室生犀星君の人物について

萩原朔太郎




 最近第一書房からして、僕の選した室生犀星君の詩集が出るので、この際僕の見た室生君を、人物的に略記してみたいと思ふ。尤も僕は、以前から幾度も室生君のことを書き、むしろ書きすぎてゐるほどであるが、最近彼が大森へ移轉して來て、田端以來の舊交が大に温まつたので、また新しく書く感興が起つたのだ。

 人物としての室生君は、だれも言ふ如く眞に純情無比の人である。(作品としてもさうであるが、この場合は成るべく人物印象に止めておきたい。)この頃では毎日のやうに彼と逢ひ、親しく酒など飮み合つてゐるが、あまり純情すぎることから、時としては腕白小僧のやうに思はれる。特に議論などする時さうであつて、人の理窟などには耳を藉さず、何でもかんでも俺はかうだと言ひ立てる。それが天眞爛漫だからして、まるで駄々つ子が暴れ出すやうで、なんとも言ひがたく純眞である。彼と親しくしてゐるお蔭で、僕は自分の中の最も美しい「純粹のもの」を、いつも失はずに持つてゐられる。その點だけでも、彼は僕にとつての益友だが、あんまり腕白小僧の我武者羅が強い時には、さすがに僕も腹が立つて、時々子供同士のやうな喧嘩をする。
 室生と交際をしてゐる間、不思議に僕は昔の小學校時代を思ひ出す。その小學時代には、或る腕白小僧の友だちがゐて、よく子供らしい意地惡から、僕を皮肉にからかつたり惡口したりした。そのくせ二人は不思議に仲がよく、毎日喧嘩をしては毎日逢つて親しくしてゐた。室生君がまたその通りで、よく僕の惡口や皮肉を言ひ、時としては必要のない意地惡さへするのであるが、その意地惡がいかにも子供の意地惡らしく、むしろ意地惡されることによつて、友情への深入りを感じさせるほどである。すべての點に於て、彼は小學一年生のやうな男である。すべての人は、小學一年生である時ほど、人生や自然について、最高の深い智慧をもつものはない。なぜなら彼等は、今日只今生れたばかりの、全く新鮮な自由の心で、一切の宇宙を見るからである。
 それ故にまた、小學一年生の作文や自由畫ほど、藝術の淳い眞髓に觸れ、祕密をつかんでゐるものはないのだ。これが二年から三年へと、上級へ進むにしたがつてだんだん平凡なくだらぬ藝術家に變つてしまふ。そこで藝術家が、他の技術や頭腦やの上達にかかはらず、精神の本質點でのみ、いつも永久に小學一年生でゐられたなら、その人こそは眞に「天才」と呼ばれるのである。
 室生犀星の抒情詩は、あの無心な小學一年生が舌で鉛筆の心を嘗めつけながら、紙の上にごしごしと書いてゐるところの、あの片假名の作文を思ひ出させる。特に「抒情小曲集」と「忘春詩集」の二詩集は就中また小學一年生の作文を典型してゐるが、不思議なことには、それがまた彼の作品中で一番よく、讀者の胸に乘りかけてくる、詩情の最も強いものを高調してゐる。思ふにこのことは、彼の小説についても同樣だらう。今日の文壇批判は、淺薄の眼を以て室生の外貌しか見てゐないが、ずつと遠く、十年、二十年の後になつてみれば、彼の名作として殘るものは、今日文壇的に好評されてゐるやうな小説でなく、却つて文壇で認められてゐないところの、初期の純粹の作であるかも知れない。そして後世の定評は、小説家としての室生を、純情派の中に數へるだらう。その時になつて見れば、今日の淺薄な文壇的定評は、馬鹿馬鹿しい物笑ひの種にすぎないだらう。

