大正九年十月九日、甥の石丸英一逝く。この夜はあたかも
今頃は三途の秋のスケッチか 蹴月
書きさしの墨絵の月やきり/″\す 同
露ほろり茶の花ほろり零れけり 同
われも香の書きさしの墨絵の月やきり/″\す 同
露ほろり茶の花ほろり零れけり 同
寂しさは絵にもかかれず暮の秋
あきらめは紋切形の露の世や
絵を見れば絵も薄墨や秋の花
十二日、青山墓地にて埋葬のこと終る。この日はあきらめは紋切形の露の世や
絵を見れば絵も薄墨や秋の花
青山や花に樒に露時雨
十五日は初七日、原田春鈴君来りて、その庭に熟したりという枝柿を霊前に供えらる。
まざ/\と柿食うてゐる姿かな
この日、
初七日や松茸飯に豆腐汁
家内の者ども打連れて青山へ墓参にゆく。この夕、眠られず。
こほろぎや人になかせて夜もすがら
憎い奴め叔父を案山子に残せしよ
十六日、午後より青山へ墓参にゆく。うららかに晴れたる日なり。英一の墓前には大村嘉代子が美しき草花を供えてあり。その花の香を慕いて、弱れる蝶一つたよたよと飛ぶ。憎い奴め叔父を案山子に残せしよ
なくは我なかぬおのれや秋の蝶
十八日、英一の机本箱を整理す。書きさしの下絵などを見出すにつけて、また新しき涙を誘わる。形見としてその二つ三つを取納め、余は引き裂きて庭に持ち出で、涙の種をことごとく烟とす。
かき寄せて焚くや紅絵の散紅葉
十九日、庭の立木に蝉の止まりて動かぬを見る。試みに手を触るればからからと音して地に墜ちたり。かれは
地に墜ちて殻ばかりなり秋の蝉
二十四日、嫩会の人々打ちつれて青山へまいる。きょうも晴れたれど朝寒し。
八人の額に秋の寒さかな
その帰途、人々と共に代々木の練兵場をゆきぬけて、浄水所の堤に出づ。ここらは英一が生前しばしば来りてスケッチなどしたる所なり。その踏み荒したる靴の跡はそこかここかと尋ぬるも
足あとを何処にたづねん草紅葉
逝くものを堰き止め兼ねつ秋の水
二十五日、所用ありて上野までゆく。落葉をふみて公園をめぐるに、美術学校の生徒らしきが画架など携えてゆくを見る。英一も逝くものを堰き止め兼ねつ秋の水
払へども落葉の雨や袖の上
二十六日、今夜も眠られず。
柿の実の紅きもさびし雑司ヶ谷
二十九日、英一の三七日、家内の者ども墓参にゆくこと例のごとし。
渡り鳥仰ぐに痛き瞳かな
白木の位牌を取り納めて、英一の戒名を過去帳に写す。戒名は一乗英峰信士、俗名石丸英一、十八歳、大正九年十月九日寂。書き終りて縁に立てば、午後より陰りかかりし秋の空の低く垂れたり。
魂よばひ達かぬものか秋の空
わが仏ひとり殖えたり神無月
この夕、少しく調ぶることありて、熊谷陣屋の浄瑠璃本をとり出して読む。十六年は一昔、ああ夢だ夢だの一節も今更のように身にしみてぞ覚ゆる。わが英一は熊谷の小次郎に二つましたる命なりき。わが仏ひとり殖えたり神無月
十六年十八年や秋の露
三十日、所用ありて浅草の近所まで
唐がらし鬼に食はせて涙かな
家に帰れば、留守の間に
小春日や障子に人の影も無く
十一月二日、明治座の初日、わが作『
顔見世に又出して見る死絵かな
五日、英一の四七日、午後よりかさねて青山にまいる。哀慕の情いよいよ切なり。
わが涙凝つて流れず塚の霜
その帰途、青山通りの造花屋にて白菊一枝を買い来りて仏前にささぐ。まことの花にては、その散り際にまたもや亡き人の死を思い出ずるを恐れてなり。
散るを忌みて造花の菊を供へけり
大阪の大西一外君と尾張の長谷川水陰君より遠く追悼の句を寄せらる。
行秋やそのまぼろしの絵を思ふ 一外
秋風や樹下に冷たき石一つ 同
虫は草に秋のゆくへをすだく哉 水陰
秋風や樹下に冷たき石一つ 同
虫は草に秋のゆくへをすだく哉 水陰