松の木や
それから、林の中の楢の木の下に、ブン蛙のうちがありました。
林の向ふのすゝきのかげには、ベン蛙のうちがありました。
三
ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座って、雲見といふことをやって居りました。一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峯を見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思はせるね。」
「実に僕たちの理想だね。」
雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形といふのは、蛙どもでは大へん
「この
「うん。よくみんなはいてるやうだね。」
「僕たちもほしいもんだな。」
「全くほしいよ。あいつをはいてなら
「ほしいもんだなあ。」
「手に入れる工夫はないだらうか。」
「ないわけでもないだらう。たゞ僕たちのはヘロンのとは大きさも型も大分ちがふから
「うん。それはさうさ。」
さて雲のみねは全くくづれ、あたりは
「さよならね。」と
※
あとでカン
しばらくしばらくたってからやっと「ギッギッ」と二声ばかり鳴きました。そして草原をペタペタ歩いて畑にやって参りました、
それから声をうんと細くして、
「
「ツン。」と野鼠は返事をして、ひょこりと蛙の前に出て来ました。そのうすぐろい顔も、もう見えないくらゐ暗いのです。
「野鼠さん。今晩は。一つお前さんに頼みがあるんだが、きいて
「いや、それはきいてあげよう。去年の秋、僕が
「さうか。そんなら一つお前さん、ゴム
「あゝ、いゝとも。明日の晩までにはきっと持って来てあげよう。」
「さうか。それはどうもありがたう。ではお願ひするよ。さよならね。」
カン蛙は大よろこびで自分のおうちへ帰って寝てしまひました。
※
次の晩方です。
カン蛙は又畑に来て、
「野鼠さん。野鼠さん。まうし。まうし。」とやさしい声で呼びました。
野鼠はいかにも疲れたらしく、目をとろんとして、はぁあとため息をついて、それに何だか大へん
「そら、カン蛙さん。取ってお呉れ。ひどい難儀をしたよ。大へんな手数をしたよ。命がけで心配したよ。僕はお前のご恩はこれで払ったよ。少し払ひ過ぎた位かしらん。」と云ひながら、野鼠はぷいっと行ってしまったのでした。
カン蛙は、野鼠の
早速それを
※
「カン君、カン君、もう雲見の時間だよ。おいおい。カン君。」カン蛙は
「や、君はもうゴム靴をはいてるね。どこから出したんだ。」
「いや、これはひどい難儀をして大へんな手数をしてそれから命がけほど頭を痛くして取って来たんだ。君たちにはとても持てまいよ。歩いて見せようか。そら、いゝ
「うん、実にいゝね。僕たちもほしいよ。けれど仕方ないなあ。」
「仕方ないよ。」
雲の峯は銀色で、今が一番高い所です。けれどもベン蛙とブン蛙とは、雲なんかは見ないでゴム靴ばかり見てゐるのでした。
そのとき向ふの方から、一疋の美しいかへるの娘がはねて来てつゆくさの向ふからはづかしさうに顔を出しました。
「ルラさん、今晩は。何のご用ですか。」
「お父さんが、おむこさんを探して来いって。」娘の蛙は顔を少し平ったくしました。
「僕なんかはどうかなあ。」ベン蛙が云ひました。
「あるいは僕なんかもいゝかもしれないな。」ブン蛙が云ひました。
ところがカン蛙は一言も物を云はずに、すっすっとそこらを歩いてゐたばかりです。
「あら、あたしもうきめたわ。」
「
カン蛙はまだすっすっと歩いてゐます。
「あの方だわ。」娘の蛙は左手で顔をかくして右手の指をひろげてカン蛙を指しました。
「おいカン君、お嬢さんがきみにきめたとさ。」
「何をさ?」
カン
「お嬢さんがおまへさんを連れて行くとさ。」
カン蛙は急いでこっちへ来ました。
