一
「今日
国老の
で、仕方がないというよりも、
越前少将忠直卿は、二十一になったばかりの大将であった。父の
生れたままの、自分の意志――というよりも我意を、高山の頂に生いたった杉の木のように
「御所様から、大坂表へ御出陣あるよう御懇篤な御依頼の書状が到着いたしました」と、言上した。家老たちは、今までにその幼主の意志を絶対のものにする癖がついていた。
それが、今日は家康の叱責を是非とも忠直卿の耳に入れねばならない。生れて以来、叱られるなどという感情を夢にも経験したことのない主君に対して、大御所の激しい叱責がどんな効果を及ぼすかを、彼らは
彼らが帰って来たと聞くと、忠直卿はすぐ彼らを呼び出した。
「お祖父様は何と仰せられた。定めし、所労のお言葉をでも賜わったであろう」と、忠直卿は機嫌よく微笑をさえ含んできいた。そうきかれると、家老たちは今さらの如く狼狽した。が、ようやく覚悟の
「いかいお思召し違いにござります。大御所様には、今日越前勢が合戦の手に合わざったを、お怨みにござります」といったまま、色をかえて
人から非難され叱責されるという感情を、少しも経験したことのない忠直卿は、その感情に対してなんらの抵抗力も節制力も持っていなかった。
「えい! 何という
「見い! この長光で
家老たちも、御父君秀康卿以来の
大坂の落城は、もう時間の問題であった。後藤又兵衛、木村
将軍秀忠は、この日
家康は
「今日は御具足を召さるべきに」というと、家康は例のわるがしこそうな微笑を洩しながら、
「大坂の小伜を討つに、具足は不用じゃわ」といって、
本多
見ると、岡山口から天王寺口にかけて、十五万に余る惣軍は、旗差物を初夏の風に翻し、兜の前立物を日に輝かし、隊伍を整え陣を堅めて、攻撃の令の下るのを今や遅しと待っていた。
が、攻撃の令は容易に下らないのみか、御所の使番が三騎、白馬を飛ばして、諸陣の間を駆け回りながら、
「
家康も、今日を最後の手合せと見て、愛子の義直、頼宣の二卿に兜首の一つでも取らせてやりたいという心があったのだろう。が、この布令をきいた気早の
「はや
「方々、合戦をとりかくべからず、しずかに重ねての令を待つべし」とふれ渡った。
しかし、昨夜の興奮を持ち続けて、ほとんど不眠の有様で、今日の手合せを待っていたわが越前少将忠直卿は、かかる布令を聞かばこそ、家老
この時初めて、将軍から、
「城兵は
が、忠直卿は軍令の出ずるのを待ってはいなかった。本多忠朝の先手が、二、三発敵にさぐりの鉄砲を放つと、等しく越前勢たちまち七、八百挺の鉄砲を一度に打ち掛け、立ち籠めた煙の中を潜って、十六段の軍勢林の動くがごとく、一同茶臼山に打ってかかった。
青屋口から茶臼山にかけての軍勢は、真田
ことに越前勢は目に余る大軍なり、大将忠直卿は今日を必死の覚悟と見えて、馬上に軍配を捨てて大身の槍をしごきながら、家臣の止むるをきかず、先へ先へと馬を進められた。
大将がこの有様であるから、軍兵ことごとく奮い立って、火水になれと戦ったから、越前勢の向うところ、敵勢草木のごとく
敵の首を取る三千六百五十二級、この日の功名忠直卿の右に出ずるはなかった。
忠直卿は茶臼山に駒を立てていたが、越前勢の旗差物が潮のように濠を塞ぎ、
先手の者が馳せ帰って、
「青木新兵衛大坂城の一番乗り仕って候」と注進に及ぶと、忠直卿は相好を崩されながら、
「新兵衛の武功第一じゃ――五千石の加増じゃと早々伝えよ」と、勇み立とうとする乗馬を、乗り静めながら狂気のごとくに叫んだ。
武将として何という光栄であろう。寄手をあれほどに駆け悩ました左衛門尉の首を挙ぐるさえあるに、諸家の軍勢に先だって一番乗りの大功をわが軍中に収むるとは、何という光栄であろうと、忠直卿は思った。
忠直卿は家臣らの奇跡のような働きを思うと、それがすべて自分の力、自分の意志の反映であるように思われた。昨日祖父の家康によって彼の自尊心に蒙らされた傷が、拭い去られたごとく消失したばかりでなく、忠直卿の自尊心は前よりも、数倍の強さと激しさを加えた。
