一
「幽霊の観世物」の話が終ると、半七老人は更にこんな話を始めた。
「観世物ではまだこんなお話があります。こんにちでも繁昌している団子坂の菊人形、あれは江戸でも
そこで、このお話は文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という植木屋であったと思います。ほかの植木屋でも思い思いの人形をこしらえました。その頃の団子坂付近は、坂の両側にこそ
ところが、その繁昌の最中に一つの事件が
前にも申す通り、根津から団子坂へかかって来ると、ここらは大へんな混雑、殊にこんにちと違って道幅も狭いのですから、とても騎馬では通られない。そこで、五人は馬から降りて、坂下の
付いていた別手組もおどろいて、その女を押さえると、女は何も取った覚えはないと云う。袂や内ぶところや帯のあいだを探しても、紙入れは見付からない。異人はどうしても取ったと云う。女は取らないと云う。なにしろその品物を持っていないんだから、女の方が強味です。女は仕舞いには大きな声を出して、この異人はあたしに云いがかりをする。取りもしないものを取ったと云って、あたしに泥坊の
異人嫌いの時代ですから、こうなると堪まりません。この毛唐人め、ふてえ奴だ。取りもしねえものを取ったと云って、日本人を泥坊扱いにしやあがる。こいつ勘弁が出来ねえというので、気の早い二、三人が飛びかかって、その異人をなぐり付ける。さあ、大変です。忽ちに弥次馬が大勢あつまって来て、三人の異人を袋叩きにするという騒ぎになりました。附き添いの別手組もたった一人ではどうすることも出来ない。まさかに刀をぬいて斬り払うわけにも行かないので、騒ぐなとか、静かにしろとか云って、しきりに制しているけれども、弥次馬連はなかなか鎮まらない。そのうちには石を投げ付ける者もあるのでいよいよあぶない。現に異人の男ひとりは、左の頬を石に撃たれて血が流れ出した。
なにをいうにも
この騒ぎを聞きつけて、もう一人の別手組が駈けて来たが、これもどうすることも出来ない。早く馬に乗って逃げろと注意したんですが、大勢の敵に隔てられて、馬をつないである
追って来る連中ももう
今更ここで詮議をしていることも出来ないので、異人たちを三匹の馬に乗せて、ひと足先へ帰すことにして、別手組の二人はあとから
八丁堀同心丹沢五郎治という人の屋敷へ呼ばれて、半七御苦労だが働いてくれという命令です。まあ、仕方がない。かしこまりましたと請け合って帰りました。かんがえて見ると、世の中にはいろいろの事件が絶えないものですね」
二
半七は
しかし、別手組の人達から詳しい話を聞いて来たので、まず大抵の見当は付いていた。半七は歩きながら云った。
「馬どろぼうとは別物だろうが、異人の紙入れを取ったとか取らねえとかいう女、それもついでに調べて置く方がよさそうだな」
「そうですね」と、幸次郎もうなずいた。「いずれ女の
二人はそこらの休み茶屋へはいって、茶を飲みながらおとといの噂を訊くと、ここらの人達は皆よく知っていた。茶屋の女の話によると、その女は年ごろ二十八九の小粋な風俗で、ほかに連れも無いらしかった。彼女は騒動にまぎれて何処へか立ち去ったので、何者であるかを知る者はなかった。
女の人相などを詳しく訊きただして、二人はそこを出ると、幸次郎はすぐにささやいた。
「今の話で大抵わかりました。その女は
「そいつの巣はどこだ」
「どこと云って、巣を決めちゃあいねえようですが、お角と判れば調べようもあります」
二人は更に坂下の空地へまわると、秋草の乱れている中に五、六本の
「馬を盗んで行った奴は
「そうかな」と、半七は首をかしげた。
こんにちと違って、その時代における日本馬と西洋馬との相違は、誰が眼にも容易に鑑別される筈であった。第一に
なにか手がかりになるような拾い物はないかと、一応はそこらを見まわしたが、何分にも草深いので探すことは出来なかった。ともかくも地つづきの百姓家へたずねて行って、その日の様子を訊いてみようと、二人は引っ返して歩き出そうとする時、幸次郎は小声であっと云った。半七も振り向いた。
