ゆく雲

一葉女史




記者曰、一葉女史樋口夏子の君は明治五年をもて東京に生まれ、久しく中島歌子女史を師として今尚歌文を學ばる※(二の字点、1-2-22)傍、武藏野、都の花、文學界等の諸雜誌に新作小説多く見えぬ、

(上)


酒折さかをりみや山梨やまなしをか鹽山ゑんざん裂石さけいし、さし都人こゝびとみゝきなれぬは、小佛こぼとけさゝ難處なんじよして猿橋さるはしのながれにめくるめき、鶴瀬つるせ駒飼こまかひるほどのさともなきに、勝沼かつぬままちとても東京こゝにての塲末ばすゑぞかし、甲府かうふ流石さすが大厦高樓たいかかうろう躑躅つつじさき城跡しろあとなどところのありとはへど、汽車きしや便たよりよきころにならばらず、ことさら馬車腕車ばしやくるまに一晝夜ちうやをゆられて、いざ惠林寺ゑりんじ櫻見さくらみにといふひとはあるまじ、故郷ふるさとなればこそ年々とし/″\夏休なつやすみにも、ひと箱根はこね伊香保いかほともよふしつるなかを、れのみ一人ひとりあしびきやま甲斐かひみねのしらくもあとをすことりとは是非ぜひもなけれど、今歳ことしこのたびみやこをはなれて八王子わうじあしをむけることこれまでにおぼえなきらさなり。
養父やうふ清左衞門せいざゑもん去歳こぞより何處どこ※(「研のつくり」、第3水準1-84-17)そこからだに申分まうしぶんありてきつとのよしきしが、常日頃つねひごろすこやかのひとなれば、さしてのことはあるまじと醫者いしや指圖さしづなどを申やりて、此身このみ雲井くもゐとりがひ自由じゆうなる書生しよせい境界けうがいいましばしはあそばるゝこゝろなりしを、きの故郷ふるさとよりの便たよりにいはく、大旦那おほだんなさまこと其後そのご容躰ようだいさしたること御座ござなく候へども次第しだい短氣たんきのまさりて我意わがまゝつよく、これ一つはとしせいには御座ござ候はんなれど、隨分ずいぶんあたりのものげんのりにくゝ、大心配おほしんぱいいたすよし、わたくしなど古狸ふるだぬきなれば兎角とかくつくろひて一日二日とすごし候へどもすぢのなきわからずやをおほせいだされ、あしもとからとりつやうにおきたてなさるには大閉口おほへいこうに候、此中このぢうよりしきり貴君樣あなたさま御手おてもとへおせなさりたく、一日もはや家督相續かとくさうぞくあそばさせ、樂隱居らくいんきよなされたきおのぞみのよし、これしかるべきこと御親類ごしんるいどう御决義ごけつぎわたくし初手しよてから貴君樣あなたさま東京とうけうへおし申すははぬほどにて、申しては失禮しつれいなれどいさゝかの學問がくもんなどうでもこと赤尾あかをひこ息子むすこのやうにちがひにつてかへつたもり候へば、もと/\利發りはつ貴君樣あなたさまそのづかひはあるまじきなれど、放蕩ほうたうものにでもおりなされては取返とりかへしがつき申さず、いまぶんにてじようさまと御祝言ごしうげん御家督ごかとくひきつぎはやはやきおとしにはあるまじくと大賛成おほさんせいに候、さだめしさだめし其地そのちにはあそばしかけの御用事ごようじ御座ござ候はんしかるべく御取おとりまとめ、飛鳥とぶとりもあとをごすなに候へば、大藤おほふぢ大盡だいじん息子むすこきしに野澤のざわ桂次けいじ了簡りようけんきよくないやつ何處どこやらの割前わりまへひと背負せよはせてげをつたなど※(二の字点、1-2-22)ふいふうわさがあと/\にのこらぬやう、郵便爲替いうびんかはせにて證書面しようしよめんのとほりおおくり申候へども、りずば上杉うへすぎさまにて御立おたてかへをねがひ、諸事しよじ清潔きれいにして御歸おかへりなさるべく、かねゆへぢをおきなされては金庫きんこばんをいたす我等われらが申わけなく候、ぜん申せしとほ短氣たんき大旦那おほだんなさましきりちこがれておほぢれに御座ござ候へば、其地そのち御片おかたつけすみ次第しだい、一日もはやくと申おさめ候。六ざうといふかよ番頭ばんとうふでにて此樣このやうむかぶみいやとはひがたし。
