人皇百十六代桃園天皇の御治世。徳川中興の名将軍吉宗公の後を受けた天下泰平の真盛り。九代家重公の
宝暦の初めっ方。京都の島原で一と云われる松本楼に満月という
花魁が居た。五歳の年に重病の両親の薬代に代えられた松本楼の子飼いの娘ながら、名前の通り満月をそのままの美くしさ。花ならば咲きも残らず散りも
初めぬ十九の春という評判が、日本国中津々浦々までも伝わって、毎年三月の花の頃になると満月の道中姿を見るために洛中洛外の宿屋が、お上りさんで一パイになる。本願寺様のお
会式にも負けぬという、それは大層な評判であった。
その頃、満月に三人の
嫖客が附いていた。
一人は越後から京都に乗出して、嵯峨野の片ほとりに
豪奢な邸宅を構え、京、大阪の美人を漁りまわしていた
金丸長者と呼ばれる半老人であった。はからずもこの満月に
狃染んでからというもの、曲りかけている腰を無理に引伸ばし、薄い
白髪鬢を墨に染め、
可笑しい程派手な衣裳好みをして、
若殿原に
先をかけられまいという心遣いや金づかいに糸目を附けず。日本中を真半分に割って東の方に在るものは
皆、満月に買うてやりたいほどの意気組であった。
今一人は青山
銀之丞という若侍であった。関白七条家の御書院番で、俗に公家侍というだけに、髪の結い振り。
素袍、
小袴の着こなしよう。さては又腰に提げた
堆朱の
印籠から青貝の
鞘、
茶
、
白金具という両刀の好みまで優にやさしく、水際立った眼元口元も土佐絵の中から脱け出したよう。女にしても見まほしい
腮から
横鬢へかけて、心持ち青々と苦味走ったところなぞ、
熨斗目、
麻裃を着せたなら天晴れ何万石の若殿様にも見えるであろう。俺ほどの男ぶりに満月が惚れぬ筈はない。日本一の美男と美女じゃもの。これが
一所にならぬ話の筋は世間にあるまい……といったような
自惚れから、柄にない無理算段をして通い
初めたのが運の尽き。案の定惚れたと見せたは満月の手管らしかった。天下の色男と自任していた銀之丞が、
花魁に身上げでもさせる事か。忽ちの
中に金に詰まり初め、御書院番のお役目の最中は、居眠りばかりしていながらに、時分を見計らっては受持っている宝物棚の中から、音に名高い利休の
茶匙、
小倉の色紙を初め、
仁清の
香炉、
欽窯の花瓶なぞ、七条家の御門の外に出た事のない御秘蔵の書画
骨董の数々を盗み出して、コッソリと大阪の商人に売りこかし、満月に入れ揚げるのを当然の権利か義務のように心得ている有様であった。
残る一人は大阪屈指の廻船問屋、
播磨屋の当主
千六であった。二十四の年に
流行病で両親を失ってからというもの、永年勤めていた
烟たい番頭を
逐い出し、
独天下で骨の折れる廻船問屋の采配を振り初めたところは立派であったが、一度、仲間の
交際で京見物に上り、眉の薄い、色の白いところから思い付いた役者に化けて松本楼に上り、満月花魁の姿を見てからというもの役者の化けの皮はどこへやら、仲間に笑われながら京都に居残り、
為替で金を取寄せて芸者末社の機嫌を取り、満月との首尾のためには清水の舞台から
後跳びでも
厭わぬ
逆上せよう。
自宅から心配して迎えに来た忠義な手代に会いは会うても、大阪という処が、どこかに在りましたかなあという顔をしていた。
満月はこの三人に対して締めつ
弛めつ、年に似合わぬ鮮やかな手管を使って見せたので、三人の競争はいよいよ激しくなって行くばかり。満月の名娼ぶりの中でも一番すごいのは、その持って生まれた手練手管であることを、三人が三人とも、夢にも気付かぬ気はいであった。どうしてもこの大空の満月を自分一人の手に握り込まねば……という必死の競争を続けるのであった。
しかし、そのうちにこの競争も勝敗が附きそうになって来た。
青山銀之丞は、宝暦元年の冬、御書院の宝物お
検めの日が近付く前に、今までの罪の露見を恐れ、当座の小遣のために又も
目星しい宝物を二三品引っ抱えて、
行衛を
晦ましてしまったのであった。
播磨屋千六は、これも満月ゆえの限りない遊興に、
敢えなくも身代を使い果して、とうとう分散の
憂目に会い、
昨日までの栄華はどこへやら、少しばかり習いおぼえた三味線に
縋って所も同じ大阪の町中を編笠一つでさまよいあるき、眼引き袖引き
後指さす人々の
冷笑を
他所に、家々の門口に立って、小唄を唄うよりほかに生きて行く道がなくなっている有様であった。
その宝暦二年の三月初旬。桜の
蕾がボツボツと白く見え出す頃、如何なる
天道様の
配合であったろうか。絶えて久しい播磨屋千六と、青山銀之丞が、大阪の町外れ、桜の宮の鳥居脇でバッタリと出会ったのであった。
最初は双方とも変り果てた姿ながら、あんまり
風采が似通っているままに、編笠の中を覗いてみたくなったものらしかったが、さて近付いてみると双方とも思わず声をかけ合ったのであった。
「これは青山様……」
「おお。これは千六どの……」
二人とも世を忍ぶ身ながらに、落ちぶれて見ればなつかし水の月。おなじ道楽の
一蓮托生といったような気持も手伝って、昔の
恋仇の意地張はどこへやら。心から手を取り合って奇遇を喜び合うのであった。
蒲公英の咲く
川堤に並んで腰を打ちかけ、お宮の
背後から揚る
雲雀の声を聞きながら、銀之丞が腰の
瓢と盃を取出せば、千六は恥かしながら背負うて来た風呂敷包みの
割籠を開いて、焼いた
干鰯を
抓み出す。
「満月という女は思うたよりも
老練女で御座ったのう」
「さればで御座ります。私どもがあの死にコジレの老人に見返えられましょうとは夢にも思いかけませなんだが……」
なぞと互いに包むところもなく、
黄金ゆえにままならぬ浮世をかこち合うのであった。
「それにしても満月は美しい
女子で御座ったのう」
「さいなあ。
今生の思い出に今一度、見たいと思うてはおりまするが、今の
体裁では思いも寄りませぬ事で……」