江戸は繁昌と云っても、その頃の江戸市内に空地はめずらしくなかった。三百坪や四百坪の草原は到る所にある。まして半分は田舎のような根津のあたりに、このくらいの草原を見るのは不思議でもなかったが、ここの空地は取り分けて草が深い。その草のあいだに、古い小さい
女は五十以上であるらしく、片手に小さい風呂敷包みと
「もし、おまえさん方は何か探し物でもしていなさるのか」
「ええ、落とし物をしたので……」と、幸次郎はあいまいに答えた。
「おまえさん方の探す物は、ここらでは見付からないはずだ」と、老女は笑いながら云った。「もっと西の方角へ行かなければ……」
市子は
「いや、ありがとう」と、幸次郎も笑いながら答えた。
それぎりで、二人は往来の方へあるき出すと、老女はそのあとを慕うように続いて来た。二人も無言、彼女も無言である。草をかき分けて往来へ出て、二人は左へむかって行くと、彼女もおなじく左へむかって来た。彼女はなかなか達者であるらしく、わずかに一間ほどの距離を置いて、男のようにすたすたと歩いて来る。それが自分たちのあとを
「おめえはあすこに何をしていたのだ。あの
老女は黙っていた。
「あの祠には何が祭ってあるのだ」
「神様です」と、老女は答えた。
「神さまは判っているが、なんの神様だ」
「知りません」
「毎日拝みに来るのかえ」
「あの祠を拝みに行けというお告げがあったので、毎日拝みに来ます」
「おめえの
「
「谷中はどの辺だ」
「
「おめえは市子さんかえ」
「そうです」
「商売は繁昌するかえ」と、幸次郎は冗談のように訊いた。
「繁昌します」と、彼女はまじめに答えた。
そんなことを云っているうちに、半七らは百姓家の前に出た。それは片商売に荒物を売っている店で、
「なんだねえ、お前は……。お客さまが来たのに、逃げることがあるものか」
「狐使いだよ」と、男の児は表を指さすと、女房も表をちょっと覗いて、ふたたび小声で子供をたしなめるように叱った。
男の児は半七らを恐れたのではなく、そのあとから付いて来た市子を恐れているのであろう。その口から洩れた「狐使い」の一句が半七らの注意をひいて、二人は一度に表をみかえると、市子の老女は、彼等にうしろを見せて谷中の方角へたどって行った。
「あの市子は狐を使うのかえ」と、半七は訊いた。
「よくは知りませんが、そんな噂があります」と、女房は答えた。
「ここらへも始終来るのかえ」
「この頃は毎日のようにここへ来て、あの祠を拝んでいるので、ここらの者は気味悪がっています」
「あの空地の祠はなんだね」
「わたくしも子供の時のことですから、詳しい話は知りませんが、あの空地のところは臼井様とかいう小さいお旗本のお屋敷があったそうです」と、女房は説明した。「なにかの訳で殿様は切腹、お屋敷はお取り潰しになりまして、その以来二十年余もあの通りの空地になっています。その当座は祟りがあるとか云って、誰も空地へはいる者もなかったのですが、この頃は子供たちが平気で
「市子の名は何というのだね」
「おころさんと云うそうです」
「おころ……。めずらしい名だな」
半七らの詮議は市子や狐使いでない。そんなことは出さきの拾い物に過ぎないのであるから、その詮索はこのくらいに打ち切って、二人はかの異人の一件について話し出した。
「おとといは大騒ぎだったと云うじゃあねえか」と、半七は何げなく訊いた。
「ええ、たいへんな騒ぎでした」と、女房はうなずいた。「異人を殺してしまえと云って、大勢が追っかけて来るので、どうなる事かと思いました。それでもまあみんな無事に逃げたそうです」
「五人の馬はそこの
「そうです。そのうちの二匹がなくなったというのですが、どうしたのでしょうかね」
異人の騒ぎで、ここらの者はいずれも家を
「年増のおんなが引っ張って行ったなんて云いますけれど、それもどうだか判りません」と、彼女は更に付け加えた。
「女が引っ張って行った……」と、半七は訊きかえした。「それを誰か見た者があるのかえ」
「いいえ、おれが確かに見たという者もないので……。誰が云い出すと無しに、そんな噂を聞きますが……。まさか女が……。ねえ、お前さん」
女房はその噂を信じないように云った。
三
