糟谷獣医は、去年の
暮れ
押しつまってから、この
外手町へ
越してきた。入り口は
黒板べいの一部を
切りあけ、
形ばかりという門がまえだ。引きちがいに立てた
格子戸二
枚は、新しいけれど、いかにも、できの
安物らしく立てつけがはなはだ
悪い。むかって
右手の
門柱に
看板がかけてある。板も手ごしらえであろう、字ももちろん自分で書いたものらしい、しろうとくさい
幼稚な字だ。
「
家畜診察所」
とある大字のわきに小さく「
病畜入院の
求めに
応じ
候」と書いてある。板の新しいだけ、なおさら
安っぽく、
尾羽打ち
枯らした、
糟谷の心のすさみがありありと
読まれる。
あがり口の
浅い
土間にあるげた
箱が、
門外の
往来から見えてる。家はずいぶん古いけれど、
根継ぎをしたばかりであるから、ともかくも
敷居鴨居の
狂いはなさそうだ。
入り口の
障子をあけると、二
坪ほどな
板の
間がある。そこが
病畜診察所兼薬局らしい。さらに
入院家畜の
病室でもあろう、犬の
箱ねこの箱などが三つ四つ、すみにかさねあげてある。
ほかに六
畳の
間が
二間と
台所つき二
畳が
一間ある。これで
家賃が十円とは、おどろくほど家賃も高くなったものだ。それでも
他区にくらべると、まだたいへん安いといって、
糟谷はよろこんで
越してきたのである。
糟谷は
次男芳輔三
女礼の
親子四人の
家族であるが、その四人の生活が、いまの
糟谷の
働きでは、なかなかほねがおれるのであった。
平顔の目の小さいくちびるの
厚い、見たとおりの
好人物、人と話をするにかならず、にこにこと
笑っている人だ。なにほど心配なことがあっても、心配ということを知っていそうなふうのない人である。
細君はそれと
正反対に、色の
青白い、
細面なさびしい顔で、
用談のほかはあまり口はきかぬ。声をたてて笑うようなことはめったにない。そうかといって、つんとすましているというでもない。
それは、
前途におおくの
希望を持った、
若い
時代には、ずいぶんいやにすました人だといわれたこともあった。
実際気位高くふるまっていたこともあった。しかしながらいまのこの人には、そんな
内心にいくぶん
自負しているというような、
気力は
影もとどめてはいない。きどって
黙っていた、むかしのおもかげがただその
形ばかりに残ってるのだ。
天性陰気なこの人は、人の目にたつほど、
愚痴も
悔やみもいわなかったものの、
内心にはじつに長いあいだの、
苦悶と
悔恨とをつづけてきたのである。いまは
苦悶の力もつきはてて、目に
気張りの色も消えてしまった。
生まれが生まれだけにどことなし、
人柄なところがあって、さびしい
面ざしがいっそうあわれに見える。もうもう我が世はだめだとふかくあきらめて、なるままに身をも心をもまかせてしまったというふうである。それでもさすがに、ここへ
移ってきた夜は、だれにいうとはなく、
「
引っ
越すたびに家が小さくなる」
とひとりごとをくりかえしておった。
糟谷はあければ五十七才になる。
細君はそれより十一の年下とかいった。糟谷は
本所へ
越してきて、生活の道が
確立したかというに、まだそうはいかぬらしい。
糟谷が
上京以来たえず
同情を
寄せて、ねんごろまじわってきた、
当区の
畜産家[#「畜産家」は底本では「畜産科」]西田という人が、糟谷の
現状を見るにしのびないで、ついに自分の
手近に
越さしたのであるが、糟谷が十年
住んでおった、新小川町のとにかく
中流の
住宅をいでて、
家賃十円といういまの家へ
移ってきたについては、一
場の
悲劇があった
結果である。
糟谷は明治十五年ごろから、足
掛け十二年のあいだ、
下総種畜場の
技師であった。そのころ種畜場は
農商務省の
所管であった。
糟谷は三十になったばかり、
若手の
高等官として、
周囲から
多大の
希望を
寄せられていた。
新しい学問をした
獣医はまだすくない時代であるから、糟谷は
獣医としても
当時の
秀才であった。
快活で
情愛があって、すこしも
官吏ふうをせぬところから、
場中の
気受けも
近郷の
評判もすこぶるよろしかった。
近郷の
農民はひいきの
欲目から、糟谷は遠からずきっと
場長になると信じておった。
糟谷は
西洋葉巻きを口から
離さないのと、へたの
横好きに
碁を打つくらいが
道楽であるから、
老人側にも若い人の
側にもほめられる。時間のゆるすかぎり、
糟谷は
近郷の人の
依頼に
応じて
家蓄の
疾病を見てやっていた。
職務に
忠実な考えからばかりではないのだ。
無邪気な農民から、糟谷さん糟谷さんともてはやされるのが、
単調子の
人よしの糟谷にはうれしかったからである。
梅の
花、
菜の
花ののどかな村むらを、
粟毛に
額白の馬をのりまわした糟谷は、
当時若い男女の
注視の
焦点であった。糟谷は
種畜場におって、
公務をとるよりは、
村落へでて農民を相手に働くのが、いつも
愉快に思われてきた。そうしてこういうことが、
自己の
天職からみてもかえってとうといのじゃないかなど考えながら、ますます
乗り
気になって農民に
親しむことをつとめた。
糟谷はでるたびにいく
先ざきで、村の青年らを
集め、
農耕改良はかならず
畜産の
発達にともなうべき
理由などを
説き、文明の農業は
耕牧兼行でなければならぬということなどをしきりに
説き
聞かせ、
養鶏をやれ、
養豚をやれ、牛はかならず
洋牛を
飼えとすすめた。
人望のあった糟谷の話であるから、
近郷の農民はきそうて
家畜を
飼うた。
糟谷はこのあいだに、三
里塚の一
富農の長女と
結婚した。いまの
細君がそれである。細君の
里方では、糟谷をえらい人と思いこみ、なお
出世する人と信じて、この結婚を
名誉と感じてむすめをとつがし、糟谷のほうでもただ
良家の女ということがありがたくて、むぞうさにこの結婚は
成立した。それで男も女も
恋愛に
関する
趣味にはなんらの
自覚もなかった。
精神上からみると、まことに
無意味な
浅薄な結婚であったけれど、
世間の目から
羨望の中心となり、一
時近郷の
話題の花であった。そして
糟谷夫婦もたわいもない
夢に
酔うておった。
過渡期の時代はあまり長くはなかった。
糟谷が
眼前咫尺の
光景にうつつをぬかしているまに、
背後の時代はようしゃなく
推移しておった。
札幌農学校や
駒場農学校あたりから、ぞくぞくとして
農学上獣医学上の
新秀才がでてくる。
勝島獣医学博士が
駒場農学校のまさに
卒業せんとする数十名の
生徒をひきいて
種畜場参観にこられたときは、
教師はもちろん生徒にいたるまで
糟谷のごときほとんど
眼中になかった。
糟谷が自分の
周囲の
寂寥に心づいたときはもはやおそかった。糟谷ははるかに時代の
推移から
取り
残されておった。
場長の
位置を
望むなどじつに思いもよらぬことと思われてきた。いまの
現在の
位置すらも、そろそろゆれだしたような気がする。ものに
屈託するなどいうことはとんと知らなかった糟谷も、にわかに
悔恨の
念禁じがたく、しばしば
寝られない夜もあった。糟谷はある夜また
例のごとく、心細い
思案にせめられて
寝られない。
なるほど自分はうかつであった。国家のためということを考えて働いた。
畜産界のためということも考えて働いた。
人民のためということも考えて働いた。けれどもただ自分のためということは、ほとんど
胸中になく働いておった。なんといううかつであったろう。もうまにあわない、なにもかもまにあわない。
糟谷はこう考えながら、自分には子どもがふたりあるということを
強く感じて、心持ちよく
眠っている
妻子をかえりみた。長男
義一はふとってつやつやしい赤い顔を、ふとんから
落としてすやすや
眠っている。
妻は三つになる
次男を、さもかわいらしそうに
胸に
抱きよせ子どものもじゃもじゃした
髪の
毛に、白くふっくらした髪をひつけてなんの
苦もない
面持ちに眠っている。糟谷はいよいよさびしくてたまらなくなった。
自分になんらの
