さいかち
淵なら、ほんたうにおもしろい。
しゅっこだって毎日行く。しゅっこは、
舜一なんだけれども、みんなはいつでも
しゅっこといふ。さういはれても、しゅっこは少しも怒らない。だからみんなは、いつでも
しゅっこしゅっこといふ。ぼくは、しゅっことは、いちばん仲がいい。けふもいっしょに、出かけて行った。
ぼくらが、さいかち淵で泳いでゐると、
発破をかけに、大人も来るからおもしろい。今日のひるまもやって来た。
石神の
庄助がさきに立って、そのあとから、
煉瓦場の人たちが三人ばかり、肌ぬぎになったり、網を持ったりして、河原のねむの木のとこを、こっちへ来るから、ぼくは、きっと発破だとおもった。しゅっこも、大きな白い石をもって、淵の上のさいかちの木にのぼってゐたが、それを見ると、すぐに、石を淵に落して叫んだ。
「おゝ、発破だぞ。知らないふりしてろ。石とりやめて、早くみんな、
下流へさがれ。」
そこでみんなは、なるべくそっちを見ないやうにしながら、いっしょに
下流の方へ泳いだ。
しゅっこは、木の上で手を額にあてて、もう一度よく見きはめてから、どぶんと
逆まに淵へ飛びこんだ。それから水を
潜って、一ぺんにみんなへ追ひついた。
ぼくらは、淵の
下流の、瀬になったところに立った。
「知らないふりして遊んでろ。みんな。」
しゅっこが
云った。ぼくらは、
砥石をひろったり、せきれいを追ったりして、発破のことなぞ、すこしも気がつかないふりをしてゐた。
向ふの淵の岸では、庄助が、しばらくあちこち見まはしてから、いきなりあぐらをかいて、砂利の上へ座ってしまった。それからゆっくり、腰からたばこ入れをとって、きせるをくはへて、ぱくぱく煙をふきだした。奇体だと思ってゐたら、また腹かけから、何か出した。
「発破だぞ、発破だぞ。」とぺ吉やみんな叫んだ。
しゅっこは、手をふってそれをとめた。庄助は、きせるの火を、しづかにそれへうつした。うしろに居た一人は、すぐ水に入って、網をかまへた。庄助は、まるで電車を運転するときのやうに落ちついて、立って一あし水にはひると、すぐその持ったものを、さいかちの木の下のところへ投げこんだ。するとまもなく、ぼぉといふやうなひどい音がして、水はむくっと盛りあがり、それからしばらく、そこらあたりがきぃんと鳴った。煉瓦場の人たちは、みんな水へ入った。
「さぁ、流れて来るぞ。みんなとれ。」と
しゅっこが云った。まもなく、小指ぐらゐの茶いろなかじかが、横向きになって流れて来たので、取らうとしたら、うしろのはうで三郎が、まるで
瓜をすするときのやうな声を出した。六寸ぐらゐある
鮒をとって、顔をまっ赤にしてよろこんでゐたのだった。
「だまってろ、だまってろ。」
しゅっこが云った。
そのとき、向ふの白い河原を、肌ぬぎになったり、シャツだけ着たりした大人や子どもらが、たくさんかけて来た。そのうしろからは、ちゃうど活動写真のやうに、一人の網シャツを着た人が、はだか馬に乗って、まっしぐらに走って来た。みんな
発破の音を聞いて、見に来たのだ。
庄助は、しばらく腕を組んで、みんなのとるのを見てゐたが、
「さっぱり居なぃな。」と云った。けれども、あんなにとれたらたくさんだ。
煉瓦場の人たちなんか、三十
疋ぐらゐもとったんだから。ぼくらも、一疋か二疋なら
誰だって拾った。庄助は、だまって、また
上流へ歩きだした。煉瓦場の人たちもついて行った。網シャツの人は、馬に乗って、またかけて行ったし、子どもらは、ぼくらの仲間にはひらうと、岸に座って待ってゐた。
「発破かけだら、
雑魚撒かせ。」三郎が、河原の砂っぱの上で、ぴょんぴょんはねながら、高く叫んだ。
ぼくらは、とった魚を、石で囲んで、小さな
生洲をこしらへて、生き返っても、もう
遁げて行かないやうにして、また石取りをはじめた。ほんたうに暑くなって、ねむの木もぐったり見えたし、空もまるで、底なしの
淵のやうになった。
そのころ誰かが、
「あ、生洲、
打壊すとこだぞ。」と叫んだ。見ると、一人の変に鼻の
尖った、洋服を着てわらぢをはいた人が、鉄砲でもない
槍でもない、をかしな光る長いものを、せなかにしょって、手にはステッキみたいな
鉄槌をもって、ぼくらの魚を、ぐちゃぐちゃ
掻きまはしてゐるのだ。みんな怒って、何か云はうとしてゐるうちに、その人は、びちゃびちゃ岸をあるいて行って、それから淵のすぐ
上流の浅瀬をこっちへわたらうとした。ぼくらはみんな、さいかちの
樹にのぼって見てゐた。ところがその人は、すぐに河をわたるでもなく、いかにもわらぢや
