人間腸詰

夢の久作(夢野久作)




 あっしの洋行の土産話みやげばなしですか。
 イヤハヤどうも……あんまり古い事なんで忘れちゃいましたよ。何なら御勘弁願いたいもんで……ただもうビックリして面喰めんくらって、生命いのちからがら逃げてけえって来たダケのお話でゲスから……。
 ……ヘエ……あの話。あの話と申しますと? ヘエ。世界が丸いお蔭で、あっし腸詰ソーセージになり損なった話……。
 うわあ。こいつあ驚いた。誰からお聞きになったんで。ヘエ。あの植木屋の六から……弱ったなあドウも。飛んでもねえ秘密をバラしやがって……アイツのお饒舌しゃべりと来た日にゃ手が附けらんねえ。死んだ親父おやじから聞きやがったんだナ畜生……誰にも話したこたあねえのに……。
 ヘエヘエ。これあドウモ御馳走様でゲス。こうやって自分の手にかけたお座敷で、兄弟分きょうでえぶんがこしれえたお庭を眺めながら、旦那様のお相伴しょうばんをして一杯いっぺえ頂戴出来るなんて職人冥利みょうりの行止まりでげしょう。ヤッ、これあドウモ奥様のおしゃくで……どうぞお構い遊ばしませんで……手酌で頂戴いたしやす。チイット世界が丸過ぎるようで。ヘヘヘ。オットット……こぼれますこぼれます。
 それじゃそのガリガリの一件から世界のマン丸いわけが、わかったてえお話を冒頭まくらからやって見やすかね……ガリガリてなあ人間を豚や犬とゴッチャにして腸詰ちょうづめにする器械の音なんで……ヘエ。亜米利加アメリカに今でも在る。旦那様も御存じ……ヘエヘエ……そのガリガリの中へあっしが這入はいそこねたお話なんでゲスからアンマリ気持のいいお話じゃ御座んせん。亜米利加アチラでは人を殺すとアトがわからねえように腸詰めにしちまうんだそうですからね。今思い出してもゾッとしますよ。お酒のおさかなになるようなお話じゃねえんで……何なら御免をこうむりてえんで……。
 ヘエッ。奥様はソンナお話がだいのお好きと仰言おっしゃる……恐れ入りやしたなあドウモ。そんな話を聞いてるうちに眼尻が釣上って来て自然と別嬪べっぴんになる……新手あらての美容術……ウワア。エライ事になりましたなあドウモ。あっしかかあなんぞはモウ以前せんに水天宮で轆轤首ろくろっくびの見世物を見てけえって来ると、その晩、夜通しうなされやがったもんで……ほかじゃあ御座んせん。手前てめえの首が抜けそうで心配になっちゃったんだそうです。……ヒヤア、抜ける抜けるとか何とかつまらねえ声を真夜中出しやがるんで……篦棒べらぼうめえ、抜ける程の別嬪と思ってやがるのか……ってんで、背中を一つドヤシ付けてやりましたらヤット正気付きましたがね。あれがドウモいけなかったようで……とうとう一生涯、別嬪にならず仕舞じまいで、惜しい事をしましたよ。まったく。ヘヘヘ。世の中は変れば変るもんでげす。
 あっしが二十七の年でゲスから三十年ばかり前のことでしょう……明治三十何年かのお正月の話でゲス。その時分は台湾の総督府で仕事さして頂いておりましたが、その春から夏へかけて亜米利加アメリカ聖路易セントルイスてえ処で世界一の博覧会がオッぱじまるてんで、日本の台湾からも烏龍茶ウーロンちゃの店を出して宣伝してはドウかてえお話が持上りました。その時分までは何でもカンでも舶来はくれえ舶来はくれえってんで紅茶でも何でもメード・イン・毛唐けとうでねえと幅が利かねえのがしゃくだってんで……。印度インド産の極上品よりもズット芳香かおりの高い、味のい烏龍茶を一つ毛唐に宣伝してみろってえ、その時の民政長官の男爵様で、後藤新平ごとうしんぺいてえ方が……ヘエ。その蛮爵ばんしゃく様が号令をおかけになったんだそうで……あっしも一つ台湾風の大きなカフェエを、この博覧会の中へ建てに行かねえかってえ蛮爵様からのお言葉でしたがね、ビックリしやしたよマッタク。
 自慢じゃ御座んせんが小学校を出たばかりのタタキ大工なんで……雀がチューチューからすがカアカア。チイチイパアパアが幼稚園の先生ぐれえの事しか知らねえ江戸ッ子一流の世間見ずでゲス。箱根の向うへ行ったら日本語でせえ通じなくなるんですから、洋行なんて事あ考えてみた事も御座んせん。
 総督府の官舎を建てに台湾へ渡る時にも、乗っている船が陸地おかの見えない海の上を平気でドンドン走って行きますので、何だか妙な気持になっちゃいましてね。あっしたちを引率している藤村てえ工学士の方に聞いたら笑われましたよ。
「地球は丸いものだから心配しなくてもいいよ。イクラ行ったって、おしまいにはキット日本へ帰り着くんだから」
「ヘエ、誰か見た者がおりますかえ」
「見なくたってわかっている。日本男児の癖に意気地いくじえんだナお前は……。天草の女を御覧……世界が丸いか四角いか、わかりもしない娘ッ子のうちから世界中を股にかけて色んな人種を手玉に取って、お金を捲上げちゃあ日本の両親の処へ送るんだ。大したもんだよソレア。世界中のどこの隅々に行っても天草女の居ない処は無いんだよ」
「ヘエッ……成る程ねえ。そんなもんですかねえ」
「まったくだよ。洋行するとわかる」
「ヘエ、そんなに天草女ってものは大勢居るんもんですかねえ」
「居るか居ないか知らないが、外国では炭坑でも、金山かなやまでも護謨ゴム林でも開けると器械より先に、まず日本の天草女が行くんだ。それからその尻をぎ嗅ぎ毛唐の野郎がくっ付いて行って仕事を初める。町が出来る。鉄道がかかるという順序だ。い事でも悪い事でも何でも、皮切りをやるのはドッチミチ日本の女だってえから豪気ごうぎなもんだよ。まったく思いがけない処でヒョイヒョイ天草女にぶつかるんだからね」
「ヘエ。そんな女は、おしまいにドウなるんでしょうか」
「それアキマリ切っている。そのうちに世界の丸いことがホントウにわかって来ると、そこで一人前の女になって日本へ帰って来て、チャンと普通あたりまえの結婚をするんだ。又……それ位の女でないと天草ではかかあび手が無い事になっているんだから仕方がない」
「嫁入道具に地球儀を持ってくようなもんですね」
「まあソンナもんだ。だから天草には、世界の丸いことがわからないと洋行出来ないナンテ意気地の無い女は一匹も居ないんだよ」
 あっしは余計な恥を掻いたんで赤くなっちゃいましたよ。それでもイクラか安心するにはしましたがね。
 ですから亜米利加アメリカへ渡る時には相当、落付いておりましたよ。仲間の奴に……大工と左官とで、植木屋の六の親子も入れて十四五人ぐれえ居りましたっけが……そんな連中に基隆キールンで買った七十銭の地球儀を見せびらかして、日本の小さい処を講釈して聞かせたりして片付いておりましたがね。そのうちに毎日毎日アンマリ長いこと海の上ばっかりを走って行くのに気が付くと妙なもので、理窟は呑込んでいる癖に、何となく心配になって来ました。今でも初めて洋行する人は、よくソンナような頭のヘンテコになる病気にかかるんだそうで、熱ぐらいあったかも知れません。別に何ともないのに、何だかミンナが欺されて島流しにされるんじゃねえか。佐渡が島へ金坑かね掘りに遣られるんじゃねえか……なんて考えているとドウモ頂くものが美味おいしく御座んせん。毎日毎日そのライスカレーとシチウとコロッケに飽きちゃったのかも知れませんがね。