「……おお……それそれ。それについてよい思案がある。この三月の十五日の
夜には島原で満月の道中がある筈じゃ。今生の見納めに連れ立って見に参ろうでは御座らぬか。まだ四五日の
間が御座るけに、ちょうどよいと思いまするが……」
「さいやなあ。そう仰言りましたら何で
否やは御座りましょうか。なれど、その途中の路用が何として……」
「何の、やくたいもない心配じゃ。拙者にまだ
聊かの
蓄えもある。それが気詰まりと思わるるならば
此方、三味線を引かっしゃれ。
身共が小唄を歌おうほどに……」
「おお。それそれ。
貴方様の小唄いうたら祇園、島原でも評判の名調子。私の三味線には過ぎましょうぞい」
「これこれ。
煽立てやんな。落ちぶれたなら声も落ちつろう。ただ
小謡よりも
節が勝手で気楽じゃまで……」
「恐れ入りまする。それならば思い立ったが吉日とやら。只今から直ぐにでも……」
「おお。それよ。善は急げじゃ」
酒のまわり工合もあったであろう。さもなくとも色事にだけは日本一
押の強い腰抜け侍に
腑抜け町人。春の
日永の淀川づたいを十何里が間。右に左にノラリクラリと、どんな文句を唄うて、どんな三味線をあしろうて行ったやら。揃いも揃うた昔に変る日焼
面に
鬚蓬々たる乞食姿で、哀れにもスゴスゴと、なつかしい京外れの木賃宿に着いたのが、ちょうど大文字山の
中空に十四日月のほのめき
初むる頃おいであった。明くれば宝暦二年の三月十五日。日本切っての名物。島原の
花魁道中の前の日の事とて、洛中洛外が何とのう、大空に浮き上って行きそうな気はいが、二人の泊っている木賃宿のアンペラ敷の上までも漂うていた。
月は満月。人も満月。桜は真盛り……。
島原一帯の茶屋の
灯火は日の暮れぬ
中から
万燈の如く、日本中から大地を埋めむばかりに押寄せた見物衆は、道中筋の両側に身動き一つせず。わけても松本楼に程近い石畳の四辻は人の顔の山を築いて、まだ何も通らぬうちから
固唾を呑んで、酔うたようになっていた。
そのうちに聞こえて来る
前触の拍子木。草履のはためき。カラリコロリという
木履の音につれて今日を晴れと着飾った花魁衆の道中姿、第一番に何屋の誰。第二番に何屋の
某と
綺羅を尽くした
伊達姿が、眼の前を次から次に横切っても、人々は唯、無言のまま押合うばかり。眼の前の美くしさを見向きもせず。ひたすらに
背後を背後をと首を伸ばし、爪立ち上って、満月の傘を待ちかねている気はいであった。
銀之丞、千六の姿も、むろんその中に
立交っていた。よもや満月花魁が、俺達の顔を見忘れはしまい……あれ程の仲であったものを……という
自惚れと、見咎められては生きながらの恥辱という
後めたさとが
一所になった心は一つ。互いに
後になり先になり、人垣を押しわけ押しわけ伸び上り伸び上りするうちに、先を払う
鉄棒の響。男衆の拍子木の音。
囃し
連るる三味線太鼓、
鼓の音なぞ、今までに例のない物々しい道中の前触れに続いて、黒塗、三枚歯の駒下駄高やかに、鈴の
音もなまめかしく、ゆらりゆらりと六法を踏んで来る満月花魁の道中姿。うしろから
翳しかけた大傘の紋処はいわずと知れた金丸長者の
抱茗荷と知る人ぞ知る。
鼈甲ずくめの櫛、
簪に後光の
映す玉の
顔、柳の眉。
綴錦の
裲襠に銀の
六花の
摺箔。五葉の松の縫いつぶし。唐渡り黒
繻子の丸帯に金銀二艘の
和蘭陀船模様の
刺繍、眼を驚かして、人も衣裳も共々に、
実に千金とも万金とも
開いた口の
閉がらぬ派手姿。
蘭奢待の
芳香、
四隣を払うて、水を打ったような人垣の間を、しずりもずりと来かかる折から、よろよろと前にのめり出た銀之丞、千六の二人の姿に眼を止めた満月は、思わずハッと
立佇まった。二人の顔を等分に見遣りながら、持って生れた愛嬌笑いをニッコリと洩らして見せた。
魂が見る間にトロトロと溶けた二人は、腰の
蝶番が
外れたらしい。眼を白くして、口をポカンと開いたまま、ヘナヘナとその場へ土下座して、水だらけの敷石の上にベッタリと並んで両手を
支えてしまった。茫然として満月の姿を見上げたのであった。
満月の愛嬌笑いは、いつの間にか淋しい、冷めたい笑顔に変っていた。二人の前で駒下駄を心持ち横に倒おして、土をはねかけるような恰好をしたと思うと、銀の鈴を振るようなスッキリとした声で、
「男の恥を知んなんし」
とタッタ一言。白い
腮を三日月のように
反向けて、眉一つ動かさず。見返りもせずに、
裲襠の背中をクルリと見せながら、シャナリシャナリと人垣の間を遠ざかって行った。あとから続く三味太鼓の音。漂い残す
蘭麝のかおり。
「……満月……満月……」
と囁やき交しながら
雪崩れ傾いて行く
人雑沓の
塵埃いきれ……。
その
中に両手の
穢れを払いながら立上った二人の顔は、もう人間の
表情ではなかった。墓の下からこの世を呪いに出て来た
屍鬼の形相であった。血の気のない顔に
生汗を
滴らせ、白い唇をわななかせつつ互いの顔を睨み合って、肩で
呼吸をするばかりであった。
「……こ……これが見返さいでいられましょうか」
千六の両眼から涙がハラハラと溢れ落ちた。
「……こ……これ程の挨拶……か……刀の手前にも……捨てて……おかれぬわい。ええっ……」
銀之丞の美しい眼尻には涙どころか、血が
鈍染んでいた。二人は思わず互いの両手を固く握り合っていた。その手を銀之丞は烈しく打振った。
「……千六殿……約束しょう。……イ……今から丸一年目に……イ……今一度、ここで会おう。それまでに二人とも、あの金丸長者を見返すほどの
金子をこしらえよう。二人の力を合わせても、あの
売女奴を
身請しよう」
千六は感激に溢るる涙を拭いもあえず
首肯いた。一層固く銀之丞の手を握り締めた。銀之丞は遥かに遠ざかった満月の傘を振りかえった。ギリギリと歯噛みをした。
「……やおれ……身請けした暁には、思い知らさいでおこうものか。ズタズタに切り