悪気はなかったものの、妻が自分にとつぐについては自分に
多大な
望みを
属してきたことは
承知していたのだ。そうことばの
穂にでたときにも、自分は
調子にのって
気休めをいうたこともあったのだ。
結婚当時からのことをいろいろ
回想してみると、
妻に
対しての気のどくな
心持ち、しゅうとしゅうとめに対して
面目ない心持ち、いちいち自分をくるしめるのである。かれらが
失望落胆すべき
必然の
時期はもはや目のまえに
迫っていると思うと、はらわたが
煮えかえってちぎれる心持ちがする。自分はなんらおかした
罪はないと考えても、それがために
苦痛の
事実が
軽くなるとは思えないのだ。
糟谷はまた自分の
結婚するについてもその
当時あまりに
思慮のなかったことをいまさらのごとく
悔いた。家とか
位置とかいうことを、たがいに
目安にせず、いわば人と人との結婚であったならば、自分の
位置に
失望的な
変遷があったにしろ、ともにあいあわれんで、
夫婦というものの
情合いによって、
失望の
苦も
慰むところがあるにちがいないだろうが、それがいまの自分にはほとんど
望みがないばかりでなく、かえって
夫婦間におこるべきいやな、いうにいわれない
苦痛のために、時代に
捨てらるるさびしさがいっそう苦しいのである。それもこれも考えればみな自分のうかつから
求めたことでまぬがれようのない、いわゆるみずから
作れるわざわいだ……。
恋愛などということただただばかげてるとばかり思っていたが、恋愛のとぼしい結婚はじつにばかげておった。ばかげているというよりも、いまはそのあさはかな結婚のために、たまらないいやなくるしみをせねばならぬことになった。
こう思って
糟谷はまた
妻や子の
寝姿を見やった。なにか
重いものでしっかりおさえていられるように
妻や子どもは
寝入っている。
いよいよ自分も
非職となり、
出世の道がたえたときまったら、妻はどうするか、かれの両親はどういう
態度をするか、こういうときに
夫婦の
関係はどうなるものかしら。いっそのこと
別れてしまえばかえって気は安いが、やはり男の子ふたりのかすがいが
不本意に夫婦をつないでおくのだろう。
「しようがないから」「どうすることもできないから」「よんどころないからあきらめている」というような心持ちで、いかにもつまらない
冷やかな家庭を作っていねばならないのか、ああ考えるのもいやだ……。
うっかりして
過渡期の時代におったというのが、つまり
思慮がたらなかったのだ……。ここをやめたからとて、
妻子をやしなってゆくくらいにこまりもせまいが、しかたがない、どうなるものか
益のない考えはよそう。
考えにつかれた
糟谷は、われしらずああ、ああと
嘆声をもらした。
下女がおきるなと思ってから、糟谷はわずかに眠った。
翌朝はようやく
出勤時間にまにあうばかりにおきた。よほど
顔色がわるかったか、
「どうかなさいましたか」
と
細君がとがめる。
糟谷はうんにゃといったまま
井戸端へでた。食事もいそいで
出勤のしたくにかかると、ふたりの子どもは右から左から父にまつわる。
「おとうさん、おとうさん」
「とんちゃん、とんちゃん」
糟谷はきょうにかぎって、それがうるさくてたまらないけれど、
子煩悩な自分が、毎朝かならず
出勤のまえに、こうして子どもを
寵愛してきたのであるから、
無心な子どもは
例のごとく父にかわいがられようとするのを、どうもしかりとばすこともできない。
「きょうは
遅いからいそぐだ」
とすこしむずかしい顔をしても子どもは聞き入れそうもしない。
糟谷はますますむしゃくしゃして、手をだす気にもならない。
「ねいあなたちょっと
抱いてやってくださいな、ほんのすこし、ねいあなたちょっと」
細君から
手移しに
押しつけられて、
糟谷はしょうことなしに笑って、しょうことなしに
芳輔を
抱いた。それですぐまた
細君に
返した。
糟谷はこのあいだにも細君の目をそらして、これら
無心の母子をぬすみ見たのである。そうしてさびしいはかない
苦痛が、
