うるんだ宵星の二つ三つが、大きく大きくその上にまばたき初めると、遠く近くの魂がヒッソリと静まり返って、世界中が何となく生あたたかい悪魔のタメ息じみて来る。
その桐畠の片隅の一番低い葉蔭に在る、太い枝の
髪切虫にとっては、触角を動かす事が、つまり、考える事であった。見る事であった。聞く事であった。嗅ぐ事であった。あらゆる感覚を一つに集めた全生命そのものであった。その卵白色とエナメル黒のダンダラの長い長い抛物線型に伸びた触角は、宇宙間に
蝙蝠色に重なり合った桐の葉の群れのズット向うの、青い半円型の草山の蔭の地平線から、ボヘメヤ
その草山の向うの、海の向うの、大陸の向うの、星座の向うの、まだまだずっと向うの、大地が作る半円球越しの何千里か向うの広い広い土地は、まだその日の正午近くらしかった。その焦げ付く程熱した、沙漠の
それはナイル河底の
青桐の幹にシッカリと獅噛み付いた髪切虫の触角がピインと一直線に伸び切って、眼にも止まらぬ位すばらしく細かく……ブルルン……ブルルン……ブルブルブルルルルルルルルルルルルルルルルル……と震動し初めた。
エジプトの 御代しろしめす
美しき クレオパトラの
わが女王 は 笑はせたまはず」
国々は うれひに鎖 し
民草は 悲しみ濡れて
朝まつり いとおろそかに
夜のおとど みあかし暗く
まさびしき御閨 のうち
わが女王 は 寝がへらせつゝ
ひそやかに 歎かせたまふ」
われはこれ美 はしの女王
エジプトの 御代を治めて
神々の 力をかねて
思ふこと とゞかぬは無く
ねごふこと かなはぬはなし
何一つ 不足なけれど
ただ一つ みちたらぬもの
わが知れる 生きとし生ける
ものみなは などかくばかり
たど/\と ものうきやらむ」
天地は 古くよごれて
ものみなは 汗ばみつかれ
めざめては 又ゐねむりて
ちりひぢに まみれ腐 れて
おなじ日と おなじ月のみ
さびしらに かゞよひ渡る」
われもまた あだいたづらに
春秋 を 老いて行くのみ
ああわれは かくはかなくも
エジプトの 御代を知りつゝ
神々の まもりうけつゝ
此の広き 山と河にも
おもしろく をかしき事を
何一つ 見出でぬまゝに
老い行きて 死に果てむ身か」
御涙 ハラ/\と落ち
ほのぼのと 夜は明けわたる」
折しまれ あなめづらしや
女王様 の 御声として
カヤ/\と 笑はせ給ふ」
わが女王 の 御閨 ぬちに
いづくより 迷ひ入りけむ
一匹の 髪切虫を
かしこくも 捕はせ給ひ
此上 もなく 興がらせつゝ
黄金 にも たとへ難かる
御髪 を あたへ給ひて
啄 ばませ 喰 ませ給ひて
カヤ/\と 笑はせ給ふ」
あなをかし 髪切虫よ
おもしろの 髪切虫よ[#底本では、この「髪切虫よ」だけ1字上がっている]
いつまでも 髪切り飽かず」
あかつきの 雲の波打つ
はてしなき わが黒髪を
残りなく 切りつくさむとや
丸坊主に しつくさむとや」
埃及 の 御代を知る身を
はばからね 髪切虫よ
汝 こそは 虫の王なれ
青光る 髪切虫よ
美 はしの 髪切虫よ」
われ死なば汝 に慣ひて
髪切の 虫と生まれて
かぎりなく 恋を重ねて
はてしなく 卵を生みて
黒雲の 天ぎるきはみ
白浪の 打ち寄るかぎり
匐ひまはり 且つ飛びかけり
闇といふ 闇に忍 びて
女てふ 女の髪 を
こと/″\く喰 べつくして
青空の たなびくところ
黒つちの くゞまるところ
人間の さまよふきはみ
口づけの 結ぼほるかぎり
美しき 坊主あたまを
永久永遠 に 流行 らせむかな
あなをかし あなおもしろや
おもしろの かみきり虫や
ヒヒヒホホ カヤ/\/\/\」
女王 の御代 これより朗 らに
大御心 ひらけ浮かれて
歌宴 して 舞ひ給ふとて
腋下 の おん渦巻毛
こと/″\く 抜かせ給ひて
かの虫に あたへ給ひぬ」
さればわが女王 の御果て
み誓ひの 固きにまかせ
御柩 の 御片隅に
彼 の虫の 木乃伊 を作り
秘めやかに 納めまつりつ
女王様 の 髪切虫の
生 れまさむ 来世を待ちね
美 はしき 坊主頭を
永久永遠 に 流行 らせむ為」
されば聞け 後の世の人
