序に代へて
散文詩とは何だらうか。西洋近代に於けるその文學の創見者は、普通にボードレエルだと言はれてゐるが、彼によれば、一定の韻律法則を無視し、自由の散文形式で書きながら、しかも全體に音樂的節奏が高く、且つ藝術美の香氣が高い文章を、散文詩と言ふことになるのである。そこでこの觀念からすると、今日我が國で普通に自由詩と呼んでる文學中での、特に秀れてやや上乘のもの――不出來のものは純粹の散文で、節奏もなければ藝術美もない――は、西洋詩家の所謂散文詩に該當するわけである。しかし普通に散文詩と呼んでるものは、さうした文學の形態以外に、どこか文學の内容上でも、普通の詩と異なる點があるやうに思はれる。ツルゲネフの散文詩でも、ボードレエルのそれでも、すべて散文詩と呼ばれるものは、一般に他の純正詩(抒情詩など)に比較して、内容上に觀念的、思想的の要素が多く、イマヂスチツクであるよりは、むしろエツセイ的、哲學的の特色を多量に持つてる如く思はれる。そこでこの點の特色から、他の抒情詩等に比較して、散文詩を思想詩、またはエツセイ詩と呼ぶこともできると思ふ。つまり日本の古文學中で、枕草子とか方丈記とか、または徒然草とかいつた類のものが、丁度西洋詩學の散文詩に當るわけなのである。
枕草子や方丈記は、無韻律の散文形式で書いてゐながら、文章それ自身が本質的にポエトリイで、優に節奏の高い律的の調べと、香氣の強い藝術美を具備して居り、しかも内容がエツセイ風で、作者の思想する自然觀や人生觀を獨創的にフイロソヒイしたものであるから、正にツルゲネフやボードレエルの散文詩と、文學の本質に於て一致してゐる。ただ日本では、昔から散文詩といふ言葉がないので、この種の文學を隨筆、もしくは美文といふ名で呼稱して來た。然るに明治以來近時になつて、日本の散文詩とも言ふべき、この種の傳統文學が中絶してしまつた。もちろん隨筆といふ名で呼ばれる文學は、今日も尚文壇の一隅にあるけれども、それは詩文としての節奏や藝術美を失つたもので、散文詩といふ觀念中には、到底所屬でき得ないものである。
自分は詩人としての出發以來、一方で抒情詩を書くかたはら、一方でエツセイ風の思想詩やアフオリズムを書きつづけて來た。それらの斷章中には、西洋詩家の所謂「散文詩」といふ名稱に、多少よく該當するものがないでもない。よつて此所に「散文詩集」と名づけ、過去に書いたものの中から、類種の者のみを集めて一册に編纂した。その集篇中の大分のものは、舊刊「新しき欲情」「虚妄の正義」「絶望の逃走」等から選んだけれども、篇尾に納めた若干のものは、比較的最近の作に屬し、單行本としては最初に發表するものである。尚、後半に合編した抒情詩は、「氷島」「青猫」その他の既刊詩集から選出したものである。
昭和十四年八月
[#改丁]著者
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宇宙は意志の表現であり、
意志の本質は惱みである。
意志の本質は惱みである。
シヨペンハウエル
[#改ページ]
ああ固い氷を破つて突進する、一つの寂しい帆船よ。あの高い空にひるがへる、浪浪の固體した印象から、その隔離した地方の物侘しい冬の光線から、あはれに煤ぼけて見える小さな黒い獵鯨船よ。孤獨な環境の海に漂泊する船の羅針が、一つの鋭どい意志の尖角が、ああ如何に固い冬の氷を突き破つて驀進することよ。
しとしとと降る雨の中を、かすかに匂つてゐる菜種のやうで、げにやさしくも濃やかな情緒がそこにある。ああ婦人! 婦人の側らに坐つてゐるとき、私の思惟は濕ひにぬれ、胸はなまめかしい香水の匂ひにひたる。げに婦人は生活の窓にふる雨のやうなものだ。そこに窓の硝子を距てて雨景をみる。けぶれる柳の情緒ある世界をみる。ああ婦人は空にふる雨の點點、しめやかな音樂のめろぢいのやうなものだ。我らをしていつも婦人に聽き惚らしめよ。かれらの實體に近よることなく、かれらの床しき匂ひとめろぢいに就いてのみ、いつも蜜のやうな情熱の思慕をよさしめよ。ああこの濕ひのある雨氣の中で、婦人らの濃やかな吐息をかんず。婦人は雨のやうなものだ。
若草の芽が萌えるやうに、この日當りのよい芝生の上では、思想が後から後からと成長してくる。けれどもそれらの思想は、私にまで何の交渉があらうぞ。私はただ青空を眺めて居たい。あの蒼天の夢の中に溶けてしまふやうな、さういふ思想の幻想だけを育くみたいのだ。私自身の情緒の影で、なつかしい緑陰の夢をつくるやうな、それらの「情調ある思想」だけを語りたいのだ。空飛ぶ小鳥よ。
とある幻燈の中で、青白い雪の降りつもつてゐる、しづかなしづかな景色の中で、私は一つの眞理をつかんだ。物言ふことのできない、永遠に永遠にうら悲しげな、私は「舌のない眞理」を感じた。景色の、幻燈の、雪のつもる影を過ぎ去つて行く、さびしい青猫の
風琴の
牧場の牛が草を食つてゐるのをみて、閑散や怠惰の趣味を解しないほど、それほど近代的になつてしまつた人人にまで、私はいかなる會話をもさけるであらう。私の肌にしみ込んでくる、この秋日和の物倦い眠たさに就いて、この古風なる私の思想の情調に就いて、この上もはや語らないであらう。
無明は浪のやうなものだ。生活の物寂しい海の面で、寄せてはくだけくだけてはまたうち寄せ來る。ああまた引き去り高まり來る情慾の浪、意志の浪、邪念の浪。何といふこともない暗愁の浪、浪、浪、浪、浪。げにこの寂しい眺望こそは、曇天の暗い海の面で、いつも憂鬱に單調な響を繰りかへす。されば此所の海邊を過ぎて、かの遠く行く砂丘の足跡を踏み行かうよ。佛陀の寂しい時計に映る、自然の、海洋の、永遠の時間を思惟しようよ。いま暮色ある海の面に、寄せてはくだけ、くだけてはまた寄せ來る、無明のほの白い浪を眺める。もの皆悲しく、憂ひにくづるる濱邊の心ら。
憂鬱に沈みながら、ひとり寂しく陸橋を渡つて行く。かつて何物にさへ妥協せざる、何物にさへ安易せざる、この一つの感情をどこへ行かうか。落日は地平に低く、環境は怒りに燃えてる。一切を憎惡し、粉碎し、叛逆し、嘲笑し、斬奸し、敵愾する、この一個の黒い影をマントにつつんで、ひとり寂しく陸橋を渡つて行く。かの高い架空の橋を越えて、はるかの幻燈の市街にまで。
曠野に彷徨する狼のやうに、一つの鋭どい瞳孔と、一つの飢ゑた心臟とで、地上のあらゆる幻影に噛みつかうとする、あるひとの怒りに燃えついた情慾。牙をむき出した感情にまで注意せよ。自然の慘憺たる空の下では。
これらの夕暮は涙ぐましく、私の書齋に訪れてくる。思想は情調の影にぬれて、感じのよい温雅の色合を帶びて見える。ああいかに今の私にまで、一つの惠まれた徳はないか。何物の卑劣にすら、何物の虚僞にすら、あへて高貴の寛容を示し得るやうな、一つの穩やかにして閑雅なる徳はないか。――私をして獨り寂しく、今日の夕暮の室に默思せしめよ。
たしかに私は、ある一つの特異な才能を持つてゐる。けれどもそれが丁度あてはまるやうな、どんな特別な「仕事」も今日の地球の上に有りはしない。むしろ私をして、地球を遠く圈外に跳躍せしめよ。
泥醉の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛痛しいところに噛みついてくる。夜に於ての恥かしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髓まで紫色に變色する。げに宿醉の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌忌しい悔恨を繰返さないやうに、斷じて私自身を警戒するであらう。と彼等は腹立たしく決心する。けれどもその日の夕刻がきて、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤獨の寂しさが、彼等を場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、醉つた幸福を眺めさせる。思へ、そこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。そこでこそ彼は眞に生甲斐のある、ただそればかりが眞理であるところの、唯一の新しい生活を知つたと感ずるであらう。しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦苦しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な飮んだくれの生活ではない。それこそは我等「詩人」の不幸な生活である。ああ泥醉と悔恨と、悔恨と泥醉と。いかに惱ましき人生の雨景を蹌踉することよ。
夜汽車の中で、電燈は暗く、沈鬱した空氣の中で、人人は深い眠りに落ちてゐる。一人起きて窓をひらけば、夜風はつめたく肌にふれ、闇夜の暗黒な野原を飛ぶ、しきりに飛ぶ火蟲をみる。ああこの眞つ暗な恐ろしい景色を貫通する! 深夜の轟轟といふ響の中で、いづこへ、いづこへ、私の夜汽車は行かうとするのか。