「お嬢さん今晩は、僕に何か用があるんですか。なるほど、さうですか。よろしい。承知しました。それで日はいつにしませう。式の日は。」
「八月二日がいゝわ。」
「それがいゝです。」カン蛙はすまして空を向きました。
そこでは雲の峯がいままたペネタ型になって流れてゐます。
「そんならあたしうちへ帰ってみんなにさう云ふわ。」
「えゝ、」
「さよなら」
「さよならね。」
ベン蛙とブン蛙はぶりぶり怒って、いきなりくるりとうしろを向いて帰ってしまひました。しゃくにさはったまぎれに、あの林の下の
※
さてルラ蛙の方でも、いろいろ仕度をしたりカン蛙と談判をしたり、だんだん事がまとまりました。いよいよあさってが結婚式といふ日の明方、カン蛙は夢の中で、
「今日は僕はどうしてもみんなの所を歩いて
それから
「今日は、今日は。」
「どなたですか。あゝ君か。はひり
「うん、どうもひどい雨だね。パッセン大街道も今日はいきものの影さへないぞ。」
「さうか。ずゐぶんひどい雨だ。」
「ところで君も知ってる通り、
「うん。さうさう。さう云へばあの時あのちっぽけな赤い虫が何かそんなこと云ってゐたやうだったね。行かう。」
「ありがたう。どうか頼むよ。それではさよならね。」
「さよならね。」
カン
「今日は、今日は。」
「どなたですか。あゝ君か。はひれ。」
「ありがたう。どうもひどい雨だ。パッセン大街道も今日はしんとしてるよ。」
「さうか。ずゐぶんひどいね。」
「ところで君も知ってるだらうが明後日僕の結婚式なんだ。どうか来て呉れ給へ。」
「あゝ、そんなことどこかで聞いたっけねい。行かう。」
「どうか。ではさよならね。」
「さよならね。」そしてカン蛙は又ピチャピチャ林の中を歩き、プイプイ
※
丁度そのころブン蛙はベン蛙のところへやって来たのでした。
「今日は、今日は。」
「はい。やあ、君か。はひれ。」
「カンが来たらう。」
「うん。いまいましいね。」
「全くだ。畜生。何とかひどい目にあはしてやりたいね。」
「僕がうまいこと考へたよ。明日の朝ね、雨がはれたら結婚式の前に
「うん。それはいゝね。しかし僕はまだそれ位ぢゃ腹が
「それもいゝね。ぢゃ、雨がはれたらね。」
「うん。」
「ではさよならね。」
※
次の日のひるすぎ、雨がはれて
「やあ、今日はおめでたう。お招き通りやって来たよ。」
「うん、ありがたう。」
「ところで式まで大分時間があるだらう。少し歩かうか。散歩すると血色がよくなるぜ。」
「さうだ。では行かう。」
「三人で手をつないでかうね。」ブン蛙とベン蛙とが両方からカン蛙の手を取りました。
「どうも雨あがりの空気は、実にうまいね。」
「うん。さっぱりして気持ちがいゝね。」三疋は
「あゝいゝ景色だ。こゝを通って行かう。」
「おい。こゝはよさうよ。もう帰らうよ。」
「いゝや折角来たんだもの。も少し行かう。そら歩きたまへ。」二疋は両方からぐいぐいカン蛙の手をひっぱって、自分たちも足の痛いのを我慢しながらぐんぐん萱の刈跡をあるきました。
「おい。よさうよ。よして呉れよ。こゝは歩けないよ。あぶないよ。帰らうよ。」
「実にいゝ景色だねえ。も少し急いで行かうか。」と二疋が両方から、まだ破けないカン蛙のゴム
「おい。よさうよ。冗談じゃない。よさう。あ痛っ。あぁあ、たうとう穴があいちゃった。」
「どうだ。この空気のうまいこと。」
「おい。帰らうよ。ひっぱらないで呉れよ。」
「実にいゝ景色だねえ。」
「放して呉れ。放して呉れ。放せったら。畜生。」
「おや、君は何かに足をかじられたんだね。そんなにもがかなくてもいゝよ。しっかり押へてるから。」
「放せ、放せ、放せったら、畜生。」
「まだかじってるかい。そいつは大変だ。早く逃げ給へ。走らう。さあ。そら。」
「痛いよ。放せったら放せ。えい畜生。」
「早く、早く。そら、もう大丈夫だ。おや。君の
実際ゴム靴はもうボロボロになって、カン