苛んで、
青痰を吐きかけて、
道傍に蹴り棄てても見せようものを……」
「シッ……お声が……」
二人はそのまま人ごみに紛れて左右に別れた。大空の満月が花の上にさしかかる頃であった。
銀之丞は東海道を江戸へ志した。
思い迫って約束した一年の短かい間に、どうしたら望み通りの金が稼げるかと……思案に暮るる一人旅。京外れで買うた尺八の歌口を嘗め嘗め破れ扇を差出しながら、宿場宿場の
揚雲雀を道連れに、江戸へ出るには出たものの、男振りよりほかに取柄のない柔弱武士とて、切取り強盗はもちろん
叶わず。
押借り
騙取の度胸も持合わせず。賭博、相場の器用さなど、夢にも思い及ばぬまま、三日すれば止められぬ乞食根性をそのまま。京都とは似ても似付かぬ町人の気強さを恐れて、屋敷町や町外れの農家や
小商人の軒先をうろ付きまわり、一文二文の合力に、
生命をつなぐ心細さ。金儲けどころか立身どころか。派手な大小
印籠までも塩鰯と
剥げ印籠に取りかえる落ちぶれよう。
稀には場末の色町らしい処で笠の中を覗き込んで
馬糞女郎や安
芸妓たちにムゴがられて、思わず
収入に有付いたり、そんな女どもの取なしで
田舎大尽に酒肴を御馳走され、一二番の戯れ小唄の御褒美に小袖、穿物、手拭なぞ貰うて帰る事もあり。そのほか役者衆に拾われかけたり、絵草子屋に売子を頼まれたりなぞ、色々な眼に出会うたものであったが、それでも女色にだけは決して近付かなかった。去る金持後家に見込まれて昼日中、引手茶屋に引上げられ、小謡いがまだ二三番と済まぬうちに
脂切った腕を首にさし廻わされた時なぞ、血相をかえて塩鰯をひねくりまわし、
後退りして逃げて来るという、世にも身固い、涙ぐましい月日が、いつの
間にか夢のように流れて、早や笑うてくれる鬼もない来年の正月。約束の三月も程近い銀之丞が二十五の春となった。
こうなれば
最早、致し方もない。僅か一年の間に大金を作ろうなぞと約束したのがこっちの
愚昧であった。浮世の風に吹き
晒されてみればわかる。やはり
他人の云う通りに世の中は、思うたほど甘いものではないらしい。
しかし約束は約束なれば是非に及ばぬ。満月の道中に間に合うように故郷へ帰らずばなるまい。播磨屋千六の顔を見ずばなるまい。千六は町人の事なれば、一年の間に一万両ぐらい儲けまいものでもない。もっとも町人の事なれば、そうなってみると、おのが身代が惜しゅうなって、気が
摧けていまいとは限らぬが、もしも、さような事になれば一文無しのこっちの方が、
却って確かなもの。
否応なしに千六の尻を
押いて金輪際、満月を身請させいでおこうものか。もし又、万が一にも、その
期に及んで満月が二人の切ない
情を
酌まず、
売女らしい空文句を一言でも
吐かしおって、
吾儕を手玉に取りそうな気ぶりでも見せたなら最後の助。こっちは元より棄てた一生。一刀の下に切伏せて、この
年月の
怨恨を
晴らいてくれるまでの事。所詮、それ位の役廻りにしか値打せぬ吾身の運命であったかも知れぬが……と、とつおいつ思案のうちに、旅支度という程の用意も要らぬ着のみ着のままの浪人姿。ブラリと立出づる
吹晒しの東海道。間道伝いに雪の箱根を越えて、下れば春近い駿河の海。富士の姿に満月の襟元を思い浮かめ、三保の松原に天女を抱き止めた
伯竜の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を
背後に、大井川の渡し賃に
無けなしの
懐中をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く
馬士どものワヤク話を聞くともなく聞いて行くうちに、銀之丞はフト耳を引っ立てて、並んで曳かれて行く馬の片陰に近付いた。声高く話す
馬士どもの言葉を一句も聞き洩らすまいと腕を組み直し、笠を傾けて行った。
菊川の
家並外れから右に入って
小夜の中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う
無間山こと
倶利ヶ
岳の中腹に、
無間山、
井遷寺という
梵刹がある。この寺は昔、今川義元公が戦死者の
菩提のために、わざと風景のよい山の中腹に建てられたもので、寺領も沢山に附いておったが、その後、信長公、秀吉公、東照宮様と代が変って来るうちに、その寺領もなくなり、久しく無住の荒れ寺となって、
妖怪が出るというような噂まで立っていた。
ところがツイ二三年前のこと、甲州生れの大工上りとかいう全身に
黥をした大入道で、
三多羅和尚という豪傑坊主が、人々の噂を聞いて、一番俺がその
妖怪を
退治てくれようというのでその寺に
住い込み、自分でそこ、ここを修繕して納まり返り、近郷近在の無頼漢を集めて御本堂で
賭博を打たせ、
寺銭を集めて威張っている。自分も相当の好きらしく時々寺銭を
賭っているそうなが、不思議な事にこの坊主を負かすと間もなく、御本堂がユサユサと
家鳴り震動して天井から砂が降ったり、軒の瓦が
辷ったりする。その物すごさに一同が居たたまれずに逃げ出すと、又、間もなく静まり返るので、打連れて本堂に引返してみると、こは如何に。今まで山のように積んであった寺銭も
場銭も盆
茣蓙も、
賽目までも虚空に消え失せて、あとには夥しい砂ほこりが分厚く積っているばかり。それが恐ろしさと馬鹿らしさに皆、忘れても和尚を負かさぬように気を付けているが、それでも時々大地震のような
家鳴、震動が起るので、事によるとやはり
狐狸の
仕業かも知れない。とはいえ場所はよし、和尚の
取持はよし、麓の一本道に見張りさえ付けておけば、手入れの心配は毛頭ないので、入れ代り立代り寄り集まって手遊びするものの絶えぬところが面白い。もちろんそのような家鳴、震動の