「くづれた廢墟の廊柱と、そして一望の禿山の外、ここには何も見るべきものがない。この荒寥たる地方の景趣には耐へがたい。」「さらば早くここを立ち去らう。この寒空は健康に良ろしくない。」「まて! 沒風流の男よ。君はこの情趣を解さないか、この廢墟を吹きわたる蕭條たる風の音を。舊き景物はすべて頽れ、新しき市街は未だ興されない。いつさいの信仰は廢つて、瘴煙は地に低く立ち迷つてゐる。ああここでの情景は、すべて私の心を傷ましめる。そしてそれ故に、げに私はこの情景を立ち去るにしのびない。」
あふげば高い蒼空があり、遠く地平に穹窿は連なつてゐる。見渡す限りの平野のかなた、仄かに遠い山脈の雪が光つて、地平に低く夢のやうな雲が浮んでゐる。ああこの自然をながれゆく靜かな情緒をかんず。遠く眺望の消えて盡きるところは雲か山か。私の幻想は涙ぐましく、遙かな遙かな風景の涯を追うて夢にさまよふ。
聽け、あの悲しげなオルゴルはどこに起るか。忘れた世紀の夢をよび起す、あの古めかしい音樂の音色はどこに。さびしく、かなしく、物あはれに。ああマルセーユ、マルセーユ、マルセーユ……。どこにまた遠く、遠方からの喇叭のやうに、錆ある朗らかのベースは鳴りわたる。げにかの物倦げなベースは夢を語る。
「ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし。時は西暦千八百十五年。所はワータルローの平原。あちらに遠く見える一葦の水はマース河。こなた一圓の人家は佛蘭西の村落にございます。史をひもとけば六月十八日。佛蘭西の皇帝ナポレオン一世は、この所にて英普聯合軍と最後の決戰をいたされました。こなた一帶は佛蘭西軍の砲兵陣地、あれなる小高き丘に立てる馬上の人は、これぞ即ち蓋世の英雄ナポレオン・ボナパルト。その側に立てるはネー將軍、ナポレオン麾下の名將にして、鬼と呼ばれた人でございます。あれなる平野の大軍は英將ウエリントンの一隊。こちらの麥畑に累累と倒れて居ますのは、皆之れ佛蘭西兵の死骸でございます。無慘やあまたの砲車は敵彈に撃ち碎かれ、鮮血あたりの草を染めるありさま。ああ悲風蕭蕭たるかなワータルロー。さすが千古の英雄ナポレオン一世も、この戰ひの敗軍によりまして、遠くセントヘレナの孤島に幽囚の身となりました。こちらをご覽なさい。三角帽に白十字の襷をかけ、あれなる間道を突撃する一隊はナポレオンの近衞兵。その側面を射撃せるはイギリスの遊撃隊でございます。あなたに遙か遠く山脈の連なるところ、煙の如く砂塵を蹴立てて來る軍馬の一隊は、これぞ即ち普魯西の援軍にして、ブリツヘル將軍の率ゐるものでございます。時は西暦一八一五年、所は佛蘭西の國境ワータルロー。――ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし」
明るい日光の野景の涯を、わびしい砲煙の白くただよふ。靜かな白日の夢の中で、幻聽の砲聲は空に轟ろく。いづこぞ、いづこぞ、かなしいオルゴルの音の地下にきこゆる。あはれこの古びたパノラマ館! 幼ない日の遠き追憶のパノラマ館! かしこに時劫の昔はただよひゐる。ああかの暗い隧路の向うに、
日曜の朝、毛竝の艶艶とした二頭の駿馬を驅つて、輕洒な馬車を郊外の竝木路に走らせる。といつたのとは、全然反對の風景がそこにありはしないか。曇天の重い空の下で、行き惱んだ運搬車。馭者はしきりにあせるけれども、駄馬が少しも動かないといつたやうな、さういふ息苦しい景色がありはしないか。いかに思想家よ。すつかりと荷造りされたる思想の前に、言葉が逡巡して進まないといふやうな、我等の鬱陶しき日和の多いことよ。
扇もつ若い娘ら、春の屏風の前に居て、君のしなやかな肩をすべらせ、艶めかしい曲線は足にからむ。扇もつ若い娘ら、君の笑顏に情をふくめよ、春は來らんとす。
波止場に於て、今や出帆しようとする船の上から、彼の合圖をする人に注意せよ。きけ、どんな悦ばしい告別が、どんな氣の利いた
あの怪人物が手にもつ一つの巨大な棒を見よ。それが高くふりあげられ、力を込めてまつすぐに打ちおろす時、あれらの家屋は破壞され、めちやくちやになり、警官の如きもの、隊長の如きもの、ビア樽の如きもの、横倒しにされ、その遠心力でもつて舞臺の圈外へ吹つとばされる。そこで青白い音樂のリズムが起り、すばらしい巨きな月が舞臺の空へ昇つてくる。ぐんぐんぐんぐんと上の方へ、とめどもなく高く昇る。おおその時、その時、その破壞された家の下から、どんな一つの物悲しい言葉が聽えてくるか――一つの怪奇な
夜道を走る汽車まで、一つの赤い燈火を示せよ。今そこに危險がある。斷橋! 斷橋! ああ悲鳴は風をつんざく。だれがそれを知るか。精神は闇の曠野をひた走る。急行し、急行し、急行し、彼の悲劇の終驛へと。
とはいへ環境の闇を突破すべき、どんな力がそこにあるか。齒がみてこらへよ。こらへよ。こらへよ。
古驛の、柳のある川の岸で、かれは何を釣らうとするのか。やがて生活の薄暮がくるまで、そんなにも長い間、針のない釣竿で……。「否」とその支那人が答へた。「魚の美しく走るを眺めよ、水の靜かに行くを眺めよ。いかに君はこの靜謐を好まないか。この風景の聰明な情趣を。むしろ私は、終日釣り得ないことを希望してゐる。されば日當り好い寂寥の岸邊に坐して、私のどんな環境をも亂すなかれ。」
嵐、嵐、浪、浪、大浪、大浪、大浪。傾むく地平線、上昇する地平線、落ちくる地平線。がちやがちや、がちやがちや。上甲板へ、上甲板へ。
田舍に於ては、すべての人人が先祖と共に生活してゐる。老人も、若者も、家婦も、子供も、すべての家族が同じ藁屋根の下に居て、祖先の煤黒い位牌を飾つた、古びた佛壇の前で臥起してゐる。
さうした農家の裏山には、小高い冬枯れの墓丘があつて、彼等の家族の長い歴史が、あまたの白骨と共に眠つてゐる。やがて生きてゐる家族たちも、またその同じ墓地に葬られ、昔の曾祖母や祖父と共に、しづかな單調な夢を見るであらう。
田舍に於ては、郷黨のすべてが縁者であり、系圖の由緒ある血をひいてゐる。道に逢ふ人も、田畑に見る人も、隣家に住む老人夫妻も、遠きまたは近き血統で、互にすべての村人が縁邊する親戚であり、昔からつながる叔父や伯母の一族である。そこではだれもが家族であつて、歴史の古き、傳統する、因襲のつながる「家」の中で、郷黨のあらゆる男女が、祖先の幽靈と共に生活してゐる。
田舍に於ては、すべての家家の時計が動いてゐない。そこでは古びた柱時計が、遠い過去の暦の中で、先祖の幽靈が生きてゐた時の、同じ昔の指盤を指してゐる。見よ! そこには昔のままの村社があり、昔のままの白壁があり、昔のままの自然がある。そして遠い曾祖母の過去に於て、かれらの先祖が縁組をした如く、今も同じやうな縁組があり、のどかな村落の
げに田舍に於ては、自然と共に悠悠として實在してゐる、ただ一の永遠な「時間」がある。そこには過去もなく、現在もなく、未來もない。あらゆるすべての生命が、同じ家族の血すぢであつて、冬のさびしい墓地の丘で、かれらの不滅の先祖と共に、一つの靈魂と共に生活してゐる。晝も、夜も、昔も、今も、その同じ農夫の生活が、無限に單調につづいてゐる。そこの環境には變化がない。すべての先祖のあつたやうに、先祖の持つた農具をもち、先祖の耕した仕方でもつて、不變に同じく、同じ時間を續けて行く。變化することは破滅であり、田舍の生活の沒落である。なぜならば時間が斷絶して、永遠に生きる實在から、それの鎖が切れてしまふ。彼等は先祖のそばに居り、必死に土地を離れることを欲しない。なぜならば土地を離れて、家郷とすべき住家はないから。そこには擴がりもなく、觸りもなく、無限に實在してゐる空間がある。
荒寥とした自然の中で、田舍の人生は孤立してゐる。婚姻も、出産も、葬式も、すべてが部落の壁の中で、仕切られた時空の中で行はれてゐる。村落は悲しげに寄り合ひ、蕭條たる山の麓で、人間の孤獨にふるへてゐる。そして眞暗な夜の空で、もろこしの葉がざわざわと風に鳴る時、農家の薄暗い背戸の厩に、かすかに蝋燭の光がもれてゐる。馬もまた、そこの暗闇にうづくまつて、先祖と共に眠つてゐるのだ。永遠に、永遠に、過去の遠い昔から居た如くに。
曇つた、陰鬱の午後であつた。どんよりとした太陽が、雲の厚みからさして、鈍い光を街路の砂に照らしてゐる。人人の氣分は重苦しく、うなだれながら、馬のやうに風景の中を彷徨してゐる。
いま、何物の力も私の中に生れてゐない。意氣は銷沈し、情熱は涸れ、汗のやうな惡寒がきびわるく皮膚の上に流れてゐる。私は壓しつぶされ、稀薄になり、地下の底に滅入つてしまふのを感じてゐた。
ふと、ある賑やかな市街の裏通り、露店や飮食店のごてごてと竝んでゐる、日影のまづしい横町で、私は古風な球轉がしの屋臺を見つけた。
「よし! 私の力を試してみよう。」
つまらない賭けごとが、病氣のやうにからまつてきて、執拗に自分の心を苛らだたせた。幾度も幾度も、赤と白との球が轉がり、そして意地惡く穴の周圍をめぐつて逃げた。あらゆる
「何物もない! 何物もない!」
私は齒を食ひしばつて絶叫した。いかなればかくも我我は無力であるか。見よ! 意志は完全に否定されてる。それが感じられるほど、人生を勇氣する理由がどこにあるか?
