五月雨

一葉稿




(一)


いけ菖蒲あやめかきつばたのかゞみうつはな二本ふたもとゆかりのいろうすむらさきかむらさきならぬ白元結しろもとゆひきつてはなせし文金ぶんきん高髷たかまげこのみはおな丈長たけながさくらもやう淡泊あつさりとしていろふく姿すがた高下かうげなくこゝろへだてなくかきにせめぐ同胞はらからはづかしきまでおもへばおもはるゝみづうをきみさまくはなんとせんイヤわれこそは大事だいじなれとたのみにしつたのまれつまつこずゑふぢ花房はなぶさかゝる主從しゆうじうなかまたとりや梨本なしもと何某なにがしといふ富家ふうかむすめ優子いうこばるゝ容貌きりやうよし色白いろじろほそおもてにしてまゆかすみ[#「霞」の「コ」に代えて「マ」、1-10]遠山とほやまがたはなといはゞと比喩たとへくもこぢたけれど二ぐわつばかりの薄紅梅うすこうばいあわゆきといふかなにらねどからぬほどの白粉しろいもの玉虫たまむしいろの口紅くちべにひんよしとよろこぶひとありけり十九といへど深窓しんそうそだちは室咲むろざきもおなじことかぜらねど松風まつ ぜ[#ルビの「まつ ぜ」はママ]ひゞきはかよ瓜琴つまごと[#「瓜琴つまごとの」はママ]しらべになが春日はるびみじかしとくらこゝろ如何いかばかり長閑のどけかるらんころ落花らくくわの三ぐわつじんちればぞさそあさあらしにには吹雪ふゞきのしろたへ流石さすがそでさむからでてふうらの麗朗うら/\とせしあまあがり露椽先ぬれゑんさき飼猫かひねこのたまかるきて首玉くびたましぼばなゆるものは侍女こしもとのお八重やへとてとし優子ゆうこに一おとれどおとらずけぬ愛敬あいけう片靨かたゑくぼれゆゑする目元めもとのしほの莞爾につこりとしてはなしつ不圖ふと見返みかへりてまゆせしがまたことさらにホヽとわらつてじやうさま一寸ちよつ御覽ごらんあそばせこのマア樣子やうす可笑をかしいことよと面白おもしろげにいざなはれてなんぞとばかり立出たちいづ優子いうこ八重やへ何故なぜ其樣そのやうなことが可笑をかしいぞわたしにはなんともきをとなやましげにて子猫こねこのヂヤレるはもやらでにはながめて茫然ばうぜんたりじやうさま今日けふもお不快こゝろわるう御坐ございますか左樣さうけれどうも此處こゝがとしてするむねうちにはなにがありやおもおもひをられじとかことばをかへて八重やへやおまへふことがあるはるにつきての花鳥はなどりくらべてなにきぞさてかはつたおたづそれ心々こゝろ/″\でも御坐ございませうが歸鴈きがんあはれにぞんじられますりとてはなことぞみやこはる見捨みすてゝじやうなしがおまへきかあはれといへば深山みやまがくれのはなこゝろさぞかしとさつしられるにもられずひとにもられずさきるが本意ほんいであらうかおなあらしさそはれてもおもひと宿やどきておもひとおもはれたらるともうらみはるまいもの谷間たにまみづ便たよりがなくはながれてられるたのみもなしマアどのくらゐかなしからうとらぬことながら苦勞くらうぞかしとて流石さすがわらへばテモ[#「テモ」はママ]じやうさまははなこゝろ御存ごぞんわたしが歸鴈きがんきとふは我身わがみながら何故なぜらねどはなやま曉月夜あかつきづきよさては春雨はるさめ夜半よはとこなきぎるこゑわかれがしみ/″\とにしみてかなしいやうさびしいやうなまたあきちぎりをおもへば頼母たのもしいやうにもあり故郷こきやうかへるといふからしておやことおもはれますとうちしほるればそれ道理ことわりわたしでさへも乳母うばことすこしもわすれずいま在世いたならあまへるものをとなにぞにつけてこひしければでは如何いかばかりこゝろぼそくもかなしくもらうなれどおよばずながらわたしはちからになるこゝろあねおもふてよとたのむは可笑をかしけれど歳上としうへなれば其約束そのやくそく何時いつも/\ふことながらわたしは眞實ほん同胞はらからおもひますとなぐさめられてうれしげに御縁ごえんあればこそおやどもばかりかわたしまでめぐりめぐつてまた御恩ごをんうみともやまともくちには如何どうも申されねどおまへさまのおさしさはにしみてわすれませぬ勿躰もつたいなけれどお主樣しゆうさまといふ遠慮ゑんりよもなく新參しんざんのほどもわすれてひたいまゝの我儘わがまゝばかり兩親ふたおやそばなればとて此上このうへ御座ございませぬりながらくやしきは生來せいらいにぶきゆゑ到底とて御相談ごさうだん相手あいてにはなされてくださるはづもなしべつものにあそばすとりながらおうらみも申されぬ不束ふつゝかうらめしうぞんじますとホロリとこぼすひざつゆ優子ゆうこ不審いぶかしげにうちまもりて八重やへなにさわつてかおもひもよらぬうらごとつもりてよかしなにへだてゞかくしだてをするものぞかあさまにさへまをさぬこともひにはなさぬときはなきを今日けふかぎつてそのやうなこといはれるおぼえはなにもなけれどマアなんおもふてぞといふかほじつとうちあふぎて夫々それ/\それがりおへだ何故なぜそのやうにおくしあそばす兄弟きやうだいおつしやつたはおいつはりか、いつはりではけれどくすとはなにを、デハわたしからまをしませう深山みやまがくれのはなのおこゝろひさして莞爾につことすれば、アレわらふてははぬぞよ