度毎に、麓の百姓に聞いてみても、そんな地震は一向知らぬという話。ナント面妖な話ではないかえ。その狐か狸かが
渫って行った金高を集めたなら、大したものづら……といったような話を、頭に刻み込み刻み込み行くうちに銀之丞は、いつの
間にか菊川の町外れを右に曲って、松の間の草だらけの道を、無我夢中で急いでいた。……大工上りの
袁許坊主……
井遷寺のカラクリ本堂……思いもかけぬ大金儲けの
緒……
生命がけの大冒険……といったような問題を、心の中でくり返しくり返し考えながら……。
無間山井遷寺は聞きしにまさる雄大な
荒廃寺であった。星明りに透かしてみると
墓原らしい処は一面の竹籔となって、数百年の大
銀杏が真黒い巨人のように切れ切れの天の河を押し上げ、本堂の屋根に生えたペンペン草、紫苑のたぐいが、下から這い上った
蔦や、
葛蔓とからみ合って、夜目にもアリアリと森のように茂り重なっていた。
見張りの眼を巧みに潜ってきた銀之丞が、閉め切った本堂の雨戸の隙間からチラチラ洩れる火影を
窺いてみると、正しく天下晴れての
袁彦道の真盛り。
月代の伸びた荒くれ男どもは本職の渡世人らしく、頬冠りや向う鉢巻で群がっている
穢苦しい老若は、近郷近在の百姓や地主らしい。正面に
雲竜の
刺青の片肌を脱いで、
大胡坐を掻いた和尚の前に積み上げてある寺銭が山のよう。
盆茣蓙を取巻いて円陣を作った人々の
背後に並んだ
酒肴の
芳香が、雨戸の隙間からプンプンと洩れて来て、銀之丞の
空腹を、たまらなく
抉るのであった。
そのうちに盆茣蓙の真中に伏せてあった
骰子壺が引っくり返ると、和尚の負けになったらしく、積上げられた寺銭が、大勢の笑い声の
中にザラザラと崩れて行く。それを見ると和尚が不機嫌そうにトロンとした眼を据えて、
「……これはいかん。ああ。酔うた酔うた。ドレちょっと一パイ水でも呑んで来ようか」
と云ううちに立上った和尚の物すごい眼尻に引かえて、
唇元の微かな薄笑いが、
裸体蝋燭の光りにチラリと映ったのを銀之丞は見逃がさなかった。
銀之丞はコッソリと雨戸から離れて、ドシンドシンという和尚の足音が、どこへ行くかを聞き送っていた。
和尚の足音は
渡殿を渡って
庫裡の方へ消えて行った。そこの
闇がりで水を飲む
柄杓の音がカラカラと聞こえたが、やがて又今度は音も立てずにヒッソリと渡殿を引返して、何やドッと笑い合う
賭博連中のどよめきを
他所に、本堂の外廊下の
暗に消え込んで行ったと思うと、不思議なるかな。さしもの本堂の
大伽藍の
鴨井のあたりからギイギイと音を立てて揺れはじめ、だんだん烈しくなって来て本堂一面に砂の雨がザアザアと降り出し、軒の瓦がゾロゾロガラガラと辷り落ちて、バチンバチンと庭の
面を打つ騒ぎに、
並居る渡世人や百姓の面々は、すはこそ出たぞ、地震地震と取るものも取りあえず、燭台を蹴倒し、雨戸を
蹴放して家の外へ飛び出せば、本堂の中は真暗闇となって、聞こゆるものは砂ほこりの畳に
頽雪るる音ばかりとなった。
なれども銀之丞はちっとも驚かなかった。こっそりと渡殿の欄干を
匐い上り、本堂の外縁にまわり込んでみると、本堂の
真背後に在る内陣と向い合った親柱を、最前の三多羅和尚が双肌脱ぎとなり、声こそ立てねエイヤエイヤと、調子を計って押しつ緩めつしているけはいである。さては前以て察した通りにこの和尚奴、自身大工の心得があるのを幸い、本堂のアタリアタリの締りを弛め、
普通の者の力でも拍子を揃えてゆすぶれば、次第次第に揺れ出すように仕掛け、天井裏には砂でも積んでおいて、客人達が勝負に夢中になっている油断を見澄まして、コッソリとカラクリを動かし、この辺の無智な奴どもを脅やかし、悪銭を奪いおったに相違ない。これこそ天の与うる福運。取逃がしてなるものかと思ううち、ぬき足さし足和尚の
背後に忍び寄り、腰の
錆脇差をソロソロと音のせぬように抜き放ち、和尚の背中のマン中あたりにシッカリと
切先を狙い付け、矢声もろとも
諸手突きに、
柄も
透れと突込めば、何かはもってたまるべき、悪獣のような叫び声をギャアッと立てたがこの世の別れ、あおのけ様に引っくり返って、そのまま息が絶えてしまった。その声に驚いて、外に逃出していた百姓連中がワイワイと
駈集まって来るのを、銀之丞は和尚の屍体に片足かけたまま見下した。引抜いた血刀を構えながら
凜々たる声を張上げて叫んだ。
「……騒ぐな騒ぐな。百姓共。よく聞けよ。身共は京都に
在します
一品薬王寺宮様の
御申付によって
是まで参いった宮侍、吉岡鉄之進と申す者じゃ。そもそもこの寺は今川義元公の没落後、東照宮様の御心入れによって、薬王寺宮様の御支配寺になっていたものをこれなる悪僧が横領致して、不思議なる働きをなし、その方共が持寄る不浄の金を掻集めおる噂が、勿体なくも宮様の御耳に入り、一日も早く
件の悪僧を
誅戮なし、
下々の難儀を救い取らせよとの有難い
思召によって、はるばる身共を
差遣わされた次第じゃ。只今首尾よくこの悪僧を仕止めた以上、この寺に在る不浄の金銭は残らず宮家に於て召上げられる故に
左様心得よ。なおその方共は身共の下知に従って、隠れたる金銀を探し出し、身共の差図通りに取形付けを致すならば、今日持って
参いった
賭博の
資金は
各自に相違なく返し遣わすのみならず、賃銀は望みに任するであろう。もし又、否やを申す者があるならば、一品宮様の御罰までもない。身共がこの和尚と同様に一刀の下に
斬棄てる役柄故、
左様心得よ」
それから数日の
後、銀之丞は一品薬王寺宮御門跡の御賽銭宰領に変装し、井遷寺の床下に積んであった不浄の金を二十二の
銭叺に入れ、十一頭の馬に負わせ、百姓共に口を取らせて名古屋まで運び、諸国為替問屋、
茶中の手で九千余両の為替に組直させ、百姓共に手厚い賃銀を取らせて追返すと、さっぱりと
身姿を改めて押しも押されもせぬ公家侍の旅姿となり、
夜を日に次いで京都へと急いだ。