女王様 の 木乃伊 納めし
御柩 の おん片隅に
女王様 の 御髪 喰 みつゝ
髪切虫 今も啼 くなり
千年の 神秘をこめて
キツチ/\……ヰツチ/\……
……ギイ/\/\/\/\……」
「キッキッ。ギイギイギイギイギイ」美しき クレオパトラの
わが
国々は うれひに
民草は 悲しみ濡れて
朝まつり いとおろそかに
夜のおとど みあかし暗く
まさびしき
わが
ひそやかに 歎かせたまふ」
われはこれ
エジプトの 御代を治めて
神々の 力をかねて
思ふこと とゞかぬは無く
ねごふこと かなはぬはなし
何一つ 不足なけれど
ただ一つ みちたらぬもの
わが知れる 生きとし生ける
ものみなは などかくばかり
たど/\と ものうきやらむ」
天地は 古くよごれて
ものみなは 汗ばみつかれ
めざめては 又ゐねむりて
ちりひぢに まみれ
おなじ日と おなじ月のみ
さびしらに かゞよひ渡る」
われもまた あだいたづらに
ああわれは かくはかなくも
エジプトの 御代を知りつゝ
神々の まもりうけつゝ
此の広き 山と河にも
おもしろく をかしき事を
何一つ 見出でぬまゝに
老い行きて 死に果てむ身か」
御涙 ハラ/\と落ち
ほのぼのと 夜は明けわたる」
折しまれ あなめづらしや
カヤ/\と 笑はせ給ふ」
わが
いづくより 迷ひ入りけむ
一匹の 髪切虫を
かしこくも 捕はせ給ひ
カヤ/\と 笑はせ給ふ」
あなをかし 髪切虫よ
おもしろの 髪切虫よ[#底本では、この「髪切虫よ」だけ1字上がっている]
いつまでも 髪切り飽かず」
あかつきの 雲の波打つ
はてしなき わが黒髪を
残りなく 切りつくさむとや
丸坊主に しつくさむとや」
はばからね 髪切虫よ
青光る 髪切虫よ
われ死なば
髪切の 虫と生まれて
かぎりなく 恋を重ねて
はてしなく 卵を生みて
黒雲の 天ぎるきはみ
白浪の 打ち寄るかぎり
匐ひまはり 且つ飛びかけり
闇といふ 闇に
女てふ 女の
こと/″\く
青空の たなびくところ
黒つちの くゞまるところ
人間の さまよふきはみ
口づけの 結ぼほるかぎり
美しき 坊主あたまを
あなをかし あなおもしろや
おもしろの かみきり虫や
ヒヒヒホホ カヤ/\/\/\」
大御心 ひらけ浮かれて
こと/″\く 抜かせ給ひて
かの虫に あたへ給ひぬ」
さればわが
み誓ひの 固きにまかせ
秘めやかに 納めまつりつ
されば聞け 後の世の人
髪切虫 今も
千年の 神秘をこめて
キツチ/\……ヰツチ/\……
……ギイ/\/\/\/\……」
桐の葉蔭の髪切虫は、思わず啼いてしまった。その拍子にイーサーの霊動がフッツリと感じられなくなってしまったが………。
……しかし……それでも若い髪切虫は感激にふるえ上ったのであった。
ただ残念なことに、自分が果して二千年前の
「そうだ。
けれども彼女は恋というものがドンナものか知らなかった。……一体恋なんていうものはドンナ処に、ドンナ風にして在るものだろう……と思って、ソロソロと桐の葉の上に匐い上りながらそこいらを見まわした。
桐畠の周囲の木立は、大きくまばたく
それは何ともいえず匂やかな、柔かい薄桃色の絹シェードの光であった。
「アラッ。まあ何て神秘な光でしょう。……妾は思い出したわ。虫の血で染めたパピルスの
それから彼女はシッカリと畳まっている左右の羽根を生れて初めて、
「アッ。お父様……髪切虫が来ましたよ」
「ナニ。髪切虫が……」
「ええ。お父様が今夜は違った虫が捕りたいから誘蛾燈に赤いシェードを掛けとけって
「ううむ。面白いのう。甲虫は一体に赤い色が好きなのかも知れんのう」
「オヤッ。この髪切虫は普通のと違っている。この間お父様が大学で見せて下すった化石の髪切虫によく似てますよ。ね。ホラネ。
「フウム。成る程。これは珍しいのう。三千年ばかり前のツタンカーメンの墓の中から出て来た、実物の
「その
「アハハハ。そうかも知れんのう。とにかく標本にしといて御覧……学界に報告してみるから……」
青酸
「ギチギチギチギチ。イチイチイチイチ。ギイギイギイ。カヤカヤ……カヤカヤカヤカヤカヤ……」