とにかく向ふは検事の立場、
今の会釈は悪くない。勲績のある上長として、盛名のある君子として、礼を尽した態度であった。
わたしの方も声音から、動作一般自然であった。或ひはかういふ調子でもって、政治の実といふものを、容易に了解するかも知れん。それならわたしは、畢竟党から撰ばれて、若手検事の腕利きといふ この青年を対
いかなる明文制裁と雖ど、それが布かるゝ社会に於て、遵守し得ざるに至ったときは、その法既に悪法である、それが判らん筈もない。だが何のため、向ふは壇をのぼるのだ。整然として椅子を引いて、眼平らにこっちを見る。
卓に両手を副へてゐる。正に上司の儀容であるが、勿論職権止むを得まい。たゞもう明るく話して来ればいゝのである。しかし……物言ふけはひでない。厳しく口を結んでゐる。頬は烈しい決意を示す。
わしは冷然無視したものか、気を盛り眼を明にして、これに備へをしたものか。あゝ失策だ! 出発点で! 何たる
断じてわしも譲歩せん。森々と青いこの対立、
森々と…森々と……森森と青い………
………………いつか向ふが人の分子を喪くしてゐる。皮を一枚脱いだのだ。小さな天狗のやうでもある。それから豺のトーテムだ。頬が黄いろに光ってゐる。白い後光も出して来た。こゝで折れては何にもならん。断じてその眼を克服せよ、たかゞ二つの節穴だ。もっともたゞ節穴〔よ〕りは、むしろ二つの覗き窓だ。何だかわたしが、たった一人、居ずまゐ正してこゝに座り、やつらの仲間がかはるがはる、その二っつの小窓から、わたしを覗いてゐるやうだ。……あゝ何のことだ 縁起でもない。人の眼などといふものは、それを剔出して見れば、たかゞ小さな暗函だ。奥行二寸もあるんでない。さうかと云ってあ〔ゝ〕いふ眼付き、厭な眼付は打ち消し得ない。こんな眼を遺伝した、父祖はいったい何物だらう。かういふ意志や眼といふものが、一代二代でできはしない。代々糺罪の吏ででもあるか、或は逆に苛政の下、〔喘〕いだ民の末でもあるか。今は対等、正しく今は対等だ。まだ見るか。まだ見るか。尚且つ見るか。対等だ。瞬だけは仕方ない。
尤も向ふはそれをしない。
こゝで一詩を賦〔〕し得るならば、たしかにわしに得点がある。それができないことでもない。題はやっぱり述懐だ。仮に想だけ立てゝ見る。中原〔逐〕鹿三十年、恩怨無別星花転、転と来て転句だ……おゝ何といふ向ふの眼、燃え立つやうな憎悪である。わしがこれをも外らしたら、結局恐れてゐることだ。断じて、断じて戦ふべし。大恩のある簡先生の名誉のため、名望高い一門のため、郷党のため児孫のため、わしは断じて折れてはいかん。勝つものは正、敗者は悪だ。けれども 気力! 気力でなしに境地で勝たう。
わしは
梁の武帝達磨に問ふ 磨の曰く無功徳 帝の曰く
朕に対する者は誰ぞ 磨の曰く無功徳 いかん
朕に対する者は誰ぞ 磨の曰く不識! あゝ乱れた
洞源和尚に
(東京府平民 高田小助)
嗟夫!