 そのうちに船の中で演芸会が初まりました。あっしがステテコを踊ることになったんで……船の中に派手な三桝みます模様の浴衣ゆかたと……その頃まだ団十郎くだいめが生きておりました時分で……それから赤い褌木綿ふんどしもめんと、スリがね、太鼓、三味線さみせんなんぞがチャント揃ってたのには驚きましたよ。
 当日になると中甲板の五六百人ぐらい這入はい広間ホールに舞台が出来て、そこへ一等の船客から吾々特別三等の連中まで一パイになって見物するんで、皮切りにヒョウキンな西洋人の船長が飛出して西洋手品を初める。ナカナカ鮮かなもんでしたが、これあ当り前でさあ。そのあとへ日本人が上ってヤッパリ西洋手品を使いましたがアンマリえません。メード・イン・ジャパンが今でも幅の利かないのは手品ばっかりでしょう。そのうちあっしのステテコの番が来たんで立上ろうとしているところへ今の植木屋の六の親父でゲス。その時はモウいい禿頭はげあたまの赤ッ鼻でしたっけが、あっしから世界の丸い話をきいてからというもの毎日毎日甲板に出て、船の周囲まわりをグルグルまわってゆく蓄音器のレコードみたいに平べったい海を見まわしながら首をひねっていた奴なんで……その日も、あっしと組になってステテコを踊ることになっていたんですが、そいつが派手な浴衣に赤褌あかふんのまんまボンヤリ甲板から降りて来やして、囃子はやしを聞いているあっしの顔をジイッと穴のあくほど見ながら、ッポケなドングリまなこをパチパチさせたもんです。
「おれあドウしてもわからねえ」
「何がわからねえ」
「世界が丸いてえ理窟が……」
「馬鹿だな手前てめえは……イクラ云って聞かせたってわからねえ。台湾へ渡った時にヤットわかったって安心してたじゃねえか」
「それはおめえだけだ。おらあアレからチットモ安心していねえんだ。不思議でしようがねえんだ」
「何が不思議だえ」
「だってかんげえても見ねえ。あの地球儀みてえなマン丸いものの上にドウしてコンナに水が溜まっているんだえ……。おまけに大きな浪が打ってるじゃねえか……ええ……」
 そう聞くとあっしも頭のしんがジインとしてかんげえ込んじまいました。口では強いことを云いながら心の奥ではやっぱり心配していたんですね。そこが病気のセイだったかも知れませんが、図星を指されてハッとしたようなアンバイで変テコレンな眼のまわるような気もちになっちゃいました。そこいらがだんだん薄暗くなって気が遠くなって行くようなアンバイで……そのまんま引っくりけえっちゃったらしいんです。気が弱かったんですね、あっしは……もっともその時にはモウ六の親父おやじと一緒に揃ってソンナ病気にかかっていたんだそうですから仕方がありませんがね。妙な病気があればあったもんでゲス。癲癇てんかんなら差詰さしづめ地球癲癇だったのでしょうが、そんなオボエは毛頭なかったんで……自分でも、おかしいと思いましたよ。
 ですから同じ病気にかかっていた六の親父おやじも、あっしが引っくりけえったのを見ると直ぐに追っかけて引っくりけえりやがったんだそうで……これは大変だと思ったトタンに世界中が平ベタクなったてんですからダラシのねえ野郎で……お蔭でステテコはオジャンになっちまいました。誰が云い出しものか知れませんが、モトモト平べったい処に住んでいる人間に「世界は丸い」なんて罪な御布告おふれを出したものですよ。まったく、大本教おおもときょうのお筆先ふでさきに引っかかったみてえで……それから亜米利加へ着くまで二週間ばかりの間、六の親父とあっしと二人で上甲板の病室に入れられてウンウン云っておりました。
 アトから聞いてみると揃いも揃ったステテコが二人つながって引っくりけえった。場違いのステテコだ……てんで船中の大評判になったんだそうで……おまけに二人とも……大変だ大変だ……とか何とか変な譫語うわごとを並べたもんですから、念のために血を取って調べてみると恐ろしいもんでゲス。浮気の痕跡あとがタップリと血の中に残っている。この白痴こけ野郎ッ……てな毒の名前なめえだったと思いますがね。ヘエ。そのゴノゴッケンの陽性なんで、テッキリ脳梅毒……何をするかわからねえということになってめ込みを喰ったもんです。その又、船のお医者って奴がチャチなしょっぱい野郎だったのでしょう。そのうちにホントの病気の名前なめえがわかったんだそうですが……。
 ヘエ。その病気の名前でゲスか。エエト……そうそう六の親父おやじのが「野垂のたれ死に」てえんで、あっしのが「鸚鵡おうむ小便シッコ」てんだそうで……笑いごとじゃねえんで……ヘエ。ノスタレジイ……ノスタルジヤにホーム・シックでゲスかい。どうもおかしいと思った。お笑いになっちゃ困ります。二人とも熱が八度ばかり出ましたよ。日本へ帰ってから聞いてみたら舶来の神経衰弱なんだそうで……重いのがノスタレジイで軽いのがオーム・シッコてんだそうですが、ハイカラな病気があればあるもんですな。派手な浴衣の赤褌あかふんどしに、黄色い手拭の向う鉢巻がノスタレのオーム・シッコでウンウン云ってるんですから世話ありやせんや……。
 それでも亜米利加へ上陸あがると二人とも急に元気になりましてね。聖路易セントルイスへ着くと直ぐに建前たてまえにかかりやした。藤村てえ工学士さんが引いてくれた図面の通りに台湾式の御殿を建てましたが大した評判でげしたよ。ソレアあっしとノスタレじいの写真が大きく新聞に出ましたよ。ノスタレ爺の方は植木屋でゲスからその台湾館の前に作った日本式のお庭が大受けに受けちゃったんで……ノスタレ爺の野郎は雪舟の子孫だってえ事になったんですからあきれて物が云えませんや。あっしの方はモットおかしいんで……あっしはこれでも小手斧こちょうなの癇持ちでげして、小手斧こちょうな木片こっぱが散らかるのが大嫌いでげす。そこで最初ノッケから手を附けた四十尺ばかりの美事な米松べいまつ棟木むなぎをコツンコツンとこなして行くうちに四十尺ブッ通しのつながった削屑アラをブッ放しちゃったんで、見ていた毛唐の技師がきもを潰したもんだそうです。その話が亜米利加中の新聞に出たってんで、あっしが船の中で退屈しのぎに作った箱根細工のカラクリ箱が、まだ博覧会の初まらねえうちにスッカリ売約済みになる。六の親父おやじをお雪の旦那のピイピイモルガンて奴が買いに来るってなアンバイで大した景気でしたよ。毛唐って奴はつまらねえ事を感心するんですね。ヘヘヘ。
 そのうちに屋根のックリけえった、破風造はふづくりのお化けみてえな台湾館が赤や青で塗り上って、聖路易セントルイスの博覧会がオッぱじまる事になりますと、今のノスタレとオーム・シッコが二人でフロッキコートてえ活弁かつべんのお仕着せみてえなものを着込んで入口の処へ突立って、藤村さんからおそわった通りの英語を、毎日毎日大きな声で怒鳴るんです。