たちまち、若若しく明るい聲が耳に聽えた。蓮葉な、はしやいだ、連れ立つた若い女たちが來たのである。笑ひながら戲れながら、無造作に彼女の一人が球を投げた。
「當り!」
一時に騷がしく、若い、にぎやかな凱歌と笑聲が入り亂れた。何たる名譽ぞ! チヤンピオンぞ! 見事に、彼女は我我の絶望に打ち勝つた。笑ひながら、戲れながら、嬉嬉として運命を征服し、すべての鬱陶しい氣分を開放した。
もはや私は、ふたたび考へこむことをしないであらう。
青空に高く、五月の幟が吹き流れてゐる。家家の屋根の上に、海や陸や畑を越えて、初夏の日光に輝きながら、朱金の勇ましい魚が泳いでゐる。
見よ! そこに子供の未來が祝福されてる。空高く登る榮達と、名譽と、勇氣と、健康と、天才と。とりわけ權力へのエゴイズムの野心が象徴されてる。ふしぎな、欲望にみちた五月の魚よ!
しかしながら意志が、風のない深夜の屋根で失喪してゐる。だらしなく尾をたらして、グロテスクの魚が死にかかつてゐる。丁度、あはれな子供等の寢床の上で、彼の氣味の惡い未來がぶらさがり、重苦しく沈默してゐる。どうして親たちが、早く子供の夢魔を醒してやらないのか? たよりない小さい心が、恐ろしい夢の豫感におびえてゐる。やがて近づくであらう所の、彼の殘酷な教育から、防ぎたい疾病から、性の痛痛しい苦悶から。とりわけ社會の缺陷による、さまざまの不幸な環境から。
けれども朝の日がさし、新しい風の吹いてくる時、ふたたび魚はその意志を囘復する。彼等は勇ましくなるであらう。ただ人間の非力でなく、自然の氣まぐれな氣流ばかりが、我我の自由意志に反對しつつ、あへて子供等の運命を占筮する。
森からかへるとき、私は帽子をぬぎすてた。ああ、記憶。恐ろしく破れちぎつた記憶。みじめな、泥水の中に腐つた記憶。さびしい雨景の道にふるへる私の帽子。背後に捨てて行く。
書生は町に行き、工場の下を通り、機關車の鳴る響を聽いた。火夫の走り、車輪の

十月下旬。書生は飯を食はうとして、枯れた芝草の倉庫の影に、音樂の忍び居り、蟋蟀のやうに鳴くのを聽いた。
――情緒よ、君は歸らざるか。
この鋏の槓力でも、女の錆びついた
或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた
けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。
鏡のうしろへ

見よ! 彼は風のやうに來る。その額は憂鬱に青ざめてゐる。耳はするどく切つ立ち、まなじりは怒に裂けてゐる。
君よ! 狡智のかくの如き美しき表情をどこに見たか。
單に孤獨であるばかりでない。敵を以て充たされてゐる!
明るい硝子戸の店の中で、一つの磨かれた銃器さへも、火藥を裝填してないのである。――何たる虚妄ぞ。
博徒等集まり、投げつけられたる生涯の
荒寥とした山の中腹で、壁のやうに沈默してゐる、一の巨大なる耳を見た。
宿命的なる東洋の建築は、その屋根の下で忍從しながら、
その内部に構造の支柱を持ち、暗い梯子と經文を藏する佛陀よ! 海よりも遠く、人畜の住む世界を越えて、指のやうに尨大なれ!
人が家の中に住んでるのは、地上の悲しい風景である。
憂鬱の長い柄から、雨がしとしとと
その
理髮店の青い窓から、葱のやうに突き出す棍棒。そいつの馬鹿らしい機械仕掛で、夢中になぐられ、なぐられて居る。
意志! そは夕暮の海よりして、鱶の如くに泳ぎ來り、齒を以て肉に噛みつけり。
これは墓である。蕭條たる風雨の中で、かなしく默しながら、孤獨に、永遠の土塊が存在してゐる。
何がこの下に、墓の下にあるのだらう。我我はそれを考へ得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られてゐる。さうして僅かばかりの物質――人骨や、齒や、瓦や――が、
尚ほしかしながら我我は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我はいつでも、死後の「無」について信じてゐる。何物も殘りはしない。我我の肉體は解體して、他の物質に變つて行く。思想も、神經も、感情も、そしてこの自我の意識する本體すらも、空無の中に消えてしまふ。どうして今日の常識が、あの古風な迷信――死後の生活――を信じよう。我我は死後を考へ、いつも風のやうに哄笑するのみ!
しかしながら尚ほ、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我は不運な藝術家で、あらゆる逆境に忍んで居る。我我は孤獨に耐へて、ただ後世にまで殘さるべき、死後の名譽を考へてゐる。ただそれのみを考へてゐる。けれどもああ、人が墓場の中に葬られて、どうして自分を意識し得るか。我我の一切は終つてしまふ。後世になつてみれば、墓場の上に花輪を捧げ、數萬の人が自分の名作を讚へるだらう。ああしかし! だれがその時墓場の中で、自分の名譽を意識し得るか? 我我は生きねばならない。死後にも尚ほ且つ、永遠に墓場の中で、生きて居なければならないのだ。
蕭條たる風雨の中で、さびしく永遠に默しながら、無意味の土塊が實在して居る。何がこの下に、墓の下にあるだらう。我我はそれを知らない。これは墓である! 墓である!
ひどく窮乏に惱まされ、乞食のやうな生涯を終つた男が、熱心に或る神を信仰し、最後迄も疑はず、その全能を信じて居た。
「あなたもまた、この神樣を信仰なさい。疑ひもなく、屹度、御利益がありますから。」臨終の床の中でも、彼は逢ふ人毎にそれを説いた。だが人人は可笑しく思ひ、彼の言ふことを信じなかつた。なぜと言つて、神がもし本當の全能なら、この不幸な貧しい男を、生涯の乞食にはしなかつたらう。信仰の御利益は、もつと早く、すくなくとも彼が死なない前に、多少の安樂な生活を惠んだらう。
「乞食もまた神の恩惠を信ずるか!」
さう言つて人人は哄笑した。しかしその貧しい男は、手を振つて答辯し、神のあらたかな御利益につき、熱心になつて實證した。例へば彼は、今日の一日の仕事を得るべく、天が雨を降らさぬやうに、時時その神に向つて祈願した。或はまた金十錢の飯を食ふべく、それだけの收入が有り得るやうに、彼の善き神に向つて哀願した。そしてまた、時に合宿所の割寢床で、彼が温き夜具の方へ、順番を好都合にしてもらへることを、密かにその神へ歎願した。そしてこれ等の祈願は、概ねの場合に於て、神の聽き入れるところとなつた。いつでも彼は、それの信仰のために惠まれて居り、神の御利益から幸福だつた。もちろんその貧しい男は、より以上に「全能なもの」を考へ得ず、想像することもなかつた。
人生について知られるのは、全能の神が一人でなく、到るところにあることである。それらの多くの神神たちは、野道の寂しい辻のほとりや、田舍の小さな森の影や、景色の荒寥とした山の上や、或は裏街の入り込んでゐる、貧乏な長屋の露路に祀られて居り、人間共の侘しげな世界の中で、しづかに情趣深く生活して居る。
郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合つてゐる。或る人人は爲替を組み入れ、或る人人は遠國への、かなしい電報を打たうとしてゐる。
いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに來て手紙を書き、そこに來て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舍の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤獨に暮らしてゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。
郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて亂れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、
郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。
南風のふく日、椰子の葉のそよぐ島をはなれて、遠く私の船は海洋の沖へ帆ばしつて行つた。浪はきらきらと日にかがやき、美麗な魚が舷側にをどつて居た。
この船の
かくの如くにして、私は航海の朝を歌ふのである。孤獨な思想家の VISION に浮ぶ、あのうれしき朝の船出を語るのである。ああ、だれがそれを聽くか?
海を越えて、人人は向うに「ある」ことを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。しかしながら海は、一の廣茫とした眺めにすぎない。無限に、つかみどころがなく、單調で飽きつぽい景色を見る。
海の印象から、人人は早い疲勞を感じてしまふ。浪が引き、また寄せてくる反復から、人生の退屈な日課を思ひ出す。そして日向の砂丘に寢ころびながら、海を見てゐる心の隅に、ある空漠たる、不滿の苛だたしさを感じてくる。
海は、人生の疲勞を反映する。希望や、空想や、旅情やが、浪を越えて行くのではなく、空間の無限における地平線の切斷から、限りなく單調になり、想像の棲むべき山影を消してしまふ。海には空想のひだがなく、見渡す限り、平板で、
海を越えて、人人は向うにあることを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。けれども、ああ! もし海に來て見れば、海は我我の疲勞を反映する。過去の長き、厭はしき、無意味な生活の旅の疲れが、一時に漠然と現はれてくる。人人はげつそりとし、ものうくなり、空虚なさびしい心を感じて、磯草の枯れる砂山の上にくづれてしまふ。
人人は熱情から――戀や、旅情や、ローマンスから――しばしば海へあこがれてくる。いかにひろびろとした、自由な明るい印象が、人人の眼をひろくすることぞ! しかしながらただ一瞬。そして夕方の疲勞から、にはかに老衰してかへつて行く。
海の巨大な平面が、かく人の觀念を正誤する。
建築――特に群團した建築――の樣式は、空の穹窿に對して構想されねばならぬ。即ち切斷されたる球の弧形に對して、槍状の垂直線や、圓錐形やの交錯せる構想を用意すべきである。
この蒼空の下に於ける、遠方の都會の印象として、おほむねの建築は一つの重要な意匠を忘れてゐる。
今は初夏! 人の認識の目を新しくせよ。我我もまた自然と共に青青しくならうとしてゐる。古きくすぼつた家を捨てて、渡り鳥の如く自由になれよ。我我の過去の因襲から、いはれなき人倫から、既に廢つてしまつた眞理から、社會の愚かな習俗から、すべての朽ちはてた執着の繩を切らうぢやないか。
青春よ! 我我もまた鳥のやうに飛ばうと思ふ。けれども聽け! だれがそこに隱れてゐるのか? 戸の影に居て、
「女のいぢらしさは」とグウルモンが言つてる。「
家の奧まつた部屋の中で、
いぢらしくもまた、私の親しい友が作つた、日本語の美しい歌を一つ。
君がかはゆげなる机卓 の上に
色も朱 なる小箱には
なにを祕めたまへるものならむ。
われ君が窓べを過ぎむとするとき
小箱の色の目にうつり
心をどりて止まず。
そは やはらかきりぼんのたぐひか
もしくは、うら若き娘心を述べつづる
やさしかる歌のたぐひか。(室生犀星)
色も
なにを祕めたまへるものならむ。
われ君が窓べを過ぎむとするとき
小箱の色の目にうつり
心をどりて止まず。
そは やはらかきりぼんのたぐひか
もしくは、うら若き娘心を述べつづる
やさしかる歌のたぐひか。(室生犀星)
若い未婚の娘たちは、情緒の空想でのみ生活して居る。丁度彼女等は、昔の草双紙に物語られてる、仇敵討ちの武士みたいなものである。その若く悲しい武士たちは、

昔のしをらしい娘たちは、かうした悲しい物語を、我が身の上にひき

父は永遠に悲壯である。
敵は常に哄笑してゐる。さうでもなければ、何者の表象が怒らせるのか?
機械人間にもし感情があるとすれば? 無限の哀傷のほかの何者でもない。
私がもし物體であらうとも、神は再度朗らかに笑ひはしない。ああ、琴の音が聽えて來る。――小さな一つの
自殺そのものは恐ろしくない。自殺に就いて考へるのは、死の刹那の苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ! 目を閉ぢて、飛べ! そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、身體が空中に投げ出された。
だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうに閃めいた。その時始めて、自分ははつきりと生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。斷じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身體は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血に塗れた頭蓋骨! 避けられない決定!
この幻想の恐ろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事實が、實際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口を利いたら、おそらくこの實驗を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽靈である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戰慄する。
龍は帝王の欲望を象徴してゐる。權力の祥雲に乘つて居ながら、常に憤ほろしい恚怒に燃え、不斷の爭鬪のために牙をむいてる。
或る瘋癲病院の部屋の中で、終日椅子の上に坐り、爲すこともなく、毎日時計の指針を凝視して居る男が居た。おそらく世界中で、最も退屈な、「時」を持て餘して居る人間が此處に居る、と私は思つた。ところが反對であり、院長は次のやうに話してくれた。この不幸な人は、人生を不斷の活動と考へて居るのです。それで一瞬の生も無駄にせず、貴重な時間を浪費すまいと考へ、ああして毎日、時計をみつめて居るのです。何か話しかけてご覽なさい。屹度腹立たしげに呶鳴るでせう。「默れ! いま貴重な一秒時が過ぎ去つて行く。Time is life! Time is life!」と。
群集は孤獨者の家郷である。 ボードレエル
都會生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣な交渉もなく、その上にまた人人が、都會を背景にするところの、樂しい群集を形づくつて居ることである。
晝頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店は賑やかに混雜して、どの卓にも客が溢れて居た。若い夫婦づれや、學生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と關係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた會話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の會話とは關係なく、夫夫また自分等だけの世界に屬する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。
この都會の風景は、いつも無限に私の心を樂しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しかもまた各人が全體としての雰圍氣(群集の雰圍氣)を構成して居る。何といふ無關心な、伸伸とした、樂しい忘却をもつた雰圍氣だらう。
一組の戀人が、ふと通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、羞かみながら嬉しさうに囁いて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。
都會生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都會の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何處へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり竝んで坐つてる、淺草公園のベンチの上にもひろがつて居て、灯ともし頃の都會の情趣を、無限に侘しげに見せるのである。
げに都會の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の單位であつて、しかも全體としての綜合した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全體の動く意志の中で、私がまた物を考へ、爲し、味ひ、人人と共に樂しんで居る。心のいたく疲れた人、重い惱みに苦しむ人、わけても孤獨を寂しむ人、孤獨を愛する人にとつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都會は私の戀人。群集は私の家郷。ああ何處までも、何處までも、都會の空を徘徊しながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方は地平に消える、群集の中を流れて行かう。
すべての橋は、一つの建築意匠しか持つてゐない。時間を空間の上に架け、或る夢幻的な一つの
橋とは――夢を架空した數學である。
ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
「でも君は、後世に殘るべき著作を書いてる。その上にも高い名聲がある。」
ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟し、眞劍になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞かみやで、いつもストイツクに感情を隱す男が、その時顏色を變へて烈しく言つた。
「著作? 名聲? そんなものが何になる!」
獨逸のある瘋癲病院で、妹に看護されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂氣の頭腦に追憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
あの傲岸不遜のニイチエ。自ら稱して「人類史以來の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める爲に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、
「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」
ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戰で重傷を負つたネルソンが、軍醫や部下の幕僚たちに圍まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖國に對する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷大將やの人人が、おそらくはまた死の床で、靜かに過去を懷想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
「余は、余の爲すべきすべてを盡した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に滿足して死んで行つた。
それ故に諺は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善しと。だが我我の側の地球に於ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと惱み深く言ひ換へられる。
――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!