カン蛙は何とも言へないうらめしさうな顔をして、口をむにゃむにゃやりました。実はこれは歯を食ひしばるところなのですが、歯がないのですからむにゃむにゃやるより仕方ないのです。二疋はやっと手をはなして、しきりに両方からお世辞を云ひました。
「君、あんまり力を落さない方がいゝよ。靴なんかもうあったってないったって、お嫁さんは来るんだから。」
「もう時間だらう。帰らう。帰って待ってようか。ね。君。」
カン蛙はふさぎこみながらしぶしぶあるき出しました。
※
三疋がカン蛙のおうちに着いてから、しばらくたって、ずうっと向ふから、
だんだん近くになりますと、お父さんにあたるがん郎がへるが、
「こりゃ、むすめ、むこどのはあの三人の中のどれぢゃ。」とルラ蛙をふりかへってたづねました。
ルラ蛙は、小さな目をパチパチさせました。といふわけは、はじめカン蛙を見たときは、実はゴム靴のほかにはなんにも気を付けませんでしたので、三疋ともはだしでぞろりとならんでゐるのでは実際どうも困ってしまひました。そこで仕方なく、
「もっと向ふへ行かないと、よくわからないわ。」と云ひました。
「さうですとも。間違っては大へんです。よくおちついて。」と
ところがもっと近くによりますと、
「あの方よ。」と云ひました。さてそれから式がはじまりました。その式の盛大なこと酒もりの立派なこととても書くのも大へんです。
とにかく式がすんで、向ふの方はみな引きあげて行きました。その時丁度雲のみねが一番かゞやいて居りました。
「さあ新婚旅行だ。」とベン蛙が云ひました。
「僕たちはぢきそこまで見送らう。」ブン蛙が云ひました。
カン
「あゝ、こゝはみちが悪い。おむこさん。手を引いてあげよう。」と云ひながら、カン蛙が急いでちゞめる間もなく、両方から手をとって、自分たちは穴の両側を歩きながら無理にカン蛙を穴の上にひっぱり出しました。するとカン蛙の載った木の葉がガサリと鳴り、カン蛙はふらふらっと一寸ばかりめり込みました。ブン蛙とベン蛙がくるりと外の方を向いて逃げようとしましたが、カン蛙がピタリと両方共とりついてしまひましたので二疋のふんばった足がぷるぷるっとけいれんし、そのつぎにはたうとう「ポトン、バチャン。」
三疋とも、杭穴の底の泥水の中に
そこでルラ蛙はもう昔習った六百
そのうちだんだん夜になりました。
パチャパチャパチャパチャ。
ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
いくら起しても起きませんでした。
夜があけました。
パチャパチャパチャパチャ。
ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
いくら起しても起きませんでした。
日が暮れました。雲のみねの頭。
パチャパチャパチャパチャ。
ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
いくら起しても起きませんでした。
夜が明けました。
パチャパチャパチヤパチャ。
雲のみね。ペネタ形。
ちゃうどこのときお父さんの蛙はやっと眼がさめてルラ蛙がどうなったか見ようと思って出掛けて来ました。
するとそこにはルラ
「おいどうしたのか。おい。」
「あらお父さん、三人この中へおっこってゐるわ。もう死んだかもしれないわ」
お父さんの蛙は落ちないやうに気をつけながら耳を穴の口へつけて音をききましたら、かすかにぴちゃといふ音がしました。
「占めた」と叫んでお父さんは急いで帰って仲間の蛙をみんなつれて来ました。そして林の中からひかげのかつらをとって来てそれを穴の中につるして、たうとう一ぴきづつ穴からひきあげました。
三疋とももう白い腹を上へ向けて眼はつぶって口も堅くしめて半分死んでゐました。
みんなでごまざいの毛をとって来てこすってやったりいろいろしてやっと助けました。
そこでカン蛙ははじめてルラ蛙といっしょになりほかの蛙も大へんそれからは心を改めてみんなよく働くやうになりました。