――わたし達、室内電線を修繕しに来ました。」
にこやかなものです。だしぬけなので一寸驚いた私も、直ぐ気を取り直して奥の方へ案内しました。私は伯林へ来るなり(私が伯林へはいったのは、その夏の始めでした)伯林の労働者に好感を持ったのでした。彼等の多くは実に無邪気で明るい。トラックの上にかたまって乗っている労働者達が異国人の私達に笑いかけながら手を振って通り過ぎる情景などに幾度接したかわかりませんでした。で、機会のある毎に私達は、この勤労生活を善意に受けている可憐な人々に好意を見せ、かりにも他国人らしい警戒の素振りなど見せたことはありませんでした。その労働者達の服装も一見むさぐるしいが、よく見ればやはり
電線修繕の仕事が終りました。外はまだどんどん雪の降っているのが窓から見えます。労働者達は私が毛皮の敷物をすすめると素直にその上へ坐り、ストーヴにあたり始めました。
――煙草をあげましょうか、日本のたばこ。」
と私は主人の居る方へ敷島でも採りに行こうかと立ちかかりました。するとそのなかの壮年の方が
――煙草はいりません。その代り日本のお嬢さん(西洋人には東洋人の年齢がわかりにくいのです)あなた日本の歌を唱って聴かせて下さい。」
――日本でも歌をうたいますかね、お嬢さん。」
と老人が
――それはお嬢さん、男の学生風の歌ですね。私のお望みするのは、日本の女の……つまりお嬢さん方が平生おうたいになる歌です。」
ああそうかと、私は心にうなずいて今度は尚々、単純な声調で、
さくら、さくら、
と唄って聞かせた。彼等は嬉んで立上った。何という上品で甘やかなメロデーだと
今迄無口だった青年が立ちどまって
――切手を、日本の郵便切手を一枚下さい。世界中のを集めています。」
と言うのでありました。激しい労働生活で節くれ立った彼の愛すべき掌へ、私は故国から来た親愛なる手紙の封書の切手を何枚もはがして乗せてやりました。