いゑ生※はへぬ[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、115-上-1]きの實子じつしにてもあらば、かゝるむかへのよしや十たび十五たびたらんとも、おもひちての修業しゆぎやうなれば一トかど學問がくもんみがかぬほどは不孝ふこうつみゆるしたまへとでもいひやりて、そのわがまゝのとほらぬこともあるまじきなれど、らきは養子やうし身分みぶん桂次けいじはつく/″\他人たにん自由じゆううらやみて、これからのすゑをもくさりにつながれたるやうにかんがへぬ。
七つのとしより實家じつかひんすくはれて、うまれしまゝなれば素跣足すはだししりきり半纒ばんてん田圃たんぼ辨當べんたうもちはこびなど、まつひで燈火ともしびにかへて草鞋わらんじうちながら馬士歌まごうたでもうたふべかりしを、目鼻めはなだちの何處どこやらが水子みづこにてせたる總領そうりやうによくたりとて、いまはなきひとなる地主ぢぬし内儀つま可愛かあいがられ、はじめはお大盡だいじん旦那だんなたつとびしひとを、父上ちゝうへぶやうにりしは其身そのみ幸福しやわせなれども、幸福しやわせならぬことおのづから其中そのうちにもあり、おさくといふむすめ桂次けいじよりは六つの年少とししたにて十七ばかりになる無地むぢ田舍娘いなかものをば、うでもつまにもたねばおさまらず、くにいづるまではまで不運ふうんゑんともおもはざりしが、今日けふこのごろおくりこしたる寫眞しやしんをさへるにものうく、これをつまちて山梨やまなし東郡ひがしごほり蟄伏ちつぷくするかとおもへばひとのうらやむ造酒家つくりざかや大身上おほしんしようもののかずならず、よしや家督かとくをうけつぎてからが親類縁者しんるいえんじや干渉かんしようきびしければ、おもことに一せん融通ゆうづうかなふまじく、いはゞたからくら番人ばんにんにておはるべきの、らぬつままでとは※(二の字点、1-2-22)いよ/\重荷おもになり、うき義理ぎりといふしがらみのなくば、くらもちぬしにかへ長途ちやうと重荷おもにひとにゆづりて、れは此東京このとうけうを十ねんも二十ねんいますこしもはなれがたきおもひ、そは何故なにゆえひとのあらばりぬけ立派りつぱひわけの口上こうじようもあらんなれど、つくろひなきしようところ※(二の字点、1-2-22)もとにたゞ一人ひとりすてゝかへることのをしくをしく、わかれてはかほがたきのちおもへば、いまよりむねなかもやくやとしておのづかもふさぐべきたねなり。
桂次けいじいまをる此許こゝもと養家やうかゑんかれて伯父をぢ伯母をばといふあひだがらなり、はじめて此家このやたりしは十八のはる田舍縞いなかじま着物きものかたぬひあげをかしとわらはれ、八つくちをふさぎて大人おとな姿すがたにこしらへられしより二十二の今日けふまでに、下宿屋住居げしゆくやずまゐ半分はんぶんつもりても出入でいり三ねんはたしかに世話せわをうけ、伯父おぢ勝義かつよし性質せいしつむづかしいところから、無敵むてきにわけのわからぬ強情がうじよう加※かげん[#「冫+咸」、U+51CF、114-下-7]※(二の字点、1-2-22)たゞ/\女房にようぼうにばかりやはらかなる可笑をかしさも呑込のみこめば、伯母おばなるひと口先くちさきばかりの利口りこうにてれにつきてもからさつぱり親切氣しんせつげのなき、我欲がよく目當めあてがあきらかにえねばわらひかけたくちもとまでむすんでせる現金げんきん樣子やうすまで、※(二の字点、1-2-22)たび/\經驗けいけん大方おほかた會得えとくのつきて