(二)


おもみちは一すぢなれと夏引なつびきの手引てびきのいとみだれぐるしきはこひなるかや優子ゆうこ元來もとよりさいはじけならず柔和をとなしけれど悧發りはつにてもの道理ことはりあきらかに分別わきまへながららきはれぬむねくもにうつ/\としてらすをお八重やへしかぞとりぬれもおもひのならねば他人ひとごとなりともかなしきを假初かりそめならぬ三えんおなじ乳房ちぶさりしなり山川さんせんとほへだたりし故郷こきやうりしさへひがしかたあしけそけし御恩ごおん斯々此々かく/\しか/″\はゝにてはおくりもあえぬに和女そなたわすれてなるまいぞとものがたりかされをさごゝろ最初そも/\よりむねきざみしおしゆうことましてやつゞ不仕合ふしあはせかたもなき浮草うきくさ孤子みなしご流浪るらうちからたのむはほかになし女子をんなだてらに心太こゝろふと都會みやこへとこゝろざし其目的そのもくてきにはわけもあれどおもひはいすかのはしもたづぬるひとひきかへてたづねぬならねどづればれとははれぬおしゆうのもとへまた見出みだされて二おんあるがなかにも取分とりわけてじやうさまの御慈愛おいつくしみやまうちみねたかきがうへたかうみうち沖深おきふかきがうへふかしお可愛かあいびとのやうにおぼしめして御苦勞ごくらうなき御苦勞ごくらうやら我身わがみ新參しんざん勝手かつてらずおもとようのみつとめれば出入でいりのおひとおほくも見知みしらず想像さうぞうには此人このひとかとゆるもけれどこのみはひと心々こゝろ/″\なにがおそみしやらはでおもふは山吹やまぶきしたゆくみづのわきかへりてむねぐるしさもさぞなるべしおつゝしぶかさはさることなれど御病氣ごびやうきにでも萬一もしならばとりかへしのなるべきならずぬし誰人たれびとえぞらねど此戀このこひなんとしてもかなまゐらせたしぢやうさまほどの御身おんみならば世界せかいもなくうれひもなく御心安おこゝろやすくあるべきはずをさりとてはまたなかやと我身わがみくらべて最憐いとおしがりこゝろかぎなぐさめられ優子いうこ眞實しんじつたのもしくふかくぞめし初花はつはなごろもいろにはいでじとつゝみしは和女そなたへの隔心かくしんならず有樣ありやう打明うちあけてといくたびも口元くちもとまではしものゝはづかしさにツイひそゝくれぬ和女そなたはまだ昨日今日きのふけふとて見參みまゐらせしこときならんが婢女をんなどもは蔭口かげぐちにおばずて光氏みつうぢさまといふとかやお姿すがたさつせよかしそれかれてゞはけれどひととゝさま二の御懇意ごこんいとてはづかしき手前てまへ薄茶うすちやぷくまゐらせそめしが中々なか/\物思ものおもひにて帛紗ふくささばきのしづこゝろなくりぬるなりさてもお姿すがたものがたき御氣象ごきしようとやいま若者わかものめづらしとて父樣とゝさまのおあそばすごとわがことならねどおもあかみて其坐そのざにも得堪えたへねどしたはしさのかずまさりぬりながら和女そなたにすらふははじめてはぬこゝろゑがかぬもおなじこと御覽ごらんはずもあらねば萬一もしやのたのみもきぞかしわらはるゝからねどもおもそめ最初はじめより此願このねがかなはずは一しやう一人ひとりぐすこゝろきにおく月日つきひのほどにおもひこがれてねばよしいのちしも無情つれなくて如何いかるはしき夫人おくがたむかへたまひぬともあいらしきちごうまたまふとものつらさがおもはるゝぞとてほろ/\と打泣うちなけばお八重やへかなしくせておまへさまは何故なぜそのやうに御心おこゝろよわいことおほせられるぞ八重やへ元來もとより愚鈍ぐどんなり相談はなしてからが甲斐かひなしとおぼしめしてかれぬ御使おつかひも一しんは一しん先方かなたさまどのやう御情おなさけしらずでらうともつらぬかぬといふことあるやうなしなにともしておのぞ屹度きつとかなへさせますものを御内端おうちばすぎてのお物思ものおもひくよ/\ばかあそばせばこそ昨日今日きのふけふ御顏色おいろもわるし御病おわづらひでもあそばしたら御兩親をふたかたさまはさらなることなりまをすも慮外りよぐわいながらいもとおもふぞとての御慈愛じあい姉上あねうへをもうけしこゝろまへさま大切たいせつなほどおあんじ申さずにはりませぬをいまはしやなにごとぞ一生いつしやう一人ひとりおくるのんでおもひをがれたしのときつめた御心おこゝろかならずおあそばすなとなだめるさへはうるみぬ、堪忍かんにんせよかし和女そなたにまでをかけてあらぬおもひにこゝろくすがながら口惜くちをしきなりりとてもひとこと斷念あきらめがたきはなにゆゑぞはでまんの决心けつしんなりしが親切しんせつことばきくにつけて日頃ひごろつゝしみもなくなりぬと漸々やう/\せまりくる娘氣むすめぎなみだむせびて良時やゝありしが、八重やへさぞうちつけなとあきれもせんが一生いつしやうねがひぞよ此心このこゝろつたへてはたまはるまじやうれしき御返事おへんじきたしとは努々ゆめ/\おもはねどゆゑみじかきいのちぞともられててなば本望ほんもうぞかしとうちしほるれば、またしても其樣そのやうなこと御前おまへさま此々これ/\とおつたへ申さばきお返事へんじれたことなり最早もうくよ/\とはおぼしめすな、や/\それは八重やへらねばぞ杉原すぎはらさまはそのやうな柔弱にうじやく※(「土へん+守」、第4水準2-4-80)はうらつなおひとければ申してからが心配しんぱいなり不埒者ふらちものいたづらもの御怒おいかりにならばなんとせん、それあまりのおとりこし苦勞ぐらう岩木いわきなかにもおもひのなきかは無情つれなおほせのはづなしさて御戀人おんこひゞと杉原すぎはらさまとやおなんとぞ、三郎さぶろうさまと申のなり此頃このごろたまひしは和女そなた丁度ちやうど不在るすときよ一あしちがひに御歸宅ごきたくゆゑらぬのは道理どうりひかけてお八重やへかほさしのぞき此願このねがかなはゞ生涯しやうがい大恩だいおんぞかしくどうははぬこゝろこれよとはすうれしきいろはあらはれたり

(三)


