱視が二〇万人に及ぶ。
 全盲に対する読書支援は、点訳や音訳によって、充分からはほど遠いものの行われてきた。ところが、多数派の弱視者に対する支援は、これまで手薄になってきたらしい。大きな文字による拡大写本作りは、もっぱら手書きに頼ってきたのが実状で、ボランティアの数も、点訳や音訳に比べれば、はるかに少なかった。BBAは、支援の手が薄かったこの分野を、コンピュータを活用して補おうと考えていた。書籍の紙面をレイアウトするソフトに原文データをかけて、大きな文字で印刷し、製本する。加えて、文字を拡大表示するソフトを使い、弱視者にパソコンの画面で読んでもらう流れが示されていた。
 それ一つ取ってみれば、テキストは味も素っ気もない基本ファイルだ。エキスパンドブックのような魅力は、かけらも存在しない。ただ、最も基本的であるがゆえに、どんな環境でも、先々長く操作できる確実性がある。その退屈なテキストの向こうに、コンピュータによる処理を想定して、さまざまな利用に繋げていこうとする発想に、虚を突かれた。
 協会の勉強会に出席した野口さんが、BBA代表の浦口明徳さんから、おみやげをもらってきた。「原文入力ルール」と名付けられた、作業マニュアルだった。
 青空文庫をのぞいた人からは、当時すでに「作業を手伝おう」と声がかかり始めていた。そう言われてはじめて、入力や校正の作業を、実際にどう進めるのか、自分たちがはっきり決めていないことに気付いた。設立を準備した呼びかけ人の意識は、大きくエキスパンドブックに傾いていた。この電子本の作り方なら、しっかり頭に入っている。テキストは、これを作るために一度だけ使う、素材と見なしているところがあった。
 だが、協力を申し入れた人が作業成果としてまとめるのは、テキストだ。テキスト作成上の疑問は、問いただしたくなって当然。現れ始めた協力者から、何度か同じような質問を受けて、「作業方針に関して決められることは決めて、マニュアルにしておくしかない」と感じ始めていた。
 最優先の課題として意識していた青空文庫の作業マニュアルは、BBAの原文入力ルールにそってまとめることにした。二度の改訂を経て練り上げられたBBAのマニュアルは、私たちが検討するべき要素の多くに、すでに答えを出していた。これにそっておけば、青空文庫のテキストを、BBAが想定している、点訳、音訳、拡大訳の三つの流れにのせて、視覚障碍者の読書支援に活用してもらえるのではないかという期待もあった。
「書式や体裁にこだわらず、内容を伝える」ことを優先するBBAに対して、青空文庫は「底本の保存」を重視した。そのため、普通のパソコンで入力できない文字(以下、「外字」と書く)の処理など、一部に異なった作業方針も選ぶことになった。だが、入力者注に用いる記号、ルビ記号、ルビの付く文字列の始まりを特定する記号などは、原文入力ルールにそのままならった。
 作業マニュアルの初期バージョンは、一九九七年の一二月初頭に公開した。「この作品を入力したいのだけれど、作者の著作権は切れているだろうか」という問い合わせも、繰り返し寄せられていたため、作業マニュアルに合わせて、「著作権の消滅した作家名一覧」と名付けたリストを用意した。
 本来なら、開設時に準備してしかるべきマニュアルや資料がようやくそろい始めると、作業協力の申し入れはさらに増え出した。
 一九九八年二月末、芥川龍之介の作品を中心に、当時の我々の感覚からすれば、恐ろしいほどの勢いで入力ファイルを送ってくれる人が現れた。与謝野晶子訳『源氏物語』の提供申し入れもあって、こうした大量のファイルをどうやって校正し、公開に結びつければよいものか、呆然と立ちつくすような気分を味わった。そんな同年の五月、新しいJIS漢字コードの策定作業にあたっていた芝野耕司さんから、「青空文庫の作業の中で見つかった外字の情報を、まとめて提供してくれないか」と連絡をもらった。
 一般のパソコンで使える漢字は、JIS X 0208という規格で決められた、第一水準第二水準の範囲のものだ。これに追加する、第三水準第四水準を決める新しい規格では、実際に日本語の文献の中で使われた実績があることを要件とし、使用頻度も勘案しながら文字を選んでいくという。策定チームは、小学校から高校までの教科書や、NTT電話帳、地名に関する行政資料、現行法令、文部省学術用語集をはじめさまざまなソースをカバーして文字選定を進めていたが、文学に関しては、より広範な資料にあたってデータを取りたいと考えていた。
 文字コードの策定といった、コンピュータ社会の基礎を固めるような作業にも、青空文庫の作業成果を生かせると教えられたことは、視覚障碍者の読書支援に続く驚きであり、励ましだった。
 資料提供に際しては、「どんな外字が、どの本に収録されているなんという作品の何ページ、何行目に出てくるか」を確認し、「その字が、どの漢和辞典のどの項目で確認できるか」という情報をそえることを求められた。入力の際に参照した「底本」の情報を明示することは、作品ファイルを情報源として利用する際には、必須の条件となると意識した。
 その時点で公開できていた、ごくわずかな作品を対象として資料をまとめ、取りあえず提出したが、サンプル数の余りの少なさが気になった。急増し始めた入力ファイルを素速く公開まで進められれば、より意味のある資料になるのにと、悔しさが残った。収録作品に使われている外字を新しい規格に取り入れてもらえれば、将来はそれらを通常の文字として扱うことができるだろう。外字に関する情報をできる限り集め、採録候補として送り込めれば、めぐりめぐって、青空文庫のファイルを使いやすいものにできるとも考えた。
 後にJIS X 0213と名付けられる規格の第三水準第四水準漢字原案は、一九九八年一二月に示され、翌一九九九年二月末を締め切りとして公開レビューが行われることになっていた。この公開レビュー締め切り時点を目標に、青空文庫からの外字情報提供を継続できないか道を探った。トヨタ財団からの支援を受けて公開のペースを早め、より多くのサンプルを確保して、作業を継続することにした。