、此家このやにあらんとにはかねづかひ奇麗きれいそんをかけず、おもてむきは何處どこまでも田舍書生いなかじよせい厄介者やつかいものひこみて御世話おせわ相成あいなるといふこしらへでなくてはだい一に伯母御前おばごぜ御機嫌ごきげんむづかし、上杉うえすぎといふ苗字めうじをばいことにして大名だいめう分家ぶんけかせる見得みえぼうのうへなし、下女げじよには奧樣おくさまといはせ、着物きものすそのながいをいて、ようをすればかたがはるといふ、三十ゑんどりの會社員くわいしやゐんつま此形粧このげうそうにて繰廻くりまわしゆくいゑうちおもへば此女このをんな小利口こりこう才覺さいかくひとつにて、良人おつとはくひかつてゆるやららねども、失敬しつけいなは野澤桂次のざわけいじといふ見事みごと立派りつぱ名前なまへあるをとこを、かげにまわりてはうち書生しよせいがと安々やす/\こなされて、御玄關番おげんくわんばん同樣どうやうにいはれること馬鹿ばからしさの頂上てうじようなれば、これのみにてもりつかれぬ價値ねうちはたしかなるに、しかも此家このやたちはなれにくゝ、こゝろわるきまゝ下宿屋げしゆくやあるきと思案しあんをさだめても二週間しうかん訪問おとづれちがたきはあやし。
ねんばかりまへにうせたる先妻せんさいはらにぬひとばれて、いま奧樣おくさまにはまゝなるあり、桂次けいじがはじめてときは十四か三か、唐人髷とうじんまげあかれかけて、姿すがたはおさなびたれどもはゝのちがふ何處どこやらをとなしくゆるものとどくおもひしは、れも他人たにんにてそだちし同情どうじようてばなり、何事なにごと母親はゝおやをかね、ちゝにまで遠慮ゑんりよがちなればおのづからことばかずもおほからず、一わたしたところでは柔和おとなしい温順すなほむすめといふばかり、格別かくべつ利發りはつともはげしいともひとおもふまじ、父母ちゝはゝそろひていゑうちこもにてもむべきむすめが、人目ひとめつほど才女さいじよなどばるゝは大方おほかたきやんびあがりの、あまやかされのわがまゝの、つゝしみなき高慢こうまんよりなるべく、ものにはゞかるこゝろありてよろづひかへにとをつくれば、十が七にえて三そんはあるものと桂次けいじ故郷ふるさとのおさくうへまでおもひくらべて、いよ/\おぬひがのいたましく、伯母おば高慢こうまんがほはつく/″\とやなれども、あの高慢こうまんにあの温順すなほなるにてことなくつかへんとする氣苦勞きぐろうおもひやれば、せめてはそばちかくにこゝろぞへをもし、なぐさめにもりてやりたしと、ひとらば可笑をかしかるべきうぬぼれも手傳てつだひて、おぬひのことといへばことのようによろこびもしいかりもしてつるを、すてゝいま故郷こきようにかへらばのこれるこゝろぼそさいかばかりなるべき、あはれなるは繼子まゝこ身分みぶんにして、腑甲斐ふがひないものは養子やうしれと、今更いまさらのやうになかのあぢきなきをおもひぬ。

(中)


まゝはゝそだちとてれもいふことなれど、あるがなかにもをんな大方おほかたすなほにおひたつはまれなり、すこ世間並せけんなみものゆるは、底意地そこいぢはつて馬鹿強情ばかごうじようなどひときらはるゝことこのうへなし、小利口こりこうなるはるき性根せうねをやしなうてめんかぶりの大變たいへんものになるもあり、しやんとせし氣性きせうありて人間にんげんたち正直せうぢきなるは、すねもの部類ぶるいにまぎれて其身そのみれば生涯せうがいそんおもふべし、上杉うへすぎのおぬひと桂次けいじがのぼせるだけ容貌きりようも十人なみすこしあがりて、よみ十露盤そろばんそれは小學校せうがくかうにてまなびしだけのことは出來できて、にちなめる針仕事はりしごとはかま仕立したてまでわけなきよし、十歳とをばかりのころまでは相應さうおう惡戯いたづらもつよく、をんなにしてはと母親はゝおや眉根まゆねせさして、ほころびの小言こごとも十ぶんきしものなり、いまはゝ父親てゝおや上役うわやくなりしひとかくづまとやらおめかけとやら、種々さま/″\いはくのつきし難物なんぶつのよしなれども、もたねばならぬ義理ぎりありてひきうけしにや、それともちゝこのみて申うけしか、そのへんたしかならねど勢力せいりよくおさ/\女房天下にようぼうてんかと申やうな景色けしきなれば、まゝたるのおぬひが此瀬このせちてくは道理だうりなり、ものへばにらまれ、わらへばおこられ、かせればざかしとひ、ひかえにあればどんかられる、二新芽しんめ雪霜ゆきしものふりかゝりて、これでもびるかとおさへるやうな仕方しかたに、へて眞直まつすぐにびたつこと人間にんげんわざにはかなふまじ、いていてつくくして、うつたへたいにもちゝこゝろかねのやうにえて、ぬるぱいたまはらんなさけもなきに、まして他人たにんれにかかこつべき、つきの十日にはゝさまが御墓おんはかまゐりを谷中やなかてらたのしみて、しきみ線香せんかう※(二の字点、1-2-22)それ/\そなものもまだおはらぬに、はゝさまはゝさまわたし引取ひきとつてくだされと石塔せきたういだきつきて遠慮ゑんりよなき熱涙ねつるいこけのしたにてかばいしもゆるぐべし、井戸ゐどがはにかけみづをのぞきしこと三四およびしが、つく/″\おもへば無情つれなしとても父樣とゝさま眞實まことのなるに、れはかなくりてからぬひとみゝつたへれば、のこれるはじうへならず、勿躰もつたいなき覺悟かくごこゝろうち侘言わびごとして、どうでもなれぬ生中なまなかきてぎんとすれば、人並ひとなみのういことつらいこと、さりとは此身このみへがたし、一せう五十ねんめくらにりてをわらばことなからんとれよりは一すぢ母樣はゝさま御機嫌ごきげんちゝるやう一さいこのいものにしてつとむればいゑうちなみかぜおこらずして、のきばのまつつるをくひはせぬか、これを世間せけんなにるらん、母御はゝご世辭せじ上手じようずにてひとらさぬうまさあれば、いものにしてやみをたどるむすめよりも、一まいあがりて、評判ひようばんわるからぬやら。
ぬいとてもまだとしわかなる桂次けいじ親切しんせつはうれしからぬにあらず、おやにすらてられたらんやうなごときものを、こゝろにかけて可愛かわいがりてくださるはかたじけなきことおもへども、桂次けいじおもひやりにべてははるかにおちつきてひややかなるものなり、おぬひさむれがいよ/\歸國きこくしたとつたならば、あなたはなんおもふてくださろう、朝夕あさゆふがはぶけて、厄介やくかい[#「冫+咸」、U+51CF、117-上-12]つて、らくになつたとおよろこびなさろうか、れともをりふしははなきの饒舌おしやべりのさわがしいひとなくなつたで、すこしはさびしいくらゐおもしてくださろうか、まあなんおもふておいでなさると此樣こんことひかけるに、おつしやるまでもなく、どんなに家中うちぢうさびしくりましよう、東京こゝにおいであそばしてさへ、一ト月も下宿げしゆくらつしやるころ日曜にちえうまちどほで、あさけるとやがて御足おあしおとがきこえはせぬかとぞんじまするものを、おくにへおかへりになつては容易ようい御出京ごしゆつけうもあそばすまじければ、またどれほどの御別おわかれにりまするやら、れでも鐵道てつだうかよふやうにりましたら※(二の字点、1-2-22)たび/\御出おいであそばしてくださりませうか、そうならばうれしけれどゝふ、れとてもきたくてゆく故郷ふるさとでなければ、此處こゝられるものならかへるではなく、られる都合つがふならばまたいままでのやうにお世話せわりにまする、るべくは鳥渡ちよつとたちかへりにぐも出京しゆつけうしたきものとかるくいへば、それでもあなたは一御主人ごしゆじんさまにりて釆配さいはいをおとりなさらずはかなふまじ、いままでのやうなおらく御身分ごみぶんではいらつしやらぬはづおさへられて、さればまこと大難だいなんひたるおぼしめせ。