「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
 お笑いになっちゃ困ります。何てえ意味だかチットモ知らなかったんで……最初のうちは茶目好きの藤村さんが「右や左のお旦那様」を英語で教えたんじゃねえかと思ってましたがそうでもないらしいです。お大師様の「あぼきゃあ兵衛べえ露西亜ロシヤのう、中村だあ」式の英語で、毛唐の厄払いか、荒神まつりの文句じゃねえかともかんげえてみましたがそうでもないらしんで……ズットあとになって聞いてみましたら「日本じゃぱん専売局がばめん台湾ふおるもさ烏龍茶ううろんち一杯わんかぷ十銭てんせんすイラハイかむいんイラハイかむいん」てんですから禁厭まじないにも薬にもなれあしません。
 もっともこのおはらいの文句の意味が、そんなに早くからわかってたら、あっし生命いのちは無かったかも知れません。舶来の腸詰ソーセージになっちゃって、毛唐の糞小便くそしょうべんに生れかわっていたかも知れねえんで……変テコなお話でゲスが人間の運てえものは、ドンナ事から廻り合わせて来るか知れたもんじゃ御座んせん。正直のところ「わんかぷ、てんせんす」と米のる木があっし生命いのちの親なんで……。
 とにかくソイツを訳のわからねえまんまに台湾館の前に突立って、滅法矢鱈めっぽうやたらに威勢よく怒鳴っているとドシドシ毛唐が這入って来る。台湾館の中では選抜よりぬ飛切とびきりの台湾生れの別嬪べっぴんが、英語ペラペラで烏龍茶の講釈をしながら一枚八セント芭蕉煎餅ばしょうせんべいを出してお給仕をする。その毛唐らが這入りがけや出て行きがけにあっしとノスタレに五セントか十セントずつ呉れて行きます。たまには一ドルも五ドルも呉れる奴が居る。そうかと思うと何も呉れねえでソッポ向いて行く猶太人ジューみてえな奴も居るってな訳で、いいお小遣いになりやしたよ。
 そのうちに英語がチットずつわかって参りやした。水の事を「ワラ」ってんで……ワラワセやがるてのは、これから初まったのかも知れません。舟に乗って来るのがナベゲタ。席亭話よせばなし鍋草履なべぞうりてえのと間違いそうですね。女の事が「レデー」ですから男の事が「デレー」かと思ったら豈計あにはからんや「ゼニトルマン」でげす。成る程これあ理窟でゲスが失礼したくなりますね。奥さんのことが「マム」……「女はマモノ」ってえ洒落しゃれかも知れませんがドウカと思いますよ。「お早よう」てのが「グルモン」、こいつは「グル」だけでも間に合います。江戸ッ子の「コンチワ」が「チヤア」で済むようなもんでげしょう。今晩はが「グルナイ」。「勝手にしゃアガレ」てクッ付けてやりてえくれえで……「左様なら」が「グルバイ」……どうしてこう毛唐はグルグル云いたがるんだか……けだものから人間になり立てみてえで……もっとも毛唐は毛の字が付くだけに手も足も毛ムクジャラですからね。女なんかでも顔はパヤパヤとしただらけで身体からだ中は鳥の毛を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしったようにブツブツだらけでゲス。傍へ寄ると動物園臭くって遣り切れませんがね。男でも女でも物を呉れるたんびに「タヌキ」と云ってやると喜んでいるんですからヤッパリけだものなんでげしょう。
 ところが、その毛唐のタヌキ野郎に非道ひどい目に合わされたお話なんで……けだものだけに悪智恵にかけちゃ日本人はかないませんや。
 あっし等が人寄せをやっている台湾館の中には六人の台湾娘が居て、お茶の給仕をしておりました。そいつ等の名前なめえは三十年もめえの事ですから忘れちゃいましたが、何でもフン、パア、チョキ、ピン、キリ、ゲタってな八百屋の符牒みたいな苗字の女の子が、揃って台湾り抜きの別嬪ばかりなんで、年はみんな十七か八ぐれえの水の出花でばなってえ奴でしたが、最初っからの固いお布告ふれで、そんな女たちに指一本でも指したら最後のすけ、お給金が貰えねえばかりでなく、亜米利加でタタキ放しにするという蛮爵ばんしゃく様からの御達しなんで、おまけに藤村さんは藤村さんで、一足でも博覧会場から踏み出すことはならねえ。亜米利加の町にはギャングとかガメンとかいう奴がどこにでも居て昼日中でも強盗や人浚ひとさらいをやらかす。気の弱い奴と見たらピストルで脅威おどかして大盗賊おおどろぼうや密輸入の手先にしちまうから気を附けろ。一度ソンナ奴に狙われたら生きて日本にけえれねえからそう思えってサンザ威嚇おどかされておりましたからね。何の事あねえ不動様の金縛りを喰った山狼やまいぬみてえな恰好で、みんな指をくわえて、唾液つばきを呑み呑みソンナ女たちを眺めているばかりでした。
 可哀相に女の出来ねえ職人たら歌を忘れたカナリアみてえなもんで……ヘエ。あっしゃ今でも気が若い方なんで、その頃はまだ三十になるやならずの元気一杯の奴が、青いをしたセルロイドじゃあるめえし、言葉も通じなけあ西も東もわからねえ人間の山奥みてえな亜米利加三界へ連れて来られて、毎日毎日そんな別嬪たちの色目づかいを見せ付けられながら涙声を張り上げて、
「わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
 をやらされているんですから、たまりませんや。ノスタレ爺もオームのオシッコも眼が釣上っちゃって、今にもポンポンパリパリと破裂しちまいそうな南京ナンキン花火みてえな気もちになっちまいましてね。哀れとも愚かとも何とも早や、申上げようのない「ふおるもさ、ううろんち」が一つい、出来上ったもんでゲス。
 ところがここに一つうまい事が持上りました。その女たちの中でも一等さばけるピンちゃんとチョキちゃんという二人がノスタレだかオシッコだかわかりませんが病気になっちゃったんで、とりあえずの埋め合わせに聖路易セントルイスの支那料理屋に居たというチイチイっていうのとフイフイっていうのと二人の別嬪が手助けに来たんでげす。何しろ一人で卓子テーブルを六つずつも持っているんで一人欠けても頬返ほおげえしが附かないですからね。占めた。こいつは有難いことになったもんだとあっしは内心でゾクゾク喜んじゃいました。ねえ。そうでしょう。今まで居た女には指一本さしても不可いけなかったかも知れねえが、今度来た女なら差支さしつけえなかろう。しかも向うが二人前ならこっちも二人前と云いてえが、片っ方が禿頭はげあたまの赤ッ鼻のノスタレじゃ問題にならねえ。若さといい、男前といい、一番くじ本鬮ほんくじはドッチミチこっちのもんだがハテ。ドッチから先にはしを取ろうかテンデ、知らん顔をして「わんかぷ、てんせんす」のおまじないを唱えながら二三日ジッと様子を見ているとドウです。このチイちゃんとフイちゃんの二人が一緒に、あっしの方へ色目を使い初めたじゃ御座んせんか。