公有テキストの樹としての青空文庫

 青空文庫を準備した者は、エキスパンドブックの読みやすさを信じていた。
 だが、社会に向けて扉を開いたとたん、作品ファイルにはさまざまな可能性があることを教えられ、幅広い用途に活用していく上では、標準形式を取ることが有利であると意識した。
 編集やコンピュータに対する知識や経験を異にし、顔を合わせたこともなく、気心も知れない者が協力して入力、校正を進めていく上では、なにを重視して作業を進めるかを明確にし、合理的と思える作業方針を選んでマニュアル化することが不可欠であると、突きつけられた。
 標準形式のものを同じ処理手順で蓄積していくことは、本来、さまざまな活用の可能性を秘めているコンピュータ・ファイルの利用価値を最大化する王道であることを、青空文庫を準備した者は、ファイルを利用しようとする人、作業に協力しようと申し出る人との出会いを通じて、繰り返し教えられた。
 二〇〇二年五月七日の登録分から、青空文庫はエキスパンドブックの提供を取りやめた。この方針転換は、そうした体験の総決算だった。
 この仕切りなおしに至るまで、HTML版に関しては、どの規格に従って作るといった方針を定めてはいなかった。一般のウェッブブラウザーで読めれば良いといった認識で、作る人によっても、どのようにしつらえるか、どのルールにどこまでそうかといった点でばらつきがあった。青空文庫となじみの深い、ボイジャーの表示ソフトだけが解釈できるルビ記号を、HTML版中に用いることも行っていた。
 仕切り直し後は、ウェッブページの約束事を定めているW3C(World Wide Web Consortium)の勧告XHTML1.1にそった形式を選び、しつらえも揃え、新たにXHTML版作成用のプログラムを開発して、テキスト版から手作業なしで、自動生成する形に切り替えた。
 青空文庫が取り扱う時期の作品には、ルビをはじめ、点や丸や三角などを文字の脇にそえた、圏点と呼ばれる一群の強調用記号や、各種の傍線など、日本語の組み版に特有な表現がさまざまに用いられている。漢文返り点のようなものもある。字下げも多用されれば、戯曲などでは、複雑な凹凸のある組み版が行われる。
 XHTML1.1には、ルビに関する約束事は盛り込まれており、タグと呼ばれる表記用記号にも、振り仮名用のものが用意してあった。だが、その他多くの日本語組み版要素については、直接対応するタグは存在しなかった。XHTML版の仕様固めを検討したチームは、用意されているタグを組み合わせるなどして、テキスト版に書き込まれた組み版要素をできるだけXHTML版に移し替えるよう努め、どうしても表現できない圏点や一部の傍線に関しては、強調表示に置き換えた上で、規格上利用することを許されているコメント欄に、「点か、丸か。二重線か、破線か」といった情報を付記しておくことにした。
 第三水準第四水準の漢字を定めたJIS X 0213は、二〇〇〇年一月に制定された。仕切り直し後のXHTML版では、文字表示に、この規格の定めを利用することにした。
 かつて第三水準第四水準に向けた選定用資料をまとめた際は、もっぱら手作業に頼るしかなかった。この反省を踏まえ、新しい規格にもない文字の使用状況に関する調査が先々必要になった場合に備えて、作品中にJIS X 0213外字が使われていた際は、底本の何頁何行目に現れるかの情報を添え、外字情報だけを簡単に切り出せるように、XHTMLファイルの末尾に集約しておくことにした。

 仕立てを一新した青空文庫のファイルは、今やさまざまな領域で活用されている。
 PDAと総称される携帯用の機器では、もっぱらテキスト版が読まれている。縦組み、ページめくり方式に加えて、青空文庫で使っているルビ記号を振り仮名として表示するビュワーが幾つも開発され、利用されている。ファイル形式の変更が求められる機種向けの変換ツール、ファイル名の付け替えツールなど、それぞれの環境での使い勝手を良くする小道具も、そろってきている。
 携帯電話で読む工夫も、進められている。画面に表示できる文字数に合わせて、ファイルを小分けして用意したサイトがある。縦書き、ページめくりで読めるビュワーを各社の幅広い機種向けに開発し、これに合わせて加工したファイルを並べたページが用意されている。もともとはPDA向けに開発された、青空文庫のルビ記号に対応したビュワーを組み込んだ携帯電話もある。
 パソコン上で読む際の負担を軽減する手法として、多くのビュワーが縦組み、ページめくり方式を取り入れている。今では、いろいろなタイプが出そろってきたビュワーの多くが、青空文庫のファイルを意識し、ルビ記号やXHTML版に対応した機能を盛り込んでくれている。
 さらに、これらのビュワーの中には、XHTML版に書き残された底本の組み版情報のほとんどを、画面上に再現するものまであらわれた。先陣を切ったのは、ボイジャーのazur(アジュール)だ。縦組み対応のウェッブブラウザーという仕立てにおいても特徴的なazurは、字下げなどのレイアウト、漢文返り点などに対応し、さらには、コメント欄に書き記された情報を手がかりに圏点や各種の傍線まで、紙の本そのままに再現してくれる。
 メーカー固有の技術の枠を離れ、標準技術の舞台に移った青空文庫は、azurを得て再び、初心にあった、読みやすさ、表現力の豊かさを再構築できた。
 晴眼者がパソコンなどの画面で読むテキスト・データを、そのまま点訳、音訳、拡大訳に利用していくというBBAの構想のかなりは、今や常識的なものとなっている。
「お点ちゃん」と名付けられた、無料で利用できる点訳ソフトは、漢字仮名交じりテキストから、点字プリンター用のデータを直接生成する。ファイルの活用を念頭において、青空文庫のルビ記号や、ルビの付く文字の始まりを特定する記号、傍点、傍線注記を解釈し、その他の注記は無視する機能を組み込んである。理解力の高い人間に比べれば、点訳ソフトの分かち書きでは、誤りや解釈のずれが生じやすい。将来にわたっても、漢字仮名交じり文から、完璧な点訳データを一気に生成するといったことは困難だろう。ただ、複数の変換候補からそのつど選んでいく方式で、パソコンにおける日本語入力が広く普及したように、修正しながら作業することを前提に、新しいタイプの点訳ソフトの活用も広がって行くだろう。
 パソコンは、視覚障碍者、特に全盲の人達に、文字情報へのアクセスの壁を壊す力強いメディアとして活用されてきた。操作の扉を開いたのは、画面に表示された文字を読み上げるソフトだ。見るかわりに聞くことで、パソコンが使いこなせるようになった。
 この延長線上に、点訳ソフトを使って点字データを入力し、点字プリンターに打ち出して、「書ける」ようになった。経験を積めば、漢字仮名交じりの文章も、作れるようになった。
 さらにインターネットと結び付いてからは、文字情報のやりとりを支援するパソコンの役割は、より大きなものとなった。そのインターネットに、本の中味が蓄積されれば、これまでの経験を踏まえて、彼等はごく自然に音声ブラウザーに作品を読ませ始めた。
 縦組み、ページめくり方式のテキストビュワーのほとんどは、自由に文字サイズを変更できる。BBAが想定していた画面上の拡大訳は、今や、これらのソフトの基本機能として実現されている。