養家やうか大藤村おほふぢむら中萩原なかはぎはらとて、わたすかぎりは天目山てんもくざん大菩薩峠だいぼさつたうげ※(二の字点、1-2-22)やま/\※(二の字点、1-2-22)みね/\かきをつくりて、西南せいなんにそびゆる白妙しろたへ富士ふじは、をしみておもかげをめさねども、ふゆゆきおろしは遠慮ゑんりよなくをきるさむさ、うをといひては甲府かうふまで五みちりにやりて、やう/\※(「魚+澁のつくり」、第4水準2-93-77)まぐろ刺身さしみくちくらゐ、あなたは御存ごぞんじなけれどお親父とつさんにきい見給みたまへ、それは隨分ずいぶん不便利ふべんりにて不潔ふけつにて、東京とうけうよりかへりたる夏分なつぶんなどはまんのなりがたきこともあり、そんなところれはくゝられて、面白おもしろくもない仕事しごとはれて、ひたいひとにははれず、たい土地とちはふみがたく、兀々こつ/\として月日つきひおくらねばならぬかとおもふに、のふさぐも道理だうりとせめては貴孃あなたでもあはれんでくれ給へ、可愛かわいさうなものではきかとふに、あなたは左樣さうおつしやれどはゝなどはお浦山うらやましき御身分ごみぶんと申てりまする。
なに此樣こん身分みぶんうらやましいことか、こゝでれが幸福しやわせといふをかんがへれば、歸國きこくするにさきだちておさく頓死とんしするといふやうなことにならば、一人娘ひとりむすめのことゆゑ父親てゝおやおどろいて暫時しばし家督沙汰かとくざたやめになるべく、しかるうちに少々せう/\なりともやかましき財産ざいさんなどのれば、みす/\他人たにんなるれにひきわたすことをしくもるべく、また縁者ゑんじやうちなるよくばりどもたゞにはあらで運動うんだうすることたしかなり、そのあかつきなにかいさゝか仕損しそこなゐでもこしらゆればれは首尾しゆびよく離縁りえんになりて、一ぽんだち野中のなかすぎともならば、れよりは自由じゆうにて其時そのとき幸福しやわせといふことばあたたまへとわらふに、おぬひあきれて貴君あなた其樣そのやうこと正氣せうきおつしやりますか、平常つねはやさしいかたぞんじましたに、お作樣さくさま頓死とんししろとはかげながらのうそにしろあんまりでござります、お可愛想かわいそうなことをとすこなみだくんでおさくをかばふに、それは貴孃あなた當人たうにんぬゆゑ可愛想かわいさうともおもふからねど、おさくよりはれのほうあはれんでくれてはづえぬなはにつながれてかれてゆくやうなれをば、あなたはしんところなにともおもふてくれねば、勝手かつてにしろといふふうれのこととてはすこしもさつしてくれる樣子やうすえぬ、いまいまなくなつたらさびしかろうとおひなされたはほんの口先くちさき世辭せじで、あんなものはやてゆけとはうき※花しほばな[#「(土へん+鹵)/皿」、U+2A269、118-上-22]ちならんもらず、いゝになつて御邪魔おじやまになつて、長居ながゐをして御世話おせわさまにつたは、申わけがありませぬ、いやでらぬ田舍いなかへはかへらねばならず、なさけのあろうとおも貴孃あなたがそのやうにすてゝくだされば、いよ/\なか面白おもしろくないの頂上ちやうじよう勝手かつてにやつてませうとわざとすねて、むつとかほをしてせるに、野澤のざわさんは本當ほんたうにどうかあそばしていらつしやる、なにがおさわりましたのとおぬひはうつくしいまゆしわせてこゝろしかねるていに、それは勿論もちろん正氣せうきひとからはちがひとえるはづ自分じぶんながらすこくるつてるとおもくらゐなれど、ちがひだとてたねなしに間違まちがものでもなく、いろいろのことたゝまつて頭腦あたまなかがもつれて仕舞しまふからおこことれは氣違きちがひか熱病ねつびようらねども正氣せうきのあなたなどが到底とてもおもひもらぬことかんがへて、ひとしれずきつわらひつ、何處どこやらのひと子供こどもときうつした寫眞しやしんだといふあどけないのをもらつて、それをけくれにしてて、めんむかつてははれぬことならべてたり、つくゑ引出ひきだしへ叮嚀ていねい仕舞しまつてたり、うわことをいつたりゆめたり、こんなことで一せうおくればひとさだめし大白痴おほたわけおもふなるべく、そのやうな馬鹿ばかになつてまでおもこゝろつうじず、なきゑんならばめてはやさしいことばでもかけて、成佛じようぶつするやうにしてくれたらさそうのことを、しらぬかほをしてなさけないことつて、おいでがなくばさびしかろうくらゐのお言葉ことばひどいではなきか、正氣せうきのあなたはなんおもふからぬが、狂氣きちがひにしてると隨分ずいぶんづよいものとうらまれる、をんなといふものはすこしやさしくてもはづではないかとてつゞけの一トいきに、おぬひは返事へんじもしかねて、わたしはなんと申てよいやら、不器用ぶきようなればお返事へんじのしやうもわからず、唯々たゞ/\※(二の字点、1-2-22)ろぼそくりますとてをちゞめて引退ひきしりぞくに、桂次けいじ拍子ひようしぬけのしていよ/\あたまおもたくなりぬ。
上杉うへすぎ隣家となり何宗なにしうかの御梵刹おんてらさまにて寺内じない廣々ひろ/\もゝさくらいろ/\うゑわたしたれば、此方こなたの二かいよりおろすにくも棚曳たなび天上界てんじやうかいて、こしごろもの觀音くわんおんさまぼとけにておはします御肩おんかたのあたりひざのあたり、はら/\と花散はなちりこぼれてまへそなへししきみえだにつもれるもをかしく、したゆく子守こもりが鉢卷はちまきへ、しばしやどかせはるのゆくひくるもみゆ、かすむゆふべの朧月おぼろづきよに人顏ひとがほほの/″\とくらりて、かぜすこしそふ寺内じないはなをば去歳こぞ一昨年おとゝしそのまへのとしも、桂次けいじ此處こゝ大方おほかた宿やどさだめて、ぶら/″\あるきにたちならしたるところなれば、今歳ことしこのたびとりわけてめづらしきさまにもあらぬを、いまこんはるはとてもたちかへりふむべきにあらずとおもふに、こ※(二の字点、1-2-22)ぼとけさまにも中々なか/\名殘なごりをしまれて、ゆふおはりての宵々よひ/\いゑいでては御寺參おんてらまい殊勝しゆしように、觀音くわんをんさまには合掌がつしようを申て、戀人こひびとのゆくすゑまもたまへと、おこゝろざしのほどいつまでもえねばいが。

(下)


れのみ一人のぼせて耳鳴みゝなりやすべき桂次けいじねつははげしけれども、おぬひとふものにてつくられたるやうのひとなれば、まづは上杉うへすぎいゑにやかましき沙汰さたもおこらず、大藤村おほふぢむらにおさくゆめものどかなるべし、四月の十五日歸國きこくまりて土産物みやげものなど折柄をりから日清につしん戰爭畫せんさうぐわ大勝利だいしようりふくろもの、ぱちん羽織はをりひも白粉をしろいかんざし櫻香さくらかあぶら縁類ゑんるいひろければとり/″\に香水かうすい石鹸しやぼん氣取きどりたるもふめり、おぬひは桂次けいじ未來みらいつまにとおくりもの※(二の字点、1-2-22)なか薄藤色うすふぢいろ繻袢じゆばんゑりしろぬきの牡丹花ぼたんくわかたあるをやりけるに、これをながめしとき桂次けいじかほどくらしかりしとあとにて下女げじよたけが申き。