胸にこみあげてくるのである。
心臓の
動悸が息のつまるほどはげしく、自分で自分の身がささえていられないようになった。糟谷は、
「もう
遅いっ」
とおちつかないそぶりをことばにまぎらかして
外へでた。外へでるがいなや糟谷は
涙をほろほろと
落とした。いますこしのところで
妻に
涙を見られるところであったと、糟谷は心で思った。
糟谷は
事務所の入り口で
小使を見た。小使はいつもていねいにあいさつするのだが、けさはすぐわきをとおりながらあいさつもせずにいってしまった。
糟谷はいやな気持ちがした。事務所へはいってみると、
場長はじめ
同僚までに一
種の目で自分は見られるような気がする。いつもは、
「
糟谷さんこうしてください」とか、
「これはこれしておきましょうかね」
とか、うちとけてむぞうさにいうところも、みょうにあらたまって
命令的に
事務の話をするのである。糟谷はもうおちついて事務がとれない。
あるいは
非職の
辞令が場長の
手許まできてでもいやせぬかとも考える。まさかにそんなに早くやめられるようなこともあるまいと思いなおしてみる。糟谷はへいきで仕事をしてるようなふうをよそおうて、
机にむかっているときにはわかりきってることをわざわざ立っていって
同僚に聞いたりしている。
場長が
同僚と話をしているのに、声が
低くてよく聞きとれないと、
胸騒ぎがする。そのかんにも
昨夜考えたことをきれぎれに思いださずにはいられない。人びとがおのおの
黙して
仕事をしてるのを見ると、自分はのけものにされてるのじゃないかという考えを
禁ずることができない。
場長がなにか
声高に近くの人に話すのを聞くと、
来月にはいるとそうそうに、
駒場農学校の
卒業生のひとり
技手として
当場へくるとの話であった。
糟谷はおぼえずひやりとする。それから
千葉県の
某も
埼玉県の
某も
非職になったという話をしている。それはみな糟谷と
同出身の
獣医で糟谷の
知人であった。糟谷はいまの場長の話は遠まわしに自分に
諷するのじゃないかと思った。
糟谷はつくづくと、自分が
過渡期の
中間に
入用な
材となって、
仮小屋的任務にあたったことを
悔やんだ。
涙がいつのまにかまぶたをうるおしていた。
糟谷がぼんやりしていると、場長はじめおおくの
事務員は、みんな
書類をかたづけて
退場の用意をする。そのわけがわからなかったから、糟谷はうろたえてきょろきょろしている。ようやくのこと人びとの
口気できょうの
土曜日というに気づいた。糟谷はいまがいままできょうの土曜日ということを
忘れておったのだ。
糟谷は土曜と知って目がさめたようにたちあがった。なるほどそうであったな、すっかり
忘れていた、とにかく
都合がえい、それではきょうさっそく
上京して、あの人に
相談してみよう、
時重先生が心配してくれ、きっとどうにかなる、東京にいることになれば
位置が低くても勉強ができる、なるべく
非職などいう
辞令を受け取らずに、
転任したいものだ、
飯くってすぐとでかけよう。
糟谷はこう考えがきまると、よろめく足をふみこたえたように、からだのすわりがついた。ふみだす足にも力がはいって、おおいに元気づいて家に帰ってきた。
「とんちゃんとんちゃん」
という声も、いつものごとくにかわいかった。
糟谷が
芳輔を
抱いて
奥へあがるとざる
碁仲間の老人がすわりこんでいる。
「きょうは先生、ぜひとも
先日の
復讐をするつもりでやってきました。こうすこしぽかぽか
暖かくなってきますと、どうも家にばかりおられませんから」
老人は
糟谷の
浮かない顔などにはいっこう気もつかず、かってに自分のいいたいことをいっている。糟谷は
役所着のままで東京へいくつもりであるから、
洋服をぬごうともせず、子どもを
抱いたまま老人と
対座した。
「これはせっかくのご
出陣ですが、じつはそのちょっと東京へいってくるつもりで……はなはだ
残念だが……」
「いやそりゃ残念ですな、日帰りですか」
「
今夜は帰れません」