2 著作権制度に用意されていた青空文庫の基礎


 標準形式の作品ファイルを、同じ作業方針で作りためていくことは、さまざまな分野に利用の枝葉をのばしたテキストの樹として、青空文庫を社会に根付かせる条件を整えた。
 ただし、青空文庫ファイルの幅広い共用が可能になるためには、そのもう一つ手前に、解決しておかなければならない課題があった。
「ある条件を満たしたら、その作品は、誰もが自由に利用できるものにしておこう」とする、社会的な合意の形成である。
 その役割は、著作権法があらかじめ担ってくれていた。

作品を作り出した人に認められる二つの権利

 例えばあなたが、小説を書いたとする。するとあなたは、なんの手続きをとらずとも、自分の作品に対して、いくつかの権利を認められる。
 作品がどんな条件をみたしていれば、どんな権利を与えられるかは、著作権法に定められている。
 作品を生みだした人、法律用語で言えば「著作者」に認められる権利は、「著作権」と総称される。さまざまな内容のものを含んでいることから、著作権は「権利の束」と呼ばれることがある。
 著作権に束ねられた各種の権利は、大きく二種類に分けられる。
 一つは、作品の「中味に関する権利」。そしてもう一つが、「作品の使い方に関する権利」である。法の用語では、前者を「著作者人格権」、後者を狭い意味での「著作権」と呼ぶ。狭義の「著作権」は、権利の性格からしばしば、「財産権」とも呼ばれる。以下では、狭義の「著作権」を「著作財産権」と書く。

「著作者人格権」には、三つの権利が束ねられている。
 一つ目の「公表権」は、未公開の作品を発表するかしないか、自分で決める権利を指す。
 二つ目の「氏名表示権」は、自分で決めた著作者名を表示させたり、逆に表示させないように決める資格を言う。
 三つ目の「同一性保持権」は、自分の意志に反して、著作物のタイトルや中味を書きかえられないよう、求める権利を指す。
 例えば、自分で書いた未発表の小説に関して、あなたは作品を発表するか否か、作者名をどうするかを自分で決められる。また、誰かが勝手にタイトルや中味を変えてしまうことも、拒否できる。
 もう一方の「著作財産権」には、二〇〇四年一二月一日の改正時点で、「複製権」「上演権及び演奏権」「上映権」「公衆送信権等」「口述権」「展示権」「頒布権」「譲渡権」「貸与権」「翻訳権、翻案権等」「二次的著作物の利用に関する原著作者の権利」が、束ねられている。
 これらの内、青空文庫に特に関わりの深いものとしては、まず、印刷や電子的な手法によって作品をコピーする、「複製権」がある。
 インターネットで作品を公開することは、「公衆送信権」の一部として位置づけられている。
 作品を朗読することは、「口述権」として規定されている。
 作品を翻訳したり、設定などを借りて別の作品をまとめる翻案は、「翻訳権、翻案権等」に含まれる。
 例えば、あなたが書いた小説を、誰かが勝手に本にしたり、断りなく青空文庫で公開することは許されない。無断で朗読したり、翻訳したり、翻案することも認められないと、著作権法は定めている。
「著作者人格権」と「著作財産権」は、共に著作者に認められた権利であるが、いつまで認められるかという点では、際だった違いがある。
「著作者人格権」には、期限の定めがない。「氏名表示権」と「同一性保持権」は、著作者の死後もずっと、権利として生き続ける。
 一方の「著作財産権」は、著作者の死後五〇年を過ぎた段階で、消滅する。以降は誰もが自由に複製物を作り、インターネットで作品を公開できる。朗読や翻訳、翻案も、著作権者の許諾を得ることなく行える。
「著作者人格権」には期限がなく、もう一方の「著作財産権」はある時点で消滅すると定められている事情は、そもそも著作権法が、何を目指しているかを確認すれば、理解できる。

著作権法の大目的

 著作権法が何を目指すのかは、「目的」について定めた第一条に掲げられている。

第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

 まず、この法律は、「著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め」、「著作者等の権利の保護を図」る。
 ただし、その際、著作権法は「これらの文化的所産の公正な利用に留意」するともいう。権利の定義と保護、一辺倒ではない。作品が、この社会で公正に利用されることにも配慮する。そのために、法には著作権を制限する条項がさまざまに盛り込まれている。
 著作物に関する「権利の定義と保護」、加えて「公正な利用」への配慮。この二つをバランスさせながら、著作権法が目指すのは、「文化の発展に寄与する」ことである。
 作品を誰が書いたのかが正しく表示され、中味がオリジナルの姿を保ちつづけることは、作者と作品を評価するにあたっての、安定的な基盤を提供する。「文化の発展に寄与する」という目的に照らせば、「著作者人格権」に期限を設けないことには、妥当性がある。
 一方の「著作財産権」に期限が定められている事情は、そもそも著作者の「権利の定義と保護」がなぜ、「文化の発展に寄与する」ことにつながるのかを検討すれば、明らかになる。
 著作物は、営利の材料として使うことができる。
 本やCDといった複製物を作ったり、小説や音楽のファイルを、インターネットで引き落とせるようにすることを、著作者だけに認められる権利として定めておけば、作者には自分の作品を利用して収入を得る可能性が出てくる。
 そうした道が閉ざされていれば、著作者は生活に追われ、創作は後回しにされかねない。特定の団体や個人に生活を支えてもらえば、表現には支援者へのおもねりが交じる可能性が出てくる。創作活動を自立させ、著作者に支えや励ましを与える上では、著作財産権の定義と保護は有利な選択となる。この選択が功を奏して、創造のエンジンが活発に回れば、「文化の発展に寄与する」という大目的に貢献するところ、大となる。
 ただし、著作者の死後は、彼の内に育った創造のエンジンが、再び回ることはない。
 そして著作権法はもう一方で、著作物の「公正な利用」に配慮することも、大目的達成に資すると想定している。
 著作物は確かに、一人の著作者によって生み出される。ただし、過去からの文化的な遺産に乏しく、活発な創作活動に恵まれない環境に生み落とされれば、人が、同時代者の心を打ち、次世代に引き継がれる創造に至る可能性はきわめて低くなる。歴史を貫いて流れる文化の大河は、著作者を育てる揺りかごであり、過去の文化遺産に育まれてこそ、人は魅力ある創造に到達できる。
「文化の発展に寄与する」という著作権法の大目的を達成する上では、著作者に支援と励ましを与えることに加えて、創造の揺りかごである文化の大河を、豊かに流れ続けさせることもまた、大きな意味を持つ。
 著作物は本来、誰かが利用したからといって、量が減ったり、損なわれたりする性質のものではない。幅広く親しまれ、利用されて、なんら不都合がない。こうした著作物が、社会に広く行き渡る可能性を高めることのみに焦点を絞ってよいなら、著作財産権の縛りを外して、誰もが自由に活用できるようにしておけばそれでよい。
 著作者の創造のエンジンに回る可能性の残されているうちは、独占的な財産権を認めて、創作への支援と励ましを与える。ただし、その可能性が永遠に失われた後は、ある時点で財産権を消滅させ、利用の縛りを外して作品を広く社会に行き渡らせる。ともに有効な、この二つの手段の間で、バランスをとるために、著作財産権には期限が設けられている。
 日本は、著作権保護の国際的な枠組みであるベルヌ条約に加盟している。条約では、著作財産権の保護期間は作者の死後五〇年までとされており、我が国の著作権法もこれにそっている。より正確には、作者が死んで満五〇年が過ぎた年の大晦日で保護期間が満了し、翌一月一日から、その人物の作品を自由に複製し、インターネットで公開できるようになる。
 この規定に基づいて、青空文庫では毎年の元旦、その日から新たに権利の縛りを外れた作家の作品をお披露目している。