脚絆の汚なくなったのを、そのまゝ洗ふといふふうに、もう何べんも行ったり来たりするもんだから、ぼくらはいよいよ、気持ちが悪くなってきた。そこで、たうとう、
しゅっこが云った。
「お、おれ先に叫ぶから、みんなあとから、一二三で叫ぶこだ。いいか。
あんまり川を濁すなよ、
いつでも
先生云ふでなぃか。一、二ぃ、三。」
「あんまり川を濁すなよ、
いつでも
先生云ふでなぃか。」
その人は、びっくりしてこっちを見たけれども、何を云ったのか、よくわからないといふやうすだった。そこでぼくらはまた云った。
「あんまり川を濁すなよ、
いつでも
先生、云ふでなぃか。」
鼻の
尖った人は、すぱすぱと、
煙草を吸ふときのやうな口つきで云った。
「この水
呑むのか、ここらでは。」
「あんまり川をにごすなよ、
いつでも
先生云ふでなぃか。」
鼻の尖った人は、少し困ったやうにして、また云った。
「川をあるいてわるいのか。」
「あんまり川をにごすなよ、
いつでも
先生云ふでなぃか。」
その人は、あわてたのをごまかすやうに、わざとゆっくり、川をわたって、それから、アルプスの探検みたいな姿勢をとりながら、青い粘土と赤砂利の
崖をななめにのぼって、せなかにしょった長いものをぴかぴかさせながら、上の
豆畠へはひってしまった。ぼくらも何だか気の毒なやうな、をかしながらんとした気持ちになった。そこで、一人づつ木からはね下りて、河原に泳ぎついて、魚を
手拭につつんだり、手にもったりして、
家に帰った。
しゅっこは、今日は、
毒もみの
丹礬をもって来た。あのトラホームの
眼のふちを
擦る青い石だ。あれを五かけ、紙に包んで持って来て、ぼくをさそった。巡査に押へられるよと云ったら、田から流れて来たと云へばいいと云った。けれども毒もみは
卑怯だから、ぼくは
厭だと答へたら、しゅっこは少し顔いろを変へて、卑怯でないよ、みみずなんかで、だまして取るよりいゝと云って、あとはあんまり、ぼくとは口を利かなかった。その代り
しゅっこは、そこら中を、一軒ごとにさそって歩いて、いいことをして見せるからあつまれと云って、まるで小さなこどもらまで、たくさん集めた。
ぼくらは、
蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの
瓦斯のやうな
匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち
淵に行った。今日なら、もうほんたうに立派な雲の峰が、東でむくむく盛りあがり、みみづくの頭の形をした
鳥ヶ森も、ぎらぎら青く光って見えた。
しゅっこが、あんまり急いで行くもんだから、小さな子どもらは、追ひつくために、まるで半分
馳けた。みんな急いで着物をぬいで、淵の岸に立つと、
しゅっこが云った。
「ちゃんと一列にならべ。いいか。魚浮いて来たら、泳いで行ってとれ。とった位
与るぞ。いいか。」
小さなこどもらは、よろこんで顔を赤くして、押しあったりしながら、ぞろっと淵を囲んだ。ぺ吉だの三四人は、もう泳いで、さいかちの木の下まで行って待ってゐた。
しゅっこが、大威張りで、あの青いたんぱんを、
淵の中に投げ込んだ。それから、みんなしぃんとして、水をみつめて立ってゐた。ぼくは、からだが
上流の方へ動いてゐるやうな気持ちになるのがいやなので、水を見ないで、向ふの雲の峰の上を通る黒い鳥を見てゐた。ところがそれからよほどたっても、魚は浮いて来なかった。
しゅっこは大へんまじめな顔で、きちんと立って水を見てゐた。昨日
発破をかけたときなら、もう十疋もとってゐたんだと、ぼくは思った。またずゐぶんしばらくみんなしぃんとして待った。けれどもやっぱり、魚は一ぴきも浮いて来なかった。
「さっぱり魚、浮ばなぃよ。」三郎が叫んだ。
しゅっこはびくっとしたけれども、まだ一しんに水を見てゐた。
「魚さっぱり浮ばなぃよ。」ぺ吉が、また向ふの木の下で云った。するともう子どもらは、がやがや云ひ出して、みんな水に飛び込んでしまった。
しゅっこは、しばらくきまり悪さうに、しゃがんで水を見てゐたけれど、たうとう立って、
「鬼っこしないか。」と云った。
「する、する。」みんなは叫んで、じゃんけんをするために、水の中から手を出した。泳いでゐたものは、急いでせいの立つところまで行って手を出した。
しゅっこが、ぼくにもはひらないかと云ったから、もちろんぼくは、はじめから怒ってゐたのでもないし、すぐ手を出した。
しゅっこは、はじめに、昨日あの変な鼻の