桂次けいじがもとへおくりこしたる寫眞しやしんはあれども、しがくしに取納とりおさめてひとにはせぬか、れともひとしらぬ火鉢ひばちはいになりおはりしか、桂次けいじならぬものるによしなけれど、さるころはがきにて處用しよようと申こしたる文面ぶんめんおとことほりにて名書ながきも六ざうぶんなりしかど、手跡しゆせき大分だいぶあがりてよげにりしと父親ちゝおやまんより、むすめかせたることろんなしとこゝの内儀ないぎひとわるにてにらみぬ、手跡しゆせきによりてひとかほつきをおもひやるは、いてひと善惡ぜんあく判斷はんだんするやうなもの、當代たうだい能書のうしよ業平なりひらさまならぬもおはしますぞかし、されども心用こゝろもちひ一つにて惡筆あくひつなりともよげのしたゝめかたはあるべきと、達者たつしやめかしてすぢもなきはしきにひとよみがたき文字もじならばせんなし、おさくはいかなりしからねど、此處こゝ内儀ないぎまへにうかびたるかたちは、横巾よこはゞひろくたけつまりしかほに、目鼻めはなだちはまづくもあるまじけれど、※(「髟/兵」、第3水準1-94-27)びんうすくして首筋くびすぢくつきりとせず、どうよりはあしながをんなとおぼゆるとふ、すてふでながくいてともなかりしか可笑をかし、桂次けいじ東京とうきやうてさへるいはうではいに、大藤村おほふぢむらひかきみ歸郷きゝようといふことにならば、機塲はたばをんな白粉おしろいのぬりかたおもはれると此處こゝにての取沙汰とりさた容貌きりようのわるいつまつぐらゐ我慢がまんもなるはづ水呑みづのみの小作こさくとして一そくとびのお大盡だいじんなればと、やがては實家じつかをさへあえあはれて、ひとくちさがなし伯父そぢ[#ルビの「そぢ」はママ]伯母おば一つになつてあざけるやうな口調くてうを、桂次けいじみゝらぬこそよけれ、一人ひとりどくおもふはおぬひなり。
荷物にもつ通運便つううんびんにてさきへたゝせたればのこるは一つに※(二の字点、1-2-22)かる/″\しき桂次けいじ今日けふ明日あすもと友達ともだちのもとをせめぐりてなにやらん用事ようじはあるものなり、わづかなる人目ひとめひまもとめておぬひたもとをひかえ、れはきみいとはれてわかるゝなれどもゆめいさゝかうらことをばなすまじ、きみはおのづからきみ本地ほんちありて其島田そのしまだをば丸曲まるまげにゆひかへるをりのきたるべく、うつくしき乳房ちぶさ可愛かわゆひとふくまするときもあるべし、れはきみ幸福しやわせなれかし、すこやかなれかしといのりて此長このながをばつくさんには隨分ずいぶんとも親孝行おやこう/\にてあられよ、母御前はゝごぜ意地いぢわるにさからふやうのこときみとしてきに相違さういなけれどもこれだい一にこゝろがけたまへ、ふことはおほし、おもふことはおほし、れはおわるまできみのもとへふみ便たよりをたゝざるべければ、きみよりも十つうに一返事へんじあたへ給へ、ねふりがたきあきむねいだいてまぼろしの面影おもかげをもんと、このやうの※(二の字点、1-2-22)かず/\らべてをとこなきになみだのこぼれるに、ふり仰向あほのてはんけちにかほぬぐふさま、こゝろよわげなれどれもこんなものなるべし、いまからかへるといふ故郷ふるさとこと養家やうかのこと、我身わがみことさくことみなからわすれてはおぬひひとりのやうにおもはるゝもやみなり、此時このときこんな塲合ばあいにはかなき女心をんなごゝろ引入ひきいれられて、一せうえぬかなしきかげむねにきざむひともあり、岩木いわきのやうなるおぬひなればなにおもひしかはらねども、なみだほろ/\こぼれて一トこともなし。