行く所に用ゐられず、飢ゑた獸のやうに零落して、支那の曠野を漂泊して居た孔子が、或る時河のほとりに立つて言つた。
「行くものはかくの如きか。晝夜をわかたず。」
流れる水の悲しさは、休息が無いといふことである。
あはれな子供が、夢の中ですすり泣いて居た。
「皆が私を苛めるの。
子供は實際に痴呆であり、その上にも母が無かつた。
「泣くな。お前は少しも
「不幸つて何? お父さん。」
「過失のことを言ふのだ。」
「過失つて何?」
「人間が、考へなしにしたすべてのこと。例へばそら、生れたこと、生きてること、食つてること、結婚したこと、生殖したこと。何もかも、皆過失なのだ。」
「考へてしたら好かつたの?」
「考へてしたつて、やつぱり同じ過失なのさ。」
「ぢやあどうするの?」
「おれには解らん。エス樣に聞いてごらん。」
子供は日曜學校へ行き、讚美歌をおぼえてよく歌つてゐた。
「あら? 車が通るの。お父さん!」
地平線の遠い向うへ、浪のやうな山脈が續いて居た。馬子に曳かれた一つの車が、遠く悲しく、峠を越えて行くのであつた。子供はそれを追ひ馳けて行つた。そして荷車の後にすがつて、遠く地平線の盡きる向うへ、山脈を越えて行くのであつた。
「待て!
私は聲の限りに呼び叫んだ。だが子供は、私の方を見向きもせずに、見知らぬ馬子と話をしながら、遠く、遠く、漂泊の旅に行く巡禮みたいに、峠を越えて行つてしまつた。
「齒が痛い。痛いよう!」
私が夢から目醒めた時に、
「齒が痛い。痛いよう! 痛いよう!
すべての戸は、二重の空間で仕切られてゐる。
戸の内側には子供が居り、戸の外側には宿命が居る。――これがメーテルリンクによつて取り扱はれた、詩劇タンタジールの死の主題であつた。も一つ付け加へて言ふならば、戸の内側には洋燈が灯り、戸の外側には哄笑がある。風がそれを吹きつける時、ばたばたといふ寂しい音で、哄笑が洋燈を吹き消してしまふのである。
多くの先天的の詩人や藝術家等は、彼等の宿命づけられた仕事に對して、あの悲痛な耶蘇の祈をよく知つてる。「神よ! もし御心に適ふならば、この苦き酒盃を離し給へ。されど爾にして欲するならば、御心のままに爲し給へ。」
機關銃よりも悲しげに、繋留氣球よりも憂鬱に、炸裂彈よりも殘忍に、毒瓦斯よりも沈痛に、曳火彈よりも蒼白く、大砲よりもロマンチツクに、煙幕よりも寂しげに、銃火の白く閃めくやうな詩が書きたい!
或る詰らない何かの言葉が、時としては毛蟲のやうに、腦裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鐵筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理の謎が、神祕に隱されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉へることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで來て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも經驗するところの、あの苛苛した執念の焦燥が、その時以來憑きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不斷に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神祕なイメーヂの謎を摸索して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁いて居た。惡いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻をし、最後に長く「クリート」と曳くのであつた。その神祕的な意味を解かうとして、私は偏執狂者のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫觀念にちがひなかつた。私は神經衰弱症にかかつて居たのだ。
或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の會話を聞いた。
「そりや君。駄目だよ。木造ではね。」
「やつぱり鐵筋コンクリートかな。」
二人づれの洋服紳士は、たしかに何所かの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の會話は聞えなかつた。ただその單語だけが耳に入つた。「鐵筋コンクリート!」
私は跳びあがるやうなシヨツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機會を逸するな。大膽にやれ。と自分の心をはげましながら
「その……ちよいと……失禮ですが……。」
と私は思ひ切つて話しかけた。
「その……鐵筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり形而上の意味……僕はその、哲學のことを言つてるのですが……。」
私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、吃驚したやうな表情をして、私の顏を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味が全で解らなかつたのである。それから隣の連を顧み、氣味惡さうに目を見合せ、急にすつかり默つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。
到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。
「鐵筋コンクリートつて、君、何のことだ。」
友は呆氣にとられながら、私の顏をぼんやり見詰めた。私の顏は岩礁のやうに緊張して居た。
「何だい君。」
と、半ば笑ひながら友が答へた。
「そりや君。中の骨組を鐵筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一體。」
「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」
と、不平を色に現はして私が言つた。
「それの意味なんだ。僕の聞くのはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗號。寓意。その祕密。……解るね。つまりその、隱されたパズル。本當の意味なのだ。本當の意味なのだ。」
この本當の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。
友はすつかり呆氣に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顏ばかり視つめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を轉じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど眞面目になつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその祕密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中で逢つた男も、私の周圍に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。
「ざまあ見やがれ。此奴等!」
私は心の中で友を罵り、それから私の知つてる範圍の、あらゆる人人に對して敵愾した。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。
だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、靈感のやうに閃めいた。
「蟲だ!」
私は思はず聲に叫んだ。蟲! 鐵筋コンクリートといふ言葉が、祕密に表象してゐる謎の意味は、實にその單純なイメーヂにすぎなかつたのだ。それが何故に蟲であるかは、此所に説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣の表象が女の肉體であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は聲をあげて明るく笑つた。それから兩手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、嬉しさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。
我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ盡せり。 「氷島」
また一切を失ひ盡せり。 「氷島」
午後の三時。廣漠とした
ヱビス橋の
かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの體熱。考へる葦のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶だつた。かつて私は、肉體のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不斷にそれの解體を強ひるところの、無機物に對して抗爭しながら、悲壯に惱んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉體! ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、
ホールの庭には桐の木が生え、落葉が地面に散らばつて居た。その板塀で圍まれた庭の彼方、倉庫の竝ぶ空地の前を、黒い人影が通つて行く。空には煤煙が微かに浮び、子供の群集する遠い聲が、夢のやうに聞えて來る。廣いがらんとした
ああ神よ! もう取返す
今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に滿足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な
熱帶地方の砂漠の中で、一疋の獅子が晝寢をして居た。肢體をできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獸の習性として、胃の中の餌物が完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の
その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空氣が動き、萬象の
一人の旅行者――ヘルメツト帽を被り、白い洋服をきた人間が、この光景を何所かで見て居た。彼は一言の口も利かず、默つて砂丘の上に生えてる、椰子の木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨に曝され、一枚の古い木札が釘づけてあつた。
(貸家アリ。瓦斯、水道付。日當リヨシ。)
ヘルメツトを被つた男は、默つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。
目が醒めてから考へれば、實に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿體らしく、さも重大の眞理や發見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、數人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗な喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧發さうな顏をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つを壺から出した。それから充分に落着いて、さも勿體らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。
熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい氣泡が、茶碗の表面に浮びあがり、やがて周圍の
「どうだ。すばらしいだらう!」
と私が言つた。
「まあ。素敵ね!」
と、じつと見て居たその少女が、感嘆おく能はざる調子で言つた。
「これ、本當の藝術だわ。まあ素敵ね。貴方。何て名前の方なの?」
そして私の顏を見詰め、絶對無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い睫毛をしばだたいた。是非また來てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。
私はすつかり得意になつた。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、何故もつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これ程の大發明を、自分が獨創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、茫然としてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。
「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」
そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの可笑しさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に殘つて忘られなかつた。
「この手に限るよ。」
その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさに轉がりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「
私は枕許の洋燈を消した。再度また眠らうと思つたのだ。だが醒めた時の瞬間から、意識のぜんまいが動き出した。ああ今日も終日、時計のやうに休息なく、私は考へねばならないのだ。そして實に意味のない、愚にもつかないことばかりを、毎日考へねばならないのだ。私はただ眠つて居たい。牡蠣のやうに眠りたいのだ。
黎明の仄かな光が、かすかに部屋を明るくして來た。小鳥の唄が、どこかで早く聞え出した。朝だ。私はもう起きねばならぬ。そして今日もまた昨日のやうに、意味のない
朝が來た。汽笛が聞える。日が登り、夜が來る。そしてまた永遠に
止めよ。止めよ。斷乎たる決意をとれ!
