金銀の衣裳
夢野久作
昔或る処に貧乏な母娘がありました、お父様は早くになくなつて今はお母様と娘のお玉と二人切でしたが何しろ貧乏なので其日其日の喰べるものもありません、只お母様が毎日毎日他所へ行つて着物の洗ぎ洗濯や針仕事をしていくらかの賃金を貰つて来てやつと細い煙を立てゝ居りました。処が此お玉と云ふ娘は生れ付きまことに縹緻がよくてとても人間とは思はれぬ位で名前の通り玉の様に美しく月の様に清らかな姿をして居りましたから近所の村や町の人々は皆不思議がつて砂利の中に玉が湧いたと云ひ囃して居りました。お母様も家が貧乏な丈けにこれを聞くにつけてもお玉の美しいのがいぢらしくてなりませぬ。あゝ若しこれが大金持ちか王様の娘であつたならば美事な着物を何枚も着せて大勢の人々に見せびらかさうものを、折角此様に天人の様な美しい娘を授かり乍ら着せるものは汚い黒い襤褸しか無い、嗚呼何と云ふ情ない事であらうと娘の顔を見る度に涙を流して居りました。
処が丁度此玉が七つになつた年の春の事で御座いました、何処から飛んで来たものか一匹の蠶の蛾が這入つて来まして破ら家の隅の柱にとまつて卵を沢山に生み付けて行きました。これを見るとお母様は不図思ひ付いてこれこそ神様から娘によい着物を下さると云ふ体徴であらうと思ひまして其卵のかへるのを待つて居りますとやがて沢山の蠶が生れまして床の上を這ひ初めました。これを見るとお母様は直に隣りの金持ちの裏の畠から桑の葉を千切つて来て床の上に撒いて遣りますと蠶は皆桑の葉の香気を慕ひ寄つて来ましたから床の上に仕切をしてすつかり其中に集めてしまひました。
それからお母様は毎夜毎夜出て行つて隣の家の裏畠から桑を千切つて来ては蠶に遣りました、他所の物を盗むといふことは悪い事には違ひありませぬがお玉の可愛さが胸一パイになつて居るお母様の身に取つては善い事も悪い事も考へる隙がありませんでした。
其中に蠶はずん/\大きくなつて最早二三日ばかりすると繭をかけると云ふ一番大切な時になりました、お母様はいつもの通り金持ちの家の裏の畠に桑を盗みに行きますと其の夜は美しい月の夜で今まで毎晩葉を千切られた桑の樹が皆枝ばかりになつて白い光りの下にズラリと並んで居りました。
母親は今更悪い事をしたと思ひました、清らかな月の光りを見るのが恥かしくなりました、左様して只悲しさの余り畠の中に泣き伏して居りました。
金持ちの家では今年に限つて桑の葉が足りないのを不思議に思つてそれとなく見張りを付けて居りますと見張の者は此の有様を見つけましてそつと家へ知らせましたからそれと云ふので大勢で桑畠を取り捲いて一時にわつと襲ひかゝりました。
母親は驚いて起ち上りました、そして捕へ様とするのを振り切つて逃げ出しましたがあまり夢中に走つた為に桑畠の中にある深い/\古井戸に落ち込んだのを気がついたものは一人もありませんでした。左様して皆取り逃がしたと思つて残念がつて帰つて行きました。
処が可愛想なのはあとに残つた娘のお玉です、翌る朝夜が明けてもお母様が居りませぬから泣き/\近所[#ルビの「きんしよ」はママ]を尋ねてまはりましたが固より古井戸に落ちてしまつたお母様が帰つて来やうがありませぬ。其中に誰云ふと無く桑盗人はお玉の母親に違ひ無いと云ふ事が評判になりまして可愛想に其娘のお玉までも憎まれて此村を追ひ出されてしまひました。
娘は村を追ひ出されても行く先もありませぬ、又乞食する術も知らず只声を限りに泣き叫びながら広い/\野原の方へ参りました。
其中に日が暮れて又昨夜の様な清らかな月の光りがさし昇りました。お玉はお腹は減るし足は疲れるし只情無さに「お母さん/\」と泣き叫び乍ら何処を当ども無く広野原を歩いて行きましたが其中に泣き疲れて只ある叢の中に倒れて眠つてしまひました。
悲しい其夜が明けますと北国の皇太子は家来を大勢連れて此の野原へ狩猟に来ましたがやがて叢の中に睡つて居るお玉を見つけて其の美しいのに驚いて眼のさめるのを待つて身の上を尋ねますと只「お母様が居ない」と泣くばかりで手の付け様もありませぬ。それから狩猟も何も止してしまつて家来が手を分けて探しますとやがて其中の一人は近所[#ルビの「きんしよ」はママ]の村の桑畠の中の古井戸から微に女の叫び声が聞こえるのを聞き付けて縄を入れて引き上げて見るとこれがお玉のお母様でしたから喜び勇んで皇太子の前に連れて来ました。又其中の一人は同じ村外れの一軒の廃ら屋から金色の光りが輝き出て居るのを見て不思議に思つて覗つて見ますと何様でせう、蠶は皆お玉の母親の心に感じたものか眼も眩い金銀の糸を吐いて大きな繭を家中にかけて居りましたから今まで真暗なみじめなお玉の家の中はまるで王様のお住居の様に光り輝いて居りました。
皇太子はお玉母娘を先立てゝやがて此家に這入りまして眼の前の不思議に感心をしました、左様して此娘が大きくなつたらば自分の后に貰ひたいと望みました。
母親に逢つたお玉の喜び娘の出世を喜ぶ母親の喜び此様な美しいお后を見つけた皇太子の喜び、王様御夫婦の喜び、取り分けても世にも珍らしい金銀の繭を見た人々の驚きそれやこれやで世界は喜びと驚きに満ち/\たかと思はれました。
年月は矢の様に経つてお玉が十七の時に始めて此国のお后の位に備はりました。国々から集まつた大名や殿様は皆其の儀式の華やかなのに驚いて只もう感心してしまひましたが其中でも金銀の衣裳を着たお玉の美くしさは唯一人として頭を上げて真面に見る事が出来た者はありませんでした。
底本:「定本 夢野久作全集 全8巻 6」国書刊行会
2019(令和元)年5月24日初版第1刷発行
底本の親本:「九州日報」
1919(大正8)年6月30日
初出:「九州日報」
1919(大正8)年6月30日
※初出時の署名は「萠園」です。
入力:佐藤すだれ
校正:木村杏実
2021年12月27日作成
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