半七と幸次郎は荒物屋の店を出て、再びかの空地のまん中に立った。五六百坪のところに屋敷を構えていたのであるから、昔ここに住んでいたという臼井なにがしはよほどの小旗本であろう。武家屋敷のうちに祭られているのは、まず稲荷の祠が普通である。二人はその祠の正体を見とどけることにして、草の奥へ踏み込んで行った。
「ねえ、親分」と、幸次郎はあるきながら云った。「荒物屋のかみさんは気のねえように云っていましたが、おんなが馬を引っ張って行ったというのも、聞き流しにゃあ出来ねえようですね。もしやお角じゃあありますめえか」
「おれも何だかそんな気がしねえでもねえ。勿論、最初から企らんだことでもあるめえが、どさくさまぎれの出来ごころで馬を引っ張り出したかも知れねえ。しかし女ひとりで二匹の馬を
「そうでしょうね。なに、お角のありかが判れば、その相棒も自然に知れましょう」
云ううちに、二人は古祠の前に行き着いた。祠は
「御幣は市子が納めたのだな」
半七は更に隅々を見まわしたが、
「まあ、仕方がねえ。ここはこの位にして、一旦引き揚げよう。おめえはそのお角という女の居どころを突き留めてくれ、おれはこれから足ついでに
幸次郎に別れて、半七は谷中の方角へ足を向けた。千駄木の坂下から
おころは
そんなわけであるから、近所の者も彼女が出這入りの姿を見るだけのことで、そのふだんの行状などについては多くを知らないと云うのである。半七は露路へはいっておころの家を窺うと、江戸のまん中と違ってここらの露路の奥は案外に広かった。入口の狭いにも似ず、そこはかなりの空地があって、近所の人たちの物干場になっていた。おころの家には格子がなく、入口は明け放しの土間になっていたが、それでもふた間くらいの小じんまりした住居で、家内も綺麗に片付いているらしかった。おころはさっき一度帰って来て、すぐ又出て行ったと、隣りの女房が話した。
半七はその女房をつかまえて、おころのことを何か聞き出そうとしたが、壁ひとえの隣りに住みながら彼女はなんにも知らないと云った。唯その女房の口からこんなことが洩らされた。
「よくは知りませんが、おころさんには息子があって、どこかの屋敷奉公をしているそうです」
「その息子は時々たずねて来ますかえ」
「めったに来たことはありませんが、一年に二、三度くらいはたずねて来るようです」
「屋敷奉公といっても侍じゃああるめえ。足軽か中間だろうね」
「まあ、そうでしょうね」
「ここの
「ここへ頼みに来る人は少ないようです。大抵は自分の方から出て行くのです」
「それじゃあ狐を連れて行くのだね」
「そうかも知れません」
余り多くを語るをはばかるように、女房は口をつぐんだ。半七もいい加減に打ち切ってそこを出た。おころという女がたとい狐を使うとしても、
取り留めた獲物は無いと云っても、どこかの女が
その晩に亀吉が来た。その報告によると、けさから方々の
あくる日の午過ぎに幸次郎が来た。
「お角の居どころは知れました。浅草の
「商売は巾着切りか」と、半七は訊いた。
「若い時から矢場女をしたり、旦那取りをしたり、いろいろのことをやって来たようですが、この頃は決まった亭主も無し、商売も無し、まあ巾着切りが本職でしょうね。女のくせに酒を飲む、博奕を打つ、殊に博奕が道楽と来ているのだから、
「人の目につかねえ為でもあろうが、駄菓子屋の三畳にくすぶっているようじゃあ、お角という女もあんまり景気がよくねえと見えるな」と、半七は笑った。「だが、異人の紙入れに幾らあったかな。勿論こっちの金に両替えしてあったろうが、外国の金だったら使い道はあるめえ。うっかり両替屋へ持って行ったら
「駄菓子屋の婆さんの話じゃあ、色男だか相摺りだか知らねえが、いろいろの男が四、五人たずねて来るそうで……。時によると、その狭い三畳で
「そいつの居どころもわからねえのか」
「確かにはわからねえが、その平公は何でも本郷
「本郷の屋敷にいる……」
半七は偶然の掘り出し物をしたように感じた。市子のおころの息子は屋敷奉公をしていると云う、それがもしやこの平さんなる者ではないかと思い浮かんだのである。たとい取り留めた証拠はなくとも、探索はこんな頼りないようなことを頼りにして、