公有作品のおさめ場所としての青空文庫

 著作財産権の保護期間を過ぎた著作物は、自由に利用できる公有のものとなる。
 青空文庫を準備した者は、当然、そのことを知っていた。
 ただし、作品ファイルには、晴眼者がパソコンで読む以外のさまざまな利用の可能性があることを意識していなかったように、公有となった作品の取り扱いにあたって、何を重視し、どう振る舞うべきかの勘所を、我々は明確には意識できていなかった。
 そのことを批判し、我々を覚醒させてくれたのは、評論家、翻訳家の山形浩生さんだった。
 翻訳作品をインターネットで公開するには、著者に加えて、訳者の保護期間も満了していることが求められる。山形さんはこうした事情を踏まえ、訳者の権利だけが残っているものを新たに訳し直し、著作権法が規定している著作財産権をそのまま適用する必要はないと翻訳者自ら宣言して、より自由な利用を促そうとする「プロジェクト杉田玄白」を提案した。
 FAQのページでは、プロジェクトの成果物に対して何か出来るかが、以下のように明示されていた。

正式参加テキスト:これは、版権表示さえちゃんと残せば、商業出版も含めて何をしてもいい代物。
協賛テキスト:これは、なんらかの制限がついたテキスト。たとえば非営利目的でのみ使用可、とか複製再配布は基本的にダメ、とか。なにをしていいかは、個々のテキストについた能書きを読んでほしい。

 このプロジェクトの趣意書の冒頭に、青空文庫は「全体にしょぼい」という指摘があった。さらに、「しょぼさ」の原因を分析した、「青空文庫について(1999.04.15)」が書かれた。そこで指摘された問題点の一つには、納得がいった。
 それまで、青空文庫で公開している作品ファイルの使い方については、公有となっているか否かも区別せず、「本のリスト」の冒頭に、以下のように書いていた。

 ここにある本は、自由に使って下さい。
 ただし、不特定多数が入手しうる媒体、公開されたサーバー等への転載に関しては、著作権者もしくは作品の電子化にあたった方の了解を得て下さい。

 こうした姿勢を、山形さんは次のように批判していた。

…青空文庫のテキストは、公開されてる、自由に使えるとはいいつつも、実は受け取る側としてはなにができるのやらよくわからないのだ。読むのはいいみたいだ。私的な利用もいいみたいだ。でも出版するのは、どうもいけないみたいだな。プリントアウトしてそこらじゅうにばらまくのは? LaTeX 文書に変換して自分のサーバに置くのはどうだろう。ここでいう「いい」「わるい」というのは、だまって断りなしにやっても、という意味だよ。別途相談、というのは、基本はだめだってことだ。

 公有作品のキャリアは、青空文庫で終わらない。
 そこからさらに、次の場所に移って、さまざまな用途に活用される可能性を秘めている。その可能性を最大化するためには、「公有作品ファイルは、有料、無料を問わず、自由に再利用できる。その際、青空文庫側に了解を求める必要はない」とすることが、最も有利になるだろうと、山形さんの指摘を受けてそう考えた。
 個々の作品ファイルには、どの出版社のどの本から入力したのか、入力と校正にあたったのは誰かといった作業記録を残している。公有作品の再利用にあたっては、この記録を残すことのみを求め、その他には一切、条件を付けないという案を軸に、青空文庫ファイルの利用規定をまとめる作業に取り組むことにした。
 問題は、青空文庫がその時点ですでに、かなりの数の作品を公開していたことだった。これらの入力と校正にあたった人は、商業利用も含めて、自由な取り扱いを許すという条件は念頭においていなかったはずだ。ならば、公開済みの作品には、新しい規定を適用しないという考え方もあり得る。だが、できればこれまでのものも含めて、明確化させた新しいルールに従って使ってもらえないかと考え、すべての作業者にメールで連絡を取り、「みずたまり」で論議して、合意の形成を目指した。
 一九九九年五月九日付けの、ファイル取り扱いルールに関する「そらもよう」**記事をきっかけに、六、七月にかけて進めた話し合いでは、商業利用にも青空文庫側の了解を求める必要はないと明示するか否かが焦点となった。
*自由に書き込める掲示板。問い合わせ、感想、意見など話題は多彩だったが現在は使われていない。
**青空文庫からの「お知らせ」を掲載。
 無償の再利用を自由とすることには意見の相違は見られなかったが、「手間をかけて自分で作ったファイルを、権利が切れているからといって断りもなく商品にはしてほしくない。自分たちから、完全に自由だと言うのではなく、なんらかのコントロールはかけておくべき」とする意見が示された。青空文庫の運営には、費用がかかる。「ファイルの商業利用に対価を求める余地を残しておけば、ここから運営費を得ることも可能になる」とする主張がなされた。
 本稿のタイトルに使った「天に積む宝」は、この論議の中で、法律学者で著作権法を専門とする、白田秀彰さんが用いた言葉だ。
 同名の「みずたまり」への書き込みで、白田さんは、青空文庫の作業に加わって作品の一字一句を入力し、校正している人は、デジタル化によって「永遠の命を与えようとするほど作品を愛していることを証明している」と語り、「これは、どんなに巨大な墓や石碑よりも永く残る、その作品の作者に対する愛の表現」であり、「それゆえに、青空文庫の活動には、金銭的損得を越えた崇高さが存在する」とした。
 さらに、「青空文庫からファイルをダウンロードして自分のディスクに収め読む利用者の方たちも、作者を賛える記念碑に石を積む人」であると添えた。