一方、銀之丞に別れた播磨屋千六は、途中滞りもなく長崎へ着いた。
千六は長崎へ着くと直ぐに
抜荷を買いはじめた。抜荷というのは今でいう密貿易品のことで、
翡翠、水晶、その他の宝玉の類、
緞子、
繻珍、
羅紗なぞいう呉服物、その他禁制品の
阿片なぞいうものを、密かに売買いするのであったが、その当時は吉宗将軍以後の御政道の
弛みかけていた時分の事だったので、面白いほど儲かった。モトモト千六は無敵な商売上手に生れ付いていたのが、女に
痴呆けたために前後を忘れていたに過ぎないので、こうして本気になって、女にも酒にも眼を
呉れず、絶体絶命の
死身になって稼ぎはじめると、腕っこきの支那人でも
敵わないカンのいいところを見せた。のみならず千六は
賭博にも
勝れた天才を持っていたらしく、相手の手の
中を見破って、そいつを逆に利用する手がトテモ鮮やかでスゴかったので仲間の
交際ではいつも花形になったばかりでなく、その身代は太るばかり。長崎に来てからまだ半年も経たぬうちに、早くも一万両に余る金を貯めたのを、
彼の夜の事を忘れぬように
三五屋という家号で為替に組んで、大阪の両替屋、
三輪鶴に預けていた。従って三五屋という名前は大阪では
一廉の
大商人で通っていたが、長崎では詰まらぬ
商人宿に燻ぶっている
狐鼠狐鼠仲買に過ぎなかった。
その年の秋の初めの事であった。千六は何気なく長崎の支那人街を通りかかると、フト
微かに味噌の臭いがしたので立ち佇まった。そこいらを見まわすと前後左右、支那人の
家ばかりだから
韮や
大蒜の
臭気がする分にはチットモ不思議はない筈であるが、その頃までは日本人しか使わない麦味噌の
臭気がするとは……ハテ……面妖な……と思ったのが
大金儲の
緒であったとは
流石にカンのいい千六も、この時まだ気付かなかったであろう。頻りに鼻をヒコ付かせて、その
臭気のする方向へ近附いて行くうちに味噌の
臭気がだんだんハッキリとなって来た。間もなく眼の前に
屹立っている長崎随一の支那貿易商、
福昌号の裏口に在る地下室の小窓から
臭って来ることがわかった。そっと覗いてみると、暗い、微かな光線の中に一面に散らばった
鋸屑の上に、百
斤入と見える新しい味噌桶が十個、行儀よく二行に並んでいる。残暑に
蒸るる地下室で、味噌が腐りそうになったので、小窓を開いて息を抜いているものらしかった。
そこで千六は暫く腕を組んで考えていたが、忽ちハタと膝を打って、赤い舌をペロリと出した。
「……そやそや……味噌桶と見せかけて、底の方へは何入れとるか知れたもんやない。この頃長崎中の
抜荷買が不思議がっとる福昌号の
奸闌繰ちうのはこの味噌桶に違いないわい。ヨオシ来た。そんなら一つ腕に
縒をかけて、唐人共の鼻を明かいてコマソかい。荷物の行く先はお手の筋やさかい……」
そんな事をつぶやくうちに千六はもう二十日鼠のようにクルクルと活躍し初めていた。
先ず福昌号の表口へ行って、その店の商品の
合印が○に福の字である事を、その肉の太さから文字の恰好まで間違いないように懐紙に写し取った。その足で長崎中の味噌屋を尋ねて、福昌号に味噌を売った者はないかと尋ねてみると、タッタ一軒、山口屋という味噌屋で三百五十
斤の味噌を売ったというほかには一軒も発見し得なかった。
それから同じく長崎中の桶屋を、裏長屋の隅々まで尋ねて、福昌号の註文で新しい味噌桶を作った
家を探し出し、そこで百斤入の蓋附桶を十個作った事が判明すると、千六はホッと一息して喜んだ。
「それ見い。云わんこっちゃないわい。百斤入の桶が十個に味噌がタッタ三百五十斤……底の方に
鋸屑と小判が沈んどるに、きまっとるやないか」
とつぶやくと、思わず躍り上りたくなるのをジッと辛棒して、何喰わぬ顔で同じ型の蓋附桶を十個、大急ぎで
誂えた。それから今度は金物屋に行って鉛の
半円鋳を六百斤ほど買集め、そっくりそのまま町外れのシロカネ屋(金属細工屋)に持って行って、これは
蓬莢島から来た船の註文ゆえ、特別念入りの大急ぎで遣ってもらいたい。
蓬莢島でも一番の大金持、
万熊仙という家で、この六月に生れる赤ん坊のお祝いに、部屋部屋の天井から日本の小判を吊るすのだそうで、ソックリそのまま
蠅除けにするという話。普通の
家では真鍮の短冊を吊すところを金持だけに
凝った思案をしたものらしい。面倒ではあろうが、この
鉛鋳の全部を大急ぎで小判の形に打抜いて金箔をタタキ付けてもらいたい。糸を通す穴は向うに着いてから明けるそうな。本物の小判のお手本はここに在る……といったような事を、まことしやかに頼み込んだ。
賃銀がよかったのでシロカネ屋の
老爺は、さほど怪しみもせずに、両手を
揉合わせて引受けた。六百斤のナマコを三日三夜がかりで一万枚に近い小判型に打抜いて畳目まで入れたものに金箔を着せたのを、千六に引渡した。
千六は、その小判を新しい
唐米の袋に詰込んで、手車に引かせ、帰りに桶屋から十個の桶を受取り、
序に山口屋から味噌を四百斤と、材木置場から
鋸屑を五俵ほど買込んで、同じ手車に積ませて、その日の暮れ方に舟着場へ持って来た。そこで百石積の玄海丸という
抜荷専門の帆前船を探し出して顔なじみの船頭に酒手を遣り、水揚人足に命じて車の上の荷物を全部積込ませると、念のためもう一度上陸してこの間の福昌号の裏口に行き、人通りの絶えたところを
見計らって地下室の小窓に鼻を近付け、今一度中の様子を窺いてみた。中には四五日前の通りに味噌桶が行列して、
黴臭い味噌の
臭気がムンムンする程籠もっていた。
ニンガリと笑った彼は立上って空を仰いでみた。この辺では穏やかでない
東寄りの
南風が数日来、絶え間なしに吹いているところで、追手の風でも余程自信のある船頭でないと船を出せるものでないことが商売柄千六にはよくわかっていた。
舟着場に帰った千六は船頭を