しかし本郷片町というだけでは、どこの屋敷であるか判らない。平さんというだけでは、その人間を探し当てることも困難である。お角を調べたところで、それを素直に云う筈はない。さしあたりは駄菓子屋の近所に網を張って、平さんなる者の出入りを窺うのほかは無い、気の長い仕事のようであるが、まあ我慢して張り込んでくれと、半七は幸次郎に云い含めた。
「
「承知しました」
幸次郎は請け合って帰ったが、それから二日ばかりは音沙汰もなかった。亀吉と善八は手を分けて近在までを詮議していたが、どこへも馬を売りに来たという噂は聞かなかった。ほかの物と違って、
十月
「親分。おころという市子が殺されました」
四
松吉の報告によると、おころの死体はけさの六ツ半(午前七時)頃に、近所の人々に発見された。但し谷中の自宅に死んでいたのではなく、かの団子坂下の空地に倒れていたのである。
その死体は古祠の前に横たわっていたが、よほど激しい格闘を演じたらしく、彼女は髪をふり乱し、着物の胸をはだけて、かた手に白い
死に場所といい、その死にざまの怪しいのを見て、狐使いの彼女が狐に殺されたのであろうと、近所の者はおどろき恐れた。彼女は狐を夫にしていたが、近ごろほかに
「なにしろ、すぐに行ってみよう」
松吉を連れて、半七は早々に団子坂へ駈けつけると、おころの死体は今や検視を終ったところであった。検視に出張ったのは、あたかもかの丹沢五郎治で、彼は半七の顔を見るとすぐに声をかけた。
「半七、早えな。又ここで変なことが始まったよ。この草ッ原はどうも鬼門だ」
「まったく困りました」
半七は挨拶して、草のあいだに横たわっているおころの死体を一応あらためた。おころは大きい眼をむき出しにして死んでいた。
「狐に殺されたという噂だが、まさかにそんなこともあるめえ」と、丹沢は云った。「だが、爪のあとがちっとおかしい。まあ、よく調べてくれ。頼むぜ」
検視の役人はやがて引き揚げて、市子の死体は長屋の者に引き渡された。おころには息子があるらしいが、どこに住んでいるか判らないので、知らせてやることも出来なかった。相長屋の人達があつまって
その通夜の晩に、亀吉はおころの露路の近所をうろ付いていた。半七と松吉は荒物屋の店を足溜まりにして、かの空地のあたりを見張っていた。
夜も九ツ(午後十二時)を過ぎた頃であろう。昼からの風は宵に止んだが、夜ふけの寒さは身に泌みるので、半七と松吉は小さい火鉢に
「
それを聞きながら、二人は立ち上がった。月のない夜ではあるが、星の光りはきらめいている。それをたよりに足音をぬすんで忍び出ると、犬の声は次第に近づいて、その犬の群れに追われながら、一つの黒い影が忍んで来るらしかった。注意して窺うと、犬の声はかの草原の方角にむかって行くのである。枯草を踏む犬の足音ががさがさと聞こえるので、人の足おとは確かに聞きわけかねたが、何者かが草原の奥へ忍んでゆくに相違ない。二人は息を殺して
ここまで来ると、犬はみな吠えなかった。かれらはただ低く唸るばかりであった。黒い影は祠の前で何事をしているのか、半七らの眼には見えなかった。この上はもう猶予すべきでない。半七は突然に声をかけた。
「もし、おまえさんは誰だね」
相手は返事をしなかった。
「わしらは御用でここに張り込んでいるのだ。返事をしねえと、つかまえるよ」と、半七は再び云った。
相手はやはり返事をしなかった。
二度までも念を押して、相手が黙っている以上、手捕りにするのほかはないので、松吉は探り寄って取り押さえようとすると、相手はいつの間にか摺り抜けてしまったらしく、そこらに人らしい物はいなかった。
「いねえか」と、半七は小声で訊いた。
「はてな」と、松吉はそこらを探し廻っていた。
この時、犬の群れはまた吠え出して、何者かが草の上を這って行くらしいので、半七は走りかかって押さえ付けた。暗いなかで、その腰のあたりへ手をかけたかと思うと、相手は急に跳ね起きて両手で半七の喉を絞めようとした。半七はその手を取って、再び草の上に捻じ伏せた。
「つかめえましたか」と、松吉は声をかけた。