大坂城の寄手に加わっている百に近い大名のうち、功名自分に及ぶ者は一人もないと思うと、忠直卿は自分の身体が輝くかと思うばかりに、豊満な心持になっていた。が、それも決して無理ではない。
「お祖父様は、この忠直を見損のうておわしたのじゃ。御本陣に見参してなんと仰せられるかきこう」と、思いつくと、忠直卿は岡山口へ本陣を進めていた家康の
家康は
「
一本気な忠直卿は、こう褒められると涙が出るほど嬉しかった。彼は同じ人から昨日叱責された恨みなどは、もう微塵も残っていなかった。
彼はその夜、自分の陣所へ帰って来ると、家臣をあつめて大酒宴を催した。自分が何よりも強く、
彼は大坂城がまったく暮れてしまった空に、まだところどころ真紅に燃え盛っているのを見ながら、それを今日の自分の大功の表章として享楽しながら、しきりに大杯を重ねるのであった。
得意な上ずった感情のほかには、忠直卿の心には何物も残っていなかった。
越えて翌月の五日に城攻めに加わった諸侯が、京の二条城に群参した時に、家康は忠直卿の手を取りながら、
「御身が父、秀康世にありしほどは、よく我に忠孝を尽くしてくれたるわ、汝はまたこのたび諸軍に優れし軍忠を現したること、満足の至りじゃ。これによって感状を授けんと思えど、家門の中なればそれにも及ぶまい。わが本統のあらん限り、越前の家また磐石のごとく安泰じゃ」といいながら、秘蔵の
こうして、周囲の者に対する彼の優越感情は年と共に培われて来た。そして、自分は家臣共からはまったく
が、忠直卿の心には、家中の人間の誰よりも立ち勝っているという確信はあるものの、今度大坂に出陣して以来は、功名を競う相手は、自分と同格な諸大名であるので、もしや自分が彼らの
忠直卿は初花の茶入と、日本樊という美称とを、自分が何人よりも秀れたる人間であるという証券として心のうちに銘じた。
晴々とした心持であった。そこに並んでいる大名小名百二十名は、ことごとく忠直卿に賛美の瞳を向けているように思われた。
彼は今まで自分の臣下の何人よりも、自分が優秀な人間であることを誇りとしていた。が、比べている相手はことごとく自分の臣下であることが物足らなかった。然るに、今は天下の諸侯の何人よりも真っ先に、大御所から手を取って歓待を受けている。
自分には伯父に当る義直卿も頼宣卿も、何の功名をも挙げていない。まして同じく伯父に当る越後侍従
こう考えると、忠直卿は家康の過ぐる日の叱責によって、一旦傷つけられようとした他人に対する優越感が、見事に回復されたばかりでなく、一旦傷つけられただけにその反動として、回復されたそれは以前のものよりも、もっと輝かしい力強いものであった。
こうして越前少将忠直卿は、天下第一人といったような誇りを持しながら、その年八月、都を辞して揚々とした心持で、居城越前の福井へ下った。
二
越前北の庄の城の大広間に、いま銀燭は
忠直卿は国に就かれて以来、昼間は家中の若武士を集めて弓馬槍剣といったような武術の大仕合を催し、夜は彼らをそのままに引き止めて、一大無礼講の酒宴を開くのを常とした。
忠直卿は、祖父の家康から日本
今も、忠直卿を上座として、一段下った広間に大きい円形を描いている若武士は、数多い家中の若者の中から選ばれた武芸の達者であった。まだ前髪のある少年も打ち交じっていたが、いずれも筋骨逞しく、溌剌たる瞳を持っている。
が、城主の忠直卿の風貌は、彼らよりも一段秀れて颯爽たるものであった。やや肉落ちて
忠直卿は、今微酔の回りかけている目を開いて、一座をずうっと見回された。
そこに居並んでいる百に余る成年は、皆自分の意志によっては、水火をも辞さない人々であることを思うと、彼は心の内からこみ上げて来る、権力者に特有な誇りを感ぜずにはいなかった。
が、彼の今宵の誇りはそれだけには止まっていなかった。彼は武士としての実力においても、ここに集っているすべての青年に打ち勝ったということが、彼の誇りを二重のものにしてしまった。
彼は今日もまた、家臣を集めて槍術の大仕合を催した。それは家中から槍術に秀れた青年を集めて、それを二組に分けた紅白の大仕合であった。