雲雀ひばりのあがる麥生むぎふなゝめに見渡みわたしながらをかのすみれをつみあらそひしむかしはなんりし野河のがはきしきくはな手折たをるとてなが一筋ひとすじかちわたりしたまときわれはるかに歳下とししたのコマシヤクレにもきみさまのたもとぬれるとて袖※そでだすき[#「ころもへん+攀」、U+897B、11-10]かけてまゐらせしを如何いかひとにもわらはれけんおもへば其頃そのころ浦山うらやまきみさま東京とうきやう歸給かへりたまひしのちさま/″\つゞ不仕合ふしあわせ身代しんだい亂離らり骨廢こつぱいあるがうへに二おやひきつゞきての病死びようしといひきことかさなる神無月かみなづきそでにもかゝる時雨空しぐれぞらこゝろのしめるれをらへて郡長ぐんちやうせがれづらが些少いさゝかおんはなにかけての無理難題むりなんだいやりかへしてりたけれど女子をなご左樣さうもならずやなぎにうけるをきことにしてかねやらんせうになれ行々ゆく/\つまにもせんと口惜くちをしきことかぎくにつけてもきみさまのことがなつかしくにまぎれてくにでつ漸々やう/\東京こゝへはきしもの當處あてどなければ御行衛おゆくゑさらるよしなく樣々さま/″\艱難かんなん御目おめにかゝるをりめられぐさにとつはこゝろたのしみつゝいやしい仕業しわざきよおこなひさへがれずばと都乙女みやこおとめにしきなか木綿衣類もめんぎもの管笠すげがさ[#「管笠」はママ]脚袢きやはんはづかしや女子をんな不似合ふにあひくだものりも一重ひとへ活計みすぎためのみならず便たよりもがなたづねたやの一しんなりしがゑにしあやしくかたありて不圖ふとれられし黒塗塀くろぬりべい勝手かつてもとにあきなひせしときあとにてけば御稽古おけいこがへりとやじやうさまのしたるくるまいきほひよく御門内ごもんうち引入ひきいるゝとてでんとするわれ行違ゆきちがひしがなにれけんがさしたる櫛車くしくるままへにはたとおちしをらずひきしかばなどたまるべき微塵みぢんになりてうらみをのこしぬぢやうさま御覽ごらんじつけてどくがりたまこのそこねたるは我身わがみらせよかはりにはあたらしきのをらすべしとのたまひしかど元來もとよりおとせしは粗忽そこつなりかれしも道理どうり破損そこねしとてうらみもあらずましてやかはりをとののぞみもなしれは亡母なきはゝ紀念かたみのなれば他人ひとたてまつるべきものならずとてひろあつめてふところにせしをいとゞしく御不愍ごふびんがりさておやひとあはれのことやまづ庭口にはぐちより部屋へやまでうへきたしとてたまひぬいまこそ目馴めなれたれ御座敷おざしき結搆けつこうにはのたゝずまひ華族くわぞくさまにやとうたがひしはいつぢやうさまの御言語容姿おものごしにもりしものそのうつくしきぢやうさま御親切ごしんせつにも女子同志をなごどうしたがひぞとて御優おやさしき御詞おことばわれもしきりにうれしくてたづぬるひとありとこそあかさゞりしが種々いろ/\との物語ものがたり和女そなた母御はゝご斯々かく/\ひとならずやとおもらぬ御問おとまことかぞなんとして御存ごぞんじとへばわすれてるべきか和女そなたれとは兄弟きやうだいぞかしれは梨本なしもというなるをとてりての御喜およろこさてはゝまゐらせたるきみなりしか御目おめにかゝりしうれしさにへておちぶれしはづかしと打泣うちなきしに榮枯えいこときなるものをなげことかはよろづれにまかせよかしるきやうにはなすまじければ今日けふより此處こゝおちつけずや母樣はゝさまにはねがはんとてはなたまはず夫樣おくさままたくれ/″\のおほせにそのまゝの御奉公ごほうこう都會みやこなれぬとてなにごとも不束ふつゝかなるをかれかれこれこれかげになりてのお指圖さしづ古參こさん婢女ひとあなどらず明日きのふ[#「明日きのふの」はママ]わすれしやうらくになりたるはじようさまの御情おなさけなり此御恩このごおんなんとしておくるべききみさまにめぐはゞ二人共々ふたりとも/″\こゝろあはせておはな相手あひてるべきをとなににつけてもしのばるゝはまたひとことなりしがおもひきやじようさま明日今日きのふけふ[#「明日今日きのふけふの」はママ]物思ものおもいのちにかけておしたひなさるゝぬしはとへば杉原すぎはららうどのとや三輪みわ山本やまもとしるしはけれどたづぬるひとぞとかなしさ御存ごぞんければこそ召使めしつかひのれふしをがみてのおたのぢやうさま不憫いとしやとおもはぬならねどひとなんとして取持とりもたるべき受合うけあひてはちしもの此文このふみにはなん文言もんごんどういふふうきてるにや表書おもてがきの常盤木ときわぎのきみまゐるとは無情つれなきひとへといふこと岩間いはま清水しみづ心細こゝろぼそげにはたまへどさても/\御手おてのうるはしさお姿すがたは申すもさらなり御心おこゝろだてとひお學問がくもんどころなき御方おかたさまにおもはれてやとはよもやおほせられまじ深山育みやまそだちのとしてくらものになるこゝろはなけれど今日けふまでの苦勞くらうなにゆゑぞはんとおもそれよろづねがひをかけきしにいままへてもふがかなしき事義じぎりぬじようさまの御恩ごおん泰山たいざんたかきもものかずかはよしや蒼海そうかいたまさぐれとおほせらるゝともそれ違背ゐはいはすまじけれど戀人こひびと周旋とりもたんことどう斷念あきらめてもなることならず御恩ごおん御恩ごおんこれはこれなりいつそおふみ取次とりついだるていにしてこのまゝになすべきかや/\それにてはみちがたゝずじつ斯々かく/\なかなりとて打明うちあけなばじようさま御得心おとくしんくべきかわれこそはそれけれどれほどまでにおぼしめしれたものらばとひて斷念あきらめのつくはづなし我身わがみねがひがかなへばとて現在げんざいこゝろりながらそれもつらしれもしとまよひにこゝろ夕暮ゆふぐれそら八重やへつく/″\ながむれば明日あす晴日はれひ西にしかたのみくれなゐのくもたなきぬ

