千八百八十四年、英国
倫敦発刊の某雑誌に「最も奇なる、実に驚くべき怪談」と題して、
頗る小説的の一種の妖怪談を掲載し、この世界の上には人間の想像すべからざる秘密又は不思議が存在しているに相違ない、これが即ち
其の最も信ずべき有力の証拠であると称して、その妖怪を実地に見届けた本人(
画工エリック)の談話を
其のまま筆記してある。原文は
余ほど長いものであるから、今その
要を
摘んで
左に紹介する。で、その中に
私とあるのは、即ち
其の目撃者たる画工自身の事だ。
今年の七月下旬、私は
某友人の紹介で、貴族エル
何某の別荘へ避暑かたがた遊びに行った事がある、その別荘は
倫敦の街から九
哩ばかり
距れた所にあるが、中々手広い立派な
邸宅で、何さま由緒ある貴族の別荘らしく見えた。で、私が名刺を出して来意を通じると、別荘の番人が
取あえず私を奥へ案内して、「あなたが
御出の事は
已に
主人の方から沙汰がございました、
就ましては
此の通りの田舎でございますが、
悠々御逗留なすって下さいまし」と、大層
鄭重に
接って
呉れたので、私も非常に満足して、主人公はお
出になっているのかと尋ねると、「イエまだお
出にはなりませんが、当月
末にはお
出なさるに
違ありません」との事。それから晩餐の御馳走になって、奥の
間の最上等の座敷へ案内されて、ここを私の居間と定められたが、こんな立派な広いお座敷に寝るのは実に今夜が
嚆矢だ、
併し
後で考えるとこのお座敷が一向に有難くない、思い出しても
慄然とするお座敷であったのだ。
神ならぬ身の私は、ただ何が無しに愉快で満足で、十分に手足を
伸して楽々と
眠に就いたのが夜の十一時頃、それから
一寝入して眼が醒めると、何だか頭が重いような、
呼吸苦しいような、何とも云われぬ切ない心持がするので、
若や
瓦斯の
螺旋でも
弛んでいるのではあるまいかと、
取あえず
寝台を降りて座敷の瓦斯を検査したが、螺旋には更に別条なく、また
他から瓦斯の
洩れるような様子もない、けれども、
何分にも
呼吸が詰まるような心持で、
終局には眼が
眩んで来たから、
兎にかく一方の
硝子窓をあけて、それから
半身を外に出して、
先ず
ほっと一息ついた。今夜は月のない晩であるが、大空には無数の星のかげ冴えて、その
星明で庭の景色もおぼろに見える、昼は
左のみとも思わなかったが、今見ると実に驚くばかりの広い庭で、
植込の立木は
宛で小さな森のように黒く
繁茂っているが、今夜は
そよとの風も吹かず、庭にあるほどの草も木も
静に眠って、
葉末を
飜るる夜露の音も
聞えるばかり、いかにも
閑静な夜であった。
併し私はただ
閑静だと思ったばかりで、別に寂しいとも怖いとも思わず、
斯ういう夜の景色は
確に一つの画題になると、
只管にわが職業にのみ心を傾けて、余念もなく庭を眺めていたが、やがて気が
注いて窓を
鎖じ、再び
寝台の上に横になると、柱時計が
恰も二時を告げた。室外の空気に頭を
晒していた
所為か、重かった頭も大分に
軽く
清しくなって、胸も
余ほど
寛いで来たから、そのまま枕に就いて
一霎時うとうとと眠ったかと思う間もなく、座敷の
中が
俄に
ぱッと明るくなったので、私も驚いて飛び
起きる、その途端に
何処から来たか知らぬが
一個の人かげが、この広い座敷の隅の方から
ふらふらと現われ出た。
これには私で無くとも驚くだろう、不思議の光、怪しの人影、これは
抑も何事であろうと、私は再び
床の上に
俯伏して、
窃かに
其の怪しの者の挙動を窺っていると、光はますます明るくなって、人は次第に窓の方へ歩み寄る、
其の人は女、
正しく三十前後の女、
加之も