作品が長い年月を経てなお人々に読みつがれるためには、たくさんの読者から選んで頂かなければなりません。人の嗜好にはいろいろと個性がありますから、作品の命を長らえさせることを考えますと、できるだけ広い人に作品の存在を知ってもらい、そうした人たちに読みやすい状態に作品を置かねばなりません。作者を賛える記念碑に石を積むという目的のためには、著作権法の規定でいけば、氏名表示権と同一性保持権は維持しなければなりません。しかし、排他的独占権すなわち「お金を払わない限り読むことを禁止します」という権利は、いくらかの程度で、読んでくれるはずだった読者を拒絶することになります。
ですから、著作権法による保護期間が満了した作品については、青空文庫への貢献があなたの作品への愛であるなら、氏名表示権と同一性保持権が維持されている限り、どのような利用法であっても、拒絶する理由がないのです。…

 青空文庫を、テキスト・アーカイブ構築のある種の文化事業としてとらえるなら、ファイル利用に対価を求めて、運営体制を強化するという考え方が出てくる。今、この場で「完全に自由にすべき」と主張する人と、「なにがしかの対価を得よう」と考える人の間では、〈「愛と崇高さに対する人間の感情は金銭を越えた力を発揮する」という理想論〉と、〈「ある程度の規模のアーカイブを構築し維持していくためには資金が必要だ」という現実論〉が対峙していると、白田さんは指摘した。
 そして、現実世界に青空文庫が存在するなら後者が当然選ばれるだろうけれど、電脳空間というまったく新しい環境に作られた図書館であるなら、ファイル末に作業者の名前を残すというそれだけを求めて、〈「愛と崇高さ」に応える無償の行為が、巨大な知識と文化の宝庫を立派に維持できることを証明してほしいと思うのです。儚く消えていく自分の「存在証明」を、自らの愛した作家の作品の末尾に記すことに「天に積む宝」を見ることができる人が多くいるのだ、ということを証明してほしいと思うのです〉とのべた。
 白田さんの最後の言葉は、こう綴られていた。

大学で研究中に戦前のイギリスの本を読む必要があり、かび臭い図書館に潜り込んで探し出しました。厚い革装の表紙を開けるとそこには目元凛々しい学生の写真と名前が記されていました。山本さんという方が大学に寄贈した本のようです。日付を見ると昭和18年でした。私はしばらくその写真を見つめました。そしてどういった経緯で山本さんは、そこここにペンで書き込みのある貴重な洋書を大学に寄贈していったのかを考えました。そのとき、暗い図書館の書庫で、私は私の大先輩からこの本を手渡されたような気分を感じたのです。
私たちは小さな存在で、100年もすれば大抵の人から忘れ去られてしまいます。私たちの衣食を維持するための「地上の宝」は必要です。しかし私たちは衣食を維持する以上の何かを求めて生きているのだと思います。100年後、青空文庫の作品を読み終えた誰かがあなたの名前をみて、あなたの事を考える夢を見てみませんか。

 青空文庫の実践を通じて、私は思う。
 著作権の保護期間満了を、単なる終わりにとどめてはつまらない。私有の終わりは、公有の始まり。この節目は、天に宝を積み上げる営みの、出発点となしうる。
 ただし公有作品を、誰もがその恵みに浴せる「天に積む宝」とするには、活用の可能性を最大化するために、何の制限も求めないでおこうとする覚悟をはっきりと示す必要がある。
 また、再利用しやすい形式を見きわめ、合理的な作業手順を求め、同一の仕立てで継続してファイルを作りためていく努力が求められる。
 保護期間を終えた作品は、自由な再利用を受け入れる「精神」と、再利用にふさわしい「形式」を獲得して始めて、「天に積む宝」と呼ぶにふさわしい、真の公有作品となりうる。
 関わったさまざまな人たちに教えられ、導かれ、力を与えられ、準備した者の思惑や視野を越えて、青空文庫の公有ファイルは、「天に積む宝」に近づく幸運に恵まれた。
 社会に根付き、大きく枝葉を広げた「公有テキストの樹」として青空文庫が育ちつつあるのは、それ故だ。

3 動き出した著作権保護期間延長で失われるもの


 元旦の青空文庫には、この日から公有となる、新しい作家の作品を並べてきた。
 二〇〇五年には、新宿中村屋の創業者で商いの近代化に努め、妻の黒光とともに、たくさんの芸術家や、アジアの政治活動家を支援した相馬愛蔵と、劇作家、小説家で、ジュール・ルナールの『にんじん』の訳者としても知られる岸田国士の作品を公開した。前年には、折口信夫、斎藤茂吉、堀辰雄の作品が並んだ。二〇〇六年には、坂口安吾、下村湖人、豊島与志雄等の作品を公開できるよう、準備を進めている。
 その青空文庫の元旦が、今後二〇年にわたって空白となる可能性が出てきた。著作財産権の保護期間を、死後七〇年に延長しようとする動きが、本格化してきたからだ。