そして、彼自ら紅軍に大将として出場したのである。仕合の形勢は、始終紅軍の方が不利であった。出る者も、出る者も、敵のためにばたばたと倒されて、紅軍の副将が倒れた時には、白軍にはなお五人の不戦者があった。
その時に、紅軍の大将たる忠直卿は、自ら三間柄の大身の槍をりゅうりゅうと
「殿のお勢いも、左太夫にはちと難しかろう」という囁きが、いずこともなく起こった。が、激しく七、八合槍を合わせたかと見ると、左太夫は、したたかに腰の辺を一突き突かれて、よろめく所をつけ入った忠直卿のために、再び真正面から胸の急所を突かれていた。見物席にいた家中一統は、思う存分に喝采した。忠直卿は、やや息のはずまれるのを制しながら、静かに相手の大将の出るのを待った。心のうちは、いつものように得意の絶頂であった。
白軍の大将は
「参りました」と、平伏してしまった。
見物席の人々は、北の庄の城の崩るるばかりに喝采した。忠直卿は得意の絶頂にあった。上席に帰ると、彼は声を揚げて、
「皆の者大儀じゃ。いでこれから慰労の酒宴を開くといたそうぞ」と、叫んだのであった。
彼は近頃にない上機嫌であった。酒宴の進むにつれ、寵臣は代る代る彼の前に進んだ。
「殿! 大坂陣で
が、忠直卿もいたく酔ってしまった。一座を見ると、正体もなく酔い潰れている者が大分多くなっている。管をまく者もある、小声で
忠直卿はふと奥殿に
「皆の者許せ!」といい捨てたまま座を立った。さすがに酔い潰れた者も、居住いを正して平伏した。今まで眠りかけていた小姓たちは、はっと目をさまして主君の後を追った。
忠直卿が、奥殿へ続く長廊下へ出ると、冷たい初秋の風が頬に快かった。見ると、外は十日ばかりの薄月夜で、萩の花がほの白く咲きこぼれている辺から、虫の声さえ聞えて来る。
忠直卿は、庭へ下りてみたくなった。奥殿からの迎いの侍女たちを帰して、小姓を一人連れたまま、庭に下り立った。庭の面には、夜露がしっとりと降りている。微かな月光が、城下の街を
忠直卿は、久し振りにこうした静寂の境に身を置くことを
忠直卿は萩の中の小道を伝い、泉水の縁を回って小高い丘に在る
すると、ふと人声が聞える。今まで寂然として、虫の声のみが淋しかった所に人声が聞え出した。声の様子でみると、二人の人間が話しながら、四阿の方へ近よってくるらしい。
忠直脚は、今自分が享受している静寂な心持が、不意の侵入者によって掻き乱されるのが厭であった。
しかし、小姓をして、近寄って来る人間を追わしむるほど、今宵の彼の心は
忠直卿は、その二人が誰であるか、見極めようとは思っていなかった。が、二人の声がだんだん近づいて来ると、それが誰と誰とであるかが自然と分かって来た。やや潰れたような声の方は、今日の大仕合に白軍の大将を務めた小野田右近である。甲高い上ずった声の方は、今日忠直卿に一気に突き伏せられた白軍の副大将、大島左太夫である。二人はさっきから、なんでも今日の紅白仕合について話しているらしい。
忠直卿は、大名として生れて初めて、立聞きをするという不思議な興味を覚えて、思わず注意を、その方へ集中させた。
二人は、四阿からは三間とは離れない泉水の
「時に、殿のお腕前をどう思う?」と、きいた。右近が、苦笑をしたらしい気配がした。
「殿のお噂か! 聞えたら切腹物じゃのう」
「陰では
「さればじゃのう! いかい御上達じゃ」といったまま、右近は言葉を切った。忠直卿は、初めて臣下の偽らざる賞賛を聞いたように覚えた。が、右近はもっと言葉を続けた。
「以前ほど、勝ちをお譲りいたすのに、骨が折れなくなったわ」
二人の若武士は、そこで顔を見合せて会心の苦笑をしたらしい気配がした。
右近の言葉を聞いた忠直卿の心の中に、そこに突如として感情の大渦巻が声を立てて流れはじめたは無論である。
忠直卿は、生れて初めて、土足をもって頭上から踏み
右近の一言によって、彼は今まで自分が立っておった人間として最高の脚台から、引きずり下ろされて地上へ投げ出されたような、名状し難い