眼眩きばかりに美しく着飾った貴婦人で、
するすると窓の
側へ
立寄って、何か物を
投出すような手真似をしたが、窓は
先刻私が
確に
鎖じたのだから、
迚も自然に
開く筈はない。で、
其婦人は
如何にも
忌々しそうな、
悶ったそうな、
癪に
障ると云うような風情で、身を斜めにして私の方をジロリと睨んだ顔、
取立てて美人と
賞讃すほどではないが、
確に十人並以上の
容貌で、誠に品の
好い
高尚い顔。けれども、その眼と眉の
間に一種形容の出来ぬ凄味を
帯ていて、
所謂る殺気を含んでいると云うのであろう、その凄い怖い眼でジロリと睨まれた一瞬間の怖さ恐しさ、私は思わず気が遠くなって、寝台の上に顔を
押付けた。と思う
中に、光は
忽ち消えて座敷は再び
旧の闇、
彼の恐しい婦人の姿も共に消えて
了った、私は転げるように寝台から
飛降りて、
盲探りに
燧木を探り
把って、慌てて座敷の
瓦斯に火を
点し、室内昼の如くに
照させて
四辺隈なく穿索したが
固より何物を見出そう筈もなく、
動悸の波うつ胸を抱えて、私は
霎時夢のように
佇立んでいたが、この
夜中に
未だ
馴染も薄い番人を
呼起すのも
如何と、その夜は
其のままにして再び寝台へ
登ったが、
彼の怖しい顔がまだ眼の
前に
彷彿いて、
迚も寝られる筈がない、ただ怖い怖いと思いながら一刻千秋の
思で
其夜を
明した。と、
斯ういうと、諸君は定めて臆病な奴だ、弱虫だと
御嘲笑なさるだろうが、私も職業であるから
此れまでに
種々の恐しい図を見た、悪魔の図も見た、鬼の図も見た、
併し今夜のような凄い恐しい女の顔には
曾て出逢った
例がない、
唯見れば
尋常一様の貴婦人で、別に何の不思議もないが、
扨その顔に一種の凄味を帯びていて、
迚も正面から
仰ぎ
視るべからざる恐しい顔で、大抵の
婦人小児は正気を失うこと
保証だ。
扨その翌朝になると、番人夫婦が
甲斐甲斐しく
立働いて、朝飯の
卓子にも
種々の御馳走が出る、その際、
昨夜の一件を
噺し出そうかと、幾たびか口の
端まで出かかったが、フト私の胸に
泛んだのは、
若や夢ではなかったかと云う一種の
疑惑で、
迂濶に
詰らぬ事を云い出して、
飛だお笑い
種になるのも残念だと、
其の日は何事も云わずに
了ったが、
何う考えても夢ではない、
確に実際に見届けたに違いない、
併し実際にそんな事のあろう筈がない、恐らくは夢であろう、イヤ事実に相違ないと、半信半疑に長い日を暮して、今日もまた
闇き夜となった、夢か、事実か、その真偽を決するのは今夜にあると、私は宵から
寝台に
登ったが、眼は冴えて神経は鋭く、
そよとの風にも胸が
跳って
迚も寝入られる筈がない、その
中に段々、夜も
更けて
恰も午前二時、即ち
昨夜とおなじ刻限になったから、
汝れ妖怪変化
御ざんなれ、今夜こそは
其の正体を見とどけて、あわ
好くば
引捉えて
化の皮を
剥いで
呉れようと、手ぐすね引いて
待構えていると、神経の
所為か知らぬが今夜も何だか頭の重いような、胸の切ないような、云うに云われぬ嫌な気持になって、思わず
半身を
起そうとする折こそあれ、
闇い、
闇い、
真闇な
斯の一室が
俄に
ぱっと薄明るくなって
恰も
朧月夜のよう、
扨はいよいよ来たりと身構えして眼を
瞠る
間もなく、
室の隅から
忽ち
彼の貴婦人の姿が迷うが如くに現われた。ハッと思う
中に、貴婦人は
昨夜の如く、長い
裾を
曳いて
するすると窓の口へ
立寄って、
両肱を張って少し
屈むかと見えたが、何でも全身の力を両腕に籠めて、
或物を窓の外へ
推出し
突出すような身のこなし、それが済むと
忽ち身を
捻向けて私の顔をジロリ、睨まれたが最期、私はおぼえず
