彼は毎日電車に乗らぬ事はない。
従つて、電車内の出来事に依つて、神経をいら/\させられたり、些細な事から、可なり大きい不快を買つたりする事は毎度の事だつた。殊に、切符の切り方の僅かな間違などから起る車掌との不快な交渉は、勝つても負けても嫌であつた。車掌が乗客から、威丈高に云ひ込められて、不快な感情を職業柄ぢつと抑制して居る所などを見ると、彼は心から、同情せずに居られなかつたが、さて、一旦自分と車掌との交渉になると、譬へ自分の理由が不利であつても、大人しく負けて居るのが、不快であつた。また、譬へ自分が絶対に負けた時にも、人間に付き纏ふ負け惜しみは、きつと相手を不快にするやうな
もう一つ電車に乗る時に、厄介な問題は座席に就いてゞあつた。如何なる場合に席を譲るべきかと云ふ事は、毎日電車に乗る彼に取つては一寸した実際問題であつた。彼は、最初心の中で一定の標準を定めて置いて、夫に適合した人達には、直ちに席を譲る事にした。その標準の中には六十前後の老人とか、子供を背負つて居る人とか、外国婦人だとか、荷物を持つて居る人などが含まれて居た。が、さうした自分一人の内規を守つて、機械的に席を譲つて吊皮に掴まつて居ると、彼は席を譲つた事を後悔する事が、段々多くなつて来た。殊に勤先からの帰りなどで可なり疲労を感じて居る時などは、吊皮に掴まつて居る苦痛の方が大きくて、人に席を譲つたと云ふ快感で相殺する事が出来なかつた。さうした事が、度重なるに連れ、彼は自分自身の内規に囚はれて居る事が、段々馬鹿らしくなつた。それで此頃では、自分が本能的に席を譲りたいと思つた時、換言すれば、相手を見た時に、自然に立ち上れるやうな場合の外は、一切席を譲らない事にした。
従つて彼は、此頃では心持よく腰を下して居る時などは、年寄に近い年輩の婦人などが入つて来ても、容易に席を譲らない場合が多くなつて来た。
次の話も、矢張電車の中で、席を譲るか譲らぬかと云ふ事に就いて起つた出来事である。
其時、彼は須田町から品川行きの電車に乗つて居た。尤も、須田町で乗つたのか、夫とも上野広小路辺で乗つたのか、ハツキリとは覚えて居ない。何でも最初、その電車に乗つた時、入口の所が馬鹿に混んで居た。まだ、勤務に就いてから、日が浅いと見える車掌が、声を枯らしながら乗客を中央部へ送るやうに促して居た。が、乗客はかうした場合に、普通であるやうに、平然と銘々その吊皮に、固着してしまつたやうに動かない。こんな時、彼は車掌の依頼に応じない乗客達に、
その時も彼は、中央部が、空き切つて居るのにも拘はらず、入口の所でゴタ/\重なつて居る乗客を、
やつと、乗客の
その時に彼は、
が、彼女の存在が、最も彼に衝動を与へたことは、彼女が、その
老年に近い婦人が、吊皮を持つて立つて居る事などに、可なり無関心になつて居た彼にも、此の老婆が吊皮を持つて立つて居る光景は、何うにも辛抱が出来なかつた。彼は前に一度、日本橋の交叉点近くで、半白の老婆が吊皮を持つて揺られて居るのを見て義憤を感じた事があるが、その場合は、交叉点へ着くと、老婆が直ぐ下車してしまつたので、後から考へると、彼女は下車の用意として立ち上つて居たのかも知れないと思ふと、彼の義憤は余りに、先走りではなかつたかと、自分で可笑しかつた。
が、今の場合は、下車の用意として立つて居るとは思へなかつた。今川橋の停留場に着いても老婆は入口の方へ、一歩も近付かうとはしなかつた。