それは、確かに激怒に近い感情であった。しかし、心の中で有り余った力が外にはみ出したような激怒とは、まったく違ったものであった。その激怒は、外面はさかんに燃え狂っているものの、中核のところには、癒しがたい淋しさの空虚が忽然と作られている激怒であった。彼は世の中が急に頼りなくなったような、今までのすべての生活、自分の持っていたすべての誇りが、ことごとく偽りの土台の上に立っていたことに気がついたような淋しさに、ひしひしと襲われていた。
彼は小姓の持っている
その上、主君として臣下から偽りの勝利を媚びられて得意になっていた自分が浅ましいと同時に、今両人を
忠直卿のそばに、さっきから置物のようにじっとして
小姓の小さい咳は、この場合はなはだ有効であった。右近と左太夫とは、付近に人がいるのを知ると、はっとしてその
二人はいい合わしたように、足早く大広間の方へと去ってしまった。
忠直卿の瞳は、怒りに燃えていた。が、その頬は凄まじいまでに蒼ざめている。
彼の少年時代からの感情生活は、右近の一言によって、物の見事に破産してしまっていた。彼が幼にして、遊戯をすれば近習の誰よりも巧みであったことや、
武術の方面においても、そうであった。剣を取っても、槍を取っても、たちまち相手をする若武士に打ち勝つほどの腕に瞬く間に上達した。彼は今まで自分を信じて来た。自分の実力を飽くまで信じて来た。今右近らの冒涜な陰口を耳にしても、それが彼らの負け惜しみであるとさえ、ともすれば思うほどである。
しかし、今日の右近の言葉は、その言葉が発せられた時と場合とを考えれば、決して冗談でもなければ嘘でもなかった。
自信にみちていた忠直卿の耳にも、正真の事実として聞えぬわけには行かなかった。
右近の言葉は、彼の
考えてみると、忠直卿は今日の華々しい勝利の中でも、どこまでが本当で、どこからが嘘だか分からなくなった。否、今日のみではない、生れて以来幾度も試みた遊戯や仕合で、自分が占めた数限りのない勝利や優越の中で、どれだけが本物でどれだけが嘘のものだか分からなくなった。そう考えると、彼は心の中を掻きむしられるような、激しい焦燥を感じた。彼とても、臣下のすべてから偽りの勝利を奪っているのではない。否、その中の多くの者には正当に勝っているのだ。それだのに右近や左太夫などの
が、そればかりではなかった。こうなると、つい三月ばかり前に、大坂の戦場に立てた偉勲さえ、なんだか怪しげな正体の分からぬもののように、忠直卿の心の中に思われた。彼が、今まで誇りとしていた日本樊という称呼さえ、なんだか人をばかにしたような、誇張を伴うているようにさえ思われ出した。家臣どもから、いい加減に扱われていた自分は、お祖父様からも手軽に操られているのではないかと思うと、忠直卿の瞳には、初めて不覚の涙が滲み始めた。
三
無礼講の酒宴にぐたぐたに酔ってしまった若武士たちは、九つのお
「各々方、静まられい! 殿の仰せらるるには、明日は犬追物のお催しがあるべきはずのところ、急に御変改があって、明日も、今日同様、槍術の大仕合いを催せらるる、時刻と番組とはすべて今日に変らぬとの仰せじゃ」と、双手を挙げて、大声に触れ回った。
若武士の中には「やれやれ明日もか」と思う者もあった。今日の勝利をもう一度繰返すのかと、
「毎日続こうとも結構じゃ。明日もまたお振舞酒に思い切り酔うことができる」と、勇み立った。
その翌日は、昨日と等しく、城中の兵法座敷が美しく掃き浄められて、紅白の
勝負は、昨日とほとんど同様な情勢で進展した。が、昨日の勝敗が皆の心にまざまざと残っているので、組合せの多くは一方にとっては雪辱戦であったから、掛け声は昨日にもまして激しかった。
紅軍は、昨日よりもさらに旗色が悪かった。大将の忠直卿が出られた時には、白軍には大将、副将をはじめ、六人の不戦者があった。
見物の家中の者どもが不思議に思うほど、忠直卿は興奮していた。タンポの付いた大身の槍を、熱に浮された男のようにみだりに打ち振った。最初の二人は腫れ物にでも触るように、
五人目に現れたのは、大島左太夫であった。彼は今日の忠直卿の常軌を逸したとも思われる振舞いについて、微かながら
「左太夫か!」と、忠直卿はある落ち着きを、示そうと努めたらしいが、その声は妙に上ずっていた。
