倫敦に於ける五月一日は新聞の所謂「赤」一党のみが辛うじてメーデーを維持する。
それさへ華やかに趣向を凝らし警戒の巡査と諧謔を交しながらの祝賀気分だ。われわれが世界共通のものとしてメーデーを概念してゐるところの合成人間の危険性を内包した黙圧もしくは爆叫には殆ど出逢へないと云つて宜しい。
これは無産階級風に描かれたニースの花祭だ。市長就任式の
Down with the British Empire(大英国を倒せ)とシークな事よ。行人の拍手。
英国では伝統を破らうとするものは軈て伝統に捉へられる危険がある。発生の早い英国のメーデーは既に今日歴史を帯ばされて年中行事的に図案化した。無産思想を通じての有色人種と白人との国際的提携を象徴しようとして赤髪の美婦人は灰面の埃及人と腕組みして行く。だがそれを褒める倫敦人に彼等の意味を殖民地博覧会の門冠彫刻以上に汲取らし得るかは疑問だ。
それほどこの行列は内容を脱却した英国人通弊の趣向偏重に陥つて居る。儀礼的の
印度は? 自尊心に対して都合よく出来てゐる英国人はこの問題も大英自身の伝統的問題の成熟としてその解決に心を傾けて来たのだと云つてゐる。英貨のボイコットに周章て来たとは決して言はない。故にリボンで飾つて押し樹てて歩く露西亜文学の旗も、スコットランド、ランカシヤ、ノーサムバア、ダルハム、中部及びウヱールズから来た血色の好い
陽気が好いといふことも行列を祝祭気分にする。陰気なストーブの前から逃れ戸外の霧から救はれた英本国六千万の人民はこの時はうはいと一時に咲き寄せる春夏を併せた諸草木の花、就中メーフラワーの紅白の色彩の爆発に逢つて冬中縮めてゐた感覚の息使ひをにはかに忙しく開始する。
「何と好い陽気ぢやないか。」
思はず手を差し伸べ合つてコンミュニストとトレードユニオニストとが握手する。
ハイド・パークの青芝の広場に幾筋もの汗ばんだ行進隊が吸ひ寄せられて行く。
最貧民街
有色人種特有の嘆きと浮れと決意のメロデーが運動筋を不思議に飜弄する(殖民地のお化)の曲の波に乗つてダーポーシュ帽の赤い房が揺れる。
Long live Sakulatvala !
見物群のなかから殖民地訛の多い声がかう叫びかける。彼はバッタシーの前共産党代議士で組織者として有名だ。
行進が殖民地官省のある町を通つた時この枝隊は特に意味を持つた。
皮肉好きの英人の見物は羊皮製の顔に血の気を浮べて頷き合ふ。この日のために特に刷つた赤字のビラやパンフレット、この日の見物に売捌かうと抱へて来た労働新聞を傍列の赤シャツや黒ヅボンが両側の人波へさあさあと撒く。紳士は巻煙草の広告のやうに婦人連は百貨店の衣裳の宣伝ビラをうけとめるように至極悠長な受け渡しだ。代金をあとから筒で取りに来る。慈善事業の寄附に小銭を入れるやうに人達は無雑作だ。
ハイドパークの青芝を踏まへて六つの演壇が出来てゐる。そこで世界経綸の抱負と無産階級の意義と露西亜への
突然、だが静かにメーデー行進団の一角に学校風の若いメロデーで国歌が唱はれ出した。
何だ。何だ。と附近のコンミュニストが伸び上る。
学生達が、
学生達の数が、十一人でもなく、十三人でもなく、十二人といふ区切りの好さを示す習慣的の数に頭をそろへて来たところに英国を見る。
この出来事以外一人の検束者も無い。平和に英国のメーデーは終つた。
饑餓行進は数隊に分れ、その夜の宿所の有無を問はれ、無いものは各所の
彼等の晩餐の献立。パン、チーズ、チョコレート。
だが他の一般の労働者はこの日をどう考へてゐるだらうか。私はハイドパークの真向ひ
「ありや、外国人のやることですよ。」
一人は答へる。
「わし等の中から政治家を出してますからわし等のよくなる方法はそいつ等が
失業手当、一週十八志を法によつて約束されてゐる人々の答へである。
一人はトラックによぢ下りて線路に
「日本のマダム。あなたはわたし共の仕事に好奇心を持つておゐでのやうですね。わたし共からの
附記、これは一九三〇年の英国メーデーの記事です。稚拙な文章もその当時のまゝです。