五月の朝の花

岡本かの子




 ものものしい桜が散った。
 だだっぴろく……うんと手足を空に延ばした春の桜が、しゃんら、しゃらしゃらとどこかへ飛んで行ってしまった。
 空がからっと一たん明るくなった。
 しんとした淋しさだ。
 だが、すこし我慢してじっと、その空を仰いでいた。
 じわじわと、どこの端からかその空がうるみ始めましたよ、その空が、そして、空じゅうそのうるみが拡がって。
 その時、日本の五月の朝の中空には点々、点々、点々、点々。細長いかっちりした薄紫の鈴――桐の花です。お洒落しゃれでつつましやかで、おとなしくてお済しで、群っていても実は孤独で、おっとりしていてもなかなか怜悧で。しのびやかにしかもはればれと桐の花。
 桐よりも、ずっと背が高いのにせんだんの気の小さいポチポチ花。
 だが咲くだけ咲いてしまえば実に思い切りよく大ふうにさらさらと風にまかせて銀砂の様に私達の歩道に、その純白の粉花を一ぱいに敷きつめてくれる。
 もう少し行って御らんなさい。
 そら、大粒の赤玉、白玉のメノーを七宝の青い葉茎がくっきりうけとめている、チューリップ!
 ルビーと紫水晶のかけらのスウィートピー。
 くじゃくの彩羽の紋所ばかり抜いて並べたパンジー。
 毛唐国の花だとさげすみながら、人は何と争って五月の花壇の真中に何よりも大切にこの宝石の様な花たちを、栽培するようになった事よ。さて、その花達に夜の間宿った露、朝日が射せば香わしいほのかなもやとなって私達のもすそをしめらす。
 目をとめてよく見ると、半開きの白ばらの花のかげ――肥料をやりたての根本の赤土の上に生れたばかりの小さいひきがえるがよちよちしている。
 お! 八百屋が、大きな玉菜とオレンジを運んで来た。勝手元の方へ知らせてやろう。





底本:「岡本かの子全集12」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年7月21日第1刷発行
底本の親本:「池に向いて」古今書院
   1940(昭和15)年11月5日
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2018年4月26日作成
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