「左太夫! 槍といい剣といい、正真の腕前は真槍真剣でなければ分からない! タンポの付いた稽古槍の仕合は、所詮は偽りの仕合じゃ。負けても傷が付かぬとなれば、仕儀によっては、負けても差支えがないわけとなる! 忠直は偽りの仕合にはもう飽いている。大坂表において手馴れた真槍をもって立ち向うほどに、そちも真槍をもって来い! 主と思うに及ばぬ。隙があらば遠慮いたさずに突け!」
忠直卿は上ずって、言葉の末が震えた。左太夫は色を変えた。左太夫の後に控えている小野田右近も、左太夫と同じく色を変えた。
が、見物席にいる家中の者は、忠直卿の心のうちを解するに苦しんだ。殿御狂気と
が、忠直卿が今日真槍を手にしたのは、左太夫、右近に対する消し難い憎しみから出たとはいえ、一つには自分の正真の腕前を知りたいという希望もあった。真槍で立ち向うならば、彼らも無下に負けはしまい、秘術を尽くして立ち向うに違いない。さすれば自分の真の力量も分かる。もしそのために、自分が手を負うことがあっても、偽りの勝利に狂喜しているよりも、どれほど気持がよいか知れぬと、心のうちで思った。
「それ! 真槍の用意いたせ」と、忠直卿が命ずると、かねて用意してあったのだろう、小姓が二人、各々一本の大身の槍を重たそうにもたげて、忠直卿主従の間に持ち出した。
「それ! 左太夫用意せい!」といいながら、忠直卿は手馴れた三間柄の長槍の穂鞘を払った。
槍鍛冶の名手、
今まで、じっとして主君忠直の振舞いを看過していた国老の本多土佐は、主君が鋒先を払われるや否や突如として忠直卿の御前に出でた。
「殿! お気が狂わせられたか。大切の御身をもって、みだりに
「爺か! 止めだて無用じゃ。今日の真槍の仕合は、忠直六十七万石の家国に
左太夫は、もう先刻から十分に覚悟をしていた。昨夜の立話が殿のお耳に入ったための御成敗かと思えば、彼にはなんとも文句のいいようはなかった。それは家来として当然受くべき成敗であった。それを、かかる真槍仕合にかこつけての成敗かと思えば、彼はそこに忠直卿の好意をさえ感ずるように思った。彼は主君の真槍に貫かれて潔く死にたいと思った。
「左太夫、いかにも真槍をもって、お相手をいたしまする」と、思い切っていった。見物席に左太夫の不遜に対する叱責の声が洩れた。忠直卿は苦笑した。
「それでこそ、忠直の家臣じゃ。主と思うな。隙があれば、遠慮いたさず突け!」
こういいながら、忠直卿は槍を
左太夫も、真槍の鞘を払い、
「御免!」と叫びながら主君に立ち向った。
一座の者は、凄まじい殺気に閉じられて、身の毛もよだち、息を詰めて、ただ茫然と主従の決闘を見守るばかりであった。
忠直卿は、自分の本当の力量を如実にさえ知ることができれば、思い残すことはないとさえ、思い込んでいた。従って国主という自覚もなく、相手が臣下であるという考えもなく、ただ勇気凜然として立ち向われた。
が、左太夫は、最初から覚悟をきめていた。三合ばかり槍を合すと、彼は忠直卿の槍を左の高股に受けて、どうと地響き打たせて、のけ様に倒れた。
見物席の人々は一斉に深い溜息を洩した。左太夫の傷ついた身体は、同僚の誰彼によってたちまち運び去られた。
が、忠直卿の心には、勝利の快感は少しもなかった。左太夫の負けが、昨日と同じく意識しての負けであることが、まざまざと分かったので、忠直卿の心は昨夜にもまして淋しかった。左太夫めは、命を賭してまで、偽りの勝利を主君にくらわせているのだと思うと、忠直卿の心の焦躁と淋しさと頼りなさは、さらに底深く植えつけられた。忠直卿は、自分の身を危険に置いても、臣下の身体を犠牲にしても、なお本当のことが知りがたい自分の身を恨んだ。
左太夫が倒れると、右近は少しも
忠直卿は、右近め、昨夜あのように、思いきった言葉を吐いた男であるから、必死の手向いをするに相違ないと、消えかかろうとする勇気を
が、この男も左太夫と同じく、自分の罪を深く心のうちに感じていた。そして、潔く主君の長槍に貫かれて、自分の罪を謝そうとしていた。
忠直卿は、五、六合立ち合っているうちに、相手の右近が、急所というべき胸の辺へ、幾度も隙を作るのを見た。この男も、自分の命を捨ててまで主君を