そもそもしかし、何が「斷乎たる決意」なのか。私はその言葉の意味することを、自分ではつきりと知りすぎて居る。知つてしかも恐れはばかり、日日にただ呪文の如く、朝の臥床の中で繰返してゐる。汝、卑怯者! 愚痴漢! 何故に
だがしかし、その時朝の侘しい光が、私の臥床の中にさし込み、やさしい搖籠のやうにゆすつてくれた。古い聖書の忘れた言葉が、私の心の或る片隅で、靜かに侘しい日陰をつくり、夢の記憶のやうに浮んで來た。
神はその一人子を愛するほどに、汝等をも愛し給ふ。
朝が來た。雀等は窓に鳴いてる。起きよ。起きよ。起きてまた昨日の如く、汝の今日の生活をせよ――。
わが故郷に歸れる日、ひそかに祕めて歌へるうた。
ひとり來てさまよへば
流れも速き廣瀬川。
何にせかれて
憂ひのみ永く殘りて
わが情熱の日も暮れ行けり。
久しぶりで故郷へ歸り、廣瀬川の河畔を逍遙しながら、私はさびしくこの詩を誦した。
物みなは
全く何もかも變つてしまつた。昔ながらに變らぬものは、廣瀬川の白い流れと、利根川の速い川瀬と、昔、國定忠治が立て籠つた、赤城山とがあるばかりだ。
少年の日は物に感ぜしや
われは波宜 亭の二階によりて
悲しき情感の思ひに沈めり
われは
悲しき情感の思ひに沈めり
と歌つた
ひとり友の群を離れて、クロバアの茂る校庭に寢轉びながら、青空を行く小鳥の影を眺めつつ
艶めく情熱に惱みたり
と歌つた中學校も、今では他に移轉して廢校となり、殘骸のやうな姿を曝して居る。私の中學に居た日は悲しかつた。落第。忠告。鐵拳制裁。絶えまなき教師の叱責。父母の嗟嘆。そして灼きつくやうな苦しい性慾。手淫。妄想。血塗られた惱みの日課! 嗚呼しかしその日の記憶も荒廢した。むしろ何物も亡びるが好い。
わが草木 とならん日に
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。
――父の墓に詣でて――
父の墓前に立ちて、私の思ふことはこれよりなかつた。その父の墓も、多くの故郷の人人の遺骸と共に、町裏の狹苦しい寺の庭で、侘しく窮屈げに立ち竝んでる。私の生涯は過失であつた。だがその「過失の記憶」さへも、やがて此所にある萬象と共に、虚無の墓の中に消え去るだらう。父よ。わが不幸を許せかし!
たちまち遠景を汽車の走りて
我れの心境は動騷せり。
我れの心境は動騷せり。
と歌つた二子山の附近には、移轉した中學校が新しく建ち、昔の侘しい面影もなく、景象が全く一新した。かつては
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方 の地平をきはめず。
暗鬱なる日かな
天日 家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
さびしき
暗鬱なる日かな
林の雜木まばらに伐られたり。
と歌つた
兵士の行軍の後に捨てられ
破れたる軍靴 のごとくに
汝は路傍に渇けるかな。
天日 の下に口をあけ
汝の過去を哄笑せよ。
汝の歴史を捨て去れかし。
破れたる
汝は路傍に渇けるかな。
汝の過去を哄笑せよ。
汝の歴史を捨て去れかし。
――昔の小出新道にて――
利根川は昔ながら流れて居るが、雲雀の巣を拾つた河原の砂原は、原形もなく變つてしまつて、ただ一面の桑畑になつてしまつた。
此所に長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より
直として前橋の町に通ずるらん。
かのさびしき惣社の村より
直として前橋の町に通ずるらん。
と歌つた大渡新橋も、また近年の水害で流失されてしまつた。ただ前橋監獄だけが、新たに刑務所と改名して、かつてあつた昔のやうに、長い煉瓦の塀をノスタルヂアに投影しながら、寒い上州の北風に震へて居た。だが
監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり
囀鳥高きにしば鳴けり
と歌つた裏の林は、概ね皆伐採されて、囀鳥の聲を聞く由もなく、昔作つた詩の情趣を、再度イメーヂすることが出來なくなつた。
物みなは歳日 と共に亡び行く――。
ひとり來りてさまよへば
流れも速き廣瀬川
何にせかれて止 むべき。
ひとり來りてさまよへば
流れも速き廣瀬川
何にせかれて
――廣瀬河畔を逍遙しつつ――
[#改丁]前書
詩の註釋といふことは、原則的に言へば蛇足にすぎない。なぜなら詩の本當の意味といふものは、言葉の音韻や表象以外に存在しない。そして此等のものは、感覺によつて直觀的に感受する外、説明の仕方がないからである。しかし或る種の詩には、特殊の必要からして、註解が求められる場合もある。たとへば我が萬葉集の歌の如き古典の詩歌。ダンテの神曲やニイチエのツアラトストラの如き思想詩には、古來幾多の註釋書が刊行されてる。この前者の場合は、古典の死語が今の讀者に解らない爲であり、この後の場合は、詩の内容してゐる深遠の哲學が、思想上の解説を要するからである。しかし原則的に言へば、此等の場合にもやはり註釋は蛇足である。なぜなら萬葉集の歌は、萬葉の歌言葉を離れて鑑賞することができないし、ニイチエの思想詩は、ツアラトストラの美しい詩語と韻律からのみ、直接に感受することができるからだ。ただしかしかうした類の思想詩は、純正詩である抒情詩に比して、比較的註釋し易く、またそれだけ註釋の意義があるわけである。なぜならこの類の詩では、その寓意する思想上の觀念性が、言葉の感性的要素以上に、内容の實質となつてるからだ。しかしこの種の觀念詩でも、作者の主觀上に於ては、やはり抒情詩と同じく、純なポエヂイとして心象されてることは勿論である。つまりその思想内容の觀念物が、主觀の藝術情操によつて淳化され、高い律動表現の浪を呼び起すほど、實際に詩美化され、リリツク化されてゐるのである。(もしさうでなかつたら、普通の觀念的散文〈感想、隨筆の類〉にすぎない。)本書に納めた私の散文詩も、勿論さうした種類の文學である。故にこの「自註」は、實には詩の註解と言ふべきものでなく、かうした若干の詩が生れるに至る迄の、作者の準備した心のノートを、讀者に公開したやうなものである。だからこの附録は、正當には「散文詩自註」と言ふよりは、むしろ「散文詩覺え書」といふ方が當つてゐるのだ。
文學の作家が、その作品の準備された「覺え書」を公開するのは、奇術師が手品の種を見せるやうなものだ。それは或る讀者にとつて、興味を減殺することになるかも知れないが、或る他の讀者にとつては、別の意味で興味を二重にするであらう。「詩の評釋は、それ自身がまた詩であり、詩でなければならぬ。」とノヴアリスが言つてるが、この私の覺え書的自註の中にも、本文とは獨立して、それ自身にまた一個の文學的エツセイとなつてる者があるかも知れぬ。とにかくこの附録は、本文の詩とは無關係に、また全然無關係でもなく、不即不離の地位にある文章として、讀者の一讀を乞ひたいのである。
パノラマ館にて
幼年時代の追懷詩である。明治何年頃か覺えないが、私のごく幼ない頃、上野にパノラマ館があつた。今の科學博物館がある近所で、その高い屋根の上には、赤地に白く PANORAMA と書いた旗が、葉櫻の陰に見渡す限り、現實の眞の自然がそこにあつた。野もあれば、畑もあるし、森もあれば、農家もあつた。そして穹窿の盡きる涯には、一抹模糊たる地平線が浮び、その遠い青空には、夢のやうな雲が白く日に輝いてゐた。すべて此等の物は、實には油繪に描かれた景色であつた。しかしその館の構造が、光學によつて巧みに光線を利用してるので、見る人の錯覺から、不思議に實景としか思はれないのである。その上に繪は、特殊のパノラマ的手法によつて、透視畫法を極度に效果的に利用して描かれてゐた。ただ望樓のすぐ近い下、觀者の眼にごく間近な部分だけは、實物の家屋や樹木を使用してゐた。だがその實物と繪とのつなぎが、いかにしても判別できないやうに、光學によつて巧みに工夫されてゐた。後にその構造を聞いてから、私は子供の熱心な好奇心で、實物と繪との境界を、どうにかして發見しようとして熱中した。そして遂に、口惜しく絶望するばかりであつた。
館全體の構造は、今の國技館などのやうに圓形になつて居るので、中心の望樓に立つて眺望すれば、四方の全景が一望の下に入るわけである。そこには一人の説明者が居て、畫面のあちこちを指さしながら、絶えず抑揚のある聲で語つてゐた。その説明の聲に混つて、不斷にまたオルゴールの音が聽えてゐた。それはおそらく、館の何所かで鳴らしてゐるのであらう。少しも騷がしくなく、靜かな夢みるやうな音の響で、絶えず子守唄のやうに流れてゐた。(その頃は、まだ蓄音機が渡來してなかつた。それでかうした音樂の場合、たいてい自鳴機のオルゴールを用ゐた。)
パノラマ館の印象は、奇妙に物靜かなものであつた。それはおそらく畫面に描かれた風景が、その動體のままの位地で、永久に靜止してゐることから、心象的に感じられるヴイジヨンであらう。馬上に戰況を見てゐる將軍も、銃をそろへて突撃してゐる兵士たちも、その活動の姿勢のままで、岩に刻まれた人のやうに、永久に靜止してゐるのである。それは環境の印象が、さながら現實を生寫しにして、あだかも實の世界に居るやうな錯覺をあたへることから、不思議に矛盾した奇異の思ひを感じさせ、宇宙に太陽が出來ない以前の、劫初の靜寂を思はせるのである。特に大砲や火藥の煙が、永久に消え去ることなく、その同じ形のままで、遠い空に夢の如く浮んでゐるのは、寂しくもまた悲しい限りの思ひであつた。その上にもまた、特殊な館の構造から、入口の梯子を昇降する人の足音が、周圍の壁に反響して、遠雷を聽くやうに出來てるので、あたかも畫面の中の大砲が、遠くで鳴つてるやうに聽えるのである。
だがパノラマ館に入つた人が、何人も決して忘られないのは、油繪具で描いた空の青色である。それが現實の世界に穹窿してゐる、現實の青空であることを、初めに人人が錯覺することから、その油繪具のワニスの匂ひと、非現實的に美しい青色とが、この世の外の海市のやうに、阿片の夢に見る空のやうに、妖しい夢魔の幻覺を呼び起すのである。
AULD LANG SYNE!