 ヘヘ……どうも恐れ入りやす。おっとっと……こぼれます、こぼれます。どうもコンナに御馳走になったり、勝手なお惚気のろけを聞かしたりしちゃ申訳もうしわけ御座んせんが、ここんところが一番恐ろしい話の本筋なんで致方いたしかたが御座んせん。どっちみち混線させないようにお話しとかないと、あとで筋道がわからなくなりやすからね。ヘヘ、恐れ入りやす。
 二人のうちでもフイフイっていうのは、まだ十七か八の初々ういういしい聡明りこうそうなをした、スンナリとした小娘でしたが、あっしに色目を使いはじめたのはドウヤラ此娘こいつの方が先だったらしいんです。台湾館に来る匆々そうそうからどうやら物を言いたそうな眼付きをして、あっしの方を見ておったように思いますがね。そいつを一方のチイチイってやつが感付いて横槍を入れたものらしいんです。ヘエヘエ。その通りその通り。あっしの取り合いっこが始った訳なんで、ヘヘヘ。ヘエヘエ。大した色男になっちゃったんで……油をかけちゃいけません。ああ暑い暑い……イエイエ。モウ頂けやせん。ロレツが廻らなくなっちゃ困るんで……アトにモノスゴイ話がつながってるんでゲスから……ヘエ。

 ……というのはこのチイチイって奴が大変なものなんでげす。あとから聞いた話では支那人と伊太利イタリ人の混血娘あいのこだったそうですが、とても素晴らしい別嬪でげしたよソレア。おまけにテエブルの六ツは愚か二十でも三十でも持って来て下さい。一人でさばいて見せるからナンテ大それた熱を吹きやがって、来る早々から仲間に憎まれておりましたがね。生やさしい女じゃ御座んせんでしたよ。
 そうですねえ。年はあれでも二十二三ぐらいでしたろうか、スッカリ若返りにしておりましたので一寸見ちょっとみはフイちゃんよりも可愛いくれえで、フイちゃんとお揃いの前髪を垂らして両方の耳ッたぼに大きな真珠をブラ下げたやつが、翡翠ひすい色の緞子どんすの服の間から、支那チャンチャン一流のげ付くような真紅の下着の裾をビラ付かせながらジロリと使う色眼の凄かったこと……流石さすがあっしも一ぺんにダアとなっちゃったんで……流石のだけ余計かも知れませんが、誰だってアイツにぶつかったらタッタ一目のアタリ一発でげしょう。ハタからフイちゃんがオロオロ気を揉んでいるようでしたが、そうなるとモウ問題じゃ御座んせん。
 その場でインキを二つ三つぶっ付け合うと……ヘエ……ウインクですか……どうも相すみません。亜米利加じゃインキの方が通りがいいんで……ツイうっかり、そのインキの方にきめちゃったんで……そいつに気が付くとフイちゃんが慌てて卓子テーブルの向うからあっしに手を振って見せましたが、そうなったら夢中でゲスから気にも止めません。ただその時にフイちゃんを振り返って睨み付けたチイちゃんの眼付の怖しかった事ばっかりは今でも骨身にコタえて記憶おぼえております。その睨みにぶつかったフイちゃんが、真青になってフラフラとブッ倒おれそうになったんですからね。あっしもズットあとになって、そのチイちゃんの睨みの恐ろしい意味がわかってスッカリ震え上がっちゃったもんですがね。
 その晩のことです。あっしは台湾館の地下室で一緒に寝ているノスタレ爺に感づかれないようにソーッと起き出して、首尾よく台湾館を抜け出しちゃいました。それから約束通り噴水の横でチイちゃんに会って、演芸館の裏で夜間出勤のサンドウィチマンを二人買収して、チイちゃんと二人で薄い布張りの四角い箱の中に這入って、入口の看守にテケツだけ見せて会場を抜け出しました。アトからかんげえるとあっしゃこの時にいい二本棒に見立てられていたんですなあ。節劇ふしげきの文句じゃ御座んせんが「殺されるとはつゆ知らず」でゲス。屠所としょの羊どころじゃねえ。大喜びで腸詰ソーセージになりに行ったんですからね。
 博覧会の会場を出るともう、カイモク西だか東だかわからねえ聖路易セントルイスの町つづきでさあ。イルミネーションの海の底を続きつながって流れて行く馬車と電車の洪水でサ。その頃はまだ亜米利加にも円タクなんてものが無かったんですからね。
 あっしの先に立ったチイちゃんは、一町ばかり行った処の薄暗い町角に在るポストの下で立停たちどまりましたから、あっしもその横で立停まって巻煙草に火をけました。すると間もなく白い馬を二頭附けた立派な馬車が来て、ポストの前に止まりましたが、それを見るとチイちゃんはイキナリ広告サンドイチの服を脱いで地面じべたに放り出して、その馬車に飛乗って手招きするんです。ですからあっしも慌てて女の真似をして馬車に飛乗るトタンに、前後左右のスクリンをおろしたチイちゃんあっしの首ッ玉にカジり付いてチュウッ……ヘヘヘ……どうも相すみません。ここがヤッパリその本筋なんで……このチュッてえ奴が腸詰ソーセージ材料タネに合格のアニリンスタムプみてえなチューだったんで……実際眼がくらんじまいましたよマッタク。いい芳香におい臓腑はらわたのドン底までみ渡りましたよ。そうなると香水だか肌のにおいだか解かれあしません。おまけにハッキリした日本語で、
「まあ……よく来てくれたねえ、アンタ」
 と来たもんです。
 トタンに前後の考えなんか、笠の台と一緒にどっかへふッ飛んじゃいましたね、キチガイが焼酎しょうちゅうを飲んで火事見舞に来たようなアンバイなんで……暫くして女がスクリンを上げてから気が付いてみると、その馬車の走り方のスゴイのにチョット驚きましたよ。ほかの馬車をグングン抜いて行くので、金ピカ服の交通巡査が何度も何度も向うから近付いて来て手を揚げて制止とめにかかったようでしたが、私等あっしらの馬車に乗っている黒い頬鬚ほおひげはやした絹帽シルクハットの馭者がチョットむちを揚げて合図みたいな真似をすると、どの巡査もどの巡査も直ぐにクルリと向うを向いて行っちまったんです。
 それが右へ曲っても左に曲っても、どこまで行ってもどこまで行ってもそうなんですから、あっしはだんだん不思議になって来ましたが、アトから聞いてみると無理もない話です。その馭者というのが旦那様……聖路易セントルイス切ってのギャングの大親分で、カント・デックてえ凄い奴だったそうです。聖路易セントルイスの町中の巡査はミンナこのデックの乾分こぶんみてえなものだったってえんですから豪勢なもんで……しかも一緒に乗っている支那娘のチイちゃんと、もう一人のフイちゃんとは揃いも揃ってこのカント・デックのめかけだって事がそんな時のあっしにわかったら、そのまんま目をまわしちゃったかも知れませんね。地球が丸いどころの騒ぎじゃ御座んせんからね。
 それでなくとも何だか少々、薄ッ気味が悪くなりかけているところへ馬車が止って、一軒の立派な明るい店の前に着きました。チイちゃんはそこであっしのキタネエ首根ッ子に今一つキッスをしますと、あっしの手を引きながらその店の中に這入って行きましたが、それは大きなレコード屋だったんですね。スバラシイ花輪や流行児はやりっこの歌い手らしい男や女の写真が、四方の壁一パイに並んでいる店の広間へ、縦横十文字に並んだ長椅子にりかかった毛唐と女唐めとうとが、フロック張りの番頭や手代の鳴らすレコードを知らん顔をして聞いていたようです。
