秋……
殊に雨などが
漕々降ると、人は
兎角に陰気になつて、
動もすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、
七偏人は百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、
和合人の土場六先生はヅーフラ(
註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に
拠れば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を
趁うて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。
但し
何れも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。
明治六七年の頃、
私の
家は
高輪から
飯田町に移つた。飯田町の家は大久保
何某といふ
旗本の古屋敷で随分広い。移つてから
二月ほど経つた或夜の事、私の母が
夜半に起きて便所に行く。途中は長い廊下、
真闇の
中で何やら
摺違つたやうな物の
気息がする、
之と同時に何とは無しに
後へ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも
介めず、用を
済して寝床へ帰つた。
こゝに住むこと約半年、
更に同町内の他へ移転した。すると、
出入の
酒商が来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は
彼の
家は昔から
有名の化物屋敷、あなた方が住んでお
在の時に、そんな事を申上げては
却つて悪いと、
今日まで
差控えて
居りましたと云ふ。
併し
此方では何等の不思議を見た事無し、
強て心当りを探り出せば、前に
記した一件のみ。これでも怪談の部であらうか。
安政の
末年、一人の
若武士が品川から
高輪の
海端を通る。夜は
四つ過ぎ、
他に人通りは無い。
芝の
田町の方から
人魂のやうな火が
宙を
迷うて来る。それが
漸次に
近くと、女の背に
負はれた
三歳ばかりの小供が、竹の
柄を付けた
白張の
ぶら提灯を持つてゐるのだ。
唯是だけの事ならば別に
仔細無し、こゝに不思議なるは
其の女の顔で、眼も鼻も無い
所謂のツぺらぼう。
武士も驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て
暫し、広い世の中には病気又は
怪我の為に不思議な顔を
有つ女が無いとも限らぬ、
迂闊に手を
下すのも短慮だと、
少時づツと見てゐる
中に、女は消ゆるが
如くに行き過ぎて遠く残るは
提灯の影ばかり。
是果して人か
怪か
竟に分らぬ。
其の
武士と云ふのは私の父である。
忠盛は
油坊主を捕へた。私も引捕へて詮議すれば
可かつたものを……と、老後の
悔み話。
慶応の
初年、私の
叔父は
富津の
台場を固めてゐた、で、
或日の事。同僚吉田
何某と共に近所へ酒を飲みに行つた
帰途、冬の日も暮れかゝる
田甫路を
ぶら/\来ると、吉田は
何故か知らず、
動もすれば
田の方へ
踉蹌けて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、
足下の危い程でも無いに
兎角に左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、
確乎しろと、叔父は
幾たびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の
中へ行かうとする。
其中に、叔父が
不図見ると、田を
隔てたる
左手の丘に一匹の狐がゐて、
宛ら
招くが如くに手を
挙げてゐる。こん畜生!
武士を
化さうなどゝは
怪しからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀を
ひらりと抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を
摩りながら「あゝ、
睡かつた……。」それから
後は何事も無い。
動物電気に
依て一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。
鼬の立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。
時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので
蚊帳を出た。庭を一巡して
扨それから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る
路次の
真中に何物か立つてゐる。月は明るい。
其うしろ姿は
正しく猫、
加之も表通りの
焼芋商に飼つてある
雉子猫だ。
彼奴、どうするかと息を
潜めて
窺つてゐると、
彼は長き尾を地に
曳き二本の
後脚を
以て
矗然と立つたまゝ、
宛ら人のやうに歩んで行く、
足下は
中々確だ。
はて、不思議と見てゐる
中に、彼は
既に二
間ばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、
背後から
其後を
尾けやうと、
跫音を
偸んで一歩
蹈み出すや否や、彼は
忽ち
顧つた。と思ふと、
平常の
四脚に
復つて
飛鳥の
如くに往来へ逃げ去つた。私も続いて
逐うたが、もう影も見せぬ。
翌日、焼芋屋の店を
窺ふと彼は例の如く
竈前に遊んでゐる。
併し昨夜の事を
迂闊饒舌つて、家内の者を
閙すのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に
就て訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。
動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも
或は当然の事かも知れぬ。
併し我々俗人は
之をも不思議の一つに
数へるのが
慣例だ。
明治
廿三年の二月、父と共に信州軽井沢に
宿る。昨日から
降積む雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に
猟夫が来て、鹿の肉を買つて
呉れと云ふ。退屈の
折柄、彼を
炉辺に呼び入れて、
種々の話をする。
木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では
之を
えてものと云ふ。現に
此の猟夫も七八年
前二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ
猟に行つた。
斯る深山へ登る時には、四五
日分の米の他に
鍋釜をも
携へて行くのが
慣例。
登山してから三日目の夕刻、一同は
唯ある
大樹の下に
屯して
夕飯を
焚く。で、もう
好い頃と一人が釜の
蓋を明けると、
濛々と
る
湯気の白き
中から、
真蒼な人間の首が
ぬツと出た。
あツと驚いて再び蓋をすると、
其中で
物馴れた一人が「
えてものだ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同
直に鉄砲を
把つて、
何処を
的とも
無しに二三
発。それから
更に釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。
えてものの正体は
何だか知らぬが、
処々に
斯ういふ
悪戯をすると、猟夫の話。
日露戦争の際、私は
東京日々新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、
遼陽より北一
里半の
大紙房といふ村に
宿つて、滞留約
半月。
其間に村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との
村境に一間の
空家があつて十数年来
誰も住まぬ。それは『
鬼』が
祟を
作す為だと云ふ。
支那の
怪物………私は例の好奇心に促されて、一夜を
彼の空屋に送るべく決心した。で、
更に
委しく
其の『
鬼』の有様を
質すと、
曰く、半夜に
凄風颯として至る。
大鬼は
衣冠にして騎馬、
小鬼数十
何れも
剣戟を
携へて従ふ。
屋に進んで大鬼
先づ
瞋つて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、
光屋を
照すと。
何の事だ。
宛で
子不語が
今古奇観にでも
有りさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、探険の勇気も
頓に
失せた。
これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が
水戸へ乗込んだ
時。一座の
鼻升、菊太郎、
市勝等五名は
下市の
某旅店(名は
憚つて
記さぬ)に泊つて、
下座敷の六畳の
間に陣取る。で、第一日の夜、市勝が
俯向いて手紙を書いてゐると、鼻の
頭の
障子が自然に
すうと明いた。
之を
序開きとして
種々の不思議がある。
段々詮議すると、これは
此家に年古く住む
鼬の
仕業だと云ふ。
併し人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も
先づ安心。
其後は芝居から帰ると、毎夜
彼の鼬を
対手にして遊ぶ。
就中面白いのは、例の
狐狗狸式に物を当てさせる事で、例へば
此室に女が
居るかと問ひ、居ない時には
彼が廊下を
とんと一つ打つ。居る時には
とん/\と二つ打つと云ふ
類だ。
或時、
此室に
手拭が
幾筋掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。
更に聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を
検めると、三筋と思つたのは
此方の
過失で、一つの
釘に二筋の手拭が重ねて掛けて
有つて、
都合四筋といふのが
成ほど本当だ。
是には
何れも敬服したと云ふ。が、
彼は
果して
鼬か
狸か、
或は人の
悪戯かと
種々に
穿索したが、
遂に其正体を見出し得なかつた。
宿の者は
飽までも鼬と信じてゐるらしいとの事。