捉まえて、明日早朝に船が出せるかどうか。五島の城ヶ島まで行けるかどうか。船賃は望み次第出すが……と尋ねてみると、淡白らしい船頭は、城ヶ島なら屈託する事はない。心配する間もないうちに行き着いてしまう。ほかの船なら
生命がけの賃銀を貰うか知れぬが、この玄海丸に限って無駄な銭は遣わっしゃるな。この風に七分の帆を張れば、
明日の夕方までには海上三十里を渡いて見せまっしょ……と自慢まじりに鼻をうごめかすのであった。
千六は天の助けと喜んだ。すぐに多分の酒手を与えて船頭を初め
舟子舵取まで上陸させて、自分一人が夜通し船に居残るように計らった。
船の中が空っぽになって日が暮れると、千六は提灯を一つ
点けて忙がしく働き初めた。十個の味噌桶の底にそれぞれ
擬い小判を平等に入れて、上から
鋸屑を
被いかぶせ、その上から味噌を詰込んでアラカタ百斤の重さになるように手加減をした。厳重に蓋をして目張りを打つと、残った味噌と
鋸屑は皆、海に投込んでしまった。アトを綺麗に
掃出して、海岸を流して行く支那ソバを二つ喰うと、知らぬ顔をして寝てしまった。
翌る朝は、まだ
夜の明けないうちに船頭たちが帰って来た。
昨夜の酒手が利いたらしくキビキビと立働らいて、間もなく帆を十分に引上げると、港中の注視の的になりながら、これ見よがしに港口を出るや否や、マトモ一パイに孕んだ帆を七分三分に引下げた。
暴風雨模様の高浪を追越し追越し、白泡を噛み、
飛沫を蹴上げて天馬
空を
駛るが如く、五島列島の北の端、城ヶ島を目がけて一直線。その日の夕方も、まだ日の高いうちに、野崎島をめぐって
神之浦へ切れ込むと、そこへ山のような
和蘭陀船が一艘
碇泊って、風待ちをしているのが眼に付いた。
「ナアルほどなあ。千六旦那の眼ンクリ玉はチイット
計り違わっしゃるばい。
摺鉢の底の長崎から、この船の風待ちが見えとるけになあ。ハハハハ……」
と感心する船頭の笑い声を眼で押えた千六は、兼ねて用意していた福昌号の三角旗を船の舳に立てさした。風のない島影の海岸近くをスルスルと
辷るように
和蘭船へ接近して帆を
卸すと、ピッタリと横付けにした。
船の甲板から人相の悪い紅毛人の顔がズラリと並んで覗いていた。口々に
和蘭語で叫んだ。
「何だ貴様は……何だ何だ……」
千六はもう長崎に来てから、各国の言葉に通じていた。その
中でも
和蘭語は最も得意とするところであった。
「福昌号から荷物を受取りに来ました。この頃、長崎の役人の調べが急に
八釜しくなって、仕事が
危険くなりましたのに、この風で船が出なくなって、皆青くなっているところです。支那人はみんな臆病ですから、私が頼まれて四百五十斤の小判を積んで、嵐を乗切って来たのです。どうぞ荷物を渡して下さい」
と殆んど疑問の余地を残さないくらい巧妙に、スラスラと説明した。
「フーム。そうかそうか。それじゃ上れ」
と云うと船から
梯子を
卸してくれたので千六は内心ビクビクしながら船頭と二人で上って行った。そうして船長室で船長に会って葡萄酒と
珈琲と、見た事もない
美味い果物を御馳走になった。
千六は福昌号の信用の素晴らしいのに驚いた。積んで来た十個の味噌樽が全部、ロクに調べもせずに
和蘭船に積込まれて、代りに夥しい
羅紗とギヤマンの梱包が、玄海丸に積込まれた。まだ羅紗と、
絹緞と
翡翠の梱包が半分以上残っているが、この風と玄海丸の船腹では積切れまいし、こっちも実はこの風が惜しいばかりでなく、非常に先を急ぐのだから、向うの海岸に卸しておく。今一度長崎へ帰って、風を見てから積取りに来いと云って、千六と船頭を卸すと、
和蘭船はその夜のうちに、白泡を噛む外洋に出て行ってしまった。
アト見送った千六は慌しく船頭の耳に口を寄せた。
「直ぐにこの船を出いておくれんか。この風を
間切って
呼子へ廻わってんか。途中でインチキの小判と気が付いて引返やいて来よったら
叶わん。
和蘭陀船は向い風でも構いよらんけに……呼子まで百両出す。百両……なあ。紀国屋文左衛門や。
道程が近いよって割合にしたら千両にも当るてや、なあ。男は度胸や……。あとはコンタの腕次第や。酒手を別にモウ五十両出す……」
玄海丸は思い切って
碇を抜いた。それこそ紀国屋文左衛門式の非常な冒険的な難航海の
後、翌る日の夕方呼子港へ這入った。そこで玄海丸を乗棄てた千六は巧みに役人の眼を
眩まして荷物を陸揚して、数十頭の駄馬に負わせた。陸路から
伊万里、
嬉野を抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の
抜荷買を呼集め、それからそれへと右から左に荷を
捌かせて、忽ちの
中に儲けた数万両を、やはり
尽く為替にして大阪の
三輪鶴に送り付けた。
千六のこうした仕事は、その当時としては実に思い切った、電光石火的なスピード・アップを以て行われたのであった。
果して、そのあとから正直な五島、
神之浦の漁民たちが海岸にコンナ荷物が棄ててありましたと云って、夥しい羅紗や宝石の荷を船に積んで奉行所へ届出たというので長崎中の大評判になった。これこそ抜荷の取引の残りに相違ないというので与力、同心の眼が急に光り出した。結局、五島の
漁夫達が見たという○に福の字の旗印が問題になって、福昌号に嫌疑がかかって行ったが、その時分には千六は
最早長崎に居なかった。仲間の抜荷買連中と共に
逸早く旅支度をして豊後国、
日田の天領に入込み、人の余り知らない山奥の
川底という温泉に
涵っていた。
千六はそれから仲間に別れて筑前の
武蔵、別府、道後と温泉まわりを初めた。たとい金丸長者の死に損いが、如何に躍起となったにしたところが、とても大阪三輪鶴の千両箱を三十も
一所に積みは