悚然として
最初の勇気も
何処へやら、ただ
俯向いて
呼吸を呑んでいると、貴婦人は
冷かに笑って又
彼方へ
向直るかと思う間もなく、室内は再び
闇くなって
其の姿も消え失せた、夢でない、
幻影でない、今夜という今夜は
確に
其の実地を見届けたのだ、あれが
俗にいう魔とか幽霊とか云うものであろう。
もうこの上は我慢も遠慮もない、その翌朝例の如く食事を初めた時に、私は番人夫婦に
向って、「お前さん達は長年この別荘に雇われていなさるのかね」と、何気なく尋ねると、夫の方は
白髪頭を撫でて、「はい、
私しは当年五十七になりますが、
丁度四十一の年からここに雇われて居ります」と云う。私も怪談を探り出す
端緒に困ったが、更に
左あらぬ
体で、「
併しお前さん達は夫婦
差向いで、こんな広い別荘に十何年も住んでいて、寂しいとか怖いとか思うような事はありませんかね」と、それとは無しに探りを入れたが、相手は更に
張合のない調子で、「別に何とも思いません、
斯うして
数年住馴れて居りますと、別に寂しい事も怖い事もありません」と、笑っている。けれども、怖い事や怪しい事が無い筈はない、現に私が二晩もつづけて
彼の妖怪を見届けたのだ。で、更に
問を
替て、「私の拝借しているアノお座敷は中々立派ですね、お庭もお広いですね、実は昨夜、
夜半に眼が醒めたのでアノ窓をあけて庭を眺めて
居ましたが、夜の景色は又格別ですね」と、そろそろ本題に
入りかかると、番人の女房が
首肯いて、「お庭は随分お広うござんすから、夜の景色は中々
宜しゅうございましょう、
併し貴方、アノ窓は
普通の窓より
余ほど低く出来ていますから、馴れない方がウッカリ
凭懸ると、前の方に
滑る事がありますよ。これまでにも随分ウッカリして転げ
墜ちた方が幾人もあります」と聞きもあえず、私は慌てて、「そ、それは不意に
墜ちるのですね、シテそれは夜ですか、昼ですか」と尋ねると、女房は
打案じて、「サア
何時と限った事もありませんが、マア
闇い時の方が多いようですね、ツマリ
闇いから
其様な
疎匆をするのでしょうよ」と
澄している。けれども、それは
闇い為ばかりでない、
確に
他に一種の魔力が手伝うに相違ない。で、私は重ねて、「で、
其の
墜ちた人は
何うしました、死んだ人もありましたか」相手は
頭を振って、「イエ
死だ方はありません、ただ
怪我をする位の事です、
併し今から百年ほど
以前にこのお
邸の若様が、アノ窓から
真逆様に転げ
墜ちて、
頸の骨を
挫いて死んだ事があるさうです
[#「さうです」はママ]」と、聞く事々に私はおのずから胸の
跳るを覚えたが、
猶も
透さず、「それで
何日頃から
其様な事が
始ったのですね」と問えば、番人は小首をかたげて、「サア
何日頃からか知りませんが、何でも
其の若様が窓から
墜ちて
死だ
後、その
阿母様もブラブラ
病で、間もなく
御死亡になったのです。で、その後も
兎かくに
其の窓から
墜ちる人があるので、
当時の殿様も
酷くそれを気にかけて、
近々の
中にアノ窓を
取毀して
建直すとか云ってお
在なさるそうですよ」と、何か仔細のありさうな
[#「ありさうな」はママ]噺。そう聞いては
猶々聞逃す訳には
往かぬ、私は
猶も
畳かけて、「それじゃア
其の窓が祟るのだね」相手は笑って、「
真逆そういう訳でもありますまいよ、
併し
其の若様が変死した事については、いろいろの評判があるのです」
噺はいよいよ本題に
入って来たから、私もいよいよ熱心に、「え、それは
何ういう理屈だね、
何んな評判があるのだね」と、思わず身を
乗出して相手の顔を覗き込むと、番人は顔を
皺めて少しく