 その横ッチョの木煉瓦張もくれんがばりの通路とおりみちをやはり女に手を引かれながら通り抜けて、奥の行当りのドアを抜けるとヤット肩幅ぐらいの狭い廊下に出ました。その廊下は向う下りになっていて、黒いマットが一面に敷いて在るために足音も何もしないまま地下室へ降りて行くようになっていたらしいんですが、そのうちに右に曲ったり左に折れたりしてドアを三つか四つぐらい潜って、もうだいぶ下へ降りたナ……と思ったトタンに廊下の天井にいていた電燈が突然だしぬけに消えちゃって真暗闇まっくらやみになっちまいました。それがチイちゃんの顔の見納めだったんで……今度目、見た時は夕刊の新聞で手錠をかけられた笑い顔で、その次に見たのはデックと並んで死刑の宣告を受けている写真ニュースの横顔でしたがね。
 もちろんソン時のあっしにゃそんな事がわかりっこありゃせん。神様だって知らなかったんですから……それと一所いっしょに女も手を放しちゃったんですから、あっしはタッタ一人真暗闇の中に取残されちゃったんで……往生しましたよ。まったく。
 それでもまだ自惚うぬぼれが残っていたんですから感心なもんでげしょう。さては女がイタズラをしやがったんだナ……ヨオシ……その気ならこっちでも探り出して見せるぞ……てんで鬼ゴッコみたいに手探りで向うの方へ行きますと、いつの間にか廊下の行当りのドアを通り抜けて一つの立派な部屋に出ていたんですね。不意討ちにパッとアカリがいたのを見ると、太陽が二十も三十も一時に出て来たようで今度こそホントウに腰を抜かすところでしたよ。何しろそこいら中反射鏡ダラケの部屋に、天井一パイの花電燈がいたんですからね。
 世の中には立派な部屋が在れば在るもんだと思いましたねえ。この節なら銀座へ行けあアレ位の部屋がザラに在るんですから格別驚かなかったかも知れませんがね。何の事はない、竜宮みてえな金ピカずくめの戸棚や、椅子、テーブル、花束や花輪で埋まった部屋なんで、ムンムンする香水の匂いで息が詰りそうな中にタッタ一人突立っている見窄みすぼらしいあっしの姿が、向うの壁一パイに篏め込んで在る大鏡に映ったのを見た時にゃ、思わずポケットへ手を当てましたよ。コンナ立派な部屋でチイちゃんを抱いて寝た日にゃ、イクラ取られるかわからないと思いましてね。そこまで来てもまだ瘡毒気かさけが残っていたんですから大したもんでゲス。
「アハハハ。お金のこと心配してはイケマセン……ミスタ・ハルキチ……アハハハハ……」
 だしぬけに大きな笑い声がしたのでビックリして振向きますと、あっし背後うしろの大きな蘭の葉陰から四十年輩の夜会服の紳士が、歩み出して来ました。その柔和な笑顔を見ると、たしかにどこかで会ったことの在る顔だとは思いましたが、どうしても思い出せません。真逆まさかにツイ今サッキ乗って来た馬車の馭者が黒い頬髯を取ったものだとは気付きませんでしたので、多分台湾館に居る時にチップを余計に呉れたお客の一人じゃないかと思いながらホッとタメ息しておりますと、その紳士は右手を差出して、あっしと心安そうに握手しながら一層、眼を細くして申しました。しかも、それが片言まじりの日本語なんです。
「……アナタ……このうちがドンナうちですか、よく御存知でしょう。それですからメンド臭いお話やめましょうね。用事だけお話しましょうねえ。コチラへおで下さい」
 とあっしを手招きしながら部屋の隅の巨大おおきな銀色の花瓶の処へ来ました。それは人間ぐらいの大きさの花瓶に蝦夷菊えぞぎくの花を山盛りに挿したもので、四五人がかりでもドウかと思われるのをその紳士は何の雑作ぞうさもなく一人で抱えけますと、その花瓶の向うの寄木細工よせぎざいくの板壁の隅に小さな虫喰いみたいな穴が二つ三つ出来ております。その穴の一つに紳士が、時計の鎖に附いている鍵を突込みますとパタリと音がして二尺に二尺五寸ぐらいの壁板がいて、奥の浅い十段ばかりに仕切った棚があらわれました。それがその毛唐の紳士が片言まじりの日本語と手真似で話すのを聞いてみるとこうなんです。
 ――この秘密の棚を錠前を使わないで開けられるようにしてもらいたい。材料と道具は入用なだけ直ぐに取寄せてやる。お前は台湾館の横で売っている不思議な箱根細工のマジック箱を作った大工さんだろう。だからアノ箱根細工の通りにここへ秘密のカラクリを取付けてもらいたいのだ。そうしてその開き方を自分にだけ教えて、直ぐに日本へ帰ってもらいたいのだ。お金はイクラでも遣る――
 と云うのです。毛唐人の大工なんてものは無器用でゲスからあの箱根細工のような細かい仕事が、お手本を見せられても真似られないらしいですね。
 しかしあっしはこの時に虫が知らしたんでげしょう、何となく……これあイヤナ処へ来たナ……と思いましたよ。ちいっと虫の知らせ方が遅う御座んしたがね。とにかく……
「これあ何に使う棚だい。その目的がわからなくちゃ作る事あ出来ねえ」
 て云ってやりますとね。その毛唐がホンノちょっとのでしたっけが青い眼をき出して恐しい顔になりましたよ。けれども直ぐに又モトの通りの柔和な顔に返って、前の通りの愛嬌のいい片言まじりの日本語で手真似を初めました。
「これは宝石の袋を仕舞しまっとく棚だ。私は昔からの宝石道楽で世界中の宝石を集めるのが楽しみなんだから、万一泥棒が這入っても心配のないようにコンナ仕事を頼むんだ。千ドルでも一万ドルでも欲しいだけお金を上げる。あの娘も附けてやっていいから是非どうか一つ請合って下さい」
 てんで見かけに似合わずペコペコ頭を下げて頼むんです。
「私は亜米利加中に別荘を持っているのだから万一ここで貴方あなたの仕事が気に入ったら、まだ方々で、お頼みしたいのだ。貴方に一生涯喰えるだけの賃金を上げる事が出来るのだ」
 と顔を真赤にして揉み手をしいしいペコペコお辞儀をするんです。カント・デックは前からチャンと研究して、あっし口説くどき落す手をかんげえていたらしいんですね。仕事の出来る日本人なら金を呉れて頭を下げさえすれあコロリと手に乗って来るものと思っていたらしいんですが、コイツが生憎あいにくなことに見当違いだったのです。イクラ「わんかぷ、てんせんす」だって時と場合によりけりです。支那人チャンチャンと違って日本人には虫の居どころって奴がありますからね。
 あっしはデックの話を聞いているうちにピインと来ちゃいました。さてはあのチイちゃんの色目は喰わせものだったのか、この毛唐人が俺をここまで引っぱり込むためにおとりに使ってやがったのか、この野郎、俺をいい二本棒に見立てやがったんだな、俺を女で釣って泥棒仕事のカラクリ細工に使おうとしやがったんだナ。して見るとコイツア飛んでもない処へマグレ込んで来ちゃったぞ。しかもここまで深入りしたからにゃトテも生きて日本にゃけえれめえ……と気が付くと腰を抜かすドコロかあべこべに気持がシャンとなっちまいました。