(四)


をとこをんな法師はふしわらは容貌かほよきがきぞとは色好いろごのみのことなりけん杉原すぎはららうばるゝひとおもざしきよらかに擧止優雅けにくからずたがても美男びなんぞとゆればこそはつみつくりなれわれゆゑにひと二人ふたりまでおなおもひにくるしむともいざやしらがき若葉わかばつゆかぜにゆふぐれの散歩さんぽがてら梨本なしもとむすめ病氣びやうきにて別莊べつそう出養生でやうじやうとや見舞みまひてやらんとてしばおとづれしにお八重やへはじめて對面たひめんしたりはゞはんの千言百言ちこともゝことうさもつらさもむねみておんともはず義理ぎりともはずわきかへるなみだ人事ひとごとにして御不憫おいとしぢやうさま此程このほどよりのおわづらひのもとはとはゞなにゆゑならず柔和おとなしき御生質たちとてくちへとてはたまはぬほどなほさらにいとほしおこゝろ中々なか/\ふやうなものにはあらずこのふみ御覽ごらんぜばおわかりになるべけれど御前おまへさま無情つれなき返事へんじもしあそばされなばのまゝに居給ゐたまふまじき御决心ごけつしんぞと如何いかにつらからぬことひさぶりにて御目おめにかゝりし我身わがみねがれ一なりかなへさせたまはゞうれしかるべきをとて取次とりつふみおもりてもなみだほろほろひざちぬ義理ぎりといふものかりせばひたきこといとおほわかれしよりの辛苦しんく如何いかときはあらぬひとまられてのがればのかりしときみさをはおもしいのち鵞毛がもうゆきやいばりしこともありけり或時あるときはお行衛ゆくゑたづねわびうらみはなが大河おほかはみづしづ覺悟かくごきわめしかどひかれしうしがみ千筋ちすぢにはあらで一筋ひとすぢふといふたのみにして今日けふまでもすごせしなりとひたけれどじようさまのこひこひにもあさふかさのあるべきならずれまだ其事そのことくちにせねば入譯いりわけ御存ごぞんじなきこそよけれ御恩ごおんがへしにはおのぞかなへさせましてよろこたまふをるがたのしみぞとれをすてての周旋とりもちなるをあだしごとはおもふまじるにてもきみさまのおこゝろづかはしとあふればはしなくもをとこはじつと直視ながめゐたりハツ俯向うつむはぢ紅葉もみぢのかげるはしきあき山里やまざとたけがりしてあそびしむかしは蝶々髷てふ/\まげゆめとたちて姿すがたやさしき都風みやこふうたれにおとらんいろなるかはうれひをふくめどあいらしきあめ撫子なでしこしほれてゆかし三らうこゝろなんらねど優子いうこふみにとりつあさからぬおこゝろかたじけなしとて三らうよろこびしとたへたまほかならぬひと取次とりつぎことさらうれしければ此文このふみたまはりて歸宅きたくすべしとて懷中ふところおしいれつゝまたこそとつにさてじようさまのこゝろくみとりたまひてかとうれしきにもこゝろぽそく[#「心ぽそく」はママ]立上たちあがをとこかほそとうかゞひてホロリとこぼすなみだくしじようさまにもぞおよろこ我身わがみとても其通そのとほりなり御返事おへんじ屹度きつとまちますとえば點頭うなづきながら立出たちいづまはゑんのきばのたちばなそでにかをりて何時いつしつき中垣なかがきのほとりふきのぼる若竹わかたけ葉風はかぜさら/\としてはつほとゝぎすまつべきなりとやをらおりたつ後姿うしろすがた見送みおくものはお八重やへのみならず優子いうこ部屋へや障子しようじ細目ほそめけてはれぬ※(二の字点、1-2-22)こゝろ/\を三らう一人ひとりすゞしげに行々ゆく/\ぎんずるからうたきゝたし