が、右近は一刻も早く主君の槍先に貫かれたいと思ったらしく、忠直卿が突き出す槍先に、故意に身を当てるようにして、右の肩口をぐさと貫かれてしまった。
忠直卿は、見事に昨夜の欝憤を晴らした。が、それは彼の心に、新しい淋しさを植えつけたに過ぎなかった。左太夫も右近も、自分の命を賭してまで、彼らの嘘を守ってしまったことである。
忠直卿は、その夜遅く、傷のまま自分の屋敷に運ばれた右近と左太夫との二人が、時刻を前後して腹を
忠直卿は、つくづく考えた。自分と彼らとの間には、虚偽の膜がかかっている。その膜を、その偽りの膜を彼らは必死になって支えているのだ。その偽りは、浮ついた偽りでなく、必死の懸命の偽りである。忠直卿は、今日真槍をもって、その偽りの膜を必死になって突き破ろうとしたのだが、その破れは、彼らの血によってたちまち修繕されてしまった。自分と家来との間には、依然としてその膜がかかっている。その膜の向うでは、人間が人間らしく本当に
四
真槍の仕合があって以来、殿の
しかし、君臣の間がこうして
「ずっと遠慮いたさず前へ出よ! さような礼儀には及ばぬぞ」といった。が、それは好意から出た注意というよりも、焦燥から出た叱責に近かった。侍臣は、主君の言葉によって、元の心安さに帰ろうとした。が、そうした意識を伴った心安さの奥には、ごつごつとした骨があった。
真槍の仕合以来、忠直卿は忘れたかのように、武術の稽古から身を遠ざけた。毎日日課のように続けていた武術仕合を中止したばかりでなく、木刀を取り、稽古槍を手にすることさえなくなった。
威張ってはいたが寛闊で、乱暴ではあったが無邪気な青年君主であった忠直卿は、ふっつりと木刀や半弓を手にしなくなった代りに、酒杯を手にする日が多くなった。少年時代から豪酒の素質を持ってはいたが、酒に淫することなどは、決してなかったのが、今では大杯をしきりに傾けて、乱酒の
ある夜の酒宴の席であった。忠直卿の機嫌がいつになく晴々しかった。すると、彼にとっては第一の寵臣である
「殿には、何故この頃兵法座敷には渡らされませぬか。先頃のお手柄にちと御慢心遊ばして、御怠慢とお見受け申しまする」といった。彼は、こういうことによって、主君に対する親しみを十分見せたつもりであった。
すると、思いがけもなく、忠直卿の顔は急に色を変じた。つと、そばにあった杯盤を、取るよりも早く、勘之介の面上を目がけて
忠直卿は、物をもいわず立ち上ると、そのまま奥殿へ入ってしまった。同僚の誰彼が駆け寄って慰めながら、勘之介を引き起こした。
勘之介は、その日、
忠直脚は、それを聞くと、ただ淋しく苦笑したばかりであった。
そのことがあってから、十日ばかりも経った頃だった。忠直卿は、老家老の小山
「殿は近頃、いかい御上達じゃ。老人ではとてもお相手がなり申さぬわ」といった。
と、今まで晴れやかに続けざまの快勝を享楽していたらしい忠直卿の面を、暗欝の陰影が
丹後は勝負に勝ちながら、怒り出した主君の心を解するに苦しんだ。彼は、咄瑳に立ち去ろうとする忠直卿の袴の裾を捕えながら、
「いかが遊ばされた! 殿には御乱心か。どのような御趣意あって、丹後めにかような恥辱を与えらるる?」と、狂気のごとくに叫んだ。一徹な老人の心には、忠直卿の不当な仕打ちに対する怒りが、炎の如く燃えた。
が、忠直卿は、老人の怒りを少しも介意せず、「えい!」と袴を捕えた手を振り放しながら、つっと奥へ去ってしまった。
老人は、幼年時代から手塩にかけて守り育てた主君から、理不尽な辱しめを受け、老の目に涙を流しながら、口惜しがった。彼は、故中納言秀康卿が、ありし世の寛仁大度な行跡を思い起しながら、永らえて恥を得た身を悔いた。正直な丹後は、盤面に向って
が、もう忠直卿の心には、家臣の一挙一動は、すべて一色にしか映らなくなっていた。
老人は、その日家へ帰ると、式服を着て礼を正し、皺腹をかき切って、惜しからぬ身を捨ててしまった。
忠直卿御乱行という噂が、ようやく
勝気の忠直卿は、これまでは、他人に対する優越感を享受するために、よく勝負事を試みたが、このことがあって以来は、その方面にも、ふっつりと手を出さなくなった。