 室生犀星にあつては、理智と言ふものが全くない人物である。彼には理窟が解らず、抽象的觀念の把握がさらにない。しかもそれでゐて不思議なことには、僕等の知つてゐるたいていのむづかしい理窟や思想を、本能的な直觀で知つてしまふ。彼と會つて話をし、少し議論めいたことになると、彼は頭から手を振つて反對し、例の腕白小僧のがむしやらで、理窟もくそもなく相手を押しつけて默らせてしまふ。それでゐて不思議なことには、翌日はもうちやんと此方の理窟を知り、議論以上の眞理をすつかり會得してゐるのである。
 この點だけでも、どうも室生といふ男は不思議でならない。僕等が眞理の室内へ這入るためには、推理によつて正面の扉から這入るのであり、外に入口はないのである。然るに室生は、僕等がいくらその入口を教へてやつても、決して強情張つて這入つて來ない。しかも實に奇妙なことには、僕等がその室内へ這入つてみると、いつのまにかその強情男が、ちやんと部屋の中にゐてすましてゐる。入口もないのに、どこからどうして這入つて來るのか。實に室生といふ人物は、ウオーソン夫人の黒猫みたいに、氣味の惡い人間であり、理性以上の理性を持つてゐる、本能的直觀の哲學者である。その智慧深い彼の瞳から、自然や人生に對するところの、あの小説家の鋭どい觀察が放たれる。

 室生はかつて、僕を批評して「砂丘を登る人」だと言つた。その意味は、僕がだれより早く、一足先に登つて行つては、また砂の山をすべり落ち、いつも最初の同じ地位から進むことのできない人間だといふのである。そしてこの批評は、僕と室生とのコントラストでは、最も面白い觀察である。だがもつと適切には、佛蘭西人と獨逸人との比較に於て、例を求める方が好いであらう。佛蘭西人といふ人間は、いつでも最初に、いちばん進んだ新しいものを發明する。だが彼等は、それが發明された後になつては、物臭ささうに退屈して居り、次のまた別の發明にかかるまで、仕事を抛擲してゐるのである。一方で獨逸人は、その間に勉強して居り、佛蘭西人が投げ出してしまつたものを、根氣よく研究して、一歩一歩組織しつつ、遂に完全な者に仕上げてしまふ。
 室生がこの點では獨逸人で、常に不斷に勉強し、勤勉力行しつつ藝術の坂を登つて行く。それ故に室生の道は、常に漸進的に登つて居り、一歩一歩と老年に達するほど、藝術の完成に近づいて行く。反對に僕の方は、間歇火山的の爆發で、長い間死滅して居りながら、不意に熔岩の火花を噴出さしたりする。それ故にまた室生のやうな坂道がなく、いつでも同じやうな地點に止まり、仕事を投げ出しては退屈に寢ころんでゐる。僕にとつては、生涯に一の「進歩」もない代り、また「退歩」といふこともなく、常に同じ所に止まつてゐる。

 その純情の點に於て、また理智のない點に於て、室生は※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌに譬へられる。(顏までがどこか似てさへゐる。)彼がもし當時の佛蘭西に生れたら、十九世紀の純情詩人※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌになつたか知れない。しかし他の二つの點で、全く※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌと異つて居り、別種の人物に屬してゐる。その一つの相違は、室生に於て藝術道の精進意識や、俳人の風流を學んだりする特殊趣味があることである。これが※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌの方ではでたらめであり、藝術道の意識など夢にもなく、生涯を通じて酒びたりで、珈琲店の音樂など聽いて悦んでゐたところの、徹底的小學一年生の子供であつた。
 だがもう一つの相違はもつと大きい。即ち※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌは意志薄弱の典型者で自分の生活を自分ですることさへ出來ないほどのデカダンだつた。然るに室生犀星はこの點は獨逸人で、日々に勤勉力行しつつ、克己して生活を完成させる男である。この點からして、室生は※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌの正反對で、それとは類例できないところの、全く別種屬の詩人に屬する。室生は※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレーヌの兄弟でない。むしろその比較ならば、却つて千家元麿などの方が適切だらう。
 室生の人物印象では、尚もつと書きたいことが澤山あるが、他日の機會に殘してここに止める。





底本:「萩原朔太郎全集 第八卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年7月25日初版発行
底本の親本:「オルフェオン 第八號」
   1929(昭和4)年12月号
初出:「オルフェオン 第八號」
   1929(昭和4)年12月号
入力:岡村和彦
校正:きりんの手紙
2022年7月27日作成
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