斉藤平太は、その春、
(こんなことは実にまれです。)
卒業するとすぐ家へ戻されました。家は農業でお父さんは村長でしたが平太はお父さんの賛成によって、家の門の
すぐに二つの仕事が来ました。一つは村の消防小屋と相談所とを兼ねた二階建、も一つは村の分教場です。
(こんなことは実に
斉藤平太は四日かかって両方の設計図を引いてしまひました。
それからあちこちの村の大工たちをたのんでいよいよ仕事にかゝりました。
斉藤平太は茶いろの乗馬ズボンを
工作小屋のまん中にあの設計図が
ところがどうもをかしいことはどう
大工さんたちはみんな平太を好きでしたし賃銭だってたくさん払ってゐましたのにどうした訳かをかしな顔をするのです。
(こんなことは実に稀れです。)
平太が分教場の方へ行って大工さんたちの働きぶりを見て
(こんなことは実に
平太が消防小屋の方へ行って大工さんたちの働くのを見てゐますと大工さんたちはくるくる廻ったり立ったり屈んだり横に歩いたりするのは大へん愉快さうでしたがどう云ふ訳か上下に交通するのがいやさうでした。
(こんなことは実に稀です。)
だんだん工事が進みました。
斉藤平太は人数を
(こんなことは実に稀れです。)
終りましたら大工さんたちはいよいよ変な顔をしてため息をついて黙って下ばかり見て居りました。
斉藤平太は分教場の玄関から教員室へ入らうとしましたがどうしても行けませんでした。それは廊下がなかったからです。
(こんなことは実に
斉藤平太はひどくがっかりして今度は急いで消防小屋に行きました。そして下の方をすっかり検分し今度は二階の相談所を見ようとしましたがどうしても二階に昇れませんでした。それは
(こんなことは実に稀です。)
そこで斉藤平太はすっかり気分を悪くしてそっと財布を開いて見ました。
そしたら三円入ってゐましたのですぐその乗馬ズボンのまゝ渡しを越えて町へ行きました。
それから汽車に乗りました。
そして東京へ
東京へ来たらお金が六銭残りました。斉藤平太はその六銭で二度ほど豆腐を食べました。
それから仕事をさがしました。けれども
斉藤平太はすっかり困って口の中もカサカサしながら三日仕事をさがしました。
それでもどこでも断わられたうとう
巡査がそれに水をかけました。
区役所がそれを引きとりました。それからご飯をやりました。するとすっかり元気になりました。そこで区役所では
斉藤平太はうちへ葉書を出しました。
「エレベータとエスカレータの研究の
お父さんの村長さんは返事も出させませんでした。
平太は夏は
それでもだんだん東京の事にもなれて来ましたのでつひには昔の専門の建築の方の仕事に入りました。
大工たちに憎まれて見廻り中に高い
ですから斉藤平太はうちへ
「近頃立身致し候。紙幣は障子を張る程
お父さんの村長さんは返事も何もさせませんでした。
ところが平太のお母さんが少し病気になりました。毎日平太のことばかり云ひます。
そこで仕方なく村長さんも電報を打ちました。
「ハハビャウキ、スグカヘレ。」
平太はこの時月給をとったばかりでしたから三十円ほど余ってゐました。
平太はいろいろ考へた末二十円の大きな大きな革のトランクを買ひました。けれどももちろん平太には
(こんなことはごく
斉藤平太は故郷の停車場に着きました。
それからトランクと一緒に俥に乗って町を通り国道の松並木まで来ましたが平太の村へ行くみちはそこから
斉藤平太はそこで仕方なく自分でその大トランクを
渡し場は針金の綱を張ってあって滑車の仕掛けで舟が半分以上ひとりで動くやうになってゐました。
もう夕方でしたが雲が
いつの間にか子供らが麻ばたけの中や岸の砂原やあちこちから七八人集って来ました。全く平太の大トランクがめづらしかったのです。みんなはだんだん近づきました。
「おお、みんな革だ※[#小書き平仮名ん、229-10]ぞ。」
「牛の革だんぞ。」
「あそごの曲った処ぁ牛の
なるほど平太の大トランクの締金の処には少しまがった膝の形の革きれもついてゐました。平太は子供らの云ふのを聞いて何とも云へず悲しい寂しい気がしてあぶなく泣かうとしました。
舟がだんだん近よりました。
船頭が平太のうしろの入日の雲の白びかりを手でさけるやうにしながらじっと平太を見てゐましたがだんだん近くになっていよいよその白い洋服を着た紳士が平太だとわかると高く叫びました。
「おゝ平太さん。待ぢでだあ※[#小書き平仮名ん、230-2]す。」
平太はあぶなく泣かうとしました。そしてトランクを運んで舟にのりました。舟はたちまち岸をはなれ岸の子供らはまだトランクのことばかり云ひ船頭もしきりにそのトランクを見ながら船を滑らせました。波がぴたぴた云ひ針金の綱はしんしんと鳴りました。それから西の雲の向ふに日が落ちたらしく波が
舟は岸に着きました。
二人の中の一人が飛んで来ました。
「お待ぢ申して居りあ※[#小書き平仮名ん、230-9]した。お荷物は。」
それは平太の家の下男でした。平太はだまって眼をパチパチさせながらトランクを渡しました。下男はまるでひどく気が立ってその大きな革トランクをしょひました。
それから二人はうちの方へ蚊のくんくん鳴く桑畑の中を歩きました。
二人が大きな