低声になり、「これは
内證のお
噺ですがね、
勿論百年も
以前の事ですから、誰も実地を見たという者もなく、ほんの
当推量に過ぎないのですが、昔からの
伝説に依ると、
当時の殿様の
曾祖父様の時代の
噺で、その奥様が
二歳になる若様を残して
御死亡になりました、ソコで間もなく
他から
後妻をお貰いになって、その二度目の奥様のお
腹にも男のお児様が出来たのです。けれども、
其の奥様は大層お優しい方で、わが
産の児よりも
継子の御総領の方を大層可愛がって、
俗にいう
継母根性などと云う事は少しもない、誠に
気質の美しい方でした。ところが、
其の御総領の若様が
五歳になった時、ある日アノ窓の
側で遊んでいる
中、どうした
機会か
其の窓の口から
真逆さまに転げ
墜ちて、敷石で
頸の骨を強く
撲ったから
堪りません、
其のまま
二言といわず即死して
了ったのです。サアそこですね、それに就いて
種々の風説がある。と云うのは、
彼の継母の奥様が
背後から不意に
其の若様を
突落したに相違ないと云う評判で、一時は随分面倒でしたが、何をいうにも証拠のない事、とうとうそれなりに済んで
了ったのです」と息も
吐かずに
饒舌るのを、私も
固唾を呑んで
聞澄していたが、
其の
噺の
了るを
待兼ねて、「
併しそれが
可怪いじゃアないか、
其の奥様は大層継子を可愛がったと云うのに、どうして
其んな怖しい事を
巧んだのだろう」相手は私の無経験を
嘲けるように
冷笑って「サアそこが女の
浅猿さで、
表面は優しく見せかけても内心は
如夜叉、総領の継子を殺して我が
実子を相続人に据えようという怖しい
巧みがあったに相違ないのです。それが一般の評判になったので、
表向の罪人にこそならないけれども、御親類御一門も皆その奥様を
忌嫌って、
誰も快く交際する者もなく、
果は
本夫の殿様さえも
碌々に
詞を
交さぬ
位。で、奥様も人に顔を見られるのを
厭って、年中アノ座敷に
閉籠ったままで滅多に外へ出た事も無かったでしたが、ツマリ自分の良心に責められたのでしょう、
気病のようにブラブラと寝つ起きつ、
凡そ一年ばかりも経つ
中に、ある日アノ窓の
側まで行くと、急に顔色が
変ってパッタリ倒れたまま死んで
了ったそうです。
心柄とは云いながら誠にお気の毒な事で、それから
後は
愈よ
其の奥様が若様を殺したに相違ないと決定して、今まで優しい方だ、美しい奥様だと誉めた者までが、継子殺しの鬼よ、悪魔よと皆口々に
罵ったという事です」と、
苦々しげに物語る。以上の
噺で
彼の怪しい貴婦人の正体も大抵推察された。で、そう事が解って見ると、私は
猶々怖く恐しく感じて、
迚もここに長居する気がないから、
其日の
中に
早々ここを
引払って、再び
倫敦へ
逃帰る。その仔細を知らぬ番人夫婦は、余りお早いではありませんか、せめてモウ五六日、せめて殿様がお
出になるまで、と
詞を尽して
抑留めたが、私はモウ気が気でない、無理に
振切って逃げて帰った。
で、私の臆病には自分ながら
愛想の
竭きる位で、倫敦へ帰った
後も、例の貴婦人の怖い顔が明けても暮れても
我眼に
彷彿いて、滅多に忘れる
暇がない。そこで私も考えた、自分の職業は画工である、
斯る
怪異を見て
唯怖い怖いと
顫えているばかりが能でもあるまい、
其の怪しい形の
有のままを筆に
上せて、いかに
其れが恐しくあったかと云う事を
他人にも示し、また自分の
紀念にも存して置こうと、いしくも思い立ったので、
其日から
直ちに
画筆を
把って
下図に
取かかった。で、わが眼の前に絶えず
彷彿く怪しの影を捉えて、一心不乱に筆を染めた結果、
何うやら
斯うやら
其の
真を写し得て、