「仕様がねえ。石橋山の組討ちだ」と、半七は笑った。「だが、もう大丈夫。女だ、女だ」
半七と松吉に引き摺られて、荒物屋の店の灯の前に照らし出された曲者は、六十前後の老女であった。その人柄や
店の
「おめえは何処の者だ」
「信州から来ました」と、老女は案外におとなしく答えた。
信州といえば、
「名は何といって、いつから江戸へ来ているのだ」
「お千といいます。江戸へはこの六月に出て来ました」
「それまで国にいたのか」
「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」
「なんでそんなに諸国を廻っていたのだ」
「尋ねる人がありまして……」
「たずねる人というのは……。市子のおころか」
「はい」
老女の眼は怪しく輝いた。
「ゆうべおころを殺したのはお前だな」
「はい」と、彼女は素直に白状した。
「今夜はここへ何しに来た」
「狐を取りに来ました」
膝の上に置いた彼女の両手の爪は、天狗のように長く伸びていた。取り分けて人差指と中指と無名指の爪が一寸以上も長く鋭く伸びているのを見ると、おころの死因も容易に想像された。半七も危くその恐ろしい爪にかかるところであった。
「おまえも狐を使うのか」
「使います。おころはわたくしの狐をぬすんで逃げたのです」
お千は若いときから信州のある神社の
あしかけ十一年の昔である。彼女は江戸へ出ようとして、信州から甲州へさしかかって
それを知って、お千は狂気の如くに怒った。彼女は病み揚げ句の不自由な身をおこして、すぐにおころの後を追いかけたが、そのゆくえは知れなかった。ともかくも江戸へ出て半年あまりも探しあるいたが、おころのありかは遂に判らなかった。しかも彼女の決心は固かった。命のあらん限りは尋ねあるいて、どうしても管狐を取り戻さなければ置かないと、それから足かけ十一年、殆ど日本の半分以上をさまよい歩いて、ことしの六月、再び江戸の土を踏んだのである。
かたきを尋ねる者は結局何処かでめぐり逢うと、昔から云い伝えている通り、彼女は九月のはじめに、上野の広小路でおころの姿を見つけた。ひそかにそのあとを
「おころは狐を返したか」と、半七は訊いた。
「返しません」と、お千の窪んだ眼はいよいよ異様にかがやいた。「わたくしも油断なく気をつけていますと、道灌山に隠してあるというのは嘘で、ほかに隠してあるらしいのです。その上に、わたくしが幾たび催促しても返しません。きのうの夕方、池の端で逢いましたから、きょうこそは勘弁ならないと厳しく催促しますと、実は団子坂の空地の古祠のなかに隠してあるから、
「そこで、今夜は何しにここへ来たのだ」
「おころを殺しましたが、狐のありかは判りません。やっぱりここに隠してあるのかと思って、念の為にもう一度さがしに来たのです」
「まずこれで
「そこで、馬の一件はどうなりました」と、わたしは訊いた。
「五、六日の後に幸次郎が平吉という奴を挙げて来ました。それが即ち平さんというので、本郷片町の神原
「じゃあ、主人も承知なんですか」
「承知なんです。と云うと、主人の神原も馬泥坊のお仲間のようですが、それには訳があります。神原という人は馬術の達人で、近授流の免許を受けていました。近授流というのは一場藤兵衛が師範で、文政の末に一場家滅亡と共に一旦断絶したのですが、天保以後に再興して、その流儀を学ぶ者が出来ました。御承知でもありましょうが、武家が馬術を学ぶのは自分の
いつぞやお話をした『正雪の絵馬』と同じように、道楽が
そのうちに、かの団子坂の騒動が起こって、そこへちょうどに馬丁の平吉が通り合わせました。見ると、空地には西洋馬三匹と日本馬二匹がつないである。どさくさまぎれにこれを盗んで行けば、殿様もよろこぶに相違ない。こう云うと、たいへん忠義者のようですが、実は殿様から御褒美をたんまり頂戴しようという慾心が先に立って、一匹の西洋馬をこっそりと
「異人の紙入れを掏ったのは、やっぱりお角でしたか」
「われわれの想像通り、蟹のお角でした。お角もあんな騒ぎになろうとは思わなかったんでしょうが、なにしろ、それが