保護期間七〇年延長への道

 保護期間延長については、文化庁の諮問機関である文化審議会著作権分科会で、過去、何度か論議されてきた。だが、これまでは、法改正に向けた具体的な動きには結び付かなかった。
 その風向きが変わった。表だって見える最初ののろしは、日本音楽著作権協会(JASRAC)が上げた。
 文化審議会著作権分科会における、著作権法改正の論議は、下部に設けられた法制問題小委員会で進められる。二〇〇四年九月三〇日に開かれた同年第二回の小委員会には、関係者間ですでに協議が進められている改正要望事項をまとめたとする資料が提出された。
 そこに、保護期間の死後七〇年への延長を求める、JASRACからの要望が盛り込まれていた。根拠として掲げられていたのは、〈文化芸術の担い手である創作者の権利を保護し、新たな創造を促進すべきである。「知的財産戦略の推進」を国策としている我が国は、著作権保護のあり方について国際間の調和を図るべきである。我が国のコンテンツ創造サイクルの活性化と国際競争力の向上を図るべきである。〉の三点だった。
 主張にある、「国際間の調和」で念頭におかれているのは、EUとアメリカである。ドイツはかねてから、保護期間を七〇年としており、著作権制度に関する域内の調和を目指した検討の過程で、EUは長い側に合わせるという選択を行った。この動きを、アメリカが追った。
 この日に向けて、小委員会の事務局は、およそ三二〇の関係団体に、著作権法の改正に関する要望事項を照会していた。回答は、四割弱の、約一二〇団体から寄せられた。保護期間に関しては、著作権と著作隣接権(実演者、レコード製作者、放送事業者などの権利を定めたもの)を含めて、七〇年への延長を求めるものが、主に音楽関係の諸団体から二一件寄せられた。延長には慎重であるべきとするものは、一件。加えて、五〇年を超える保護を希望する場合には「少額の手数料を納付するよう求める」などの方法を検討すべき、とする要望が一件あった。
 主に、権利者側からの声を聞く形となったこの作業に続いて、文化庁は、幅広い国民の意見も反映させたいとして、二〇〇四年一〇月、著作権法の改正点に関する意見募集を行った。結果は、同年一一月二日の第三回小委員会に報告された。
 保護期間延長に関しては、七二件のコメントが寄せられた。内訳は、延長を求めている諸団体にその資格があるのかを問う立場から、検討材料を示すものが一件。保護期間の五〇年、七〇年併用を支持するものが一件。その他七〇は、反対、もしくは慎重であるべきとして、延長を支持しない意見だった。
 法制問題小委員会の最大の役割は、「優先して対応すべき著作権法上の検討課題の抽出・整理」におかれている。二〇〇四年一一月二六日の第四回小委員会からはいよいよ、法改正に向けて、何を優先して取り上げるかに関する論議が始まった。
 この日、事務局が用意した「著作権法に関する今後の検討課題(素案)」には、法制問題小委員会が検討を行っていく「基本問題」八項目の一つとして、保護期間の延長が盛り込まれていた。文化庁長官官房著作権課が中心になってまとめたこの素案の段階で、著作隣接権の延長は、優先すべき課題からは落とされた。
 続く二〇〇四年一二月二二日の第五回小委員会には、前回「(素案)」とされていた「著作権法に関する今後の検討課題」が、「(案)」として提出された。同会と、続く第六回の論議を受けた若干の字句修正を経て、二〇〇五年一月二四日に開かれた親委員会の文化審議会著作権分科会第一四回に、「著作権法に関する今後の検討課題」が報告された。保護期間に関しては、以下のように記載されていた。

欧米諸国において著作権の保護期間が著作者の死後70年までとされている世界的趨勢等を踏まえて、著作権の保護期間を著作者の死後50年から70年に延長すること等に関して、著作物全体を通じての保護期間のバランスに配慮しながら、検討する。

 この場の論議で、著作隣接権の延長が盛りこまれていないことへの質問が、日本芸能実演家団体協議会専務理事の大林丈史委員からあった。法制問題小委員会の中山信弘主査からは、今後「もし必要が生じましたら当然議論の対象になる」との、吉川晃著作権課長(当時)からは「今後、検討課題とするかどうか、議論をしていきたい」との回答があった。その他の事項も含めて、検討課題は著作権分科会の了承を得て、公表された。
 確定した「検討課題」にそって、法改正に向けたより詳細な検討を進める、新しい期の法制問題小委員会は、二〇〇五年二月二八日に第一回が開かれた。
 親委員会における論議で、検討課題として追加するよう要望が出された著作隣接権に関して、吉川著作権課長は同会において、「隣接権の保護について、現時点で検討を行うことにするということは、少しまだ時期尚早」と発言した。
 前期の作業で取りまとめられた「検討課題」は「はじめに」で、「…全体の検討には少なくとも3年程度は要すると考えられるが、比較的短期間で結論が出ることが見込まれるものに関しては、平成17年秋頃を目途に報告を取りまとめることが望まれる。」としていた。
 ここで言う、「比較的短期間で結論が出ることが見込まれるもの」として、事務局は「権利制限の見直し」と「私的録音録画補償金の見直し」問題を設定し、二〇〇五年の一一月までに、この二つの問題に対する報告書をまとめる審議予定案を示した。
 著作権法第五款には、公正な利用への配慮から、著作財産権の適用を制限する条項が列挙されている。ここに、要望のある適用除外規定を追加しようとするのが、「権利制限の見直し」である。
 本来、著作権法では、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とする場合においては」、財産権の有効な作品でも複製することが許されている。これによって、レコードからカセットに音楽を落とし、ウォークマン型の機器で聞くことは、問題ないとされてきた。にもかかわらず、デジタル機器による録音、録画に対しては、著作権者等は、ハードやメディアの値段に上乗せした補償金を受け取ることができるという制度が、一九九二年の著作権法改正で盛り込まれていた。今回検討課題とされたこの制度の「見直し」とは、これまでその対象とされていなかったiPodのようなハードディスク内蔵型の機器や、パソコンのハードディスクを、補償金上乗せの対象として加えようとするものだった。
 二〇〇五年秋までは、この二項目に関する作業が、集中して進められる。保護期間の延長は、翌二〇〇六年、もしくは二〇〇七年に行われることになる。

保護期間延長で失われるもの

 法政問題小委員会における本格的な論議を前にした現時点では、延長を求める側の主張を読みとる材料は、それほど多くない。中では、そもそもの火付け役を演じたJASRACが、同小委員会の事務局の求めに応じて二〇〇四年八月三一日に提出した、三つの主張からなる要望書が、比較的良くまとまっている。

 二〇〇五年一月一日、青空文庫は呼びかけ人名で、著作権保護期間の七〇年延長に反対する意思を示した。その際に「そらもよう」に書いた内容と重複するが、ここで再び、JASRACの論拠に反論しておきたい。

1 創作者の保護の強化
 経済的な豊かさを獲得した我が国が、心豊かな活力ある社会を形成するためには、文化芸術の担い手である創作者の権利をより手厚く保護し、新たな創造を促進することが必要である。
 著作権の保護期間は、「著作者とその直系の子孫の平均的な生存期間即ち3世代が含まれる」のが公正妥当であるといわれている。すでに欧米の平均寿命を上回る我が国においては、欧米と同等の「死後70年」に延長することが適当である。