(五)


便たよりまつ一日ひとひ二日ふたひうれしきやうなづかひな八重やへ遠慮ゑんりよらぬものゝまたすかとおもはるゝもはづかしくじつとこらゆる返事へんじ安否あんぴもしやとおもへば萬一もしやになるなり八重やへ大丈夫だいじやうぶ受合うけあへどそれやすめのことばなるべしふみとても御受取おうけとりになりしやならずや其塲そのばその※(二の字点、1-2-22)御突おつもどしになりたるをれにちからおとさせまじとて八重やへつくろひてるにはあらずやや/\八重やへとして其樣そのやうのことあるはづなしひとうたがふはつみふかきことなり一日ひとひ二日ふたひ待給まちたま御返事おへんじまゐるはぢやうぞとひしにちがひはかるべししさうならばなんとせん八重やへうへもなき恩人おんじんなればなにごとなりともることしてよろこばせたしとししたなれど分別ふんべつあるひととてことばすくなゝればねがひはあるのぞみはなしやがたきをなんとせんさて人妻ひとづまとなりての心得こゝろえむすめときとはことなるものとか御氣おきらばけれどかれなばかなしきことまづそれよりも覺束おぼつかなきはふみ御返事おへんじなり御覽ごらんにはなりたりともそのまゝおしまろめたまひしやらかへりて御機嫌ごきげんをそこねもして愛想あいそづかしのたねにもならばはぬにまさらさぞかしきみさまこそ無情つれなしともおもこゝろに二不孝ふかうらねど父樣とゝさまはゝさまなんおほせらるゝとも他處よそほかの良人をつともつべき八重やへ一生いつしやう良人をつとたずとふものからとはおのづかことなりて關係かゝはることなく心安こゝろやすかるべし浦山うらやましやと浦山うらやまるゝわれをばらで吐息といきをもらしぬお八重やへはつく/″\ありことおもふに男心をとこごゝろたのみがたさよ周旋とりもちするとしてこととゝのふはうれしけれど優子いうこどのゝこゝろえたり三らうよろこびしとつたたまへとはあまりといへどむかしをわすたまひしおことばなりおもふはねたみにやお主樣しうさまゆゑにはころして忠義ちうぎくすひとさへるをわれ一人ひとりにてきをしのばゞ何處いづくことなくをさまるべきなり何氣なにげなきじようさまが八重やへ八重やへやと相談相手はなしあひてあそばすを御恨おうらみ申はつみのほどもおそろしゝなにごとものこさずわすれておしうさまこそ二だい御恩ごおんなれ杉原すぎはららうといふおひと元來もとよりのお知人しるひとにもあらずましてやちぎりしことなにもなし昨日今日きのふけふあひしばかりかもおしうさまの戀人こひびと未練みれんのつながるはづはなし御縁ごゑん首尾しゆびよくとゝのへてむつましくくらたまふをるがめてのたのしみなりれはのぞみとてなれば生涯しやうがいこの御奉公ごほうこうしてかたさま朝夕あさゆふ御世話おせわさては嬰子やゝさままれたまひての御抱おだなににもあれこゝろめてつかへんかそれなんとしてもなることならずてもかくてもなればひとはぬ深山みやまおくにかきこもりて松風まつかぜみゝまさばかるべけれどそれすらひと見捨みすてゝはがたかるべしとてつく/″\と打歎うちなげけどひとすべきなみだならねばつく笑顏ゑがほ片頬かたほさびしく物案ものあんじのしうなぐさめながらみだるゝねぬなわこひはくるしきものなるにやるとはえて覺束おぼつかなきひと便たよりをまつとははず杉原すぎはらさまはお廿四とやおとしよりはけてたまふなり和女そなたなんおもふぞとて朧氣おぼろげなことふてこゝろ流石さすがつうじけんお八重やへ一日あるひ莞爾にこやかにじようさまおよろこあそばすことありてゝ御覽ごらんじろとひさりのたはふごとさりとはあまりにひろすぎてどころわからぬなりと微笑ほゝゑめらばはしすこかしまゐらせんおまへさまなによりなによりおうれしとおぼしめすことあるべしそれなりとて容易たやすくひもせずそれぞとはれどなほらぬかほ八重やへつねぬことよふてかしてもさそうなと打怨うちゑんずればやうにいそぎなされますなと打笑うちわらひながらきみより御返事おへんじまゐりしなりこれがおうれしからぬことかと※(「口+耳」、第3水準1-14-94)さゝやかれてみゝくわつとあつくなりつむねとヾろかれて[#「とヾろかれて」はママ]そでしたしほぐさにはかにはにもらぬをお八重やへさつしてすゝめつゝとりまかなひてふうらすにふみにはあらで一枚ひとひら短冊たんざくなりけり兩女ふたりひとしく雲形くもがた
しげりあふわかにくらきまよひかな
     みるべきものをそらつきかげ
意味いみそんするところ何方いづこぞやぼうとしてくらきわかのかげいとゞまよひはしげふばかりるゝよしそらつき※(二の字点、1-2-22)こゝろ/\はんじてれどいづ眞意しんいぞわきがたよろこぶべきかなげくべきかお八重やへはお八重やへ優子いうこ優子いうこはれなばくせんの决心けつしんたがひかたけれどおもひのほかなるかへしにはなにさだめてなにとせん未練みれん流石さすがありそうみのおきてまたりてつながめにかねど吐息といきされて八重やへマアなんおもふぞとひとことばまちるあな覺束おぼつかなの三十一文字みそひともじ