人は新しく生きるために、絶えず告別せねばならない。すべての古き親しき知己から、環境から、思想から、習慣から。告別することの悦びは、過去を忘却することの悦びである。「永久に忘れないで」と、波止場に見送る人人は言ふ。「永久に忘れはしない」と、
荒寥たる地方での會話
現代の日本は、正に「荒寥たる地方」である。古き傳統の文化は廢つて、新しき事物はまだ興らない。我等の時代の日本人は、見る物もなく、聞く物もなく、色もなく匂ひもなく、趣味もなく風情もないところの、滿目蕭條たる文化の廢跡に坐してゐるのである。だがしかし、我等の時代のインテリゼンスは、その蕭條たる廢跡の中に、過渡期のユニイクな文化を眺め、津津として盡きない興味をおぼえるのである。洋服を着て疊に坐り、アパートに住んで味噌汁を啜る僕等の姿は、明治初年の畫家が描いた文明開化の圖と同じく、後世の人人に永くエキゾチツクの奇觀をあたへ、情趣深く珍重されるにちがひないのだ。寂寥の川邊
支那の太公望の故事による。地球を跳躍して
詩人は常に無能者ではない。だが彼等の悲しみは、現實世界の俗務の中に、興味の對象を見出すことが出來ないのである。それ故に主觀者としての彼等は、常に心ひそかに思ひ驕り、自己の大いに爲すある有能を信じてゐる。だが彼等は、田舍の時計
田舍の憂鬱は、無限の單調といふことである。或る露西亞の作家は、農夫の生活を蟻に譬へた。單に勤勉だといふ意味ではない。數千年、もしくは數萬年もの長い間、彼等の先祖が暮したやうに、その子孫もその子孫も、そのまた孫の子孫たちも、永遠に同じ生活を反覆してるといふことなのである。――田舍に於ては、すべての家家の時計が動いて居ない。球轉がし
人生のことは、すべて「「よし、私の力を試してみよう」と、壓しつけられた曇天の日に、悲觀の沈みきつたどん底からさへも、人人は尚
鯉幟を見て
日本の鯉幟りは、多くの外國人の言ふ通り、世界に於ける最も珍しい、そして最も美しい景物の一つである。なぜならそれは、世の親たちの子供に對する、すべてのエゴイズムの願望の、最も露骨にして勇敢な表現であるからである。家家の屋根を越えて、青空に高くひるがへる魚の情緒よ! 君は歸らざるか
この「胡弓」は戀を表徴してゐる。古い、侘しい、遠い日の失戀の詩である。或はまた、私から忘られてしまつた、昔の悲しいリリツクを思ふ詩である。港の雜貨店で
ノスタルヂア! 破れた戀の記録である。死なない蛸
生とは何ぞ。死とは何ぞ。肉體を離れて、死後にも尚存在する意識があるだらうか。私はかかる哲學を知らない。ただ私が知つてることは、人間の執念深い意志のイデアが、死後にも尚死にたくなく、永久に生きてゐたいといふ願望から、多くの鏡
戀愛する「自我」の主體についての覺え書。戀愛が主觀の幻像であり、自我の錯覺だといふこと。虚數の虎
「自然の中で
「耳」といふ題で、私は他の別のところに、この短かい詩を書き改へた。その全文は山の中腹に耳がある。
何れにしても同じく、表現しようとしたことは、永劫の時間に渡つて、無限の空間に實在してゐるところの、大自然の巨人のやうな靜寂さを描いたのである。老子の所謂「谷神不死」「玄ノ玄、牝ノ牝、コレヲ玄牝ト謂フ」の類。
觸手ある空間
東洋に於て宿命的なるものは、必しも建築ばかりでない。大佛
大佛は、東洋人の宗教的歸依が心象する夢魔である。黒い洋傘
洋傘は宿命を象徴する。國境にて
過去の思想や慣習を捨て、新しい生活へ突進する人は、その轉生の旅行に於て、汽車が國境を越える時に、舊き親しかつた舊知の物への、別離の傷心なしに居られない。齒をもてる意志
生きんとする意志。生殖しようとする意志。すべての生物は、その盲目的な生命本能の指令によつて、悲しくも衝動のままに動かされてる。ひとり寂しく、薄暮の部屋に居る時さへも、鱶のやうに鋭どい齒で、私の肉に噛みついてくる意志!墓
死とは何だらうか? 自我の滅亡である。では神神の生活
人間と同じく、神神にもまた種種の階級がある。そしてその階級の低いものは、無智な貧しい人人と共に、裏街の家の小さな神棚や、農家の暗い祭壇や、僅かばかりの小資本で、ささやかな物を賣つて生計してゐるところの、町町の隅の駄菓子屋、飮食店、待合、藝者屋などの神棚で、いつも侘しげに生活してゐる。日本の都會では、露路の至るところに、小さな侘しげなすべて此等の神神を拜むものは、その日の糧に苦しむほど、憐れに貧しい小作人の農夫等である。或はその家族の女共である。都會に於ても同じやうに、かうした神神に供物を捧げる人人は、概ね皆社會の下層階級に屬するところの、無智で貧しい人人である。
「原則として」と小泉八雲のラフカヂオ・ヘルンが評してゐる。「かうした神神を信ずる人は、概して皆正直で、純粹で、最も愛すべき善良な人人である。」と。それから尚ヘルンは、かかる神神を泥靴で蹴り、かかる信仰を讒罵し、かかる善良な人人を誘惑して、キリスト教の僞善と惡魔を教へようとする外人宣教師を、仇敵のやうに痛罵してゐる。だがキリスト教のことは別問題とし、かうした信仰に生きてゐる人人が、概して皆單純で、正直で、善良な愛すべき人種に屬することは、たしかにヘルンの言ふ如く眞實である。此等の貧しい無智の人たちは、實にただ僅かばかりの物しか、その神神の恩寵に要求して居ないのである。田舍の寂しい畔道で、名も知れぬ村社の神の、小さな
郵便局
ボードレエルの散文詩「港」に對應する爲、私はこの一篇を作つた。だが私は、その世界的に有名な詩人の傑作詩と、價値を張り合はうといふわけではない。海
海の憂鬱さは、無限に單調に繰返される浪の波動の、目的性のない律動運動を見ることにある。おそらくそれは何億萬年の昔から、地球の劫初と共に始まり、不斷に休みなく繰返されて居るのであらう。そして他のあらゆる自然現象と共に、目的性のない週期運動を反覆してゐる。それには始もなく終もなく、何の意味もなく目的もない。それからして我我は、不斷に生れて不斷に死に、何の意味もなく目的もなく、永久に新陳代謝をする有機體の生活を考へるのである。あらゆる地上の生物は、海の律動する浪と同じく、宇宙の方則する因果律によつて、盲目的な意志の衝動で動かされてる。人が自ら欲情すると思ふこと、意志すると思ふことは、主觀の果敢ない幻覺にすぎない。有機體の生命本能によつて、衝動のままに行爲してゐる、細菌や蟲ケラ共の物理學的な生活と、我我人間共の理性的な生活とは、少し離れた距離から見れば、海の印象が、かくの如く我々に教へるのである。それからして人人は、生きることに疲勞を感じ、人生の單調な日課に倦怠して、早く老いたニヒリストになつてしまふ。だがそれにもかかはらず人人は、尚海の向うに、海を越えて、何かの意味、何かの目的が有ることを信じてゐる。そして多くの詩人たちが、彼等のロマンチツクな空想から、無數に美しい海の詩を書き、人生の讚美歌を書いてるのである。
父
