蒲原有明氏の近況を聞いて

萩原朔太郎




 日本の詩壇は、過去に於て凡そ三期の峠を越して來てゐる。第一期は所謂新體詩時代であつて、その完成者は島崎藤村氏等である。第二期は新體詩から自由詩へ、浪漫派から象徴派に移つた過渡期であつて、その目ざましき完成者は蒲原有明氏であつた。最後に第三期は文章語自由詩の黄金時代で、之れは北原白秋氏と三木露風氏とで代表されてる。
 この以上三期の中、我々にとつて最も記念の深いのは第二期である。なぜならば今日我々の意味する詩は、第二期に於て始めて完成された上に、後の北原氏や三木氏等の詩句スタイルが、著るしく前代の影響を受けてゐるからである。この意味で蒲原有明氏は、日本近代詩壇の父とも稱すべき先輩であるだらう。それはとにかく、蒲原氏が詩壇を去つてから既に二十年近くにもなる。僕等は正に殆んどこの大先輩の名を忘れ、生死のほどさへ知らずに居た所、最近突如として雜誌『近代風景』に詩を寄せられたのを見て、僕は『モネーもまだ繪を描いてる』といふ言葉を思ひ出し、一種の妙な感慨にうたれざるを得なかつた。
 所が最近北原白秋氏を訪ひ、蒲原氏の寂しい生活近況を聞くに及び、とりわけやるせない憂愁と鬱憤に驅られてしまつた。あの短かく花やかだつた詩壇の生活を去つてから、氏は靜岡の田舍にかくれ、靜かに茶ノ湯などして隱遁の生活を送つて居たのだ。文壇は全く氏を忘れ、氏もまた文壇を忘れてゐた。そこには物しづかな、侘しい無爲の日が續いてゐた。
 北原氏が靜岡に遊び、氏の寓居を訪はうとした時、町の何人も蒲原氏の名を知らず、この知名な大詩人の寓居について、一もアドレスを知ることができなかつたさうである。遂に最後に、漸く一軒の花屋によつて氏の宅を教へられた。しかもその花屋の曰く。アアあの生花師匠のとこの御主人ですかと。けだし有明氏の夫人が※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)花の指南を職として居られるからである。
 後世の日本文學史上に特筆さるべき一世の大詩人が、狹い田舍町に於て全く人に知られず住み、世捨人の侘しい隱遁生活をしてゐることを考へると、それだけでも自分は無量の感慨にうたれるが、さらに蒲原氏によつて直接訴へられた所を傳聞するに及び、自分は押へられない憂鬱と憤怒に驅られた。白秋氏を通じて聞く所によれば、この物侘しい先輩の閑居を、それでも時々訪ねてくる地方の文學青年があるさうである。それらの青年たちは、たいてい靜岡や名古屋に住む若い詩人の連中だが、その蒲原氏に對する態度たるや、驚くべく無禮傲慢を極めたものであるさうだ。
 此等の氣まぐれの訪問者等は、始めから蒲原氏の事業と名聲を全く知らず、同輩の友人扱ひにして話しかけるさうである。さらに甚だしきはこの老年の大先輩に對し、傲然後輩扱ひにする者さへあるさうだ。思ふに此等の青年たちは、最近一二の雜誌に現はれた詩によつて、始めて蒲原有明なる名前を知り、自分等より尚後輩の新進詩人――老年の新進詩人――と思ひ込んで居るのだらう。或はそれほどでないにしても、蒲原氏を以て過去に少しばかりの拙い詩を書き、少しばかりの詩壇的名聲を得た末流詩人と思ひ、自分等の誇張的に考へてる實力と名聲に比較することから、逆に却つて先方から敬意されることを當然と思つてゐるのか知らない。
 いかに生意氣ざかりの文學青年とは言ひながら、この非常識は何事だらう。文壇から絶縁し、遠く田舍にかくれてゐて、しかも絶えずかうした無禮者の闖入を受け、耐へがたき屈辱を無言に忍んで居られる蒲原氏を考へると、僕は鬱憤の押へがたい憤怒を感ずる。(僕が蒲原氏の近所に居たらそんな小僧共の頭をなぐつてやる。)或は辯護するものが居て、之れを無智の過失に歸し、地方青年の惡意なきを言ふ人があるかも知れない。しかしながら無智の故に、かうした背徳が許されるものかどうか。『惡と知らずして惡を行ふものは、知つて惡を行ふものよりも尚惡い。』と言ふソクラテスの有名な逆説は、かうした場合に於て特に適切である。畢竟ソクラテスの説く如く、一切の惡とは無智の謂に外ならない。無智であるから先輩の大藝術も解らないし、したがつてまた理由なく人を侮辱する如き惡事をするのだ。
 とにかく蒲原氏のかうした近況は、何かの悲痛な詩を讀むやうで、たまらなく私を寂しくした。ワシントンはその天職を盡した後、田舍に一農夫として生活した。しかも人々は彼を知り、彼の過去の功績を讚ふべく、貧しい一農夫の前に脱帽して通つて行つた。ワシントンの晩年は幸福だつた。しかも我が田舍における蒲原有明氏は、果して幸福であるかどうか。北原白秋氏が氏を訪うた時、氏は心から悦んで客をもてなし、年來の長い鬱憤をもらされたさうである。私は信ずる。蒲原氏の聲に押へられない悲痛の訴へがあつたことを。





底本:「萩原朔太郎全集 第八卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年7月25日初版発行
底本の親本:「文藝春秋 第六年第一號」
   1928(昭和3)年1月号
初出:「文藝春秋 第六年第一號」
   1928(昭和3)年1月号
入力:岡村和彦
校正:きりんの手紙
2021年1月27日作成
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