先ず
大略は
出来した頃、
丁度私と
引違えて
彼の別荘へ避暑に出かけた貴族エル
何某が、
其の本邸に帰ったという噂を聞いたので、先日の礼かたがた
其の
邸を初めて訪問した。
主人のエルは喜んで私を応接間へ
延いて、「過日は別荘の方へ
御立寄下すったそうでしたが、アノ通りの田舎家で
碌々お構い申しも致さんで、
豪い失礼しました」と
鄭寧な挨拶、私は
酷く痛み
入って、「イヤどうも飛んだ御厄介になりました、実はモウ四五日もお邪魔をいたす筈でしたが、宅の方に急用が出来ましたので、早々にお
暇いたしました」と、口から出任せの口上、何にも知らぬ
主人は
首肯いて、「ハアそうでしたか、私もお
跡から
直に別荘へ出かけましたが、貴方はモウお帰りになったと聞いて、甚だ失望しました、
併し幸い今日は
何にも用事もありませんから、ゆるゆるお
噺でも伺いたいものです」と、誠に
如才ない
接待振で、私も思わずここに尻を据えて、
殆ど三時間ほども世間噺に時を移した。それから、先祖代々の肖像画をお目にかけようと云うので、
主人が先に立って奥の一室へ案内する、私も
何心なく
其の跡について行くと、貴族の家の
習慣として、広い一室の壁に先祖代々の人々の肖像画が順序正しく
懸け
列ねてある。で、一々これを
仰ぎ
視ている
中に、私は思わずアッと叫んだ。と云うのは
他でもない、
彼の恐しい貴婦人の顔が活けるが如くに睨んでいるのだ。
其の恐しい顔、実に先夜の顔と寸分
違わず、
彼の幽霊が再びここへ迷い出たかと思われる
位、私は我にもあらで身を
顫わせた。その挙動が
余ほど不思議に見えたのであろう、
主人は私の顔をジロジロ
視て、「あなた、どうか
為ましたか」私は
半は夢中で、「ハイあれです、
確にあれです、私は
確に見ました」と
辻褄のあわぬ返事、主人は
愈よ不思議そうに眉を
顰めたが、やがて
俄に笑い出して、「あなた、
其の人に逢った事がありますか。それは百年も
以前の人です、アハハハハ」と、
斯う云われて私も気が付いた、
成ほど
其の仔細を知らぬ
主人が不思議に思うも
道理と、ここで
彼の別荘の怪談を残らず
打明けると、
主人もおどろいて
面色を変えて、
霎時は
詞もなかったが、やがて大息ついて、「世には不思議な事もあるものですな、実はこの婦人に
就ては一条の
噺があるので」と、
曩に
彼の別荘の番人が語った通りの
昔語、それを聞けば最早疑うべくもないが、いまは百年も昔の事、
其の以来
曾て
斯る
怪異を見た者もなく、現に十五六年来も
其の別荘に住む番人夫婦すらも、
曾て見もせず聞きもせぬ幽霊の姿を、無関係の私が
何して偶然に見たのであろう、
加之も二晩もつづけて見るというのは実に
解し兼ぬる次第で、思えば思うほど実に不思議な薄気味の悪い
噺だ。で、
主人の
驚愕は私よりも又一倍で、そう聞く上は最早一刻も猶予は出来ぬ、早速その窓を
取毀し、
時宜に
依れば
其の室全体を
取壊して
了わねばならぬと、
直に家令を呼んで
其の
趣を命令した。で、今頃は
其の窓も容赦なく
取毀されて、
継母の執念も
其の
憑る所を失ったであろうか。
以上が画工エリックの物語で、同雑誌記者の附記する所によれば、
彼の画工の筆に成った恐しき婦人の絵姿は
此のほど全く
出来したが、何さま一種云われぬ物凄い恐しい顔である、婦人の如き、
其の図を一目見るや
忽ちに
魘えて
顫えて、
其後一週間ほどは病床に倒れたという。で、普通の日本人の
考慮から云うと、殺した方の人が化けて出るというのは、
些と理屈に合わぬように
聞えるが、何分にも
其処が怪談、万事不可思議の所が
事実譚の
価値であろう。
(狂生)