中国怪奇小説集

開会の辞

岡本綺堂




 青蛙堂せいあどう小石川こいしかわ切支丹坂きりしたんざか、昼でも木立ちの薄暗いところにある。広東カントン製の大きい竹細工の蝦蟆がまを床の間に飾ってあるので、主人みずから青蛙堂と称している。蝦蟆は三本足で、支那しなの一部に崇拝される青蛙神を模造したものである。
 この青蛙堂の広間で、俳句や書画しょがの会が催されることもある。怪談や探偵談などの猟奇趣味の会合が催されることもある。ことしの七月と八月は暑中休会であったが、秋の彼岸も過ぎ去った九月の末、きょうは午後一時から例会を開くという通知を受取ったので、あいにくに朝から降りしきる雨のなかを小石川へ出てゆくと、参会者はなかなかの多数で、いつもの顔触れ以外に、男おんなをまぜて新しい顔の人びとが十人あまりも殖えていた。
 主人からそれぞれに紹介されて、例のごとくに茶菓さかが出る。来会者もこれで揃ったという時に、青蛙堂主人は一礼して今日こんにち挨拶あいさつに取りかかった。
「例会は大抵午後五時か六時からお集まりを願うことになって居りますが、こんにちはお話し下さる方々かたがたが多いので、いつもよりも繰り上げて午後一時からおいでを願った次第でございます。そこで、こんにちの怪談会はこれまでと少しく方針をかえまして、すべて支那の怪奇談を主題に致したいと存じます。しかし、支那のことはわたくしも何分不案内でございますので、その方面に詳しい方々に御出席をねがいまして、順々におもしろいお話を聞かせていただくはずでございますから、左様さよう御承知を願います」
 きょうの席上に新しい顔の多い子細しさいもそれでわかった。主人はつづいて言った。
「支那の怪奇談と申しましても、ただ漫然と怪談を語るのも無意義であるというお説もございますので、皆様がたにお願い申しまして、遠くは六朝りくちょう時代より近くは前清ぜんしんに至るまでの有名な小説や筆記の類にって、時代をって順々に話していただくことに致しました。ともかくもこれにって、支那歴代の怪奇小説、いわゆる〈志怪しかいの書〉がどんなものであるかということを御会得ごえとくくだされば、こんにちの会合もまったく無意義でもなかろうかと存じます。
 さらに一言申し添えて置きたいと存じますのは、それらの〈志怪の書〉が遠い昔から我が国に輸入されまして、わが文学や伝説にいかなる影響をあたえたかということでございます。かの『今昔物語』を始めとして、室町時代、徳川時代の小説類、ほとんどみな支那小説の影響をこうむっていない物はないと言ってもよろしいくらいで、わたくしが一々いちいち説明いたしませんでも、これはなんの翻案ほんあんであるか、これはなんの剽窃ひょうせつであるかということは、少しく支那小説を研究なされた方々には一目いちもく瞭然であろうと考えられます。甚だしきは、歴史上実在の人物の逸事いつじとして伝えられていることが、実は支那小説の翻案であったというような事も、往々おうおうに発見されるのでございます。
 そんなわけでありますから、明治以前の文学や伝説を研究するには、どうしても先ず隣邦りんぽうの支那小説の研究から始めなければなりません。彼を知らずして是を論ずるのは、水源みなもとを知らずして末流すえを探るようなものであります。と言いましても、支那の著作物は文字通りの汗牛充棟かんぎゅうじゅうとうで、単に〈志怪の書〉だけでも実におびただしいのでありますから、容易に読破されるものではありません。わたくしが今日こんにちの会合を思い立ちましたのも、一つはそこにありますので、現代のお忙がしい方々に対して、支那小説の輪郭りんかくと、それが我が文学や伝説に及ぼした影響とを、いささかなりともお伝え申すことが出来れば、本懐の至りに存じます。
 ひと口に小説筆記と申しましても、その範囲があまりに広汎になりますので、こんにちはもっぱら〈志怪の書〉すなわち奇談怪談を語っていただくことに致しました。勿論、支那の小説なるものは大抵は幾分の志怪気分を含んで居るようでありますが、ここでは明らかに〈志怪〉に限りました。実際、これらの〈志怪の書〉が早く我が国に輸入されまして、最もひろく我が国の人びとに読まれているのでございますから、その紹介が単なる猟奇趣味ばかりでないことは、先刻からの口上で御諒解を得たかと存じます。では、これから順々にお願い申します」

 主人の挨拶はまだ長かったが、大体の趣意はこんなことであったと記憶している。それが終って、きょうの講演者が代るがわるに講話を始めた。火ともし頃に晩餐が出て、一時間ほど休憩。それから再び講話に移って、最後の『閲微草堂筆記』を終ったのは、夜の十一時を過ぐる頃であった。さらに茶菓の御馳走になって、十二時を合図に散会。秋雨瀟々しょうしょうけても降り止まなかった。
 この日の講話が速記者幾人によって速記されていたことを知っているので、わたしはその後に青蛙堂を訪問して、その速記の原稿を借り出して来て、最初から繰り返して読んだ。速記のやや曖昧あいまいなところは原本と対照して訂正した。そうして出来あがったのが此の一巻である。仮りに題して『支那怪奇小説集』という。さらに主人や講演諸氏の許可を得て、これを世間に発表することにした。諸氏に対して彼氏、彼女氏の敬称を用いず、単に男とか女とか記載したのは、わたしの無礼、御勘弁を願いたい。
 言うまでもないことであるが、これらの書はみなその分量の多いものであるから、勿論その全部が紹介されているわけではない。取捨しゅしゃは講演者の自由に任せたのである。が、その話はなるべく原文に拠ることにして、みだりに増補や省略を施さず、ただ日本の読者に判りにくいかと思われるくだりだけに、あるいは多少の註解を加え、あるいは省略するの程度にとどめて置いたのであるから、その長短は原文のままであると思ってもらいたい。
 原本には小標題こみだしを付けてあるものと、付けていないものとがある。それは統一の便宜上すべて小標題を付けることにした。たとい原本に小標題があっても、それが判りかねるものや、面白くないと思われるものは、わたしが随意に変更したのもある。これも私の無礼、地下の原作者にお詫びを申さなければならない。





底本:「中国怪奇小説集」光文社文庫、光文社
   1994(平成6)年4月20日第1刷発行
   1999(平成11)年11月5日第3刷発行
※校正には、1999(平成11)年11月5日3刷を使用しました。
入力:tatsuki、門田裕志
校正:小林繁雄、もりみつじゅんじ
2003年7月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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