「それじゃきょうじゅうに東京へいけばえい。二、三
席勝負してからでかけても
遅くはない。うまくいって
逃げようたってそうはいかない」
農家の
楽隠居に、
糟谷がいまの
腹のわかるはずがない。
糟谷はくるしく思うけれど、
平生心おきなくまじわった老人であるから、そうきびしくことわれない、かつまたあまりにわかに
変わった
態度をして、いまの自分の
不安心をけどられやせまいかというような、あさはかなみえもあった。
とうとう二、三
盤打つことにした。人間も
糟谷のような
境遇に
落つるとどっちへむいても
苦痛にばかり
出会うのである。
糟谷はその
夕刻上京して、
先輩時重博士をたずねて
希望を
依頼した。
「うむ、いますこし勉強するにはそりゃもちろん東京へくるほうが
得策だ、
位置を
望まないというならば、どうとかなるだろう、しかしきみたちのように、まにあわせの学問をした人はみなこまってるらしい、いますこし勉強するのはもっとも
必要だね」
糟谷はがらにないおじょうずをいったり、自分ながらひや
汗のでるような、
軽薄なものいいをしたりして、なにぶん
頼むを数十ぺんくり
返して
辞した。
「これでも
高等官かい」
糟谷は自分で自分をあなどって、
時重博士の門をかえりみた。なに時重さんくらいと思ったときもあったに、いまは時重と自分とのあいだに、よほどな
距離があることを思わないわけにいかなかった。
妻子を
振り
捨てて、
奮然学問のしなおしをやってみようかしら、そんならばたしかに人をおどろかすにたるな。やってみようか、おもしろいな
奮然やってみようか。ふたりの子どもを
妻のやつが
連れて三
里塚へいってくれると
都合がえいが、
承知しないかな。
独身になっていま一
度学問がやってみたいなあ。子どもはひとりだけだなあ。ひとりのほうは
妻がつれていくにきまってる。いちばん
奮然としてやってみようかな。
糟谷はくるしまぎれに、そんな
考えをおこしてみたものの、それも長くはつづかず、すぐまたぐったりとなって、
時重博士がいってくれた「どうとかなるだろう」を
頼りにわずかに安心するほかはなかった。
よくよく
糟谷は
苦悶につかれた。
遠いさきのことはとにかく、なにかすこしのなぐさめを
得て、わずかのあいだなりとも、このつかれのくるしみを
忘れる
娯楽を取らねば、とてもたえられなくなった。
酒好きならばこんなときにはすぐ
酒に走るところだが、
糟谷は酒はすこしもいけない。
糟谷はとうとう
神楽坂に
親しい友人をたずねた。そうしてつとめて、自分が苦労してる問題に
離れた話に
興を求め、ことさらにたわいもないことを
騒いで、一
晩ざる
碁をたのしんだ。
翌日もざる
碁をたのしんだ。
糟谷はその
後日曜たびにかならず
上京しておった。かくべつ用がなくても上京しておった。
種畜場近郷の農家から、牛がすこしわるいからきてくれの、
碁会をやるからきてくれのとしきりにいうてきたけれど、いっさい
村落へでなかった。土曜日日曜日をうかがって、
遊びにくるものがあってもたいていは
避けて
会わないようにした。
胸中に
深刻な
痛みをおぼえてから、
気楽な
悠長な農民を
相手にして遊ぶにたえられなくなったのである。
糟谷はついに東京に
位置を
得られないうちに、四月
上旬非職の
辞令を
受け
取った。
農商務省にもでた、
警視庁へもでた。いずれもあまりに
位置が
低いので二年とはいられずやめてしまった。そのうち
府下の
牛乳搾取業者の一
部が
主となって、
畜産衛生会というものができた。ちょうど
糟谷が遊んでおったをさいわいに、その
主任獣医となった。糟谷は以来
栄達の
望みをたち、
碌ろくたる生活に
安んじてしまった。
愛想よくいつもにこにこして、
葉巻きのたばこを横にくわえ、ざる
碁をうって
不平もぐちもなかった。
ただ一
度細君に対しては、もはや自分は大きい
望みのないことをさらけだし、いまの自分に
不足があるならばどうなりともおまえの
気ままにしてくれというた。その後は