 論拠の1が掲げる、「心豊かな活力ある社会」は、「文化の発展に寄与する」という著作権法の目的達成を通じて、我々が引き寄せることのできるものと重なり合っている。
 だが、そのための手段として1が、「創作者の権利をより手厚く保護」することのみを上げるのに対し、著作権法は、社会の構成員が著作物を公正に利用できるよう配慮することもまた有効な手段であると認め、両者のバランスを取りつつ、目標を達成しようとする。さらに、自らの作業成果を、広く、素速く活用してもらうために、あえて著作財産権を求めないと宣言する、プロジェクト杉田玄白のような新しい提案も生まれてきている。
 著作物を社会の糧として活用してもらうための道筋は、多様につけられる。
 その内の一つをあげて、目的達成の唯一の手段であるかのように語る1は、著作権制度の基本的な姿勢から、意図的に目をそらしている。
 保護期間には、「3世代が含まれるのが公正妥当」とする考え方は、『ベルヌ条約逐条解説』(クロード・マズイエ著、黒川徳太郎訳、著作権資料協会、一九七九年七月二五日発行)においてWIPO国際事務局著作権、広報ディレクターの肩書を持つ著者が示している。
 ただし、保護期間に言及した同じ一節の中で著者は、その長さが「著作者の利益と、寄与をした者よりもはるかに長い生命をもつ文化遺産を自由に利用することを求める社会の必要との間に、公正なバランスを保って」定められるべきものであることもまた、明示している。「3世代」が五〇年の唯一の決定要因であるなら、平均寿命の延びは確かに、制度変更の提案理由となりうる。ただもう一方で、インターネットを得た社会からの、文化遺産を自由に利用することへの求めもまた、デジタル・アーカイブへの期待などとして、強まっている。変動要因を繰り込めと迫る際、自らの論拠に有利なものだけを上げるのでは、公正なバランスは到底保ち得ない。
『ベルヌ条約逐条解説』に寄せた序文で、WIPO事務局長アルパード・ボグシュは、「WIPO国際事務局の任務は条約の管理に責任を負うことであり、このような解説を行うことはその権限に属するものではないから、本書はベルヌ条約の規定に関する有権的解釈を意図するものではない。…自らの意見を形成するのは、関係当局と関係各界が行うべきことである」と釘をさしていることも、申し添えておく。
 著作者の端くれとしての実感にも、触れておきたい。
 私は書くことを志したことがある。契約を結び、本を出した。乏しいキャリアだが、作ろうと試みたことだけはある。その経験に照らせば、少なくとも著作者個人にとって、作ることはまず何より、自らが今、生きてあることの証を立てることだ。いのちの火が消えて、五〇年。そこからさらに、保護期間を二〇年間延長してやろうと言われて、作ることに向かうどんな心が励まされるか。私には、想像の手がかりすらつかめない。

2 国際間の調和
 欧米先進諸国の多くがすでに保護期間を「死後70年」としており、アジア太平洋地域においても、シンガポールが本年7月「死後70年」を採用し、オーストラリアでも来年1月に延長されることが確実視されている。
「知的財産戦略の推進」を国策とし、コンテンツビジネスの積極的な海外展開を進めようとしている我が国は、保護期間をはじめとする著作権保護のあり方について、国際間の調和を図るよう努力すべきである。
 また、我が国は、平和条約に基づいて定められた戦時加算により、連合国民の著作権については、すでに「死後50年」を越えて保護している実態があることから、この問題を整理しつつ保護期間の延長を図るべきである。

 一九九三年一〇月、EUは保護期間を七〇年とする決定を行った。
 アメリカはそれまで、個人の著作物の保護期間を作者の死後五〇年、法人のそれを公表後七五年(もしくは創作後一〇〇年の、どちらか短い方)としてきたが、一九九八年制定の著作権保護期間延長法(Copyright Term Extension Act : 以下、CTEAと書く)によって、それぞれ七〇年と、九五年(もしくは創作後一二〇年の、どちらか短い方)にあらためた。
 これらの動きに追随し、国際的な調和を図れと主張する2の主張を検討するにあたっては、そもそもの出発点となったEUの保護期間延長が、いつ、なにを目的として行われたものであり、アメリカはどのような経緯でこの動きを追ったのかを確認しておく必要がある。
 EUの延長方針は、当時のEC理事会指令として発せられたが、その表題は、「著作権及び著作隣接権保護期間の平準化(harmonizing the term of protection of copyright and certain related rights)」とされていた。ベルヌ条約では、著作権の保護期間は作者の死後五〇年までとされている。ただし、より長い保護期間の設定も、禁じられてはいない。こうした事情を背景に、ドイツなど、加盟国の一部には、かねてから七〇年を採用しているところがあった。理事会指令は、このばらつきをならし、域内の権利保護に齟齬が生じるのを防ぐという意図でまとめられたものだった。
 加盟諸国の法律制度ですでに認められてきた権利は、制度の平準化によって縮小されてはならないという立場を、指令は取っていた。影響をおさえて移行を容易なものとするこの方針を選べば、長い側に合わせる以外に選択肢はない。
 この制度調整が図られた時期にも、注目する必要がある。一部の研究機関や大学だけで使われていたインターネットが、パソコン利用者を巻き込みながら爆発的な普及を見せ始めるのは、一九九〇年代半ばである。
 その後、著作物の利用形態を大きく変化させるこの新しい社会基盤の影響を、EUの制度見直しと意思決定は、織り込んでいない。延長を支持する根拠として、寿命の延びに伴う三世代の幅の広がりや、保護の強化が創造の促進につながる可能性などについてわずかに触れてはいるものの、社会構造の変化が制度に与えた影響を踏まえ、今後の新しい仕組みを構想すると言った狙いは、指令にはない。EUの意思決定は、あえてレッテルを貼れば、「前インターネット時代の遺物」としての性格を持っている。
 時代の大きな変化を繰り込めない段階で下されたこの判断に、アメリカの娯楽産業界が乗じた。EUが域内の制度調整のために行った保護期間延長を自国でも実施できれば、競争力を維持している作品やキャラクターの商品寿命を、さらに二〇年延ばすことができる。法案の成立に向けては、業界からのロビー活動が活発に行われた。一九二八年、「蒸気船ウィリー」のキャラクターとして誕生したミッキーマウスは、これまでも保護期間の延長によって公有化を繰り返し免れてきたが、CTEAで二〇〇三年の著作権切れもまた回避し、さらに二〇年間保護されることになった。同法が皮肉をこめて「ミッキーマウス保護法」と呼ばれるのはそれゆえである。
 その後、EUやアメリカにあらわれた、保護期間延長に歯止めをかけようとする動きについても、紹介しておきたい。
 著作権、著作隣接権をめぐる法的枠組みの見直し事項に関して、二〇〇四年七月一九日付けでまとめられた欧州委員会の報告書は、保護期間のさらなる延長に歯止めをかけた点で、注目に値する。
 一九九三年の理事会指令は、著作権の保護期間を作者の死後七〇年、著作隣接権を保護の開始から五〇年と定めた。これに対し、EU内の一部からは、後者の延長を求める声があがっていた。CTEAによって、アメリカでは商業用レコードが発売後九五年間保護されるようになったことを受けて、同様の延長を図らなければ、ヨーロッパの音楽制作者と音楽産業が、不利益を被るとの主張がなされたと、報告書は指摘している。
 この延長論に対しては、報告書によれば、現状維持を主張する強固な反対があった。延長すれば、ごく少数のベストセラーによって売り上げを確保する傾向に拍車がかかり、新しい作品の録音や、新たな投資への意欲を減ずることになる。また、アメリカを例外として、ほとんどすべての先進国は、著作隣接権の保護期間を五〇年としている。EUにおける世論や政治状況は、保護期間の延長を支持していないと思われる。さらに、保護期間の短縮を求める声も存在することなどをあげた上で、報告書は、著作隣接権保護期間の延長の機は、熟していないと結論付けた。
 CTEAは、アメリカ国内でも論議の的となったことも付け加えておきたい。
 著作権切れの書籍を電子化して公開するプロジェクトを進めるエリック・エルドレッド等は、同法が合衆国憲法に違反するとの訴えを起こした。二〇〇三年一月一五日、連邦最高裁によってこの訴えは退けられたが、ステファン・ブレヤー判事とジョン・ポール・スティーブンズ判事は、二〇年延長を憲法違反とする反対意見を付した。
『CODE』『コモンズ』などの著作で知られ、この裁判で原告代理人もつとめた法学者のローレンス・レッシグらは、保護期間延長への批判と抵抗を、今も続けている。

