竹の里人 一

伊藤左千夫




同人が各自、種々なる方面より見たる故先生をあらはさむことにつとむ

考へて見ると實に昔が戀しい、明治三十三年の一月然かも二日の日から往き始めた予は、其以前の事は勿論知らぬのであるが、予が往き始めた頃はまだ頗る元氣があつたもので、食物は菓物を尤も好まれたは人も知つてゐるが、甘い物なら何でも好きといふ調子で、壯健の人をも驚かす位喰ふた、御馳走の事といつたら話をしても悦んだ程で、腰は立なくとも左の片肘を突いて體をそばだてゝゐながら、物を書く話をする、余所目にも左程苦痛がある樣には見えなかつた。
物はいくらでもくふ話はいくらでもする、予の如き暢氣な輩は夜の十二時一時頃まで話をすることは敢て珍しくはなかつた、或夜などは門の扉が何か音がするなと思つたら翌日の新聞を配達して來たといふ譚で家へ歸つたら三時であつた、こんな鹽梅であるから實に愉快でたまらなかつた、予の如きは往く時から既に先生は千古の偉人だと信仰して往つたのであるから、其愉快といふものは實に話に出來ぬ位、其人に接し其話を聞き、御互に歌を作つては、しまひに批評して呉れるので、一回毎に自分は高みへ引揚げられる樣な心持であつた。
固より趣味の程度が違つてゐるから、自分のいふ所多くは先生の考と一致しない、先生のいふ所又一寸分らぬことが少くない、それで質問される、質問する自分の非なることが直ぐ分る時と分らぬ時がある、分らぬ時は自ら衝突する、自分にも負惜みがあるから、右へ逃げ左に逃げ種々にもがきながらも、隨分烈しき抗辨をする、こうなると先生の頭はいよ/\さえてくる、益々鋭利になる、相手を屈服させなければ止まぬといふ勢で、鐵でも石でも悉く斷ち割るべきケンマク、そこまでくると降伏し樣にも降伏もさせない、骨にシミル樣な痛罵を交じへられる、こんな時には畏しく悲しくなることがある、先生は一面に慥に冷酷な天性を持つてゐらるゝなどゝ感ずるのは如斯塲合にあるのであツた。
情的談話の時の先生はそれは又暖かいもので、些末の事にまで氣をつかひつゝ、内の人達にも悉く注意を欠かない、一語一語彼の緩かな長めな顏に笑を交ぜ、好で滑稽を弄するなど、風ふき花ちるの趣きがある、それで又決して談話に飽かない、それがサア議論となると前いふ通り、情實なく謙遜なく主客なく長幼なく尊卑なく先輩もなければ後輩もない、老人をつかまへても遠慮なく攻めつける、書生をつかまへても顏赤くして論ずるのである、只々理想あるのみ自信あるのみ、少しも氣取りげなく毫末も先輩を以て居るといふ風はない、これが狹隘にも見える所で又高い所であるらしい、それであるから多少氣取けのあるやつや、いくらか優遇しなければ面白がらぬ樣なやつは、一旦來ても直ぐ放れてしまつたといふ譚である。
うぬぼれといふ奴がなければ、酷でも何でもないのであるが、自分がよいと思つた歌や、これ位なら取つてくれるだらうなどゝ思つた歌などを、少しも取つてくれぬと、どうもそれが先生が酷な樣に感ずる、何所迄もうぬぼれのぬけぬ人間といふやつしようのないもので、吾自らがそれであつたのである、所が先生の方ではなか/\酷どころではない、誰のも出した彼のも出した、今度は某のを是非出してやりたいが、偖其歌はどうも好くない困つたナア、一層思切て出してやらうかしら、しかし是れではしようがないが、嗚呼困つたなと人に話すことも屡々あつたのである、
毎月一回ヅヽ先生の宅で歌會のある外に、何とか、かとか會もある一人々々でもゆく、歌もつくる評論もきく、といふ風に觸接すればするほど、先生はえらいといふことを感じ、趣味標準は常に吾々よりも高く、且つ始終進歩しつゝある樣に感ずるもので、吾も人も自と歌會に往くのが非常に張合があつて愉快である、大に排斥せられて不平であつたものも、非常に攻撃せられて心底に不快を抱いた樣な事も、二十日と三十日たつ中に、いつしか自分の非なる點が悟られてくる、先生はえらいといふ感念が益深くなる、
此の如くなつてくると、先生の選先生の批評が非常なる勢力を以て、吾々の喜憂を支配するのである、毎月の歌會で先生が批評してくれる、或は先生の選にあたる、どんなにそれが嬉しかつたか、先生は容易にこれは面白いなどゝはいはぬ、故に適に先生より是れは面白いの一語が出ると、それが馬鹿に嬉しかつたものである、
「日本」新聞で屡歌を募集する、其時の吾々の意氣組みと云つたら、それは盛なものであつた、その募集の歌を詠まむ爲に幾度か旅行を企てた、愈及第して新聞へ出ると一晩位は寢られない位嬉しかつた、骨も折れたが張合もあり樂みあり實に愉快な年であつたは三十三年である、吾派同人は新進の氣運を開いて一大進歩を遂げたのも實に此年の夏より秋へかけてゞあると思ふ、(左千夫)

明治36年7月『馬醉木』





底本:「左千夫全集 第五卷」岩波書店
   1977(昭和52)年4月11日発行
底本の親本:「馬醉木 第二號」根岸短歌会
   1903(明治36)年7月5日
初出:「馬醉木 第二號」根岸短歌会
   1903(明治36)年7月5日
※初出時の署名は「左千夫」です。
入力:H.YAM
校正:高瀬竜一
2013年8月9日作成
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