(六)


あやしや三らう便たよりふつときこえずりぬつには一日ひとひわびしきを不審いぶかしかりし返事へんじのち今日けふ來給きたま明日あすこそはとそらだのめなるかさねて十日とうか半月はんつきさては廿日はつかにつらき卯月うづきすぎたり五月雨さみだれごろのしめりがちのき忍艸しのぶたぐひのきてはかねどいけのあやめのながきおもひにかきらされてそでにもみづかさのさりやすらん此處こゝ別莊べつそう人氣ひとげくなくりの八重やへおきては別莊守べつそうもりの夫婦ふうふのみなれど最愛さいあいむすめ病氣びやうきとのことなり本宅ほんたくよりの使つかたへければことによそへて杉原すぎはらのことはするに本宅かしこにも此頃このごろさらにまゐたまはずといふるにてもなんとしたまひしにや我心わがこゝろをさなくて卒爾うちつけふみなどまゐらせたるを如何いかいとはしとおぼしながらかへしせざらんもなさけなしとてれよりはそれとなく御出おいでのなきか此頃このごろのおうたこゝろ如何いかしげるわかいまこそはらけれど時節じせつたばそらつきあひみるべきぞとならばうれしけれどしやのねがひに左樣さうゆるにやいつらからば一すぢならでたのみのあるだけまどはるゝなりさてもお便たよりのきこえぬは何故なにゆゑいとはせたまひなば此處こゝへこそ御入來おいでなくとも本宅ほんたくへまで御踈遠ごそゑんとは不審いぶかしゝそれほどまでに御嫌おきらひになるほどならやさしげな御詞おことばなぜおほせおかれけん八重やへおもふもはづかしきまでときうれしかりしをこのまゝに見返みかへりもしたまはずはいまさらおもてもけがたしかなしきことよと娘氣むすめぎたのみをかけてまたときつ思案しあんにもつるゝ撚糸よりいと八重やへなげきはまたことなりしげ若葉わかばさまたげとおほせられしはことならずやくらまよひとたんたまへどさとりたればこその御取持おとりもちなれおもなかのお兩方ふたかた生涯しやうがいのぞみもたのみも御讓おゆづり申しておもくこと些少いさゝかなきをなにはゞかりての御遠慮ごゑんりよぞやくわんずれば御恨おうらみも未練みれんなにもあらずお二かたさま首尾しびとゝのひしあかつきにはいさぎよく斯々かう/\して流石さすが貞操みさをたつるとだけきみさまにられなばそれおもひでのれなるに此身このみあるゆゑじようさまのこひかなはずとせばなんとせん退しりぞくはらぬならねど義理ぎりゆゑくと御存ごぞんじにならば御情おなさけぶかき御心おこゝろとしてひともあれわれよくばとおほせらるゝものでなしらでも御弱およわきお生質たちなるに如何いかにつきつめた御覺悟おかくごをもあそばすまじきものならず御最愛ごさいあいのお一人娘ひとりごとて八重やへ何分なにぶんたのむぞと嚴格むづかし大旦那おほだんなさまさへ我身わがみ風情ふぜいおほせらるゝは御大事おだいじさのあまりなるべしかれにつけこれにつけづかはしきはひとことりし對面たいめんとき此處こゝ居給ゐたまふとはおもひがけず郷里きやうりのことはきたり辛苦しんくさこそなるべけれど奉公大切ほうこうだいじつとたまへとおほせられしがみゝのこりてわすられぬなりれほどにおやさしからずばれほどまでにもなげかじとがたきづなつらしとてひとひまには部屋へやのうちにづみぬいづおとらぬ双美人そうびじんしたはるゝうれしかるべきをなにいとふてか三らうかきたえかげせず疑念ぎねんかさなる五月雨さみだれのくも、うすらぐべきよしもなくて、をうみ梅實うめおつおともそゞろさびしき幾日いくひ、をぐらきまどのあけくれに、をちかへりなく山時鳥やまほとゝぎすの、からくれなゐにはふりでねど、なみだそでいろかはるまでおななげきをべつ主從しうじうおもひさても果敢はかなし優子ゆうこはいとゞらぬのお八重やへ素振そぶさつせずどく我身わがみ大事だいじにかけるとてゆるほど心配しんぱいさせし和女そなたなさけわすれぬなりりながら如何いかほどくしてくるゝともなるまじきねがひぞとは※(二の字点、1-2-22)やう/\斷念あきらめたりそれにつきてまたべつ父樣と