得せまい。その上に銀之丞殿の蓄えまで投げ出したらば、松本楼の屋台骨を引抜くくらい何でもあるまい。もし又、万一、それでも満月が自分を嫌うならば、銀之丞様に加勢して、満月を金縛りにして銀之丞様に差出しても惜しい事はない。去年三月十五日の
怨恨さえ晴らせば……男の意地というものが、決してオモチャにならぬ事が、思い上がった
売女めに解かりさえすれば、ほかに思いおく事はない。おのれやれ万一思い通りになったらば、三日と傍へは寄せ附けずに、天の橋立の
赤前垂にでもタタキ売って、
生恥を
晒させてくれようものを……という大阪町人に似合わぬズッパリとした決心を最初からきめていたのであった。
京都に着いても満月の事は色にも口にも出さず。ひたすらに相手の
行衛を心探しにしていた銀之丞、千六の二人は期せずして祇園の茶屋で顔を合わせた。お互いに無事を喜び合い、今までの苦心談を語り合い、この上は如何なる事があっても女の情に引かされまい。満月の手管に乗るような不覚は取るまい。必ず力を合わせて満月を泥の中に蹴落し、世間に顔向けの出来ぬまで散々に踏み
躪って京、大阪の
廓雀どもを驚かしてくれよう。日本中の薄情女を震え上らせて見せようでは御座らぬか……と固く固く誓い固めたのであった。
何はともあれ善は急げ。二人がこうして揃った上は
便々と三月十五日を待つ迄もない……というので、二人は顔を揃えて島原の松本楼に押し上り、
芸妓末社を総上げにして威勢を張り、サテ満月を出せと註文をすると、慌てて茶代の礼を云いに来た亭主が、妙な顔をして二人を別の
離座敷に案内した。そこで薄茶を出した亭主の涙ながらの話を聞いているうちに、二人は開いた口が塞がらなくなったのであった。
満月は、モウこの世に居ないのであった。
「お聞き下されませ去年の春。あの花見の道中の道すがら満月が、昔なじみのお
二方様に、勿体ない事を申上げて、お恥かしめ申上ました事は、いつ、誰の口からともなく忽ちの
中に京、大阪中の大評判になりましたもので……。
……ところがその評判につれて、お二人様のお姿が、京、大阪界隈にフッツリと見えなくなりますると、御老人の気弱さからでも御座りましょうか。金丸大尽様が何とのう
御周章になりまして、お二人様から、どのように満月が怨まれていようやら知れぬ。満月と自分の
身体に万一の事がないうちにと仰言るような
仔細で、こちらからお願い申上げまする通りのお金を積んで、満月ことを
御身請なされまして、嵯峨野の奥の
御邸を御造作なされ変えて、お城のように締りの厳重な一廓を構え、その中に美事な別荘好みのお
家敷を作り、水を引き、
草木を植えて、満月をお住まわせになりました。
……それは見事なお構えで御座いました。お客にお出でになりましたお江戸の学者、
鼻曲山人様も、お筆に残しておいでになりまする。私どもが御機嫌伺いに参りましても
根府川の
飛石伝い、三尺の
沓脱は徳山
花崗の
縮緬タタキ、黒縁に
綾骨の
障子。音もなく開きますれば青々とした三畳敷。五分
縁の
南京更紗。引ずり
小手の砂壁。楠の天井。一間二枚の襖は
銀泥に武蔵野の唐紙。
楽焼の引手。これを開きますると八畳のお座敷は南向のまわり縁。紅カリンの床板、黒柿の落し掛。南天の柱なぞ、眼を驚かす風流好み。京中を探しましても、これ程のお座敷はよも御座いますまい。満月どのの満足もいかばかりかと存じておりましたが、満つれば欠くる世の習いとか。月にむら雲。花に嵐の
比喩も古めかしい事ながら、さて只今と相成りましては痛わしゅうて、情のうて涙がこぼれまする事ばかり……。
何をお隠し申しましょう。満月ことはまだ手前の処で勤めに出ておりまする最中から、重い胸の
疾患に
罹っておりましたので、いずれに致しましても長い
生命ではなかったので御座いまする。されば金丸大尽様からの御身請の御話が御座りました時にも、手前の方から商売気を離れまして、この事を残らず大尽様にお打明け致しまして、かかり付けのお医者様順庵様までも御同席願いました上で、かような不治の
疾患の者を御身請なぞとは勿体ない。満月ことを左程
御贔負に
思召し賜わりまするならば、せめて寮へ下げて養生致させまする御薬代なりと賜わりましたならば、当人の身に取り、私どもに取りまして何よりの仕合わせに御座りまする。所詮、行末の計られませぬ病人を、まんろくな者と申しくるめて御引取願いましては商売冥利に尽きますると平に
御宥免を願いましたが、
流石に長者様とも呼ばるる御方様の御腹中は又格別なもので、さては又あれが御老人の一徹とでも申上るもので御座いましょうか、いやいやそれは要らざる斟酌。
楼主の心入れは重々
忝ないが、さればというてこのまま手を引いてしもうてはこっちの心が一つも届かぬ。商売は商売。人情は人情じゃ。皿茶碗の
疵物ならば、
疵のわかり次第棄てても
仕舞おうが、生きた人間の病気は、そのようなものと同列には考えられぬ。袖振り合うも
他生の縁とやら。それほどの病気ならばこちらへ引取って介抱しとうなるのが人情。まさかに満月の
身体を
無代価で引取る訳には行くまいと仰言る、
退引きならぬお話。こちらもその御執心と御道理に負けまして、満月をお渡し申上げたような次第で御座りまする。……が……。
……さて満月さんをお引取りになりましてからの大尽さまのお心づくしというものは、それはそれは心にも言葉にも
悉くされる事では御座いませなんだ。京大阪の良いお医者というお医者を尋ね求め、また別に人をお遣わしなされて日本中にありとあらゆる
癆
のお薬をお求めになりました。そのほか大法、秘法の数々、
加持、祈祷のあらん限り、手をつくし品を換えての御介抱で御座いましたが、定まる
生命というものは致し方のないもので、去年の夏もようように過ぎて秋風の立ちまする頃、
果敢なくも二十一歳を