 ……妙な性分であっしは気が長い時にゃヤタラに長いんですが、何かの拍子にカーッとしちまうと、それから先が盲滅法めくらめっぽうに手ッ取り早いんで……篦棒べらぼうめえ日本人じゃねえか。金やピストルに眼がくらんで毛唐の追剥おいはぎや泥棒の手伝いが出来るかってんだ。「ふおるもさ、ううろんち」を知らねえかってんで、イキナリその毛唐に組付いて大腰をかけようとしたもんです。これでも柔道二段の腕前ですからね。
 ヘエ。それあ見上げたもんでしたよ。そこんとこだけがね。アトがカラッキシ意気地がえんで……。
 今からかんげえてみるとあん時によく殺されなかったもんで……多分、出来ることならあっしおどかし上げて柔順おとなしくして、彼の棚の扉の細工をさせようってえ腹だったのでしょう。……コイツは日本一の細工人に違いない。コイツを取逃とりにがしたら二度と再びコンナ細工は出来っこねえ……ぐれえにかんげえていたのかも知れませんがアブネエもんでゲス。今からかんげえるとゾッとしますよ。
 組み付いたと思った時にゃカント・デックに両腕をシッカリと掴まれておりました。しかもその指の力の強さったらありません。あっしの腕の骨が粉々こなごなになって行くような気持ちで、身体からだ中がしびれ上っちゃいました。トテモかなわないと思わせられましたね。手錠を引千切ひきちぎって逃げたっていう亜米利加でも指折りのカント・デックですから、柔道二段ぐれえじゃ歯が立ちませんや。
 デック野郎はあっしの腕を掴んだまま顔の筋一つ動かさねえでニコニコしながらかしました。
「アナタ。おこるといけません。あたしカント・デックです。ゆっくりして下さい。面白いものを見せますから……」
 と云ううちにあっしを廻転椅子みたいにクルリと向うむきにして軽々と抱え上げて、横のドアから出て行きました。
「いけねえいけねえ。おれ明日あしたっから又、台湾館の前に突立って怒鳴らなくちゃならねえ約束がして在るんだ。放してくれ放してくれ」
 と大暴れに暴れたもんですが何の足しにもなりません。そのまんまその次の部屋だったか、その次の部屋だったか忘れましたが、小さな粗末な部屋へ抱え込まれますと、そこのコンクリートの荒壁に取付けられている一枚硝子ガラスの小窓から向うの部屋を覗かせられました。ちょうど赤ちゃんがオシッコをさせられるようなアンバイ式にね……。
 あっしは暴れるのをやめてボンヤリと見惚みとれてしまいましたよ。向うの部屋の状態ようすがアンマリ非道ひどいんで、呆れ返ってしまったんです。
 ヘエ。それがドウモここではお話出来にくいんで……お二方ふたかたお揃いの前ではねえ。ヘヘヘヘヘ……。
 何の事あねえ。水溜りに湧いたお玉杓子たまじゃくしでゲス。それがみんな丸裸体まるはだかの人間ばっかりなんですからいた口がふさがりませんや。相当に広い部屋でしたがね。大きな椰子やしや、橄欖かんらんや、ゴムの樹の植木鉢の間に、長椅子だのマットだの、クッションだの毛皮だのが大浪おおなみのように重なり合っている間を、甘ったるい恰好の裸虫はだかむし連中が上になり下になりウジャウジャとのたくりまわっているんですからトテモ人間たあ思えませんよ。金魚鉢にどじょうをブチけたぐらいの騒ぎじゃ御座んせん。
 不思議なものでね。そんなのを見せ付けられていながらエロ気分なんてコレンバカリも起りませんでしたよ。今かんげえてもあの時の気持ばっかりはわかりませんがね。多分、冥途めいどの土産……てえな気持で見ていたんでしょう。何がなしに見っともなくて、馬鹿馬鹿しくて、胸が悪くなるようで、横ッ腹の処がゾクゾクして無性に腹が立って来ましたが、そのあっしの耳へカント・デックの野郎が口を寄せてかしやがったもんです。
「あそこへ行きたいなら仕事をなさい」
 あっしは又、あらん限りの死物狂いにアバレ初めました。部屋の中がムンムンと暑いので、汗みどろになってしまいましたが、何しろ太刀山たちやまみたいな強力ごうりきに押えられているんでゲスから子供に捕まったバッタみてえなもんで……ウッカリすると手足が※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)げそうになるんです。
「そんなら今一つ面白いものを見せましょう」
 と云うと今度はその小窓と反対側の低いドアを開けて、そこに掛かっている鉄の梯子はしご伝いに奇妙なぶしい広い部屋へ降りて来ました。日本へ帰って来てから早稲田大学へ仕事をしに行った時にヤットわかりましたが、あれが水銀燈というものだったのですね。部屋のズット向うの隅のアーク燈みてえなまぶしい、妙な色の電燈が一ついているキリなんですが、その光りで見るとカント・デックの顔色から自分の手の甲の色までも、まるきり死人のような鉛色に見えるんです。それでなくともあっしはサッキから死物狂いに暴れたアトで精も気魂も尽き果てておりましたので、カント・デックの片手に吊下げられたまま死人のように手足をブラ下げながらそこいらを見まわしますと、それはどこかの工場こうばの地下室としか思えません。コンクリートの天井と、床の間が頭のつかえる位低い、ダダッ広い部屋になっているんで、ジメジメと濡れたタタキの上には机も、椅子もちり一本散らかっておりません。ただ向うの隅の水銀燈の下に、大きな大理石のうすみたようなものがあって、その中で天井から突出たモートル仕掛けの鉄の棒がガリガリガリガリと廻転しているだけなんです。つまり特別あつらえの大きな肉挽にくひき器械ですね。博覧会の中で見たことのあるソーセージ製造器械なんです。
 しかしスッカリくたびれ切って、物をかんげえる力も何もなくなっていたあっしにはソレが何の意味なんだかサッパリわかりませんでした。……ハテナ……蓄音機屋の地下室が、腸詰ちょうづめ工場になっているのか知らん。コンクリの床の上をズルズルと引きられながら、その臼の処へ連れて行かれましたが、別に怖くも何ともありませんでした。
 けどもカント・デックに首ッ玉を押えられてその臼の中を覗かせられた時には、思わずゾッとして手足を縮めちゃいましたよ。その臼は、もちろん底抜けなんで、その底の抜けた穴の上にステキに大きな肉挽き器械のギザギザの渦巻きが、狼の歯みたいに銀色に光りながらグラグラグラと廻転しているのですから落っこったら最後、何もかもおしまいでさあ。頭から尻までゴチャゴチャになってしまうんですからドンナに有難いお経を聞かされたって成仏じょうぶつ出来っこありません。
「あなた。この中に這入ること好きですか……仕事しますかしませんか」
 流石さすがあっしも……流石でなくたってヘタバッちまいますよ。イクラ元気を出そう……好きじゃありません……と云おうと思っても身体からだ中がコンクリートみたいになってガタガタ震え出すんですから仕様がありません。お笑いになりますけどもその場へ行って御覧なさい。ナカナカそう平気でいられるもんじゃ御座んせん。自分が何をかんげえていたか、今でも記憶おぼえていない位なんで、多分気絶する一歩手前だったのでしょう。タッタ一つ眼に残っているのはあの鉛色の水銀燈のイヤアな光りだけなんで……まったくあの陰気臭い生冷なまづめてえ光りばっかりは骨身に泌みて怖ろしゅうがしたよ。ネオン・サインが極楽の光りなら水銀燈は地獄のアカリなんでしょう。生きた人間でも死人に見えるんですからね。今思い出してもゾオッとしちまいますよ。