尖った人の
上って行った
崖の下の、青いぬるぬるした粘土のところを
根っこにきめた。そこに取りついてゐれば、鬼は押へることができない。それから、
はさみ無しの一人まけかちで、じゃんけんをした。ところが、悦治はひとりはさみを出したので、みんなにうんとはやされたほかに鬼になった。悦治は、
唇を紫いろにして、河原を走って、喜作を押へたもんだから、鬼は二人になった。それからぼくらは、砂っぱの上や淵を、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、押へたり押へられたり、何べんも
鬼っこをした。
しまひにたうとう、
しゅっこ一人が鬼になった。
しゅっこはまもなく
吉郎をつかまへた。ぼくらはみんな、さいかちの木の下に居てそれを見てゐた。すると
しゅっこが、吉郎、
汝、
上流から追って来い、追へ、追へ、と云ひながら、自分はだまって立って見てゐた。吉郎は、口をあいて手をひろげて、
上流から粘土の上を追って来た。みんなは淵へ飛び込む仕度をした。ぼくは
楊の木にのぼった。そのとき吉郎が、たぶんあの
上流の粘土が、足についてたためだったらう、みんなの前ですべってころんでしまった。みんなは、わあわあ叫んで、吉郎をはねこえたり、水に入ったりして、
上流の青い粘土の根に
上ってしまった。
「
しゅっこ、
来。」三郎は立って、口を大きくあいて、手をひろげて、
しゅっこをばかにした。すると
しゅっこは、さっきからよっぽど怒ってゐたと見えて、
「ようし、見てろ。」と云ひながら、本気になって、ざぶんと水に飛び込んで、一生けん命、そっちの方へ泳いで行った。子どもらは、すっかり
恐がってしまった。第一、その粘土のところはせまくて、みんながはひれなかったし、それに大へんつるつるすべる傾斜になってゐたものだから、下の方の四五人などは上の人につかまるやうにして、やっと川へすべり落ちるのをふせいでゐた。三郎だけが、いちばん上で落ち着いて、さあ、みんな、とか何とか相談らしいことをはじめた。みんなもそこで、頭をあつめて聞いてゐる。
しゅっこは、ぼちゃぼちゃ、もう近くまで行ってゐた。みんなは、ひそひそはなしてゐる。すると
しゅっこは、いきなり両手で、みんなへ水をかけ出した。みんながばたばた防いでゐたら、だんだん粘土がすべって来て、なんだかすこうし下へずれたやうになった。
しゅっこはよろこんで、いよいよ水をはねとばした。するとみんなは、ぼちゃんぼちゃんと一度に水にすべって落ちた。
しゅっこは、それを片っぱしからつかまへた。三郎ひとり、上をまはって泳いで
遁げたら、
しゅっこはすぐに追ひ付いて、押へたほかに、腕をつかんで、四五へんぐるぐる引っぱりまはした。三郎は、水を
呑んだと見えて、霧をふいて、ごほごほむせて、泣くやうにしながら、
「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と云った。子どもらはみんな砂利に
上ってしまった。三郎もあがった。
しゅっこは、そっと、あの青い石を投げたところをのぞきながら、さいかちの樹の下に立ってゐた。
ところが、そのときはもう、そらがいっぱいの黒い雲で、
楊も変に白っぽくなり、蝉ががあがあ鳴いてゐて、そこらはなんとも云はれない、恐ろしい景色にかはってゐた。
そのうちに、いきなり林の上のあたりで、雷が鳴り出した。と思ふと、まるで山つなみのやうな音がして、一ぺんに夕立がやって来た。風までひゅうひゅう吹きだした。
淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまった。河原にあがった子どもらは、着物をかかへて、みんなねむの木の下へ遁げこんだ。ぼくも木からおりて、
しゅっこといっしょに、向ふの河原へ泳ぎだした。そのとき、あのねむの木の方かどこか、
烈しい雨のなかから、
「雨はざあざあ ざっこざっこ、
風はしゅうしゅう
しゅっこしゅっこ。」
といふやうに叫んだものがあった。
しゅっこは、泳ぎながら、まるであわてて、何かに足を引っぱられるやうにして遁げた。ぼくもじっさいこはかった。やうやく、みんなのゐるねむのはやしについたとき、
しゅっこはがたがたふるへながら、
「いま
叫んだのはおまへらだか。」ときいた。
「そでない、そでない。」みんなは一しょに叫んだ。ぺ吉がまた一人出て来て、
「そでない。」と云った。
しゅっこは、気味悪さうに川のはうを見た。けれどもぼくは、みんなが叫んだのだとおもふ。