蒲原有明に帰れ

萩原朔太郎




 僕、先月末出京しました。東京は我があこがれの都。雪のふる夜も青猫の屋根を這ふ大都会。いまは工場と工場との露地の間、職工の群がつてゐる煤煙の街に住んでゐます。黒い煤煙と煉瓦の家の並んでゐる或る貧乏なまづしい長屋に、僕等親子四人が悲しい生活をしてゐます。どうにかしてパンの食へる間だけは、乞食をしても東京を離れたくない。いつまでもこのプロレタリヤの裏町に住んでゐたい。鴉のやうに。

 蒲原有明は僕の崇拝する唯一の詩人。貴君がそれに着眼されたるは流石です。実をいへば詩集「月に吠える」出版の時、序文を是非蒲原有明先生にたのみたく再三書簡を以て懇願したるも返事を下さらないので、遺憾ながら意を果さなかつたやうなわけです。かく僕が蒲原氏の序を切望したるは、僕の詩を以て蒲原氏の新しき正派を自任したからです。有明詩集中、独絃哀歌あたりの作品は実に名篇であつて、今よんでも涙が出るほど好い。何と言ふか、情緒が濃厚でしかも神秘的であつて、あたかもポオの恋愛抒情詩の如く、それで東洋風の香気が強い。「恋」の神秘にして甘き情緒は、僕、有明によつて始めて知れり。このラブの如く神秘的にして、本質的に音楽の情緒に近いものはない。僕の「月に吠える」中なる二三の作品が如き、正にこの神韻を摸してこれを俗化せるものなり。
 かく僕が蒲原先生を崇拝せるにかかはらず、或る人から風聞する所によれば、蒲原氏は痛く僕に悪感を抱いてゐるさうです。然してその理由は、僕が嘗て蒲原氏の詩を悪罵したといふのださうです。これ実に意外のことで、勿論、僕にとつて全然おぼえのないことであるから、よく調べてみた所、かつて僕が文章世界で三木露風氏及びその一派を極端に罵倒し、当時の詩壇の所謂「象徴詩」なるものを徹底的に排斥した。然るに後になつて聞けば、三木露風氏の一派は自ら「蒲原有明の正流」と称し、彼等の「日本象徴詩集」なる書物にも、日本の象徴詩の開祖は蒲原有明で、これを系統して発展したものが露風氏及びその一派であると書いてあります。これによつて思ふに、僕が露風氏等の所謂「象徴詩」を痛撃したことが、間接に蒲原氏の耳に誤伝され、当時既に詩壇を退いてゐた蒲原氏にまで誤つて自家のこととして偏解されたのらしい。風説によれば、僕からの序の依頼をみて蒲原氏曰く「人の芸術を悪罵しておきながら、その同じ人に対して序をたのむとは図々しい奴もあつたものだ」と言はれたさうです。
 始め、蒲原氏が序の懇願に応じてくれなかつた時、多分天才にありがちの物臭さからと思ひ、僕は何とも思はずに居ましたが、後日(最近)になつて上述の風説を知り、自らその意外に驚くと共に、蒲原氏に対して自分の全く曲解されたことが口惜しく残念でたまらずよつてこの消息を近く何かの雑誌に発表しようと思つてゐた所であつた。幸ひ貴君の手紙によつて書くヒントを得たから、全文或いは概要を貴誌に掲載して貰へれば幸甚です。かかる弁明は、むしろ「常識ある頭脳」に対して愚劣事にすぎないけれども、世間には存外馬鹿者が多いから念のため注意しておく。即ち蒲原有明氏と三木露風氏とは、詩格に於ても詩想に於ても、全然別個のものに属し、更に相関する所なし。詳説すれば、蒲原氏の詩風は浪漫的にして、しかも情緒の濃厚なる神秘的気韻を特色とするのに、露風氏及びその一派の所謂「象徴詩」なるものは、全然古典的、理智的にして、何等の夢幻的情想も浪漫的情緒も有せず、むしろその正反対なる厳粛端麗なる理智的格調の美に長所を有するので、あたかもフランス詩壇における高踏派パルナシアン(象徴詩派前派)の如し。之に対し有明氏の詩は、この高踏詩派を敵として興つた情熱主義のヴヱルレーヌやボドレエルの一派、即ちフランス詩壇の象徴詩派サムボリズム(これが同時に自由詩の先駆であつたことは人の知るごとし)に比較される。故に外国流の称呼に従へば、蒲原有明氏の詩風は象徴詩であるが、露風氏一派の詩は正しくその反対なる高踏詩派に属すべきである。しかし日本の詩壇では、露風氏等の詩を象徴詩と称してゐる故に、僕の言もこれを便として用ゐるのみ。もとより詩派の称呼の如きはどうでも好いので、要は内容に存するのである。
 私信が余談に渡つて失礼しました。とにかく蒲原有明氏は、今日の詩壇の先駆者であつて、永遠に価値を有する天才です。今日の無内容な詩壇に向つて言ひたいことは、実に一語「蒲原有明に帰れ」である。(以下略)
(「羅針」第五輯・大正十四年四月)





底本:「現代詩文庫 1013 蒲原有明詩集」思潮社
   1976(昭和51)年10月1日
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
   1938(昭和13)年12月10日
初出:「羅針 第五輯」
   1925(大正14)年4月
※この作品は、著者からの福原清宛書簡です。著者の意向を受けて福原によって公開され、その際表題の「蒲原有明に帰れ」が福原によって付されました。底本には、本作品の公開に至るその経緯を示した福原の言葉が添えられていましたが、著作権の保護期間にあるか否かが確認できなかったので、割愛しました。
入力:広橋はやみ
校正:土屋隆
2006年11月1日作成
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