細君から
不満をうったえられても
相手にならず、ひややかな気まずいそぶりをされても、へいきに
見流しておった。そうして新小川町に十
余年おった。
糟谷はいよいよ
平凡な一
獣医と
估券が
定まってみると、どうしても
胸がおさまりかねたは細君であった。どうしてもこんなはずではなかった。三
里塚界隈での
富豪の長女が、なんだってただの一
獣医の
妻となったか、たとい
種畜場はやめても東京へでたらば
高等官のはしくれぐらいにはなっておれることと思っておった。ただの
町獣医の
妻では
親類に
会わせる顔もないと思うから、どう考えてもあきらめられない。それであけても
暮れても
欝うつたのしまない。
なにかといっては月のうちに一
度も二
度も
里方へ
相談にいく。なんぼ相談をくりかえしても、三人の子持ちとなった女はもはや動きはとれない。いつもいつも父母兄弟から
相も
変わらぬ気休めをいわれて帰ってくる。
運がわるいのだ、まがわるいのだ。若くて
死ぬ人もいくらもある世の中だ。あきらめねばなるまい。あきらめるよりほかに道はない。こう百度も千度もくりかえして、われと自分をいさめてみても、なかなかその日がおもしろいという気になれないのだ。
糟谷は
細君がどういうことをしようといやな顔もしないから、さすがに細君もときには自分のわがままを気づいて、
「わたしがなにぶん
性分がわるいものですから、わたしも自分の
性分がわるいことは
心得ていますけれども、どうもその
今日をおもしろく
暮らすという気になれませんで、
始終あなたに
失礼ばかりしておりますけれども」
などと
遠まわしにわび
言をいうことさえあるのである。
種畜場以来この人を知ってる人の話を聞くと、
糟谷の
奥さんは、種畜場にいた
時分とはほとんど
別人のようにおもざしが
変わってしまった、
以前はあんなさびしい人ではなかったというている。
こればかりは親の力にもおよばないとはいうものの、むすめが
苦悶のためにおもざしまで
変わったのを見ては、
実の親として心配せぬわけにはゆかない。
結局両親は自分たちの
隠居金を
全部むすめにあたえて、
「ふたりの男の子をせい一ぱい
教育しなさい、そうしてわが
世をあきらめて、ふたりの子の
出世をたのしめ」
とさとしたのである。
糟谷の
妻もやっと
前途に一
道の光をみとめて、わずかに胸のおさまりがついた。長らくのくもりもようやくうすらいで、
糟谷の家庭にわずかな光とぬくまりとができた。
家畜衛生会のほうもそうとうに
収入がある。ただ
近隣から、
「
糟谷の
奥さんは
陰気な人ねい」
といわれるくらいのことで六、七年間はうすあたたかい
平穏な月日を
経過した。
長男
義一は十六才になって、いよいよ学問はだめだときまりがついた。北海道に走って
牧夫をしている。三
里塚の両親も
相ついで世を
去った。
跡取りの弟は
糟谷をばかにして、東京へきても用でもなければ
寄らぬということもわかった。細君の顔はよりはなはだしく青くなった。
十一月も
末であった。こがらしがしずかになったと思うと、ねずみ色をした雲が低く空をとじて雪でも
降るのかしらと思われる
不快な
午後であった。
糟谷は机にむかったなり目を
空にしてぼうぜん考えている。細君はななめに
夫に
対し、両手をそでに入れたままそれを胸に
合わせ、口をかたくとじて、ほとんど
人形のようにすわっている。この人をモデルにして
不満足という
題の
絵なり
彫刻なり作ったならばと思われる。ふたりはしばらくのあいだ口もきかなかった。
三女の
礼子が帰ってきて、
「おとうさんただいま、おかあさんただいま」
とにこにこしておじぎをしても、父も母もはいともいわない。礼子は
両親の顔をちらと見たままつぎの
間へでてしまった。つづいて
芳輔が帰ってきた。両親のところへはこないで、
台所へはいって、なにかくどくど
下女にからかってる。
「
芳輔のやつ
帰ったな、
芳輔……芳輔」
「きょうはほんとに、なまやさしいことではあなたいけませんよ」