 そこへカント・デックが何か合図をしたのでしょう。ズット背後うしろの方の薄暗い処のドアいて、青い葉服ぱふくを着た顔中髯だらけの大男が一人トロッコをノロノロと押しながら出て来たんです。その時まで気が付かなかったんですが、その入口から肉挽にくひき器械の前まで幅の狭い軌道レールが敷いて在ったんで……その菜ッ葉服の男が押しているトロッコが、あっし等の眼の前まで来て停まりますと、そのトロッコの上に乗っているものの上にかぶせた白い布片きれをカント・デックが取除とりのけました。そうして思わず「ワッ」と云って逃げ出そうとするあっしをガッシリと抱きすくめてしまいました。
 それは若い女の丸裸体まるはだかの死体だったのです。しかもその小さな下唇を前歯で噛み破ったらしく鼻の下から乳の間へかけてベットリとコビリ付いている血が、水銀燈に照らされて妙にくろずんだ腮鬚あごひげみたいに見えるのです。おまけにその右の手の中に何かしら大切なものを握り込んでいるらしく、シッカリと握り固めている上から左の手をおおいかぶせてピッタリと胸の上に押え付けている姿が、たまらなくイジラシイものに見えましたが、その黒い髪毛かみの前の方を切り下げている恰好がドウ見ても西洋人とは思えません。支那人か日本人に相違ないんで……。
 そう思っているうちに菜ッ葉服の大男が、カント・デックに腮でシャクられると直ぐに一つうなずいて菜ッ葉服の袖口をマクリ上げて、あっし太股ふとももくれえある毛ムクジャラの腕を二本、突出しました。その熊みたいな手で何の雑作もなく女の手をかせて、シッカリ握っている右手を開かせますと、中から見覚えのある台湾館備付そなえつけの桃色の支那便箋を幾つにも折ったものが出て来ました。そのレターペーパの折り目を拡げたやつを受取ったカント・デックは、あっしの鼻の先にブラ下げて見せながら、今一度ニコニコと笑いました。赤チャンをあやすような顔で、あっしの顔を覗き込みましたがね。
 それは筆と墨で書いた立派な日本文でした。多分、台湾館の事務室に在った藤村さんの硯箱すずりばこを使ったものでしょう。昔の百人一首に書いて在るような立派な文字でしたがね。
「チイちゃんと一所に出かけてはいけません。チイちゃんは支那人です。亜米利加のギャングの手先です。わたくしはチイちゃんと一緒にギャングのメカケになった、かわいそうな日本の女です。あたしの事を日本の両親につたえて下さい。
天草早浦はやうら生れ
  ハル吉親方様
中田フジ子より」
 その死骸がフイちゃんの死骸だとわかると、あっしは何かしら叫びながら飛び付こうとしたように思います。今までに無い力が出たので、あぶなくデックを振り離すところでしたが、そのあっしの左の手首をガッシリと掴み止めたデックは面と向って立ちながら今一度ニヤニヤと笑って見せました。
「わかりましたか。仕事しますか」
「何をッ」
 とか何とか怒鳴ったように思います。だしぬけに思いがけない力が出たもんで、鉄の噛締器バイトみてえなデックの手を振放して、火の玉のようになって相手に飛びかかろうとしましたが間に合いませんでした。背後うしろから菜ッ葉服の男に息の詰まるほどガッチリと抱きすくめられちゃったんです。そうして犬ころでも棄てるように軽々とデックの夜会服の腕の中へ投渡なげわたされちゃったんです。
 あっしを受取ったデックは喰い付いたり引っ掻いたりするあっしの手と足を背後うしろからたばにしてギューと掴み締めてしまいました。それから何か英語で二言三言云ったと思うと毛ムクジャラの菜ッ葉服が、トロッコの上の女の身体からだを抱き上げて、何の雑作もなく傍の肉挽器械の中へ投込みました。
 ……ヘエ。その時に肉挽き器械の中から聞えて来た恐ろしい声を、あっしは一生涯忘れないでしょう。フイちゃんはまだ生きてたんです。多分、日本人のあっしたすけるためにギャング仲間を裏切ったかどで、デックの配下てしたに拷問されて気絶していたものなんでしょう。
 あっしもそのまんま気絶していたようです。

「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
 てお呼び声がどこからか聞えるように思ってフイッと眼をいてみるてえと、コンクリート作りの馬小舎ごやみてえに狭い藁束わらたばだらけの床の上へ投げ出されているのに気が付きました。
 片隅のドアの前に置いて在る汚いバケツの中を這い寄って覗いてみますと、ジャガ芋と肉のゴッタ煮の上にパンのかたまりと水と、牛乳の瓶が投込んで在ります。……つまり何ですね。まだあっしを殺す気じゃなかったのでしょう。あわよくば仲間に引っぱり込んで仕事をさせる気でいたのでしょう。
 しかしあっしは助かったのが嬉しくも悲しくも何ともありませんでした。今からかんげえてみるとあの時はヨッポド頭が変テコになっていたんですね。やっぱり地球癲癇てんかんの続きだったかも知れませんでしたがね。自分がどこに居るやら、どうなっているやらわからないまま、眼が醒めないめえから続けていたらしい譫言うわごとを、そのまんま云いつづけておりました。
「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
 と繰り返し繰り返し大きな声で云ってたようですが、口癖ってものは恐ろしいものですね。
 ところがこの御祈祷の文句のお蔭で、無事にこうやって日本に帰ることが出来たんですから、人間の運てえものはドコまでも不思議なもので……ヘエ……。

 博覧会の方では大騒ぎだったそうです。あっしと二人の女がダシヌケに行方不明になったてんで警察に頼んだり何かして騒いだそうですが、わかる気づかいはありませんや。気の毒なのは藤村さんで、あっしの代りに礼服フロッキを着て台湾館の前に立たされて、代りが出来るまでノスタレじいと一所に「わんかぷ、てんせんす」をやらされたもんだそうで、二三日やってる中にお尻のポケツへジャラジャラ銀貨が溜まったのはいいが、声がスッカリれちゃって電話にかかれなくなっちゃったそうで……無理もありませんや。木遣りなんか唄ったこたあねえんですからね。おまけに怒鳴りながらも、ずいぶん気もんだそうですからね。……多分あっしが二人の女を誘拐かどわかしたんだろうテンデ、あべこべに世話あした支那料理店しなりょうりやから台湾館が損害を取られそうになっちゃったそうで……大工の治公はるこうって奴はソンナ大それた人間じゃねえテンデ藤村さんが一生懸命、頑張ってくれたそうですがね。