それから本郷の屋敷へ牽いてゆくと、主人の神原も少しおどろきました。異人の馬を盗んで来るなぞは、もちろん良くないに決まっている。そこで平吉を叱って、元へ返すように指図すればいいんですが、さてそこが道楽の禍いで、平生から欲しい欲しいと思っていた西洋馬や西洋馬具を眼の前に見せられると、たまらなく欲しいような気もする。平吉もそばから勧める。結局その気になって、神原は西洋馬を自分の厩につないで置くことにしました。屋敷内の馬場を乗り廻っているだけならば大丈夫、表へ乗り出さなければ露顕する気遣いはないと多寡をくくっていた。平吉はその褒美に十五両貰ったそうです。しかし日本馬の方は主人の気に入らない。むやみに売りに行けば、それから足が付く虞れがあるので、平吉は浅草あたりの
こうして日本馬は処分してしまい、西洋馬は旗本屋敷の厩にはいってしまえば、容易に知れそうも無い理窟ですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その秘密もたちまち露顕することになりました。
さっきもお話し申した通り、お角の借りている駄菓子屋の二階へは、長さんと平さんが一番近しく来るという。その長さんは長蔵という奴で、お角が巾着切りの相棒です。こいつもお角に気があるんですが、お角は平吉ばかりを可愛がって、長蔵の相手にならない。幸次郎はこの長蔵を取っ捉まえて詮議すると、こいつは馬の一件は大抵知っている。そこで平吉に対するやきもちから、自分の知っているだけの事をべらべら
しかし相手が
「主人はどうなりました」
「本来ならば主人にも何かの咎めもある筈ですが、もともと悪気でした事でも無し、殊に幕末多事の際で、幕府も譜代の旗本を大事にする折柄ですから、馬を取り返されただけのことで、そのまま無事に済んでしまいました。神原内蔵之助という人は、維新の際に用人堀河十兵衛と一緒に函館へ脱走して、
「平吉はおころという女の息子ですか」
「おころのせがれでした。しかし馬の一件と、狐の一件とは、別になんの係り合いも無かったのです」
「狐に馬を乗せたというわけですね」
「はは、しゃれちゃいけない。いや、その馬を取り返すのが面白い。神原の屋敷から表向きに牽き出しては、事が面倒です。そこで、夕がたの薄暗い時分に、本郷の屋敷の裏門からそっと牽き出して、かの団子坂の空地に放して置くと、町方の者が待っていて牽いて帰る。つまりは、馬が何処からか戻って来て、元の空地に迷っているのを取り押さえたということにして、外国側へ引き渡したのです。気の毒なのは別手組の侍で、この人の馬はもう皮を剥がれてしまったので、どうにも取り返しが付きませんでした」
「お角はどうなりました」
「蟹のお角、これに就いてはまだいろいろのお話がありますが、この一件だけを申せば、幸次郎が平吉を召し捕ると同時に、善八が茅町の駄菓子屋へむかった処、お角は早くも風をくらって、どこへか姿を隠しました」
最後に残ったのは、狐使いの問題である。それについて半七老人は
「今どきの方々にお話し申しても、とても本当にはなさるまいが、江戸時代には狐使いという者がありました。それにも種類があるんですが、まず管狐というのを飼っているのが多い。細い管のなかに
おころが死んでしまったので、問題の管狐はどうなったか判りません。どこにか隠してあるか、逃げてしまったのか、そんなものが本当にあるのか無いのか、それらのことも判りません。お千はきっと何処にか隠してあるに相違ないと云っていました。人殺しですから、当然死罪になりそうなものでしたが、遠島で
わたくしも暫く団子坂へ行きませんが、新聞なぞを見ると、菊細工はますます繁昌して、人形も昔にくらべるとたいへん上手に出来ているようです。しかし団子坂の菊人形を見物に行く明治時代の人達は、三十余年前にここで異人を殺してしまえと騒いだり、狐使いが殺されたりした事を夢にも知りますまい。世の中はまったく変りました。異人だの狐使いだのという言葉さえも消えてしまいました。菊人形の噂を聞くたびに、わたくしはその昔のことが思い出されます」
古歌に「月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつは