藤十郎の恋

菊池寛




        一

 元禄げんろくと云う年号が、何時いつの間にか十余りを重ねたある年の二月の末である。
 都では、春のにおいがすべての物を包んでいた。ついこの間までは、頂上の処だけは、まだらに消え残っていた叡山えいざんの雪が、春の柔い光の下に解けてしまって、跡には薄紫を帯びた黄色の山肌やまはだが、くっきりと大空に浮んでいる。その空の色までが、冬の間に腐ったような灰色を、洗い流して日一日緑にえて行った。
 かもの河原には、丸葉柳まるはやなぎが芽ぐんでいた。そのこいしの間には、自然咲のすみれや、蓮華れんげが各自の小さい春を領していた。河水は、日増ひましに水量を加えて、軽い藍色あいいろの水が、処々の川瀬にせかれて、淙々そうそうの響を揚げた。
 黒木を売る大原女おはらめびやかな声までが春らしい心をそそった。江戸へ下る西国大名の行列が、毎日のように都の街々を過ぎた。彼等は三条の旅宿に二三日の逗留とうりゅうをして、都の春を十分に楽しむと、また大鳥毛おおとりげやりを物々しげに振立てて、三条大橋の橋板を、踏みとどろかしながら、はるか東路あずまじへと下るのであった。
 東国から、九州四国から、また越路こしじの端からも、本山参りの善男善女ぜんなんぜんにょの群が、ぞろぞろと都をさして続いた。そして彼等も春の都の渦巻の中に、幾日かを過すのであった。
 そのうちに、花が咲いたと云う消息が、都の人々の心を騒がし始めた。祇園ぎおん清水きよみず東山ひがしやま一帯の花がず開く、嵯峨さが北山きたやまの花がこれに続く。こうして都の春は、愈々いよいよ爛熟らんじゅくの色をすのであった。
 が、その年の都の人達の心を、一番はげしく狂わせていたのは、四条中島都万太夫座みやこまんだゆうざの坂田藤十郎と山下半左衛門座の中村七三郎との、去年から持越しの競争であった。
 三ヶ津の総芸頭そうげいがしらとまで、たたえられた坂田藤十郎は傾城買けいせいかい上手じょうずとして、やつしの名人としては天下無敵の名をほしいままにしていた。が、去年霜月、半左衛門の顔見世かおみせ狂言に、東から上った少長しょうちょう中村七三郎は、江戸歌舞伎の統領として、藤十郎と同じくやつしの名人であった。二人は同じやつしの名人として、江戸と京との歌舞伎の為にも、烈しく相争わねばならぬ宿縁を、持っているのであった。
 京の歌舞伎の役者達は、中村七三郎の都上りを聴いて、皆異常な緊張を示した。が、その人達の期待や恐怖を裏切って七三郎の顔見世狂言は、意外な不評であった。見物は口々に、
「江戸の名人じゃ、と云う程に、何ぞ珍らしい芸でもするのかと思っていたに、都の藤十郎には及び付かぬ腕じゃ」とののしった。七三郎をしる者は、ただ素人しろうとの見物だけではなかった。彼の舞台を見た役者達までも、
「江戸の少長は、評判倒れの御仁じゃ、もっとも江戸と京とでは評判の目安も違うほどに江戸の名人は、京の上手にも及ばぬものじゃ。所詮しょせん物真似ものまね狂言は都のものと極わまった」と、勝誇るように云い振れた。が、七三郎を譏しるうわさが、藤十郎の耳に入ると、彼はまゆひそめながら、
「われらの見るところは、また別じゃ。少長どのは、まことに至芸のお人じゃ。われらには、おそろしい大敵じゃ」と、只一人世評をしりぞけたのであった。

        二

 果して藤十郎の評価は、狂っていなかった。顔見世狂言にひどい不評を招いた中村七三郎は、年が改まると初春の狂言に、『傾城けいせい浅間あさまだけ』を出して、巴之丞とものじょうの役にふんした。七三郎の巴之丞の評判は、すさまじいばかりであった。
 藤十郎は、得意の夕霧ゆうぎり伊左衛門を出して、これに対抗した。二人の名優が、舞台の上の競争は、都の人々の心をき立たせるに十分であった。が新しき物を追うのは、人心の常である。口性くちさがなき京童きょうわらべは、
「藤十郎どのの伊左衛門いさえもんは、いかにも見事じゃ、が、われらは幾度見たか数えられぬ程じゃ。去年の弥生やよい狂言もたしか伊左衛門じゃ。もう伊左衛門には堪能いたしておるわ。それに比ぶれば、七三郎どのの巴之丞は、都にて初ての狂言じゃ。京の濡事師ぬれごとしとはまた違うて、やさしいうちにも、東男あずまおとこのきついところがあるのが、てんとたまらぬところじゃ」と口々に云いはやした。
 動きやすい都の人心は、十年讃嘆さんたんし続けた藤十郎の王座から、ともすれば離れ始めそうな気勢けはいを示した。万太夫座の木戸よりも、半左衛門座の木戸の方へと、より沢山の群衆が、流れ始めていた。
 春狂言の期日が尽きると、万太夫座はぐ千秋楽になったにもかかわらず、半左衛門座はなお打ち続けた。二月に入っても、客足は少しも落ちなかった。二月が終りになって、愈々いよいよ弥生狂言の季節が、近づいて来たのにも拘わらず、七三郎は尚巴之丞の役に扮して、都大路の人気を一杯に背負うていた。
「半左衛門座では、弥生狂言も『傾城浅間ヶ嶽』を打ち通すそうじゃが、かような例は、玉村千之丞河内かわち通いの狂言に、百五十日打ち続けて以来、絶えて聞かぬ事じゃ。七三郎どのの人気は、前代未聞みもんじゃ」と、ちまた風説うわさは、ただこの沙汰さたばかりのようであった。
 こうしたうわさが、かまびすしくなるにつれ、ひそかに腕をこまねいて考え始めたのは、坂田藤十郎であった。
 三ヶ津総芸頭と云う美称を、長い間享受して来た藤十郎は、自分の芸については、何等の不安もないと共に、十分な自信を持っていた。過ぐる未年ひつじどし才牛さいぎゅう市川団十郎が、日本随市川のかまびすしい名声をにのうて、あずまからはるばると、都の早雲長吉座はやぐもちょうきちざに上って来た時も、藤十郎の自信はビクともしなかった。『お江戸団十郎見しゃいな』と、江戸の人々が誇るこの珍客を見る為めに、都の人々が雪崩なだれして、長吉座に押し寄せて行った時も、藤十郎は少しも騒がなかった。ことに、彼が初めて団十郎の舞台を見た時に、彼は心の中でひそかに江戸の歌舞伎を軽蔑けいべつした。彼は、団十郎が一流編み出したと云う荒事を見て、何と云う粗野な興ざめた芸だろうと思って、彼の腹心の弟子の山下京右衛門が、
太夫たゆう様、団十郎の芸をいかが思召おぼしめさる、江戸自慢の荒事とやらをどう思召さる」といた時、彼はつつましやかな苦笑をもらしながら「実事じつごとの奥義の解せぬ人達のする事じゃ。また実事の面白さの解せぬ人達の見る芝居じゃ」と、一言の下にけなし去った。が今度の七三郎に対しては、才牛をあしろうたようには行かなかった。

        三

 と、云って藤十郎は、むげに七三郎を恐れているのではない。もとより、団十郎の幼稚な児騙ちごだましにも似た荒事とは違うて、人間の真実な動作しうちをさながらに、うつしている七三郎の芸を十分に尊敬もすれば、恐れもした。が、藤十郎は芸能と云う点からだけでは、自分が七三郎に微塵みじんも劣らないばかりでなく、むし右際勝みぎわまさりであることを十分に信じた。従って、今まで足り満ちていた藤十郎の心に不安な空虚と不快な動揺とを植え付けたのは、七三郎との対抗などと云う事よりも、もっと深いもっと本質的なある物であった。
 彼は、二十の年から四十幾つと云う今まで、何の不安もなしに、濡事師ぬれごとしふんして来た。そして、藤十郎の傾城買けいせいかいと云えば、竜骨車りゅうこしゃにたよる里の童にさえも、聞えている。また京の三座見物達も藤十郎の傾城買の狂言と言えば、何時もながら惜し気もない喝采かっさいを送っていた。彼が、伊左衛門の紙衣姿かみこすがたになりさえすれば、見物はたわいもなく喝采した。少しでも客足が薄くなると、彼は定まって、伊左衛門に扮した。しかも、彼の伊左衛門役は、トラムプの切札か何かのように、多くの見物と喝采とを、藤十郎に保証するのであった。
 が、彼は心のうちで、何時いつとなしに、自分の芸に対する不安を感じていた。いつも、同じような役に扮して、舌たるい傾城を相手の台詞せりふを云うことが、彼の心の中に、ぼんやりとした不快を起すことがたび重なるようになっていた。が、彼はだいいだろう、未だいいだろうと思いながら一日延ばしのように、自分の仕馴しなれた喝采をるにきまった狂言から、脱け出そうと云う気を起さなかったのである。
 こうした藤十郎の心に、おそろしい警鐘は到頭伝えられたのだ。「また何時もながら伊左衛門か、藤十郎どのの紙衣姿は、もう幾度見たか、数えきれぬ程じゃ」と、云うちまたの評判は、藤十郎に取っては致命的な言葉であった。彼が、怖れたのは七三郎と云う敵ではなかった。彼の大敵は、彼自身の芸が行き詰まっていることである。今までは、比較される物のない為に、彼の芸が行き詰まっている事が、無智な見物には分らなかったのである。彼は、七三郎の巴之丞を見た時に、傾城買の世界とは、丸きり違った新しい世界が、舞台の上に、浮き出されている事を感じない訳には、行かなかった。ただ浮ついた根も葉もないような傾城買の狂言とは違うて、一歩深く人の心の裡に踏み入った世界が、舞台の上に展開されて来るのを認めない訳には行かなかった。見物は、傾城買の狂言から、たわいもなく七三郎の舞台へ、き付けられて行った。が、藤十郎は、見物のたわいもない妄動もうどうの裡に、深いもっともな理由のあるのを、看取しない訳には行かなかったのである。
 小手先の芸の問題ではなかった。彼は、もっと深い大切なところで、若輩の七三郎に一足取残されようとしたのである。七三郎の巴之丞が、洛中らくちゅう洛外の人気をそそって、弥生狂言をも、同じ芸題だしもので打ち続けると云う噂を聞きながら、藤十郎は烈しい焦躁しょうそうと不安の胸を抑えて、じっと思案の手をこまぬいたのである。その時に、ふと彼の心に浮んだのは、浪華なにわに住んでいる近松門左衛門の事であった。

        四

 それは、二月のある宵であった。四条中東ちゅうとうの京の端、鴨川かもがわの流近く瀬鳴せなりの音が、手に取って聞えるような茶屋宗清むねせいの大広間で、万太夫座の弥生狂言の顔つなぎの宴が開かれていた。
 広間の中央、床柱を背にして、銀燭ぎんしょくの光を真向に浴びながら、どんすの鏡蒲団かがみぶとんの上に、ったりと坐り、心持脇息きょうそくに身をもたせているのは、坂田藤十郎であった。茶せんに結った色白の面は、四十を越した男とは、思われぬ程の美しさに輝いて見えた。下には鼠縮緬ねずみちりめんひっかえしを着、上には黒羽二重はぶたえ両面芥子人形ふたつめんけしにんぎょう加賀紋かがもんの羽織を打ちかけ、宗伝唐茶そうでんからちゃの畳帯をしめていた。藤十郎の右に坐っているのは、一座の若女形わかおやま切波千寿きりなみせんじゅであった。白小袖しろこそでの上に、紫縮緬の二つ重ねを着、虎膚天鵞絨とらふびろうどの羽織に、紫の野良帽子やろうをいただいた風情ふぜいは、さながら女の如くなまめかしい、この二人を囲んで、一座の道化方、くゎしゃ方、若衆方などの人々が、それぞれ華美な風俗の限を尽して居並んでいた。その中に、只一人千筋の羽織を着た質素な風俗をした二十五六の男は、万太夫座の若太夫であった。彼は、先刻から酒席の間を、彼方此方あっちこっちと廻って、酒宴の興を取持っていたが、ようや酩酊めいていしたらしい顔に満面の微笑をたたえながら、藤十郎の前に改めてかしこまると、恐る恐る酒盃さかずきを前に出した。
「さあ、もう一つお受け下されませ。今度の弥生狂言は、近松様の趣向で、歌舞伎始まっての珍らしい狂言じゃと、都の中はただこの噂ばかりじゃげにござります。傾城買の所作しょさは日本無双と云われた御身様おみさまじゃが、道ならぬ恋のいきかたは、又格別の御思案がござりましょうなハハハハ」と、巧な追従ついしょう笑いに語尾を濁した。と、藤十郎と居並んでいる切波千寿は、急に美しい微笑をもらしながら、
「ホンに若太夫殿の云う通じゃ。藤十郎様には、その辺の御思案が、もうちゃんと付いているはずじゃ。われなどは、ただ藤十郎様にあやつられて傀儡くぐつのように動けばよいのじゃ」と、合槌あいづちを打った。
 藤十郎は、若太夫の差した酒盃を、受け取りはしたものの、彼の言葉にも、千寿の言葉にも、一言も返しをしなかった。彼は、酒の味が、急に苦くなったように、心持顔をしかめながら、グット一気にその酒盃を飲みしたばかりであった。
 彼は、今宵こよいの酒宴が、始まって以来、何気ない風に酒盃を重ねてはいたものの、心のうちには、可なり烈しい芸術的な苦悶くもんが、渦巻いているのであった。
 彼が、近松門左衛門に、急飛脚を飛ばして、割なく頼んだことは、即座にかなえられたのであった。今までの傾城買とは、裏と表のように、打ち変った狂言として、門左衛門が藤十郎に書与えた狂言は、浮ついた陽気なたわいもない傾城買の濡事とは違うて、命をしての色事であった。打ち沈んだ陰気な、懸命な命を捨ててする濡事であった。芸題は『大経師だいきょうじ昔暦むかしごよみ』と云って、京の人々の、記憶にはまだ新しい室町むろまち通の大経師の女房おさんが、手代てだい茂右衛門もえもんと不義をして、粟田口あわたぐちに刑死するまでの、のろわれた命懸けの恋の狂言であった。
 藤十郎の芸に取って、其処そこに新しい世界が開かれた。がそれと同時に、前代未聞みもんの狂言に対する不安と焦慮とは、自信の強い彼の心にもきざさない訳には行かなかった。

        五

 藤十郎の心に、そうした屈託があろうとは、夢にも気付かない若太夫は、芝居国の国王たる藤十郎の機嫌きげんを、如何いかにもして取結ぼうと思ったらしく、
「この狂言に比べましては、七三郎殿の『浅間ヶ嶽』の狂言もわらべたらしのように、曲ものう見えまするわ。前代未聞の密夫みそかおの狂言とは、さすがに門左衛門様の御趣向じゃ。それに付けましても、坂田様にはこうした変った恋のお覚えもござりましょうなハハハハ」と、時にとっての座興のように高々と笑った。
 今まで、おし黙っていた藤十郎の堅いくちびるが、ほころびたかと思うと、「左様な事、何のあってよいものか」と、苦りきって吐き出すように云った。「藤十郎は、生れながらの色好みじゃが、まだ人の女房と念頃ねんごろした覚えはござらぬわ」と、冷めたい苦笑をもらしながら付け加えた。若太夫は、座興のつもりで云った諧謔たわむれを、真向まっこうから突き飛ばされて、興ざめ顔に黙ってしまった。
 傍に坐っていた切波千寿は、一座が白けるのを恐れたのであろう。取做とりなし顔に、微笑を含みながら、
「ほんに、坂田様の云われる通じゃ。この千寿とても、主ある女房と、念ごろした事はないわいな」と、云いながら女のように美しい口をおおうた。
 が、藤十郎は、前よりも一際ひときわ、苦りきったままであった。彼は今心の裡で、わずか三日の後に迫った初日を控えて、芸の苦心に肝胆を砕いていたのである。彼に取って、其処そこに可なり危険な試金石がよこたわっている。『あれ見よ、密夫の狂言とは、名ばかりで相も変らぬ藤十郎じゃ』と、云われては、自分の芸は永久にすたれるのだと、彼は心の裡に、覚悟のほぞを堅めていた。ただ、相手の傾城が、人妻に変ったばかりで、昔ながらの藤十郎だとは、夢にも云わせてはならないと、心の裡に思い定めていた。
 が、それかと云って、藤十郎は、自分で口に出して云った通、道ならぬ恋をした覚はさらさらなかったのである。元より、歌舞伎役者の常として、色子いろことして舞台を踏んだ十二三の頃から、数多くの色々の色情生活をけみしている。四十を越えた今日までには幾十人の女を知ったか分らない。彼の姿絵を、床の下に敷きながら、こがれ死んだ娘や、彼に対する恋のかなわぬ悲しみから、清水きよみずの舞台から身を投げた女さえない事はない。が、こうした生活にもかかわらず、天性律義りちぎな藤十郎は、若い時から、不義非道な色事には、一指をだに染めることをしなかった。そうした誘惑に接するごとに、彼は猛然として、これと戦って来ている。彼が、役者にも似合わず『藤十郎殿は、物堅い御仁じゃ』と、云われて、芝居国の長者として、周囲から、尊敬されているのも、一つにはこうした訳からでもあった。
 従って、彼は、過去の経験から、人妻を盗むような必死な、空恐ろしい、それと同時に身を焼くようにはげしい恋に近い場合を、色々と尋ねてみたが、彼のどの恋もどの恋も極めて正当な、物柔かな恋であって、冬の海のように恐ろしい恋や、夏の太陽のような烈しい恋の場合は、どう考えても頭に浮んでは来なかった。

        六

 傾城買けいせいかい経緯いきさつなれば、どんなに微妙にでも、演じ得ると云う自信を持った藤十郎も、人妻とののろわれた悪魔的な、道ならぬしかし懸命な必死の恋を、舞台の上にどう演活しいかしてよいかは、ほとほと思案の及ばぬところであった。これまでの歌舞伎狂言と云えば、傾城買のたわいもない戯れか、でなければ物真似ものまねの道化に尽きていた為に、こうした密夫みそかおの狂言などに、たのまれるような前代の名優の仕残した型などは、微塵みじんも残っていなかった。それかと云って、彼はこうした場合に、打ち明けて智慧ちえを借るべき、相談相手を持っていなかった。彼の茂右衛門に、おさんを勤める切波千寿は、天性の美貌びぼう一つが、彼の舞台のすべてであった。ただ、藤十郎の指図のままに、傀儡のごとく動くのが、彼の演伎えんぎの凡てであったのだ。
 藤十郎は、自分自身の肝脳あたましぼるより外には、工夫の仕方もなかったのである。
 藤十郎の不機嫌の背後に、そうした根本的な屈託が、潜んでいるとは気のつかない一座の人々は、白け始めようとする酒宴の座を、どうかして引き立たせようと、思ったのだろう、五十に手の届きそうな道化方の老優は、そばに坐っていた二十を出たばかりの、野良帽子やろうを着た美しい若衆方を促し立てながら、おどけた連舞つれまいを舞い始めた。
 藤十郎は、二人の舞を振向きもしないで、日頃には似ず、大杯を重ねて四度ばかり、したたかに飲み乾すと、にわかに発して来た酔に、座にはえられぬように、つと席を立ちながら、河原に臨んだ広い縁に出た。
 河原のやみの底を流れる川水が、ほのかな光を放っている外は、晦日みそかに近い夜の空は曇って、星一つさえ見えなかった。声ばかり飛び交うているかのように、闇のなかに千鳥が、ちちと鳴きしきっていた。
 歌舞伎の長者として、王者のように誇を、持っていた藤十郎の心も、蹴合けあわせに負けたとりのように悄気しょげきってしまっていた。彼が、座を立った為に、上からの圧迫の取れたように、急にはずみかけた酒宴の席のさわがしいどよめきを、あとにしながら、彼は知らず知らず静寂な場所を求めて、勝手を知った宗清の部屋々々を通り抜けながら、奥の離座敷を志した。
 母屋おもやからは一段と、河原の中に突出ている離座敷には、人の気勢けはいもなかった。ただほんのりとともっている、絹行燈きぬあんどんの光の裡に、美しい調度などが、春の夜にふさわしいなまめいた静けさを保っていた。藤十郎は、人影の見えぬのを心の中によろこんだ。彼は、床の間に置いてあった脇息きょうそくを、取り下すと、それに右のひじもたせながら、身を横ざまに伸したのである。
 が、騒々しい酒宴の席から、身をのがれた欣びは、ぐ消えてしまって、芸の苦心が再びひしひしと胸に迫って来る。明日からは稽古けいこが始まる。肝腎要かんじんかなめの茂右衛門の行き方が、きまらいでは相手のおさんも、その他の人々もどう動いてよいか、思案の仕様もないことになる。おのが工夫がまずうては、近松門左が心を砕いた前代未聞の狂言も、あたら京童の笑い草にならぬとも限らない。こう思いながら、藤十郎は胸の中に渦巻いている、もどかしさを抑えながら、一途いちずに心をその方へ振り向けようとあせった。
 その時である。母屋の方から、とんとんと離座敷を指して来る人の足音が、聞えて来た。

        七

 折角、さわがしい酒席をのがれて、求め得た静かな場所で、芸の苦心を凝らそうと思っていた藤十郎は、自分の方へ近づいて来る人の足音を聞いて、心持まゆしかめぬ訳には行かなかった。
 が、近づいて来る足音の主は、此処ここに藤十郎が居ようなどとは、夢にも気付かないらしく、足早に長い廊下を通り抜けて、この部屋に近づくままに、女性らしいきぬずれの音をさせたかと思うと、会釈もなく部屋の障子を押し開いた。が、其処そこに横たわっていた藤十郎の姿を見ると、吃驚びっくりして敷居際しきいぎわに立ちすくんでしまった。
「あれ、とう様はここにおわしたのか。これはこれはいかい粗相を」と、云いながら、女は直ぐ障子を閉ざして、去ろうとしたが、又立ち直って、「ほんに、このように冷える処で、そうして御座って、御風邪かぜなど召すとわるい。どれ、私が夜のものをかけて進ぜましょう」と、云いながら、部屋の片隅かたすみの押入から、夜具を取り下ろそうとしている。
 藤十郎は、最初足音を聞いた時、召使の者であろうと思ったので、彼は寝そべったまま、起き直ろうとはしなかった。が、それが意外にも、宗清の主人宗山清兵衛むねやませいべえの女房おかじであると知ると、彼は起き上って、一寸ちょっと居ずまいを正しながら、
「いやこれは、いかい御雑作じゃのう」と、会釈をした。
 お梶は、もう四十に近かったが、宮川町の歌妓うたいめとして、若い頃に嬌名きょうめいうたわれた面影が、そっくりと白い細面の顔に、ありありと残っている。浅黄絖あさぎぬめひきかえしに折びろうどの帯をしめ、薄色の絹足袋きぬたびをはいた年増としま姿は、又なくえんに美しかった。藤十郎は、昔から、お梶を知っている。若衆方の随一の美形と云われた藤十郎が美しいか、歌妓のお梶が美しいかと云う物争いは、二十年の昔には、四条の茶屋に遊ぶ大尽達の口に上った事さえある。その頃からの馴染なじみである。が、藤十郎は、今までに、お梶の姿を心にとめて、見たこともない。ただ路傍の花に対するような、淡々たる一べつを与えていたに過ぎなかった。
 が、今宵こよいは、この人妻の姿が、云い知れぬ魅力をもって、ぐんぐんと彼の眼の中に、迫って来るのを覚えた。密夫みそかおと云う彼にとっては、いまだ踏んでみた事のない恋の領域の事を、この四五日、一心に思い詰めていた為だろう。今までは余り彼の念頭になかった人妻と云う女性の特別な種類が、彼の心に不思議な魅力を持ち始めて、今お梶の姿となって、ぐんぐん迫って来るように覚えた。
 藤十郎のお梶を見詰めるひとみが、異常な興奮で、燃え始めたのは無論である。人妻であると云う道徳的なしがらみ取払とりはらわれて、その古木がかえって、彼の慾情をつちかう、薪木たきぎとして投ぜられたようである。彼は、娘や後家や歌妓や遊女などに、相対した時には、かつふついだいた事のないような、不思議な物狂わしい情熱が、彼の心と身体とを、沸々燃やし始めたのである。

        八

 藤十郎の心にそうした、物狂わしい※(「風にょう+炎」、第4水準2-92-35)ひょうふうが起っていようとは、夢にも気付かないらしいおかじは押入れから白絖しろぬめ夜着よぎを取出すと、藤十郎の背後に廻りながら、ふうわりと着せかけた。
 白鳥の胸毛か何かのように、暖い柔かい、夜着の感触を身体一面にあじわった時、藤十郎のお梶に対する異常な興奮は、危く爆発しようとした。が、彼の律義りちぎな人格は、咄嗟とっさに彼の慾情の妄動もうどうをきっぱりと、制し得たのである。藤十郎は、宗山清兵衛の事を考えた。また、貞淑と云ううわさの高いお梶の事を考えた。そして自分が、今まで色事をしながらも、正しい道を踏みはずさなかったと云う自分自身の誇を考えた。彼のお梶に対して懐いたあらしのような激動は、たちまぎ始めたのである。
 お梶は、平素いつもの通のお梶であった。彼女は夜着を着せてしまうと「さあ、お休みなされませ。彼方あちらへ行ったら女どもに、水など運ばせましょうわいな」と、愛想笑いを残して足早に部屋を出ようとした。その刹那せつなである。藤十郎の心にある悪魔的な思付がムラムラといて来た。それは恋ではなかった。それははげしい慾情ではなかった。それは、恐ろしいほど冷めたい理性の思付であった。恋の場合には可なり臆病おくびょうであった藤十郎は、あたかも別人のように、先刻の興奮は、丸きり嘘であったかのように、冷静に、
「お梶どの、ちと待たせられい」と、呼び止めた。
「何ぞ、外に御用があってか」と、お梶は無邪気に、振り返った。り落とした眉毛まゆげの後が青々と浮んで見える色白の美顔は、絹行燈きぬあんどん灯影ほかげを浴びて、ほんのりとなまめかしかった。
「ちと、御意を得たいことがある程に、坐ってたもらぬか」こう云いながら、藤十郎は、心持ち女の方へひざをすすませた。
 お梶は、藤十郎の息込み方に、少し不安を、感じたのであろう。藤十郎には、余り近寄らないで、其処に置いてある絹行燈の蔭に、うずくまるように坐った。
「改まって何の用ぞいのうおほほほ」と、何気なく笑いながらも、やや面映おもはゆげに藤十郎の顔を打ち仰いだ。藤十郎の声音こわねは、今までとは打って変って、低いけれども、しかしながら力強い響を持っていた。
「お梶どの。別儀ではござらぬが、この藤十郎は、そなたに二十年来隠していた事がある。それを今宵は是非にも、聴いてもらいたいのじゃ。思い出せば、古いことじゃが、そなたが十六で、われらが二十はたちの秋じゃったが、祇園祭ぎおんまつりの折に、河原の掛小屋で二人一緒に、連舞つれまいを舞うたことを、よもや忘れはしやるまいなあ。われらが、そなたを見たのは、あの時が初めてじゃ。宮川町のお梶どのと云えば、いかに美しい若女形わかおやまでも、足下にも及ぶまいと、兼々かねがね人のうわさに聴いていたが、そなたの美しさがよもあれ程であろうとは、夢にも思い及ばなかったのじゃ」と、こう云いながら、藤十郎はその大きい眼を半眼に閉じながら、美しかった青春の夢を、うっとりと追うているような眼付をするのであった。

        九

「その時からじゃ。そなたを、世にもまれな美しい人じゃと、思い染めたのは」と、藤十郎は、お梶の方へ双膝もろひざを進ませながら、必死の色をひとみに浮べて、こう云いきった。
 藤十郎に呼び止められた時から、ある不安な期待に、胸をとどろかせていたお梶は最初はこの美しい男の口から、自分達のはなやかな青春の日の、想出話おもいでばなしを聴かされて、魅せられたように、ほのぼのと二つのほおを薄紅に染めていたが、相手の言葉が、急な転回を示してからは、その顔の色は刹那にあおざめて、蹲くまっている華奢きゃしゃ身体からだは、わなわなとおののき始めていた。
 藤十郎は、恋をする男とは、どうしても受取れぬ程の、澄んだ冷たい眼付で、顔さえもたげ得ぬ女を刺しとおす程に、鋭く見詰めていながら、声だけには、烈しい熱情にふるえているような響を持たせて、
「そなたを見染めた当座は、折があらば云い寄ろうと、始終念じてはいたものの、若衆方の身は親方のおきてきびしゅうて、寸時も心にはまかせぬ身体じゃ。ただ心は、焼くように思いこがれても、所詮しょせんおりを待つより外はないと、あきらめている内に、二十の声を聞くや聞かずに、そなたは清兵衛殿の思われ人となってしまわれた。その折のわれらが無念は、今思い出しても、この胸が張り裂くるようでおじゃるわ」こう云いながら、藤十郎は座にもええぬような、巧みな身悶みもだえをして見せたが、そうした恋を語りながらも、彼の二つの眸だけは、相変らず爛々らんらんたる冷たい光を放って、女の息づかいから容子ようすまでを、恐ろしきまでに見詰めている。
 お梶の顔の色は、彼女の心の恐ろしい激動をさながらに、映し出していた。一旦蒼ざめきってしまった色が、反動的に段々薄赤くなると共に、その二つの眼には、熱病患者に見るような、すぐにも火がきそうなすさまじい色をたたえ始めた。
「人妻になったそなたを恋い慕うのは人間のする事ではないと、心できつう制統しても、止まらぬは凡夫の想じゃ。そなたのうわさを聴くにつけ、面影を見るにつけ、二十年のその間、そなたの事を忘れた日は、ただ一日もおじゃらぬわ」彼は、一語一語に、一句一句に巧な、今までの彼の舞台上のすべての演戯にも、打ちまさった程の仕打を見せながら、しかも人妻をかき口説く、恐怖おそれと不安とを交えながら、小鳥のようにすくんでいる女の方へ、詰め寄せるのであった。
「が、この藤十郎も、人妻に恋をしかけるような非道な事は、なすまじいと、明暮燃えさかる心をじっと抑えて来たのじゃが、われらも今年四十五じゃ、人間の定命じょうみょうはもう近い。これ程の恋を――二十年来しのびに偲んだこれ程の想を、この世で一言も打ち明けいで、何時いつの世誰にか語るべきと、思うに付けても、物狂わしゅうなるまでに、心がみだれ申して、かくの有様じゃ。のう、お梶どの、藤十郎をあわれと思召おぼしめさば、たった一言情ある言葉を、なあ……」と、藤十郎は狂うばかりに身悶えしながら、女の近くへ身をすり寄せている。ただ恋に狂うているはずの、彼のひとみばかりは、やいばのように澄みきっていた。
 余りの激動にえかねたのであろう、お梶は、
「わっ」と、泣きしてしまった。

        一〇

 恐ろしい魔女が、その魅力の犠牲者を、見詰めるように、藤十郎は泣き俯したお梶を、じっと見詰めていた。彼のくちびるの辺には、すさまじい程の冷たい表情が浮んでいた。が、それにもかかわらず、声と動作とは、恋に狂うた男にふさわしい熱情を、持っている。
「のう、お梶どの。そなたは、この藤十郎の恋を、あわれとはおぼさぬか。二十年来、え忍んで来た恋を、あわれとは思さぬか。さても、きついお人じゃのう」こう云いながら、藤十郎は、相手の返事を待った。が、女はよよと、すすり泣いているばかりであった。
 を慕って来た千鳥だろう。銀のはさみを使うような澄んだ声が、瀬音にも紛れず、手に取るように聞えて来る。女も藤十郎も、おし黙ったまま、しばらくは時刻ときが移った。
「藤十郎の切ない恋を、つれなくするとは、さても気強いお人じゃのう、舞台の上の色事では日本無双の藤十郎も、そなたにかかっては、たわいものう振られ申したわ」と藤十郎は、さびしげな苦笑をもらした。
 と、今まで泣き俯していた女は、ふとおもてを上げた。
「藤様、今おっしゃった事は、皆本心かいな」
 女の声は、消え入るようであった。その唇がかすかに痙攣けいれんした。
「何の、てんごうを云うてなるものか、人妻に云い寄るからは、命を投げ出しての恋じゃ」と、いうかと思うと、藤十郎の顔も、さっと蒼白そうはくに変じてしまった。浮腰になっている彼のひざが、かすかにふるいを帯び始めた。
 必死の覚悟を定めたらしいお梶は、火のような瞳で、男の顔を一目見ると、いきなり傍の絹行燈の灯を、フッと吹き消してしまった。
 恐ろしい沈黙が、其処そこにあった。
 お梶は、身体中の毛髪がことごと逆立さかだつような恐ろしさと、身体中の血潮が悉くき立つような情熱とで、男の近寄るのを待っていた。が、男の苦しそうな息遣いきづかいが、聞えるばかりで、相手は身動きもしないようであった。お梶も居竦んだまま、身体をわなわなと顫わせているばかりであった。
 突如、藤十郎の立ち上る気勢けはいがした。お梶は、今こそと覚悟を定めていた。が、男はお梶の傍を、影のようにすりぬけると、灯のないやみを、手探りに廊下へ出たかと思うと、母屋の灯影を目的めあてけもののように、足速く走り去ってしまったのである。
        ×
 闇の中に取残されたお梶は、人間の女性が受けた最も皮肉な残酷なはずかしめを受けて、闇の中に石のように、突立っていた。
 悪戯いたずらとしては、命取りの悪戯であった。侮辱としては、この世に二つとはあるまじい侮辱であった。が、お梶は、藤十郎からこれ程の悪戯や侮辱を受くる理由いわれを、どうしても考え出せないのに苦しんだ。それと共に、この恐ろしい誘惑の為に、自分の操を捨てようとした――否、ほとんど捨ててしまった罪の恐ろしさに、彼女ははらわたをずたずたに切られるようであった。

        一一

 酒宴の席に帰った藤十郎は、人間のかおとは思えないほどの、すさまじい顔をしていた。が、彼は、勧められるままに大盃を五つ六つばかり飲みすと、血走った眼に、切波千寿きりなみせんじゅの方を向きながら、
「千寿どの安堵あんどめされい。藤十郎、このたびの狂言の工夫が悉く成り申したわ」と云いながら、声高こわだかに笑って見せた。が、その声は、地獄の亡者もうじゃの笑い声のようにしわがれたからっぽな、気味の悪い声であった。
        ×
 弥生やよい朔日ついたちから、万太夫座では愈々いよいよ近松門左が書き下しの狂言のふたが開かれた。藤十郎の茂右衛門と切波千寿のおさんとの密夫みそかおの狂言は、恐ろしきまで真に迫って、洛中らくちゅう洛外の評判かまびすしく、正月から打ち続けて勝ち誇っていた山下座の中村七三郎の評判も、月の前の螢火ほたるびのように、見る影もなく消されてしまった。
 が、この興行の評判に連れて、京童きょうわらべの口にこうした※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)そうわが伝えられた。それは、『藤十郎殿は、この度の狂言の工夫には、ある茶屋の女房に偽って恋をしかけ、女がなびいて灯を吹き消す時、急いでのがれたとの事じゃが、さすがは三国一の名人の心掛だけある』と云ううわさであった。
『偽にもせよ、藤十郎殿から恋をしかけられた女房も、三国一の果報者じゃ』と、なまめいた京の女達は、こう云い添えた。
 こうした噂までが、いやが上に、この狂言の人気をそそった。
 来る日も、来る日も、うしおのような見物が明け方から万太夫座の周囲に渦を巻いていた。
 弥生の半ばであったろう。或朝、万太夫座の道具方が、楽屋の片隅かたすみはりに、くびれて死んだ中年の女を見出みいだした。それは、紛れもなく宗清むねせいの女房お梶であった。お梶は、宗清とは屋続きの万太夫座に忍び入って、其処を最期の死場所と定めたのである。その死因についても、京童は色々に、口性くちさがない噂を立てた。が誰人たれも藤十郎の偽りの恋の相手が、貞淑の聞え高いお梶だとは思いも及ばなかった。
 ただ、お梶の死を聴いた藤十郎は、雷に打たれたように色をえた。が彼は心のうちで、
『藤十郎の芸の為には、一人や二人の女の命は』と、幾度も力強く繰り返した。が、そう繰り返してみたものの、彼の心に出来た目に見えぬ深手は、折にふれ、時にふれ彼をさいなまずにはいなかった。
 お梶が、楽屋で縊れた事までが、万太夫座の人気をつちかった。
 お梶が、死んで以来、藤十郎の茂右衛門の芸は、愈々えて行った。彼のひとみは、人妻を奪う罪深い男の苦悩を、ありありと刻んでいた。彼がおさんと暗闇で手を引き合う時、密夫の恐怖と不安と、罪のおそろしさとが、身体一杯にあふれていた。
 其処には、藤十郎が茂右衛門か、茂右衛門が藤十郎か、何の差別もないようであった。恐らく藤十郎自身、人の女房に云い寄る恐ろしさを、肝に銘じていた為であろう。





底本:「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」新潮文庫、新潮社
   1970(昭和45)年3月25日初版発行
   1990(平成2)年1月15日第34刷
初出:「大阪毎日新聞」
   1919(大正8)年4月
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年8月28日作成
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