電車が動揺する毎に、老婆の身体は痛々しげに揺れて居た。席を譲るか、譲らぬかは、全く個人の自由であつて、譲らぬ事が必しも道徳的には罪悪でないにしても、七十の老婆が――凋び切つて吊皮に縋る力さへ、充分ではないと思はれるほどの老婆が、東京の大通の電車の中で、席を譲られずに居ると云ふ事は、夫は決して愉快なる光景ではなかつた。彼の感情を少しく誇張して云へば、其れは文明の汚辱であつた。浅ましく思はずには居られなかつた。彼は老婆の前後左右一間ばかりの間に
老婆の立つて居る事に対して、最も責任のある乗客は、老婆が夫に面して立つて居る、運転手台に向つて右側の座席の乗客でなければならなかつた。彼は、可なり熱した眼付をしながら、その辺の乗客を、一々点検した。老婆の直ぐ前に居る三人は、女連れの乗客であつた。そして、真中に居る女が丁度物を云ひ始めた位の女の子を膝の上に懐いて居る。その女の子を、右左から二人の女が、交り/″\にあやして居た。此の女の三人連に老婆に席を譲らない責任を負はせるのは、少しく
又、
尤も、老婆の周囲には、乗客がゴタ/\と、立ち込んで居るので、老婆の存在が、彼等の凡てに意識されて居るか何うかは疑問であつたが。
が、兎に角席を譲る資格――立つて居る彼には、その資格は絶対になかつた――を持つて居る十人に余る乗客が、一人も此の衰へた老年の婦人に席を譲らないと云ふことが、彼の心を可なり痛々しく傷つけた。彼は、自分が座席を持つて居ない事を、何れ程残念に思つたか知れなかつた。
此の老婆が、もつとよい
が、もう十一月の中旬であるのに、薄汚れた袷を着て羽織も着て居ない彼女が、周囲から相当の敬意を払はれないのも、無理はなかつた。が、彼女が貧しければ貧しい程、席を譲られないで立つて居ることは痛ましい事に相違なかつた。
彼は、老婆が不当に立たされて居ることを、電車が須田町から本石町辺迄走る間、憤慨し続けて居た。婦人が立つて居る間は、男子は一人も席に着かないと云ふ外国人の習慣なぞを思ひ出しながら、彼は老婆の附近に腰を掛けて居る乗客を、思ふ存分蔑すんで居た。殊に二十四五歳の手代風の男と、五十格好の男とが、彼の憤慨と軽蔑との第一の的であつた。
その裡に、彼は憤慨に疲れたと見え、少しぼんやりした気持になりかけて居た。その時であつた、電車は急に速度を緩めたかと思ふと、日本橋の停留場に止まつた。電車が止まると、車内が急に動揺した。ふと、気が附いて見ると例の三人の
夫を見ると、彼は自分が作つて置いた陥し穽の中へ落ち込んだやうに絶望的な
その時、彼の良心は、明かにベソをかいて居た。彼は不快な蕭条たる気持にならずには居なかつた。彼の負け惜しみは、老婆の為に、憤慨して居た方が、彼の心の第一義的な状態で、席が空いた刹那、其処へ坐らうとした心は、夫は発作的な出来心だと解しようとした。が、さうした解釈で以て、彼の心は少しも慰まなかつた。
二十四五の手代風の男や、五十格好の男が、席を譲らないことを憤慨したのが、彼等に対して相済まぬやうに思はれて仕方がなかつた。
老婆に対して席を譲らない事を、憤慨したのも、夫は老婆其物の為ではなくして、自分の道徳的意識がその事実に依つて、傷つけられた事に依つての憤慨であつて、全く利己的なものであるかも分らないと思つた。
彼が、吊皮を持つ手を放して、座席の方へ近づかうとした事は、たゞ心持
彼はスツカリ
彼は思つた、人間は自分で意識し注意し、警戒して居る中は、どんな道徳的な様子でも、為ることが出来るが、一旦その注意が無くなると、忽ち利己的な尻尾を出してしまふものだ。もし、さうだとすると、その尻尾を露出して、二十四五の手代風の男のやうに、又
が、さう考へて来ると、彼は心の裡に漲つて来る落寞たる心持に堪へなかつた。
彼は、ふとAと云ふ友人が、『我鬼』と云ふ俳号を付けて居るのを思ひ出した。Aは、俳号の謂れを訊かれる度に、
「君、支那人は
我鬼!