父はその家族や子供等のために、人生の戰鬪場裡に立ち、絶えず戰つてなければならぬ。その困難な戰ひを乘り切る爲には、卑屈も、醜陋も、追從も、奸譎も、時としては不道徳的な破廉恥さへも、あへて爲さなければならないのである。だが子供たちの純潔なロマンチスムは、かかる父の俗惡性を許容しない。彼等は母と結托して、父に反抗の牙をむける。概ねの家庭に於て、父は常に孤獨であり、妻と子供の聯盟帶から、ひとり寂しく仲間はづれに除外される。彼等がもし、家族に於て眞の主權者であり、眞の專制者であればあるほど、益益家族は聯盟を強固にし、益益子供等は父を憎むのである。だが父の孤獨は、實には彼が生殖者でないことに原因してゐる。子供たちは、嚴重の意味に於ては、父の肉體的所有物に屬してゐない。母は子供たちの細胞である。だが父は眞の細胞ではない。言はば彼等は、子供等にとつて「義理の肉親」にすぎないのである。それ故にどんな父も、子供をその母から奪ひ、味方の聯盟陣に入れることはできないのである。しかしながら子供等は、その内密の意識の下では、父の悲哀をよく知つてる。そして世間のだれよりもよく、父の實際の敵――戰士であるところの父は、社會の至る所に多くの敵をもつてる。――を認識してゐる。それからして子供等は、彼の不幸な父を苦しめた敵に向つて、いつでも復讐するやうに用意してゐる。(封建時代とはちがつた仕方で、今の資本主義の世の中にも、孝子の
かくの如くして、人類史以來幾千年。父は永遠に悲壯人として生活した。
敵
敵への怒りは、劣弱者が優勢者に對する、權力感情の發揚である。物質の感情
ロボツトの悲哀を思へ。物質であるところのものは、思惟することも、意志することも、生殖することもできないのだ。物體
人は悲哀からも、化石することを希望する。時計を見る狂人
詩人たちは、絶えず何事かの仕事をしなければならないといふ、心の衝動に驅り立てられてる。そのくせ彼等は、絶えずごろごろと怠けて居り、塵の積つた原稿紙を机上にして、一生の大半を無爲に寢そべつてゐるのである。しかもその心の中では、不斷に時計の秒針を眺めながら、できない仕事への焦心を續けてゐる。橋
日本の橋は、もつともリリカルの夢を表象してゐる。あはれな、たよりのない、木造の侘しい橋は、現實の娑婆世界から、彌陀の淨土へ行くための、時間の過渡期的經過を表象し、水を距てて空間の上に架けられてる。それ故に河の向うは彼岸(靈界)であり、河のこつちは此岸(現實界)である。詩人の死ぬや悲し
現實的な世俗の仕事は、すべて皆「能率」であり、實質の功利的價値によつて計算される。だが文學と藝術とは、本質的に能率の仕事ではない。それは功利上の目的性をもたないところの、眞や美の價値によつて批判される。故に藝術の仕事には、永久に「終局」といふものがないのである。そして詩人は、彼の魂の祕密を書き盡した日に、いよいよ益益寂しくなり、いよいよ深く生の空虚を感ずるのである。著作! 名聲! そんなものの勳章が、彼等にとつて何にならう。主よ。休息をあたへ給へ!
詩人として生れつき、文學をする人の不幸は、心に休息がないといふことである。彼等はいつも、人生の眞實を追求して、孤獨な寂しい曠野を彷徨してゐる。家に居る時も、外に居る時も、讀書してる時も、寢そべつてる時も、仕事してる時も、怠けてゐる時も、起きてる時も、床にゐる時も、夜も晝も休みなく、絶えず何事かを考へ、不斷に感じ、思ひ、惱み、心を使ひ續けてゐるのである。眠れない夜の續く枕許に、休息のない水の流れの、父と子供
詩集「氷島」の中で歌つた私の數數の抒情詩は、「見よ! 人生は過失なり」といふ詩語に盡きる。此所にはそれを散文で書いた。――主はその一人兒を愛するほどに、罪びと我れをも救ひ給へ!蟲
散文詩といふよりは、むしろコントといふ如き文學種目に入るものだらう。此所で自分が書いてることは、或る神經衰弱症にかかつた詩人の、變態心理の描寫である。「鐵筋コンクリート」と「蟲」との間には、勿論何の論理的關係もなく、何の思想的な寓意もない。これが雜誌に發表された時、二三の熱心の讀者から、その點での質問を受けて返事に窮した。しかし精神分析學的に探究したら、勿論この兩語の間に、何かの隱れた心理的關聯があるにちがひない。なぜならその詩人といふものは、著者の私のことであり、實際に主觀上で、私がかつて經驗したことを書いたのだから。しかし多くの詩人たちは、自己の詩作の經驗上で、だれも皆こんなことは知つてる筈だ。近代の詩人たちは、言葉を意味によつて聯想しないで、イメーヂによつて飛躍させる。たとへば或る詩人は、「馬」といふ言葉から「港」をイメーヂし、「a」といふ言葉から「蠅」を表象し、「象」といふ言葉から「墓地」を表現させてる。かうしたイメーヂの聯絡は、極めて飛躍的であり、突拍子もない荒唐のものに思はれるだらうが、作者の主觀的の心理の中では、その二つの言葉をシノニムに結ぶところの、歴とした表象範則ができてるのである。しかもその範則は、作者自身にも知られてない。なぜならそれは、夢の現象と同じく、作者の潛在意識にひそむ經驗の再現であり、精神分析學だけが、科學的方法によつて抽出し得るものであるから。
それ故詩人たちは、本來皆、自ら意識せざる精神分析學者なのである。しかしそれを特に意識して、自家の藝術や詩の特色としたものが、西洋の所謂シユル・レアリズム(超現實派)である。シユル・レアリズムの詩人や畫家たちは、意識の表皮に浮んだ言葉や心像やを、意識の潛在下にある經驗と結びつけることによつて、一つの藝術的イメーヂを構成することに苦心してゐるが、單に彼等ばかりでなく、一般に近代の詩人たちは、だれも皆かうした「言葉の迷ひ兒さがし」に苦勞して居り、その點での經驗を充分に持つてる筈である。そこで私のこのコントは、かうした詩人たちの創作に於ける苦心を、心理學的に解剖したものとも見られるだらう。
貸家札
これも前と同じく、夢の潛在意識を書いたシユル・レアリズム風の作品である。原作では、これに「映畫のシナリオとして」といふ小書をつけておいた。虚無の歌
ヱビス橋のビアホールは、省線の惠比壽驛に近く、工場區街にあり、常客の大部分が職工や勞働者であるため、晝間はいつも閑寂にがらんとしてゐるのである。此等の詩篇で、私は相當に言葉の音律節奏に留意した。ボードレエルの言ふ「韻律を蹈まないで、しかも音樂的節奏を感銘づける文學」に、多少或る程度迄近づけようと努力した。しかし抒情詩とちがつて、理智的な思想要素が多い散文詩では、本來さうした哲學性に缺乏してゐる日本語が、殆んど本質的に不適當である。日本語で少しく思想的な詩を書かうとすると、必然的に無味乾燥な觀念論文になつてしまふ。でなければ全く音樂節奏のない印象散文になつてしまふ。日本語を用ゐる限り、ボードレエルの藝術的散文詩は眞似ができない。しかし私は特異な文體を工夫して、不滿足ながら多少の韻文性――すくなくとも普通の散文に比して、幾分かの音樂的抑揚のある文章――を書いて見た。それがこの書中の「虚無の歌」「臥床の中で」「海」「墓」「郵便局」「パノラマ館にて」等の數篇である。嚴重に言へば、此等の若干の物だけが「散文詩」であり、他は未だ「詩」といふべきものでないかも知れない。