「こら芳輔」
父の声はいつになく
荒かった、芳輔は
上目使いに両親の顔をぬすみ見しながら、からだをもじりもじり
座敷のすみへすわった。すわったかとするともうよそ見をしてる。母なる人は
無言にたって、
芳輔の手を
捕えて父の近くへ
引き
寄せた。
「
芳輔……おまえはいま家へきしなに小川さんに
会ったろ」
「知りません」
「そうか、小川さんはおまえの
保証人だぞ、学校からおまえのことについて、二
度も三度も話があったというて、きょうはおまえのことについていろいろの話をしていかれた。いま帰ったばかりだがきさまといき会うはずだが、いやそりゃどうでもよいが、きさまはいくつになる」
芳輔はこういわれてすこし父をあなどるような
冷笑を目に
浮かべる。
「自分の子の年を人に聞かねたって……」
「こら
芳輔、そりゃなんのことです。おとうさんに
対して
失礼な」
「だっておとうさんはつまらないことを聞くから……」
「だまれこの
野郎……」
両親はもう手もふるえ、くちびるもふるえてすぐにはつぎのことばがでない。母はまたたきもせずわが
子の顔を見つめている。
「
芳輔、きさまはなにもかもおぼえがあるだろう。きょう小川さんの話を聞くと、小川さんはおまえのために三
度も学校へよばれたそうだぞ。きのうは校長まででてきて、いま一
度芳輔の両親にも話し、本人にもさとしてくれ。こんど
不都合があればすぐ
退校を
命ずるからという話であったそうな。どんな
不都合を働いた。
儀一はあのとおりものにならない。あとはきさまひとりをたよりに思ってれば、この
始末だ、
警察からまで、きさまのためには
注意を
受けてる。
夜遊びといえばなにほどいってもやめない。朝は五へんも六ぺんもおこされる。学校の
成績がわるいのもあたりまえのことだ。十五になったら十六になったらと思ってみてれば、年をとるほどわるくなる。おかあさんを見ろ、きさまのことを心配してあのとおりやせてるわ。もうそのくらいの年になったらば、
両親の
苦心もすこしはわかりそうなものだ」
「おかあさんはもとからやせてら……」
母はこのぞんざいな
芳輔のことばを聞くやいなやひいと声をたてて
泣きふした。父も顔青ざめて
言句がでない。
「おとうさん、わたしすこし用がありますから
錦町までいってきます」
そういって
芳輔は立ちかける。なにごとにも思いきったことのできない
糟谷も、あまりに
無神経な
芳輔のものいいにかっとのぼせてしまった。
「この
野郎ふざけた野郎だ……」
猛然立ちあがった糟谷はわが子を足もとへ
引き
倒し、ところきらわずげんこつを打ちおろした。芳輔はほとんど
他人とけんかするごとき
語気と
態度で
反抗した。手足をわなわなさして見ておったかれの母は、力のこもった
決心のある声をひそめて、あなた
殺してしまいなさい。殺してしまいなさい。
罪はわたしがしょいます。
殺してしまってください。もう
生きがいのないわたし、あなたが殺されなけりゃわたしが殺す……。こうさけんで母は
奥座敷へとび
去った。……
礼子と
下女は
泣き
声あげて
外へでた。
糟谷も
殺すの一
言を耳にして思わず手をゆるめる。
芳輔は殺せ殺せとさけんで
転倒しながらも、
真に殺さんと
覚悟した母の
血相を見ては、たちまち色を
変えて
逃げだしてしまった。
礼子は外から
飛び
込みさまに母に泣きすがった。いっしょけんめいに泣きすがって
離れない。
糟谷も
座につきながら
励声に
妻を
制した。
隣家の
夫婦も
飛び
込んできてようやく座はおさまる。
糟谷はまだ手をぶるぶるさしてる。礼子はただがたがたふるえて母を
見守っている。母はほとんど
正気を
失ってものすさまじく、ただハアハア、ハアハアと
息をはずませてる。はっきりと口をきくものもない。
ようやくのこと糟谷は、
「
増山さん(となりの主人)いやはやまことに
面目もないしだいで、なんとも
申しあげようもありません」
「いやお
察し申しあげます、いかにもそりゃ……まことにお
気のどくな、しかし糟谷さんあまり
無分別なことをやってしまっては
取りかえしがつきませんよ、奥さんはよほど
興奮していらっしゃるから、しばらくお
寝かしもうしたがよろしいでしょう」
「どうも
面目ありません」
ほとんど人のみさかいもないように見えた
細君も、
礼子や
下女や
増山の
家内から、いろいろなぐさめられていうがままに
床についた。やがて
増山夫婦も帰った。あとへ深川の
牛乳屋某がくる、
子宮脱ができたからというので車で
迎えにきたのである。家のありさまには気がつかず、さあさあといそぎたてるのである。
糟谷はとつおいつ、あいさつのしようにも
窮して、いたりたったりしていた。
子宮脱はかれこれ六時間
以上になるという。いちばん高い牛だから、気が気でないという。
糟谷はいかれないともいえず、
危険な
意味ある
妻を
下女と子どもとにまかせてでるのはいかにも
不安だし、
糟谷はとほうに
暮れてしまった。おりよくもそこへ
西田がひょっこりはいってきた。深川の
乳屋も知ってる人と見え、やあとあいさつして
遠慮もなくあがってきた。
「うちでしたな、えいあんばいであった。じつはころあいのうちが見つかったもんですからな」
西田の声がして家のなかの空気は見るまに
変わってしまった。
陰欝な空気が見るまにうすらぐような気がした。糟谷は
手短にきょうのできごとから目の前の
窮状を西田に
語った。
「うん、きみもかわいそうな人だな、なるほど奥さんも
無理はない。ああ奥さんもかわいそうだ」
涙もろい
西田は、もう目をうるおした。
礼子もでてきて
黙ってお
辞儀をする。西田はたちながら、
「
子宮脱ならなるたけ早いほうがえいでしょう。
糟谷くん
職務はだいじだ。ぼくが
留守をしてあげるから、すぐと深川へでかけたまえ」
西田はこういい
捨てて、細君の
寝間へはいった。細君も
同情深い西田の声を聞いてから、夢からさめたように
正気づいた。そうしてはいってきた西田におきて
礼儀をした。
「いま糟谷くんからかいつまんで聞きましたが、もうひとすじに思いつめんがようございますよ」
細君は、
「ありがとうございます」
と細い声でいってさんさんと
泣くのである。
「それじゃ
西田さんちょっといってくるから
頼む」
と
糟谷は
唐紙の外から声をかけてでてしまった。
西田は
細君に対し、
外手町に家のあったこと、
本所へ
越してからの
業務の
方法、そのほかここの
家賃のとどこおりまで
弁済してあげるということまで話して、細君をなぐさめた。
子どもをりっぱにして自分がしあわせをしようと思うても、それはあてにならないから、なんでも人間のしあわせということは、自分にできることの上に求めねばならぬ。とかく
無理な
希望を
持ってると、自分のすることにも
無理ができるから、無理とくるしみを求めるようになるなどと話されて、細君もひたすら
西田の
好意に感じて胸が
開いた。
あかしのつくころに
糟谷は帰ってきた。西田は帰ってしまうにしのびないで、
泊まって話しすることにする。夜になって礼子や下女の笑い声ももれた。細君もおきて
酒肴の
用意に
手伝った。
糟谷は飲めない口で西田の相手をしながら、いまいってきた
某氏の家の
惨状を語った。
ひとりむすこに
嫁をとって、
孫がひとりできたら
嫁は死んだ。まもなくむすこも病気になった。ちょうどきょう
某博士というのがきた。病気は
胃癌だといわれて、
家じゅう
泣きの涙でいた。牛のほうはぞうさないけれど、むすこは助かる
見込みがない。おふくろが
前掛けで
涙をふきながら茶をだしたが、どこにもよいことばかりはないと、しみじみ
糟谷は
嘆息した。
西田はあいさつのしようがなく、
「ぼくのような友人があるのをしあわせと思ってるさ」
と
投げだすようにいう。
「ほんとにそうでございます」
と細君はいかにもことばに力を入れていった。
芳輔は、十時ごろに
台所からあがってこっそり自分のへやへはいった。パチリパチリと
碁の音は十二時すぎまで
聞こえた。