はるゆめのうきはし、とえするよこぐものそら東京とうけうおもちて、みちよりもあれば新宿しゆじゆくまでは腕車くるまがよしといふ、八王子わうじまでは汽車きしやなか、をりればやがて馬車ばしやにゆられて、小佛こぼとけとうげもほどなくゆれば、上野原うへのはら、つるかは野田尻のだじり犬目いぬめ鳥澤とりざわぐればさるはしちかくにその宿やどるべし、巴峽はきようのさけびはきこえぬまでも、笛吹川ふゑふきがはひゞきにゆめむすびく、これにもはらわたはたゝるべきこゑあり、勝沼かつぬまよりの端書はがき一度とゞきて四日目にぞ七さと消印けしいんある封状ふうじやう二つ、一つはおぬひけてこれはながかりし、桂次けいじはかくて大藤村おほふじむらひとりぬ。

にたのまれぬを男心をとこごゝろといふ、それよあきそら夕日ゆふひにはかにきくもりて、かさなき野道のみちよこしぶきの難義なんぎさ、あひしものはみな其樣そのやうまをせどもれみなときのはづみぞかし、なみこえよとてすゑ松山まつやまちぎれるもなく、男傾城をとこけいせいならぬそらなみだこぼしてなにるべきや、昨日きのふあはれとしは昨日きのふのあはれ、今日けふわざしげゝれば、わするゝとなしにわすれて一せうゆめごとし、つゆといへばほろりとせしもの、はかないのうへなしなり、おもへばをとこ結髮いひなづけつまある、いやとてもおうとても浮世うきよ義理ぎりをおもひつほどのこと此人このひと此身このみにしてかなふべしや、ことなく高砂たかさごをうたひおさむれば、すなはあたらしき一つい夫婦めをと出來できあがりて、やがてはちゝともはるべきなり、諸縁しよゑんこれよりかれてちがたきほだし次第しだいにふゆれば、一にん野澤桂次のざわけいじならず、うんよくはまん身代しんだいまんのばして山梨縣やまなしけん多額納税たがくのうぜいめいうたんもはかりがたけれど、ちぎりしことばはあとのみなとのこして、ふねながれにしたがひひとかれて、とほざかりゆくこと、二千、一萬此處こゝ三十へだてなれどもこゝろかよはずは八がすみ外山とやまみねをかくすにたり、はなちりて青葉あをばころまでにおぬひもとにふみつう、ことこまなりけるよし、五月雨さみだれのきばにれまなく人戀ひとこひしきをりふし、彼方かなたよりも※(二の字点、1-2-22)かず/\おもことばうれしくつる、れもぎてはつきに一二便たより、はじめは三四りけるをのちには一つきあるをうらみしが、秋蠶あきごのはきたてとかいへるにかゝりしより、二つきに一、三つきに一いま半年目はんとしめ、一ねん年始ねんしぜう暑中見舞しよちうみまい突際つきあいになりて、文言もんごんうるさしとならば端書はがきにてもことるべし、あはれ可笑をかしとのきばのさくらくるとしわらふて、となりてら觀音樣くわんをんさま御手おんてひざ柔和にうわの御さうこれもめるがごとく、わかいさかりのねつといふものにあはれみたまへば、此處こゝなるひややかのおぬひくぼをほうにうかべてことはならぬか、あいかはらず父樣とゝさま御機嫌ごきげんはゝをはかりて、我身わがみをないものにして上杉家うへすぎけ安隱あんおんをはかりぬれど。ほころびがれてはむづかし





底本:「太陽 第壱卷第五號」博文館
   1895(明治28)年5月5日発行
初出:「太陽 第壱卷第五號」博文館
   1895(明治28)年5月5日発行
※「男」に対するルビの「をとこ」と「おとこ」、「頂上」に対するルビの「てうじよう」と「ちやうじよう」、「可愛」に対するルビの「かあい」と「かわい」、「可愛想」に対するルビの「かわいそう」と「かわいさう」の混在は、底本通りです。
※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。
入力:万波通彦
校正:猫の手ぴい
2018年10月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE    115-上-1
「冫+咸」、U+51CF    114-下-7、117-上-12
「(土へん+鹵)/皿」、U+2A269    118-上-22


●図書カード