一期としてこの世の光りを見納めました。その夜は如何ようなめぐり合わせでも御座りましつろうか、拭うたような仲秋の満月の夜で御座いましたが、重たい枕を上げる力ものうなりました人間の満月どのは、おろおろしておいでになりまする金丸様のお手と、駈付けて参りました私の手を瘠せ枯れた右と左の手に力なく振って、庭の
面にさらばう虫の声よりも細々とした息の下に、かような遺言をなされました。
……これまでの
方々様の御心づくし、何と御礼を申上げましょうやら。つたないこの身に余り過ぎました
栄耀栄華。空恐ろしゅうて行く先が思い遣られまする
計りで御座います。ただ、おゆるし下されませ。金丸様と、御楼主様の御恩のほどは
生々世々犬畜生、虫ケラに生れ代りましょうとも決して忘れは致しますまい。
……わたくし
幼少い時より
両親に死に別れまして、
親身の親孝行も致しようのない身の上とて、この上はただ
御楼主様の御養育の御恩を、一心にお返しするよりほかに道はないと、そればかりを楽しみに思い詰めて
成長くなりましたところへ、肉親の親から譲られましたこの重病。いずれ長い寿命はないものと思い諦らめましてからというもの、一も御店のため、二も
御楼主様への御恩返しとあらゆる有難い
御嫖客様を手玉に取り、いく程の罪を重ねましたことやら。それだけでも来世は地獄に堕ちましょう。その
中にも忘れかねましたのは、あの銀様と千様のこと。今年の花見の道中で、あのような心ない事を申しましたのも、
心底からお二人様の御行末を
愛しゅう思いましたればの事。早ようこのような女を思い切って、男らしい御生涯にお入りなされませと、
平生から御意見申上げたい申上げたいと思いながらも、それがなりませぬ悲しい思いが、お変りなされたお二人のお姿を見上げますと一時に、たまらぬようになりまして、熱い固まりを胸にこらえながら、やっとあれだけ申しましたもの……それを、どのような心にお取りなされましたやら。それから
後というものフッツリとお二人のお姿が京、大阪の
中にお見えになりませぬとやら。その後の御様子を聞くすべもないこの胸の
中の苦しさ
辛らさ。お二人様は今頃日本のどこかで、怨めしい憎い女と
思召して、寝ても醒めても怨んでおいでなされましょうか。それとも、もしやお若い心の
遣る瀬なさにこの世を
儚なみ思い詰めて、あられぬ御最期をなされはせまいか。これはこの身の
自惚れか。思い過ごしか。罪の深さよ。浅ましさよと、思いめぐらせばめぐらすほど、身も心も瘠せ細る三日月の、枯木の枝に縋り付きながら、土の底へ沈み果てまする、わたくしの一生。
……わけても勿体ない御ことは金丸様。御身請の御恩は
主様の御恩、親様の御恩にも憎して深いものと承わっておりながら、身をお任せ申しまする甲斐もない、うつそみの
脱殻よりも
忌まわしいこの病身、
逆様の御介抱を受けまするなりにこの世を去りまする面目なさ。空恐ろしさ。来世は牛にも馬にも生れ変りまして、草を喰べ、水を飲みましても貴方様を背負いまする身の上になりまするようにと、神様、仏様に心中の御願はかけながらも、この世にては露ほども御恩返しの
叶わぬ情なさ。女とはかようなものかと夕蝉の、草の葉末に取りついて、心も空に泣き暮らすばかり。
……神様、仏様の御恩は申すに及ばず、この世にてお世話様になりました方々や、
不束なわたくしに
仮初にも有難いお言葉を賜わりました方々様へは、これこの通り手を合わせまする。ただ何事もわたくしの、つたない前世の因果ゆえと
思召して、おゆるしなされて下されませ……。
……と……云わるる声も絶え絶えに、水晶のような涙がタッタ二すじ、右と左へ、緞子の枕に伝わり落ちると思ううちに、あるかないかの息が絶えました。それはちょうど大空の澄み渡った満月が、御病室の
屋の棟を超える時刻で御座いました。
……金丸長者様の御歎きは申すまでも御座いませぬ。この世の無常とやらを深くもお悟りになったので御座いましょう。それから間もなく、さしもにお美事なお
住居をお建て換えになりまして一宇のお寺を建立なされ、無明山満月寺と寺号をお附けになりました。去るあたりから尊い智識をお迎えになりまして御住職となされ、満月どののために
仰山な
施餓鬼をなされまして、御自身も頭を丸めて
法体となり、法名を
友月と名乗り、朝から晩まで
鉦をたたいて京洛の町中を念仏してまわり、満月どのの菩提を弔うておいでになりまする。先祖代々
算盤を
生命と思うておりまする私どもまでも、その友月上人様の御痛わしいお姿を拝みまする
度毎に、まことに眼も
眩れ、心もしどろになりまするばかり……」
と云ううちに松本楼の主人は涙を押えて声を呑んだ。
銀之丞も、千六も、もう正体もなく泣崩れていた。ことに播磨屋の千六は町人のボンチ上りだけに、取止めもなく声を放ってワアワアと泣出すのであった。
嵯峨野の奥、無明山満月寺の裏手に、桜吹雪に囲まれた一基の美事な新墓が建っている。正面に名娼満月之墓と金字を彫り、裏に宝暦二年仲秋行年二十一歳と
刻んである。
その前に香華を手向けて礼拝を遂げた老僧と
新発意二人。老僧は金丸長者の後身
友月。新発意の一人は俗名銀之丞こと
友銀、今一人は千六こと友雲であった。いずれも三月二十一日……思い出も深い島原の道中から七日目のきょう、一切合財の財産を思い切って満月寺に寄進し、当住職を導師として剃髪し、先輩の老僧友月と共に、満一年振りの変り果てた満月の姿を拝んだのであった。
三人は三人とも、今更に夢のような昔を
偲び、今を思うて代る代る法衣の袖を絞り合った。暫くは墓の前を立上る気色もなかったが、やがて一しきり渦巻く落花の吹雪の中を三人はよろよろと満月の墓前からよろめき出た。
三人は並んで山門を出ると人も無い郊外の田圃道を後になり先になり列を作って
鉦をたたいた。半泣きの曇り声を張上げて念仏を初めた。
「
南ア
無ウ
阿ア
弥イ
陀ア
仏ウ」
「ナアン……マアイ……ダア――アア」
「ナア――モオ――ダア――アア」