3 コンテンツ創造サイクルの活性化
 我が国が保護期間を「死後50年」としていれば、「死後70年」を採用している国においても我が国の著作物は「死後50年」までしか保護されず、その分経済的利益を得る機会を失うことになる。
 保護期間を延長し、著作物からの収益性や資金調達力を高め、新たな創作活動に投じる資金を増大させることにより、コンテンツ創造サイクルの活性化と国際競争力の向上を図るべきである。

 ベルヌ条約では、保護期間に異なりのある場合には、短い国の規定が適用されると定められている。
 よって、3の主張通り、我が国の保護期間が五〇年であれば、〈「死後70年」を採用している国においても我が国の著作物は「死後50年」までしか保護され〉ない。逆に、「死後70年」を採用している国の著作物も、我が国においては「死後50年」を過ぎた段階で公有のものとなり、広く活用できるようになる。
 問われるべきはここでもまた、著作者の権利と広く国民一般に認める権利とをどこでバランスさせるかである。その意思決定にあたって、3はコンテンツ産業の活性化と国際競争力強化を重視すべきであるという。
 だが、著作権法の目的は、「文化の発展に寄与する」という高い次元に設定されている。この目的を達成するため、著作物の「公正な利用」がはかられるよう環境を整えておくことは、日本国憲法が国民に保証する「幸福追求」の権利、「思想及び良心の自由」「表現の自由」「学問の自由」「教育を受ける権利」等に深く関わってくる。先人の著作物に、広く、容易に触れられることの保証なくして、憲法に明記されたこれらの権利と自由は、実効性のあるものとはなりえない。
 著作権保護期間の延長は、憲法が「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に」与えると約束している、基本的人権を制約しかねない。
 こうした社会の根幹に関わる問題に、特定産業の国際競争力強化を目的として変更を加えることは、許されないと考える。

 二〇〇五年に始まった著作権法改正点の検討を、法制問題小委員会事務局は、三年で仕上げたいとする。保護期間七〇年延長に関わる法改正がこの想定に従って二〇〇七年中に行われ、二〇〇八年一月一日には施行ずみとなるとすれば、この日から二〇年間、青空文庫には新しく著作権切れを迎える作家の作品が登録されなくなる。
 再開は、二〇二八年一月一日。ここでようやく、一九五七年中に他界した作家のものが公開できる。保護期間五〇年のままなら、二〇〇八年一月一日には公有となっていた作品だ。
 前年の二〇二七年は、徐々に大きくなっていった保護期間延長に伴う影響が、最大化する年だ。青空文庫のリストからは、保護期間五〇年のままなら並ぶはずだった作家とその作品が失われる。
 本来、公有作品となっていたはずの多くの作品を保護期間延長で失うのは、一人、青空文庫だけではない。
 国立国会図書館は、保護期間を過ぎた書籍のページ画像をインターネット経由で提供する、「近代デジタルライブラリー」プロジェクトを進めている。二〇〇五年八月二日段階で、公開作品数は五万九九〇〇冊に及ぶ。現在の収録対象は、明治期刊行図書に限られているが、これが大正期、昭和期に拡張されれば、より身近に感じられる作品が増えて、活用にはさらに拍車がかかるだろう。
 インターネットと結び付いたデジタル・アーカイブは、言葉による作品以外の領域でも大きく花開く可能性を秘めている。映画、音楽、美術などの分野で公有作品の樹が社会に育てば、新たなる創造を育む文化の大河は、確実に流量を増すだろう。
 その可能性一般に、著作権や著作隣接権の保護期間延長は、たがをはめてしまう。
 延長でもっとも潤うのは、著作物の商品化と著作権の管理にあたる者である。
 彼等の事業規模拡大を優先して、公有作品の樹から二〇年分の作者と作品を奪うのか。それとも、インターネットを得て、今まさに「文化の発展」の強力な梃子として機能し始めた著作物公有化の規定を生かして、天に積む宝を豊かに育てるのか。
 保護期間延長問題を突きつけられた私たちが判断を迫られているのは、その点だ。





底本:「インターネット図書館 青空文庫」はる書房
   2005(平成17)年11月15日初版第1刷発行
※「*」印の注記は、著作権継承者である入力者による加筆です。
※明らかな誤植と認められるものは訂正しました。
※底本で末尾近くに挿入されている「2027年の青空文庫が、著作権保護期間70年延長で失う作家」のリストは省略しました。
※本文中の参考URL注記は省略しました。
入力:富田晶子
校正:雪森
2018年12月24日作成
2019年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、著作権継承者の意思により、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)に収録されています。

この作品は、クリエイティブ・コモンズ「表示 2.1 日本 (CC BY 2.1 JP)」でライセンスされています。利用条件は、https://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/を参照してください。




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