 そのうちに聖路易セントルイスの何とか云いましたっけが、目貫めぬきの通りに在るホテルの七階の屋上に夜遅くなってから幽霊が出る。そいつがドウヤラ新聞に出た台湾館の行方不明の客呼び男らしいていう噂がホテルのお客さんたちの間に立ち初めました。馬鹿馬鹿しい怪談おばけばなしですがね……治公はるこうがまだチャント生きているのに幽的ゆうてきが出る筈はないんですが、毛唐って奴は元来ゾッコン怪談おばけばなしが好きなんだそうで……つまらねえものを怪談おばけにしちまう癖があるんだそうですが、そんな噂がどこともなく散り拡がって行くうちに運よくギャング連中の耳に這入らないまに、藤村さんの耳に這入ったもんです。
貴女あなた……お聞きになりましたか、あのホテルのお化けの話を……」
「イイエ。まだ聞きませんわ。聞かして頂戴」
「一週間ばかり前からの事です。真夜中の二時頃……電車のまる頃になるとあのホテルの屋上庭園のマン中に在る旗竿の処へフロッキコートを着た日本人の幽霊が出るんです。ホラ直ぐそこに若いスマートな男と、赤っ鼻の禿頭はげあたまが立っているでしょう。あの通りの姿で幽霊が出て来て、あの通りの事を云うんだそうです」
「アラ怖い……ホント……」
「ホントですとも……それがあの新聞に出た行方不明の……ホラ……ずっと前に来た時にあすこに立っていたでしょう。ミスタ・ハルコーっていうあの男の姿にソックリなんだそうです」
「まあ……ホテルじゃ困っているでしょうねえ」
「ところが反対あべこべですよ。お蔭で屋上庭園に行く者は一人も居なくなった代りに、その声を聞きに行く者であのホテルは一パイなんだそうです。警察ではまだ知らないそうですが、あの日本人の行方不明事件はあのホテルと台湾館とが組んでやっている日本人一流の宣伝方法に違いないってミンナ云っておりますがね」
「シッ聞えるわよ。日本人に……」
「ナアニ。彼奴あいつ等は英語がわかりやしません。暗記した事だけを繰り返している忠実な奴隷なんですから……」
 こんな話を入口の近くのテーブルでやっているのを小耳に挿んだ藤村さんが、指を折って数えてみると、ちょうどあっしが行方不明になってから八日目だったそうです。
 藤村さんは西洋通ですから直ぐにピインと来たんでしょう。直ぐにその晩ホテルへ泊って、夜中の二時頃コッソリと屋上庭園へ来てみると世にも哀れっぽいかすかな微かなあっしの声で、
「じゃぱアーん。がばアーンめんとオー。ふおるもっさあアー。うう……ろん……ちいイイイ。わんかぷう……ウ。てんせえんすう――ッ……」
 てやっているんだそうです。そこで藤村さんは胸をドキドキさせながら抜き足、さし足その声の聞える方に近付いてみると、その声の主は屋上庭園のどこにも居ない。その向い側のメイ・フラワ・ビルデングの七階の片隅に在る真暗な小窓の中から聞えて来る事が、夜が更けて来るにつれてハッキリとわかって来た……というんです。
 しかし亜米利加通の藤村さんは決して慌てませんでした。何喰わぬ顔をして翌る朝、台湾館へ帰って来ると直ぐに華盛頓ワシントンの大使に頼んで、紐育ニューヨークのプレーグっていう腕っこきの警察官に頼んだものだそうです。
 ちょうどそのプレーグっていう警察官は一生懸命になってギャングの巣を探していたところだったそうで、早速紐育ニューヨークの警視庁へズキをまわして取っときの刑事や巡査を借りて聖路易セントルイスへ乗込んで、土地の警察へも知らさないようにメイ・フラワ・ビルの様子を探ると、出入りする奴はみんな変装した前科者ばかりなんで、イヨイヨそれと目星を附けて水も洩らさねえように手配りをきめた二十人ばかりのプレーグの配下てしたが、アッという間もないうちにメイ・フラワ・ビルの地下室から七階まで総マクリにしてしまいました。双方とも怪我けが人や死人が出来たりして一時は戦争みたいな騒ぎだったそうですが、あっしはチットも知りませんでした。そこから抱え出されて聖路易セントルイスの市立病院の病床ベットに寝かされても相も変らず「わんかぷ、てんせんす」をやっていたそうです。
 ……ところで、まだ話があるんです。これからがホントに凄いんですね。

 あっしがあらん限りの注射と滋養物のお蔭で、やっとモトの頭になって退院させられた時はもうユーカリの葉が散っちゃった秋の末で、博覧会なんかトックの昔におしまいになっておりました。退院すると直ぐに警察に呼び出されて、ほんの型ばかりの訊問を通訳附きで受けますと、領事さんからの旅費を貰って桑港シスコから日本へ帰りましたが、その途中のことです。たしか出帆してから十日目ぐらいのお天気のいい朝でしたがね。あんまり航海ナベゲタが退屈なもんですから、眼が醒めても起き上る気がしません。そのまんま特別三等とくさんの寝床の中で足をツン伸ばしてアーッと一つ大きな欠伸あくびをしたもんですが、そのトタンに桑港シスコで知り合いの領事館の人からお土産に貰った小さな紙包みのことを思い出しました。ハテ何だったろうと思いながら、寝床の下のバスケットの中からその紙包を取り出して開けてみると、どうでげす。それが平べったいソーセージの缶なんで……。
 コイツは占めたと思って飛び起きると、食堂から五十二セントの日本ビールを一本買って来て、ベットの上にアグラを掻きながら、缶の蓋を開けて、美味うまそうな腸詰ちょうづめの横ッ腹をジャクナイフで薄く切り初めたもんですが、そのうちに何やらナイフのからまるものがあります。……ハテ……おかしいなと思いながら、そのナイフの刃を暗い窓あかりに透かしてみるとソイツが黒い女の髪の毛なんで……あっしはドキンとしましたよ。それでもマサカと思いながら今のソーセージの切口をよく見ると、薄桃色の肉の間に何だか白い三角がたのものが挟まっているようです。ハテナと思い思いホジクリ出してみると、そいつがどうです。三分角ぶかくぐらいの薄桃色の紙片かみきれの端なんで……永いこと赤い肉の間に挟まってフヤケちゃっているんですから色合いなんかアテになりませんし、紙の質だって支那出来のレターペーパだか何だか、わかったもんじゃ御座んせんが、それでもその紙が、その黒い髪の毛と一つとこに這入っていたことだけは間違いねえんで……。
 それでもマサカ……とは思いましたがドウモ変な心持ちになりましたよ。あっしに惚れていたフイちゃんが、あっしの身代りにソーセージになって、ここまでいて来たんじゃねえか……ナンテかんげえておりますと、最早もはや、ビールのさかなどころじゃ御座んせん。こっちの頭がソーセージみたいにゴチャゴチャになっちまいました。世界の丸っこい道理がズンズンとわかって来るように思いましてね……まったく……ヘエ……。
 ……ヘエ。どうも奥様……いろいろと御馳走様で……これで御免を蒙りやす。





底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年3月24日第1刷発行
※底本の「腸詰ソーセージにに」を、「腸詰ソーセージに」に改めました。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2004年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について