さま[#ルビの「と さま」はママ]はゝさまへの御願おねがひあれどかたなり和女そなたなりになげきをかくるがらきぞとてしみ/″\と物語ものがたりつお八重やへひざをなげしてくしもやらぬ口説くどきごとにお八重やへわれをわすれていだことばもなくよゝときしがおまへさまにそのやうな御覺悟おかくごさせますほどなら此苦勞このくらうはいたしませぬ御入來おいできは不審いぶかしけれど無情つれな御返事おへんじといふにもあらぬをはやまつての御考おかんがへは御前まへさまのやうにもいましばしの御辛抱ごしんぼうそのうちにはなにともして屹度きつとよろこばせ申べし八重やへが一しんあはれともおぼしめしてそのやうなかなしいことおかせあそばすなとてちからへぬ優子いうこうれしくりてまへではなんでありしやら兄弟きようだいにもなき親切しんせつこののちともたのむぞやこれよりはべつしてのことなにごともそなた異見いけんしたがはん最早もういまのやうなことふまじければゆるしてよとわびらるゝも勿体もつたいなくてば甘露かんろと申ますぞやとるげにへど義理ぎりおもそでえぬものかぎりあればにや今日けふづらしくとびなきてあめ餘波なごりのきばのつゆあたらしくたまをみがきてにはかげも心地こゝちよげなるを籠居たれこめてのみ居給ゐたまふは御躰おからだにもどくなるものをとお八重やへさま/″\にいざなひてほとりちかき景色けしき田面たのもいほわびたるもまたをかしかるべし御覽ごらんぜずやとわりなくすゝめてしばめづらしくともなでぬひとこゝろのうやむやはらずやしげ木立こだちすゞしくそでかぜむねにしゝうえはたす小田をだ早苗さなへ青々あほ/\として處々ところ/″\かわずこゑさま/″\なるれもうたかや可笑をかしとてホヽしうれもうれしく彼方かしこかやぶきこゝ垣根かきねにはうちしきやうなりはななにならんと小走こばしりしてすゝりつ一枝ひとえだ手折たをりて一りんしうりんれかざしてるも機嫌取きげんとりなりたがひこゝろぞしらず畔道あぜみちづたひ行返ゆきかへりてあそともなくくらとりかへゆふべのそら雲水くもみづそう一人ひとりたゝく月下げつかもん何方いづこ浦山うらやましのうへやと見送みをくればかへるかさのはづれ兩女ふたりひとしくヲヽさけ[#「口+斗」、U+544C、30-12]びぬ





底本:「武蔵野 第三編」今古堂
   1892(明治25)年7月23日出版
初出:「武蔵野 第三編」今古堂
   1892(明治25)年7月23日出版
※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。
※「優子」に対するルビの「いうこ」と「ゆうこ」、「孃」に対するルビの「じやう」と「ぢやう」、「主樣」に対するルビの「しゆうさま」と「しうさま」、「主從」に対するルビ「しゆうじう」と「しうじう」の混在は、底本通りです。
入力:万波通彦
校正:Juki
2020年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「霞」の「コ」に代えて「マ」    1-10
「ころもへん+攀」、U+897B    11-10
「口+斗」、U+544C    30-12


●図書カード