こうなると、忠直卿の生活がだんだん
五
これまでの忠直卿は、国老たちのいうことは、何かにつけてよく聞かれた。まだ長吉丸といっていた十三歳の昔、父秀康卿の臨終の床に呼ばれて、「父の亡からん後は、国老どもの申すことを父が申すことと心得てよく聞かれよ」と
が、この頃の彼は、国政を聞く時にも、すべてを
越前領一帯、その年は近年希な凶作で、百姓の困苦一方ではなかった。家老たちは、袖を連ねて忠直卿の御前に
「ならぬ! ならぬと申せば、しかと相ならぬぞ」と、怒鳴りつけた。なんのために拒んだのか、彼自身にさえ分からなかった。
こうした感情の食い違いが、主従の間に深くなるにつれ、国政日に
が、忠直卿のかかる心持は、彼のもっと根本的な生活の方へも、だんだん食い入って行った。
ある夜のことであった。彼は宵から奥殿にたて籠って、愛妾たちを前にしながら、しきりに大杯を重ねていた。
京からはるばると召し下した絹野という美女が、この頃の忠直卿の寵幸を身一つにあつめていた。
忠直卿は、その夜は暮れて間もない六つ半刻から九つに近い深更まで、酒を飲み続けている。が、酒を飲まぬ愛妾たちは、彼の杯に酒を注ぐという単調な仕事を、幾回となく繰り返しているだけである。
忠直卿は、ふと酔眼をみひらいて、彼に侍座している愛妾の絹野を見た。ところが、その女は連夜の酒宴に疲れはてたのだろう。主君の御前ということもつい失念してしまったと見え、その二重瞼の美しい目を半眼に閉じながら、うつらうつらと仮睡に落ちようとしている。
じっと、その面を見ていると、忠直卿は、また更に新しい疑惑に囚われてしまった。ただ、主君という絶大な権力者のために身を委して、
忠直卿は思った。この女も、自分に愛があるというわけでは少しもないのだ。この女の
が、この女が自分を愛していないばかりでなく、今まで自分を心から愛した女が一人でもあっただろうかと、忠直卿は考えた。
彼は今まで、人間同士の人情を少しも味わわずに来たことに、この頃ようやく気がつき始めた。
彼は、友人同士の情を、味わったことさえなかった。幼年時代から、同年輩の小姓を自分の周囲に幾人となく見出した。が、彼らは忠直卿と友人として交わったのではない。ただ服従をしただけである。忠直卿は、彼らを愛した。が、彼らは決してその主君を愛し返しはしなかった。ただ義務感情から服従しただけである。
友情はともかく、異性との愛は、どうであっただろう、彼は、少年時代から、美しい女性を幾人となく自分の周囲に支配した。忠直卿は彼らを愛した。が、彼らの中の何人が彼を愛し返しただろう。忠直卿が愛しても、彼らは愛し返さなかった。ただ、
考えてみると、忠直卿は恋愛の代用としても服従を受け、友情の代りにも服従を受け、親切の代りにも服従を受けていた。無論、その中には人情から動いている本当の恋愛もあり、友情もあり、純な親切もあったかも知れなかった。が、忠直卿の今の心持から見れば、それが混沌として、一様に服従の二字によって
人情の世界から一段高い所に放り上げられ、大勢の臣下の中央にありながら、索莫たる孤独を感じているのが、わが忠直卿であった。
こうした意識が嵩ずるにつれ、彼の奥殿における生活は、砂を噛むように落莫たるものになって来た。
彼は、今まで自分の愛した女の愛が不純であったことが、もう見え透くように思われた。
自分が、心を掛けるとどの女も、
彼の生活が
そのために、彼は家中の高禄の士の娘を、後房へ連れて来させた。が、彼らも忠直卿のいうことを、殿の仰せとばかり、ただ不可抗力の命令のように、なんの反抗を示さずに忍従した。彼らは霊験あらたかな神の前に捧げられた人身御供のように、純な犠牲的な感情をもって忠直卿に対していた。忠直卿は、その女たちと相対していても、少しも淫蕩な心持にはなれなかった。
彼の物足りなさは、なお続いた。彼は夫の定まっている女なら、少しは反抗もするだろうと思った。彼は、命じて
もうこの頃から、忠直卿の
が、忠直卿の乱行は、なお止まなかった。許婚の夫ある娘を得て、少しも慰まなかった彼は、さらに非道な所業を犯した。それは、家中の女房で艶名のあるものを
主君の御乱行ここに極まるとさえ、嘆くものがあった。
夫からの数度の嘆願にかかわらず、女房は返されなかった。重臣は、人倫の道に
が、忠直卿は、重臣が諫むれば諫むるほど、自分の所業に興味を覚ゆるに至った。
女房を奪われた三人の家臣のうち、二人まで忠直卿の非道な企ての真相を知ると、君臣の義もこれまでと思ったと見え、いい合わせたごとく、相続いて割腹した。
横目付からその届出があると、忠直卿は手にしていた杯を、ぐっと飲み干されてから、微かな苦笑を洩されたまま、なんとも言葉はなかった。家中一同の同情は、
二人が前後して死んでみると、家中の人々の興味は、妻を奪われながら、只一人生き残っている
そして、妻を奪われながら、腹を得切らぬその男を、臆病者として非難するものさえあった。
が、四、五日してから、その男は飄然として登城した、そして、忠直卿にお目通りを願いたいと目付まで申し
「なんと申しても、相手は主君じゃ。お身が今、お目通りに出たら必定お手打ちじゃ。殿の御非道は、
が、与四郎は断然としていい放った。
「たといいかがなろうとも、お目通りを願うのじゃ。たとえ身は
目付は、仕方なく白書院に詰めている家老の一人へ、その嘆願を伝えた。それを聞いた老年の家老は、「与四郎めは、血迷うたと見えるな。主君の御無理は分かっていることじゃが、この場合腹をかっ切って
家老は、なおブツブツと口小言をいいながら、小姓を呼んで、そのことを渋々ながら忠直卿の耳に伝えしめた。
すると、忠直卿は、思いのほかに機嫌斜めならずであった。
「ははは、与四郎めが、参ったか。よくぞ参りおった。すぐ通せ! 目通り許すぞ」と、呼ばれたが、この頃絶えて見えなかった晴れがましい微笑が、頬の辺に漂うた。
しばらくすると、忠直卿の目の前に、病犬のように
忠直卿は生来初めて、自分の目の前に、自分の家臣が本当の感情を隠さず、顔に現しているのを見た。
「与四郎か! 近う進め!」と、忠直卿は温顔をもってこういわれた。なんだか、自分が人間として他の人間に対しているように思って、与四郎に対して、一種の懐しさをさえ覚えた。主従の境を隔つる膜が除かれて、ただ人間同士として、向い合っているように思われた。
与四郎は、畳の上を三反ばかり滑り寄ると、地獄の底からでも、洩れるような呻き声を出した。
「殿! 主従の道も、人倫の大道よりは小事でござるぞ。妻を奪われましたお恨み、かくのごとく申し上げまするぞ」と、いうかと思うと、与四郎は飛燕のごとく身を躍らせて、忠直卿に飛びかかった。その右の手には、早くも
「与四郎! さすがに
「其方の女房も、さすがに命を召さるるとも、余が言葉に従わぬと申しおった。余の家来には珍しい者どもじゃ」と、いったまま、忠直卿は心から快げに
忠直卿は、与四郎の反抗によって、二重の歓びを得ていた。一つは、一個の人間として、他人から恨まれ殺されんとすることによって、初めて自分も人間の世界へ一歩踏み入れることが許されたように覚えたことである。もう一つは、家中において、打物取っては俊捷第一の噂ある与四郎が必死の匕首を、物の見事に取り押えたことであった。この勝負に、嘘や
「ただこのままに、お手打ちを」と嘆願する与四郎は、なんのお咎めもなく下げられたばかりでなく、与四郎の妻も、即刻お暇を賜った。
が、忠直卿のこの歓びも、決して長くは続かなかった。
与四郎夫婦は、城中から下げられると、その夜、枕を並べて覚悟の自殺を遂げてしまった、なんのために死んだのか、確かにはわからなかったが、おそらく相伝の主君に
が、二人の死を聞いた忠直卿は、少しも歓ばなかった。与四郎が覚悟の自殺をしたところから考えると、彼が匕首をもって忠直卿に迫ったのも、どうやら怪しくなって来た。忠直卿に
忠直卿の乱行が、その後益々進んだことは、歴史にある通りである。最後には、家臣をほしいままに
六
しかし、忠直卿の乱行も、無限には続かなかった。
忠直卿は、母君との絶えて久しき対面を
忠直卿の晩年の生活については、なんらの史実も伝わっていない。ただ、忠直卿警護の任に当っていた府内の城主竹中
「忠直卿当国